ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年08月31日(木) そろそろお終いにしませんか

断続的ではなかったが激しい雨が降る。

降り始めると怖いほどに降りまるで嵐のようであった。



コロナ尽くしであった8月も晦日。

ほんの一週間前のことを思い出しよく乗り越えたものだと思う。

家族がみな健康で平穏無事であることを祈らずにいられない。

一度感染しても何度でも感染し得るのだそうだ。

恐るべしコロナである。まだまだ不安な日々が続くことだろう。



月末の資金繰りがなんとかなり無事に支払いを済ませた。

毎月のことだけれど試されているように感じてならない。

順調な月もあれば今月のように厳しい月もあるのだった。

金庫番を任されている以上責任を持って対処しなければならない。

ほっと肩の荷が下りる。また来月には新たな荷物を背負う。





今日も医師から電話。着信がある度に酷く緊張する。

詳しい説明をいくら聞いてもどうしようも出来ないのだった。

下血が酷いため貧血になっており輸血をするのだそうだ。

それには家族の同意書が必要で近いうちにまた連絡があるらしい。

「今日ですか?」と訊ねたら「今日ではないです」と応える。


心臓はもちろんのことだが腎機能もかなり悪くなっているようだ。

もう透析に持ち応える体力が残されていないのだそうだ。

昨日も言われたが今日も「覚悟しておいて下さい」と言われた。

いくらでも覚悟はしようと思う。それが明日でも構いはしない。


私はいくら薄情な娘だと思われても良いが世間一般の母娘ではないことを

分かって欲しいと切に願っている。

これまで私がここに記したことを読んでくれた方には分かると思うが

私は54年前に母に捨てられた子供なのだった。

いくら修正してもその事実は永遠に変えることは出来ないのだと思う。

母はもう赦されていると思っているのかもしれないが

私の受けた傷は永遠に消えることはないのだった。


私の心の中の母は54年前に一度死んでいる。

それは誰が何と言っても変えられない事実だと思っている。

血が繋がっていると云うだけで「娘」だと呼ばれなければいけない。

いざ母を失ってしまえば人並みの悲しみが襲って来るだろうが

何かが違うのだ。その何かのために私は苦しんでいるのだと思う。


そろそろお終いにしませんか。

鬼のような娘はそんな言葉を呟いているのだった。







2023年08月30日(水) 寝耳に水のような話

雨が降ったり止んだり。降る時は降る男らしい雨であった。

とにかく突然土砂降りになるものだから油断は出来ない。



やはり急に食べ物の好みが変わってしまったようで

食パンを見るのも嫌になってしまった。

今朝もけい君のお茶碗でわさびふりかけご飯を食べる。

お弁当にはおにぎりを二個作った。これもわさびふりかけである。


食べたくない物がけっこうたくさんある。

今まで毎朝食べていたチーズとトマト。卵焼きもあまり食べたくなかった。

コロナの後遺症なのかどうかは分からないけれど

しばらくは食べたい物だけを食べてみようと思っている。





昨日の今日で母の施設と連携している病院の医師から電話があった。

血液検査の結果が出たそうで白血球の数値が異常に高いのだそうだ。

どうやらただの胃腸炎ではなかったようである。

肛門からの出血も多く止血剤で処置してくれているとのこと。

まだ詳しいことは分からないが腸の一部が破裂しているのかもしれない。

容態はいまのところ落ち着いているが救急搬送も在り得るのだそうだ。

その場合手遅れになる場合もあるので覚悟をしていて欲しいと言われた。


寝耳に水のような話でありにわかには信じられなかった。

思わず「ちょっと待ってよ」と声が出そうになる。

今母にもしものことがあったら対処する余裕が全くないのである。

とにかく仕事のことで頭がいっぱいになっており母のことを考えられない。

母が死んでしまうかもしれないと云う現実よりも

お葬式となれば仕事がストップしてしまう事の方が心配なのだった。


改めて私ほど薄情な娘はいないだろうと思うのだ。

これ程の重荷があるだろうか。どれほど負担になっていることだろう。


ここまで書いてしまえばまったく鬼のような娘である。


母との意思疎通は全く不可能であるがもし伝えることが出来るのなら

私を助けて欲しいと思う。明日は月末で資金繰りがとても苦しい。

会社を支えようと必死になっている私のことを見捨てないで欲しいのだ。



2023年08月29日(火) 明日のおにぎりについて考えている

大気がよほど不安定だったのだろう夜が明けるなり土砂降りの雨。

にわか雨と云うより通り雨のようだった。ざあっと走り抜けるように降る。

午後には少し青空が見えていたが明日はまた雨になるそうだ。


体調はすっかり良くなったが食欲がイマイチである。

コロナ感染中には食欲旺盛だったのが嘘のように思える。

極端な話、今まで好きだった物が食べられなくなっているのだった。


今朝はわさびふりかけご飯のなんと美味しかったこと。

お味噌汁と納豆で日本人らしい朝食を摂った。

実は私専用のお茶碗が無くてけい君のお茶碗で食べたのだ。

それだけ私がご飯を食べるのは珍しいことなのである。

お弁当も作る気がせず山里で何か買って食べようと思った。

無性に田舎寿司が食べたかったが売っておらずおにぎりを買って食べた。

その時おにぎりを買うのももったいないなと思ったのだ。

明日は自分でおにぎりを作って持って行くことにしよう。





仕事を終えてスーパーで買物をしていたら母の施設から電話があった。

お昼頃から高熱となり下痢と嘔吐があるとのこと。

コロナは陰性、医師の診断ではウィルス性の胃腸炎ではないかと云う。


決して母が心配でないわけではなかったが正直言ってどうでも良かった。

母のことを考える余裕がない。それだけ私は薄情なのである。

施設の看護師さんは点滴をしながら様子を見ますと言ってくれて

何か異変があればまた電話をしてくれるのだそうだ。

「はい、分かりました。お世話を掛けますがよろしくお願いします」と

私は応えたが内心では母のことなど忘れてしまいたいと思っている。

母は確かに生きているけれどすでに死んでしまったように感じる時がある。

それが私と母の「距離」なのだろう。決して近くはないのである。


施設からはこれまで何度か母の体調不良を知らせる電話があったが

体調が落ち着いた連絡は一度も無かった。

今回もおそらくそのままになってしまうことだろう。


施設としては何かあってからでは遅いのだ。

だからちょっとした異変でも家族に連絡をする義務があるのだと思う。


あれこれ考えているとなんだか疲れてしまった。


私は明日のおにぎりのことだけ考えていたいのだ。

鮭わかめか塩こんぶかシーチキンマヨも良いなと思う。

二個持って行こう。気が向いたら卵焼きを添えようではないか。



2023年08月28日(月) わさびふりかけでご飯が食べたい

時おり薄雲が広がっていたがおおむね晴れ。

厳しい残暑と聞いていたがさほど暑さを感じなかった。

8月も残り少なくなり朝晩が過ごし易くなったようだ。

季節は確実に秋に向かっているのだろう。


5日ぶりの山里。義父も同僚も稲刈りで工場は開店休業であった。

事務仕事は山積みになっており何から手を付ければ良いのか

仕事を休んだのは2日間だったのに思いがけない程の忙しさとなる。


感染して6日目でありまだ安全とは言い難く際どいところだった。

しっかりとマスクをしていたがお客さんは誰もしていない。

休業の旨を伝えてなるべく手短に接するように努めた。



後遺症だろうか。夫は食欲不振と倦怠感を訴えている。

私も今朝からなんとなく胃が重く少し下痢気味でもあった。

もしかしたら昨夜の焼酎がいけなかったのかもしれない。


夫が少しでも食べられるようにと好物のお稲荷さんを買って帰る。

良かった2個食べてくれた。後はざる蕎麦を少し食べてくれた。

明日の朝食用にわさびのふりかけ。これも夫の好物である。

わさびと云えばお稲荷さんの中にわさび菜が入っていて驚く。

なんで?とパッケージを見たら小さな字で「わさび入り」と書いてあった。

これでは間違って買ってしまう人も多いことだろう。

小さな子供が食べたりしたら可哀想ではないかと思った。

ざる蕎麦のつけ汁にもわさびを入れたので今夜はわさび尽くしである。


そのせいでもないだろうが無性にわさびふりかけでご飯が食べたい。

コロナで食の好みが変わることがあるのかは定かではないが

今朝はいつも食べている焼サンドを全く食べたくなかったのだ。

仕方なく昼食用に持って行っていたが不味くて食べられなかった。

だから今日は朝から納豆だけしか食べていなかったのである。

もしやコロナダイエットを目指しているのであろうか。

いやいやそう上手く思い通りにはいかないだろう。


医師から完治は一週間と聞いていたが後遺症がある場合は

もっと長くなるだろうと思われる。

その後遺症にも治療薬はないのだから気が遠くなりそうだ。


私はとにかく明日の朝わさびふりかけでご飯を食べよう。

きっと一気に元気になるのではないだろうか。







2023年08月27日(日) 汁なしチャルメラに生卵を入れて

爽やかな青空が広がっていたがすぐに雨が降り始める。

干したばかりの洗濯物を娘が急いで取り込んでくれた。

布団も干したかったのに思うようにはいかないものだ。


夫、再び平熱となり今日は二人で床上げをする。

床上げと云ってもベッドなので起きてゆるりと過ごしていた。

昨夜から24時間テレビを放送していて退屈こそしないで済む。

むしろ感動が大きい。今年の放送は特にそう感じた。

「明日につなげるために」私はいったい何が出来るのだろうと考える。



感染から5日目となりほぼ完治したように思える。

喉の痛みも軽くなり食欲も以前と変わらず旺盛であった。

夫はお茶漬けばかりを食べているが私はチャルメラなど。

お昼に汁なしチャルメラに生卵を入れて食べたらとても美味しかった。

娘達は自分達で食べたい物を買って来て食べているようだ。

それがとても楽でなんだか癖になってしまいそうである。

明日からまた日常のことをと考えているが主婦業もぼちぼちだろう。


気分一新と云うほど大げさなことではないが

明日は4時に起きて詩を書いてみようと思っている。

書けるかどうか分からないが無性に書きたくてたまらない。


何も変わってはいないのに何かが変わったように感じるのは

何故だろうと思う。これはとても不思議な感覚であった。



2023年08月26日(土) 経過4日目

頭痛と喉の痛みが辛いため掛かりつけの病院に電話する。

まだ4日目なので感染の心配があるとのこと。

娘は仕事だったので義妹に薬を取りに行ってもらった。


頭痛薬は解熱剤と同じ薬だったのであえて服用せず。

喉の薬は痛みを少しだけ和らげるのだそうだ。

トローチとうがい薬も一緒に入っていた。

医師の話では熱のピークは3日。その後は殆どの人が喉の痛みがあるらしい。

完治するには5日から一週間だと言う。

月曜日にはどうしても仕事に行かなければならないが

ぎりぎりセーフと云うところだろうか。


夫は平熱になっていたが夕方からまた微熱が出ている。

あまり気にならないようでシャワーを浴びてビールも少し飲んだ。

食欲もあるのでおそらく今日が峠なのではないだろうか。


私も今夜は薄い焼酎の水割りを飲みながらこれを記している。

頭痛はだいぶましになったが喉の痛みに焼酎が沁みて心地よい。

だからと云ってさすがにお代わりをする訳にはいかないだろう。



今夜は市民祭の花火大会があるようだ。

毎年土手から遠い花火を見ていたが今年は諦めようと思っている。


娘達は出掛ける準備をしているが、あやちゃんはお留守番とのこと。

結局この夏の花火は一度も見に行かなかったことになる。


コロナの感染もあやちゃんだけは助かっており娘が神経質になっている。

私が無神経なのだろう。マスクを食卓に置きっぱなしにしていて

娘からこっぴどく叱られたばかりである。

一人だけでも守ってやらなければいけない。これはなんとしてもである。



ゆっくりではあるが少しずつ日常が返って来ているようだ。

感染の覚悟はしていたが皆が軽症で済み何よりに思っている。



2023年08月25日(金) 経過3日目

夫もやはり陽性。熱が高く39℃を超える。

今日は微熱になっていたのでこのまま恢復することを願う。


私は平熱になったが頭痛と喉の痛みが酷くなった。

その痛みはコロナ特有のものなのか今まで経験したことのない痛みで

周期的にずきんと突き上げて来るような痛みが襲って来る。

とにかく様子を見ながら完治するのを待つしかないだろう。


朝から仕事の電話がひっきりなしに掛かってくる。

義父のお達しで決してコロナだと口にしてはいけないと言われており

商売をしているのだからそれも当然のことだろう。

しかし嘘も方便と云うが正直に言えないのは辛いものがある。


月曜日にはどうしても出勤しなければならない。

5日経てばもう感染は無いらしいが本当に大丈夫なのだろうか。



書き始めたらついつい無理をしてしまうので経過報告だけにしておく。

早く健康な日常が返って来ることを祈らずにいられない。




2023年08月24日(木) 経過

家庭用の検査キットで陽性。

病院に行っても治療薬があるわけでもないので

安静にしながら様子を見ている。


幸い熱は微熱で37℃代。このまま上がらなければ軽症なのだろう。

頭痛が少しと軽い咳が出ている。味覚障害は今のところない。

食欲はあるので大丈夫だと思うが油断は出来ないだろう。


先ほど夫が発熱。まだ検査をしていないが間違いないと思う。

大変なことになったが何としても乗り越えなければいけない。



大分の徳さんメールありがとうございました。

頑張って治してまた毎晩日記を書きますね。



2023年08月23日(水) お知らせ

微熱ですが発熱しました。

まだ検査はしていませんが間違いないと思います。



2023年08月22日(火) 今日のことは今日に

朝のうちは晴れ間があったが午後から雨が降り始める。

場所に寄りけりで山里では土砂降りの時間帯があった。



百日紅の盛りが過ぎ鉄砲百合が目立つようになった。

枯れた紫陽花の傍に寄り添うように咲いている姿を見ると

なんだかとても優しい気持ちになるのだった。


鉄砲と言うよりラッパに似ている。

一斉に横を向いて咲くので「鉄砲」と名付けられたのかもしれない。

日本古来の百合で明治時代には海外へ輸出されていたそうだ。

アメリカやフランスにも咲いているのだろうか。





午後から仕事が忙しくなり2時間の残業となった。

帰宅したら洗濯物が畳んであり台所も綺麗に片付いていて驚く。

まだ微熱があると云うのに娘がやってくれたようだ。

家の中のことが気になり寝てばかりはいられなかったのだろう。

私が早く帰宅していたら無理をさせずに済んだのにと思う。


夕飯はスーパーのお惣菜で済ます。つい揚げ物ばかりになった。

娘婿は相変わらず何を食べても味がしないのだそうだ。

明日から仕事復帰なのに大丈夫だろうかと心配になる。


娘は少しだけ食べられたようだ。食べ物によって苦みが違うらしい。

熱が完全に下がれば治るかもしれないので様子を見るしかない。

どちらにしても美味しく食べられないのが可哀想でならなかった。


娘夫婦以外は皆元気で食欲も旺盛である。

特に私の食欲は旺盛過ぎてダイエットどころではない。

体重はどんどん増えるばかりでもうどうしようもなくなった。

そんな体重増加のせいかもしれないが足の痛みが酷くなっている。

もう慣れてしまっているので辛いとは思わないのが幸いに思う。

諦めているわけではないがなんだかもう疲れてしまった。

もうどうでもいいやと投げ遣りになっている気がする。


今日は無事だった。明日はどうだろう。

毎日がその繰り返しで日々が流れていく。


何かをする度にこれは明日ではいけないと思ってしまうのだ。

今日のことは今日のことでなくてはならない。


明日が見える鏡など何処にもないだろう。

とにかく眠る。目覚めたら明日になっているのが「理想」である。



2023年08月21日(月) やはり奇跡だろうか

今日も厳しい残暑。屋外に居ると汗が噴き出て来る。


義父は稲刈りがやっと一段落したようだがまだまだ忙しそうだ。

顔色を窺いながらあれこれと仕事の段取りなどを話す。

今日はちょっとしたハプニングがあり私ではどうすることも出来ない。

恐るおそる相談したらちゃんと真剣に聞いてくれて助かった。

義父は決して責任を放棄しているわけではないのだ。

かと言って頼り過ぎてもいけない。そのバランスがけっこう難しい。




帰宅したらめいちゃんがおでこに冷えピタを貼っていて驚く。

てっきり再感染したのかと思った。それにしては元気そう。

訳を訊けばあまりにも暑かったから貼ったのだそうだ。


娘婿は会社の規則で一週間の自宅療養が義務付けられているらしい。

水曜日には仕事に行けそうだがまだ本調子ではなかった。

大好きなお刺身なら食べられるかなと思ったが食べたくないと言う。


娘はなんとか微熱になり起き上がれるようになったが

やはり味覚障害なのだろう。何を食べても苦くて不味いと言う。


この味覚障害はめいちゃんには無かったので大人だけかなと思う。

それだけ子供が軽症になり易いのかもしれない。


あやちゃんと私たち夫婦は今日も無事であった。

めいちゃんの時にも思ったがこれは奇跡なのではないだろうか。

もちろんまだ油断は出来ないが不安が少しずつ薄れて行っている。

今日は大丈夫だった。明日はどうだろうかとまるで賭けのようだった。

そうして一日一日を乗り越えて行かなければいけない。


私も引き続き気を緩めないように過ごそうと思っている。

まだ月曜日だが週末まで乗り越えたらもう大丈夫だろう。


週末には市民祭の花火大会があるのだそうだ。

そうして娘達と同居を始めてもう9年となろうといている。



2023年08月20日(日) 捕まってなるものか

今朝は秋を思わすような鱗雲が見えていた。

日中は厳しい残暑となったが季節はゆっくりと秋に向かっているようだ。


買物に行ったスーパーで先日ご主人を亡くされたばかりの友に会う。

どうしているだろうかとずっと気になっていたので会えて良かった。

仕事に復帰したそうだ。家に居たら一日中泣いてばかりだったそう。

仕事をしている間は忘れていても夜になるとまた悲しみが襲って来る。

それはもの凄い寂しさらしい。聞いているだけで胸が苦しくなった。

励ますよりも寄り添うべきなのだ。慰めるべきなのだと思う。

とにかく日にち薬しかない。一日一日を耐え抜いていくしかない。


もし私が友の立場だったらと思うと目の前が真っ暗になる。

私はそんな寂しさに耐えられるだろうか。気が狂ってしまいそうだ。





娘の熱は少し下がったようだがまだ起き上がることが出来ない。

病院へ行っても同じ事と家庭用の抗原キットで検査をしたらやはり陽性。

解熱剤はあるので服用しつつ様子を見ることになった。

治療薬が無いのが残念でならない。一刻も早い開発を願っている。

どれほど医学が進歩しても不可能なことがあるのだろうか。


今夜もめいちゃんが夕食の支度を手伝ってくれた。

絹ごし豆腐に韓国海苔をトッピングしポン酢醬油で食べるやつ。

先日まあちゃんの家に泊まりに行った時に食べて覚えたのだそうだ。

それからエビチリ。サニーレタスのサラダに生ハムをトッピングする。

私は冷凍秋刀魚を焼いて鰹のタタキを作っただけだった。


娘婿は味覚障害が出ており何を食べても全く味がしないのだそうだ。

完全に治るまではしばらく掛かるかもしれない。

娘は一切食べることが出来ずお粥も食べれそうになかった。

どんなにか辛いことだろう。せめて熱が平熱になってくれることを祈る。


今私が倒れたら大変なことになるので気を張り詰めているが

自信はあるようで心細く「もしも」のことを考えずにはいられない。

食事の支度、洗濯、何よりも仕事はどうすれば良いのだろう。

2.3日ならなんとかなるが一週間ともなるとパニックになりそうだ。

これはやはりなんとしても負けるわけにはいかないのである。


酷く追い詰められているような気もするが突破しなければいけない。

捕まってなるものか。きっときっと逃げ切って見せよう。



2023年08月19日(土) どうしようも出来ないこと

おおむね晴れ。猛暑日にこそならなかったが厳しい残暑となる。

エアコンの有難さ。電気代などもう気にならなくなった。



夕方、娘が発熱。病院には行っていないがコロナに間違いないだろう。

とうとう来たかと思う。そうして次は誰だろうと思う。

順番から云えば私なのだけれど負けるわけにはいかない。

絶対に罹らないぞと強気になっているのだった。


めいちゃんが夕飯の支度を手伝ってくれた。

トマトを切ったり八宝菜を炒めたりとずいぶんと助かる。

子供心に母親の代わりをしようと頑張ってくれたのだ。


娘婿はまだ本調子ではないが少し元気になったようだ。

まだビールが飲めない。今夜はお味噌汁を飲んでいた。

完治まで5日から7日掛かるらしい。来週には仕事に行けるだろうか。


これは覚書だが症状としては熱と喉の痛みだけである。

新型肺炎だからと云って咳が出るとは限らないようだ。

それだけ軽症なのだろうけれど決して油断は出来ないと思う。

特に高齢者は重症化するリスクが大きいのだ。



娘は熱に喘いでおりすっかり寝込んでしまっている。

めいちゃんが冷蔵庫から冷えピタを出して介抱しているようだ。

今朝はあんなに元気だったのにと思う。

コロナは突然襲って来る。前兆など全く無いと云っても良い。


最悪の場合は私も感染するかもしれない。

いくら強気でいてもどうにもならない時があるだろう。

もしこの日記が滞ったら感染したと思ってほしい。


明日も書けますように。そればかりを願っている。



2023年08月18日(金) 名無しのごんべさん

昨夜は大雨。今朝は止んでいたが不安定な空模様となる。

薄く陽射しが射しているかと思えばにわか雨が降ったりする。


山里ではツクツクボウシの鳴き声がこだまするように聴こえていた。

それからお日和トンボと呼ばれる赤トンボが群れをなして飛び交う。

稲は実り頭を垂れながら刈られるのを待っているようだ。

「処暑」までもう少しとなった。少しずつ秋らしくなっていくだろう。



娘の42歳の誕生日。随分と歳月が流れたがあの夏の日を鮮明に憶えている。

連日の猛暑で身重の身体が限界となり一刻も早く産みたかった。

ちょうど予定日の朝に陣痛が始まりこれ幸いと産院へ行ったが

陣痛が止まってしまって一向に産まれそうにないのである。

しかしなんとしても今日産むのだとひたすら気合を入れていた。

その甲斐あってか夕方再び陣痛が始まり午後7時過ぎにやっと生まれた。

けれども産声が聴こえなくて私は気が狂ったように叫んでいた。

助産師さんが娘の足を持って逆さにしお尻を叩いたらやっと泣いてくれた。


2歳だった息子がおじいちゃんに抱っこされて面会に来て

「ごんべさん」(名無しのごんべさん)と呼んでいた。

好きな名前を付けてあげようねと言ったら「さっちゃん」が良いと言う。

さっそくおじいちゃんがお寺さんに行ってさっちゃん候補の名前を

幾つか見つけて来てくれたが私も夫も「紗穂」が良いと思った。

れっきとした名前があるが私はしょっちゅう「サチコちゃん」と呼ぶ。

ついでに孫達も「あやこちゃん」「めいこちゃん」と呼ぶ時が多い。

そんな私の変な習慣が我が家では愉快にまかり通っている。





娘婿の熱は下がり峠は越したようであるが娘の誕生日祝いは後日に延期。

順調に恢復すれば明日か明後日には出来そうである。

心配していた家庭内感染も今のところ大丈夫で皆元気であった。

しかしこればかりは油断が出来ない。楽観するにはまだ早いだろう。

潜伏期間が3日だと云う。今日がぎりぎりの堺である。


今朝からずっともし娘が感染したらと考えていた。

特に隔離もしていないので一番危険なのは娘だと思う。

誕生日にコロナだなんてあまりにも可哀想ではないか。

結果は取り越し苦労に終ったがなんだか救われたように思った。


いつも明るくて朗らかな娘はいったい誰に似たのだろう。

さっぱりとした性格で私とは似ても似つかない。

顔はもちろんのこと声さえも似ていないのだった。


けれども私は42年前の今日、確かに娘を産んだ。

「お願い泣いて」と叫んだら元気な産声が聴こえたのだった。



2023年08月17日(木) 石橋を叩いて渡る

高知県西部は殆ど降らなかったが中部や東部では大雨だったようだ。

明日も不安定な天気になりそうでまるで戻り梅雨のようである。


長かったお盆休みが終りやっと仕事。

仕事が好きでもあるが貧乏性でもあるのだろう。

「貧乏暇なし」と云うがようは忙しいのが好きなのである。


昨日苦労して送った書類が午前中ぎりぎりまで届かなくて焦る。

郵便局の追跡システムで何度も調べていたが「持ち出し中」となっていた。

11時過ぎにやっと配達済みとなってなんとほっとしたことだろう。

もし間に合わなかったら義父にこっぴどく叱られたと思う。

私が悪いわけではないのだけれど責任の転嫁をする人なのだ。


休み明けで工場も大忙しで同僚が汗を流していた。

義父はコンバインの修理に夢中で手伝おうともしない。

同僚の機嫌が悪いのを宥めつつ義父の顔色も窺っていた。

そんなこんなが少なからずストレスになるのだけれど

辛いとは思わずむしろそれを愉しんでいる自分がいた。

それが私の真の仕事のように思うのだった。





娘婿の熱は少し下がったようだ。今夜は少しだけ夕食を食べた。

それにしてもあまりにも無防備な我が家である。

非常識な家族だと思われても仕方ないがどうしようも出来なかった。

あまり神経質にならないほうが良いようにも思える。

絶対に感染するとは限らないのだ。弱気になってはいけない。

「免疫力」には詳しくないが気力と関係があるように思う。


めいちゃんの時と同じく今のところ誰にも異変はなかった。

素人判断ではあるが今週末を乗り越えたら大丈夫なのではないか。

恐るおそるではあるが石橋を叩いて渡るべきなのだろう。


コロナは何度でも感染するのだそうだ。

そうして感染しても未だ治療薬が開発されていない。

まるで「細菌戦争」のようである。

そうそう簡単に負けるわけにはいかない。



2023年08月16日(水) ハプニング

送り火を焚く。来年もきっと帰って来て下さいね。


台風7号は日本海に抜けたがまだ大雨の処があるようだ。

高知県西部も明日は大雨の予報である。


お盆休みも最終日。朝のうちにやっと花の苗を植えた。

ペンタスと観賞用の辛子で辛子には白い花がいっぱい咲いている。

その後平日には行けないカーブスへ。相変わらず足の痛みはあったが

少しでも身体を動かすことが出来て心地よかった。


昼食後、高校野球を観ながらうとうとしていたら義父から電話があった。

急いで今日中に送らなければいけない書類があるとのこと。

もう3時になっていたが仕方なく山里の職場に向かう。

山里はあちらこちらで稲刈りをしており微かに藁の匂いがする。

義父はコンバインの調子が悪く今日は出来なかったようだ。

そのせいもあるのだろう。酷く苛々しており手に負えない。


書類に不備があり郵便局の速達受付時間に間に合わなかった。

佐川急便なら大丈夫だろうと行ったがもうトラックが出た後とのこと。

仕方なく四万十市内の中村郵便局まで大急ぎで走った。

山里の郵便物は中村郵便局で集荷され高知市内まで行くことになっている。

夜7時までの受付なら明日の午前中の配達に間に合うのだそうだ。

窓口で出し終えてほっと肩の荷が下りる。

義父がもっと早く言ってくれていたら良かったのだが

まるでハプニングのような出来事でふっと愉快にも思えた。

夕陽を見ながら家路を急ぎつつやっぱり私は仕事が好きだなと思った。


帰宅したらもう6時。娘が夕飯の支度をしてくれていた。

今朝から娘婿の姿を見ていなかったのだが発熱しており

娘が病院へ連れて行ったらコロナに罹っていたそうだ。


めいちゃんの発症からもう10日以上経っており不可解でもある。

そうかと言ってお盆休みの間は特に外出もしていないようだった。

これが感染経路不明というやつだろうか。罹ったものは仕方あるまい。


またしばらく我が家のコロナ騒動が続きそうだが

めいちゃんの時に大丈夫だったからと変な自信があるようだった。

そんな油断が仇になる時もある。気を張って過ごさねばならない。


平穏無事は決して当たり前のことではないのだなと改めて思った。





2023年08月15日(火) まるで繭のように

台風7号は今朝和歌山県に上陸しもうすぐ日本海へ抜けるようだ。

線状降水帯の発生により鳥取では大雨特別警報が出ている。

一刻も早く雨が止んでくれることを願わずにいられない。


鳥取と云えば「めいさん」が住んでいるのだけれど

鳥取市内なのか詳しい住所を知らなかった。

SNSで何か発信があるかもと気にかけているが今のところ何もない。

メールをする程親しくはないのが少しもどかしく感じている。

ご家族皆無事で。せめて祈りと願いが伝われば良いのだけれど。

それが伝わったとしても実際被害に遭われていたら何の力にもなれない。

要は「心配していますよ」と云う自己アピールに過ぎないのだろう。

それはとても虚しい行為に思えてならない。





今夜は私の職場のある三原村で「みはら祭り」があり花火も上がるそうだ。

娘達が行ってみたいと言い出しあやちゃんを残して出掛けて行った。

「一緒にご飯を食べようか」恐るおそる声をかけたら思いがけずに

素直に頷いてくれて珍しく三人で夕食を食べた。

花火は興味が無くただただ「めんどくさい」のだそうだ。

あやちゃんの心の中に子供らしさが失われているように感じた。

いったい何があやちゃんを支配しているのだろうと思う。

繊細な糸のようなものに絡まっているような気がしてならない。

その糸を周りのおとなが取り払ってはいけないのだろう。

まるで繭のようだ。自ら糸を吐き出しているようにしか思えない。


あやちゃんのことをここに詳しく記すことは避けなければいけないが

長い目で見守ってやらねばならないと思っている。

自分の意志で動き出す日がきっと来るだろうと信じている。



川向の山の向こう側が三原村であるが

今まで花火の音が聞こえたことはない。


もしかしたらと待っている。あやちゃんにも聞かせてあげたい。










2023年08月14日(月) まあいいじゃないか

朝風が心地よくふっと秋の気配を感じた。

日中はまだまだ残暑が厳しいが次第に朝晩は涼しくなるだろう。



台風7号は紀伊半島に接近しており明日の朝には上陸しそうである。

高知県も強風域に入るため多少の影響がありそうだ。

自然の猛威に逆らうことは出来ず大事に至らないことを祈るばかりである。



夕方のローカルニュースで「お盆休みの過ごし方」の話題があった。

3割の人が休みなく仕事。2割が観光や帰省。残りの5割の人が

特に何もせず家でのんびり過ごすのだそうだ。

それを聞いてなんだかほっとしたのは言うまでもない。

のんびりどころかひたすらごろごろと寝てばかりいる私であった。


朝のうちに買い物に行っていて花の苗を数本買って帰った。

買った時にはすぐに植えるつもりだったが家に帰ると気が乗らない。

結局そのままにしたまま日が暮れてしまった。

足の痛みのせいもあるが酷くものぐさになってしまったように思う。

けれどもそんな自分を情けないとは思わずに

「まあいいじゃないか」と許すことが多くなったこの頃である。

それはこの先もどんどん増えいくことだろう。

その時に自分を責めることは決してないと断言してもいい。


自分を責めても何も変わらないのではないだろうか。

そうしても心が折れるばかりで立ち直ることは出来ないのだと思う。


そうでなくても最近は心が折れることが多い。

SNSでもあったがさらりと水に流すほど私は強くないようだ。

たとえ顔の見えない世界であってもそこには「ひと」が存在している。

私に心があるようにその「ひと」にも心があるのだった。

もう一切関わり合いたくはないと思っている。

そう思うだけでずいぶんと救われるような気がするのだ。



今夜の日記はまるで「飛び火」をしたようになってしまって

元々の火元は何だったのか分からなくなってしまった。

火の無い処に煙は立たないと云うがいったい何が燃えているのだろう。


鎮火するまでしばらくお待ち願いたい。




2023年08月13日(日) 迎え火を焚いて

迎え火を焚いてくれる家族がいない魂はずっとあの世にいて

この世に帰って来ることが出来ないのだろうか。


母方のまるで無縁仏のようになってしまった魂を想う。

母が最後に迎え火を焚いたのはいったいいつのことだったのか。

今はもう誰も住んでいない家の仏壇に並ぶ位牌が目に浮かぶ。




昨夜は亡き姑さんの夢を見た。

なぜか泣きながら私の名を呼んでいて胸が苦しくなった。

手を握りしめてみると思いがけないほどに温かく柔らかなのである。

何か伝えたいことがあったのかもしれないが問うことが出来ない。

心の中で「ああお盆なのだな」と呟いていた。



夕方、親族が集まり義妹宅で迎え火を焚く。

本来ならば長男である夫が仏さんを祀らなければいけないのだが

ずっと義妹任せにしていて心苦しさもあった。

もし夫や私が亡くなった場合はどうなるのだろう。

新たに仏壇を構えたとしても誰が祀ってくれるのだろうか。

息子や娘に負担をかけたくない気持ちが大きい。

それは先日も書いたお墓の件と同じ気持ちである。



毎年のことだが今年も義妹が小宴の準備をしてくれていた。

我が家と義弟一家が手ぶらで押しかけて行く。

賑やかなのが好きだった舅も姑さんもきっと喜んでくれただろう。

あやちゃんだけは行かなかった。例の如くで「めんどくさい」と言う。

もう強制は出来なくなった。お盆だからと特別のことにも出来ない。



ずっと先のこと、いやもしかしたら来年のことかもしれない。

迎え火を焚いてもらったら私は何処から帰って来るのだろう。

その時あやちゃんは手を合わせて迎えてくれるのだろうか。









2023年08月12日(土) よい酔い日記

幾日ぶりの青空だろう。猛暑日となり厳しい暑さとなったが

湿度が低かったせいかからりっとした心地よい暑さとなった。

洗濯物の外干しも久しぶりのこと。嬉しそうに風に揺れていた。

しばらく晴天が続くかなと思っていたが来週にはまた台風らしい。

西寄りのコースになると四国上陸もあり得るのだそうだ。

稲刈りシーズンである。どうか最小限の被害で済んで欲しいものだ。



今朝はずっと気になっていた草引きをすることが出来た。

ブロック塀の元にいっぱいになっておりご近所さんにも体裁が悪い。

夫に頼んでも積極的にやってくれる気配はなかった。


まずは座り込んで草を引くが立ち上がることが出来ない。

仕方なく這うようにして草を引き続けて行った。

引いた草を集めることも出来ず仕方なく夫に助けを求める。

そうしたら案の定嫌々外に出て来てくれた。

まだ完璧ではないのに「もうそれくらいでえい」とか言う。

そう言われたらもう仕方ない。あらあらかしこになってしまった。


それから9時近くまでまた寝る。「おまえは病気だ」と夫が言った。

もし過眠症だった場合は精神科へ行かなければいけないのだそうだ。

そこまでは深刻に考えてはいない。眠ければ寝れば良い話である。



図書館に行ってそれから買物、その後カーブスとけっこう忙しい。

私はそんな忙しさが好きだ。好き好んで寝てばかりいる訳ではない。

その証拠に仕事がある日に一日中寝てなどいないではないか。



お昼には釜玉うどんを食べた。一人前では足らないので1.5人前。

それでもまだ物足らなくてお稲荷さんを食べた。

お腹いっぱいになったらまた眠るしかないだろう。

熟睡ではなかったが4時まで眠る。テレビでは「よさこい祭り」である。


これだけ寝たら夜は眠れないのが常識かもしれないが

私の場合は関係なく8時過ぎには寝て4時の起床であった。

夜中にトイレに起きるが睡眠不足だとはとても考えられない。

「目が腐る」とも言われるが目は至って新鮮であるようだ。


今夜もそろそろ眠る時間になった、

意識が朦朧としているのは酒の酔いのせいだろう。



ゆらゆら日記だなんて嘘っぱちだ。

いつだって「よい酔い日記」なのではないだろうか。



2023年08月11日(金) 千の風になるために

台風の置き土産なのか今日も雨が降ったり止んだり。

天気予報を見ていると明日はやっと快晴になるようだ。

猛暑になりそうだが青空が待ち遠しくてならない。



今日から16日まで長いお盆休みを頂いた。

いつものように4時に起床したが朝のルーティンを済ますなり眠くなる。

朝食後6時半から8時過ぎまで寝てしまってNHKの朝ドラも見れなかった。

洗濯機は運転終了しており台所の流しには汚れた食器が山積みである。

最低限の家事だけはなんとか済ませスーパーへ買物に行く。

出掛ける時には降っていなかったのに着いたら土砂降りになっていた。

杖を付きながら傘を差すのはけっこう大変なことである。



お昼にお好み焼きを食べて満腹。また眠くなりひたすら寝ていた。

誰かが異常だと言ってくれない限り自分ではこんなもんだと思っている。

とにかく横になったらすぐに寝てしまっているのだった。

鼾もかくし変な夢を見ることもある。

熟睡はしていないのだろう途切れ途切れの記憶は微かにあるのだった。





夫と義妹、娘とめいちゃんがお墓参りに行っていたようだ。

私はもうお寺の裏山には上がることが出来ず最初から除外されていた。

もう気が咎めることもなく本音を言えば助かっていたのだろう。


「千の風になって」という歌があった。

私のお墓の前で泣かないで下さい

そこに私はいません

眠ってなんかいません


有名な歌詞であるがそれは本当のことだと思っている。

死んでしまえばみな遺骨となりお墓に納められるが

暗くじめじめとした狭い空間でどうして眠ることが出来ようか。

私は嫌だなと思う。死んだらもっと明るい処に居たいと思う。

やはりそこは空だろうか。だから天国と呼ぶのかもしれない。


最近では樹木葬もあるようだ。それも良いなと憧れている。

やっぱり桜だろうか。はらはらと儚く散るのも美しいではないか。


けれども一族のお墓が在る限り自分だけ特別なことは出来ない。

だからとりあえず遺骨だけはそこに納まることにしよう。


魂は自由だからまさしく千の風になれるのだと信じている。

大空を吹き渡るのだ。なんと素晴らしいことだろうか。



夫と私が死んでしまっても息子や娘達にお墓参りを強要したくない。

荒れてしまっても良いのだ。ただ少しだけ心にかけてくれたらと思う。



私の実父は20年前に亡くなったが未だにお墓がない。

弟の住んでいるアパートの箪笥の上にずっと居て弟達と暮らしている。

父はきっと幸せに違いないと思う。ずっといつまでも家族なのだ。



2023年08月10日(木) 日にち薬

台風一過の青空とはいかず今日も不安定な空模様だった。

高知県中部で線状降水帯が発生したニュースが流れる。

ちょうど「よさこい祭り」が始まる日であったが

高知市内は難を逃れられたようで予定通りに開催されたようだ。

今年で70回と伝統ある祭りであるがあまり興味はなかった。

テレビで生中継されていたのをちらっと見ただけである。



仕事は明日から16日までお盆休みとなった。

今日はお客さんの初盆のお宅にお供えを届ける。

49日が済んだばかりのお宅もありまだ悲しみが癒えていない。

故人の思い出話をするだけで涙が溢れているのだった。

「日にち薬」の話をした。一日一日が薬であること。

今日を乗り越えたら明日とゆっくりと前へ進まねばならない。

決して忘れるためではないのだ。受け止めるための日々だと思う。


やがて一周忌が来るだろう。傷口はもうきっと乾いているはずである。

残されたものとしてまた新たな一歩を踏み出して行くのだ。

それが故人に対する一番の供養ではないかと私は思っている。



すべてのお宅にお供えを届け終えて帰りながら漠然と考えていた。

亡くなった人達はいったい何処に行くのだろうと。

それは生前の姿を鮮明に憶えているからこそよけいにそう思う。

天国は本当に在るのかそこでも暮らすことが可能なのか。

そうしてそこで何を想って何を伝えようとしているのだろう。


人の命は永遠ではないが魂は永遠に存在するものだと信じている。

そう信じなければ魂の行き場所が無くなってしまうではないか。

ただそれをカタチにすることが不可能なのだろう。

魂には与えられる実体が無いのだから当然のことだろうと思う。


死んでしまっても「私は死にました」と誰にも言えない。

思い残すことがあっても「忘れていました」とは言えないだろう。


死んだらすべてが終りなのだそうだ。それは本当のことだろうか。

それを確かめるためには自分が死んでみるしかないのだった。


いつかは逝く。こればかりは誰にも止めることが出来ない。

交信することも出来ないのだろうか。

「イマテンゴクデス カイテキデス」まるで電報のような文面だ。



2023年08月09日(水) 我が家の奇跡

午前中は雨と風が強し。午後には静かになっていたが

台風の速度が遅いため明日もまだ影響がありそうだ。

お隣の宿毛市では広い範囲で停電があったとのこと

もう復旧していると思うがどんなにか大変だったことだろう。

「停電熱中症」という言葉があることを夕方のニュースで知った。

確かにエアコンも扇風機も使えなくなると暑さとの闘いになる。

私達は日頃からそれを当たり前のように使っているのだ。

電気に感謝することがあるだろうか。それは失ってから初めて気づく

私達にとって大切なものはすべてそうだと言っても過言ではない。





我が家は引き続き今日も平穏であった。

もしかしたらめいちゃんのコロナは間違いではなかったのだろうか。

他の家族全員が無事なのは奇跡としか思えなかった。

娘が念のために検査キットを買って来ているが不要かもしれない。

今日で4日目。明日がリミットだと思われる。


コロナが5類に引き下げられたのは理由あってのことだろう。

マスクを着用しない人も増えて日に日に危機感が薄れている。

けれども感染者数は確実に増えているのだそうだ。

去年までのあの緊迫感を思い出す。決して忘れてはいけないことだ。

医療従事者のことも最近では話題にも上がらなくなってしまった。

本当にそれで良いのだろうかと私は思っている。

国の方針なのかもしれないがその影で苦労している人が大勢いる。


今回の我が家のように無防備過ぎる家庭もあるだろう。

それもあまりにも無責任ではないかと反省をしている。

幸いと言って良いのか。ほんとうにそう言って良いのかも分からない。


危機を乗り越えたと思っても良いのだろうか。

こんな奇跡のようなことが現実にあるのだとしたら

神様も仏様も暇を持て余しているのに違いない。





2023年08月08日(火) 最悪よりも最善を

風が強かったのは台風の影響だろう。

大雨の予報であったが殆ど降らず陽が射す時間帯もあった。

台風は東シナ海をゆっくり北上しているようだ。

今日よりも明日の方が影響が大きいらしい。


おまけに太平洋上に台風7号が発生する。

今のところ高知県には影響が無さそうに見えているが

6号のように迷走する可能性もあるのではないだろうか。

こればかりは近づいて来ないと分からないことである。


山里では義父が稲刈りの準備をしており工場内にコンバインを。

修理が必要らしくまるで農機具屋さんの工場のようだ。

義父の凄いところは自動車だけでなく農機具の修理もすること。

とにかく機械類は何でも直してしまうプロの腕前であった。


お盆休みの間に稲刈りをするのだそうだ。

台風の心配はあるがどうか順調にと願わずにいられない。





家族に感染者が出た場合は濃厚接触者となるのだけれど

娘夫婦も私もいつも通りに仕事に行っていた。

非常識なことと非難されても仕方がないが

お盆休みを前に仕事を休むことが出来なかったのだ。


コロナ姫と化しためいちゃんは熱も平熱となりすっかり元気。

よほど軽症だったのだろう。ほっと安堵したことだった。

幸いなことに今のところ家族の誰も体調に異変が現れていない。

コロナの潜伏期間は約3日と聞いていたが今日がその3日目であった。

明日のことは分からないけれどこのまま乗り越えられたらと思っている。

もしもの時はその時のことだ。もうじたばたしても始まらないだろう。


不安で無いと言ったら嘘になる。一番心配なのは夫であった。

もし感染したら重症になる可能性が大きい。

いっそ私が先にとも思うがそれはそれで困ったことになるだろう。

あれこれと考えていたらパニックになってしまいそうだ。


とにかく今日のところは無事である。

めいちゃんも元気過ぎる程でそれが一番なのではないだろうか。


最悪のことを考えるよりも最善のことを考えていたいと思う。





2023年08月07日(月) コロナ姫が走り回っている

今日も雨が降ったり止んだり。土砂降りの時間帯もあった。

もう幾日夏空を見ていないのだろう。

早いもので明日は立秋、暦の上では初秋となってしまう。


台風はまた進路を西寄りに変えて九州直撃もなさそうになった。

しかし線状降水帯が発生する可能性が大きく豪雨の心配があるようだ。

高知県西部も明日は大雨の予報になっている。

猛暑は覚悟の上で青空が待ち遠しくてならない。




めいちゃんやはりコロナに感染。仕方ないことだと思う。

それにしても元気過ぎてなんだか狐につままれているようだ。

家族に感染者が出た場合、ましてそれが子供の場合は

隔離するのが極めて難しいことを改めて感じた。

我が家の場合も「コロナ姫」だと言って自由に動き回っている。

今夜は家族揃って夕食を食べて今はお風呂に入っている。


以前のように誰も危機感を感じていないのだった。

夫などは「次は俺だな」とすでに感染したつもりになっている。

コロナはインフルエンザに毛の生えたようなものなのかもしれない。


昨夜はここに家族全員の感染を避けなければいけないと書いたが

今はもうなるようにしかならないと観念している。

あどけないめいちゃんの笑顔を見ていると何も言えなくなってしまう。


熱は微熱。喉の痛みはあるようだが食欲はいつもと変わらない。

今夜もカツカレーをぺろりと平らげてしまった。


小児科では5日間は感染の可能性があると言われたらしい。

今日で2日目。今のところ家族の誰にも異変はなかった。

夫は病院から帰っためいちゃんを抱っこしたのだそうだ。

それを得意そうに言うので笑い話になっていく。


2日ぶりにお風呂に入っためいちゃんのはしゃぎ声が聞こえている。

気のせいなんかではないとても平和な夜である。



2023年08月06日(日) ささやかな平和

雨が降ったり止んだり。時おり激しく降る。

気掛かりな台風は奄美大島付近に在りこれから北上しそうである。

迷走台風だけあって進路が日によって少しずつ変わっており

今夕には北九州を掠めるようなコースになっていた。

そのまま東シナ海に抜けてくれたら良いがどうなることだろうか。



今朝はめいちゃんが発熱。昨日まで元気だったのに信じられない。

いつも一緒に遊んでいるまあちゃんがコロナに罹っていたので

もしかしたらとも思うが熱のわりに食欲はあるようだった。

日曜日なので様子を見て明日病院へ連れて行くと娘が言っている。

もしコロナだったらどうなるのだろう。なんとも不安でならない。

家族全員の感染はなんとしても避けなければいけない。





広島原爆投下から78年。今朝は平和祈念式典を見ていた。

8時15分の黙とうが済んでから子供代表の挨拶があった。

小学6年生の男の子と女の子がマイクの前に立ち

おそらく何度も練習したのだろう紙を一切見ることもなく

真剣に語り掛ける様子に感動を覚えた。

これからの未来をそうして平和を担う大切な子供達である。


夫がもし広島と長崎に原爆が投下されていなかったら

日本の国はどうなっていたのだろうと言った。

おそらく戦争は終わっていなかっただろう。

そうして最悪の場合、北朝鮮のような国になっていたかもしれない。

核を保持しミサイルを飛ばしまくっている怖ろしい国にだ。


私はこの手の話は苦手なのでこれ以上記すことをしないが

平和を願い祈り続ける気持ちは皆と同じである。



いつもと変わらない朝。悪いこともなく特にいいこともない。

このうえなく平凡である意味退屈な一日だったとしても

それが今の私達のささやかな平和なのだと思う。


自然災害は避けられず台風や大地震やいつ襲って来るか分からない。

生きたくても生きられず命を失ってしまうこともあるだろう。

それは本当に紙一重のことであり奇跡でもあるのだ。


私は多くを望まない。生きてさえいればといつも思っている。

もしある日突然死んでしまうことになっても

ああ幸せだったなと心から感謝できるひとでありたいと思う。



2023年08月05日(土) 共に白髪の生えるまで

晴れたり曇ったり雨が降ったりと忙しい空。

いつ雨が降るか分からないので洗濯物が干せない。


再び沖縄を襲った台風はゆっくりの速度で北上している。

昨日は豊後水道あたりかと思っていたが今日には九州縦断のコースだった。

迷走台風なのでまたコースを変えるかもしれないが

影響を免れることはまずないだろうと思う。厳重な注意が必要である。


今夜は「あしずり祭り」の花火大会が土佐清水市で開催されるようだ。

今のところ雨は降っておらず予定通りに行われるだろう。

夕方になりそのことを知っためいちゃんが行きたがって

急きょ娘達は出掛ける準備をしているようだ。

あやちゃんは行かないのだそう。理由を訊いたら「めんどくさい」と言う。

だんだんと親と一緒に行動することが少なくなって行くのだろうか。

まだ11歳なのか。もう11歳なのか。





花火と云えば夫と知り合ったばかりの頃の夏を思い出す。

スピード婚だったので交際期間は短かったが

市の花火大会を川船で見に行こうと誘ってくれたのだった。

彼の父親の所有する川船であった。私にとっては初めてのことである。

その時彼のご両親を紹介されなんだか家族の一員になったような気がした。

今思えばすでに運命の一歩を踏み出していたように思う。


45年前のことだ。その夜のことは一生忘れることはないだろう。

新しい命を授かった。それも確かにその夜のことだと信じている。


川船から見る花火のなんと綺麗だったことだろう。

花火の欠片がきらきらと川面に落ちて行くのがとても儚かった。

それは一瞬のことだ。その一瞬にまた一瞬を重ねて行くのである。

そんなふうに私の運命も燃えながら散って行ったのだろうか。




共に白髪の生えるまで。そう誓ったわけではなかったけれど

気がつけば二人ともすっかり白髪頭の年寄りになった。

時々ふっと若い頃の面影を探そうとする時があるが

それはそうそう簡単に見つかるものではなかった。

声さえも違うように思う。長いこと聞き慣れているはずなのにだ。


今朝はまるで梨の実のような肌を見て一瞬たじろいでしまった。

それも馴染んだ肌ではあるがなんだか信じられなかったのだ。

この背中に爪を立てていたのかと思う。他の誰でもない自分がだ。


夫も同じことを感じているだろう。一匹のトドと暮らしている。

もうすでに諦めてはいるだろうが手の施しようがないことを。


一生変わらないことがあるのなら信頼関係だろうか。

姿形は変わっても「このひとでなければ」といつも思っている。

失うことが怖くてならない。その大切さは言葉に出来ないほどだ。


もし夫に先立たれたらと思うと気が狂ってしまいそうだ。

夫は「俺よりも長生きしろよ」と口癖のように言っている。



2023年08月04日(金) 姫と家来

曇りのち晴れ。大気が不安定で日和雨が降ったりする。

台風は再び沖縄へ。停電や食糧難で大変なことになっているようだ。

迷走台風なのではっきりとした進路は分からないが

今日の予想では豊後水道あたりに接近するのではないだろうか。

高知県西部は台風の右側に当たるため大荒れになりそうである。


義父がお盆には稲刈りを予定しているがどうなることだろう。

とても順調に刈れるとは思えずはらはらと心配している。


職場は11日から16日までお盆休みであるが

もし稲刈りが出来なかったら義父の機嫌は如何ばかりか。

想像しただけで気が重くなってしまいそうだ。






入浴後、夫に足の爪を切って貰った。

情けないことだがもう一切自分で切ることが出来なくなった。

巻き爪でおまけに硬い爪でとても切り難そうである。

まるで家来が姫にかしづくような姿なのであるが

気の毒ではあってもなんとなく優越感に浸ったりするのだった。


夫の白髪頭がすぐ間近に見える。つむじがなんだか台風のようだ。

触れてみたい撫でてみたいと思いつつ少し緊張している私が居る。


「やれやれ」切り終わると夫はいつもそう言うのだが

まんざら嫌なわけでもなさそうで私はほっとするのだった。

おかげさまでといつも思う。他の誰がしてくれようかと思う。


「おらが死んだらどうするがや?」と言う。

それは考えたくもないことで目の前が真っ暗になってしまう。

どうしたらいいのか分からないことを訊かないで欲しい。


さっきから何度も自分の足先を見ている。

几帳面な夫らしい切り方でさすがだなと思うのだ。



2023年08月03日(木) 約束の日

曇り時々雨。ざあっと音を立てて雨が通り過ぎて行く。

台風6号は沖縄に被害をもたらしまたすぐにUターンするのだそうだ。

その後は九州、四国にかなり接近するらしい。

稲刈りの近い田んぼも気になり大事に至らないことを祈るばかりである。



11時より告別式。言葉に出来ないような複雑な気持ちだった。

故人が「泣いてくれるなよ」と言っているような気がする。

かと言って笑顔で送り出すようなことが出来るわけがない。

ずっと唇を噛みしめていた。なんだかとても悔しかったのだ。


人は必ず死ぬけれどそれは遅かれ早かれだと言う。

この世に生まれた時から決まっているらしい定命とは何か。

いったい誰が決めたことなのだろうかと思った。


霊柩車がクラクションを鳴らして遠ざかって行く。

故人の奥さんが助手席の窓を開けて小さく手を振った。





夢か現かよくわからない夢を見る時がよくある。

それは大きな飴玉のようなものを飲み込み窒息死する夢だった。

その時には夢だと認識できず現実のように感じてしまう。

だから思わず「あっ、いま死んだ」と心の中で叫んでいるのだった。

はっきりと目を覚ましてからやっとそれが夢だったことが分かる。

寝汗なのか冷や汗なのか沢山汗をかいておりぶるっと震えたりする。


歳を重ねるごとに死が身近になってきた。

これまでどれほどの人を見送ったことだろうか。

子供の頃に父方の祖父を見送ったがそれが最初ではなかっただろうか。

確か7歳ぐらいの時だっと記憶している。

その時中学生だった従姉妹が「もう会えんのよ」とお棺の傍で言った。

他のことはすっかり忘れてしまったがその事だけは今も憶えている。

病身でいつも床に臥せっており怒鳴り声を発する時もあった。

そんな祖父を子供心に恐ろしいと思っていたのだった。

それなのにもう会えないことがなんだかとても寂しかったのだ。



母の姉に当たる伯母は自死であった。

真冬の真夜中に家の裏山に登り池に足を浸して凍死した。

私は長男を身籠っており伯母の死顔を見ることが出来なかった。

妊婦は死人に触れてはいけないそんな風習があったのだろう。

最後のお別れが出来なかった。それは今でも悔やまれてならない。



思い出せばきりがないほど沢山の人を見送って来た。

今日もまた一人である。決して慣れるようなことではない。

長生きをすればするほどその数も増えていくことだろう。


そうしていつか私も見送られる日が来る。

その日が悲しい日であってはならない。

またきっと巡り合える日が来る。それは約束の日だ。



2023年08月02日(水) やはり人は死ぬ

台風の影響で不安定な天気が続いている。

今日も時々にわか雨が降った。


病院からの帰り道、市内の葬儀社の前を通って驚く。

そこには以前から仲良くさせてもらっていた人の名が書いてあった。

同姓同名とは思えなかったのだ。ここ数日ずっと気になっていたので

間違いないと思い駐車場に車を停め葬儀社内の控室へと向かった。

その人はどう見ても眠っているようにしか見えなかった。

微かに笑みもたたえている。きっと安らかな最期だったのだろう。


不思議と悲しみも寂しさも込み上げては来ないのだった。

どうして冷静でいられるのか自分でもよく分からない。

ただ「やはり人は死ぬのだな」と漠然と思った。


今夜がお通夜であったが明日の告別式に参列することにした。

もう二度と会えないのだ。それなのにお別れの言葉も思い浮かばない。

ただ亡くなっても縁が切れるのではないのだと信じている。





禁煙外来最終日。今日で84日間の治療が終わった。

残念ながら卒煙は出来なかったが自分を責めるつもりはなかった。

結果はどうであれそれなりに努力したことを認めてやりたい。

医師の話では私のような患者は今までで初めてなのだそうだ。

具体的に言うと家では禁煙、職場でだけ喫煙と言うケースである。

私の場合は仕事を辞めたら煙草も止められるのだと思う。

それまで長くて10年、短くても5年ではないだろうか。

今日明日のことではなく長い目で見守ってやらねばいけない。


ずっと親身になって応援してくれていた医師や看護師さんには

本当に心苦しくてならず頭を下げることしか出来なかったけれど

にこやかな笑顔で背中を押してくれて本当に感謝してる。

看護師さんが「また何処かで会いましょうね」と言ってくれた。

それが優しさでなくて何だろうと思う。

無理な話だけれど私は毎日でも会いたいと思った。



禁煙を決意してからもう8ヵ月目になったようだ。

応援して下さった方々にはひたすら感謝しかない。

結局子豚は死ぬことが出来なかったが堂々と生きても行けないだろう。

ひっそりと息をしながら日々を乗り越えて行こうと思っている。



2023年08月01日(火) 行ってみないと分からない

曇りのち時々晴れ。気温は34℃。

山里では風がありさほど暑さを感じなかった。


昨夜ここに百日紅は散れない花だと書いてしまったが

今朝のこと県道沿いに散った桃色の花びらを見た。

職場の百日紅は散った形跡がないので勘違いをしていたようだ。


勘違いはそればかりではなく夏から秋まで100日間咲くと思っていたが

一度咲いた枝先から再度芽が出て花をつけるのだそうだ。

そのため長いこと咲いているように見えるらしい。


「散れば咲き散れば咲きして百日紅」そんな有名な俳句もあるようだ。


ついつい憶測で文章を書いてしまうことが多いが

気になったことはちゃんと調べて書く習慣を付けたいものだと思う。

目から鱗のこともきっとたくさんあるのではないだろうか。





仕事の合間に同僚と会社の「これから」のことを話していて

後何年持つのだろうかと。二人で5年くらいかなと勝手に決めていた。

それはあくまでも理想であり実際はもっと長く続くのかもしれない。

社長である義父が健在である限りと言った方が正しいだろう。

縁起が悪い話ではあるが義父にもしものことがあればそこで終わりである。

人一倍タフな義父はそんなことは全く考えていないようであった。

もし10年としたら私達はどうなってしまうのだろう。

私は77歳になるし同僚は70歳になってしまう。

90歳の義父を想像すると気が遠くなってしまいそうだった。


難破船のような会社であるが難破よりも老朽化が激しくなる。

それは気合で乗り越えられることでは決してないと思う。


前途洋々とは思えないが前途多難でもなさそうである。

ただこの先何が待ち受けているのか行ってみないと分からないのだ。


以前は意気込んでいた頃もあったけれど今は惰性で動いている。

一日が無事に終わればまた明くる日が待っているその繰り返しであった。


私は時々ふっと義父の死を考えてしまうことがある。

どんなふうにしてすべてが終るのだろうと思うのだ。

けれどももしかしたら私が先に死んでしまうかもしれない。

それは誰にも分からないことであった。


そうかと思えば元気に長生きをして欲しいと願っている。

そうして私も生きたいと強く願わずにはいられないのだった。


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