5月もとうとう晦日。あっという間に日々が流れた。
なんだか春の日に忘れ物をしたような気がする。
もう初夏と思えば尚更のことで引き返すことは出来ないけれど
背中を押されるようにまた歩み出して行かなければならない。
生きて在ればこそと思う。私にもきっと未来があるだろう。
息子が準夜勤のため下校時からけい君を預かっている。
10時には仕事を終えるけれど夕飯やお風呂や
さすがにマンションへ独りで置いておくわけにはいかない。
夜中に連れて帰るのも可哀想で今夜は我が家に泊まることになった。
臨機応変にと思う。また独りで夜を明かす日もあるだろう。
今日は気のせいかもしれないけれどなんとなく大人びた様子。
日に日に成長しているのだなと感慨深く思った。
「もう2、3年だな」とじいちゃんが呟く。
祖父母に頼ることもなくなり少年として「自立」するかもしれない。
それはそれで寂しいけれどきっと逞しくなることだろう。
私達はそんなけい君をあたたかく見守ってやらなければいけない。
過去を辿れば私も少女として「自立」していたのだと思う。
大人に頼ることもせず泣き言も言わなかった。
母親が居ない現実をしっかりと受け止めていたし
まして母に会いたいなどとはつゆとも思ってなどいなかった。
それほどの強い精神力があったのかはさだかではないけれど
「おかげさま」で少女から大人になれたのかもしれない。
青春時代の傷も今思えば勲章のように感じられる。
取り返しのつかない罪も「覚悟」として胸に刻み込んでいる。
あとは与えられたいのちを全うするだけではないだろうか。
けい君の未来にこの先何が待っているのか知る由もないけれど
彼はきっとどんな困難も乗り越えるのではないだろうか。
傷つくこともあるだろう。寂しくてたまらない日も。
それでも歯を食いしばって未来の自分に会いに行くのに違いない。
雨のち曇り。本降りの雨となり田畑には恵みの雨になったようだ。
気温は昨日よりも10℃近く低くなりずいぶんと肌寒い。
体調は悪くはないけれど頭痛が少し。気圧のせいかもしれない。
そんな些細なことが不安になり死が頭を過る。
くも膜下出血で亡くなった友人の顔が目に浮かんでならなかった。
死んだら魂はそして意識はいったいどうなってしまうのだろう。
谷川俊太郎のエッセイを読んでいたら
「もう生きていた頃のことはさっぱり忘れ死んだことに熱中しよう」と
書いてあった。なんだかとてもすっきりとして気分が晴れていく。
たかが頭痛くらいでくよくよと思い詰めることもないだろう。
雨にも関わらず来客の多い一日だった。
お昼前にはロージーが「ワタシパンクネ」と来てくれる。
先客があったのでしばらく待たせてしまったけれど
「ジャストモーメント」で良かったのか「オッケイ」と微笑んでくれた。
待ち時間に家庭菜園の話をした。「トメイト植えた?」と訊けば
「モウニョキニョキヨ」と今日の雨を喜んでいるようだった。
以前はご主人の通訳なしでは会話も出来なかったけれど
ロージーの日本語は凄まじく上達している。
私の英会話はまるで駄目だけれど会話が出来るのがとても楽しかった。
領収証を切る時もまた愉快。私がローマ字でPANKと書いたら
「ノーノー、パンクティよ」と英語の綴りまで教えてくれた。
その綴りをもう忘れてしまってここに記せないのは少し残念である。
そんなこんなで仕事は楽しくてならない。
来客が多いほど私のテンションも高くなるのである。
若ければもっともっとと思うことだろう。
けれども未だゴールが見えない限り私は走り続けるのに違いない。
快晴ではなかったけれど夏らしい陽射し。
全国的に気温が高くなり猛暑日になった所もあったようだ。
涼しい夕風を期待していたけれど無風状態となり
堪りかねてついに扇風機を出してしまった。
今日はあやちゃんのお友達の誕生日会を我が家でするそうで
邪魔にならないようにとじいちゃんとドライブに出掛けていた。
四万十町で昼食を摂り大正、十和、江川崎経由で帰って来る。
四万十川を見渡せる絶好のドライブコースであったけれど
水量がとても少なく最後の清流には程遠く感じられた。
GWには大勢の観光客で賑わっていた沈下橋もひっそりと佇む。
昼食は「お好み焼き定食」を楽しみにしていたのだけれど
人手不足でお好み焼きを焼くことが出来ないとのこと
仕方なく「焼肉定食」」にしたらじいちゃんの苦手なピーマンが入っていた。
我慢しながら食べている様子は少し憐れでもあった。
定食にはミニうどんが付いていてご飯はなんと丼にてんこ盛り。
さすがに残す訳にはいかず頑張って完食したけれどお腹が破裂しそう。
普段は白米を殆ど食べないのでひと月分位食べたような気がした。
満腹になるとすぐに睡魔が襲って来る。
助手席でうとうとする私をじいちゃんは決して咎めない。
「寝ていろや」と言ってくれるけれど後ろめたさも少しはある。
はっとしたように目覚めてはしゃべりまたうとうとするばかり。
帰宅したら誕生日会の真っ最中でなんとにぎやかなこと。
二階には上がらず茶の間で録画してあった「ポツンと一軒家」を見る。
愛媛と高知の県境だそうで何処だろうととても興味深かった。
90歳の現役農家の逞しいおじいちゃんが義父の姿と重なる。
義父もきっと長生きをして90歳になってもばりばり働いているだろう。
娘むこは今日は釣り。キスを5匹ほど釣って来ていた。
ここいらではキスとは言わず「キスゴ」と呼ぶ。
三枚におろして天ぷら。骨も「骨せんべい」にして食べられる。
昨日の貝類もまだ残っており今夜もおうち居酒屋となった。
幸せだなと思う。それはすべてが「仕合せ」に他ならない。
晴れのち曇り。日中は少し蒸し暑さを感じる。
我が家ではまだ炬燵や温風ヒーターを置いて在り
そろそろ片づけて扇風機を出すべきではないだろうか。
これも家事を疎かにしている証拠であった。
何事に対しても思うだけで行動力は廃れるばかりである。
けい君は無事に独りで一夜を明かしたようだった。
いや、猫を飼っているので独りぼっちではなかったのか。
それにしてもよく頑張ったものだと感動すら覚える。
きっと大きな自信に繋がったのだと思う。「えらかったよけい君」
午後、あやちゃんとめいちゃんのお友達が遊びに来てくれて
賑やかになるかなと思っていたけれどそうでもなかった。
私は本も読めたしお昼寝もちゃんと出来たのだった。
お友達のお家は農家で新生姜とピーマンを持って来てくれる。
お野菜を頂くのはほんとうに有難く嬉しいことである。
早朝から仕事に行っていた娘むこが早めに仕事を終えられたそうで
素潜り漁でそれは沢山の貝類を獲って帰って来た。
牡蠣、ナガレコ、ニガニシ。牡蠣はもちろん分かるはずだけれど
ナガレコはトコブシのこと。ニガニシはどう説明したら良いか
少し苦みのある貝だけれどそれが癖になる美味しい貝だった。
他人様から見たらなんと豪華な食卓であろうか。
いや「おかず」ではなくすべてビールの友、「酒の肴」である。
男たちに加わり娘までもまるで居酒屋さんのような有り様であった。
食卓が笑顔でいっぱいになる。私はそんな家族の顔を見るのが好きだ。
孫たちは「鶏の唐揚げ定食」あやちゃんはご飯のお代わりをする。
鶏肉は午前中から下味を付けてありよく浸みており美味しかった。
「おばあの唐揚げは日本一」と褒められれば私も悦に入るのである。
平日には出来ないので週末にはよく作ることが多い。
私もやれば出来るのだけれど普段は手抜き料理ばかりだった。
気がつけばだらだらと書き綴りどうでも良いのような日記になってしまった。
こんな日記でも読んで下さる方々が居てくれてどれほど励みになっているか。
改めて感謝の気持ちを伝えたいと思う。ほんとうに有難いこと。
こころはいつも揺れ続けている。
風に吹かれたり波にもまれたりしながら
それでも凛と立ち尽くす日もきっとあるだろう。
雨あがりの晴天。爽やかな風のおかげで暑さを感じずに済む。
紫陽花の花が少しずつ色づき始めている。
気になるのは去年の花が化石のように残っていること。
それはいつの間にか消えてしまうけれど
いったいどんな仕組みになっているのだろうと不思議でならない。
枯れても散れない花はなんと切ないことだろうか。
さて、昨夜のけい君とじいちゃんのこと。
まるで怒り合いの喧嘩をしているように見えたのだけれど
就寝前には二人が肩を並べて歯磨きをしていた。
どうやらまるく納まったらしい。私もほっとして床に就いたのだった。
今朝はけい君のあどけない寝顔を見ながら目頭が熱くなった。
甘やかすのは確かに良くないけれどこの子に何の罪があるのだろう。
余程のことが無い限りきつく叱ってはいけないと思ったのだった。
今夜も息子が深夜勤のため預かることになっていたのだけれど
息子から連絡がありけい君を独りで寝させてみると言うので驚く。
けい君も「だいじょうぶ」と健気に頷いているらしい。
それだけ成長した証拠かもしれないけれどやはり心配でならない。
何もなければ良いけれど地震でもあったらと不吉なことが頭を過る。
明日は学校も休みだし息子も早朝には帰宅するらしい。
息子も考えてのことだろう。まるで我が子を試すかのように。
我慢と辛抱の上にまた大きな試練を与えようとしている。
優しい?じいちゃんがマンションへ泊りに行こうかと連絡をしたら
「来なくていい」とけい君が言ったそうだ。
「けい君なかなか言うな」ちょっと愉快な気分になってきた。
梅雨入りを思わすような雨が降っている。
真っ直ぐで素直な雨である。正直なのかもしれない。
純真なのかもしれない。決して荒れすさんではいないのである。
落ちる場所を見失ってはいない。とにかくそのような雨なのである。
下校時からそのままけい君を預かっているのだけれど
夕食後、茶の間でじいちゃんに叱られたらしく
鉛筆を投げたりランドセルを蹴ったりと
ひどい怒りようで手が付けられない有り様だった。
「鬱憤」というものが子供にもあるのだろう。
その矛先を何処に向ければ良いのか途惑っているようだった。
「おまえはいいからさっさと二階へ行け」と言われて
こうしていつものようにこれを記しているのだけれど
はらはらとするばかりでどうにも落ち着かない。
男同士でケリを付けるつもりなのだろう。
それにしてもどちらかが折れないと治まりそうにない。
じいちゃんはいつまでも尾を引く性格ではないけれど
けい君はどうなのだろう。根に持つ性格なのだろうか。
まだにわか暮しのことでよく理解が出来ないのであった。
「おじいちゃんはけい君が大好きながやけん」と言ったら
「ぼくは大きらい!」と鬱憤はまだまだ彷徨っているようだ。
「けい君を守ってあげんといかんろ」とじいちゃんに言えば
「甘やかしたらいかんぞ!」とこれもまた凄い剣幕なのである。
どうやら私の出る幕は無さそうでもう口出しは出来なかった。
雨音が激しくなってきた。今夜はどれほどの雨になるのだろう。
素直なはずの雨が風を伴い荒れ狂うのかもしれない。
けれども明日は爽やかな青空が広がるのだそうだ。
連日の夏日。蒸し暑さはなく初夏らしさをたのしむ。
明日は雨だそうで一気に気温が下がりそうだ。
梅雨入りも近いことだろう。季節はもう後戻りできない。
田辺聖子の「楽老抄」を読んでいてずいぶんと励まされる。
どうしようもなく老いて行くけれど嘆いてはいられない。
せつなくてならなかったけれど哀しんでばかりいてどうする。
田辺聖子風に言うと「あほとちゃうか」と笑い飛ばしてしまいそう。
ここ数日母からの着信が多く少し途惑っている。
それは先日亡くなってしまった母の友人の妹さんのことを
つい口を滑らせて母に話してしまったからだった。
知らないままでいたほうがどれほど母の為だったか
今さら後悔しても遅いけれどずっと秘密にしておくべきだったのだろう。
母はそれ以来ずっとその妹さんのことを考えているらしい。
「どうして死んだんやろうね?」と何度も私に訊ねる。
「分からんよ知らんよ」とそのたびに応えるしかなかった。
病死なら諦めもつくだろう。母もそれほど心を痛めなかったかもしれない。
「さびしくてたまらない」母の言葉が私の胸を刺すばかりだった。
老いれば老いるほど死は身近になってくる。
与えられた命を全うしてこそ「生きた」と言えるのだろう。
自ら命を絶つことは「生きられなかった」としか言いようがない。
もしかしたら母は悔しくてならないのかもしれない。
残念でならずなんとかして自分の気持ちを宥めようとしている。
そんな母に寄り添っていてあげなくてはと改めて思うのだった。
「あほは死なななおらへん」田辺聖子は決してそう言わない。
「生きてこそなんぼのもんや」胸を張ってそう言うだろう。
2022年05月24日(火) |
喉元過ぎれば熱さを忘れる |
最高気温が28℃まで上がりもう少しで真夏日になるところだった。
今日も爽やかな風が吹き気温のわりに過ごしやすい一日となる。
朝の山道でとんだ失態。目から火が出るように恥ずかしかった。
道端の草むらにお遍路さんがうずくまっており
てっきり体調でも悪いのではないかと「大丈夫ですか?」と声をかけた。
そうしたら顔を上げたお遍路さんが「すみません」と頻りに謝るのだ。
一瞬どうして謝るのだろうと不思議に思ったのだけれど
すぐにズボンを下ろした下半身が見えて事情が分かったのだった。
謝らなければいけないのは私の方でお遍路さんに罪は無い。
急な便意に堪えきれず草むらに走り込んだのであろう。
まだ若い青年だった。気づかぬふりをして通り過ぎであげるべきだった。
私も恥ずかしかったけれどお遍路さんもどんなにか恥ずかしかったことか。
むやみに声を掛けてはいけない。けれどもこれも縁なのかもしれない。
その青年の顔がはっきりと目に浮かび旅の無事を祈らずにいられない。
職場ではちょっとしたハプニングがあった。
義父がネット販売で注文した商品が10日たっても未だ届かず
そのサイトの会社情報を調べ確認の電話を掛けてみたのだった。
そうしたら先週あたりから何件かの苦情が舞い込んでいるとのこと。
注文した商品は扱っておらず全く架空のサイトであり
「会社情報」を悪用されその会社も被害者なのだと言われた。
代金はすでに送金してあり事実上の詐欺被害に遭ったことになる。
その会社の社長さん自ら警察に被害届を出すようにと進言してくれた。
けれども大した金額ではないので義父は苦笑いしながら諦めると言う。
ネットで何でも買える時代だからこそこんな落し穴があるのだろう。
義父の衝動買いを戒める良い機会になったと思いたい。
朝からあれこれとあったけれど喉元過ぎれば熱さを忘れる。
家に帰れば穏やかな日常のことが待っていてくれる。
ただ今日の市内の感染者数が過去最多だったことには驚愕が走った。
一日も早くコロナが治まってくれることを願ってやまない。
快晴ではなかったけれど27℃と気温が高くなる。
幸い蒸し暑さは感じず過ごしやすい一日だった。
吹き抜ける風が心地よい。南風だったのだろうか。
山里に居ると北も南も分からなくて周りは新緑の山ばかり。
今朝はめいちゃんが頭痛を訴え朝食を食べようとしない。
集団登校に間に合わず私が出勤する時間までぐずぐずしていた。
後ろ髪を引かれるように先に家を出たのだけれど
後からじいちゃんから電話がありなんとあやちゃんも一緒に休んだそう。
とにかく少しでも早く帰って来て欲しいと困り果てたような声だった。
仕事を定時で終らせてもらって急いで帰宅すると
茶の間から聴こえるのは二人のはしゃぎ声であった。
めいちゃんに「あたまは?」と訊くと「もうなおった」と言う。
あやちゃんは妹が心配なので学校を休んだのだと言い張る。
仮病とずる休みと決めつけるのはあまりにも可哀想だろうか。
娘は察していたらしく出掛けにタブレットを取り上げていたらしい。
それも銀行の貸金庫に預けるとあやちゃんに告げたらしかった。
あやちゃんはそれを信じ込んでいて仕方なく諦めていたようだ。
退屈と言ってしまえばさすがに後ろめたさを感じたのだろう
ずっと茶の間に居てじいちゃんの側を離れなかったのだそうだ。
それから二人は洗濯物をたたむのを手伝ってくれる。
あやちゃんはお風呂掃除もしてくれた。
夕飯の支度も手伝ってくれて随分と助けてくれた。
めいちゃんは食後の食器洗いを率先してやってくれたのだった。
めいちゃんのお友達から手紙が届いていて
「はやくげんきになってね」「またいっしょにあそぼうね」と。
私はそれを読んで涙が出た。めいちゃんはどんな気持ちだったのだろう。
今朝は私も心配したけれどお友達もみんな心配してくれていたのだ。
頭痛は決して嘘ではなかったのかもしれない。
そう信じてあげなければめいちゃんの立場が無くなってしまう。
遅くなって帰宅した娘が隠していたタブレットを取り出してくれた。
お手伝いをいっぱいしてくれたのだものそれはご褒美に他ならない。
めいちゃんはともかくとしてあやちゃんはどれほど後ろめたかったことか。
それを身をもって感じた貴重な一日だったのかもしれない。
朝の肌寒さもつかの間、日中は汗ばむ程の陽気となる。
朝のうちにやっとお大師堂へ。随分と久しぶりのこと。
やはり花枝(シキビ)がもう限界だったようで
葉が落ちかけているのを新しく活け替える。
シキビの艶やかな新芽がとても清々しく感じた。
私以外にそれをする者はいない。ささやかな任務なのだろう。
息子が早出出勤だったので6時半にはけい君を連れて来ていた。
昨日からじいちゃんと相談していて今日は何処かに出掛けようかと。
家に居るとどうしても二階に入りびたりになってしまうので
娘達に迷惑をかけてしまう。それだけは避けたかった。
「ドライブに行こうか」幸いけい君も素直に喜んでくれる。
じいちゃんの提案で西へ。宿毛市から愛媛の津島町まで。
間寛平の生まれ故郷の楠山を過ぎ坂本ダム経由で県境を越す。
けい君にとっては生まれて初めての愛媛県だったようだ。
道路標識を見ながら「えひめ県や!」と嬉しそうに叫んでいた。
山道ばかりで子供の遊び場などなかったけれど
松田川のせせらぎ。何よりも新緑の山々が目に眩しかった。
特に目を瞠ったのは大きな栴檀の木でそれは見事な薄紫の花。
「せんだん分かる?」と訊けば首を傾げるけい君であったけれど。
自然の風景に触れることで大いに気分転換が出来たのではないだろうか。
お昼時を過ぎてしまいやっと帰り道の宿毛市郊外のレストランへ。
私達はお手軽にラーメンセットを頼んだけれど
けい君はピザが食べたいと言う。てっきり冷凍ピザだろうと思っていたら
随分と待たされてそれは思いがけずに手作りピザだったらしい。
私達が食べ終えてもけい君のピザは運ばれて来なかった。
時刻は1時半を過ぎており空腹に悶えるけい君はちょっと愉快。
またまた辛抱と我慢に耐え忍ぶ姿に試練を垣間見たのだった。
乗り越えてこそのご満悦。ピザはとても美味しかったようだ。
ささやかな一日だったけれどけい君はまた少し成長したのかもしれない。
2022年05月21日(土) |
生きてさえいてくれれば |
二十四節気の「小満」あらゆるいのちが満ち満ちていく頃。
道端の雑草にもいのちがあることを忘れてはならない。
小雨が降ったりで生憎の天気だったけれど今は茜色の空が見えている。
黄昏ていく景色の中に鳥たちのさえずりも聴こえのどかな夕暮れ時となった。
息子が仕事だったためけい君を預かっていたけれど
娘達は出掛けておりあやちゃんもめいちゃんも居ない。
それでも寂しがりもせずよく辛抱したものだと思う。
息子が「おかあさんのところに遊びに行くか?」と訊いたけれど
けい君は笑顔を見せず首を横に振るばかりだった。
ちいさな心が葛藤しているのを感じられ不憫でならなかった。
そういえば弟もそうだったと遠い昔の記憶が蘇って来る。
小学4年生だったから今のけい君とほほ同年代だった。
弟も涙ひとつ見せず必死の思いで耐えていたのだと思う。
それは私も同じだったけれど男の子は特に母親を恋しがるものだった。
父も姉である私も母の代わりにはなれなかっただろう。
けれども弟は家族に甘えることもせず立派に成長して行ったのだった。
それがどれほどの大きな試練だったか今更ながらに感慨深く思う。
けい君は決して母親に捨てられたのではない。
ただ母親と一緒に暮らせない現実を受けとめようとしているのだろう。
生きてさえいてくれればと私も弟もどんなにか願ったことだろう。
今思えばながい人生のほんの一部分の些細なことだったかもしれない。
2022年05月20日(金) |
花は咲く時を知っている |
曇り日。昨日に比べると随分と涼しい。
栴檀の木に薄紫の花が咲いているのを見つけた。
季節は確かに初夏であり春が遠ざかったことを感じる。
自然の営みのなんと健気なことだろう。
逆らうこともせずにいて素直に順応しているのだった。
たとえ寒暖の差があろうと風雨に晒されようと花はじっと耐えている。
一晩ぐっすりと寝てしまえば今朝は嘘のように体調が良くなっていた。
元気溌剌とはいかないまでもそろりそろりと動き出す。
幸いと言って良いのか仕事もさほど忙しくはなく
明日は休みを頂くことにして定時で終らせてもらった。
今夜はけい君の心配もなくなんだか肩の荷が下りたよう。
やはり娘達に気兼ねし過ぎて気疲れが出ていたのかもしれない。
それではこの先が思いやられるばかりでいけないなと思っている。
神経が過敏になり酷く緊張する。時には焦りまくる時もある。
もっと大らかにど〜んと構えていなくては身が持たないだろう。
とにかく一日も早く慣れることだ。それがけい君の為にもなる。
もちろんくたばるわけにはいかない。元気でいなければいけない。
あやちゃんがとても優しくてほろりと涙が出そうだった。
今夜も「けい君は?」と心配そうに訊いてくれる。
けい君もあやちゃんとゲームをして遊ぶことが多く
姉のように慕っているふうで微笑ましい二人だった。
一人っ子のけい君にとってそれがどれほど嬉しいことだろうか。
今日は母親であるお嫁さんの朗報も舞い込む。
決して悪いことばかりではないと改めて未来に思いを馳せている。
花は咲く時を知っている。それはその季節にふさわしい人生のように。
快晴ではなかったけれど初夏らしい一日。
最高気温も27℃まで上がり少し汗ばむ程だった。
寒暖差が身体に堪えているのか少し体調が悪くなる。
血圧は正常なのだけれど首が重くリンパ腺が張って痛んだ。
我慢しきれなくなり職場でバファリンを飲みなんとかやり過ごす。
カーブスへ通い始めてそろそろ一年。肩凝りとは無縁になっていただけに
どうして?と不可解でならず途惑うばかりであった。
決して楽天家ではないものだから「なんのこれしき」とは思えない。
ついつい気分が沈んでしまってくよくよとしてしまうのだった。
役場の駐車場でお客さんに会ったら「景気が良さそうな顔しちょるね」と
私はきっと笑顔だったのだろう。自分では気づいていなかった。
咄嗟に「顔も商売よ」と笑い飛ばしていたのだった。
苦虫を噛み潰したような顔をしていたら本当に商売にはならない。
笑顔が売り物だとも言えよう。大安売りだよ寄ってらっしゃい。
悪く言えばポーカーフェイスだけれど自然な笑みは大切に思う。
笑う門にはどんどん福が押し寄せて来ることだろう。
バファリンが効いたのか午後には随分と楽になっていた。
それでもやはり不安になってぶり返したらどうしようと心配になる。
「その時はその時のことよ」と笑顔のままでいたいのだけれど。
夕方またそれが襲って来た。肩から首にかけて重く痛む。
情けないことにお風呂で髪も洗えなかった。
じいちゃんにサロンパスを貼ってもらって今はこれを記している。
「どうしてやろね」と嘆いたら「年のせいに決まっちょるやろ」と
笑い飛ばされたものだから「そっか、年のせいか」と納得した。
もっともっとあっけらかんと生きていけたらどんなに良いだろうか。
久しぶりに爽やかな晴天。気温も高くなり夏日となった。
山里にある「星ヶ丘公園」に睡蓮の花が咲き始めたそうだ。
毎年楽しみにしているのだけれど今年はなぜだろう
なんとなく足が遠のいてしまっている。
感動したくないのかときめきたくないのかよく分からないけれど
たんに行動力の欠如かもしれずしばらくそっとしてあげようかと思う。
気が向けば行けばよい。気が向かなければ今年は行かない。
お昼休みに母から着信アリ。車中でうたた寝をしていたせいか
私の機嫌はすこぶる悪かった。思わず「何?」と言ってしまう。
自分にも経験があるけれどけっこうグサッと胸に刺さるものだ。
母は特に用事があった訳でもなく話し相手が欲しかったのだろう。
それなのに私ときたら尖った声でツンツンするばかり。
「ごめんね」と母の声。もうすでに後悔しても遅かったようだ。
後から思ったことはもしかしたら虫の知らせではないかと
今夜母の身に異変が起こるのではないかと
いや母とは限らない私の身が危ういのかもしれない。
シヌノカワタシ。
考えだしたらきりがなく悪い事ばかりが頭を過るのだった。
そう思うならすぐに電話を掛け直せば良いのだけれど
後ろめたさが尾を引くばかりでこれもまた行動力が伴わない。
困ったものだとため息をつきながらこれを記している夜であった。
とにかく「ごめんね」と心をこめて謝ろう。
これを書き終わったらすぐに母に電話を掛けよう。
午後から薄っすらと陽射しがありやっと暖かくなる。
今朝は5月とは思えない肌寒さで少し戸惑っていた。
息子が夜勤の為下校時からけい君を預かっている。
二階の娘達の部屋には絶対に入ってはいけないと
けい君が納得するように言って聞かせたのだけれど
思うようには行かずはらはらとするばかり。
まだ8歳のけい君に「プライバシー」などと言っても通じる訳がない。
それでも必死の思いでいれば血圧が異常に高くなってしまった。
まるで戦時中の学童疎開のようなものである。
親戚の家ならまだしも他人の家に預けられた子供は
どんなにか肩身が狭かったことだろう。
歯を食いしばりながら耐えるしかない。甘える両親もいない。
泣きながら眠った夜も数え切れないのではないだろうか。
そんな思いをけい君にさせるわけにはいかなかった。
私達祖父母がいる限りなんとしても守ってあげなくてはならない。
けれどもまるく納めようとすればするほど空回りしてしまう。
これでもかというほど気を遣っているのだけれど
当のけい君はあっけらかんとしていて自由気ままに行動をするのだった。
今日は娘がそんな私達の苦悩を察してくれたのか
晩ご飯までは二階で遊んでもいいよと言ってくれて随分と助かった。
けれどもこれ以上は甘える訳にはいかないと思っている。
「まあいいか」と思ったら最後、きっと波風が立つ日がやって来る。
息子には口が裂けても言えない。どんなにか頼りに思っていることだろう。
疎開でも何でもない。息子にとっては私達が家族に他ならないのだ。
けい君は母親の退院を知っていて実家に居ることも息子が告げたそうだ。
それでもけい君は「おかあさんにあいたい」と未だ一言も口にしない。
なんと健気なことだろう。けい君の我慢と辛抱に頭が下がる思いである。
今けい君は茶の間で宿題をしている。
少しでも側にいてあげようと思う。急ぎ足でこの日記を記した。
曇り日。初夏らしさは何処へやら少し肌寒さを感じた。
最高気温が札幌と同じだったのにはさすがに驚く。
梅雨入りも間近に思われるけれど明日は陽射しがありそう。
また雨が続き始めたら今度こそ待ったなしとなることだろう。
職場は予定通りに臨時休業。お休みは有り難いけれど
日給月給の身にはいささか厳しく感じる複雑さであった。
日銭を絶たれることはけっこうなストレスとなる。
やはり貧乏暇なしがいちばんに思えてならない。
朝のうちに母の入居料を支払いに病院へ行く。
お世話になっているケアマネさんがすぐに駆け寄って来てくれて
タブレットを片手にちょうど私のSNSを閲覧していたのだそうだ。
花の写真をしきりに褒めてくれて母にも見せてくれると言う。
それは願ってもないことでとても嬉しくてならなかった。
ささやかではあるけれどこれからも母と繋がっていられるだろう。
次に向かったのは私の掛かりつけの病院であった。
医師との面談だけですぐに処方箋を貰えたけれど
薬局で一時間近く待たされ堪忍袋の緒が切れそうになる。
自分でも不思議なくらい苛々していて薬剤師さんを睨み付けていた。
私はそれほどに短気だったのだろうか。自分ではよく分からない。
どうやら残薬を持って行ったせいで手間をかけてしまったらしい。
少しでも薬代が安くなればと思っただけの浅はかな考えであった。
午後は図書館へ。けい君は読み終えていたけれどめいちゃんは未読。
今朝登校前に訊いたら「もう読まない」とそっけなく言う。
仕方なく返すことにしたけれどその絵本がやたらと気になった。
駐車場の車の中でその絵本を読んでみたらなんとも心が和む。
「しんぱいせんせい」という本で「だいじょうぶかな?」が口癖。
絵本に出て来る男の子はその言葉が大嫌いなのだそうだ。
自信はないけれど心配されたら子供はよけいに不安になるのだろう。
「きっとだいじょうぶ」男の子はずっとその言葉を待っていた。
めいちゃんだけではなくけい君にも読ませてあげたかった本であった。
人一倍心配性の私にもふさわしい一冊だったのではないだろうか。
曇り日。午後少しだけぽつぽつとにわか雨が降る。
陽射しがあるものと信じて大量の洗濯物を干していたのを
お隣の奥さんが声をかけてくれて大急ぎで取り入れたりした。
生乾きの洗濯物を乾燥機に入れると「お任せくださいね」と
幹太君のなんと頼りがいのあること。彼はとても逞しい助っ人だった。
息子が休みだったのでけい君の心配もなくのんびりと過ごす。
心の片隅でほっとしている自分がいて少し罪悪感を感じた。
先週の日曜日の一件がまだ尾を引いているらしい。
娘夫婦への気兼ねはまだまだこれからも続くことだろう。
波風を立てぬようになんとしてもまるく納めていかなければいけない。
お大師堂が気になりながらも今日も疎かにしてしまった。
信仰心も希薄になりそのうち見放されるかもしれない。
後ろめたい気持ちが募るばかりで行動が伴わないのだった。
ささやかな任務も放棄したに等しい。情けないことだと思うばかり。
かと言って不幸のどん底に突き落とされはしないのだろうか。
何事も心の持ちようなのだろう。信じるのは神でも仏でもない。
昨日買い求めた岡本真帆さんの歌集「水上バス浅草行き」を読んだけれど
心に響く短歌は一句も見つからなかった。
ポップ調でまるで言葉遊びをしているかのように感じられる。
どうやら若い世代向きで昭和世代には相応しくないようだった。
世の中の人が求めているものが何なのかよく分からない。
脚光を浴びた彼女は今後堂々と「歌人」を名乗ることだろう。
詩人でも歌人でもない私は所詮「名無し草」
けれどもそんな生き方もあってよしと思えるようになった。
やがては私も枯れ果てるだろう。
その時地に残った逞しい根を見つけてほしい。
昨夜は幸い大雨にはならず静かな朝を迎えた。
やがて雲ひとつない青空が広がりなんと爽やかなこと。
少し湿っぽくなっていた気分もずいぶんと明るくなった。
特に落ち込んではいないのだけれどなんとなく気分が塞ぐ時がある。
同僚が通院日の為、職場は臨時休業となった。
月曜日も高知市内の眼科に検査に行くとのことで休業を決めている。
来月早々に白内障の手術をするのだそうだ。
同僚の腕ひとつをどれ程頼りにしているか改めて思い知らされる。
60歳が近くなった彼の躰も日毎に不調が多くなって来ている。
職場は誰一人欠けることは出来ない。もちろん私も同等であった。
朝のうちに買物と久しぶりに本屋さんへ行く。
高知新聞に四万十市出身の岡本真帆さんの歌集が話題になっていて
驚いたのはずっとSNSで短歌を発信続けていたのだそうだ。
その短歌が出版社の目に留り歌集の発刊まで漕ぎつけたということ。
それは決して運に恵まれたのではなく才能あってのことだろう。
それだけ多くの人の心を惹きつけたのだろうと思う。
同じようにSNSで発信を続けている私にはまるで夢物語であった。
老いぼれの命にしがみつくような短歌に共感は無きに等しい。
自分がとても惨めに思えてならないけれど投げ出すことは出来ない。
最後の最期まで発信し続けようと自分の意志を貫きたいと思う。
名のある花の美しさより道端の雑草に咲く花が好きだ。
こんなところに咲いていたのかと立ち止まってくれる人もいるだろう。
けれども私は手折られることはない。
それは自分にいちばんふさわしい場所をすでに知っているからだ。
絶え間なく降り続く雨。予報では警戒級の大雨とされていたけれど
どうやら今夜から明日の未明にかけてのことらしい。
どれほどの大雨なのかそれは降ってみなければ分からない。
職場に棲みついている野良猫の「みーこ」が一日中工場に居た。
雨で散歩も出来ないのと人恋しさもあったのだろう。
名を呼べば近づいて来てごろりと仰向けになりお腹を見せる。
同僚がお腹を擦ってあげたらうっとりと気持ち良さそうにしていた。
もうすっかり看板猫になっておりお客さんにも可愛がってもらっている。
先日は三日ほど行方不明になっており皆で心配したことだった。
昨日の投身自殺をした人が母の友人の妹さんであることが分かった。
母に知らせたらどんなにかショックを受けることだろうと
知らせることはせずにいる。きっと知らないほうが良いのだろう。
私もたまに会うことがあったけれどいつも母のことを気遣ってくれていた。
明るく朗らかな人で心の悩みを抱えているようには見えなかった。
何か深い事情があったのだろうけれど知る由もない。
とにかくもう手遅れなのだ。私にはどうすることも出来なかった。
自死は大罪であるなどとどうして今更言えるだろうか。
じいちゃんと二人きりの夕食。自然とけい君の話になった。
甘やかすばかりではいけないと。厳しさも必要なのだと言う。
我が家に来ている時には娘達の部屋に入りびたりだったけれど
やはり「けじめ」をしっかりと教えなければいけない。
同じ家に暮らしていても娘達は独立した家族に他ならなかった。
けい君がむやみに踏み込む領域がないことを教えなければいけない。
どんなにか寂しいだろうけれどそれがけい君の試練になるのだと思う。
我慢を強いることはとても酷だけれどそうするしか道は無い。
私達は一軒の家に住む別々の家族なのではないだろうか。
娘にとっては血の繋がった甥っ子であったとしても
娘むこにとっては赤の他人の子なのだろうと思う。
義理と人情では済まされない複雑な現実がそこには確かにある。
私達に出来ることはとにかくけい君を守ってあげること。
けい君は涙ひとつ見せずに日々逞しく成長し続けている。
早朝には小雨だったけれど日中は本降りとなる。
幸い風が無かったので大荒れにはならずに済んだ。
お遍路さんを数人見かけたけれど雨合羽は上着のみで
足元のズボンや靴はずぶ濡れになったことだろう。
傘を差して歩くお遍路さんは一人も見かけなかった。
声も掛けられず横顔にただ会釈を繰り返すばかり。
一方通行ではあるけれど何かが伝わるのではないかといつも思う。
仕事でパソコンのトラブルがあり四苦八苦してしまった。
私のせいではないのに義父に責められ少し落ち込む。
「出来ないのか!」と怒鳴るのは勘弁して欲しいものだ。
いつもは優しい義父がまるで鬼のように思えてしまう。
一時間程残業になり帰路に就いたけれど帰り道のダム湖に掛かる橋に
運転席に誰も乗っていない軽トラックが駐車してあった。
どうしてこんな所に停めてあるのだろうと思いつつ通り過ぎたけれど
帰宅するなり義父から電話あり投身自殺があったらしい。
時間的に私が通り過ぎる直前の事のようだった。
もう10分早く退社していたら間に合ったかもしれない。
不審な行動をしていたならきっと声をかけていただろう。
もしかしたら思い留まらせることも出来たのかもしれない。
無力な私でも話を聞いてあげることは出来たのだと思う。
とても残念でならないけれど起きてしまった事はもう取り返しがつかない。
芸能界でも自死が相次いでおり心の悩みを抱えている人が多い。
ふと息子のお嫁さんの事が頭を過らずにいられなかった。
我が子にも会えずどんなにか前途を悲観していることだろう。
息子には時々電話があるらしいけれど決して明るくはないと言う。
「帰りたい」とも言わないそうですでに諦めている様子が窺える。
気長に養生すればなどと言えばそれは気休めにも等しい。
どんなにか辛い日々を送っていることだろうか心配でならなかった。
かと言って私から電話するのも躊躇われ何もしてあげられないのだった。
今夜は息子が深夜勤でそろそろけい君を連れて来る頃。
明るく笑顔で出迎えてあげるのが私の務めだと思っている。
命あってこその未来。命あってこその希望ではないだろうか。
小雨が降ったりやんだりで気温もさほど上がらず。
週末までぐずついた天気が続くらしい。
明日は大雨の予報が出ていてついつい身構えてしまう。
今年の梅雨入りは例年より早いのかもしれない。
田んぼの畦道や道路沿いにコスモスに似た黄色い花を見かけるようになった。
外来種で「オオキンケイギク」という名の花らしい。
漢字だとどう書くのか調べてみたけれど分からなかった。
繁殖力がとても強く駆除対象の花になっているのだそうだ。
花には罪はないけれど咲く土地を間違えてしまったのだろう。
見つけたらすぐに根こそぎ引き抜くようにとネットには書いてある。
憐れな花なのだなと思う。ただ遠い国から旅をして来ただけなのに。
息子の早出が続いており今朝も6時にはけい君が来ていた。
息子も気を遣っているのだろう。朝食は済まして来たとのこと。
茶の間にはまだ炬燵を置いて在り潜り込んだけい君はとても眠そう。
あやちゃんやめいちゃんと遊ぶ余裕もない慌ただしい朝のことで
7時過ぎにはそれぞれが重いランドセルを背負い登校して行く。
息子のお嫁さんは身の回りの物を取りに一度帰宅していたらしいけれど
けい君は学校へ行っており顔を合わすこともなかったそうだ。
もうあの日からひと月が過ぎた。母と子の複雑な気持ちを察するけれど
けい君は一言も母親のことを口にせずひたすら我慢をしている様子。
お嫁さんの実家からもあれ以来何も言っては来ないのだった。
前途は決して明るくはないけれど少しでも希望をと願わずにいられない。
何事にも限界はあるけれどその先にはきっと未来があるのだと信じたい。
夕方、仕事を終えた息子が迎えに来た時けい君は炬燵で寝ていた。
まるで炬燵布団が母親であるかのようにすっぽりと潜り込んで。
「おい、起きろ、牛丼買いに行くぞ」と息子が起こす。
今夜の夕食は吉野家の牛丼らしい。
曇り日。風は南風だろうか東風だろうかずいぶんと強く吹く。
夕方からぽつぽつと雨が降り始めた。明日も雨らしい。
朝の国道から山道に差し掛かる道沿いに広いブロッコリー畑があり
毎朝収穫している農家の人を見かけるのだけれど
今朝は畑にそれは沢山の蝶が飛んでいるのを見た。
のどかな光景ではあったがあまりの蝶の群れに目を瞠った。
ブロッコリー畑から生まれた蝶達なのだろうか。
そんなどうでも良いようなことが気になってならない。
職場からであったが母がお世話になっているケアマネさんに電話。
昨夜の母との会話で母の日に届けたはずのビスケットを
母は断固して受け取っていないと言い張るのだった。
何かの手違いがあったのかもしれずとりあえず連絡をしてみた。
そうしたらおやつの時間にちゃんと食べていますよと言うこと。
ただ母は私から届けられたことを忘れてしまっていたようだ。
認知症ではないけれど時々呆けたふりをするとのこと
それが愉快なのですよと電話口から笑い声が聴こえてくる。
おやつの時間にもう一度伝えますねと言ってくれた。
日曜日の「母の日」を母は知っていたのだと言う。
娘や息子からも見放されたと思い込み寂しい思いをしたのだそうだ。
私が届けたビスケットはもしかしたら翌日のおやつだったかもしれない。
職員さんには申し訳ないけれどふとそんな思いが頭を過った。
日曜日のことで人手も足りなかったことだろうと察せられる。
職場の玄関先の雑草が目に付くようになり少し草引きをした。
そうしたら母子草が咲いていて思わず手を止めずにいられない。
これだけは引けないと思った。これだけは残しておきたい。
母は今日もビスケットを「これ大好き」と言って食べてくれただろうか。
雨が降ったり止んだり。気温も上がらず少し肌寒い一日だった。
朝の山道でそれはそれは沢山のアマリリスが咲いていた。
山奥とはいえ民家が数軒ある小さな集落があり
とある一軒のお宅の石塀に沿ってそれは植えられていた。
深紅のアマリリスがずらりと並んでいる光景に感動をおぼえる。
そこは遍路道。お遍路さん達もきっと心を和ますことだろう。
昨夜ここに記したことで詫びなければいけないことがある。
ついつい感情を露わにし過ぎていたようだ。
大人げない行為だったのかもしれないと今更ながらに悔やまれる。
実は昨夜寝る前になってじいちゃんから真相を聞かされた。
娘むこは決して悪気があってそうした訳ではなかったのだそうだ。
私達の昼食が早い事を知っていてとっくに済んでいると思ったらしい。
そんな単純な理由でけい君の分を買わなかったのだそうだ。
その事をあやちゃんから聞いてじいちゃんも納得したらしい。
あやちゃんもけい君が可哀想だと思っていたのだろう。
そうして父親である娘むこの立場を庇おうとしたのだと思う。
私も一言が足らなかった。「買って来てあげてね」と言うべきだった。
そんなふうに歯車が上手くかみ合わない時もある。
ほんの些細な事で波風が立つ時もあるのだろう。
それは信頼感の欠如にも繋がる大切なことなのに違いない。
一瞬裏切られたように感じた私がいちばん愚かなのではないだろうか。
本来なら昨夜の日記を削除するべきなのだろう。
けれどもそれはしない。そこには5月8日のありのままの私がいる。
何を感じ何を思ったのか。私は書き残しておきたいのだった。
削除する事は簡単だけれど昨日の私は何処に行けば良いのだろう。
歯車に油を差し手入れを怠らない日常でありたい。
それを人任せにしないで自分の手でやり遂げたいと思っている。
まわり続ける歯車は私の人生そのものであるかのように。
晴れのち曇り。少し蒸し暑さを感じる一日だった。
今は窓を開け広げ夕風に吹かれながらこれを記している。
それにしても日が長くなったものだ。午後7時外はまだ随分と明るい。
朝のうちに母の施設のある病院へ。
担当の介護士さんからティッシュを届けて欲しいと連絡があった。
もちろん面会は叶わないけれど母の大好きなミレービスケットも届ける。
母は今日が「母の日」であることを知らないかもしれないけれど
介護士さんがきっと伝えてくれるだろうと思った。
息子は今日も早出で6時にけい君を連れて来る。
宿題をするようにと言われたのが気に障ったのかご機嫌斜めだった。
持参したランドセルを足で蹴とばしたりしてひどく苛立った様子。
昨日のこともあり宥めつつなんとか静かにさせることが出来た。
娘は仕事でいつも通りに出勤。娘むこは釣りに行かないと言う。
困ったことになったなと思った。娘以上に気兼ねが大きくなる。
娘むこもたまには子供達と過ごそうと思ったのだろう。
これまで日曜日に家に居ることは殆どなかった。
娘むことめいちゃんが出掛けて行ってけい君はあやちゃんと遊んでいた。
お昼前になり帰って来たらマクドのハッピーセットを買って来ていた。
それをけい君の目の前で広げたらしい。けい君が階下に駆け下りて来る。
「ぼくのぶんがない」それはとても悲しそうな顔をしていた。
憐れさを通り越して酷い仕打ちを受けたように思わずにいられない。
あまりの思い遣りの無さに胸が詰まるような憤りを感じた。
けい君も子供心に複雑な何かを感じたのだろう。
「もう二階に上がったらいかんよ」と言ったら素直に頷いてくれる。
じいちゃん曰く。「そんなもんさ」とはよく言えたものだ。
私は怒りよりも悲しくてならなかった。そうして不信感もつのる。
けい君は決して他人の子ではない。それは家族の延長にも等しい。
午後、あやちゃんはお友達と約束があり出掛けて行った。
めいちゃんも近所のお友達の家に遊びに行ってしまう。
とうとうけい君は独りぼっちを余儀なくされてしまった。
おまけにじいちゃんに叱られたらしくしょんぼりとしていた。
少しくらい我が儘を言ったからとどうして叱るのだろう。
けい君の味方になってあげなくてどうする。
けい君は寂しくてたまらないのだ。なぜそれを理解してあげないのか。
「母の日ってぼくはどうすればいいの?」
けい君がぽつんと呟いた言葉がせつなくてならない。
最高気温が25℃の夏日となり初夏らしい一日。
つい先日まで花のような新芽を見せていた枇杷がもう実をつけていた。
枇杷の実をみると子供の頃を懐かしく思い出す。
他人様の畑の隅に植えてあったのを勝手に食べてしまって
母にひどく叱られたこと。それはもはや苦い思い出ではなかった。
息子が早出だったので午前6時にけい君を連れて来る。
早起きを頑張ってえらいなと感心したのだけれど
8時頃に起きてきた娘に「朝早くからやかましい」と小言を食らった。
それがいささかショックで気分が滅入ってしまう。
娘も悪気があってそう言ったわけではないのだろう。
分かっているつもりでも気兼ねせずにはいられなかった。
じいちゃんは早朝から作業場に行っていて
先日撤収を終えた竹杭の後始末に追われていた。
先端を丸ノコで研いで尖らし次の漁期に備えるための作業だった。
私は週一のカーブスへ行く予定だったけれど
娘にけい君を頼んで良いものかと頭を悩ませていた。
どうしても言い出せない。娘の不機嫌を怖れていたのだった。
仕方なくけい君を作業場へ連れて行く。
「おじいちゃんのおてつだいをする」と言ってくれて救われる思い。
なんとかなるだろうと逃げるように立ち去っていた。
カーブスを終えその足で作業場まで行ったらけい君がいない。
「帰りたい」と言ったそうでじいちゃんが連れて帰ったそうだ。
おそるおそる玄関を開けたら台所で娘が昼食の支度をしていた。
けい君の分も用意してくれていてなんと有り難いことだろう。
もう大丈夫かもしれないと思った。そう思いつつ娘の顔色を窺う。
不機嫌ではなさそう。ただとても忙しそうにしていた。
勇気を出して「一時間だけお願いね」と告げ作業場へ走る。
じいちゃんと二人で研いだ竹杭を束ね終えることが出来た。
午後、けい君とめいちゃんを連れて図書館へ行く。
少しでも娘に楽をさせてあげたかった。
せっかくのお休みだものお昼寝もしたいだろうと思う。
図書館から帰って借りて来た本を静かに読むだろうと思っていたけれど
それは大きな誤算だった。かくれんぼが始まり鬼ごっこが始まる。
まるで家中をネズミが走り回っている様な賑やかさであった。
娘に申し訳なくて「ごめんね」と泣きそうな顔で謝る。
そうしたら娘が「まるでトムとジェリーやね」と笑ってくれた。
その笑顔にどれほど救われたことだろう。
午後4時、トムは帰って行った。ジェリーはとても寂しそうだった。
時おり霧のような雨が降る。それはとても思いがけず
夏日の予報だったけれど20℃に満たず肌寒いほどだった。
北海道では初夏の陽気となり桜が満開と聞く。
ながい冬を乗り越えてこその今が春なのだろう。
友の顔が目に浮かぶ。雪の季節にメールの返信を怠ってしまった。
決して無視をしたわけではないけれど今更ながらに悔やまれてならない。
「あの時はどうかしていた」ひとはよくそんな言葉を使う。
長いこと連休を頂き7日ぶりの仕事だった。
四万十大橋を渡る時なんだかとても清々しくなる。
お遍路さんの姿も数人見かけ日常が返って来たのだなと思う。
スローライフも捨てがたいけれど職場が懐かしくもあった。
する仕事が沢山あって嬉しい。それが正直な気持ちである。
仕事が一段落して定時で帰路に就いた。
おや?と不思議に思ったのは足の痛みが薄れていること。
スーパーで買物をしながら颯爽と歩けている自分におどろく。
ネットで調べてみたら「変形性股関節症」と言うらしい。
治療法として適度な運動が効果的だと書いてあった。
カーブスに通っているのもまんざら悪くはなさそうでほっとする。
痛いからと言って何もせずにいたら筋肉も衰え悪化するのだそうだ。
整形外科の医師は手術しか治療法は無いと言ったけれど
鵜呑みにせず調べてみて良かったのだなと思った。
帰宅したらじいちゃんが「めしが無いぞ」と苦笑い。
炊飯器を開けてみたらお茶碗に一杯分程しかなかった。
娘夫婦と私は夜は白米を食べないので良いのだけれど
孫たちの分が足らない。あやちゃんに相談したらパスタが食べたいと言う。
パスタは常に買い置きがありレトルトのソースもあった。
恥ずかしい話だけれど私はミートソースを手作りしたことがない。
どうやって作るのかも知らない。その前に作ろうともしないのだった。
あやちゃんが大盛りパスタをぺろりと平らげるのを見ていた。
思わず笑みがこぼれる。それは見事に豪快な食べっぷりであった。
あやちゃんにとってはそれが我が家の味なのだろう。
それがとてもありがたいことに思えてならなかった。
「立夏」暦の上では今日から初夏となる。
薄雲が広がり柔らかな陽射しが降り注ぐ一日となった。
「澄み渡る空に薫風みどり萌えこころ満たして夏が立つ頃」
夜明け前にそんな歌を詠んだけれど少し矛盾していたかもしれない。
その時の私には真っ青な空が目に浮かんでいたのだった。
早朝、夜勤明けの息子が迎えに来てけい君を連れて帰る。
朝ご飯も食べさせてあげられずなんと慌ただしいこと。
聞けば連休中の宿題が手つかずで今日中に済ませなければいけないと。
それはあやちゃんとめいちゃんも同じで思わず苦笑せずにいられない。
早めに済ませておけば「こどもの日」を満喫出来ただろうに。
我が家は娘が仕事。娘むこは釣りに出掛けていて留守だった。
あやちゃんはなんとか宿題を終わらせたようだったけれど
めいちゃんは途中で投げ出しまあちゃんと遊んでばかり。
帰宅した娘に話したら9日の月曜日が提出期限なのだそうだ。
だからなのか。どうやら私の取り越し苦労だったらしい。
けい君の学校はマンモス校なので比較的に宿題は少ないようだ。
担任の先生もそのほうが楽なのだろうと頷ける話だった。
沢山宿題を出せばそれだけ先生が忙しくなるのだろうと思われる。
けい君のことだからきっとちゃちゃっと済ませたことだろう。
私は性格上あまり宿題が好きではない。
子供の頃の記憶はすっかり薄れているけれど
大人になっても「宿題」はまるで人生の掟のように付いてまわる。
「あれをしなさい、これをしなさい」と強制されるのが嫌なのだった。
それよりも自主的に何かに取り組んでいたいと切に願う。
自分で目標を決めてやり遂げるのがいちばんだと思う。
そのほうがずっと達成感があり充実しているのではないだろうか。
だから誰かに向かって宿題を出さない。
私も誰かからの宿題を受けとめないように心がけている。
けれども人生はそうそう思い通りにはいかないものなのかもしれない。
「五月晴れ」は5月の青空のことを言うのではなく
梅雨時の晴れ間のことを言うのだそうだ。
以前から知ってはいたけれどついついそう言ってしまいそうになる。
早くも沖縄が梅雨入りしたらしい。
明日はもう「立夏」四国もやがては梅雨の季節を迎えることだろう。
季節の移ろいを少し途惑いながらも受けとめようとしているこの頃。
予定通りに川仕事終了。やはり心地よい達成感があった。
けれどもじいちゃんがふと呟いたのは「豊漁だったらな」の一言。
欲を言えばきりがないけれど「全滅」は思いもしなかったこと。
希望が絶望になり潔く諦めることを学んだのだと思う。
「人生苦もあれば楽もある」それこそが生きがいなのかもしれない。
楽ばかりでは幸せを感じることもないのではないだろうか。
午後、チューリップの球根を掘り起こす。
植えたままにしておけば夏の間に腐ってしまうのだそうだ。
枯れた茎を切り落とし球根を水洗いし日陰で保存すれば良いとのこと。
そうして秋の終わりにまた植えれば春に花を咲かせるらしい。
上手くいくか分からないけれどとにかく試してみたのだった。
娘は半信半疑の様子で「駄目なんじゃないの」と苦笑いしていたけれど
私は希望を持つのがよほど好きな性格らしい。
お昼寝をしたり本を読んだり連休を満喫している。
そんなスローライフに憧れる気持ちは大いにあるけれど
よほどの貧乏性でもあるのだろう。
働かないと食べていけないと現実を受けとめる気持ちも大きい。
お財布が寂しいと毎日の買物もストレスになるのだった。
残念ながら楽天家ではないのでついつい明日を思い悩んでしまう。
その度に呪文のように「なんとかなる」と呟いている。
けれども決してそれが不幸だとは思えなかった。
日々を乗り越える試練を頂きありがたいことなのではないだろうか。
いつだって明日はあしたの風が吹く。
そう思う心は「豊か」に育ち続けているのに違いない。
朝から青空が広がり爽やかな晴天となる。
風薫る五月とはよく言ったもので清々しい風が心地よい。
薫っているのは新緑だろうか。それとも潮の香だろうか。
川仕事をしていると海がすぐ身近に感じられる。
今日は竹杭に付着している藤壺をこそぎ落としていたら
魚(チヌ)がすぐ近くまで寄って来てなんとも可愛らしかった。
まるで人慣れしているかのように逃げようとしない。
最初は一匹だったけれどもう一匹やって来て私のすぐ足元で
戯れるように泳ぎまわりついつい声をかけずにいられない。
じいちゃんが言うには藤壺の身を好むらしい。
沢山こそぎ落としたから格好の餌になったのだろう。
あやちゃん10歳の誕生日で今夜はささやかにお祝い。
ちょうどけい君も来ていて賑やかな夕食となった。
ケーキに10本の蝋燭。あやちゃんは照れくさそうに吹き消す。
そんな姿をけい君が少し途惑ったような顔をして見ていた。
おそらくけい君には経験が無く初めて見た光景だったのかもしれない。
不憫な気持ちはあるけれど良き経験だったと信じてあげたかった。
あやちゃんがもう10歳。本当にあっという間の10年だったように思う。
感慨深く思い出すことも多く過ぎ去った歳月も愛しかった。
反抗期もあったけれど今はとても素直で優しい子に育ってくれた。
そうしてまた歳月があっという間に流れてしまえば
もう少女ではなくなり成人したあやちゃんに会えることだろう。
そんなあやちゃんと指切りげんまんをするように
長生きをしなければとつくづく思ったことだった。
あやちゃん生まれて来てくれてほんとうにありがとう。
爽やかな晴天。吹き抜ける風のなんと心地よいこと。
立春から数えて八十八日目の夜を「八十八夜」と言う。
「夏も近づく」と歌われるように立夏も目前となった。
今日は予定通りに川仕事へ。
暑さを覚悟していたけれど風のおかげでずいぶんと涼しかった。
大潮のため潮がすごい勢いで引いていくので
とにかくせっせと撤収作業に精を出す。
最初は胸のあたりまであった川の水があっという間に膝下になり
終いには川底に座って竹杭を洗わなければいけなかった。
2時間のつもりだったけれど1時間半ほどで作業を終える。
あと2日もあればすべて終わるだろう。明日も頑張ろうと思う。
10時半には帰宅していたので市内の整形外科へ。
左足の痛みはずいぶんと楽になっていたのだけれど
数日前からまた痛み始め歩くのも辛くなっていた。
重い物も持てず今日も船からトラックへ竹杭を積み込めない。
我慢できないことはないけれどやはり原因を知りたいと思う。
普段は思うように仕事が休めず今日しかないと決めたのだった。
レントゲンの結果、左の股関節が変形していることが分かり
手術以外に治す方法はないと言われいささかショックを受ける。
とても優しい医師で「すぐに手術とは言いませんよ」と。
私ももちろんそのつもりはない。痛みさえ薄れてくれればと思った。
完治は無理としても日常生活に差しさわりがない程度ならばと。
医師も私の気持ちを汲んでくれてしばらく湿布で様子を見ることになった。
やっかいなことになってしまったけれど深刻に考えず
こればかりはなるようにしかならないのだと思う。
そもそもこの年になって痛みと無縁ではいられないだろう。
誰しも身体に不調があり重い病気と闘っている人さえもいるではないか。
それに比べれば私は恵まれているのだと思うし
持病のひとつやふたつなどとても些細なことに思えて来るのだった。
学校から帰ったあやちゃんに話したら
「おばあちゃんは食べ過ぎ、飲み過ぎ、吸い過ぎやけんよ」と
ちっとも心配な様子も見せずへらへらと笑い飛ばしてくれた。
曇り日。午後には薄っすらと陽射しがあった。
爽やかな風が吹きいかにも五月らしい。
土手にはチガヤの若い穂がちろちろと揺れ
野あざみやしろつめ草。川辺には野ばらが咲く頃になった。
どれも家の中ばかりに居ては気づかない季節の花達である。
ずいぶんとご無沙汰していたお大師堂。
花枝(しきび)はそろそろ限界のようで持参しなかったことが悔やまれる。
お供えのお菓子もすっかり無くなっていた。
前回来た時に戸棚の中に隠しておいたお菓子が忽然と消えている。
そもそも隠すという行為がいけなかったのだろう。
いっそお供えしておけば嫌な思いをせずに済んだものをと思う。
起きてしまったことは仕方ない。誰を責められようか。
じいちゃんが一人で川仕事に行っていたので様子を見に行く。
海苔網の撤収作業はすでに終わり後は竹杭のみとなっていた。
収穫ゼロのままの撤収作業はとても虚しいことだけれど
明日から私も手伝い一気に片づけることになった。
国交省から借りている漁場なのでなんとしてもやり遂げねばならない。
お仲間さん達もどんなにか虚しいことだろう。
けれども誰一人嘆く人もなく皆がまるで任務のように精を出している。
自然相手のことで恵まれる年もあれば不運に終わる年もある。
ようは何事も受けとめる気持ちが必要なのだろう。
もがけばもがくほど追い詰められるだけだった。
いつもあっけらかんとしているじいちゃんには頭が下がる。
私も二足の草鞋を履かずに済み救われたのかもしれない。
家計にはとても厳しい春だったけれど
それもなんだか些細なことに思えるのだった。
明日はもう八十八夜。季節はゆっくりと夏になろうとしている。
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