ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年05月31日(水) たんぱく質のうんちく

雨のち曇り。幸い大雨にはならずに済んだ。

台風が次第に進路を東に変えるようで強い雨雲が近づいている。

直撃の心配はないが雨は覚悟していた方が良いだろう。


慌ただしかった5月も今日で終わり明日はもう6月となる。

月末の資金繰りもなんとかなりほっと肩の荷を下ろしている。

綱渡りのような会社経営であるけれどとても遣り甲斐がある。

しかし前途はそう明るくはない。不景気の波はけっこう手強い。


先日母に面会した時に「もう何も考えることがない」と言っていた。

一番はやはりお金の心配だったのだろう。

私はずっと母に楽をさせてあげたいと思っていたから

今はそれを叶えてあげられたのだと思っている。


薄情で親不孝な娘だったが少しは親孝行が出来ているのかもしれない。





禁煙はずっと順調であるがダイエットはそうそう思うようにいかない。

毎晩お豆腐を食べ続けているけれど成果はいまいちであった。

62キロにまでなっていた体重はやっと60キロ代になったが

その還暦のような壁が頑固でなかなか50代にはなれなかった。

人間の身体は筋肉がついてくると太り難い体質になるのだそうだ。

その筋肉にはたんぱく質が必須でプロティンも飲んでいる。

カーブスでは1日12点のたんぱく質摂取を推奨しており

たとえば納豆1パックが1点、卵1個が1点である。

焼き魚や肉のロース等はもっと高く2点以上はあるようだ。

お豆腐はとても一丁は食べられず半丁でも1点にしかならない。

しかしたんぱく質ばかりではビタミン不足となってしまうので

適度に野菜も食べるように心掛けなければいけない。

炭水化物はエネルギーになるがダイエットには大敵なのだった。


ダイエットだけに関わらず筋肉を強化することによって

私のような「変形性股関節症」にはかなり効果があるらしい。

筋トレやストレッチで痛みから救われた例もあることを知った。

整形外科の医師は手術しか治す方法はないと言ったけれど

私はなんとしても自力で治してみたいと思い始めている。

痛みの酷い日は辛いけれど「なんのこれしき」と思うのだ。


禁煙に臨むようになって少しだけ我慢強くなったような気がする。

今はとにかく食欲を我慢することにひたすら努力をしているのだった。



なんだかうんちく気味の日記になってしまって申し訳ない。

好評だった「子豚シリーズ」から一気に下落し

今月は閲覧数も投票数も大幅にダウンした。


まあこれでやっと元に戻ったと云うことだろう。

私にとってはそれがとても相応しいことに思う。


やはりひっそりと静かに細々と書き続けていくのが良い。



2023年05月30日(火) やがて消えてしまう

午後から雨が降り始める。梅雨らしく真面目な雨であった。

今のところ大雨の心配はなさそうだが雷が鳴り始めている。

少しびくびくとしながらこれを記し始めた。


今朝の山道では野宿と思われるお遍路さんが歩いていた。

あまりにも大きな荷物で前屈みになっており辛そうな足取りであった。

しばらくは雨の日が続きそうなので気遣わずにはいられない。

まだ若い青年であったがお遍路を決心するには余程のことがあったのか

「自分探し」と云う言葉も耳にするが貴重な「気づき」があることを願う。


山里の民家が見え始めた処にお客さんのお宅があり寄っていた。

昨日事務所に忘れ物をしていたので届けに来たのだった。

そうしたら「ちょっと待って」と言って畑から野菜を引いてきてくれる。

大根とサニーレタス。獲れたての新鮮な野菜はとても有難かった。


お昼休みに椎名誠の「続・大きな約束」を読了する。

あとがきに私小説のプライバシーに関することに触れていて

私にも心当たりがあるだけに深く考えさせられた。

私はもちろん作家ではないので読者の数はほんの僅かであるが

20年以上もこうしてネット上に日記を書き続けていると

まだ結婚前の息子や娘のこと。結婚してからは孫たちのこと。

躊躇することなくありのままに書き記して来たのだった。

家族には未だ誰の目にも触れていないはずではあるが

私の死後もしかしたら「発見」される可能性は大いにあると思う。

それもこの日記サービスが存続していればの話であるが

いっそ綺麗さっぱり消滅した方が良いのではないかと思い始めた。

そうすれば家族のプライバシーも守れるのではないだろうか。

不愉快な思いをさせたり傷つけることもないのではないだろうか。


孫たちのこと、特にあやちゃんのことを書きたくてならないけれど

決して書いてはならないと心に決めている。

公にしてしまったらどれほど傷つけることだろうか。


その代わり自分のことはとことん書き続けようと思っている。

もっともっと自分と向き合うべきなのだ。


どれほどの愚かさも赦したい。たとえやがて消えてしまう命だとしても。





2023年05月29日(月) 私はきっと変わってみせる

曇り日。湿度が高くじめじめと蒸し暑い。

今週は雨の日が多くなりそうでそろそろかなと思っていたら

今日梅雨入りの発表があったようだ。

鬱陶しいけれど梅雨は無くてはならない季節の掟のようなもの。

災害に繋がるような大雨は要らないけれど

雨を愉しむような心の余裕があれば良いなと思っている。


仕事が忙しく2時間の残業。くたくたになって帰って来る。

義父の農作業が一段落したので工場の仕事をしてくれたが

あれもこれもと目まぐるしいほどの有様であった。

おかげで仕事は捗ったが私も同僚もパニック気味になっていた。


ふとこんなことがいつまで続くのだろうと思った。

縁起の悪い話だがおそらく義父が亡くなるまで続くことだろう。





今朝はとても嬉しいことがあった。

久しぶりにけい君を学校まで送って行った夫が

息子のお嫁さんから「母の日」のプレゼントを預かって帰って来た。

私の大好きな芋焼酎でお嫁さんの手紙も添えられてあった。

その心のこもった手紙と筆跡を見ただけで体調が順調なのが分かる。

これまで随分と辛いことがあったけれどもう大丈夫だと確信した。

精神的に落ち込む日もあるかもしれないがきっと乗り越えられるだろう。


偶然にも今日はお嫁さんの40歳の誕生日だった。

何か届けてあげたかったが結局何も出来ないまま日が暮れる。

息子にメールをしてせめて家族で祝ってあげて欲しい旨を伝える。





「ニコチネル」の治療を始めてもう19日が経った。

今日のように忙しい日はいつも苛々していたけれど

煙草から離れてしまうとその苛々が全く無くなってしまうのだ。

なんと精神的に楽なのだろう。仕事のストレスにも強くなった。


豆腐ダイエットは平行線を辿っており体重は昨日と変わらない。

一瞬なんでや?と首をひねりつつ焦りは禁物だと思い直す。


日々の努力はきっと報われる。そう信じなければあまりにも虚しい。

ゆっくり少しずつで良いのだ。私はきっと変わってみせる。



2023年05月28日(日) 今日のもめん明日のもめん

曇り日。梅雨を思わすような蒸し暑さだった。

紫陽花が少しずつ色づき始めている。

我が家には紫陽花がないがご近所にあり毎年楽しみにしている。

不思議に思うのは去年の枯れた花が化石のようになっていたはず。

それがいつの間にか見えなくなっていることだった。

散ることも落ちることも出来ない紫陽花のなんと神秘的なことだろう。



日曜日だと云うのに娘たちが早起きをして賑やかだった。

どうやら何処かでダンスのイベントがあるらしい。

めいちゃんのダンスを観に行きたかったが案内が無かった。

何処で何時からあるのかも分からず詳しく聴くのも憚られる。

夫と二人で少しいじけていたけれどなんだかとても寂しかった。

正式な発表会ではなかったので娘も言わなかったのだろうと思う。



午前中は読書三昧。椎名誠の「大きな約束」を読んでいて

お腹を抱えるほど笑い転げてしまった。

金沢に講演に行っていて夜は豪華な食事会があったのだそうだ。

椎名さんのことだからビールが進んだことだろう。

会話も弾みひたすら吞むばかりで食事は殆ど食べられなかったらしい。

ホテルに戻ってから空腹でたまらなくなってしまって

近くのコンビニにカップ焼きそばを買いに行ったのだそうだ。

ホテルのポットからお湯を注ぎいい匂いの焼きそばが出来た。

しかしコンビニからお箸を貰って来るのを忘れていたらしい。

さてどうする。その時からもう私の笑いは止まらなくなっていた。

深夜のホテルで必死になってお箸の代わりになる物を探しているのである。

それはなんと洗面所にあった備え付けの2本の歯ブラシであった。

声を上げて笑うなんて本当に久しぶりのことで笑い過ぎて涙が出ていた。

なんと人間味に溢れている私小説なのだろう。ますます好きになる。


まだ未読の方にはネタバレになってしまったが書きたくてたまらなかった。





ニコチネルはもう何日目なのだろう。自分でも分からなくなってしまった。

完全禁煙からは一週間が過ぎたようだ。

もう全く煙草に興味が無くなってしまったので乗り越えたのだと思う。

それよりもダイエットである。今はすっかりそちらに気が向いている。

お豆腐は絹ごしよりも木綿のほうが好きである。

心なしか木綿の方が満腹感があるような気もする。

今日は「今日のもめん明日のもめん」と云うお豆腐を買って来た。

それも半額で賞味期限はしっかり明日まであるのだった。

2パックに分かれており今夜はもちろん「今日のもめん」を食べた。

宿毛市の梶原食品を知っている人は少ないかもしれないが

あの豊ノ島の実家でお父様が社長をしているお豆腐屋さんである。

3種類程のお豆腐があるが「勝ち越し豆腐」が一番美味しい。

それも絹と木綿があるが今日はスーパーに見当たらなかった。

豊ノ島が芸能人になったのでもう製造中止になったのかもしれない。

余談ではあるがお父様と豊ノ島はよく似ていてそっくりである。


もちろん梶原食品以外のお豆腐も売ってはいるけれど

私は豊ノ島のファンなので浮気をするつもりはない。


さあ豆腐だ。今日はお昼にラーメンを食べてしまったせいか

200グラム増えていた。なんのこれしきである。


※今まで非公開としていましたが私のSNSは下記です。

 お時間のある方は覗いてみて下さいね。

 Twitter



2023年05月27日(土) プチっとうどん

気温は夏日だったようだがさほど暑さを感じなかった。

爽やかな風が吹き快適に過ごす。


先日のアマリリスの水中花は水腐りもせず未だに綺麗なままである。

可哀想なことをしてしまったと思っていたが心が救われるようだ。



カーブスが終り次第に山里の職場に行く予定であったが

義父から電話があり今日も一日農作業とのこと。

義父が居なければ車検が出来ない。

同僚が一生懸命に整備をしても後が続かないのだった。

お客さんには迷惑をかけるが月曜日まで待ってもらうことにした。

この先の信用にも関わることで危惧するばかりである。

義父はそれなりに会社のことを考えているらしいが

同僚と私はいつも振り回されているのだった。

「言うだけ無益」ともう諦めるしかない。

田舎の車検場だから成り立っているのだと思う。





カーブスは足の痛みが薄れており心地よく身体を動かせた。

やはり効果はあるらしく今日はずっと痛みが楽であった。

禁煙も順調。以前の辛さが嘘のように全く離脱症状がない。


豆腐ダイエットもどうやら順調らしくまた少し瘦せていた。

今日で3日目だろうか。始めてから1.8キロ減となった。

炭水化物を全く食べないわけにもいかずお昼におうどんを食べた。

テレビCMでしきりにやっている「プチっとうどん」である。

冬は温かいおうどんが良いが夏場には冷たいのが美味しい。

体重の変化を見ながらたまには麺類も食べてみようと思っている。


炭水化物を控えるダイエットはリバウンドが怖い。

ずっと我慢していると一気に食べたくなってしまうのだ。

今回の禁煙に伴なう体重増加もそれが原因だと思われる。


我慢することは精神衛生上とても良くないことである。

かと言って我慢しなければ何もかもがとんでもないことになる。


この歳になって今更とも思うが決して完璧でなくても良い。

とりあえず目標を決めて努力してみたいのだった。


ずっと禁煙にばかり拘っていたがまた別の新しい目標が出来た。

もしかしたらかつての子豚によく似た別の子豚が現れるかもしれない。



2023年05月26日(金) とにかく「やる気」

大気が不安定だったのか朝方は霧雨が降っていた。

台風2号の影響もありこのまま梅雨入りするのかもしれない。


今朝はいつも通り4時に起床したがネットが繋がらず何も書けなかった。

書きたい気持ちよりも「まあいいか」と思ってしまう。

精神的にもたまには休んだ方が良いのだろう。

そう思うと一気に気が抜けたようになってぼんやりとしていた。


あやちゃんが夜遅くまでタブレットに夢中になっているらしく

娘が寝る前にルーターの電源を切っているのだそうだ。

そうして私が目覚める前に電源を入れていることを初めて知った。

昨夜は真夜中に起きられずそのままになっていたらしい。

私の「書く」という拘りのために娘に負担をかけていたようだ。


ルーターを私の部屋に設置すれば済むことだけれど

それではあやちゃんが自由に出入りが出来るので意味がないらしい。

娘の判断に任せるしかなくしばらく様子を見ることになった。


ネット依存は社会問題にもなっておりすぐには解決しないだろう。

そう云う私もネットの依存度が強く中毒のようになっている。

SNSは特に毎日何かを発信しなければ落ち着かなくなった。





禁煙外来を受診してから2週間が過ぎ、完全禁煙から7日目である。

離脱症状が全くなくなり精神的にとても楽になった。

あの苦しさや辛さを思い出すとぞっとするほど恐ろしい。

この解放感は言葉では上手く言い表せないがとにかく爽快であり

鬱々とすることもなく気分がとても明るくなったような気がする。

治療はまだ続くけれど日に日に自信が強くなってきているのだった。

夫に話したくてたまらなくなるが未だに秘密にしている。

「それは良かった」と喜んでくれるかもしれないけれど

煙草が大嫌いな夫に煙草の話をするのがとても気が引けるのだ。



豆腐ダイエットも順調で早くも1キロの減量を果たす。

わずか1キロなのですぐにリバウンドし兼ねないが

毎日こつこつと努力すれば2キロになり3キロにもなるだろう。

たかが1キロと見くびってはいけない。成果は必ず現れるはずだ。


禁煙にしろダイエットにしろ今の「やる気」が頼もしく思う。

以前の私なら何をやっても駄目と諦めていたことだろう。


「60歳を越えて終わりではない、60歳を越えてからが始まり」

あとどれくらいの人生なのか知る由はないけれど

私はやれるだけのことを遣り遂げてこの人生を全うしたいと思う。



2023年05月25日(木) 豆腐ダイエット

平年並みの気温だったのか過ごし易い一日だった。

山里は見渡す限りの田んぼ。若い稲が可愛らしく風に揺れている。


義父の田植えは全て終わったものと思っていたが

まだ来月早々に最後の苗を植えるのだそうだ。

「食べ米」と言って自家用の米のようだ。

我が家の分もあるらしく秋が楽しみである。


工場は猫の手も借りたいほどの忙しさで同僚が奮闘している。

義父は農作業を優先しており「どうしようもない」の一言に尽きる。

私がやきもきしても始まらないがついつい焦ってしまうのだった。


月末も迫っており資金繰りもしなければいけない。

順調な月もあるが今月はかなり厳しくなりそうである。

会社経営に携わることは本当に大変なことなのだ。

母もずっと苦労してきたことだろうと今更ながらに母を想う。





昨日の禁煙外来で医師や看護師さんに相談したのだけれど

食欲が異常なほどにあり過ぎて体重がどんどん増えている。

医師は禁煙が成功してからダイエットをするのが望ましいと言う。

食欲を我慢するのも相当なストレスになるからだろう。


けれどもその忠告を無視するように昨夜からまたダイエットを始めた。

今回は「豆腐ダイエット」で主食を豆腐に替えるだけのこと。

元々豆腐好きなので特に何の抵抗も感じないのが良い。

とにかく毎晩豆腐を食べることを続けてみようと思っている。

大好きな麺類。ラーメンやパスタ。夏は素麵や冷やし中華。

それらを我慢するのはかなりきついが自分との闘いなのである。

目標は5キロの減量。なんとしても達成したいと思っている。


それからもうひとつ。食べ過ぎないようにお腹を締め付けること。

昼間はベルトで。家ではエプロンの紐でぎゅっと縛りつけている。

実はお風呂上がりの今もエプロンをしてこれを記しているのだった。

これは夜食を一切口にしないことにとても効果的に思われる。

とにかく膨れ上がっている胃を小さくすることが肝心なのだ。


完全禁煙6日目。これはまだ序の口だと思っている。

まだまだ先が長いのだ。意識を高めて立ち向かっていかねばならない。

昨夜も書いたがいつどこで落とし穴が待っているか分からない。

その時にきりっと前を向けるだろうか。私は大丈夫なのか。


考えても仕方ないことは考えない方が良いのだと思う。

とにかくひとつづつクリアしていくことだけを考えていよう。



2023年05月24日(水) 二度目の禁煙外来

5月らしい爽やかな晴天。風が涼しく感じられた。

昨日千切れてしまったアマリリスの花を水中花にしていたら

今朝は蕾だった方も開きふたつの花が水に浮かんでいた。

捨ててしまっていたらそんな姿も見られなかったことだろう。

千切れた花にも確かにいのちが宿っていることを改めて知った。




仕事を終えてから二度目の禁煙外来へ。

煙草を吸ってしまったことを叱られるのではと緊張していたが

医師も看護師さんも優しい笑顔で頷いてくれたのだった。

体内の一酸化炭素の濃度を測ったら殆どゼロに近くなっていた。

2週間前と比べたら大きな差でそれが成果に繋がる。

体内に一酸化炭素が増えると動脈硬化や脳梗塞になり易いのだそうだ。

永遠に吸い続けていたらと思うとぞっとするような事実である。

完全禁煙も5日目になっており随分と自信もついてきた。

医師にその度合いを訊かれたので90%だと答える。

今のところ前途はとても明るい。このままなんとしても乗り越えよう。


ニコチネルは引き続き貼り続けなければいけない。

体内にニコチンを吸収させて害はないのだろうかと心配になったが

急に貼るのをやめてしまったら禁断症状が出易くなるのだそうだ。

とにかく自分が治療中であることを意識して過ごさねばならない。

以前のひと月間の禁煙を思い出すとぶり返すことも在り得るだろう。

成功したと喜んでいてもどこに落とし穴があるか分からないのだ。


さきほど血圧を測ったらまた平常値になっていた。

それは初めて禁煙外来に行った時と同じ現象である。

やはり精神的な要因があるのだと思わずにいられない。


ストレスとは厄介なもので自分では気づかないことも多い。

不安や緊張も大いにストレスに繋がっているのだろう。

特に私は神経症なのでそれも考えられると自分なりに判断している。


すべてのことが順調だとは言い切れないが確実に前へ進んでいる。

もう二度と元の木阿弥になることはないだろう。





今朝はSNSで昨日見た栴檀の花の散る様子を詩にしてみた。

そうしたらK子さんが真っ先に作風が変わったと気づいてくれる。

「詩に近づいてきた」とコメントがあり少し苦笑いをしてしまった。

それでは今まで私の書いて来たものは詩ではなかったのだろうか。


自分は詩人だと名乗る人に読まれるよりも

詩とは全く関係のない暮らしをしている人に読まれるのが嬉しい。

それだけ誰のこころにも伝わることが出来るのだと思う。

ひとの心を打つ。ひとの心に響く。そんな詩を私は書きたい。


K子さんは東日本大震災の被災地でもある石巻で暮らしている。

クリスチャンであり毎朝「みことば」を発信し続けている。

84歳の高齢でありながら若々しく溌溂としていて私は大好きだ。





2023年05月23日(火) 懐かしき子豚

晴れたり曇ったり。気温はさほど高くなく爽やかな風が吹いていた。

栴檀が小雪のように散っていく薄紫の儚い想い


桜吹雪と云うくらいだから栴檀吹雪と呼んでも良いのではないだろうか。

最初見た時にはいったい何が空を舞っているのだろうと思った。

栴檀の花の季節が終ろうとしている。そうしてやがて実を付けるのだ。



今朝は出掛けに何気なく庭の隅を見たら思いがけないことに

すっかり諦めていたアマリリスの花が咲いていた。

ずっとほったらかしで水遣りもしたことがなかったせいか

葉の中心から茎が伸びないまま花を咲かせていたのだった。

あまりの可愛らしさに嬉しくてならず鉢ごと玄関先に移そうとしたが

結構重くて片手では持ち上げることが出来なかった。

今朝は特に足の痛みが酷く杖を手放せなかったのだ。


夫に運んでもらおうと声をかけたら酷く機嫌が悪い。

「出掛けに何をやりよるがぞ」とお叱りを受ける。

それでもしぶしぶと運んでくれようとしたのだが

手荒く持ち上げたせいか手を滑らせてしまって落としてしまった。

鉢は割れてアマリリスの花は無残に折れてどうすることも出来ない。

直ぐに球根を植え替えてやらないと駄目になってしまうと思い

夫に後始末を頼んだが機嫌の悪さはすでにマックスになっていた。


泣きそうな気分で職場に向かう。朝からなんてことだと悲しい。

せめて「俺に任せておけ」と言って欲しかった。

それが帰宅してからびっくり。夫が綺麗に植え替えてくれていたのだ。

見るに見かねたのだろう。根は優しい夫だからこそのこと。


一昨日のこともあり我が家の花たちは災難続きだけれど

アマリリスはまた来年きっと咲いてくれるだろうと思う。

私は思うように庭いじりが出来なくなってしまったけれど

花の無い暮らしは考えられず少しでも育てられたらと思っている。





「ニコチネル」13日目。いよいよ明日は2度目の禁煙外来である。

全部で5回受診しなければいけないのでまだ先は長い。

治療中は吸ってはならない煙草を吸ってしまったので

きっとお叱りを受けることだろう。もう覚悟は出来ている。


けれども今日も順調。完全禁煙4日目となった。

先週までの離脱症状は全く無くなり嘘のように楽になっている。

この状態が続けば禁煙成功となること間違いないだろう。


子豚のことがふと懐かしく思い出される。

すっかり悪者にされてどれほど辛かったことだろうか。

今思えば私は子豚のことが大好きだった。

散々罵ったこともあったが子豚が居てくれたから今の私がある。



2023年05月22日(月) 子豚の最期

晴れのち曇り。気温も高くなり蒸し暑さを感じた。

午後山里で今年初めてホトトギスの鳴き声を聴く。


昨日は山里の「星ヶ丘公園」に豊ノ島が来ていたそうだ。

全く知らずにいて夕方のローカルニュースでさっき知ったばかりである。

トークショーもあったそうで今の芸能界の仕事について語り

「引っ越しをしたような気分」だと言って笑っていた。

相撲界とは違って何もかもが新鮮で楽しくてならないのだろう。


私はもちろん引っ越しは出来ないけれど先日から少しずつ

自分を変える努力をしている。今更のようにも思うけれど

何かを始めるのに遅すぎることはないのではないだろうか。


歳のせいにして色んなことを諦めて来た。

臆病にもなりそのうえに億劫でもある。

どうせ私なんかと自分を卑下することも多くなった。


大それたことではない。ほんのささやかなことで良いのだと思う。

新鮮な空気に触れてみたい。今までと違った自分に会いたいのだ。





「ニコチネル」12日目。今日は思いがけずに順調だった。

仕事が忙しかったせいもあるが全く煙草を吸いたいと思わなかったのだ。

完全禁煙3日目でもありもしかしたらと目の前が明るくなる。

しかしまだ油断は出来ない。子豚の息の根を止めなければならない。

GW中に5日の禁煙に成功していたが、あの時とは何かが違う。

おそらく必死で我慢していたのだろうと思う。

だからGWが終るなり「餓え奴」のようになり吸ってしまったのだ。


意志の強さ。自制心と自分に必要なことは確かにあるけれど

今日のようにすんなりと自然に過ごせたことは奇跡のように思う。

なんだか暗いトンネルの中から抜け出したような達成感があった。

もう苦しまなくても良いのだろうか。私は救われたのだろうか。


子豚は今頃どうしているのだろう。衰弱し切ってしまって

生きる気力も失ってしまっているのかもしれない。

だからと言って嘆くだろうか。悲痛に暮れるのだろうか。

決してそうではないと私は思っている。


私と子豚は一心同体であったが私の方が変わろうとしているのだ。

もう子豚の手の届かないところに私は行こうとしている。


別れの言葉はまだ考えていない。ただ子豚の最期を見届けたいと思う。





2023年05月21日(日) 燕の行方

二十四節気の「小満」いのちが満ち満ちていく頃。

道端の草にも蟻んこにだっていのちがある。

どんなに小さないのちでも陽の光を浴びて輝くことが出来る。



我が家の燕が巣に寄り付かなくなってまた新しい巣を作り始めた。

夫が言うには昨日大きな蛇が巣に近づいていたのだそうだ。

なんとか追い払ったらしいが巣を荒らした後だったのかもしれない。

雛が居た様子はなかったが卵を飲み込まれた可能性もある。

危険を察したのだろう、早朝からせっせと土を運び始めていた。

それが困ったことに玄関ドアのすぐ真上なのであった。

燕には何の罪もないがさすがにその場所は厄介である。


仕方なくその場所にアルミホイルを貼り付けることにした。

アルミホイルはキラキラ光るせいか燕は苦手なようだった。

「追い払う」と云えば聞こえが悪いがそれが一番の得策である。


夫が脚立に上がりその作業をしていたところ

下りる時に足を踏み外してしまい私の目の前で転倒してしまった。

一瞬のことで支えることも出来ず玄関先の花の上に落ちたのだ。

プランターは割れて花は折れてしまい庭先は泥だらけになった。


私はと云うと夫よりも花が心配で思わず悲鳴を上げていた。

起き上がった夫は「大丈夫や、なんちゃあじゃない」と言ったのだけれど

花たちのなんと無残なことだろう。私は涙が出そうになった。

しかし花の上に落ちなかったら夫は怪我をしていたことだろう。


あたりを片付け花も植え替えなければいけなかったが

足が痛くて思うように動くことが出来なかった。

そうしたら夫がまるで罪滅ぼしのようにして片付けてくれたのだった。

めいちゃんが花に水を掛けてくれて少し元気になったようだ。


元々は燕騒ぎ。いや蛇騒ぎだろうか。

結局は誰のせいでもなく一件落着となって良かったと思う。


燕は今頃どうしているだろう。もうすっかり日が暮れた。

我が家が気に入って毎年来てくれたのに気の毒なことをしてしまった。




2023年05月20日(土) 草木国土悉皆成仏

朝から快晴。気温も高くなりすっかり初夏の陽気となる。

我が家の庭先にはゼラニウム、バーベナ、金魚草と

殆ど手入れもしないのに健気に咲いてくれている。

以前にはアマリリスも咲いていたけれど今年も駄目かもしれない。

ある年から花芽が出なくなってしまったのだ。原因は分からない。


ご近所さんでは紫陽花が少し色づき始めている。

これから雨の季節が訪れるがどれほど心を和ませてくれることだろう。






午前中に図書館、買い物、カーブスと結構忙しい。

図書館では椎名誠の「大きな約束」を借りて来た。

本人は自分の事をいいかげんな作家とほざいているがとんでもない。

彼の私小説は今まで読んだ誰の作品よりも素晴らしく面白いと思う。


カーブスではやはり足の痛みがあり全力は出せなかったけれど

心地よく汗を流しすっきりと清々しく思った。

何事も気の持ちようなのだと改めて気づかされた。



午後は黒潮町の「あかつき館」へ林嗣夫さんの講演を聴きに行く。

「聴く」と言うよりも会いに行ったと言うべきだろうか。

とても温和な表情をした朗らかな方ですっかり一目惚れしてしまった。

もう87歳と高齢ではあるが声は溌溂としており説得力がある。

いろんな話を聴かせてもらったが最後の一言が印象的だった。


「朝陽を拝む人に敬意を表す」草木国土悉皆成仏である。

そうして詩には必ず希望がなければいけないことを教わった。


林先生以外にも新たな出会いがありとても貴重な時間となった。

特に思いがけなかったのは私の若い頃の詩のことを知っていて

「ずっと会いたかったです」と言ってくれた人が居たことだった。

同じ市内に住んでいる人なので親しくなれそうに思った。


私はずっと独りぼっちで詩を書いて来たけれど

もしかしたら仲間が出来るかもしれないと胸が膨らむようだった。

共に詩の話を出来るだけでどれほど救われることだろうか。


なんだか奇跡のようなひと時となり夢のようであった。

出会うべきして出会ったようなご縁があったのだろう。



人は輪廻転生を繰り返していると信じているが

今日出会った人達はみなとても懐かしく感じたのだった。



2023年05月19日(金) 見捨てることなど出来ない

午後には雨が降り止み今は西の空が茜色に染まっている。

それにしても随分と日が長くなったものだ。



今朝のSNSでK子さんから

「思い切って、過去は振り返らず、愛するご家族のこと、

今の友人のことを詩になさったらいいのではと思います。

後ろのものを忘れひたすら前へと!」コメントを頂いた。


人生の大先輩でもあるK子さんの言葉はとても有難かったが

私はずっと「いのち」をテーマに詩を書き続けて来たので

いきなり家族や友人と言われてもなんだか戸惑ってしまう。

それと決して過去にばかり囚われているつもりはなかった。

確かに最近は暗い詩が多かったがそれが過去だとは言い難い。

しかし前向きな詩が書けなくなっていたのは事実であった。

「他人から何を言われても」とある詩人さんから言われたことがある。

それは何を言われても自分を信じ貫くことが肝心だと言うことである。

私はいつも自分と向き合って来たしありのままの自分を書いて来た。

それは他人から見たら見苦しく目を反らしたくもなったことだろう。

だからと言って自分から逃げるつもりはない。

人目を気にし体裁ばかり繕った詩になんの感動があるだろうか。






「ニコチネル」9日目。やはり子豚が私の傍から離れない。

ニコチネルの説明書を改めて読んでみたのだけれど

離脱症状を軽減する効果があると記されていた。

それは絶対に嘘であると断言しても良い。

効果どころか何の実感も感じないので今までと何も変わらないのだ。

離脱症状は今日も最高レベルとなり我慢の限界となってしまう。


気分が落ち着かずそわそわして仕事に集中出来ない。

今日は特に仕事が忙しかったので気が張っていたのだろう。

風船に例えると破裂する寸前のようだった。

子豚が猫撫で声ならず豚撫で声で近づいて来るのを払いのける。

何度もそれを繰り返しているうちのとうとう負けてしまったのだった。

悔しくてならない。敗北感がそのまま後悔になっていく。

禁煙外来に行くときっと救われるはずだと信じていたが

今はなんだか雲を掴むような気持になっている。

雲を掴むのは不可能だから当然のように落ち込んでしまうのだった。


週末は完全禁煙が出来そうだが週明けが怖くてならない。

またひたすら我慢で必死に耐えなければいけないのだろう。


ああ嫌だなこんな私。でも見捨てることなど出来ない。



2023年05月18日(木) 堪忍袋の緒が切れる

ぽつぽつと小雨降る一日。気温は昨日よりも10℃低い。

暑さは和らいだがなんだか梅雨を思わすような天気であった。



今朝は高知新聞のローカルジャーナルを見ていて気になる詩誌があった。

なんとか手に入れられないかと高知新聞に電話して訊ねてみたら

発行元に連絡してくれてとても親切な対応を受ける。

林嗣夫さんは高知を代表する有名な詩人であった。

まさか直接話が出来るとは思っていなかったのでとても感激する。


そうしたらまた思いがけないことに明後日詩の講演会をするのだそうだ。

場所はすぐ隣町の黒潮町とのこと。なんだか夢のようであった。

「是非お会いしましょう」と言ってくれて胸がいっぱいになった。

その時に詩誌をわざわざ持って来てくれるのだそうだ。


これはあくまでも私の直感ではあるが不思議な縁を感じたのだった。

思い上がりかもしれないけれど私の詩を読んでくれるかもしれない。

その上にその詩誌の同人に加えてもらえるかもしれないと思った。

駄目で元々である。とにかく自分に出来ることをやってみようと。

私にとっては最後のチャンスに思えてならないのだった。


私はこのまま一生芽を出せないかもしれないけれど

最後の最期まで書くことを諦めないでいたいと思っている。





「ニコチネル」8日目。今日も貼っている実感は全くない。

しかし今日こそは絶対に我慢しようと心に決めていた。

けれどもお昼前まで必死に我慢をしていたが堪忍袋の緒が切れる。

もしかしたら私はニコチン中毒ではないのかもしれないと思った。

ニコチネルで体内にニコチンを吸収させているはずなのに

どうして煙草を吸いたくなってしまうのか理解出来ない。

仕事をしていてもそわそわと落ち着かず集中力が殆ど無かった。

さすがの同僚も機嫌が悪く苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。

禁煙日誌に正直に書く。そうしながら後悔をするのだった。


親身になってくれ応援してくれた医師や看護師さんに会いたくてならない。

話を聞いてもらえるだけでどれほど救われるだろうか。

もう駄目だと決めつけてはいけない。

成功する可能性はまだあるのだと思っている。


意志よりも医師だと言ったが、やはりい一番大切なのは意志なのだ。



2023年05月17日(水) いまこそ努力をするべき時

山里では30℃を超え今年初の真夏日となった。

風があったので室内ではエアコン無しでなんとか過ごせたが

屋外で仕事をされていた方には辛い一日だったことだろう。

まだ5月の事、これから夏本番となるとどれほどの猛暑になることか。



このところ短歌が全く書けず同人誌の締め切りが近づいており

今日は代表者のDさんに電話をして次号を休ませてもらうことにした。

Dさんは了承してくれたが少し残念そうな口ぶりであった。

同じ同人誌仲間のHさんが毎回批評をしてくれていて

それは励みにもなり時には落ち込むこともあったが

今日はそのHさんがかつて国語の教師をしていたことを知った。

私のような者の短歌を丹念に読んでくれていることに感謝せずにいられない。

どうでも良いものなら批評などしないだろうと思う。

気にかけてくれているからこそ伝えてくれる言葉があるのだろう。

Dさんの電話を切ってからふと中学時代の恩師の顔が目に浮かんだ。

私に短歌の素晴らしさを教えてくれたM先生である。

初心に返るのとは少し違うかもしれないが短歌が書きたいと思ったのだ。

書けないことを理由に休むことは容易い。けれども休み続けていたら

私はこのまま一生書けないかもしれないと思い始めた。

締め切りまでまだ一週間ある。今こそ努力をするべき時ではないだろうか。





「ニコチネル」7日目。子豚は相変わらずであった。

自覚が全く足らないのは言うまでもない。

いったい何のために禁煙外来へ行ったのか今一度考えてみる。

「一緒に頑張りましょう」と言ってくれた医師や看護師さん達を

平気で裏切っているのである。その反省さえもせずにである。

ネットでニコチネルと喫煙について調べてみたら

命に関わる危険はないが稀に不整脈を起こす場合があるそうだ。

過度のニコチン摂取が身体に悪影響を及ぼすのは当然の事だろう。

子豚のようにふざけている場合ではないのである。

もっと真剣になって禁煙と向き合っていかなければいけない。

このままで良いはずはなく明日から本腰を入れようと決心をした。


まずは絶対に喫煙所へ行かないことだ。

そわそわと落ち着かず仕事に集中出来ないけれど

自分に釘を刺すような気持でひたすら辛抱するしかないだろう。


私も子豚もそうそう簡単に変われないかもしれないけれど

救われる道はきっとあるのに違いないと思っている。



2023年05月16日(火) そっとしておいて欲しい

最高気温が29℃まで上がりほぼ真夏日となる。

江川崎では31℃を超えていたそうだ。

明日は今日よりも暑くなるらしい。

異常気象とは思えずもうそんな季節なのだろう。

今は心地よい夕風に吹かれながらこれを記している。



今朝は詩に行き詰まる。一昨日K子さんから伝えてもらった言葉が

気になってならず思うように書けなかった。

「自己への語りであり内省」私はずっとそうして来たのだった。

自分以外の誰に語り掛ければ良いのだろうと途方に暮れてしまう。

あがいた挙句に「きみ」を連れて来た。

特定の誰かを指すのではなくあくまでも自分以外の者を指すのだ。

結果、とても詩とは呼べないような駄作となってしまった。


そうしたら今朝もK子さんからコメントがあり

「きみ」とはいったい誰か?と言う。

どうやら過去の人であってはいけないような口ぶりであった。

「きみ」はきみ以外の誰でもないと私は思う。

とにかくそこに私は居ない。居てはいけないのだと思っていた。


書きたいように書けないのはとても虚しい。

たとえ欠点だらけの詩であっても私は私の詩を書きたくてならない。

「そっとしておいて欲しい」とはとても言えなかった。

SNSで詩を発信している以上避けられない宿命のようなものなのだ。





「ニコチネル」6日目。何度胸に手を当てたことだろう。

貼っている実感が全くないので確かめては自覚するしかなかった。

午前中は全く仕事に集中出来ない。苛々するのではないけれど

なんとなく落ち着かず気分が散漫とするのであった。

喫煙所にはもう同僚の煙草は置いていなかった。

昨日頼んで置かないようにして欲しいと頼んだのである。

とにかく子豚に煙草を見せてはいけない。


しかしお昼前にどうしても我慢が出来なくなり一本だけ分けてもらった。

子豚に反省の色は見えずなんとふてぶてしいことだろう。

禁煙日誌には正直に記した。離脱症状のレベルは今日も5である。

自分を責めることをしなくなったので精神的には楽であるが

やはり多少の罪悪感はある。それを自分で無理やり赦そうとしている。

次回の診察日は8日後であるが果たして医師の反応はどうだろう。

叱られるかもしれないが私はありのままでいたいと思っている。





昨夜はこの日記を書き終えてから隣室の子供部屋をノックして

あやちゃんに「おやすみなさい」が言えた。

あやちゃんは背中ではなくちゃんと振り向いてくれて

「おやすみぃ」と言ってくれて嬉しかった。

一日一言で良いのだと思う。今夜もそうしてみようと思っている。



2023年05月15日(月) 自分の胸に手を当てる

晴れてはいたが梅雨時を思わすような蒸し暑さだった。

大気が不安定だったのか山里では少しだけにわか雨が降る。


ツツジとサツキの違いがよく分からないけれど

サツキの花はツツジより少し小さいようだった。

私は4月に咲くのがツツジで5月に咲くのがサツキと覚えている。

春夏秋冬。それぞれの季節に咲く花があるのは有難いことだと思う。



仕事を終えてから母の入居料を支払いに病院へ行っていた。

母に会えるとは思っていなかったが手渡してもらおうと

母の好きなクロスワードの本とミレービスケットを持って行った。

ささやかではあるが一日遅れの母の日のつもりであった。

いくら薄情な娘であっても少しは思いやりがあるのだろう。


ケアマネさんと話をしていたら介護士さんも来てくれて

母をロビーまで連れて来てくれることになった。

コロナが5類になったので面会が可能になったのだそうだ。

とはいえゆっくりとはいかず短時間に限られている。

それでもつかの間とはいえ母に会うことが叶いとても嬉しかった。

そうして自分の本当の気持ちに気づくのもなんだか照れくさいものだ。


母は私の白髪頭を見て驚きどうして染めないのかと嘆いていた。

二人で並んでみれば母よりも私の方が白髪が多いのだった。

ほんの冗談のつもりで「苦労をしよるけんね」と言ったら

母はそれをまともに受け取ったらしく困ったような顔をしていた。

余計な心配をかけてしまったなと反省する。

けれども私はもう二度と白髪を染めるつもりはない。


笑顔で手を振って別れたけれど足の痛みに気づかれたようだった。

そう思って杖を付かずに行ったのだが歩き方で分かったらしい。

もう立ち止まって話は出来ない。私は逃げるように外に出て行った。


今日の母との再会を介護士さんが写真に撮ってくれて

近いうちにSNSでアップしてくれるのだそうだ。

もちろん私の顔にはモザイクが掛かっているので心配なく

その代わりに母の満面の笑顔が見られることだろう。





ニコチネルの禁煙治療も5日目となった。

困ったことに自分で意識しない限りニコチネルの効果が全く分からない。

それとやはり汗に弱いらしく今日も夕方には剥がれていた。

これでは真夏には全く使えない治療薬となることだろう。


離脱症状のレベルは真ん中の5であった。

やはり土日の完全禁煙の反動が大きく現れて来る。

苛々するばかりで仕事に全く集中できないのだった。

精神状態がまともではなくなりとうとう同僚の煙草に手を付けた。

それも一本では収まらない。帰り際に懇願してもう一本もらった。


胸にはニコチネルが貼ってある。その胸に手を当ててみるが

無情にも何も応えてはくれないのである。


こんなはずではなかったと子豚は思っている。

禁煙外来は最後の手段でありもう他に手立てはないのである。


もう子豚を責める気持ちは一切ないが

いま一度自分の胸に手を当ててみるべきなのだろう。



2023年05月14日(日) 心の殻

夜明けとともに雨が止みゆっくりと晴れ間が広がっていく。

ご近所さんの庭先にドクダミの花が咲き始めていた。

匂いを嫌う人もいるけれど花は純白で十字架のような形をしている。

昔から医者要らずと云われ薬草として重宝されていたそうだ。

嫁いですぐのことだったか姑さんがドクダミ茶を作っていて

おそるおそる飲んだことがあるが臭みは無くとても美味しかった。

今はドクダミを刈り干す光景も見られなくなったが

昔は何処の家でも軒下に吊るし干していた記憶がある。




今朝は少し暗い詩を書いてしまって鬱々としていたのだけれど

いつも読んで下さっているK子さんからコメントを頂き

読んでいて心が苦しくなったと記してあった。

「自己への語りであり内省である」と。

それは自分ではまったく気づかないことであった。

「自己にしがみつかず心の殻を破るように」と言って下さり

目から鱗が落ちるようにはっとしたのだった。

もしかしたらそれが私の最大の欠点かもしれないと思う。

ずっと固い殻に閉じ籠っていたのだろう。

そこにはおそらく希望の欠片も無かったのかもしれない。


母と同い年のK子さんに大切なことを教わった気がする。

母がもし私の詩を読んだら同じことを言ったかもしれない





「母の日」であったが母には何も出来なかった。

まだ面会の許可も下りず施設を訪ねることも出来なかった。

母が恋しいわけではない。会いたいとも思っていない薄情な娘である。

少女の頃、母の日なんて無くなれば良いと思っていた。

いっそ死んでしまえばいいと何度思ったことだろう。

けれども私を生んでくれたのは他の誰でもなかったのだ。


自分が「母の日」に何もしないものだから

当然のように私にも「母の日」は無かった。

カタチではなく気持ちの問題なのだなと思う。

娘と肩を並べて夕食の支度を出来ただけでも幸せである。

そう思えば私にとっては毎日が「母の日」なのだった。





朝からあやちゃんの顔も見ないまま夜になった。

声だけは少し聞こえて明るい声だったのでほっとする。

今も隣の子供部屋に居るが決してドアを開けてはならない。

干渉しないのは会話をしないことと同じなのだろうか。

そうではないのかもしれないけれど臆病になってしまうのだった。


あれこれ考えていると煙草を吸いたくてたまらなくなる。



2023年05月13日(土) 私の形見

ぽつぽつと小雨が降っている。

一雨ごとに初夏らしくなっていくことだろう。


SNSのアカウントにしばらくログインが無い場合

そのアカウントは削除されるらしい。

まだ正式に決まった訳ではないようだが目の前が真っ暗になった。

それは死んだらもう何も残せないと云うこと。

私が確かに存在していたことも闇の中に消えてしまうのだろう。

短歌も詩も形見になればと思って書き続けて来たが

形見どころかお墓にもなれないのである。

私はそれほどまでに儚い存在なのだろうか。

後どのくらい生きられるのだろうかそればかり考えている。





午前中にカーブスへ行き良き気分転換となった。

足の痛みは相変わらずだけれど出来る範囲で頑張ってみる。

うっすらと汗を流しとても心地よく感じる。

困ったのは朝貼ったばかりの「ニコチネル」が剥がれてしまったこと。

どうやら汗などの水分に耐えられない物らしい。

一度剥がれてしまうともう皮膚にくっつかなくなってしまった。

土日は煙草を止めていたのでまあいいかなとそのまま過ごしていた。

離脱症状のレベルはゼロではないが僅かにあるようである。

それも正直に日誌に記しておかなければいけない。

自分が治療中である意識をもっと深めなければいけないとも思う。

軽はずみな行動は断じて許されないのだ。





あやちゃんがまだ夕食を食べていないようだ。

娘達もほったらかしにしているようで気になってしょうがない。

もしかしたら私と顔を合わすのが嫌なのかもしれないと思い

そっと声をかけたら「そうじゃないけん」と背中で応えてくれた。

娘達の方針はよく理解出来ないが「自由」にさせているのだろう。

しかしずっとこのままで良いのだろうかと老婆心が芽生えて来る。


あやちゃんがどんどん遠く離れていく。

私は追い駆けていくことがもう出来なくなった。



2023年05月12日(金) どんな日もある

雨が近いらしく今日は少し蒸し暑さを感じた。

気温も25℃を超え夏日となる。


春遍路さんもすっかり夏遍路となり歩くのも大変そうである。

半袖Tシャツにハーフパンツ姿の若者が多い。

それと外国人のお遍路さんも多く今日も二人見かけた。

野宿と思われるお遍路さんは少なくなんだかほっとする。

民宿に泊まれば一日の汗も流すことが出来るだろう。


最近Mさんに会わないが元気でいるだろうか。

これまで50日位のサイクルで再会していたので

月日が流れるとやはり心配になってしまう。

お遍路を止めて何処かに落ち着いたのならそれに越したことはないが

365日歩き続けている身に何か起こったのではと気になっている。





「ニコチメル」治療の二日目。今日は子豚の姿を垣間見る。

けれども以前のように責めるのはもう止めることにした。

ようはどんな日もあると云うことなのだ。

だからと言って見逃すつもりはないが大目に見るのも良いだろう。


禁煙日誌を書くことを義務付けられており正直に書く。

離脱症状の有無とそのランク。強いほどランクが上がっていく。

そうしてどう対処したかも記さねばならない。

我慢したのか我慢できなかったのか。吸ったのか吸わなかったのかだ。

子豚は喫煙所へ行き吸殻を拾った。全部で5本も拾ってしまった。

その時は精神的にパニック状態になっていたのか

死んでもいいと思うくらい追い詰められていたのだと思う。


後悔もしなければ反省もしなかった。すでに開き直っていたのだろう。






夫があやちゃんに「おばあちゃんが泣いていたぞ」と告げたそうだ。

夕食を食べていたらあやちゃんが傍にやって来て

「おばあちゃん、ピアノの調子が悪いけん」と声を掛けて来た。

心を鬼にするように無視しようとしたがさすがに出来なかった。


夕食後にピアノを弾いてみたが特に変わった様子はない。

その音をあやちゃんは階下で聴いていたのだろう。


これを記していると黙って部屋に入って来て3曲ほど弾いた。

私は黙って聴いていたが「うん、いいかも」と言って頷き

ドアをバタンと閉めるとまた子供部屋に閉じこもってしまった。


夕食は食べたのだろうか。私は何も訊くことが出来ずにいる。


今後一切の干渉をしないと決めたがやはり寂しいものだ。







2023年05月11日(木) 吸ったら死ぬぞ

ほぼ夏日となったが湿度が低いせいか心地よい暑さとなる。

爽やかな風もあり過ごし易い一日となった。


枇杷の実がもう色づき始めている。

あと一週間もすれば食べ頃になるのではないだろうか。

他人様の庭先にあるのをまるで自分の物であるかのように眺めた。

今の子供たちはあまり喜ばないけれど昔は旬のおやつだった。



仕事が早く終れたので美容院へ行き髪を切ってもらう。

私よりずっと年上だと思われるご婦人が二人髪を染めていた。

私は堂々と白髪を自慢しながら鏡に向かう。

もう染めるつもりはない。これこそ年相応の美しさである。

髪を切ると心も軽くなった。何かを断ち切ったような気分になる。





今朝目覚めるなりパソコンを立ち上げるとメールが届いていた。

読者の方からで禁煙を激しく応援してくれている。

今度こそと私も思っているが不安がないわけではなかった。

気にかけてくれて応援してくれとても心強く思う。

最終的には強い意志が必要になるだろう。

決して負けるわけにはいかない。ゴールを目指して頑張ろうと思う。


「ニコチメル」を胸に貼り付けて出勤する。

不思議なものでそれを貼っているだけでとても落ち着くのだった。

ニコチンが少しずつ身体に吸収されているらしいが実感はない。

煙草を吸いたくなくなるのかと思えばそうでもなく

お昼下がりには無性に吸いたくなってしまった。

かと言って苛々するわけでもなくひたすら我慢を強いられていた。


同僚に相談したら「吸ったら死ぬぞ」と脅すので怖くなる。

医師の説明でもニコチンの過剰摂取になると聞いていた。


定時でタイムカードを押し逃げるように帰った。

今日はなんとか乗り越えたのだ。それが自信に繋がっていく。





あやちゃんが私と顔を合わせたくないのだそうだ。

それほどまでに嫌われてしまったのかとショックでならない。

おばあちゃんなんか早く死んでしまえと思っているのかもしれない。


私にも考えるところがありしばらく口を聞かないことにした。


ずっとずっと心配でならなかった。それが仇になったのだろう。

「うざい」その一言で私は簡単に傷つく。


けれどもあやちゃんの心の傷は誰が癒してやるのだろう。



2023年05月10日(水) 意志よりも医師

朝と日中の寒暖差が大きくて戸惑う。

毎年のことなのかもしれないが今年は特別ではないだろうか。

まだ炬燵も仕舞わずにいて暖房を点ける朝もある。

一気に夏になるよりは良いのかもしれない。



今日は珍しく義父が居てくれて随分と仕事が捗った。

同僚と二人で頭を悩ませてもどうしようも出来なかったのだ。

しかし義父の短所と云うべきか長所なのかもしれないが

一つの事に集中し始めると無我夢中になってしまう癖がある。

お昼休みも忘れてしまうので今日は私が犠牲になった。


けれども一気に仕事が片付きなんとほっとしたことだろう。

義父もそれなりに工場のことを考えていてくれるのだと思う。





禁煙外来は2時半の予約だった。少し余裕を持って早めに行く。

初めての病院だったが受付の女性がとても親切で優しかった。

先日電話で応対してくれた看護師さんにも会えて嬉しくてならない。

医師も穏やかな笑顔でとても親身になってくれた。

「一緒に頑張りましょう」と励ましてくれなんと心強いことだろう。


治療には2ヶ月余り掛かるのだそうだ。

まずは「ニコチネル」と云う貼り薬を身体に貼り様子を見ていく。

その薬は身体にニコチンを吸収させるのだそうだ。

その上に煙草を吸ったら身体に悪影響を与え危険だと言われた。

まれに我慢できずに吸ってしまう人もいるらしい。

その時は正直に報告することが義務付けられている。

しかし危険だと分かっていて吸うことなど私は出来ないと思う。

もう覚悟は出来ているのだ。それが揺らぐことはないだろう。


帰宅して娘には話したが夫には話すことが出来なかった。

煙草が大嫌いで憎むほどの夫にどうして話すことが出来よう。

隠し事をするようで気が咎めるがいつかずっと先になって

「いつの間に止めたんだ」と言わせたいと思っている。



子豚は死んだわけではないがもう姿を現すことはないだろう。

最後に吸ったラッキーストライクが美味しかった。

もう思い残すことはないだろうと思っている。





2023年05月09日(火) もうどうなってもいいや

五月晴れ(さつきばれ)は本来梅雨の晴れ間を云うのであり

「ごがつばれ」と読めば今の時期の晴れ間を云うのだそうだ。

それも最近になってからだそうでテレビや新聞から広まったらしい。

今日テレビで「ごがつばれ」と言っていて違和感を感じたけれど

調べてみたら間違いではないことが分かった。

大昔からある日本語もそうして進化していくのだろう。



山里に大きな栴檀の木があり薄紫の花が見事に咲いていた。

風に揺れる花はいかにも初夏らしい風景である。

栴檀の木は季節ごとに姿を変えるがどの季節も私は好きだ。

秋になればオリーブ色の実を、冬には黄金色に変わる。

その実を鳥が啄み糞をすればまた新しい木が生えるのだそうだ。

すごい生命力だなと思う。きっと「実」こそが命なのだろう。






昨夜はどうしたことか一時間ごとに目が覚めてしまいよく眠れなかった。

いつもは爆睡なのでいささか辛い夜になってしまった。

変な夢ばかり見る。喪服を着て誰かのお葬式に行こうとしているのだが

黒い靴を履いていないのだった。これでは行けないと焦っていると

はっと目が覚めてまたしばらく眠れなくなってしまうのだ。


もしかしたらストレスかなと思う。昨夜は特に気が滅入っていた。

その上に「書く」と云う行為が拍車を掛けたのかもしれない。

酒量も多かったので少し興奮していたようにも思うのだ。

ニコチン中毒の上にアル中かともう救いようがなくなっているようだ。


今夜は昨夜ほどの苦しさはなく気分も落ち着いているような気がする。

早い話が観念さえすれば済むことなのだった。

「観念」とはもうこれまでだと諦めること。覚悟することである。


今日は同僚の煙草をくすねてはなんとか凌いだ。

もう最後だからと言い訳をしていたがまだ明日もある。

禁煙外来は午後からなので午前中は子豚の姿を見かけるだろう。

正直言ってもううんざりしている。未練がないわけではないが

ここに子豚と書くだけで嫌悪感が沸き起こって来るのだった。


結局最後まで殺すことは出来なかった。

後は子豚の息が絶えるのを見守るしかないだろう。


これまで闘って来たせいか敗北感が半端ではなかった。

「もうどうなってもいいや」と今夜は思っている。



2023年05月08日(月) どうする子豚

夜明け前には強い風が唸るように吹いていて

雨雲を東へと追いやったのだろう。

夜が明けたら雨上がりの爽やかな青空が広がっていた。


連休のあいだ気分が鬱々と停滞気味であったせいか

月曜日が嬉しく浮き立つような気分で職場に向かう。


国道沿いの土手には茅の白い穂がちろちろと風に揺れていた。

四万十川は少し濁っていたがさらさらと雄大な流れである。

お遍路さんが三人軽快な足取りで歩いていた。

ああ日常が返って来たなと思う。私はそんな朝の道が好きでならない。





職場に着くなり子豚がずる賢く騒ぎ出す。

やはり思っていた通りだった。もう誰にも止めることが出来ない。

連休前に同僚から貰っていた煙草が10本程残っていた。

それを気が狂ったように吸いまくり午前中には空箱になる。

「我慢」の反動はとてつもなく大きいものだった。


その上に集中力が全く無くなり仕事が手に付かない。

そわそわと落ち着かず何度も喫煙所に向かった。

同僚もずっかり呆れ顔でお手上げ状態だったようだ。


明後日には禁煙外来である。もうこそ観念しなければと思う。

子豚も年貢の納め時なのだ。もっと自覚しなければいけない。


昼間の喫煙が祟り案の定今は悶え苦しんでいる。

娘夫婦が台所の換気扇の下で連れモクをしていた。

吸殻で良いから分けてもらえないかとその一言が言えない。

連休のあいだ我慢出来たのだからと自分を励ましている。

それにしても今夜が今までで一番苦しいのではないだろうか。


予定では明日が子豚に会える最後の日である。

しかし餌を断たれてしまったらその予定も叶わないだろう。

同僚がドラえもんになってくれる保障など在りはしない。

「どうする家康」ではないが「どうする子豚」になってしまいそうだ。


とにかく年貢を納めなければいけない。

いくら不作であっても納めなければいけないと昔から決まっている。

納められないと娘を売らなければいけなかったそうだ。

うちの娘はもう40を過ぎているので売れもしないだろう。


あれこれ考えていると気が変になりそうだ。

今夜はぐだぐだと書き殴るのも程々にした方が良さそうに思う。


さっさと寝るべし。おや?済みませんが済まして下さい。













2023年05月07日(日) 黄色い福神漬け

大雨にこそならなかったが雨が降り続いている。

かなり蒸し暑くまるで梅雨時のようだ。


汗をかきやすくなったのは「たんぱく質」のせいらしい。

プロティンを飲み始めてから体質が変わったようだ。

筋肉量が増えれば太り難い身体になるそうだが

それは今のところ成果が表れていないように思う。


髪の毛がふさふさになった。爪が伸びやすくなった。

それもすべて「たんぱく質」のせいなのだそうだ。

「おかげ」と云うべきかもしれないがあまり有難みを感じない。

理想としては筋肉量を増やし足の痛みを軽減させたい。

そうしてもちろん少しでも痩せられたら云うことはない。





連休も最終日。退屈でたまらず溜息ばかり出て来る。

生憎の雨模様でドライブの気分ではなかったが

無性にラーメンが食べたくなり宿毛市の「一風」まで行っていた。

郊外のレストランでありラーメン屋さんではないのだけれど

あっさり系のラーメンは昔ながらの中華そばでとても美味しい。

ラーメンセットを注文したので半チャーハンも付いている。

このチャーハンもまた美味しくやみつきになるのだった。

今日は福神漬けが赤いのではなく黄色いやつだった。

一瞬あれ?と思ったが黄色のもなかなかいける。

月に一度は食べたいラーメンセット。来月もきっと食べに来よう。






計画禁煙5日目。成功しているようにも思えるがダメージが大きい。

我慢の反動で明日はまた煙草を吸ってしまいそうだ。

そもそも「止めたい」と云う気持ちがすっかり薄れてしまって

「止めなくてはいけない」と精神的に追い詰められているように思う。

やはり私は病気なのだろう。意志よりも「医師」が必要である。


求めてはいけないことを求める。そのジレンマに押しつぶされそうだ。

けれどもこの5日間、我ながらよく耐えたと思う。

禁煙外来に行けば観念するのではないだろうか。

我慢するために行くのではない。煙草を止めるために行くのである。


どうしようもなく落ちぶれてしまった子豚であるが

この数ヶ月の間にずいぶんと成長したようにも思う。

一番に自分と真っ直ぐに向き合うことが出来るようになった。

それは最後まで自分を見捨てないことに等しい。


明日のことは明日になってみないと分からないが

どれほど無様であっても自分の運命を受け止められるだろう。



2023年05月06日(土) 辛さを抱く

二十四節気の「立夏」暦の上では今日から夏である。

雨の予報であったが降りそうで降らず

湿度が高いせいか蒸し暑さを感じた。


我が家の庭先でとても不思議なことが起きた。

去年の秋に植えていた小菊の花が咲き始めたのだ。

花が終った時に剪定をしていたのが良かったのだろうか。

それにしても初夏に咲く菊など今まで見たこともない。

これからの暑さを乗り越えられるか心配であるが

枯らさないように水遣りだけは怠らずにいようと思っている。



午前中にカーブスへ。体重測定がありこの一週間でまた2キロ増えていた。

禁煙を決意した時からだと4キロ増えたことになる。

やはりストレスなのだろうか食欲は留まることを知らない。

なんとか元の体重に戻そうと努力しているつもりであるが

今は禁煙のことで頭がいっぱいになっており余裕がないようである。

体脂肪率は先月と変わらずなんとか維持できているようだった。


今の私にあれもこれもは無理だろうと思う。

ひどく焦る気持ちもあるが焦ってもどうしようも出来ないだろう。

まずは禁煙であるがこれがなかなかに手強い。



完全禁煙も4日目が終ろうとしている。正直言ってかなりつらい。

禁断症状は薄れているつもりであるがあくまでも「つもり」なのだろう。

娘の吸殻は何処にも見つからずすっかり諦めてしまっているが

娘婿の吸殻はそこらへんにいつでもあり誘惑の手を伸ばしている。

しかし娘と同じ加熱式煙草であっても種類が全く違うので

火を点けて吸うこと自体が出来ない代物であった。

それをどうするかである。愚かなことにそれを口に咥えているのだった。

ついにそこまで落ちぶれてしまったのかと情けなくてならない。

それは無味無臭のフィルターのような物であった。



とにかく「我慢」することと「手放す」ことは違うのだと思う。

我慢は精神的に追い詰めることでありそれには辛抱が連なる。

「辛抱」という字は辛さを抱くのであるからどれほど苦しいことだろう。

その上に我慢の先に明るい未来が待っているとは限らないのだ。



子豚を殺すことは容易くはない。

どれほど愚かな子豚でも掛け替えのない「いのち」を持っている。

もう生きる価値などないのだろうか。


ふと子豚が憐れでならなくなった。

私は明日も辛さを抱くのであろうか。



2023年05月05日(金) 不完全な子豚

能登で震度6強の大きな地震があったようだ。

明日は我が身だと覚悟はしているつもりだが

どんなにかパニックになるだろうかと不安でならない。

能登では余震が続いているらしく今夜は眠れない夜になることだろう。

被害がこれ以上大きくならないことをひたすら祈るしかない。



GWもあっという間で国民の祝日は今日が最後である。

職場は29日に仕事をしているので明日が代休であった。

正直言って休みはもういいかなと思っている。

とにかく退屈でならなくてそれが苦痛にさえ思えるのだった。


今日は午前中本を読んでいた。椎名誠の「そらをみてますないてます」

一週間掛かってやっと読了した。私小説でとても興味深かったが

平日は時間が取れず殆ど読めなかった。この三日で一気に読む。

読後感がとても素晴らしくますます魅了されずにいられない。


書けるものなら私も私小説が書きたいと思った。

夢で終わるかもしれないけれど夢を見させて欲しいと願う。

あと20年は生きられるかもしれない。まだ時間はあるだろう。





計画禁煙も3日目が終ろうとしている。

まだわずかに禁断症状があるものの日に日に楽になっている。

けれどももし目の前に吸殻があれば火を点けてしまうだろう。

だからまだ決して完全だとは言えないのだと思う。

タイムリミットはあと2日である。なんとしても我慢しなければいけない。

いや本当は我慢ではいけないのだ。我慢すれば反動が大きくなり

連休明けにはまた煙草を吸ってしまう可能性が大いにあるのだった。

すぐに禁煙外来に行く予定ではあるが治療を始めると

一切煙草を吸ってはいけないのだそうだ。

治療に失敗すると1年後に再挑戦しなければいけないらしい。


あれこれ考えていても結果が分かるはずもなく

とにかくこれだけはやってみないと分からないことなのだと思う。



正直なところ今は煙草が吸いたくてたまらない。

悔しくてならないけれど子豚はまだ生きているようだった。



2023年05月04日(木) 悲しくてたまらない

曇り日。午後僅かに陽射しがあったものの夕方にはまた曇る。

明日はどうやら雨になりそうである。

GWなど関係ないと言いながら家に籠っていたけれど

さすがに退屈になり今日は少し出掛けていた。

とはいえ観光地は避けなければならず近場の土佐清水市まで。

県外ナンバーの車が多く見られたが道路は比較的空いていた。


例の如くで土佐清水市内でほか弁を買い求める。

もちろん大好物の「とりソバ」であった。

とり弁セールをやっていたがとり弁だけでは物足らない。

やはり甘辛いソースの焼きそばが無くてはならなかった。


「ジョン万次郎記念館」の近くの港でほか弁を食べる。

周りには大勢の釣り客が居てのどかに釣り糸を垂れていた。

家族連れも居てめいちゃんによく似た女の子も見つける。

家族旅行も良いのかもしれないが近場で釣りもまた良いものである。


竜串方面へと向かい水族館の混雑ぶりを横目で確かめながら帰る。

駐車場はほぼ満車状態だった。今こそ書き入れ時なのだ。


下川口から県道の山道へ入る。昔ツガニ漁をしていた川があり懐かしい。

かれこれ40年も昔のことで私達夫婦も随分と若かった。

幼子を抱えよく生計が成り立ったものだと今更ながら不思議に思う。

貧乏には違いなかったがそれが苦しかった記憶は殆どなかった。


山道は延光寺に続く遍路道にもなっており二人連れのお遍路さんに会う。

なんと外国人のカップルであった。にっこりと会釈を交わし合う。

山深い寂しい道も二人なら心強いだろうと思った。


あたりの新緑が目に沁みる。今日は「みどりの日」だったのだ。





計画禁煙も二日目。今日も一本の吸殻さえ見つけられなかった。

それに比例するように禁断症状が薄れていく。

だからそれは子豚にとって有難いことなのではないだろうか。

とにかく禁断症状さえ無くなればきっと楽になるのに違いない。

あと三日の猶予がある。けれどもまだ子豚の吐息を感じている。

なんとしても息の根を止めなければならないが憐れにも思えて来る。

今生の別れをするにはあまりにも未練があり過ぎる気もしているのだ。


とにかくあと三日耐えてみよう。死ぬか生きるかだ。


感傷的になっている場合ではないのかもしれないけれど

私はもし子豚を殺すことが出来ても悲しくてたまらないのかもしれない。



2023年05月03日(水) 子豚を殺さなければいけない

爽やかな晴天。ほぼ夏日となり汗ばむような陽気となる。

お隣の黒潮町入野海岸では「砂浜Tシャツアート展」が開かれており

県内外から多くの観光客が訪れていたようだ。  

四万十市でも伝統の「一條公家行列」が行われていたらしい。

昔一度だけ見に行ったことがあるが華やかで厳かな行事であった。


元々行動力はあまり無い方だが最近は特にどんどん衰えている。

第一にまともに歩くことが出来ない。その上に人混みが苦手である。


GWで5日も連休を頂いたがあまり嬉しくはなかった。

理由は色々あるが仕事が無いと日給がもらえない。

そのくせ出費が多くなるので家計が一気に苦しくなる。

それからとにかく暇である。何処にも出掛けたりしないので

家で溜息をつきながらごろごろするばかりであった。

貧乏性と云ってしまえばそれまで。少しも夢など感じられない。



計画禁煙は予定通り実行したが午前中はとても苦しかった。

娘はやはり吸殻を隠しているらしく何処にも見つからなかった。

とにかく完全に諦めなければ前へ進むことが出来ないのだと思う。

これは本当に経験者にしか分からないことだが気が狂いそうだった。

そわそわと落ち着かず本を読むことも出来ない。

その代わり食欲は異常なほどにあり体重増加に拍車をかけている。


子豚を殺さなければいけない。そればかり考えている。

あと4日のうちになんとしても息の根を止めよう。

それが出来なければ私は永遠に苦しみ続けるだろう。


じわじわと得体の知れないものが押し寄せてきている。

子豚はまだ生きているようだ。なんとしぶとい奴だろう。


子豚の死顔はきっと安らかに違いない。

その顔を確かめるために私は生きているのかもしれない。



2023年05月02日(火) 見届けて欲しい

5月になっても肌寒い朝が続いている。

日中との温度差が15℃位あるのではないだろうか。

老体がよく耐えているものだと我ながら感心している。


血圧の高い日がずっと続いていたが今夜はやっと平常値になっていた。

やはりストレスのせいだと思っているのだけれど

じゃあなにが?と訊かれても即答できることは出来ない。

ただいつも苛々しており落ち着くことが出来ずにいる。


医師はぽっくり死ぬことはないと言ったがどうして断言出来るのだろう。

命は取り留めても半身不随になる可能性だってある。

それならばいっそぽっくり死んだ方がマシなのではないだろうか。


ついつい悪いことばかり考えてしまうがこれも歳のせいかもしれない。

楽天家ではないし悲観ばかりしている。根性も勇気もありはしない。





昨夜は「一見さんお断り」などと書いたが少し後悔している。

まずそれならばSNSにリンクを貼るべきではなかった。

SNSを始めてもうすぐ10年になろうとしているが

興味を持って下さった方が何人かいて今も読み続けてくれているようだ。

それはとても有難いことだし身に余ることであるのは確かである。

今日はアクセス数が元に戻っていた。わずかに数人増えていたが

決して興味本位ではないだろうと信じたいと思っている。

今日の日記を読んでしまえば明日が気になって仕方ない。

私の日記はそんなふうに出来ている。読まずにはいられなくなるのだ。

それは私が生身の人間だからだろう。云わば捨てがたい存在なのだ。

そんな偉そうなことを言いながら自信など全くないのであった。


私に幻滅して去って行かれる方も必ずいるだろう。

特に子豚シリーズは私の大きな汚点であった。

去る者は追わずであるが現在残っていて下さる方は神様のように思える。

子豚の未来を見届けて欲しい。私の最期を見届けて欲しいと願っている。



2023年05月01日(月) 一見さんお断り

そして五月。日中は初夏のような陽気となる。

やはりツツジは枯れるのだ。それもまるで腐ったかのように

残った花弁にべっとりと泥のようにへばりついている。

目を反らしてはいけないと思うけれどとても凝視など出来ない。

なんと憐れなことだろうか。もう終らなければいけないのだ。

けれども花は死なない。その証拠にまた春が来れば咲き誇るだろう。

「再生」と云うべきか。生まれ変わるような意味があるらしい。

人間もそうであれば良いけれど命の再生があるのだろうか。





昨日のSNSの思わぬ反響のせいかこの日記にもその流れがあったようだ。

アクセス数が今までの倍以上になっていてとても驚く。

もちろんこの21年間で最も多い数であった。

おそらく興味本位の一度切りのことだとは思うが

沢山の方に読んでもらえて素直に喜ぶべきことだろう。

しかし理想としては長年の読者を尊重したいと思っている。

京都のお茶屋さんではないが「一見さんお断り」みたいなことである。

21年間ずっと読み続けてくれている方がいる限り

昨日今日でちょいと暖簾をくぐられてもいささか戸惑わずにはいられない。

縄張りがあるわけではないが云わば固定客で保たれているのである。

「ゆらゆら茶屋」はこじんまりとした小さな店なので

大広間などないし女将の私と差し向えるのも限られた方だけであった。





一刻も早く職場に着きたくて車を走らす子豚の朝である。

一昨日同僚が買い与えてくれた煙草が10本ほど残っていた。

昨日の禁断症状の反動は大きい。「餓え奴」になって吸いまくる。

ああなんてことだろうと嘆きつつ幸せを噛みしめているのであった。

見苦しさは覚悟している。形振り構わずとはこのことであろう。


同僚が「明日でお終いやね」とからかうように言っていた。

言われなくても分かっている。覚悟の上のことなのだから。


あがけばあがくほど苦しくなるがこれはもう宿命だと受け止めている。



初めて吸ったのは20歳の頃だったろうか。

「俺は煙草を吸う女は嫌いだ」と好きな男に言われた。

その一言できっぱりと煙草と縁が切れたのだ。


子豚にもそんな若い頃があった。とてもとても遠い日のことである。




 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加