ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年07月31日(日) あるがまま愚かな自分を愛したい

夜中から早朝にかけて時おり強い雨となる。

酷く蒸し暑くエアコン無しでは眠れなかった。

また新たな熱帯低気圧が発生しており夏空は程遠いのだろうか。

七月も晦日となり立秋まであと七日になった。


お大師堂の花枝がそろそろ枯れているのではと気になりつつ

行動しようとする気力がない。なんと疎かなことだろう。

自分を情けなく思いながら来週こそはと思っていた。

以前は毎日だったのが週に一度になりとうとう月に一度になってしまう。

そのくせ管理をしているなどと偉そうなことを言っている。



つい先日猿の花子のことをここに記したけれど

なんとなく気になって猿の寿命について調べてみた。

そうしたら日本猿の場合ほぼ27年が寿命だと判明した。

当時の花子がいったい何歳だったのか知る由もないけれど

現在80歳だなんてとんでもないことを書いてしまったようだ。

猿は人間の祖先のように思っていたので長命だと思い込んでいた。

雌なので子は産んだかもしれないけれどそれも定かではない。

もしかしたら檻の中で息絶えてしまったのかもしれないのだ。

そう思うとなんとも憐れでならなかった。

旧い学校史のようなものがあれば花子のことが記されているかもしれない。

そうは思うものの今の私にいったい何が出来るのだろうか。

もし母校を訪ねることが出来たとしても訊ねる勇気さえもないのだった。


無知無学の故とんでもない誤りを記してしまうこともある。

だから私の書くことを信用してはいけない。私は馬鹿なのである。


半世紀にわたり詩や短歌を書き続けて来た。

この拙い日記も20年目となってしまったけれど

私は全く成長していないのかもしれない。

誇りはあるけれど自信は全くないのが「とりえ」なのだろうか。

自分らしさとは何だろうと最近よく考え込んでしまう。


あるがままの自分を愛すること。かっこつければそう云うことかもしれない。







2022年07月30日(土) 頑張らずひっそりと咲く花がある

雨が降ったり止んだり。時おり激しく降る。

気温はさほど高くはなかったけれどとても蒸し暑い一日だった。

読書が遅々として進まず。やはり夏には向かないようだ。

エアコンを付ければ快適だけれど光熱費が気になってしまう。

私は静かな場所を求めるしたとえ家族でも人が居る場所で本を読めない。

気が散って集中出来ないのだ。それでは読書の意味がない。

困った性分だなと思う。それも我儘なのだろう。




午前中に二週間ぶりにカーブスへ行っていたけれど不完全燃焼。

これも困った性分でどうやらちやほやされたくてたまらないらしい。

気分は低迷しており「楽しもう」と云う積極的な気持ちもない。

嫌々やっているものだから面白くもないのは当然のことである。

筋トレとストレッチを終えてアンケート画面をタッチしたが

「楽しくなかった」と押し「続けられるか不安である」を押す。

正直に応えたつもりではあるが所詮ひねくれ者なのであろう。

何事も気の持ちようだと分かっているけれど思うようにはいかない。


先日の整形外科で医師から「カーブスは良いから続けなさい」と。

言ってもらった時には目の前が明るくなったのだけれど

相変わらずの左足の痛みについつい気が滅入ってしまうのだった。

溌剌と動いている人が羨ましくてならない。それが僻みにもなる。

自分は自分だと割り切れることが出来たらどんなに気が楽だろう。


けれども希望が全く無い訳ではない。この試練を乗り越えれば

きっと明るい未来が待っているに違いないと信じる気持ちはある。


人生には山もあれば谷もある。野原だってあるのに違いない。

その野原にひっそりと咲く一輪の花のように生きたいと思う。


頑張れないことがあってもいい。

きっと救われる日が来るだろうと信じてやまない。



2022年07月29日(金) 猿ものは追わないけれど懐かしき

台風の影響だろうか大気が不安定だったようだ。

雨が降ったり止んだりで午後には風が強くなる。

幸い直撃は無さそうだけれど明日は大雨になるかもしれない。


今朝は山道に差し掛かる前にお遍路さんに声を掛けることが出来た。

立ち止まって地図を広げていたので気になってしまったのだ。

「道は分かりますか?」と訊いたら「はい、大丈夫です」と。

一瞬お節介だったかなと思ったけれど笑顔に救われたような気がした。

「お気をつけて」と声を掛けたら「ありがとうございます」の声。

ささやかなことだけれどとても清々しい気持ちになった。

躊躇ってはいけないのだなと思う。これからも進んで声を掛けよう。





夕方のニュースで民家に野生の猿が侵入し住民に危害を加えたらしい。

ちょうど孫たちも見ていて思わず「おばあちゃんも噛まれた」と。

決して自慢することではないけれどつい自慢げな口調になる。


小学生の頃、学校で何故か猿を飼っていたのだった。

校庭の隅に檻があり猿の名は「花子」と言った。

その花子よほど賢かったのだろう度々檻の鍵を外し脱走するのだった。

「生徒はみな教室に入りなさい、外に出てはいけません」

あれは校長先生の声だったのだろうか、記憶は定かではないけれど

用務員をしていた母の声ではなかったようだ。

昼休みのことで私は校庭で遊んでいたのだけれど

逃げようとはせず花子に襲われてしまったのだった。

左足を噛まれもの凄い痛みで血がいっぱい出た。

けれども不思議と恐怖心が湧いて来なかったのだ。

もしかしたら花子に親近感を抱いていたのかもしれない。

いつも檻の中に居る花子は愛嬌がありとても可愛らしかった。


友達はみな逃げて教室に駆け込んでいたのだけれど

私は逃げなかった。その時の心境は今もってよく分からない。

花子と遊ぼうと思っていたのかまるで仲間のように思っていたのか。


そうして私は再び噛まれた。そうなればもはや名誉の負傷である。

学校でも前代未聞のことだったようで「二度も噛まれた少女」となる。

そんなことで有名になってもどうしようもないけれど

私は何故か誇らしかった。花子に噛まれた傷跡を見せびらかしたりする。


小学四年生になる前に父の転勤で転校することになった。

その頃にはもう花子は何処にも居なかった。

いつの間にか姿を消していたように記憶している。

元々野生の猿だったのかもしれない。山に放されたのだろうか。


傷跡は65歳になった今もはっきりと残っている。

花子との思い出と言っても良いだろう。懐かしい痛みであった。


猿の寿命には詳しくはないけれど

もし人間と同じならば80歳位ではないだろうか。

子もいれば孫もいるだろうひ孫もいるかもしれない。

花子は私を噛んだことを憶えているだろうか。





2022年07月28日(木) 希望ほど強い味方はありません

山里ではにわか雨が降ったけれど平野部では晴れていたようだ。

おかげで洗濯物も良く乾いておりほっと嬉しく思う。

わずか30キロ程しか離れていないのに天候の違いに驚く。

山里は涼しかったけれど平野部はほぼ猛暑日の暑さに見舞われたらしい。


稲刈りが近づいており義父は新しく購入した乾燥機を組み立てていた。

業者に頼めば多額の工賃を取られるらしく自分でやると言って聞かない。

それは工場の屋根に届くくらい大きなものでかなりの重労働に見えた。

フォークリフトを使ったり梯子を使ったりと少しずつ捗っていく。

落下すれば命を落としかねないとても危険な作業に見えたけれど

やり遂げた後の義父の得意顔に思わず拍手をせずにいられなかった。

とても78歳とは思えない。誰にも負けないパワーがある。

何よりも器用なのだ。「やってやれないことはない」と言う。





昨日の「骨粗しょう症」が気になってならず

仕事の合間にネットで検索してみたら詳しいことがよく解った。

とにかく骨折しやすいとのことで日常生活に注意が必要である。

私は子供の頃から骨は丈夫で骨折の経験は一度もないのだけれど

この歳になればいつ何処で転倒するかも知れなかった。

転倒イコール骨折と思うくらいの覚悟が必要なのではないだろうか。

食生活もカルシウムばかりではいけないらしい。

たんぱく質やビタミン類も重要だと記されてあった。

原因のひとつとして喫煙や過度の飲酒とありこれには衝撃を受ける。

私から煙草と焼酎を取り上げたらいったい何が残るのだろう。

精神状態が尋常では無くなり気が狂ってしまいそうだ。

どちらも私にっては鎮静剤にも等しい大切な物なのである。


いよいよ追い詰められたなとも思うけれど

そう易々と引き下がるわけにはいかない。

とにかく立ち向かっていくべき時なのだろう。


不安は後から後から襲って来る。

どれほど私が生き抜いて来たか思い知らせてやりたいものだ。





2022年07月27日(水) まな板の上の魚が跳ねている

曇り時々雨。猛暑は和らぎ過ごしやすい一日だった。

今日も蜩の声が切なげに聴こえる。

山里ならではの風物詩なのかもしれない。


仕事を終えてから整形外科へ。予約をしてあったのですぐに名を呼ばれた。

いきなり骨密度の検査をすると言われて戸惑ってしまう。

先日の医師の話では「骨の状態を診る」と言われていたので

てっきり股関節のレントゲンを撮るのだとばかり思い込んでいた。

ベットに仰向けに寝かされズボンを下げるように言われる。

足ばかりではなく腰も腕までも丹念に調べてくれたようだ。


検査の結果はすぐに判りなんと「骨粗しょう症」になっていた。

足よりも腕の骨がかなり弱っているらしくなんと思いがけないこと。

若い頃から力仕事には自信があったのでまさかと耳を疑う。

そういえば最近重い物の持ち運びが辛くなってはいたけれど

「年寄り病」と決めつけるにはあまりにも早過ぎる気もする。


カルシウムを多く含む食事を心がけること。

適度に運動をすること。日光浴も良いのだそうだ。

毎日魚を食べていてカーブスにも通っているのだけれど

まだまだ足りないと云うことなのだろうか。

いったい私はこの先どうすれば良いのだろうか。


診察を終えてから血液検査と尿検査が待っていた。

医師はこれ以上いったい何を調べるつもりなのだろう。

まるでまな板の上の魚のような気持ちになる。

一週間後にまた来るように言われて頷くしかなかった。

もう病名など要らないと思う。私をそっとしておいて欲しい。


帰宅してじいちゃんに報告したら笑い飛ばされてしまった。

「もう若くはないと云うことじゃろう」と。

私はもっともっとあっけらかんと生きていきたい。





2022年07月26日(火) 蝉しぐれ負けはしないと祈る声

猛暑日。風も吹かず凄い熱気だった。

暑さで有名な江川崎では37℃もあったそうだ。

私の生まれ故郷だけれど子供の頃の記憶に猛暑はない。

扇風機だけで十分に過ごせた。外遊びも元気にはしゃいだものだった。


昨日は蜩で一句などと俄かに風流人を気取ってしまったけれど

「蜩」は秋の季語であることを今日になって知る。

なんとも無知で恥ずかしい限りである。

俳句は奥深く難しいものだなとつくづく思う。

少しずつ学びながら極めていけたら良いのだけれど

この凡才に何が出来ようと自分を貶めてもいる。

最初は皆初心者だと思えば少し救われるのだった。





仕事が一段落し定時で帰路に就く。

山里の集落を過ぎたあたりで突然のにわか雨に見舞われる。

義父が稲の消毒をしていたので大丈夫かと気になってならない。

今日で終るからと猛暑の中を張り切っていたのだった。

雨に降られたら消毒は台無しになるのでどんなにか嘆くことだろう。

稲刈りまでもう少し、どうか順調にと願わずにいられなかった。

気がつけば義父の顔色ばかり窺っている自分がいる。

笑顔でいてくれたらほっと嬉しい。機嫌が悪かったらとても悲しい。



帰宅したら娘が洗濯物をたたんでくれていた。

今日は仕事が休みだったようで全く知らされていなかった。

「ありがたや、ありがたや」正に夢に餅である。

台所も綺麗に片づけてくれていてずいぶんと助かる。

お風呂掃除はあやちゃんがしてくれたらしい。

夏休みの課題で「一日ひとつのお手伝い」があるのだそうだ。


めいちゃんは学童の「たけのこ学級」に毎日通っている。

宿題も捗っているようでお友達とも遊べるのだった。

あやちゃんとは大違いでパワー全開の日々が続いている。


県内のコロナ感染者が過去最多となった今日。

不安でならないけれどもうどうしようも出来ないと観念する。

いつ何処で感染しても不思議ではないのだと思う。


介護施設でクラスターと聞けば母を気遣い息子を気遣う。

「何の知らせもないがは無事な証拠やいか」とじいちゃんが言う。

私はただただ仏壇に手を合わせ祈り続けている。









2022年07月25日(月) 蜩のその日暮らしの老いを知る

快晴ではなかったけれど真夏らしい暑さとなる。

午後、太陽が雲に隠れた時に蜩(ひぐらし)の声を聴く。

その声は人それぞれだろうけど私には「しゃあ、しゃあ」と聴こえた。

声が空から降って来る。そうしてなんとなく切なくなる。

不思議なことに自分が何処から切り離されたような感じなのだ。

決して孤独ではないはずなのに独りぼっちになったような気がした。

「蜩のその日暮らしの老いを知る」拙い一句が出来たりする。




仕事が忙しく嬉しい悲鳴をあげていた。

一時間の残業となり帰宅してからも電話が鳴る。

私のケイタイは会社の電話を転送にしているので

日曜祭日以外はよく鳴ることが多い。

夕食時にも鳴る。入浴中にも鳴る。トイレに居ても鳴る時がある。


今朝は早朝6時過ぎに鳴り何事かと電話に出たら

お客さんが交通事故を起こしたとのこと。

幸い怪我は無かったけれど車はほぼ全損らしかった。


以前には夜明け前の4時過ぎに鳴りそれも驚いた。

新聞配達をしているお客さんの車の故障で処置を急ぐ。

まだ寝ていた義父を起こし駆けつけて対応したことだった。


そんなこんなで先日のauの通信障害には酷く戸惑ってしまう。

幸い緊急事態が無かったのが何よりに思った。

「転送」もそうだけれど便利な世の中であるだけに

どれほど頼りにしているか思い知らされたことだった。


夏休みになりめいちゃんから着信がある時もある。

「おばあちゃんタピオカドリンク買って来て」

それはとても嬉しい。何だって買ってやりたくなるのだった。


未だガラケーを使い続けているのは恥ずかしくもあるけれど

ポケットサイズなのが気に入っている。スマホは大き過ぎる。

最近では首からぶらさげるのが流行りらしいがそれも億劫だった。

まして年寄りには似合わない、ひどく滑稽な姿に思えてならない。


今夜はもう鳴らないだろうか。おとなしく眠って欲しいものだ。

アラームは午前四時。そうして私の一日が始まる。



2022年07月24日(日) 四万十の風は冷たいほうが好き

おおむね晴れ。夏らしい晴天と云えよう。

今朝は随分と涼しく午前中は過ごしやすかった。

読みかけの本を開く至福のひと時である。


昨日「えんた」に干してあった海苔網がよく乾いた。

ここいらでは堤防の斜面のことを「えんた」と云う。

方言だと思うのだけれど正式名は「堰堤」なのかもしれない。

「えんてい」が訛って「えんた」になったと考えられる。

昔は青さ海苔を干したり切干大根を干している光景も見られた。

そんな風物詩も今ではすっかり廃れてしまったようだ。


乾いた網を軽トラックに山にして積み込む。

その網を5枚づつに重ねて次は人工種付けとなる。

順調に種が付けば漁場に張り後は海苔の生育を待つばかりだった。

保障など何一つない。あるのは一縷の望みだけである。

とにかくやってみなければ分からないことであった。


「四万十の風は冷たいほうが好きもう十年も川漁師の妻」

これは30代の頃に私が詠んだ短歌だけれど

それからもう30年以上の歳月が流れてしまったようだ。

もちろん今でもきりりっと肌を刺すような冷たい風が好きだった。

大河には春夏秋冬の風景がある。空を映し風になびく雄大な流れ。

冬には白波が立つけれど私は特にそんな川が好きでならない。


当時は天然青海苔も豊漁だった。幼い子供達を連れての川仕事も

少しも苦にならずどれほど精を出したことだろう。

立春を前にしての青さ海苔漁もずっと豊漁続きだった。

今思えばまるで夢物語であるかのような過去の栄華である。


「昔は良かったね」と口にすることも多くなったこの頃。

自然の過酷さに打ちひしがれ肩を落とすこともあるのだけれど

最後の最後まで諦めるわけにはいかないのだと思っている。

試練はいくらでも頂こう。試されているうちが花である。


私は四万十の風に逆らうために生きているのではない。






2022年07月23日(土) 大暑には鰻手当の有り難さ

二十四節気の「大暑」季節はもう真夏となる。

戻り梅雨もやっと明けたらしく素晴らしいほどの夏空となった。


早朝より海苔網を洗う作業に精を出す。

今年は収穫ゼロと大変な痛手ではあったけれど

汚れた網をそのまま野晒になどどうして出来ようか。

綺麗に洗って干す。そうして来年の希望に繋げていく。

不思議と虚しさを感じなかった。網も愛しいものである。

どんなにか海苔の子供を順調に育てかったことだろう。





土用の丑の日でもあり三年ぶりに鰻を食べる。

昔は天然鰻をいくらでも食べられたけれど

今は養殖鰻でも高価になり貧乏人には手が出せなかった。

それこそ清水の舞台から飛び降りるような気持ちで買ったのが三年前。


今年は思いがけずに職場から「うなぎ手当」を頂く。

一昨日、会社に臨時収入があり義父が「鰻を食べようぜ」と言う。

本来なら会社の運転資金として貯蓄するべき収入であったけれど

義父もよほど鰻が食べたかったのであろう。

結局は大判振る舞いとなり金庫番の私も大賛成となった。


久しぶりに食べる鰻のなんと美味しかったことだろう。

贅沢をすると幸せな気分になる。三年ぶりなら尚更のこと。

たかが鰻では決してない。鰻が神様のように思えて来る。


何よりも家族の喜ぶ顔が身に沁みるように嬉しかった。

貧乏所帯の毎日の遣り繰りも一瞬報われたような気がする。

明日は鰯の丸干しであろうとも耐えてくれるに違いない。


常日頃から貧富の差を感じずにいられないこの頃でもあった。

つい卑屈になり惨めな思いをすることも多いけれど

貧しさは決して不幸ではあるまい。

裕福な人が幸せとは限らないのと等しい。

戦中戦後の食糧難に比べたらなんと恵まれていることだろうか。



2022年07月22日(金) 英会話たどたどしくも夏の空

雲ひとつない快晴。やっと戻り梅雨が明けたような気がする。

北西の心地よい風が吹き抜け暑さを和らげてくれたようだ。


山里では義父が稲刈りの準備を始めており乾燥機の掃除に余念がない。

もうすでに捕らぬ狸の皮算用を始めているらしく微笑ましいこと。

昨年は安値だったけれど今年はどうなるのだろう。

苦労が少しでも報われることを願わずにはいられなかった。

稲作に夢中になっている義父は子供のようにも見える。

決して遊びではないのだけれど好きで好きでたまらないのだろう。





お客さんのロージーの家に用事があって訪ねたら

外国人のお友達が来ていて初対面の挨拶を交わす。

ロージーが「チャントエイゴシテネ」と笑いながら言うので

一瞬緊張したけれど「マイネームイズミカ」と自己紹介した。

そうしたらそのお友達が「オオ!」大きな声で叫んだのだけれど

何を言っているのかさっぱり解らない。とりあえず笑顔でごまかす。

笑顔は世界中の共通語にも等しく誰にでもきっと伝わるのだった。

笑う門には福来たるとはちょっと違うけれど幸せな気分になる。

もっともっと話したかったけれど私の英会話のなんと未熟なことだろう。

「シーユアアゲーン」と手を振って別れることしか出来なかった。


ロージーは英会話の先生をしていて私も生徒になりたくてならない。

時間とお金の余裕さえあればと無い物ねだりをしたくなる。

それでもこうして時々でもロージーに会えるだけでも嬉しかった。


「縁」英語では何と言うのだろう。

「ご縁をありがとうございました」とロージーに伝えたくてならない。



2022年07月21日(木) 夏休み記憶の底の笑顔かな

曇りのち晴れ。下り坂の天気と聞いていたので思いがけなかった。

蒸し暑さは感じず夏らしい陽射しが心地よくてならない。

贅沢な話だけれど事務所の冷房が強すぎて寒さを感じる。

私の適温に合わせていたら義父や同僚には暑いのだそうだ。

屋外で汗を流しているひとの気持ちになってやらねばならない。


母と一緒に仕事をしていた頃にもよく言い争いをしたものだった。

「寒けりゃ着ればいい」と怒鳴られなんと辛かったことだろう。

もう喧嘩も出来ない今となってはそれも懐かしい思い出となった。




孫たちは今日から夏休み。あやちゃんはすっかり元気になっているけれど

早朝のラジオ体操はお休みする。おかげで朝寝坊が出来たようだ。

娘が休みだったので昼食の心配も無く何よりに思う。

明日からはじいちゃんが昼食係となる。大丈夫かなと少し心配だった。

娘がお弁当を作ってくれたら良いのだけれどその気はなさそう。

カップ麺ばかりとはいかないだろう。チャーハンなら作れるだろうか。


ふと自分が子供の頃の夏休みを思い出してみるけれど

昼食はどうしていたのか全く思い出せないのだった。

母は小学校の用務員をしていたので家に居たのかもしれない。

それも3年生までのことでその後の記憶もぷっつりと消えている。

おそらく何不自由なく昼食にありついていたのだろう。

お素麺とか冷や麦とか、おやつにスイカを食べたのかもしれない。

思い出せないと云うことはきっと幸せだったのだろう。

母がいて父がいて弟がいた。この上なく平和な時代だったのだ。


昼食に限らず夏休みのことは殆ど憶えていないのだった。

ただひとつ、父が母方の祖父母の家に連れて行ってくれたことは

よく憶えていてふた従姉妹と川遊びをしたことなど懐かしい。

祖母が作ってくれたぼた餅、じゃが芋のあれは何と云う料理だろう

ふかしたじゃが芋を擂鉢で練って卵と砂糖を加えた物だった。

私はそれが大好きでお腹一杯に食べた記憶がある。


当時はすでに父と母は離婚をしていたのだけれど

父は祖父母との縁を切ろうとはしなかった。

それが父の精一杯の優しさだったのだと今でも感謝している。


蝉の声。谷川のせせらぎ。祖父母の満面の笑顔。

少女の私はとても無邪気であった。



2022年07月20日(水) 神様からの通知表

薄雲が拡がっていたけれどおおむね晴れ。

心地よい風のおかげで暑さもさほど苦にならなかった。

夏には珍しく北西の風だったようだ。

南風には湿気が帯びているけれど北西の風はからりとしている。

今も窓を開け広げ風に吹かれている。夕風は涼風に等しい。



孫たちの小学校では一学期の終了式であったけれど

登校前の検温であやちゃんに微熱があったようだった。

昨日のプールの授業で寒かったらしく鼻水も出ている。

まさかコロナではあるまいと様子を見ることにした。

元気で登校する気満々であったけれど学校には行けない。

姉が発熱なら妹も登校できない規則になっており

めいちゃんも仕方なく休まねばならなかった。

すでにランドセルを背負っていためいちゃんは大きなため息をつく。

長い夏休みを前にして仲良しの友達に会いたかったのだろう。


私が帰宅した頃には平熱になっており病院にも行かなかったそうだ。

娘が学校に行って通知表をもらって来ていた。

今の通知表は昔と違い「よく出来る」「出来る」「もう少し」の三評価。

あやちゃんは算数がよく出来てめいちゃんは体育がよく出来る。

なんと微笑ましいことだろう。ふたりを天才と褒めたたえた。

子供は褒められてこそ伸びる。これからも楽しみなことだった。


私のような老いぼれた大人は「よく出来る」が全く無いに等しい。

身の程を知り尽くしているためか褒められてもピンと来ない。

「もう少し」となればがっくりと肩を落とすばかりである。

自信が全く無いものだからやっぱり駄目なんだなと思うのである。

そのくせ欲深くもしかしたらと一縷の望みを捨てられないでいる。

いつかきっと認めれる日が来るだろうと信じたくてならない。


神様はよほど忙しいらしく通知表を書く暇もないようだ。

それとも私のような者になど関わりたくないのかもしれない。

私はどんどんいじけていく。それがどれほど愚かなことか知りつつ

もがき苦しむ運命なのだろう。まあそれもいいのではないだろうか。


なんとしても生き永らえて見せよう。

そのうち神様からの通知表がある日突然に届くかもしれない。







2022年07月19日(火) お日和とんぼ

雨が降り始めるまでのなんと蒸し暑かったこと。

出勤時の8時には気温が30度を超えていた。

不快指数百パーセントとはそんな朝を云うのだろう。


山里では「お日和とんぼ」が群れをなして飛び交っていた。

祖母だったか母だったか忘れたけれど雨が降る前兆だと聞いたことがある。

その通りとなりやがて大粒の雨が降り始めたのだった。

高知県は線状降水帯からは離れており豪雨にこそならなかったけれど

九州や中国地方などでは冠水の被害が少なからずあったようだ。

そんなニュースを聞くたびにとても他人事とは思えない。

明日は我が身である。何があっても不思議ではない世の中なのだった。




仕事が忙しく少し遅くなったけれど母の新しい携帯を届けに行く。

ずっと面会禁止の状態が続いており直接手渡すことは出来なかった。

昨日、弟が孫の写真を送信してくれて待ち受け画像にする。

それもちゃんと説明してやりたくて夕方母に電話をしたら

開口一番に「ポリデントが無い」と苛立った声が聴こえて来る。

前もって施設の職員さんから連絡をしてくれていたらと残念に思う。

今日行ったばかりでまた出直さなければいけないと母に告げると

「無くても死にはしない」とこれもまた苛立った声に聴こえる。

私もつい声を荒げてしまったのでとても穏やかな会話は出来なかった。

よく聞けばもう随分前から無くなっていたのだそうだ。

ケアマネさんとは何度か話したのに伝わっていなかったのだろう。


そうなると私の頭の中はポリデントでいっぱいになる。

明日にでも買い求めて届けてやらねばと思わずにはいられなかった。

母は「無理せんでもええわ」と言い、「どうでもええわ」とも言う。

それを母の本心だと決めつけるほど私は愚かでもない。

汚れた入れ歯で過ごしている母をただただ不憫に思うのだった。

母にしてみれば娘だからこそ言えることなのだろう。

それは決して我儘ではなくささやかな甘えなのではないだろうか。


またこれからいくらでも穏やかな会話が出来ることだろう。

私はあくまでも優しい娘で在り続けたいと思う。





2022年07月18日(月) 命をかける程に

薄曇り。朝の涼しさもつかの間のこと日中はかなり蒸し暑くなる。

大量の洗濯物が乾燥機に入りきらずいちかばちかと

外に干していたら思いがけずによく乾いていて嬉しかった。

たかが洗濯物に一喜一憂するのも可笑しいことだけれど

私にとっては重要なことで乾かないとがっくりと落ち込んでしまうのだ。

些細なことがストレスになる。そんな自分にうんざりしてしまう。



朝のうちに同人誌へ掲載してもらう短歌をメール送信する。

全部で16首。相変わらずの愚作ばかりで反応が怖くてならない。

詩はいっさい受け付けないと言われており短歌だけが頼りだった。

その短歌も見捨てられたらもう私の居場所は無いに等しい。

いずれ破門もあり得ることで常に覚悟が必要であった。

身の程を知り自ずから退くことも考えてはいるけれど

とにかくしがみつくこを選ぶ。それは命がけの行為でもあった。

気がつけば認められないことに慣れてしまっている。

仲間も誰一人いない。なんと孤独なことだろうと惨めにもなる。

被害妄想気味にもなり自分は虐められているようにも感じるのだった。



俳人の杉田久女は高浜虚子の「ホトトギス」を突然に追放された。

それでも俳句を諦めずに書き続けていたらしい。

けれどもそれを発表する場を失いどれほど苦しかったことだろう。

経済的な理由も在り句集を発刊することも叶わなかった。


ついに精神を病み戦後の精神病院でほぼ餓死の栄養失調で亡くなっている。

戦後の最悪の食糧難は今では考えられない程に深刻だったのだ。

まさに命がけで俳句と向き合った壮絶な人生だったのだと思う。


今回、田辺聖子の「花ごろもぬぐやまつわる」を読了し

深い感動と言葉に出来ないような哀切を感じずにいられなかった。


明日は我が身とまでは云えないまでも

私も命がけで立ち向かっていかなければならない。



2022年07月17日(日) 初蝉に恋しくおもう母の声

つかの間の青空。午後にはぽつりとにわか雨が降る。

今朝は今夏初めて蝉の声を聴いた。まだか細い鳴き声であったけれど

夏らしさが嬉しくなって思わず微笑まずにはいられなかった。

「初蝉」と云うのだろか。なんだか俳句が出来そうな気がする。

蝉は地上に出てから8日しか生きられないと聞くけれど

なんと儚い命だろう。それでも決して嘆いてなどいない。




午後、母の携帯の機種変更にドコモショップへ行く。

本人確認の手順を踏まねばならずそうそう簡単にはいかない。

施設に電話して電話口まで母を連れて来てもらった。

それも車椅子でのことで介護士さんに面倒を掛けざるを得ない。

店員さんが母と話す前に事情を説明しやっと母は理解したようだった。

「そういえばケイタイがないね」と言って笑わせてくれる。


店員さんが生年月日を訊ねてはらはらしたけれど

母はしっかりと応えたようだ。ほっと胸を撫で下ろすばかり。

そうしてやっと本人確認が整い手続きを進めることが出来た。

けれども古い携帯は故障しており電源も入らないらしく

データーを移行できないかもしれないと言われ焦りまくる。

店員さんがあれこれと試してくれていたら一瞬電源が入ったようだ。

「とにかくやってみましょう」その待ち時間もはらはらし通しだった。

「出来ましたよ」その声を聴くなり目の前がぱあっと明るくなる。


直ぐに母に届けてやりたかったけれどそれは叶わず。

病院が休診の日は玄関が閉まっており家族であっても立ち入り禁止なのだ。

この4月からそんな規則が出来たらしくなんとももどかしいこと。

仕方なく連休明けの火曜日に届けることにしたのだった。


今日は少しだけ母の声を聴けて嬉しかった。

薄情な娘であってもやはり本音は恋しくてならないのだろう。

いつの間にか以前のような躊躇いは消え失せてしまっている。


私にも人恋しい夜がある。無性に誰かと話したくてたまらない夜に

母はいつでも待っていてくれるのだ。

「変わりないかね、元気かね」その声を聴くととてもほっとする。







2022年07月16日(土) 自分を守るために

相変わらずすっきりしない天気が続いている。

朝のうちは涼しかったけれど午後から一気に蒸し暑くなった。

今夜は小学校で「夏祭り」が行われるのだそうで

孫たちが楽しみにしており先ほど出掛けて行った。

めいちゃんは浴衣を着たのだけれどあやちゃんは嫌だと言う。

「暑いし動きにくいやんか」確かにその通りである。

女の子らしいおしゃれを選ぶより現実的であるのが面白い。

けれども見たかったなと思う。ささやかな憧れのようなもの。




午前中に恐る恐るであったけれどカーブスへ行っていた。

先週のこともあり出来るかどうか不安でいっぱいだった。

幸い足の痛みは薄れておりなんとか出来たのだけれど

コーチの気遣いが全く感じられずいささか不服気味となってしまう。

私は余程いじけやすい性格なのだろう。一言で良いから

「足は大丈夫ですか?」と訊いて欲しくてたまらなかった。

他の元気なメンバーと一緒にされてはたまらない。

そう思うと腹も立って来てふくれっ面をしてしまうのだった。

マシンを使っているとコーチが寄って来て励ましてくれるのだけれど

それも気に入らない。とにかくそっとしておいて欲しい。

マイペースで無理のないように心がけているのだから。

励まされたら気が滅入る。褒め言葉などももちろん不要である。

張り切って一生懸命に頑張れたらどんなに良いだろうか。

それが出来ないから苦しんでいることをどうか分かって欲しいのだ。

終始苛々とするばかり。身体を動かした後の爽快感は皆無であった。


溜息をつき肩を落として帰路につく。なんだか涙が出そう。

メンタルが落ちているのが自分でもよく分かる。

これではいけないなと思うのだけれどどうしようも出来ない。


「悔しさをバネに」とか「やれば出来る」とか

常日頃から自分に言い聞かせているのだけれど

自己暗示力も極めて衰えているようであった。


こんな時はとことん落ち込んでしまうのが得策かもしれない。

そうすればまた這い上がろうとするのではないだろうか。


自分を守れるのは他の誰でもない。自分自身なのだと思っている。



2022年07月15日(金) 私の灰汁

戻り梅雨と聞いて幾日目だろう。今日も夏空は見られず。

それでも稲穂は日に日に色づき微かに頭を垂れている。

逞しいものだなと思う。人もそうでありたいものだ。


私はなんとなく負の感情が勝りすくっと顔を上げられずにいる。

ついつい悪いことばかり考えてしまう。これも短所なのだろう。

それから少し涙もろくもなってしまった。

特に優しい言葉に弱い。すぐに目頭が熱くなってしまうのだった。

時にはそっとしてほしいと願う。誰とも関わりたくないとさえ思う。

今さら楽天家にはなれはしない。あっけらかんと生きるのは難しい。




仕事を終えていつもの病院へお薬を処方して貰いに行ったら

受付の職員さんに「来月は診察を受けて下さいね」と言われた。

それが威圧的に感じ少しむっとする。思わず「嫌です」と応えたら

「そう云う訳にはいきませんよ」と睨み付けるので余計にむっとする。

「じゃあ考えておきます」と言って逃げるように薬局に向かった。


元々の主治医は人気者で予約制になっており私などは時間の余裕がない。

仕方なく若手の医師のお世話になり始めてから数年が経った。

心療内科は専門外なのかいつだったか私を泣かせたこともある。

その時は何があっても自己責任ですよと言って私を追い詰めたのだった。

もう二度と話したくないと思った。その気持ちは今でも変わらない。

その医師と向き合わなければいけないのが大きなストレスとなっている。


じいちゃん(夫)に相談したらとにかく余計なことを話さないこと。

「お変わりないですか?」と訊かれたら「はい」と応えれば良いと。

ふつふつと胸に込み上げて来ている灰汁のようなものは

行き場を失いまた延々と巣くい続けることだろう。

あれこれと考えても仕方のないことなのだ。

勇気とは少し違うかもしれないけれど来月は診察を受けようと思う。


そう決めると少しこころが楽になったような気がする。

何事も当たって砕けろなのかもしれない。



2022年07月14日(木) 必死であること

曇り日。薄っすらではあるけれど西の空が茜色に染まっている。

聴こえるのはホトトギスの鳴き声。なんだかとても必死であった。

まるで何かを訴えているような。とにかく聴いてやらねばならない。

語り合うことが出来たらどんなによいだろうか。

それはいつも一方通行で私の片想いのようでもある。

夜明け前に耳にすることが多いだけに夕暮れ時には切なさよりも

力強さを感じるのは不思議なことだなと思う。





仕事から帰宅したら小学校から電話がありあやちゃんが腹痛とのこと。

保健室で休んでいるらしく少し早めに迎えに行っていた。

今日はプールの授業がありその後の腹痛らしかった。

顔色が少し悪かったけれどけっこうあっけらかんとしている。

下痢もないようだし心配する程のことではないだろう。


夕食の支度をしていたら娘が帰って来ていきさつを話したら

「そろそろかもね」と二人で頷きあったことだった。

先月に初潮を迎えておりほぼ一月が経っている。

こればかりは女の子の宿命でどうしようもできないことであった。


とにかくそっと見守るしかない。いくら家族でもタブーである。

私も書くべきではないと今まで触れずにいたことであった。

あやちゃんが知ったらきっと傷つくことだろう。


たとえ日記だとしても家族のプライバシーを守らねばならない。

公開されいてることを前提として慎重に対処するべきなのだろう。

そのぶん自分を曝け出す。ありのままを記したいと思っている。


少しずつ私は変わって行くかもしれない。

たとえどんなにつまらない日記でも私の「いのち」を信じて欲しい。



2022年07月13日(水) 文学少女の成りの果て

おおむね晴れ。やはりまだ夏空とは云い難い。

湿度が高くただただ蒸し暑さを感じる。

そういえば蝉の声もまだ一度も聴いておらず

真夏と云うにはもうもうしばらく待たねばならないのだろう。


例年ならそろそろ海苔網を洗う時期ではあるけれど

不安定な天気が続いており先延ばしにしている。

そうして少しずつ準備をするつもりではあるけれど

来年の春にまた全滅ならばもう諦めようと話し合っている。

ほんとうに博打のようなものだとはよく言ったものだ。

丁とでるか半とでるか誰にも分かりはしないのだった。

全く希望が無い訳ではない。とにかくやってみなければ。





読書が遅々として進まず。もう読み始めて10日にもなるけれど

一日一時間がやっとでほんの数ページしか読むことが出来ない。

NHK朝ドラ再放送の「芋たこなんきん」に刺激されて

田辺聖子の本ばかり読み続けていたけれど今回の本は極めて難解である。

「花衣ぬぐやまつわる」俳人の杉田久女について書いてある。

興味深い内容だけれどとにかく難読な漢字が多く読みづらいのだった。

なんとしても読了しようと頑張っているけれど打ちひしがれている。

朝ドラで見る作者が書いたものとはとても思えない作品であった。

家事をこなしながら片手間に書いた作品ではないことは確かである。

書きたかったことをついに書いた。作者の熱意が込められているのだろう。


ここで私が蘊蓄(うんちく)を述べても誰も喜びはしない。

所詮無知な文学少女の成りの果てである。

小説は書いても多額の金銭を要求され「本にしてやる」と言われ

詩を書いても短歌を書いても認められることは皆無であった。

それでも書かずにいられないのは生きた証を残したいからである。


もう少女ではないけれど涙を流しながら書いていたあの頃の私は

今でも泣きながら書き続けている。










2022年07月12日(火) 短所と長所

戻り梅雨で大気が不安定だとか。夏空はしばらく見られそうにない。

こんな私でも主婦業があり毎朝大量の洗濯物に悩まされている。

今朝は雨だったけれど日中は陽射しがありそれを残念に思う。

乾燥機のお世話にならずとも十分に乾いただろうと悔しくなるのだった。

専業主婦なら臨機応変に対処出来ることだろうと思うとそれも悔しい。

仕方のないことに拘ってしまう私の短所のひとつであろう。

短所にはよく気づくけれど長所には全く気づかない。

私に長所はあるのですか?知っていれば教えて頂けないでしょうか。





このところ息子から何も音沙汰名が無いのでどうしているかと

噂をしていたら夕方久しぶりに電話があった。

お嫁さんの体調も落ち着いているようで何よりである。

家族3人の暮しを再開したばかりでどれ程心配したことだろう。

もうけい君が我が家に来ることも無くなり少し寂しくもある。

けれどもけい君が元気で笑顔で居てくれたらもう云うことはない。

どうか平穏無事が続きますようにとひたすら祈るばかりである。


優しいあやちゃんが「最近、けい君来ないね」と気遣ってくれていた。

ちゃんと説明してあげるべきだったとなんと迂闊だったことだろう。

ずっと親身になってくれていたことを今更ながらに気づいたのだった。

傷つきやすいけい君を守ってくれてほんとうにありがとうね。


私達も精一杯だったけれど息子の苦労も報われたのかもしれない。

この先またどんな困難が待ち受けているのか分からないけれど

きっと乗り越えられるだろうと信じてやまない。



2022年07月11日(月) めげるなよ、しっかりしろや

明け方少し雨が降ったけれど日中は青空が見えていた。

それは真夏の空と云うよりなんとなく梅雨の晴れ間のような

陽射しは遠慮がちでまるで後ろめたいことがあるように感じる。

空の気分は如何なものか。打ち明け話があるのなら聴いてやりたい。

私も聴いて欲しいことがある。空になら話せるような気がするのだった。


職場の庭には百日紅(さるすべり)の花が満開となった。

これも母の育てていた花でふと懐かしさが込み上げて来る。

背を丸めて夏草を引いていた母の姿が目に見えるようだった。

百日咲くのか。本当に咲くのか。見守ってやりたいと思う。




先日から鎮痛剤を服用し続けているけれど今日もまともに歩けない。

薬が無ければどれほどの痛みだろうと思うと怖ろしくもなった。


仕事で県税事務所に行っていたけれどエレベーターは無く

必死の思いで階段を上がって行く。「頑張れ、頑張れ」

やっと着いたと思ったら会社の代理人確認で免許証が要るとのこと。

うっかり車中に置いておりまた駐車場まで戻る。

そうしたら今度は書類に不備があり受付が出来ないと言われた。

もう目も当てられない。すっかり打ちひしがれるばかりであった。

とにかく落ち着こうと車中で煙草に火を点ける。

気がつけば涙が溢れていた。悔しいのか情けないのかよく分からない。

そうして「めげるなよ、しっかりしろや」と声を上げていた。

これくらいのことで負けてどうする。そう自分に言い聞かせていた。


思うようにいかないことは日常茶飯事だとも云えよう。

すべてのことが順調とは限らない。それは世の常でもある。

その時にどう対処するのか。これは自分のメンタル次第である。

弱いのなら強くなる。それは決して無理をすることではない。

辛いことが多いほど人は成長するのだと思っている。

辛さに感謝するくらいでないと乗り越えられないのかもしれない。

今こそ試練を頂き「ありがとうございました」と言うべきなのだろう。


泣きたい時は泣けばいい。笑える日には笑えばいい。

私は自分の一歩を信じたい。きっと救われる日が来るだろう。



2022年07月10日(日) 与えられたこと

おおむね晴れ。真夏日となりこの時期らしい蒸し暑さだった。


早朝の涼しいうちにお大師堂へ。花枝(しきび)が気になってならず

活け替えようと持参していてちょうど良かった。

夏はどうしても長持ちしない。萎れて葉が落ち始めていた。


お大師堂のすぐ近くの河川敷に車を停めたのだけれど

お堂までの30メートル程の距離が辛くてならない。

一歩一歩と自分を励ましながらなんとか辿り着いた。


お堂の傍らには浜木綿(はまゆう)の花が咲いており

まるで人影のように佇み私を待っていてくれたようだ。

毎年のことでSさんに無残に刈られてしまうのだけれど

今年は気が向かなかったと見える。Sさんの気まぐれに感謝だった。


花枝を活け替えるとなんとも清々しい気持ちになる。

役目を果たした達成感のようなものだろうか。

義務なのではなく「与えられたこと」と受けとめるばかりである。


川のせせらぎの音を聴きながら拙い般若心経を唱えた。

近況報告をしながらつい欲が出て自分の足のことを祈ってしまう。

完治は望めないとしてもせめて痛みが薄れますように。

なんだかお大師さんが苦笑いしているようでもあった。





午後はドコモショップへ。じいちゃん(夫)の機種変更と

母の携帯の修理を依頼しに行ったのだけれど

なんと思いがけず3時間も掛かり酷く疲れてしまった。

母の携帯は修理不可能と言われ機種変更するしかないらしい。

それも本人確認が必要らしくいくら娘でも駄目だと言われた。

施設に入居していることを伝えたらとにかく意思確認をと言う。

そうそう簡単にはいかない。臨機応変ともいかないようだ。

仕方なく来週の日曜日に再度予約を入れて帰ることになった。

施設に予め連絡をしショップの人が母と話をするらしい。

母はどんなにか戸惑うことだろう。それも気がかりなことであった。


娘は娘。母は母。代理では何事も整わないことを強く実感する。

けれども母とはなんとしても繋がっていたい。

こんな時に限って母の声を聴きたくてたまらない私であった。



2022年07月09日(土) 立ち向かう勇気

今朝は今にも雨が降り出しそうな空模様であったけれど

日中は思いがけずにつかの間の青空となる。

職場の庭の片隅に純白の芙蓉の花が咲いており

これも母の育てていた花とその面影を重ねずにいられない。

雑草が背高く生い茂り近づくことが出来ず

まるで母との距離を物語っているようであった。




週一のカーブスを終えてから職場に向かう予定だったけれど

今朝は左足の痛みが酷く思うように動けない。

どうやら先日の右足の痛みを左足が庇ってくれていたらしい。

知らず知らずのうちに無理をしてしまったのだろう。

カーブスを休むことも考えていたけれど「もしかしたら」と思う。

やってやれないことはないかもしれないと思ったのだった。


けれどもやはり出来なかった。悔しくて情けなくてならない。

自分の中で焦る気持ちが大きくすっかり意気消沈してしまった。


駐車場の車から整形外科に電話をして鎮痛剤の処方を乞う。

仕事に行かねばならず時間が無いことを伝えると

医師が「すぐに来なさいや」と言ってくれてどれほど助かったことか。

「無理したらいかんろ、仕事も休んだや」とも言ってくれる。

本当に優しい医師に巡り合えたことを今更ながら感謝するばかりだった。

患者の苦痛に真摯に向き合って誠心誠意で救おうとしてくれるのだ。

まるで神様のように思えて感激で胸がいっぱいになった。


11時過ぎには職場に着き4時間程仕事をする。

鎮痛剤はすぐに効いてくれてずいぶんと楽になっていた。

もしかしなくてもずっと服用し続けることになるだろう。

中毒性も考えられなんとなく不安になってしまうけれど

もはや医師の言葉と薬だけが頼りに思えてならなかった。

気力だけでは治せないのだとつくづく思ったことだった。


この先私はいったいどうなってしまうのだろう。

どうしても楽観視出来ないでいる。

けれども立ち向かう勇気はほんの少しだけあるような気がする。





2022年07月08日(金) 無念ではあるけれど

曇り日。薄っすらと陽射しもあった。


お昼前に衝撃的なニュースが流れ驚く。

安倍元首相が奈良で銃撃されたと云うこと。

心肺停止ではもはや絶望的だろうと思うしかない。

夕方のニュースで死亡の発表があった。

人の命とはなんと儚いものなのだろうか。

悲しみよりも理不尽な思いが込み上げて来てならない。

67歳、まだまだこれからの人生だったことだろう。

ありきたりの言葉で冥福を祈ることなど出来はしなかった。

どんなにか悔しく無念だったことだろう。

人は死に方を選べない。それは一瞬で命を失うこともあるのだった。





仕事を終えてから母の施設がある病院を訪ねる。

一昨日から携帯電話が繋がらなくなっており

介護士さんに様子を見てもらたっらどうやら故障しているらしい。

母は特に気にしていないらしいけれど今は電話だけが頼りであった。

コロナ禍で面会は叶わずせめて声だけでも聴きたいと思う。

日曜日にドコモショップに行くことにして引き取りに行っていた。


介護士さんが母の写真を手渡してくれて嬉しかった。

けれども写真の母は泣き顔でなんとも憐れでならない。

ずっと美容院に行きたがっていたのを外出禁止となり

仕方なく施設の散髪屋さんにお願いしておいたのだった。

母も納得してくれていたので大丈夫だと高を括っていたけれど

いざ髪を切るとなると拒否反応が出たのだと思われる。

母にとっては初めての散髪屋さんであった。

「嫌だ、嫌だ」と泣きながら抵抗したらしくそれも母らしいこと。

切った後はけろりと笑顔になっていたと聞きほっと胸を撫で下ろした。


今はすべてにおいて「我慢」の時なのだろう。

けれども「希望」が全く無い訳では決してないのだと思う。

どれほど暗い世の中であっても光は分け隔てなく降り注ぐ。


命ある者は生きなければいけない。

ある日突然の死を怖れてはいけないのだとつくづく思った。









2022年07月07日(木) 天の川が見えない

二十四節気の「小暑」いよいよ本格的な夏の始まりである。

「大暑」「立秋」と季節は巡って行くことだろう。

なんだか急ぎ足で背中を押され続けている様な気がしてならない。

自分が何処に向かっているのか分からず少し途惑ってしまうのだ。

それは老いなのかもしれないけれど不思議と焦りは感じない。

とにかく身を任せるしかない。なるようになるのだろうと思うばかり。

何処に向かっても生きてさえいればと希望を抱き続けている。


「七夕」でもあるけれど若い頃のように夢見心地にもなれない。

あまりにも醒めているような気がして少し白けてしまった。

おそらくそれは恋とは無縁になってしまったせいだろう。

逢いたい人も居ないのだ。天の川を渡る勇気さえもない。

そもそも私の目の前に天の川が無いのだ。その現実を受けとめている。


若い頃には死ぬまで女で在り続けたいと願ったものだった。

最期の時にその人の名を呼びたいとさえ思っていたけれど

それはまるで遠い日の記憶のように薄れていくばかりである。


私は「ひと」になりその命を全うしたいと願っている。

自分がどれほど生きて来たかそれは私自身が感じることだろう。


もしも願い事が叶うのであればありったけの命を下さい。



2022年07月06日(水) ほっとする瞬間

午後から青空となり真夏日の暑さとなる。

おひさまは元気なのが好い。心地よいほどの陽射しだった。

稲の穂が少し見え始めている。来月になればもう稲刈りなのか。

早いものだなと思いながらその逞しさに感動さえ覚える。



仕事を終えて整形外科へ。もう右足の痛みは全く感じなかった。

医師も驚き予定していた注射はもう必要ないだろうと言う。

けれども石灰の沈着しやすい体質なので今後も要注意とのこと。

それはやはり突然の痛みに襲われるのだそうで

怖ろしくもあるけれど「その時はその時のこと」と思っていたい。

あまり神経質になってもいけないだろう。

とにかくあっけらかんと生きて行こうと自分に言い聞かせていた。


しばらくは整形外科とも間遠になるだろうと思い込んでいたけれど

左足の股関節の痛みはまだ続いており通院を勧められる。

手術以外に治療法が無いと聞いていたので意味がないのではないか。

自然に治るとは考えられず医師の考えていることがよく分からない。

定期的に骨の状態を診た方が良いと言うので頷かざる得なかった。

一瞬「これは捉まったな」と思った。もう逃げられはしないだろう。

おそらく私は手術を決心するまで通い続けることだろう。

真っ先に経済的なことを考えてしまうのも情けないことであった。


待合室ですぐ隣に座っていた老女から話し掛けられたのだけれど

聞けば整形外科以外に内科、皮膚科、歯科にも通っているのだそう。

自宅は山奥で自動車免許も返納しバスを利用しているのだと言う。

身なりからしてさほど裕福そうにも見えずなんとも憐れに見えた。

独り暮らしだと聞きより一層不憫に思えてならない。

嘆きたくてたまらなかったのだろう。しばらく話し相手になっていた。

なんだか明日は我が身のように思えて目頭が熱くもなる。


老いることは確かにせつない。

それでもみな精一杯に生きようとしているのだと思う。

「悪いことばかりで良いことはひとっつもないけん」と老女は言ったけれど

彼女にもほっとする瞬間はきっとあるだろうと信じてあげたかった。



2022年07月05日(火) 便利は不便

台風4号は早朝に長崎佐世保に上陸し温帯低気圧になったようだ。

その後青森や北海道にまで強い雨雲が襲ったとのこと。

北海道では雷の被害も大きかったようで気の毒でならない。

高知県では大雨のピークは去りほっと胸を撫で下ろしていたのだけれど

昨日の豪雨で土砂崩れや家屋の浸水などが少なからずあったようだ。

自然災害はどうしても避けられない。とても他人事には思えなかった。


今朝はいつもの山道を抜け山里の民家が見え始めたあたりで

県道が土砂崩れで通行止めになっていた。

幸い迂回路があったので無事に職場に着くことが出来たけれど

もしその瞬間にその道を通っていたらと思うと恐怖心がつのった。

頼みの綱の携帯電話は通信障害中で全く使い物にならずにいる。

いわばお守りのような物なのだ。やはり無くてはならないもの。

昨夜土砂崩れがあった事を同僚が知らせようとしてくれたらしいけれど

電話が繋がらずどうしようも出来なかったと今朝になって聴いた。

「便利は不便」と言う人もいるけれど依存していることは確かである。

昔に比べれば便利な世の中になったけれど失えばすぐパニックになる。


夕方のニュースで完全復旧と知りすぐに試してみたけれど

やはり一向に繋がらないので私だけなのかなと不安になった。

もしかしたらと一度電源を切り再起動したら繋がるようになる。

「それほど神経質にならんでも」と家族皆に笑われてしまった。

家族は皆docomoでauは私だけなのであった。

復旧作業には大変な労力を強いられた事だろう。

この場を借りても伝わりはしないけれどただただ感謝である。

信頼を取り戻すのもまた苦労だと思うけれど

私がそうであるように「裏切られた」と思う人は居ないのではないだろうか。

気長に待ったかいがある。それは信じていたからこそのことだろう。


台風一過で明日は午後から晴れるそうである。

右足の痛みも楽になり私はすくっと前を向いている。

何があるか分からない世の中だけれどそれが生きがいでもあるのだろう。








2022年07月04日(月) もしもし亀よ亀さんよ

朝から大雨となる。夕方には洪水警報が発令されたようだ。

四万十川沿いに住んでいるけれど河口に近く川幅が広いので

堤防が決壊しない限り安全だと高を括っているのだけれど

自然の猛威を甘く見てはいけないのだろう。用心に越したことはない。

四万十川は別名暴れ川とも云われており過去には大きな水害もあった。

私が子供の頃にもあり自衛隊の大きなヘリを見た記憶がある。





右足の痛みが酷く昨夜は眠れぬ夜を過ごしてしまった。

とても尋常とは思えず今日は早退させてもらい整形外科へ。

どしゃ降りの雨で駐車場が少し遠くずぶ濡れになってしまう。

とにかくまともに歩けないのだ。まるで亀の歩みであった。


レントゲンの結果、太腿の付け根の筋肉に石灰が沈着しているとのこと。

「石灰沈着性腱炎」と云うらしくそれは突然発症するらしい。

原因は定かではなく体質にもよると医師はあっけらかんとして言う。

石灰はカルシウムなので私は魚の食べ過ぎではないかとふと思った。

筋肉を付けるために毎日馬鹿みたいに魚ばかり食べているのである。


激痛を伴うことが殆どで「なんぼか痛いろう」と医師は優しかった。

「注射をするけんね」と云うので子供みたいに緊張する。

注射はステロイドホルモン剤で石灰を溶かす作用があるらしい。

その時にはもう藁にも縋る気持ちだった。痛い注射もなんのそのである。

一日置いて水曜日にまた注射をすることになった。

鎮痛剤とシップを処方されまた亀の足取りでやっと車に辿り着く。


帰宅して一時間程経った頃、右足の痛みが随分と楽になっていた。

いつまでも亀ではいられない。まだ兎にはなれないけれど

猫にはなれるかもしれないと愉快なことを考えたりしている。


今夜はきっとぐっすりと眠れるだろう。ありがたやありがたや。



2022年07月03日(日) ほんの一歩

小雨が降ったり止んだり。「戻り梅雨」「半夏雨」と日本語は風情がある。

単に台風の影響だろうと云ってしまうのももったいない気がする。

浅学のせいもあり季節に相応しい言葉を知らなすぎる私でもあった。

書く文章も自然と稚拙になる。これも仕方ないことなのだろう。


気圧の変化のせいか湿度が高いせいなのか原因は分からないけれど

今朝から左足だけではなく右足まで痛くなってしまった。

もう踏んだり蹴ったりの心境であり悔しくてたまらない。

思うように歩けないのはほんとうに辛いことであった。

仕事が休みなので気が緩んでいるのだろうとじいちゃんは言う。

確かにそれもある。だらだらごろごろするのがいけないのかもしれない。

けれども痛みさえなければ溌剌と動くことも出来るだろうに。


なんとか買物には行けたもののお大師堂には行けなかった。

リハビリだと思って歩いて行ってみろやと酷なことを言うじいちゃん。

それは絶対に無理と笑い飛ばしてみたけれど情けなくてたまらない。


午後には椅子に座って本を読んでいてもズキズキと痛むので

仕方なく鎮痛剤を服用する。夕方には少し痛みが薄れていた。

お風呂上がりに湿布を貼り今は様子見をしているところである。


まだ65歳。これからなのだと思ったばかりであった。

何があっても私は前を向いて歩み続けなければいけない。

たくさん歩けなくてもいい。ほんの一歩でも良いではないか。






2022年07月02日(土) 恵みの水

晴れのち雨。おかげで暑さがかなり和らいでいる。

室温28℃で快適と言って良いだろう。


ここ数日の暑さで朝顔を枯らしてしまったようだ。

萎れていたのですぐに水遣りをしたのだけれど手遅れだったのか

今朝になっても萎れたままで無残に項垂れている。
 
毎朝花を咲かせていただけに残念でならない。

金魚草、日日草、夏スミレはとても元気である。

朝顔は夏を代表する花であるだけに強いものと思い込んでいた。

まるで親しい人を突然失ってしまったような哀しい気分である。





同人誌のお仲間さんであるYさんがエッセイ本を出版されて

私のような落ちこぼれの者にもその本を送り届けて下さった。

お手紙も添えて下さり昨年の秋に初めて会った時の私のことを

「エネルギッシュな方だなあと思いました」と書いて下さっていた。

それは思いもよらないことでとても意外な「第一印象」である。

どうしてそんな風に感じられたのか腑に落ちないくらいである。


Yさんはとても気さくな方で親しみやすい女性であった。

70歳を過ぎているとは思えない生き生きとした若さが感じられた。

Yさんこそがエネルギッシュだと言っても他言ではないだろう。


頂いた本を早く読みたくてたまらなくなり午後からそれを開いた。

ぐんぐんと惹き込まれる文章にひたすら魅了されるばかりである。

読み進むうちに感動で胸が熱くなる。それは正に恵みの水に他ならない。


私はおそらく萎れていたのだろう。枯れる目前だったのかもしれない。

Yさんはそんな私に水を与えて下さったのだった。

「大丈夫よ、まだ生きられる」そんな声が聴こえて来るようだった。


命の蝋燭のことが書かれていた。それはいつ消えてしまうのか。

不安でならないのは決して私だけではなかったのだ。

この世に生まれた時から神様が授けて下った蝋燭に火を灯し

時に風に揺らぐ炎をどれほど守り続けて来たことだろう。

蝋燭は日毎に短くなる。永遠に灯り続けることなど出来やしないのだ。


けれどもその蝋燭を胸にかざしている。それが生きると云うこと。


水を与えられた私は再び咲く朝を待っている。

そうしてやがては種になり地にこぼれては芽をだすことだろう。







2022年07月01日(金) 寂しがり屋の独り好き

室温が35℃もありとうとうエアコンのスイッチを入れてしまった。

昨日までは夕風が心地よく苦にはならなかったのだけれど

今日は無風状態で窓には夕陽が射しカーテンをオレンジ色に染めている。


特に書きたいことがあるわけではない。

けれども書かせて欲しいと願っている。

とにかく書き始めてみないと分からないことなのだった。


7月のカレンダーは鳥取砂丘に何故かラクダが居る。

にっこりと微笑んでいるラクダを初めて見た。

そうかこんな風に笑うのかと不思議と親しみが湧いてくる。


20年以上も昔の事だけれど鳥取砂丘に行ったことがある。

中学高校と仲良くしていた友人達と4人の一泊旅行だった。

兵庫県の温泉宿で一泊したのだけれどその温泉地の名が思い出せない。

吉永小百合の「夢千代日記」だったかその舞台となった温泉地であった。

早朝に一人抜け出し温泉のお湯を飲んだことはよく憶えている。

確か胃弱に効くと書いてあり胃に沁み込むように美味しかったのだ。


「天橋立」は京都だろうか。最後に行ったのが鳥取砂丘だった。

皆でわいわいと賑やかに。正直言ってさほど楽しくはなかった。

おしゃべりばかりで耳を塞ぎたくなる時があったせいだろう。

独りぼっちになりたいなと思った。私は寂しがり屋の独り好きなのだ。

風光明媚にしんみりと浸りたい。感慨深く物思いにふけりたい。

それらの願いは悉く却下されていたのだろう。

おまけに喫煙を酷く詰られとても辛かったことが忘れられない。


皆友達。これからもずっと友達で在り続けるのだろう。

先日その一人と電話で久しぶりに語り合った時のこと

「また旅行に行こうよ」と弾んだ声で言ってくれたのだけれど

私は社交辞令で頷くことしか出来なかった。

本音を言えばもう二度と御免だと思っている。

けれどもそれは口が裂けても言ってはならないことだった。


仕事をリタイアし時間の余裕のある友達。

経済的にも旅行ぐらいならと余裕のある友達。

すべてにおいて私とはあまりにも掛け離れているのだった。

ひがみかもしれないけれどそれが現実である。


もし夢が叶うのであれば私は一人旅がしたい。



 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加