2022年09月30日(金) |
9月の晦日に吹いた風 |
9月もとうとう晦日。駆け抜けたような日々であった。
朝の国道321号線、伊豆田峠でMさんと再会する。
身体を少し左右に揺らげながら歩く癖がありすぐにMさんだと分かる。
Mさんも私の車を覚えていてすぐに手を挙げてくれた。
交通量が多くすぐに車を停められなかったけれど
近くにバス停があり歩道を歩いて来るMさんを待った。
「乗って行くよね」と声を掛けたら「ほ〜い」と明るい声。
重い荷物と金剛杖を車の後部座席に積み込みすぐにおしゃべりが始まる。
お孫さんの名前は「小雪ちゃん」なのだそうだ。
名前だけで可愛くてならないと言う。
すっかりおじいちゃんの顔になっていてなんとも微笑ましかった。
携帯電話を持っていないので写メも受け取れない。
どんなにか小雪ちゃんの顔を見たいことだろうと思う。
娘さんに何処かの札所宛に写真を送って貰うことを提案する。
「それはいい考えだ」ともうそれが叶ったかのように喜んでいた。
辛い歩き遍路も小雪ちゃんと一緒ならどれほど励みになることだろう。
会うことも抱くことも叶わない。Mさんの旅はまだまだ続きそうだ。
歩けるうちは歩きたいと言う。百巡目を過ぎても諦めてはいない。
いったい何処からそんな強い精神力が湧いて来るのだろうか。
ご縁を頂いてからもう12年目の秋となった。
雨の日も風の日も猛暑の日も雪の日もMさんのことを想わない日はない。
お昼前にやっと母の声を聴くことが出来る。
それは思いがけないほどに明るく元気な声であった。
体調はどこも悪くないと言う。「ぴんぴんしている」と笑いながら言う。
それを鵜呑みにして良いものか先日の看護師さんの話とは全く違う。
もし本当に恢復しているのなら施設から報告があるはずだった。
施設側が疎かにするはずはなく母に騙されているような気がした。
「まだ死にそうにないよ」と笑いながら言うだろうか。
私が心配するからと思っているのならそれは大間違いだと思う。
私だからこそ心配する権利がある。血を分けた母と娘ではないか。
母との電話が終わりすぐに真偽を確かめようと思ったけれど
多忙な施設に電話をするのも躊躇われもうしばらく様子を見ることにした。
母の言葉が本当なら必ず施設から報告があるだろう。
今日はいろいろあってお隣のご主人が昨夜亡くなったそうだ。
息子の勤めている施設に入居していたのだけれど
体調を崩し入院したと息子から聞いていた。
お隣の奥さんは随分と長いこと自宅で介護に務め
もう限界となり施設入居を決めたらしかった。
ご主人の怒鳴り声がよく聞こえておりその心労を察する。
コロナ禍で面会も叶わなかったことだろう。
おそらく最期を看取ることも叶わなかっただろうと思う。
痰が喉に詰まり窒息死だったと聞いた。本当に一瞬のことである。
今夜はお通夜で夫が焼香に参列していた。
親族のみの家族葬でわずかな人数の寂しいお通夜だったそうだ。
コロナ禍でなければきっと多くの人が参列したことだろう。
夫は他言無用を言い渡されなんとも複雑な気持ちだったそうだ。
そのうえに悼む気持ちが重なり肩を落として帰宅した。
生前の元気だった頃には少し頑固者ではあったけれど
近所付き合いも良く朗らかな人で皆から慕われてもいた。
温泉が大好きで近くの「癒しの湯」にもよく行っていたことを思い出す。
亡くなったことを誰にも言ってはいけない。
故人は本当にそれを望んでいたのだろうか。
曇り日。午後少しだけにわか雨が降る。
一雨ごとに秋が深まるだろうと思っていたけれど
今日は蒸し暑くなりエアコンのお世話になった。
もうすぐ10月。一気に気温が下がるのかもしれない。
山里の柿の実がほんのりと色づき始める。
今は亡き義祖母の家の庭に2本の柿の木があった。
認知症ではあったが柿は大好物で常に見張っていたようだ。
「柿泥棒がいる」と大騒ぎしたこともあったけれど
犯人はどうやらハクビシンだったようで逮捕することも出来ない。
今となってはそれも懐かしい思い出である。
仏前に柿を供えてやったらどんなにか喜ぶことだろうか。
定時で仕事を終て市役所にマイナンバーカードを受け取りに行く。
空いていたのですぐに受け取ることが出来たけれど
そこにはなんとも不細工で目を背けたくなるような自分が居た。
私はよほど写真映りが悪いらしい。実物はもう少し可愛いはずだ。
こんなもの他人に見せられるものかと思った。
免許証の方がまだまし。年相応の熟女ぶりが表れている。
5年後に更新らしいが果たして生きているやらも定かではない。
娘には決して遺影にしないように頼んでおこうと思う。
マイナポイントの手続きも済ませた。
2万円相当のポイントだそうでなんと助かることだろう。
いつも買物をしているスーパーのポイントカードを登録する。
宝くじを買うよりも希望がある。一気に前途が明るくなった。
スーパーで夫名義のポイントカードも作ってもらった。
夫のマイナポイントも家計を助けてくれることだろう。
早速に「焼き肉が食べたい」と言う。そんな贅沢をする気はないが
値上がりするビール代くらいにはなるのではないだろうか。
貧乏もまんざらではない。時には希望さえ与えてくれる。
裕福な暮らしの人には味わえないであろう「幸福」がそこにある。
午後ほんの少しだけ雨が降ったけれど通り雨だったようだ。
夕方には茜色の空。鱗雲がまるで生き物のように見えた。
今朝はSNSに白い彼岸花の写真を載せる。
過去写真だけれど今年もきっと咲いていることだろう。
情けないけれど足が痛くて河川敷まで歩いて行けない。
それはすぐご近所の奥さんが数年前に植えたものらしい。
ご主人が急逝されてからのことだった。
河川敷にはご主人の形見である川船がひっそりと置いてあり
その近くの川辺に白い彼岸花が群生しているのだった。
どんな思いで植えたのだろうと思うと切なくてならない。
紅ではなく白を選んだ。まるで夫婦の絆のように感じられるのだった。
腹痛と睡魔に悩まされた一日。腹痛はまた「赤玉」を服用し治まる。
睡魔は夕方まで続き帰り道の運転が怖ろしいほどだった。
季節の変わり目だからかもしれないがいささか辟易としている。
仕事はさほど忙しくもなく疲れるほどではなかった。
母にもしものことがあってはいけないと月末の支払いも済ませる。
縁起でもないことだけれど明日のことが分からないのだった。
今日はやっと義父と母のことを話すことが出来たけれど
何かあれば施設から連絡があるだろうと笑い飛ばしていた。
私もそれくらいあっけらかんとしていないと身が持たない。
今日は不謹慎にもお葬式のことを考えていた。
葬儀場は何処にしようか。遺骨はどうしようかなどと
考え出したらきりがなく自分でも呆れてしまうのだった。
挙句の果てに母に電話を掛ける。当然のように音信不通である。
私はいったい何を待っているのだろう。
母の生還かそれとも安らかな死なのだろうか。
つかの間ではあったが雷雨の時間帯があった。
午後には雨もやみ静かな夕暮れ時となる。
あちらこちらで彼岸花が満開となり鮮やかな紅に目を奪われる。
幼い頃には怖ろしいと思っていた花も
今では愛でることが出来るようになった。
それがきっと「おとな」になると云うことなのだろう。
けれども未だに触れたことはない。触れてはいけない気がするのだった。
上手く言葉にできないけれど何かが私を拒絶している。
それはいったい何なのだろうか。知れば哀しくなってしまいそうだ。
母の施設から何の音沙汰もなし。容態が落ち着いているのだろうか。
こちらから電話をして確かめることも考えたけれど
昨日の看護師さんの苛立った様子が気になり躊躇してしまった。
多忙な折に家族からの電話は迷惑に違いないと思ったのだ。
きっと最善を尽くしてくれていることだろう。
「お任せします」と言った以上は黙って待つしかないのだと思う。
そのうちきっと連絡があるだろう。「もう大丈夫ですよ」と。
やきもきしているのはどうやら私だけのようで
誰も母のことを話題にしない。
それだけ母は孤独であったのかと今更ながらに思う。
家族を捨てた昔のことを今更責める気持ちはないけれど
「自業自得」だと云われればそれも納得せざるに得ないのだ。
母は今どんな気持ちでベットに横たわっているのだろう。
決して過去を悔やんではいないような気がする。
それは母の人生に他ならず母の決めたことなのだったのだから。
私はずっと薄情な娘であったけれど
ほんの少しだけ遠い昔の家族であったような気がしている。
晴れのち曇り。明日はまた雨になりそうだ。
一雨ごとに秋が深まっていくのだろう。
9月も残り少なくなってしまった。
月末までになんとしてもやり遂げたいことがあり
数日前から努力を重ねていたけれど
それが今日やっと仕上がりポストに投函することが出来た。
大げさかもしれないけれど私の人生を賭けている。
負けるわけにはいかない。この勝負だけは誰にも譲れない。
半世紀にわたり詩を書いてきた。それが誇りでなくてなんだろう。
たとえ崖っぷちに立たされても私は叫び続けるであろう。
西日を浴びながら洗濯物を取り入れていたら
母の施設の看護師さんから電話があった。
母の体調に異変があったらしく応急処置を始めると云う。
それも家族の同意が必要でまずは私の同意を求めて来た。
義父は稲刈りをしていて連絡が取れず仕方なく私の一存とする。
持病の心不全の発作のようだった。幸いまだ初期症状ではあったが
こればかりは急変することも考えられ油断がならない。
ふたふたと心が落ち着かない夕暮れ時となってしまった。
二晩続けて母の夢を見たけれど虫の知らせだったのだろうか。
祖母の命日には電話をしたけれどなしのつぶてであった。
これまで何度も発作に見舞われたけれどずっと乗り越えてきた。
今回もきっと大丈夫と信じたい気持ちでいっぱいである。
夢の中の母のなんと元気だったことか。それが救いでもある。
ただコロナ禍で面会が叶わないことがとても残念でならない。
2022年09月25日(日) |
秋暑しだからこその初の鍋 |
午後6時半、もう日が暮れすっかり暗くなった。
SNSで繋がりのある方から「秋暑し」という言葉を教わる。
「残暑」には違いないがなんと風情のある言葉だろうと思った。
日本語の奥ゆかしいこと。逝く夏のせつなさと愛しさを感じる。
予定通りの川仕事。今朝は昨日ほど足の痛みが無く順調に捗る。
潮が完全に引くまではふくらはぎまで水があり
水圧を受けながらばしゃばしゃと歩くことが出来た。
もはやそうなれば荒治療にもなり痛みが徐々に薄れていく。
2時間ほど頑張りやっと漁場に竹杭を打ち終えていた。
程よい疲れと心地よい達成感は何ものにも代え難いと思う。
すっかり潮が引くと今までに見たこともない貝がたくさん見えた。
灰色の三角帽子のような形をした貝でとても珍しい。
確かに生きているらしくゆっくりと動いている貝もあった。
大量に発生するには川に異変が起きているのかもしれないけれど
生き物が生息出来る場所であることは救いにも思えるのだった。
海苔はどうだろう。自然環境の変化に耐えられるだろうか。
試練を乗り越える命の営みを信じてやりたい気持ちでいっぱいになる。
「秋暑し」の一日だったけれど夕飯は初鍋物で「水炊き」にした。
鶏肉と魚のすり身がメインの質素な水炊きであったけれど
素潜り漁から帰って来た娘婿の石鯛とグレ、伊勢海老も加わる。
そうして思いがけないほどに豪華な水炊きになった。
家族揃っての夕食も久しぶりのことでなんと嬉しかったことだろう。
「家族ではない」と言われ続けているけれど
時々はこうして家族の真似事もしてみたいものだった。
不確かなことがあっても幸せには違いない。
爽やかな秋晴れ。最高気温が30℃を超え真夏日となる。
夏の最後の置き土産だろうか。私の元にも届いたようだ。
心配していた台風15号は東北沖で低気圧に変わったようだけれど
静岡では土砂崩れで亡くなられた方もいて心が痛むばかりである。
一日も早く台風シーズンが去ってくれることを願ってやまない。
今日こそは川仕事と意気込んでいたのだけれど
出掛けになりなぜか酷く右足が痛み始めた。
まともに歩くこともままならなかったけれどとにかく行くしかない。
足を引き摺りながらの作業で思うように動けずなんと情けないこと。
整形外科の医師の言葉を思い出していた。
「やれるだけやってみなさい」その言葉がとても励みになる。
今朝はめいちゃんが「川へ行きたい」と泣いて訴える。
一昨年だったか手伝ってくれたことがあって憶えていたのだろう。
幼い手で漁場に竹杭を配ってくれたのだった。
私は猫の手も借りたい気持ちであったけれどじいちゃんが反対し
泣きじゃくるめいちゃんを宥めてお留守番をさせることになった。
「お手伝いしたい」その気持ちは本当に嬉しくてならなかった。
今年で最後になるかもしれない漁場の準備はいささか虚しい。
けれどもまだ完全に諦めるわけにはいかなかった。
ほんのわずかの希望に縋りつくような思いである。
「駄目で元々さ」と笑い合えるだけでも救われる気持ちであった。
どんなに努力をしても報われるとは限らない。
くたびれ儲けになっても精一杯でありたいものだと強く思う。
漁場の準備が終われば海苔の種付けが待っている。
海苔網が緑に染まるのを夢のように目に浮かべているのだった。
神様も仏様も今日の私達をきっと見てくれていたのに違いない。
秋分の日が暮れようとしている。
昼と夜の時間が同じになり次第に日が短くなっていく。
そうして秋がぐんと深まっていくのだろう。
けれども今日は少し夏の名残を感じた。
午後から晴れて蒸し暑くなりエアコンのお世話になる。
土佐沖を北上している台風の影響かもしれない。
紀伊半島から関東に接近するとのこと、大事に至らないことを祈る。
この三連休のうちに海苔養殖の漁場の準備をする予定であったけれど
迂闊にも川で作業をするための磯足袋を買い忘れていた。
昨年破けてしまって捨ててしまったことをすっかり忘れていたのだった。
仕方なく長靴を履いて川岸まで行ったのだけれど
海が荒れていてなかなか潮が引かない。おまけに小雨も降っていた。
どうしようかとしばし迷ったけれど潔く諦めることにする。
娘夫婦が仕事のため孫達に留守番をさせていたのでそれも気になっていた。
「今日はやめておけと云うことさ」とあっけらかんと笑い合った。
とにかく磯足袋を買いに近くのフィッシング専門店へ行く。
珍しくめいちゃんも一緒に付いて来てくれて嬉しかった。
1980円位かなと思っていたら4950円もしてびっくりする。
今年限りでもう不要になるかもしれないとじいちゃんが言う。
もったいないけれど思い切って買うしかなかった。
お財布が寂しくなりスーパーのATMで年金を引き出す。
めいちゃんが心配そうに見ていた。「びんぼうなの?」と言わんばかり。
「だいじょうぶよ、お菓子も買おうね」と一緒に買物をした。
さっそくお菓子売り場からお菓子を提げて来たのだけれど
38円の駄菓子が2個。よほど心配をかけてしまったらしい。
「ポテトサラダにしようかね」と言ったらじゃが芋を籠に入れてくれる。
「他に食べたいものはない?」と訊けば「もうない」と応える。
あやちゃんの好きな鮭を買い豚肉の生姜焼きをすることにした。
セルフレジで精算を済ませるとめいちゃんが重い籠を持ってくれた。
なんと優しく気の利く子だろうとほろりと目頭が熱くなる。
牛乳とボトルコーヒーは駐車場まで運んでくれた。
それも決して得意顔ではなく当然のことのようにして。
駐車場で待っていたじいちゃんが「めいはえらいな」と褒めてくれた。
その時やっと笑顔になって得意そうな顔をして見せる。
めいちゃんと一緒に買物をしたのは本当に久しぶりのことだった。
思い遣る気持ち。それが成長のあかしでなくて何だろう。
どれほど貧しくても私のこころはそうして満たされていく。
午後少しだけ霧雨が降った。お天気は下り坂のよう。
夕方のニュースでまた新たな台風が発生しそうとのこと。
今度は四国沖を通過しそうだけれど少しは影響があるだろう。
台風シーズンだと受け止めれば仕方ないことだと思う。
自然あってこその人の営みなのではないだろうか。
母方の祖母の命日。今日はいろんなことを思い出した。
大好きだったおはぎ。季節に関わらずよく作ってくれた。
夏休みも冬休みも私の顔を見るたびに腕を振るってくれたものだ。
祖母は60歳の時に脳出血を患い右半身が不随となった。
命は取り留めたもののどれほど辛い思いをしたことだろう。
当然のことのようにおはぎも作れなくなってしまって
祖父が見よう見まねで作ってくれたこともあった。
それは祖母のおはぎとはかけ離れていて少し塩辛い味がした。
祖父は「やっぱり駄目か」と苦笑いをしていたけれど
祖母はとても悲しそうな顔をしていたのだった。
右手がまったく使えない。どれほど悔しかったことだろう。
80歳を過ぎた頃だったろうか。祖父の介護も限界となり
祖母は近くの老人ホームに入居することになった。
面会に行った時に酷く機嫌が悪く私も泣いてしまったことがある。
祖母は私の顔を見るなり「すんぐに帰るがやったら来んといて」と言った。
それはいつも穏やかだった祖母とは別人のように思えた。
今では当たり前に思える老人ホームだけれど
その当時にはまるで姥捨て山のようなイメージが強かった。
祖母は寂しくてならず辛い思いでいっぱいだったのだろう。
祖母の言葉通り長居は出来なかった。
「また来るね」と祖母に声を掛けたけれど笑顔も見せてくれない。
車椅子に乗ったまま背を向けてもしかしたら泣いていたのかもしれない。
身体は不自由であっても元気な祖母に会ったのはそれが最後となった。
次に祖母に会った時は入院先の病院だった。
「もう時間がありません」と医師から告げられていて危篤状態だった。
けれども意識はあり私の手をしっかりと握りしめて
「お手々つないで野道を行けばみんな可愛い小鳥になって」と
最後まで歌い続けにっこりと微笑んでくれたのだった。
病室を出ておいおいと私は泣いた。
夫が「もう最後だぞ」と声を掛けてくれたことをよく憶えている。
それから数日して祖母は安らかに息を引き取った。
2022年09月21日(水) |
私にもあった青春時代 |
今朝は10月並みの気温だったらしくぐんと肌寒くなる。
日中は陽射しがあったけれどもう夏の名残を感じなかった。
とうとう夏が逝ってしまったのかと寂しさを感じる。
職場の庭の片隅に白い彼岸花が咲く。
毎年咲いていただろうになんだか初めて見つけたような気がした。
彼岸花には葉が無く花が終わってから緑に包まれるのだそうだ。
その頃には誰も目を留めないであろうせつない緑である。
昨夜から今朝にかけての冷え込みが災いしたのか
午前中は腹痛に苦しめられていた。
しぶしぶと痛み何度もトイレに通う。
正露丸を飲んでも効かず職場の置き薬の「赤玉」を飲んでやっと治る。
季節の変わり目にはよくあることで用心しなければならない。
今日は冷たい飲み物を控え今も焼酎のお湯割りを飲んでいる。
血圧も少し高くなっていてなんだか不安でならないけれど
まさか今夜ぽっくり死ぬことはないだろうと思い直す。
何事も気の持ちようだろう。もっと強気にならなければいけない。
夕方のローカルニュースで母校の高校の「仮装行列」の様子を見た。
伝統行事だけあって今でも続いていることに感動を覚える。
確か三年生のみの参加であった。私が参加したのは47年前のこと。
「白雪姫と7人の小人」で私は小人の姿であった。
白雪姫は誰だったのだろう。どうしても思い出せないけれど
クラスメイトとそれは楽しく街中を闊歩した記憶は鮮やかだった。
高校時代の良き思い出となった。そしてそれはとても懐かしい。
この歳になればついつい昔のことばかり思い出してしまうけれど
青春時代は宝物であり一生忘れることはないだろう。
悲しいことも辛いこともあったけれど決して惨めではなかった。
人はこの世に生まれた時から人生が始まる。
それは定命が尽きるまで続く運命のようなものだろう。
時には運命に押し流される時もある。
こんなはずではなかったと否定したくもなるだろう。
けれども生かされている限り受け止めるのが使命なのではないだろうか。
台風一過の爽やかな秋晴れ。なんと久しぶりの青空だろう。
彼岸の入りでもあり今朝はぐんと気温が下がり肌寒いほどだった。
暑さ寒さも彼岸までとは本当によく言ったものである。
列島縦断コースとなった台風も温帯低気圧に変わったとのこと。
夕方のニュースでは特に何の報道もなかったので
何処にも被害が無かったのものと信じてほっとしている。
けれども週末にはまた大雨の予報となっている。
自然には逆らえず受け止めるしかないのだろう。
秋晴れの下、孫達の運動会が予定通りに行われた。
半日ではあったが盛だくさんの競技があり応援にも力が入る。
日頃から運動神経の良いめいちゃんはそれはもう得意顔。
どの競技も一番でとても誇らしく思う。
「運動会は嫌い」と言っていたあやちゃんも本当によく頑張った。
苦手な一輪車もずいぶんと上手になっていて感動する。
これまでどれほど辛かったことだろう。
本番に向けて人一倍努力をした結果を今日は発揮できたのだと思う。
「出来ない」と諦めないこと。それは大きな成長ではないだろうか。
あやちゃんは準備係の役目も果たしていた。
競技ごとに走り回っていてずいぶんと忙しそうだった。
裏方も大切な役目であることを身をもって感じたことだろう。
そんなあやちゃんに私は一等賞をやりたいと心から思った。
心配していたけい君は祖父母の応援は許されなかったとのこと。
コロナ禍でもありマンモス校なので仕方ないことなのだと思う。
けれども体調の悪いお嫁さんが一人で応援に行ってくれていたらしい。
息子もどんなにか気遣っていたことだろう。
お嫁さん一人ではとても無理だと先日も電話で聞いたばかりだった。
結局無理をさせてしまったけれどよく行ってくれたと思う。
どんな状態であっても我が子のことを一番に考えてくれたのだろう。
けい君も運動神経はあまり良くないけれどダンスが得意らしく
「どの子よりも一番に上手だった」と聞いてほっと嬉しく思っている。
お母さんが見に来てくれてどんなにか嬉しかったことだろう。
あやちゃん、めいちゃん、けい君。今日は本当によく頑張ったね。
おばあちゃんは感動で胸がいっぱいです。
午前中は台風の暴風圏内にあり強い風が吹き荒れる。
幸いだったのは昨日から殆ど雨が降っていなかったこと
豪雨に見舞われた地域も多い中なんと恵まれていたことだろう。
四万十川上流地域の梼原ではかなりの雨が降ったらしく
川は増水し濁流が怖ろしいほどに流れていた。
心配していた停電も免れどれほどほっとしたことか。
けれども高知県内では大規模な停電があり他人事ではなかった。
夜になり一刻も早く復旧することを願ってやまない。
今日は「敬老の日」で地区の高齢者にお赤飯を届ける役目があった。
じいちゃん(夫)が行ってくれたけれど心配でならない。
明日に延期しても良かったのではないかと恨みがましく思った。
けれども無事に届け終えて帰って来たじいちゃんが
「みんな喜んでくれたぞ」とその一言で救われたように思う。
毎年楽しみにしてくれている人達がいる。今日で良かったのだ。
台風で心細い人もいただろう。笑顔になってくれて何よりだった。
午後、やっと暴風圏内を抜け少し静かになる。
敬老の日に何もしてやれない母が気掛かりになり電話をかけてみた。
そうしたら今日が何の日やらまったく関心がない様子。
へらへら笑いながら呆けたふりをしているようだった。
おまけに台風が来ていたことも知らなかったようで
「ぜんぜんなんちゃあじゃない」とこれも笑い飛ばすのだった。
さすがに飽きれてしまってしばし絶句してしまった。
テレビはいつも見ているはずである。よほど興味がなかったのか
もしかしたらもう窓際のベットではなくなっているのかもしれない。
雨が降っても風が吹いても分からない。それも憐れなことだった。
「点滴は?」と訊ねると今日も「していない」と応える。
「腕を見て、針が刺さっちょるろ」と言うとびっくりしたように
「ありゃほんま」とまるで他人事のように笑うのだった。
まるで漫才をしているような有り様で私も笑うしかなかった。
それにしてもこんなに切ない漫才があるだろうかと思う。
母が壊れてしまいそうな気がしてならなかったのだ。
コロナ前には施設で「敬老会」があり私も参加したことがある。
あの時の母の楽しそうな顔が今も忘れられない。
台風の影響で強い風。幸い雨はさほど降ってはいない。
過去に例がないほどの大きな台風であるらしく
九州ではすでにかなりの被害が出ているのではないだろうか。
高知県は明日の午後に最接近とのこと
決して油断をしてはいけない。用心に越したことはないだろう。
停電も覚悟しておかなくてはならず今夜は早めに夕食を済ませた。
カレーを沢山作ったけれど明日の朝ご飯が炊けるだろうか。
そんな心配ばかりしている。ある意味非常識なのかもしれない。
台湾で大きな地震があり宮古島などに津波注意報も出ている。
何事も無ければ良いが自然災害は待ったなしで襲って来るものだ。
夜明け前からざわざわと心が落ち着かず短歌や詩どころではなかった。
私の心はよほど臆病に出来ているらしい。
おまけに葛藤もあり「書けない」ことに苛立ちを覚える。
「まあいいか」と納得するまでの時間が苦しくてならない。
それを吹っ切ってしまえばそれなりの言葉が浮かんでくる。
拘るのはよそうと思っているのについつい拘ってしまうのだ。
いったい何様のつもりだろうと自分を愚かに思う時もある。
どうせ一生無名なのだから無名らしく生きれば良いのだろう。
あがいても何も生まれないかもしれない。
ただ努力はする。それは生きている限り私の「課題」である。
明日の朝、大荒れの天気だったら「大荒れ」の詩を書いてやろう。
嵐の前の静けさ。日中は雨も降らず平穏に過ぎる。
日が暮れてからぽつぽつと雨が降り始めたけれど
まだ序の口で危機感を感じる程ではなかった。
明日から明後日にかけて大荒れになるとのこと。
来るものは拒めず受け止めるしかないだろう。
直撃となりそうな九州が心配である。
大きな被害がないことをひたすら祈っている。
朝のうちに食料品の買い出しに行っていたけれど
二日分が限度でそれ以上はとても無理だった。
停電の心配もあり保存出来ない可能性もある。
まあなんとかなるだろうとあまり深刻に考えないことにした。
息子から電話がありけい君の運動会も20日に延期になったらしい。
どうしても仕事が休めないらしく困っている様子だった。
とても心苦しかったけれど快く引き受けてやれなかった。
お嫁さんの体調も芳しくなさそうで実家のご両親に頼むことする。
けい君はきっと大丈夫。笑顔できっと頑張ってくれるだろう。
10時からカーブス。気の持ちようで今日も満足だった。
先週のコーチが今日も居てくれて親身に声を掛けてくれて嬉しい。
やはり私はかまって欲しいのだと思う。かなり困った性格である。
溌溂とはいかなかったけれど清々しい達成感があった。
先週も見かけたけれどかなり腰の曲がったご老人が来ていて
80歳は超えていると思う。母と同じ年頃ではないだろうか。
ご老人と呼ぶのは失礼であろう。れっきとした女性に違いない。
まだ始めたばかりの初心者にも関わらず積極的に筋トレに励んでいる。
その姿を見ていると私も「負けないぞ」と勇気が湧いて来るのだった。
何かを始めるのに遅過ぎることはないのだとつくづく思う。
そう思うと私はなんと弱気だったことだろう。
足の痛みのせいにしてくよくよと嘆いてばかりいたのだった。
今更ながら可能性を信じてみようと思った。
筋肉が付けば必ず足の痛みが改善されるのではないだろうか。
それはやってみなければ分からないけれど
「継続はチカラ」だと今こそ信じてみようと思う。
台風接近前の貴重な青空となる。
明日は雨、明後日は暴風雨になりそうだ。
どうか大きな被害がないことを祈るばかりである。
孫達の運動会は20日の火曜日に延期が決まった。
午前中なので私はなんとか半日休みが取れたけれど
娘婿は仕事。娘は親子競技だけ参加しすぐに職場に向かうそうだ。
両親ともに来られない生徒もいることだろう。
可哀想でならないけれど仕方ないことなのだろうか。
運動会は毎年のことだけれど6年生にとっては最後となってしまう。
台風シーズンに運動会を予定すること自体に無理があるように思う。
山里では稲刈り。今日でほぼ飼料米の収穫が終わりそうだった。
手伝ってくれる人が居てくれて義父はどれほど助かっていることか。
今日はとても機嫌がよく溌溂として出掛けて行った。
一昨年のことだったか本業の仕事をすっかり忘れてしまい
同僚に稲刈りの手伝いをさせてしまったことがあった。
そのことに私が口を挟んだものだから義父を怒らせてしまって
私は泣きながら謝ったことがあった。あの時のなんと辛かったこと。
けれどもそれが教訓となりそれ以来一切口出しをしていない。
義父の顔色を窺うことも多くなったけれどそれは当然のこと。
とにかく義父の農業に対する強い意欲を尊重しなければならない。
私はどうして過去の辛かったことばかり思い出すのだろう。
そうしてなぜそれを書き残そうとするのだろう。
昔ネット上で「不幸好きの女」と叩かれたことがあったけれど
それはきっと本当のことなのだろうと今も思っている。
傷口を見せたいのだ。同情して欲しいのかもしれない。
けれども私はそれほどまでに可哀想な人なのだろうか。
あたたかい家族に囲まれこんなにも幸せだと云うのに
何かが間違っている。一刻も早くその間違いに気づきたいと思う。
過ぎたことはさらりと水に流す。
本当に大切なのは「いま」なのに違いない。
晴れたり曇ったり雨が降ったりなんと忙しい空だったこと。
雨になれば地面を叩きつけるような土砂降りの雨であった。
まだ台風の影響ではないと思うのだけれど大気がかなり不安定のようだ。
台風14号は18日の日曜日に九州に上陸しそうである。
四国は台風の右側になるので大荒れが予想される。
用心に越したことはない。備えあれば患いなしと思いたい。
日曜日は孫達の運動会だけれどおそらく無理だろう。
延期となれば平日に行われるそうでそれも残念である。
娘夫婦は仕事を休めないかもと今から気を揉んでいる。
学校側も行事はなるべく早めに終わらせたいようだ。
それも時代の流れだろうか。昔だったら考えられないことだった。
子供の気持ち、親の気持ちもそうして踏みにじられていく。
仕事を終えていつものスーパーで買物をして外に出ようとしたら
土砂降りの雨になっていてしばらく雨宿りをしていた。
傘を持っていない人ばかりで皆雨が止むのを肩を並べて待っていた。
ふと隣の女性を見たら金髪の外人さんで胸がドキドキする。
声を掛けたい衝動に駆られたけれど勇気が出ない。
その時強い風が吹いて横殴りの雨が降り込んできた。
思わず「オーノー」と声をあげたらその女性が反応してくれて
ほんの一瞬のことだったけれど顔を見合わせ微笑み合った。
女性はご主人だろうか男性が運転する車に飛び乗った。
その時の白い足のなんと綺麗だったことだろう。
深くスリットの入ったワンピースを着ていて太腿まで見えたのだ。
私はその一部始終をうっとりしながら眺めていた。
若さと美貌。その上に外国人となればもう言うことはない。
目の保養と言えば失礼に当たるかもしれないけれど
なんと美しい姿だったことか。まるで雨の中の薔薇の花のようであった。
雨宿りも良いものだなと思う。もしかしたらまた会えるかもしれない。
その女性の姿が忘れられなくなってしまった。
2022年09月14日(水) |
未来にもきっと笑顔を |
曇りのち晴れ。風があり涼しく感じたけれど
最高気温が34℃を超えていたらしい。
彼岸の入りも近くなり夏の名残もあと少しのことだろう。
台風シーズンでもあり週末頃には影響がありそうだ。
孫達の運動会があるのでなんとかお天気が持って欲しい。
今朝は高知新聞に「高新文芸」8月の月間賞が発表されていた。
私の短歌が二席に選ばれていてとても励みに思う。
認められた嬉しさよりもささやかな希望を頂いたような気がする。
これからも諦めずにこつこつと書き続けていこうと思った。
「少しだけ残しておいた夢がある林檎のようにかじる一切れ」
めいちゃん8歳の誕生日。もう8歳なのかと感慨深く思う。
元気で明るく優しい女の子に育ってくれた。
娘達と同居を始めてすぐに生まれた子なので
私も育児を助けずいぶんと奮闘したことを懐かしく思い出す。
あやちゃんもそうだったけれどよく熱を出す子だった。
生後2ヶ月でRSウィルスに罹り入院したこともある。
その頃の日記を読むとつい昨日のことのように思い出すのだった。
最近ではあえて孫達のことをあまり書かないように努めている。
だんだんと年頃になりプライバシーも守らなければいけない。
「おばあちゃん書いたでしょ」と叱られてしまいそうだ。
10年後、この日記が残っている可能性は低いけれど
私の記憶は永遠であり続けたいと願ってやまない。
めいちゃんいつもお手紙をくれてありがとう。
「大好き」って言ってくれておばあちゃんはとても嬉しいよ。
おたんじょうびおめでとう。これからもずっと笑顔でいてね。
雨が降ったり止んだり。大気がよほど不安定なのだろう。
気温は低めであったけれど蒸し暑さを感じた。
雨遍路さんが二人。雨合羽も身に着けず颯爽と歩いていた。
荷物は少な目だったので野宿ではなさそう。
けれどもリュックの中身が濡れてしまうのではと気になる。
日が暮れるまでに延光寺さんに着いただろうか。
民宿ならお風呂に入れるだろう。少しでも旅の疲れを癒して欲しい。
9月になってから少しずつお遍路さんが増えている。
相変わらず声を掛けられずなんとなくもどかしくてならない。
縁があればきっとそれも叶うだろう。一期一会もあるのに違いない。
今日は足の痛みがいつもより酷く気が滅入る。
なんのこれしきと思っていても痛みには勝てない。
仕方なくお昼に鎮痛剤を服用して少しマシになった。
仕事を早めに終わらせてもらって定期の内科へ。
医師との面談さえ済ませば処方箋が貰えるのだ。
わずか30秒ほどの面談なのに1320円も支払う。
いつも思うのだけれど高過ぎるのではないだろうか。
貧乏人のひがみかもしれないけれど納得がいかない。
薬局で薬を貰い車に乗るなり母から電話があった。
先日から毎晩のように電話をしていたけれど一向に繋がらず
今日は施設を訪ねる予定だったのでそのことを告げようと思っていた。
母はやっと着信に気づいたらしく「ごめん、ごめん」と謝っていた。
声は明るく元気。食欲も出て点滴もしていないと言う。
その言葉をすっかり信じてほっとしていたのだけれど
施設のケアマネさんに会って話を聞けばそれが嘘だと分かった。
食欲は未だ回復せず点滴はずっと続けているらしい。
母はどうして嘘を言ったのだろう。私を安心させる為だったのか。
認知症ではないのだから呆けているとも思えなかった。
本当のことを言って欲しかった。面会も叶わない時だからこそ
真実を知る権利のようなものがあるのだと思う。
食欲不振はコロナの後遺症なのかもしれない。
ケアマネさんも心配してくれていたけれど気長に見守るしかないだろう。
施設側も精一杯の介護に務めていてくれているのだった。
母の嘘を許そう。それは母にとって軽い冗談だったのかもしれない。
2022年09月12日(月) |
限界に立ち向かう勇気 |
夜明け前、西の空に十六夜の月。
さすがに名月だけあってそれはなんと綺麗に輝いていた。
仰ぎ見ているのは自分なのだけれどなんだか見られているように感じる。
私は嘘偽りもなくありのままだっただろうか。
いつも自信がない。ただ確かに生きていて命の息を感じていた。
月の光は希望そのものである。一瞬にして暗闇を忘れてしまう。
手探りの感情もその光によって救われて行くのに違いない。
山里では義父が稲刈りの第二段、今度は飼料米の収穫であった。
昨日の予定だったけれど天候が悪く仕方なく今日に延期となる。
手伝ってくれる人達も来てくれていたのでなんとしても順調にと願う。
義父も焦っていたのか苛立っているのが手に取るように分かった。
お昼前に大切な来客がありしばらく応対に追われる。
お昼休みもなく午後4時近くまで掛かってしまった。
義父と約束をしていたらしいが今日はそれどころではなく
代役を引き受けたものの思うようにいかない。
同僚にも助けてもらってなんとか遣り遂げることが出来た。
くたくたに疲れ切ってしまったけれど心地よい達成感があった。
何事もやれば出来るのだろう。少しだけ成長したように思う。
明日は義父に報告するけれどひたすら笑顔を待っている。
稲刈りも無事に終わっていればどれほどほっとするだろうか。
この歳ともなれば日頃から限界を感じることが多い。
やってやれないことはないのだと思いながらも
ついつい弱気になってしまうのだった。
その上に足の痛みが拍車を掛ける。
情けないけれど心と身体は決して一体ではなかった。
心に身体が付いていかない。悔しいけれどそれが現実だろう。
ただその現実に立ち向かう勇気は必要なのではないだろうか。
「どうせ私なんか」と思うより「こんな私だけど」と
まるで賭けるように自分を試してみることも必要だと思う。
試してみてどうすることも出来なければそれが「限界」なのだろう。
限界を知って弱くなるのではない。
むしろ強くなるのではないかと私は思っている。
夜明け前に中秋の名月は見れなかった。
雲の上ではきっと輝いていたことだろう。
空に何の罪もありはしない。それは嘆くことでもなかった。
むしろありのままの空を愛しく思えるのだった。
曇り時々晴れの予報だったので思い切って洗濯物を干したら
青空が見え始めてとても嬉しかった。久しぶりに空の写真を撮る。
そんな喜びもつかの間、あらあらという間に雨が降り始める。
がっくりとするよりなんだか愉快でならない。
女心と秋の空とはよく言ったものだと可笑しくなってしまったのだ。
午後にはまた青空が見え始める。それも女心の気紛れであるかのよう。
私もまだ少しは女であるらしく空の気持ちが分かるような気がした。
買物に行っていてスーパーの駐車場でちょっとしたアクシデント。
カートを押しながら車に向かっていたら段差で躓いてしまい
カートに載せていたビールを落としてしまったのだった。
缶が割れてしまい勢いよくビールが噴出する羽目となる。
困ったどうしようとおろおろしていたら直ぐにガードマンが来てくれて
お店のサービスカウンターに相談するようにと助言してくれた。
痛い足を引き摺りながら店員さんに事情を説明すると
店長さんだろうか男性が駐車場まで駆け付けて来てくれた。
「大丈夫ですよ、交換しましょうね」と言ってくれなんと有難いこと。
その間5分もかからないとても迅速な応対であった。
男性は売り場から新しいビールを走って持って来てくれたのだろう。
感激屋の私は涙が出るほど嬉しかったのは言うまでもない。
元々は私の不注意。足さえ痛くなければ軽々と荷物を運べただろう。
このところずっとカートに頼りっぱなしでいささか反省もした。
どんなに重くても両手で持てるように頑張ってみなくては。
出来るか出来ないかはやってみなければ分からない。
もう二度とこんな失態はあってはならないと強く思った出来事だった。
それにしてもお店のサービス精神には頭が下がる。
毎日利用しているけれど一層信頼感が増した。
「優しさと思いやり」それは商売の基本だと思う。
夕方から本降りの雨になった。
残念ながら中秋の名月は見られないけれど
もしかしたら明日の夜明け前に叶うかもしれない。
月明りを楽しみにしていようと思う。
雨音もまた耳に心地よい。夏が押し流されているようだ。
追い駆けることも縋りつくことも出来ない。
そうして季節は巡っていく。私はぽつんと取り残されている。
カーブスでほっと嬉しいことがあった。
今日は他店から応援に来ていたのか見かけないコーチが来ていて
私の痛む足を気遣ってくれなんと親身になってくれたのだった。
私はずっとそんなコーチを求めていたのだと思う。
それもエゴかもしれない。私の身勝手な欲なのかもしれないけれど
優しい言葉が身に沁み胸に熱いものが込み上げて来た。
気がつけば鬱々とした気分も晴れ渡り
弱気も少しずつ強気へと変わっていたのだった。
出来ないことがあって当たり前だと思う。
それよりも出来ることを頑張れば良い。
それが「努力」なのではないかとあらためて思った。
心にはスイッチのようなものがあり
それはいとも簡単に切ったり入れたり出来るらしい。
時には壊れてしまって操作も出来なくなることもあるけれど
だからと言ってそれを捨ててしまうことは出来ない。
自力で直せなければ人に頼っても良いのだと思う。
「助けて」と口に出せなくてもきっと救われるのだと信じたい。
今日の私はそのスイッチを持て余していたのかもしれない。
もう仕方ないときっと諦めていたのだろう。
そんな私に気づいてくれた人が居てくれたのだと思う。
コーチがまるで神様のように思えてならなかった。
来週からは笑顔で通えそうだ。
もうそのコーチには会えないかもしれないけれど
私の心のスイッチはオンになっている。
2022年09月09日(金) |
やれるだけのことをやってみる |
おおむね晴れ。日中は30℃を超え真夏日になったけれど
夏の名残だと思うと暑さも心地よく感じた。
百日紅も散れない花だったのだろうか。
花が終わった後に実のようなものが見えている。
種になるのかもしれないけれど詳しいことは分からない。
千切って保存することも考えてみたけれどいつ頃蒔けば良いのだろう。
もし芽が出ても木になるのはずいぶんと先のことに思える。
夏を彩っていた花の盛りが終わるのはなんとなく寂しいものだ。
昨日から海苔の漁場の準備が始まっており
今日は個人別の漁場割がありじいちゃんが出掛けていた。
希望は殆ど無いと言う。それでも最初から諦める訳にはいかない。
とにかくやれるだけのことをやってみて結果は二の次だろう。
駄目で元々だと思っている。何もしないよりはましなのではないか。
漁場の杭打ちはもう少し涼しくなってから始めることにした。
秋のお彼岸頃を予定している。私も精一杯のことをしたい。
東日本大震災の時をふと思い出していた。
わずか50センチの津波であったけれど漁場は壊滅状態となり
海苔網ごと流され思いがけずに大きな被害となった。
それも被災地に比べればほんの些細なことだったのだと思う。
あの悲惨な現実を目の当たりにして被害者などとどうして言えよう。
奇跡的にほんの少しだけ残った海苔網があった。
とても強く逞しかったのだろう。生育が目覚ましく救われたのだった。
おかげで収穫が出来てそれなりの収入に恵まれたのである。
そんな奇跡はもう二度とないだろうと思いつつ希望を捨てきれずにいる。
やったらやっただけのことがあるのではないか。
神様も仏様も決して見捨てはしない気がするのだった。
何かを信じなくては生きる甲斐もない。
生きてさえいればきっと報われる日が来るだろう。
2022年09月08日(木) |
おとなにも子供にも試練 |
二十四節気の「白露」大気が冷え始め草木に露が見え始める頃。
暑さ寒さも彼岸までと云い日中はまだ夏の名残を感じるけれど
朝晩はずいぶんと涼しくなり秋の訪れを感じる。
夕暮れ間近となり切なく鳴くのはツクツクボウシ。
最近になり「法師蝉」と云う呼び名を覚えた。
俳句では秋の季語になっているようだ。
日本語のなんと風情があることだろう。美しい呼び名だと思う。
「つくづくと何が欲しいか法師蝉」先日高新文芸に投稿したけれど
当然のことのように落選してしまった。いかにも初心者らしい。
短歌や詩やおまけに俳句などと欲張りすぎてもいけない。
認められたい欲に振り回されているような日々であった。
ある意味情けない。そしてとても愚かなことのようにも思う。
おまけに命がけで書いているなどど言えば馬鹿の骨頂である。
今夜は孫達のダンス教室があり夕食も食べずに出掛けて行った。
運動会の翌日が発表会だそうでなんとハードなスケジュール。
気が張っているのかあやちゃんは眠ることをしなかった。
下校後すぐに宿題も済ませたようで心配はなさそう。
ただ運動会が雨天の場合は翌日になるそうでお天気が心配である。
台風12号が発生しており今後の進路がとても気になっている。
昔の運動会は10月と決まっていたけれど
最近ではまだ残暑厳しい9月に行われることが多くなっている。
熱中症の心配もあるけれど教育委員会の方針なのだろうか。
なんだか納得できないのは年寄りのエゴかもしれない。
けれどもその理由を知りたい。どうして9月でなければいけないのか。
今朝は登校前のあやちゃんに「運動会楽しみやね」と言ったら
思いがけずに「ぜんぜん楽しみやないけん」と応えた。
苦手な一輪車の競技があるらしく憂鬱でならないらしい。
子供心にどれほどのプレッシャーを感じていることだろう。
何事も試練だと云うことは容易い。けれどもその試練はとても重い。
乗り越えることが出来れば自信に繋がるけれど
失敗したらどんなにか気落ちすることだろう。
「頑張ろうね」とあえて私は言わなかった。
「無理せんでもええよ」と言ったらにこっと微笑んで
重いランドセルを背負って「行って来まーす」と元気な声がした。
2022年09月07日(水) |
無理せんばあにやりよ |
曇りのち晴れ。午後から厳しい残暑となる。
高知市では猛暑日となり日本一の暑さだったようだ。
けれども季節は確実に秋に向かっているのだと思う。
空の高さ。雲のかたち。風のささやき。
山里の星ヶ丘公園では女郎花が満開になっているようだ。
毎年楽しみにしているけれど今年はどうしたことか
写真を撮る気にもならず足を向けずにいる。
すっかり出不精になってしまったようだ。
これではいけないなと思うのだけれどなぜか心が動かない。
まるで心の中に靄が立ち込めているような気がする。
仕事を終えて整形外科へ。もう明日からの薬がなかった。
鎮痛剤が無いと不安でならない。困ったものだなと思う。
それ以上に医師とのやり取りが楽しみなのが本音でもある。
明るくて愉快な医師は「どうぜよ?」と訊いてくれる。
「どうですか?」ではなくいつも幡多弁丸出しなのだ。
しっかりと私の目を見て話してくれるのでとてもほっとする。
近いうちに川仕事を始めることを話したら
「あんまりお勧めは出来んけんどやれるばあやってみるかい」と
その言葉にどれほど励まされたことだろう。
出来るか出来ないかとにかくやってみようと決心がついた。
「無理せんばあにやりよ」なんと温かい言葉だろうか。
ふとこの医師は心療内科でも成功するのではないかと思った。
患者の心に寄り添いとても親身になってくれるのだ。
おかげで気分がすっかり明るくなり笑顔で帰路に就いた。
帰宅したら二階からピアノの音が聴こえている。
やがてあやちゃんが駆け下りてきてピアノ教室に向かう。
40分ほどで帰って来てから倒れこむように眠ってしまった。
昨日は3時間、今日は2時間も体育の授業があったそうで
運動会の練習ばかりしているのだそうだ。
日頃から活発なめいちゃんには少しも苦にならない様子だけれど
あやちゃんにはよほど堪えているらしい。
晩御飯も食べずお風呂にも入らず未だに眠り続けている。
どうやら宿題も済ませていないようで可哀想でならない。
娘はそのうち目を覚ますだろうとそっとしているようだ。
私もよけいな口出しをせずにただ見守るばかりである。
寝顔のなんとあどけないこと。それは幼い頃と変わらなかった。
体力の限界を超えてまで子供は無理をし続けている。
「無理せんばあにやりよ」とは誰も言ってくれないのだろう。
※無理しないようにやりなさいよと云う意味
2022年09月06日(火) |
捨てる神あれば拾う神あり |
台風の影響で風は強かったけれど雨はさほど降らず。
午後には薄く陽射しがあり青空が見えていた。
今は夕焼けがきれい。明日は朝から晴れそうだ。
無事に一日を終えられてほっとしているところである。
職場に信用金庫の外交員さんが来てくれて
お金を貸してくれることになった。
パソコン代を会社から一時借り入れしていたので
それをすぐに戻せる目途が立つ。
恥ずかしながら我が家には貯金など全くなかった。
それでよく思い切ってパソコンを買ったものだと思う。
「なんとかなる」と思った通りになったのである。
まさに捨てる神あれば拾う神ありではないだろうか。
外交員さんも私を決して貧乏人扱いにはしないのだ。
貸付もノルマ達成になるのだそうでとても喜んでいた。
もっと借らないかと言ったりして思わず笑ってしまう。
貧乏もまんざらではない。嘆くことではないのだと思った。
その日暮らしではあるけれどけっこう愉しい。
毎日の食費を切り詰めるのにも遣り甲斐を感じている。
それでいかに家族を満足させるのかまるで博打のようだ。
丁と出るか半と出るかそれは家族の笑顔にかかっている。
今夜は丁だった。この勝負私の勝ちと誇らしく思う。
精神的にはそう強くもなく落ち込むことも多いけれど
私には多少なりとも立ち向かう勇気のようなものがあるようだ。
ある意味打たれ強いのかもしれない「負けるもんか」とよく思う。
人生七転び八起きなのだ。明日転んでもすぐに起き上がってみせよう。
2022年09月05日(月) |
待ってくれているひと |
曇り日。時折雨が走り抜けるように降る。
風も少し強くなり台風の影響が出始めたようだ。
北九州を掠め日本海を北上するコースとなりそう。
高知県西部は明日の明け方から大雨の予報になっている。
どうか被害などなく無事に通り過ぎて欲しいと願ってやまない。
仕事を終えてから電器店に寄り新しいパソコンを受け取って来た。
店員のN君がすぐに使えるようにしてくれていて有難いこと。
おかげで焦ることもなく今夜もこれを記すことが出来ている。
今朝は不安でいっぱいだったのだ。「案ずるより産むが易し」と
何度も自分に言い聞かせていた。「なるようになる」と。
よほど神経質なのだろう。そんな自分に呆れてしまう。
古い母のパソコンはさすがに処分する気にはならず
せめて母が生きているうちは保存して置くことにした。
時々は使うことにして茶の間に持って行く。
私はスマホを持っていないのでスマホ代わりにはなるだろう。
まだ完全に壊れてはいない。確かに生きているのだと思う。
「長いことご苦労さま。ありがとうね」と声を掛けた。
今生の別れでもないのに目頭が熱くなってしまう。
明日の夜明け前からSNSも復活し短歌や詩を書きたい。
もしかしたら書けないかもしれないけれど
息をしながら自分の命と向き合ってみようと思っている。
今朝はある方が声を掛けて下って
私のツイートを見るのが毎朝の日課だったと言ってくれた。
復活を心待ちにしてくれているようでとても励みに思う。
いつも独りよがりで自信など無かったものだからよけいに嬉しかった。
こんな私でも待ってくれている人がいる。なんと有難いことだろう。
私は私の生き方を拡散したいと分不相応なことをふと考えている。
2022年09月04日(日) |
古いものと新しいもの |
大気がとても不安定でぱらぱらと雨が降ったり
かと思えば夏の名残りを思わすような強い陽射し。
台風が去り秋雨前線が退くまでは爽やかな秋空は望めそうにない。
再来週には孫達の運動会が予定されていているのだけれど
練習もままならないことだろう。いったいどうなることやら。
無事に開催されることをひたすら願ってやまない。
午前中に電器店へ。新しいパソコンの支払いを済ませて来たけれど
あれこれと設定があるらしくすぐに使える訳ではなかった。
それが自分で出来ないのがなんとももどかしい。
9日の金曜日に店員のN君が我が家に来てくれる予定だったけれど
早い方が良いだろうと今夜自宅でやってくれることになった。
順調に行けば明日の夜から新しいパソコンを使えるようになる。
それがどうしたことか少しもわくわくとしないのだった。
正直言って不安である。使いこなす自信が殆ど無い。
それと同時に今の古いパソコンに異常なほど愛着を感じているようだ。
母はまだ生きているのだから形見では決してないのだけれど
新しいのを買いました。もうお払い箱だとは告げたくはない。
本来ならば寿命が尽きるまで大切に使い続けてやりたかった。
パソコン教室へ通っていた頃の母を思い出す。
文字入力も上手くできない。マウスさえも操ることが出来なかった。
それでも必死の思いで母は格闘していたのだと思う。
職場のパソコンで練習するようにと勧めたこともあったけれど
母はまるで意地を張っているかのように頑なに拒否していた。
今思えば母は悔しくてならなかったのではないだろうか。
「出来ない」事実を受けとめることはとても辛いことだと思う。
母には何も告げてはいないけれど複雑な思いが込み上げて来る。
「新しい」ことが希望だとは決して限らないのではないかもしれない。
2022年09月03日(土) |
書くことは生きること |
昨夜は激しい雷雨となり停電もあった。
一夜明けて今日は静かな空であったけれど
夕暮れ間近になりまた雷が鳴り始めている。
ざわざわと落ち着かないけれどとにかく書き始めてみよう。
書く場所があり本当に有難いことだと思っている。
失うのが怖い。それは死ぬことと同じくらいに。
「書くことは生きること」に等しいのかもしれない。
午前中にカーブスへ。今日こそは楽しもうと思っていたけれど
欝々とするばかりで少しも楽しくはなかった。
コーチから励まされたり褒められたるするのが嫌なのだ。
我ながら偏屈な性格だなと思う。むしろ同情されたいのではないか。
「痛いでしょう」と言って欲しくてならないのだ。
人並みに筋トレが出来ない。口惜しさよりも辛さが勝ってくる。
けれども嘆いても何も変わりはしない。
リハビリだと思って気長に耐えていくしかないだろうと思う。
午後は友人が所属する写真クラブの写真展を見に行っていた。
まさに目の保養である。気分転換にもなりとても清々しい。
友人は朝日新聞社の賞を貰ったそうでさすがだなと思う。
それは蛙の写真だった。苔むした岩の上にじっと佇む蛙は
とても存在感がありその大きな瞳には命が漲っている。
きっと友人はその姿に愛情を感じたのだろう。
心の赴くままに撮られた写真は見る者の心を打つのだった。
私は友人を尊敬している。まるで雲の上の人のようにも思える。
夕方まで読書。瀬戸内寂聴の「烈しい生と美しい死を」読了。
衝撃的でありながら最後には心地よい読後感があった。
今更ながら寂聴さんの死が惜しまれてならない。
最後の最期まで書くことに命を賭けていたのだと思う。
生前の寂聴さんに一度お会いしたかった。
嵯峨野の寂庵を訪ねて見たかったと思う。
もう何も叶いはしないけれど私の犯した罪を打ち明けたかった。
女心と秋の空と云うがにわか雨も降り青空も見える。
夏の名残りの入道雲も見え空は賑やかであった。
今日もみい太が愉快。義父の側から片時も離れず
「にゃおんにゃおん」と鳴きながら追い掛け回していた。
朝ご飯は食べていたけれどもしやと義父が餌を与えたら
がつがつと食べお皿までぺろぺろと舐めているのだった。
食べ盛りなのか食いしん坊なのかなんとも微笑ましい。
義父の穏やかな顔がまた良い。ほっこりと心が温まる。
猫の居る暮しはこんなにも幸せを感じるものだったのか。
みい太がまるで天使のように思えてならなかった。
母がお世話になっている施設から電話。
コロナは完治したけれどその後もずっと食欲が無いらしい。
栄養面の心配があり毎日点滴をしているとのこと。
それもあまり長く続けると心臓に負担が掛かるのだそうだ。
「どうしますか?」と訊かれたけれど何と応えれば良いのだろう。
主治医の判断に任せるしかなくどうすることも出来なかった。
コロナの後遺症とも考えられ長期戦になるのかもしれない。
帰宅してすぐに母に電話をしてみた。
そうしたら点滴なんかしていないと言い張る。
「薬だと思ってご飯を食べんといかんよ」と言ったら
「ビールが飲みたい」とまるでふざけたように応えるのだった。
母はどうやら食べなくても死なないと思っているようだ。
しっかりと食べて体力を付けなければいけない時なのに。
かと言って無理強いは出来ない。なんとも複雑な心境である。
これはもうしばらく様子を見るしかないだろうと思った。
声は明るく元気。それが何よりも救いだった。
そうして私や家族のことを気遣ってくれる。
「大丈夫よ、心配ないけんね」と言ったら
母の微笑んでいる顔が目に見えるようだった。
最後に「ありがとうね」と母が言った。
私も「ありがとうね」と言って電話を切った。
胸に熱いものが込み上げて来て涙がほろりとこぼれていた。
2022年09月01日(木) |
大切なのは「いま」だろう |
朝のうちは雷雨。午後には思いがけずに青空が見えた。
台風は来週の火曜日に最接近するらしい。
直撃は免れそうだけれど雨や風が気掛かりでならない。
カレンダーを9月にしたら燃えているように紅い彼岸花。
母の生まれ故郷に咲くその光景が目に鮮やかに浮かんだ。
祖父母の命日も近い。二人とも9月に亡くなったのだ。
3年前にお墓参りに行ったきりでずっと供養を疎かにしている。
お盆に迎え火を焚く人もいない。どんなにか寂しかったことだろう。
せめて思い出すことが供養になればと願ってやまない。
長かった夏休みが終り孫達の新学期が始まる。
生憎の雷雨でじいちゃんが学校へ送って行った。
先にけい君を。それからあやちゃんとめいちゃんを。
雷が泣くほど怖いけい君も笑顔で登校したらしくほっとする。
2学期には運動会もある。元気に楽しい学校生活を送って欲しいものだ。
夏休みの間ずっと昼食係だったじいちゃんは呆けていたらしく
今日もお昼に孫達の名を呼んではっと我に返ったそうだ。
「俺は独りぼっちや」と寂しくてたまらなかったらしい。
それを聞き娘と笑い転げてしまったけれど
「じいちゃんのおかげやね」と娘が感謝の気持ちを伝えていた。
核家族が多い中、祖父母との同居が救いになることもあるだろう。
恩を着せる気持ちは全くないけれど「存在」を認められたのだと思う。
それが何よりも嬉しかった。じいちゃん本当にご苦労様でした。
窓から三日月が見えている。折れてしまいそうな程に細い月だ。
明日も雨だなんて信じられないけれど大切なのは「いま」だろう。
隣室から孫達の声が聴こえている。ほのぼのとした夜になった。
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