| 2022年08月31日(水) |
自分の心を休ませること |
曇り一時雨。気温は30℃を超えており酷く蒸し暑かった。
台風の進路が気になっているけれど今のところ直撃はなさそう。
大型の非常に勢力の強い台風とのことで沖縄が心配である。
慣れてはいるだろうけれど想定外の被害をもたらす可能性もある。
沖縄も日本なのにと思う時がある。報道は極めて消極的であった。
今日は看板猫のみい太がとても愉快で可愛らしかった。
義父の長靴が気に入っているらしく枕にして寝ているのだ。
「長靴をはいた猫」は聞いたことがあるけれど
まさか枕にするなんて誰が思うだろうか。
義父は「よほど俺の匂いが好きなんだな」と嬉しそうに笑っていた。
パソコンの調子がすこぶる悪く今朝は書くことを断念する。
SNSだけの不調でおそらく画像や動画が多いせいだろう。
「ディスプレイの応答が停止しました」とメッセージが出て
いきなり画面が真っ白になってしまうのだった。
気長に待っていればやがて回復するのだけれど
とても書く余裕はなく短歌や詩どころではなかった。
気が滅入るばかりで集中力も出ずこれは駄目だなと潔く諦めた。
冷静になって考えれば「休みなさい」と告げられているのだろう。
あまりにも書くことに拘っていた戒めなのかもしれない。
365日書けばそれだけの短歌や詩が出来るけれど
自分が納得するようなものが果たして書けていたのだろうか。
もしかしたらとても愚かなことだったのかもしれない。
「いいね」の数やリツイートの数ばかり気にしていて
それが評価だと思い違いしていたのかもしれないのだった。
私の書き方は「オン書き」なのだと昔ある詩人さんが言ってくれた。
ノートに書いたものをパソコンんで打ち込んでいるのではない。
パソコン画面をノートだと思って常に即興で書いている。
一歩間違えれば取り返しのつかないことをしているのだろう。
だからいつも自信はない。そしていつも臆病であった。
今朝はしばらく休むことを宣言したので
明日からノートに書いてみようと思っている。
書けるかどうか分からないけれど自分を試してみたいのだ。
幸いSNS以外のサイトは全く支障が無く助かっている。
今夜もこうして書くことが出来た。なんと有り難いことだろう。
パソコンをシャットダウンするたびに手を合わせている日々である。
明日もどうか書かせてください。それはもはや祈りに他ならない。
| 2022年08月30日(火) |
娘に叱られましたの巻 |
晴れたり曇ったり。今は西の空が茜色に染まっている。
夕焼けが見えると翌日は晴れると聞いたことがあるけれど
明日は雨の予報。夏が一気に去ってしまいそうで少し寂しい。
今朝はどうしたことか得体の知れない不安に襲われる。
上手く言葉に出来ないけれど何かに押しつぶされそうだった。
一瞬死ぬのかと思った。それが怖ろしくてならない。
対向車が突っ込んで来るような気がしてハンドルを握りしめていた。
季節の変わり目だからかもしれない。精神が不安定になっていたようだ。
それほどに弱いのかと自分の頬を打ってやりたいくらいだった。
だいじょうぶ。今は落ち着いていていつものようにこれを記している。
仕事を終えてから電器屋さんに寄っていた。
ここ一月ほどパソコンの調子が悪くもう限界と買い替えることにする。
貧乏人だけれどなんとかなるだろうと楽天的なところもあった。
何よりも書けなくなるのが怖ろしい。目の前が真っ暗になる。
今使っているノートパソコンは母のお下がりでけっこう古い。
母がパソコン教室に通っていた頃に買ったものだった。
母の承諾を得ずに勝手に自分のものにしてしまったのだ。
今日は下見でどれにするかを決め仮契約をしてきた。
知り合いの店員さんが親身になってくれてなんと有り難いこと。
今週の日曜日に購入し初期設定等は来週の金曜日になる。
店員さんが休みなので我が家まで来てくれるのだそうだ。
設定料金も正規の半額にしてくれると言う。
帰宅してじいちゃんに報告したら特に異存はなし
「いくらするんだ?」とも訊かずほっと胸を撫で下ろす。
それから娘に話したら思いがけずブーイングの嵐であった。
今時パソコンではないと言う。スマホかタブレットで充分だと。
ネットをするのにそんな高い物を買って馬鹿じゃないかと言われた。
詳しく話を聞けばスマホやタブレットにも専用のキーボードが
ちゃんとあるのだそうだ。それは全く知らなかった。
文字入力さえスムーズに出来れば問題なしと言うことなのだ。
結局、私馬鹿よねお馬鹿さんよねとなった。やれやれ。
真夏日だったけれど随分と涼しく感じた。
身体が猛暑に慣れてしまっていたのだろう。
ささやかな秋の気配を受けとめるように過ごす。
明日からしばらくは雨の日が続きそうだった。
台風は洋上を西に向かっているけれど
迷走台風らしく急に進路を変えるかもしれない。
日本列島には秋雨前線が掛かっていて豪雨の心配もありそうだ。
今朝は出勤するなり猫の鳴き声。
先週から行方不明になっていた「みい太」が帰って来ていた。
鉄工所のKちゃんが飼っていた野良猫だったけれど
Kちゃんのコロナ感染があったりでしばらく義父が面倒を見ていた。
それ以来すっかり職場の看板猫になってしまったのだった。
今ではKちゃんよりも義父に懐いていてなんとも微笑ましい。
今日も仕事をしている義父の側から離れず付きまとっていた。
最初は「みい」と呼んでいたけれど雄猫だと分かって
「みい太」と呼ぶことにした。それは私が付けた名前である。
臆病者なのか私が名を呼んでも近寄って来ないのだけれど
今日は珍しく側に来て甘えるので撫でてやったらうっとりとしていた。
なんとも癒される。とても優しい気持ちになるのだった。
猫の居る暮しにずっと憧れていたけれど
我が家には大の猫嫌いのじいちゃんが居るので到底叶わない。
どうして嫌いなのかと訊ねたことがあるけれど
子供の頃に祖母が飼っていた猫の毛がお茶に入っていたのだそうだ。
そのお茶を飲んだのかどうか定かではないのだけれど
とにかくそれ以来猫が大嫌いになったらしい。
私は子供の頃から猫も犬も大好きで犬は物心付いた頃から飼っていた。
父も母も猫嫌いではなかったけれど犬を優先していたのだろう。
中学生の時に捨て猫の子猫を保護して数日飼ったことがある。
まだ生まれたばかりの子猫で母猫のお乳が必要だったのだろう。
スポイドで牛乳を飲ませてみたが上手く飲ませてやれなかった。
学校から帰ったらもう冷たくなっていてなんと悲しかったことか。
父が「もう二度と拾って来るなよ」と言ったのだった。
拾うのと保護するのは違うと思ったけれど小さな命を失ってしまった。
尊い命を守ってやれなかった悔いは今でも忘れられずにいる。
みい太は明日も私を出迎えてくれることだろう。
もう野良猫なんかじゃない。れっきとした看板猫として生きている。
今朝は随分と涼しく秋らしさを感じる。
早朝にお大師堂へ。爽やかな川風の心地よいこと。
お堂の扉を開けたら真っ先に枯れ始めた花枝が見えた。
まだ大丈夫だと思い込んでいたので持参しておらず
踵を返しシキビを手折りに車を走らす。
足の痛みさえ無ければ少しも苦にはならないのだけれど
今朝は歩くのがやっとでなんとも難儀であった。
「がんばれ、がんばれ」と自分を励ましていたら
目頭が熱くなりなんと情けないことだろうと思う。
日頃からお参りを疎かにしている罰ではないかとも思った。
けれども自分の役目をなんとしても果たしたいのだった。
花枝を活け替えるとほっと肩の荷が下りる。
拙い般若心経の後につい欲が出てしまって
「足を治して下さい」と手を合わせていた。

今日は娘達と同居を始めて8年目の記念日。
家族の誰も記念日だとは思っていないようなのだけれど
私のカレンダーにはそれらしく記してあるのだった。
今朝は2014年の8月の日記から読み返していた。
やはり日記は誰の為でもない自分の為のものだと改めて感じる。
ささやかなことだけれどそこには家族の歴史があった。
臨月であった娘のこと。次々と娘達の荷物が増えていったこと。
同居が始まると私の日記は書けない日が多くあった。
9月にめいちゃんが生まれるとそれはいっそうに増している。
ミルクを飲ませたりオムツを替えたりと忙しかったのだろう。
日記どころではない日々がしばらく続いていたようだ。
それも今となってはとても懐かしく感慨深く思い出される。
あやちゃんとお大師堂へ行ったこともよく記されていた。
「おだいししゃん」木魚を玩具のように叩いたことなど懐かしい。
「なむだいしへんじょうこんごう」がまだ上手に言えなくて
「こんごん、こんごう」と小さな手を合わせたことなど微笑ましい。
あやちゃんは憶えていないだろうけれど私はしっかりと憶えている。
あやちゃんは10歳となりめいちゃんはもうすぐ8歳となる。
孫たちの成長は私にとって宝物のように思えてならない。
家族ではないと言われた時にはとても悲しかったけれど
同じ一つの屋根の下に暮らす家族に違いないと私は信じている。
娘は口癖のように「いつまでも居ないから」と言っているけれど
未だに我が家を出て行く気配は感じられなかった。
これ幸いと思いつつ私達老夫婦はすでに覚悟を決めている。
家族だった事実があればどれほどの寂しさにも耐えられるだろう。
もしかしたら10年目の記念日も訪れるのかもしれない。
雲ひとつない快晴。空がいっそう高く感じる。
風は沖の風。海からの南風を土地の言葉でそう云う。
それは涼風となり微かに秋を匂わすのだった。
娘達は午前中から川遊びに出掛ける。
夏休みも残り少なくなり孫達の良き思い出となったことだろう。
ふとけい君のことを想った。どうして過ごしているだろうかと
多忙な息子のこと、子供の夏休みに付き合うどころではないと察する。
青白い顔をしたけい君の姿が目に浮かび憐れに思うばかりだった。
今夜は納涼花火大会が行われる。
四万十川の河川敷からたくさんの花火が打ち上げられるようだ。
あれは息子が3歳の時だったからもう40年も昔のこと
お舅さんの川船で花火を観に行ったことがある。
すぐ間近で観る花火のなんと素晴らしかったことだろう。
お舅さんにとってはそれが最後の花火になってしまった。
夏の終わりに癌を患い秋が深まった頃に亡くなってしまったのだ。
今なら早期発見で治療も叶うけれどその当時は発見が遅れ
体調を崩した時にはもう手遅れになってしまっていた。
今思えばお舅さんには虫の知らせがあったのかもしれない。
「今年は船で観に行こうや」と満面の笑顔で言ったのだった。
せつない思い出となってしまったけれど懐かしく心に残っている。
花火は鎮魂でもある。決して華やかなことばかりではない。
これも昔の話だけれど純白の花火を仰ぎながら泣いたこともあった。
色とりどりの花火が多い中、どうして純白だったのだろう。
女心にそれがどうしようもなく切なく感じたのだった。
すぐにある人に電話をしたけれど繋がらなかった。
心が押しつぶされるように寂しかった記憶だけが残っている。
今夜は土手から遠い花火を観ようと思っている。
そうして私の夏が終わっていくことだろう。
猛暑日の一歩手前、厳しい残暑であったけれど風は爽やかだった。
空がなんとなく高く感じる。今日は飛行機雲を仰いだ。
機体がきらきらと光っていてとても綺麗で感動する。
乗客はもっと感動したことだろう。見渡す限りの青い空である。
昨夜はどうしたことか夢見が悪く午前二時から眠れずにいた。
そんなことは滅多になく酷く途惑ってしまう。
姑さんが夢の中で死んでしまったのだ。
もうすでに亡くなっているのだから夢に違いないのだけれど
妙にリアルで緊迫感があった。大変なことになったと思った。
家の前に黒塗りの霊柩車が停まっていてなんと不気味なこと。
遺体は見えない。ただ死んだ事実だけが追い詰めるように迫って来る。
私は何故か素っ裸だった。喪服を着なければと焦っていたようだ。
家族の姿も見えない。いったいみんな何処に行ってしまったのだろう。
そこではっと目が覚めたのだけれど汗びっしょりになっていた。
隣の布団ではじいちゃんが寝息を立てている。なんと平和な現実か。
もう大丈夫。4時まで眠ろうとしたがどうしても眠れなかった。
夜が明けてから娘に夢の話をしたら笑い飛ばすどころか
真剣な顔をして「お祖母ちゃんまだ居るんじゃないの」と言う。
お盆に帰ってからそのまま天国に帰らずに居るのかもしれないと。
そう言った直後、娘が悲鳴をあげて背中の痛みを訴える。
「やばいよ、なんか急に背中が重くなった」と叫ぶのだった。
とにかくお祓いをしなければ。お経を唱えつつ娘の背中を擦った。
心当たりが無い訳でもない。お盆に疎かにしていたことがある。
今年は般若心経を唱えなかったのだ。自分でもそれが心残りであり
生前から私のお経を頼りにしてくれていた姑の顔が目に浮かぶ。
きっとずっとそれを待ち続けてくれていたのではないだろうか。
今からでも遅くはない。とにかく自分の役目を果たしたい。
仕事を終えて帰宅するなり義妹宅に行き仏壇に手を合わせていた。
遺影に声を掛けるように般若心経を唱えることが出来る。
姑さんの声は聴こえないけれど遺影の笑顔に救われるようだった。
思わず「もう死なんとってね」と呟いていた。
私は普通の人より少しばかり霊感が強いようだった。
母譲りでもありそれは娘にも遺伝している。
霊の存在も信じているし死後の世界も信じている。
魂は不滅なのだ。そうして輪廻転生を繰り返すのだと思っている。
それなのに死ぬのが怖い。まだまだ修行が足らないのであろうか。
| 2022年08月25日(木) |
何があっても母は強し |
明け方まで雨が降っていたけれど日中は晴天となる。
法師蝉が声を限りにして鳴いていた。
彼らも8日の命なのだろうかとふと空を仰いだ。
入道雲は見られずうろこ雲が空を秋に見せようと泳いでいた。
厳しい残暑ではあったけれど空に救われたような気がする。
嫌なことを見つけるより嬉しいことを見つけたいと思っていた。
けれどもさらりと水に流せないことがどうしてあるのだろう。
不愉快なこともある。それが未だに尾を引いていて苦しい。
他人に誠実さを求め過ぎるのだろうか。それは思い通りにはいかない。
こればかりは日にち薬が必要なのかもしれない。

今日はやっと母の声を聴くことが出来た。
嬉しさよりもどれほどほっとしたことだろう。
散々迷ったけれどもう限界に思えて今朝は病院に電話をかけてしまった。
あくまでも伝言としてケイタイの充電を依頼したのだった。
しばらくしてからケアマネさんから電話があり
母のコロナ完治、今日一般室に移ったと報せがあった。
やはり危惧していた通り未だに感染が拡がっているらしい。
まだまだパニック状態が続いているようだった。
ケアマネさんも現場で闘っているとのこと頭が下がるばかりである。
多忙にも関わらず電話をかけてきてくれてひたすら感謝に尽きる。
午後、母からの電話。声を聴くのは2週間ぶりであった。
ただ介護士さんに促されてかけたらしく少し不機嫌な様子。
私が仕事中なのを気遣ってくれていたのだろう。
ちょうど来客中でゆっくりと話せなかったけれど
最後に母は「ありがとうね」と言ってくれた。
親不孝な娘にとってそれほど嬉しいことがあるだろうか。
その一言でどれほど救われたことだろう。
コロナを乗り越えた母。やはり信じていた通りだった。
何があっても母は強し。私はそんな母の娘であることを誇りに思っている。
晴れたり曇ったり。暑さは少し和らいでいたようだ。
もう猛暑日になることはおそらくないだろう。
黄花コスモスが咲き始めている。
黄色と云うよりオレンジ色に近い花だった。
毎年秋桜より少し早く咲き始めるのだけれど
もうそんな季節になったのかと感慨深く思う。
写真を撮らなくなってからずいぶんと経った。
心が動こうとしない。どうしてだか分からない。
来月には友人の写真展があるので観に行くつもりである。

定時で仕事を終わらせてもらって整形外科へ。
予約の時間よりも早く着いていたのに1時間以上も待たされる。
それほど時間が有り余っている訳でもないものだから苛立つばかり。
おまけに2週間後にまた来るように言われ納得がいかない。
鎮痛剤の量を減らすので様子を見るのだと医師は言う。
痛みが酷くならなければ良いのだけれど不安でいっぱいになった。
川仕事の相談も出来なかった。次回までのお預けとなる。
帰宅がすっかり遅くなり焼くだけのハンバーグを買った。
そうしたら娘がお昼にもハンバーグを食べたのだと言う。
仕事が休みだったので孫たちとジョイフルへ行っていたそう。
あやちゃんに相談したら「夜もハンバーグでええけん」と言ってくれる。
優しい子だなとつくづく思った。本当に有り難いことである。
今朝はSNSで少し気分が落ち込むようなことがあった。
今日はそのことが頭から離れず憂鬱でならなかったけれど
「書きたい」気持ちを封じ込めあえて書かないことを選んだ。
書けばまたトラブルになるだろう。傷つけ合うことは避けたい。
私は決して強くはないけれど何を言われても耐えられると思う。
それだけ長いこと生きて来た。それを誇りにさえ思っている。
けれども泣きたい時もある。人間だからそれは仕方ない。
| 2022年08月23日(火) |
夏は逃げるのではなく退く |
二十四節気の「処暑」暑さが少し和らぐ頃と言われているけれど
私は「夏が退く」と云う表現がなんとなく好きだなと思う。
逃げるのではなく退くのだ。正面を見ながら後ずさりするような
そこにはまだ未練がいっぱいあるのだけれど行かなければならない。
退くイコール別れでもない。夏は微笑みながら去って行くのだろう。
やがて秋風が吹き始めるとやっと諦めたかのように後ろ姿を見せる。
だから見守ってやらなければいけない。後姿が見えなくなるまで。

今朝は夜明け前に「処暑」にちなんだ短歌と詩を書いたのだけれど
いつも読んでくれているK子さんが「心に沁みる」と言ってくれた。
それがどんなにか励みになったことだろう。
胸が熱くなり涙が出るほど嬉しかった。
誰からも認められないとずっと思い込んでいたからよけいに
クリスチャンであるK子さんが神様のように思えたのだった。
K子さんは母と同い年の84歳であり母のようにも思っている。
高齢であるにも関わらず毎朝SNSで発信を続けていて
どうかいつまでもお元気でと願わずにはいられなかった。
「SNSで会いたい人はいますか?」と訊かれたら私は迷わずに
K子さんと応えるだろう。親近感と云うより信頼感が大きい。
唯一人信じられる人と言っても他言ではないだろう。
今はSNS時代となり犯罪に巻き込まれる人も多いと聞く。
昔Rが言っていたように「何処の馬の骨だか分からない」人ばかり。
匿名、居住地不明、性別不明、年齢不詳の人で溢れている。
それをプライバシーの保護だと一言で済ませて良いのだろうか。
匿名だから何を発言しても許されるなんて大間違いだと私は思う。
言いたいことがあるなら本名で堂々と発言するべきなのだ。
政治家、芸能人、作家や詩人さん。それは匿名ではなかった。
それだけに自分の発言にはしっかりとした責任を負っている。
そのせいで炎上したり批判を浴びたり追い詰められることもあるけれど
「個」としての自分を守り通して欲しいと願ってやまない。
守り通せず自死を選んだ人もいるのには心痛の至りである。
誰かが守ってやるべきだった。それは大きな罪だと思う。
匿名での誹謗中傷は決してあってはならない。
※ツイッター「山��詩織」
| 2022年08月22日(月) |
夏は潔く去ってはならない |
天気予報が外れてしまって思いがけずに雨が降った。
おかげで暑さが和らぎ過ごしやすい一日となる。
一気に涼しくなるのはなんとなく切ないものである。
「じゃあねさようなら」夏は潔く去ってはならない。
たとえば燃えるような恋をしていて突然に別れを告げられたら
悲しみよりも心の居場所を失い途方に暮れてしまうだろう。
寂しさを秋が癒してはくれない。ただ秋風が心に沁みるだけだ。

月曜日が憂鬱と言う人が多いけれど私はそうは思わない。
なんとなく新鮮な気がしてむしろ好きだなと思う。
幸い仕事にストレスを感じていないせいだろう。
それは本当に恵まれているのではないだろうか。
母が現役だった頃は毎日のように言い争いがあり
心はいつも荒んでいたように思う。
一日も早く仕事を辞めたいとどれほど願ったことだろう。
60歳を機に非常勤を申し出た時、母は酷く嘆いたけれど
仕方ないと諦めたらしくそれが結局母に負担をかけてしまったようだ。
心臓の持病が悪化し入退院を繰り返すようになったのもその頃のこと。
挙句に転倒し腰の骨を骨折してしまったのだった。
そうして母はとうとう再起不能になってしまう。
退院しても独り暮らしはとても無理で施設のお世話になるしかなかった。
その現実を母はどんな思いで受け止めたのであろうか。
薄情な娘だと私を恨んだかもしれない。口惜しくもあったことだろう。
今日は仕事中にとても思いがけないことがあった。
明日返却しなければいけない大切な許可証がどうしても見つからず
それは5年前に発行されていて新しい許可証と差し替えなければいけない。
始末書を書けば済むことなので諦めて帰宅しようとしていたら
ふっと母の机の上に目が行ったのだった。そこに電話帳が置いてあった。
もう古い電話帳なので捨てようと手に取ったらなんとその下に
「重要」と母の字で書かれたその許可証があったのだった。
なんだか偶然だとはとても思えない。母が知らせてくれたのに違いない。
そうでなければどうして私は母の机の上を見てしまったのだろう。
毎日事務所に居ながら母の机の上など見たこともなかったのだ。
電話も繋がらず母に訊ねることも出来なかった。
母は5年前に置いた場所を確かに憶えていたのだと思う。
「重要」母の字の懐かしいこと。赤いマジックで記してあった。
5年前の母はどれほど精一杯だったことか。
私をあてにせずに頑張ろうときっと意気込んでいたのに違いない。
| 2022年08月21日(日) |
種を蒔いても芽が出るとは限らない |
曇り時々晴れて蒸し暑い一日だった。
残り少ない夏だと思えばふと愛しくも思えてくる。
玄関先のプランターに植えた記憶のない松葉牡丹が育っていて
今朝は花芽を見つけて嬉しかった。濃いピンクの花が咲きそう。
それにしても何処からやって来たのだろうと不思議でならない。
鳥が種を運んで来たのだろうか。なんだか奇跡のようにも思える。
たまたまにしても我が家に縁があったのか。有り難いことではないか。
種を蒔いても芽が出ないこともある。どんなに心を込めてもだ。
それは私自身が一番良く知っていることなのかもしれない。

昨夜は母に電話をしてみたけれど繋がらず
「電源が入っていません」とアナウンスが流れるので
おそらくケイタイの充電が切れているのだろうと思われる。
施設に電話して充電をするように伝えてもらうことも考えたけれど
忙しい職員さんにこれ以上手間取らせることを躊躇ってしまった。
クラスター発生から一週間、まだ落ち着いてはいないだろう。
新たな感染者が出ている可能性も大いに在り得るのだった。
家族の要望に耳を傾ける余裕などとても無いだろうと思う。
本当に大変な苦労を強いられていることだろう。
なんとしても乗り越えて欲しいとエールを送り届けている。
先日は施設から経過報告の電話をしてくれたのでまたあるかもしれない。
その時を待ってケイタイの充電をお願いしようと思っている。
母が自分で気づくことはまずないだろう。
鳴らないケイタイを枕元に転がしているのも憐れではあるけれど
こればかりはどうしようもなく仕方の無いことだと思う。
やはり「便利は不便」でもある。便利だから頼りたくなるのだろう。
不便となればなんとも寂しく心細く不安になってしまうのだ。
母の声を聴くことは叶わなかったけれどきっともう大丈夫
そう信じて眠りに就こうと思っている。
もしかしたら夢の中で母に会えるかもしれない。
| 2022年08月20日(土) |
夏の欠片を抱きしめるように |
夕焼け空にうろこ雲。日中は厳しい残暑だったけれど
確実に秋が近づいているようだ。それはゆっくりと
夏の欠片を抱きしめるようにそうして傷つけないように
秋にはちょっとした男らしさがある。きっと誠実なのだろう。
山里の職場は臨時休業。同僚が稲刈りをしたようだ。
無事に終わっただろうか少し気になっている。
手伝ってくれる人がいなければたいへんな苦労だと思う。
同僚も60歳が近くなりあれこれと持病も抱えている。
とても健康体とは言えないのであった。
午前中にカーブスへ行っていたけれど少しも楽しくない。
コーチが気遣ってくれて何度か声をかけてくれたけれど
とても頑張ろうという気持ちにはなれなかった。
我ながら嫌な性格だなと思う。どこかいじけているのだろう。
上手く気分転換が出来ない。そんな自分が歯がゆくてならなかった。
溌剌としていた頃の自分はいったい何処に行ってしまったのだろう。
午後は読書どころではない暑さ。自室のエアコンはひたすら節電。
茶の間と娘達の部屋と子供部屋のエアコンがフル活動している。
8月分の電気料はと考えただけで怖ろしいのだった。
読書を諦め茶の間で高校野球の準決勝を観ていた。
特に応援する学校はもう無いけれど負けている学校を応援する。
負けてしまって涙を拭っている姿にはやはり胸が熱くなるのだった。
それは「燃え尽きた青春」そのものである。
せめて球児たちに明るい未来を与えてやって欲しいと願ってやまない。
いま午後7時17分。窓の外を見ればもう闇が近づいている。
随分と日が短くなった。それも秋の兆しなのだろう。
母のコロナ感染から一週間が経った。
今夜はこれから電話してみようと思っている。
どうか繋がりますように。「もう大丈夫よ」と言って欲しい。
| 2022年08月19日(金) |
信じるも信じないも自分次第 |
今朝は随分と涼しく秋の気配を感じた。
日中は厳しい残暑となったけれど空にはうろこ雲が見える。
木陰に入ると爽やかな風が吹き抜けていた。
ゆっくりと夏が退こうとしている。まるで燃え尽きるかのように。
帰宅して従姉妹のK姉の畑に葱を貰いに行っていた。
茄子や胡瓜もあっていつでも自由に獲って良いと言われているけれど
我が家から目と鼻の先にある畑まで歩くのがとても大変である。
一気には歩けず途中で休まなければいけない。なんと情けないことか。
事情を知らないK姉は遠慮していると思っているらしく
一昨日には茄子と胡瓜をわざわざ届けてくれたのだった。
なんと有り難いこと。どちらも美味しくご馳走になった。
来月に入れば海苔の漁場の準備が始まるのだけれど
今年は大幅に減らし例年の半分にすることに決めた。
期待が薄いせいもあるけれどじいちゃんが私の足を気遣ってくれる。
足の痛みは昨年の漁場準備が発端でそろそろ一年になろうとしていた。
私も自信がない。やってやれないことはないだろうけれど
無理をすればよけいに悪化するのではないだろうか。
来週また整形外科に行くので医師に相談してみようかとも思っているが
ドクターストップが掛かればにっちもさっちも行かなくなる。
じいちゃん一人ではとても無理だろう。少しでも手伝ってやりたい。
限界を試してみるのも一つの手かもしれない。
やってみて出来なければそれまでだけれど遣り甲斐はあるのではないか。
限界を知ればまた新しい道が開けるような気もするのだった。
私はいつもぎりぎりのところで生きている気がする。
大らかな性格でもなく楽観的でもなかった。
切羽詰まった所で本領を発揮するのかもしれない。
火事場の馬鹿力ではないがもっと追い詰められてみたいとも思う。
見捨てられないのだ。それは自分を信じているからだろうか。
| 2022年08月18日(木) |
夏に生まれた子はおひさまの匂いがする |
朝のうち小雨が降っていたけれど午後にはよく晴れる。
猛暑日にこそならなかったが厳しい残暑となった。
職場は来客多し。同僚が汗だくになって頑張ってくれる。
お昼前に支払いに来てくれたお客さんはコロナだったとのこと。
全くの無症状で狐につままれたようだと話す。
自宅待機期間が終わればもうPCR検査はしないのだそうだ。
本当にもう大丈夫なのだろうかと私は不安でならなかった。
無症状の人も多いと聞く。そんな人達が普通に日常生活を送っているのだろう。
いつ何処で接触するか分からない。それは大きな危機だと思う。
午後、母の施設から電話があり経過報告があった。
昨夜も母に電話してみたけれど繋がらず気になっていたところだった。
熱は微熱とのこと。幸い肺炎の心配は今のところ無いようだった。
ただ喉の痛みが治まらないのか食欲があまりないらしい。
点滴で栄養分を補ってくれているとのこと。至れり尽くせりである。
職員の感染で人手不足になっているのにも関わらず
家族に報告をしてくれて本当に感謝せずにはいられなかった。
「頑張って下さいね」と告げるのが精一杯であったけれど
「ありがとうございます」と応えてくれて胸が熱くなってしまう。

我が家は平穏そのもので今日は娘の41歳の誕生日であった。
早朝からの陣痛は夕方まで続きどれほど痛みに耐えたことだろう。
産院で夕陽を浴びた。傍らには母が付き添ってくれていたことを思い出す。
流れる汗を母が団扇で扇いでくれたのだった。「もう少しやきね」
やっと産まれた娘は産声をあげず「お願い泣いて」と狂ったように叫んだ。
おぎゃあおぎゃあと娘の産声が聴こえた時には私も涙を流していた。
夏に生まれた子はおひさまの匂いがする。
娘はずっと我が家の太陽のように明るく輝いていた。
結婚式も挙げないまま我が家を風のように飛び出して行ったけれど
今は二人の可愛い孫の母となり再び我が家の太陽になっている。
「いつまでも居ないから」はもう口癖のようになってしまったけれど
私はもうすっかり覚悟していてその日を恐れてはいない。
41年の歳月は何物にも代えがたい「幸福」そのものであった。
| 2022年08月17日(水) |
女心に未だ秋風は吹かず |
晴れのち曇り。猛暑が少し和らぐ。
お盆休みを終えて5日ぶりの山里だった。
あちらこちらに稲刈りを終えた田んぼが目立ち微かに藁の匂いがする。
そんな田舎らしさが好きだなと思う。なんとなく懐かしい匂いだ。
母の生まれ故郷の祖父母の家だろうか。稲が干してあったのを思い出す。
昔は乾燥機など無かったので竹を組み天日干しをするのが習いだった。
義父もお盆休みの間に稲刈りを終えていてほっと寛いだ様子。
乾燥した玄米を袋詰めにする作業を少しずつしていた。
とても機嫌が良い。それが何よりも嬉しく感じる。

お昼休みに読んでいた本が時間切れとなり読了出来ず
後数ページだったのでスーパーの駐車場で一気に読んだ。
このところずっと瀬戸内寂聴ばかり読み耽っているのだけれど
出家する前の作品はなんとなく馴染めずにいる。
女盛りに対する拒否反応だろうか。嫌悪感さえ感じるのだった。
言葉は悪いけれど気持ちが悪い。とても共感など出来ない。
恋愛云々にはもう関わりたくはなかった。近寄りたくもないのだ。
この日記を書き始めた頃の私は45歳だった。
まだ女盛りだったのかは定かではないけれど
試しに20年前の日記を読み返してみたら正しく気持ちが悪かった。
恋をしていたのだろうと思われる文章に鳥肌が立つ。
よくもまあこんな恥知らずのことをしたものだと呆れてしまう。
今さら削除する気持ちは無いけれど二度と読み返すまいと思った。
寂聴さんはどうだったのだろう。若い頃の作品が愛しかったのだろうか。
「ありのままの自分」として受け止めていたのかもしれない。
それとも自分を許したのだろうか。どれほど愚かであったとしても。
作品は永遠にこの世に残る。既に過去の人になっても未来永劫なのだ。
もう誰も「晴美さん」とは呼ばない。それが唯一の救いかもしれない。
今年は初盆だった。寂庵にはどんな草花が咲いていたのだろう。
寂聴さんはにっこりと微笑みながらその庭に佇んでいたのに違いない。
| 2022年08月16日(火) |
送り火にまた会える日の炎燃え |
午後4時を過ぎると熱風が少しだけ涼風に変わる。
お盆が終わると朝晩涼しくなるものだけれど今年はどうなのだろう。
「処暑」まであと一週間となった。夏が退き始めるのだろうか。
もう何年も会っていない友人から残暑見舞いの葉書が届く。
先日の「高新文芸」を見てくれたのだそうだ。
いつも気にかけてくれていて本当に有難いことだと思う。
メールや電話ではなく心のこもった便りがよけいに嬉しかった。
声を聴きたい気持ちもあるけれど私も便りを出そうと思っている。

夕方送り火を焚いた。来年も帰って来て下さいねと手を合わす。
昨夜は亡き姑さんの夢を見た。毎年のことだけれどお盆にはよくあること。
もしかしたら供養が足らないのではないかとつい思ってしまう。
今年は特に般若心経を唱えられなかったので少し悔やんでた。
けれども夢の中の姑さんは昔の古い台所に居てそれは沢山の料理を作り
「はよう食べたや」と笑顔で私に勧めてくれたのだった。
夢の中だと云うのに煮物が美味しい。なんとも懐かしい味であった。
ああ、帰って来てくれていたのだなとつくづくと思う。
家族は誰も会えなかったらしいが私は会うことが叶ったのだろう。
娘が「おかあは霊感が強いけんね」と云うけれどそうなのかもしれない。
死後の魂は生き続けていると私は信じてやまないのだった。
私も定命が尽きればあの世にデビューするのだけれど
お盆には必ず帰って来て家族みんなを喜ばせてやりたいと思う。
孫たちの夢の中でハンバーグを作ってやりたい。
そう思うと死を怖れる気持ちが薄れて行くのだった。
| 2022年08月15日(月) |
負けるもんかと母の声 |
今日も厳しい残暑。風はあったけれどドライヤーの温風のようだった。
涼を求めてエアコンの部屋に閉じこもってばかり。
家事らしいことも殆どしない。すっかり怠け者になってしまっている。
昨夜この日記を書き終えて母から着信があったとばかり思っていた。
確かに繋がっているのだけれど母の声が聴こえない。
私の声は聴こえているはずと「頑張りよ、負けたらいかんよ」と叫んだ。
今朝になり着信履歴を確認したらそれが何処にもない。
もしやと思い発信履歴を見たら私から母に電話していたことが分かった。
「酔っぱらっていたからじゃ」とじいちゃんに笑われてしまう。
よほど母の声を聴きたかったのだろう。心配でならなかったのだろう。
年金支給日で7月分の支払いもあり午前中に病院を訪ねる。
担当のケアマネさんには会えなかったけれど他のケアマネさんが
連絡を取ってくれて母の様子を少しだけ聴くことが出来た。
熱は少し下がったらしいけれど喉の痛みが酷いらしく
食事が殆ど摂れず点滴をしているそうだった。
看護師さんがずっと診ていてくれているそうで「心配ないですよ」と言う。
どんなにかパニック状態になっているだろうと思うと感謝しかない。
感染を怖れずに患者に立ち向かっている姿に感動さえ覚えたのだった。
胸に熱いものが込み上げて来る。気がつけば涙が溢れていた。
これを記しているいま。テレパシーが伝わったのだろうか
今度こそ母から着信があった。弱々しい母の声ではあったけれど
「絶対に負けんよ」とその声にどんなにか救われたことだろう。
「ついに流行に乗ったね」と言えば微かに笑い声も聴こえる。
そうして「あんたも気をつけよ」と私のことを気遣ってくれるのだった。
母の優しさが心に沁みる。けれども私はもう泣いたりしない。
| 2022年08月14日(日) |
少しだけ残しておいた夢がある |
連日の猛暑日。今日も厳しい残暑となる。
今朝はとても思いがけずに嬉しいことがあった。
感極まりほろほろと涙がこぼれる。
高知新聞の「高新文芸」で短歌が一席に選ばれていたのだった。
3月に月間賞を頂いてからもどれほど投稿を続けたことだろう。
それは悉く落選となり紙面に掲載されることは無かったのだ。
その口惜しさをバネにと思いながらも自信は失われるばかり。
それでも諦めずに投稿を続けていて本当に良かったと思う。
真っ先に父の顔が浮かんだ。生きていればどんなにか喜んでくれただろう。
いや違う。父の魂が私を救ってくれたのに違いない。
お盆の時期ほど魂が身近に感じられることはなかった。
この世に帰って来てくれている。そうして私を守ってくれたのだろう。
これからも諦めずに頑張れよ。そんな声も聴こえて来るのだった。
生前最後に父に会った日に「おまえは短歌をやれ」と言ってくれた。
私はその言葉が父の遺言だったと思って今まで過ごして来た。
だからどんなに蔑まれても自分を見失ってはいけないのだと思う。
そうして今回のようなことがあっても決して驕らないことだ。
驕ることほど醜いことはない。またこつこつと努力を惜しまずにいたい。
「少しだけ残しておいた夢がある林檎のようにかじる一切れ」
| 2022年08月13日(土) |
迎え火に小さき子らが手を合わす |
日中は快晴。気温が高くなり猛暑日となる。
母が入居している施設から電話がありコロナ陽性とのこと。
昨夜電話で話した時にはとても元気そうだったので信じられない。
今朝の検温で発熱がありすぐにPCR検査をしたのだそうだ。
幸い熱以外の症状は無く軽症のまま済むのかもしれない。
介護士さんがしきりに「すいません」と謝罪してくれた。
どうして責めることなど出来よう。こればかりは仕方のないこと。
それよりも施設内がどんなにかパニックになっていることだろう。
改めて医療従事者の苦労を労う気持ちが強くなった。
母はきっと大丈夫。コロナに負けず乗り越えてくれると信じている。
嘆くことだけはしたくない。嘆いても何も変わりはしないのだ。
今夜は迎え火を焚き義妹宅に親族が集まりお盆の宴会をしている。
これも三年ぶりのことでまだとても安心とは言い難いけれど
「もう誰が感染してもいいじゃないか」とじいちゃん(夫)が言う。
我慢も限界になったのだろう。私一人が反対するわけにもいかなかった。
皆の楽しそうな笑顔を見ているとなんだかとても懐かしくなる。
コロナ前の日常がつかの間戻ってきたような錯覚に陥るのだった。
今は少しだけ座を離れ帰宅しこれを記しているけれど
そうそう自分勝手も出来ないだろう。そろそろ戻らなければいけない。
走り書きのような日記なってしまい申し訳なく思っている。
舅さんや姑さんも二人揃って帰って来ていることだろう。
ひ孫が5人、仏壇のある部屋ではしゃぎまわっている。
にぎやかなお盆となりどんなにか喜んでいることだろうか。
| 2022年08月12日(金) |
思いがけない希望の光 |
薄曇り。気温はさほど高くはなかったけれど酷く蒸し暑かった。
太平洋上を台風が北上しているせいかもしれない。
明日は関東に接近とのこと大きな被害が無いことを祈っている。
山里ではいよいよ稲刈りが始まった。義父も忙しくなる。
お盆休みの間に終えようと意気込んでいるのが分かる。
お天気次第であった。どうかにわか雨が降りませんように。
お昼前に支払いに来てくれたお客さんの家族がコロナ感染とのこと。
濃厚接触者と見なされ17日まで外出を控えるように言われたらしい。
支払いなど急ぐこともないのにどうして守れなかったのだろう。
あまりにも非常識に思えて酷く途惑ってしまった。
お金を触ったので手指の消毒。事務所の換気もすぐに行う。
一難去ってまた一難。右を向いても左を向いてもコロナだらけである。
仕事を終えてからいつもの病院へ。診察があったので緊張していた。
そのせいか血圧が異常に高くなっており自分でも驚く。
私とは馬の合わないはずの医師が今日はやけに愛想が良い。
一瞬話せるかもしれないと思い先日からのコロナ騒動を切り出した。
そうしたら私の場合は濃厚接触者ではないと教えてくれたのだった。
「濃厚接触者」とは一メートル以内で15分以上の接触があった者。
たとえ相手がマスクをしていなくても感染リスクは低いと言う。
素人考えでは同じ部屋の空気を吸っただけで危険だと思っていた。
義父の場合は濃厚接触者となるけれど奇跡的に助かったと言えよう。
「そんなに神経質にならなくても大丈夫ですよ」と医師は笑った。
そうして私の肩に手をそっと乗せて励ましてくれたのだった。
ずっと張りつめていたこころが一気にほぐれたように思う。
医師に対する不信感も何処かに消え去っていた。
医師が成長したのか私が成長したのかよく分からないけれど
おそらく後者ではないかと思われる。
私はきっと素直だったのだろう。そうして医師の懐に飛び込んだのだ。
医師は心療内科の専門医ではないけれど日々学んでいるのだと思う。
院長である専門医を慕って他の病院から移って来ただけのことはある。
まだ30代と思われる若さであるがいずれは病院を継ぐだろう。
その時にどれほど患者の心に寄り添うことが出来るのか
病気の治療ばかりではなく心のケアが出来るようになるのか
私は長生きをしてそれを見届けたいと思ったのだった。
今日はなんだか希望の光を見つけたような気がしている。
| 2022年08月11日(木) |
負け組にも根性がある |
晴れてはいたけれど午後にわか雨が降った。
それも土砂降りとなり驚く。洗濯物が可哀想。
娘とめいちゃんと三人がかりで取り入れたことだった。
後は乾燥機の「乾太くん」にお任せする。
主婦の味方だけあってなんと頼もしいことだろうか。
午後、久しぶりの胃痛に襲われる。
あまりの痛さに脂汗が流れる程だった。
冷たい物の飲み過ぎであろうか、整形外科の鎮痛剤のせいかもしれない。
もともと胃弱なのをすっかり忘れておりその報いだと思われる。
胃薬を飲み少し楽になり茶の間で高校野球を観戦していた。
高知代表の明徳は健闘したけれど初戦突破ならず。
何度も逆転のチャンスがあったけれどそれを活かせなかった。
けれども選手みな爽やかな顔をしており精一杯だったことが分かる。
力を出し切ったらもう後悔はないのかもしれない。
勝ち負けに拘るよりもそれが大切なことなのではと思った。
私はどうだろう。人生の負け組だとずっと思い込んでいたけれど
誰からも認められないことに拘り過ぎていたのではないだろうか。
傷つくばかりの自尊心。悔しさをバネに出来ない虚しさ。
それはもしかしたら自分の力を出し切っていないのではないか。
誰にだって限界はあるだろう。それは天から与えられていること。
その限界を乗り越える精神力が足らないと云うことかもしれない。
蔑まされることに慣れてしまってはいけない。
惨めだと嘆きすべてを投げ遣りにしてはいけない。
負けても誇りを失ってはいけないのだと思うのだった。
私は小説家でもエッセイストでもない。歌人でも詩人でもないけれど
この世に生きていることに誇りを持ちたいと思う。
| 2022年08月10日(水) |
弱さを強さに変えるべき時 |
山里ではお昼過ぎににわか雨が降った。
大気がよほど不安定なのだろう。
8月になってから快晴の日は殆ど無いと云っても良い。
帰省客が増え始めたよう。県外ナンバーの車が多く見られる。
高知の城下では「よさこい祭り」が3年ぶりに開催され賑わっているようだ。
ラジオを聴いていたら「感動で胸がいっぱいだ」と観客の声がする。
私はとても複雑な気持ちになった。本音を言ってしまえば
「不安で胸がいっぱい」なのである。気分はとてもよさこいどころではない。
祭りの後にどれほどの危機が襲って来るのだろうと気掛かりでならない。
奇しくも今日は過去最多の感染者。もうどうしようも出来ないと思う。
今朝は体調も変わりなく元気そのものだった。
接触から6日目となりもう大丈夫とすっかり安堵していたけれど
出勤前に熱を測ったらまさかの37度で一気に不安が襲って来る。
どうしたものかと困惑しながらも職場に向かっていた。
職場に着くなりすぐ近くにある診療所に電話をして相談する。
そうしたら37度は発熱とは見なされないとのこと。
夏は平熱が高くなることがあるのだそうだ。
体調が良いのであればPCR検査の必要はないだろうと言う。
これまでのいきさつを話し不安でならないことを伝えたら
なんと親身に耳を傾けてくれたことだろう。有り難くてならない。
話し終えるなり涙がほろほろと溢れてしまっていた。
義父も心配してくれて再度熱を測ってみたら36度3分。
「ほら、なんともないじゃないか」と笑い飛ばしてくれた。
人一倍神経質なものだからこんなこともあるのだろう。
気にし過ぎていることは自分でもよく分かっているのだった。
もっと気楽にもっと大らかにと思うけれど上手くいかない。
今こそ「かかってこいや」位の強気が必要なのだろう。
弱さを強さに変えることはきっと可能だと思っている。
それは立ち向かう勇気だろうか。自分を信じることだろうか。
上手く言葉に出来ないけれど私はきっと変われるのに違いない。
| 2022年08月09日(火) |
楽観にはまだほど遠い |
少しずつだけれど日が短くなっているようだ。
つい先日まで西日がいっぱいに射し込んでいた部屋が薄暗くなった。
夕風も心地よくなり今も窓を10センチ程開けて風に吹かれている。
もうすぐ陽が沈むだろう。おひさまも早く休みたいに違いない。
仕事は今日も通常通り。お盆休みを前にしての繁忙期であった。
体調は特に変わりなし。義父も元気そのものである。
接触から5日を経過したのでもう大丈夫だと思うのだけれど
念のためにPCR検査を受けたほうが良いのではと迷っている。
無症状でも陽性は在り得る。もしそうなったら仕事はどうすれば良いのか。
そんな考え自体が不謹慎なのかもしれないと罪悪感も感じるのだった。
今までとは事情が違う。自分が感染源になる可能性もあるのだと思う。
義父はもうあっけらかんとしていてマスクも着用しない。
それを咎める勇気がない。見て見ぬふりをするばかり。
来客するお客さんも殆どがマスクを着用していないのだった。
暑さのせいもあるだろう。まして小さな山里のことでもある。
けれどもそんな山里にも今日は5名の感染者が出たようだ。
誰もがもっと危機感を感じるべきなのではないだろうか。
私は人一倍神経質なものだから怖くてならなかった。
帰宅して今日もマスク着用で家事をしていたら
あやちゃんが「おばあちゃん気にせんでもええよ」と言ってくれる。
優しい子だなとつくづく思った。私を信じてくれているのだろう。
じいちゃん(夫)も娘一家も元気でいてくれてほっと救われている。
もし私が感染していたら真っ先にじいちゃんに感染するだろう。
「俺はぜんぜんなんともないぞ」その言葉がとても心強い。
12日の金曜日に内科を受診する予定なので
医師に相談してみようかとも思っている。
まともに話せる医師ではないけれど少しは親身になってくれるだろう。
その医師も濃厚接触者となり昨日まで病院を休んでいたそうだ。
公式のSNSで今日そのことを知ったばかりだった。
もし全く親身になってくれなかったらもうこそ縁を切ろうと思う。
とにかくあと3日。なんとしても無事に乗り越えなければいけない。
家族を守りたい。ひたすらそう願い続けている。
厳しい残暑。暑さで有名な江川崎では猛暑日だったようだ。
「立秋」を待ちかねていたのに今度は「処暑」を待っている。
秋風が吹き始めるとなんとなく寂しくなってしまうのだけれど
それを求めているのだろうか。自分の心がふと解らなくなってしまう。
エアコンを一晩中点けっぱなしにしていたせいだろうか
今朝は目覚めるなり喉に違和感を感じていた。
寝冷えだろうとさほど気にもせずに山里の職場に向かったのだけれど
職場に着くなり義父が「大変なことになったぞ」と血相を変えて言う。
同僚ではないけれど同じ敷地内で鉄工所を経営しているK君が
コロナに感染したらしい。昨日判明したのだそうだ。
数日前から微熱があると言っていたけれど「まさか」と云うより
「やっぱり」と思う気持ちが強かった。
そうして一気に大きな不安に襲われてしまったのだった。
義父は一緒に溶接の仕事をしており私も事務所でしばらく語らっていた。
私は常にマスクを着用しているけれど義父もK君もしていない。
濃厚接触者には違いなくすっかりパニック状態になってしまう。
私は特に喉に違和感があったのでよけいに気になってしまったのだった。
義父が保健所に電話をしてどうすれば良いのか対処策を訊ねた。
そうしたら接触から5日間症状が出なければ大丈夫だと言う。
今日で4日目だったので後1日様子を見るようにと言われた。
会社の営業も通常通りで差支えないらしい。
けれどもどうしてすぐに平常心に戻れるだろうか。
まるで悪夢を見ているような気持ちになってしまう。
帰宅して家族に事情を話しマスク着用で家事をしていた。
これまでなんとしても家族を守りたいとどれほど願ったことだろう。
まさか自分がこれほどの危機に見舞われるとは思ってもいなかった。
幸い喉の違和感は夕方には薄れ今は殆ど感じなくなった。
明日までに発熱が無ければもう大丈夫かもしれない。
どれほど平穏無事を祈り続けていてもこんな日もある。
何事も試練だと口癖のように言っていてもさすがに参った1日だった。
| 2022年08月07日(日) |
定命を知らずままに秋が立つ |
「立秋」秋の気配がほの見えるころ。
ちいさな秋は夜明け前の虫の音から始まる。
りりんりりんと今朝は鈴虫の声が聴こえていた。
日中は厳しい残暑となったけれど幸い猛暑日にはならず
風もあり心地よいほどの暑さとなった。
早朝やっとお大師堂へ。お参り仲間の従兄弟から花枝の傷みを聞いていたので
まずは花枝を切りに畑へと足を運ぶ。
畑と云っても今はその面影も無く夏草の生い茂った荒れ地であった。
姑さんが健在だった頃には見事に手入れをしてあり季節ごとの野菜が
たくさん育っていたのだけれど、なんだか申し訳ないような有り様である。
その畑の隅に3本のシキビが植えられていて今でも活き活きと育っている。
枝ぶりがとても良いのだ。まるで姑さんの魂が宿っているかのよう。
「お大師さんへ持って行くね」と声を掛けて枝を数本切り落とした。
お大師堂へ着くと日捲りの暦が金曜日のままだった。
Sさんも来れない日があるのだろう。なにしろこの暑さである。
草刈りも出来ないらしくお堂の周辺は夏草が生い茂っていた。
疎かにしているのは私だけではないのだと思えば少し気も楽になる。
花枝を活け替え蝋燭に火を灯しお線香を2本立てる。
本来は3本らしい。お大師さんと家族と自分の分だと聞いたことがある。
お線香を折ってはいけないとも云う。寿命が縮まるのだそうだ。
けれども私はあまり拘らない。2本で十分に思うのだった。
寿命は定命であり生まれた時からすでに決まっていることらしい。
どれほどもがいてもどれほど願っても定命が尽きればあの世へ逝く。
般若心経は心を清め穏やかにする。謂わば精神安定剤のようなものだ。
唱えたからと云って救われる訳でもないけれど
不思議と充実感を感じる。たとえそれが自己満足だとしても
生きている限り唱えたい呪文のようなものなのかもしれない。
「お願いします。守って下さい」それは不安で心細いからこそのこと。
定命を知らされることもなくどれほど生き永らえられるのだろうか。
欲深い私はとにかく生きたくてならないのだった。
| 2022年08月06日(土) |
青春は記憶の底から蘇る |
猛暑は和らいでいたけれど午後は突然のにわか雨。
慌てて洗濯物を取り入れたりしていた。
その後しばらく雷雨となったけれど今は晴れている。
ほんのりと茜色の空を仰ぎつつ平穏無事を噛みしめているところだ。
広島原爆投下から77年目の夏。報道は年々少なくなっているようだ。
沢山の尊い命が無残に失われ被爆された人達もどれほど多いことか。
10歳の子供が87歳になっている。その記憶を葬ってはいけないと思う。
もっと語り継がれるべきなのではないだろうか。

午前中はカーブスへ。午後は高校野球を観戦していた。
カーブスは今日も不完全燃焼で苛立ちばかりがつのる。
やはり気持ちの切り替えが必要に思うけれど上手くいかない。
継続は力だと云うけれど続けられるのか不安になった。
プロ野球には全く興味が無いけれど高校野球は好きだった。
若いって素晴らしいなと思う。それは青春そのものである。
第二試合の大分の明豊対群馬の樹徳の試合を夢中になって観ていた。
大分と云えば徳さんを思い出し徳さんも観ているかなと思う。
もちろん明豊を応援していたのは言うまでもない。
まさか逆転は無いだろうと最後まで信じていた甲斐があった。
7対3で明豊の勝ち。なんとも清々しい勝利であった。
二回戦も応援しようと思う。すっかり明豊のファンになる。
高校一年生の時だったか高知商業の益永投手に淡い恋をしていた。
恋と云うより憧れだったのだろう。私にとってはスターであった。
高知大会の予選も観に行き写真を撮らせてもらったこともある。
その時の益永君の照れくさそうな横顔が今でも忘れられない。
甲子園出場が決まった時には涙が出るほど嬉しかった。
そうして甲子園での活躍も熱狂的に応援したことだった。
益永君の青春は私にとっても青春だったのだと思う。
67歳の益永君を私は知らない。知らないほうが良いのかなとも思う。
けれども今でも野球に関わる仕事をしてくれていたらと願っている。
孫に野球を教えているかもしれない。それもほのぼのと目に浮かぶ。
青春とは程遠い年齢になってしまったけれど
記憶と云うものは本当に有難いことだとつくづく思っている。
| 2022年08月05日(金) |
もういいよとにかくさっさと眠りなさい |
風があったせいだろうか少し猛暑が和らぐ。
空も入道雲ではなく秋を思わすようなうろこ雲が見えていた。
立秋を心待ちにしているけれどどうなるのだろう。
厳しい残暑が待っているような気がしてならない。
今日も局地的な豪雨のニュース。今度は福井県や滋賀県とのこと。
濁流が流れ込んだ家屋、土砂崩れで家を一瞬にして失った人達。
幸い死者は出ていないようだけれど生きた心地がしなかっただろう。
なんとも言葉にならない。映像を見ながら胸が詰まりそうだった。
せめて寄り添う気持ちを大切にしたいと思うばかりである。

仕事が一段落し明日は休めることになった。
けれども嬉しさよりもなんだか後ろめたくてならない。
職場は休みではないのだ。私一人が休んで良いものか。
同僚や義父に申し訳ない気持ちがつのる。
今日も汗だくになって頑張ってくれていたのだった。
私は自分さえ良ければと云う性分では決してない。
時には周りに気を遣い過ぎるのかもしれないけれど
それが損な性分だと思ったことは一度もない。
とにかくまあるく納めようと努力していることには違いない。
身勝手な行動は必ずトラブルを引き起こす。
それは母と一緒に仕事をしていて学んだことでもあった。
今さらここで母の悪口を並べ立てても仕方ないけれど
母ほど自己中心的であった人は他にいないのではないだろうか。
そんな母も今ではずいぶんとまあるくなった。
電話をするたびに「気をつけてよ」と口癖のように言う。
整形外科の件など口が裂けても言えなかった。
話せばきっと過剰に心配をすることだろう。
書いているうちに収拾がつかなくなってしまったようだ。
こんなはずではなかったと少し悔やんでいる。
ほろ酔っているうちにさっさと眠ろう。
| 2022年08月04日(木) |
誰にでも明日が未来であるように |
今日も厳しい暑さとなる。まさに「太陽がいっぱい」
ずいぶんと昔そんな題名の映画があったのではなかっただろうか。
観てはいないけれど薄っすらと憶えていてこれを記し始めて思い出した。
映画の内容も全く知らずにいてよくもまあ書いたものだと呆れている。
恥知らずなのだ。今に始まったことではないのでどうかお許し願いたい。
西日本は猛暑に見舞われたけれど山形や新潟、石川までも豪雨となり
家屋の浸水や崖崩れなど大きな被害があったようだ。
なんと気の毒なことだろう。とても他人事とは思えず胸を痛めている。
いつ何処で何があっても不思議ではない世の中なのだと思う。
人は自然の猛威に逆らえないけれど仕方ないことと一言では済まされない。
皆それぞれにどれほど平穏無事を祈っていたことだろうか。
私は毎朝般若心経を唱えているけれどついつい願ってしまうことが多い。
「お守りください」はもう口癖のようになってしまった。
そうそう願われても仏さまも途惑っておられることだろう。
そう思うと平穏無事はまるで奇跡のように感じるのだった。
そうなればもう感謝しかない。寝る前には「ありがとうございました」と
手を合わす。「どうか無事に朝を迎えられますように」とまた願う。
そんな日々の繰り返しだけれど心はとても平安であった。
何か悪いことがあってもこれは試練なのだと受け止められるようになった。
そうしてなんとしても乗り越えようと思う。
神さまも仏さまも乗り越えられない試練は与えないのだそうだ。
私は強くも逞しくもないけれど信じる気持ちを大切にしている。
この歳になっても希望を持って突き進んで行きたい。
信じてみませんか。明日と云う未来を。
| 2022年08月03日(水) |
有り難くいただきますよ何事も |
エアコンを付けても室温がすぐには下がらずやっと32度。
今日の最高気温はいったい何度だったのだろう。
猛暑日には違いなくうだるような暑さであった。
一際元気なのは百日紅の花。夏の陽射しによく映える。
それから鉄砲百合もあちらこちらに咲き始めている。
「鉄砲」と言うだけあって一見勇ましく見えるけれど
その花は純白でとても清楚で可憐な花であった。
夏の花は逞しく命が漲っている。暑さを物ともしない強さがある。

仕事を終えてから整形外科に行っていたけれど
先日の血液検査、尿検査ともに特に異常はなかったようだ。
いったい何を調べたのかよく理解できない。
数値を記した紙を貰ったけれど専門的なことが解るはずもなかった。
ただ「悪い病気ではないですよ」と医師は笑って言うのだった。
左足の痛みは我慢できない程では無くなりしばらく様子見となる。
けれども大きな病院なら即手術になるくらい悪いのだそうだ。
ちなみに入院となると一月はかかるらしい。とんでもない話である。
こればかりは仕事をリタイア出来てから考えようと思った。
「骨粗しょう症」は何もせずにいるとどんどん悪化するらしい。
とりあえずカルシウムの吸収を助ける薬を処方してもらう。
魚はほぼ毎日食べているけれど骨ごと食べる雑魚が良さそうだ。
煮干しを齧ってでもなんとしても乗り越えて行かねばならない。
今後整形外科とは長い付き合いになりそうだ。そう覚悟する。
駐車場に戻り車のドアを開けるなり「負けるもんか」と声が出る。
これくらいのことでへこたれる訳にはいかない。
今こそ強気になって立ち向かうべき時なのだと思った。
本音は悔しくてならない。どうして私がと情けなくも思う。
歳を重ねることはいくつもの試練を頂くことなのだろう。
それを有り難く頂くような私でありたいものだ。
| 2022年08月02日(火) |
泣くほどの笑い話を待っている |
夜明け前に虫の声を聴く。コウロギではないだろうか。
立秋も近くなりささやかな秋の気配を感じる。
日中はほぼ猛暑日となったけれど関東の酷暑に比べれば
心地よい暑さと言って良いだろう。恵まれているのだと思う。
それより冷房の効いた事務所に座りっぱなしで心苦しくてならない。
敷地内の草引きをしようとしていたら義父に止められてしまった。
稲刈りが終わって一段落したら草刈り機で刈ってくれるのだそうだ。
最近の義父はとても優しい。それがほっと嬉しくてならない。

郵便局の由美ちゃんからとても愉快な話を聞いて涙が出るほど笑った。
とあるご老人が座薬を間違えて飲んでしまったのだと言う。
飲み薬にしては大きいので鋏で半分に切ったのだそうだ。
医師から座ってするように言われたのでちゃんと座って飲んだと言う。
そうしたら数時間後に酷く胸やけがしたらしい。
異変を感じた娘さんが医師に相談しやっと間違いに気づいたのだった。
幸い胸やけ以外に身体に支障はなく笑い話で済んだとのこと。
その話を娘さんが面白がって皆に言いふらしているらしい。
高齢者には在りがちなこと。笑ってはいけないのかもしれないけれど
由美ちゃんの話し方がユーモアたっぷりで笑わずにはいられない。
「また笑わせちゃるけんね」と言って配達に出掛けて行った。
お腹を抱えて涙が出るほど笑ったことがあっただろうか。
かつてあったような気もするけれど随分と昔のことに思える。
「笑う」って幸せなことだなと思った。心が大喜びしている。
由美ちゃんは私より一つ年下だけれど現役の郵便配達員をしている。
バイクに乗って颯爽と村中を走り回っているのだった。
その姿にどれほど元気を分けてもらっていることだろう。
そろそろ引退も近いらしく「もうちょいよ」と言っている。
由美ちゃんに会えなくなるのがとても寂しくてならない。
今度はいつ笑わせてくれるのだろう。私はまた涙を流したい。
由美ちゃんとのお別れも笑い話になってくれたらいいなと思う。
| 2022年08月01日(月) |
後悔はいつも後の祭りです |
晴れてはいたけれど時おりぱらぱらと雨が降る。
「狐の嫁入り」と云うのだろうか。大気が不安定だったようだ。
家中のカレンダーを捲る朝。なんとも清々しく感じる。
「さあ始めよう」と思った。一歩踏み出すような気持ちになる。
そんな新鮮な気分になったのは久しぶりのことであった。
このところ少し荒んでいたのではないだろうか。
卑屈な気分は己を貶める。嘆けば嘆くほど傷つくばかりである。
可哀想な人であってはならない。もっと胸を張るべきなのだ。

仕事を終えての帰り道、ダム湖の橋の上でMさんの後姿を見つける。
ふらふらとよろめくように歩いていてよほど暑さが堪えていたのだろう。
すぐに車を停めて声を掛けたのは言うまでもない。
てっきり延光寺に向かっているのだと思っていたけれど
竹島大師堂まで帰ってゆっくり休みたいと言うのだった。
私も帰り道なのですぐに了承するべきであったけれど
途中で買物もしなければならず即答できなかったのだった。
Mさんは一瞬残念そうな顔をしたけれどすぐに笑顔になり
「大丈夫、やっぱ先へ進むわ」とお遍路を続ける気になったようだった。
「くれぐれも気をつけてね」と手を振って別れたのだけれど
その後すぐに後悔のような複雑な思いが込み上げて来る。
Mさんの望みを叶えてやるべきだったのではないか。
買物は後からでも出来る。真っ直ぐにお大師堂へ向かえば良かった。
Mさんにとってお大師堂は唯一寛げる場所なのに違いない。
それも後の祭りとなり後悔だけが残ってしまった。
「買物をせんといかんのよ」とどうして言ってしまったのだろう。
もし先に買物をしていてもMさんの夕食を整えてやりたかった。
そんなに大したことは出来なくてもお弁当ぐらいは買えただろうに。
野宿ばかりのMさんのことが気掛かりでならない夜になった。
無事に延光寺に着いただろうか。テントを張れただろうか。
夕食はどうしただろう。食料を買うお金があっただろうか。
後から後から色んなことが押し寄せて来る。
Mさん今日はほんとうにごめんなさい。
私はもっともっと気遣ってあげるべきでしたね。
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