ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年07月31日(土) 大変な世の中だけれど

今日も厳しい暑さとなる。37℃近くあったのではないだろうか。

土曜日で夕方のローカルニュースがなく詳しい事がわからない。


テレビはオリンピック一色でコロナの報道も最小限になっている。

東京で4千人超え、大阪でも千人を超えたらしい。

高知県も四国ではトップの感染者なのだけれど

詳しい情報がわからないまま日が暮れようとしている。

先ほど市の無線放送が流れ市内で感染者が出たことを知ったばかりだ。


今更中止は在り得ないオリンピック。元気と勇気を頂いているけれど

なんだかとても複雑な気持ちになってしまうのは私だけではないだろう。

大きな不安の渦の中に巻き込まれてしまっていて抜け出せない現実。

日本はどうなってしまうのだろう。希望さえも薄れていくようだ。



午前中にカーブスへ行っていたのだけれど

ひっきりなしにマシンの消毒を行ってくれている。

運動中も各所に消毒液を置いてあり何度も手指の消毒をしている。

マスクをしての運動はとても息苦しいけれど我慢しなくてはならない。

感染対策をしっかりしていても何があるのかわからないのだ。



カーブスを終えてから母の施設のある病院へ行っていた。

先日から母の携帯電話が一切繋がらなくなっており

ケアマネさんに相談したら電源が入らなくなっているとのこと。

故障かもしれないのでドコモに持って行って見てもらう事にした。

幸い故障ではなくドコモの店員さんがすぐに電源を入れてくれる。

すぐに病院へ届けてもしやと面会を打診してみたのだけれど

やはり駄目だった。コロナが落ち着くまでは諦めざるを得ない。

すぐ近くに母が居るのに会えないのはほんとうにもどかしい。



今は大変な世の中だけれど少しでも希望を持たなければいけない。

終らないコロナはないだろうと信じられるようになりたい。


我が家はとても平和な一日だった。

それが何よりの幸せであり救いにも思える。


平穏無事な一日をありがとうございました。





2021年07月30日(金) 確かな夏のこと

最高気温が36℃を超え厳しい暑さとなる。

暑さで有名な江川崎よりも気温が高かったようでおどろく。


そんな猛暑の中、昨日から土手の除草作業が行われていて

ヘルメットを被った作業員の人達が汗だくになって働いていた。

なんと過酷な作業なのだろう。頭が下がる思いだった。


じいちゃんは除草作業の経験はないのだけれど

建設作業員をしていた頃を思い出したようだった。

今更ながらよく耐えたものだと感慨深く話してくれる。

50代の働き盛り。まだ体力もあった頃の話だった。

「すごい頑張ったよね」と労えば誇らしげな顔をして微笑む。



私も若い頃にガソリンスタンドで働いていた事があり

屋外での仕事を経験したことが少しはあった。

今のようにセルフではなかったので走り回った記憶がある。

夏はやはり辛かったのかもしれないけれど不思議と憶えていない。

まだ20歳を過ぎたばかりで若さのせいもあったのだろう。

そのガソリンスタンドで彼(じいちゃん)と出会った。

彼は配達係でタンクローリーで外に出ることが多かったけれど

たまに店に居る時もあってその時はとても嬉しかったことを憶えている。


彼が給油をし私がお客さんの車の窓拭きをする。

「ありがとうございました」と一緒に頭を下げたことだった。


春夏秋冬。どの季節にも思い出があるような気がする。

真夏の厳しささえも若い二人には些細なことだったのかもしれない。



もう40年以上も昔のことだ。

彼は70歳が近くなり私も65歳になろうとしている。

決して「過去」とは呼びたくはない確かな夏があったのだろう。



2021年07月29日(木) 窓に西陽のあたる部屋

室温が34℃もある。いま少しめまいがした。

エアコンをつけてクールダウンしているけれど

快適になるまでしばらくかかりそうだ。


「窓に西陽のあたる部屋で」むかしテレサテンが歌っていたけれど

私の部屋がまさにそうでおそらく家中でいちばん暑い部屋だと思う。


この家を建てた頃には息子の部屋だった。

4畳半の子供部屋。息子にとってはお城だったかもしれない。

南隣の4畳半が娘の部屋だった。今は孫達の子供部屋になっている。


娘達が寝起きしている6畳の部屋は義妹の部屋だった。

そうして今は茶の間になっている6畳が姑さんの部屋。

仏壇を置いていた場所に今はランドセルが置いてある。


同居を決めたのは他でもない私だった。

古い家を壊して建て直すのに姑さんと義妹を追い出すような形になり

それではあまりにも申し訳ないと思ったのが発端だった。

けれども同居は長続きせず結局姑さんと義妹は出ていくことになる。


路地を挟んで数メートルの所に私達が暮らしていた離れがあった。

鉄筋2階建てだったけれど下は半分が物置で

お風呂もなくとても不便な家だったけれど

義妹がリフォームをするから大丈夫と言ってくれたのだった。


お引越しの日には仏壇も運んだ。

お寺の住職さんにも来てもらってお経をあげてもらう。

そうして新築の家はとうとう私達家族だけで住むことになったのだった。


2階の6畳間は当然のように息子の部屋になった。

そうして息子の部屋だった4畳半が私の部屋になったのだ。


もう何年経ったのか記憶は定かではない。

けれども私にとっては無くてはならない部屋でもあった。


父が亡くなってから小さな仏壇を置く。

夫(じいちゃん)はそれを許してくれたのだった。

とんでもないと怒るところをなんとありがたいことだろうか。



午前4時には灯りがともる。そうして私の一日が始まる。






2021年07月28日(水) もう少しあと少し

連日の猛暑日。おひさまはとても元気なようだ。

絵に描いたような夏空に蝉の声が響き渡る。



早朝、土手の道を歩くお遍路さんの姿。

もうすっかり顔なじみのMさんであった。

重そうな荷物を背負い少し前屈みに歩く姿を何度見た事だろう。


それから二時間後、国道を辛そうに歩いているMさんを見つける。

幸い後続車がなくスピードを落とすことが出来たのだった。

車の窓から声をかけた。「どうする?歩くかね?」と尋ねると

手を横に振って「駄目だ」と合図をしてくれた。


ちょうど伊豆田トンネルに差し掛かる手前で路肩が広くなっており

車を停めることが出来て良かった。後部座席のドアを開けて招き入れる。

Mさんは歩きながら私が通りかかってくれないかと願っていたそう。

私もきっとMさんに会えるだろうと信じていたのだった。


タイミングがちょうど良かった。トンネル内では車が停められない。

これもお大師さんのおけげだと言ってとても喜んでくれた。


真夏の歩き遍路の辛さはとても言葉に出来ないほど過酷なこと。

けれども歩き続けなければいけない。まるで宿命のような旅。

目標だった100巡目を達成しずいぶんと気が楽になったと言う。

かと言って故郷の山梨には帰らないと決めたのだそうだ。


本当は帰りたい。それなのに四国に骨を埋める覚悟をしている。

Mさんにとってお遍路はもはや生きることに等しいのだった。


山梨の娘さんの手助けもあって年金受給も叶うようになったとのこと。

けれども65歳になるまではその受給も保留にするのだと言う。

確か11月が誕生月だったと記憶している。もう少しあと少し。

年金が入るようになれば托鉢をしなくても食べていけるだろう。

かと言ってお遍路はやめない。死ぬまで続けるつもりでいるのだった。


Mさんにとっての人生とはと考えられずにはいられない。

敢えて過酷な道を選ぶ。そんな生き方もあるのだと思い知らされる。



山里の分岐点まで送り届けまたの再会を誓いつつ別れる。

お布施は何も出来なかった。

私の財布にはなけなしの5百円硬貨が一個あるだけだった。


Mさんに詫びれば「おかあさんいいよ」と言って笑顔で手を振ってくれる。



2021年07月27日(火) ケセラセラなるようになるさ

夜明け前に月を仰ぐ。少し欠けていたけれど綺麗な月。

なんと久しぶりのことだろうと嬉しくこころまで明るくなった。

ずいぶんとながいこと暗闇ばかりを見つめていたように思う。

私にも希望はあるのだろうかと思うこともあった。

もしあるのだとしても輝いてくれなくては見つけられない。

そんなふうに暗闇のせいにする私はずるい人間かもしれなかった。



日中は快晴の夏空。今日はこの夏いちばんの暑さだったようだ。

これから猛暑日の日が多くなることだろう。

そんな夏のことが私は決して嫌いではなかった。

夏ならば「とことん暑くなってみせろ」そう言ってあげたいほどに。




仕事は今日も来客が多くまずまずの忙しさだった。

活気があるほど遣り甲斐があるというもの。ありがたいことである。

とあるお客さんと話していて「今夜は外食だ」と言っていた。

聞けば奥さんが夕食の支度をしたがらないのだそう。

暑さのせいでもあるだろうけれど一切作らないのも良きかなと思う。

けれどもよほど経済的に恵まれているのだろうと思うと

私などには到底無理な話であった。コロナ禍の外食にも抵抗がある。


明日じいちゃんが通院日なのでATMで一万円引き出したら

残高がもうわずかになっていた。なんだか一気に侘しくなる。

お国がまた給付金を出してくれたら良いなと夢のようなことを思う。


ああ嫌だ嫌だ。どうしてこんなことを書いているのだろう。

どれほど逆立ちをしても天からお金が降って来る訳でもないのに。



今こそ希望だろうか。うんきっとそうなのに違いない。

ケセラセラなるようになるさ。そう思って乗り越えて行こう。




2021年07月26日(月) 季節はずれ

曇りのち晴れ。やっと夏空らしくなる。

青空に入道雲。これでこそ夏だと叫びたくなった。


朝の道に名残の紫陽花。ずいぶんと遅れて咲いたようだ。

まわりにはすっかり枯れて化石のようになった紫陽花ばかり

つい目を背けてしまいたくなるけれどそれがありのままの姿だった。

遅れて咲いた紫陽花はどんな気持ちでいるのだろう。

仲間の亡骸に悲しむ術もなくただ我が身の宿命を受けとめているのか。


独りきりで咲いてしまったのだ。真夏の陽射しがただただ眩しい。





職場は連休明けで来客の多い一日だった。

オイル交換やタイヤ交換に来てくれたお客様と会話が弾む。

私にも気の合うお客様と苦手なお客様がいて

今日は気の合うお客様ばかりで会話するのがとても楽しかった。


若いお客様だとスマホをいじったりしてくれるので

話しかけずにそっとしてあげたほうが良いのだけれど

高齢のお客様や同年代のお客様の場合はそうはいかない。

仕事の手を休めてちゃんと目を見て会話をするようにしている。

それが田舎ならではのささやかなおもてなしかなと思っている。

お客様とふれあうことも大切な仕事なのだった。



定時で仕事を終えられたので今日こそはカーブスに行きたかった。

買い物を済ませて帰宅したら3時過ぎ。急いで準備をして出掛ける。

わずか30分の筋トレだけれど仕事を終えてからはけっこうキツイ。

夕飯の支度までに帰ればよいのだと思っていても時間が気になる。

洗濯物を取り入れなければ。あれこれすることはいっぱいあった。

それでも精一杯の気持ちになって有意義な時間を過ごす。


帰宅したら娘が洗濯物をたたみ終えてくれていて肩の力が抜ける。

やはり娘の協力がなければ平日のカーブス通いは無理なのではと思った。




夕食後あやちゃんがピアノの練習をしていた。

子供部屋は狭くスペースが無いのでピアノは私の部屋に置いてある。

練習曲は季節はずれの「ジングルベル」だった。

声をかけたら「集中したいので黙っていて」と叱られる。

うんうんなかなかいい感じ。上手に弾けているなあと思った。


「季節はずれに咲いた花が重宝されるように

 みんなと同じでなくてもよい 自分のペースで咲けばよい」

 
私の部屋の壁にはそんな言葉の色紙が貼られてあった。



2021年07月25日(日) 不穏な世の中だからこそ

朝のうちにわか雨が降ったり不安定なお天気。

午後には少し青空が見えたけれど今日も夏空とは言い難い。

おかげで猛暑は免れけっこう過ごしやすい一日だった。


昨日のうちに海苔網がすっかり乾き

今日は早朝から海苔網を重ねる作業をする。

ぽつぽつと雨が降り始めて大急ぎでトンネルに向かった。

少し人里離れたところにあるトンネルで交通量も少なく

その歩道を毎年利用させてもらっている。

雨に濡れる心配もなく何よりとても涼しいのだった。


20メートル近くある網を引っ張って広げ

5枚ずつ重ねて両脇を麻紐で括りつけると出来上がり。

全部で18重ねだけれど今日は10重ねがやっとだった。

汗こそかかなかったけれど足が疲れてけっこうな重労働となる。

万歩計を見ると5000歩も歩いていて我ながら感心するばかり。


ついこの前だったような気がするよねとじいちゃんと話した。

一年が経つのがほんとうに早い。体力は年々落ちていくけれど。




午後はオリンピックの女子ソフトボールを観戦する。

オリンピックの開催には反対だったけれどいざ始まってみると

やはり日本を応援したくなるものだった。

選手たちに何の罪があろのだろうと思う。精一杯に頑張っている姿は

今のこの不穏な世の中に一抹の勇気と元気を与えてくれる気がする。


ソフトボールは以後のオリンピックにはもう含まれないとのこと。

選手たちの気持ちを思うとなんとしても勝たせてあげたかった。

延長戦のさよなら勝ち。やはり感動せずにはいられない。

上野投手は39歳。おそらく最後の表舞台になることだろう。



東京では今日も1700人を超す感染者。

オリンピックどころではない医療従事者に関する報道は一切ない。



2021年07月24日(土) 老夫婦がんばるの巻

雲が多く快晴ではなかった。夏空とは呼べないのかもしれない。

気温も30℃ほど。北海道とあまり変わらないのに驚く。

南風ではなく東風が吹く。そんな涼風がありがたかった。



娘夫婦が仕事だとばかり思い込んでいたら

婿殿がお休みとのこと。それを今朝まで知らずにいた。

孫たちの心配もないので急きょ海苔網を洗うことになった。


私はカーヴスへ行く予定を組んでいたけれど

さすがにそれを優先させるわけにもいかず潔く諦める。

じいちゃんは「行ってこいや」と言ってくれたけれど

一人で出来る作業ではないので言葉に甘える訳にはいかない。


8時過ぎから洗い始めちょうどお昼に洗い終わる。

作業場の隣のローソンで冷やし中華を買って食べた。

麺類は控えたかったけれど肉体労働には勝てず。


それから洗い終えた海苔網を堤防へ干しに行く。

堰堤にコンクリートの場所があり毎年そこを利用している。

コンクリートの熱気と夏の陽射しさえあればすぐに乾くのだ。



午後、やっと買い物。それからDVDも借りて来る。

「マスカレード・ホテル」は予想以上に面白かった。

東野圭吾は映画化に渋っていたそうだけれど

主役が木村拓哉ならと了承しただけのことがある。

原作のイメージとぴったりなのだ。これははまり役だと思った。

次に読む本はもう決めている。今度は「マスカレード・ナイト」だ。




せっかく買い物をしてきたけれど今夜は夕飯は作らず。

娘達が急きょBBQをするのだと言って夕方からばたばた。

一緒にと誘ってくれたけれど家族水入らずが良いだろうと遠慮する。

じいちゃんと二人で冷蔵庫の残り物で簡単に済ませた。


不思議と寂しさは感じず。たまには二人きりも良いものだなと思う。


「いつまでもこの家にはいないから」と言った娘の言葉を思い出すと

その日が突然来ても打ちひしがれることはないと思う。


孫たちの成長に合わせるように老夫婦も成長しているのだろう。



2021年07月23日(金) 少女の階段

曇り日。夜が明けるなり蝉の声が聴こえる朝。

ちょうど家の裏の柿の木に蝉がとまっていたようだ。

もう何日目の蝉だろう。8日目の蝉ならその声も憐れに思う。

やっと地上に出て空を仰げたというのになんと儚い命なのか。



今朝もまだ少し頭痛があり副反応はなかなかにしぶとい。

じいちゃんの優しい計らいで作業は日曜日に延期することになった。

娘夫婦が仕事だったので孫たちの心配もありそのほうが良かったと思う。


夏休みの孫たち。早起きを頑張りラジオ体操に行っている。

毎日かなと思っていたら最初の一週間と最後の一週間だけだそう。

午前中は宿題をしているのかなと思いきやそうでもなく

あやちゃんはエアコンの効いた部屋でゲーム三昧のようだった。


めいちゃんは活発に動き回ることが多く今日は市営プールへ。

まあちゃんの両親が一緒に連れて行ってくれて助かる。


お昼に「カツ丼を作ってあげようか」とあやちゃんに声をかけたら

「うん、食べたい」と微笑んでくれて嬉しかった。

部屋を覗いただけで怒るのでうかうか声もかけられないのだった。

とにかくそっとしておいて欲しい年頃になったのだろう。


昨夜のチキンカツの残りで大盛りのカツ丼を作る。

それも二階の部屋で食べるのでそっと運んでそのまま置いておく。

しばらくして見に行ったら完食していたのでとても嬉しかった。

食べているところを見たらきっとまた怒ったことだろう。


二階の2部屋にエアコンをつけていたのでもったいなくて

昼食を食べた部屋を「貸して」と頼んだら「勝手にすれば」と言う。

そこで読みかけだった本を最後まで読み終わることが出来た。


東野圭吾の「マスカレード・ホテル」これも映画化されていて

主人公の新田刑事を木村拓哉が演じている。

なんとしても観なくてはいけない。明日またDVDを借りてこよう。



夕飯は気合を入れて和風ハンバーグを作った。

「ご飯出来たよ」と呼んでも二階から下りて来ないあやちゃん。

それももう日課となり一緒に夕飯を食べることはめったにない。

みんなが食べ終わった頃にやっと食卓に着くのだった。


汚れた食器を洗いながらおそるおそる様子を見ていたら

2個目のハンバーグを美味しそうに食べてくれていてほっとする。

頑張って作ったかいがあったのだなととても嬉しかった。


今夜気がついたのだけれど父親とは笑顔で会話している。

あやちゃんの心理は計り兼ねるけれどなんとも不思議でならない。


抱っこしてあやした記憶。ミルクを飲ませオムツを替えた記憶。

それがとても遠く過ぎ去った日のアルバムのように映る。


少女の階段はまだまだこれから続いていくのだろう。





2021年07月22日(木) なんのためのワクチンなのだろう

薄曇りの一日。気温は真夏日だったけれどさほど暑さを感じず。

昨夜は早めに床につきぐっすりとよく眠った。


不安でならなかった副反応は幸い発熱を免れ

今朝は腕の痛みと軽い頭痛があるだけだった。

じいちゃんは腕の痛みだけで済みほんとうに良かった。

私は頭痛のせいなのかよくわからないけれど

朝食後からひどく眠く身体がダル重い感じがする。

もしやと再度熱を測ってみたけれど平熱のままだった。

気のせいだろうと思うほどの些細なことだったのかもしれない。


海苔網を洗う作業は仕方なく延期する。

明日私の頭痛が治まっていたら「やってみようか」と。

今日はとてもそんな気分ではなかった。


たいした頭痛ではなかったけれどお昼に鎮痛剤を飲み

3時間程くたくたと寝ていた。もう治ったと喜んでいたら

また夕方からぶり返す。きっと今夜が峠なのだろう。

私達は軽い副反応で済んだけれど3日も寝込んだ人がいるらしい。

それを思うとなんと恵まれている事かと思わずにいられない。



たかがワクチンではなかった。副反応のリスクを考えるのなら

「感染しない」という確実な事実を望まずにいられない。

ワクチンイコール「安心」ではないのが大きな問題点だと思う。

接種後の待機中に亡くなられた方もいるというのに

県はもちろん国さえもその因果関係を明らかに出来ずにいる。

ほんとうにこのままで良いのか。何のためのワクチンなのだろう。


東京で1900人を超す感染者が出た今日。

とうとうオリンピックは開催されるようだ。



2021年07月21日(水) オリーブ色の無花果

晴れたり曇ったり。風のおかげでさほど暑さを感じずに済む。


無花果(イチジク)は秋が旬の果物?いや木の実だろうか。

今はオリーブ色の実をつけていてそれがなんとも可愛らしい。

木の枝にしがみつくようにぶらさがっている姿は

なんだかちいさな生き物のようでふと触れてみたくなるのだった。


ご近所の今は空き家になっている庭にあり

昔はそこに「あばやん」と呼ばれるおばあさんが住んでいた。

本名は確か「やすえさん」だったと記憶しているのだけれど

なぜか皆が「あばやん」と呼ぶので私もそう呼んでいた。


無花果が食べ頃になると新聞紙に包んでよく持って来てくれた。

「子供らあに食べさせちゃりや」(子供達に食べさせてあげて)

いつもそう言ってくれたのだけれど殆ど私が食べていたことを思い出す。

あれはやはり秋のことだったのだろう。もうずいぶんと歳月が流れた。







今日は午後からコロナワクチン二回目の接種。

朝から緊張と不安で落ち着かず我ながら情けないこと。

暗示にかかりやすい性質なので体調を崩した人の話など聞くと

自分もきっとそうなるに違いないと思い込んでしまうのだ。


その反対に「なんともなかったよ」と言う話を聞くと

すうっと肩の荷が下りたように楽になるのだった。

その挙句にはいちかばちかやってみようと強気になったりする。


熱が出たらその時の事。開き直るような気持ちで接種に臨む。

一回目の時は夕方から腕の痛みが出始めたけれど

今回はまだ痛みを感じず接種したことも忘れているくらいだった。

今夜発熱がなければさほどの副反応はないのかもしれない。

とにかく明朝まで様子を見ようと気分はとても落ち着いている。

幸い明日から4連休なので体調を整える余裕はじゅうぶんにある。


二回の接種で95%の抗体が出来ると言うのは本当らしいけれど

それで絶対に安心という保証のないのが疑問でもあった。

決して油断をしてはならない。引き続き感染予防に努めよう。



明日は二人の体調さえ良ければ海苔網を洗う予定にしている。

どうか予定通りに出来ますように。何事もありませんようにと願うばかり。



2021年07月20日(火) いっぱいの「よくできました」

夏空と南風。さほど蒸し暑さも感じず爽やかな真夏日。

陽射しを待ちかねていたように稲穂が風に揺れていた。

稲には早稲(わせ)中手(なかて)遅手(おそて)とあり

一面の田んぼを見渡すとそのコントラストがとても鮮やかに見える。

たとえば早稲は穂を実らせ少し黄色っぽく色づき始め

遅手はまだ青々とした緑のままでいるのだった。

職場はそんな田園地帯にあり見ているだけでなんとも心が和む。






小学校の終業式。孫たちは明日からの夏休みを楽しみにしていた。

あやちゃんはもうすっかり慣れているけれど

一年生のめいちゃんには毎日が試練だったのではないだろうか。

重いランドセルを背負ってよく頑張って通ったものだと思う。

しんどい日もいっぱいあったことだろう。

朝から泣いていた日もあったけれどちゃんと学校に行けた。

どんなに疲れて帰って来ても宿題をしてほんとうにえらかった。


ふたりの通知表を見せてもらって微笑まずにはいられなかった。

あやちゃんの算数はすごい。「よくできました」の丸がいっぱい。

体育は少し苦手だけれど水泳で25メートル泳げたのだそうだ。


めいちゃんは初めての通知表なので先生の配慮があったらしく

すべての教科に「よくできました」の丸が付いていた。

一生懸命頑張ったご褒美だと思う。どれほど励みになることだろう。



ふたりを褒めてあげようと思って通知表の話をしたら

あやちゃんには「勝手に見るな」と叱られてしまった。

もう「おばあちゃん見て、見て」と言う年頃ではなくなったらしい。

それもなんだか寂しいけれど成長した証なのだろう。

二学期からはこっそり見て何も言わずにいたほうが良さそうだ。

中学生、高校生になったらもう見ることも叶わなくなることだろう。



昔々をふと思い出す。私は両親に通知表を見せた記憶が殆どない。

高校生の時の赤点など父は知らぬままだった。

「見せろ」とも言わなかったそれが父の優しさだったのだろう。











2021年07月19日(月) 梅雨明けと入道雲と

雨のち晴れ。午前中は土砂降りの雨になる。

それがぴたりとやみすぐに青空が見え始めた。

そんな青空を待っていたかのように梅雨明けのニュースが流れる。

どうやら梅雨の別れ雨だったようだ。なんと潔いことだろう。


青空になればもくもくと入道雲。すっかり夏空になりおどろく。

今日は土用の入りあと3日もすれば大暑となる。

いよいよ本格的な夏となり今度は猛暑に耐えなければいけない。


けれどもそんな夏が苦手ではなくむしろ楽しみたいと思っている。






仕事から帰宅して間もなく孫たちの下校時間になった。

じいちゃんが県道の横断歩道のある所まで迎えに行く。

そうしてあげないとめいちゃんが上級生達に迷惑をかけているらしい。

ランドセルを背負って歩いて帰るのがよほど辛いのだろう。

人一倍痩せっぽっちで小柄なめいちゃんのことだった。

今日はあやちゃんがランドセルを持ってくれていたよう。

午後からの夏空に顔を真っ赤にして汗だくになり帰って来る。

すぐに宿題も出来ずしばらくダウンしているところに

まあちゃんが玄関のチャイムを鳴らして遊びに来たのだった。

仕方なく訳を話して帰ってもらったけれど10分もしないうちに

またチャイムを鳴らすので少し苛立ちながら帰ってもらった。


娘の帰宅が遅くなる日だったので一人で夕食の支度に励んでいたら

またチャイムが鳴るのだった。思わず「またか」と声が出ていた。

そうして「今日は遊べないから」とキツイ口調になってしまった。

幼い子供にそんな言い草はないだろうと後からじいちゃんに叱られる。


まあちゃんはただ自転車の空気入れを借りに来ただたけだったのだ。

よく話も聞かず追い返してしまって本当に済まない事をしたと思う。


ただ幼稚園児と小学生は違うのだと思う。

宿題もせずに夕方まで遊ばせるわけにはいかない。

それが最低限の決まり事なのではないだろうか。

私はいつだって厳しいおばあちゃんなのかもしれないけれど


愛情とはいったい何だろうと考えさせられる今日の出来事だった。



2021年07月18日(日) 禁断のラーメン

雨のち曇り。午前中は雷を伴う大雨となる。

洪水警報が発令され市内の各地に避難指示が出ていた。

幸い私の住んでいる地区は四万十川の河口に近く

川幅が広いおかげで避難の対象にはならずに済んだ。

それでも降り過ぎる雨には恐怖心を感じずにはいられない。


じいちゃんは船着き場に船の様子を見に行っていたよう。

かなり増水していたけれど大丈夫だろうと帰って来た。


私は土砂降りの雨のなか街に買い出しに。

日曜日は一週間分のビールをまとめて買う日だった。

おまけに今日はお米も買わねばならず大きな荷物になる。

あまりの雨に傘が役に立たず足元はびしょ濡れになってしまう。



午後には警報が解除されほっとする。もう大雨の峠は越えたよう。

お昼にずっと我慢していた禁断のラーメンを食べてしまって

ぷっくりと膨れたお腹を持て余すようにしながらお昼寝をした。

久しぶりに食べたラーメンはとても美味しかったけれど

本気でダイエットを始めてからずいぶんと胃が小さくなったようだ。

カーヴスでは食べて痩せるダイエットを推奨している。

良質のたんぱく質と野菜でそれが叶うのだそうだ。

たんぱく質は筋肉を作り痩せやすい身体を作るのだそう。

かと言って炭水化物を一切摂らないのはなかなかに厳しい。

ラーメンはもちろんのことお素麺も粉物も控えなければいけない。

そんな我慢がストレスにならなようになんとしても頑張りたいものだ。


夕飯は鰹のひっつけ寿司を作る。私は鰹だけを食べた。

お昼のラーメンを許せばお寿司などもっての外だと思ったのだ。


この歳になってダイエットなどと愚かなことかもしれないけれど

私は今の体型がとても醜いと思っているのは事実だった。


目標を決めれば未来も明るくなることだろう。

きっと10年前の私に戻って見せようではないか。





2021年07月17日(土) 雨音を聴きながら

雨が降ったりやんだり。時おり激しく降り雷も鳴った。

梅雨の末期だと分かっていてもなんだか不安になる。


ご近所の車庫のそばに浜木綿(はまゆう)の花が咲いていて

雨に打たれているのをそっと見守るようにして眺めた。

純白の大きな花はまるでひとの姿のようでもある。

倒れはしないかと心配をよそにそれはとても凛と立っていた。

憐みなど要らないと声さえも聴こえてきそうであった。




午前中にカーヴスへ行き心地よく汗を流してくる。

顔なじみのお仲間さんも多くなりそれも楽しみであった。

黙々と筋トレに励んでいる姿を見ると自分も頑張ろうと思える。

週に3回の目標だけれど今週は今日で2回目。

仕事を終えてからの事でそれも仕方ないことなのだろう。



お昼にめいちゃんを迎えに行く。昨夜からずっとまあちゃんと一緒で

ちゃんとケジメをつけさせたいと強く思っていた。

親しき仲にも礼儀ありではないけれどいくら子供でも度が過ぎる。

ずっと一緒に遊びたい気持ちは分かるけれど

ご飯時にはきちんと家へ帰るようにさせたかったのだ。

ぐずぐずして帰ろうとしないめいちゃん。それを引き止めるまあちゃん。

さすがに堪忍袋の緒が切れて「いいかげんにしなさい」と怒鳴っていた。


子供のしつけは親がするもの。祖父母は口を出してはいけないのだそう。

いくらそう言われても叱るべき時にはしっかりと叱りたい。



やっと孫たちの昼食が終り茶の間で借りて来たDVDを観る。

もう数年前の映画だけれど「ナミヤ雑貨店の奇跡」

今朝原作を読み終えて居ても立ってもいられなくなっていた。

東野圭吾の作品は必ずと言って良いほど映画化されるので見逃せない。

いかに原作に忠実であるかも確かめなければいけなかった。


エンディングで3人の主人公の若者達の将来の姿が映し出され

それは原作には書かれていなかったけれどとても感動した。

もしかしたら敢えて書かなかった未来の姿だったのかもしれない。



雨がまた本降りになった。今夜は雨音を聴きながら眠ることにしよう。

今日はとても充実した1日だった。





2021年07月16日(金) 私とバドミントン

雨のち曇り。幸い小雨のままで済んだけれど

高知県東部には強い雨雲がありかなりの雨量だったようだ。

引き続き明日も警戒とのこと災害に繋がらない事を祈っている。

来週には梅雨明けになりそう。もう少しの辛抱だと思う。



お昼過ぎまで仕事をして午後はいつもの病院へ。

先月から薬が変わっていたので診察を受けるように言われたけれど

医師に会いたくない気持ちが大きく丁重にお断りする。

別に不満があるわけでもなかったけれど拒絶反応があった。

問診のみで処方箋を出してもらえて良かったけれど

わずか一分足らずの医師の問いかけにもひどく緊張する。

若い医師には罪はない。私が我儘なだけなのはよく分かっていた。

しばらくは時の薬が必要に思う。少し気持ちの整理をしたいのだ。


病院の待合室で懐かしい人に会った。

おかげで重苦しかった気分がずいぶんと楽になる。

彼女は若い頃からのバドミントン仲間だったけれど

今でも時々練習に通っているそうでひたすら凄いなと感心する。

とても元気そうに見えるけれど彼女も高血圧の治療をしているとのこと。

みんな歳には勝てないのか。それでもやれば出来るのだと思った。


私も出来ることなら生涯スポーツと呼べるほど続けてみたかった。

あんなに大好きだったバドをどうして諦めてしまったのだろう。

一番の原因は運営していたクラブを廃部に追い込んでしまったこと。

若いメンバーが沢山居たにも関わらず後継者が誰も居なかった。

必死の思いで声をかけたけれど誰もが首を横に振ったのだった。

その時私は自分の無力さを思い知ったのだと思う。

その証拠に廃部を決めた時に誰一人嘆く仲間は居なかったのだ。

他にいくらでもクラブはある。そこに行けばみんなバドが出来る。


もう10年もの歳月が流れてしまったけれど

我が家の押入れの中にはガットの切れたラケットが3本残っている。

ユニフォームも捨てられずそのまま眠り続けている。


もしかしたら孫たちが使ってくれるかもしれない。

そんな微かな希望を抱きつつバド命だった頃を懐かしく思い出している。



2021年07月15日(木) じいちゃんはお留守番

曇り時々晴れ。今日は幸い雷雨にはならずに済む。

30℃を超える真夏日となり蒸し暑さを感じる。

明日は雨の予報。いよいよ梅雨も末期だろうか。


ラジオでは「この夏を乗り越えるためには」と

メッセージを募集していたけれど他人事のように聴く。

一日中エアコンのお世話になっている身には真実味が湧かない。

屋外で仕事をされている人達、農作業に励んでいる人達には

とても心苦しく自分がどれほど恵まれているかを思い知るばかり。


じいちゃんもかつて建設作業員だったことがあった。

それまでは大型車の運転手だったので車にはエアコンが効いていたけれど

勤めていた建設会社の配置換えで作業員に廻されたのだった。

真夏の作業の過酷さにお昼のお弁当を残して帰ることが多かった。

暑さで食欲も無くなり水筒のお茶ばかりを飲んでいたらしい。

今思えばよく身体を壊さずに耐えてくれたものだと思う。


その後ついにリストラにあい職を失ってしまったけれど

私はもう作業員を続けさせたいとはつゆとも思わなかった。

確か50代の後半だったと記憶している。

じいちゃんはもう汗水流して我武者羅に働かなくても良いのだと思った。


家計はたちまち火の車となり大変だったけれどさほど苦にも思わず

じいちゃんが留守番をしてくれるおかげで私が働けたのだった。


昨日も急な雷雨が来る前に洗濯物を取り入れてくれていた。

「やるじゃん」とほめたら照れくさそうに微笑んでいた。







2021年07月14日(水) 雷雨の思い出

お昼頃から激しい雷雨となる。三時間程降っただろうか

今は晴れていてもうすぐ夕陽が見られそうだ。

まだ空は青く昼間の雷雨が嘘ように明るい。



高校生だった頃のこと地理の授業で雷の恐怖を習ったことがある。

女性の教師だったけれどその名前がどうしても思い出せない。

けれどもその授業のことは今でもはっきりと憶えているのだった。

家族旅行に出掛けた時に激しい雷雨に見舞われたのだそう。

山間部を車で走っていてあたり中に落雷があったのだそうだ。

その時の恐怖を語る教師の顔はとても真剣な顔をしていた。

そうしてその時一番安全なのは車の中だと教わった。

決して車から外に出てはいけないこと。雷が収まるまで待つこと。

車には絶対に雷は落ちませんと断言したことをよく憶えている。


それまで地理の授業はあまり好きではなかったけれど

それ以来とても好きになった。それなのに教師の名前を思い出せない。

当時は40歳位だったから今は90歳近くになられているだろう。

何処かで元気に長生きをされていることを願ってやまない。

雷が鳴るたびに思い出しているかつての少女がここにいた。



歳を重ねると不思議なことに昔のことはよく憶えている。

特に少女時代の事は一生忘れることはないだろう。

「過去」というのとは少し違ういつまでも新鮮な思い出なのだ。


嬉しかった事より辛かった事をよく憶えているのも不思議なこと。

すべてひっくるめて私の「人生」だったのだろうと思う。


ただ辛かった事を思い出してももう泣くことはなかった。





2021年07月13日(火) 金魚のうんち

すっきりとは晴れず。空はやはりまだ梅雨空だった。

気温が30℃を超えずいぶんと蒸し暑い一日となる。


朝の山道でもお遍路さんの姿をしばらく見ていない。

コロナ禍のせいでもあるだろうけれど夏遍路はとても厳しい。

もし見かけたらきっと声をかけようと思っている。

ささやかな挨拶でもそんなふれあいが嬉しいものなのだ。




弟の62歳の誕生日だったのでお昼に電話してみた。

11月には二人目の孫が生まれるとのこと

今度は女の子が良いねと話したことだった。

初孫の顔も知らない。もう何年会っていないのかも忘れてしまった。

電話だけが頼りの歳月が流れるばかりであった。


数年前までは誕生日に着くようにビールを贈っていたのだけれど

今ではそれが出来なくなってしまって「ごめんね」と詫びれば

「もう気をつかわんでもええよ」と言ってくれてほっとする。

ほんの気持ちもカタチに出来なくなって情けない話だけれど。



弟は幼い頃に池に落ちて死にかけたことがある。

それから川で流され死にかけたこともある。

高校生の時には交通事故に2回も遭い瀕死の重傷を負った。

生死の境を彷徨いながらも生き延びた強い生命力を持っている。

だからきっと長生きをするに違いないと確信しているのだった。


「コロナに気をつけて元気でおりよ」と言ったら

「おう、姉ちゃんもな」とその笑顔が見えるようだった。


そしてコロナが落ち着いたらきっと会おうなと言ってくれる。

その時には姪孫にもきっと会えることだろう。



幼い頃から金魚のうんちのように私から離れなかった弟よ

あの世にまではくっついて来てはいけませんよ。








2021年07月12日(月) 気にしない、気にしない

曇り時々晴れ。今は遠雷が聴こえていて一雨降りそう。

九州南部が梅雨明けしたそうなので四国もすぐに後を追うだろう。

けれども大気がとても不安定で日本中が平穏とは行かず

島根県内では冠水の被害も出ているようだった。



土曜日に休んでしまったおかげでツケがまわって来て

今日は出勤するなり事務仕事が山積みになっていた。

車検整備の終わった車が3台。お国に提出する書類を書く。

本来なら土曜日に仕上げるべきだったのだ。

いつまでも身勝手は許されないだろうと複雑な気持ちになる。

自由気ままと言う訳にはいかない。もっと責任感を持たなければ。

今日の私には「気にしない、気にしない」と言ってあげよう。



帰宅が遅くなりカーヴスは諦める。

仕事を退職出来たらいくらでも行けるのにとつい思ってしまう。

それはいったいいつのことだろう。未だゴールは見えない。

けれども私から仕事を取ったら何が残るのだろうとも思う。

自由が幸せとも限らずする仕事が無くなったら空っぽになりそうだ。

もしかしたら呆けてしまうかもしれないなとも思う。


ふと母のことを思わずにはいられない。

母もどんなにか虚しかったことだろうと。

誰からも必要とされなくなることはとても悲しいことなのだ。

苛立って怒鳴り散らしてばかりいた母の辛さが今になって分かる。


今夜こそ電話をしてみようかと思っているけれど

何を話せば良いのかと思うとまた躊躇っている自分がいた。


声を聴きたかっただけ。そう言えば母は喜んでくれるだろうか。



2021年07月11日(日) 酷道439号線

すっかり梅雨明けを思わすような晴天。

爽やかな暑さという表現は可笑しいかもしれないけれど

湿度が低かったので心地よいほどの「夏」を感じた。



そろそろ海苔網を洗うのかなと思っていたけれど

昨日のうちから準備をしていなかったせいもあり

「今日はやめよう」とあっさりとじいちゃんが言う。


じゃあまた何処かへ行こうかとすぐに意気投合するふたり。

けれども車に乗ってからも行き先がすぐに決まらず

とりあえず西に向かって家を出たのだった。


息子のマンションの前の道を通り駐車場に車がないことを確かめ

今日は日勤かなと勝手に想像しながらそのまま山間部へと。

酷道で有名な国道439号線を通ってみようとやっと決まる。

別名「よさく」漢字だと「与作」なのだろうか。

杓子峠を越えて四万十町大正に抜ける険しい山道であった。

まるで何処かで与作さんが木を伐っているような気がする。

まさに林道で道の両脇には高い木が生い茂っていた。

ガードレールも少なく深い谷が眼前に迫って来る。

なんと言うスリルだろうか。はらはらどきどきが止まらない。

やっと大正に着き民家が見え始めるとほっと安堵していた。


大正の道の駅で田舎寿司を買って車中で食べる。

柚子の香がするとても美味しいお寿司だった。

他には何処にも寄らずひたすら走り続けて帰路に着いた。

途中の梼原町、津野町もつい先日通ったばかりで

なんだか不思議な親近感が湧いてくるお気に入りの町だった。


国道56号線に出て須崎の街で有名な玉子焼きを買って帰る。

娘達が食べたがっていたので良いお土産になった。


家を出たのが10時。帰宅が3時。ちょうど5時間のドライブ。

もう決して若くはないじいちゃんも疲れたことだろう。

それなのに「また行こうな」と言ってくれてありがたいことだった。


国道439号線は徳島まで繋がっているらしい。

日帰りはとても無理だけれどいつか行けたら良いなと思った。


その「いつか」のおかげで長生きが出来るような気がする。



2021年07月10日(土) まさかの青空

曇りのち晴れ。それがとても思いがけなかった。

九州南部では災害級の大雨が降っていた日。

まさか青空が見えるなどと誰が思ったことだろう。




職場はとても忙しかったけれど身勝手にもお休みを頂く。

同僚一人に負担をかけてしまってとても心苦しかった。

電話を転送にしていたので緊急修理の依頼を受ける。

おそるおそる同僚に電話したらとても機嫌が悪かった。

義父は稲の消毒だとか、助けて欲しい時に限って彼はいない。



午前中に買い物。そしてカーヴス。

午後からレンタルして来たDVDを観る。

先日原作本を読み終わったばかりでどうしても観たかった。

東野圭吾の「人魚の眠る家」感動で胸がいっぱいになる。

脳死を人の死とするのか。それは現在の医学の大きなテーマだと思う。

「死」とみなさなければ臓器移植は叶わないのだった。




今夜は小学校の夏祭りがあり孫たちが喜んで出掛ける。

めいちゃんは浴衣を着たのだけれど着せるのは私の役目。

帯がうまく結べず四苦八苦してしまった。

ああでもないこうでもないと何度も結び直す。

娘が子供の頃にはいつも姑さんが着せてくれたのだった。

しっかりと習っておけば良かったと今更ながら悔やまれる。


そろそろ打ち上げ花火が始まる頃。

今年は地域を盛り上げようと例年よりも沢山の花火らしい。

どどんと音が聴こえ始めたら土手の道に上がってみようと思う。


あと5分だ。なんだかそわそわと落ち着かなくなった。



2021年07月09日(金) 救世主のようなひと

曇り日。午後少しだけにわか雨が降る。

大気がとても不安定のようだ。空も落ち着かないことだろう。



職場の庭に白い芙蓉の花が咲き始めたのだけれど

夏草に覆われていて近づくことが出来ない。

母が知ったらどんなにか嘆くことだろう。

義父に頼んで草刈りをしてもらいたいけれど言い出せず

遠くから眺めているとなんだかとても切なくなるのだった。



今日はずしんと落ち込んでいた心が救われるようなことがあった。

仕事中ではあったけれど事務所に独りきりで思わず涙が溢れる。

昨夜ここに記したことをそのまま詩にしたのだけれど

SNSでのこと誰にも分ってはもらえないだろうと思っていた。

それなのに救世主のごとく声をかけてくれた人がいてくれたのだ。


その人は以前に私の詩を英訳してくれていた人だった。

命と向き合いながらの不安と心細さ。そうしてそれを希望へと導く

それが私の書き方であったし「生き様」でもあったのだと思う。

それが誰にも認めてもらえないことはとても辛い事だった。


溢れる涙をぬぐいながら決心をする。なんとしても私は

貫いて行こうと思う。書き続けて行こうと強く思えたのだった。

この世に生きていた証を残して逝かなければいけない。


明日のことなど分からないから尚更。精一杯でいたいと思うのだ。


暗く寂しい詩にもかならず希望があることを知ってほしい。


そうでなければ生きている甲斐などないに等しい。





2021年07月08日(木) 私は元気なのです

早朝には青空が見えていたけれど次第に曇る。

風もなくなんとも蒸し暑い一日だった。


島根、鳥取に続き今日は広島。水害が後を絶たない。

後から後から心が痛むことが続いている。

自然の猛威のなんと容赦ない事だろうか。

祈ることで救われるのならいくらでも祈ろうと思うけれど。




7月8日。忘れもしないじいちゃんのアクシデント。

もう2年目の夏となったけれど記憶から消え去ることはない。

まだ5歳前だっためいちゃんでさえも憶えていて

「おじいちゃんがおふろでころんだね」と言って

今朝はそれが笑い話になっていたのだった。

この2年もの間、後遺症もなく元気でいてくれて何よりに思う。

悪夢のような事だったのかもしれないけれどもう思い出になったのだ。




仕事から帰宅したらポストに手紙が届いていた。

参加している同人誌の返礼集のようなもので

全国の読者からの感想文をまとめたものである。

私は短歌と詩を載せてもらっているのだけれど

今回はとても鋭い指摘がありひどく落ち込んでしまった。


私の短歌は暗くとても寂しい気持ちになるのだそうだ。

そう言ってくれた方は最後に「元気を出して」と書いてくれていた。

それを素直に受け止められない愚かな私がいる。

自分の気持ちをうまく表現できていない証拠ではないかと思った。

それは非才にも等しく書くことを否定されたような気持ちにもなる。


私は元気なのだ。それを伝えるためにはどう書けば良いのだろう。

明るく元気に朗らかに。それでは切なさは何も伝わらない。

残りの命と向き合うことはそれほどに切ないものなのだ。


どん底まで落ちたら後は這い上がるだけだろう。

私は永遠に認められなくても良い。

最後の最期まで書き続けられる人でありたいだけなのだ。








2021年07月07日(水) マスク姿の逢瀬

ここ数日雨の降らない日が続いている。

もしかしたら梅雨明けが近いのかもしれない。

それを幸いと喜んでよいのか複雑な気持ちがつのる。

今日は島根、鳥取などが豪雨に見舞われたようだ。

降り過ぎる雨はほんとうに怖ろしいとしか言いようがない。



二十四節気の「小暑」そうして七夕でもあった。

ラジオからはドリカムの「7月7日晴れ」が流れる。

山里の田んぼではもう稲の若穂が見え始めた。

8月になれば稲刈りが始まることだろう。早いものだ。



今朝は同僚の体調を心配していたけれど

少し腕が痛むものの発熱は無かったと聞きとてもほっとする。

誰に聞いたのか男性よりも女性のほうが副反応が強いのだと言う。

ほんとうだろうか。それを聞くとまた臆病風が吹いてくる。


定時で仕事を終えられたので急いで買物を済ませ帰宅。

水曜日はカーヴスに行く日と決めていて勇むように出掛けて行く。

身体を動かすのがとても楽しい。生き返ったような気持ちになる。

まだ始めてひと月と少しだけれど確実に成果が表れているようだ。



夕食の支度まで少し時間があったのでじいちゃんと大相撲を観る。

大好きな炎鵬は番付がずいぶんと下がってしまって残念でならず。

けれども一生懸命に頑張ってまた幕内に返って来てくれるだろう。


夕食は鶏ごぼう、竹胡、お素麺と孫たちはシーチキンの手巻き寿司。

私は本気にダイエット中で炭水化物を控えているのだけれど

好物のお素麺だけはどうしても食べたくてたまらなかった。

少しだけなら良いだろうとちゅるちゅるとごちそうさま。

入浴前に体重を測ったら昨日よりも少し減っていて夢のようだった。



七夕の夜。快晴ではないので天の川は見られないけれど

マスク姿の織姫と彦星はきっと逢えていることだろう。

コロナ禍のことで接吻はしないほうが良いだろう。

手を握り合う前に消毒もしたほうが良いのだけれど

天の川に消毒液が備え付けられているかは定かではない。


来年はきみの口元が微笑んでいるのを見たいと彦星は言うだろう。






2021年07月06日(火) やるっきゃない

曇り時々晴れ。風があり蒸し暑さが少し和らぐ。

熱海の天気や気温はどうだろうと確かめるのが日課になった。


自衛隊の人達が泥だけになって救援活動をしている動画を見る。

犬が何頭もいて自衛隊の救助犬なのだと知った。

それはとても逞しく任務を果たそうとしているのがわかる。

生存者がいて欲しいと誰もが祈りつつの作業に他ならない。









職場の庭にコムラサキの花が咲き始めた。

母は花よりも紫色の実を好んでいたけれど

花あってこその実なのだとほっこりと眺めていた。

ふと母に電話をかけてみようかと思ったけれどやめてしまう。

いったい何を躊躇っているのか自分でもよく分からなかった。

やはり私は薄情な娘なのかもしれない。



午後、東京から来客があるのだと言って義父が事務所の掃除を始めた。

黙って見ている訳にも行かず私も手伝う。

応接椅子を密にならないように間隔を置いて並べた。

義父には必ずマスクをするように伝えて早々と退社する。

一歩間違えたら差別にもなり兼ねないことで心苦しい。

お茶を出す事務員も居なくて義父も気まずかったことだろう。


高知県も連日の感染者が出ていて今日は7名。

四国でもなぜか高知県だけが多くて戸惑っている。

感染予防はしっかりしているはずなのにどうしてだろうと思うばかり。


同僚は今日がワクチン二回目の接種日だった。

明日の体調が気になり決して無理をしないようにと伝える。

何ともないよと元気に出社して来てくれたら良いのだけれど。


つい先日は県内でワクチン接種後にすぐ亡くなられた方がいて

不安と恐怖心は一気に大きくなってしまった。

だからと言って二回目の接種を今更とり止める訳にもいかない。


じいちゃんは「どうってことないさ」と笑い飛ばすばかり。

私もそう思えるようになりたい。「もうやるっきゃない」と。






2021年07月05日(月) 素敵は嫌い

曇り時々晴れ。今日もとても蒸し暑くなる。

熱海も真夏日になったようだ。

復旧よりもまずは救出をと懸命の捜索が続いている。

安否不明者が80名。死者は3名と報道があった。

一人でも多くの人の命が救われることを願ってやまない。


朝のSNSでは「今週も素敵な日々を過ごしましょう」と

あまりにも不謹慎で心ない言葉だと思うのは私だけだろうか。

怒りさえ込み上げて来る。無視をすればそれがストレスになっていく。

おそらくその人の口癖なのだろうけれど人として許せない気持ちがつのる。

なんでもかんでも「素敵」でくるんでしまおうとする愚かな行為に思う。


以前にもここに記したけれど私は「素敵」という言葉がとても苦手だ。


じいちゃんに話せば「人それぞれで良いではないか」と言う。

そう言われてみると愚かなのは自分なのかもしれないと思う。


何が正しくて何が間違っているのか決める権利など私にはない。

ただ人として最小限の「おもいやり」を持って欲しいと願う。

こころがあるのならばほんのわずかでいい痛みを感じて欲しいのだ。


そのひとは明日も「素敵な一日を過ごしましょう」と言うだろう。

だってスマホにはもうその言葉が用意されていて簡単に書ける。


大切な家を流され家族の安否さえ分からない人にもそれは届くのだ。




2021年07月04日(日) 人生のドライブ

薄曇りの一日。思いがけないほどの陽射しがあった。

かなりの蒸し暑さでじっとしていても汗が流れる。



熱海の土石流の現場から19名救出の報道があった。

どんなにか怖ろしかったことだろう。命が助かり何よりに思う。

流された家屋が130棟と聞きただただ茫然とするばかり。

一人でも多くの人の命が救われることをひたすら祈るしかない。




家に居ても気分が塞ぎ欝々とするばかりに思えて

今日もじいちゃんとぶらりドライブに行っていた。

例のごとくで車に乗ってから行き先を決める。

じいちゃんの提案でまた江川崎へと向かった。

そこから愛媛の松野町、鬼北町を経由し高知の梼原町へ。

梼原は雲の上の町と言われていてずいぶんと涼しかった。

車のエアコンを切り窓を開けて走る。風がとても心地よい。

梼原を抜けると次は津野町、旧葉山村へと続く。


橋の欄干に七夕飾りをしてある箇所がいくつかあり

地区の習わしなのだろう。とても風情のある景色だった。

写真を撮りたくてならず車を停めてもらったけれど

生憎の逆光で思うように撮れなくて残念だった。

七夕飾りを見あげながらゆっくりと橋を渡り切り車に戻る。


次は須崎市。高速道路に乗ってしまえばもう帰り道だった。

家を出てから5時間足らず、じいちゃんも疲れたことだろう。

来週はもう行けないかもしれないぞと釘を刺されてしまった。


そろそろ海苔網を洗わなければいけない頃になっている。

お天気次第だけれどいつまでも遊んでいるわけにもいかない。


今日も車中で話したけれど「家業を継がずにいたら」と。

父親の早過ぎる死が運命の変わり目だったのだと思う。

もう40年。過ぎ去った歳月が走馬灯のように映る。


ひとはよくあの時ああしなければ良かった。

こうすれば良かったのだと思う時があるけれど

それを「後悔」の一言で片づけてはいけないように思う。

だからと言って「運命」だと言い切るのもなんだか虚しい。


すべてのことが与えられた人生なのだとありがたく頂こうではないか。













2021年07月03日(土) 神も仏もないのならば

雲間から少しだけ青空が見える。

気温も高くなり昨日よりも蒸し暑く感じた。


関東を中心に警報級の大雨だったらしく

熱海では土石流が発生し甚大な被害となったようだ。

夕方の報道ではまだ詳しい被害状況が分からなかったけれど

二次災害の危険もあり行方不明者の捜索も早急にとはいかないようだ。

なんとも心が痛む。他人事だとどうして思えようか。

ひとは自然の猛威に逆らえない。神も仏もないのが現実だった。



そんな大変な災害が起きていることをお昼過ぎまで知らず

のほほんと平和に過ごしてしまって心苦しさがつのるけれど

それぞれに与えられた日常の事を受け止めるしかなかった。



午前中はカーヴスへ行き心地よく汗を流してくる。

今日は測定がありこのひと月で体重が2キロ減っていた。

食生活を改善したせいもあるだろうけれどなんとも喜ばしい。

コーチの人達から口々にほめてもらってとても嬉しかった。

体力年齢も76歳から73歳へ。3歳も若返っていた。

出来れば60歳代になりたい。まだまだ頑張らねばいけない。


娘がお休みだったのでめいちゃんはまあちゃんと市営プールへ。

あやちゃんは昨日の傷がまだ痛むようでお留守番だった。

お昼過ぎにハイテンションで帰って来てにぎやかに昼食。

昨夜からお泊りをしていたまあちゃんはまるで家族のようだった。



そんな平和を心苦しいと決めつけるべきだろうかと

いまこれを書きながらふっと疑問を感じている。

もしかしたらそれぞれの暮しをもっと尊重するべきかもしれない。


神も仏もないのならば自分が慈悲のこころを持てば良い。

ひとの心に寄り添うとはきっとそういう事ではないだろうか。



2021年07月02日(金) つぶあんとこしあん

早朝まで降っていた雨がやみ日中は薄日が射していた。

気温が30℃を超えとても蒸し暑くなる。


我慢できず事務所のエアコンを作動させたけれど

外では義父と同僚が汗だくになって働いていた。

なんとも心苦しいけれど時々ふたりが事務所に入って来て

冷風でクールダウンをしていたので少しほっとする。


まだまだ序の口の暑さ。梅雨が明けたら今度は猛暑がやって来る。

毎年の事だけれど屋外での仕事は過酷としか言いようがない。




今朝は孫たちを見送ってから間もなくあやちゃんが帰って来て驚く。

雨あがりの道路で滑って転んでしまったのだそうだ。

上級生の女の子が一緒に来てくれてなんと優しいこと。

服は泥だらけになっていて手のひらから血が出ていたけれど

幸いのかすり傷でほんとうに何よりに思う。

服を着替え傷の手当てをしてからじいちゃんが車で送って行く。

めいちゃんだったら大泣きになっていたことだろう。

さすがにお姉ちゃんだなと感心した朝のことだった。


交通量の多い県道を横断し後は直線の市道を行けば学校に着く。

交通事故だけはあってはならないといつも祈っている日々だった。

子供の無事を祈らない親などいないだろう。祖父母も同じである。



今夜はあやちゃんの好きなものを食べさせてあげたくて

ミートソースのパスタと甘海老のお刺身にした。

大盛りのパスタを美味しそうに食べてくれてとても嬉しかった。

あやちゃんのご機嫌もうるわしくなんだか私もうきうきとしてくる。


夕食後いきなりの質問。「つぶあんとこしあんはどうちがうの?」と

どうしてそんなことを訊くのだろうと不思議に思ったけれど

私なりに教えてあげたら「そっか!」と笑顔を見せてくれた。


ちなみにおばあちゃんは「つぶあん」の方が好き。

それは訊かれてないことだったので言わなかったけれど

あやちゃんはどっちが好きなのかな。

なんだかいっぱい話したくてならない夜になった。







2021年07月01日(木) 神様聞こえていますか?

雨の一日。時おり地面を叩きつけるように降る。

文月となり七夕も近いけれどしばらくは梅雨空が続きそう。



今朝はワクチン接種後の左腕に少し痛みを感じる。

ずきずきとした痛みではなく筋肉痛のような痛みであった。

なんだか孫たちが赤ちゃんの頃に抱っこし過ぎた時のような

それならそれで喜ばしい痛みなのだろうけれど

ワクチンの副反応だと思うと少し複雑な気持ちになってしまう。

「気にすることはない、明日は治る」と言ってくれるじいちゃん。

「そうね」と微笑みながらいつものように職場に向かった朝だった。


これを記している今は殆ど痛みを感じなくなっている。

もう大丈夫だろう。ほっと安堵の気持ちが込み上げるばかり。



夕方のローカルニュースで大学病院の医師が感染とのこと。

入院患者さんも数名。県はクラスターだと発表した。

医師は5月に二回目のワクチン接種をすでに終えていたらしい。

それでも感染を免れることは出来なかったのだ。

それが現実だとするとワクチンの効果にやはり疑問を感じる。

なんだか賭けのようなこと。安心だと手放しでは喜べやしない。

私達に出来ることは今まで通り感染対策を怠らないことだろう。

手放せないマスク。平和な日常が返って来るのはまだまだ先のようだ。



それにしてもよく降る雨だこと。今も土砂降りになってしまった。

孫たちがダンス教室に行っておりそろそろ帰って来る頃だ。

二人とも軽く夕食を食べて急いで出掛けたので

「おなかがすいた〜」と帰って来ることだろう。


世の中は不穏だらけなのかもしれないけれど

そのなかのひとつの「家庭」はいつだって平和でありたいと願う。


それぞれの夜がありそれぞれの家族がいる。

神様は決して見捨てることなどするまいと信じてやまない。









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