ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年04月30日(土) 嫁入り道具

爽やかな晴天。すでに風薫る五月のようであった。

駆け抜けたような四月もとうとう晦日を迎える。

待ち切れずにカレンダーを捲れば鯉のぼりが空を泳いでいた。



じいちゃんの寝汗が酷く敷き布団を干そうとしていたけれど

あまりにみすぼらしい有り様で捨てることに決める。

新しい布団を買う経済的ゆとりもなくて

確かあったはずと押入れを探していたら新品の布団があった。

それは40年以上も昔の私の嫁入り道具だった。

今の布団のように軽量ではなくずっしりと重い。

けれども総綿のぬくもりを感じられとても貴重に思う。

赤く派手な柄もシーツを被せれば大丈夫だろう。

さっそく干しておひさまの恩恵でふかふかになった。


新しい布団というものはなんだかわくわくするものだ。

寝心地もきっと良いだろう。じいちゃんもきっと喜んでくれると思う。


それにしても40年以上もの歳月を押入れの中で眠っていたのかと。

憐れにも思い感慨深くも思う。やっと日の目を見る時が来たのだ。

「生きているうちに」それを叶えてあげられて良かったなと思う。


嫁入り道具の殆どを断捨離してしまったけれど

そうすることで人生の「けじめ」をつけてきたのかもしれない。

母や義父が苦労して揃えたくれた物を惜しげもなく捨てて来た。

不思議と未練はなくむしろ潔い決断だったと思っている。


どんなに古い布団でもそれは新鮮になり得る。

おそらく一生ものとして我が家に残ることだろう。



2022年04月29日(金) 峠を越えて

「菜種梅雨」は「筍梅雨」とも言うのだそうだ。

どちらもこの時期らしい雨の続く日で季節感を感じられる。

今日も午前中は雨。午後から少しだけ青空が見えた。

強い風が吹き荒れ雨雲を遠ざけて行ったようだ。



世間ではGWに突入。今日は昭和の日で祝日であったけれど

5月2日と振り替える事になり平常通りの仕事となった。

工場には4月最後の車検受けの車が入庫しており

同僚が頑張ってくれて午後3時前にやっと完了する。

私はただ待機していただけだったけれど心地よい達成感があった。

同僚もきっと同じ気持ちではなかっただろうか。


ずっとずっと仕事の段取りで頭がいっぱいだった。

お客さんに迷惑を掛けないよう順調にとそればかり考えていた。


帰り道は口笛を吹きたいような気分。なんとも清々しい。

明日から6連休を頂いたので仕事のことは忘れていられそうだ。



いつものスーパーに寄ったら駐車場に警備員さんがいてほぼ満車状態。

店内もひどく混雑しており身が縮まるような思いだった。

帰省客だろうか観光客だろうかとにかく人で溢れている。

コロナ禍にも関わらず多くの人が訪れているのだろう。

これはもうコロナ慣れと言うべきもので仕方ないことだけれど

各自が自覚と責任を持って行動してもらいたいと切に願う。

「後のことは知らない」ではあまりにも無責任ではないだろうか。

地元の私達は身の危険を感じつつ一層感染対策に努めなければならない。




けい君は早朝息子が迎えに来て笑顔で帰って行った。

2日の月曜日は遠足だそうで息子がまたお弁当を作るらしい。

「見事に茶色で決めてやる」と笑い飛ばしていたけれど

けい君が肩身の狭い思いをするのではと気がかりでならない。

お弁当が原因でいじめられることもあるかもしれない。

などと考えていたらきりがなく息子の「男の意地」に賭けてみたい。

手助けはしないと決めたらけっこう気楽にもなり得る。

「案ずるより産むが易し」と言うではないか。


けい君の居ない我が家はひっそりと静かで

あやちゃんが「けい君どうしているかな」と寂しそうに呟いていた。





2022年04月28日(木) 男の意地

曇り日。時おり陽射しはあったものの長続きしなかった。


躑躅が満開を過ぎ少しずつ枯れ始めている。

5月になれば今度は皐月が咲き始めることだろう。

花達はほんとうに健気に季節を知らせてくれる。

やがて紫陽花の季節もやって来ることだろう。



息子が深夜勤のため今夜もけい君を預かっている。

あやちゃんとめいちゃんはダンス教室の予定だったけれど

遠足の疲れが出たのだろうかあやちゃんは夕方からダウン。

夕食も食べないままぐっすりと寝入ってしまった。


娘むことめいちゃんがローソンに買物に行くのに

けい君も一緒に行きたがるのを止めることが出来ず

娘むこにお金を渡そうとしたら「いいよ」と受け取ってくれない。

アイスクリームを買ってもらったそうで大喜びで帰って来た。

気兼ねをしながらも結局は好意に甘えるしかないのだろう。

当のけい君は純真な子供らしさをそのままに全く遠慮をしない。

我が家に居る時は本当に伸び伸びと満面の笑顔であった。



娘は急きょ残業になったそうでまだ帰宅していない。

疲れもあるだろうし不機嫌な顔をされたらどうしようと思っている。

一時の事ならまだしもこの先いつまで続くのか分からないのだった。


息子は夜勤明けのその足で明朝けい君を迎えに来てくれるそうだ。

眠る時間も必要なのに憐れさはつのるばかりである。

けれども息子にも「男の意地」のようなものがあるのだろうと思う。

精一杯にけい君を守ろうとしている姿勢がひしひしと感じられる。


私達も身を粉にしても協力を惜しまない。

娘達の途惑いもやがては薄れていくことだろう。

きっときっとみんなが笑顔で暮らせる日が来ると信じてやまない。



2022年04月27日(水)

昨夜は激しい雷雨だったらしいが爆睡していて全く気づかなかった。

「春雷」は季節の分かれ目とも聞くが「八十八夜」「立夏」も近い。


雨あがりの朝。雲間からちいさな青空が見えていたけれど

お天気は回復せずすぐにまた小雨が降り始めていた。

少し蒸し暑くまるで梅雨時のような一日となる。



今夜は息子が準夜勤のためけい君を預かっている。

男の子らしく賑やかに騒ぎまわるのを

なんだか娘達に気の毒でならずついつい気を遣わずにいられない。

口にこそ出さないけれどうんざりしているのではないだろうか。

娘の溜息さえも気になりはらはらとしてしまうのだった。


優しいのはあやちゃん。今夜もけい君と一緒に夕飯を食べてくれた。

その時「けい君のお母さんはいつ退院するの?」と私に訊いた。

一瞬どきっとしてしまい「まだまだ先のことよ」と応える。


それはけい君自身がいちばん訊きたかったことだろう。

すでに退院していることなど口が裂けても言えない。

時期を見て息子の口から真実を伝えるべきことなのだろう。

あやふやなままで日々を過ごすことは決して最善とは言えない。


お嫁さんの実家のご両親からけい君を引き取りたいと言ってきたそうだ。

息子は断としてそれを退けたそうでそれは私も当然のことだと思う。

けい君の生活環境が大きく変化することを望んではいない。

母親は確かに必要だけれど今の状態ではとても任せられない。

この先少しでも病状が落ち着きまともな精神状態になれば

息子もまた思慮し元の暮らしに戻るのかもしれないのだ。

もしそれが不可能であってもけい君を養育する覚悟はすでに出来ている。

それがけい君を守るいちばんの得策に思えてならない。


甘えん坊のめいちゃんが「おかあさん、おかあさん」と連呼する。

その度にけい君の顔色を窺ってしまうのが常となった。

けれどもけい君のなんとあっけらかんとしていることだろう。

寂しそうな顔も見せず我慢している様子も感じられないのだった。

それを決して鵜呑みにしてはいけないことも分かっている。

ちいさな心を痛めながら必死になって乗り越えようとしているのだろう。



明日はあやちゃん達の遠足だそうで娘がお弁当の下拵えをしていた。

苺を買って来ておりテーブルにそのまま置いてあったのを

けい君が見つけて食べたそうにしていたけれど

娘が「それはあやちゃんとめいちゃんの」とけい君に言った。


私はその苺をふた粒だけこっそりとけい君に食べさせてあげようと思う。

娘は決して意地悪をしているつもりはないのだろう。

ただどうしようもなく途惑っている。

それはまるであるべきものの中に混じった硝子の欠片のように。





2022年04月26日(火) 人生の財産

日中は小雨で午後には薄日が射す時間帯もあったけれど

今夜から明朝にかけて大雨になるのだそうだ。

恵みの雨が一転して災害に繋がるかもしれない。

植えられたばかりの稲も水没してしまえば元も子もないだろう。

程よい雨というものはなかなかに難しいものだ。



仕事から帰宅したら高知新聞から5千円分の図書カードが届いていた。

ずっと昔じいちゃんに言われたことを思い出す。

「何を書いても良いが金になるものを書け」と。

当時の彼は私の「書く」という行為に反感があったようだ。

本名で書くことにも強い反感を示しやむなくペンネームを考えた。

「詩織」としたけれど長い歳月を経てしまうと今更ながら

「栞」にすれば良かったと少し後悔している。

若い頃は思いもしなかったことでやはり年のせいかもしれない。

この先80歳になっても90歳になっても書き続けていたいけれど

「詩織」という名がなんだかひどく無様に思えてしまうのだった。


すでに70歳の高齢となってしまった彼は

今では私の良き理解者となり「書く」ことをすっかり容認してくれている。

先日も新聞で私の名を真っ先に見つけてくれたのだった。

それがどれほど私の励みになっていることだろうか。


わずか5千円の図書カードでも「お金」には違いない。

私は昔のことを根強く憶えているけれど

彼はすっかり忘れているようだった。

それは気楽でもあり私は好きなように書き続けていけるのだろう。


この日記ももちろん「お金」にはならない。

けれどももしかしたら人生の「財産」になるのかもしれない。



2022年04月25日(月) リポビタン

つかの間の青空。お昼前から薄曇りの空となる。

明日は雨になりそうで雷雨になるかもしれないとのこと。

荒れ模様の春の嵐になるのかもしれない。


雨あがりの朝。土手のあちらこちらに野あざみの花が咲いていた。

棘があり触れることは出来ないけれどなんと可憐な花だろう。

緑の若草に寄り添うように凛とした姿で咲き誇っていた。


実は私にも棘がある。だから迂闊に触れようとしてはいけない。






今日は仕事の段取りで頭がいっぱいだった。

なんとしても順調にと少し焦り気味の一日となる。

義父が居てくれないと整わないことでひたすら帰りを待つ。

農作業も程々にして欲しいけれど口が裂けても言えない。

2時前にやっと帰って来てくれてなんとかなったけれど

義父は昼食も食べる時間もなくまた田んぼに出掛けて行った。

苛々しているのが伝わって来てとても複雑な気持ちになる。

先日は近所に住んでいる義父の同級生が「狂っている」と言っていた。

それはもちろん冗談なのだけれど私もそう思わずにいられなかった。


休む間もなく働き詰めの義父は78歳。いくら体力はあっても

どれほど身体に堪えていることだろうと心配にもなる。

ある日突然に倒れてしまうのではないかと危惧さえも感じるのだった。


今朝は事務所に「リポビタン」のケースが置いてあり

誰かの差し入れかと思ったけれどどうやら義父が買い求めた物らしい。

冷蔵庫に入れる間もなかったのかすでに5本ほど飲んでいた。


決して弱音を吐かない義父。それは決して自信ではないのだと思う。

もしかしたら体力の限界を感じ必死で耐えているのかもしれない。


残りのリポビタンを冷蔵庫に冷やした。

それ以外に私に出来ることは何もないのだと思う。


午後8時になった。お風呂には入っただろうか。

夕食はちゃんと食べただろうか。

電話をすれば不機嫌な声が聴こえて来そうで躊躇ってしまう。


血の繋がらない娘だけれどこんなにも気遣っている。



2022年04月24日(日) 春大師

早朝にはぽつぽつだった雨がやがて本降りとなる。

田畑にはきっと恵みの雨となったことだろう。



今日は地区の「お大師さん」の行事があったようだ。

「春大師」とも呼ばれており毎年4月21日頃に供養を行っている。

大師堂は明治時代に建立されたもので地区民たちの篤い信仰を受け

今もなおそれが引き継がれておりパワースポットになっている。

お堂の老朽化に伴い昭和の時代に一度建て替えが行われたらしいが

お大師さんの像は明治時代の物がそのままの形で残されている。

昔はきっと沢山の人がお参りを欠かさなかったことだろう。

今は私も含めわずか数人となったけれど

地区の行事として毎年の供養を執り行ってくれていることは有り難い。


夕方土手の道を重そうなリュックを背負って歩くお遍路さんが見えた。

今夜はきっとお大師堂に灯りが点っていることだろう。



私は信仰心があるのか今もってよく分からない。

管理のこともあり半ば義務的に足を運んでいるのかもしれない。

ただお参りに行った時にはとても清々しい気持ちになるのだった。


自室の小さな仏壇にはお大師さんの像と父の遺影を供えて在り

毎朝お線香を立て般若心経を唱えることは欠かさなかった。

その時も父の供養なのかお大師さんの信仰なのか区別がつかない。

どちらにも伝わるように「ありがとうございました」と声にしている。


苦難から救われたようなことがあった時には

父が見守っていてくれていたのだと信じる気持ちが大きくなる。

涙声で般若心経を唱える朝も少なからずあった。

それはやはり父への感謝に他ならずお大師さんは父の傍らにいて

お大師さんが父を守ってくれているような気がするのだった。


四国巡礼を結願した父の納経帳は大切な遺品として私の手元にある。

父に信仰心があったのかは定かではないけれど

父にとってそれが宝物のように尊いものだったことは確信している。


父はきっと天国でお大師さんに会えたのに違いない。





2022年04月23日(土) 老婆心

曇りの予報だったけれど午後からぽつぽつと雨が降り始める。

いかにも春雨らしく濡れたくなるような優しい雨であった。



今日も仕事の予定だったけれど同僚が田植えのため臨時休業となる。

休日のみの農作業にも限界があったのだろう。

このところずっと田植えの準備に追われていたようだった。



じいちゃんは漁協の出役で海苔の種を採取に行く。

2時間程で終わる予定だったけれどほぼ一日中かかってしまった。

はっきりと確信は持てないけれど微かな希望があってこそのこと。

多大な苦労が報われることを願ってやまない。



息子が仕事だったので朝からけい君を預かっていた。

あやちゃんとめいちゃんは参観日でいつも通りに登校しており

遊び相手の居ないけい君はとても寂しそうにしていた。

カーブスへ行く時間だけ娘にけい君を任せて

後はゲームをしたりテレビを観たりしながら夕方まで過ごす。


明日はけい君の学校が参観日だそうでお弁当が要るらしい。

手助けを申し出たら息子が「だいじょうぶ」と言って聞かない。

けい君も「お父さんが作ってくれる」と笑顔を見せていた。

息子は明日も仕事で授業参観には行けないのだそうだ。

「おばあちゃんが行こうか」と言ったらそれも却下された。

不憫でならないけれどけい君はもう慣れているのかもしれない。


お嫁さんは退院しているらしいけれど実家からは何の連絡もなかった。

こちらから電話をするのも躊躇われ複雑な気持ちが募るばかりである。

明日が参観日なのも知らないと思う。私の一存で知らせる訳にもいかない。

今日もけい君はお母さんのことは一切口にしなかった。

参観日にお母さんが来てくれたらどんなにか嬉しいことだろう。



ついつい老婆心が先走ってしまうけれど

息子やけい君にとっては今が試練の時なのだろうと思う。

それはもちろんお嫁さんにとっても同じなのではないだろうか。


家族だったと過去形では語りたくはない。

それぞれが痛みに耐えながら乗り越えようとしているのだろう。





2022年04月22日(金) 種を撒く

雨あがりの爽やかな晴天。新緑がきらきらと眩しい。

いちばん好きなのは柿の葉だろうか艶やかな薄緑が空に映える。

樹が生き生きと空に手を伸ばしている。まるで命そのものであった。



「冬の背にそっと息を吹きかけて別れ道まで見送っていく」

この句は先月の春先に高知新聞に投稿した短歌なのだけれど

思いがけずに一席に入選し頬をつまみたい程に私を驚かせた。


それがそのままでは終わらずに今度は3月の月間賞に選ばれた。

それも一席という信じられない結果となる。

早朝新聞を読んでいたじいちゃんが「おい、早く来てみろ」と叫び

奇跡のようなその紙面に釘付けになってしまったのだった。

「たいしたもんじゃないか」その一声がどんなに嬉しかったことだろう。


認められたい欲はすでに手放したつもりであった。

あるのは微かな自尊心だけでそれは自信に繋がりもしない。

ただ「負けるもんか」その一心で今まで書き続けて来たのだと思う。

いつかきっと報われる時が来るだろうと夢のように思ってもいた。

そのために種を撒く。きっと芽が出ると信じてやまなかったのだ。


これは昨日のことでここに書き記すのはよそうと決めていた。

自慢話だと受け止められるのが嫌だったし

自惚れていると感じられるのも避けたかった。

けれどももし私を応援してくれている人が一人でも居てくれたら

その人に真っ先に知らせたい気持ちが徐々につのって来たのだった。

きっと自分のことのように喜んでくれるに違いないと信じてやまない。


私はこれからも種を撒き続ける。

美しい花になどなれなくてもいい。

ただ小さな芽を「いのち」のように育てていきたいと思う。


老いていく切なさの中でどれほど私が生きていたかをこの世に残したい。






2022年04月21日(木) 雨遍路

小雨降る一日。ずいぶんと肌寒く感じた。

田畑は少しは潤っただろうか。恵みの雨には程遠かったかもしれない。


雨遍路さんを数人見かけた。どの人も颯爽と歩いており

雨にくじけている様子は少しも感じられない。

女性の二人連れのお遍路さんは笑顔を交わし合っていた。

まるで雨を楽しんでいるようにほのぼのとした姿に映る。

どんな日もあるものなのだ。嘆いていては前に進められないだろう。



息子にお嫁さんから電話があり明日退院するとのこと。

今回も2週間弱の短期間の入院となった。

退院後の療養は実家ですると報告があったらしい。

息子もそうするように勧めたとのことで複雑な思いが募って来る。

やはり元の暮らしに戻るのはもう困難なのかもしれない。

けい君は健気に母親のことは一切口にしないけれど

小さな心をどんなにか痛めていることだろうか。

「なるようにしかならない」そんな言葉も酷に感じるのだった。

雨を受けとめ風を受けとめる。ひとはそれほど強くはないのだと思う。




あやちゃんとめいちゃんはダンス教室のある夜だけれど

あやちゃんは宿題も出来ないまま夕方からぐったりと寝入ってしまう。

最近夜更かしが多いのだそうだ。早起きが堪えているのだろう。

それに私もそうだけれど木曜日頃になるとどっと疲れが出て来る。

もうひとふんばりといつも思う。週末はゆっくりと休みたい。


もう8時前となりやっと目を覚ましたようだ。

台所では娘が海老天で「天むす」を作っている。


私はこれを記しながら色んなことを考えている。

一日を心地よく終わらせるためのささやかな作業にも等しい。

何があっても明日はきっと来るだろう。


けい君もあやちゃんもめいちゃんも笑顔で朝を迎えられますように。



2022年04月20日(水) 希望の向こう側

二十四節気の「穀雨」穀物を潤す春の雨が降る頃。

今日は晴天だったけれど明日からしばらく雨の日が続きそうだ。

田んぼが水不足なのだそうできっと恵みの雨になることだろう。

夏野菜の植え付けをしてある農家も多く雨を待っていることと思う。




午後から隣町の宿毛市まで集金に行っていた。

ほぼ毎月のことだけれど手土産を欠かさない。

今日は「青さ海苔入りつまみ海苔」を持参する。

今朝出勤前に近所の地場産店で買い求めたものだった。

本来なら自家製の「青さ海苔」を届けてあげたかったけれど

それは叶わずなんだかもどかしく複雑な気持ちであった。

製造業者には備蓄があるのか製品を作り続けているらしい。



今日は漁協の養殖部会がありじいちゃんが出席していた。

このままでは種の採取は困難で先の見通しは暗いけれど

とにかく少しでも種の確保に努めることになったそうだ。

あくまでも試みであって失敗に終わる可能性も大きいけれど

皆が心をひとつにして希望を抱くべき時なのだろうと思う。


もう10年以上も昔のことだけれど全滅の年があった。

その時のことを思えば決して諦めてはいけないのだと思う。

自然に逆らうのではなく自然に立ち向かう勇気が必要だった。


40年の歳月を思い起こす。

じいちゃんが再就職してからは私一人でどんなに頑張ったことだろう。

雪の舞う冷たい日にも嘆くこともせずに収穫に精を出した。

今はもうそんな体力もないけれど懐かしく思い出している。


希望は決して捨てはしないけれど

再起不能となれば潔く廃業する覚悟もしている。


貧乏暮らしもまんざらではない。心はとても豊かであった。



2022年04月19日(火) 哀愁

曇り空ではあったけれど春らしいやわらかな陽射し。

空のぬくもりを羽織ったように過ごす。


職場の庭には母が育てていた藤の花が咲いていた。

今日まで気づかずにいてつい「ごめんなさいね」と声をかける。

あたりには枯草が生い茂りまだ冬の名残りが感じられ

やがてそれも緑になるだろうと初夏に想いを馳せていた。


背を丸めて草引きをしていた母の姿が偲ばれる。

荒れ果てた庭を見たらどんなにか嘆くことだろうか。



仕事が忙しく一時間の残業となる。

先日の車庫証明を取り付けたお客さんの車検証が届き

やっと今日が納車となり感激で胸がいっぱいになった。

中古車なので同僚が綺麗に洗車をして仕上げてくれる。


実は曰くつきの車でとあるお客さんの遺品でもあった。

東京に住んでいる娘さんに連絡したらとても喜んでくれて

解体処分にするにはあまりにも忍びなかったと言う。

今後も大切に末永く乗り継いでくれることだろう。

それが少しでも供養になればと思わずにいられなかった。



帰宅したらけい君、あやちゃんとめいちゃんが勢ぞろい。

あやちゃんとめいちゃんは今日が家庭訪問だったようだ。

娘が玄関や茶の間を綺麗に掃除してくれていた。

家庭訪問は無事に終わったようだったけれど

けい君は今年もどうやらパスしたらしい。

学校側がそれをすでに容認してくれている事は有り難いと思う。

それぞれの家庭の事情がある。強引に踏み込むことは避けて欲しい。


夕食後、仕事を終えた息子が迎えに来て笑顔で帰って行く。

息子には夕食を食べさせてあげられなかった。

遠慮しているのが感じられ胸が締め付けられるように辛かった。

「腹減った」その一言をどんなに待っていたことだろう。


もう決して若いとは言えない息子の後ろ姿に哀愁が漂っていた。



2022年04月18日(月) やれば出来た

曇り日だったけれど薄く陽射しがあり日中は暖かくなる。

山里では植えられたばかりの稲がちろちろと風に揺れていた。

のどかな田園風景を見ているだけで心が癒される。


あたりの山々には新緑に混じって椎の木の花だろうか

黄な粉色をした木が目立つようになった。

その木の花が沢山咲いた年には大きな台風が来ると聞いたことがある。

まだ春が始まったばかりだけれど今年はどんな夏になるのだろう。




仕事から帰宅したらめいちゃんが毛布に包まって寝ていた。

てっきり学校で体調が悪くなり早退したのかと思った。

そうしたらあやちゃんの声がして午後の授業は休みとのこと。

今日から家庭訪問が始まり短縮授業になったのだそうだ。


一時間程して子供部屋を覗いたらあやちゃんも寝ていた。

新学年となり緊張して疲れることも多いのだろう。

暖かさに誘われるように眠くなる気持ちもよく分かる。



娘の帰宅が遅くなる日だったので台所で奮闘していたら

じいちゃんが揚げ物を手伝ってくれてとても助かった。

以前に「一人で何もかもしようとするな」と言ってくれたことを思い出す。

それはそれなりに手を抜けと言うことにも等しい。

「焼きそば」にしようかなとスーパーで迷ったけれど

結局あれこれと作ることにして買物をして来たのだった。

あやちゃんに「手抜きじゃん」と言われるのも悲しいし

やれるだけのことをしようと意気込んでいたのだと思う。


たかが夕食のことだけれど少なからず達成感はある。

何事もやったらやっただけのことがあるものなのだ。



そろそろ午後8時になろうとしているけれど

あやちゃんは宿題をしていてまだ夕食も食べていなかった。

「先に食べたら」と声をかけたら「まだ食べたくない」と応える。


おばあちゃん頑張ったのになと声にならない声を上げているいま。



2022年04月17日(日) 今日よりも明日

今朝は昨日の朝より肌寒くなったけれど

日中は昨日よりも暖かく感じた。

快晴でたっぷりの陽射しが降り注ぎ新緑がまぶしい。

雀色だった土手にも若草が萌え始め特に蓬はとても逞しく見える。

子供の頃に転んでかすり傷を負った時など

蓬の葉をよく揉んでその葉汁を傷口に塗ったものだった。



けい君6時に起床。朝ご飯を少ししか食べず心配になる。

母親から離れて一週間が過ぎそろそろ恋しくなって来ているのかもしれない。

母親の事は一言も口にせずそれが返って憐れに思えてならない。

夜勤明けの息子が迎えに来て早々に帰って行った。

その時車の中から笑顔で手を振るけい君が見えて少しほっとした。



9時に美容院へ。鬱陶しかった髪をさっぱりと短くする。

チェーン店である美容院にも転勤があったのだろうか

初顔の美容師さんはまだ若い男性であった。

白髪交じりの髪を晒すのに少し羞恥心を感じる。

「軽くしておきますね」その言葉通りに軽く爽やかな仕上がりとなる。

カット代は980円。貧乏人には神様のような美容院であった。


買物を済ませ帰宅したらじいちゃんが居なかった。

今日は市会議員の選挙投票日だったので一緒に行くつもりだったので

電話をしたけれど一向に出ない。何処に居るのだろうと心配になった。

しばらく待っていたら電話がかかって来て川に居るとのこと。

高波で海苔の漁場が荒らされ急きょ網の撤収作業を始めたらしかった。

海苔は全滅状態で収穫は皆無だったけれど撤収はしなければならない。

なんとも皮肉な事だけれどそれが宿命なのだろうと思う。

来年の種の目処もつかない。いったいどうなってしまうのだろうか。


「明日の事を思い煩うことなかれ」聖書の教えにあるらしい。

私はカトリックの信者ではないけれどふと信じたくなった。


くよくよと思い詰めるよりも明日を信じるように生きていきたいものだ。





2022年04月16日(土) こでまりの咲く頃

予報通りの肌寒い朝で暖房のお世話になる。

明日の朝は更に気温が下がるのだそうだ。

日中は20℃程で快適な暖かさとなった。

暑からず寒からずで身体には優しい一日となる。


「こでまりの指先に散る白き夢」まだ20歳を過ぎたばかりの頃

そんな句を詠み高新文芸の俳壇に一席として入選したことがあった。

こでまりが咲く季節になるとなぜか思い出してしまうのだった。

若い頃の感性はもはやなく老いた我が身にその句が沁みる。




今朝は9時に図書館へ。それから買物を済ませ帰宅し

休む間もなくカーブスへ行き終わり次第に職場に向かった。

相変わらずの慌ただしさをむしろ楽しんでいたように思う。

読書に熱中するようになってから「退屈」とは無縁になったけれど

何もすることがないことほど辛いことはないように思う。


4時まで仕事の予定だったけれど一段落し3時で終わる。

新緑が目立ち始めた山道をゆっくりと車を走らせていた。

後続車も対向車もなくまるで快適なドライブのようだった。


帰宅して娘と一緒に洗濯物をたたむ。なんとなくほのぼのとした気持ち。

あやちゃんの靴下と娘の靴下との見分けがつかなくなった。

聞けばもう足のサイズが21センチなのだそうだ。

私も娘も23センチなのでその成長に驚かずにいられない。



今夜は息子が夜勤なので夕方からけい君を預かっている。

夕食もお風呂も済ませて来たそうで後はお泊りだけだった。

息子曰く。お嫁さんが居ないほうがずっと楽なのだそう。

それだけ今まで主夫業に専念して来たのだろうと思う。

不憫でならないけれどもう以前のような暮しは無理なのかもしれない。

何事にも限界はあるだろう。今回の事はそのきっかけになった。


隣室からあやちゃんとけい君の楽しそうな声が聴こえている。

そんな笑顔をいつまでも守ってあげたいと思う。







2022年04月15日(金) クリア

小雨が降っていたけれど夕方近くなり雲間から青空が見える。

そうして強い風が吹き始め気温が次第に下がり出したようだ。

明日の朝は冷え込むそうで身構えるような気持ちでいる。

年のせいもあるけれど寒暖差についていけない身体になってしまった。



今日は予定がぎっしりの日となり

午前中で仕事を終わらせてもらっていつもの病院へ。

次は母の入居料の支払いにお世話になっている病院へ。

買物を済ませてから一度帰宅し次は胸部レントゲン検診へ。

そうして最後に警察署へ車庫証明の受け取りに行く。


なんと慌ただしい一日だったけれど心地よい達成感があった。

特に車庫証明は苦労しただけに無事に受理出来て安堵している。

仕事用のバックの中に入れていたけれど不安になった。

大地震でも起こったら家の中がめちゃくちゃになるだろう。

それならばいっそ車の中が安全なのではないだろうかと思った。

地震直後にすぐに持ち出して避難すれば紛失することはないだろう。

用心に越したことはない。それだけ大切な書類なのだった。



胸部レントゲン検診は地区の集団検診が午前中で間に合わず

午後2時半からの他の地区の検診場所へと向かった。

若い頃に勤めていた縫製工場のあった地区で懐かしい。

そこで伸子姉ちゃんと京子姉ちゃんに会うことが出来て嬉しかった。

二人ともすでに80歳を超えているのではないだろうか。

マスクをしていても昔の面影をしっかりと感じられた。


工場長以外は女ばかりの職場であった。

私は最年少だったから先輩たちを「姉ちゃん」と呼ぶのが常だったけれど

自分の母とほぼ同年代の同僚が多かったと記憶している。

一番お世話になった主任の典子姉ちゃんは一昨年亡くなっていた。

伸子姉ちゃんに典子姉ちゃんの事を詳しく訊きたかったけれど

ゆっくりと語り合う時間が無かったのがとても残念に思った。


もし健在だったならきっと今日会えただろうに違いない。

「遊びに来てね」毎年届く年賀状にはいつもそう記されていた。


潮風を浴びるようにそびえ立つ墓地の墓石を見ることもなく

私は後ろ髪を引かれるように急ぎ足で去って行った。



2022年04月14日(木) 雨音

朝のうちは霧雨だったけれどお昼頃から本降りの雨となる。

田畑には恵みの雨となったのではないだろうか。


程よい雨はひとの心も潤し渇きも自然と癒されていく。

そうしてさらりと水に流すように救われていくのだった。



田植えが一段落した義父が一日中居てくれて

ずいぶんと工場の仕事が捗りほっと胸を撫で下ろしていた。

二足の草鞋を履くとどうしても疎かになることが出来るものだ。

私にも経験があるけれど「あちらを立てればこちらが立たず」となる。

どちらも完璧にとはいかないのが世の常なのであろう。

そんな時には優先順位を定めるのが一番の得策だと思う。

まず一番に何をするべきか。後の事は二の次にして良いのだった。




今夜は孫たちが久しぶりにダンス教室に行っている。

市内のコロナ感染者が少し落ち着いて来たからだろう。

それでも皆無とはいかず今日も4人と発表があった。

「コロナ慣れ」と言ってしまえば不謹慎に聞こえるけれど

自粛ばかりでは気が滅入るばかりであった。

感染対策をしっかりとしながら上手く付き合っていくしかない。

日頃から活発なめいちゃんは嬉しさを隠しきれない様子であった。

あやちゃんはあまり気が進まない様子でしぶしぶと出掛けて行く。


けい君はどうしているだろう。やはり気になってしょうがない。

息子が休みなので大丈夫だと思うのだけれど

母親のいない現実にちいさな心を痛めているような気がする。

人一倍感受性の強い子だった。なんとしても乗り越えて欲しい。

強くなるチャンスなのだと信じてあげたい気持ちもつのる。



雨は今も降り続いている。雨音がしみじみと心に沁みて来る。




2022年04月13日(水) 再会

大気が不安定との予報に反して思いがけずに青空が広がる。

気温も26℃まで上がりすっかり初夏の陽気となった。

遅咲きの桜はまだ咲き誇っており躑躅や藤の花も見られるようになる。

冬枯れていた銀杏の木にも鮮やかな若葉が萌え始めている。



朝の国道では数人のお遍路さんを見かけたのだけれど

山道に入り峠を越え山里の県道を走っていたら

見覚えのある後ろ姿はやはりMさんであった。

前回は2月14日だったのでほぼ2ヵ月ぶりの再会となる。

車を停めたらすぐに走り寄って来てしばしのドライブだった。

もう百巡以上しているMさんは車のお接待を快く受け

時には公共交通を利用する時もあるのだそうだ。

決して無理をせず臨機応変でなければ職業遍路は続かないだろう。


4月2日に無事に初孫が誕生したとのこと。

元気な女の子だそうで嬉しくてならないと目を輝かせていた。

「なんかすごい励みになってさあ」と声も弾んでいた。


娘さんやお孫さんにどんなにか会いたいことだろう。

山梨に帰ろうと思えば不可能ではないはずなのだけれど

頑なにお遍路に拘っている強い意志を垣間見たような気がする。

いったい何がMさんを動かしているのか知る由もなかった。


職業遍路は終わりなき旅にも等しい。

Mさんには大きな覚悟があり四国に骨を埋めるつもりなのかもしれない。



「おかあさんまた会おうね」重そうなリュックを背負うと

Mさんは笑顔で手を挙げながら葉桜の道を遠ざかって行った。



2022年04月12日(火) 春雨じゃ濡れて行こう

曇り日。山里では時おり霧のような雨が降っていた。

まさに春雨で濡れてもまったく気にはならない。


あちらこちらで田植えが行われていて活気が感じられる。

義父も早朝から植え始め目まぐるしいほどの忙しさであった。

懇意にしている友人が3人も手伝いに来てくれて有り難いこと。

おかげでずいぶんと捗ったようだった。

お昼時になっても当然のように帰って来ないので

田んぼに様子を見に行ったら畦道に4人が車座になって

楽しそうにお弁当を広げているところだった。

義父の笑顔が見えていてきっと嬉しくてならなかったのだろう。

私も胸を撫で下ろすようにほっとして嬉しさが込み上げて来た。




定時で帰路に就きスーパーで買物をしていたら

「おばあ」と呼ぶ声。横を見たら娘も買物をしていたようだ。

今夜もけい君を預かることになっていたのであれこれと買ってくれていた。

そんな娘の気遣いが嬉しくひたすら感謝しかない。

甥っ子も我が子と同じように大切に思ってくれているのだろう。

もちろん不憫でならない気持ちも大きいのだろうと思う。


学校から帰るとそれぞれが宿題タイムであった。

けい君は学習机がないので茶の間の炬燵で頑張っていた。

国語と算数のプリントをまるで朝飯前のようにさっさと済ます。

それからじいちゃんとお風呂に入ったのだけれど

アトピーの薬を塗りながらまた憐れな気持ちが込み上げて来る。

成長と共に症状は軽くなるらしいけれどまるで傷跡のように痛々しい。


夕食は娘夫婦が気を遣ってくれて賑やかで楽しかった。

独りっ子のけい君にとって大家族がどんなにか嬉しいことだろう。



息子は準夜勤で深夜の帰宅とのこと。

飼い猫は居るけれど侘しいのではないかとまた気遣ってしまう。

その一方で今までどれほど苦労をしてきたことかと思う。


きっときっと報われる日が来るのだと信じてやまない。





2022年04月11日(月) 強い心

曇り日。昨日は暑いくらいだったのでずいぶんと涼しく感じた。

平年並みの気温がいちばん身体に優しいのではないだろうか。

東北地方では真夏日になった地域もあるようで異常気象だと思われる。

やはりその季節にふさわしい気温を望まずにいられない。




車庫証明申請の書類がなんとか整い警察署へ提出する。

すぐに不備を指摘されるのではないかと不安でいっぱいだったけれど

係の署員が「上出来ですよ」と言ってくれてとてもほっとした。

自信はなかったけれど何事もやれば出来るのだなと思う。

経験を積み重ねるうちにそれが自然と自信に繋がるのだろう。




帰宅して息子のお嫁さんのご実家へ電話。

病院の待ち時間が長く4時間もかかったとさすがに疲れた様子だった。

本来なら夫である息子が付き添うべきだったのだろう。

なんだか後ろめたさを感じたけれど今回は仕方ないことだと思う。

お嫁さんはやはり入院となり期間は未定とのことであった。

短期間では完治の見込みは皆無であり長期の治療を願ってやまない。


けい君はすっかりわきまえている様子で我が家から元気に登校する。

子供心に不安も少なからずあるだろうけれど健気な姿であった。

不憫でならないけれどあまり気遣い過ぎても行けない気がする。


息子とも話したけれど今は現実を受けとめるべき時だと思う。

現実に逆らえば逆らうほど運命の歯車が狂ってしまうのではないだろうか。


「どうしてこんなことに」と人はよく口にするけれど

嘆いても何も変わらないのが「現実」なのだと思う。


私は何があっても受けとめられる強い心を持ちたいと願っている。



2022年04月10日(日) 笑顔の夜を

今日もほぼ夏日となり汗ばむほどの陽気となる。

菜種梅雨だろうか火曜日あたりから連日雨になりそうだった。

台風も一号二号と発生しており今後の進路が気になっている。



午前中に隣町の黒潮町まで。田野浦という港町であった。

中古車を購入してくれたお客さんの車庫証明の手続きで

詳しい図面を書いて警察署に届けねばならなかった。

田野浦地区に行くのは初めての事でじいちゃんの運転で行く。

日曜日でお客さんも在宅しており土地の計測など手伝ってくれる。

車庫証明の申請は不慣れで自信は全くないのだけれど

とにかくやってみなければと挑戦するような気持ちであった。


お客さんから「ちりめんじゃこ」を沢山頂いて嬉しかった。

さっそくつまんで口に入れると仄かに潮の香がしてとても美味しい。




息子のお嫁さんのお母さんから電話があり

今日はずいぶんと落ち着いている様子でほっと胸を撫で下ろす。

明日はお嫁さんを病院へ連れて行ってくれるそうだ。

おそらくまた入院になると思うけれどそのほうが安心に思う。

ご両親とも高齢でお嫁さんの里帰りは大きな負担になっているだろう。


今後のことも話に上がったけれどまだ結論は出ていない。

どのような結果になろうともけい君だけはなんとしても守ってあげたい。



今夜は息子が夜勤なのでけい君を預かることになった。

寝室にお布団を三組並べお泊りの準備も整っている。

我が家に来るのはお正月以来であやちゃん達とはしゃぎまわっている。

けい君の笑顔を見ていると救われたような気持ちになるのだった。


ぐっすりと眠って明日は元気に学校へ行こうね。

子供は周りの不安や心配を敏感に感じ取るものだった。

私達も出来る限りあっけらかんと笑顔で過ごしたいと思っている。



2022年04月09日(土) 運命

日中は初夏のような陽気となる。

何という種類なのか定かではないけれど遅咲きの桜もあるようだ。

花はソメイヨシノよりも大きく八重で葉は緑色をしている。

もう桜の季節は終わったと思っていたのでなんと思いがけないことだろう。



11時より仕事。午後とても懐かしい来客があった。

タイヤ交換に来てくれて待ち時間の間にしばし語らう。

思い出話よりも近況を話すことが多かった。

昔の話などすればもう思い出したくもない程恥ずかしいと言う。

「若い頃はいろいろあったよね」と。でもそれがあってこその今なのだろう。

「すべてが運命なのよね」と彼女は微笑むことが出来るのだった。

私も同じように運命に身を任せて来たのだろうと思う。

若気の至りはあるけれど今が幸せならばもう過ぎ去ったことなのだ。




夕方、息子のお嫁さんのご実家のお母さんから電話があった。

とても取り乱しており泣き声で「助けて」と叫ぶばかり。

お嫁さんの精神状態が尋常ではなく息子が電話をかけたらしい。

ここで詳しいことを書くのは控えなければいけないけれど

とりあえずご実家でしばらく預かってもらうことになった。

私もすぐにマンションに駆けつけたけれど息子は憔悴し切っている。

けい君は朝から何も食べていないのがとても憐れでならなかった。

ふともう限界ではないかと思う。もう最悪の事態なのかもしれない。


泣き叫ぶばかりのお母さんに「しっかりしなさい」と叱咤激励をした。

お嫁さんはとても悲しそうな顔をして俯いていたのだった。


なんとかなる。なるようになると信じたい気持ちは山々だけれど

どうしようもできない事が襲って来た一日でもあった。




2022年04月08日(金) 段取り課長

ずいぶんと日が長くなり外はいま黄昏時である。

西の空をほうずき色に染めて陽が沈もうとしているところだった。

室温が25℃もあり窓を開け放しているのだけれど

風はそよとも吹かずお風呂上がりの火照った身体に汗がにじんでいる。



今日は田植えの準備をしている義父のもとに工具を届けに行ったら

水を張られた田んぼに白鷺が二羽もいてとても綺麗だった。

人慣れしているのか飛び立つ様子もなく寄り添っているように見えた。


それから農機具の上には雨蛙さんがいてそれも可愛らしかった。

まるで義父の助手であるかのようにちょこんと座っているのだった。

それを見た義父がにっこりと笑ったのが私はとても嬉しかった。


稲作の知識には疎く父のしている農作業の事がよく分からない。

「シロ掻き」と言うのだろうか、田植え前の大切な作業らしい。

それをしないと稲の苗を植えても雑草がはびこるのだそうだ。

私は水が張られたらすぐに田植えと思い込んでいた。


工場の仕事は繁忙期の峠を越え同僚一人でなんとかなっている。

その同僚も稲作をしており休日返上で農作業に追われているらしい。

今朝も出勤前に一仕事して来たのだと少し疲れているようだった。


私は職場では「段取り課長」と呼ばれており段取りばかり。

その上に「金庫番」もしているけれど少しも苦に思ったことはない。

むしろ遣り甲斐を感じることが多く活き活きと仕事をしている。

する仕事のあることは本当に有難いことだと思うのだった。


このところ土曜日も出勤しておりより一層遣り甲斐を感じている。

それが充実でなくてなんだろう。やったらやっただけのことがあるのだ。


難破船のようだった職場も今は海洋に乗り出している。

遭難して沈没させるわけにはいかないのだ。

「段取り課長」は舵を握れないけれど航路を示すことは出来る。

行きつく先は何処かの港だろうか、それとも島だろうか。


遥かな大海原を見つめながら明日も航海を続けよう。









2022年04月07日(木) 儚い縁に

最高気温が23℃まで上がりすっかり春らしい陽気となる。

帰り道の県道で見かけた若いお遍路さんは

半袖Tシャツにハーフパンツのいで立ちであった。

歩き続けていると汗ばむほどの陽気だったのだろう。

ふくらはぎには湿布を貼ってあり気になったけれど

颯爽と歩いており痛みは峠を越えているように見えた。

荷物が少なかったので野宿ではなさそうだった。

今頃はきっと宿で疲れを癒していることだろう。

健脚ならば明日は伊予路に入るだろうと思う。

40番の観自在寺は静かでとても落ち着く札所である。


今日は他にも6人のお遍路さんを見かけたけれど

誰一人して声を掛けることも出来ずただ会釈を繰り返すばかりだった。



思い起こせば今までたくさんのお遍路さんと出逢い

一期一会のご縁を頂いたけれど

以前は毎日だったお大師堂にも最近はすっかり足が遠のいている。

行動無くしてはその機会もないのが当然のことだろう。

私が変わったのではなくただ老いてしまっただけのことかもしれない。

疎かにすることが随分と多くなったように思う。


朝の道でもきっかけさえあればと心しているけれど

声を掛けるタイミングも掴めないのがもどかしく感じている。

この年にもなるとなかなか思うように積極的にはなれないものだ。

臆病にもなり声を掛けることに躊躇ってしまうことも多くなった。


きっかけが無ければ自分で作れば良いとも思うけれど

それもお節介に成り兼ねずついつい善悪に心を奪われてしまうのだった。


日々は流れていくばかり。やがて季節も春から夏に変わるだろう。

私はただ指を折りつつ土佐の幡多路を歩くお遍路さんを数えている。



2022年04月06日(水) 巡る季節に

やっと朝の寒さが和らぎ日中も春らしい陽気となる。

ほっと空を仰ぎ降り注ぐ陽射しをいっぱいに浴びた。



朝の国道では春遍路さんを5人も見かける。

ここ数日の間にお遍路さんが一気に増えたようだ。

桜吹雪の舞う道をひたすら歩いて来たことだろう。

目指す金剛福寺では足摺岬の真っ青な太平洋が待っている。


一人一人に会釈をしながら旅の無事を祈ったことだった。


私もいつかきっとと思う。もう歩き遍路は無理だけれど

バスツアーならそれが叶うのではないだろうか。

仕事を辞められる目処は一向に立たないけれど夢はふくらむばかり。



帰宅したらじいちゃんがぎっくり腰になっていた。

原因はよく分からずいきなり激痛に襲われたとのこと。

今朝は地区の資源ごみの収集日で役員として出掛けていたので

資源ごみの仕分けをしたり重い物を持ったのかもしれない。

けれどもその時は何ともなかったと不思議そうな顔をしていた。

ぎっくり腰はくしゃみをしても起こるものらしい。

そのうえ癖になるとも言われおり本人はけっこうけろりとしている。

「またですか」と言うと「またやっちまった」と苦笑いしていた。



孫たちは春休みの最終日。明日は入学式と始業式だった。

あやちゃんは4年生に。めいちゃんは2年生になる。

春休みも宿題があったようで二人とももう完璧なのだそう。


成人年齢が18歳と決まり、あやちゃんは後8年で成人になる。

なんだか信じられないけれどきっとあっという間のことなのだろう。

めいちゃんが生まれてから8年。つい昨日のようにおもい起こしている。


少女から大人へ。いったいどんな未来が待ち受けているのだろう。

私達は老いに負けずその未来をきっと見届けようと思っている。


春は生きている限り必ず巡って来る。

そのたびに桜は咲きそのたびに散っていくけれど

その儚さを嘆くことだけはしたくないのだった。







2022年04月05日(火) 生き生きとする

二十四節気の「清明」すべてのものが清らかで生き生きとする頃。

いのちの営みを感じ生きる喜びも感じられる頃だろう。

そんな「清明」の季節が私はいちばん好きだなと思う。

だからこそすくっと前を向いて歩み出していかなければならない。



私は能天気な性格ではないので欝々としてしまう時もあるけれど

何事も気の持ちようだと思い直すことが出来るようになった。

心配事があればそればかりに囚われてどん底の気分にもなるけれど

「なんとかなるだろう」と開き直ることも出来るようになった。

生きている限りひとは成長することが出来るのだと思う。



今日は定時より少し遅くなり帰路に就く。

合いびき肉が半額で売っており頭の中がハンバーグになっていた。

あやちゃんもきっと喜んでくれるだろうとうきうきした気分で帰宅。

今日も「ばんごはんはなあに?」「ハのつくものよ」と応える。

「歯につくもの?」と兎のような前歯を見せながら笑った。


我が家のハンバーグは照り焼きと決まっていて娘が作ってくれる。

私は茎わかめと厚揚げの煮物を作っただけで楽ちんだった。

5時半には一番風呂に入るじいちゃんが早々とテーブルに着き

まるで居酒屋の客のような顔をして晩酌の肴を待っている。

今日はお刺身が高くて買えなかったので「サラダカツオ」を出した。

鰹の生節なのだけれど柔らか目でオイル漬けにしてあるものだ。

じいちゃんはそれにお醤油をかけて食べるのが好きなのだった。


今夜は珍しくあやちゃんが子供部屋から下りて来て一緒に食べてくれる。

大盛りのご飯で満足そうに食べてくれてとても嬉しかった。

やはりメニューは孫中心でなければいけないと改めて思う。


めいちゃんはいつも最後のはしに食べるのが常となっており

今夜も「ままは?」と訊ねたら「まだ食べたくない」と言う。

「まま」とは「まんま」の事で私は未だに赤ちゃん言葉だった。

それなのにめいちゃんは全く違和感を感じないらしく

「まま」イコール「ごはん」だとわきまえているのも愉快なことだ。


今はお風呂に入っているらしく浴室からはしゃぎ声が聴こえている。

なんと平和な夜だろう。私は微笑みながらこれを記した。










2022年04月04日(月) しあわせの日

桜が散り始めてからやっと青空になる。

日中の気温も20℃に達し春らしい一日だった。

桜は徐々に葉桜に。木の芽も見えるようになり柿の木や枇杷の木。

特に枇杷の木は新芽が花のように見えて好きだなと思う。

やがて新緑の季節がやってくるだろう。それも楽しみでならない。



令和4年4月4日。私は「しあわせの日」と名づけた。

元来4は不吉な「死」と結びつく数字ではあるけれど

それも人それぞれの受け止め方で変わるのではないだろうか。

マイナス思考をプラス思考に変えてみるべきなのだ。

4がたくさんあるほど4は合わさり「しあわせ」になる。



仕事は今週も忙しくスタートしたけれど

一段落したところで後は明日と定時で帰路に就いた。

帰宅して洗濯物をたたみ終えるなり本を読み始める。

寸暇を惜しまずとはこのようなことだろうか。

時間が足らないと言ってしまえば幸せにはなれない。

少しでも時間があって有り難いと思えば幸せになれる。



あやちゃんが「晩ごはんはなあに?」と毎日の事なのだけれど

今日は「それだけは訊かないで」と言ってしまった。

そうしたら「なに?なに?」と連呼するありさま。

「焼きそば」と応えたら「ふ〜ん」とつまらなそうな顔をした。

案の定、夕飯時になっても子供部屋から出て来ない。

娘がしぶしぶフライドポテトを揚げてくれて助かった。


最近のあやちゃんは私に不平不満をぶつけることをしない。

わがままも言わず少しは私の苦労を感じているのだろう。

そんな思い遣りを感じることも幸せではないだろうか。


「しあわせの日」が穏やかに暮れていく。

あやちゃんに声をかけたら振り向いてにっこりと笑った。










2022年04月03日(日) ひまじんネット

今朝は真冬のような寒さとなる。

「花冷え」と受け止めていても途惑わずにいられなかった。

日中もあまり気温が上がらず肌寒い一日となる。


PC内の古いフォルダーを整理していたら「梨の花」の写真を見つける。

日付は2002年3月28にとなっておりなんと20年前の写真だった。

おぼろげな記憶ではあったが確かに梨畑に行ったことを思い出す。

デジカメを買ったばかりの頃であり行動力もあったのだろう。

他にも海の写真が多くあり独りで砂浜を歩いたことも懐かしかった。

45歳の私はまだ女盛りだったのかもしれない。

海を見ながら感傷に浸っている姿は気恥ずかしささえ感じる。


その頃の写真の殆どが「ひまじんネット」にアップされており

多くの方とコミュニケーションがあったようだった。

コメントは「つっこみ」と呼ばれておりそれは沢山あって

返信がとても大変だったことも今となっては懐かしい思い出である。

まさに「暇人」でなければ到底出来兼ねない有り様であった。


「四万十オフ会」と称し全国からお仲間さんが集まったこともある。

当時高知大学の学生だったD君と二人で段取りをして

東京、埼玉、京都、和歌山とお仲間さんがはるばる四万十へ来てくれた。

ネット空間だけの繋がりで顔も知らなかった人達と会える喜び。

なんだか信じられないようなことが現実になったのだった。

パンドラちゃん。夢楽堂さん。PAOさん等

それぞれの本名も分かり親密感はいっそうに増したのだった。

ずっといつまでも続く縁だと信じてやまなかったのは言うまでもない。


しかしその親密感が災いしたのかその後「破局」が訪れた。

パンドラちゃんと夢楽堂さんが晴れて結婚することになり

都内で行われる結婚式に私はどうしても出席出来なかったのだ。

旅費はもちろんのこと仕事に追われる毎日で諦めるしかなかった。


その寂しさをありのままにこの日記に記したのがいけなかったようだ。

「祝福」よりも寂しさが勝っていたのだろうと思う。

日記を読んだパンドラちゃんからすぐに絶縁状のようなメールが届く。

そこには「絶対にゆるさない」と書かれてあった。


縁とはこれほどまでに儚いものだろうかと悲しくてならなかった。

同時に不本意にも彼女を傷つけてしまったことが悔やまれた。


「ひまじんネット」はすでに退会していたけれど

その後の私はネット空間に異常なほど慎重になっていた。

深入りをしないこと。親身にならないこと。そうして好意を持たないこと。

すべてを守り切ることは出来なくて今に至っているけれど

私は私なりのネット人生を歩んで来たのだと思っている。


去る者は追わず来るものは拒まずでもあった。









2022年04月02日(土) たけのこ記念日

日中も気温が上がらず今日も花冷えの一日となる。

桜は少しずつ散り始めているけれど

葉桜になるまではまだ猶予がありそうだった。

散り急がずにいてくれてなんとありがたいことだろう。


花の命に自分の命を重ねる。もう少しあと少しと願う。

そうして最期となれば潔く散ってしまいたいと思う。

きっと思い残すことなど何もないのに違いない。





朝のうちに買物を済ませ10時にカーブスへ。

今日は月初めの測定日でわずかであるけれど成果が出ていた。

一番は筋肉量の増加で自覚は全くないけれど数値が上がっていた。

辛かった足の痛みが薄れたのもきっとそのおかげだと思う。

とにかくコーチは「パーフェクト!」と言って褒めちぎるので

とても照れくさいけれど素直に喜んでいた。

この年になってまるで子供のように褒められるのは少し途惑う。

けれどもそれがカーブスの狙いなのではないだろうか。

子供は褒められて伸びると言うけれど大人もきっとそうなのだろう。


終り次第に職場へ向かい11時には着いていた。

昨日やり残した仕事があり少しずつ片付けていく。

3時には工場の仕事も一段落し早めに店じまいをすることにした。

同僚も田植えの準備が思うように捗らず少し焦っているようだった。

ずっと忙しい日が続いていたので無理もないことだろう。

週休二日にしてあげられなくて申し訳ないなと思った。


私は3時半まで仕事をして帰路に就くことにした。

お客さんから電話があり帰りに筍を取りに来るようにと言ってくれて

遠慮なく頂こうとお客さんのお宅へ寄ってから帰る。


今朝掘ったばかりの筍を湯がいてくれていて有り難かった。

それは水に晒してあって今夜すぐに食べられる状態になっていた。

帰宅してすぐに筍を煮る。初物を頂く時はわくわくと嬉しくてならない。

なんとも柔らかく今まで食べた筍で一番美味しかったように思う。

思わず今日は「筍記念日と」記したくなる程だった。


春には春の恵みがありそれを頂けることはなんと幸せなことだろうか。



2022年04月01日(金) 風とあのねのね

寒の戻りだろうか花冷えの一日となる。

それでも四月の声を聞けば心が浮き立つようだった。


どうやら燕が帰って来たらしくその姿を見かける。

我が家の玄関先には古巣を残してあるけれど

そろそろ巣の修復を始めるのかもしれない。

これまで我が家から巣立った子燕の数は数え切れないほどだ。


娘が植えてくれていたチューリップも咲き始めた。

最初に赤が。白は少し遅れているようだ。

球根だった時の姿を思うとその成長に感動さえおぼえる。

毎年咲いてくれるのだろう。大切に守ってあげたいと思う。





20年前に開設したホームページの掲示板を借りている運営サイトから

重要なお知らせというメールが届いた。

今年の8月1日を最後にレンタルサービスを終了するという報せだった。

広告収入で成り立っていたと思われるサイトだけに頷ける話だと思う。

SNSが主流となってしまった今の時代に掲示板は廃れるばかりで

書き込む人も見ている人も殆どいなくなってしまったのだろう。


私もホームページの更新が出来なくなって随分と経ったけれど

「風とあのねのね」と題した掲示板は今もひっそりと残っている。

決して放置しているつもりはないけれど訪問者は皆無となった。

ホームページ自体が機能していなのでそれは当然のことだろう。

そうしてついに掲示板が消えることになってしまったけれど

寂しさというより観念というかこれも時代の流れだと受け止めている。

たくさんの出会いとふれあいを頂いた思い出あふれる場所は

消えてしまってもずっと私の心に残り続けることだろう。


20年という歳月を振り返る。この日記もそうだけれど

すでに私の人生の一部となり生き永らえて来たのだろう。

この「エンピツ」の日記サイトもある日突然の終了があり得る。

時代遅れだと言われるのは辛いけれど私はしがみついていたいのだ。


最後を怖れていては何も出来ない気がする。

始め良ければ終りよし。何事も気の持ちようなのかもしれない。


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