ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年06月30日(水) コロナワクチンで終わる6月

曇りのち雨。幸い小雨のままで今もぽつんぽつんと雨音。

そうして6月最後の日もゆっくりと暮れようとしている。


職場の荒れ果てた庭の片隅に百日紅(さるすべり)の花を見つけた。

母が育てていた木で鉢植えのまま放置されもう三年目の夏だろうか。

よく草むしりをしていた母の丸い背中がふと懐かしく目に浮かぶ。


地に直に植えてあげたら大きな木になるだろうけれど

花が咲くまでその存在をすっかり忘れている私がいた。

まるで「私はここにいますよ」と語りかけているようだった。







コロナワクチン一回目の接種日。朝からそわそわと落ち着かない。

じいちゃんは「やっと打てるようになったな」と喜んでいたけれど

私は「ついにその日が来たか」と身構えるような気持ちだった。

一回目の接種では副反応が出ることは殆ど無いと聞いていたけれど

もし体調が悪くなったらと思うと不安と緊張で胸が苦しくなる。

それでも自分で決めたこと。じたばたするなと言い聞かすばかり。


市民病院での集団接種だったけれどとてもスムーズに事が運ぶ。

大勢のスタッフさん達の苦労の賜物だと頭が下がる思いだった。


注射はまったく気にならないくらい痛みも感じなかった。

ワクチンが体内に入ったのだと言う実感もなく不思議な感覚がする。

二回目の接種で抗体が出来るらしいのだけれど

抗体が出来ても感染しないわけではないらしい。

ただ重症化のリスクはずいぶんと薄れるのだそうだ。

次回は3週間後。もう臆病風に吹かれている場合ではないのだと思う。



2時半の予約だったのが短時間で済み3時過ぎには帰宅する。

水曜日は下校時間が早いので孫たちは美容院へ行っていたよう。

帰って来た孫たちを見て思わず「わおう!」と歓声をあげていた。

あやちゃんの髪がとても短くなっていてよく似合うこと。

めいちゃんは10センチくらい切って前髪がとても短くなっていた。

我が孫ながらなんと可愛らしいこと。ふたりとも目に入れてしまいたい。



鯛のお刺身。ゴーヤチャンプル。キーマカレーで夕食。

飲酒は少量なら問題ないそうで今は寝酒の焼酎をちびりちびり。





2021年06月29日(火) 馬の骨ではありません

快晴の朝。空はこれほどまでに青かったのかと思う。

朝陽が射し始めると土手の緑がきらきらと輝いていた。


7時15分。「いってらっしゃい」と孫たちを送り出す。

「ただいまあ」ときっと元気に帰って来てくれることだろう。

そう思うだけで目頭が熱くなる朝のことだった。


昨日の悲惨な事故のことが頭から離れず

ご両親やご家族の悔しさや心痛がまるで自分の事のように思えた。

それは決して二度とあってはならないことなのだ。



SNSでは相変わらずの「素敵な一日」が飛び交う。

もううんざりだと今朝は思わずにいられなかった。

タイムラインにただ一人だけ事故の事に触れている人が居てくれる。

リツイートしても反応は殆ど無かった。そんなものなのかと虚しい。

どうして寄り添う気持ちになれないのか。遣り切れない思いがつのる。


それなのに毎朝のお弁当の写真に「いいね」をしている私がいる。

それが昔Rが言ってくれた「普通の日常」なのだろう。

どれほど心を痛めていてもみんな普通の日常を求めているのだ。


余談になってしまうけれどRはよく

「どこの馬の骨か分からない奴のことを気にするな」と言っていた。

私はRの本名も住んでいる町も生年月日も知っていたけれど

今は住所不定、年齢不詳、性別さえも分からない人がいっぱい居る。

それがSNSだと言ってしまえばそれまでの話だけれど

みんなそれぞれの場所で生きている確かに実存する人達なのだ。


「素敵な一日」を過ごしたければそうすれば良い。

コロナも恐れず毎日外食に出掛けるのも良いだろう。

言葉はとても悪いけれど私には関わりのないことです。

あなた方は決して馬の骨ではありません。


かなり毒舌になりましたことをお詫び致します。



2021年06月28日(月) ひとはどうして夢をみるのだろう

雨のち曇り。明日はやっとおひさまに会えそうだ。


職場の庭のやまももがすっかり実を落とし

その傍らには合歓木(ねむの木)の花が散り雨に濡れていた。

雨に流されることもなくそれは地面にしがみついていて

まるで蝶の亡骸のように見えて憐れであった。

ひらひらと風に乗り何処へともなく飛んで行きたかったろうに。

実は落ちる。花は散る。それも自然の掟のようなこと。





昨夜ここに「白昼夢」と書いてしまったけれど

その言葉の意味をはき違えていたことに気づく。

薄学な者は時にそのような間違いを起こすものである。

なんとなく気になっていたのでググってみたら

「日中、目覚めている状態で、現実で起きているかのような

空想や想像を夢のように映像として見る非現実的な体験

または、そのような非現実的な幻想にふけっている状態を表す言葉。

願望を空想する例が多い」と書いてあった。


だから白昼夢ではなかったのだ。ただの悪夢であったらしい。

それにしてもどうしてあんな夢を見たのか理解に苦しむ。



子供の頃からよく悪夢にうなされることがあったけれど

今でも忘れられずにいるとても怖ろしい夢を見たことがあった。

真夜中に大きな足音が聴こえ玄関から黒装束のお坊さんが入って来る。

そうして寝ている私の枕元に座ってお経を唱え始めるのだ。

顔に米粒をぱらぱらと撒かれ私は金縛りになっていた。

柱時計は午前二時。隣に寝ている弟の横顔もちゃんと見える。

「助けて」と父や母を呼ぼうとしても声が出ないのだった。

子供心にこれは夢ではないと思ったことをよく憶えている。


お坊さんはそれから毎晩やって来て恐怖は一週間も続いた。

最後の夜にお坊さんの頭がぽとんと千切れたのだった。

その頭をボールのようにして蹴って遊んでいる私がいた。

そんな不気味な遊びが私を救ってくれたのかもしれない。


それ以来そのお坊さんに会ったことがない。


子供の頃から神経質な性格であり臆病者でもあった。

霊感の強いのは母に似ていてよく不思議な事にも遭遇する。

それももって生まれた宿命のようなことなのだろう。


もういいだろう。夢の話はもうお終いにしようではないか。

今夜もきっとぐっすりと眠れることだろう。








2021年06月27日(日) 灰色の海

雨のち曇り。しばらく梅雨空が続きそうだ。

薄青い紫陽花の色を受け継ぐように

アガパンサスの花があちらこちらに見られるようになった。

庭先に植えられていることが多くブロック塀などあると

その花影だけが顔をのぞかせているのがなんとも愛らしい。

どんな花もそうだけれど心を和ませ癒してくれるありがたさ。





あやちゃんのお友達が遊びに来ると言うので

自分達は家に居ないほうが良いだろうと話して

雨の降りしきるなかまたぶらりとドライブに出掛けることに。

出掛けに娘に声をかけたらお友達は来られなくなったらしい。

でももう決めたからと予定通りに出発することにした。


例のごとくで車に乗ってから行き先を決める。

今日はすぐにじいちゃんが決めてくれて足摺岬に行くことになった。

なるべく遠回りをすることにして旧道を選ぶ。

足摺半島を海沿いに走り窪津という地区を通って行く。


海は凪いでいたけれど一面の灰色の海原が続く。

真っ青な海が好きだけれど灰色の海もなかなか良いものだ。

雨粒も海に溶けるように水と水がまるで寄り添っているよう。

じいちゃんも同じことを思ったらしく「雨の海も良いな」と言った。


足摺岬は観光客の姿もなく閑散としていた。

ホテルのカーテンもすべて閉まっておりとても憐れに思う。

お遍路さんの姿も見えず金剛福寺も寂しいことだろう。

お参りに行きたかったけれどあまりの雨に諦めてしまった。

岬の灯台も見る事も出来ずただ通り過ぎただけのドライブだった。


昼食は土佐清水市内でほか弁を買い求めあしずり港の岸壁で食べる。

窓も開けられず締め切った車内でもそれなりに美味しい。

雨だからと諦めずに来て良かったなと思った。


帰り道は新道を走ったのであっという間に家に帰り着く。

まだ一時前だった。そのままごろりと寝転びお昼寝をする。


その時に信じられないような大変な夢を見てしまったのだった。

私がこの年で逢引をしていてその相手がなんとお向かいのご主人。

車の後部座席に隠れるように身を潜め何処かに向かっていた。

ただならぬことになってしまったとどれほど焦ったことだろう。

夢だと分かっていたので必死で目を覚まそうとしたのだけれど

なかなか目を覚ませずもがき苦しみやっとの思いで夢から覚める。

「白昼夢」という言葉があるけれどこれがそうだったのだろうか。

まるで罪を犯したような罪悪感に苛まれるばかり。

ああ嫌だ嫌だ。じいちゃんには口が裂けても言えない。




夕飯の支度が出来てもあやちゃんが二階から下りて来なかった。

「おばあちゃんはもう食べたけん下へ行ったや」と声をかけたら

「そんなこと関係ないろ。勝手に決めんとって」と怒る。


むつかしい年頃になったものだ。もう笑い飛ばすしかない。









2021年06月26日(土) 海の幸にかこまれて

曇り日。夕方からぽつぽつと雨が降り始めた。

梅雨ならではの蒸し暑さがなくずいぶんと過ごしやすい。


台風が太平洋を北上しており海が荒れているかなと思っていたけれど

素潜り漁に行っていた娘婿がナガレコとアワビを獲って来てくれる。

ナガレコはトコブシとも言いアワビよりも小さいけれど

砂糖醤油で薄甘く煮るととても美味しい貝だった。

アワビも一緒に煮て薄くスライスして食べる。


義弟も磯に行っていたそうでシイとニナをたくさん届けてくれた。

シイは全国どこの海にもある貝のようだけれど

高知市や県東部ではあまり食べないようだ。

ムール貝に似ていて身がふっくらとしていてとても美味しい。

そんな海の幸に囲まれての夕食。なんとありがたいことである。



孫たちはお友達のご両親に市営プールに連れて行ってもらっていた。

仕事で遅くなり帰宅した娘が「今日の話を聞かせて」と。

そうしたらあやちゃんがおばあちゃんがご飯を食べてからと言う。

どうしてなのかな。おばあちゃんだって楽しかった話を聞きたい。

また気分が塞ぎ少し落ち込んでしまった。

じいちゃんはしつこく食卓にしがみついていたけれど

私はさっさと「ごちそうさま」を言って二階にあがったことだった。


気まぐれな子供の言動にいちいち反応していたら身が持たない。

いや身と言うより心が持たないなとつくづくと思う。


傷つきやすい少女でもあるまいしいい年をした高齢者なのだ。


けれどもあやちゃんが友達を仲間外れにしたり

言葉の暴力で傷つけたりすることは決してあってはいけないと思う。


私は悲しい顔をする。そうしながらあやちゃんにそれを教えている。



2021年06月25日(金) 情けは猫の為ならず

曇り日。時おりぱらぱらとにわか雨が降る。

そんな梅雨らしさ。空もすっきりとしたいことだろうに。

明るく朗らかに。人もそうでありたいけれど

なかなか思うようにはいかないもの。それが生きるということ。

「人生楽ありゃ苦もあるさ」まるで水戸黄門の主題歌である。




職場の敷地内に小さな鉄工所がありその経営者のKちゃんが

野良猫に餌をやり続けていると聞きその様子を見に行く。

どうやら鉄工所の奥まったところに住み着いているようだ。

子猫が生まれており親猫が昆虫を捕まえて来ては育てていたよう。

あまりにも可哀想に思って最初はお弁当を少し残していたけれど

最近では食パンを買って来て毎日与えているのだと言う。

そうなればもはや野良猫ではなく飼い猫と同じだけれど

せめて子猫が大きくなるまでは面倒を見てあげたいのだそうだ。

その気持ちが良くわかるだけに私もこっくりと頷いていた。


20年程前だったろうか、私も子猫を保護したことがある。

廃車置き場の車の中で「みーみー」と鳴いていたのを見つけたのだった。

「事務所で飼いたい」と母に言ったら酷く叱られたことを憶えている。

飼うなら家で飼いなさい。飼えないなら情けをかけてはいけないと。

それは心を鬼にしなさいと言っていたのだろうと思う。

仕方なく見つけた場所に連れて行きそっと置き去りにして来た。

鳴き声は数日間続きある日からぷっつりと聴こえなくなった。

きっと親猫が帰って来たのだろうと母が言う。そう信じなくては

心がはち切れそうに痛んで苦しくてならなかったのだ。


今日はそんな昔のことを思いだしながらなんだかほっとしていた。

確かに情けをかけてはいけないのかもしれないけれど

Kちゃんのように見守ってあげることはかまわない。


そのうち職場の庭を走り回るようにもなるだろう。

そんな姿が目に浮かびほっこりと嬉しかった昼下がりのこと。






2021年06月24日(木) マドレーヌ

曇り日。山里ではほんの少しにわか雨が降った。


義父がたわわに実ったやまももの実をたくさん千切る。

その千切り方がなんともユニークで見るのが面白かった。

フォークリフトのアーム部分に板を載せその上に乗り

アームを一番高いところまで上げれば木に届くのだ。

「ほうれほうれ」とやまももはあっという間に袋いっぱいになる。


木の下で待っているのは若い女性のお客さん。

義父はちょっとかっこつけて良いところを見せようとしていたよう。

「わあ、こんなにいっぱいありがとう」義父のなんと誇らしげな顔。


そのお客さんからは美味しそうなマドレーヌを頂いていた。

「おばちゃんも食べてね」と言ってくれたのだけれど

ダイエット中なので心を鬼にしてぐっと我慢をしていた。

一時間程にらめっこをしただろうか。ついに我慢の限界となる。

一個なら良いだろうと許す。胃に沁み込むように美味しかった。

今日は特別に許してあげたけれど明日からはまた我慢の日々だ。


午後、義理の叔母が久しぶりにやって来て

私の顔から足元までずずっと眺めてから「また太ったね」と笑う。

それくらいのことで私は傷つきやしないけれど少し悔しい。

それにしても叔母の痩せたこと。まるで骨皮筋子さんだった。

叔母と言っても私より8歳ほど年上だろうか。

以前はぽっちゃりとしていて可愛い人だったのになと思う。


太り過ぎてもいけない。痩せ過ぎてもいけないのだろう。

ちょうど良い体形のなれるよう努力してみたいのだ。


明日職場に行ったらまだマドレーヌが残っているかもしれない。

甘党の義父が全部食べてくれていたらいいな。



2021年06月23日(水) 永遠の約束

晴れのち曇り。大気が不安定だったようで

山里ではお昼に土砂降りの雨が降った。

一時間ほどですぐにやんだけれどまさにゲリラ豪雨だったのか。

ほんとうにびっくりするほどの凄い雨だった。

帰り道にすっかりうなだれたムクゲの花を見る。

どんなにか痛かったことだろうと可哀想でならなかった。




友の命日。歳はずいぶんと離れていたけれど確かに友だった。

生きていればもう80歳が近い。亡くなって22年目の夏となる。

今朝は形見の貝殻を手のひらに載せそっと声をかけていた。


「おおい生きているか?」と声が聴こえる。

「はあい生きているよ」と笑顔で答えたことだった。


世間の人はどうして男だから女だからと区別したがるのだろう。

もうお墓参りにも行けなくなった。私が女だからいけないようだ。

大好きだったブラックコーヒーや煙草を供えるのがそんなに

いけないことなのだろうか。もうそれさえも出来なくなった。

彼の息子さんだけはちゃんと分かってくれて「おやじが喜ぶよ」と

言ってくれたのだけれど彼の奥さんはそうではなかったのだ。

男と女はずっとずっと友達ではいられないらしい。

その悔しさなんとも言葉に出来ないような理不尽な情けなさがあった。


ずいぶんと歳月が流れたけれど私の胸の中で生き続けている友。

兄のような存在でもあった。そうして私の分身でもあったような。


「話したいことがあったらいつでも来いや」とよく言ってくれた。

親身になってくれたこと。それほどの恩をどうして忘れられようか。


遺言でもあり遺骨の一部は海に散骨された。

海に行けばいつだって会える。それは永遠の約束のように。











2021年06月22日(火) そろそろ夏野菜の季節

晴れたり曇ったり。それも梅雨らしさなのだろう。

紫陽花の花がもう盛りを過ぎ少しずつ枯れ始めたようだ。

そうしてだんだんと化石のようになってしまうのを

毎年の事だけれどせつないものだなと思うのだった。


仕事でお客さんのお宅を訪ねたら畑の周りにそれは沢山の紫陽花。

完全に枯れてしまう前に剪定してあげるのだそうだ。

そのほうが紫陽花も嬉しい事だろう。さっぱりと気持ちよく

土に還って肥やしとなりまた来年誇らしげに咲けるのだと思う。


畑には胡瓜の黄色い花が咲いておりもう初採りをしたとのこと。

「少しだけど持って帰る?」と言ってくれたけれど申し訳なく

「またたくさん出来たら下さいね」と遠慮させてもらった。


茄子も紫色の花を咲かせていた。収穫はもう少し先らしい。

茄子は秋深くなっても実をつけるのでとても逞しく感じる。

猪が悪さをするからと周りをネットで囲っていた。

山里の野菜作りも大変なこと。猪もお腹を空かせている。



我が家にも姑さんが残してくれた畑があったのだけれど

今は海苔の干場になっていてもう畑の面影はなくなってしまった。

2年程だったか私も野菜作りに励んでいたことがあった。

大根やキャベツやえんどう豆や。収穫の喜びは言うまでもない。


ある時東京のお友達が聖護院大根の種をわざわざ郵送してくれて

それは楽しみにしながら種を撒いたことがあった。

芽が出るのをわくわくと待つ。毎日の水やりも欠かさなかった。


それなのに何という事でしょう。芽は出たけれど緑ではなかった。

夏の終わりにじいちゃんが除草剤を撒いていたのだそう。

夏の間、私が草引きを怠ったせいでじいちゃんに罪はないけれど

せっかく送ってもらった種を台無しにしてしまったのだった。

友になんと詫びれば良いのだろう。本当に申し訳ない事をした。


それを最後に私の畑作りは終わった。畑はまた草だらけになる。

「ちゃんと管理できないならするな」とじいちゃんは言った。


職場でお客さんからお野菜を頂いたり

ご近所さんからも度々お野菜を頂くばかりの日々。


私もきっとまたと思う気持ちが込み上げて来る。



2021年06月21日(月) 夏至の一日

二十四節気の「夏至」一年で最も日が長い日。

夏に至るとその字の通りいよいよ本格的な夏でもあった。


いま午後7時20分。外はまだ明るくて

土手の道を自転車で遊ぶめいちゃんの姿が見えている。

まるでリードを外してもらった子犬のようだった。

そんな姿を微笑ましく眺めながらこれを記し始めたところ。



梅雨の中休みが続いていて今日も爽やかな晴天。

オイル交換に来てくれたお客さんの畑にはスイカが実をつけたそう。

待ち時間の間にあれこれと語り合うのも私の仕事であった。

今年もスイカを届けてくれるそうだ。なんとありがたいことだろう。



午後は隣町まで集金。手土産に柚子ジュースとオクラを持参する。

どちらも山里の地場産店で買い求めたものだった。

最初は柚子ジュースだけのつもりだったけれど

新鮮な朝採れオクラが目に入りつい手に取っていた。

ケチケチしていてはいけない。商売は「太っ腹」でなければ。

などと偉そうなことを思いつつ心は笑顔でいっぱいになる。


「こんにちは。毎度ですう」と小切手をありがたく頂く。

事務員さんが「今日は何?」と言って袋の中を覗くのも愉快だった。

末永くお付き合いして頂きたい大切なお客様である。



いま午後8時10分。いつの間にか外は真っ暗になっている。

孫たちもやっとお風呂の時間になったようだ。

私はもう一杯焼酎を飲んで眠ることにしよう。


おやすみなさい。またあした。




2021年06月20日(日) 酷道を選ぶ

爽やかな晴天。梅雨の晴れ間はとても嬉しいものだ。

外に洗濯物を干すのも久しぶりのこと。

ひとつひとつ愛しむように丁寧に干す。

ずらりと干し終えたのを微笑みながら見るのがとても好きだ。



それからお大師堂へ。すっかり日曜日の恒例となった。

従兄弟から「やまもも」と「すもも」を沢山頂いていたので

お大師さんにお裾分け。旬の物をお供え出来てとてもほっとする。

蝋燭に火を灯し拙い般若心経も清々しくお堂にこだまする。

さらりさらりと流れる大河。川辺には姫女苑の花がとても可愛い。



娘が仕事だったら諦めようと思っていたけれど

おそるおそる訊ねたら「今日は休みよ」と言ってくれる。

ああ良かった。早速じいちゃんとドライブに行くことになった。

いつも行き当たりばったりで車に乗ってから西か東かを決める。

父の日なので新しいシャツを買ってあげたくて西に向かった。

青山に寄り2割引きのセールでおまけに商品券もあって

わずか600円でゲットする。そうとは知らず大喜びのじいちゃん。


それからやっと行き先を決めて愛媛との県境にある篠山(ささやま)へ。

宿毛市の楠山(間寛平の生まれ故郷)から登山道へと入る。

篠山へ行く道は他にもあったのだけれどあえて酷道を選んだ。

舗装こそしてあるけれどガードレールもない細い峠道のこと

落石があったり木の枝が転がっていたり谷の水が道に流れていたりと

またまたこれは「ポツンと一軒家」の道だねと笑い合いながら。


対向車がなく幸い。登山客と思われる人と三人会っただけだった。

山肌に少し広い場所がありそこでお昼のお弁当を食べる。

お弁当はもちろんのことだけれど山の空気のなんと美味しいこと。


うんぐりかんぐりやっと峠を登りつめ篠山の駐車場まで着いた。

頂上までは徒歩でなければ行けず諦めてしまったけれど

弘法大師さんにもゆかりのある神社があるのだそうだ。

春には躑躅やシャクナゲがとても綺麗に咲いていたのだそう。

いつか行ってみたい。夢のように思いつつ下山したことだった。


帰り道は南予の国道を選ぶ。県をまたぐ移動にはとても複雑な気持ち。

車から降りなければ良いだろうと宥めつつの帰路であった。

それでも高知ナンバーで愛媛の道を走るのはとても心苦しいものだ。


コロナ禍でさえなければと歯がゆくも思う。

行きたい所に自由に行ける日はいったいいつのことだろう。


それでも「また行こうな」と私たちのささやかなドライブだった。








2021年06月19日(土) いい日おやすみ

雨のち晴れ。いつの間に晴れたのだろうと思いがけなかった。

ずいぶんと気温が高くなり真夏日の所もあったらしい。


夕方の空にはうろこ雲。それが次第に茜色に染まって行く。

窓辺に居ると空がとても近く感じる。手が届きそうなほどに。

けれどもほんとうはとても遠いのだ。だから憧れるのかもしれない。






叔母の命日だったので買物の帰り道に従姉妹の家に寄ったけれど

従姉妹は留守で息子さんが居て仏壇に手を合わすことが出来た。

もう8年もの歳月が流れたのか。遺影の叔母はただ微笑むばかり。

生きていればと思うこともあるけれどもうすっかり過去の人だった。

いつだったか私にと毛糸の帽子を編んでくれたことがあり

その帽子は今も大切にしていて寒い冬を楽しみに待っている。



一度帰宅してからカーヴスへ行き心地よく汗を流す。

今月から始めてもう7回目。我ながらよく頑張っていると思う。

成果は確実に表れていて少しお腹が引き締まって来たようだ。

肩凝りも背中の痛みも解消されずいぶんと楽になった。

癖になるというか行きたくてたまらなくなるのも不思議。

もともと身体を動かすのが好きなので性に合っているのだろう。



午後、めいちゃんのお友達が二人遊びに来てくれて賑やか。

パワフルに遊び過ぎたせいか夕飯前にばたんきゅうと眠ってしまう。

今もまだ眠っていてそろそろ目を覚ます頃だろうか。

おばあちゃんはもう眠くなってしまったのにと愉快に思う。


今日もいい日でした。ありがとうございます。



2021年06月18日(金) 青春の記念日

確かにアラームが鳴ったはずなのに寝過ごしてしまった朝。

もうすっかり夜が明けていて大急ぎで朝食の準備をする。

いつも夜明け前に書いている短歌も詩も書けなかった。

たまにはいいかと思う。どうせろくなものなど書けやしない。

ひとやすみ。一呼吸でもしかしたら新鮮になれるかもしれないのだ。

それは明日になってみないとわからないこと。少しでも希望を持とう。






6月18日。少女時代の出来事を今でも忘れられずにいる。

私は中学生になって間もなく父の転勤で海辺の町へ移り住んだ。

同じ高知県でも西部と東部とでは方言がずいぶんと違っていて

そのせいもありまだクラスメイトに馴染めずにいた頃

隣のクラスからまるで使者であるかのように男の子がやって来た。

みんなからNちゃんと呼ばれているらしい男の子からの伝言で

お昼休みに校舎の裏庭に来るようにとほぼ命令のように告げられる。


いったい何だろう。転校生の私が気に入らないのかもしれないと

はらはらどきどき緊張と不安でいっぱいだったことを憶えている。


Nちゃんと呼ばれていた男の子のことはよく知らなかった。

クラスも違うしもちろん話したこともない。

ただ一年生の中ではリーダー格らしく常に子分たちを連れていた。

廊下ですれ違った時にちらっとその顔を見たことがあった。


Nちゃんはおくびれた様子も見せずとても堂々とした態度で

「俺はおまえのことが好きながやけどおまえは俺が好きか?」と

好きも嫌いもなかった。「わからない」と応えすぐにその場から逃げた。


どうやら私は「好き」と応えなければいけなかったらしい。

Nちゃんはふられたことになってしまって学校中の噂になってしまった。


恋をするにもきっかけが必要。一目惚れもあるけれどそうではなかった。

はっきり言ってうっとうしいと思うくらいNちゃんはしつこかった。

ふられたというのに諦めない。休み時間になるたびに私の顔を見に来る。

英語の授業に付いていけない私に「俺がおしえてやろうか」とも言う。

よけいなお世話。私がむっとした顔をするとなぜか嬉しそうな顔をする。


けれどもいつしか私とNちゃんはとても仲良しの友達になっていた。

それは中学を卒業して高校生になってもNちゃんが大学生になっても。

それぞれに恋をし傷つくことがあってもいつも繋がっていたように思う。


よほど縁の深い人なのだろう。腐れ縁だなとNちゃんは笑うけれど

その腐れ縁がとても愛しいかけがえのない存在なのだった。


友達は少なからずいるけれどいちばんの親友はNちゃんだった。

私がこころを許せる友は他にいない。まるで自分の分身であるかのように

Nちゃんはいつもいつまでも私の最愛の友であった。



2021年06月17日(木) ぬくもり

久しぶりの青空。予報ではすぐに曇ると聞いていたのだけれど

思いがけずに一日中晴れていたのだった。

少し蒸し暑さはあったけれど梅雨の晴れ間はほんとうにありがたい。



目覚める直前まで不思議な夢を見ていて少し戸惑う。

私にとってはとても縁の深いひとであったが

すでに5年前に亡くなっておりこの世のひとではなかった。

そのひとと手をつないで歩いていた。見たこともない景色のなか。

しきりに会話をしていたのだけれどよく覚えていない

ただつないだ手のぬくもりだけはとてもリアルに覚えている。

こんなに温かな手をしていたのかと思った。とても優しい手。


私たちは何処に向かっているのだろう。ふと不安になりながら

自分が大変な罪を犯しているような気がしてならなかった。


男女間の友情なんてあり得ないと断言することは出来ない。

そうしてそれは一歩間違えれば愛情にも変わり得る。


2月の小雪がちらつくような寒い日のことだった。

突然の訃報にどれほどこころを取り乱したことだろう。

私はお葬式に行かなかった。涙など決して流したくはないと。


だから未だにその死を受けとめることが出来ずにいる。

ただ会わないでいるだけなのだとずっと思い続けているのだった。


もし会えるのだとしても私は会わない。もうそう決めている。


私が女だった頃をどうか忘れてください。

たとえ夢だとしても二度と私に触れないでいてください。








2021年06月16日(水) 自己暗示術

雨のち曇り。大雨と言うほどでもなかったけれどけっこう降った。

気温もあまり上がらず半袖では肌寒いほど。

「梅雨寒」と言うらしい。今の季節ならではの季節の言葉だ。



昨日コロナワクチンの接種をした同僚が腕の痛みを訴える。

力が思うように入らないらしく仕事も辛そうだった。


山里は県下一の接種率でもう50代の順番が来ているとのこと。

人口が少ないせいもあるだろうけれどとてもスムーズだと感心する。

予約制ではなく村から個別に日時を指定して集団接種をしているようだ。

70代の義父にも連絡が来ていたけれど「どうしても嫌だ」と。

まるで子供のように駄々をこねて結局受けようとはしなかった。


二回目の接種で発熱する人が多いと聞き私も昨日解熱剤をもらってきた。

まだ一回目の接種も終わっていないけれど備えておかないと

とても不安でならず医師に無理を言って処方してもらったのだ。


熱が出るのはそれだけ抗体が出来た証拠でもあるらしい。

そう聞いてもやはり不安で臆病風に吹かれている。


私にはまだ先のことをくよくよと考えてしまう悪い癖があった。

癖と言うより性分なのだろう。とてもあっけらかんとはしていられない。


なるようにしかならないのにそうなったらどうしようとはらはら

いつも悪いことばかり考えてしまうのだった。


この性分は父譲りでどうやら息子にも遺伝しているよう。

だから私と息子が話し出したら喜劇も悲劇になってしまうのだった。


その点じいちゃんは楽天家。娘もその血を受け継いでいるよう。

家族にそんな二人がいてくれて今までどれほど救われたことだろう。


私はお得意の自己暗示術で自分に言い聞かすことが多い。

暗示に掛かりやすい性格を逆に利用する術である。


「なるようになるよ」「だいじょうぶなんとかなるよ」

もはやそれが口癖のようになってしまったこの頃であった。






2021年06月15日(火) ポーカーフェイス

相変わらずの梅雨空。時おりにわか雨がぱらつく。

空になんの罪があるのだろうと思う。

空だってじっと我慢をしているのではないだろうか。



定期の通院日でいろいろあった。

詳しく書けない事もないのだけれど

今はもうすっかり気分が落ち着いているのでよそう。

ただ今日ほど自分の精神力の弱さを思い知らされたことはない。

医師に頼らず薬に依存せずなんとしても強くなりたいと思うのだ。

そのための機会を与えてもらったのだと思って乗り越えようと思う。



病院から薬局へとずいぶんと時間が経ってしまって

母の施設がある病院までは行けなかった。

年金支給日だったので入居料の支払いに行く予定だったけれど

特に今日と決められているわけではないので後日にすることに。


病院へ行っても母に面会することは叶わず

特に会いたいとも思わない薄情な娘でもあった。

そのくせよく母の夢を見るのはどうしたことだろう。

この矛盾の中に本当の私が隠れているのかもしれない。

知っているのなら教えてほしい。私は母が恋しいのですか?




帰宅が遅くなりそうだったので大急ぎで買い物。

お刺身用の鰹と揚げるだけの鶏の唐揚げを買って帰る。

そうしたら思いがけずに娘が居て今日は仕事が休みだったのそう。

洗濯物をたたんでくれていてなんとありがたいことか。


夕食の支度をしている台所でめいちゃんではなくまあちゃんが

騒ぎまわるのがなんとなく嫌だった。いくら親戚でもけじめを

そう思っているのはどうやら私だけのようだった。

子供に嫌な顔をしてはいけないと何度も自分に言い聞かすばかり。


私の感情はとてもやっかい。ポーカーフェイスが下手なのだ。

喜怒哀楽の激しいのも今に始まったことではないけれど

歳を重ねることに「怒」はずいぶんと薄れたような気がする。

ただ「哀」がいちばんの曲者なのだろう。

私にだって泣きたいほどに辛い時があるのだ。



2021年06月14日(月) やまもも

曇り日。時おり霧のような雨が降る。

無風状態で少し蒸し暑さを感じた。


職場のやまももの木が今年もたくさん実をつけ

熟れた順からぽとんぽとんと地面に落ちる。

ひとつ手に取り食べてみたら甘酸っぱくて美味しかった。

子供の頃には木にも登ったものだった。とても懐かしい味がする。


つい先日まで「やまもも」を食べるのは高知県人だけだと思っていた。

無学というか世間知らずというか恥ずかしい話である。

ある方のブログに「やまもも」の事を書いてあるのを読み

その方が何処にお住まいなのか知らないのだけれど

高知ではなさそう。関西だろうか関東だろうかと思いを巡らす。

「甘酸っぱくて美味しい」と書いてありはっとしたことだった。



話は変わるけれど某SNSに「やまもも」さんという方がいて

高知出身で今は関東に住んでいるらしかった。

SNSらしく年齢は不詳。ただ私よりも少しだけ若いようだった。

もうずいぶんと長いおつき合いとなり私のことを「おねさん」と呼ぶ。

「おねえさん」ではなく「おねさん」と呼ばれるのが嬉しかった。


そのやまももさんが一昨日だったか急に休止宣言をしたのだった。

日頃から体調の悪さを訴えていたのでなんとも気がかりでならない。

時々メールのやりとりもしていたけれど今回は躊躇する。

もしかしたらそっとして欲しいのかもしれないと思ったのだった。


ネットの世界では深入りをしてはいけない時がままある。

どんなに気になっても立ち入ってはいけないのだ。

いくら「おねさん」でも本当の姉妹であるわけもなかった。

まして顔も知らない。本名も知らない。それが「距離」である。


私自身もその「距離」を願っている。ささやかな縁であって欲しい。

ここから先は駄目としっかりと線を引いていたいのだ。


「やまもも」と自分を名づけたのには故郷の想いがあってのことか。

今年もやまももの季節になった。どんなにか懐かしいことだろう。


きっと再会できるのだと信じておねさんはずっと待っています。






2021年06月13日(日) 折り鶴

昨夜から今朝にかけて少し雨が降った。

日中は曇り空。どんよりとした空にそよそよと風が吹く。


雨がやんだら何処かに出掛けようと目論んでいたけれど

娘が仕事。娘婿も素潜り漁に出掛けたいと言って

結局孫たちと過ごすことになってしまった。

とは言え幼い頃のように孫守が必要なわけでもなく

ただおばあちゃんもおじいちゃんもちゃんと家に居るからと。


めいちゃんは昨夜からまあちゃんの家にお泊りをしていて

お昼になっても帰らず。気になって様子を見に行ったら

ひたすら「かえりたくない」と言って駄々をこねる。

姪っ子が夕方まで大丈夫よと言ってくれてその言葉に甘えた。


あやちゃんはずっと子供部屋に閉じ籠って独り遊び。

タブレットを見ながら折り鶴を作っていたようだった。

色とりどりの折り紙でそれはたくさんの鶴を上手に作っていた。

学校で習ったのだそう。6年生がもうすぐ修学旅行に行くので

無事を祈ってみんなで少しずつ折っているのだそうだ。

学校へ持って行くのかなと訊けばそうではないと言うので

せっかくの折り鶴が可哀想に思えてきて部屋に飾ることにした。


裁縫箱を部屋に運び針に糸を通す。私の目ではなかなか通らない。

あやちゃんがやってみたけれど初めての事でうまくいかない。

どれどれと私が再度やってみたらやっと針に糸が通った。


鶴の羽根を持ってそっと引っ張るとぷわっとふくらむ。

それに一羽ずつ針を通して行く。にっこりと微笑むあやちゃん。

思えばこんなふうに一緒の時間を過ごすのは久しぶりのことだった。

嬉しそうなあやちゃんの顔が見られて私もとても嬉しかったのだ。


「親ばなれ」という言葉があるのだから「祖母ばなれ」もあるのだろう。

だんだんと甘えることをしなくなり成長するのだと思う。


けれどもいくつになっても甘えて欲しいものだ。

それが親であり祖父母でもあるささやかな願いなのかもしれない。


子供部屋の壁に飾られた折り鶴を見るたびに思い出してくれるだろうか。







2021年06月12日(土) ありのまま

曇り日。今にも雨が降り出しそうな夕暮れ時となった。

めいちゃんがまあちゃんと一緒に夕散歩に出掛けていて

土手の道から手を振ってくれているのが見える。

窓辺から見える風景はいつも絵のように私を和ませてくれる。



昨夜はよけいなことを書いてしまった気がして

もしかしたら気を悪くされた方がいるのではと案じつつ

消してしまおうと思えば一瞬で消えるのだけれど

いつかまた読み返す日の為に残しておこうと思っている。

ありのままを書くことにもっと躊躇するべきなのかもしれない。


むかしお世話になっていた心療内科の先生が

「こころにベールを」と言ってくれたことがあった。

今の私はその助言をすっかり忘れているような気がする。

あの時のベールはもう破けてしまったのか。

それとももう似合わない歳になってしまったのかもしれない。

ブーケを抱いた花嫁さんではあるまいし馬鹿げた話である。






10時の開店を待ちかねて今日もカーヴスへ。

ずいぶんと溌剌としていたように思う。元気なのがとても嬉しい。

今日は数年前まで孫たちがお世話になっていた元保育士さんに会う。

退職されてからすぐに始めたそうでとても生き生きと頑張っていた。

顔なじみの人がいてくれるだけでずいぶんと励みに思う。

私などまだ序の口だけれど継続はチカラだと勇気が湧いて来た。



あやちゃん今夜はすこぶるご機嫌がよろしく嬉しくてならない。

大好物のパスタをたらふく食べて大きなお腹を撫でていた。

「おばあちゃんのお腹みたい」と言ってからかったら

けらけら笑いながらげんこつパンチをくらわしてきた。


今日は参観日で「道徳」の授業だったそう。

最近嬉しかった事はの問いに「新しい自転車を買ってもらったこと」と。

よほど嬉しかったのだろう。私も授業参観に行きたかったなと思う。


悲しかった事。辛かった事もあっただろう。

それをちゃんと言えるような子供であってほしいと願う。

我慢して言わずにいたら心の中に毒のある花が咲き乱れてしまう。

手折れば傷がつきその傷口がどんどん広がって行くのだと思う。


おばあちゃんはたまに「くそババア」と言われているけれど

いつだってあやちゃんの見方でいたい。

「だいきらい」と言われてもいい。だって大好きなあやちゃんだもの。





2021年06月11日(金) ひとそれぞれ

暦の上では「入梅」その通りというように梅雨空が戻って来る。

時おり雨がぱらついたものの曇り空のまま日が暮れようとしている。


山里の星ヶ丘公園では紫陽花と睡蓮が見頃とのこと。

なんとなく「もういいかな」と思っている。

人がたくさん集まるところはどうしても苦手だった。

独り静かなのが良い。やはり私は変わり者なのかもしれない。


「ひとそれぞれ」最近よくそんなことを思う。

SNSでは特にそう感じることが多い。

あまりにもいろんな人がいて途惑ったり複雑な気持ちになってしまう。

苦手だなと思った人には関わらないほうが良いのではないだろうか。

だんだんと好き嫌いがはっきりとしてくる。

一度嫌だなと思ったら気持ちを切り替えるのにとても時間がかかるのだ。

いかにストレスを感じずに慣れるかだとも思う。

ほんとうに「ひとそれぞれ」誰も否定できないことなのだろう。

その人にはその人の生き方があり私には私の生き方がある。






夕方またあやちゃんを怒らせてしまった。

つんつんつんの嵐に私は倒木のように崩れ落ちる。

「おばあちゃんは消えていなくなるから」と言ったら

「もういい!」と言ってどうやら許してくれた様子。

子供相手の事でも真剣に向き合う。それが私のやり方だった。

気が済むまで怒れば良いし私だって涙を流す時もある。


明日はあやちゃんの大好きなパスタにしましょうね。



2021年06月10日(木) 元気にしていますか

暑さの峠を越えたのか今日はずいぶんと涼しかった。

などど書くとまるで立秋の頃の日記のようだ。

まだまだこれから夏本番だというのに何を言っているのだろう。

とにかく暑さに慣れなければいけない。今はそのために必要な時期。



時の記念日。息子の42歳の誕生日であった。

初めて母になった日のことを感慨深く思い出している。

不思議と陣痛の痛みは思い出せない。そんなものなのだろうか。

首にへその緒が巻き付いていて少し難産だったこと。

生まれてすぐに抱くことも出来ず息子は保育器に入れられたこと。

そんなことばかりしっかりと憶えているのだった。

初めて抱いた時の感動は言うまでもない。我が子のぬくもり。

愛しさはとても言葉に出来ない程に尊いものだった。


42年もの歳月が流れほんとうに色んなことがあったけれど

今は一家の主となり父親になった我が子を想う。

程よい距離を保ちながらのこと。そうそう会うことは叶わず。

よほど困ったことが無い限り声を聴くこともなかった。


けれどもいくつになっても私たちの「こども」なのだと思う。

元気にしているか。仕事は辛くないか。そればかり案じている。


恩着せがましく「育てた」という気持ちなど毛頭ない。

むしろ親として育ててもらったのだと思うのだ。

息子にはほんとうに感謝している。どれほど救われたことだろう。


「おかあ」「おとう」と呼ばれることもなくなり

「おばあ」「おじい」と呼んでくれるようになった。


おばあもおじいも長生きします。決して迷惑はかけません。


しんちゃんお誕生日おめでとう。電話もしません。メールもしません。










2021年06月09日(水) ドレミファソラシド

連日の真夏日。風のおかげでさほど暑さを感じずに済む。

むかし「風に吹かれて」という歌があった。

確かボブディランではなかったか。ギターの音色が懐かしい。


初めてギターを弾いたのは10歳位の頃だったと記憶している。

父がよく弾いていて見よう見真似でつま弾いていたような。

その頃毎日のように家に遊びに来ていたおにいちゃんがいて

ドレミファソラシドを教えてくれたのだった。

そのおにいちゃんが今の義父である。随分と昔むかしのお話。






今日は同僚が通院日だったので開店休業となる。

そんな日に限って来客が多く頭を下げて丁重にお断りをした。

義父は何処に行ったやら。居て欲しい時に居ない事が多い。

幸いお客様はまた明日来てくれるとのことありがたいことである。

田舎ならではのこと。街中ならそう言う訳にはいかないだろう。


お昼に義父が帰って来たので「ああだったこうだった」と話せば

「そうか、そうか」と言いながら笑い飛ばすばかりである。

まったく誰の会社なのだろう。あきれて物も言えない。


そんなこんなで今日も定時終り。さっさと家路を急ぐ。

そうだカーヴスへ行こうとすっかり決めてのことだった。


目的というか打ち込める何かがあるだけで人は元気になれる気がする。

身体を動かすことに限らずひとつでも楽しみを作ることだろう。

それには必ず達成感が伴うのだと思う。「やったあ」と叫びたいほど。


そう思うとつまらない人生なんてないのに違いない。



2021年06月08日(火) 母の机

梅雨の晴れ間のことを「五月晴れ」と云うらしいけれど

なんだか6月になってしまうと間違っているようで言い難いものだ。

それでも今日は五月晴れ。堂々と胸を張ってそう言おう。


青空にすくっと背筋を伸ばしているのは立葵(たちあおい)

人の背丈よりも高い花が多くついつい見あげてしまうのだ。

写真は少し撮りづらい。横写真ではうまく収まらない。

一度撮ってみようと思いつつ未だ叶えてはいなかった。

人がみな紫陽花を愛でる季節にそれはひっそりと健気に咲く。

もし一花咲かせられるものならそんなふうに生きてみたいものだ。






真夏日となりとても蒸し暑い一日だった。

事務所でせっせと決算処理の仕事に精を出す。

今は経理ソフトがありとても便利になったけれど

昔は元帳も試算表もすべて手書きで大変な作業だった。

もう33年も経ったのか。一から教えてくれたのは母だった。


私は医療事務の資格を取得してハローワークに通っていた。

宿毛市内の病院で求人があり遠いけれどどうしようかと迷っていた時

母が宿毛まで行くのなら山里へ来てと半ば強引に私の就職を決める。

実家の仕事を手伝うなんてと姑さんにさんざん言われたけれど

家計の苦しさもあり切羽詰まっての決断だったと思う。


「実家」と言われるのがとても嫌だった。

それは今でも変わっていない。私には実家などないと思っている。

それなら何だろう。母の嫁ぎ先だと言えば良いのだろうか。


母の片腕になり一緒に仕事をして30年余りの歳月。

仕事ばかりの母に楽をさせてあげたいと願っていたのがやっと叶った。


母の机は今もそのままにしている。

母の名を記したボールペンがころりと転がっているのを

引き出しに仕舞うこともせずにそっと置いてある。



2021年06月07日(月) やるじゃんか

おおむね晴れ。風が殆ど吹かずかなりの蒸し暑さだった。

とうとう我慢できず職場のエアコンを稼働する。

事務所に一人で居ることが多くなんだか心苦しくもあった。

同僚の「暑い、暑い」の声が聴こえると罪悪感さえも感じる。


母と一緒に仕事をしていた頃には温度設定でよく口論をした。

高めの設定が気に入らない母は鳥肌が立つほど温度を下げる。

私が「寒い」と言ったら着込めばいいと怒鳴り散らす。

今となってはそれも懐かしい思い出なのかもしれないけれど

とても嫌だったことはそうそう思い出には変えられないものだ。




定時で仕事を終えることが出来たのでカーヴスに行くことにする。

とても土曜日まで待てず身体を動かしたくてたまらなかった。

買物を済ませ一度帰宅してから市街地へと車を走らす。

カーヴスの良いところは予約制ではないところ。

いつでも好きな時間に行けてもちろん毎日でもかまわないのだ。


今日は亡き親友のお姉ちゃんにばったり会って嬉しかった。

とても痩せているけれど筋力が落ちているので通っているのだそう。

以前に仕事が辛いと嘆いていたけれどやっと退職出来たらしい。

自由な時間がいっぱい増えてとても生き生きとした笑顔だった。

また会いたいなと思う。お姉ちゃんも「また会おうね」と言ってくれた。


30分の体操で私も元気溌剌となる。

肩の凝りも背中の痛みも嘘のように楽になっていた。

るんるん気分で家路につく。まるで身体に羽根が生えたよう。


じいちゃんが「やれるだけやってみろ」と応援してくれている。

これからも仕事と両立出来るように時間を作ってみようと思う。



娘と肩を並べて夕飯の支度。お刺身用の鯛を買って来ていたので

娘に「やってみい」とお刺身の練習をさせてみた。

包丁さばきがイマイチだったけれどお皿に並べたらけっこうきれい。

「やるじゃんか」と褒めちぎる。それが自信につながるだろう。


めいちゃんは玉子焼きを作るのにはまっていて今夜も作ると頑張る。

白だしを入れて味の素とお砂糖も入れて鼻歌をうたいながら。

少しぐちゃぐちゃになったのを娘がサランラップで整える。

「じぶんでつくるのおいしい」と嬉しそうに食べていた。


娘はもうすぐ40歳になるけれどまだまだ教え足らない気がする。

見よう見真似でも良いけれど母の味を受け継いで欲しいものだ。

孫たちにも「おばあちゃんといっしょ」って言ってもらえるように。


まだまだくたばるわけにはいかないけれど

ふっと死が頭をよぎる年頃になってしまった。



2021年06月06日(日) ふたり元気なうちに

曇り日。時おり薄っすらと陽射しがある。


紫陽花がとても鮮やか。一雨ごとにそれが増す。

雨に打たれるたびに力強くなるのだろう。

試練なのではなく喜びに変える不思議な生命力を感じる。


私はどうなのだろう。打たれるほどの雨に遭ったのだろうか。

少し濡れただけで弱音を吐いている愚かな花なのかもしれない。

いや花ではない。草でもない。ただ根だけはある名無しの植物。







朝のうちにお大師堂へ。今朝は誰にも会わずひとり静か。

川のせせらぎの音を聴きながら拙い般若心経を唱える。

きりりと身が引き締まる。そうしてとても清々しくなる。

誰のためでもない自分のためなのではないかとふと思った。


花枝(しきび)がそろそろ葉を落とし始めていて

来週には活け替えてあげなければいけない。

お供えのお菓子も残りわずかになっていた。

自分にも役目があることはほんとうにありがたいこと。



10時頃からじいちゃんとぶらりと出掛ける。

今日は西に行ってみようと決めて宿毛新港へ行くことになった。

海上自衛隊の輸送船が入港していると聞き見てみたいねと言って。

港へ着いてびっくりした。それはそれは沢山の車と人々。

「みんな考えることは一緒だな」とふたりして苦笑いする。


輸送船は思っていたよりも巨大で壮観な姿をしていた。

ヘリコプターも載っていて大きな音を立てている。

船首でラッパを吹き鳴らす隊員の白い制服も凛々しかった。

写真は逆光で仕方なく諦めてしまったけれど

孫たちに特にけい君に見せてあげたい光景であった。



宿毛には美味しいラーメン屋さんもあるのだけれど

コロナ禍のことで外食は控えようと云うことになり

港の近くのコンビニで昼食を買い求め海辺に車を停め食べる。

コロナが落ち着いたらラーメン食べようねと約束した。

いつのことだろう。まだ先は見えないけれどきっと叶うだろう。



帰り道は助手席で眠ってばかりいた。

「ごめん眠い」と言えば「寝たらいいさ」と言ってくれる優しさ。

とろりんとろりんしているうちにもう我が家の車庫に着く。


ふたり元気なうちにが今日も叶った。

だんだんと遠出は出来なくなったけれど近場でもいい。

また思い出作りしましょうね。親愛なるじいちゃんへ。




2021年06月05日(土) やれば出来る

思いがけなく朝陽がきらきらと射していた朝。

それもつかの間のことで日中は梅雨らしい曇り空となる。


娘が「おばあちゃん見て」と言ってスマホ片手に部屋へ入って来る。

そうしていきなり仏壇の父の遺影にスマホをかざしたのだった。

なんとびっくり。父が瞬きをしながらにこっと微笑んでいるではないか。

まるで夢を見ているようだった。父が生きている。父が笑っている。

感動で胸がいっぱいになり思わず涙ぐんでしまった朝のこと。


そんなアプリがあるらしい。まるで奇跡のようなアプリだった。







午後、先週入会したばかりのカーヴスへと足を運ぶ。

私に出来るだろうかと自信がなく不安と緊張でいっぱいだったけれど

事前にインストラクターの女性が電話をかけてきてくれて

随分と気楽になり「よっし」と勇気を出して出掛けたのだった。


入会してからなんとなく気になりネットで口コミを検索したところ

あまり評判が良くなくてそのことも多少気になっていたのだけれど

それは人それぞれなのだと今日はつくづく思った。

わずか30分の体操は私の身体に良く合っているように感じた。

血行も良くなり身体が随分と軽くなったような気がする。

そうして何よりも気分がすっきりとなんと心地よいことだろう。

これなら続けられると確信する。ぼちぼち頑張ってみようと思った。


いつもならごろごろと寝てばかりいるのだけれど

今日は不思議と動きたくてならずめいちゃんと本屋さんへ行ったり

夕飯のカレーも早めに作り寝る暇もなく夕方になっていた。


決して溌剌としていたわけではない。ただ元気だったのだと思う。

怠ければ怠けるほど体力は落ち元気は失われていくのではないか。


やる気はあっても出来ない事がいっぱいあるけれど

諦めずにやる気を出すことから始めてみようではないか。


やれば出来ることもきっとあるのだから。



2021年06月04日(金) 六花亭のバターサンド

雨のち曇り。幸い大雨にはならずに済む。

夕風がとても心地よく窓辺で風に吹かれながらこれを記し始めた。



今朝はアラームで目覚めたものの二度寝をしてしまって

いつものように短歌や詩が書けなかった。

いったい何を自分に課しているのだろうと思う時もある。

こだわってばかりいて少しも「実」になっていないのかもしれない。

ほととぎすが叫ぶように鳴くのをただただ受けとめていた夜明け前のこと。



朝食後の午前6時。あやちゃんが「おばあちゃんたいへん」と。

今度はめいちゃんが発熱だった。38℃5分もあり大騒ぎとなる。

頭痛を訴えておりあやちゃんの初期症状とよく似ている。

今になって何かのウィルスではなかったのかと思ったことだった。


娘がどうしても仕事を休めず私が病院へ連れて行くことに。

その前に急ぎの仕事があり職場に向かいすぐにとんぼ返りだった。

病院へ行く頃にはもう平熱になっていてキツネにつままれたよう。

それでも念のためにと元気なめいちゃんを病院へ連れて行く。

夏風邪のような寝冷えのようなものだろうと言うこと。

コロナの心配もなく子供の熱は日常茶飯事のことでもあった。



午後、あやちゃんとめいちゃんが喧嘩をしてめいちゃんが大泣き。

ついついあやちゃんを叱ってしまって怒らせてしまった。

例のごとくで「おばあちゃんはだいきらい」と言って

涙を流しながら私の胸を叩いたり足を蹴ったりして抗戦してくる。


そうしてそのまま玄関を飛び出し行方不明になってしまったのだ。

さすがに心配になり外に出てしばらく探したけれど見つからない。

困り果てていたら娘の車が見えて路地を駆けて来るあやちゃんがいた。

いったい何処に隠れていたのやら。まるでかくれんぼうみたい。


「つんつんつん」とまるで音が聴こえるように不貞腐れているのを

おばあちゃんだってと私も完全無視をすることに決めたのだった。



娘が北海道フェアで六花亭のバターサンドを買って来ていて

大好物なのを「太るから」と我慢していた時だった。

あやちゃんがにこにこの笑顔で「おばあちゃん食べたや」と言って

そっと手のひらにのせてくれたのだった。


そうしてふたりは仲直り。めでたしめでたしの巻。



2021年06月03日(木) 私は晴れよう

午後から雨が本降りになる。これでこそ梅雨なのだろう。

災害に繋がらないよう程々の雨であってほしいものだ。


雨音と雨だれの音がしっくりとこころに馴染む。

ざあざあと押し寄せて来てからぽたんぽたんと落ちるのを

まるで道端の草のような気持ちになり受けとめるばかり。

もうすっかり濡れたようだ。私の滴が見えるだろうか。






あやちゃんなんとか学校へ行ったものの

また微熱が出てお昼に早退して帰って来たようだ。

ちょうど娘が休みで家に居たので良かった。

私が帰宅した時にはタブレット三昧をしていて

話しかけただけでむすっと怒ったような顔をする。

とにかく干渉してはいけないようでなんだか寂しい。

おばあちゃんなんか居ないほうが良いのかな。



お昼休みに少しずつ読んでいた本を読了。

今年に入ってから向田邦子にはまっていてもう四冊目だろうか。

「あ、うん」は急逝された年の初夏の作品で遺作らしかった。

その年の8月22日に亡くなっている。なんともあっけなく

飛行機の空中爆発とは惨すぎる最期であった。

おそらく即死だったことだろう。その一瞬何を思っていたのだろう。

もうペンを執ることも出来ない。どれほど悔しかったことか。


亡き父と同じ昭和4年生まれの向田さんに父を重ねる。

同じ時代を生きた人として尊敬せずにはいられなかった。

そしてとても残念でならない。もっともっと書いて欲しかった。



ふと私はどんな死に方をするのだろうと考える。

人は生き方を選ぶことは出来るけれど死に方だけは選べない。

自死を選ぶ人もいるけれど神にも仏にも背いた大きな罪だと思う。

そんな人は必ず地獄に行くのだそうだ。死んでも決して救われはしない。


私は出来ることならば惜しまれて死にたい。

残念でならないとたくさんの涙に埋もれたいと思う。


けれども今は生き方を選ぶことに必死だった。

とにかく明日も生きなければいけない。

いただいた命だもの日々をいただくことにしようではないか。


明日も雨なら私は晴れよう。





2021年06月02日(水) わかりやすい性格

曇り日。明日はまた大雨になるとのこと。

梅雨にも性格のようなものがあるのではないだろうか。

降る時はとことん降る。晴れる時はすっきりと晴れる。

ある意味わかりやすい性格なのかもしれない。

何を考えているのかわからないような「ひと」が私は苦手だった。



あやちゃんなんとか平熱になり今日は学校へ。

けれどもよほど無理をしていたのだろう

6時限目は保健室のお世話になったのだそう。

「ただいまあ」と元気そうな声で帰って来てくれたけれど

宿題を終えるなりぐったりと寝入ってしまった。

はらはらと心配でならないけれど娘のガードが固い。

まるで心配性の私を寄せ付けないようにしているようだ。

どうやら私はそっと見守ることが出来ない性分らしい。

気分を切り替えるのも苦手のようでいつまでもこだわっている。

もっともっとあっけらかんとしていれば良いものを。

ほんと馬鹿なんだから。どうしようもないとはこのこと。


この話はもうお終い。



先日の「スリープ検査」の結果がやっと分かった。

幸い検査では特に異常が見つからなかったとのこと。

どうでもいいやと開き直っていたので「あらそう」という感じ。

もっと喜ぶべきなのだろうけれどさほど喜んでもいなかった。

なるようになったのだと思う。病気ではなかったということ。

ただその疑いがあったことだけは忘れずにいようと思う。


身体が資本とよく言うけれど資本金を積むほど豊かではない。

ぎりぎりのところでどうにかこうにかやっている。

けれどもそれが私の生き方ならば素直に受け止めたいと思う。


欲を言えばきりがない。生きているだけでじゅうぶんなのだ。




2021年06月01日(火) 少女の階段

水無月を一歩踏み出してみようかと思う。

だからと言って何かが変わるわけでもないのだけれど

カレンダーをびりっと千切る時の手ごたえがなんとなく好きだ。

とても新鮮な気持ちになる。日捲りの暦とは何かが違う気がする。



あやちゃん微熱のままで仕方なく学校をお休みする。

一年生からずっと皆勤賞だったので残念だけれど

いくら元気だからと言って登校さす訳にはいかなかった。


めいちゃんが登校してから分かったことだけれど

コロナ禍の規則でめいちゃんも休まなければいけなかったそう。

今日は特別に許してもらえたけれどなんとも複雑な気持ちになる。

明日はあやちゃんが平熱になっていますようにただただ祈っている。


午後、仕事を早めに終えた娘が病院へ連れて行っていた。

どうやら風邪ではなさそう。もちろんコロナでもなさそう。

思春期に差し掛かる前の自律神経の乱れだろうと診断されたようだ。

最も信頼している医師の話でもなんだか寝耳に水のようなこと。

まだまだ子供だと思っていたけれどもう少女なのだった。

初潮も早いのかもしれない。そう思うとなんだか胸がどきどきしてくる。

ずっと子供のままでいて欲しいと願ってはいけないのだろうか。


食欲はあり今夜もしっかりと食べる。

お風呂にも入りたいと言って髪も洗ったようだ。

さっき部屋をのぞいたらあぐらをかいてアイスを食べていた。

「おばあちゃんはうるさい」のだそう。はいはいわかりました。


あとはそっと見守るしかないようだ。


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