ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年06月30日(木) 未来への扉

最高気温が34℃を超えほぼ猛暑日となった。

まだまだ序の口と思っている。いずれは40℃近くなる日も来るだろう。

来週には戻り梅雨だとか。一週間ほど雨の日が続きそうである。

やはり夏空が好い。陽射しをいっぱいに浴びて夏を楽しみたいものだ。


6月も晦日となり一年の半分が過ぎたことになる。

歳のせいでもあるだろうけれど日々が駆け足で過ぎ去るばかりだった。

少し焦っている。私の信念とはいったい何だろうかと考えてしまう。

微かな自尊心に大きな劣等感が覆い被さり押しつぶされてしまいそうだ。

もしかしたらこのまま粉々になってしまうかもしれない。

それが怖くてたまらない。私はいったい何処に向かっているのだろうか。





昨夜はけい君を預かり今朝は我が家から登校したのだけれど

もしかしたら我が家に泊まるのも最後になるのかもしれない。

心配していた微熱も治まり今朝はすこぶる元気であった。


息子のお嫁さんの精神状態が落ち着き帰りたがっているのだそうだ。

それは朗報ではあるのだけれどまだ油断は出来ないのだと思う。

息子も複雑な気持ちを抱え、それは私達も同じであった。

一件落着とはいかないだろう。またいつ再発するか分からない。

その時どう対処するのか。けい君はいったいどうなってしまうのか。

何があっても母親であって欲しいと願わずにはいられなかった。

気をしっかりと持って母親としての務めを全うして貰いたい。

お腹を痛めて産んだ我が子ではないか。守ってあげなくてどうする。

どれ程けい君が我慢して耐えて来たか知らないでは済まされやしない。


厳しい事を云うようだけれどこれは「祈り」に等しい。

心の底から信じさせて欲しいのだ。どうか明るい未来でありますように。




2022年06月29日(水) ささ身フライ

連日の真夏日。猛暑が続いている関東に比べれば恵まれているのだと思う。

湿度が低く風もあったのでさほど苦にはならない暑さであった。


合歓(ねむ)の木の花が散り始めてなんとも無残な有り様。

地に落ちるとやがて茶色になりまるで藁屑のようになってしまうのだ。

今朝は箒でかき集めたけれど火を点ければ燃えてしまいそうであった。

「可哀想に」思わず声が出る。花に罪などあるはずはない。

木にはまだ沢山の花が風に揺れておりとても健気に見えた。

やがては散る運命なのだ。嘆くことも哀しむこともせずに微笑んでいる。




午後から特定健診があり早退させてもらい小学校の体育館へ。

検診が終り外に出たら孫たちがにこにこしながら待っていた。

集団下校を止め私の車で一緒に帰るつもりだったようだ。

私の車を見つけて「やったあ」と嬉しかった様子。

まさか待っていてくれたとは思ってもいなくて私も嬉しかった。


車中で夕飯のメニューを訊けば「そうめんが食べたい」と言う。

お安い御用と孫たちを家まで送り届け買い物に出掛けた。

素麺とささ身フライ、肉じゃがも作ることにする。

5時前になり娘からメールがあり急きょ残業になったとの知らせ。

揚げ物はいつも娘がしてくれるのだけれど今夜はあやちゃんがしてくれた。

慣れない手つきではあったけれどカラリと上手に揚げてくれる。

「お母さんに似て上手やね」と褒めたらとても嬉しそうにしていた。


やれば出来ると自信にもつながったことだろう。

自ら進んで手伝おうとするそれも大きな成長なのではないだろうか。

あやちゃんありがとうね。今日はとても佳い日となった。



2022年06月28日(火) 絵本の中の女の子

四国地方も梅雨明け。例年よりも随分と早いようだ。

空にも伝わったようで今日は入道雲が見られた。

偶然ではないだろう。よくしたものだなと感心さえする。

そんな夏空が茜色に染まるのを見上げつつこれを記し始めた。


土手の道では夕散歩に出掛けためいちゃんがまあちゃんと遊んでいる。

お揃いの服を着ていてまるで双子のように見えて微笑ましい。

絵本の中の女の子のようだ。おしゃべりの声をそのまま絵本にしてみたい。


そんなめいちゃんに今朝はほろりとさせられたのだった。

寝起きがすこぶる悪く例のごとくで癇癪を起し大暴れしていた時

私が部屋を覗いたら「見るな!くそばばあ」と叫んだのだった。

子供の事とは云え少しは傷つく。余計な事をしたのだなと思った。

娘も負けじと暴言を吐いており穏やかな朝は何処に行ったのか。


それからしばらくしてからの事だった。

めいちゃんが私の部屋に入って来て「おばあちゃんこれ」と言って

紙切れに書いた手紙を照れくさそうに渡してくれたのだった。

そこには「おばあちゃんごめんね」とハートマークも添えてある。

思わず目頭が熱くなるような心のこもった手紙であった。

「ありがとうね」と思わずぎゅっと抱きしめたくなるほどに。


子供心に自分が癇癪持ちだと分かっているのだと思う。

でもそれが起こると自制が出来ずに大きな苛立ちになってしまうのだ。

泣きわめき大暴れをした後に我に返る。そうしてやっと冷静になる。

反省もするし後悔もする。それこそが成長の証ではないだろうか。

今朝は真っ先に私に謝ろうと思ってくれたのだろう。

その気持ちは根っからの優しさに他ならないと信じてやりたかった。


絵本の中の女の子は眠くなって大きなあくびをしている。

学校から帰ってすぐ宿題をしなかったからそのツケが回って来たらしい。

ぐすんぐすんと泣きたくてたまらないのを一生懸命我慢をしている。

「出来るよめいちゃん」隣室からおばあちゃんはエールを送っている。



2022年06月27日(月) 苦労を待つ身

午後から青空。まだ入道雲は見られないので夏空とは云い難い。

関東や南九州では梅雨が明けたらしい。関東では連日の猛暑である。

異常気象なのだろう。今年の夏は酷暑になるのではないだろうか。


夏は好きだけれど意に反して身体には少し堪えているようだ。

こればかりは「夏の思い出」も助けてはくれそうにない。

あの日は36℃だった。などと感慨に浸るのも程々にしようと思う。

ただ記憶があまりにも鮮明で私を捉えて離そうとしないのだった。

女は愚かだ。だからもう女ではいられなくなった。




同僚が退院し復帰したけれど今日は仕事中に怪我をする。

不注意を責める訳にもいかず「なんとかなった」一日。

義父が汗だくになりながら精を出してくれて随分と助かった。

新車が立て続けに3台も売れる。目の前がぱあっと明るくなった。

仕事はやはり面白くてならない。後10年頑張れそうな気がする。

75歳が何だって云うのだ。くたばるもんかと勇気が出て来た。

自分は試されているのかもしれない。ならばとことん試してくれたまえ。


何事も気の持ちようだけれど弱気になる時もあるだろう。

不安や心細さは歳を重ねる程に膨らんで来るのだと思う。

嘆くのも自分。負けるのも自分だと云うことを忘れてはならない。

ようは立ち向かう体力も気力も自分次第だと云うことなのだ。

私は暗示に掛かりやすい性格なのでそれを上手く逆手に取るようにする。

自分を励ましてやらねばならない。決して人任せなどにせずに。

それが出来ないのであれば生きている甲斐もないのだとさえ思う。


ひとはみな弱いのだ。強く逞しく生きているひとは

どん底の苦労を乗り越えて来たからではないだろうか。

私はまだまだ苦労が足らない。だから苦労を待ち続けている。



2022年06月26日(日) 種を蒔く

大気が不安定だったのか今朝はにわか雨が降る。

大量の洗濯物を干し終えたばかりで大急ぎで取り入れたことだった。

午後は青空となり夏らしい陽射しが降り注ぐ。

関東など6月とは思えないほどの猛暑だったようだ。



朝のうちにお大師堂へ。花枝はまだ大丈夫。

お線香の補充のみ。後は拙い般若心経を唱えた。

お大師さんにけい君の報告をする。

ささやかな祈りとしてきっと伝わるに違いない。

仏頼みとして縋りつきたいような気持であった。

なんとしても守ってやりたい。それは願掛けにも等しい。



それから図書館へ。凝りもせずまた田辺聖子の本を借りて来る。

とにかく不信感を拭い去りたい。納得できる作品がきっとあるはず。

「欲しがりません勝つまでは」そこには13歳の彼女が居た。

すでに小説を書いている。まさに天才的な少女だったのだ。

今日一日で3分の2程読み進む。手応えは確かにある。

とにかく読みたい。とにかく知りたい気持ちが募るばかりであった。


私も15歳から詩や短歌を書き始めたけれど

半世紀の歳月が流れても未だ芽を出せずにいる。

もしかしたらずっとこのまま種として生きる運命かもしれない。

認められたい欲ばかりが先走りなんと愚かなことだろう。

それでも書かずにいられないのは自分を信じているからだと思う。

種としての誇りがある。それは実があってこその種に他ならない。


諦めずに何度も何度も種を蒔いた。その度に悔しさがバネになって行く。

そんな生き方もまんざらではない。私はよりいっそう逞しくなっている。




2022年06月25日(土) 姥の切なさ

朝のうちつかの間の青空。その後は薄曇りとなりとても蒸し暑くなる。

鮮やかに咲き誇っていた紫陽花がとうとう枯れ始めてしまった。

桜のように潔く散れない花はなんとも切ないものだ。

毎年のことだけれど目を背けてはいけないと思う。

やがては化石のようになってしまう花を最後まで見届けてやりたい。

ついつい我が身に重ねてしまうけれど定めのようなことを

私はどれほど受けとめているのだろう。もがいたり嘆いたり

もしかしたら咲いてなどいなかったのかもしれないと云うのに。

紫陽花は毎年咲いてくれるけれど人生は一度きりのことであった。




田辺聖子の「姥勝手」を読了。文章は軽快で読んでいて楽しかった。

けれども80歳の主人公にどうしても感情移入が出来ない。

溌剌とした大阪の婆さんは作者自身だと解説に書いてあったけれど

その裕福ぶりが少し鼻につく。それは私のひがみかもしれない。

正直言ってこんな年寄りには決してなれないと思った。

豊富な趣味を持ち社交的で何よりも派手である。

老後の不安ばかりの私にどうしてそんな暮らしが待っていようか。

僅かの年金を頼りに生きていくだけで精一杯なのだと思う。

経済的なゆとりが無ければ趣味も諦めざる得ないだろう。

何をするにも「お金」が必要。それが世間の掟でもある。


あの「18歳の日の記録」を書いた田辺聖子は何処に行ったのか。

流行作家となり何を書いても売れたことだろう。

けれどもそれは本当に心底から書きたかったことなのだろうか。

好きな作家ではあるけれどなんだか不信感が募って来る。

「姥シリーズ」は何冊か出版されているらしいがもう読む気はしない。


老いは誰しも避けられないこと。それはとても切なくてならない。

高級なアクセサリーを身に着け浮かれている場合ではありません。






2022年06月24日(金) だからどうする

まるで梅雨が明けたかのような晴天。

強風注意報が出ていたけれど気温が高くなり今日も真夏日となる。

室温32℃、心地よい夕風に吹かれながらこれを記し始めた。



けい君またもや微熱があり登校を断念せずにはいられなかった。

懇意にしている小児科医に相談したら県立病院での受診を勧められる。

直接電話をしてくれて受診の段取りをしてくれ随分と助かる。

最初の発熱からもう10日目。尋常ではないと案じてくれていた。

仕事を休ませてもらい連れていくことに決めたのだけれど

早朝から出勤している息子に知らせておかなくてはいけない。

スマホは繋がらず仕方なく職場に電話を掛けてしまった。

それがいけなかったようだ。息子は即刻退勤命令が出たのだそうだ。

そんな大事になるとは思ってもいなかった。なんと迂闊だったことか。


結局、帰宅した息子と一緒に県立病院に向かったのだけれど

けい君は再度のPCR検査。陰性が判明してからやっと小児科外来へ。

息子の機嫌がすこぶる悪くひどく苛立っている様子であった。

「勝手なことをするな」と叱られて私も気分が落ち込んでしまう。


診察と検査の結果、取り立てて何処にも異常は見られなかった。

微熱が続く原因が判らない。それでどうして安堵が出来ようか。

やはり心因性のものなのかもしれないそう思うしかなかった。

懇意にしている小児科医はそれも在り得ると言っていた。

子供の心はおとなが思っているよりずっと繊細でか弱いものなのだ。


だからどうする。その対処方法が今は未だ見つけられない。

けい君自身が乗り越えて行くとしても不憫さの方が勝るのだった。

じいちゃんは甘やかしてはいかんぞと厳し過ぎる。

私はとことん甘えさせてやりたい気持ちが募るばかりであった。


けい君の心の中が見えない。ただ感じることは出来る気がする。

けい君は寂しくてたまらないのだと思う。



2022年06月23日(木) ただ書くばかり

連日の真夏日。梅雨の晴れ間を有り難く受けとめている。

天気図を見ると梅雨前線が遠ざかっているようだ。

今年の梅雨は短く明けるのも早いのかもしれない。

水不足が懸念されるけれど自然に任せるしかないだろう。


稲作は今のところ順調のようだ。

ただ備蓄米の在庫がかなりありお米の価格が急落しているとのこと。

義父の苦労が「捕らぬ狸の皮算用」になるのではと気がかりでもある。

稲作だけとは限らないけれど農家の苦労は報われないことが多い。




息子がとある感染者の濃厚接触者となりPCR検査。

すぐに結果がわかり「陰性」だと知らせてくれてほっと胸を撫で下ろす。

息子も気が気ではなかったようだ。もし陽性だったらけい君も危ない。

そうして必然的に我が家にも影響があるのは目に見えている。

今回は難を逃れられたけれどまたいつそんな危機が襲って来るか。

これまで以上に気を引き締めて身を守らねばと肝に銘ずる。


息子は日勤であったけれど職員会議があり帰宅が遅くなるとのこと。

下校時からけい君を預かっていて夕食も我が家で済ます。

娘がハンバーグを作ってくれて「おいしい」と3個も平らげた。

今は茶の間で宿題と格闘しているようだ。



今夜は地区の役員会があったのだけれど欠席する。

最初の役員会で日曜の午前中か平日の夜かと談義があったのだけれど

区長さんは多数決を採ることもなく平日の夜と決めてしまったのだ。

私は大いに反論したけれど聞き入れてはもらえなかった。

たとえ一時間でも夜の時間を犠牲になどしたくない。

じいちゃんが行くにしても晩酌も出来ないではないか。

お風呂上がりのビールをどれほど楽しみにしていることだろう。


そうは言ってもなんとも心苦しく後ろめたい気持ちが募る。

私がこの日記を書くことを潔く諦めれば済んだことなのだ。

大したことなど書いていない。こんなつまらない日記はあるまい。



2022年06月22日(水) 禁句

梅雨の晴れ間。曇りの予報だったので思いがけない青空だった。

気温も30℃を超え一気に真夏日となる。

夏至に入りまだまだこれからが夏本番である。

猛暑も覚悟の上でこの夏を乗り切っていかなければならない。


夏が好きになった「あの日」がある。いくら封印しても

記憶が鮮やかに蘇りつい昨日のように思うことがある。

女だったのかもしれない。それは決して悔いではなかった。





けい君微熱の朝。37℃4分で登校は可能であったけれど

「しんどい」と言うので無理をさせずに休ませることにした。

息子は早出で6時には出勤しておりじいちゃんが迎えに行ったのだった。

マンションで独りきり。どんなにか心細かったことだろう。

一日我が家で過ごしたけれど日中は平熱となり元気そのものだったそう。

仕事を終えた息子が迎えに来て笑顔で帰って行った。

最初の発熱から一週間。風邪の症状が全く無いのが少し気になっている。



職場は今日からまた臨時休業。同僚が二回目の白内障の手術だった。

けれども義父が待機してくれていて随分と助かる。

お客さんの自損事故があり現場まで駆けつけてくれた。

本来なら稲の消毒をしたかったのだそうだ。

「今日は何も出来んかった」とぼやいていたけれど

少しは優先順位を考えて欲しい。とは決して口に出せないけれど。

私は心底から助けて欲しいと願っている。それさえも禁句なのだろうか。


なんとかなることもあればそうはいかないこともある。

それは世の常のことでありもがいても仕方ないことなのだろう。


明日はあしたの風が吹くらしいが明日になってみなければ分からない。

だから眠る。そうして夜明けを待つ。

人生はその繰り返しであり何ひとつ欠けてはならない。





2022年06月21日(火) 無題と云う名

午前中は本降りの雨。時おり激しく降る。

今は止んでおり夏至の太陽を雲が覆い尽くしている。

「雲の上にはおひさまがいるよ」いつだったか母が言ってくれた。

経営難で行き詰った時ではなかっただろうか。

「そうやね、くよくよしていたらいかんね」と頷いたことを憶えている。


母はそれほど楽天家ではなかったけれどやはり人生の大先輩だけある。

苦労をして来た人だからこそ云える言葉だったのだろう。

嘆いたり欝々ばかりしていても何も変わらない。

人は太陽の慈愛を受ける権利を持って生きているのだと言えよう。

心の翳りにそれは皆に等しく降り注ぐものなのだと思う。





田辺聖子の「18歳の日の記録」を読了。

これは遺品を整理していた親族が見つけた当時の日記なのだそうだ。

まさか死後にそれが一冊の本となり出版されるとは

彼女自身夢にも思っていなかったことだろう。

芥川賞を受賞してからの作品と比べるとまるで別人のようにも感じる。

18歳の多感な少女は戦争の真っ只中で逞しく生きていた。

思ったこと感じたことを純真に素直に書き綴っている。

時には級友の悪口も。けれどもそれも爽快な文章となっている。

ただただ読み応えがあった。これほどの感動があるだろうか。


日記の中には小説も幾つか書かれており「無題」と抄した長編には

戦中の女学生の心境がありのままに書かれており心を打たれた。

当時は発表する場所さえ無かったのだ。いったいどんな気持ちだったのか。

戦後、小説家として世に出てもその「無題」は埋もれたままだった。

すでに過去として葬ってしまったのだろうか。それも惜しくてならない。


ながい歳月を経て遠い過去から届いた「無題」を

私はとても新鮮な気持ちになり読み進むことが出来たのだった。

これはもう感謝しかない。よくぞ書いてくれたと敬意を示したい。


「無題」は彼女自身のせつなさでもあろう。

永遠に葬るつもりだった「こころ」そのものなのだと思う。



2022年06月20日(月) 私の老後

相変わらずの梅雨空。時おり霧のような雨が降る。

明日はもう夏至だけあって外はまだ随分と明るい。


玄関先の燕が巣立ったばかりだと云うのに

また新たな巣を作ろうと燕達が勤しんでいる。

古巣には見向きもせずに今度は玄関扉の真上であった。

それはさすがに困る。あっという間に玄関は泥だらけの有り様。

燕を憎むわけではないけれどアルミホイルで覆いをした。

毎年試みていることでこれがけっこう効き目があるのだった。

「どうか古巣にお入りなさい」と念じているのだけれど

今度は一切寄り付かなくなってしまう。それも寂しい。

意地悪な家主と恨んでいるのかもしれない。

燕が巣を作る家は幸運に恵まれると云うけれど本当だろうか。





けい君4時半に起床。今朝は随分と早起きだった。

熱は37℃、微熱ぎりぎりの微妙なところだったけれど

食欲もあり元気なので大丈夫だろうと登校させる。

久しぶりの学校で嬉しかったのか兎のように跳ねながら出掛けた。


月曜日の仕事は少し忙しく郵便局へ行ったり役場へ行ったり

お昼休みにも来客があり対応に追われていた。

午後は隣町の宿毛市まで集金。お得意様なので手土産を持って行く。

山里の地場産店で「筋なし豌豆」を買った。

お得意先の事務員さんが「今夜のおかずね」と喜んでくれる。

笑顔あってこその商売だとつくづく思ったことだった。

そんなこんなで仕事が面白くてたまらない。

やはりゴールが見えないほうが身の為かもしれなかった。


最近はある日突然職を失ったらどうしようと不安になる。

それは一番に経済的なことだけれど年金だけでは食べていけない。

物価はどんどん上がっているにも関わらず年金は下がる一方なのだ。

まるで国に見捨てられた難民にも等しいのではないだろうか。

食費を切り詰め半額商品を漁っている庶民の味方は何処にも居ない。


義父はあと10年は頑張ると意欲を漲らせている。

私は75歳。どれほど衰えていることだろう。

けれども父の意欲に励まされ尚且つ縋りつくような気持ちである。

おそらくそれからが私の老後なのだと思う。

長生きをして全うするべき人生の春なのに違いない。


生きたい生きたい。そればかり欲のように頭から離れない。

命にしがみつく。それは決して諦めないことだ。



2022年06月19日(日) 守られている

梅雨の晴れ間とはいかず空は灰色の雲に覆われていた。

近所に住む従兄弟が「やまもも」を沢山届けてくれる。

甘酸っぱくてとても美味しい。子供の頃が懐かしく思い出される。

おてんば娘だったので木に登って採ったものだった。

採りながら口いっぱいに含み種を飛ばしたりもした。

あれは友達の由美ちゃんのお祖母ちゃんの家だったと記憶している。

大きな木だった。今でも山里にあるのではないだろうか。

昔は子供の絶好のおやつだったけれど今の子供は食べようともしない。

沢山頂いたやまももはとても食べきれずご近所さんにお裾分けをした。





息子が準夜勤なのでお昼前からけい君を預かっている。

熱はすっかり下がっていたけれど夜になると微熱が出るとのこと。

気にかけていたらお風呂上がりに37℃5分あった。

本人も少し神経質になっているようなので「大丈夫よ」と言って聞かす。

今夜は我が家で早めに寝て明日こそは学校へ行かせてやりたい。


娘は仕事。娘むこは素潜り漁に出掛けていたので

日中は二階であやちゃんとずっと一緒に居て仲良く遊んでいた。

3時頃娘むこが帰って来たので二階から下りるように言ったら

あやちゃんが「どうして?」と真剣な顔をして私に問う。

「お二階はあやちゃん達家族の部屋だからよ」と応えると

ムキになった顔をして「けい君も家族やんか」と言ってくれた。

「姉弟じゃないけどいとこじゃんか」まさにその通りである。

あやちゃんの優しさが身に沁みて思わず涙が出そうになった。


けれども私達祖父母はなんとしてもそのルールを守りたい。

いくら不憫であってもけい君にけじめを付けさせたいのだった。

それがけい君の為になるではないかと不確かながら信じてやまない。


父の日だったので今夜は焼肉パーティーだった。

娘がせっせとお肉を焼いてくれてけい君のお皿にも入れてくれる。

娘も気を遣ってくれているのだ。有り難いことだなと思った。


お風呂上がりのけい君はじいちゃんと茶の間でおとなしくしている。

その静けさに少し胸が痛むけれど決して淋しくはないだろう。


先日は熱のあった夜に2ヵ月ぶりに母親に会うことが叶い

一晩添い寝をしてもらったそうだ。どんなにか嬉しかったことだろう。

けい君は決して見捨てられてはいない。皆に守られているのだと思う。





2022年06月18日(土) 青春の記念日

夕方近くなり久しぶりの青空。夕陽を仰ぎつつこれを記し始めた。


今日は青春の記念日。もう53年も昔のことである。

少年は皆から「直ちゃん」と呼ばれていた。

背が高く坊主頭で決して美少年ではなかったけれど

成績優秀でリーダー格でもありなんと云っても人気者であったらしい。

「らしい」と表現するのは私がまだ彼のことを殆ど知らなかったからだ。


生まれてからずっと山村育ちの私は転校生であった。

海辺の町。潮風の匂い。そして乱暴にも聞こえる土佐弁。

途惑うことも多かったけれどその町はとても新鮮味で満ちていた。


まだ親しい友達も出来ないでいる頃、隣のクラスの男子がやって来て

お昼休みに裏庭に行くようにと半ば命令口調で言うのだった。

もしかしたらいじめられるのかなと思った。

転校生は目立つ為いじめの標的にされることがよくある。

逆らってはいけないと意を決しおそるおそる裏庭に行ったのだった。


少年はとても堂々としていて自信に溢れているように見えた。

そうしていきなり「俺はおまえが好きや」と言うのだった。

「私も」などとどうして言えるだろう。ほぼ初対面にも等しい。

気がついたら一目散に逃げだしていた。

胸が張り裂けそうなくらいどきどきしていたことを憶えている。


直ちゃんは7月生まれ、私は12月生まれだからまだ12歳の頃のこと。

今思えば随分とませた子供だったのだと思う。

一目惚れにしても告白するような年頃ではないのではないだろうか。


それ以来、直ちゃんはちょくちょく私にちょっかいを出しに来た。

休み時間を待ってましたとばかりに隣のクラスから顔を見せに来る。

私が英語の授業に付いていけないのを知って「教えちゃろか」と言ったり

なんと鬱陶しいことか。私は無視するのに必死であった。


その後も恋に発展することはなかったけれど

直ちゃんのご両親が相次いで急死してから私の気持ちに変化があった。

母性本能なのかよく分からないけれど「守ってやりたい」と強く思う。

誰かが側に居てあげなくてはいけない。それを自分の役目のように感じた。


高校時代に一度だけデートをしたことがある。

二人で高知城の近くの動物園に行った。

その時お城の石垣の間から可愛いらしいリスが飛び出して来た。

その光景が忘れられず今でも目に鮮やかに思い出される。


同窓会でもあれば必ず最後まで一緒にいる。

深夜2時を過ぎて屋台で一緒にうどんを食べたりもした。


直ちゃんは男なのに違いないけれど今もって色気は全くない。

それを言うと「失礼な!」と怒るけれどその顔が私は好きなのだ。

女友達も何人かはいるけれど「親友は?」と問われたら

私は真っ先に「直ちゃん」と応えるだろう。


二人とも65歳になり老いの不安も少なからずある。

けれどもそんな話は一切しない。ただありのままの今を生きている。


少年の日の6月18日を直ちゃんは全く憶えていないのだそうだ。









2022年06月17日(金) 無我夢中

梅雨らしい蒸し暑さが続いている。

とうとう根負けして冷房のスイッチを入れてしまった。

事務所に商工会のK君がやって来て「おお、ここは涼しいね」と

どうやら辛抱していたのは私だけではなかったようだ。

零細企業の根性とやらも意外と脆いものである。


職場の庭のヤマモモの実が色づきそろそろ食べ頃になった。

ずいぶんと昔に母が植えた木らしくかなり大きな木になっている。

どれ初物を一粒と手を伸ばしても残念ながら手が届かない。

仕方なく地面に落ちている実を拾って食べてしまった。

こう云うのを「いやしん坊」と言うのだけれど

その実は思いがけずに甘く癖になるような美味しさだった。


ふとヤマモモの木の隣を見ると合歓(ネム)の木の花も咲いていた。

まるで天使が羽根を休めているような可憐な花である。

ああ母に見せてやりたいものだと娘らしいことを思う。

薄情なふりをしているだけで根は優しいのかもしれない。



仕事は午後から忙しくなり2時間近く残業となる。

活気があってよろしいのではないかと思い自ずと生き生きとしてくる。

私はそんな自分が好きでならない。そう自分に惚れるのである。

自分を嫌いになることはまずない。自己嫌悪とは無縁でありたいのだ。


ひとは自分を愛してこそまわりの人を愛せるのらしい。

昔読んだ自己啓発の本にそう書いてあった。

欝々と悲観ばかりしていたその頃に私は救われたのであろう。

ずいぶんと成長したものだ。私もまんざらではないらしい。

かと云って決して自信満々ではないのだけれど

自信に溢れている人は見苦しいと感じることが多い。

そんな人はもう努力をしない。名声や誇りにすでに満たされている。

自分が頂点なのだから立ち向かうこともあるまい。

可哀想な人だなと私などは思うのだけれどどうなのだろう。


私は不安で心細い。この先の命の保障もない。

突然訪れるかもしれない死に覚悟することも出来ないでいる。

だからいつもじたばたしている。無我夢中で生きているのだろう。

そんな私だけれど愛に満たされこの上ない程に幸せであった。








2022年06月16日(木) きっかけ

ほんの少しの陽射し。風は殆ど無くかなりの蒸し暑さであった。

冷房を入れるべきか迷いつつ今こそ節電の時と思いとどまる。

JAや役場では窓を閉め切っていたので快適にしていたのだろう。

「そこが違うのよ」と思う。零細企業の根性を見せてやりたいものだ。


と、なんの風情も感じられない日記を今夜も書き始めてしまった。

この壁のようなものはいったいいつまで在り続けるのだろう。

書きたいことがあるはずなのにそれが何なのか未だ分からずにいる。





けい君今朝は38℃5分、当然学校には行けず

夜勤明けの息子が迎えに来て今日は安静の一日。

夕方電話をしたらまだ微熱があり眠っているとのこと。

今週いっぱい様子を見て月曜日には登校出来るのではないだろうか。

鼻水や咳と云った風邪の症状は全く見られなかったけれど

もしかしたら精神的なものかもしれないと思ったりもする。

私の考え過ぎなのかもしれないけれどいささか気になっている。

子供の心理状態はおとなには解り難いものだった。

平然と振る舞っているけれど必死の思いで耐えているのかもしれない。

それを不憫と思うのか逞しいと思うのかはおとなが決めることだろう。

子供は決して不憫だとは思われたくはないのかもしれない。


私も弟もそうだったのではないだろうか。

確かに惨めではあったけれどすくっと前を向いていたような気がする。

そうして成長するきっかけを与えてもらったのだと思う。


けい君にもきっとそんな未来が待っていると信じてやまない。



2022年06月15日(水) 危機一髪

梅雨も一休みだろうか。午後には少しだけ陽射しがあった。

雨で潤った紫陽花のなんと生き生きとしていることだろう。

特にブルーが好い。青空の色をして雨を厭わない凛とした姿である。

性別があるのならやはり女だろう。男には叶うはずもないこと。

もしどうしても男だと言い張るのなら私は決して愛でたりはしない。






今朝は職場に着くなりけい君の学校から電話があった。

38℃の発熱。すぐに迎えに来て欲しいとの連絡である。

幸い息子が在宅していたのですぐに駆けつけて行ったのだけれど

小児科では対応できず県立病院まで連れて行ったようだ。

PCR検査の結果が判るまでどれほど心配したことだろうか。

まさかけい君がそんはずはないと信じる気持ちと

もしコロナだったらと思うと不安でいっぱいになった。

検査の結果がやっと判ったのは午後2時を過ぎていた。

「陰性やったけん心配ないけん」息子からの連絡に胸を撫で下ろす。

まるで悪夢を見ていたような一日であった。

どれほど平穏無事を祈っていてもこんな日もあるのだなと思う。


今夜は息子が深夜勤なので早めにけい君を連れて来ている。

まだ少し微熱があるようだけれど食欲はあるようだった。

顔色も良いしすぐに快復することだろう。

あまり心配し過ぎないように見守ってやりたいと思っている。


今はうかうかと風邪も引けないご時世である。

私はただひたすらに家族の平穏無事を祈り続けることしか出来ない。



2022年06月14日(火) 恩師との縁

昨日から降り続いていた雨が止む。

強風もおさまり静かな黄昏時となった。

夕陽は当然のように見えないけれど西の空がほんのりと明るい。



仕事を終えて帰宅していたら小学生時代の恩師からメール。

55年間一度も再会は叶わなかったけれど

よほど縁深かったのか今でもささやかに繋がっている。

車を道路脇に停めてメールを確認し愕然としてしまった。

なんとそこには「死にたくない」とだけ書かれていたのだった。

いったい何があったのか体調が急変したのかもしれないと

不安でいっぱいになりすぐさま電話をかけたのは言うまでもない。


電話に出なかったらどうしよう。手遅れになってしまったのでは。

そんな私の杞憂にも関わらず思いがけなく元気な声が耳に届く。

「ごめんねえ」と笑い声にどれほどほっとしたことだろうか。


聞けばウクライナの詩人の訳詞を私に見せたかったのだそうだ。

それがスマホの操作を間違えてしまって冒頭だけ送信してしまったらしい。

「死にたくない」確かにそれは今のウクライナ人の切実な祈りであろう。

その詩を私に見せたかったという恩師の気持ちも痛いほどに感じる。

共感するべきもの。共に涙を流すべき詩だったのだろうと思う。



55年前。新卒教員だったN先生は私達の担任となった。

国語の時間になるといつも私を指名し教科書を読ませるのだった。

最初のうちは少し得意顔の私ではあったけれど

次第に級友たちからの風当たりが強くなってしまって

「N先生はひいきをしている」と言われるようになってしまった。

教壇に立ったN先生は涙を流しながらそれを否定した。

私も堪えきれずに泣いてしまったことを今でもはっきりと憶えている。


ずいぶんと歳月が流れてしまったけれど

今でもN先生は「国語好きやったもんね」と私に言ってくれるのだった。

「短歌も詩も諦めたらいかんよ」と励ましてくれるのだった。


声ばかりの再会ではあったけれど笑顔が目に浮かぶようである。

私はなんと縁に恵まれていることだろうか。





2022年06月13日(月) 母を着る

小雨降る一日。どうやら四国地方も梅雨入りしたようだ。

待ちわびていたわけではないけれどなんとなく落ち着く。

季節の区切りのようなこと。梅雨があってこそ本格的な夏が来る。

雨の季節ならではの楽しみもあるだろう。欝々などしていられない。

どんな空も受けとめられるような大らかな気持ちでいたいものだ。



今朝はふと思い立ち母の服を着てみた。

先日母の衣類を整理していて見つけたもので

少し地味かなと思っていたけれど着てみればけっこう似会う。

母が着ることはもうないのだと思うと少しせつなくもあったけれど

処分するにはやはり気が咎めまるで遺品のようにして仕舞ってあったのだ。


高級志向だった母は「しまむら」などにはまったく縁が無く

殆どをブティックで買い求めていて品が良い物ばかりであった。

私が着た服もおそらく10年は経っているだろう。

色褪せや型崩れもなくとても古着には思えなかった。


「母を着る」それはなんとなく気恥ずかしくてくすぐったいような。

まるで自分が母の分身であるかのような不思議な気持ちになる。

そうしてそれを着ていた頃の母の面影が目に浮かんで来た。

綺麗にお化粧をした母。紅い口紅がよく似合っていた。

会社の専務でもあり仕事もどれほど頑張っていたことだろう。

体調が優れない日も「大丈夫よ」と気丈な母であった。

きっと死ぬまで働き続けるつもりだったのだろう。

そんな母の老後をどれほど案じたことだろうか。


今は施設で一日中病衣姿でいる。それも慣れてしまったらしい。

もちろんお化粧もしない。けれども肌は白く艶々としている。

そんな母を私は「うつくしい」と思うのだった。


私はこれからも母を着たい。決して母にはなれないけれど

母の面影を決して忘れることのないように。






2022年06月12日(日) パワースポット

夜が明ければ快晴の空。朝風が心地よく吹き抜けていく。

薄闇でしきりに鳴いていたホトトギスの声が聴こえなくなる。

夜行性なのだろうかその習性はよく知らないけれど

昼間にその声を聴いたことがない。とても不思議な鳥だなと思う。



朝のうちにお大師堂へ行き思わず愕然としてしまった。

つい先日活け替えたばかりの花枝(シキミ)が無残な有様だった。

誰かが姫女苑の花を添えてくれていたけれどそれも枯れ

自分の怠慢を思い知らされたような光景を目の当たりにする。

夏場は冬のように長持ちはしないことは知っていたけれど

やはり常に見守ってやらなくてはいけない。反省の極めである。

つい先日と云っても私の足が遠のいていた証でもあろう。

そうなればもうお参りどころではなくなってしまって

急いで新しい花枝を手折りにお堂を飛び出していた。


我が家には姑さんが残してくれたシキミの木が3本ほどあり

特に手入れもしないのに見事な新緑の葉が生い茂っている。

枝ぶりの良いのを5本ほど手折りまた急いでお堂へ駆けつけた。

やっと心が落ち着き清々しい気持ちで般若心経を唱える。


願いごとはしないつもりでもついつい祈りたくなる。

信仰心と云うよりも何かに縋りつきたい気持ちがあるのだろう。

今日は息子のことばかり。一日も早い平穏を祈らずにいられなかった。


帰り際にふと思ったのは今後のお堂の管理のこと。

私もそうだけれどお参り仲間さん達もすっかり高齢となり

今でこそ生き永らえているけれど先の不安は免れない。

地区の役員さんに任せるにも心もとなく感じられるのだった。

やがてはおざなりになるのではないか。いったいどうなるのか。

地区のパワースポットとして永遠に残り続けて欲しいと願ってやまない。


さらさらと流れる大河を眺めながら物思いにふける。

この川は間違いなく太古の昔から流れていたことだろう。







2022年06月11日(土) 落ちこぼれ

ぽつぽつと雫のような雨。なんとなくしんみりとして来る。

空の呟きがこころに沁みて切なささえ感じた。

もう物思うような年でもないけれどまだ女なのだろうか。

それも嫌だなと思う。出来ることならば逃げ出してしまいたい。


今朝はとても嬉しく励みになるようなことがあった。

高知新聞のローカルジャーナルに所属している同人誌の紹介が出ており

たくさんのお仲間さん達を差し置き私の短歌が掲載されていたのだった。

新聞社の担当者の方が選んでくれたのだろう。

同人誌では落ちこぼれの私にとってそれなまさしく希望に他ならない。

日々の努力が報われたような気がして思わず涙ぐんでしまった。

諦めてしまえばそこでお終い。肝に銘じでこれからも書き続けて行こう。






お昼前に息子から電話があり急きょけい君を預かることになった。

朝昼兼用のコンビニ食を嫌がり自棄を言って困らせたらしい。

「もうそんなものは食べたくない」と言ったそうだ。

準夜勤で出勤時間の迫っていた息子も苛立ってしまったのだろう。

「とにかく何でも良いから食べさせてやってくれ」と言って来る。

聞けば準夜勤の終わる10時まで留守番をさせるつもりだったらしい。

何も食べずに夜遅くまでどうして独りで置いておけるだろう。


我が家にもろくなものは無かったけれどレトルトのハヤシライスで。

それも大盛りにしてそれは満足そうに食べてくれた。

温かいご飯に飢えていたのかもしれない。「おいしい」と喜ぶ。


息子も日々精一杯でついつい手を抜いてしまうこともあるだろう。

けい君にそんな父親の苦労が分かるはずもなかった。

まだ甘えたいし我が儘も言いたい年頃なのだ。


夕食にはフライドポテトが食べたいと言って

娘が機嫌よく揚げてくれてなんとほっとしたことか。

気を遣うことばかり考えていたけれどやはり家族なのだなと思った。


今夜は泊まらずお父さんと帰ると言っている。

夜遅くなるけれどぐっすりと眠って欲しい。

お父さんをあまり困らせてはいけませんよ。



2022年06月10日(金) 未来のために

薄っすらと陽射し。風がなかったので少し蒸し暑く感じた。

明日は雨らしいのでそろそろ梅雨入りなのではないだろうか。

紫陽花の季節にはやはり雨がふさわしく思う。

陽射しを浴びた紫陽花はなんとなく弱々しく儚げに見える。




息子43歳の誕生日。なんだか信じられないような気分だった。

世間的には初老を過ぎたおじさんの年齢ではあるけれど

まだまだ若く今が働き盛りの青年にさえ見える。

若い頃の苦労は買ってでもせよと云うけれど

どれほど苦労をしていることかと思えば不憫でならなかった。

いつかきっと報われる日が来ると信じてやりたいと思う。


今日はふと思い立ったように古いアルバムを開いていた。

生まれて間もない頃から初めて歩いた時の姿など

記憶はとても鮮やかにあり遠い日に馳せ向かうようであった。

歳月は愛しいものである。それを過去とは呼びたくもない。

息子は日に日に成長していき私も母らしくなれたのだろう。


子の幸せを願わない親はない。今はただそればかりだった。

今回の決断も決して間違った道ではなかったのだと思う。

一番に何を守るべきか。私達は息子の強い意志を感じた。


仕事に励みながら主夫業も子育ても疎かにはせずに

人生の大きな壁に立ち向かっていく姿は勇気そのものだと思う。

いつかきっと報われる時が来るだろう。

胸を張っていればいい。未来はきっと明るいのに違いない。



2022年06月09日(木) めんどしい

晴れたり曇ったりの一日で今は夕焼けも見られない。

窓から見える景色は今日も微笑ましくて

めいちゃんとまあちゃんそれからせりちゃんも遊んでいる

子供はほんとうに無邪気でいい。夕暮れ時の天使のようだった。


土手にはチガヤの白い穂。姫女苑の花もたくさん咲いている。

そろそろ除草作業の頃となりすべて薙ぎ倒されてしまうのも残念なことだ。

雑草としての運命だなのだろう。植物は決して嘆きはしないけれど。






今朝は出勤したら珍しく義父が居て

「臨時休業」の貼り紙を「めんどしいけん剥がしたぞ」と苦笑いしていた。

「めんどしい」とは方言で「体裁が悪い」と云うような意味である。

ちいさな村のことですぐに村中の噂になってしまうのだった。

それは義父のプライドが許さなかったらしい。

それがなんとも可笑しくてならず私は「しめしめ」と思った。

緊急の来客の場合はすぐに帰って来ると言い置き農作業に出掛ける。

おまけに田んぼの場所まで教えて行ったからよほど気にしている様子。


けれども来客は一人も無く電話も一切鳴らなかった一日となった。

呼び出しを食らうこともなく義父はほっとしていたことだろう。


同僚の白内障の手術は昨日無事に終わったそうだ。

電話をしたらとても退屈そうにしていて愉快でもあった。

「臨時休業」の一件を話したらへらへらと笑い飛ばしていた。

自分あっての工場と自負もあったのだろう。

まさか社長が張り切るとは思ってもいなかっと思う。

皆が協力し合ってこその職場だと改めて感じたことだった。


明日はあしたの風が吹くだろう。

「思い煩うことなかれ」何事もなるようになるだろう。



2022年06月08日(水) だるまさんころんだ

夕食後めいちゃんの姿が見えないなと思っていたら

土手の道でまあちゃんと遊んでいる姿が見えた。

「だるまさんころんだ」と声が聴こえている。

きゃあきゃあと楽しそうな声に思わず微笑まずにいられない。

夕陽は微かに西の空を茜色に染めつつ沈もうとしている。

燕の親鳥が巣に帰って来た。めいちゃんもそろそろお帰りなさい。





同僚が白内障の手術のため今日から2泊3日の入院。

その間やむなく職場は臨時休業となった。

私は決算処理の事務仕事等があり留守番がてら出勤していた。

義父は相変わらずの農作業で本業はそっちのけである。

幸いと云うべきか来客は無くなんとか一日をしのぐ。

けれども義父の経営者としての自覚をつい問いたくなる。

暗黙の了解と呼ぶにはいささか理不尽にも思えるのだった。

とにかく農作業に夢中になっている義父は大きな子供のようでもある。

とことん好きなようにやらせてあげるのが一番なのだろう。


かつては母との諍いが絶えなかった。

母は義父が農業に精を出すのをとても憤慨していて

事あることに目くじらを立てて嫌味ばかり口にしていたものだった。

お客さんから「本業を捨てたらいかん」と云われたせいもあるだろう。

その頃は私も同じ考えだったけれど決して口出しは出来なかった。

はらはらとしながら見守っていた事も今ではとても懐かしい。


稲作には全くの無知である私があれこれと訊くと

まってましたとばかりに義父は色んなことを教えてくれる。

それは嬉しそうな顔をして、私を協力者として認めているのだろう。


義父を決して不機嫌にしてはいけない。

それは少なからずストレスになってしまうけれど

笑顔の義父を見ているとほんとうに救われたような気分になる。

なさぬ仲ではあるけれど少しは娘らしくなったのだろうか。



2022年06月07日(火) くちなし

6月とは思えない程の青空。そうして爽やかな風が吹く。

梅雨入り前だからこそのこと。今が一番好きな季節かもしれない。

見わたせば紫陽花ばかりではない。くちなしの花も咲いている。

立葵の花も。今朝は桔梗が咲いているのを見つけて嬉しかった。


「くちなし」あれは16歳の頃だったろうか。

同じ文芸部に所属していた友人の律子が詩を書いていたのを思い出す。

残念なことにどんな詩だったのかは思い出せないのだけれど

とても繊細な詩で私にはとうてい書けそうにない詩だったことは憶えている。

憧れと同時に嫉妬も感じた。それは律子の純真さそのものだったのだろう。

50年の歳月が流れようとしている。律子は今でも詩を書いているだろうか。





めいちゃんがスマホデビューしてから3日が経った。

キッズ用のスマホかと思えば大人用を買い与えたらしい。

まだ2年生であまりにも早過ぎるのではと思ったけれど

娘夫婦にも考えがあってのことらしく口出しは出来なかった。

早速私の番号も登録してくれて「おばあちゃん」と表示されている。

私もすでに3回程かけてしまった。隣室に居てもかけてしまうのだ。

なんとなく声が聴きたくなる。「もしもしなあに?」が聴きたい。


あやちゃんも欲しがるのではないかと思っていたけれど

今は未だ必要ないとのこと。決して我慢をしている風には見えない。

その代わり家の電話はもはやあやちゃん専用となっている。

不審な番号からの電話には出ず友達の番号は登録してある。

鳴ったらすぐ出られるように子機を勉強机に置いてあるのだった。


それにしても便利な世の中になったものだ。

5年後10年後を思うとなんだか怖ろしくなってしまう。

SNSでいじめとか今も問題になっているけれど

なんとしても子供を守ってやらなくてはいけない。




2022年06月06日(月) 男の涙

午後には青空が見え始め爽やかな風が吹く。

二十四節気の「芒種」であったけれど

稲はもうとっくに田に植えられており季節感を感じられない。

特に高知は早場米の産地であり田植えも稲刈りも早かった。

昔の人は芒種の頃に種もみを撒き稲作を始めたのであろう。

次の節気は「夏至」となり本格的な夏の訪れがやって来る。


すっかり稲作農家となってしまった義父は畦の草刈りに追われ

今日は異常発生したタニシを退治していたようだ。

78歳とは思えない働きぶりで目は生き生きと輝いている。







下校時から2時間程けい君を預かっていたのだけれど

二階の子供部屋へ上がろうとして階段を踏み外してしまったようだ。

いわゆる「弁慶の泣き所」を強く打ったらしく大声で泣きじゃくる。

まるでこれまでの我慢が爆発したような泣きっぷりであった。

最初には「泣きたいだけ泣かせてやれ」とは云ったものの

挙句には「男だろ、いいかげんにせよ」と叱られてしまった。

そうしたらあやちゃんが「それは差別やけん」と仲裁に入る。

痛い時は誰も同じ。それに男女の区別は在ってはならないのだ。


気分転換にとあやちゃんがタブレットを貸してくれた。

自分も遊びたかっただろうになんと優しいことだろう。

おかげで5分もしないうちにけい君は笑顔になっていた。


母親と離れて2ヵ月になろうとしている。

その間一度も泣き言も云わずどれほど耐えて来たことだろうか。

今日の涙はまるでそのご褒美のようにも思われた。



2022年06月05日(日) なんとなく好き

3時頃からぽつぽつと雨が降り始めた。

今夜から明日の朝にかけて本降りになりそうである。

今はまだ静かな雨音を聴きながらこれを記し始めた。

雨だれの音が耳に心地よい。私までもこぼれ落ちてしまいそうだ。

そこは何処だろう。不安がってばかりいてはいけないと思う。


田辺聖子の「おかあさん疲れたよ」を読了。

図書館で借りた時にはてっきり自叙伝的な小説だと思い込んでいたけれど

読んでみれば夫と妻のそれぞれの恋心のような想いが描かれていた。

はっきり言って私には無縁の物語のように思えたけれど

意に反して感情移入してしまい読後感がとてもせつなく胸に沁みた。

尾を引きながらもきっぱりと断ち切るような潔さも感じられる。


最後に恋をしたのはいつのことだったか。

まだ40代の女盛りだった頃は死ぬまで恋をしていたいと思っていた。

そんな情熱も年を重ねるごとに薄れてしまったようだ。

人間的に惹かれる人はいても恋には結びつかない。

男だとか女だとかに拘るのもまっぴら御免だと思うのだ。

女として見られるのもひどく嫌悪感を感じるようになった。

出来れば「ニンゲン」として見て欲しいと願ってやまない。


恋するせつなさ。胸のときめき。涙もあれば苦しさもある。

私はそんなあれこれからすでに解放されているのだと思う。

生きることに精一杯でわき目を振る暇もない程に忙しい。

縁は確かにあるけれどそれはあくまでも魂の出会いであろう。

「なんとなく好き」そんな言葉でひとくくりにしてしまいたい。


去る者は追わず来る者は拒まずが信条ではあるけれど

私を女だと思って近づこうとする人は断固として拒否したい。

そうして人間関係をまあるく納めていくのが私の理想である。


もう恋なんてするつもりはない。

たとえ死ぬまで女だったとしても。






2022年06月04日(土) 暗闇でこそ光る

3時頃から曇り空となり夕陽が見えない。

土手のチガヤの白い穂が真っ直ぐに立っており

無風状態の夕暮れ時となったようだ。

明日は雨とのこと。梅雨入りも近いことだろう。

やはり来るべき季節が来ないとなんとなく落ち着かないものだ。


朝のうちにカーブスへ行っていたけれど

相変わらずの足の痛みで心から愉しめない。

毎週行く度に足の痛みを訴えているにも関わらず

新人コーチは忘れている様子でとても心もとない。

股関節だと伝えていたのに今日は「膝ですか?」と訊かれた。

うまく意思疎通が出来兼ねるけれど続けるしかないだろう。

カーブスはリハビリにも似て病院に通っているようなものだった。

通い始めてちょうど一年。体重10キロ減、ウエスト14センチ減。

その成果は自分にとって大きな励みとなっている。



午後、お葬式から帰って来たじいちゃんが「あっけないもんやな」と。

あっけらかんとしているようでやはりショックだったのだろう。

二人でしばし故人の思い出話をしたりしていた。

可愛い盛りのお孫さんが4人。どんなにか生きたかったことだろう。

口にこそ出さないけれど明日は我が身のことでもあった。


私は臆病者であるから死ぬのが怖くてたまらない。

不治の病なら覚悟は出来るけれどある日突然もあり得る。

睡眠中によく自分が死んだ夢を見ることがあるのだけれど

「あっ、死んだ」と思う。そんな風に些細なことなのだろうか。

魂は暗闇でこそ光を放つらしい。それは希望に他らない。

生きたかったひとの分まで生き抜いてみせなければいけないのだ。



2022年06月03日(金) 懐かしい風

先ほどまで西日が射し込んでいたせいか室温が31℃もある。

夕風が涼しくはあるけれどお風呂上がりの汗が引かず

扇風機を回している。彼女は忙しなく首を左右に振り続けているばかり。

物心ついた時分から扇風機はあったけれど

母はよく団扇を使うことが多かった。お昼寝の時などそれは優しく

まるで母の手そのもののように撫でられているような気がしたものだ。

今では団扇を使うことなど無くなりただただ懐かしい風となった。





昨夜じいちゃんの友人が亡くなり今夜はお通夜だった。

気さくで明るい人だったので一気に寂しさがつのる。

水道屋さんの仕事をしていたので我が家もよくお世話になった。

最後に会ったのは昨年の秋だったか、「もう俺はいかんぜ」と

半ば冗談のように嘆いていたけれどやはり病魔に勝てなかったようだ。

覚悟はしていてもあまりにもあっけない最期に胸が詰まる。


お通夜から帰って来たじいちゃんも気落ちしているだろうと思えば

なんとあっけらかんとしていて「先に逝ってしもうた」と平然としている。

彼は私のようにくよくよと思い詰める性格ではない。

自分もやがてその時が来るだろうと達観しているようであった。

明日は我が身だとは思わないのだ。その時はその時のことなのである。

私はそんな彼を尊敬してやまない。まるで人生の師のようでもあった。


生きている限り死は免れない現実だと思う。

私は必死の思いで命にしがみついているけれど愚かなことなのだろうか。

何かひとつでも手放すものがあるのかもしれない。

それが分からないままただただ明日の扉を開こうとしている。



2022年06月02日(木) オムライス

土手の道を夕散歩している人の姿が見える。

よちよち歩きの幼子もいて微笑ましい光景である。

午後7時。まだ空は明るく微かに西の空が茜色に染まった頃。

私はぽつねんと窓辺に佇んでいてこれを記し始めた。


何か無性に書きたいことがあるような気がしてならないのだけれど

もどかしさばかりが勝ってうまくきっかけが掴めずにいる。

それはきっとすらすらとは言葉に出来ないことなのだろう。

記憶は時に残酷であり古傷を晒そうとするのだった。

振り返ってはいけないのかもしれない。今はそう思うことにしよう。





あやちゃんのリクエストで今夜はオムライスだった。

我が家のそれは大皿に盛りつけた巨大なオムライスで

それぞれが食べたい分だけ取り分けるのだった。

実は私も大好きなのだけれどひたすら我慢する。

炭水化物を控えるようになって一年が経ち

10キロの減量に成功したその努力を讃えてやりたい。

ストレスになっているかと問えばそうでもなく

もう慣れてしまったようだ。胃も小さくなったのだろう。

今夜も鰹のお刺身とお豆腐でお腹がいっぱいになった。

とにかくたんぱく質を多く摂り筋肉を作らなければいけない。

筋肉が付けば足の痛みも和らぐだろうと信じているのだった。


炭水化物を全く摂らないと云う訳ではない。

先日のように丼ご飯を食べたりラーメンを食べる時もある。

それは自分にとってのご褒美のようなものではないだろうか。



ここまで書いて我ながらなんとつまらない日記だろうと思う。

少しめげている。こんなはずではなかったと後悔もしている。

書いた後の後味が悪いのだ。少しも「書いた」気がしない。

題名も思いつかない。「オムライス」にするしかないだろう。

どうやら私は大きな壁にぶつかってしまったようだ。



2022年06月01日(水) 灰色の夏

夕風が心地よい。茜色の空を仰ぎながらこれを記し始めた。

時々むなしくなる。「こんなものを」と自分を卑下したくなる。

それでも書かずにいられないのは微かな自尊心だろうか。

いや、そんな大それたことではなくただしがみついているだけかもしれない。

見苦しい時もあるだろう。それはなんの感慨もない駄文にも等しい。



仕事で経理ソフトの入力をしていてはっと驚いたことがあった。

売上元帳に顧客名の苗字を入れたら何人かの名前が表れて

その中に青春時代の忘れられないひとの名前があったのだった。

以前に検索したことがあってPCが記憶していたのだろう。

個人情報に関わることだけれど住所と電話番号が表記されていた。


高校卒業後大学に進学しそのまま都会暮らしをしていると思っていたけれど

故郷に帰って来ていることを知ったのだった。

そのことを知れただけで充分に思う。もちろん電話などするつもりはない。

ただ消息を知りたかった。知ったからといえ何も変わらないけれど。

朧げな現在の姿が見えたような気がしてほっとしたのだった。


最後に会ったのは47年も昔の夏のことである。

彼は白いTシャツにジーンズ姿で懐かしそうに笑顔を見せていた。

けれども私はその笑顔に応えることが出来なかった。

もう一度やり直すことなどどうして出来ただろうか。

話もろくにしないまま私は逃げるようにその場を去った。

その時の彼の途惑った顔を今でもはっきりと憶えている。

確かなのはその時すでに私の青春は終わっていたのだろう。

それほど儚いものなのだ。青い春などではない。灰色の夏のことだ。


66歳になった彼のことなど想像もつかないけれど

私の心の中には最後に会った19歳の彼がずっと佇んでいる。


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