窓に西陽のあたる部屋の室温は33℃。
エアコンと扇風機でクールダウンしながら夕焼け空を見ている。
8月もとうとう最後の日。もうすぐ日が暮れることだろう。
今日のコロナ感染者数93名。そのうち5名は四万十市とのこと。
最近になってやっと詳しい情報が入るようになった。
不安はつのるばかりだけれど仕方ないことなのだろう。
とにかく身を守らなければいけない。なんとしてもだ。
明日から新学期が始まるのでけい君の送迎の段取りがあり
じいちゃんが息子に電話したらしばらくは接触を避けたいとのこと。
人一倍神経質で用心深い息子ならばと頷ける話だった。
息子が送迎できない日は歩かせるから大丈夫と言ったそうだ。
学校からマンションまでけっこう距離があるので心配だけれど
いつまでも親や祖父に甘えているよりは良いのかもしれない。
逞しくなるチャンスだと思ってしばらく様子を見ようと思う。
ただけい君に会えないのが少し残念でならない。
けい君ばかりか息子達ともしばらく疎遠になってしまいそうだった。
コロナが憎いとは思わないけれどどうしようも出来ないこと。
日本中がパニックになるような災難としか言いようがない。
やまない雨がないように終わらないコロナもないのだと信じたい。
2021年08月30日(月) |
無題には出来ない一日 |
日向にいると眩暈がするような暑さ。
けれども木陰に入るとずいぶんと涼しい。
暑さの峠も今週いっぱいのようだ。
今朝は山里に差し掛かるなり藁の匂いが漂う。
いや糠の匂いだろうか。それともお米の匂いだろうか。
ここ数日でずいぶんと稲刈りが捗ったようだ。
木曜日ごろからまたお天気が崩れるとのこと。
義父がなんとしても稲刈りを終わらせようと躍起になっている。
職場は来客が多くてんてこ舞い。同僚一人ではとても手が回らない。
お客さんに迷惑がかからないように私も対応に追われる。
少しパニック状態になっていたところに
常連のお客さんが来てくれて新車のトラックを買ってくれるとのこと。
本来なら義父の役目だけれど私が商談に応じる。
9月になったらすぐに契約してくれるとのことまるで夢に餅だった。
鼻高々に義父に報告するわけにはいかないなと思う。
契約は義父に任せて私は一切口出しをしないことにしよう。
そんなこんなで仕事は忙しくてもとても遣り甲斐があり楽しい。
一時間の残業になり程よい疲れ。娘と二人で洗濯物をたたむ。
それからすぐに夕食の支度にとりかかる。
例のごとくあやちゃんが「ばんごはんはなあに?」
その時私は軽くプレッシャーを感じるのだけれど
今日はあやちゃんの好きな鮭の塩焼きがあったので良かった。
家族6人が揃って夕食を食べることは殆ど無くなったこの頃。
じいちゃんと私が食べ終わった頃に娘達がやっと食べ始める。
なんだかそのほうが良いみたい。食器洗いも楽ちんだった。
あやちゃんが朗らかによくしゃべっている。
その声を聴けるだけでなんだかとても嬉しく幸せな気持ちになる。
連日の猛暑日。なんと誇らしげな夏の後ろ姿だろう。
去らなければいけないから尚更微笑んでいるようだった。
やがて秋の風が吹く。その時に哀しい顔をしてはいけない。
早朝よりお大師堂へ。今日はあるお遍路さんの命日だった。
もう9年の歳月が流れてしまったようだ。
初めて会った日は寒さ厳しい冬のことで
お大師堂の片隅で肩を震わすようにして佇んでいたこと
修業僧として京都のお寺を出てから幾日目だったのだろうか。
もう耐えられないとひどく嘆いていたことを憶えている。
それが12年前のことその後3年の修業の間に何度か再会を果たす。
よほどの縁があったのだろう。偶然とは言い難い再会であった。
最後に会った日のことは一生忘れることは出来ない。
満面の笑顔であった。まるで苦しみや辛さから解放されたような
清々しさを感じたのは気のせいだったのだろうか。
その3日後に彼は自らの命を絶った。
そうすることで救われたのだとは決して思いたくはない。
大きな罪を犯したのだと今でも思っている。
けれども赦してあげなければいけない。認めてあげなくてはいけない。
魂はいま何処を彷徨っているのだろう。あまりにも不憫であった。
お大師堂で般若心経を唱えながら声が震えていた。
思い出すことが供養になるのならと今夜ここに記す。
2021年08月28日(土) |
おひさまおつかれさま |
快晴。最高気温が37℃近くあったようだ。
まさに猛暑。残り少ない夏が力を振り絞っていたのだろう。
おひさまおつかれさま。いま西の空に沈もうとしている。
娘達と同居を始めて今日で7年。
ちょっとした記念日のように思い起こしながら過ごす。
歳月の経つのはほんとうに早いものだ。
あやちゃん9歳。めいちゃんも7歳になろうとしている。
かけがえのない大切な家族。なんとしても守りたいものだ。
いつまでも一緒にと願いつつ覚悟も出来て来たこの頃。
ある日突然にそれを言われても狼狽えはしないだろう。
父も母も老いて来たけれど引き止める権利はないと思う。
夫婦ふたりの静かな暮しもまた良いのかもしれない。
娘は仕事。娘婿は素潜り漁に出掛け孫たちと過ごす。
とは言えもう全く手が掛からず昼食を用意しただけだった。
まるで宿の中居さんのように部屋に運ぶのが私の役目。
とにかくそっとしておく。二人ともそれを望んでいるよう。
まだ紙オムツをしていた幼い頃を思い出す。
部屋におまるを置いてありトイレの練習もしたものだ。
少しでもお昼寝をさせようとドライブにも行った。
寝てくれたらこれ幸いと抱っこして布団に運んだり。
お守はほんとうに大変だったけれどなんと懐かしいことだろう。
過ぎ去った日々はそうして思い出になっていく。
夕飯時。娘達は庭でバーベキューを始めた。
一緒にと誘ってくれたけれど今日も遠慮する。
それが少しも寂しくはなかった。むしろ微笑ましくて。
娘達は家族四人水入らずを楽しんでいるのだなと思ったのだ。
執着心と言うものだろうか。そんな余計なものがなくなると
ずいぶんと心が楽になるものだなと思う。
じいちゃんと向かい合ってにこにこしながら夕飯を食べた。
35℃を越す猛暑日。夏はまだまだ健在のようだ。
8月は雨の日があまりにも多かったので
厳しい残暑がむしろ心地よく感じている。
朝の山道の途中に「伊平さんのお墓」があって
その傍らに桃色のムクゲの花が咲いていた。
いつもなら通り過ぎてしまうのだけれど
今朝は車を停めてしばし花を愛でつつ
お墓に手を合わせてから職場に向かった。
伊平さんは明治時代のお遍路さんだったらしい。
行き倒れて亡くなってしまったのを地元民が手厚く葬ったとのこと。
遍路道ならではの言い伝えがありとても感慨深く思う。
初夏には紫陽花の花が。夏にはムクゲノ花が咲く。
伊平さんの故郷は定かではないけれどこの地で安らかに眠っている。
午前中に娘からメールがあり職場の同僚は陰性だったとのこと。
ほっと胸を撫で下ろしたけれどまだ油断は出来ないと思う。
数日経ってから症状が出る場合もあるらしい。
せめて一週間位は様子を見たほうが良さそうだった。
かと言ってあまり神経質になってもいかず複雑な思いがつのる。
こればかりは何とも言えない。時の経つのを待つしかないだろう。
もし陽性だったら我が家は大パニックになっているところだった。
それを思うとやはり救われたことになるのだろう。
孫たちに我慢を強いてしまったけれど二人ともよく聞き分けてくれた。
今のところストレスを感じている様子もなく何よりに思う。
伸び伸びと自由に動きまわれる日はまだ遠いかもしれないけれど
このコロナ禍のなかでいかに逞しく育つかと言うこと。
おとなもくよくよ嘆いてばかりいてはいけない。
今こそ立ち向かっていくべき時なのではないだろうか。
今日は猛暑日の一歩手前。厳しい残暑と言うべきだろうか。
まるで雨ばかりだった8月を取り戻そうとしているようだ。
職場の庭の百日紅にいつのまにか実が付いていた。
花が散った様子もなくなんだか不思議でならない。
その実を砕けば種がでてくるのだろうか。
確かめてみたいけれど憐れにも思えてそれが出来ない。
しっかりと生きているのだ。実も命なのにちがいない。
昨日から本格的に稲刈りを始めた義父。
順調にはかどることをひたすら願っていたけれど
コンバインが故障してしまったとのこと。
部品をすぐに注文して自分で直すのだそうだ。
根っからの職人肌で農機具も直す腕前は大したもの。
今日は乾燥したお米を袋詰めにしていて
「新米を食べさせてやるぞ」と言って私の車に積んでくれた。
ありがたいこと。山里のお米はとても美味しいのだった。
娘はやっと仕事が休めたようだ。
昨日はピンチヒッターで出勤し帰宅したのは8時を過ぎていた。
同僚のご主人は今日発表の感染者に含まれていて
職場でのクラスターとのこと。防ぎようはなかったと思われる。
同僚の検査結果は明日判明するらしい。気が気ではないけれど
陽性と決まったわけではない。一縷の望みにかけたいと思う。
可哀想なのは孫たち。朝のラジオ体操もお休みし
今夜のダンス教室もお休みせざる得なかった。
新学期まであと6日。なんとしても無事に学校へ行かせてあげたい。
私の心配をよそに娘はけっこうあっけらかんとしている。
楽天家は父親譲りだろうかいつもと変わらない笑顔でいてくれる。
私もくよくよしていないで娘を見習わなくてはと思う。
明日はあしたの風が吹くだろう。
きっと心地よい南風が吹くのに違いない。
2021年08月25日(水) |
娘の帰りを待っている |
おおむね晴れ。やっとお天気が落ち着いたようだ。
しばらくは晴れの日が続くとのことでほっとしている。
やはりもうしばらくは夏の名残をたのしんでいたいものだ。
夏と秋がせめぎ合うような季節の移ろいもまたよし。
朝の峠路を越え山里の県道を走っていたら
道路に丸い石のような物が転がっていてスピードを落とす。
そうしたらその石がかすかに動いているのでびっくりとおどろく。
ようく見たら亀だった。ゆっくりと道路を横断していたらしい。
危機一髪のところで避けることが出来て良かった。
もしもし亀よ亀さんよと鼻歌を歌いながら職場に向かう。
お昼に娘からメールがあり急きょ午後から仕事になったとのこと。
なんと同僚のご主人がコロナに感染したと言うので驚愕が走る。
濃厚接触者になるので同僚もPCR検査を受けるとのこと。
もし陽性だったら娘も濃厚接触者になってしまうのだった。
どれほど感染予防に努めていてもこんな落し穴があるのだ。
改めてコロナの恐ろしさを身近に感じずにいられなかった。
どうか陰性でありますように。今はただ祈ることしか出来ない。
高知県は最多記録を更新続けていて今日は111名と発表がある。
危機感がつのるばかり。いったいどうなってしまうのだろう。
なんとしても家族を守りたい思いに石を投げられているような気持ち。
残念ながら神も仏もコロナには勝てないだろう。
それでも信じたい。なにがあっても希望を持ち続けていたい。
孫たちの笑顔に救われながら娘の帰りを待っている。
2021年08月24日(火) |
蜂のムサシは生きている |
曇り日。風があり涼しく感じたけれど
気温は30℃の真夏日だったようだ。
そろそろ日が暮れる頃。窓を開け広げて夕風に吹かれている。
そのうち虫の声が聴こえ始めるだろう。ささやかな秋の声だ。
昨夜昔のことを記してしまったせいか
今日はずっと思い出してばかりいた。
それも歳をとってしまった証拠だと言えばそれまで
それにしてもたくさんの人を傷つけてしまったものだ。
H君は再婚しなかったと風の噂で聞いたけれど
私はこんなにも幸せで良いのだろうかと心苦しく思う。
とても可愛がってくれた義父母の事。義兄も義妹もいた。
二度と会う事のないだろう人達の事がなぜかとても懐かしい。
ああでも書き出したらきりがない。もうよそうか。
記憶を封印する時がいま正に訪れたのかもしれない。
仕事を終えて帰宅したらあやちゃんがピアノ教室に行くところだった。
自転車ではなく歩いて行くと言うので「だいじょうぶ?」と訊けば
にっこりと笑って「うん!」と応え路地を曲がって行った。
それが30分で終わるはずなのになかなか帰って来ない。
心配になり迎えに行こうかと思っていたら電話がかかってきた。
それも義妹のスマホから。我が家には帰らず義妹の家に帰っていたのだ。
訊けば我が家の庭先に蜂がたくさん飛んでいたのだそう。
怖くて帰れないので迎えに来てと言うのだった。
じいちゃんが路地まで出て待っていたらまっしぐらに走って来る。
蜂は先日からよく見かけるようになり何処かに巣があるようだ。
幸いスズメバチではないのだけれど刺される心配もある。
それにしても巣が見つけられない。困ったものだなと思う。
夏休みも後一週間になった。宿題は完璧なのだろうか。
あやちゃんもめいちゃんも少しも焦っている様子はなかった。
私は一切口出しをせずにいる。そのほうがきっとまあるく収まるだろう。
晴れたり曇ったり。朝のうち少しだけにわか雨が降る。
気温は30℃ほど。もう猛暑日になることもないだろう。
二十四節気の「処暑」日に日に夏が退いて行く季節になった。
いつも通りに4時に起きたけれどネットが繋がらず
光ブロードバンドにしてから時たまそんな時がある。
NTTに比べると回線状態が不安定なのだろうと思う。
ルーターを再起動するとすぐに復活するのだけれど
娘たちの寝ている部屋に置いてありさすがに諦めるしかなかった。
そうだ本を読もう。またまた活字中毒が始まった夜明け前のこと。
昨日買った本を読み終えまた読む本が無くなってしまった。
山里の公民館の図書室に返却本と一緒に持って行く。
てっきり快くもらって頂けるものと思っていたのだけれど
そんなふうにして持ち込む人が多いと見えて
物置にたくさん在庫本が在るのだそうで断られてしまった。
なんで物置にと腑に落ちなかったけれど
ちいさな図書室の事で置くスペースがないのも頷ける話だった。
移動図書のコーナーに高知県立図書館からの本が届いているとのこと
係の女性が「東野圭吾もありますよ」と教えてくれて2冊借りる。
これでしばらくは安心かなと思う。ゆっくり読まなければいけない。
また昔の話になってしまうけれど高卒で就職したのは本屋さんだった。
「ほるぷ」という書籍販売の会社の営業所だったのだけれど
主に百科事典や文学全集などの高価な本を扱っていた。
営業マンか大勢いて朝礼が済むとみな勇ましく出掛けて行く。
事務員は私一人で所長から見本の本をいくらでも読んで良いと。
なんとも恵まれた職場だったのだろうと今更ながらに思う。
営業所の壁一面が本棚だったのだ。読み放題とはこのこと。
けれどもどんな本を読んだのか今はよく憶えてはいなかった。
19歳と言う若さのせいもあったのだろう
配送係のH君と恋に落ちてしまったのだった。
たまたま日曜日の配達指定があった時など一緒に配達に行った。
確か児童施設だったと記憶している。大勢の子供達に囲まれて
「お兄ちゃんお姉ちゃんありがとう」と子供達の声がとても嬉しかった。
19歳の4月。私はH君と結婚した。
その7ヶ月後20歳の誕生日を待たずに離婚したのだった。
母に会いに行こう。そうして7年ぶりに母に会えた。
2021年08月22日(日) |
どうやら活字中毒らしい |
曇りのち晴れ。快晴ではなかったけれど陽射しに恵まれる。
辛抱して待ち続けていたかいがあったようだ。
少し蒸し暑くなったけれど南風が心地よく吹き抜けていく。
明日はもう「処暑」夏は潔く去って行くのだろうか。
それもなんだかせつない。まだまだ夏の名残を感じていたいものだ。
朝のうちにお大師堂へ。また日捲りの暦が18日のままだった。
雨ばかりの日々が続いていたので無理もないことだろう。
Sさんやお参り仲間さん達の顔が目に浮かぶばかり。
私も2週間ぶりでずいぶんと疎かにしていたのだった。
出来ることは限られているけれど精一杯のことをしたいと思う。
9時の開店を待ちかねてドラッグストアーに買い物。
一週間分のビール等を買い求め車に戻ったら
すぐ側に折りたたんだ千円札が落ちていた。
一瞬失敬してしまおうかと思ったけれどやはり良心が咎める。
店員さんに届けたら防犯カメラに落とし主が映っているかもと。
黒いワゴン車が停まっていたことを告げて帰って来た。
たかが千円と思って良いものか。千円あれば焼酎が買える。
どうやらすっかり活字中毒になってしまったらしく
山里の図書室で借りていた本を昨日のうちに読み終えてしまって
読む本が無いと言うだけでどうにも落ち着かない午後だった。
ツタヤに行って110円の中古本を買って来る。
一昨年だったか断捨離で本棚と本を処分してしまったので
なるべく図書室を利用するようにしていたけれど仕方ない。
読み終わったら訳を話して図書室で引き取ってもらおうと思う。
中古本にしては状態が良いのできっと大丈夫だろう。
憧れるのは暇さえあれば本を読んでいられるような暮し。
この先いつになるのか分からないけれど仕事を辞められたら
きっとそれが叶うだろう。あと5年。10年は長すぎる。
今はゴールが見えないけれど明日からまたぼちぼち頑張ろう。
曇り時々雨。なんだか空が壊れてしまったような気がする。
痛くはないか辛くはないか。何も言えない空はただ泣くばかり。
週間天気予報を見ていたら来週の木曜日に晴れマークがあった。
もう少しの辛抱だ。私まで泣くわけにはいかない。
午前中にカーブスへ。しばらくは土曜日だけになることを伝える。
平日の慌ただしさに加えコロナ感染の不安も大きい。
なるべく人の集まる場所には行かないほうが無難に思える。
感染対策は万全であっても万が一の事が無いとも限らなかった。
日に日に感染者が増えている高知県。
今日も過去最多を記録する。大きな危機感と不安が襲って来るばかり。
孫たちの夏休みも残り少なくなった。新学期からの心配も大きい。
めいちゃん夕方になり一度帰宅するも今夜もお泊りとのこと。
娘はそれを許す。私は少しご機嫌斜めだった。
それを察したのかめいちゃんが手紙を書いてくれた。
それには「みんなだいすき」と書いてあった。
子供心に罪悪感のようなものを感じているのかもしれない。
笑顔で送り出してあげれば良かったと少し悔やまれる。
あやちゃんは朝食も食べずに部屋に閉じ籠ったきり。
さすがにお腹が空いたのか昼食はたくさん食べてくれた。
3時のおやつにみかんの缶詰が食べたいと言うので部屋まで運ぶ。
それから固定電話が何度も鳴りお友達からの電話だったよう。
明日の予定があるらしいけれど何も教えてくれない。
晩ご飯も食べずお風呂にも入らず今も部屋に閉じこもっている。
それに対しても娘夫婦は何も言わない。
放任主義と言うのとはちょっと違うと思う。
とにかくそっとしておいてあげなければいけない年頃なのだろう。
「おまえは口出しするな」とじいちゃんに釘を刺されてしまって
なんだかあやちゃんが家族ではない遠い存在に思えてくるのだった。
寂しいものだなとしみじみと思う。
すっかり日が暮れてまた雨がぽつぽつと降り始めた。
星も見えなければ月もない。
空も寂しいだろうなあと思うばかり。
深夜から夜明け前まで激しい雨。
土砂災害の危険があるとのことで市内全域に避難指示が出る。
エリアメールが鳴り響きざわざわと落ち着かない夜明け前だった。
幸い我が家は山沿いではなく安心に思えたけれど
山沿いの地区では気が気でなかったことだろう。
避難をと言われても戸惑うばかりではなかっただろうか。
夜が明けると雨がやみ雲間にちいさな青空が見えていた。
そんな青空が次第に広がり午前中は久しぶりに陽射しがあった。
ツクツクボウシが鳴き一気に晩夏を感じたのは言うまでもない。
つかの間の青空だった。午後にはまた小雨が降り始める。
それもつかの間。今は雨もやんでいて静かな夕暮れ時となった。
めいちゃんがまあちゃんの家に泊まりに行くのだそうで
はしゃいでいるかと思えば晩ご飯を食べたがらない。
どうやらまあちゃんの家でご馳走になるつもりなのか。
そういうのは駄目。ちゃんとケジメをつけさせたいのだけれど
めいちゃんいわく「おとまりとはそういうもんです」と。
いつの間にそんなことを言うようになったのかもう苦笑いしかない。
なんだかこの夏休みの間に一気に成長したように感じる。
けい君もきっとそうだろう。母親の入院は辛かったけれど
もしかしたら良い経験が出来たのかもしれなかった。
親離れの初期的なものと言えば良いのだろうか。
いろんな経験を積みながら子供には自立心が芽生えてくるものだ。
それは一歩一歩のこと。おそるおそるに見えても
子供は挑戦し少しずつ逞しくなっていくのだと思う。
おとなはそれ以上に逞しくならなければいけない。
わかりますか?そこの貴女。泣き言はいい加減にしましょうね。
夜明け前には激しい雷雨。
稲妻が光ったと思ったらまるで空が壊れたかのような轟音。
豪雨も怖ろしいけれど雷はそれ以上に怖ろしい。
日中は幸いにも殆ど雨が降らずに済む。
青空を待ちかねている稲がすっかり倒れてしまって
米農家の人達はもうお手上げだと嘆いている。
義父もその一人。嘆くのは通り越してしまって
「もうなるようにしかならん」とやけくそ状態だった。
自然相手の仕事はなかなか思うようにはいかないものだ。
一日も早くお天気が回復することをただただ祈るばかり。
仕事を終えて帰宅するなりカーブスから電話があった。
開口一番に体調を気遣ってくれたのだけれど私は元気。
ただ時間の余裕がないことを伝えながら少し虚しくなった。
一番に仕事。二番に家事。カーブスはその次なのだと思う。
仕事を終えてから行くには余程の無理が必要だった。
出来ることならばマイペースを貫きたいものだ。
電話はありがたかったけれどなんとも複雑な気分になる。
孫たちがダンス教室の夜。夕方からめいちゃんが寝てしまって
娘が無理やり起こしたものだからご機嫌斜めのまま出掛ける。
夕飯も食べずに行ったのでどんなにかお腹を空かせていることだろう。
あやちゃんはとても楽しみにしているけれどめいちゃんは?
よけいな老婆心かもしれないけれどなんだか心配になってしまった。
おとなにも子供にも楽しみなことはたくさんある。
おとなは優先順位を決められるけれど子供はどうなのだろう。
もしかしたら親が優先順位を決めているのかもしれない。
「ただいまあ」と元気に帰って来てくれたらほっとする。
晩ご飯をいっぱい食べてぐっすりと眠ってくれたら言う事なし。
マイペースは簡単そうで難しい。そんな事をふと思う夜になった。
雨が降ったりやんだり。時おり強く降る。
太平洋高気圧が少しずつ勢力を増して来ているとのこと
長雨ももう少しの辛抱だと思う。耐えなければいけない。
朝の山道で栗の実が転がっているのを見た。
まだ緑のイガで小さくてとても可愛らしいのだ。
なんだかマリモみたいだなと思った。
それなのに車で轢いてしまってごめんなさい。
ちいさな秋を見つけた朝のことだった。
娘40歳の誕生日。今夜はささやかにお祝いをする。
娘の歳を忘れたじいちゃんが「さんじゅうくかよ」と言って
私が「しじゅうで」と教えたら「ほんまかよ」と驚いていた。
それから20歳の頃の話になって「あれから20年かよ」と
よく朝帰りをしていて玄関で寝ていたことなどを話す。
夜遊びではなく夜の蝶のバイトをしていたのだった。
父親には内緒だったけれどすぐにバレてしまっていた。
そのバイトのおかげで今のお婿さんとも出会えて結果は良し。
結婚は少し晩婚だったけれど宝物のようなふたりの孫を授けてくれた。
「めでたし、めでたしよね」と今夜はおおいに笑い合った。
ただ結婚式を挙げていないので娘の花嫁姿は幻となる。
当然の事だけれど両親への感謝の言葉などもなく
「じゃあ行くね」と言ってあっけなく家を出て行ったのだった。
そんな娘が今はひとつ屋根の下にいる。
同居を始めてもうすぐ7年になろうとしているけれど
事あるごとに「いつまでも居ないからね」はもう口癖になったよう。
私もじいちゃんも覚悟はしている。
孫たちもどんどん成長しているのだ。同居にも限界があるだろう。
「じゃあ行くね」またそう言って出て行くのかもしれない。
おひさまのような娘がいなくなってしまったら
毎日雨が降り続くのかな。ふとそんなことを思う夜のこと。
時おり土砂降りの雨が降る。それは怖ろしいほどに。
もう幾日降り続いているのか分からなくなった。
ふと蝉のことをおもう。鳴き声ひとつ聴こえないけれど
鳴きたくとも鳴けずまま亡骸になってしまったのではないか。
地上での7日間。雨に打たれながら木にしがみついていたのか。
それでも生きていたのだと思い残すこともなかったのだろうか。
なんと憐れなことだろう。雨はまるで蝉たちの鎮魂歌のようだ。
けい君の血液検査の結果がわかった。
仕事を終えてから総合病院の小児科へと向かう。
医師も驚くほどの結果で私もいささか衝撃を受ける。
どうやら生まれつきのアレルギー体質らしかった。
猫、犬、ダニ、杉花粉、蕎麦、小麦、卵、牛乳等。
とにかく避けられるものは極力避けるようにと指示を受ける。
食物は意外だった。幼い頃からずっと食べていて
特に今まで異変もなかったから寝耳に水のようなこと。
これからの食生活をどうすれば良いのかと途方に暮れる。
息子に知らせたらパニック状態になっていた。無理もないこと。
特に猫は家族の一員でけい君が生まれる前から飼っている。
どこまで神経質になれば良いのか今はよく分からない。
ただ息子たちの苦労がまた大きくなったことは事実だった。
母がお世話になっている施設のある病院でもあり
相談室に顔を出してケアマネさんに声をかけたら
母がちょうどリハビリ室に居るとのことで
遠くから顔を見るだけならと特別に面会を許してもらえた。
なんとも思いがけないことで目頭が熱くなる。
10メートル程離れていただろうか。母の声は聞きとれない。
私も大きな声を出せずにただただ母の元気そうな姿を目に焼き付ける。
何度も何度も母の夢を見ていた。決して幻ではない母の姿だった。
今度はいつ会えるのだろうか。それさえも分からないのだ。
奇しくも今日の感染者は過去最多の40人と聞く。
高知県は昨日とうとう「特別警戒」となったばかりだった。
日に日に押し寄せて来るコロナの波にもまれながらも
日々の事を精一杯にとにかく我が身を家族を守らなければいけない。
2021年08月16日(月) |
穴があったら入りたい |
曇り時々雨。明日はまた大雨になるらしい。
例年なら厳しい残暑が続いている頃
もう幾日もおひさまを見ていなくてなんだか
しゅんとしてしまうような寂しさを感じる。
夏はいったい何処に行ってしまったのだろうか。
今日は特に予定もなく午前中は読書に没頭する。
同人誌でお世話になっている大家正志さんの小説。
高知を代表する詩人でありながら小説を書いていたことを知らずにいた。
文面はもちろんのことだけれど感情表現が素晴らしい作品だった。
読み始めたら止めらなくなり一気に読了する。
読後感は言うまでもなく少しミステリアスなところもあり
主人公に感情移入しながら書かれてはいない結末がとても気になる。
直木賞候補になってもおかしくない大傑作だと思った。
それを「非売品」として発行したことにも訳があるのだろう。
営利目的としないことで自由を謳歌しているようにも思えた。
それは決して自己満足なのではないのだと思う。
出来ることならば多くの人に読んで欲しい作品であって
高知の片田舎でひっそりと埋もれるにはあまりにも惜しいと思った。
私も昔小説らしきものを書いたことがあったけれど
とても足元にも及ばない。今日になってやっとその愚かさに気づいた。
自分の心にだけ執着したものはもはや小説とは呼べないのではないか。
ただの雑文。いや自叙伝に少し毛の生えたような「シロモノ」
全くもって恥ずかしい。穴があったら入りたいくらいだ。
自分の愚かさに気づくと不思議と気楽になるものらしい。
肩の力を抜いて好きなように書きたいことを書いていればいい。
こうして書く場所を与えられていて幸せなことだと思う。
あと半年もすれば「ゆらゆら日記」も20年目になる。
※もし大家正志(ダイケマサシ)さんの小説を読んでみたいと思った方は
「ふたば工房」電話088−840−3791まで。
2021年08月15日(日) |
明日はもう送り火なのか |
雨のち曇り。幸い大雨にはならずに済む。
ほっとしながらもなんだか心苦しくもあった。
水害や土砂災害に遭われた方々を思うと胸が痛むばかり。
自分達はほんとうに恵まれているのだと思う。
午前中に黒潮町の「あかつき館」まで車を走らす。
友人の所属する写真クラブの写真展があった。
降りしきる雨の中で少し道に迷ってしまったり
不慣れな道を自分で運転するのは初めてのことだった。
「あかつき館」は松林を抜けた処にありとても分かり難い。
昨年はじいちゃんに連れて来てもらったので
助手席でのほほんとしているうちに着いたのだった。
友人の写真は「さすが」と声が出るほど一際目立っていた。
長野県で撮った写真が多くあり相変わらずの行動力に感嘆する。
それにしてもこのコロナ禍にと少し複雑な気持ちにもなる。
躊躇う事をしないのだろうと思う。それで良いのだろうかとも思った。
「人それぞれ」私とは住む世界がまったく違うことを思い知る。
夕方になり息子から電話がありお盆パーティーのドタキャン。
娘が危惧していた通りになった。それは今までもよくあったこと。
今回はけい君が行きたがらないとのこと。仕方ないことだと思う。
お嫁さん(母親)がお留守番だったのが心細かったのだろう。
片時も母親から離れたくない気持ちが痛いほどに分かった。
それほどまでに今回の入院が幼い心を悲しませていたのだと思う。
とにかくしばらくはそっとしてあげていたほうが良さそう。
家族6人では食べきれない程のごちそう。
苦しい家計もなんのそので「ええいお盆だ」と大奮発をしていた。
お盆休み前に職場から夏季手当を頂いていたのでそれが役に立つ。
同僚にも同じく。それは私の算段でどうにでもなることだった。
孫たちは土手で花火をしている。
そのはしゃぎ声を聴きながらこれを記していた。
明日はもう送り火なのか。なんだかふっと切なさが込み上げて来る。
小雨が降ったりやんだり。幸い豪雨にはならずに済む。
九州北部や広島には大雨特別警報が出ていてなんとも心配なこと。
とても他人事には思えずどんなにか不安な一日を過ごしたことだろう。
一刻も早く雨がやんでくれることを願わずにはいられない。
夜明け前、アラームで目覚めるまで不思議な夢を見ていた。
その人が亡くなってから一度も夢に見たことはなかったけれど
ずっとその死を受けとめられずにいる私に
「もう死んだんだよ」と伝えに来てくれたのかもしれない。
故郷の家にきっと魂が帰って来たのだろう。
まさか笑顔で再会できるとは思ってもいなかった。
午前中にけい君を総合病院の皮膚科へ連れて行く。
息子もお嫁さんも私に任せてくれたけれど
なんだかよけいな事をしているような後ろめたさがあった。
けれどもこれ以上悪化させるわけにもいかず
これも息子たちの手助けなのだと思うことにした。
まだ立っているのがやっとのお嫁さんに
どうして自分で連れて行きなさいと言えるだろうか。
帰宅して地区の初盆のお宅へお供えを届ける。
今年は10軒もあり過去最多ではないだろうか。
同じ地区とは言えどのお宅なのか家がよく分からなかった。
悪天候のせいか軒下に灯篭を釣るしていない家が多かったのだ。
じいちゃんの助けがなかったらとても届けられなかっただろう。
地区がすべて終り最後に従兄弟の家を訪ねる。
独り残された従姉妹が愛犬と一緒に出迎えてくれた。
「かず兄帰ってきちょるかね」とお線香をあげさせてもらった。
コロナ禍でさえなければお盆の宴会もあっただろうけれど
それを詫びる従姉妹に「気にせんでもええよ」と言って帰って来る。
気忙しい一日だったけれど任務完了の気持ち。
お盆ならではのことをやり遂げほっと肩の荷がおりたようだった。
明日の夜にはお盆パーティーをすることになり
居酒屋さんにオードブルを注文した。
息子がビールを買って来てくれるそうだ。
どんなにか賑やかな夜になることだろう。楽しみなこと。
午前中はかなりの雨。西日本豪雨の時を思い出す。
前線は明日も停滞しそうで不安がつのるけれど
やまない雨はないだろうと受け止める気持ちでいる。
息子のお嫁さん退院。お昼には自宅へ帰っていたようだ。
入院して9日目の事。どんなにか我が子に会いたかった事だろう。
けい君は笑顔だったろうか。もしかしたら泣いてしまったかも。
私は仕事だったのでその場には立ち会えず少し残念でもあった。
電話でお嫁さんの声を聴く。まだとても弱々しい声だった。
思わず「頑張ろうね」と言ってしまってすぐに後悔した。
「もう大丈夫よ」と言ってあげたほうが良かったのだと思う。
息子はもちろんの事まわりの誰もが手放しでは喜べない。
またこれから先の見えない自宅療養が始まるのだった。
息子の苦労を気遣いながらお嫁さんの辛さも分かるだけに
少しでも助けてあげたい気持ちでいっぱいになった。
この世には「運命」だと一言では済まされない事が多々ある。
大きな渦にのみ込まれながらも人は精一杯に生きようとする。
諦めてしまったらそこでお終いなのだ。もう進む道はない。
嘆きたければいくらでも嘆けばいい。
ただかけがえのない命だけは大切に守ってあげなくてはいけない。
どんな境遇であっても人は生き抜く力があるのだと信じてやまない。
2021年08月12日(木) |
どしゃ降りの雨の日に |
もう秋雨前線なのだろうか。お昼前から激しい雷雨となる。
どしゃ降りの雨と雷に身が縮まるような思いだった。
今朝家を出る時にはまだ降っておらずうっかり傘を忘れてしまう。
職場でビニール傘を借りて急場を凌いだ。
そんな土砂降りの雨の中、大阪から帰省されている方だろうか
田舎道で運転操作を誤り道端の岩に車をぶつけ走行不能となる。
エンジンはかかるけれどハンドルが切れない状態だった。
ヘルプ要請があり義父と同僚が運搬車で現場に向かう。
ロワアームの破損。中古部品で間に合うのだけれど
もうすでにお盆休みに入っており部品の注文が出来なかった。
義父が他の解体業者を当たりなんとかそれが見つかる。
配達は不可能で業者まで義父が取りに行ってくれたのだった。
お天気が良くて稲刈りの真っ最中だったらとても対応できなかった。
そうして雨の日のハプニングを無事に乗り越える事が出来る。
はらはらしたけれど遣り甲斐のある仕事だと思うのだ。
困っている人をなんとしても助ける。そんな意気込みがある。
帰宅したらけい君が来ていた。息子は準夜勤だとのこと。
今夜は遅くなるそうでけい君は我が家で泊まることになった。
この一週間あまり一日も休みの日がない。
介護の現場は想像以上に厳しく息子も疲れが溜まっていることだろう。
明日はお嫁さんの入院している病院で医師との面談がある予定。
もしかしたら退院許可がおりるかもしれないけれど
手放しでは喜べない複雑な事情を抱えているのだった。
あやちゃんとめいちゃんはダンス教室に行っており
独り寂しくゲームに没頭している今夜のけい君であった。
もう少しで帰って来るから我慢しようねと伝えたら
「うん!」と素直に頷く。その笑顔に救われるような思いだった。
すべてのことが順調にとはいかない。
それは世の常であり試練でもあるのだろう。
乗り越えてこそ強くなると言えば綺麗ごとかもしれないけれど
まだ7歳の子供だってすくっと前を向くことが出来る
そう信じてこれからも見守ってあげたいと思う。
2021年08月11日(水) |
ピンチをチャンスに変える |
曇り空の朝だったけれどすぐに雨が降り始める。
気温は23℃ほど。8月にしてはずいぶんと涼しい一日だった。
秋雨前線なのだろうかしばらくはぐずついたお天気が続きそう。
そのまま処暑となり夏が終わってしまいそうだ。
先日ここに鉄砲百合が枯れ始めたと書いたけれど
蕾がたくさんあったのかあちらこちらに咲いているのを見る。
山の斜面に咲いていることが多く本当に鉄砲のようだった。
それはみな俯き加減に咲いており少しも攻撃的ではなかった。
たとえば子供が遊ぶ水鉄砲のように愉快でもあり愛らしくもある。
ただ一斉に的をめがけているのだけれどそれは何なのだろう。
不思議な花だなと思う。顔をあげられない訳がきっとあるのだろう。
山里では義父がやっとコロナワクチンの一回目接種。
断固として受けないと言い張っていたのが嘘のようだった。
よほど緊張しているのかそわそわと落ち着かない様子は
まるで子供のようにも思えて微笑ましくもあった。
接種イコール安心では決してないのだけれど
もし感染しても重症化を防げるのならそれに越したことはない。
「人並みに」と接種を決めてくれて何よりに思った。
今日は娘がお休みだったのでけい君の面倒も見てくれて助かる。
みんなで買い物に行ってお昼にカレーを作ったそうだ。
夏休みの自由研究にどうかなと思ったけれど包丁を持てなかったそう。
何でもやってみようと思う前に人一倍臆病な性分らしい。
そんなけい君を「駄目だな」と決めつけないであげようと思う。
焦ることは何もない。ひとつでも出来たらいっぱい褒めてあげたい。
母親の入院がなければ我が家で過ごすこともなかっただろう。
ピンチをチャンスに変える絶好の機会だと思うのだ。
午後7時過ぎ勤務を終えた息子が迎えに来る。
けい君は夕飯を済ませていたけれど息子は帰ってから食べるからと。
またほか弁かなと思ったけれど何も言えなかった。
「世話になったね。ありがとう」なんだか嵐のように去って行く。
2021年08月10日(火) |
ぐっすりと眠れますように |
晴れのち曇り。秋を感じるような涼しい朝だった。
曇り空になると夕風も涼しくエアコンも要らない。
東京都内では39℃を超える猛暑。
青森では台風が温低に変わり水害をもたらしたようだ。
そうして増え続けるコロナ感染者。
日本はいったいどうなってしまうのだろう。
三連休を終えてやっと仕事。
やはり私は働いているのが性に合っているようだ。
義父はてっきり稲刈りだとばかり思っていたら
ワクチン接種日を今日と間違えていたらしく
すっかり予定が狂ってしまったとぼやいていた。
台風の影響を受け稲はずいぶんと倒れていた。
あちらこちらで稲刈りをしていて気が気ではなかったことだろう。
せめてお盆休みの間お天気が良ければいいのだけれど
雨マークが続いておりとても順調にとはいきそうにない。
義父の機嫌を取るかのように優しい言葉をかけ続けるばかりだった。
少し早めに仕事を終えさせてもらって帰宅。
息子と相談の上でけい君のアトピーを診てもらいに病院へ。
信頼している小児科医に相談したら来院するようにと言われていた。
けれども結局は専門の皮膚科に行くべきだったようだ。
医師はとても親身になってくれたけれど看護師さんからは
「どうして皮膚科に行かないの」と軽く叱責を受ける。
市内に皮膚科専門の病院はひとつきり。とても混雑している様子。
一日がかりになりそうで息子が連れて行くのはとても不可能だった。
お嫁さんの入院の話もしたら「おばあちゃんが連れて行けば」と。
看護師さんの叱責は続いたけれど医師は応急の薬を処方してくれた。
赤ちゃんの時からのアトピーなので息子夫婦も手を尽くして来たよう。
それでもけい君のアトピーは酷くなる一方だった。
念のために血液検査もすることになり採血の時には泣きじゃくる。
看護師さんと私の4人がかりで押さえつけやっと採血が出来る。
猫アレルギーも在り得るのだそうだ。結果は一週間後とのこと。
午後5時。仕事を終えた息子が迎えに来て帰る。
「けつえきけんさした」と少し誇らしげなけい君が居た。
夏休みの苦い思い出なのか。良き経験になればと願う。
「ほか弁買って帰ろうか」息子の一言がとても侘しかった。
せめて今夜は痒み止めの薬が効いてくれますように。
けい君と息子がぐっすりと眠れますように。
台風9号の影響で夜中から風が強く吹く。
幸い大雨にはならずに済み難を逃れたようだ。
九州や中国地方では少なからず被害があった様子。
自然の猛威に人は逆らえずどうしようも出来ないことだった。
けい君5時に起床。三人で早めの朝食を終え
7時半には夜勤明けの息子が迎えに来てマンションへ帰る。
息子をゆっくりと休ませてあげたかったけれど
気兼ねをしているのだろう「だいじょうぶ」と言い張る。
せめて朝食を食べさせてあげたかったのだけれどそれも出来ず。
10時の開店を待ちかねて「しまむら」へ。
お嫁さんの下着類や着替えが足りないと病院から連絡があった。
息子に準備させる訳にもいかず私がすべて引き受ける。
下着の好みやサイズなども分からずあれこれ迷ったけれど
Mサイズなら間違いないだろうとブラとショーツのセットを3組買う。
Tシャツ3枚。ショートパンツとハーフパンツを合わせて3枚。
店員さんに値札を外してもらってすぐに着れる状態にする。
入院病棟は3病棟に分かれていてまるでアパートのような造り。
お嫁さんは3病棟に居てインターホンを鳴らしてから入る。
今日は男性の看護師さんでとても親切で優しそうな人だった。
先日も感じたけれどスタッフにはとても恵まれているよう。
「落ち着いていますよ」と言ってくれてほっと胸を撫で下ろす。
コロナ禍でさえなければ面会も叶うのにとそれが残念でならない。
午後、じいちゃんとテレビ三昧。録画してあった時代劇で
やたらに若い高橋秀樹が出ていてけっこう面白かった。
「旗本退屈男」と言うのらしい。「ねえ旗本って何?」と訊いたら
俺に訊いてくれと言わんばかりに誇らしげに話すのも愉快だった。
なんでも関ヶ原の合戦で活躍した武将の末裔らしく
特に大した仕事をしなくても徳川幕府に食べさせてもらっていたのだそう。
そんな旗本がたくさん居たから幕府の財政も大変だったらしい。
じいちゃんの話だから真実だかどうだか分からないけれど
興味深い話であり旗本が退屈なのもなんとなく分かる気がした。
午後5時。遊びに来ていたあやちゃんのお友達が解散。
夕飯の支度に取りかかっていたらまあちゃんと遊んでいた
めいちゃんも帰って来ていつもの我が家になる。
息子に電話したら早めに夕食を終えたとのこと。
明日は早出だそうで午前7時から仕事だそうだ。
けい君明日も早起き出来るかな。おばあちゃん達と朝ご飯食べようね。
青空にうろこ雲。今朝は初秋を思わすような空だったけれど
お昼前にはもう曇り空になってしまった。
台風9号が九州北部に接近しており間もなく上陸とのこと。
高知県西部も今夜から明日にかけて大雨になりそうだった。
朝のうちにお大師堂へ。花枝を新しくしてお盆に備える。
日捲りの暦が2日のままだったのでどうしたことかと。
Sさんやお参り仲間さんの足が遠のいているのだろうか。
自分の事を棚に上げて他人様の事をとやかく言う権利はない。
雨になってはいけないと窓だけは閉めて家路についた。
午前中にお墓参りに。義妹と三人で行く。
お参りと言うより掃除だった。なんと夏草の生い茂っていること。
三人で草引きをし墓石を洗い流してそれなりに綺麗になる。
「お盆には帰って来てね」と手を合わせて帰って来た。
いずれは自分達も納まるお墓。息子や娘達に苦労をかけたくはない。
そう言ったら義妹が「年に一回くらいは来てほしいね」と笑った。
夕方けい君を迎えに行く。息子は深夜勤で明日の朝まで仕事だった。
車中でそれとなくけい君に訊いてみる。
お母さんが病気でもお家に居て欲しいかと。
素直なけい君は当たり前だと言うように「うん」と頷いた。
やはり退院となれば受け入れるしかないだろうと思う。
それまでに主治医との面談があり息子が病院へ行くそうだ。
けい君も一緒に賑やかに夕食。今夜は鉄板焼きだった。
夕食後、娘が三人分の玩具なのかよく分からないけれど
石灰みたいな石を砕いて中からミニチュアが出て来る遊びをする。
けい君の分も買って来てくれていたのがとてもありがたかった。
「すまんね」と娘に礼を言ったら「かまんよ」と微笑む。
雨が降り出したようだ。三人の孫達は子供部屋で遊んでいる。
けい君が「9時まで遊んでもいい?」と訊きに来たので
「いいよ」と応えたらにこっと笑顔を見せてドアを閉めた。
私はこれを書き終える。なんだか宿題を終えた子供のように。
2021年08月07日(土) |
祈りが希望へ繋がるように |
朝のうち小雨が降っていたけれどやがて青空が広がる。
台風は何事もなく遠ざかって行ったようだ。
また次の台風が接近しており油断は出来ないのだけれど。
「立秋」暦の上では今日から秋が始まる。
まだまだ厳しい残暑が続くだろうけれどなんとなくほっとする。
ちいさな秋がきっと見つかることだろう。
午前中にカーブスへ行き心地よく身体を動かす。
来週の土曜日はお盆休みで休業とのこと。
次回の来店予定を訊かれたけれど即答は出来ず。
やはり仕事を優先しなければいけないだろうと思う。
健康第一でありたいけれど思うようにはいかないものだ。
お昼前には息子とけい君がやって来る。
息子は準夜勤で午後9時までの勤務とのこと。
明日は深夜勤だそうで介護の現場の厳しさを思い知るばかり。
今夜はけい君を預かり明日の朝に送り届けることにした。
娘たちに迷惑をかけるのでやはり気を遣わずにいられない。
日曜日は特に家族で出掛けることが多いのだった。
けい君はとても素直で明るいけれど小さな心を痛めている様子。
口にしてはいけないと我慢しているようで母親のことは話さない。
それが返って不憫でならずなんとも可哀想でならなかった。
なんとしてもけい君が笑顔でいられるようにしてあげたい。
その祈りが希望に繋がるように私達も最善を尽くしたいと思っている。
日記とはいえここに詳しい事情を書くのは憚られる。
公開している以上はそれが最低限のルールだと思うのだ。
いつか家族の目に触れることもあるだろう。
その時に私はもうこの世にはいないかもしれないけれど
母として祖母として精一杯の想いを記したのだと分かって欲しい。
2021年08月06日(金) |
おかあすまんなが心に沁みる |
南海上を北上している台風の影響だろうか
雨が降ったりやんだりの一日。
山里ではぼつぼつと稲刈りが始まっており
農家の人達にはありがたくない雨のようだった。
幸い台風の直撃はなさそうでそれは何よりに思う。
けい君5時に起床。仕事が早出の息子も来て4人で朝食。
「お味噌汁があるだけでご馳走だ」と言ってくれる。
きっとまともな食事をしていなかったのだろう。
お嫁さんを責める気持ちはなくただただ不憫でならない。
あやちゃんとめいちゃんは学童へ。
娘が仕事なのでじいちゃんの負担を考慮してくれたのだろう。
孫が3人ともなるとさすがにお昼は大変だった。
けれども遊び相手の居ないけい君は寂しかったようで
「たいくつ、たいくつ」と連呼していたらしい。
私が帰宅するなり玄関に飛び出して来て迎えてくれた。
5時前には仕事を終えた息子が来て一緒にマンションへ帰る。
夕飯は要らないと。二人で何か美味しい物を買って食べると言う。
「おかあすまんな」と息子の言葉がしんみりと心に沁みた。
今朝は出勤前にお嫁さんの病院へ身の回りの物などを届ける。
コロナ禍で面会は叶わなかったけれど担当の看護師さんに会えた。
最悪の状態からは脱し今朝は朝食を食べられたとのこと。
それを聞きなんとほっとしたことだろうか。けれども
自宅に居ては療養は不可能だと思う。息子も同じ事を考えているようだ。
せめて最低限の日常生活を送られるようになるまで入院させて欲しい。
そんな大人たちの考えをよそにけい君は退院を指折り数えている。
どんな状態であってもやはり母親は必要なのだと思う。
明日は息子が夜勤なのでまたけい君と一緒に寝ることになりそう。
おばあちゃんを真夜中に足蹴りするのはやめて下さいね。
でもお父さんが居なくても泊まれるようになってほんとに偉いね。
厳しい暑さに思えたけれど猛暑日ではなかったようだ。
今日はにわか雨も降らず安定した夏空となる。
昨夜から息子とけい君が泊まりに来ていて少し慌ただしい朝となった。
お嫁さんの体調が思わしくなくついに入院となる。
息子はひどく気疲れしている様子だったけれど
入院がいちばん安心だとわかると少し気分が落ち着いたようだ。
一週間ほど入院すれば良いそうでほんのしばらくのこと。
お嫁さんの病気の事に関してはここに詳しく記せない。
洗いざらいとはいかない複雑な事情を抱えていることだった。
息子独りで抱えるにはあまりにも大き過ぎることだと思う。
娘の協力もあってけい君は元気に笑顔で一日を過ごす。
今夜はあやちゃん達がダンス教室に行っていて
今は娘婿がゲームの相手をしてくれていてとても助かっている。
息子は明日早出なのでマンションで寝るからと連絡があった。
飼い猫も居ることだしそのほうが良いだろうと応える。
大波なのか小波なのか今はよく分からないけれど
みんなで支え合えばきっと乗り越えられるだろうと信じている。
息子が可哀想でならずけい君が不憫でならないけれど
いちばん苦しんでいるのはお嫁さんなのではないだろうか。
時おり陽射しもあったけれど雨が降ったりやんだり。
台風になりかかっている熱低のせいなのかもしれない。
雨が降れば猛暑が和らぐけれどやはり夏空が好きだなと思う。
「好き」と「嫌い」反対語になるのだろうか。
私はなるべく「嫌い」という言葉を使わないようにしている。
代わりに「苦手」と言うのだけれど微妙に意味が違う気がする。
日本語は難しい。「嫌い」は誰かを傷つけてしまいそうでこわい。
明日は臨時休業と決めていたけれど急な仕事が出来て休めなくなった。
新車の納車がありお客さんが支払いに来てくれるそうだ。
私が居ないと困ると義父が言うので休む訳にはいかないだろう。
乳がん検診が終わり次第に職場に向かうことにした。
明日カーブスに行くつもりにしていたけれど駄目かもしれない。
そう思ってなんとか今日と少し無理をして出掛ける。
月始めの測定があった。体重は2キロ減っていたけれど
どうしたわけかウエストとヒップは全く変わっていない。
けれども体脂肪は少し落ちていてそれが成果だろうと言われる。
仕事をしながら通うのは大変だけれど頑張ろうねと言ってもらった。
最低でも週一を目指してやれるだけ頑張ってみようと心に誓う。
「偉いね」と褒められると嬉しいものだ。
もう子供ではないけれどいい年をした大人だってそれが励みになる。
「あなたは駄目ね」と言われたらひどく落ち込むことだろう。
カーブスへ通い始めてから2ヵ月が経ったけれど
気分がとても明るくなり前向きになったような気がする。
「やれば出来る」と思えるようにもなった。
命の蝋燭のことなども忘れていられる。
不安も心細さも元気でいさえすればと希望が湧いてくる。
こうなったら人生まっしぐら。とことん生き抜いてやろうではないか。
晴れたり曇ったり。おかげで猛暑も少し和らいでいた。
それでも「今日も暑いですね」がこのところのご挨拶。
立秋まであと4日。厳しい残暑がしばらく続くことだろう。
山肌には鉄砲百合がたくさん咲いていたけれど
ここ数日のうちにすっかり枯れてしまったようだ。
暑さに強いのは百日紅。目を見張るほど鮮やかに咲いている。
その名の通り百日咲くのかなと思う。枯れるのだろうか散るのか
その花の最後を見た記憶がない。それほどに長く咲くのだろう。
仕事は少し忙しかったけれどそれなりにぼちぼち。
今週は木曜日に同僚の技術研修が一日がかりであり
私も午前中に乳がん検診があるので臨時休業をすることになった。
来週の月曜日は「山の日」で祭日。週末からはお盆休みになる。
義父は取り立てて何も言わないけれど
母が居たら目くじらを立てて怒ることだろう。
「そんなに休んだら仕事にならない」などと言ったに違いない。
汗水流して働くのは従業員なのだけれど思い遣ることを全くしない。
母は根っからそんな人だった。なんだか悪口のようでごめんなさい。
そうして自分は一日も休もうとしない。そんな気丈な人だった。
そんな母も今では同僚の体調を心配していて気遣ってくれる。
私の事ももちろん。家族のことまで気遣ってくれるのだった。
現役時代とは確かに違う優しい母がそこにいた。
施設での単調な日々。寂しさも確かにあるだろうけれど
もしかしたら本当の自分を取り戻したのかもしれないと思う。
私の記憶の中の母が遠くなる。
もうぶつかり合う事もいがみ合う事もないだろう。
何よりも私は救われたように楽になった。
曇り日。大気が不安定らしく山里ではにわか雨が降る。
稲穂が黄金色に実りそろそろ稲刈りが始まるらしい。
農家の人達は晴天が続くことをどんなにか願っていることか。
義父も少し苛立っている様子。触らぬ神に祟りなしではないけれど
なるべく刺激しないようにそっとしておいてあげなければいけない。
そうしてどうか順調に稲刈りが出来ることを祈るばかり。
めいちゃんは学童の「たけのこ学級」へ。
あやちゃんは行きたがらずじいちゃんとお留守番だった。
お友達に会いたくはないのかしらと訊けば「別に・・」と応える。
宿題も少しはしているようだけれどほぼ一日中タブレット三昧。
二階から下りて来るのはトイレの時だけらしい。
昼食はトレイに載せてじいちゃんが二階へ運んだそうだ。
夏休みになってからなんとなく穏やかになったような気がする。
今日も私が帰宅して声をかけたら「おかえりい」と笑顔だった。
そうして今夜は珍しくみんなと一緒に夕飯を食べてくれる。
もう子供ではない少女の心境は計り兼ねるけれど
学校生活で少なからずストレスを感じていたのかもしれない。
それが何なのか分からないけれど笑顔でいてくれるのがとても嬉しい。
めいちゃんは正反対に活発で少しもじっとしていない。
今も夕散歩に出掛けていて自転車で走り回っている。
先日のこと宿題の日記に学童の事を「ごくどう」と書いていたそう。
「きょうはごくどうにいきました」とあり娘が大笑いしていた。
ちなみに夏休みの宿題は終業式の日に殆ど済ませているらしい。
夏休みは遊ぶ気満々のようでなんとも頼もしいことだった。
そろそろ日が暮れる頃。今は午後7時半。
めいちゃんが汗だくになって帰って来ることだろう。
窓の外では夕蝉ではなく夕蛙が鳴いている。
2021年08月01日(日) |
天国からのメッセージ |
晴れのち曇り。少しだけ猛暑が和らぐ。
8月葉月となり早いもので立秋も近くなった。
早朝のまだ朝風の涼しいうちにお大師堂へ。
昨夜の夢に姑さんとお舅さん。伯母も出て来て気になっていた。
特に姑さんと伯母はとても仲が良く共にお大師さんを信仰していて
晩年の伯母は一日中お大師堂に籠っていることが多かった。
寝たきりになっていた姑もお大師堂に行きたがっていたけれど
その願いを叶えてあげられないまま亡くなってしまったのだった。
ふたりの意思を継ぐような大それたことではないけれど
せめて私がと思った気持ちは忘れていない。
けれども以前は毎日だったお参りも今では週に一度が精一杯になる。
それではいけないよと二人の声が聴こえたような気がした。
私はお盆月になるとよく亡くなった人たちの夢を見るのだけれど
何か霊的なことなのかもしれないなと毎年のように思う。
天国からのメッセージのようなもの。それはとても大切なこと。
また疎かにしていることの戒めのようなことなのかもしれない。
般若心経を唱えるとなんだか救われたような気持ちになった。
姑も伯母もきっと赦してくれることだろう。
さらさらと流れる大河をしばし眺めてから家路についた。
浜木綿の花がもう枯れ始めていてなんだか少し切なかった朝のこと。
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