2023年04月30日(日) |
思い残すことがないように |
雨は止んでいたがすっきりとしない空模様だった。
大量の洗濯物を干して間もなく小雨が降り始めてしまう。
夫が取り入れるのを手伝ってくれて乾燥機も回してくれた。
足の痛みが酷く思うように動けない。つい家事も疎かになる。
今朝はふと思い立って私と詩についての複雑な思いをSNSで発信した。
ずっと独りで抱え込んできたことだったので誰かに聴いて欲しい
そんな気持ちがあったのだと思う。この歳になり大人げないことだが
思いがけずに反響が大きくすっかり驚いてしまった。
これまでささやかに繋がっていた方からコメントを頂く。
初めてのコミュニケーションであった。なんと有難いことだろう。
今日は沢山の方と話すことが出来てなんだか夢のようだった。
普段は沈黙していても掛け替えのない読者なのだと思う。
とても不思議に思ったのはあの松下育夫さんが私の発信のすぐ後に
まるで私に声を掛けて下さっているようなツイートをしていたことである。
その言葉がとても心に沁みた。偶然だと思うがまるで奇跡のようであった。
「書き続けて下さい。応援しています」と言って下さった方もいた。
私のような者にそれは身に余るほどの尊い言葉である。
この先一生認められることはないと思っているが書き続けることは出来る。
たった一人の人でいい。その人の心を打つような詩を届けたいと思う。
子豚にとっては苦痛に苛まれた一日であった。
娘が仕事だったのでこれ幸いと吸殻を探したが
今まで隠していた場所には一本も見つからなかったのである。
おそらく娘が気づいて隠し場所を変えたのだろうと思う。
そこまで母を追い詰めなければいけないものだろうか。
禁煙外来にも誘ってみたがまったく聞く耳を持たなかった。
そうかそれならば一生吸っていなさいと言いたい。
完全に禁煙出来れば禁断症状から解放される。
それはすでに経験済みだから十分に理解しているつもりである。
一日中「頑張れ、頑張れ」と自分を励まし続けていた。
その反動で明日になったら思う存分吸えるのだと期待してしまう。
それが悪循環していることはもう分り切っているのだった。
そんなジレンマと闘うのもあと数日のことだろう。
計画禁煙だけはなんとしても達成しようと思っている。
子豚にも明るい未来があるのに違いない。
すべての欲を手放すのだ。もう思い残すことなどないように。
朝から雨が降り続いている。今夜は大雨になるかもしれない。
ずいぶんと日が長くなってもうすぐ7時だと云うのにまだ明るい。
川向の山に雨雲が掛かり靄のように見えている。
工場の仕事が立て込んでおり今日は休日返上だった。
代わりに5月6日を休業にすることにした。
同僚は明日田植えとのこと。お天気が回復しそうで何よりである。
事務仕事は暇で手持無沙汰でならない。
詩人の松下育夫さんがSNSで随筆を発信しているのを読んでいた。
文章がすうっとこころに沁み込んできて感動をおぼえる。
暇つぶしだなんてとんでもないことだ。読む機会があって良かったと思う。
なぜかふと詩人の島田奈津子さんのことを思い出した。
もしかしたらSNSのアカウントがあるかもしれないと探したが
検索では見つからなかった。ずいぶんと遠い存在になってしまったようだ。
かれこれ20年前だったか私のホームページに詩を投稿してくれていた。
掲示板でも会話をすることがあり一気に親しくなっていたように思う。
私は彼女の詩が大好きである。今でも彼女の詩を読みたくてたまらない。
松下育夫さんが「好きな詩人の詩だけを読めばいい」と書いてあった。
だからなのかもしれない。それはもう奈津子さん以外に考えられない。
子豚は最後のあがきである。言葉は悪いが吸いたいだけ吸いまくる。
禁煙外来に行くことが決まり精神的には随分と楽になったけれど
どう言って説明したら良いのだろう上手く言葉に出来ないが
まるで最後の晩餐のような気持になり焦っているようである。
「いま食べてしまわないともう後はないぞ」と声が聴こえてくる。
残さずに食べようとお腹いっぱいになっても詰め込んでいるようだ。
食べ過ぎて気分が悪い。それでも止めることが出来なかった。
ニコチン中毒はれっきとした病気なのだそうだ。
だから治療が必要なのである。自力で治すのは並大抵のことではない。
それは子豚自身が今までどれほど思い知ってきたことだろうか。
今夜も苦しくないと云えば嘘になる。
とにかく火を点けたくてたまらなくなって
さっきお線香の箱を開けようとしていて我に返り可笑しかった。
2023年04月28日(金) |
捨てる神あれば拾う神あり |
各地で夏日を記録したらしいが四万十市は20℃ほど。
爽やかな風も吹き過ごしやすい一日だった。
実質的には今日が月末であり会社の資金繰りに頭を悩ませていた。
すべての支払いを済ませると預金残高はあとわずかである。
これまでずっと順調だったので一気に窮地に立たされた気がした。
それでも母が資金繰りをしていた頃に比べると
取引先に迷惑をかけないだけでもマシなのだろうと思う。
お金は天下のまわり物と云うが出て行くばかりで入ってこない。
そんなことも珍しく今月は良き教訓になったのかもしれない。
今朝は同僚と連れモクをしていて「禁煙外来」の話になった。
同僚も子豚と同じくもううんざりしているのだろう。
子豚が毎日嘆くものだからふっと思いついたのかもしれなかった。
「ネットで検索してみろや」と言うので早速試してみる。
「四万十市禁煙外来」と入力したら5件くらいヒットした。
まず最初のクリニックに電話したら保健対応が出来ないとのこと。
親切な受付の女性が他の病院を紹介してくれたのだった。
K病院は昔から市内にある大きな病院である。
電話をしたら予約制だと言うことで担当の看護師さんが対応してくれた。
その看護師さんのなんと優しく親身になってくれたことだろう。
これまでのいきさつをすべて話し今の精神的な苦痛も聞いてくれた。
意思が弱いのではないのだから自分を責めてはいけないと言ってくれる。
その一言でどれほど救われたことだろう。子豚は涙が出そうになった。
計画禁煙の事も話し連休が明けてから10日に予約を入れる。
その日ならその看護師さんが外来に勤務しているのだそうだ。
会いたいと思った。どんな女性なのだろうと今から楽しみでならない。
看護師さんに話を聞いてもらってから目の前がぱあっと明るくなった。
子豚に未来などあるものかと自棄になりかけていたけれど
まさしく捨てる神あれば拾う神ありである。
もうくよくよと思い詰めることはないだろう。
ただし禁煙外来で治療しても百パーセント成功するとは限らないそうだ。
もし50パーセントでもあっても子豚はなんとしても成功したい。
禁煙を決意してからの苦悩を思えば些細なことなのかもしれない。
やってやれないことはないのだと今は思っている。
2023年04月27日(木) |
何処に向かっているのだろう |
少し肌寒い朝となったが日中は随分と暖かくなった。
人間の身体には20℃位が最適ではないかと思う。
今朝のラジオで「ツツジが散り始めましたね」と声が聴こえた。
そんなはずはないツツジは散ることのできない花である。
ラジオは一方通行なので反論できないのがもどかしかった。
もしかしたら私が間違っているのかもしれないと気になり始め
ツツジの咲いている場所に行ったら確かに散ってはいなかった。
紫陽花と同じである。花弁が茶色になり朽ちていくのだ。
どんな花も終る時はせつないものである。
母に急変がなかったのか昨夜は電話がなく安堵していたが
その後の容態が全く分からず落ち着いてはいられない。
看護師さんも忙しいのだろうと察しケアマネさんに電話してみた。
そうしたら今朝の母はケロッとしていて冗談まで言っていたそうだ。
熱は微熱になっておりもう心配はなさそうであった。
ただ高熱が出た原因がまだ分かっていないのが気掛かりである。
今回は大事に至らなかったが今後また何があるか分からない。
その度に覚悟をしなければいけないのだろう。
仔豚のことに触れるのはもういい加減にしなければと思っている。
最後まで見守って欲しいと言いつつ子豚自身がうんざりしているのだ。
嫌悪感は日に日につのるばかりでもう顔も見たくなかった。
これまでどれほど嘘をついて来たことだろう。もう数えきれない。
おそらく精神を病んでいるのだろう。自分で自分が怖ろしくなった。
GWの計画禁煙まであと数日となった。
なんとしてもと思いつつ本音を云えば自信がない。
数日は禁煙出来てもまた元の木阿弥になってしまうのではないか。
そんなことを考えているといつまでたっても救われる日が来ない。
自分が何処に向かっているのか分からない。
もはや意思が強いとか弱いとかのモンダイではないと思う。
狂っている精神をいかに立ち直せるかだ。
雨上がりの晴天。気温は高くなったが風の強い一日となる。
満開を過ぎた躑躅(ツツジ)が少しずつ枯れ始めた。
5月になれば皐月(サツキ)だろうか。
バトンタッチをするように花は咲き季節を知らせてくれる。
夕飯の支度をしていたら母の施設の看護師さんから電話があった。
母が発熱とのこと。40℃近い高熱と聞きおどろく。
今夜は抗生剤で様子を見て明日血液検査をするのだそうだ。
コロナの症状は見られずPCR検査は行わないらしい。
急変があれば夜中でも知らせてくれると言っていたが
気になって眠れないかもしれない。いや、眠ってはいけないようでもある。
いくら薄情な娘でも心配でならなかった。
そのくせ正直に言えば「もういいかな」とも思っている。
もう85歳の母のことだ。私はいつだって覚悟をしているつもりである。
家族のことでも心配事があるがここに記すことは控えたい。
書かないことが守ることのように思えて慎重になっている。
あやちゃんは年頃の傷つきやすい少女になった。
腫れ物に触るような日々がずっと続いている。
心配事ではないけれど困ったことは子豚を飼っていること。
自ら養豚場の経営者になっていることだった。
廃業したいと何度思ったことだろう。
世間では「まだやっているのか」と批判の声も聞こえて来る。
聞こえは悪いが餌を仕入れず横領しているという噂もある。
それは事実であるだけにもはや身の置き所がなかった。
いっそ豚コレラでも蔓延してくれたらと願ってしまうのだった。
「今日こそは」「明日こそは」と言い続けてもう幾日経ったのだろう。
最初のうちは好評だった子豚シリーズも下火になってしまった。
それはどれほどの人が呆れてうんざりしているかの証拠でもある。
そんな誰よりもうんざりしているのは子豚自身であった。
今日も駄目だった。明日も駄目かもしれない。
それでも立ち向かう気力だけはまだあるようである。
2023年04月25日(火) |
もう誰も信じてはくれない |
冷たい雨の一日。最高気温が札幌とほぼ同じだったようだ。
気圧のせいか足の痛みが辛かったが穀物には恵みの雨になったことだろう。
この雨が上がればまた初夏の陽気が訪れるらしい。
晴耕雨読ではないけれど義父が工場に居てくれて随分と助かる。
しかし良いことばかりではなく朝から雷が落ちたりした。
義父の性格には慣れているつもりだがいささかショックであった。
娘とは言ってくれない。あくまでも私は事務員なのである。
ストレスだろうか苛々が治まらず子豚が顔を覗かせる。
「来るな、近寄るな」と言っても押しとどめることが出来なかった。
情けなさを通り越して嫌悪感が沸き起こって来る。
同僚は笑わなかった。憐みのこもった顔をして子豚を見ていた。
煙草は子豚にとって鎮静剤のような物であると改めて思い知る。
「今日こそは」言いつつまた嘘をついてしまった。
「明日こそは」と言ってももう誰も信じてはくれないだろう。
夕方には小降りになっていた雨がまた激しさを増してきた。
今朝SNSで発信した詩にコメントを届けてくれた方がいて
その方のこころに何か伝わるようなものがあったらしい。
昨年暮れに奥様を亡くされたばかりの方で
まだ悲しみも癒えず苦しい日々を送っているようだった。
私の詩は「いのち」を主題にしているものが多いので
さりげなくではあってもその方のこころに触れているのかもしれない。
それこそが私の本望であると言っても過言ではない。
詩はそれを書いた本人のものではなくあくまでも読者のものらしい。
詩を発信するということはそれを覚悟した上のことなのだろう。
読み手によっていかようにも解釈されるべきである。
毎朝午前4時のこと。どうしても書けない日もあるかもしれないが
私はたった一人の読者であっても書き続けていきたいと思っている。
いつかは最後の詩になるだろう。
私がこの世からいなくなっても誰かのこころに残り続けるような
詩を書きたいと思う。それこそが私の「いのち」なのだから。
曇り日。気温があまり上がらず肌寒い一日となる。
今朝山里へ着いたら義父が「田起こし」をしていた。
職場のすぐ近くの田んぼでトラクターの音が勇ましく響く。
私は稲作にあまり詳しくないが田起こしをしてから水を張るらしい。
水を張ればすぐ田植えかと思いがちだがその前に「しろ掻き」をする。
それもトラクターで泥田の中を走り回るのだった。
以前に聞いたことがあるがしろ掻きをせずに稲を植えてしまったら
雑草だらけの田んぼになってしまうのだそうだ。
今でこそ機械化されているが昔はどれほど大変だったことだろう。
子供の頃祖父の家では牛を飼っていたことを微かに憶えている。
残念ながら完全禁煙は出来なかったが「ほぼ禁煙」は出来たようだ。
「ほぼ」とはとても曖昧であるが子豚的には上出来だと思う。
同僚のドラえもんはやはり新しい煙草を買って来ていた。
けれどもそれをポケットには入れず車の中に置いてあると言う。
それがとても助かった。とにかく子豚に見せてはならないのだ。
今日こそはと意を決してひたすら我慢と辛抱をする。
11時頃だったろうか、我慢の限界となり喫煙所に行ったら
同僚のラッキーストライクが3本だけ置いてあった。
それを吸っても良いのかもしれないと勝手に解釈してしまったのだ。
見て見ぬふりをしてくれたのだろう。同僚は何も咎めずにいてくれた。
とにかく吸いたいだけ吸うことだけからは逃れられたと思う。
それは子豚にとってそれなりに大きな成果であった。
以前にも言ったけれど絶対に禁煙しなければいけないのではない。
それも一気にゼロにしてしまうのは並大抵のことではなかった。
少しずつ減らしていくことはきっと出来るのではないだろうか。
「出来ない」と諦めてしまわないことだ。
何事もやってみないと分からないことだから「挑戦」するのである。
穏やかな晴天。ぽかぽかと春らしい陽気となる。
近所の地場産市場で花の苗を買った。
ペチュニアと金魚草、どちらも夏まで咲きそうだ。
レジで支払いをしていたら店員の女の子が車まで運んでくれる。
杖を付いていたので気遣ってくれたのだろう有難いことである。
家に帰り早速庭先に植えようとしたのであるが
プランターを動かすことが出来ない。草も引けなかった。
地べたに座り込み這うようにしてなんとか植えることが出来る。
足が不自由になってから出来なくなったことが多くなった。
嘆いても何も変わらないのだと思う。受け止めるしかないのだろう。
まだまだ先が長いのだ。今から弱音を吐くわけにはいかなかった。
今日こそは完全禁煙をと決めていたが出来なかった。
夜明け前に娘の吸殻を5本ほど吸ってしまう。
昨日見つけた物の残りでなんと目障りなことだろう。
とにかく早く始末しなければと少し焦っていたようにも思う。
昼間はなんとか我慢が出来た。娘が仕事で留守だったので
吸殻は簡単に手に入れることが出来たがあえてそれをしなかった。
ほとほと自分に嫌気が差していたし馬鹿らしくてならない。
吐き気がするほど不味い物をどうして吸わなければいけないのだろう。
子豚はつくづく煙草の無い世界に行きたいと思う。
同僚や娘が吸っていなかったらとっくに禁煙出来ていた。
それはとても卑怯だし責任転嫁も甚だしいことであるが
周りからの影響と云うものはとても大きいと言わざるを得ない。
人は人。自分は自分と割り切れることが出来たらどんなに良いだろうか。
そのために必要な強い意思が子豚には足らなかったのだろうと思う。
明日はまた快楽に溺れるのかと思うと情けなくてならない。
この毒のようなループを断ち切ることは出来ないのだろうか。
子豚はまだ挫折はしていない。それが唯一の救いである。
季節外れの暑さが続いていたが今日は平年並みの気温となる。
もう少し春をと願う気持ちがありいきなりの夏はやはり戸惑う。
海苔養殖場の撤収作業が終り川船を囲った。
「囲う」という意味がわかるだろうか。
台風等の災害を被らないように川船を安全な場所に移動さすことである。
そうして初めて今季の川仕事が終了したことになる。
昨年に引き続き収穫ゼロでその痛手はとても大きい。
我が家は私のパート収入があるのでなんとか生活出来ているが
養殖業だけで生計を立てている人も多いのだった。
自然界に見捨てられた者を行政が救ってくれるはずもなかった。
昨年までは私も撤収作業を手伝ったが今年はお役御免となった。
夫がすべて一人で頑張ってくれたおかげである。
足の痛みがあるので不安に思っていたが夫に助けられた。
来年からの休業を決めたのでしばらく川船も必要ないだろう。
漁協の規則で3年間は休業出来るのだそうだ。
それは4年目には廃業を強いられることに等しい。
40年以上も続けて来た家業だけにとても複雑な心境である。
午前中にカーブスへ行っていたが、足の痛みが酷く途中で諦める。
悔しさと情けなさで気分は落ち込むばかりであった。
出来ないのはとても辛い。心と身体がまるで反発しあっているようだ。
帰宅して夫に話したら「もう止めてしまえ」と言われた。
それもショックで涙が出そうになった。
「止めない」と私は言った。出来る日もきっとあるだろう。
夕方まで禁煙を貫く。あれば吸いたくなるが無いものは仕方ない。
それがふとしたことから娘の吸殻を見つけてしまったのだった。
娘に気づかれる心配はなかったがやはり罪悪感がつのる。
絶対に手を出さないと決めていたのに今吸っているのはどうしたことか。
とても不味い。吐き気がするほど不味いのを何故吸わねばならないのか。
正しく狂気の沙汰である。子豚は中毒患者で病気なのに違いない。
どんな代物であれ「吸う」ことに酷く執着しているようだ。
それならば自分の指でも吸っていろと言いたいところである。
明日こそは完全禁煙をと思っている。きっと出来るだろう。
子豚シリーズも随分と長くなってしまった。
もううんざりされている方も多いことだろう。
それでも子豚を見捨てないでいて欲しい。
どうか最後まで見守って欲しいと願ってやまない。
2023年04月21日(金) |
さっさと灰になりたい |
連日の夏日だが少しずつ平年並みの気温に戻るのだそうだ。
寒暖差で体調を崩す人も多いことだろう。
私は丈夫に出来ているのか今のところ元気に過ごしている。
相変わらず血圧は高く足の痛みも続いているけれど
もう慣れてしまったのだろうさほど気にならなくなった。
今日は仕事を終えてから整形外科へ。
毎日のストレッチとカーブスの成果は全く現われていないようだった。
ひたすら悪化の道を辿っているようで医師の顔色も厳しい。
一刻も早く手術をと勧められたが今はどうすることも出来ない。
タイムリミットは後5年だろうか。
義父が会社を畳む決心をしてくれたらと思うのだが
今のところ全く考えていないようだった。
命ある限りなのだろう。それは10年後だって在り得ることだ。
90歳になった義父。77歳になった私。同僚は70歳である。
誰一人欠けても会社は成り立たないのだった。
医師にも事情を話ししばらく様子を見ることになったが
10年もはとても持たないと言う。
「持たない」とはどう云うことか。命を亡くす訳ではないが
最悪の場合、歩行困難になってしまうのかもしれなかった。
私としてはとにかく「いま」を乗り越えようと思っている。
5年後や10年後の事など考えていたら気が遠くなりそうだ。
仕事が忙しかったので子豚的には煙草に拘らずに過ごせた。
昨日の残りが8本ほどあっただろうか。昼下がりに最後の一本。
その時「もういいかな」と思った。いや、「どうでもいいかな」と。
同僚のドラえもんにも念を押して決して買って来ないように告げる。
もうこうなったら子豚よりもドラえもん次第なのである。
責任転嫁をするようで心苦しいが煙草が無ければ済むことだった。
後は子豚が決して欲しがらなければすべて上手く行くのだと思う。
今日は病的であることを自覚し嫌悪感さえ感じた。
言葉はとても悪いがぶっ殺してやりたくなった。
いやすでに子豚は亡骸であったか。オマエハモウシンデイル。
子豚として蘇ろうとか考えてなどいない。
さっさと灰にしてしまえばよいのだ。
二十四節気の「穀雨」穀物を潤す恵みの雨が降る頃。
今日は晴天であったが来週あたりから雨の日が多くなりそうだ。
それにしても異常なほどに気温が高くなりおどろく。
大分県の日田市では30℃を超え真夏日になったらしい。
まだ4月だと云うのにどれほどの人が戸惑っていることだろうか。
義父の田植えが一段落したと思っていたら
次は飼料米を植えるのだそうだ。
田植え機が故障したそうで修理しなければならず苛立ちを隠せない。
同僚や私にそのとばっちりが来てしまい少なからずストレスになっている。
本業の工場の仕事も上の空でお客さんに迷惑をかけてしまうが
とにかく口出しをしては怒らせてしまうのでひたすら耐えるしかない。
今年で80歳になる義父がこれほどまでに稲作に打ち込むのには
それなりに理由があることは理解しているつもりである。
しかし振り回されるのはいささか苦痛でもあった。
今日こそは子豚の告別式。もう思い残すことはないと思っていた。
計画禁煙までにはまだ2週間ほどあったが「今日」と決める。
ずっと意思の弱さを痛感してきた。どうしようもなく情けない。
挫折を繰り返しながらここまで来てしまったが
子豚にも名誉があるのならば今日こそ挽回しようと思ったのだ。
しかし思うようにはいかなかった。
この世にはまるで当然のようにそういう現実があるらしい。
同僚のドラえもんがポケットからまた煙草を出してしまったのだ。
理由を訊けば昨日ラッキーストライクを盗まれたからだと言う。
盗んだつもりは無かったが確かに減っていたのだろう。
ドラえもんは夜な夜なコンビニまで車を走らせたようだった。
愛情でも友情でもない。きっと使命のように思ったことだろう。
あればあるだけ吸ってしまう。それだけは避けなければいけない。
とりあえず煙草を預かってもらって我慢できなくなったら貰う。
それならば節煙にはなるだろうと勝手に思い込んでいた。
けれども「ややこしい」の一言でそれは却下されたのである。
そうして本当にどうしようも出来ない事態に陥ったのだった。
子豚は自己嫌悪を通り越して悲しみに打ちひしがれている。
告別式が出来ない。子豚の亡骸は腐敗していくのだろうか。
2023年04月19日(水) |
告別式は延期となった |
全国的に気温が高くなり夏日になった所が多かったようだ。
暑さで有名な四万十市江川崎でも26℃を超えたらしい。
市町村合併で今は四万十市になっているが
私が生まれ育った頃は西土佐村という山村であった。
四万十川の中流地域であり大昔には材木を筏にして運んでいたのだそうだ。
もちろん大型トラックなど無かった時代である。もしあったとしても
道は狭く悪路でとても運べるような状態ではなかったと思う。
江戸時代、明治時代のことだろうかその光景を見てみたいものだ。
筏羊羹という銘菓がある。老舗の和菓子店が作っているのだが
私が子供の頃からあってたまに無性に食べたくなる時がある。
甘さを抑えた上品な羊羹で3本くらいはぺろりと食べられそうだ。
昨夜はお通夜。今日は告別式のつもりで出社する。
気分がとても落ち込んでいて鬱々としていた。
タイムカードを押して喫煙所に向かったら昨日の残りが一本だけあった。
しみじみと味わう。なんだか涙が出そうになった。
もうこそお別れだと思っていた。今生の別れになるだろう。
同僚も協力してくれて新しい煙草を持参してはいなかった。
それなのにどうしたことだろう。10分もしないうちに吸いたくなる。
またふらふらと夢遊病者のように喫煙所に向かって行ったのだった。
そこにはもちろんピアニッシモアイシーンは無い。
あるのは同僚のラッキーストライクであった。
一本だけと思ったのだ。とにかくその場を凌ごうとする。
「これで最後」と何度呟いたことだろう。
結局同僚のラッキーストライクを5本も吸ってしまったのだった。
子豚には反省の色は全く見えずケロッとしているのが腹立たしい。
こんな子豚に育てたつもりはないと親豚は嘆いていることだろう。
ドラえもんは嘆くことはしなかったが呆れかえっているようだった。
心を鬼にしてもう二度とポケットから煙草を出すことはないと思う。
後は子豚次第である。意思が弱いと決めつけてはいけない。
もう十分に追い詰められている。その底からなんとしても
這い上がることが出来るのではないだろうか。
躑躅(ツツジ)にはどれほどの種類があるのだろう。
多く見かけるのはピンク系の花であるが深紅や純白の花もある。
私が一番好きなのはピンク色の中心にほのかに紅をさしたような花だ。
今まで生きてきて一番綺麗だと思ったのは愛媛県の大洲市に行った時
山全体に躑躅が咲いておりそれは見事だった。
なんの目的もなく行ったのだが思いがけずに躑躅祭りが開かれていて
その山を目掛けて車を走らせたことがとても懐かしい。
それ以来大洲市に行ったことはないが今年もきっと見事に咲いているだろう。
朝の道では国道沿いに躑躅が植えられており心を和ませている。
特に伊豆田峠のトンネルに差し掛かる手前に沢山咲いている。
そんな道を白装束のお遍路さんがひとりふたりと歩いているのを
見るのも朝の楽しみであった。
そんな躑躅もやがては枯れるだろう。躑躅も散れない花である。
今朝は同僚に「今日で最後やけんね」と宣言をした。
「口だけはね」と笑う同僚のなんと憎たらしいこと。
彼は私の何を知っているのだろう。もしかしたら私よりも
私の本性を知っているのかもしれない。
朝の一服のなんと美味しいことだろう。ぼんやりとしていた頭が冴え
見渡す限りの新緑が目に鮮やかに映るのだった。
ああ生きているのだなと思う。それは至福のひと時であった。
けれどもいつまでも幸せではいられない。
明日からは我慢と辛抱の日が続くことだろう。
それも3日を乗り越えればきっと楽になるに違いない。
今夜はなんだかお通夜みたいな気分になってしまって
霊前に供える吸殻を探していたら娘の煙草ポーチを見つけた。
あまりにも無防備に目に付くところに置いてあったのだ。
ドキドキしながらポーチを開けたら吸殻が沢山入っていた。
全部盗んでしまったらきっとバレるだろうと思って
5本盗みなんとか霊前に供えることが出来た。
こんな不味い吸殻では故人も浮かばれないであろうが
何もないよりはマシだろう。お線香は吸えないが吸殻は吸えるのである。
子豚はこれまでの苦労を思い出している。
日々それを記しながら自分で呆れることが多かったが
今朝は読者の方からメッセージが届き「人間らしさ全開で面白い」と
思いがけない言葉を頂いた。そっか子豚も人間なのだと思った。
生きていると思うようにいかないことが沢山あるけれど
その生き様を書き残すことが出来て良かったと思っている。
2023年04月17日(月) |
ドラえもんのポケット |
全国的にやっと春本番かと思いきや北海道では雪が降ったようだ。
札幌では桜が咲いているのにまさかの雪だったことだろう。
「名残り雪」だと思えば風情があるが異常気象のようにも思える。
西日本は新緑の季節。若い緑がなんとも鮮やかである。
桜(ソメイヨシノ)は花が散った直後には薄桃色の葉だけれど
日が経つにつれて緑色に変わっていくのだった。
薄桃色の時期を葉桜と呼ぶのかもしれないが詳細は分からない。
私は緑色の葉の方が好きだから今を葉桜と呼びたいと思う。
わくわくとする程ではなかったが期待しながら職場に向かう。
二日間の禁煙から解放されるのだから当然のことだろう。
この段階で子豚には禁煙しようとする意思など全くなかった。
タイムカードを押すなり喫煙所に向かったのは言うまでもない。
しかしそこには先週の残りが3本ほど残っているだけだった。
同僚は確かもう一箱買い置きがあると言っていたはずである。
まさか気が変わったのではあるまいかと一気に心細くなった。
ええい吸っちまえと思いその3本を立て続けに吸ってしまう。
もう覚悟は出来ていたしすぐにでも禁煙体制に入るつもりだった。
それなのにどうしたことかふらふらと喫煙所に向かってしまうのだ。
同僚に「もうこそ終わりだよね」と言ったらにやりと笑っている。
そうして作業ズボンのポケットに手を入れたかと思うと
「ほうれ」と声を上げながら私を目掛けて煙草を放り投げたのだった。
それは正しくピアニッシモアイシーンであった。
同僚はやはりドラえもんだったのだ。子豚は感激で胸が熱くなっていた。
「こぶ太君もうこれが最後やけんね」と言う。
子豚は素直に頷いていた。この場に及んでどうして逆らえようか。
ドラえもんには本当に良い夢を見させてもらったように思う。
我慢も出来ず辛抱も出来なかった子豚に救いの手を差し伸べてくれたのだ。
けれども本当の意味で救われるのはこれからだと思う。
子豚は消滅するだろう。それこそが本望なのではないだろうか。
爽やかな晴天。まるで5月のような風だった。
家に閉じこもっていても家事をするわけでもなく
ただごろごろと寝てばかりいるものだから
プチドライブを兼ねて四万十町の七子峠までラーメンを食べに行っていた。
ケンミンショーでも紹介された人気店であるが
11時の開店と同時に行ったので比較的空いていて助かる。
半チャーハンと醤油ラーメンを注文し15分程待っただろうか。
チャーハンには好物の福神漬けが添えてありとても美味しかった。
肝心のラーメンはスープが少し脂っこく感じてイマイチに思う。
普段からあっさり系の中華そばに慣れているせいだろう。
「腹さえ張ればもう用はないな」と夫と笑いながら帰る。
往復2時間ほどのドライブが丁度良いように思った。
黒潮町の入野海岸には沢山のサーファーが押し寄せていた。
GWにはどれほどの人になるだろうと想像しただけでオソロシイ。
駐車場には岩手ナンバーの車が2台停まっていて驚いた。
子豚はとにかく家でくすぼっていてはいけない。
くすぼるだけでは済まなくて火を点けたくなるのだった。
幸いと云うべきか生憎と云うべきか今日も吸殻は見つからなかった。
娘は確かに吸っているのだがいったい吸殻を何処に隠しているのだろう。
諦めているせいか我慢は出来ないことはなかった。
ただ恨めしくてならない。娘のように吸いたいと思ってしまう。
家族に喫煙者が居ると禁煙は難しいと云うが正にそれである。
「私は吸いますが吸殻はあげません」それはあんまりではないだろうか。
娘は決して意地悪をしているわけではないのだろう。
それは分かるがなんだか酷く蔑まされているように思えてならない。
そこで大きなギャップが出て来る。
明日になればもう我慢しなくても良いのだ。
いくらでも吸いたいだけ吸えるのである。
それが「快楽」だとすればもう逃れられないだろう。
快楽に溺れる。たとえそれがどれほどの罪だとしてもだ。
なんだか底なし沼に足を踏み込んだような気分であるが
計画禁煙は予定通り実行しようと思っている。
成功する自信はないが何事もやってみなくては分からない。
子豚の運命はいかに。晴れて救われる日が来るのだろうか。
2023年04月15日(土) |
諦めることもなければいけない |
姑さんの命日。もう5年の歳月が流れたようだ。
仏壇に手を合わせただけでお墓参りにも行かなかった。
どうしたことか義妹があまり積極的ではない。
夫もそれに倣って「勘弁してもらった」と言っていた。
私も山の上のお墓には到底行けそうになく正直なところ関心がない。
罰当たりなことだとは思うが皆いつまでも若くはないと云うことだろう。
姑さんの夢を見ることが多いがどうやら私だけのようだ。
おそらくお大師堂参りを疎かにしているため後ろめたいのだろう。
生前の姑さんと約束をしたのだ。それなのに足は遠のくばかりである。
お大師堂の管理からも手を引いたに等しい。
お参り仲間さんには心苦しく申し訳ない思いでいっぱいである。
午前中にカーブスへ。今日は足の痛みが薄れており楽だった。
薄っすらと汗をかき満足して帰宅する。
駐車場が満車状態だったので身障者用のスペースに駐車していたので
娘の勤めている店に「身障者マーク」を買いに行ったら
「車椅子の人が困るでしょ」と娘にお叱りを受けた。
たかが杖を付いているだけで身障者とは言えないだろうと反省する。
病院で診断書をもらう手もあるらしいがそこまでするつもりはない。
手術をしない限り長い付き合いになることだろう。
杖を付きながらでも歩けることに感謝せねばと思った。
子豚的には完全禁煙日。娘の吸殻など何処を探しても無かった。
無ければ無いで諦めがつくもので今日は優等生の子豚である。
平日は職場で吸ってしまうから帰宅してから辛いのだ。
まるで自分で自分の首を絞めているような愚かな行為であった。
喫煙こそがストレスになると言った医師の言葉が身に沁みる。
一切吸わなければ身も心も随分と楽になるのである。
それはひと月禁煙が出来た時に身をもって感じたことでもあった。
あの時にもう一度戻りたい。戻れないわけはないのだと思っている。
人生は「諦めない」ことが肝心であるらしいが
子豚にとっては「諦める」ことが肝心なのだと思う。
きれいさっぱりと潔く断ち切れる日がきっと来るだろう。
今はやんでいるが昼間は少しだけ雨が降った。
「穀雨」まであと数日となり雨の日も多くなるだろう。
畑には茄子や胡瓜など夏野菜が植えられるようになった。
仕事を終えてから母がお世話になっている施設のある病院へ。
3月分の支払いを終えてから思いがけずに面会が叶う。
母はリハビリ室に居て歩行訓練をしているところだった。
車椅子で移動することが多いせいか足腰がかなり弱っているようだ。
久しぶりに母に会えたと云うのに会話が続かない。
母の方から「話すことないね」と云う始末であった。
薄情な娘である。これ幸いと手を振って別れたのは言うまでもない。
その後、お世話になっている担当の医師と面談があった。
先日看護師さんから電話があり凡その話は聞いていたけれど
医師から直接聞くと一気に緊迫した気配となる。
心臓はもちろんだけれど腎臓がかなり悪くなっているのだそうだ。
かと言って透析を始めたら心臓にかなりの負担がかかるらしい。
命がけの透析になるくらいなら最初からしないほうが良いと思う。
医師もそう言ってくれていてしばらく様子を見ることになった。
薄情な娘は思うのだ。もうこうなったら心不全でも腎不全でも良いと。
今夜も子豚が登場するのだろうか。
なんだか不謹慎に思えるが少しだけ記しておこう。
ドラえもんの「いつでもドア」のおかげで救われた一日であったが
もう月曜日からはドアに鍵をかけるように申し出た。
そうしたらドラえもんが「まだまだあるよ」などとほざくのである。
どうやら週に3箱のペースで買い置きをしているようだった。
煙草手当は支給していないがお給料を少し値上げしたので
それが煙草手当だと思い込んでいるようだった。
なんと純真なドラえもんだろう。申し訳なさ過ぎるではないか。
子豚はそんなドラえもんを手名付けようとしているのだろうか。
最高気温が23℃。夏日でこそなかったが初夏のような陽気となる。
山里では田植えが始まる。義父は夜が明けるなり準備をしていたようだ。
懇意にしている知人達が3人も手伝いに来てくれて大助かりだった。
農繁期にはいつも思うことだけれど私は何も手伝うことが出来ない。
同僚とふたりで工場を守ることだけを使命のように思っている。
義父も二足の草鞋を履いたからには工場の仕事もせねばならず
先日は深夜まで整備の仕事に励んでいたのだそうだ。
とにかく田植えが終わるまでは緊張感が治まることはない。
無事に終われば義父の寛いだ顔を見ることが出来るだろう。
緊張感を和らげるためには喫煙が有効であると思うのだが
医師などから言わせたらそれは馬鹿げたことなのだろう。
吸えば吸うほどストレスになると言った医師の言葉が蘇る。
確かに吸ってしまうから吸えない時のダメージが大きいのだ。
わずかひと月の間であったが禁煙出来ていた時のことを思い出す。
もう吸わなくて良いのだと思うと解放感でいっぱいになっていた。
「出来た」達成感で満たされていたようにも思う。
あれはほんとうに私だったのかと今では信じられなくなった。
昨夜の娘の仕打ち?がショックでならず未だに尾を引いている。
「あんまりことだ」と娘は言ったのだ。
「二度とこんなことをしたらおじいに言うけんね」とまで言った。
そこまで言われてどうして吸殻を探し求めねばならないのだろう。
悔しさもあるけれどこれほどまでに惨めなことはなかった。
女に意地があるように子豚にだって意地はある。
娘の吸殻に火を点けることは二度とないだろう。
求めないこと期待しないこと。それが子豚の信念であるが
職場にはドラえもんが居て「いつでもドア」を準備している。
雨の時間帯もあったが午後からは青空が広がる。
心配していた黄砂もさほど気にならなかった。
昔の人は黄砂など知らず「春霞」と言っていたのだろう。
そんな日本語は風情のあるものだが黄砂はなんだか悪者のようだ。
今日は損害保険会社のO君が久しぶりにやって来る。
ふとしたことから禁煙の話になり大いに盛り上がった。
O君も禁煙に挑戦してみたがわずか3日でリタイヤしたのだそうだ。
その3日間のなんと辛かったこと。それは子豚も同じだった。
そんな辛さは誰にも分らないだろうと思っていたけれど
思いがけずに同士と云うか仲間を得てとても励みに思ったのだ。
O君は4日目に我慢できずに吸ってしまったが
それ以来一日の本数を決め節煙を心掛けているのだそうだ。
もちろん我慢をしなければならないがそれがストレスになっているらしい。
以前のように吸いたい時に吸えたらどんなに楽になることだろう。
あれこれと話しながらお互い無理をしないでいようと誓い合った。
「絶対に止めんといかんことはないぜね」とO君は言う。
子豚も同じ考えである。子豚の辞書に「絶対」などなかった。
GWをきっかけにして完全禁煙を計画しているが
だんだんと自信が無くなって来ている。
同僚にも協力を願っているが果たしてどうなることだろうか。
家では相変わらず娘の吸殻を血眼になって探している。
先程はゴミ箱を漁っていたのがバレてしまいこっぴどく叱られた。
叱られるだけならまだいい。罵られるととても悲しくてならない。
これほどまでに惨めな思いをしてまで吸わなければいけないのだろうか。
30年以上も習慣としていたことを止めるのは並大抵のことではない。
これまで幾度も禁煙に臨みそのつど失敗を繰り返して来ている。
今度こそと思ったのだ。もう二度とチャンスはないようにも思う。
「そんなに吸いたければ買って来い」と娘に怒鳴られた。
それは一度も禁煙に臨んだことのない人の云うことだと思う。
O君は今頃どうしているだろう。
我慢している仲間がいるのだと思うと少しだけ心強くなった。
全国的には夏日になった地域が多かったようだ。
高知県はさほど気温が上がらず風もあり過ごしやすい一日となる。
今朝は念のために痛み止めを服用せず出掛けてみた。
思った通り睡魔に襲われることはなかったが
今度は足の痛みがいつもより酷くなって困った。
まったく効かない薬だと思っていたが少しは効いていたのだろう。
やはり服用した方が良さそうなので明日から職場で飲むことにする。
仕事中に眠くなるかもしれないが特に危険を伴うことはない。
お昼休みに同僚が筍を掘って来てくれた。
自宅の裏山にいくらでも生えているのだそうだ。
私が食べたいと言ったものだから叶えてくれたのだろう。
彼はなんでも叶えてくれる「ドラえもん」のような人である。
昨日は煙草の買い置きがもう無いと言っていたのに
今朝は新しい一箱をそっと置いてくれていた。
その好意に甘え過ぎている子豚のなんと横着なことだろうか。
あると思えばいくらでも吸ってしまい全く限度を知らないのだ。
家に帰ればもう何処にも娘の吸殻が無かった。
あるのは私の吸殻で短か過ぎて火を点けることも出来ない。
思い切って娘に頭を下げ吸殻を恵んで貰おうかとも思ったが
隠すぐらいだからそれは絶対に不可能であろう。
「我慢」と「忍耐」の文字が頭ではなく心を蝕んでいるようだ。
そんな苦しさも全て自業自得なのである。
「快楽」と言ってしまえば聞こえは悪いが
職場に行きさえすればその快楽に満たされるのだった。
罪悪感は大いにあるが快楽には勝てはしないと思う。
美味しい餌を与えられた子豚はすくすくと成長しているが
なんでもかなえようとするドラえもんは空しくはないのだろうか。
2023年04月10日(月) |
溺れる子豚は藁にも縋る |
昨日ほどではなかったがひんやりとした朝。
もう花冷えでもなく寒の戻りでもないだろう。
季節は確実に初夏に向かっているはずである。
決して睡眠不足ではなかったが今朝は酷い睡魔に襲われる。
いつもの山道、峠道を越え山里の県道を走っている時だった。
異常なほどに眠くなり運転に集中出来なくなっていたようだ。
ほんの一瞬のことだったが記憶が飛んでしまい気がついた時には
歩道に乗り上げガードレールに激突する寸前となっていた。
咄嗟にハンドルを切り歩道から車道に下りて難を逃れることが出来たが
気づくのが少しでも遅れていたら大きな事故になっていただろう。
歩道を歩いている人が居なくてほんとうに幸いだったと思う。
以前にも似たようなことがありその時には内科の薬を替えてもらった。
それ以来睡魔に襲われることはなかったので気にしていなかったが
どうやら毎朝服用している痛み止めの薬が原因ではないかと思う。
それも一年近く服用しているので今更と云う気もしないではない。
けれども他に思い当たるような原因がなかった。
明日から試しに服用を中止してみようかと思っている。
足の痛みが酷くなるようならまた飲み始めてみれば良いだろう。
煙草には確かに覚醒作用があるが禁煙を理由にするのは卑怯だと思う。
そうでなければどれほど多くの人が睡魔に悩まされるだろうか。
子豚は大馬鹿者であるがそれくらいの常識はわきまえているつもりである。
居眠り運転で事故を起こした煙草を吸えないせいだとは言えない。
職場では相変わらず喫煙を続けている。
今日は残り3本となり明日の餌の保証は無かった。
同僚も買い置きはもう無いのだそうだ。
一瞬目の前が真っ暗になったが年貢の納め時かもしれないと思った。
何事にも「きっかけ」が無くてはならない。
今は娘の吸殻を吸いながらこれを記している。
実は一度自分でゴミ箱に捨てた物を再び拾ったのだった。
こんな不味い物が吸えるもんかと思って捨ててしまったのに
どうしてまたそれを手にしてしまったのか自分でもよく解らない。
溺れる者は藁にも縋ると云うがまさに今がそれなのだろう。
喉元過ぎれば熱さ忘れるとも云う。
今が喉元なのだろうかと真剣に考えているが
いったい何を忘れたら良いのか分からなくなってしまった。
今朝は気温が3℃と真冬並みの寒さとなる。
暖かさに慣れていた老体にはいささか厳しかった。
日中は穏やかに晴れ暖かくなりほっと空を仰ぐ。
県議会議員の選挙で投票を済ませてからプチドライブへ。
今日は窪津経由で足摺岬まで行っていた。
窪津は遍路道になっており10名ほどのお遍路さんを見かける。
外国人女性のお遍路さんも歩いていて金髪がとても綺麗だった。
足摺岬には思いがけず観光客が押し寄せていて驚く。
駐車場には県内ナンバーの車が多く皆さん近場の方なのだろう。
自分たちもそうだけれど足摺岬は気軽に立ち寄れる場所であった。
海は凪いでいて真っ青に輝いていたが岬の灯台までは行けなかった。
夫が「その足では無理だろう」と車を停めようとしない。
38番札所の金剛福寺も同じく頭から却下されていた。
私は杖を頼りに歩いてみたかったが夫に無理は言えなかった。
これからも出来ないことが多くなるのだろうなと少し侘しく思う。
土佐清水市内のほっかほか亭で「鶏そば弁当」を買い求める。
私はほか弁のメニューではこれが一番の好物だった。
海の見える丘のような道端でガツガツとむさぼるように食べる。
夫が食べ残した焼きそばもぺろりと平らげてしまった。
一気に愉快になる。これはほか弁を食べるためのドライブだったのだ。
子豚的には良き気分転換となり精神的にも楽であった。
とにかく家でくすぼっていてはいけないのだと思う。
暇であってもいけないのだ。ついつい煙草を吸いたくなってしまう。
午後はひたすら寝ていたが寝てさえいれば煙草のことを忘れている。
一番辛いのはまさに今で寝酒の焼酎を飲んでいる時だった。
喫煙経験のある人なら理解できると思うが
アルコールが入ると無性に煙草が吸いたくなってしまうものだのだ。
それならば飲まなければ良いと誰もが思うかもしれないが
私の場合は寝酒を飲まないと眠れない難点がある。
アル中だとは自覚していないがおそらく依存症なのであろう。
まあとにかく何から何まで中毒化しているのは認めなくてはいけない。
辞書で「我慢」を調べたら耐え忍ぶこと、堪えること、辛抱すること
それは言われなくても分かっていることだけれど
それを実行することは並大抵のことではないのだと思う。
我慢できないことは罪だろうか。赦されないことなのだろうか。
子豚はまだ絶望はしていない。きっと救われる日が来ると信じている。
晴天に恵まれたが冬型の気圧配置だったようだ。
強い西風が吹き気温もあまり上がらなかった。
桜が咲いていたことをもう忘れようとしている。
おそらく「栄華」のような出来事だったのだろう。
過ぎてしまえばなんだか祭りのあとのような気分だった。
9時の開館を待ちかねて図書館へ。
椎名誠の本を3冊借りて来た。エッセイはすべて読み終えてしまい
旅行記と小説にする。「この道をどこまでも行くんだ」等。
まだしばらくは他の作家の本を読む気がしない。
図書館にもう未読本が無くなってしまったらどうすれば良いのだろう。
10時にカーブスへ。今日は月一の測定があったが
やはり体重は増えておりどうすることも出来ない。
ただ思いがけずに体脂肪は減り筋肉量は増えていて驚く。
足の痛みが酷く最小限の事しか出来ていないのに成果があるものなのか
なんだか信じられなかったが素直に嬉しいと思った。
以前に比べるとコーチの対応も親身になってくれているようだ。
可能性を信じたい。筋肉が付けば足の痛みも軽減されるだろう
子豚的にはとても辛い一日であった。
午前中は気が紛れていたが午後から煙草が吸いたくてたまらない。
娘が何処かに吸殻を隠していないかと探していたら
ゴミ箱の奥の方に煙草の箱を見つけその中に吸殻が入っていた。
しかしその箱は無残に捻じ曲げられしかもセロテープで巻かれている。
おそらく私が見つけても吸えないように娘がそうしたのだろう。
それがとてもショックだった。ここまでするのかと思った。
娘としては絶対に吸わせたくない気持ちでいっぱいだったようだ。
泣きそうになりながらその箱を拾ってしまった。
セロテープを剥がし箱を開けたらぐちゃぐちゃの吸殻が入っていた。
酷く惨めでならない。子豚はとことん追い詰められているのだ。
娘の好意?に応えたかったがどうしても出来なかった。
ぐちゃぐちゃになった吸殻をなんとか伸ばしてとうとう火を点ける。
もちろん不味い。喉が痛くなり吐き気ももようしてくる。
それでも吸わなくてはいけないのかと思うと情けなくてならない。
これほどまでに愚かな子豚に成り下がってしまったけれど
生きてさえいればきっと明るい未来が待っているような気がする。
明日の子豚を思い煩うことなかれ。
ずいぶんと日が長くなった。昼間の春の嵐が嘘のように
西の空はほおずき色に染まっている。
カラスの声が聴こえる。山には七つの子が待っているのだろうか。
なんとも穏やかで平和な夕暮れ時となった。
今日は外国人のお客さん。オーストラリアから来日しているコナン君。
昨年日本に来たばかりでまだ日本語が殆ど話せないけれど
「コンニチワ、ゲンキデスカ?」はとても上手である。
私も英語は最小限の単語しか話せないがなんとか会話は通じた。
車検の依頼を受けていたので完成した車を引き取りに来てくれたのだ。
かなり古い車でブレーキに不具合があり整備代が高額になっていた。
コナン君は少しも嫌な顔もせず「ペイするね」と支払ってくれる。
今回限りのおつきあいになるかもしれないけれど
「シーユアアゲイン」(であっているのかな)と伝えたら
満面の笑顔で手を振りながら四万十市まで帰って行った。
この仕事好きだなとつくづく思う。コナン君にまた会えたら良いな。
孫たちは今日から新学年。あやちゃんは5年生、けい君は4年生。
めいちゃんは3年生となり新たな学校生活が始まる。
けい君にはしばらく会っていないが、あやちゃん達は元気に登校した。
今朝は悪天候のためじいちゃんが車で送って行ったが
あやちゃんは集団登下校の最年長リーダーになるのだそうだ。
事故など無いようにどうか安全な学校生活を送って欲しいと願う。
子豚は今週の仕事を終え週末はまた禁煙に臨む。
どんなに我慢出来なくても煙草を買うことだけは避けたい。
娘の吸殻を探すのにも限界があり隠されているとしか思えなかった。
娘は決して意地悪でそうしているのでなく私の身を守ろうとしている。
そう思えばむやみに吸殻を求めてもいけないのだろう。
とにかく我慢しなければいけない。辛いのは自業自得である。
何処だろう。なんだか得体の知れない場所に引き摺り込まれている。
まるで気が狂ったように煙草が吸いたくてたまらない。
雨の一日。大降りにこそならなかったが桜は殆ど散ってしまった。
艶々と輝いているのは柿の若葉。まるで葉が花のようである。
躑躅が咲き始め藤の花も咲き始めた。まさに春爛漫のこの頃のこと。
朝の山道では6人のお遍路さん。雨合羽は着ているが足元はずぶ濡れ。
幸い荷物は少なく民宿泊のようでほっとしたことだった。
帰り道の県道ではなんと25人のお遍路さんが歩いていた。
団体のお遍路さんを見かけたのは久しぶりのこと。
指折り数えながら追い越していくと道端に大型バスが停車していた。
バス遍路なら叶うかもしれないとずっと憧れていたけれど
この足ではもう無理かもしれないと思った。
手術さえすれば完治するらしいがそれはいったいいつのことだろう。
焦っても仕方ないが前途は思うように明るくはならなかった。
昨夜は真夜中に左足がつって激痛が走る。
眠っている夫を起こし大騒ぎとなってしまった。
痛みが治まるまでマッサージをしてくれてなんと有難いことだろう。
これがもし独りきりの夜だったらと思うと不安でいっぱいになった。
夫を失うのが怖くてたまらない。考えただけでパニックになる。
それでなくても足の爪を切ってもらったり靴下を履かせてもらっている。
夫をどれほど頼りにしていることだろうか。
今夜は子豚のことには触れずにいようと思っていたのだけれど
どうしたわけか「子豚シリーズ」が好評で少し戸惑っている。
豚もおだてれば木に登るではないが調子に乗らずにはいられない。
子豚の寿命が後どのくらいなのか定かではないけれど
もはや冥途の土産になることは確実だろうと思っている。
こんな子豚のために清き一票を授けて下さり本当に感謝している。
餌を与えればとことん食べ尽くす子豚であった。
同僚はまるで養豚場の経営者のようでもある。
今頃明日の餌の準備に頭を悩ませていることだろう。
もうこそ最後にしようと思う気持ちも分からないではないが
子豚を憐れに思ってついつい情けをかけてしまうかもしれない。
子豚は同僚を信頼しているが彼にとってはもはや腐れ縁だろう。
無視したり放ってはおけない存在になってしまっているのだと思う。
明日のことは分からないがおそらく子豚は生きているだろう。
終わらない煙草はないがそれが明日だとは限らない。
二十四節気の「清明」命あるすべてのものが光り輝く頃。
生憎の雨となったがいかにも春雨と云った感じである。
明日は強く降るらしく桜散らしの雨となることだろう。
八重桜だろうか、ソメイヨシノより遅れて咲いた桜があり
まだこれから満開になろうとしている。純白の綿のような花だった。
午前中は目まぐるしいほどの忙しさとなる。
義父が田んぼに行かずに居てくれたので随分と助かった。
来客が多過ぎて同僚はパニック気味になっていたようだ。
私は職場でも杖をつかなければまともに動けない。
口はよく動くが所謂「役立たず」なのであろう。
おまけに何度も喫煙所に通うろくでなしでもあった。
どうして誰も叱らないのだろうといつも思っている。
午前中で煙草が無くなり同僚が新しい一箱をお恵み下さった。
多分今日は無くなるだろうと家から持って来てくれていたようだ。
それを当然のように思っている子豚のなんとふてぶてしいことか。
有難迷惑だと言いながら実は喜んでいるのが見え見えである。
それにしてもピアニッシモアイシーンのなんと美味しいことだろう。
もうすぐお別れだと思うとよけいに愛しさが込み上げて来る。
計画的禁煙のことを同僚に話したら「そりゃあ無理だ」と言われた。
私を舐めているらしい。いや馬鹿にしているのかもしれない。
同僚曰く、「GWまで煙草があるのかな」それって嫌がらせ?
もしそうなったら予定を早めなければいけなくなるではないか。
子豚は覚悟をしておかなければいけないのかもしれない。
毎晩毎晩子豚のことばかり書いて申し訳ないと思っている。
以前にも書いたが喫煙に嫌悪感を感じている方もいることだろう。
いいかげんに禁煙してくれと苛々している方も多いと思う。
悪いのはすべて子豚なのだ。子豚自身がそれを自覚している。
昨夜ここに家では完全禁煙出来ていると偉そうなことをほざいたが
また嘘をついてしまった。ごめんなさい。ごめんなさい。
娘の入浴中にバックの中から吸殻を2本失敬してしまった。
きっとバレるだろう。また罵られるのを覚悟の上である。
こんな不味い物の為にどれほど罪を重ねたら気が済むのだろう。
その上に早く明日にならないかなと思っている。
気温は20℃あったが陽射しは少なく肌寒さを感じた。
全国的には夏日に近かった所があったようだ。
朝と日中の寒暖差で体調を崩しやすいとのこと
特に自律神経の乱れが多いと夕方のニュースで聞いた。
私の場合はどうなのだろう。血圧は相変わらず高い日が続いている。
特に不調があるわけでもないので気にせずにいようと思うけれど
神経質な者だから朝晩必ず測り一度に3回も測る時もある。
医師は死ぬことはないと言ったがやはり不安になってしまうのだ。
山里では田植えが近づき義父がてんてこ舞いしている。
同僚も稲作をしていて日曜日も休みどころではないそうだ。
どれほど苦労をしても米価は安値でこのままでは報われない。
私のような素人でも日本の稲作の行く末を案じずにはいられなかった。
とにかく順調に田植えが終わり義父のほっとした笑顔を見たいと思う。
子豚が今日はっとひらめいたのは「計画的禁煙」である。
今は止む無く職場での喫煙を続けているが
家ではもうすっかり完全禁煙が出来るようになった。
煙草も無いし吸殻も無いのでそれは当然のことだろう。
諦めきっているせいかストレスも殆ど感じなくなった。
職場には昨日同僚が与えてくれた煙草が5本残っているので
明日でもうこそ最後にしようと思っていた。
そのことを同僚に伝えるとなんとまだ2箱あるのだそうだ。
一度に餌を与えてはいけないと家に置いてあると言う。
思わず「マジ?」と訊いたのは言うまでもない。
子豚のノルマは後2箱であるが計算すると4月10日頃だろうか。
今度こそ次は無いだろうと覚悟しなければならない。
しかし人一倍優しい同僚が任務を放棄するだろうか。
それは無いなと思った。きっと買わずにはいられなくなるだろう。
ずるずると月末までそれを続けるしかないと思う。
子豚の云う「計画的禁煙」はそこから始まるのであった。
5月のGWである。カレンダーを見たら5日もあるではないか。
その間に禁煙をすればそれが「完全」に繋がるのだと思う。
5月8日に出勤しても煙草のことなどもう忘れている。
同僚にも決して餌を与えないように念を押しておきたい。
そんなことを考えていると目の前がぱあっと明るくなった。
最終的には子豚との別れであるが最後まで見守って欲しい。
春風にしては少し強過ぎる風が吹き桜がはらはらと散るばかり。
「桜吹雪」と云うがまさに雪が舞っているように見えた。
仕事を終えて帰る頃にはすっかり葉桜になっていた。
ソメイヨシノの葉は緑ではなく濃い桃色なのでそれもまた美しい。
葉桜も良いものだなと感慨深く眺めたことだった。
帰宅すれば燕たちが玄関のあたりを飛び交っている。
古巣は壊さずにずっと残してあるが気に入ってくれるだろうか。
なにしろ玄関先なので場所によってはとても都合が悪い。
今のところは新しい巣を作り始めていないのでほっとしているが
最悪の場合にはアルミホイルで囲いをしなければならない。
例えば玄関ドアの真上とか。アルミホイルを貼ると燕は諦めるのだ。
燕が訪れる家には幸せが舞い込むと云うがどうなのだろう。
もう十分に幸せなのでこれ以上はもういいかなと思っている。
ただ不運なことだけは起きないで欲しいと願うばかりであった。
子豚は土日にあまりにも辛かったのでまた新たに禁煙を決意する。
今日からは職場でも絶対に吸わないつもりで出社したのであるが
なんということでしょう。職場の机の引き出しを開けたところ
禁煙を決意する直前まで吸っていた銘柄の煙草が一箱入れてあった。
「ピアニッシモアイシーン」と云う煙草でメンソールが強く
私のようなメンソール中毒者にはもう堪らない煙草なのである。
犯人と言ってしまえば気の毒であるが同僚の仕業だとすぐ分かった。
だからと言って有難迷惑だとどうして言えようか。
まず一本に火を点ける時に手が震えていた。
懐かしさのあまり感動したのであろうか。まるで夢のようであった。
「やばいよ、やばいよ」それ以外の言葉が出てこない。
しかし同僚の好意にこれ以上甘えるつもりはなかった。
これを最後にして欲しいと願ってやまない。
言い換えれば「快楽」なのだろうと思っている。
いつまでも甘い汁を飲めるはずなどないのだ。
そのうち取り返しのつかないことになるのだと思う。
もっと危機感を感じなければいけない。
やばいよ子豚。本当にやばいよ。
花曇りであったが思いがけずに薄陽が射していた。
気温は20℃を超え4月らしい暖かさとなる。
桜もそろそろ見納めだろうと「桜ドライブ」へ。
車を停める訳でもなくただひたすら国道を走った。
道端の民家の庭に廃校になった小学校の校庭に国道沿いの桜並木に。
散り急がずにいてくれてなんと有難いことだろう。
夫が「お花見だ」と声を上げてその横顔がとても微笑ましかった。
土佐清水市竜串から大月町へそれから宿毛市へと走る。
いつも利用している郊外のレストランでラーメンセットを食べた。
ラーメン屋さんではないけれど昔ながらの中華そばが美味しい。
チャーハンは具沢山で福神漬けが添えられてあるのがお気に入りだ。
私は子供の頃から福神漬けが大好きでチャーハンに混ぜ込んで食べる。
例年ならば海苔養殖業の最盛期であるが今年も全滅となった。
桜を愛でる余裕さえも無かった昔のことが懐かしく思い出される。
夫と相談し今期限りで休業することに決めた。
40年以上も携わってきた家業だけに心中はとても複雑である。
「その足ではもう無理だろう」と夫が言ってくれる。
こうなるようになっていたのかもしれないとふと思ったりした。
娘が起きて階下に行くのを待ちかねて娘達の部屋に侵入する。
どこかに吸殻を隠しているはずと探していたら
突然娘が階段を駆け上がって来て現場を目撃されてしまった。
叱られるどころではない。酷く罵られ散々な目に遭った。
子豚は今日ほど自己嫌悪に陥ったことはないだろう。
先日病院の医師が言った言葉が蘇る。
禁煙がストレスではなく喫煙がストレスになるのだそうだ。
確かに吸い続けている限りストレスに苛まれるような気がした。
きっぱりと止めてしまえばどれほど救われることだろうか。
ほんのつかの間ではあったが禁煙出来ていた時には夢のように楽だった。
もう一度あの時に戻れないものかと真剣に考えている。
今日はひたすら我慢の一日でとても辛かった。
無いものは無いのだ。何処を探しても有りはしないのだ。
明日職場に行けば同僚がまた与えてくれるのだろうか。
子豚を甘やかせてはいけないのだが彼次第である。
泥沼を承知でまた飛び込んでいくかもしれない。
私には今の子豚の心理が解らない。明日の子豚のことも解らないのだ。
日中は4月らしい暖かさとなった。
桜も散り急ぐことはなくまだ十分に楽しめる。
芝桜。桜草。桜の名の付く花も今が満開のようだ。
今朝は夫に足の爪を切って貰った。
痛みのため足を曲げることが出来ず自分ではどうすることも出来ない。
巻き爪なので切り難そうであったが綺麗に整えてくれた。
「なんで俺がこんなことを」と夫は嘆くけれど
私にとっては有難くまるで神様のように思えるのだった。
午前中にカーブスへ。足の痛みはあったがなんとか出来る。
やはり気の持ちようなのだと思った。最初から諦めてはいけない。
「股関節変形症」には運動療法が一番の治療法なのだそうだ。
無理をすれば逆効果だが適度の運動は必要なのだろう。
痛みが楽になるかもしれないと藁にも縋る思いであるが
痛みは一向に改善されずむしろ酷くなっている気がするのだった。
仕事が休みだったので今日の子豚は禁煙出来る予定であったが
ゴミ箱に娘の吸殻を10本ほども見つけてしまったのだった。
それを拾わずにどうしていられようか。
加熱式煙草の吸殻は種類にもよるが娘の煙草は原型を留めている。
ニコチンやタールはすでに無いと思われるが見た目は煙草と変わりない。
もちろん味は酷く不味い。焦げ臭いだけの藁のような代物であった。
こんな物をどうして吸わなければいけないのかと思うと
情けなくて悔しくてならなかったが火を点けずにはいられなかった。
なんと虚しいことだろう。ここまで子豚は落ちぶれてしまったのだ。
吸殻はすべて無くなってしまった。それでほっとするかと思えば
そうではなく気が狂ったようにまだ吸殻を探し求めている。
明日こそは完全禁煙となることだろう。
それが子豚にとって良いことなのか悪いことなのか分からなくなった。
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