ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年09月30日(木) あっと驚く為五郎

長月も晦日というより9月も最終日と言ったほうが良いのだろう。

誰にでも分かり易い言葉を使うことを心がけたいものだ。

たとえば子供には「9月も今日でおしまい」と言うべきなのだ。

いや子供だけとは限らないおとなにもそう言ったほうが良い。



商売をしていると月末の支払いに追われるのだけれど

月末だからと支払いに来てくれるお客さんもいる。

「お金は天下の回り物」と言うがまさにその通りだと思う。


そんなお客さんと話していて「今月は固定資産税もあるね」と。

それを聞いて「あっと驚く為五郎」状態の私であった。

昔々そんなテレビ番組があったのだ。まだ私が子供の頃のこと。


会社の支払いはすでに終えてほっと肩の荷を下ろしていたけれど

我が家の固定資産税の事をすっかり忘れていた。

口座振替にしていても残高がすでに無いことには気づいていた。

けれども入金するお金が無い。それでこその貧乏人である。

そうしてそこで開き直るのが貧乏人の根性だと言えよう。

無いものは無いのだ。どうして納めることが出来ようか。


そのうち督促状が来るだろう。その頃には年金が入っていると思う。

なんとかなるなる。別に罪を犯しているわけではない。


ゆらりゆらりの日々である。その日暮らしも板についた。

なんとか食べていけるだけで幸せなのだと思っている。


どんなに嘆いてもお金持ちにはなれませんからね。



2021年09月29日(水) 飛べない鶏

雨あがりの朝。雲間から少しだけ青空が見えていたけれど

大気がよほど不安定だったらしく日中は通り雨が降る。

にわか雨と同じなのかもしれないけれど

雨がざあっと駆け抜けるように通り過ぎたのだった。

女心と秋の空とはよく言ったものである。

ころころと気が変わることを言うのだろうか。



昨夜の日記を少し手直しして高知新聞の文芸部に送った。

「心を鬼にする」と題して原稿用紙一枚半ほどに収める。

採用されるか分からないけれどいちかばちかの気持ち。

活字になればきっと佳き思い出になることだろう。


私は決して意欲的ではなくどちらかと言えば無気力。

ただ書くことに関してはちっぽけなプライドを持っている。

それを生かすか殺すかは自分次第なのだろう。

所詮、文学少女の成りの果てなのだ。そう自覚もしている。

だから大きく羽ばたくことはない。まるで飛べない鶏のように

こつこつと地面を叩きながら餌を啄んでいる日々である。


そんな姿を誰が見たいだろうと自虐的になる時もある。

少なからず自尊心はあるけれど劣等感のほうが大きいのだ。

ある意味自慢すればそこでお終いだとも思う。

いったい何様のつもりなのだと喝を入れたくもなる。



詩や短歌を書き始めてかれこれ50年になろうとしている。

それがいったい何だと言うのだろう。


鶏には確かに羽根があるけれど空を飛べるはずはない。

こつこつと地面を叩き続けるそれが私の生き方なのだ。



2021年09月28日(火) 心を鬼にするのはとても辛い

雨が降ったりやんだり。時おり激しい雨音がする。

一雨ごとに秋が深まるだろうと思っていたけれど

まだ暑い日もあるとのこと。もうすぐ10月なのにとおどろく。

おそらく急に肌寒い日が訪れるのだろう。

体調を崩さないように気をつけなければいけない。



朝夕はずいぶんと涼しくエアコンをつけなくなったせいか

窓を開け放して夕食を食べ始めようとすると

窓の側から「にゃおうにゃおう」と猫の鳴き声が聴こえるようになった。

その声を聴いただけでお腹を空かせているのがわかる。

懇願するような声なのだ。必死になって訴えているような声。


あやちゃんが真っ先に駆けつけて行って

何か食べさせてあげたいと言うのだけれど

野良猫に餌をあげてはいけないのだと諭すように言って聞かす。

「どうしていけないの?死んじゃうよ」今にも泣きそうな顔。

「あのね、そうしたら自分で餌を見つけられなくなるよ」

「可哀想だけど仕方ないよ。家では飼えないのだから」

「じゃあ人間だったら助けるの?同じ生き物なのに差別じゃないか!」

そう言うととうとう泣き出してしまった。

Tシャツの裾をまくりあげて溢れる涙を拭おうとする。

それにはさすがに参ってしまって私も一緒に涙を流してしまった。


痩せ細った子猫は諦めたのか路地の向こうに消えて行く。

きっと生きていけるから大丈夫よとあやちゃんの肩を抱いた。


私もかつて同じ理由で何度涙を流したことだろう。

心を鬼にすることは身を引き裂かれるように辛いことなのだ。


あやちゃんのいう通り同じ生き物なのにどうして?と思う。

おとなの理屈が子供に伝わるとは限らない。

おとなだって辛い。こどもはそれ以上に辛いのに違いない。


明日も子猫は鳴くだろう。「にゃおうにゃおう」と鳴くだろう。



2021年09月27日(月) もっともっと生きなさい

曇り日。山里では朝からずっと小雨が降っていた。

一気に夏が退く。もう振り向くこともないだろう。


白い彼岸花は茶色くなって枯れていく。

紅い彼岸花よりもなんだか憐れに思えてならない。

いっそ散れるものならどんなにか救われるだろうに。



幼馴染でもある友の命日。もう4年の歳月が流れた。

友の分も生きようと心に誓っていたけれど

友のように死んでしまうのではないかと心細くなる。

何の心構えもなく覚悟さえも出来ずそれは突然の死であった。

ひとは余命を知らされたほうが命を全うできるのではないか。

ふとそんなことを思った。自分では決められないことだとしても。

もし決められたら最期まで精一杯生きられる気がする。


当たり前のように明日が来るとは限らない。

どれほどの希望もどれほどの未来もそれは「約束」ではなかった。

ぎりぎりの崖っぷちに立っていることを忘れてはならない。


もう友とは語り合うことも出来ないけれど

せめて魂に会うことが叶えばと願わずにいられない。


友はきっと私を叱るだろう。「大馬鹿者ね」と叱るだろう。

弱音を吐いている暇があったらもっと生きなさいと言うだろう。


やはり私は友の分も生きなければいけないのだ。

あと10年か、いや20年かもしれない。

もしかしたら100歳までも生きられるかもしれない。


彼岸花は憐れに枯れてもまた来年きっと咲くことだろう。



2021年09月26日(日) 灰色の海だってきらきらと輝く

雲が多くなり秋晴れとはいかず。気温は29℃ほど。

少し蒸し暑さを感じる一日だった。


朝の涼しいうちにお大師堂へ。

一番乗りかなと思っていたらSさんだろうか

日捲りの暦も今日にしてありお線香も半分ほどになり燃えていた。

一足違いで会えずすれ違ってしまったようだ。


お参りを済ませ帰ろうとしていたらお参り仲間の従姉妹たちに会う。

良心市に里芋を出してあると言うのでその足で買いに行く。

従姉妹の里芋はほくほくと美味しく毎年楽しみにしているのだった。



10時頃からプチドライブ。なんとなく海が見たくてならなかった。

じいちゃんの提案で国道321号線、通称サニーロードに向かう。

足摺岬までは行かず竜串まで行く。海辺に彼岸花が咲いていたけれど

やはりもう枯れ始めていて一週間早ければと残念でならない。

海も空の色をそのままに映し灰色のままだった。

それでも薄陽が射していたのできらきらと輝きそれなりに綺麗。

曇り日の海も良いものだなと思う。しんみりと心に沁みる。


竜串から大月町を経由し宿毛市へ。

途中の道の駅で昼食を調達しようかと思っていたけれど

じいちゃんが久しぶりにラーメンが食べたいと言い出し

宿毛市郊外のレストラン「一風」まで行く。

私の幼馴染のNちゃんが働いている店だった。

コロナ禍の打撃をもろに受けていてずいぶんと空いている。

Nちゃんにご無沙汰を詫びたら「今は仕方ないよね」と。

経営難をなんとしても乗り越えなければならない時だった。

Nちゃんはちゃんとお給料を貰えているかしらとふと気遣う。


そのまま帰路に就くにはまだ早く少しだけ寄り道をした。

昨年出来たばかりの「横瀬川ダム」を見学に行く。

道路も整備されており新しいトンネルも出来ていて驚く。

なんと壮大なダムだった。紅葉の季節にまた訪れてみたいものだ。



わずか3時間ほどのプチドライブだったけれど

気分転換にもなり楽しいひと時を過ごすことが出来た。



今日は感染者ゼロのニュース。なんと48日ぶりとのこと。

それが希望に繋がればと祈るような気持ちでいる。








2021年09月25日(土) 彼岸花が枯れる頃

朝は少し肌寒いほど。日中も真夏日ではなかったようだ。

これから日に日に秋が深まっていくのだろう。



まるで炎のように咲いていた彼岸花が枯れ始めた。

深紅の花が茶色ではなく白くなっていく。

花の終わりはどうしてこうもせつないものなのだろう。




午前中はカーブスへ。あまりにも沢山の人に戸惑う。

今週は祭日の休店が二日もあったので土曜日に集中したのだろう。

感染対策はしっかりしていてもやはり不安になってしまった。

最後のストレッチを諦め逃げるように帰って来る。

店側は新規メンバーを増やそうと躍起になっているようだけれど

コロナ禍であることを念頭に入れてほしいと願わずにいられない。



ブックオフ等で買い求めた中古本が溜まったので

ツタヤで買い取って貰ったら思いがけずに472円もいただく。

29円で買った本も含まれていたのでまるで夢のようだった。

これは癖になるなとほくそ笑む。どんどん買ってさっさと売ろう。



午後、職場から電話があれば駆けつけようと思っていたけれど

幸いと言ってよいのか音沙汰がなかった。

今週はとても忙しかったけれどなんとかなっているようだった。


昼下がりからおでんを煮込みつつ台所で読書に耽る。

昨日から読み始めていた本を読了。また読む本が無くなった。

明日一日我慢すれば月曜日には山里の図書室に行けるだろう。

それでもそわそわと落ち着かない。困ったものだなと思うばかり。



おでんはよく浸みて美味しかったけれど孫たちは食べない。

娘が焼きおにぎりを作って、めいちゃんが玉子焼きを作る。

それぞれが好きな物を食べればよいとあまり拘りはしなかった。


あやちゃんが娘と珍しく口喧嘩をしていて「お母さんだいきらい」と

「おばあちゃんは?」と訊くと「ちょっと好き」なのだそう。


嫌いは好きの始まりで、好きは嫌いの始まりなのかな?


そんな余計なことは言わず微笑みながら夜が更けていく。






2021年09月24日(金) 頑張りますか?頑張りませんか?

快晴の真夏日。日が暮れてからやっと涼しくなる。

夜風に吹かれながらこれを記し始めたところ。



職場の庭の片隅に「紫式部」だろうか「小紫」かもしれない

母が好きだった紫色の木の実がたわわになった。

手のひらに載せてみるとまるで宝石のように輝いている。

ふと母を想う。想うだけなのだ。ただそれだけのこと。

声を聴きたいと思うまでもう少し時が必要なのかもしれない。






運動会が終わってから4連休だった孫達が登校する朝。

あやちゃんはさすがお姉ちゃんだけあってさっさと準備をするけれど

めいちゃんはぎりぎりまで朝食を食べずにいた。

私は口出しを一切せず内心はハラハラしながら見守るばかり。

あと5分。「がんばれまだ間に合う」娘の声が大きく響く。

その声に励まされるように重いランドセルを背負っためいちゃんだった。


「がんばれ」と言われても頑張れない時もあるものだ。

子供に限らず大人だってそんな時が少なからずある。

精一杯頑張った挙句の「がんばれ」は辛い時もあるのだった。

これ以上何を頑張れば良いのか分からなくなってしまう。

「もう頑張らなくてもいいよ」そう言われたらきっと楽になるだろう。


「精一杯」と「一生懸命」は似ているようで違うのだと思う。

うまく言葉に出来ないけれどなんとなく違うのだった。


頑張るのは簡単なのかもしれないけれど

頑張らないのはとても難しいことだと思う。


肩の力を抜いてありのままでいる。

もう十分ではないかと自分を認めてあげるようなこと。


私は時々自分が頑張っているのか頑張っていないのか

分からなくなる時がある。



2021年09月23日(木) 高野豆腐は母の味

秋分の日。彼岸の中日でもある。

すっかり秋めいてくるだろうと思っていたけれど

真夏日となり思いがけない残暑となった。



早めに昼食を終え川仕事へ。

なんとか後一日あれば漁場の準備が整うだけれど

干潮の時間が日に日に遅くなっており

どうやら今日が限界だったようだ。

残りは次の大潮まで残すことにして帰って来た。

程よい疲れ。肉体労働は決して辛くはなかった。



午後は読書。夕方5時前に読了する。

今月に入って8冊目。まだ後2冊は読めそうだ。

何かにとり憑かれたように読んでいる。

確かに夢中になっているけれど少し異常ではないかとも思う。

やはり活字中毒になっているのだろうか。



夕飯に高野豆腐を煮た。人参と椎茸も一緒に。

家族には不評だけれど私はとても好きなのだった。

けれども高野豆腐には苦い思い出もある。

新婚時代、まだ姑たちと同居していた頃のこと

夕飯の支度を任せれていて高野豆腐を煮たことがあった。

そうしたら姑にすごい剣幕で叱られたのだった。

「これは死んだ人にお供えするものだ」と言うのだ。

確かに法事の時などには仏前に供えていたけれど

そうでなくても普通に「おかず」なのだと私は思っていた。

子供の頃から好きで母もよく作ってくれていたから。


さすがに縁起が悪いと捨てられはしなかったけれど

私は一人で泣きながら食べた。やはり懐かしい母の味だったのだ。


今夜はじいちゃんと娘が少しだけ食べてくれて嬉しかった。

知らず知らずのうちに我が家の母の味になっていたのだと思う。


昔の辛かった出来事をふっと思い出しながらも

今はこうして救われているのだった。






2021年09月22日(水) 祖母の形見

中秋の名月を夜が明けてから見る。白い月だった。

たなびく雲は薄っすらと茜色。なんとも幻想的な景色。

名月が満月となるのは8年ぶりなのだそう。

なんだか不思議な気持ちになった。




母方の祖母の命日。二日ほど前に夢に見る。

まだ60代くらいの祖母で誰かに似ているなと思ったら私だった。

一緒にお風呂に入っている夢でとても楽しかったのだけれど

子供のはずの私は今の私でまるで祖母が二人いるようであった。


祖母は還暦の歳に脳を患い右半身が不随になってしまった。

右手がかなわず私の大好きだった「おはぎ」も作れなくなる。

けれども子供の時に食べたおはぎの味は今でも忘れられない。


父と母が離婚してからも縁は切れることもなく

父はよく私と弟を祖父母の家に連れて行ってくれた。

母を憎んでいただろうに父はおくびにも出さなかったのだ。

それが父の精一杯の優しさだったのだと思う。


私が最初の結婚をする時には祖父母が婚礼家具を揃えてくれた。

その時に買ってもらった三面鏡を今も大切にしている。

きっと祖母が選んでくれたのだろうと信じている。

今となってはその鏡が祖母の形見のように思えてならない。


16年前の秋。祖母は肺炎を患い危篤状態となった。

確か亡くなる二日前だったと記憶している。

まだ微かに意識があり手を握ると歌を歌い始めたのだった。

「お手々つないで野道を行けばみんな可愛い小鳥になって」

祖母は最後まで歌い続けた。それが祖母の声を聴いた最後となる。



歳月が流れ私も孫を持つ身になると

孫がどれほど愛しい存在であるか思い知るようになった。

別れたくはないけれど死は確実に迫って来ているのだと思う。

なんとしても長生きをしたいけれど永遠の命などないのだ。


私も祖母のように歌いたい。孫たちの心に歌を残したい。





2021年09月21日(火) おばあちゃんの献立

曇り日。ほんの少しにわか雨が降る。

霧のような雨は秋のしるしなのだろうか。

もしかしたら薄陽が射すかもしれないと思い

洗濯物をたくさん干して仕事に行っていたのだけれど

近所に住む義妹が軒下に移動させてくれていたようだ。

おかげで乾いていてほんとうにありがたいこと。



孫たちの学校は運動会の代休もあり昨日から4連休だった。

じいちゃんも川仕事に出掛けるので二人きりの留守番となる。

玄関の鍵をかけるから「早く行って」と追い出されたそう。

昼食は娘が用意して出掛けていたので二人で食べたそうだ。


大丈夫かなと心配していたけれど取り越し苦労だったよう。

子供はおとなが思うよりもずっと逞しいのだなと思う。



仕事が少し残業になり帰路に就く。いつものスーパーで買物。

夕食のメニューを考えただけで頭の中が真っ白になった。

お刺身は高くて買えない。孫達の好きな物も思い浮かばない。

予算を気にしなければ何だって買えるのだろうけれど

お財布も寂しく思い切ってカゴに入れられなかったのだ。

安い食材をさがしていたら結局マンネリ化のメニューになる。

「まあいいか」と思った。誰も文句は言わないだろうと。


それでもお刺身がないと娘婿が気を損ねるのではと思ったり

あやちゃんがまたつんつんして不貞腐れるのではないかと思ったり

そうしたら娘が助け舟を出してくれて「これで上等よ」と言ってくれる。



おばあちゃんは決してやる気がないのではない。

ただちょっと疲れているのかもしれないないなと最近よく思う。

家族の為にとどんなに思っても家族ではないのかもしれなくて

なんだか目に見えない境界線のようなものに脅かされている。

もしかしたら娘達も同じことを感じているのかもしれない。


食卓の上にたくさん残ったおかずを見ながら

ひと口たりとも無駄にするものかと思うのだった。

それは精一杯のおばあちゃんの献立にほかならない。



2021年09月20日(月) 敬老の日の笑顔

彼岸の入り。曇りのち晴れの予報だったけれど

朝のうちは思いがけない雨となった。

「なあにすぐに止むだろう」と川仕事の準備をして

船着き場まで行ったら本降りの雨になってしまった。

人間様は合羽を着れば済むけれど杭打ち機はそうはいかず

雨に濡れるとすぐに故障してしまう恐れがあるのだった。

仕方なく諦めて踵を返す。そうしてお仲間の従兄と話していたら

「今日は敬老の日じゃないか、休めばいいさ」と笑い飛ばされる。

75歳になると地区からお赤飯が届くのだそうだ。

私達夫婦にはまだ縁のない事だったけれど休む理由にはなった。


それから30分もしないうちに雨が止む。

もう少し様子を見ていれば良かったと悔やまれたけれど

休むと決めたからにはもう行動する気力を無くしていた。

じいちゃんが明日からまた一人でぼちぼち頑張るのだそう。

また無理をさせてしまうけれど仕方ない事だと思う。



午後、めいちゃんのお友達が遊びに来てくれて

私達にとお菓子をお土産に持って来てくれる。

黄な粉をまぶした美味しいお菓子だった。

お友達のお母さんが気を遣ってくれたのだろう。なんとありがたいこと。


娘が今夜は夕飯が要らないと言うので買物にも行かなかった。

そうしたら牛肉のタタキとビールを買って来てくれた。

じいちゃんは大喜びで「敬老の日だなあ」とご馳走になる。


娘達は庭でBBQを始める。それは賑やかで楽しそうだった。

真っ先に食べ終わったあやちゃんが笑顔で話しかけてくれる。

実は昨夜から顔も見ておらずなんだか胸が熱くなった。


夜明け前のことあやちゃんの寝ている子供部屋のドアに

貼り紙をしてあるのを見つけていささかショックだったのだ。

そこには明らかに私に対する警告文のような事が書かれていた。

とにかくこれからは勝手にドアを開けてはいけないようだ。


だから「おはよう」も言えなかった。もしお昼に会えたら

「こんにちは」と言おうと思っていたけれどそれも叶わなかったのだ。

距離を置きたいのならそうしようと自分なりに覚悟するしかない。


じいちゃんに言わせれば「もうそんな年頃なのさ」と笑うばかり。

私はとにかく慣れるしかないと思う。それだけ成長したということ。


少なからず寂しさを感じるけれど

時々思い出したかのように笑顔を見せてくれるあやちゃんが愛しい。





2021年09月19日(日) コロナ禍のサプライズ

快晴の空。30℃を超える真夏日となる。

彼岸の入りを目前にして夏が別れを告げに来たかのよう。



孫たちの運動会。喜び勇んで出掛ける。

暑いなか二人ともほんとうによく頑張ったと思う。

最後の紅白リレーでは声を張り上げて応援していた。

家では泣いてばかりいるめいちゃんのなんと逞しいこと。

走るのがあまり得意でないあやちゃんも一生懸命だった。

二人の成長に感動するばかり。胸に熱いものが込み上げて来る。

コロナ禍のサプライズに他ならなかった。もう感謝しかない。



「がんばったね。えらかったね」そう声をかけたかったけれど

あやちゃんは照れくさかったのかつんつんとして機嫌が悪い。

せめて夕飯は好きなものをと思って「ハンバーグにしようかね?」と

訊いたら「食べたくない、いちいちきかんといてや」と怒る始末。


さすがに悲しくなってしまって何も作る気がしなくなった。

もうどうでもいいやと思って適当なものにする。


夕方になり娘が買物に行っていてステーキ肉を買って来ていた。

決して当てつけではないことは分かっている。

娘も我が子を労いたい気持ちでそうしたのだと思う。

私には反抗するあやちゃんも母親にはとても素直だった。


めいちゃんはよほど疲れたのかタオルケットに包まって

夕飯も食べずにごろごろと寝転がっているばかり。

どうやら私の出る幕ではなさそう。とにかくそっとしておこう。


じいちゃんとも話したけれどそろそろ同居の限界かもしれない。

祖父母と暮らすことが孫たちのストレスになっている気がする。

やはり家族ではないのかと思うととても寂しいことだけれど。


それでも私は一縷の望みを捨てずにいようと思う。

もしかしたら絆のようなもの。

心がふれあうこともきっとあるのだろうと信じている。



2021年09月18日(土) 夢に餅のようなこと

台風一過。とはいえ殆ど荒れることもなく朝を迎える。

幸い難を逃れられたようで何よりだった。

名残の風が爽やかに吹き抜け過ごしやすい一日となる。



川仕事の予定だったけれど川が増水しており断念していたのだけれど

様子を見に行っていたじいちゃんが「大丈夫そうだぞ」と帰って来る。

大潮なので思いがけないほどに水が引いていたらしい。

少しでも頑張ってみようかと急いで準備をして出掛けたのだった。


漁場に竹杭を打つ作業。「打ちっこ」と名づけられた機械で

川の中を右往左往しながらせっせと杭を打って行く。

驚いたのはじいちゃんが一人で7割ほど済ませてくれていたこと。

若者ならともかく70歳が近くなり本当によく頑張ったと思う。

「やればできるやん」とほめたら得意げな顔をして微笑んでいた。

おかげで来週中には作業を終えられる目処が立った。


10時には帰宅出来たのですぐに着替えてカーブスへ行く。

肉体労働の後の筋トレはさすがにきつかったけれど

これでもかこれでもかと老体にムチを打つように頑張った。

私もやればできるのだ。諦めてしまったらそこでお終い。


その足で母の入居料を支払いに病院へ行ったら

思いがけずに母の写真をアルバム風にしたものをいただく。

今年も「敬老会」が出来ないので家族へのプレゼントなのだそう。

そこにはとてもお茶目な顔をした母の笑顔があふれていた。

ケアマネさんが「可愛いでしょ」と言うので私も思わずそう声が出る。

孤独だとか寂しさだとかそんな様子は微甚も感じられなかった。

声を聴きたいとも思わない。会いたくもないなどとそれは嘘なのだ。

まるで自分の本心を見抜かれたような気持ちになる。

薄情なはずの娘なのにどうしてこれほど胸が熱くなったのだろう。



午後4時。今日は平常授業だった孫たちが帰って来る。

そこであやちゃんから朗報。明日の運動会を見に行っても良いと。

すっかり諦めていたのでまさに夢に餅のようなことだった。

ここ数日感染者の数が落ち着いているので学校側も緩和したのだろう。

寛大な計らいにはただただ感謝するしかない。


明日の運動会を楽しみに今夜もぐっすりと眠ろうと思う。

それにしても今日は充実した佳き日だった。

ありがとうございました。





2021年09月17日(金) こんな日記は書きたくなかった

台風の影響が出始め時おり地面を叩きつけるような雨。

幸い今はやんでいるけれど明日未明にかけてまた降りそうだ。

上流地域の豪雨のため四万十川はかなり増水している。

念のために川船を避難させた。用心に越したことはないだろう。

今後台風は四国を縦断し関西から東海、関東まで影響がありそう。

大きな被害がなければ良いのだけれどなんとも心配でならない。




仕事を少し早めに終らせてもらって定期の通院。

診察はあえて避け薬の処方箋だけ貰って帰る。

医師との面談無しでどうして処方箋を出して貰えないのだろう。

医師とは顔を合わせたくない。少しの会話もしたくなかった。

打ち解けるまでにはもう少し時が必要に思う。

自分がこれほどまでに執念深いとは思ってもいなかった。



母の施設のある病院に入居料の支払いに行く予定だったけれど

時間が足らなくなり断念。幸い明日でも構わないそうだ。

先月は思いがけなく母に会えた。あれからもうひと月が経ったのか。

その間一度も電話もせずにいて薄情な娘を貫いている。

困ったことに声を聴きたいとも思わないのだった。

避ける理由など何一つないというのに心が動こうとしないのだ。



娘からのメールで孫たちを迎えに行く。

今朝約束をしていたそうで4時には学校へ行かなければならない。

「お母さんは?」不満そうな孫たちに娘の残業を伝えた。


夕食の支度も一人で頑張ったけれど

あやちゃんもめいちゃんも食べてくれない。

いつものことだと分かっていてもやはり落ち込んでしまう。

どんなに頑張っても分かってもらえないと悲しかった。


帰宅した娘が「放っておけば」と言う。

気に入らなければ食べなくて良いのだそうだ。

そうなのかな。それで良いのかなとまた複雑な気持ちになった。


おそらく私はどんなに頑張っても報われないのだと思う。


ああ、嫌だ嫌だ。こんな日記は書きたくなかった。



2021年09月16日(木) 義父とメダカ

早朝には青空が見えていたけれどすぐに曇る。

夕方から本降りの雨になった。

今夜は虫の声も聴こえずひたすら雨音が響いている。

台風の影響が出始めているのかもしれない。



孫達の小学校では運動会の総練習があったらしい。

よほど疲れたのかめいちゃんは宿題が終わるなり寝入る。

今夜はダンス教室もお休みにしたようだ。



昼間職場でタイヤ交換に来てくれたお客さんが

義父が飼っているメダカを少し分けてくれないかと言う。

義父はあまり快い返事をしないまま渋々と分けてあげていた。

まるで我が子のように可愛がっているメダカだけに

たとえ一匹でも手放したくはなかったのだろう。

その気持ちが分かるだけになんとも複雑な気持ちになった。

けれどもお客さんの頼みを断るわけにもいかなかったのだ。

お客さんはとても喜んでいたけれど義父は悲しそうな顔をしていた。



義父と母のあいだには子供がいない。

母はまだ20代の頃に卵巣を摘出していたのだった。

確か私が8歳くらいの時だったと記憶している。

何か婦人科の病気で入院していた時があって

父が「もう弟も妹も要らないな」と私に釘を刺したことがある。

いったい何のことだろうと子供心に不思議に思ったことだった。


母がもう子供を産めない身体になったことを知らなかった。

知ったのは高校生の時ではなかっただろうか。

父が「あいつらにはもう子供はできん」と教えてくれたのだ。

その言葉には母に対する憎しみも含まれていたのだろうと思う。

「忘れてしまえ」それが父の口癖でもあった。


第二の人生を歩み始めた母と義父は

どんなにか子供が欲しかったことだろう。

特に義父はその思いが一層強かったのではないかと察する。

運命だと一言で済ませるにはあまりにも辛い現実だったかもしれない。



毎朝のようにメダカに声をかけ穏やかに微笑んでいる義父。

餌にも拘り卵をたくさん産むという餌を与えている。


今日は仕方なく3匹のメダカを手放してしまった。





2021年09月15日(水) 柿の実が色づく頃に

曇り日。時おり霧のような雨が降る。

気温は26℃ほどで過ごしやすい一日だった。


職場の敷地内の柿の実が色づき始めた。

数年前までは義父の母親、私には義祖母にあたる人が住んでいた家。

柿の木は2本あり義祖母の秋の楽しみでもあった。

百歳を超えるほどの長寿を全うしたのだけれど

晩年は寝たきりとなり酷い認知症になっていた。

私が窓越しに声をかけると「今日は学校は休みかい?」と問う。

「うん、今日は休みよ」と応えると「柿を食べたや」と言ってくれた。

穏やかでとても優しい義祖母だったことがとても懐かしい。


母とはずっと折り合いが悪く最後まで打ち解けることはなかった。

母の暴言は止まらず義祖母はいつも悲しそうな顔をしていた。

優しく接してあげたらきっと優しさが返って来ただろうにと

今更ながらに思うけれどもう取り返すことの出来ない過去のこと。


母は柿の実を食べたことがあっただろうか。

義祖母に無断で千切ったことはなかっただろうと思う。

いや、決して食べるものかと意地になっていたのかもしれない。

どうしても食べたかったら買って食べる。母はそんな人だった。


義祖母は母方の祖母と同じ歳だった。

それなのに自分の母親とどうして重ねられなかったのだろう。

母の心情は未だ理解できず私は思い出したように複雑な気持ちになる。


母は死ぬまで孤独でなければいけない。

ふとそんな非情な事を考える時がある。


そのくせ母に柿を食べさせてあげたいと思うのだった。





2021年09月14日(火) いいじゃないの幸せならば

雨の一日。気温は20℃、涼しさを通り越して肌寒かった。


確かに車の中に置いてあった傘がない。

どうやら何処かに置き忘れてしまったようだ。

最後に使った日が思い出せなかった。

8月の長雨の頃だったろうか。

私はいったい何処に行っていたのだろう。

新しく買えば済むことだけれどどうにも諦めきれない。




めいちゃん7歳の誕生日。早いものだなと感慨深い。

娘達と同居を始めてから生まれた子なので

私も娘と一緒に育児をしたように思う。

ミルクを飲ませたりおむつを替えたりよくしたものだ。


泣き虫でかん虫で甘えん坊だけれど

素直でとても優しい子に育ってくれた。

目に入れても痛くない程に可愛くてならない。


今夜はささやかにお祝いをしたのだけれど

残念ながら家族団らんは叶わず。

肝心のめいちゃんが二階から下りて来なかったのだ。

いくらなんでも誕生日に叱るわけにもいかない。

みんなと一緒に食べるのが嫌なのではなく

二階のテレビでユーチューブを見たかったようだ。

特別な日だからこそ好きなようにさせてあげよう。

そっと様子を見に行ったら独りきりでお寿司を食べていた。

ケーキを食べる時になってやっと二階から下りて来る。

自分の誕生日だという自覚はちゃんとあるようだった。

みんながお祝いしてくれていることも本当は嬉しいのだ。


いいじゃないの幸せならば。昔そんな歌があったけれど

これから段々と親離れしていくのだろう。

家族離れと言ってしまえばそれはとても寂しいことだけれど

そうして子供は成長していく。それを止めることは出来ない。


「おばあちゃんもケーキ食べたや」と言ってくれて嬉しかった。








2021年09月13日(月) まぼろしの家族団らん

曇り日。雨が降りそうで降らなかった。

どんよりと重そうな空。風も吹くのを諦めたようだった。


ここ数日気分が沈んでいたせいか

大人げない事を書き連ねてしまったかもしれない。

ありのままも度が過ぎれば見苦しいものだ。


さらりさらりと水に流そう。だいじょうぶ。私ならそれが出来る。




山里の義父やっと稲刈りが終わったようだ。

私もほっと肩の荷が下りたような気分だった。

刈っていたのは飼料米だそうで5トンほどあり驚く。

家畜の飼料になるのだそうだ。豚が主だろうか。

牛は干し草を食べるのであまり実感が湧かない。

玄米を炊いてから与えるのだろうか。

興味津々となりとても気になってしょうがない。




帰宅したらアマゾンに注文していた中古本が届いていた。

本はわずか29円。送料が250円だけれどそれでも安い。

山里の図書室にはもう未読の東野圭吾本が無くなってしまった。

とことん読み尽くさないと気が済まないのが私の性分でもある。

そうしないと新たな作家の本を読む気にならないのだった。



午後6時に夕食。例のごとくでじいちゃんと二人で食べる。

そうして娘むこが帰宅すると次は娘夫婦が食べ始める。

孫たちはいくら呼んでも二階から下りて来ないのが日課になった。

それで良いのだろうか。このままで良いのだろうかと思う。

「食べたくなったら食べるけん」とあやちゃんはいつも言う。


明日はめいちゃんの誕生日なので家族団らんが出来るかもしれない。

おばあちゃんは期待で胸をふくらませているのだけれど。


夕食はやっぱりみんなでわいわいと食べるのが嬉しいね。



2021年09月12日(日) 思い通りにはいかないこと

曇り時々雨。傘も要らない程の霧のような雨だった。

前線停滞とのことでしばらくはぐずついたお天気が続きそう。

もう夏の名残を感じることもないのかもしれない。

なんとなくしんみりとする。感傷的にはなりたくないけれど

心は少しブルーだ。グレーでないだけでも良しとしたいものだ。


傷つけたのであろう人から傷つけられる。

私に非があったのだろうけれどそこまでしなくてもと思う。

もう二度と関わりたくはない。そう決めると少し心が楽になった。

ずいぶんと昔から私の日記を読んでくれていたらしいけれど

私の理解者ではなかったようだ。最後には石を投げつけられる。

それで気が済んだのなら私は決して否定はしない。

仕打ちをしたつもりかもしれないけれど私は負けたつもりはない。

ひとは哀しい生き物だ。その心に投げる石を私は持ち合わせていない。






朝のうちにお大師堂へ。川辺の百日紅の花に心が和む。

川面に手を伸ばすように咲いていて薄紅色の花がそこに映る。

いつからだろう。おそらく何十年も昔に植えられたものだろう。

その頃にはきっと参拝する人も多かったのだと思う。

花は永遠に咲き続ける。なんだかそれは希望そのものであった。



スーパーに買物に行ったらレジで前に居たのが息子だった。

夜勤明けだそうで食料を買ってマンションへ帰る途中とのこと。

お嫁さんの体調は落ち着いているようだけれど主夫をしている様子。

2割引きの鶏肉を買っていた。それがなんともせつなくて

唐揚げでも作るのかなと思ったけれど何も訊けなかった。

ゆっくりと話も出来ず「おかあ、またな」と言って先に店を出て行く。

ほんとうにあっけない。息子はいつも嵐のように去って行くのだ。



お昼下がり、読みかけだった本を読了。

それからそわそわと落ち着かなくなりDVDを借りに行ったけれど

目当ての物がなく仕方なくまた中古本を買って帰る。

縋りつくような気持ちになり夕方まで読みふけっていた。



夕飯は鉄板焼き。孫たちは後から食べると言い思うようにはいかない。

いつまでも家族団らんとはいかなくなったけれど

それも仕方ないことなのだろう。成り行きに任せるしかない。


思い通りにはいかないこと。それをいかに満足に変えて行くかだ。



2021年09月11日(土) 明るい場所を目指そう

晴れたり曇ったり。風もなく蒸し暑い一日だった。

それも夏の名残りと受けとめ嘆きもせずに過ごす。


嘆くことはするまいと決めていても

私も人間だから弱気になる時もあるようだ。

根っからのの楽天家ではない事を思い知ることもある。

済んでしまったことはもう仕方ない。

それでも心に引っかかることがあると気分が沈んでしまう。

自分のこころは自分で守らなければいけない。

焦らずにゆっくりと明るい場所を目指そうと思っている。





今日は娘夫婦が休みだったので孫たちの心配もなかった。

この一週間ずっと一人で川仕事を頑張っていたじいちゃん。

週末は手伝おうと意気込んでいたけれど

干潮時間が午後遅くになるため作業は困難とのこと。

来週には3連休があるので一気に終わらせられそうだった。

「ゆっくり休めや」と言ってくれるてありがたいこと。


午前中にカーブスへ行き薄っすらと汗を流してくる。

バドミントンに比べる物足らない。もっとハードでも良いくらい。

滝のように汗を流していたことがずいぶんと懐かしい。

それでも身の程を知ればちょうど良い運動量なのかもしれない。

無理の出来ない歳になったのだ。もっと思い知らねばと思う。

けれども自分にはとことん厳しく在り続けたいとも思うのだった。



午後は例のごとくで読書三昧。それなりに充実した一日だった。

ふと生きている間にあとどれくらい本を読めるだろうかと思った。

もし読みかけの本があれば娘がお棺に入れてくれるだろう。

天国にも図書館はあるのだろうか。確かめる術もないけれど。


とにかく今のところは明日がありそう。

ひとつひとつクリアーするように私は生きている。




2021年09月10日(金) おひいさんといのち

ピーカンとはかんかん照りのことを言うのだろうか。

たまには使い慣れない言葉も良いのかもしれない。

真夏日となり輝くばかりの太陽であった。

そういえば太陽も使い慣れていない。

私はいつも「おひさま」と書いていたのではないか。

言葉を発する時には「おひいさん」と言っている。



今朝はとても嬉しいことがあった。

新聞の片隅にローカルジャーナルという詩誌を紹介する欄があって

そこに私が参加している同人誌が紹介されていたのだった。

一部抜粋というカタチで私の詩が掲載されていた。

「身に余る」とはまさにこのこと。

夢ではないかと頬をつねる程の思いがけない出来事であった。


それがどれほど励みになったことだろう。

まるで砂浜に打ち上げられた貝殻のような気持ちになる。

見つけてくれる人がきっといるのだと思った。

ずっとずっと波に揉まれていたのかもしれない。

そのまま化石のように砂に埋もれてしまう運命だったのかも。


誰かの手のひらに救われる。そこには確かないのちがあった。


そんないのちと向き合いながらこれからも書き続けていきたい。


いつかは終わるいのちだからこそ

精一杯に生きなければいけないのだ。





2021年09月09日(木) 優しさと厳しさと

まだ秋晴れというには早いのだろうか。

入道雲こそ見えなかったけれど夏の名残を思わす空。

ただ吹き抜ける風に秋の気配を感じるばかり。

日暮れもずいぶんと早くなった。もう外は真っ暗。



私はここに自由気ままに日々の事を綴っているけれど

先日のように暴言を吐いてしまうこともあって

どうやらある方を不愉快にさせてしまったようだ。

いや傷つけてしまったと言っても良いだろう。

けれども言葉の暴力だったとは決して思っていない。


ただ優しい人ではいられなくなる時がある。

仮面を被っているのかと問われればそれまで

本音が罪になり私は赦しを乞わなければいけない。


私は自分に厳しく他人にも厳しいのかもしれない。

だから私に優しさを求めてはいけないのだ。






本日は開店休業なり。ついに同僚まで稲刈りに駆り出される。

義父は山里でも一二を争うほどの稲作をしているのだった。

週末には台風の影響が出そうで今日中に稲刈りを終わらせたかったよう。

同僚はお昼休みもなく手伝っていて頭が下がる思いだった。

私には義父でも同僚には社長。決して嫌とは言えないだろう。


お昼下がりに同僚が帰って来て稲刈りが中止とのこと。

どうやらコンバインが故障してしまったらしい。「おおのう!」の声。

それから義父が必死になって修理に取り掛かったのは言うまでもない。

「直りそう?」と訊けば「直すぞ!」と気合が入っていた。

義父のそういうところが私は好きだなと思う。

決して「駄目」と言わない。なんとしても乗り越えようとする。

それが義父の長所だとしたら私も少なからず影響を受けているようだ。



ちょっと昔の私は物事を悪いほうへとばかり考えていた。

くよくよと思い詰めることもよくあったしいつも不安だったと思う。

鬱が酷かった頃にはパニック発作もあった。

仕事を終えるなり心療内科に駆け込んだこともある。

そうしておいおいと声をあげて泣いていたのだった。


今思えばほんとうに愚かだったと思う。

強くなることを諦めてしまっていたからだ。

強くなんかなれっこないと決めつけていたのだと思う。

それは自分が信じられないことに等しい。


まずは自分の弱さを受けとめなければいけないのだろう。

だからどうする。その一言に尽きるのではないだろうか。


生物には真っ直ぐに前を向けるようにふたつも眼がついている。

鳥にだって魚だって虫けらにだってそれはあるのだ。


自分の眼を信じてあげなくてどうする。





2021年09月08日(水) どんな時もあってよし

雨の予報だったのに思いがけずに陽射しがあった。

強い雨雲は高知県東部を襲ったらしく

一時は大雨洪水警報が出ていたようだ。


いち早く紅葉していた桜の葉が少しずつ散り始める。

「さくらもみじ」と言うらしい。とても風情のある言葉だ。

花は儚く潔く散ってしまうけれど葉はどうだろう。

夏の名残を感じながら少し躊躇っているようにも見えた。

やがて裸木になることだろう。晩秋の風景が目に浮かぶようだ。






仕事を終えていつものスーパーで買い物。

ステーキ肉が三割引きだったので思わず「やったあ」と声が出る。

3パック買ってうきうきしながら家路に着いた。


それが何ということでしょう。

娘が焼こうとしたら何か変な匂いがすると言う。

ふたりでくんくんと匂いを嗅ぎまくるも自信がなく

じいちゃんに嗅いでもらったら「こりゃ駄目だ」と言う。

加工日を確認したらもう3日も経っていた。

いくらなんでもそれは酷すぎる。

よく確認せずに飛びついて買った私も悪いけれど

それは廃棄処分にも値する粗悪なお肉だったらしい。

がっくりを通り越して大ショックだったけれど

スーパーに掛け合って返品するのも気が引ける。

潔く諦めるしかなく思い切って捨てることになった。


さあ困った。晩ご飯はどうしましょう。

とりあえず近くのローソンに走り「からあげくん」を買って来る。

後はレトルトのカレー。娘がサニーレタスでサラダを作ってくれた。

「なんだか笑えるね」とそれなりに愉快になり夕食を終える。


少しでも節約をしながら美味しい物をといつも考えている。

今日はそれが裏目に出てしまったようだ。

まあどんな時もあってよしだろう。明日の事はまた明日にすればいい。



2021年09月07日(火) 去る者は追わず

二十四節気の「白露」大気が冷えて来て露が見え始める頃。

もう季節は秋なのだと言ってよいのだろう。

これから日に日に秋の色が濃くなっていく。


曇り空で時おり小雨が霧のように降っていた。

しゅんと寂しさを感じる。なんだか熱が冷めてしまったような空。

とり残されてしまったのだとしても受けとめなければいけない。

「去る者は追わず」それが私の主義でもあった。


それにしてもまだ65回目の秋なのか。

ずいぶんと長く生きて来たように思うけれどあまり実感がない。

100回は無理だとしてもせめてあと20回は秋を感じたい。





孫たちの小学校から運動会のお知らせが届き

あと2週間足らずだけれど危惧していた通り観客制限があった。

家族は2名まで。それでは祖父母は観られないという事になる。

コロナ禍の事で運動会が出来るだけでも幸いと思いたい。

けれどもやはり少なからずショックでもあった。

今年だけとは限らない。コロナの終息は未だ先が見えないのだ。

いったいどうなってしまうのだろうと不安は募るばかりだけれど

希望だけは持ち続けていたいと思っている。



夕食時。いつものように娘たちが一足遅れて食べ始めたのだけれど

めいちゃんだけ二階から下りて来なかった。

「みんなと一緒に食べなさい」と言っても聞く耳を持たない。

あげくには「二階で食べる」と言って我儘を通そうとする。

娘夫婦が叱らないのにどうして私が叱れるだろうか。

最低限のしつけさえ出来ないのがなんとももどかしかった。


「それではいけないでしょ」がどうでも良いことになっていく。

今はそんな時代なのだろうか。年寄りには返す言葉もない。

ようは自分の思い通りにはいかないという事なのだろう。


めいちゃんは夕飯を食べただろうか。それさえも訊けないでいる。



2021年09月06日(月) とにかく歩き続ける

曇りのちつかの間の晴れ。日中の気温は30℃ほど。

夕方になると一気に風が涼しく感じられた。


もう栗の季節なのか。今朝はふっと亡き祖父を思い出す。

母の生まれ故郷の栗山はどうなってしまったのだろう。

毎年たくさんの栗を送ってくれた祖父はもういない。

明日が命日だった。もう22年の歳月が流れてしまったようだ。



また新しい一週間が始まる。そんな月曜日が好きでならない。

わくわくとするわけでもないけれどすくっと前を向ける気がする。

特に変わり映えのしない日常の事を愛しくも思えるのだった。


今朝は山里の道でお遍路さんのMさんと再会する。

40日ぶりだろうか。Mさんはその間ずっと歩き続けていたのだ。

遠くからでもその後ろ姿ですぐに分かる。車を停めて声をかけた。

「乗って行くかね?」「うん、乗せてもらおうかな」と笑顔だった。

職場の近くの分岐路までほんの5分ほどだっけれど会話が弾む。

今日は重い話は一切せず世間話ばかりしていた。

辛い事があればきっと話してくれるに違いないと信じている。

百巡目をとっくに過ぎてMさんも気楽になったのだろう。

なんだかお遍路を心から楽しんでいるように感じた。

Mさんは決して嘆くことをしないのだ。

嘆いても何も変わらない事をすでに知り尽くしているのだろう。



毎日SNSを見ているけれど嘆いている人のなんと多いこと。

愚痴も多い。それは一歩間違えば悪口にも聞こえる。

何処の何方なのかもわからない。鍵付きのアカウントばかり。

酷い人は一日中愚痴を吐きまくっている。

それで心が晴れるのだろうか。すっきりとするのだろうか。

私ははっきり言って「馬鹿じゃないか」と思うのだった。


「今日は心療内科に行きます。頑張って来ます」とかアホか!

自分の心ぐらい自分で直せよと言いたい。

いつまでも薬に頼っていてばかりでは強くなどなれはしない。

それではいつまでたっても自分の心と向き合えないと思う。


以上、かつて鬱病だった私の意見です。



Mさんは宿には泊まれない。

今夜もテントを張って何処かで野宿をしている。

お風呂にも入れません。


夜が明けたらまた歩き始めます。永遠に歩くしか道がないのです。





2021年09月05日(日) 天空の蜂を読んで観る

曇り日。午後少しだけ薄陽が射す。

たくさんの洗濯物が乾いてくれて良かった。

晴天の日よりふっくらと干しあがる。

そんな些細なことが嬉しいものなのだ。



家事もそこそこに読みかけの文庫本を開いてしまって

とうとうお大師堂にも行かず終いになってしまった。

気になっているのに行かない。なんと疎かな事だろう。

なんだか後ろめたい気持ちになりながらも自分を許す。


昼食後もすぐに読み始めて2時間ほどで読み終わる。

映画化になっているのでDVDが観たくてたまらない。

「一緒に観てくれる?」とじいちゃんに尋ねたら

「おお、借りて来いや」と言ってくれたので思わず「やったあ!」と

喜び勇んで車に飛び乗っていた。ツタヤは近くて5分で着く。

ありました。「天空の蜂」抱きしめるようにしてレジに向かう。


ドキドキしながら見始めたのだけれどいきなり原作と違っていた。

おそらく作者の東野圭吾が了承したのだろうと察する。

そうでなければ映画化は叶わなかった作品なのかもしれない。

テーマと言うか原作の主旨だけはしっかりと守っている。

少しの違和感もまた新鮮に感じるのは不思議なことだった。

それにしても読んだばかりの本を映像で見られるなんて感動しかない。

おまけに大好きな綾野剛。向井理も出演していて思いがけなかった。

原作は原作としての。映画は映画としての「作品」なのだと思う。

読者に観客に真っ直ぐに届く素晴らしい作品なのではないだろうか。


ふう・・少し熱くなってしまったかも。



今ね。これを書いていたら娘が部屋に入って来て

7年前の動画をスマホで見せてくれた。

あやちゃん2歳。めいちゃんは生後100日位の頃。

「可愛いねえ」を連発しながら目頭が熱くなった。



2021年09月04日(土) ゆるりゆるりと日が暮れる

まだ夏と思うほどの晴天。猛暑日の一歩手前だったようだ。

暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだ。


我が家の猫の額ほどの庭には夏スミレの花が咲いている。

苗を植えたのではなく昨年のこぼれ種が萌えたのらしい。

それはあちらこちらに。玄関先のコンクリートの隙間からも。

プランターに咲いている花には水やりが必要だけれど

コンクリートの隙間に咲く花にはそれが不要のようだった。

水やりをしなくても萎れることはなくとても逞しい。

まるで自分の身の上を知っているかのようだった。

過酷な境遇なのだと知りしっかりと根を張っているのだろう。

すごいなと思う。強いなと思う。ただそっと見守るだけだ。





じいちゃんは漁協の出役に。海苔の漁場を地区別に分ける作業。

公平さを保つために毎年漁場区域を変えているのだった。

「地区割り」を終えると今度は「個人割り」

そうして今年も杭を打ちそれぞれの漁場の準備が始まる。

毎年の事だけれど安気に構えてはいられない。また忙しくなりそう。



孫たちを二人きりで家に残して少し気がかりでもあったけれど

買物に行ったりカーブスへ行ったりして午前中を過ごす。

大急ぎで帰って来たらじいちゃんが先に帰宅していてほっとした。

4人で昼食。とは言え孫達は二階でまた別々に食べる。

あやちゃんは昨日の体育の時間に転んで足と手に傷を負っていて

その傷跡が痛むらしい。まるでロボットのような動き。

傷跡がピザみたいになっていると言い苦笑いをしていた。

夏休みの間の運動不足も原因だろう。

運動会までには治ってきっと頑張ってくれることだろう。


午後2時間程お昼寝。それから夕方までまた文庫本を開く。

室温は33℃もあったけれど不思議と暑さを感じなかった。


ゆるりとしたまま夕暮れ時。今日も娘の帰宅が遅かった。

少しも焦ることはない。今夜も簡単なもので済ます。


完璧である必要はないのだ。そもそも完璧とは何だろうと思う。

それなりに出来た事があればそれで十分ではないだろうか。



2021年09月03日(金) だいじょうぶよの一言で

日中は雨の予報だったけれど雨は降らず

曇り空のまま日が暮れようとしている。

湿度が高く風もないせいかずいぶんと蒸し暑い。


土手の道にレッカー車が停められているのは

娘婿が職場の車で帰宅して来たからだった。

それがとてもかっこよい。すごいなと誇らしげに思う。

きっと孫たちも同じ気持ちなのではないだろうか。



今朝はめいちゃんが学校へ行きたがらず大変だった。

早起きをして登校の準備もしていたのに

出足になって自棄を言い始め集団登校に間に合わなかった。

後からじいちゃんが車で送ってあげようとしたけれど

それも嫌だと泣きじゃくるばかりでもう手がつけられない有様。

「がっこうはきらい」「べんきょうもきらい」と叫び続ける。

遅刻になってしまったけれどなんとか娘が送り届けたとのこと。

後から電話でそれを聞きとてもほっとしたのだった。

けれども行きたがらない理由がちゃんとあったことを知る。

それは一番の楽しみではないかと思い込んでいた給食だった。

量が多過ぎて食べきれずいつも最後の端になってしまうのだそう。

残したら先生に叱られるのもストレスになっていたのだろう。

普段から小食のめいちゃんには大きな試練だったようだ。

それを聞くと可哀想でならない。今までよく耐えたものだと思う。


小食も個性のうち。出来ることならば認めてあげてほしい。

みんなと一緒ではないことが辛くなる時もあるのだと思う。

幼い心は一生懸命に頑張ろうとしているのだけれど

出来ない事があってもいい。子供だって人間だもの。

「だいじょうぶよ」の一言で救われる時もあるのだと思うのだ。


2学期は運動会もある。かけっこは得意なめいちゃんだった。

7歳の誕生日もあと少し。めいちゃんの前途はとても明るい。



2021年09月02日(木) 季節の変わり目

もうすぐ午後7時。西の空に微かに紅を残し日が暮れようとしている。

曇り空の一日だったけれど午後にはつかの間の青空が見える。

それから一気に気温があがり30℃を超えていたようだ。


まだ夏なのかもう秋なのかまさに季節の変わり目なのだろう。

彼岸花がぽつぽつと咲き始めて今年はずいぶんと早い気がする。



ゆるりと仕事。特に急いだ仕事もなかった。

事務所に一人でいるとつい文庫本を開いてしまう。

さぼっているように見えるけれど留守番だと言えば恰好がつく。

電話が鳴れば出る。来客があれば応対する。



定時でタイムカードを押し帰路についた。

いつものように夕飯のメニューを考えながらのこと。

ラジオからは相川七瀬の「恋心」が流れていた。


今日は娘の帰宅が遅くなる日だったので

今朝あやちゃんに相談したら「かんたんな物でええよ」と。

その一言がやたらと嬉しかった。手を抜いても良いと言うことだ。

お刺身は必須で盛り合わせを半額でゲット。

後はスペアリブを焼くだけ。丸美屋の麻婆豆腐。

長野産のブロッコーリーを茹で胡瓜のスタミナ漬け。

わずか30分で夕食の支度が整う。


今夜はダンス教室があるので娘が帰宅するなり夕食。

めいちゃんは眠そうだったけれど頑張って出掛けて行く。

どんな風にダンスを踊っているのだろう。

動画で良いから一度見てみたいものだ。



とりとめのない日記になってしまったけれど

これを書き終えてこそ私の一日が終わるのだった。

いつも読んで下さっている方々には感謝しかない。

おまけに投票ボタンまで押して下さっている方がいることを

つい最近になって知ったのでした。身に余ることです。

何の変哲もないつまらない日記に本当にありがとうございます。



窓の外はすっかり夜になった。

秋の虫たちが大合唱をしている。今夜もぐっすりと眠れそうだ。



2021年09月01日(水) 弱気よりも強気

9月の声を聞くなり日暮れが早くなったようだ。

もう薄暗くなっていて虫の声が聴こえ始めた。

なんだかしんみりとしてしまう。

夏の終わりはどうしてこんなに物悲しいのだろう。



長かった夏休みが終り孫たちの新学期が始まる。

久々のランドセルの重さに小柄なめいちゃんは倒れてしまいそう。

それでも大丈夫と笑顔を見せて元気に登校して行く。

路地を曲がる時にふたりが手を振ってくれて嬉しかった。

どうか無事にどうか安全にと祈るばかりの朝のこと。



職場は開店休業。今日は同僚も稲刈りだった。

最近は体調が良いようだけれどやはり気遣わずにいられない。

変わり仕事をするとどうしても身体に堪えるものだ。

同僚も60歳が近くなった。そろそろ無理の効かない年頃。


義父も稲刈りだったけれど昨日のワクチン接種の副反応か

倦怠感があるのを無理をして出掛けて行く。

もう少しで終わるのだそう。なんとしてもと意気込みを感じる。

義父曰く「病は気から」何事も弱気になってはいけないのだそう。

そんな義父の影響を私も少なからず受けているのだと思う。

もう駄目だと思ったら本当に駄目になることを学んだ。



帰宅したら玄関にランドセルがありほっとする。

今日は始業式で授業も早めに終ったようだった。

さっそくに宿題も出たようであやちゃんは一気に難しくなったと

お風呂に入って寝る前に娘が教えてあげると約束をしていた。


夏休みとはまた違った日常が帰って来たことを感じる。

また少しずつ慣れてくることだろう。

笑顔ばかりの日とは限らないけれど笑顔になろうとすることは出来る。

我慢もしなければいけない。立ち向かう勇気だって必要。


あやちゃんは夏休みの間に「理不尽」という言葉を覚えたらしい。

意味が分かっているのかは定かではないけれど

「りふじんね」と口癖のようにつぶやいている。



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