ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年07月31日(月) 運命の歯車

大気が不安定らしく時々ぱらぱらと雨が降った。

猛暑は和らいでいたが蒸し暑さは変わらない。



百日紅はやはり散れない花で実のようなものが付いている。

それが種だとしたら何処かに植えたら新しい木になるのだろうか。

我が家に土の庭があれば植えてみたいが生憎コンクリートの庭だった。

家を建てた時に土の庭は要らないと言ってしまって後悔している。

それにしても猫の額ほどの庭のこと。木が育つかどうか分からないが。


私が嫁いだ頃にはまだ古い家で中庭があった。

その庭もコンクリートであったが今の庭よりも広く

姑さんがプランターに沢山花を植えて育てていた。

それは舅さんが亡くなってからだったと記憶している。

花を見ながら寂しさを紛らし心を和ませていたのだろう。


家を建てる時に古い家は取り壊したが、花の行方は憶えていない。

姑さんが諦めたとは思えず仮住まいに運んだのかもしれない。






7月も晦日となりあまりの早さに途惑うほどである。

職場で義父と話していて立秋が近いこと、お盆が近いこと。

お盆を過ぎれば朝晩が涼しくなり秋めいてくることなど。

その頃には稲刈りもほぼ終わっていることだろう。

今日の義父はとても穏やかでほっと嬉しかった。


虫の居所が悪い時はおそらく忙しくて苛々しているのだろう。

私や同僚が邪魔をするわけはないがつい当たり散らしてしまう。

義父の性格は分かり切っているつもりだが辛く感じる時が多い。



ふと思うのは母はどうして義父を好きになったのだろうと。

遡ると母は28歳、義父は23歳の頃だったようだ。

今更二人に訊くことは出来ないがこれは永遠の謎なのだろうか。

運命の歯車のようなものが確かに動いていたらしい。


「運命」と言ってしまえば何もかもがそうである。

それは私のこれまでの人生にも当てはまることであった。

ひとつひとつ選んで来たのだ。どれほど迷ったとしてもだ。


過ぎたことよりもこれからをと最近はよく思うのだけれど

あとどのくらいなのかと思うと心細くてならない。

ある日突然に終るのならもっともっと精一杯に生きなければと思う。



2023年07月30日(日) 涙が出るほど嬉しいこと

曇り時々雨。薄日が射す時間帯もあった。

大気が不安定なのは台風6号の影響らしい。

週間天気予報ではしばらくすっきりしない天気が続きそうだ。



ちょっと嫌なことがあるとすぐに鬱々としてしまう。

そういう性分なのだろうが自己嫌悪に陥ってしまうのだった。

もっとさっぱりとした人になりたいが思うようにはいかないものだ。

神経質なのは父親譲りなのだと思う。

そう云えばいつも朗らかな人ではなかった記憶が多い。



朝のうちに少しでも本を読もうと開いたものの

5分もしないうちにまた酷く眠くなってしまった。

午前7時のことである。横になるとそのまま9時まで寝ていた。

やはり異常なのかなと思うけれどもう慣れてしまったような気もする。

週末は殆ど本を読めない。まあそれも仕方ないことなのだろう。



なんとなく気分転換をしたくなりまた「一風」まで出掛ける。

とにかく美味しいものを食べたら元気になるような気がしたのだった。

夫は冷やし中華セットにしたが私はラーメンセットにした。

汗を流しながらラーメンを食べるのも心地よいものである。


食後すぐに帰るのももったいない気がして少しだけドライブ。

私の職場のある三原村まで行って土佐清水市まで山道を走った。

この道は昔「ツガニ漁」をしていた時に通っていた道で懐かしい。

夫は30歳、私は25歳だったか。若い時の大きな苦労でもあった。

私達の口癖は「あの時あんなことをしなければ」とつい言ってしまうが

その大きな苦労があってこその「いま」なのではないだろうか。

過ぎてしまったことは決して悔やんではいけないのだと思う。



2時前に帰宅。またすぐに横になり4時まで寝ていた。

とにかく外に出なければ私は一日中寝ているのではないだろうか。

4時に起きて録画してあった「ポツンと一軒家」を見た。

一軒家の主が66歳で私と同い年であったのが興味深かった。



夕食は焼き肉。昨夜こっそり鰻を食べたことはすでにバレていた。

お向かいの奥さんが天然鰻の蒲焼を持って来てくれて思いがけなかった。

ご主人が定年後、四万十川で川漁師をしているのだった。

天然鰻などめったに食べられない高級品である。



夕食後、珍しくあやちゃんが私より先にお風呂に入った。

「おばあちゃん、滑るかもしれんけん気をつけて」と言ってくれる。

そんな何でもないような一言が涙が出そうなくらいに嬉しかった。









2023年07月29日(土) ぐちゃぐちゃしている

曇り時々晴れ。夜明け前には少し雨が降っていた。

猛暑は和らいでいたが湿度が高くとても蒸し暑く感じる。



こちらは真面目に話しているのに茶化されたりするのがとても嫌だ。

その人の人間性を疑うし不信感が募って来る。

口は災いの元である。これは私自身にも言えることだろう。

些細なことでもトラブルになることがある。

傷つけられたと思った時にはもう相手を傷つけていることを忘れてはいけない。


SNSではなるべく会話をしないことだ。





午前中に図書館とカーブス。

図書館のある市役所に行ったら駐車場が使えなくなっていた。

すっかり忘れていたが今日は「市民祭」がある日で準備をしていたらしい。

警備員に地下の公用車スペースを教えてもらってなんとか駐車出来た。

しかし地下からのエレベーターが故障中で使用出来ない。

仕方なく杖を付きつつ2階まで階段を上がって汗びっしょりになった。

図書館でそのことを話したら職員の女性が確かめに行ってくれたようだ。

エレベーターは故障中ではないとのこと。間違いないらしい。

本を借りてからエレベーターに乗ったらちゃんと地下まで行くことが出来た。


ドアの外に職員とみられる男性が居て駐車場まで案内してくれた。

私が杖を付いていたからだろう。なんと親切なことだろうか。

杖を付くことでそうして周りの人に甘えているようにも感じるが

もし自分が反対の立場だったら同じことをするだろうと思った。

「いいです大丈夫です」と言うことも出来るが

「どうもありがとうございました」とお礼を言う方が気持ちがいい。

ただ肝心なのはそれが決して当たり前のことではないのだと言うことだ。



カーブスを終えて昼食後はずっと3時頃まで寝ていた。

今日も家事らしいことは殆どしていない。

寝ても寝ても眠いのはいつものことであった。


娘達は友人達とBBQをすると言って出掛けて行き夕飯は夫とふたり。

土用の丑の日は明日だけれどこっそり食べようと鰻丼にする。

一匹3千円もするのだ。娘達の分まではとても買えない。

年々高価になっており来年も食べられるだろうかと話したことだった。


子供部屋にはあやちゃんが居た。BBQは嫌だったらしい。

鰻は食べないので何か作ろうかと言ったら「要らない」と応える。

放任されている訳ではないがなんだかとても可哀想に思えた。

だからと言って娘に口出しすれば怒られてしまうだろう。


出来れば平穏な夜であって欲しいが「ぐちゃぐちゃ」としている。


いいこともあれば嫌なこともあるのかな。なんだか疲れてしまった。





2023年07月28日(金) 出口のないトンネルなどない

連日の猛暑。今日の四万十市は36℃だったそうだ。

それでもまだ序の口だと思う。

40℃に近い気温を体験したことがないがどれほどの暑さだろうか。


何処の家にもエアコンはあるだろうと思っていたのだけれど

設置していない家もあるようでなんだか信じられなかった。

窓を開け広げて扇風機だけで凌いでいるのだそうだ。

そんな話を聞くとエアコンがとてつもなく贅沢なものに思えて来る。

高齢者などは家の中に居ても熱中症になるのだそうだ。

もし経済的に余裕が無いのであれば補助金制度があれば助かるだろうに。

危険な暑さがあまりにも続くとそんなことも考えてしまうのだった。

もちろん電気料金も補助が必要である。しかしそれは無理な話だろうか。

皆が平等に快適な暮らしが出来る日など程遠いのかもしれない。





あやちゃんのことはなるべく書かないようにと心掛けて来たが

昨夜は書いてしまって今夜もこれから書こうとしている。


夕飯の時、私達祖父母は先に済ませていたのだけれど

娘達が食べ始めてもあやちゃんの姿がなかった。

娘は声を掛けていたようだったが二階から下りて来なかったらしい。

よけいなことと分かっていたけれど子供部屋のドアをノックした。

「みんな食べよるよ。一緒に食べなさいや」と声を掛けのだった。


あやちゃんはタブレットを操作していて振り向きもしない。

まるで私が邪魔者であるかのように声を荒げていた。

「別にいいじゃん」と言った。いったい何がいいのだろうと思う。

「別にいいことなんて何もないけん」と昨夜と同じように応えていた。


それを悲しいことと受け止めるかは私の心のモンダイであろう。

よけいな干渉をしたばかりに罰を受けたのかもしれなかった。


悲しみよりも怒りが込み上げて来る。もう知らないと思った。

また以前のように一切口を聞かないほうが良いのかもしれない。


それから10分程してからだろうか階下からあやちゃんの声がする。

娘は食器洗いをしながら食卓のあやちゃんと話しているようだった。

それがあやちゃんは赤ちゃん言葉のような甘ったれた声になっている。

娘もまるで幼子に接するようにとても優しい口ぶりであった。


やっとあやちゃんの求めていることが分かった気がした。

2歳の時に妹のめいちゃんが生まれてからずっと9年のあいだ

あやちゃんは母親に甘えることを我慢していたのだと思う。

その反動がいま現れたのだと思うとすべて納得がいくのだった。


それは母親でなくてはならない。祖母の私ではいけないのである。

娘も薄々感じていることだろう。だから私からは何も言えなかった。



すぐ明日のことではなく長い目で見守ってやらねばならない。

出口のないトンネルなどないのだ。

私たちはその出口でずっとずっとあやちゃんを待っている。



2023年07月27日(木) どうでもいいことなんてない

昨日よりも今日と厳しい暑さとなった。

エアコンの効いた事務所から外に出ると汗が噴き出て来る。

工場には大型の扇風機を据えてあるが熱風のようだった。

暑さに耐えながら働いている同僚には本当に頭が下がる思いである。


義父は田んぼの水が枯れ始めたと大騒ぎしていた。

ポンプが順調に作動していなかったらしく気づくのが遅かったようだ。

「水稲」と云うだけあって稲にとって水は命にも等しい。

危機一髪のところで水を入れることが出来て何よりだった。

もし稲が駄目になってしまったらどれほど嘆くことだろうか。





孫たちは夏休みになっているがめいちゃんだけ学童に通っている。

毎朝娘がお弁当を作っていて今朝も中身をチェックしていた。

「黄色いのが入ってないやん」それは沢庵のことである。

私が入れてやろうとしたら自分ですると言って聞かない。

見ていたら沢庵を二切れご飯の上に載せていた。

「ご飯が黄色くなるよ」と言ったらそれが好きなのだそうだ。

子供にしては珍しいのではないだろうか。なんだか微笑ましい光景だった。


あやちゃんは好き嫌いが多いがめいちゃんは何でもよく食べる。

沢庵が好きなだけあって梅干しも好きであった。

そうして驚くのは白菜キムチである。相当辛いのでも平気で食べる。

もうすぐ9歳になるが味覚はすでに大人並みだと言っても良い。



今夜はダンス教室があってめいちゃんと娘が出掛けている。

あやちゃんはお父さんと食べて欲しかったのだがそうはいかず

今一人で食べているのが気になってしょうがない。

どこからが過干渉になるのか私自身よく理解できないのだった。

おそるおそる声をかけてみると「どうだってえいけん」と応える。

思わず「どうだってえいことなんかないけん」と言ったのだった。

今夜の献立だってあやちゃんの好きな物をと思って考えたのだ。

おばあちゃんはいっつもそう。あやちゃんのことばかり考えている。

それはあやちゃんにとっては鬱陶しいことなのかもしれないけれど

あやちゃんに無視されたり怒られたりしたらすんごい悲しくなる。

小さい頃のように抱っこしたり出来ないけれど

抱きしめたいくらい愛しくてならないのだった。


あやちゃんにも悩みはあり辛いこともあるのだと思う。

今は家族のだれ一人もそれに気づいてやることが出来ない。

訊いても心を頑なにして何も応えてはくれないのだった。


茶の間に10年前の写真が貼ってある。

おばあちゃんは毎朝見ているのだけれど

よちよち歩きのあやちゃんが今にも腕の中に飛び込んで来そうだった。


何も変わってはいないはずなのにいったい何が変わってしまったのだろう。







2023年07月26日(水) ストレスの行方

今日も厳しい暑さとなる。少しずつ慣れては来たけれど

明日は今日よりもまだ暑くなるのだそうだ。

北海道帯広の最高気温予測が35℃と聞きとても驚く。

天気予報では南海上にある台風の影響だと言っていた。

日本に直接影響はないけれど高気圧と低気圧がぶつかるかららしい。

今年の夏は暑さとの我慢大会のようになってしまいそうだ。



玄関先のペチュニアが暑さのせいもありもう限界のようだ。

まだ花は咲いているのでもう少し様子を見ようかとも思っているが

茎がすっかり伸びてしまって見た目はあまり芳しくない。

今日は日日草の苗を見かけたが買うのを躊躇ってしまった。

買ってもすぐには植えられないと思ったからだ。

足の痛みがあると思うように花いじりも出来なくなってしまった。

草引きも同じく。雑草はこれ幸いとばかりに生い茂っている。

それでも出来ることを少しでもと思うばかりの日々であった。





どうやら日替わりでストレスに襲われているらしく今日は厄日。

パソコンで調べ物を頼まれたのだがスムーズに行かない。

「そんなことも出来ないのか」と散々罵られて気分が滅入る。

そこまで言うのなら自分で調べてみろやクソジジイと思った。

キーボードも操作できないくせに偉そうなことを言うな。


四苦八苦しながらなんとか目的を達成することが出来たが

ちょっと一服と喫煙所に足を向けたのがいけなかった。

まだ止めていなかったのかと散々叱られもう行き場所がない。

これは喫煙者にしか分からないことだと思うのだが

叱られながら吸う煙草のなんと虚しいことだろうか。

ひどく悲しく惨めな思いになって涙が出そうになった。

吸いたくて吸っているんじゃない全部お前のせいだとは

さすがに言えなかったけれどなんだか崖から突き落とされたようだった。


冷静になって考えると自分の愚かさが見えて来る。

禁煙外来のことも忘れて横着に吸い続けている自分のことだ。

義父のことをクソジジイと言ったがその前に自分がどれほど

クソババアなのかを思い知らなければいけないのではないだろうか。


そんなことを真剣に考えているとふっと明日から禁煙出来そうに思う。

それは明日になってみないと分からないことだけれど

もしすべてが八つ当たりなのだとしたらもう当たる必要はない。


今日のことでなんとなく成長できたように思うのだけれど

それに気づくまでにはまだまだ時が必要なのかもしれない。



2023年07月25日(火) イチかバチか

猛暑日の一歩手前。風もなく厳しい暑さとなる。

全国的に暑かったらしく群馬県内では39.5℃を記録したそうだ。

体温よりも高く発熱なら高熱だと云えよう。

とても人間が耐えられる温度ではないように思える。

年々夏が過酷になっているが10年後の日本はどうなっているのだろう。



今日の仕事は平穏。義父は稲の消毒に出掛けていた。

「いもち病」がどんどん広がっているのだそうだ。

稲刈りまでもう少しなのになんとか持ち直して欲しいものだ。

豊作だったらどんなにか喜ぶことだろう。

義父の機嫌次第で私の環境も変わって来るのでモンダイである。

全てが丸く納まれば云うことはないのだけれど。





SNS(Twitter)が凍結まつりだとかトレンドに上がっていた。

実際いつも楽しみに見させて頂いていた方も凍結されていたらしい。

今日は無事に復活されておりほっとしたことだった。

私のような無知な者には「凍結」の意味が分からず

ある日突然自分のアカウントがそうなった場合の対処方法を知らない。

とにかく何も発信出来なくなってしまうらしいがパニックになりそうだ。

なんだかとても危機感を感じるのだがこの先大丈夫なのだろうか。


長い目で見て自分は命ある限りと勝手に思っていたのだが

まるで腕をもぎ取られるように終ってしまうのかもしれない。

脆いものだなと思った。そうしてこれほど儚いものはないだろう。


そうなってしまう前にそうなったらどうしようと不安がるのが

私の悪い癖なのであるがもうすでに目の前が真っ暗になってしまっている。

そう思うと一日一日がとても尊く思えてならないのだった。

書けるうちに書いておかなければならない。

そんな切羽詰まったような状態ではロクなものは書けないのだと思う。

けれども立ち向かっていかなければ生きる甲斐もないだろう。

そうなったらもうイチかバチかである。生きるために書く。

それくらいの覚悟が無くてはこの先生き延びていけないのだと思う。


えらく大仰なことを書き連ねてしまったがこれが本音である。

真冬ならとにかく真夏に凍結など出来るわけがないじゃないか。







2023年07月24日(月) この桜吹雪が目に入らぬか

午前3時頃土砂降りの雨が降った。

夜が明けてからも曇り空で大気が不安定だとか。

にわか雨の心配があるので洗濯物を乾燥機に入れて出掛ける。

それが日中は上日和の夏空となりなんだか少し悔しかった。

干していたら乾いたのにとつい「タラ語」を口にしてしまう。

そうでなくても普段からよく口にするので反省の必要があった。



朝から仕事で大きなストレス。みんなみんな義父のせいだ。

本業をほったらかしにしているくせに偉そうなことばかり言う。

義父が社長なら私は専務である。切り盛りしているのは専務であるぞ。

「この桜吹雪が目に入らぬか」と大声で叫びたくなった。

まあこの真夏に桜吹雪も無いだろうが向日葵吹雪もあるはずがないか。


大気が不安定なのを良いことに雷を落としまくってふいっと出て行く。

行き先ぐらい告げて行けば良いのにまた行方不明になった。

軽トラックではなく乗用車で出掛けたので農作業ではない。

多分お昼には帰って来るだろうと思っていたら案の定だった。


12時5分に帰って来る。それからやっと仕事になった。

義父は自動車検査員なので居ないと完成検査が出来ないのである。

もっと自覚を持って責任のある行動をして欲しいと願って止まない。

専務はお昼休み返上である。とっくに早弁を済ませてあるので良し。

こうなることを予想していたのでなんと10時にお弁当を食べていたのだ。


午後2時30分。さっさとタイムカードを押し退散する。

長居をすればまた雷が落ちて来る可能性がある。


毎日6時間のパートであった。専務なのにそれが許されている。

それで日給4千円。なかなか美味い商売だと自分では思っている。

最低賃金との差額は月末にがっぽりと頂くことにしている。

平均して2万円はあるのでなんと愉快な商売であろうか。


帰宅してごろごろしていたら義父から電話があった。

今日の報告と明日の予定についてまるで小学生の子供のようである。

遅れている仕事は今夜残業するからと自慢気に言っていた。

やる気になれば深夜までやれるだろう。どうか頑張ってくれたまえ。


私の本音としては本業さえ疎かにしなければ後は許したい。

農作業に没頭することも応援したいと思っている。

来月になればもう稲刈りである。義父にとっては大舞台のようなこと。

活き活きとした義父の顔が今から目に見えるようであった。



社長と専務のドタバタ劇はこれからも続くだろうが

私は決して屈しないつもりである。

いざとなったら啖呵も切って守るべき会社を守り抜きたい。





2023年07月23日(日) 普通の人間

二十四節気の「大暑」書いて字の通り真夏のことを指す。

梅雨が明けて一年で一番暑い季節となった。

今日は風があったので猛暑にはならなかったが

立秋、処暑を迎えるまでは厳しい暑さとなることだろう。



朝の涼しいうちにと本を開いたが少し読んだだけで眠気が襲って来る。

ほぼ毎朝のことで7時半頃が一番辛いように思う。

異常ではないかと考えたらきりがないのであまり気にしないことだ。

平日は5分位うとうとしてから仕事に行くようにしている。

おかげで運転中の睡魔からは免れているようだ。

週末はとにかくすぐに眠ることにしている。

今朝も一時間ほど眠っただろうか。もう癖になっているようだった。


横になったらすぐに眠っているらしく鼾もかいているそうだ。

昼食後も同じく2時間ほどの長いお昼寝であった。


そんなわけで普通の主婦がするような家事は殆どしていない。

洗濯物を干したり食器を洗ったりと最低限のことだけである。

掃除らしきことをしないのでどんな有り様か想像できるだろう。

それなりに片付いているのは娘の手に寄るものであった。


眠っている時間は随分と無駄な時間のように思える。

本を読んだりもっと有意義に過ごすのが理想ではあるが

出来ないものは仕方ないとすでに諦めているふしがある。


今日はお昼寝から目覚めてから大相撲の千秋楽をずっと観ていた。

19歳の伯桜鵬が凄い。今場所からすっかりファンになった。

豊昇龍と睨み合っての対戦は迫力満点で素晴らしかった。

残念ながら負けてしまったが19歳とは思えない存在感がある。

そうして北勝富士と豊昇龍との優勝決定戦となった。

優勝した豊昇龍の涙にもらい泣きしそうになる。

普段から厳しい顔をしているのでまさか涙を流すとは思ってもいなかった。

解説の舞ノ海さんが「普通の人間なのですね」と言っていた。

なんだかその一言がとても印象的で感慨深いものがあった。


「あーあ、もう相撲も終わったな」と夫が残念そうに呟く。

彼は一年中大相撲があれば良いと思っているようだった。

私はまた明日から仕事である。とんとんとんと日々が過ぎて行く。



週末は完全禁煙が出来ているが吸いたくないわけではなかった。

煙草があれば吸うだろう。それが無いから吸うことが出来ないのだった。

禁煙ノートには正直に自分の気持ちを記しており

「ひたすら我慢するしかなかった」と書く。


後10日程で禁煙外来の受診日になるが

もう合わす顔が無いほど追い詰められている。

期待に添えなかったことをどうやって詫びれば良いのだろうか。


明日の朝出勤したら同僚が喫煙所に煙草を置いてくれているはずだ。

そうするように仕向けたのは他でもない私自身なのであった。

罪の意識などこれっぽっちもない。愚かな私の結末である。


けれどももう誰も責めることはしない。

私も普通の人間なのではないだろうか。






2023年07月22日(土) 私に必要なのはムチである

心地よいほどの夏空。厳しい暑さであったが苦にはならなかった。

お向かいの奥さんが庭先で朝顔を育てているのだけれど

10時になればもうしおれていて見るからに可哀想である。

朝晩の水遣りが必要なのだろう。花を育てるのも大変だなと思う。


我が家はペチュニアだけ。今朝はたっぷりと水遣りをした。

娘が多肉植物を育てているがこれはあまり水を欲しがらないようだ。

玄関先が殺風景なので花を増やそうと思うのだけれど

足の痛みがあり何をするにも億劫になってしまうのだった。



足の痛みと云えばいつも行っているスーパーで駐車券を発行して貰った。

身障者用のスペースに駐車出来る許可証のようなものだ。

車椅子の人や本当に必要としている人が居ることは分かっているが

買物をするたびに辛い思いをしていたので申し込んでみたのだった。

それが思いがけずに承認され許可証を貰うことが出来た。

最初のうちはなるべく停めないようにと気を配っていたが

だんだん横着になってしまって今では堂々と停めるようになっている。

それが心苦しい時もある。自分などまだマシな方だと思うのだ。

けれども甘える気持ちがあるのだと思う。ついに遠慮出来なくなった。





今朝も午前4時に目覚めたがどうしたことか何も書けなかった。

書ける日には何も考えなくても言葉がすぐに浮かんでくる。

書けない日には息ばかり数えていてすぐに時間が経ってしまうのだった。


松下育夫さんが「書けない時には書けないと書けば良い」と言っていた。

じゃあそうしてみると思うのが私の単純な発想である。

書いてもろくなものは出来ない。ああ駄目だなと思う。

それなのに何故か反応がある。それがとても思いがけなかった。

SNSとはそんなものなのかもしれないけれど何かが違うのだ。

本来ならもっと厳しく叩きのめすものではないだろうか。

それに慣れそれに甘えていては成長できないと思う。

己惚れてしまってはお終いなのだ。私に必要なのはムチである。


明日のことは全く分からないがすんなりと書けたら良いなと思う。

私が私らしくあるためのそれは最後の手段かもしれない。





2023年07月21日(金) 私だけの空

曇りのち晴れ。四国地方もやっと梅雨明けの発表があった。

同時に台風5号も発生しており今後の進路が気掛かりである。

稲の穂が少しずつ色づき始めている。被害だけはなんとしても避けたい。


午後痛ましい水の事故。福岡で11歳の少女達が川遊びをしていて

3人が溺れ2人が亡くなったとのニュースが流れる。

11歳と云えばあやちゃんと同い年で身を引き裂かれるような思いがした。

楽しい夏休みが始まったばかりだと云うのになんと悲惨なことだろう。



我が家では朝からけい君を預かっていたが、長い夏休みのこと。

毎日とはいかず何か良い策はないものかと頭を悩ませている。

お嫁さんの実家で預かってもらうのが一番に思えるのだけれど

ネット環境が整っていないのでけい君が行きたがらないのだった。

それは私達ではどうすることも出来ず息子の判断に任すしかないだろう。






今日は同人誌の発行元である工房に電話をした。

代表者のDさんの経営する工房である。

短歌が書けないので休む旨を伝えたが特に反応はなかった。

参加は自由なのだから不参加も自由なのだろう。

それだけ自分が必要とされていないことにも等しい。

話し終えるなりがちゃんと先に電話が切れた。

これが最後の電話になるのかもしれないのにと私は思った。

同時に縁も切れるのだろう。思えば長い付き合いであったが。


そうして自分の中ではひとつの「ふんぎり」が付いた。

もう後戻りするつもりはない。とにかく前へ進みたいと思っている。

詩はこれからも書き続けて行くし諦めることもしたくなかった。

SNSで発信することに賭けてみるのも良いかもしれない。

昨夜もここに書いたが一年で365の詩を発信することが出来るのだ。


それも私が死んでしまったら跡形もなく消えてしまうのだが

例の如くで「まあいいかな」と思っている。

自分の書いたものに執着しない。死んだらすべてが終りなのだ。


死んでしまったらもちろんもう書くことが出来ない。

同時にもう読むことも出来なくなってしまう。


けれども誰かの心に残る詩はひとつぐらいはあるだろう。

それが私の遺作、いや遺品になれば思い残すことはない。


そうなると毎日遺書をかいているようなものだが

今はまだそこまで追い詰められてはいないような気がしている。


もう羽ばたくことは出来ないがほんの少しだけ羽根を広げてみたい。

そこにはきっと私だけの空があるのに違いない。



2023年07月20日(木) これ以上もこれ以下もない

晴れたり曇ったり。山里では少しにわか雨が降った。

中国、近畿、東海地方では四国よりも先に梅雨が明けたようだ。

四国もすぐに後を追うだろう。いよいよ本格的な夏である。



お客さんから夏野菜をたくさん頂きなんと有難いこと。

胡瓜、茄子、じゃが芋、今日はトマトを頂いた。

どれも一年中食べられるけれどやはり旬が一番美味しい。

胡瓜は浅漬けに。茄子は塩もみをしてポン酢で。

じゃが芋は肉じゃが。トマトには中華ドレッシングがよく合う。

娘は子供の時からトマトが苦手であったがこれなら食べられるようだ。

お酢、醤油、砂糖、ごま油、我が家の中華ドレッシングであるが

冷やし中華のタレと作り方はほぼ同じである。


あやちゃんはじゃが芋が好きらしくサラダや肉じゃがをよく食べる。

今も一人で夕食を食べているが肉じゃがをお代わりしたようだ。

なるべく干渉しないようにしているがついつい声を掛けてしまう。

「美味しいかね?」と訊いたら「めっちゃ美味しい」と言ってくれた。

それがとても嬉しい。ああ作って良かったなと思う。





相変わらず4時に起きて詩のようなものを書いて発信しているが

短歌は全く書けなくなって随分と日にちが経った。

7月は同人誌の締め切りがあるのだけれど短歌しか許されていない。

前回はぎりぎり間に合ったが今回こそは辞退しようと思っている。

もしかしたらそのまま脱会することになるかもしれないが

長い目で見てそれも良いかもしれないと思うようになった。

詩を認めてもらうことは絶対に不可能だと思っている。

私がどれほど落ちぶれていても懇願などどうして出来ようか。

いくらこつこつと努力をしても目の前の壁を破れない。

おそらくそこには独断と偏見が在るのではないだろうか。

私の書いたものだから認める訳にはいかないのだと思う。

そんなことを考えていると悔しくてたまらなくなってしまうけれど

突然閃くように思ったのは「もういいかな」と観念することだった。


所詮、認められたい「欲」なのだと思うのだ。

その欲を手放したらどれほど楽になることだろう。

これ以上もこれ以下もない。今の私のままで在り続けることだ。


毎朝夜明け前に詩を書く。一年で365の詩が出来る。

それだけできっと私は救われるのに違いない。



2023年07月19日(水) 弱いくせに強がっている

忘れていた梅雨空。時おり霧のように小雨が降る。

気温は30℃に満たなかったがとても蒸し暑く感じた。


あちらこちらで百日紅が満開となり鮮やかに彩っている。

職場の百日紅は荒れた庭の片隅で草に覆われているが

その草を押しのけるように咲いていてとても逞しい。

お隣は縫製工場であるが自転車置き場の傍に在って

遠くから見るとまるで屋根の上に咲いているように見える。

紫陽花とは正反対に夏の強い陽射しがよく似合う。


百日紅は中国南部が原産で江戸時代以前に日本に渡って来たのだそうだ。

ということは江戸時代にも咲いていたことになるが

なんとなく時代にそぐわないような気がしてならない。

鮮やかな花の色でもあるし熱帯植物のようなイメージがある。


百日紅と書いたがサルスベリと読む。

木肌がつるつるしているので木登り上手の猿も滑るからなのだそうだ。





昨夜ここに自分のことは自分で守ると書いたが

それは強がりなのかもしれないと今朝になって思った。

私は少女時代から他人に何かを相談することを殆どしなかったが

悩みがあっても自分で解決して来たのだと思う。

だから心の底から通じ合えるような友達もいなかった。

親友と呼べる友はいたがいつも一定の距離を置いていたように思う。

いくら友達でもここから先は駄目と境界線を引いていたのだった。


大人になって高齢者になって今はどうなのだろう。

やはり心から打ち解けられる友達はいなかった。

友達は必要ないと言っても他言ではないと思う。

夫のことはとても頼りにしていてあれこれと相談することはあるが

悩みを打ち明けたことはまずない。だから秘密も多いのだろう。


先に「強がり」と書いたからには説明をしなければならないが

たとえば心の奥で助言者を求めているような時がある。

助けて欲しいのだ。救って欲しいのだ。それだけ追い詰められている。

けれども結局は自分の殻に閉じこもって自分で解決しようとする。

本来ならもっと甘えるべきなのだろう。それが私は苦手なのだった。


弱いくせに強がっている。その弱さが自分を蝕んでいく。

それでも私はすくっと前を向いて立ち向かおうとするのだった。


何があっても行ってみないと分からないと思っている。

たとえ失意の結果だとしても立ち向かうことに意味があるのだろう。



2023年07月18日(火) 自分のことは自分で守る

おおむね晴れ。全国的に厳しい暑さだったようだ。

仕事中もずっとエアコンの効いた事務所に居るため

幸いと言って良いのか外の暑さを知らずに過ごしている。

汗だくになって働いている同僚には本当に申し訳ない。


義父は畔の草刈り。炎天下での作業には頭が下がる。

熱中症も心配であるがとてもパワフルである。

お昼に一時間ほど休んだろうか。午後もまた出掛けて行った。


帰り道には県道で道路工事を行っていた。

アスファルトの熱が凄い。作業員の人達は真っ黒に日焼けしている。

交通整理をしている警備員さんはずっと立ちっぱなしで

慣れてはいるだろうけれどどんなにか辛いことだろうと思う。


命に関わるような危険な暑さなのだそうだ。

屋外で命がけで働いている人がどれほど居ることだろうか。





息子から連絡がありとうとう一大決心をしたようだ。

ここに詳しく記すことは控えたいが息子は間違っていないと思う。

今までの苦労を思うともうこれ以上の苦労を背負わせたくはなかった。

過ぎたことは忘れて少しでも明るい未来へと歩んで行って欲しいと願う。


幾つになっても自分たちの子供なのだなとつくづく思った。

この世の中に子の幸せを祈らない親が居るだろうか。





今日はずっと昔からお世話になっていた医師に会う予定だったけれど

「もういいかな」と思い予約をキャンセルさせてもらった。

病院は内科であるが院長先生は心療内科の権威でもあった。

大勢の患者さんが居ていつも予約がいっぱいで思うように会えない。

仕方なく部下である若い医師の診察を受けていたのだけれど

私とはよほど相性が悪いらしく会う度に気分が落ち込んでいた。

禁煙外来に通っていることを相談したかったのだ。

話を聞いてもらうだけでも気が楽になるような気がしていた。

けれども先日の診察では見事に無視されてしまったのだ。

完全禁煙も思うように達成できない。もやもやとするばかりである。

禁煙外来の医師に相談したら心療内科を勧めてくれたのだった。


自分の弱さを認めたくないと思う気持ちが大きい。

話せばきっと泣き出してしまうだろうとも思った。

予約をキャンセルしてしまえば今度いつ会えるのかも分からない。

それでもいいかなと思ったのだ。決して投げ遣りな気持ちではなく

自分のことは自分で守ろうと決心したのだった。


未だに完全禁煙出来ないのは意志の弱さもあるけれど

それよりも何か精神的な問題が潜んでいるように思えてならない。

それが何なのか分かれば自然と解決していくのではないだろうか。


明日こそはとはもう思わなくなった。

一年だろうが二年だろうが長い目で見てやりたいと思っている。


私が心から寛げる場所がきっとあるのに違いない。



2023年07月17日(月) 私だけの人生

厳しい暑さに思えたが猛暑日ではなかったようだ。

関東、群馬では今日も40℃近い気温だったらしい。

それが当たり前になっていくのだそうだ。

人の身体が慣れて行くのだろう。35℃だと涼しいと感じるとか。


午前中に買い物に出掛けただけで後はエアコンの効いた室内で過ごす。

もう電気代を怖れている場合ではなくなってしまった。

市から物価高騰に対する給付金が支給されるのだそうだ。

わずか3万円でもどれほど助かるや知れない。


昨日もドライブ中に夫と語り合っていたのだけれど

30歳で家業を継がずに会社勤めをしていたら良かったと。

私も同じだった。家業がなければパート勤めも出来たのだった。

その頃には老後のことなど全く考えていなかったのだ。

今のように年金暮らしになるなどと思ってもいなかった。

もっと勤めていたら受け取る年金も増えていただろうにと

もう後の祭りであることをくよくよと後悔することが多くなった。


けれども家業の収入が無ければ住宅ローンは払えなかった。

それは本当にぎりぎりまで一家を支えてくれたのだと思う。


あの時ああすれば良かったはもう禁句である。

過ぎたことを後悔するよりもっと前を向いて歩んで行かねばならない。



今は家計のことが一番だけれど自分についても同じように思える。

ずっと直感を信じて突き進んで来たつもりだけれど

間違っていなかったとは言い切れないのではないだろうか。


若気の至りは沢山あったが、もしそれが無かったら今の私は存在しない。

もしかしたら生まれた時から運命が決まっていたのかもしれない。

その運命に逆らってまでして幸せになろうとは思っていない。

川の流れに身を任せるようにそれはあくまでも自然なことなのだろう。



そうして観念することも大切なことだと思う。

もう充分と思いそれ以上のことを求めないことだ。

それは決して諦めるのではなく己を満たすことなのだと思う。


66年生きて来た。どれほどの汚点があっても私は誇りに思っている。

それは他の誰のものでもない私だけの人生なのだから。









2023年07月16日(日) 幸せの重さ

どうして梅雨明けの発表がないのだろうと不思議に思う。

朝から入道雲が見られすっかり夏空になっていた。

そんな晴天が心苦しくなるほど秋田は大雨で凄いことになっている。

雨は依然として降り止まず河川の氾濫により水没した住居も多い。

田畑も水没しているようだ。被害は大規模に渡ることだろう。


関東は危険な猛暑。どれもこれも異常気象だと思われるが

自然には逆らえずいったいどれほどの人が耐えていることだろう。

高知県は幸い大雨や猛暑から免れているがとても他人事には思えない。

自分達さえ平穏ならばとどうして思うことが出来るだろうか





もう書かずに置こうかと迷ったが自分の覚書として記して置くことにする。

昨日感じていた胸に何かが引っかかったような違和感の原因が分かった。

今朝詩のようなものを書いていて明らかになったのだけれど

先日始めたばかりの「詩の通信教育」が原因のようだ。

私が松下さんに求めていたことと現実が大きく違っていたこと。

「教育」と云うからには多少の厳しさがあるべきだと思うのだが

ただ義務的に私の詩を読み感想と云うより「あらすじ」を述べた。

そのあらすじには何の感情も含まれず言わば無感動であるのだった。

それは私の詩が全く認められないことに等しいのではないだろうか。

結論を述べると私はもっともっと打ちのめされなくてはいけない。

だからこれからも「通信教育」を続けてみようと思っている。





気が重くなるような話ばかりなので気分転換をしよう。

今日は夫と暇つぶしを兼ねてプチドライブに行っていた。

やっとぎっくり腰が治って来たので夫から誘ってくれて嬉しかった。

ドライブと言っても少し遠回りをしてラーメンを食べに行く。

お決まりのコースでそれも愉快で面白かった。

詳しく書いても地元民でなければ全く解らないと思うけれど

四万十市川登から横瀬ダムへ寄り宿毛市山奈町まで走った。

私達は郊外にある「一風」と云うレストランの常連である。

いつもはラーメンセットを食べるが今日は冷やし中華セットにした。

夏季限定のメニューでこれを食べずにいられるかと思ったのだ。


大盛の冷やし中華にはトマト、胡瓜、焼豚、ハム、茹で卵、イカ、海老等。

見るからにボリュームがあり最高に美味しい。

チャーハンはいつもの味。私の大好きな味でこれも最高に美味しい。

しかし大盛の冷やし中華とチャーハンでお腹は破裂しそうになる。

これではもうダイエットどころではないとそれも愉快であった。

美味しいものをお腹いっぱい食べるとなんとも幸せになる。

この幸せをずっとずっと感じていたいと思った。

毎週は無理だがせめて月に一度は幸せになりましょう。


入浴後、恐るおそる体重を測ったら増えていなかった。

なんとラッキーと思う。幸せには重さはないのかもしれない。

かと言って軽くもなくそれは心をいっぱいに満たしてくれるものだ。



2023年07月15日(土) 羽ばたく孫

曇り時々晴れ。風は吹いていたがかなりの蒸し暑さだった。

秋田では記録的な大雨。今夜もまだ油断がならないようだ。

河川の氾濫が相次いでおりなんとも心配でならない。

止まない雨はないと云うがどれほどの人が祈っていることだろうか。



いつものように4時に目覚め「浜木綿」の詩を書いた。

その後どうしたことか胸に何かが引っかかっているような気がしてならない。

気のせいかもしれないと忘れようとしたが未だに違和感を感じている。

特に鬱症状もなく至って健康である。どこも壊れてはいないと思う。

それなのにいったい何が悪さをしているのだろうか。





今夜は孫たちの小学校で夏祭りがありめいちゃんと娘達が出掛けた。

あやちゃんは気分が乗らないようでお留守番をしている。

夕飯を食べていないのであれこれ世話を焼いていたら

勝手に食べるので良いからと言って少しご機嫌が悪い。

そんな年頃なのだと思えば納得がいくはずなのだけれど

寂しさの方が勝り肩を落とさずにいられなかった。

ようは必要とされていないのである。居ても居なくても良いのだろう。

気になって階下の食堂をそっと覗いたら独りで夕食を食べていた。

自分でご飯もよそって黙々と食べているのであった。

何の心配も要らない現実がそこにあるのである。

「成長」とは遠ざかることなのかもしれない。

そうしてその後姿をそっと見守ることなのだろう。

私は「孫」として引き留めようとするが

「孫」は鳥のように羽ばたくものなのであった。


それでも何か通じ合うことがあるのかもしれない。

「おはよう」の一言が言えなくても

「おやすみ」の一言が言えなくても

生まれて初めて抱いた日のことをどうして忘れられようか。



2023年07月14日(金) 老いぼれのうた

曇り日。時おり陽射しがあったが気温はあまり上がらず

厳しい暑さも一休みのようであった。


帰宅途中の県道沿いに浜木綿の花が咲いているのを見つけた。

はっと思い出したのはお大師堂のことである。

今年もきっと咲いていることだろう。

年明けの2日に初詣に行ったきりずっと足が遠のいている。

花枝の管理も怠りなんと無責任なことだろうか。

最初のうちは気になって仕方なかったが月日が経つうちに

「まあいいかな」と思うようになってしまったのだった。

なんと罰当たりなことだろうと今更ながらに思う。

足の痛みのせいにするのは卑怯なことなのかもしれない。

しかし実際のところ河川敷に車を停めて歩くのが辛くなっている。


浜木綿の花は人影に似ていてお遍路さんの姿と重なった。

これまでお大師堂でどれほどの出会いがあったことか。

あの日あの時と思う一期一会がとても尊く思えてならない。





今日は待ち兼ねていた松下さんからの感想が届いた。

漠然と思ったのは私はいったい何を求めていたのかと云うこと。

決して期待外れではなかったが張り詰めていた糸が一気にしなり

ゆらゆらと揺れながら繋がっているような感触であった。

結論から言うとこのまま私が成長することはあり得ないと思う。

学ぶところまで到達しない。うまく表現できないけれど

たとえば私が学生だったとしてひたすらノートを取っているが

そこから何を学べば良いのか理解し難いような感触である。

「ここが駄目なんですよ」「こんなんじゃ詩とは言えない」

それくらいの厳しさがなければ私は成長できないと思う。


ただ嬉しかったのは松下さんがしっかりと私の詩を読んでくれたこと。

読んでくれたからこそ感想を述べてくれたのだと思う。

読みもしないのに感想は言えるものではないだろう。

それだけでも通信教育を続ける意義があるのではないだろうか。


先日ここに博打のようなことだと書いたがもう勝負は始まっている。

決して勝ち負けではないが私は賭けているのだった。


66歳の老いぼれがである。若い頃のように感性もない。

はっとするような魅力もなければ美しい言葉も綴れない。

それでも必死の思いで生き永らえようとしているのだった。


私はよくそれを「この道」と表現するが

信じていなければどうして歩むことが出来ようか。





2023年07月13日(木) つゆ草

おおむね晴れ。猛暑日ではなかったが厳しい暑さとなる。

そろそろ梅雨明けの発表があるのではないだろうか。


今日は富山で大雨。土砂崩れがあり一人が犠牲になったようだ。

地域のリーダーであり住民に避難を呼びかけていた直後の事らしい。

残念でならないがその人のおかげで助かった命もあるのだろう。

名誉な死なのかもしれないけれど心が痛んでならない。


いつ何処でどんな死に方をするのか誰にも分からないのだ。




工場の周辺に「つゆ草」の花がたくさん咲いているのを見つけた。

思わず「まあ可愛らしいこと」と声を掛けていた。


16歳の頃だったろうか「つゆくさ」と云う詩を書いたことがある。

当時のノートにも書き残してはおらずどんな詩だったのか忘れたが

なぜか題名だけは憶えていてとても懐かしく思った。

50年後の「つゆ草」はどんなふうに咲いているのだろう。

すでに純真な心を持たない今の私にはとても書けそうになかった。



松下さんに送った詩の感想がまだ届かない。

一週間以内に送ってくれるそうなのでもう少し待ってみようと思う。

「通信教育」なのでメールに添付して詩を送ったのだった。

毎月一編の詩を受け付けてくれるのだそうだ。

厳しい意見と云うか感想をひたすら待っている。

間違っても褒められることは決してないだろう。

これはなんだか私の挑戦のようなことなのだろうと思う。

出来ればとことん痛めつけて欲しいと願っている。


そうでなければ私は成長することが出来ない。

今のままで生き永らえて恥を重ねて行くしかないだろう。

生き永らえればまだ良いがぽっくり死ぬことだって在り得る。

そうなった場合、どれほどの悔いが残るだろうと思うのだ。


思い残すことがないようになどと。それは綺麗ごとだろう。

それだけ生きることを全うするのは難しいことなのではないだろうか。



今夜もまた何を言いたいのか訳が分からなくなってしまった。

私は本当に書きたいことを書いているのだろうか。

それさえも分からなくなる時がある。



2023年07月12日(水) いつかは終わるそして始まる

曇り時々晴れ。暑さは少し和らいでいた。

北九州では追い打ちをかけるようにまた大雨が降ったようだ。

関東では危険な猛暑となり八王子で39℃と聞き驚く。

異常気象と一言では済まされないことなのだと思う。

大雨も猛暑も命に関わることである。

私たち人間はどうやって身を守れば良いのだろう。



まだ外は明るく夕風に吹かれながらこれを記している。

やはり自然の風がいちばん良いように思う。

昨夜はここに5機のエアコンをフル稼働と書いてしまったが

エアコンを数える時は「機」ではなく「台」もしくは「基」が

正解なのだそうだ。学が無いとこんな失敗もある。

書き直す必要はないだろうと今ここで訂正させてもらった。



詩もそうだがこうして雑文を書いていても学がものを言う。

頭の良い人は文才が多く、そうでない人は凡才が多い。

学歴は無くてもいかに学ぶかなのではないだろうか。

それを言ってしまうと私などは学歴もなく学ぶこともしない。

そのくせ変にプライドがあるものだからそれが曲者である。

いったい何を書きたいのか分からなくなったので一呼吸置こう。





図書館に予約していた椎名誠の新刊が手に入ったので読み始めたが

なんとなく違和感を感じるのはどうしてだろう。

ずっと古い本ばかり読んでいたのでそのせいかもしれない。

言葉は悪いが一気に老けてしまったのだ。

顔にハリが無くなるように文章にもハリがないように思う。

それとやたらふざけた文章が多いのも気になってしまうのだ。

おやじギャグのつもりだと思うが空振りしているように感じる。

80歳が近いのだからそれも仕方ないことかもしれない。

だからと言って決して嫌いになんかならないし

これからも読み続けていきたいと思っている。


椎名さんもいつかは死ぬのだなと漠然と考えている。

もしかしたら百歳まで書き続けるかもしれないが

私が先に逝ってしまうわけにはいかないだろう。

ずっと傍にいることは出来ないが寄り添うことは出来る気がする。

椎名さんがひとつ老いたら私もひとつ老いていく。

平行線は決して交わることはないがゴールする場所は同じなのだ。


死んだらすべてのことが終るらしいが

私は始めてみたいと思っている。


いったい何を始めるのか上手く言葉に出来ないけれど

そのためには寿命を全うするしかないのではないだろうか。




2023年07月11日(火) 丁と出るか半と出るか

西日の当たる部屋のなんと暑いこと。

室温が34℃もあり堪えきれずにエアコンのスイッチを入れた。

現在我が家では5機のエアコンがフル稼働していることになる。

電気代が怖ろしいがとても我慢は出来そうにない。

それよりも少しでも快適に暮らすことを優先するべきだろう。

昼間は市の防災放送があり熱中症の注意を呼び掛けていたらしい。

高齢者は特にエアコンを我慢することが多いのだそうだ。


仕事を終えて帰宅したら庭先の花たちがしょんぼりと項垂れていた。

朝の水遣りを疎かにするとこの有り様である。

一度枯らしてしまうと取り返しがつかなくなるので可哀想だが

ついつい忘れてしまうことが多く後になって悔やまれるのだ。

そうかと言って花のない暮らしは侘しい。

日光に強い夏の花があるだろう。たとえば「日日草」とか。





昨日のことだが詩人の松下育夫さんが主宰する「詩の通信教育」に

発作的に申し込みをしてしまった。何か直感のようなものを感じたのだが

それが正しいことなのかは今は全く分からない。

言葉は悪いが博打のようなもので丁と出るか半と出るかである。

本音を言えばこの歳になって「通信教育」が相応しいのかどうか。

けれども人は幾つになっても学ぶことが大切なのではないだろうか。


少なからずプライドもあるが傷つけられることはないと思う。

日頃から松下さんの人柄は熟知しているつもりなのだが

こればかりは実際に触れてみないと分からないことなのだろう。


私は残された人生に賭けていると言っても他言ではない。

そんな大げさなことをと笑われてしまうかもしれないけれど

あと10年なら10年の。あと20年なら20年の

私の「カタチ」を求めているのだった。

それは決して他の人にはない私だけのカタチである。


遊び半分で毎朝詩を書いているのではない。

それは私の息そのものであり命そのものだと思っている。


松下さんにそれが伝わる自信はまったくないが

もしかしたら私を救ってくれるかもしれない。

それは思い上がりかもしれないけれど私は藁にも縋る思いであった。


一編の詩を送信し、その返事を待っている。



2023年07月10日(月) 同類相憐れむ

雨のち晴れ。朝方の雨はにわか雨だったようだ。

日中はよく晴れて厳しい暑さとなる。


福岡県、大分県では大雨特別警報が出され河川の氾濫、土石流など

亡くなられた方や行方不明の方もおられなんとも心が痛む。

大分と聞き真っ先にとくさんを思ったが大分市内は大丈夫のようだった。

けれども同じ県内の水害に気が気ではなかったろうと察せられる。

雨雲は明日も停滞するとのこと。これ以上の被害が無いことを祈るばかりだ。



今朝は山里に着くなりもう稲の穂が出ているのを見て驚く。

稲の成長は早くあとひと月もすれば稲刈りになるのだった。

これから台風シーズンとなるので心配ではあるが

どうか無事に収穫が出来ますようにと祈っている。

義父は今日も消毒だった。いもち病が拡がっているらしい。

本業の仕事も忙しいがどうやら二の次のようだ。

とにかく要らぬ口を挟んではいけない。義父の顔色を窺うばかりである。


そんなこともあってかやはりストレスを感じずにはいられない。

だから喫煙が許されるとは思ってもいないが

多少のきっかけにはなっているようで考えさせられる。

それは同僚も同じなのではないだろうかと思う。

同類相憐れむではないが同僚は確かに私を憐れんでいるようだ。

それは今までもずっとそうだったしこれからもあり得ることだろう。

3本が6本になりとうとう10本になろうとしている。

最初のうちは有難迷惑だと思っていたが今はそうは思わない。

有難くて涙が出そうになる時がある。

かと言って嬉しくはないのだ。これはとても複雑な心境であるが

私は心の片隅で吸いたくて吸っているのではないと思っている。

同僚が心を鬼にしてくれさえしたら禁煙は完璧なのだと。

そう言ってしまえば責任の転嫁になってしまうだろう。

一番の問題はやはり私の意志の弱さなのだと思う。

その弱さを強さに変えるには人としての本質というか難しいが

根本的な問題を解決していかなければいけないのだと思う。

「変わりたい、さあ変わりましょう」そんな簡単なことではない。

たとえば私の性格そのものを変えるとなると困難に思える。

生まれつきのものもあるだろうし育ってきた環境もあるだろう。

私という人格は自ずから作ったものではないのかもしれない。

その私を客観的に見ることも必要なのではないだろうか。


こうして書いているときりがなく増々複雑化してくるが

私は決して自分を正当化しようとしているのではない。


私はこれまで生きて来たしこれからも生きて行く。

喫煙は愚かなことかもしれないけれど

決して私を貶めるものではないのだと思う。





2023年07月09日(日) 私の寝息

猛暑日ではなかったようだが朝から蒸し暑く汗が流れる。

梅雨が明けたら本格的な夏となるが乗り越えられるのだろうか。

年々夏の暑さが身に応えるようになってしまった。


電気代が気になりエアコンを節約しなければと思うが

家の中に居ても熱中症で亡くなられる方もいるらしく

電気代の負担よりも命を守ることの方が重要なのだろう。

けれどもよほどの貧乏性なのか今は我慢していて夕風に吹かれている。


窓を開け広げて西の空を仰げば熱を帯びていた夕陽も

こころなしかひっそりと鎮まっているように見える。

もう少しで日が暮れるだろうとひたすら夜を待っている。





朝の家事が終ってから少し本を読んでいたがまた眠気に襲われる。

つくづく異常なことに思えるが病気ではないのだそうだ。

一時間ほど眠り買物に行き帰宅してからまたお昼まで寝る。

昼食後また二時間ほど寝たのでいったい何時間寝たのやら。

病気ではないのだとしたらただの怠け者としか思えない。

当然のように家事は最低限のことしかやっていないのだった。

実はまだ冬物の衣料も片付けられずにいる。

そのうちにと思っているといつのまにか夏になっていたのだ。

今日ふっと考えたのはそのうちに秋になりまた冬が来るだろうと。

じゃあそのままでも良いのではないかとひらめいたのだった。

それはとても良い考えに思えて随分と気が楽になった。


出来ないことを数えるよりも出来ることを大切にしよう。

こんな私にだって出来ることがある。

決して完璧ではないけれど私らしいやり方があるのだと思う。


そこで私は決して輝いてはいないけれど

自分らしさに誇りを持っていることだろう。


今日出来たことは少しだけ。明日もきっと少しだけだと思う。

けれども不思議と満たされているのは何故だろう。



窓の外を見たらいつの間にか夜になっていた。

空の寝息が聴こえる。私の寝息は誰が聴いているのだろうか。



2023年07月08日(土) あたりまえの危うさ

まるで梅雨が明けたかのような快晴。

厳しい暑さとなり一日中エアコンのお世話になっていた。

今朝の天気予報で高知と札幌の最高気温が同じと聞き驚く。

暑さに慣れない人達にとっては辛い一日だったことだろう。


朝食時、夫が「今日でもう4年か」と呟き一緒に頷く。

4年前の今日、入浴後に転倒し後頭部を強打したのだった。

救急車で県立病院に搬送されそのまま入院となった。

最初は経過が良くすぐに退院出来そうであったが

退院予定日の前日に「硬膜下出血」となり緊急手術となってしまった。

頭部の手術でありどれほど心配したことだろうか。

もし退院後の事だったら危うく手遅れになるところだった。


4年前のことであるがつい昨日のことのようによく憶えている。

あの言葉に出来ないような緊迫感はまるで悪夢のようであった。



ぎっくり腰は痛みの峠を越えたのか少しマシになったようだ。

昨夜は夕食後すぐにベッドに横たわっていたのだけれど

今夜は茶の間でのんびりとテレビを見ている。

颯爽と動けるようになるまではまだ数日掛かりそうだが

ひとまずは安心で私もほっと胸を撫で下ろしている。


とにかくいつ何があるやら分からないのだ。

怪我や病気だけではなく自然災害もあり得ることだろう。

平和であればあるほど「いま大地震が来たら」と不安になる時もある。


「あたりまえの危うさ」という言葉があるのを知っているだろうか。

なんだかしみじみと身に沁みるような言葉のように思える。


朝目覚めて空を仰ぎ夜明けを待つこと。

朝食の支度をし夫と向かい合って食べること。

洗濯物は乾くかしらと天気予報を見ること。

今夜は何が食べたい?と訊き買物にいくこと。

午後は眠くなったらお昼寝をすること。

娘と肩を並べて夕食の支度をすること。


数えたらきりがないほどの「あたりまえ」で溢れている。

それはとてもささやかな日常のことであるがもしそれが出来なかったら

それこそが「危うさ」なのかもしれない。

日々を暮らしながら何もかも当たり前のことだと思い込んでいる。

幸せを感じることもなければ感謝することもないのだろう。

それがある日突然に崩れてしまうことがあるのだ。

その時に初めてどれほど幸せだったのかを思い知るのだろう。


一日の終りに感謝する。有難うございました。

どうか平穏無事に朝を迎えられますように。



2023年07月07日(金) あの人に会いたい?

二十四節気の「小暑」いよいよ本格的な夏である。

もうすぐ梅雨明けも近いことだろう。

「七夕」でもあるが生憎の曇り空で天の川は見えそうにない。

けれども一年に一度の逢瀬はきっと叶うのに違いない。


天の川の橋渡しをするのがカササギだと初めて知った。

私は今までずっと舟で渡って行くのだと思い込んでいたのだった。

さてカササギとはどんな鳥なのだろう。ネットで調べてみたら

思いがけずに黒い鳥でなんだかロマンを感じられないのだ。

鶴のように白く美しい鳥の方が良かったように思うがどうなのだろう。

カササギはカラスの仲間らしくよく似ているがお腹の部分だけ白い。

そうか、おまえがカササギなのか。なんとなく納得がいかない。


若い頃のように恋でもしていれば七夕の夜には切なくなり

「あのひとに会いたい」などともの思うだろうけれど

全く持ってそんな切なさの欠片もないのである。






夫がぎっくり腰になってしまって難儀している。

少しは動けるが随分と不自由なようだ。

出来ていたことが出来なくなりあれこれ手助けをしているが

ふと「老々介護」のことが頭を過ったのだった。

私も足が不自由なのでテキパキとは動けなくて辛いけれど

それ以上に夫は辛いのではないかと気遣わずにはいられない。

ようはどちらが手助けを必要としているかなのだろう。

少しでも動ける方が世話をしいわゆる介護をしなければいけない。

今は娘達と暮らしているから助けてもらうことが出来るけれど

もし夫婦二人暮らしだったらと思うと不安でいっぱいになるのだった。

日頃から夫を頼りにしているだけによけいにそう思うのだろう。

ぎっくり腰は度々のことなので二人とも慣れてはいるけれど

他の病気や怪我で寝たきりになったりしたらどうすればいいのだろう。

たちまち窮地に立たされパニックになってしまいそうだった。


10年後、20年後のことは何も分からない。

生きているだけでじゅうぶんなのかもしれない。






2023年07月06日(木) 自分と向き合う

梅雨の晴れ間。全国各地で真夏日となり厳しい暑さとなる。

四万十市江川崎では36.7℃の猛暑日となり全国一の暑さだったようだ。

幼少期を過ごした土地であるがそれほど暑かっただろうかと思う。

昔の夏は猛暑日になることがなかったのではないだろうか。

そう云えば熱中症で倒れる人もいなかったように思う。

エアコンもなかった時代に人々は工夫しながら涼をとっていた。


5歳位の記憶だろうか。母と一緒にお昼寝をしていて

母がずっと団扇で風を送ってくれたことを憶えている。

弟も生まれていたはずだがなぜかその存在が記憶にないのだ。

母は私の為だけに風を送ってくれていたのかもしれない。





情けないことだが気持ちに行動が伴わない。

あれほど初心に帰ろうと心に誓ったのに今日も駄目だった。

ギャンブル狂の人が無意識にパチンコ店に足を向けているのと似ている。

私の場合は職場の喫煙所へ行ってしまうことだった。

行ってもそこに煙草が無ければ諦めもつくだろうが

今日も同僚が少しだけ置いてくれていたのだった。

もう置かないでくれと言えばそれで済むはずだけれどそれが言えない。

同僚にしてみれば私が憐れに思えてならないのだろう。


私もすっかり図々しくなってしまって反省をしないのだった。

言葉は悪いがまるで餌を狂ったように貪る子豚そのものである。

ここいらの言葉では「餓え奴」と言う。それは卑下に等しい。

とてもみっともないことだが敢えてここに記している。


とにかく少しずつ意識を変えていかねばと思っている。

自分がいったい何処に向かっているかを確かめなければいけない。

ずるずると泥沼に引きずり込まれる訳にはいかないのだ。


見苦しいことを承知で書き記してしまった。

不愉快な思いをされている読者の方も少なからずおられることだろう。

私自身が不愉快なのだからそれは当然のことである。


けれども私は赦してやりたいと思っている。

こうして書きながら自分としっかり向き合っているのだから。



2023年07月05日(水) 初心に帰る(子豚の巻)

どんよりとした梅雨空。大雨の心配をしていたけれど殆ど降らず

明日は晴れの予報なのでもう大丈夫だろう。


夕散歩に出掛けていためいちゃんがスマホで空の写真を撮って来た。

まだ夕焼けには少し早く雲間から青空が見えている。

「ほら、ここだけ青いよ」そんな空の風景がとても好きなのだそうだ。

まだスマホを持たせるには早いと思っていたけれど

自然の風景に興味を持つのはとても良いことだと思った。





とうとう禁煙外来の受診日。早いものでもう56日目となった。

ニコチネルを貼るのも今日で最後となる。

完全禁煙が出来ていないのに医師は叱るどころか寛大である。

私の辛さを理解してくれているのだろう。本当に頭が下がる。

昨夜ここに書いたように正直に今の気持ちを伝えた。

本当に禁煙したいのか?吸いたいのか?

医師は「吸いたいのであればここには来ませんよ」と応えてくれる。

その一言でどれほど救われたことだろう。

私は自分のことがすっかり分からなくなっていたけれど

禁煙に臨む気持ちは最初から何も変わっていなかったのだろう。

そう思うとあやふやだった迷いも吹っ切れたように思った。

また初心に帰ろうと決心する。やってやれないことはない。

何よりもとても親身になってくれている医師や看護師さんの

期待に添えるように努力したいと思ったのだった。

次の受診日は8月2日。4週間後である。

その間に苦しくなったら電話するようにと看護師さんが言ってくれる。

自分一人で悩まなくても良いのだ。なんと心強いことだろう。


思い起こせばもう半年も前のことだ。

なんとしても止めるぞと思ったあの気持ちを思い出そう。



2023年07月04日(火) かつては子豚だった

梅雨の晴れ間。朝は涼しかったが日中は真夏日に近くなる。


土手の除草作業が始まりあっという間に草が刈られていく。

姫女苑も跡形もなく刈られ他の草と一緒にロール状にされるのだ。

よく牧草地などで見かけるアレである。分かるだろうか。

草は刈られても根は残っているので命を絶たれるわけではない。

成長は早く夏が終わる頃にはまた草の原になっていることだろう。

ある意味「永遠」なのだ。姫女苑も決して嘆いてはいないのだと思う。



山里の職場の庭にはすっかり実を落としたやまももの木。

ねむの木は二本あり妖精のような花を咲かせている。

今日はムクゲの花が咲いているのを見つけて嬉しかった。

百日紅もひっそりではあるが日に日に花が増えている。

季節はそうして確実に夏本番へと向かっているのだろう。





郵便局のS君が配達に来て「止めれたかい?」と訊いてくれる。

私が苦笑いをしたら「やっぱりね」と可笑しそうに笑った。

周りの皆が気に掛けてくれていると云うのに本当に困ったものだ。

反省し自分を責め自己嫌悪に陥るべきだろうと思うのだが

なぜか開き直ってしまって図々しくなっているようだ。

実のところ本当に禁煙したいのかしたくないのか分からなくなった。

そのあやふやな心理が邪魔をしているとしか思えない。

明日は受診日なので正直に今の気持ちを打ち明けようと思っているが

今まで親身になってくれた医師や看護師さんに本当に申し訳ない。


禁煙外来から連絡もせずに逃げ去る人が結構いると聞いていたが

そのような裏切り行為だけは決してしたくはなかった。

もし最終的に完全禁煙を達成出来なくても仕方ないことではないか。

それはあくまでも自分に味方した都合の良い発想であろう。


この半年の間に私は私なりに苦悩を重ねて来たのだと思う。

それは決して無駄なことではなかったのではないだろうか。

けれども自分を赦すほどの寛大な心を持ってはいないように思う。


今日も駄目だった。明日も駄目かもしれない。

いったい自分が何処に向かっているのか皆目見当が付かない。


かつては子豚だった。もしかしたら今も子豚かもしれない。

子豚のまま食肉センターに送られるのだろうか。







2023年07月03日(月) 精神的な断捨離

雨のち晴れ。午後7時になろうとしているがまだ青空が見えている。

カラスがそろそろ山へ帰るのかのどかな鳴き声が耳に心地よい。


高知県西部の雨は大したことはなかったが

九州では線状降水帯が発生し各地に被害をもたらしたようだ。

梅雨が完全に明けるまではまだまだ油断が出来ない。

災害がある度に明日は我が身だといつも思っている。



先日、高知市内に住む友人から同窓会の知らせがあった。

せっかく知らせてくれたのに悪かったけれど

迷うこともなく即答でお断りさせてもらった。

今までは何度か出席させてもらったがもう無理だと思うのだ。

痛い足を引き摺りながら列車に乗って行く自信もなく

一泊二日となればホテルの予約もしなければならない。

そんな経済的な余裕もなく今の自分には考えられないことだった。


それとどうしたことか懐かしい友人たちに会いたいと思わないのだ。

心のどこかで投げ遣りになり「もういいかな」と思っている。

そうして最後に会った日のことを思い出しては

「冥途の土産」もじゅうぶんに揃ったと納得している自分がいるのだ。


偏屈なのかもしれないけれどずばっと断ち切ったような心地よさがある。

もしかしたら精神的な断捨離なのかもしれない。


私の人生長くてあと20年だろうか。百歳まで生きようとは思っていない。

思い残すことが沢山あるようにも思うがきっと最後には

「もういいかな」と納得するのではないだろうか。


何かに執着すること、しがみつくことは見苦しいと思う。

以前にもここに書いたがとてもみっともないことなのだ。

だからなりふり構わず醜態を晒すのもいいかげんにしなければいけない。



午後8時になった。やっと薄っすらと夜らしくなる。

今夜は満月なのだそうだ。



2023年07月02日(日) 愛しい時

蒸し暑さがなく爽やかな朝となった。

日中はよく晴れて暑くなったが雨よりもずっといい。

梅雨の晴れ間は本当に有難いものだ。


夏至の末候「半夏生ず」田植えを終わらせる農事の節目である。

今は何処も田植えが早くなったのであまりぴんと来ないが

昔の人はやっと田植えが終りほっと寛いだ頃だったのだろう。

香川ではうどんを関西ではタコを食べる習慣があるようだ。

高知県も関西圏に入るのかスーパーにタコが沢山並んでいた。

普段から高価だがそれ以上に高くなっており驚く。

もちろん買えるはずはない。別にタコを食べなくてもと思う。





久しぶりに何処かへ出掛けようかと思っていたが

結局ごろごろとしながら怠惰に過ごす。

眠り病の私は殆ど寝てばかりいた。

やはり異常なのではと思うがただの怠け者なのかもしれない。

過眠症という病気もあるらしいが深刻に考えたらきりがない。

それも煙草さえ吸えれば治まる眠気であるから性質が悪いのだ。

もう長いこと家ではずっと完全禁煙を貫いている。

それなのに職場では自分をコントロール出来ないのだった。

禁煙外来の受診日が近づいており医師達に合わす顔がない。

明日はどうなってしまうのだろう。正気に戻れるのだろうか。




外遊びに行っていためいちゃんが大きな胡瓜を抱えて帰って来た。

近所で畑作業をしていたおばあさんに貰ったのだそうだ。

さて誰だろうと考えていたら思い当たる人が居た。

「ひとり暮らしで孫もおらんよ」と言ったのだそうだ。

娘さんを亡くされご主人も亡くされた人が確かに近所に住んでいる。

息子さんがいたはずだが都会に住んでいるらしい。

たった独り細々と畑仕事をしながら生計を立てているのだろう。


6人家族の私のなんと恵まれていることだろうと思った。

毎日当たり前のようにして暮らしているが決してそうではない。

もし夫に先立たれ娘たちが家を出て行ったら私はどうなるのだろう。

とても独りぼっちで暮らす自信もなく気が狂ってしまいそうだ。


今朝も夫に足の爪を切って貰っていて

「俺がおらんなったらどうするがな」と言われた。

本当にどうすればいいのだろう。考えるだけで目の前が真っ暗になった。


とにかく今をと思う。これほどまでに愛しい時があるだろうか。



2023年07月01日(土) 目から鱗

高知県西部は幸い大雨にはならなかったが

線状降水帯が発生した地域では土砂崩れで亡くなられた方がいるようだ。

たかが雨と侮ってはいけない。どんな危険が襲って来るのか分からない。

51年前の繁藤災害を思い出す。大勢の犠牲者を出した痛ましい災害だった。

あれも梅雨の最中だった。7月5日の早朝だったと記憶している。



息子が日勤だったので朝からけい君を預かっていた。

先ほど仕事を終えた息子が迎えに来て帰って行ったが

晩御飯はお父さんと食べたいと言って何も口にしなかった。

あまりの健気さにほろりと涙が出そうになる。

今日はあやちゃんとも遊べず寂しかったことだろう。

それなのに我儘も言わずよく辛抱したものだと思う。





朝のうちに図書館とカーブスへ。

けい君はおじいちゃんとお留守番だった。

図書館ではまた椎名誠の本を4冊借りて来る。

新刊も出ているのだが予約待ちでまだしばらく掛かりそうだ。

今日は2年前に出た写真とエッセイの本等にした。

とにかく出版されている全ての本を読みたいと思っている。

今年もあと半年になったが「目標」があるのは良いことだ。


カーブスでは足の痛みが軽く心地よく汗を流した。

3B体操の仲間だったSさんが優しく声を掛けてくれて嬉しかった。

いつも私の足を気遣ってくれるのだ。なんと有難いことだろう。

Sさんも膝に痛みがあるのだそうだ。けれども溌溂としていて

笑顔で頑張っている姿を見ると私も励まされるような気がする。

痛みに耐えているのは決して自分一人ではないのだった。





午後テレビを観ていてはっと我が身を振り返ったことがある。

芸能人が俳句を作って有名な俳人の先生に指導を受けていたのだが

なるほどと思うくらい目から鱗であった。

私は誰かから教わったことがあるだろうかとまず思った。

短歌にしても詩にしてもずっと昔から自己流ではなかったのか。

この50年間ただただ突っ走って来たのではないだろうか。

私の詩を「詩になっていない」と言ってくれたDさんや

「SNSで発信するのを止めた方が良い」と言ってくれたK子さん。

それは今まで誰も言ってくれなかった貴重な意見なのだと思う。

そこから私は大切なことを学ばなければいけないのだ。

卑屈になっている場合ではなかったのである。


人生はある意味「学び」ではないかと思う。

そうして壁にぶつかりながら人は成長していくのだろう。


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