ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年12月30日(木) 小晦日に

陽射しには恵まれたけれど風の強い一日。

明日はもう大晦日で今日は小晦日と言うらしい。

駆け抜けたような一年がもうすぐ終わろうとしている。

振り返れば充実した一年だったのだろう。

平穏無事でいられたことが何よりに思う。

幸せは「仕合せ」何事もなるようになり

不安や心細さも過ぎてしまえば些細なことだった。



朝のうちにお大師堂へ。花枝に千両の実を添える。

トイレ掃除は出来なかった。ちょうど干潮時で

川の水が引いており水を汲みに行けなかったのだ。

足の痛みが無ければ岩を伝って行けたけれど

とても自信が無く諦めてしまった。

出来ない事があっても良しと自分を宥めそしてゆるす。


家事もそこそこ。今年ほど手を抜いたこともなかった。

玄関ドアの拭き掃除もしないまま注連縄を飾る。

床の間には昨年の鏡餅がそのままあり埃を被っていた。

これにはさすがに苦笑い。罰当たりなことをしたものだ。


一年の疲れがどっと出る頃。もう無理はしないと決める。

何もしなくても新年は来るだろうと思うことにした。


午後は本を読み少しお昼寝もする。

4時前からおでんを煮込む。家中におでんの匂いが漂っていた。



息をするたびに命の在処を感じていたと思う。

与えられた一日を全うしながら明日を信じていたのだった。

いのちある限りと思う気持ちは変わらない。

愚かなこともある。不甲斐なさを感じることもある。

それでも血の通う指先で明日の扉を開け続けていようと思う。



拙い日々の日記を読んで下さりありがとうございました。

これが今年最後の日記になりそうです。

皆さまどうか穏やかに新年をお迎えください。



2021年12月29日(水) ボーナス

曇り日。お昼頃からぽつぽつと雨が降り始める。

気温もあまり上がらず肌寒い一日だった。

大晦日から元旦にかけてまた大寒波が襲って来るとのこと。

もう雪はたくさんだけれどまた降るのかもしれない。



予定通りに仕事納め。午前中に工場の清掃をしてお昼で終わる。

資金繰りが順調だったのでボーナスを支給することにした。

それも私の一存で決められるので我ながら大したものだと思う。


ボーナスと言ってもほんの寸志ほどの額だけれど

義父は生まれて初めて貰ったととても喜んでいた。


中学を卒業してからとある整備工場に見習いで就職し

整備士の資格を取ったけれどお給料はとても安かったらしい。

60年以上も昔の事でボーナスなどとは縁遠かったのだろう。

その後独立して自分の工場を持ったけれど

食べて行くだけで精一杯だったらしい。

会社を設立した頃には従業員のお給料に苦労し続けて

社長とは言え役員報酬さえも手に出来なかったのだった。

どんなに働いても報われない。云わば日陰の道を歩んで来たのだと思う。


そんな義父にたとえ寸志でもボーナスをあげられて本当に良かった。

「こんなにもらって良いのか」と心配していたけれど

「大丈夫よ」と笑顔で応える。「また来年も頑張ろうね」と言って。


私は心地よい達成感と充実感に満たされていた。

難破船のような会社だけれど何処かの島に流れ着いたような気がする。


ひと休みしたらまた波に押されて海を漂うことだろう。

義父と同僚と3人で一生懸命にオールを漕ぎ続けようと思う。



2021年12月28日(火) 融けない雪だるま

最高気温が10℃を超えずいぶんと暖かく感じた。

山里では昨日の雪が融け始め屋根からぽたぽたと雨だれのように落ちる。

県道沿いのとあるお店の前には大きな雪だるまがふたつ。

それは一気には融けず雪の名残を残しつつ可愛らしい姿であった。



工場の仕事がやっと片づく。予定通り明日は仕事納めが出来そう。

事務所は特に急ぎの仕事もなく窓拭きをしたり注連縄を飾ったり。


定時でタイムカードを押せたので図書館に寄っていた。

今日が御用納めなので明日から休館になる。

年末年始に読む本が無くなるのでとりあえず4冊借りた。

今年ほど読書に夢中になったことはかつて無かったように思う。

本屋さんに行くこともなくなり図書館に助けられた一年だった。

無料で本が読めることがとても有り難くてならない。



娘が元旦には昆布巻きが食べたいとのこと。

おせち料理など縁がない私だけれど毎年昆布巻きだけは作っている。

娘の大好物で食べないと新年が来ないとさえ言う。

昆布、かんぴょう、牛蒡はすでに買ってあるのだけれど

鯖はまだ良いかなと後回しにしていた。

今日こそはとスーパーの鮮魚売り場を覗いて愕然とする。

昨日まであった大きな清水鯖が一匹も見当たらないのだった。

仕方なく痩せ細ったような小さな鯖を2匹買い求めた。

おまけに今日から三枚おろし等の調理はお断りしますとのこと。

昨日のうちに買っておけば良かったと悔やまれてならない。


けれども美味しい昆布巻きを作る自信はあるようだ。

毎年作るたびに最後かもしれないと思う。

娘に伝授しておかなければと思うのだけれど

娘はまだまだ先の事といつも笑い飛ばすのだった。


背中を押されるように年の瀬が迫って来る。

心細さなどほんの些細な事なのだろう。



2021年12月27日(月) トンネルを抜けると雪国だった

今朝は今季いちばんの冷え込みとなり薄っすらと雪が積もる。

道路には積もっておらずすぐに溶けるだろうと思っていたけれど

義父から電話があり山里は大雪になっていると聞きおどろく。

無理をして出勤して来ないようにと言われ自宅待機することになった。


これ幸いと本を読み始めたものの落ち着かず

窓の外を眺めるばかり。空は青く朝陽が眩しいほどだった。


お昼になり今日中に郵送しなければいけない書類があるのを思い出し

居ても立ってもいられなくなり急きょ職場に向かった。

あたりの雪はもう完全に溶けており順調に車を走らす。


伊豆田トンネルを抜け土佐清水市内に入ると

まさにトンネルを抜けると雪国であった。

道路の雪こそ溶けていたけれどあたり一面の銀世界で

昨夜から今朝にかけてかなりの雪が降り積もったことが分かる。


恐る恐る国道から山道に入った。道路には雪が残っていたけれど

幸い凍結はしておらずなんとか通り抜けることが出来た。

職場はすっぽりと雪の中。車にはうず高く雪が積もっていた。


3時間程仕事をして帰路に就く。同僚が冬タイヤに交換してくれる。

通行止めになっていた高速道路も走ることが出来て何よりだった。

ただ宿毛市平田ICから和田ICまでは未だ通行止めとのこと。

極寒の中を誘導する警備員の姿には頭が下がる思いであった。

トイレにも行けず紙おむつをしているのだと聞いたことがある。

皆自分に与えられた仕事を受けとめ全うしているのであろう。

たとえ半日でも自宅待機を許された私などは愚の骨頂である。


今朝の山道で見かけた冬遍路さんを山里の道でも見かけた。

男女のお遍路さんでご夫婦なのではないかと思われた。

道端にふたり佇みしきりにスマホを操作していた。

おそらく今日の目的地、延光寺までの道のりを調べていたのだろう。

「もう少しですよ」と声を掛けられなかったことが悔やまれる。


寒波は明日以降一時的に弱まりそうだけれど

また年末には大寒波が襲って来るのだそう。

真冬からはもう逃げられない。ならば立ち向かって行くしかない。



2021年12月26日(日) 太刀魚

小雪が舞う厳しい寒さとなる。

近隣の宿毛市や土佐清水市ではぼたん雪が降ったようだ。

今夜はもう降らなければ良いのだけれど

明日もまだ強い冬型の気圧配置が続くとのこと。

無事に出勤できるのかそればかり心配している。



あまりの寒さのためお大師堂にも行かず。

家の事は二の次にしても新年を迎える準備をしなければならない。

毎年自分に課している役目だけは果たしたいと思っている。

幸い29日で仕事納めが出来そうなので

大晦日までにはなんとか出来そうだった。



今日は「小京都四万十ジュニア駅伝」があったのだけれど

めいちゃんは残念ながら補欠とのこと。

選手に選ばれた時にはビックニュースと大喜びしていて

その後補欠だと聞かされてめいちゃんも少しショックだったようだ。

けれども放課後の練習には参加して一生懸命に頑張っていた。

トップランナーは2年生と決まっていてもし何かあれば

めいちゃんが代わりに走るのだから補欠も重要な存在である。

本人もそれを自覚しており極寒の中しっかりと待機していたよう。

補欠だと頭から諦めずにほんとうにえらかったと思う。

来年にはなんとしても走らせてあげたい気持ちが込み上げて来た。



夕飯に太刀魚を焼く。昨夜しらすウナギ漁に行っていた娘むこが

偶然に釣り上げたそうでけっこう大きな太刀魚だった。

普段スーパーで売っているものは高価で手が出ず

食べるのはほんとうに久しぶりの事でそれは美味であった。

孫たちは生まれて初めて食べる太刀魚だったようだ。



窓を開けて夜空を見上げれば星が瞬いている。

強い風もおさまっており静かな夜になった。

寒さは相変わらず厳しいけれどほっこりとこれを記す。





2021年12月25日(土) 家族として

陽射しはたっぷりとあったけれど風の強い一日。

明日の朝は氷点下となり日中もかなり冷え込むらしい。

雪にならない事をひたすら祈っている。


今朝は茶の間の障子が破れていたのを補修する。

「いくらなんでもみっともないぞ」とじいちゃんから言われていた。

すべて貼りかえる根気はなくほんの一部分だけだった。

家中に気になるところは沢山あるけれど

大掃除をする根気も無かった。このまま最低限の小掃除になりそう。

普段からこまめにしていれば年末に慌てることもないのだけれど。

無理をしないことに決めている。出来ない事があっても良い。



クリスマス。孫たちにはサンタさんからお手紙とプレゼントが届いていた。

手紙を読んだあやちゃんが「どうしてひらがなばかりなの?」と。

娘が「サンタさんは外国人だから漢字が書けないのよ」と言っていた。

あやちゃんはもうサンタさんの存在を信じていないようだけれど

一瞬半信半疑になったようで複雑な表情をして見せていた。

手紙が届くということはきっとそういうことなのだろう。

親としてはいつまでも信じていてほしいものだと思う。

親に向かって「ねえ買って」では夢も何もありはしないものだ。



今年も「しらすウナギ漁」が解禁となり

日暮れを前に娘婿が出掛けて行く。

もちろん夕飯も食べず娘と孫たちは寂しそうにしていた。

しばらくは母子家庭のような日々が続くのだろう。

仕方ない事なのだろうけれど少し不憫に思えてならない。

娘は私に似ずあっけらかんとした性格なのだけれど

子供達が言うことを聞かないとさすがに苛立ちを覚えるようだ。

さっきも「さっさとお風呂!」と少し声を荒げていた。


いつまでも同居は在り得ないからと釘を刺されているけれど

私達夫婦も居ないよりはましなのではないだろうか。

恩を着せる訳ではないけれど出来る限りの手助けをしているつもりである。


家族ではないと言われてもやはり家族なのに違いない。

それを前面に押し出さない事で今の暮しが成り立っているように思う。


愛しさは少し寂しさにも似ている。







2021年12月24日(金) 鶏肉事情

夕方からぽつぽつと雨が降り始める。

幸い気温が高めで春先の雨のように暖かくなった。


最強寒波は日曜日から月曜日にかけて襲って来るとのこと。

先ほど市の無線放送で水道管の凍結に注意するよう呼びかけがあった。

どうやら逃れられそうにもない寒波に身構えるばかりである。



クリスマスイブ。仕事帰りに「ちきん館」で「丸っぽ鶏」を買って来た。

ローストチキンで鶏を丸ごと焼いたもので少しグロテスクだけれど

香ばしくてとても美味しく「ちきん館」の看板商品でもある。


娘がいそいそとパーティーの準備を始めていたけれど

結局今夜もじいちゃんと二人で先に食べてしまった。

娘達は家族水入らずで未だに食卓を囲んでいるようだ。


私は子供の頃から鶏肉が大好物で

新婚当初はそれが食べられずひたすら我慢をしていた。

嫁いだ家は鶏肉に限らず肉類を食べる習慣がなかったのだ。

郷に入れば郷に従え。肉を使った料理などもっての外で

姑さんから夕食の支度を頼まれるのもまるで試練のようなこと。


ある日のこと妊婦健診で街の産婦人科へ行った時

とうとう我慢できなくなり鶏の足の唐揚げを買って帰る。

もちろん自分一人でこっそりと食べるためであった。

久しぶりに食べる鶏肉のなんと美味しかったことだろうか。


しかし身は食べ尽くしても骨が残ってしまうのは当然のこと。

私はその骨をどうやって隠すべきか真剣に考えていた。


当時はまだ市のごみ収集など行われておらず

家庭ごみは各自が焼却して処分するのが習いであった。

紙類と一緒に燃やしても骨は残るだろうと思われる。

「この骨は何の骨だ」と姑さんにきっと見つかるだろう。


散々考えたあげく私は畑の隅に穴を掘って埋めることを思いつく。

それも姑さんの目を盗みつつの至難の業であった。

それからしばらくは見つかりやしないかと不安でならず

畑仕事をする姑さんの姿をはらはらしながら見ていたのだった。


食べたい物が食べられるようになったのは息子が生まれてからだった。

お舅さんが離れの部屋に小さな台所を作ってくれたのだ。

もう母屋の食事を任されることもなくなり

やっと「家庭」らしきものが出来る。

鶏肉も牛肉も豚肉も思う存分に食べた。







2021年12月23日(木) 臆病風

今日も真冬とは思えない程の暖かさとなる。

北国の大雪を思うとなんだか申し訳ない気持ちになってしまう。

この暖かさも明日までのようで週末から年末にかけて

最強寒波が襲って来るとのこと。とても不安でならない。


お客さんから中古の冬タイヤを探して欲しいと頼まれ

ヤフオクで入札したら出品者は北海道の業者であった。

きっと高知も雪が降るのかと思ったことだろう。

今日早速に発送通知が来た。来週早々には付け替え出来るだろう。

北海道から旅をして来るタイヤ。なんだか感慨深いものがある。


私は過去に雪道のスリップ事故を2回も経験しており

雪が降っただけで心臓が縮む程に恐怖心を覚える。

雪が降れば仕事を休むことにしていたけれど

昨年は思い切って冬タイヤを購入した。

それを付け替えしないまま春を迎えてしまったのだ。

今年こそはと思っているけれど年末までに出来るだろうか。

同僚の手を借りねばならずまだ言い出せずにいる。

あくまでもお客さんを優先しなければいけない。



子供の頃は雪が積もれば大喜びををしたものだ。

山間部に住んでいたので雪の日が多かったと記憶している。

今でも忘れられないのは「かまくら」

近所の上級生の男の子達が立派なかまくらを作ったことがあった。

けれども女の子は入ってはいけないと言われとても悔しかった。

歓声をあげている男の子達の楽しそうな姿を指をくわえて見るばかり。

かまくらを見たのはそれが最初で最後となり

それ以後それほどの大雪は降らなかったのかもしれない。


雪合戦、雪だるま。無邪気だった子供の頃がとても懐かしい。

今では臆病風に吹かれているのが嘘のようである。



2021年12月22日(水) 柚子の木と蜜柑の木

今日は冬至。最高気温が18℃まで上がりぽかぽか日和となる。

明日から少しずつ日が伸びて来る。春はまだ遠いけれど

季節は確実に春に向かっているのだろう。

終らない冬はない。もうしばらく冬と付き合っていこう。


柚子農家さんがお風呂にとまた柚子を届けてくれた。

柚子酢の上にお風呂まで気遣ってくれてありがたいこと。

今夜はほんのりと柚子の香るお風呂でゆっくりと温まった。


我が家にも柚子の木を植えてみたくなり先日から探しているけれど

ホームセンターでは見当たらず時季外れなのかもしれない。

昔は一条大祭などで植木市があったけれど今はどうなのろう。

もし見つけられたら一本だけでも買い求め植えてみたいものだ。

でも植えてから実をつけるまで数年待たなければいけないよう。

そのためには長生きをしなければならずそれも張り合いになる。

楽しみにしながら生き永らえるのまた良いのかもしれない。



母の生まれ育った実家は蜜柑農家であった。

30年位前までは祖父もまだ元気で蜜柑を栽培していたと記憶している。

家の離れに「蜜柑の部屋」があり収穫した蜜柑を寝かせてあった。

もちろん蜜柑畑もあったのだけれど今はもうその跡形も無い。

祖父が根こそぎ木を掘り起こしたとは考えられず

おそらく自然に枯れたかして消滅してしまったのだろう。

祖父は丹精込めて蜜柑を栽培していたのだと思う。

種類は違ってもそれは柚子農家さんと同じなのではないだろうか。


蜜柑の木は無くなってしまってもその味は今も忘れられない。

小粒で甘くてとても美味しかった。


それにしても木が枯れることが信じられない。

根さえあればいつまでも生き続けているように思えてならない。




2021年12月21日(火) 桜餅

曇り日。陽射しがなく日中も肌寒く感じる。

冬枯れた景色のなか銀杏の裸木が物悲しく見えた。

羽根を休める鳥もいない。ただ風だけが吹く抜けていく。



支払いに来てくれたお客さんが手土産にと和菓子を持って来てくれた。

蓋をあけて思わず歓声をあげる。なんと可愛らしい和菓子だこと。

兎の姿をしたものや虎の姿をした物もあり笑みがこぼれる。

老舗の和菓子ならではの職人技なのだろう。

一目見ただけでそれが心を込めて作られたことが感じられた。

ダイエット中で甘い物は控えているけれど一個だけならと許し

豆大福を頂いた。中は白餡でとても優しい甘さが美味であった。



高校時代に友達とよく行っていた和菓子屋さんを思い出す。

安芸市の「和食屋」というお店できっと今もあると思う。

私も弟もその店の桜餅が大好きだった。

弟が二十歳くらいの時だったろうか。私はすでに嫁いでいたけれど

久しぶりに弟に会うのに手土産にとその桜餅を持参したことがある。

けれども弟は意に反してあまり喜んではくれなかったのだ。

「大好きだったのに」と私が言えば「いつの話だよ」と苦笑いする。


今思えば二十歳の男の子に桜餅は不似合いだったのだろう。

おとなになれば好みも変わるそれが当然のことに思われる。

「こんなにどっさり買うてきて」と弟は呆れ顔をしていた。

それでもなんとか一個だけは食べてくれて

「後は姉ちゃんが持って帰りなよ」とまた私の手元に戻って来た。

ちょっとどころかけっこう寂しかった。そうして苦い思い出となる。


けれどもこうして40年以上の歳月が流れてしまえば

苦い思い出も愉快な思い出となってくれるものなのだ。


私はあれ以来桜餅を殆ど口にしたことがない。

弟もおそらく同じだろうと思う。

安芸市に足を運ぶこともなくなり「和食屋」の桜餅がとても懐かしい。


春になり桜の季節になればまたきっと思い出すことだろう。



2021年12月20日(月) 腐れ縁なのか

最高気温が10℃を超え陽射しが暖かく感じられる。

朝の寒さにも慣れて来たようだ。少しも苦にはならなくなった。

夜明けを待ちかねて大量の洗濯物を干す。

冷たくなった手のひらもファンヒーターにかざせばすぐに温もる。




貸し倒れ寸前になっているお客さんがいて

数年前から郵便物が届かなくなっている。

幸い勤務先が分かっているので請求書を届けに行っていたら

今年の春に退職したとのこと、もう諦めるしかないのか。

そうしたら思いがけずに新しい勤務先を教えてくれたのだった。

それが隣町の得意先の建設会社だったのでびっくりとおどろく。

ちょうど今日が集金日で午後から出向くことになっていたのだ。


追い掛け回すようで少し気が引けたけれど背に腹は代えられず

事務員さんに事情を話し請求書を預けることが出来た。

そうしたら一時間も経たないうちに社長さんから電話があった。

なんとしても責任を持って支払わせるからと言ってくれる。

「お金にルーズな者は仕事もルーズだから」と

とても厳しい口調で「許せない」とまで言うのだった。


私はとても複雑な気持ちになる。まるで自分が鬼の取立屋であるかのよう。

貸し倒れにすることは容易く今年限りで諦めることも出来たのだ。

請求書はあくまでも年末の形式的なものに過ぎなかった。


最後の取引から10年を超えておりすでにお客さんではないかもしれない。

けれども縁があったことは確かで当時は好青年にさえ思えた。

ギャンブル狂と噂に聞いていたので暮しにも困っているのだろう。

無い物は払えない。それが当然の事だと思われる。


仕事を終えてから社長にこっぴどく叱られたのではあるまいか。

「くそ、どこまでも追い掛けて来やがって」と悪態もつきかねない。

そんなことを考えていると何が善くて何が悪いのか分からなくなる。


もし年末までに振り込みがあればとてもありがたいことだけれど

振り込みが無かったらもう潮時なのではないだろうか。

縁を切ってあげるのも人の道ではないかと思ったりしている。



2021年12月19日(日) 満月

幸い雪にはならなかったけれど午前中は時雨れていた。

もう少し気温が下がっていたら小雪の舞う一日になったことだろう。



朝のうちに川仕事へ。海苔の種網を漁場に張る作業。

今年は種付けが順調に行かずほんのわずかであった。

それでも無いよりはまし。少しでもと思う気持ちが大きい。

昨年の三分の一ほど。収穫もぐんと少なくなりそうだ。

例年なら1月下旬には収穫が始まるのだけれど

今年は大幅に遅れそうで前途は決して明るくはない。


40年もこの家業を続けていればどんな年もあり

豊作の年もあれば不作の年もある。

ここ数年は不作の年が続いておりとても期待は出来ない。

一番大きな原因は水質の悪化ではないかと思われる。

水温の高さもありそればかりは自然に任せるしかなかった。

昔とはもう違うのだと現実の厳しさをつくづくと感じる。

長くてあと10年だろうか。いや5年で絶滅するかもしれない。

それでも最後まで諦めずに続けられたらと願ってやまない。


この40年を思い起こせば感慨深く懐かしく思い出される事が多い。

息子が3歳の時には高知放送のテレビ番組の取材を受けた。

「三歳児の世界」という番組で作業場で一人遊ぶ息子の姿を

テレビカメラに収めてくれてとても良き思い出となった。

両親ともに働いている傍らで息子は健気な3歳児として映る。

春先の事で土手で土筆を見つけて微笑んでいる顔が印象的だった。


もちろん録画をして当時は何度も再生して見たけれど

古くなったVHSのテープは今はもう再生出来なくなってしまった。

けれどもあの時の息子の笑顔は今も目に鮮やかに蘇って来る。


まだ乳飲み子だった娘も今年は40歳になった。

忙しさのせいにして抱っこもしてあげられなかった日々がある。

夜泣きはしたけれど昼間はすやすやとよく眠ってくれる子だった。

オムツはいつもぐっしょり。今思えば不憫な子だったのかもしれない。


その娘が小学生になって学校の社会見学で先生とクラスのお友達が

作業場の見学に来ることになった時、娘は泣いて嫌がっており

とうとうその朝熱を出して学校を休んだことがあった。

娘にとっては決して自慢出来ることではなかったのだろう。

熱が出るほど精神的に追い詰められてしまったのだと思う。


けれども私達夫婦は「誇り」を捨てることが出来なかった。

最低限の暮しを守るために精一杯の努力を惜しまなかったのだ。


40年の歳月が流れ犠牲にしてきたことも多い。

けれども家業がなければ叶わなかったことも確かにある。


「潮時」という言葉があるけれど満潮だろうか干潮だろうか。

窮地に追い込まれた時に「潮時」というのは「諦め」に等しい。



今日は大潮で空にはそれは綺麗な満月が輝いている。





2021年12月18日(土) 鍋日和

予報通りに厳しい冷え込み。山間部では初雪が降ったようだ。

川向の山が薄っすらと雪化粧をしているのを見た朝。

日中も気温が上がらずそれでも精一杯の陽射しだった。



孫たちは参観日で通常通りの授業。

寒さに負けず元気に登校するものと思っていたけれど

あやちゃんが憂鬱そうな顔をして「行きたくない」と言う。

理由ははっきりと言ってくれて

昨日仲良しのお友達と喧嘩をしたのだそう。

どうやら日頃から体型の事を言われたりして傷ついていたらしい。

仲良しだからこそそれがストレスになっていたのだと思う。


娘は無理強いをしない。私達もそれに倣った。

ゆっくりと時間をかけて見守ってあげなければいけない。


学校を休むことに後ろめたさを感じていたのだろうか

今朝は洗濯物を庭まで運んでくれてその上に干すのを手伝ってくれる。

冷たさにかじかんだ手のひら。思わず手を取って温めていた。

人一倍優しい子なのだ。だからこそ傷つきやすいのだと思う。


朝のうちにすぐ担任の先生から娘に電話があり心配していた様子。

授業参観が終わってから娘は洗いざらい話したのだそうだ。

些細な事からいじめに繋がることもある。

先生も心して見守ってくれると言ってくれたそう。



私も中学時代にいじめられたことがあり他人事ではなかった。

今のように陰湿ないじめではなかったけれど

母親もおらず誰にも相談できなかったことを憶えている。

父親には何も言えなかったから自分で解決するしかなかった。


私は直談判をした。どうしていじめるのかと立ち向かって行ったのだ。

今思えばそれ程の強さが自分にあったことが信じられない。

結果的にその「つよさ」が自分を救ってくれたのだろうと思う。

傷つくことを怖れてはいけない。痛みを糧に乗り越えて行くことだ。



夕飯は「寄せ鍋」あやちゃんは好物のくずきりをちゅるちゅると食べる。









2021年12月17日(金) 初雪の兆し

今季最強の寒波だとか。強い北風が吹き荒れている。

それは初雪の前触れのようでもあった。


職場の年賀状の宛名を書き終え郵便局へ持って行く。

印刷ばかりでは味気なく思い宛名だけは手書きにしている。

そのままポストに入れてしまえば良いのだけれど

ポストの中でばらばらになってしまいそうで不安なのだ。

局長さんに受け取ってもらえてとてもほっとした。


私は今年も年賀状を出さないことに決めている。

気忙しさの中で書きしたためてもいけない気もするし

新年が明けてからゆっくりと寒中見舞いを出そうと思っている。

その気持ちが伝わる人にはちゃんと伝わるだろうし

伝わらない人にはそれでいい。縁が途絶えても仕方ないと思う。

とにかく気分的にとても楽なのだ。あたふたと義理を通すこともない。



今年もあと2週間となり背中を押されているようなこの頃。

じいちゃん曰く。何もしなくても新しい年は来るのだそう。

だから大掃除もしない。最低限の家事だけをしていようと思う。


昨日母に宣言したように仕事だけはきっちりと終えたい。

29日には仕事納めが出来るように精一杯頑張っている。

年越しの仕事だけはあってはならない。それがけじめだろう。

来週いっぱいが勝負だ。なんとしても乗り越えてみせよう。


背中を押されるのはあまり好きではない。

出来れば自分の意思で前へ進みたいものだ。

きっと心地よい達成感が待っているだろうと思う。



2021年12月16日(木) 心配事ばかり

午前中は晴れていたけれど午後からぽつぽつと雨が降り始める。

幸い冷たい雨ではなく少しくらい濡れても平気だった。



お昼で仕事を終わらせてもらって病院へ向かう。

いつもはお薬だけだけれど今日は診察があった。

待ち時間が辛いので早めに行き順番を取っておく。


前回の診察はいつのことだったか。

医師からきついことを言われ不覚にも泣いてしまったのだ。

よほど相性が悪いのだろう。信頼感は一気に薄れる。

嫌悪感もつのり顔さえも見たくないと思っていた。

けれども今日は診察を避けられず仕方ないと観念する。

とにかく自分からは何も話さないこと。

訊かれたことだけに応えるように努めてみた。

医師も素直な患者だと思ったのだろう。優しい笑顔を見せてくれる。

これからまだ長く付き合っていかなければいけない。

ようは私の心がけ次第なのだと改めて思った。


短時間で薬を貰えたので次は母の施設のある病院へ向かう。

先月分の支払いを済ませケアマネさんに会いに行くと

主治医の先生から大切な手紙を預かっているとのこと。

それは現在の母の病状に関することで

心臓は落ち着いているけれど腎機能が著しく低下しているらしい。

最悪の場合は透析をしなければいけないのだそうだ。

病院には透析の設備が無いため転院し施設も替らなければいけないと言う。

母の命を守るためにそれは必要なことだと分かっていても

慣れ親しんでいる施設を替るのはとても酷な事に思えてならない。

近日中に家族の意思を知らせてほしいと言われた。

私の一存では決められず明日にでも義父に相談しようと思う。


母との面会も叶ったけれど終始仕事の話ばかり。

資金繰りは大丈夫か。無事に年を越えられそうか。

事実上は引退している母であってもやはり心配でならないのだろう。

会社の通帳を見せたら「あらまあ」とびっくりしていた。

私が「ボーナスも貰うからね」と笑いながら言ったら

「お父さんにもあげてね」と義父の事を気遣っていた。

今年最後の面会になるだろう。どうか元気に新年を迎えて欲しい。



買物を済ませ帰路を急いでいたらけい君の小学校から着信。

今朝は久しぶりに登校していたけれど午後からまた微熱とのこと。

養護の先生からの電話で保健室で預かっていると言う。

今日は息子からお迎えを頼まれていたのですぐにじいちゃんが向かった。


マンションへ送り届けたらお嫁さんは寝ていたらしい。

おそらく昼間のうちに睡眠薬を飲んでいたのだろう。

今さらどうしようも出来ない事だけれど遣り切れない思いが募る。

けい君が不憫でならないけれど手も足も出せなかった。


けい君、晩ご飯はちゃんと食べられたろうか。

息子は夜勤なのだろうか。何も分からないまま夜が更けていく。



2021年12月15日(水) 冬の日の微笑み

日中は今日も暖か。やわらかな陽射しをいっぱいに浴びる。

今朝は左足の痛みが少し和らいでいてとてもほっとした。

颯爽とはいかないけれど歩けるのはほんとうにありがたいことだ。



父方の伯母の命日。父の兄嫁にあたる人だけれど

私と弟にとっては母親代わりでもあり大好きな伯母であった。

父が死んだ時も伯母の顔を見るなり堪えていた涙があふれたのだった。

伯母に抱きつき声をあげて泣いたことが忘れられない。


中学の修学旅行の時、伯母は前夜から泊まり込みで来てくれて

早朝に出発する私の為にお弁当を作って送り出してくれた。

今思えば伯母にも子供達がいたのに当然のように甘えてしまったのだ。


父の葬儀の後、伯母の次男である従兄弟から聞いて初めて知った。

伯母は決して好き好んで私達の世話をしてくれていたのではなかった。

祖母である姑の命令で「行かされていたのだ」と従兄弟は言う。

「なにしろ自慢の息子だからな」と彼は皮肉を込めてそう言った。

その時のショックはとても大きかったけれど

従兄弟達から一時的にせよ母親を奪っていたことに変わりない。

けれども当時の私はそこまで思い遣るほどおとなではなかったのだ。


従兄弟のいう「自慢の息子」とはもちろん父のことで

祖母は5人の子を産み育てたけれど父が一番の出世頭だったからだ。

そしておそらく他の子供よりも可愛くてならなかったのだろう。

その子供が窮地に晒されたならなんとしても助けてあげたい。

その気持ちゆえに嫁である伯母に強いることを選んだのだろう。


そんな真実を知らされても伯母の優しさを疑うことは出来なかった。

伯母はほんとうに親身になって私達に接してくれたからだ。

今でも感謝しきれない程の恩を感じている。



11年前の夜、すでに独り暮らしだった伯母は入浴中に亡くなった。

翌朝訪ねて来た近所に住む叔母がお風呂で息絶えている伯母を見つけた。


その数日前に今思えば虫の知らせだったのか

伯母と電話で長いこと語り合ったことが忘れられない。

その時私は感謝の気持ちをしっかりと伝えることが出来たのだった。


再会の約束は叶わなかったけれど

伯母の優しい微笑みは今も私のこころでしっかりと生き続けている。







2021年12月14日(火) マイナスとプラス

今朝は氷点下にこそならなかったけれど厳しい冷え込み。

日中は陽射しに恵まれほっとするような暖かさだった。


朝の国道では歩き遍路さんが3人。防寒着は着ておらず

軽装の白装束で少しも寒そうには見えなかった。

歩くと身体が温まるのだろう。颯爽とした足取りであった。

歩くこともままならない私にはそれはもう憧れにしかならない。



けい君今朝も微熱があり学校を休んだとのこと。

お嫁さんは予定通りに退院するらしく息子が迎えに行くと言っていた。

午後、それとなく電話してみようかと思いつつ躊躇う。

じいちゃんからもあまり干渉するなと言われていた。

お嫁さんも気を遣うだろうしそれがストレスにもなり兼ねない。

とにかくしばらくは遠くから見守るしかないのだろう。

ちょうど良い距離というものはけっこう難しいものだ。

そしてなんだかとても寂しい。




定時で仕事を終えられたので図書館へ直行する。

司書の女性がとても親切に目当ての本をすぐに探し出してくれた。

市役所の二階の階段を勢いよく駆け上がったのがいけなかったのか

夕方から左足の痛みが酷くなり踏ん張ることが出来ない。

片足では立っていられずお風呂の浴槽も跨げないのだった。

そろそろやばいのかなと思う。整形外科に行くべきなのかもしれない。

けれどもいつ行こう。何をするのにも時間の余裕が全くない。


ふう、このところマイナス続きで自分でもうんざりしている。

まあそれも人間だから仕方ない。マイナスにマイナスを足すしかない。




夕飯は鰹のタタキ。孫たちには甘海老のお刺身。

他には高野豆腐と椎茸を煮たり牛ハラミのタレ漬けを焼いたり。

あやちゃんが甘海老をそれは喜んで食べること。

それはとても微笑ましい光景であった。

「また買って来るね」と言ったら「うん!」と笑顔を見せてくれる。



私にだってプラスはある。今夜も平和な夜だ。









2021年12月13日(月) きっと春が来る

たっぷりの陽射しに恵まれたけれど日中の気温は低目。

明日の朝は氷点下まで気温が下がるそうだ。

もう冬からは逃れそうにもない。

受けとめながら観念するしかないようだ。



けい君5時半に起床。そうしたらあやちゃんも起きて来て

4人でにぎやかに朝食を食べる。楽しそうなふたり。

それから登校時間までタブレット三昧をしていたようだ。


いざ登校時間になってランドセルを背負う直前に熱を測る。

それはコロナ禍になってから義務付けられている事だった。

そうしたらけい君まさかの微熱。本人も驚いたのだろう

息子に似て神経質な所があり急に気分が悪いと言い出したのだった。

ついさっきまで元気溌剌だったのが一気に弱り果ててしまった。

仕方なく学校を休むことにしたのだけれど風邪の症状はなく

もしかしたら母親の入院で精神的に不安定になっていたのかもしれない。

その上に環境の変化が伴い無理もない事だろうと思われた。

前回の入院の時も学校で泣いてしまったことを思い出した。

幼い心で必死で耐えている。微熱もその証拠ではないだろうか。



仕事を終えた息子が先ほど迎えに来て笑顔で帰って行った。

朗報と言うべきなのかまだ不安でならないのだけれど

お嫁さんは予定を早めて明日退院することになったのだそう。

息子は大丈夫だろうと言う。その言葉を信じるしかない。

前回の時もそうだったけれど手放しで喜べない複雑な気持ちだった。

どうかどうか無事に日常生活が送れますようにと祈るばかり。


悪い事を考え始めたらきりがなくふと自死が頭をかすめた。

夜勤の多い息子が留守の夜にけい君を道連れにするのではないか。

そんな事は決してあってはならない事なのだけれど

絶対に在り得ないとは限らない。それが大きな不安となる。

なんだか深い闇の中に引きずり込まれているような気になる。


どんな境遇であっても生き抜いて欲しい。

未来にはきっと救われる道が通じているのだと信じて欲しい。


終らない冬はない。きっときっと春が来るのだから。



2021年12月12日(日) おしっこちびった

日中の暖かさも今日までのようだ。

明日はぐんと気温が低くなるとのこと。

いよいよ本格的な冬が訪れるのだろう。



あんずの命日。もう8年の歳月が流れてしまった。

毎日川辺の道を歩きお大師堂に行ったことも懐かしく

今日は供養も兼ねてお参りに行っていた。


あんずはどうしたわけかお大師堂が苦手で

外の木に繋いで私がお参りをしているあいだ

ひいひいと泣くような声をあげて叫ぶのが常だった。

出会ったお遍路さんに人間の生まれ変わりだと言われたこともある。

前世に何か罪を犯してお大師さんが怖いのだろうと言うのだ。

その時にはさすがに悲しかった記憶も今では懐かしい。

決して怖かったのではない。ただ心細くて泣いていたのだと思う。




友達とランチの約束をしていたけれどキャンセルさせてもらう。

気忙しさもありとてもそんな気分になれなかった。

お昼前には息子がけい君と一緒に来て昼食を食べる。

息子は夜10時まで仕事のこと。相変わらず不規則な勤務だった。

夕飯前にじいちゃんとお風呂に入り3人で夕飯を食べる。

昨夜のハンバーグが残っておりぺろりと平らげてくれた。


息子にお嫁さんから連絡があり来週末には退院出来そう。

前回と同様で短期間の入院で済みそうだった。

けれども完治は在り得ない。ただ少し精神的に落ち着くだけだろう。

それでも少しでも日常の事が出来るようになればと願ってやまない。

私はカウンセリングの資格を取りたい。心理学も学びたくてならない。

そうしてお嫁さんを救うことが出来たらどんなに良いだろうか。



隣室であやちゃんと遊んでいたけい君が「おしっこちびった」と。

楽しくて笑い過ぎたらしく愉快なことであった。


我が家は今夜も平和そのものである。



2021年12月11日(土) 難を転ずる

連日の冬日和。風もなくぽかぽかと暖かい。


玄関先に葉牡丹とパンジーそれから南天を植える。

南天の葉は真っ赤に色づいておりとてもきれい。

「難を転ずる」と言って縁起ものなのだそう。

葉牡丹とパンジーは寒さに強くたくましい花。

新年を迎える準備を少しずつせめて玄関先だけでもと思う。

夏からずっと咲き続けている日日草はそのままに。

引いてしまうのはあまりにも可哀想だった。



けい君の上履きがあまりにも汚れていて洗おうとしたけれど

おそらく春から一度も洗っていなかったのではないだろうか。

頑固な汚れでその上サイズも小さくなっているようだったので

息子に相談するまでもなく新しいのを買うことにした。

お嫁さんも洗わないのではなく洗えなかったのだろうと思う。

最低限の家事をするだけで精一杯だったのだろうと察する。


夜勤明けの息子が朝迎えに来てくれたけれど

少しでも眠らせてあげたくて午後まで預かることにした。

3時頃また迎えに来てくれたけれど「帰りたくない」と駄々をこねる。

「お父さん独りぼっちでさびしいよ」やっと帰る気になってくれた。

母親の事は一切口にしない。健気に耐えているのだろうと思う。


明日午後からまた預かることになり月曜日は我が家から登校する。

上履きも新しくなり体操服も洗濯をし準備は万端である。

ランドセルも水筒もジャンバーも我が家に置いてあるのだった。


お嫁さんの様子は全く分からないけれど心配はないだろう。

入院すれば薬の管理もしてくれるのでそれがいちばんの安心だった。

とにかく精神的に落ち着くこと。彼女もそれを求めているに違いない。



夕飯はまた里芋を煮た。後は鮭の塩焼きと照り焼きハンバーグ。

ローストビーフと菜の花の胡麻和え。我が家にしては豪華なり。

じいちゃんと二人で食べ始めていたら娘むこが加わり

やがて娘も孫たちも加わり久しぶりの家族団らんとなった。





2021年12月10日(金) すき焼き

最高気温が18℃を超えずいぶんと暖かな一日だった。

油断をしているといつ寒気が襲って来るやらわからない。

師走なのだ冬なのだと言い聞かすように過ごさねばならない。



今夜はけい君を預かっている。

母親であるお嫁さんがまた入院してしまったのだ。

息子は夜勤とのこと。夕方けい君を迎えに行く。


やはり昨日の様子は尋常ではなかったのだ。

気丈に振る舞っていたけれど限界だったのだろう。

自ら入院したいと言って病院へ行ったそうだ。

それを聞くと昨日の今日で私が追い詰めてしまったのかもしれない。

なんとなくそんな気がして心を痛めている。


息子もけい君も「また入院」とけっこうあっけらかんとしている。

私も見習わなくてはいけない。またひと山乗り越えるような気持ちで。

いちばん辛いのはお嫁さんなのだ。それを忘れてはいけないと思う。


夕飯は「すき焼き」にした。とても嬉しかったのは

あやちゃんとめいちゃんがけい君と一緒に食べてくれたこと。

私は最初から諦めていてじいちゃんと三人で食べようと思っていた。

ぐつぐつとすき焼きが煮えたら「おなかすいた」と二人の声。

それがどれほど思いがけなかったことだろう。

けい君も笑顔で三人の孫たちが競い合うように食べてくれたのだ。


夕食後、けい君とお風呂に入った。初めての事なのでドキドキ。

だっておちんちんが付いているのだもの。

けい君はいつもシャワーで湯船に浸かるのは初めてだと言った。

肩まで浸かってとても気持ち良さそうにしていた。


息子が用意してくれた荷物にパジャマが無かった。

けい君に訊くと冬でも半袖Tシャツで寝ているのだそう。

今夜は暖かいけれどさすがにそれはと思ってしまう。

あやちゃんのパジャマのズボンを借りトレーナーを着せた。


今は娘たちの部屋に居てタブレット三昧をしているようだ。

娘むこも嫌がらずにいてくれてほんとうに感謝しかない。

おかげでこうして今夜も日記を書くことが出来た。


そろそろお布団の準備をしなければいけない。

前回は夏だったので雑魚寝状態だったけれど朝方は冷えるだろう。

けい君に風邪を引かせないよう暖かくして眠ろうと思う。


平穏無事な一日ではなかったのかもしれないけれど

今はとても平和な夜になった。



2021年12月09日(木) 冬日和

朝の冷え込みもつかの間。日中は今日も暖かくなる。

「小春日和」という言葉はもうふさわしくないようだ。

ある方のブログでそれを知る。冬の暖かな日のことを

「冬日和」と言うのだそうだ。今日まで知らなかった。

季節ならではの言葉をもっと学びたいなと思う。




午後4時には仕事を終えて帰宅していたのだけれど

息子から電話があり急きょけい君を迎えに行っていた。

5時限目から腹痛があり保健室で寝ていたとのこと。

学校から息子に連絡があったけれど息子は仕事中だった。


はらはらしながら迎えに行くと「もうなおった」と言う。

発熱もなさそうでもう大丈夫かなとマンションへ送り届ける。


しかし母親であるお嫁さんの体調が思わしくなく

心配のうえにまた心配が重なるばかり。

息子は準夜勤で午後9時過ぎまで帰れそうになかった。

二人きりにしておいて良いものかなんとも気がかりでならない。


そんな私の気持ちを察したのかお嫁さんが「大丈夫です」と言う。

その言葉を信じるしかなく後ろ髪を引かれるように帰路に就く。

夕飯はどうするのだろう。お風呂にも入れるだろうか。

けい君が不憫でならないけれど仕方ないことなのだろう。

改めて息子の苦労の大きさを感じた出来事であった。



我が家は平和そのもの。今夜はダンス教室に出掛けている。

8時半頃には帰って来てそれから夕食を食べるとのこと。

木曜日の夜は孫たちの顔もろくに見えないけれど

それも慣れてしまって寂しさを感じることもなくなった。


元気なのがいちばん。つくづくとそう思う。

けい君もきっと大丈夫。どうかぐっすりと眠れますように。







2021年12月08日(水) 思い出

朝の冷え込みが緩み日中も春のような暖かさとなる。

同じ高知県でも高知市や東部では強風が吹き荒れたそうだ。



今夜は伯母のお通夜だったけれど

「家族葬」なので最小限の人数で執り行いたいとのこと。

遠回しではあったけれどなるべく遠慮して欲しい旨が伝えられていた。

明日の告別式も同様で私は参列できない事になってしまった。


コロナ禍ならではのことだと思う。それが一般的になっているらしい。

従兄弟夫婦も悩んだ末の結果だと思うのでとやかく言える筋合いではない。

伯母と最後のお別れが出来ないのはとても残念でならないけれど。


先ほどじいちゃんがお通夜から帰って来て

伯母はとても安らかな顔をしていたとのこと。

やつれてもおらずふっくらと穏やかで生前の面影のままだったそう。

それを聞いて少しほっとした。伯母はしっかりと天寿を全うしたのだ。





今日はめいちゃんがいっぱいお手伝いをしてくれて

宿題が終わってからお風呂を洗ってくれた。

それからエプロンをして夕飯の支度も手伝ってくれたのだ。

テーブルにお箸とお皿を並べたりお父さんのビールを出したり。

ちょっと頑張り過ぎたのか夕飯の途中で眠くなってしまったよう。

お風呂の時間になったけれど今はもうぐっすりと寝ている。


あやちゃんはこのところずっと終い風呂で

私達が寝てからお風呂に入っているようだ。

それも成長の証だけれどなんとなく寂しさを感じる。

お風呂上がりの二人をタオルでごしごししたのがとても懐かしい。

ほんの昨日のように思うことが思い出になっていく。



伯母のように百歳まで生きる自信はないけれど

もし生きられたらどれほどの思い出が出来るのだろうか。




2021年12月07日(火) ビックニュース

二十四節気の「大雪」暦の上ではいよいよ本格的な冬となる。

これから日に日に寒さが身に沁みる頃だけれど

今日は幸いずいぶんと暖かな一日となった。


葉を落とした木々が目立つようになり

野には枯れ尾花が群れるように佇んでいる。

冬枯れた景色をなぐさめるように冬の陽射しが降り注ぐ。



今朝は出勤を少し遅らせて伯母の亡骸が安置されている葬儀場へ。

しかし伯母の家族は誰も居なくて仕方なく踵を返す。

まさか伯母はたった独りで夜を明かしたのではあるまいか。

それは誤解だったようで早朝一時帰宅をしたことを後で知った。

従兄弟夫婦は遺影にする写真を探しに帰っていたのだそう。


今日は友引なので明日がお通夜。明後日が告別式となった。

聞けばたくさんいるはずの孫やひ孫は参列しないとのこと。

その上に東京に居る伯母の次男も帰省しないのだそうだ。

今ならコロナも落ち着いているのにと思うのだけれど

何か他に事情があるのかもしれない。

伯母が憐れでならないけれど寂しいお葬式になりそうだった。



昨夜から暗い話題ばかりで気が滅入るけれど

今日は我が家にとってとても嬉しいビックニュースがあった。

先日のマラソン大会で頑張っためいちゃんが

市の主催する小学生の駅伝大会の選手に選ばれたのだそう。

一年生でたった一人と言うからすごいことだと思う。

「みんなで応援に行こうね」と娘が言ってくれた。

私はわくわくしている。めいちゃんありがとうね。

おばあちゃんは幸せです。





2021年12月06日(月) 種のいのち

おおむね晴れ。風もなく穏やかな一日。


国道沿いに遅咲きの秋桜がたくさん咲いている。

交通量が多く車を停めることが出来ないけれど

寒い朝のことほっこりとこころが和む。

冬の秋桜も良いものだなと思う。

「みんなと同じ」ではなくても良いのだ。

自分のペースで咲くことが尊い。



夕方訃報が舞い込む。

お舅さんの兄嫁にあたる伯母が亡くなった知らせだった。

私達が結婚した当時、すぐ前向いの家に住んでいたので

息子や娘は「前ばあちゃん」と呼びとても可愛がってもらった。

伯父が亡くなってからはしばらく独り暮らしだったけれど

老人施設に入居したのはいつ頃だったのかよく思い出せない。

今はもうかなりの高齢で百歳が近いのではないだろうか。


天寿を全うしたとはいえ訃報を聞くとなんとも寂しいものだ。

おしゃべり好きでとても朗らかな伯母だった。

亡骸は施設からそのまま葬儀斎場に運ばれたそうで

長年住み慣れた家に帰れないのも憐れなものである。

最近はそんなケースも多い。仕方のないことなのだろう。


親戚一同で話し合って明日の朝お悔やみに行くことにした。

もう何年も会っていない伯母の死顔を見るのが少しこわい。


いつのまにかもうすっかり人の死に慣れていることを感じる。

それだけ「死」が身近になってしまったのだろう。


天寿を全う出来れば思い残すこともないけれど

明日は我が身でいつ自分も最期を迎えるのかわからない。

何の心構えもせぬうちに突然の死だけは勘弁して欲しいと思う。


今日の日記の最後に夜明け前に書いた詩を記しておこう。




やわらかな土の中にて眠りつつ冬の陽射しに息をする種


冬あってこその春と

やがて空を仰ぐ日がくる



誰も気づきはしないだろう

だってもう何度も踏まれた


それでも種は息をしている

陽だまりの土の中は暖かい


むくむくとした命を感じる

痛みなどあるはずはない


生きて生きて

きっと芽を出そう







2021年12月05日(日) 冬うらら

ぐんと冷え込んだ朝。車のフロントガラスが真っ白に凍っていた。

日中は小春日和というより「冬うらら」の方が相応しいのだろう。

「春うらら」という言葉は知っていたけれど

つい最近SNSで「冬うらら」という言葉を知ったばかり。



家事もそこそこに読書に明け暮れた一日だった。

読書の合間に家事をするという按配でお風呂の掃除もした。

珍しく掃除機もかける。四角い部屋を丸くちゃちゃっと。

それなりに綺麗になったのではないかと思うのだけれど。


もしいつか仕事を辞められる時が来たらとふと考える。

もう少し家事も真面目に出来るかもしれないし

庭いじりもしたいし家庭菜園もしてみたい。

カーブスも週に3回は行きたいし

何よりも本だってもっとたくさん読めることだろう。


週末の休みはほんとうにあっという間に終わってしまうのだ。

贅沢を言えばきりがないけれどもっともっと時間が欲しい。



夕食はカレー。甘口と辛口と二つのお鍋で作る。

娘むこが落ち鮎を釣って来てくれたので塩焼きにした。

鮎は美味しいけれど汚れないグリルがあれば良いのにと思う。

使うたびにグリルを洗うのはほんとうに面倒だ。


カレーは好評だった。いつもレトルトカレーばかりだから

たまには手作りを。それも平日にはとても作れそうにない。

家族みんなの美味しい顔が見られて作ったかいがあったと嬉しい。


7時40分になった。これから一時間は本が読める。

最近9時まで起きていることはめったにない。



2021年12月04日(土) 母は確かに私を産んだ

陽射しには恵まれていたけれど風が強く寒い一日だった。


子供は風の子。孫たちは自転車で遊びに行く。

ひゅるひゅると風の音。転びはしないかと気がかりな午後だった。



昨夜は母の夢を見る。綺麗にお化粧をした母。

喫茶店のような処で二人でコーヒーを飲んでいた。

「お金はないよ」と母が言うので「大丈夫、私が払うから」と。

母は先に店を出て行った。すぐに後を追って行ったのだけれど

母はタクシーで帰ると言う。道路には冷たい風が吹いていて

母の背中が小刻みに震えている。ようく見ると母は裸足だった。


夢だとわかっていてもなぜか切なさが込み上げて来る。

「ここで待っていて」私は車椅子を押していた。

母を載せたけれどそこはもう道路ではなく険しい崖の坂道だった。

坂を越えられない。何度も押すけれど車椅子はびくとも動かないのだ。


そこで目が覚めた。そうして涙ぐんでいる自分に気づく。



先日美容院へ連れて行った時に母が話していたことを思い出した。

「一条さん」のお祭りに私を背負って行ったことがあるのだと言う。

一条大祭は11月だからおそらく私はまだ一歳になっていない。

銘仙の着物で作った「ねんねこ」を着て下駄を履いていたそうだ。

もちろん私が憶えているはずもない事を母は懐かしそうに話してくれた。


母は確かに私を産んだのだ。18歳の若さで母になったのだ。

その事実を私は遠ざけようとしていたのかもしれない。

憎んでみたり恨んでみたりそれがどれほど愚かなことかと気づかすに。

母の罪は一生消えないとつい昨日までそう思っていたような気がする。


13歳の少女は65歳になった。

どれほどの険しい坂道もきっと乗り越えられるのではないだろうか。





2021年12月03日(金) 「出来なくても良い」魔法

朝の寒さもつかの間のこと。今日も日中は小春日和となる。


職場の庭で猫がカマキリと遊んでいる姿を見た。

最初は日向ぼっこをしているのかなと思ったけれど

寝転んでしきりに右手を動かしているのだった。

ようく見ると地面にカマキリがいて猫を威嚇していたようだ。

どうやら猫はカマキリの真似をしていたらしい。

カマキリは必死のようだったけれど猫はとても楽しそうだった。

微笑ましい光景に思わず笑みがこぼれた昼下がりのこと。




今朝はあやちゃんがまた学校へ行きたがらず。

ぎりぎりまで娘が説得していたけれど泣き出してしまい

結局また学校を休むことになってしまった。

そう言えばこの前も金曜日だったと思い

「何か嫌な授業があるの?」と訊けば「体育」だと応える。

涙をぽろぽろ流しながらマット運動と跳び箱が出来ないのだそう。

皆は出来るのに自分だけ出来ない。それが辛くてならないのだろう。


「おばあちゃんと一緒やね」と言うと素直に聞いてくれた。

私もマット運動と跳び箱がとても苦手な子供だったのだ。

特に跳び箱は低い三段でも一度も跳び越えたことがない。

あれは尾てい骨を嫌と言うほど打ちつけ痛くてたまらないのだ。

そんな話をしているうちにあやちゃんは笑顔になっていた。

ようは出来ない事があっても良いと言うこと。

誰にだって苦手なことはある。出来ないまま大人になることも。

「おばあちゃんなんか65歳になるがやけんね」と。


今日は学校を休んでしまったけれど次からは大丈夫だと思う。

なんとなくそんな気がするのだ。「出来なくても良い」魔法。

私が使えた魔法だからきっとあやちゃんも使えると思う。

そうして乗り越えて行けると信じてあげたいのだった。



仕事を終えて帰宅したらあやちゃんはお昼寝をしていた。

金曜日ってなんかしんどいよね。おばあちゃんもしんどいよ。



2021年12月02日(木) 落ち鮎

日中の気温は12℃程。風がなかったので随分と暖かく感じる。

陽射しはほんとうにありがたくほっこりと心が和む。



今朝はお向かいの奥さんが落ち鮎をたくさん届けてくれた。

一昨日解禁になったのだけれど娘むこはまだ行けておらず

我が家にとっては初物であり歓声をあげながらありがたく頂く。



私が嫁いだのは43年前の11月の事だったので

初めて落ち鮎漁を見に行ったことをよく憶えている。

お姑さんが櫓で川船を操りながらお舅さんが網を投げるのだ。

その頃は今と違って大漁で網にはたくさんの鮎が掛かっていた。

河原で火をおこし獲れたての鮎を焼いて食べたのだけれど

それは顎が落ちるほどに美味であった。


お舅さんが亡くなってからは夫が漁に出たけれど

川漁師の息子とは言え慣れるまでは大変だったようだ。

それに元々夫はあまり漁が好きではない性質のようで

母親に言われるままに仕方なく漁に出ていたふしもある。

それでも大漁の日があると自慢げに誇らしい顔をしていた。


10年位は続けていたように思う。

再就職をしてからは一気に漁から遠ざかって行った。

落ち鮎は他人様から頂いたりたまに魚屋で買うこともあった。



ずいぶんと歳月が流れ今は娘むこが投げ釣りをしている。

舅さんが健在ならどんなにか喜ぶことだろうと思うほど

漁が大好きで海へも行けば川へも行く。

婿養子ではないけれど川漁師の家系によほど縁があったのだろう。


今夜はあやちゃんもめいちゃんも鮎デビューした。

去年までは食べたがらなかった鮎を「おいしい」と言って食べる。

やっぱり娘の子だなと微笑ましく思った。

娘は鮎が大好物で今夜も5匹ほど平らげていた。


鮎の香に産卵という試練ありひとはこぞっていのちをいただく。



2021年12月01日(水) やっぱり家族

北風が強く吹き荒れ寒い一日。いかにも師走らしい。

日中の気温も低く時おり時雨れていた。

やがて時雨が雪に変わる日も近いだろう。



今朝は洗濯物を干すのに痛い左足を引きずりながら歩いていたら

あやちゃんがそっと寄って来て洗濯物を玄関まで運んでくれる。

いつもつんつんしているけれど優しいところもあるのだなと嬉しかった。


薄着のあやちゃんを気遣えば着る服が無いのだと言う。

先日から気になってはいたのだけれど

去年まで着ていた冬物はどれもサイズが小さくなっているようだ。

娘も知っているはずなのにどうして買ってあげないのだろう。

言えば嫌味になりそうで黙って様子を見るしかなかった。



職場で月末の事務処理をしていたら思いがけず

日給と時給の差額がけっこうたくさんあった。

思わずにんまりとしたのは言うまでもない。

即座にあやちゃんの服を買ってあげようと決める。


定時で仕事を終わらせてもらって「しまむら」へ直行。

裏毛付のトレーナーを二枚買う。二枚で1500円の安さ。

「ダサイ」と言われるかもしれないけれど寒さは凌げるだろう。

明日は真冬並みの寒さになるとのこときっと役に立つと思う。


娘には内緒にしてあやちゃんにだけそっと耳打ちをした。

「やったあ」と喜んでくれたのでほっと嬉しい。


「家族ではない」と言われながらもやっぱり家族。

けっして無理はしていないけれど出来ることをしてあげたい。



鰹は今日も高く買えず冷凍物らしい蛸のお刺身を買った。

後はあんかけ豆腐とマカロニサラダ。ブロッコリーの胡麻和えで夕食。


じいちゃんと二人でさっさと先に食べる。

娘達はゆっくりと家族団らんを楽しんでいた。








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