ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年11月30日(水) 後ろめたさ

朝の気温より日中の気温が低くなる。

陽射しはわずかにあったが冷たい北風が吹いていた。

明日からは師走。一気に冬らしくなることだろう。


北海道では積雪。すぐに根雪になってしまうのではないだろうか。

北国の暮らしを思えば南国土佐のなんと恵まれていることか。

冬に怖気づいている私などとても愚かに思えてならない。



月末の仕事を無事に終えほっと肩の荷が下りる。

資金繰りが順調で何よりだった。

母と一緒に仕事をしていた頃の苦労が嘘のように思える。

会社はいつも火の車だった。その上に母の散財が重なり

言い争いが絶えなかったこと。暴言の嵐だったこと。

もう辞めてしまいたいと何度思ったことだろうか。


父の遺影に手を合わせ「母を何とかして下さい」と願っていた。

母さえ居なくなればと思っていたのだろう。

それほどまでに私は薄情な娘だったのだ。


その後の母の度重なる転倒による怪我。心不全の悪化。

入退院を繰り返していたがついに施設に入居することになったのだ。


母にとってはどれほど悔しく不本意なことだったろうか。

私はそれを自分のせいだと思っている。

亡き父が私を助けてくれたのだとしても願ったのは私に他ならない。

だから未だに後ろめたさを感じながら生きている。


これは口が裂けても母には言えないことだった。

ただ母が今の暮らしに慣れ嘘でも「幸せ」と言ってくれることに

どれほど救われていることだろうか。



2022年11月29日(火) 明日のことがわからない

雨風ともに強くなる予報だったけれど

幸い小雨のままで一日が終わる。

夕暮れ時には少しふっくらとした三日月が見えていた。


明日から一気に冬らしくなるのだそうだ。

師走も目前となり当然のことだと思う。

逃げも隠れもしない。冬に立ち向かうしかないだろう。



お隣の山茶花が満開になった。ピンク色でとても可愛い。

もうすでに散り始めている山茶花が多いけれど

遅咲きだったのだろう。種類にもよるのかもしれない。


お隣の奥さんは家を手放し娘さんの処に身を寄せると聞いていた。

そろそろなのかなと案じているけれど今のところ何の音沙汰もない。

まさか突然に黙って行ってしまうことはないだろう。

顔を合わすことはめったにないが洗濯物を目にするとほっとする。

週末には娘さんが里帰りして来て笑い声が聞こえる時もある。



「夫に先立たれる」考えただけで私は気が狂ってしまいそうだ。

独りぼっちで暮らす自信など全くありはしない。

そのうえに老いが重なればどれほど不安で心細いことだろう。


夫は「俺よりも長生きしろよ」と口癖のように言う。

私も夫を残しては死んでも死にきれないと思っている。

一日でも良い。夫を見送ってから逝けたら本望なのだ。


いつだって明日のことがわからない。

それでも未来を信じて日々を生き抜いていきたいものだ。







2022年11月28日(月) どんな日もあって良し

曇り日。気温のわりに肌寒く感じる。

お天気は下り坂で明日は雨になるようだ。

今度こそ寒波を誘うらしい。本格的な冬になることだろう。


先日処方してもらった薬が効いているらしく

入浴時のふたふた感がすっかり無くなった。

おかげでゆったりと湯船に浸かることが出来る。

薬に頼りたくはなかったが仕方ないことだろう。

けれども病気だとは思いたくない。

ただ少し精神的に不安定になっているのだと思う。

誰にだってそんな「弱さ」があるのではないだろうか。





月末が近くなり事務仕事も忙しくなった。

今日は義父の指導を受けつつ請求書作りをする。

正規の料金表はあるけれどそれでは義父が納得しない。

結果的に大幅な値引きをせざる得なかった。

駄目出しも何度かあり私は頭を抱えるばかりである。


一時間の残業となりくたくたになって帰宅する。

洗濯物が乾いていなかったらしく夫が乾燥機に入れてくれていた。

それを一足早く帰宅した娘がたたんでくれていてとても助かる。

ささやかなことだけれどほっと嬉しくてならない。


夕飯は半額でゲットした塩サバ。予想通りに不評。

ほうれん草の卵とじ。これも不評で誰も食べない。

孫達にはチキンナゲット。これは喜んで食べてくれた。


夕飯のメニューを考えるだけで精一杯だったのだ。

誰一人文句は言わないけれど残されると悲しくなる。

毎日頭を悩ませている私の身にもなって欲しい。


これは愚痴なのだろうか。私も愚痴が言えるようになったのだろうか。


まあどんな日もあって良しと思いたい。

明日のことはまた明日である。



2022年11月27日(日) 今日はどうする?

小春日和の有難いこと。暖かい陽射しが燦々と降り注ぐ。


「今日はどうする?」日曜日の夫はもうそれが口癖になった。

以前は私に乞われしぶしぶと出掛けることが多かったけれど

最近ではまるでお株を取られたように積極的である。


何処に行くあてもなかったが取り合えず車に乗ってから考える。

先週は東に向かったので今日は西に行くことになった。

宿毛市から大月町の柏島へ。土佐清水市経由で帰って来る。


柏島は真っ青な海と景観が見事な観光地であるが

今日は少し違和感を感じた。鰤の養殖場だろうか海一面を覆う筏。

それがいかにも人工的に見えて景観を損なっている気がした。


「漁師も生活があるからな」夫の言葉に頷くしかない。

観光では暮らしが成り立たないのが現実なのだろう。

ここ数年の間に一気に養殖筏が増えたものと思われる。


観光地と言ってもダイビングの大きな店があるだけだった。

港まで行くと細い路地が続き行き止まりになっている処もある。

もちろんコンビニも無く食事処も見当たらなかった。

道を歩く人も見えない。なんとも寂しく胸がせつなくなるばかり。


大月町の国道沿いまで戻りコンビニでお弁当を買う。

私の大好きなチキン南蛮弁当があってとても嬉しかった。

海が見える場所で食べるつもりだったけれどもう我慢が出来ない。

土佐清水市に入り国道沿いに車を停めて空腹を満たす。

私がさっさと先に食べ終えたものだから夫が可笑しそうに笑っていた。


「次は昼寝だな」まさにその通りになって帰り道はうたた寝。

気がつけばもう自宅近くの交差点であった。

いつも寝てばかりで夫には本当に申し訳ないと思っている。


帰宅してからもまだ眠く2時間ほど眠っていたようだ。

「千秋楽だぞ」夫とまた大相撲を観る。

照強は今日も負けてしまったけれど悔しさがきっとバネになるだろう。

高安は悲願の初優勝が叶わず来場所に期待するしかない。

28年ぶりの巴戦で阿炎が初優勝を果たしたのは意外だった。

勝負の世界は最後の最後まで分からないものだなと思う。


私は勝った力士よりも負けた力士に感動をおぼえる。


私も「負け組」なのだろう。ずっとずっと負け続けている。







2022年11月26日(土) 負けてもいい

朝のうちは小雨が降っていたけれど夕方には晴れる。

夕暮れ時には西の空が茜色に染まりか細い三日月が浮かんでいた。

まるでメルヘンの世界のようでうっとりと眺める。

ふと少女の頃のせつなさを思い出した。

恋しいひとも同じ空を見上げているのだろうかなどと。

そうして涙ぐんでしまったことなど懐かしくなる。

もう二度とそんなことはないだろう。私は恋を忘れてしまった。





職場は休みではなかったが私だけお休みを頂いていた。

心苦しさはあるけれど自分時間を優先したいと思う。

週一のカーブスはもはやリハビリにも等しく欠かせないこと。

終わり次第に職場に駆けつけることは出来たけれど

義父が無理をしなくても良いと言ってくれたのだった。

おかげで午後は心身ともにゆったりと過ごすことが出来る。


3時頃からおでんを煮込んだ。家中におでんの匂いが漂う。

それはとても幸せなあたたかい匂いであった。

おでんを弱火で煮込みながら夫と大相撲を観る。

私は炎鵬と照強のファンなのだけれど

今場所の照強はまだ一勝も出来ず憐れでならなかった。

今日も宇良に負けてしまって涙が出そうになる。


「ぎりぎりの崖っぷちなんだ」と夫が言う。

精神的にどれほど追い詰められていることだろうと案じずにいられない。

それでも照強は豪快に塩を投げ続けている。

決して自信があるわけではないだろう。

けれども気合は籠っている。それが唯一の救いのように思えた。


崖っぷちに立たされた時、人はいったい何を思うのだろう。

絶体絶命だと悲観し希望を見失ってしまうのだろうか。


私は違うと思う。それはむしろ試されているのではないか。

もし限界だとしても進む道は必ずあるはずなのだ。


自ら飛び込むことはしない。そうして自分を信じること。

勇気を持って運命に立ち向かっていかねばならない。


負けてもいい。勝つためだけの人生なら私は要らない。



2022年11月25日(金) 天からの恵み

初冬とは思えないほどの暖かさが続いている。

長期予報では師走に入るなり厳しい寒さになるのだそうだ。


お隣のアロエの花がもう少しで咲きそう。

熱帯植物のイメージがあるが毎年冬になると鮮やかな花を咲かせる。

オレンジ色のまるで蠟燭の炎のような明るい花である。

花の少ない季節だけにまるで奇跡ではないかと思うほど。





お昼に娘からメールがあり帰宅が遅くなるとのこと。

今夜は簡単に「しゃぶしゃぶ」にした。

それとお惣菜売り場で「鯵の南蛮漬け」を買って来た。

おそらく昨日の売れ残りの鰺なのだろう。

沢山入っている割に格安でしかも美味しい。

物価高に喘ぐ貧乏所帯にはまるで天からの恵みのようである。


天からの恵みと云えば市がまた給付金をくれるのだそうだ。

名目は「物価上昇に伴なう非課税世帯への給付金」となっている。

一世帯あたり5万円であるがどれほど助かることだろう。

来月中旬には口座に振込があるらしい。

我が家は光熱費に消えてしまうけれど有難いことだと思う。



家業の海苔養殖は今のところまだ目途が立たない。

わずかに海苔の芽が見え始めてはいるが育つかどうか。

最悪の場合は昨年同様に収穫ゼロになってしまうだろう。

そんなわけで捕らぬ狸の皮算用も出来ずにいる。


ただまだ完全に諦めているわけではない。

もしかしたらと微かな希望を抱き続けている。

自然相手のこと。まさにこれこそ天からの恵みなのではないだろうか。



2022年11月24日(木) 難破船

昨日の雨で寒気が流れ込んで来るのではと思っていた。

今朝は思いがけずに暖かくほっと胸を撫で下ろす。

一雨ごとに冬が深まるわけでもなさそうだ。


SNSでは未だに「秋」とつぶやく人が多く違和感を感じている。

「立冬」「小雪」となれば季節は初冬なのではないだろうか。

もちろん反論は出来ない。それが少なからずストレスになっていく。


波長の合う人と合わない人もいる。それも仕方ないことだろう。

私は極力誰とも親しくならないことを心掛けている。

言葉は悪いが「触らぬ神に祟りなし」なのかもしれない。





山里では2件のお葬式があった。義父が喪服を着て出掛ける。

仕事が立て込んでおり時間のロスであったが義理は欠かせない。

義父は夜なべで仕事をすると言う。それも苦にはならないようだ。

そんな義父のおかげでどれほど助かっていることだろう。


私は事務仕事以外は何も出来ない。それがもどかしくてならない。

母は整備士の資格を持っていたけれど工場で働くことはなかった。

私もそれで良いのだろうか。全く役には立たないのだけれど。

同僚にはなんと口うるさい事務員だと思われているかもしれない。


頭の中はもう12月のスケジュールでいっぱいになっている。

繁忙期をなんとしても乗り越えなければいけない。

義父や同僚には大きな負担を掛けざるに得ないだろう。



難破船は何処の海を漂っているのやら。

やがては辿り着く島があるのに違いない。



2022年11月23日(水) 綿菓子

雨のち曇り。あたりをしっとりと潤すような静かな雨。

幸い気温は高めで冷たさを感じなかった。


勤労感謝の日で祝日であたっが娘夫婦は仕事に行く。

何のための祝日だろうと思うけれど

働いてくれている人達のおかげで暮らしが成り立っている。



市街地では「一条大祭」市を代表する一条神社のお祭りだった。

昔から寒さが一気に厳しくなる頃で小雪が舞った年もある。

今日は生憎の雨であったが参拝者は多かったのかもしれない。


子供の頃には親と行くよりも子供同士で行くのが習いだった。

お小遣いを貰ってバスに乗って行くのがとても楽しみであった。


今の子供はどうなのだろう。昔ほど興味が無いようにも思われる。

神社に関心が無くなり出店も楽しみではなくなっているようだ。

欲しいものはいつでも手に入る世の中になってしまっている。



我が家では仕事を終えた娘夫婦がめいちゃんだけ連れて行く。

あやちゃんは例の調子で「別に・・」とそっけない。

夕食は帰宅してから食べるそうであやちゃんは私達と一緒に食べた。

食べ終わるなりお風呂に入り今は宿題をしているようだ。

洗った髪が濡れたままだったので「また風邪を引くよ」と

声をかけたら「うん、わかった」ととても素直である。


もし一緒に暮らしていなかったら独りぼっちでいるのだろうか。

子供心に私達を頼ってくれているような気もして嬉しかった。



そろそろ娘達が帰って来る頃である。

めいちゃんは大好きな綿菓子を買って貰っただろうか。

にこにこ笑顔を待っている夜のこと。



2022年11月22日(火) 生きる勇気

二十四節気の「小雪」そろそろ雪が降り始める頃。

季節はもう本格的な冬と言って良いだろう。

南国土佐は暖かな一日となったけれど北国を気遣う。

もうすでに初雪が降っており厳しい寒さに見舞われていることだろう。



仕事帰りに星ヶ丘公園に立ち寄っていた。

樹々の紅葉がわずかに見られたけれどあたり一面が雀色。

竜胆も枯れ始め山茶花も散り始めていた。

葉をすっかり落とした柿の木がたわわに実を残していたのが

唯一の彩りに見えほっと心が和んだような気がする。


植物も冬支度なのだ。寒さを乗り越えてこその春なのに違いない。





椎名誠の「ぼくがいま、死について思うこと」を読んでいるが

死を恐れる気持ちや不安な気持ちが無いことに勇気づけられる。

「悪運に強い」と記されているが正にその通りだろう。


生命力は人それぞれだと思うけれど自分の命を信じること。

これくらいのことでくたばってたまるもんかと思いたい。


幸い私はこれまでの人生で九死に一生を得たことはない。

辛いことは沢山あったけれど命に関わる事ではなかった。

少女時代に「死にたい」と思ったことはあったが

そう思う自分を憐れに思うばかりであった。

自分が可哀想でならない。けれども死んでしまえばもっと可哀想だ。

人は何があっても生きることを諦めてはいけないのだと思う。


瀬戸内寂聴は「定命が尽きるまで」と言った。

定命とは仏教の言葉でこの世に生まれた時からすでに定まっている

寿命のことである。幼い死もあれば長寿を全うすることもある。

それは誰にも知らされていない。だからこそ生きなければならない。

今日かもしれない明日かもしれない漠然とした命である。


私が死を怖れるようになったのはまだ40代の頃だった。

怖れと云うより不安でならなかった。心細くてならなかったのだ。


確かに生きているのだけれど心もとない。

これで良いのかこのままで良いのかと自問自答を繰り返すばかり。

自分がとてつもなく儚い存在に思えてならなかった。


今思えばそれはとても愚かなことだったのかもしれない。


とにかく与えられた一日を全うすること。

今は精一杯に生きているのだと自分を信じている。



2022年11月21日(月) 私は捨てない

小春日和が続いていると急に冬将軍がやって来そうな気がする。

私はまだ寒さを怖れているのだろうか。自分でもよく分からない。

覚悟はしているつもりだけれど少し臆病になっているようだ。



ご近所の奥さんから頂いていたコキアがすっかり枯れてしまった。

「枯れたら捨ててね」と言われていたのだけれど

潔くそれが出来ずに未だに玄関先に置いたままだった。

根があるのだから春になったら新芽が出るのかもしれないとか

来年の秋には紅葉するかもしれないとか未練がましく思っている。

たぶん私は捨てない。ささやかな希望を持ち続けていたい。





土曜日曜と二日続けて母から電話があった。

ちょうど私がこの日記を書いている時のこと。

着信履歴を見て私が掛けていたと思い違いをしたようだった。

「それは先週の事やろ」と言ったら「ありゃそうかね」と応え

「私って呆けちゃったのかしら」とひょうきんな声を発する。


介護士さんに屋上へ連れて行って貰ったのがよほど嬉しかったらしく

二日続けて同じ話をする。「昨日も聴いたけん」とつい言ってしまった。

すぐにしまったと思ったけれどもう後の祭りである。

何度でも耳を傾けてあげるべきだったと深く反省をした。


土曜日曜はリハビリも休みで介護士さんも最小限のようだった。

母にとっては誰もかまってくれない寂しい週末だったのだろう。

訊きもしないのに「ご飯が美味しい」「なんと幸せ」と言う。


それが少し切なかった。まるで寂しさを胡麻化しているよう。

母は沢山の人に囲まれていてもどうしようもなく孤独なのだと思う。


私は薄情な娘のままだった。今も母からの電話を待ってはいない。

ただ母を捨てることは決して無いと思う。





2022年11月20日(日) 海とラーメン

日中は曇りの予報だったけれど思いがけずに晴天となる。

気温も20℃を越えずいぶんと暖かくなった。

初冬の陽射しのなんと有難いことだろう。



朝陽が射し始めた頃にお大師堂へ。

お堂に続く小径には枯れ葉がたくさん舞い落ちていた。

踏みしめながら歩くのがなんとも心地よい。

川岸では魚釣りをしている人がいた。

のどかな朝の風景にこころが和む。


花枝(しきび)が気になっていたので持参して行って良かった。

葉がずいぶんと落ちておりもう限界だったようだ。

誰かが菊の花を添えてくれていた。

お参り仲間さんの心遣いが嬉しくてならない。


手水鉢の水が空っぽになっており残念でならなかったけれど

足の痛みがあり川の水を汲みに行けなかった。

誰かが汲んで来てくれるだろうと前回にもそう思ったことだった。

人を頼りにしてはいけないのだなとつくづく思う。

私も「出来ない」と決めつけているのかもしれない。


川のせせらぎの音を聴きながら般若心経を唱えた。

最後には願い事ばかりでお大師さんに申し訳ない。





10時頃からプチドライブ。真っ青な海を眺めながら四万十町まで。

お目当ては例の行列の出来るラーメン屋さんであったけれど

駐車場は満車状態で仕方なく諦めざるを得なかった。

町中まで戻り国道沿いのお食事処のお店に入った。

初めてであったが落ち着いた雰囲気の庭がありこれは良いなと思う。

紅葉した木の根元にふくろうの置物がありとても可愛かった。


他のお客さんは皆ラーメンを食べており美味しそう。

私達も迷わずにラーメンセットを注文する。

混んでいるにも関わらず10分で運ばれてきて驚いた。

スープは少し濃い目。麺は程よい柔らかさ。

もやしは入っていなかったがたっぷりの葱とチャーシュー。

チャーハンには紅生姜がトッピングされていた。


「満足、満足」夫と二人お腹を撫でたのは言うまでもない。

行列の出来る店に拘らなくても穴場が確かに在ったのだった。

「また来ようね」と笑顔で帰路に就く。


私は凄く眠くなってしまってこっくりこっくりしながら

時々はっとしたように真っ青な海を眺めていた。



2022年11月19日(土) 家族団らん

曇り日。時おり霧のような雨が降る。

朝は晴れていたので大量の洗濯物を干していた。

すぐに取り入れ乾燥機のお世話になる。

以前はよくコインランドリーに行っていたけれど

ずいぶんと便利な世の中になったものだ。


子供たちが赤ん坊の頃には布おむつが乾かない時

一枚一枚アイロンを掛けていたことを思い出す。



午前中に図書館とカーブス。

図書館では椎名誠のエッセイ本を2冊借りて来た。

椎名誠の本を読むのは20年ぶり位ではないだろうか。

とにかく懐かしい。まるで古い友人に再会したようだ。


カーブスでは知り合いのお仲間さんに久しぶりに会えて嬉しい。

憂鬱な気持ちは何処へやら。おかげで今日はとても楽しかった。

やはり気の持ちようなのだとつくづく思ったりする。

コーチの励ましにも素直に頷いている自分がいた。

笑顔は大切。きっと心も微笑んでいたのだろう。



午後は炬燵に潜り込みひたすら怠惰に過ごす。

孫達の昼食は娘が用意して行っていたのでとても助かった。

お昼に声を掛けたら「勝手に食べるけん」とあやちゃんが言う。

本当に手が掛からなくなった。それがちょっぴり寂しい。



夕飯は娘が牡蠣フライを揚げてくれて私は肉じゃかとオムライスを作る。

娘婿が珍しく早くに帰宅していたけれど一緒に食べることはしない。

もうそれが当たり前の日常になりずいぶんと経った。


先に夫と二人でさっさと食べる。会話も殆どしないことが多い。

食べ終わるとすぐに席を立ち娘たちに食卓を譲るのだった。

それも慣れてしまうと気にもならず当然のことになっていく。


「家族団らん」には程遠い暮らしだけれど寂しさは感じない。

娘たちの楽しそうな声を聴くだけで幸せだなと思うのだった。









2022年11月18日(金) 心を鬼にする

朝の寒さもつかのま。日中は小春日和となる。

寒暖差にもすっかり慣れて来たようだ。


芒の穂がずいぶんと白くなって来た。

人間だと70歳位だろうか。老いを感じる頃である。

それでも陽射しを浴びてきらきらと輝いている。

嘆くことなど何ひとつないのだろう。

やがては枯れることも怖れてはいないのだ。

そんなふうに生きられたらどんなに良いだろうか。


私も野に在りたい。そうして命を全うしたいと思った。





工場にみい太の子供であると思われる子猫がやって来た。

先日見かけた時よりも少し大きくなっている。

さほど瘦せ細ってはおらず元気な足取りにほっとしたけれど

いったい何を食べて暮らしているのかと気掛かりでならない。


子猫を見つけた義父が突然石を投げ始めて驚く。

そこまでしないでもと思ったけれど何も言えなかった。

子猫は一目散に逃げて行ったがその後姿のなんと憐れなこと。


義父にしてみれば工場を猫だらけにするわけにはいかないのだろう。

みい太は仕方ないとしても子猫の面倒まで見る気はないのだ。

心を鬼にしているのがわかるだけにとても複雑な気持ちになった。



山里には「猫屋敷」と呼ばれている民家がある。

ざっと数えただけでも10匹は居るのではないだろうか。

その民家の主は生活保護を受けていると聞いたことがある。

自分の暮らしもままならないのに猫達と暮らしているのだった。

身を削っても猫達に愛情を注ぎ続けているのだろう。

陰口を叩く人もいるらしいが全く気にしていないようだった。

たとえ猫でも尊い命には変わりないのだと思う。



義父はこれからも石を投げ続けるのだろうか。

私は出来ることならばそんな義父の姿を二度と見たくないと思う。





2022年11月17日(木) だから悔いはない

曇り日。薄日が射す時間帯もあったが肌寒い一日だった。

おひさまの有難さをつくづくと感じる。


山里の秋桜畑で種を採取している人達を見かけた。

それほど広い畑ではなかったがなんと綺麗な秋桜だったことか。

種はいつ頃蒔くのだろう。春先だろうかと思いを馳せる。

来年もきっとたくさんの花を咲かせてくれることだろう。




今日は高知県芸術祭文芸賞の発表があった。

通知が来ない時点で諦めてはいたのだけれど

落選ならそこに自分の名が無いことを確かめたかった。

やはり思った通り。佳作にも私の名は無かった。


不思議と失望は感じない。むしろすっきりと心地よい。

認められたい欲を断捨離したような気分であった。

「励み」とは何だろうと漠然と思う。

認められ褒められることだろうか。それが自信に繋がるのか。

そうではないのだと今日ははっきりと自覚したように思う。


踏みにじられ拒絶され打ち捨てられてこそ

「励み」が生じるような気がする。

根性が座ると云うか立ち向かう勇気のようなものが湧いて来る。


私は試されたのだろう。どれほどのものが書けるのか。

ある意味限界だったのかもしれないけれど精一杯であった。

だから悔いはない。決して負けたのではないと思っている。





仕事から帰宅したらあやちゃんが平熱になっていた。

食欲も出て来たようでもう大丈夫だろう。

心配性の私にうんざりしたのか「おばあちゃんはうるさい」と言う。

それだけ元気になった証拠でありむしろ嬉しく思う。


家族の平穏無事を祈り続けている日々。

もし定命が尽きても私は祈り続けていることだろう。



2022年11月16日(水) 今こそ希望を

今朝は今季いちばんの冷え込みとなる。

日に日に寒さに慣れて来たのだろうさほど苦にはならなかった。

いつものように4時に起床しパソコン画面と向き合っていたけれど

ただ自分の息を感じるだけで空白に押しつぶされそうだった。


ありのままを記せば見苦しい。自分がとても愚かに感じる。

それでも生きているのだと思った。「いま」を書き残しておきたい。

その一心で言葉を綴る。ほかの誰でもない「わたし」がそこに居る。

どれほど無様でも見捨てることなどどうしてできようか。





あやちゃんが昨夜から発熱。

コロナ禍の学校の規則でめいちゃんも休まなければいけなかった。

学校側も万一の事を考えて慎重に対処しているのだと思う。


娘が仕事を休み小児科へ連れて行っていたら

PCR検査を受けるために10人ほど車中で待機していたらしい。

おそらく何人かは陽性だったと思われるが幸いなことに

あやちゃんは陰性でただの風邪だろうと診断を受けたとのこと。

私が帰宅した頃には微熱になっておりほっと胸を撫で下ろした。

めいちゃんも明日は学校に行けると喜んではしゃいでいる。



県の感染者数の発表は毎日あるけれど

市町村別の感染者数の発表が無くなりしばらく経った。

市内でどれほどの感染が拡大しているのか全く分からない。

それで良いのだろうかと疑問に思わずにいられない。

自然と緊迫感が薄れる。危機感ももちろんのことである。

気のせいかもしれないけれど感染対策も疎かになっているのではないか。


山里で仕事をしていると特にそれを感じる。

殆どの人がマスクを着用していないのだった。

事務所の入り口に消毒液を置いてあるが使用する人は皆無である。

そればかりは強制できなくて戸惑うことが多い。


夫に話したら「自分の身は自分で守れよ」と言われた。

マスクの着用はもちろんのこと手洗い消毒はマメにしている。

以前の経験からいつ自分が濃厚接触者になるとも限らない。


終わらないコロナは無いと信じたいが今のところ前途は暗い。

ただいつかは終息するだろうと漠然と思うばかりである。

今こそ希望を持つべき時なのかもしれない。



2022年11月15日(火) 父の魂

11月も中旬となり初冬らしさが増してきた。

一昨日の雨がきっかけになったのではないだろうか。

これからも一雨ごとに寒さが厳しくなって来ることだろう。


秋桜が散ってしまい芒ばかりが目に付くようになったけれど

今日は職場の庭の片隅に山茶花の花を見つけて心が和んだ。

母が育てていた花を見るとなんだか胸が熱くなってしまう。






父の命日。もう19年の歳月が流れたのかと感慨深く思う。

25年ぶりの再会が叶いその9日後のことであった。

独り暮らしのアパートで「孤独死」なんと憐れな最期だったことか。

しかも24時間誰もその死を知らず私が知ったのも翌日のことだった。

安らかな死顔であったがどれほど寂しかったことだろう。

すっかり冷たくなった父と添い寝しながら何度も話し掛けていた。



父は昭和4年、県東部の安田町で5人兄弟の次男として生まれた。

少年期は戦争の最中で父も少年兵を志願しようとしていたらしい。

16歳で終戦。高等小学校を卒業後中学に進学出来ずにいた父は

林業の手伝いなどをしながらやがて営林署の職員になっていた。


母との出会いについては何も聞かされていない。

何度か訊いたことがあったが教えてはもらえなかった。

高知市内の洋裁学校に通っていた母との接点が確かにあったのだろう。


子供の頃には頑固で厳しかったような記憶もあるけれど

母と離婚してからの父はとても優しかった。

その優しさを裏切るようなことを私はしてしまったのだ。

今となってはもう取り返しのつかないことだけれど

父は寛容でありいつも私の味方をしてくれていたのだ。


離れて暮らすようになって孫の顔も見せてあげられなかった。

25年の歳月を父はどんな思いで暮らしていたことだろう。

息子と娘が初めて父に会ったのは父の葬儀の日だったのだ。



父が亡くなってから不思議なことが沢山あった。

それはいつも私が窮地に立たされていた時ばかりで

必ずと言って良いほど救われるような出来事が起こった。

神様や仏様よりもそれは父のおかげだと私は信じている。

父の魂はずっと私の傍に居て私を守ってくれているのだと思う。








2022年11月14日(月) リラックス

晴れてはいたけれど気温はあまり上がらず

時おり吹く風に冬の気配を感じた。


昨夜は7時には床に就きひたすら眠る。

午前4時にはいつも通りに目覚め「ああ生きているな」とほっとした。

大げさかもしれないけれどそれ程までに私は臆病者らしい。



ちょうど今日は定期の内科通院日だったので診察を受ける。

医師とは以前から相性が悪く少し気が重かったけれど

藁にもすがる思いで昨夜の事を話さずにいられなかった。

そうしたら思いがけずに親身になってくれ救われたように思う。


どうやら血圧のせいで眩暈が起こったのではなく

眩暈が起こったからパニックになり血圧が上がったのらしい。

軽い眩暈は誰にでも少なからずあるとのこと。

もし脳や心臓の不整脈が原因なら立っていられないほど酷いそうだ。


入浴が怖く緊張するのはやはり持病の不安神経症のせいらしい。

また薬が増えてしまうけれど抗不安薬を服用することになった。

なるべくなら薬に頼りたくないけれど仕方ないことだと思う。


病は気からと云うが私の「気」のなんと情けないことだろう。

学んだはずの自己暗示術もすっかり忘れていることに気づく。


入浴は一日の疲れを癒しリラックスするためのものである。

決して命を落とすために自ら危険を冒すものではない。


もちろん人はいつかは死ぬけれど「定命」がある。

それは誰にも知らされておらずだからこそ精一杯に生きねばならない。


お風呂で裸んぼうで死んでたまるか。今夜はそう思った。

弱気になってはいけない。そんな負け方をしてはいけないのだ。








2022年11月13日(日) めまい

雨のち晴れ。夕方にはほうずき色の空が見えた。


入浴中に眩暈。すぐに治まったが血圧が少し高くなっている。

暖かい夜なのにどうしてだろうと不可解でならない。

精神安定剤を服用し様子を見ているが胸がふたふたとするばかり。


いつものように書きたいけれど書けない。

明日は仕事に行かねばならず今夜は安静にしていた方が良さそうだ。


思うようにいかなくて口惜しくてならない。

神様仏様。明日はどうか書けますように。

私のいのちをお守りください。助けてください。



2022年11月12日(土) 家族の行方

晴れの天気予報が外れてしまいぽつぽつと雨が降ったりする。

大量の洗濯物を仕方なく取り入れなければならずなんだかむなしい。


むなしいは「虚しい」とも「空しい」とも書くが

この場合どちらを選べばよいのかよくわからない。

わからないも「分からない」「判らない」「解らない」と書ける。

自信がないものだからついひらがなに頼ってしまった。

無知の上に語学力が足らない。馬鹿ではないと思うのだけれど。




朝のうちにカーブスへ行っていたがまたメンタルを遣られる。

そっとしておいて欲しいのにどうして励ますのだろう。

過剰な誉め言葉ももうたくさんだと思った。

気が滅入るばかりで挨拶もそこそこに逃げるように帰って来た。

脱会するつもりはないが続ける自信もない。

何事も気の持ちようと自分を宥め続けるしかないだろう。



娘夫婦が仕事だったので孫達と昼食。

娘が作り置きのドライカレーを解凍してくれていた。

あやちゃんは食卓で食べてくれたがめいちゃんは二階で食べる。

私が運ぼうとしていたら自分でお盆に載せて運んでくれた。


幼い頃のように子守をするでもなく静かな午後であった。

そっと部屋を覗いたら二人とも頑張って宿題をしていた。

日記の宿題もあるようでそれは明日書くのだそうだ。


今夜はお婿さんの実家で食事会だとか皆で出掛けている。

お婿さんのお兄さんが里帰りしているのだそうだ。

娘は気を遣うかもしれないけれどきっと楽しんでいるだろう。


そんなわけで夫と二人きりの夕食。すっかり楽をさせてもらった。

近所の魚屋さんでお刺身を買って来て後はローソンのチキン。

そんな手抜きにも夫は文句ひとつ言わず有難いことである。

いつかは訪れるであろう二人暮らしもまんざらではないかなと思う。

すっかりやる気を無くした私が目に見えるようである。

夫はそれでも我慢してくれるのだろうか。



息子が突然に家を出てからもう何年になるのか忘れてしまった。

娘もあっけなく家を出て行ったがかれこれ12年程前だったろうか。

日記を読み返せばすぐに分かることだけれどそれが出来ずにいる。


家族4人で暮らしていた頃がとても懐かしく思われてならない。




2022年11月11日(金) よい酔い日記

外気温20℃ずいぶんと暖かな夜になった。

人の躰にはいちばん優しい気温ではないだろうか。

入浴中の緊張感も無くゆったりと湯船に浸かった。

お風呂上がりの冷たい焼酎が身に沁みるように美味しい。


焼酎を好むようになったのはかれこれ40年程前だったろうか。

夫の晩酌がビールから焼酎に替った頃だったと記憶している。

貧乏所帯にはビールは贅沢品であり止む無く焼酎に切り替えたのだ。

それでも夏の間はビールだった。寒くなると焼酎になっていた。

夫は焼酎よりもビールを好み随分と我慢をしたことだろう。

夏のビール解禁をどれほど待ちわびていたことか。


私はまだ子育ての真っ最中で晩酌とはいかなかったけれど

時々寝る前に焼酎を少しだけ飲んでいた記憶がある。

それが寝酒の始まりで今に至っているのであろう。

安眠はもちろんであるがリラックス感が半端ない。

習慣と云うよりすっかり癖になり無くてはならない物になった。

アルコール依存症なのかもしれないけれどあまり気にしてはいない。

たまに飲み過ぎて泥酔する時もあるけれどそれも御愛嬌としている。


泥酔と云えば若い頃に急性アルコール中毒になったことがある。

成人式を目前にして友人たちと日本酒を冷でがぶ飲みしたのだった。

確かお茶碗で飲んだ。私は調子に乗って一気に三杯も飲み干した。

その後の意識は無く3日ほど寝込んだことだけは憶えている。


成人式には人並みに振袖が着たくてならなかった。

けれども結婚したらもう振袖は着てはいけないらしい。

その前に振袖が無い。着ていく着物さえ一枚もなかった。

成人式の当日は布団の中で過ごす。まだ頭がしぶしぶと痛んでいた。


今思えば苦い思い出なのかもしれないけれど懐かしくてならない。

なんと若かったことかと自分が誇らしげにも思えて来る。


焼酎の話から脱線してしまったけれどこれも愉快なこと。

今夜の日記は「よい酔い日記」としよう。


三杯目の焼酎を飲み干した。後はぐっすりと眠るだけだ。



2022年11月10日(木) 鍵付きの日記帳

小春日和が続いている。20℃を超すと随分と暖かい。

そんな暖かさのせいとは思えないけれど

職場の近くにある銀杏の木がなんだかおかしい。

例年ならば黄金色に色づきそうして葉を落としていくのだけれど

今年はどうしたことだろう。黄金色になる前にもう散り始めている。

枝ばかりの裸木のなんと憐れなこと。胸に切なさが込み上げて来る。

木にも病気があるらしいが何らかの異変が起きているのだろうか。

陽射しを浴びてきらきらと輝いていたかつての銀杏を想い起こす。


苦しくはないか。辛くはないか。そう声を掛けてあげたくなった。





まだこの一年を振り返るには少し早いけれど

少しずつ今年の日記を読み返している。

きっかけはけい君と一緒に行ったドライブのことだった。

去年だったか今年の春だったか思い出せなくて

気になると確かめなければ気が済まない性分である。

どうやら今年の5月のことだったらしい。

半年前のことを忘れているのだから私の記憶力は当てにならない。

それが10年前、20年前ともなるとはるか昔のことである。

けれども日記を読んでいるとその記憶が鮮やかに蘇って来るのだった。

書き残しておいて本当に良かったと思う。

今日の日記もやがては過去になるだろう。

いまここに居る私も過去の人になってしまうのだ。


その時何を想い何を感じたか。正直に在りのままを記しておきたい。

愚かな自分も無様な自分も確かに生きていたのだから。


永遠の命が無いように永遠の日記も無いだろうと思っている。

今はネット空間に頼り切っているけれどいつ消滅するか分からない。


少女時代に鍵付きの日記帳を持っていたけれど

あれはいったい何処に行ってしまったのだろう。

捨てた記憶は無い。そうして何を書いていたのかも忘れてしまった。



2022年11月09日(水) 月が私を見ている

夜明け前、名残の月を仰ぎながら自分について考えていた。

心に問うと云うよりも心を追い詰めるようなこと。

逃げも隠れもしないのだ。何処に向かおうと私の勝手なのだろう。


欲だらけの醜さ。綺麗ごとばかりの見栄。分不相応な拘り。

どうやらそれが私の真実の姿であるらしい。

「月が私を見ている」そう記してやっと自分を認めることが出来た。

生きてきたことを誇りに思いたい。そうしてこれからも生きていきたい。






今日は整形外科の受診日だった。医師との会話が楽しみでならない。

とても親身になってくれてまるで心療内科のようだった。

手術を勧めてくれたけれどほぼ2か月の入院になるとのこと。

仕事を持つ身にはとても無理な話であった。

私が「80歳になったら考えます」と言ったら医師の笑うこと。

おまけに「そのうちぽっくり死ぬかもしれないし」と言ったら

悪い冗談だと思ったのか医師も看護師さんまでも笑い転げていた。


けれどもそれは私の本音である。

痛みをあの世まで持って逝くという選択肢もあると思うのだ。

あの世に逝けば手も足もない「魂」になるのだから

痛みのない素晴らしい世界が待っているのではないだろうか。

そう思うと死ぬのもまんざら悪くはないなと思ったりする。


いや、待てよ。私は長生きをするのだったとはっと気づく。

そのうち腰も曲がるだろうし杖に頼るのも良いかもしれない。

今はおしゃれな杖もあるしちょっと憧れたりもするのだった。


目標は米寿かな。夫に先立たれた未亡人と云う設定も良い。

でも独り暮らしは寂しいだろうな。気が狂ってしまいそうだ。

それよりも施設に入居した方が良いだろうか。

子供達に迷惑を掛けるのだけはなんとしても避けたい。


その頃には施設もインターネットし放題になっているだろう。

私はノートパソコンで最後の最期まで書き続けるのであった。


もう充分に生きた。もう思い残すことはない。そう思える日まで。





2022年11月08日(火) もう嘘はつかない

今夜は満月。皆既月食らしいが窓からは月が見えない。

外に出れば見えるだろうがそれも億劫になってしまった。

行動力が無い。興味も好奇心も無いのかもしれない。

それを歳のせいにしてしまうのは卑怯なことだろうか。


時々自分が解らなくなる時がある。

正直なふりをして嘘をついているのではないか。

ここには本音を記しているつもりだが不確かであやふやな時もある。

誇りはあるが自信は無い。無いものを在るように見せかけている。

「これが私だ」と堂々と胸を張れるような自分になりたい。





今朝は高知新聞の「こども記者便り」にめいちゃんの記事が載っていた。

「大きなたまごサンド」という題で家族で外食に行った時のこと。

とても伸び伸びと素直に書かれておりひたすら感心する。

たまごサンドはお父さんの足くらい大きかったのだそうだ。

一緒に頼んだクリームソーダは靴のようなグラスに入っていたそう。

子供心にどれほどわくわくしたことだろう。

めいちゃんのびっくりした様子が目に見えるようで微笑ましかった。

おとなには決して書けない純真無垢な記事そのものである。


学校でも話題になったのか下校するなり「けさのしんぶん」と

私がすでに切り抜いていたので渡すと勉強机に飾ったようだった。

決して自慢をするような子ではないがよほど嬉しかったのだろう。

ささやかなことが励みになる。また頑張って書こうと思う。


めいちゃんには私のような「欲」が無かった。

「認められたい欲」ほど愚かなことはないだろうと改めて思う。

めいちゃんに大切なことを教わったような気がする。


私はあくまでも「わたし」で在り続けなければいけない。

どれほど踏まれてもどれほど蔑まれても

自分に正直に在りのままを記せるようなひとになりたいと思った。



2022年11月07日(月) 芋焼き遠足

二十四節気の「立冬」とうとう冬が始まる。

曇り日で時おりにわか雨が降ったけれど日中は暖かくなる。

孫たちが遠足だったのでお天気が気になってならなかった。

幸いぽつぽつの雨で濡れる程の雨ではなくほっと胸を撫でおろす。


片道3Kの道を歩き双海海岸の浜辺まで行っていたそうだ。

昔からの伝統行事で浜辺で焼き芋をするのが習いである。

流木を拾い集めて火を焚くのも楽しそうであった。

そうしてお芋を焼く。昔懐かしい光景が目に浮かぶようである。


午後4時過ぎ汗びっしょりになって帰って来た。

子供の足で往復6Kはかなりきつかったことだろう。

楽しかったけど疲れた。それが正直な気持ちであった。


めいちゃんはおじいちゃんと一緒に早めにお風呂に入る。

あやちゃんは足が痛いと言ってあまり元気がなかった。

それでも食欲はあり心配する程のことは無いだろう。

ハヤシライスを食べてから雑炊も食べていて微笑ましく思う。



私が子供の頃の遠足はあまり記憶に残ってはいないけれど

皆でバスに乗って宇和島城へ行ったことだけは薄っすらと憶えている。

生まれ育った山村は県境にあり愛媛県の方が近かったのだ。

「町」と言えば宇和島だった。中村(現四万十市)は遠い町で

一度も行ったことない見知らぬ町だったのだと思う。

今は市町村合併で山村は四万十市の一部になっているけれど

昔のことを思うととても信じられなかった。


遠足と云えば楽しみなのはお弁当でもあるけれど

母が作ってくれたそのお弁当をどうしても思い出せない。

きっといつものお弁当より豪華な物だったのだろう。

おにぎりではなく巻き寿司だったのかもしれないけれど。


子供の頃の記憶はなんと曖昧なのだろうと今更ながらに思う。

あやちゃんもめいちゃんも忘れてしまうのだろうか。

そう思うと娘がちょっと憐れにも思えて来る。


パソコンやスマホみたいに記憶を保存出来るならいいな。





2022年11月06日(日) 明日からは小春日和

朝の冷え込みもつかの間。日中はぽかぽか日和となった。

「小春日和」は冬の季語だと学んだことがある。

明日は立冬なので堂々と記せるようになるだろう。



朝食時に夫が「何処かへ行くか」と言ってくれて嬉しかった。

このところ毎週出掛けており少し気が引けたけれど

せっかくの行楽日和に家に籠るのも惜しいなと思う。

何よりも気分転換となり心から笑顔になれるのだった。


紅葉にはまだ少し早いように思えたけれど

宿毛市から篠山を通り愛媛の津島町へ抜ける山道を選んだ。

以前にけい君も一緒にドライブをしたコースだったけれど

去年のことだっか今年の春だったかよく思い出せない。

月日の経つのがほんとうに早く感じられる。


山々には紅葉が殆ど見られなかったけれど

廃校になった小学校の庭に何の木だろう鮮やかな紅葉が見られた。

勝手に校庭に忍び込むのも憚られあらあらという間に通り過ぎる。

写真を撮りたかったけれどもう後の祭りであった。

夫が来週こそは紅葉だなと言ってくれて近場の渓谷巡りになるだろう。

お天気が良かったらいいなと今から楽しみにしている。


いつものことだけれど会話が弾む。

普段家ではあまり話せないことばかり話すのが習いであった。

娘たちの事。息子たちの事。決して悪口ではないけれど

行く末を案じると云うか今後どうなるかと憶測も多くなる。

結局はなるようになるだろうと二人で頷き合うのだった。



愛媛の津島町まで着きちょうどお昼時となった。

外食をするようなお店が見つからず仕方なくコンビニに寄る。

私はパスタ。夫はオムライスとなり国道沿いの公園で昼食。

「なんかショボイね」と私が言ったら

「貧乏人らしくてえいじゃないか」と夫は笑い飛ばしていた。

10時に家を出て約3時間半のドライブで家に帰り着く。

それから二時間ほどお昼寝をして目覚めたら

娘が「あやが何処にもいない」と探し回っていた。

自転車はあり外に出掛けてはいないようだった。


私達の寝室を覗いてびっくり。なんと私のベットで寝ているのだった。

なんとも気持ちよさそうな寝姿に娘がそっと布団を掛ける。


家族ではないと言われそのうち出ていくだろうと思っていても

決して厭われているのではないのだと安堵の気持ちが込み上げて来た。

もう一緒に寝ることはないだろうけれど

今夜はあやちゃんの寝顔を思い浮かべながら眠りたいと思う。







2022年11月05日(土) 母の声せつなく残る秋の暮れ

今日も穏やかな晴天。夕方からまた肌寒くなった。

入浴時に緊張しふたふたと動悸がするので浴室暖房を点けた。

洗髪が辛い。俯くとめまいがして倒れそうになってしまう。

まだまだこれからの寒さだと云うのに困ったものである。

嘆かないと言った矢先にこんな有り様で申し訳ないと思っている。

昼間はお布団を干していた。今夜はぐっすりと眠れることだろう。



午後久しぶりに母に電話。元気そうな声にほっとする。

今日も点滴はしていないと言い張るが本当だろうか。

食欲もあり「なんぼでも食べられる」と本当だろうか。

嘘をついているとは思えないがやはり真実を知りたいと思う。

先日は施設のSNSで楽しそうな笑顔を見せてもらった。

それが本当の母の姿ならどれほど救われることだろうか。


あれこれと話しているうちに娘の話になり

「まだ嫁に行かないのか」と言われ思わず笑い転げてしまった。

認知症だとは思えないが呆けたふりだとも思えない。

母の記憶がぷっつりと途絶えてしまっているのだろう。

ひ孫の顔も見せてあげられない。忘れても当然ではないだろうか。

結局は笑い話になってしまったけれど後からとても切なかった。



それから弟の話になった。母にとっては孝行息子であるが

もう声も忘れるほど電話が掛かってこないのだそうだ。

弟も仕事が忙しいのだろう。けれども母を想う気持ちは変わらない。

「そのうち」にと思いつつ日々が流れているのだろうと思う。


幸い母はちっとも寂しくはないと言う。

その言葉を鵜呑みにしては私も救われていくのだろう。


コロナ禍の面会禁止。最後に母に会ったのはいつだったか思い出せない。



2022年11月04日(金) 私の実

穏やかな晴天。夕方から少し肌寒くなった。

北海道の平野部ではとうとう初雪が降ったそうだ。

一年の半分が冬なのではないだろうか。

それに比べると南国土佐のなんと恵まれていることだろう。

少しくらいの寒さで嘆いてはいけないとつくづく思う。


オリーブ色だった栴檀の実が黄金色に変わる頃。

青空に映えてきらきらと輝いているように見える。

見上げていると空に吸い込まれそうになった。

私の実はどんな色かたちをしているのだろう。

どれほど老いてもその実に誇りを持ち続けていたいと思う。






娘婿の38歳の誕生日。今夜はささやかにお祝いをする。

街中のお肉屋さんに行ってハラミとホルモンを買って来た。

お肉屋さんの隣が酒屋さんで赤ワインも買う。

貧乏所帯ではあるけれど家族の誕生日には奮発をするのが習いだった。


家族揃って夕食を食べるのはほんとうに久しぶりのこと。

わいわいと賑やかでとても幸せな気分になった。

いつもは無口な娘婿も今夜は饒舌になり楽しくてならない。

上機嫌でワインを飲み干し笑顔をいっぱい振舞ってくれる。



ちょうど一月後には私の誕生日だけれど

毎年のことで特別なことはしないことにしている。

もちろんご馳走もなければワインもない。

別にいじけているのではないけれどそういう性分なのだろう。

そのくせ心では期待し思いがけないことを待っている。

娘がケーキを買って来てくれるかもしれないとか

娘婿がワインを買って来てくれるかもしれないとか。

今年はどうだろうか。自己申告しなければ皆が私の誕生日を忘れている。

そうして私は感傷に浸るのだった。自分が可哀想でならなくなるのだ。

そういうのが好きなのだから困った性分である。


亡き父は毎年必ず電話をかけてきてくれた。

実に香と書いて「実香」という私の名は

きっと父が名付けてくれたのだろうと信じている。







2022年11月03日(木) 主婦冥利

今日もほぼ夏日となり随分と暖かだった。

ぽかぽか日和に誘われて蝶々が飛んでいるのを見た。

ふと寒くなったら死んでしまうのだろうかと思う。

みんな精一杯に生きている。どんなに小さな命も愛しいものである。


今朝は足の痛みが薄れており庭いじりをしたくなった。

夏の名残の日日草がまだ咲いていたけれど思い切って引き抜く。

きっとこぼれ種が落ちていることだろう。来年の夏が楽しみだ。


秋らしい花をと思い近くの「彩り市場」で小菊を二鉢買って来る。

それはたくさんの蕾で日に日に花開くことだろう。

プランターに植え替えしばしうっとりと眺めていた。

菊は管理さえ疎かにしなければ毎年咲いてくれるのではないだろうか。

枯らしてしまわないよう見守ってあげなくてはならない。

他にはカランコエ、ゼラニウム、ビオレなど

猫の額ほどの狭い庭ではあるが花を育てる楽しみがある。





お昼にはお好み焼きを作った。4枚分の粉で二人分なので

それは大きなお好み焼きになり「さあ食べるぞ」と気合が入る。

夫は昼間っからビール。それは大目に見てやることにした。

とても美味しかったけれど満腹になりとても食べきれない。

ふうふう言っていたら夫が食べ残しを私のお皿に移した。

「勘弁してよ」と苦笑いしながら残さずすべて食べ尽くす。

お腹が破裂しそうに苦しい。起きていられずすぐに寝転んでしまった。

それからなんと3時間もお昼寝をしてしまっていた。



洗濯物を取り入れる時は主婦冥利に尽きる。

これほどの幸せがあるだろうかと思わずにいられない。

あやちゃんとめいちゃんのお揃いのズボン。

可愛らしいパンツや靴下。思わず抱きしめたくなるほどだった。

洗濯物を干すのも好きだけれど畳むのはもっと好きだ。

まるで愛しさの再確認をしているような行為であった。


夕飯のメインは豚カツ。ご近所さんから頂いた里芋と豆腐の煮物。

チンゲン菜の中華風卵とじ。サニーレタスと生ハムのサラダ。


娘と孫達はダンス教室に行っており帰宅してから食べるのだそう。

娘婿は夜釣りに行っておりまだ帰宅していない。

テーブルの上にはすっかり冷めてしまった料理が佇んでいる。





2022年11月02日(水) 愚かさの果てに

気温が夏日に近いほど高くなり汗ばむような陽気となる。

油断をしていたらまた一気に寒くなるのだろう。

立冬も近くなった。心の準備をしておかなければいけない。



ずっと待っている郵便が今日も届かず

そろそろ諦める時が訪れたように思う。

口惜しさよりも情けなさが勝り自分がどれほど愚かだったか

今更ながらに思い知らされ涙も出ないのだった。


授賞式には何を着て行こうかなどと馬鹿げたことも考えていた。

まるで宝くじを買って当たった時のことを考えるのと似ている。

所詮夢は夢である。才能があってこその夢だったのだろう。


崖っぷちに立ち追い詰められ「負けるもんか」と思っていた。

精魂込めて命がけで書いた詩が藻屑のように散っていく。

それは「認められたい」欲に対する罰なのかもしれない。

それならば打ちのまされようと覚悟も少し出来てきたように思う。

鞭はいくらでも受けよう。これ以上傷つくことはないだろう。

とことん罵倒すればいい。それでも私は生きることを忘れない。


人生はまだまだこれかららしい。

定命が尽きることを怖れるよりも定命を信じてみたいと思う。


最後の最期に「いい人生だった」と思えるような私でありたい。



2022年11月01日(火) 貧乏もあとどれくらい秋の暮れ

雨の一日。久しぶりにまとまった雨が降る。

畑の作物などには恵みの雨となったことだろう。


そうして11月が始まる。霜が降りる頃なので霜月と云うのだそうだ。

「立冬」「小雪」と続き季節は急ぎ足で冬に向かおうとしている。

今年もあと2ヶ月なのか。あっという間に一年が終わってしまいそうだ。

やり残したことが沢山あるように思うけれど

出来なくなってしまったことの方が多いような気がする。

それを歳のせいにしてしまうのもなんだか口惜しくてならない。

「六十を越えてからが始まりだ」と云うけれど

私はいったい何を始めれば良いのだろうか。





山里の地場産店「じまんや」で新鮮なほうれん草を買い求めた。

大きな束で150円の安さ。街のスーパではとても手に入らない。

他にも大根菜や葉にんにくもあったが一度に買っても食べきれない。

毎日仕事帰りに寄ってみようと思う。明日は大根菜を買おうか。


スーパーに寄って驚いたのはまた値上げの嵐であった。

牛乳が高くなっていた。一番安い低脂肪乳を買うしかない。

食費の節約にも限度があってしばらくは頭を悩ませそうだった。

安くて美味しいものなどそうそうあるものではない。

お刺身は買えず鯵の干物を買ったけれどそれでも結構高いのだ。


貧乏人の所帯じみたことばかり書いて申し訳ないけれど

もっかの切実なモンダイとしてここに記しておく。

それは決して我が家だけのモンダイではないのではないだろうか。

物価が上がっても収入が増えるわけではない。

お国は助けてくれないとなればひたすら耐えるしかないのだろう。


娘達から毎月の食費はもらっているけれど足りたらない現実もある。

値上げを提案してみようかと思うだけで切り出せずにいる。

「角が立つからそれだけは言うな」と夫は言うのだった。

おまけに「そのうち出て行くだろう」とも言う。

それもそうそう遠くない日かもしれないと私も思っている。


以前は考えるだけで寂しくてたまらなかったけれど

今は夫婦二人暮らしも良いのかもしれないと思えるようになった。


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