ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年05月31日(月) 日々を大切に

爽やかな青空が広がりとても清々しい朝だった。

気持ち良く行こうと思う。一歩踏み出して行こうと思う。

「行く」を「生く」と書きたくなる。

日々の歩みはそのまま人生の歩みなのではないだろうか。

それは若い頃には思いもしなかったことだった。



早いもので5月も晦日。ほんとうにあっけなく5月が終わる。

疎かにしていたこともきっとたくさんあったことだろう。

「日々を大切に」それは綺麗ごとなのかもしれないけれど

そう口にするだけで毎日が愛しくてたまらなくなる。





早めに帰宅出来たので孫たちに「おかえり」を言えて良かった。

けれどもあやちゃんがなんとなくしんどそう。

もしやと熱を測ってみたら少し微熱が出ていたのだった。

くしゃみと鼻水。たぶん風邪だろうと思うのだけれど

コロナ禍のことでやはり心配でならなかった。


娘が風邪薬で様子を見ると言う。病院へ行く程でもないと。

食欲はあり娘が作った雑炊をぺろりと平らげる。

さっき部屋を覗いたらけろりとした顔をしてタブレットで遊んでいた。

また私の取り越し苦労なのかもしれないと思い直す。



毎朝仏壇に手を合わせて家族の無事を祈り続けている。

亡き父には孫にも会わせてあげられなかったけれど

どんな想いで見守ってくれていることだろうか。

ひ孫の声はきっと聴こえていると信じてやまない。



2021年05月30日(日) ドライブ日和

梅雨もひとやすみか今日も爽やかな五月晴れとなる。

風薫る五月とはよく言ったものでほんとうに心地よい風。

風と言えば「風の便り」それは何処からも届かなかった。



朝のうちにお大師堂へ。蝋燭に火を灯しお線香を立てて

般若心経を唱えようとしていたら外からにぎやかな声がする。

親戚のおねえさん達だった。朝散歩からのお参りらしい。

一緒になることはめったにないことだけれどさすがに

下手なお経を聞かせる訳にもいかず場所を譲ってさっさと外に出た。

どんな時もあるものだ。お経にこだわる必要もないだろうと思う。



買い物から帰宅したらじいちゃんが「何処かへ行こうか」と

ドライブに誘ってくれて思いがけずに嬉しかった。

今日はあやちゃんのお友達が遊びに来ることになっていたので

家に居ないほうが良いのではと思っていたのだった。

じいちゃんも同じことを思っていたそうですっかり意気投合する。


車は東へ。四万十町窪川から大野見村へと新緑の道を走る。

昼食はコンビニで買い求め窪川の七子峠で食べた。

七子峠は遍路道でもあり山沿いにお大師さんゆかりのお堂があり驚く。

今まで気づかなかったのが不思議でもあり新たな発見となった。

残念ながらお堂には施鍵がしてあり中には入れなかったけれど

お賽銭だけは小さな小窓のような箇所があり納めることが出来る。

お大師さんは垂れ幕の向こうに確かに座っておられた。


大野見村は四万十川源流の地として知られており

道沿いを流れる四万十川は岩だらけの急流であった。

雨続きの後でさすがに清流とは言えないかもしれないけれど

水音が心地よく耳に沁みる。とても自然豊かな場所だった。


大野見村から津野町へ。旧葉山村を抜け須崎市経由で帰路に着く。

約4時間ほどのドライブだったけれどとても良き思い出となった。

じいちゃんとドライブに行く度に最後かもしれないといつも思う。

そうしていやまたきっと行こうと思い直すのだった。


コロナが収まったら行きたい所がいっぱいある。

四国だと徳島。九州だと鹿児島。夢は果てしなく続くのだった。


夢で終わらす訳にはいかない。きっと叶えてみせようではないか。





2021年05月29日(土) 出来ることから

爽やかな晴天。青空はなんだか空からの贈り物のようだ。

「ありがとうございます。いだたきます」と空を仰ぐ。



仕事を休ませてもらっていたので午前中は自分時間を。

市内にある「カーヴス」の無料体験に行っていた。

日本でも有名な健康体操らしくなんだかとても緊張していたけれど

インストラクターの女性が「みかさん」と呼んでくれて気がほぐれる。


いきなり体操とはいかず最初は体力測定があった。

それぞれの体力に合わせて無理のないプログラムを組んでくれるらしい。

覚悟はしていたけれど私は標準以下の最悪の結果だった。

椅子に座って片足で立つことも出来ない。

腹筋を一回しただけでまるで船酔いをしたように気分が悪くなる。

それが尾を引き結局体操までは辿り着くことが出来なかった。


どうする?諦めるべきなのか?自問自答をしているそばで

「出来ることから始めてみましょう」と優しい声が聴こえた。

ここで諦めてしまったらどんどん体力が落ちるばかり。

肥満に高血圧おまけに股関節の痛み。お先真っ暗とはこのこと。

そうしてなんとしても元気でいたいという強い思い。


背中を押されるようにしながら入会の手続きをしていた。

お金はかかるけれど健康には代えられないと思ったのだ。

貧乏だからと早死にしたのでは笑い話にもならないではないか。


来週の土曜日から正式に体操を始めることになった。

出来ることがきっとあるだろうと信じていたい。


どうかどうか私を元気でいさせて下さい。





2021年05月28日(金) ワクチン予約

曇りのち少しだけ青空。夕方にはまた曇り空になる。

梅雨時の蒸し暑さは感じずむしろ涼しいほどだった。


雀はちゅちゅんと可愛らしいけれど

稲の苗に悪さをするそうで義父が退治をすると言う。

荒らされた苗箱を見るとそれも仕方のないことかもしれないけれど

殺生するのはあまりにも可哀想でならなかった。

早く田植えを済ませたらと言えば「馬鹿を言うな」と叱られる。

「中手」と言って遅く植えた稲ほど美味しいお米になるのだそう。

雀は百姓の敵だと言わんばかりに怒り狂うほどのことだろうか。

以前に水溜りで水浴びをしている雀たちを「可愛いな」と言って

微笑んでいた義父とはまるで別人のようであった。






市のコロナワクチン接種の予約受付が再開されて5日目。

やっと65歳から69歳までの予約が出来るようになった。

高齢者優先なので最終日となっても仕方ないことだと思う。

私はまだ64歳なのだけれど対象者となっていてありがたいこと。

とにかく予約をしなければとコールセンターに電話をかけまくる。

危惧していた通り電話はずっと話し中で繋がらなかった。

もう諦めてネットで予約をと思っていた矢先やっと電話が繋がる。

ネットではどうしても一方通行になってしまうので不安だった。

ちゃんと詳しい話を聞いたほうがどれほど安心だろうか。

市役所の係の女性に思わず「ああ、良かった」と声が出る。

6月30日の午後に予約が取れる。じいちゃんとふたりで行こう。


コロナの不安はもちろんのことワクチンにも大いに不安があった。

副反応で発熱する人も多いと聞きなんだか怖くてたまらない。

けれどもそれだけ効き目があるのだと言う事らしい。

私はとても迷っていたけれどじいちゃんは「どうってことない」と。

主治医からも必ず抗体が出来ると言われていたので信じようと思った。


それにしても遅れているワクチン接種。

娘夫婦が接種出来るのはいったいいつのことだろうか。


なんとしても我が身を守り家族を守りたい気持ちでいっぱいである。



2021年05月27日(木) 走くりまわる

いま午後7時15分。夕焼け空がとてもきれい。

まるで秋のようなうろこ雲が茜色に染まっている。


それにしてもよく降ったこと。午前中は土砂降りの雨だった。

孫たちも集団登校を諦め娘が車で送って行った朝。


山里に向かう山道では道路が冠水していたところがあった。

おそるおそる突っ込むと車がまるで船みたいに水しぶきをあげる。

なかなかのスリルであった。毎日となるとさすがに困るけれど。



職場に着いてから急ぎの中古部品がありまた車を走らす。

ふと思いついてじいちゃんに部品屋さんにお使いを頼んだ。

途中で中継することになり待ち合わせ場所で彼を待つ。

そろそろ来るかなと彼の車を待つのはなんだか乙女のようにときめく。

昔はセリカだった。今はムーヴ。白ナンバーがやたらかっこいい。



午後は運送会社まで車を走らす。これも急ぎの部品だったけれど

配達が遅くなると言うので「すぐに取りに行くけん」と言って。

よくよく考えたら運賃はどうなるのだろうと愉快でならなかった。

運送会社の事務員さんがとても恐縮した様子で頭を下げるのを

「かまん、かまん」と言って笑顔で荷物を受け取って帰る。

「かまん」は方言で「良いですよ、大丈夫ですよ」という意味である。

ひとつでも荷物が減れば運転手さんも助かるだろうと思った。


そんなこんなで今日はよく走った。それがとても気持ち良い。

私はやっぱり走くりまわっているのが性に合っている気がする。


ん?「走くりまわる」も方言かもしれないといま思った。

「走りまわる」という意味。まるで独楽鼠さんみたいね。












2021年05月26日(水) 豆ごはんが食べたい

曇り日。夕方になり少し雨が降る。

日中の気温があまり上がらず肌寒い一日だった。


常連のお客様から「えんどう豆」をたくさん頂く。

最初はさやのままだったのを忙しいだろうと気遣ってくれて

さやを剥いでくれることになりなんとありがたいこと。

帰宅途中にお宅に寄ったら袋に入れて準備してくれていた。

艶々と新鮮な黄緑はまるで宝石のように見えてとても綺麗。


子供の頃から「豆ごはん」が大好物なのだけれど

じいちゃんが好まず我が家では食卓にあがることはなかった。

「豆ごはん」は母の味なのだろう。懐かしいけれど思い出せない。

ただよく食べた記憶がある。母もきっと好きだったのだろう。




昨夜は「スリープ検査」の器具を鼻と指に装着して眠ったので

夜中に何度も目が覚めて熟睡出来ないまま朝を迎えた。

検査の結果が分かり次第に医師から連絡があるらしい。

なんとなく投げ遣りな気持ち。どうでもいいやと開き直っている。

病気だとしてもどうしようもなくなるようにしかならないと思う。


幸いと言うべきか昨日追加で処方してもらった薬が効いたのか

今朝は血圧が下がっていてほっと嬉しくてならなかった。

このまま順調であればどんなにか気が楽になることだろう。

自分の体調とうまく付き合って行く自信はあるような無いような。

どんなにあがいてももがいても何かが変わるわけではないのだから。



ぽつぽつだった雨が本降りになってしまった。

今夜はスーパームーンで皆既月食が見られるはずだったけれど

この雨では仕方ないとすっかり諦めている。


「今夜月の見える丘に」そんな歌があったらしい。

今夜はぐっすりと眠れそうだ。





2021年05月25日(火) 百歳になったら

気温もさほど高くならず過ごしやすい一日。

五月晴れというには霞がかった空。黄砂だったのだろうか。


いま7時16分。随分と日が長くなり外はまだ薄明るい。

土手から夕散歩に出掛けた孫たちのはしゃぎ声が聴こえている。

以前は私もよく一緒に散歩に行っていたけれど

足の痛みが出始めてからすっかり出不精になってしまった。

夕風に吹かれながら歩けばきっと心地よいことだろうに。

なんだか情けない。そうしてどんどん運動不足になっていく。



仕事を少し早めに終らせてもらって病院へ。

相変わらず血圧が高いのと少し気になることもあり相談に行く。

薬を服用していても血圧が下がらないのにはやはり原因があるらしい。

そのための簡単な検査を今夜することになった。

「スリープ検査」と言って寝ている間の呼吸を調べるのだそう。

呼吸が度々止まっているようなら「睡眠時無呼吸症候群」らしい。


毎晩ぐっすりと眠っているつもりなので自覚症状は全くないけれど

朝の通勤時に酷い睡魔に襲われることはしょっちゅうのことだった。

今朝も眠くなりやっとの思いで職場に着いたことを医師に話す。


だからと言ってどうということもないだろうと深く考えず

心配性の私にしてはずいぶんとあっけらかんとしている夜だった。



あやちゃんが「おばあちゃんはまだ35年生きるよ」と言ってくれる。

「そっかじゃあ百歳やんか」と笑い合ったことだった。

20年したら結婚して赤ちゃんを産むのだそう。

どうやら私はひ孫を抱けるらしい。素晴らしい未来ではないか。


「あやは好きな人いるの?」って訊いたら「まだいない」と答える。

初恋はまだこれからのよう。どんなひとに恋をするのかしら。

今から気になってしょうがないおばあちゃんなのです。



2021年05月24日(月) 負けるもんか

また梅雨空が戻って来る。受けとめてあげなくては空が可哀想。

絡みつくような梅雨前線を振り払いたいのは空自身ではないだろうか。


昨日よりも12℃ほども気温が下がり肌寒い一日だった。

寒暖の差に慣れようとしても身体はとても正直なもの。

くしゃみひとつにも気を遣うご時世でもある。



市のコロナワクチンの予約受付が再開されたけれど

今日は75歳以上の高齢者が対象で私達夫婦は金曜日になりそう。

インターネットなら年齢制限がないと言うので試してみたけれど

じいちゃんの掛かりつけの病院はネットでの受付が不可だった。

金曜日まで待っていたら予約枠がいっぱいになってしまいそう。

私の掛かりつけの病院はもうすでに予約枠が埋まったとのこと。

いったいどうすれば良いのだろう。すっかり途方に暮れてしまう。

とにかく金曜日まで待ってみよう。ワクチンは充分にあるらしい。




お昼休みを利用して同人誌の原稿を送信する。

どれほど落ちぶれてもまだ少しのプライドはあるのだった。

どんなに不細工でも我が子がいちばん可愛いのと似ている。

そんな我が子を一人でも多くの人に見てもらいたいのだ。

欲ばかりの私に世間の目は冷たい。負けるもんかといつも思う。

悔しい思いもいっぱいしてきたけれど誇りだけは捨てずにいたい。



2021年05月23日(日) ラベンダーの香

梅雨の晴れ間こそが「五月晴れ」

気温が高くなり真夏日になったけれど蒸し暑さは感じず。

きらきらと輝く空を仰ぎつつ初夏をたのしんでいた。



朝のうちに久しぶりにお大師堂へ。

爽やかな川風のなんと心地よいこと。

ちょうどお遍路さんに会ったのだけれど

泊まっていたのではなくトイレ休憩だったよう。

トイレが汚れていたのではと少し気になってしまった。

60歳代かなと思われる男性で口数の少ない人だった。

あれこれと話しかけるのも憚られ最小限の会話に留める。

今日は土佐清水の民宿まで行き明日が金剛福寺とのこと。

明日以降のお天気が気になるけれど「雨遍路」覚悟の事だろう。



花枝(しきび)がすっかり葉を落としていたので

このままではいけないと急いでしきびを切りに行く。

我が家には姑さんが植えていた木が3本ほどあるのだった。

ちょうど新芽の頃。艶やかな枝を切りまたお堂へと向かう。

コンビニにも寄りお線香とお供えの和菓子を買い求めた。

これで一安心。自分に出来ることはやり遂げたのだと思う。


午前中に買い物。ラベンダーやガザニア等の花苗を買って帰る。

玄関先の花達はもう半年近くほったらかしのままだった。

おまけにブロック塀のあたりにはこれでもかと生い茂る雑草。

ご近所さんはみんな綺麗にしているのに我が家はまるで空き家のよう。


ずいぶんと怠けたものだなと我ながら可笑しくもあった。

そうして一気に「やる気スイッチ」が入ったのだった。


ラベンダーの香がほのかに匂う。空はどこまでも青い。



2021年05月22日(土) じいちゃんありがとう

曇りのち晴れ。午後になりやっと青空が見える。

蒸し暑さもなく爽やかな五月晴れとなった。


枇杷の実があちらこちらで実りとても美味しそう。

黄色でもなくオレンジ色でもなくその中間の色をしている。

「枇杷色」という言葉はないようだけれど私はそう呼びたい。

木からそのまま千切って食べたくてならないのを

ぐっと我慢しながらごくんと唾を呑みこんでいるばかり。




早朝より川仕事。6時半にはもう川の中にいた。

例の竹杭を抜く作業。ひたすらせっせと杭を洗い船に積み込む。

驚いたのはじいちゃんが毎日一人でこつこつと頑張ってくれていたこと。

なんと二百本もの杭をすでに撤収してくれていたのだった。

「今日で終わるけんな」とそれは得意顔で告げてくれた。

「おまえも日曜日は休みたいろう」となんと優しいことだろうか。

おかげで2時間ほどですべての杭を撤収することが出来た。


今年は海苔の収穫量が過去最低と言って良い程少なくて

なんだかくたびれもうけのような気もするのだけれど

やれるだけのことはやったのだと思う。じゅうぶんだと思いたい。


9月になればまた漁場の準備。それはあっという間のことだった。

もう40年にもなる。ずいぶんと歳月が流れたものだと感慨深い。


先のことは何も分からないけれどまた春が巡って来るだろう。

元気に長生きをしてまたふたりで精一杯がんばろう。



2021年05月21日(金) めいちゃんをお願いします

小雨が降ったりやんだり。今は西の空が燃えているように紅い。

明日は久しぶりの青空になりそう。待ちに待った「五月晴れ」だ。



二十四節気の「小満」万物のいのちが満ち満ちる頃。

雨に打たれても健気に咲く花にもたしかないのちが宿っている。

雑草と呼ばれ人に踏みつぶされる草にだっていのちがあるのだ。

人間として生まれたからにはもっと自分のいのちに誇りを持とう。

どんな境遇であってもいのちを粗末にすることだけは許されない。






今朝はめいちゃんが登校時間になっても朝食が済んでおらず

ぐずってやけを言って娘を困らせてばかりいた。

娘が叱ると「だっこして、だっこして」と泣きじゃくるありさま。

昨夜のダンス教室の事もあり金曜日は疲れがピークになっているよう。


あれこれと口をはさむことも出来ずそっと見守っていたら

もう誰もかまってくれないと諦めたのか一人で朝食を食べていた。

食べ終わるとちゃんと食器を流しに運んでなんと感心なこと。

それから誰にも頼らずに一人で登校の準備をしたようだった。


「おばあちゃん、めいをがっこうへつれていって」

その時にはもうランドセルを背負いマスクもちゃんとしていた。

始業時間10分前。大急ぎで車に飛び乗り学校へ向かう。

校門まででは間に合わないと正面玄関まで送って行くと

校長先生が待っていてくれてめいちゃんが最後の児童だったよう。

思わず保育園の時のように「お願いします」と頭を下げていた。


一年生になってまさかめいちゃんを送って行く日があるとは。

夢にも思っていなくてなんだか懐かしいような嬉しいような。

もしかしたら最初で最後になるのかもしれないなと思った。


甘えたくても甘えられない朝。時間に追われてばかりいる毎日。

お友達と遊んでばかりもいられない。授業中は緊張しているだろう。

それが「学校」なのだと少しずつ分かるようになるだろうと思う。


「がんばろうね」って言いたいけれどなんだか今は言えない。

めいちゃんは一生懸命がまんをしているのだと思うのだ。


そうして子供は成長していく。それが試練でなくてなんだろう。

365日のわずか50日ほどの今日のこと。



2021年05月20日(木) 雨はやんでいる

雨の一日。午前中は土砂降りの雨だった。

今夜から明日の朝にかけてまた大雨になるらしい。


「雨遍路」生憎のお天気に関わらず10人程のお遍路さんを見かけた。

それぞれに雨合羽を羽織ってはいるけれどさすがに

長靴を履いては歩けないのだろう。靴はびしょ濡れのようだった。

一人一人に無言の会釈をするばかりで追い越して行く心苦しさ。

せめて声をかけられたらと思うのだけれど何も出来ない。

野宿ではないことを祈る。どうか無事に札所へ宿へ着きますように。




午後、隣町の宿毛市まで集金に行っていた。

手土産に「土佐ジロー」の卵を持参する。

確か先月もそうだったような気がしたのだけれど

山里のお店では手に入る物が限られている。

木耳や手作り蒟蒻などあったけれど生物なので躊躇したのだった。


女社長さんと事務員さんとに。二人ともとても喜んでくれてほっとする。

一番のお得意様なのでこれからも大切にしなければと肝に銘ずる。

元々は母の縁でお付合いが始まったのだった。

母はずっと手土産を欠かさない人だったのでそれを私も受け継ぐ。

「商売」の「し」の字も分からなかった私に教えてくれたのは母だった。


今夜はこれから母に電話をかけてみようかと思っている。

特に話したいこともないけれど声を聴くだけでも良いのだろう。


雨はやんでいる。孫たちも出掛けていてなんとも静かな夜だ。



2021年05月19日(水) 梅雨空と葛藤と

相変わらずの梅雨空。午後は薄日が射しとても蒸し暑くなる。


紫陽花が少しずつ色づき始めた。花と思っていたのは額なのだそう。

花は中心部のみで額に包まれるように咲くのだそうだ。

それを知るとなんと神秘的な花なのだろうか。

額は花を守り支える。まるでたくましい母のような紫陽花。




午後、仕事を定時で終わらせてもらって母の病院へ。

経過が順調ですっかり元気になったので今日は施設へお引越し。

同じ病院内で3階から2階に移るだけの事であり

母は特に気にしていないようで案ずることは何もなかった。


ただ面会は叶わず。今日も市内でコロナの感染者が出ていた。

会いたいのかと自問すればそうでもなくもうすっかり諦めている。


母の夢をよく見る。昨夜も夢の中で会ったばかりだった。

それは一緒に仕事をしていた頃の母で懐かしいほどに。

どうした訳かいつも私の仕事の邪魔をして困らせてくれるのだ。

滞在意識というのだろうか母の復帰を恐れている私がいるらしい。

それはもう在り得ない事だけれどいつも同じような夢を見る。


母である前に上司だったのだ。それが大きなストレスになっていた。

昨日のけい君ではないけれど「お母さんに会いたい」

生き別れていた少女時代の辛さがずっと尾を引いていたようだ。



病院で記入する書類がたくさんあって続柄を「長女」と書く。

そう書くようにとケアマネさんから言われ仕方なくそう書く。

なんだかそれが嫌だった。言葉には出来ないような抵抗があった。


母が産んでくれた娘には違いない。けれども私はとっくの昔に

「長女」ではなくなっていたのだと思う。

私のことをそう呼べるのは亡き父以外に誰もいないのだと。

もし母が私をそう呼ぶのなら亡き父になんと詫びれば良いのだろう。



「母をさがして三千里」だったか。

私は今も母をさがしているのかもしれない。







2021年05月18日(火) ホームシック

昼間は雨が降ったけれど久しぶりに夕陽を見る。

きらきらと眩しい。まるでおひさまの笑顔のようだった。

彼女には雨雲を押しのける勇気のようなチカラがある。

そうして精一杯に輝きながら地上のすべてを癒してくれるのだ。




今朝は泣き虫のけい君。学校へ向かう車中で我慢の緒が切れたよう。

「お母さんにあいたい。まだお家へ帰ったらだめ?」と

涙ながらに訴えたそうでじいちゃんもすっかり困り果てたそうだ。


昨夜も楽しそうにはしゃいでいてしばらくは大丈夫と思っていた。

けい君が一生懸命がまんをしていることに気づいてあげられなかったのだ。

限界は誰にだってある。ましてまだ7歳の幼い子供のこと。

たとえそれが試練だとしてもあまりにも可哀想でならない。


幸い今朝の息子からの電話でお嫁さんが少し落ち着いたとのこと。

まだ早過ぎるかもしれないけれどけい君を家に帰すことにしたのだった。


下校時間に迎えに行くとしょんぼりと肩を落として通学路を歩いていた。

訊けば学校でも涙が止まらなくてとても辛かったのだそう。

先生やお友達に「お母さんがびょうき」って言ったよと。

おそらく今日は授業どころではなかったことだろう。

「お家へ帰れるよ」と連絡もしてあげられなかった。


マンションへ帰り着くなり母親に抱きついてわんわんと泣いた。

その光景を私は一生忘れられないと思う。


「けい君おかあさんを守ってあげてね」そう告げて帰路に着く。



2021年05月17日(月) 家族団らん

梅雨らしい雨の一日。今も微かに雨音が聴こえているけれど

西の空が驚くほどの茜色に染まっているのだった。

昼間なら「狐の嫁入り」夕暮れ時には何と言えば良いのだろうか。

雨雲の上には確かにおひさまがいてくれたあかしなのだろう。




息子のお嫁さんの体調が快復せず

今夜からまたけい君をしばらく預かることになった。

じいちゃんが学校へ迎えに行きそのまま我が家で過ごしている。

母親のことを心配しながらも笑顔でいてくれて何よりだった。


あやちゃんがお姉ちゃん。めいちゃんは妹。

一人っ子のけい君にとってそれがどんなに嬉しいことだろうか。


今夜は茶の間でパーティーをするのだそうで

娘たちが買い出しに行ってくれてもう始まっているようだ。

私だけ部屋に閉じこもっている訳にもいかないだろう。

いつものように書きたいけれどなんだかそわそわと落ち着かない。


孫たちが作文に書きたくなるような夜にしてあげたいものだ。


「せーの」と気分を入れ替えている。

さあ私も仲間に入れてもらいましょうか。




2021年05月16日(日) 変えられないこと

曇り日。雨こそ降らなかったけれどいかにも梅雨らしい空。

灰色の空を見あげているとなんだか雲の中に居るような気分になる。

ふわりふわり。好きなように漂い好きなように流れて行けばいい。



昨夜は寝入りばなに息子から電話があり

急きょけい君を預かることになった。

お嫁さんの体調がとても悪いとのこと

息子は夜勤で職場に向かわなければならず

けい君も不安がりとても心細い思いをしていたようだ。


久しぶりのお泊り。ほっとしたのかすぐにすやすやと眠る。

愛しさはもちろんのことだけれどなんとも不憫でならなかった。

だからと言って「変えられないこと」その重さをひしひしと感じる。


朝8時前には夜勤明けの息子が迎えに来てすぐに連れて帰る。

息子と話す時間もなかった。彼はいつも嵐のように去って行く。

どんなにか苦労をしていることだろうと気遣うばかりの母だった。




9時を少し過ぎてから今日も川仕事へ。

漁場の竹杭を抜く作業。川船を操りながら一本ずつ抜いて行く。

船に積み込む前に杭を綺麗に洗わなくてはいけなくて

まるで大きなゴボウの皮を剥いているような作業だった。

藤壺もたくさん付いているのを鉄のヘラでこそぎ落とす。

じいちゃんが引き抜き私が洗う二人だからこそ出来る作業でもあった。

それも潮が引き始めると限界となり2百本がやっとのこと。

残り4百本ほどだろうか。来週末にはなんとか終えられるかもしれない。


船着き場で洗った杭を軽トラックに積み込みながら

「ほんのこの前だったよね」と一年の早さにおどろいていた。

夏が終わればまた杭を打たなければいけない。

けれどもそれは決して苦ではないのだと思うのだった。



程よい疲れのまま夕方5時前まで爆睡。

乾燥機にそのままだった洗濯物を娘がたたんでくれていた。

夕飯はあやちゃんのリクエストでポテトサラダと麻婆豆腐。

娘むこが素潜り漁でナガレコ(貝)をたくさん獲って来てくれていた。


みんなでわいわいと楽しい夕食。いかにも日曜日らしい。


食後息子に電話するも呼び出し音がずっと鳴り続くばかり。

お嫁さんの体調はどうだろうか。夕飯はちゃんと食べただろうか。

けい君あしたは元気に学校へ行けますように。



2021年05月15日(土) 真っ直ぐな雨

四国地方の梅雨入り。過去最速で平年より21日も早いのだそう。

ながい梅雨になるのかもしれない。覚悟はしておこうと思う。

けれどもきっと青空の日もあることだろう。

冬あってこその春に似ていて雨あってこそ青空が嬉しいものだ。




午前中はぽつぽつの雨。週末を待ちかねていたように川仕事に励む。

驚いたのはじいちゃんが一人で随分と頑張ってくれていたこと。

漁場に着いてびっくりした。撤収する海苔網はわずかになっていたのだ。

一人では大変な作業なのに本当によく頑張ったものだと感心する。

まるで親が子供を褒めるように言ったら「えっへん」と得意顔だった。



娘の帰宅が遅くなる日だったけれど「夕飯は要らない」と今朝のこと。

これ幸いとコンビニでパスタとカツカレーを買って来て二人で食べる。

食器洗いもしなくて良いのでなんとも楽ちんな夕暮れ時だった。


娘たちはてっきりスシローだと思い込んでいたのだけれど

マクドナルドであれこれ買って来て部屋でパーティーをしているよう。

今夜はめいちゃんもご機嫌で楽しそうな声が聴こえている。

たまにはこんな夕飯のスタイルも良いものだなと思うのだった。



もうすぐ午後7時。外はまだ薄明るくて真っ直ぐな雨が見える。

川向の山は雨にけむりぼんやりとしながら日が暮れようとしている。

明日も雨らしい。それでこそ梅雨だろうと受け止めるばかり。


焼酎の水割り二杯目が終りグラスを傾けると氷がこつんとぶつかる音。

夜はまだこれから。もう一杯飲むことにしましょう。













2021年05月14日(金) あしたの扉が待っている

曇り日。時おり薄日が射し蒸し暑さを感じる。

梅雨入りの発表こそないけれどまるで梅雨時のようだった。



午後少し早めに仕事を終わらせてもらって病院へ。

2ヵ月前から血圧の薬を増やしてもらっているけれど改善せず

医師に相談しても笑い飛ばされているようで納得がいかない。

それはきっと心配ない事で大丈夫だと云う事なのだろうか。

神経質な性格も程々にと言いたかったのかもしれない。

追い出されるように診察室を出る。なんだかとても悔しかった。



次は母の病院へ行く。4月分の支払いはわずかだったけれど

清算するとほっとするものだ。毎月の私の任務のようなこと。

お世話になっているケアマネさんに会う事が出来て

近いうちに入院病棟からまた施設に戻れると聞きほっとする。

同じ病院内でのことで母も気楽に移れることだろう。



夕飯時。めいちゃんがまた酷いかん虫を起こして大暴れ。

毎日泣き声を聞かない日がないくらい情緒不安定のようだった。

ふと私に似たのかもしれないと思う。それならばなんと申し訳ない。

娘が喧嘩腰になって叱ったり宥めたりを繰り返していても

娘むこはまったく知らぬ顔で晩酌を続けていたものだから

ついにじいちゃんの雷が落ちる。なんと怖ろしい顔だこと。


金曜日でめいちゃんの疲れもピークだったのだろう。

自棄を言って暴れたくなる気持ちもなんとなく分かる気がした。


今はお風呂上がりですっかり機嫌も良くなり笑い声が聴こえている。

私もほろ酔ってそろそろ眠くなった。

ぐっすりと眠ってまたあしたの扉をそっと開こう。






2021年05月13日(木) コロナ禍の楽しみ

雨音は聴こえず霧のような雨が降っていた。

もう「春雨」とは言えまい。「小糠雨」と言うのはどうだろうか。

あまりにも無学なので季節の言葉を適切に使えずにいる。


「葉桜」もそうだった。桜が散ったばかりの頃を言うのではなく

まさに今頃。新緑の季節の桜の木のことを言うのだそうだ。

知らなかった事を知った時はなんとも新鮮な気持ちになるものだ。

それを諺にすれば何だっけ?そこまで出掛かっているのに思い出せない。

「耳にたこ」ではないし「目からうろこ」でもなさそう。


ながいこと生きて来たけれど私はまだまだのようだった。





今夜は夕食を終えるなり孫たちがダンス教室へ行く。

めいちゃんも一緒に参加できるようになってほんとうに良かった。

けれども先日高知市内でスポーツ教室からコロナのクラスターが

小学生の感染者も出ており心配でならなかった。


「大丈夫やろうかね」娘に言うと不安がっていたら何も出来ないと。

「おばあちゃんは心配し過ぎ」と反対に叱られてしまったばかり。


娘の言う通りだと思う。孫たちの楽しみを取り上げる訳にはいかない。

よく聞けば感染対策もしっかりとしているそうで安心なのだそう。


コロナ禍も二度目の夏が始まったばかり。

自粛疲れも大いにあり何をするにもコロナの事ばかり付いてまわる。

それでも仕方ない事とうまく付き合って行くべきなのだろう。


夏はプール。秋は運動会。孫たちの楽しみがいっぱい待っている。



2021年05月12日(水) ささやかなこと

朝はぽつぽつだった雨がすぐに本降りになる。

強風注意報も出ていて横殴りの雨になってしまった。


職場の庭で猫が雨に濡れているのを見る。

以前からよく見かける猫でおそらく野良猫だと思うのだけれど

最初は車の下に潜り込んでいたのが突然とび出してしまったのだ。

雨に濡れながら走るのでもなくとてもゆっくりと歩いていた。

何処に向かっているのだろう。ちゃんと住処はあるのだろうかと

はらはらしながら見守る事しか出来なかった。

可哀想な猫だったのだろうか。それとも逞しい猫だったのだろうか。





雨のせいか来客も少なく今日も早めに帰宅する。

水曜日は下校時間が早い孫たち。あやちゃんはピアノ教室へ。

めいちゃんは娘と歯医者さんへ行っていた。

乳歯が抜けきらないところにもう永久歯が生え始めているそう。

下前歯の二本を抜いてもらってとてもすっきりした様子で帰って来る。

「みて、みて」とにかっと笑って見せてくれてなんとも可愛らしい。

生まれて初めて生えた歯が抜けたのだ。なんだか感慨深い出来事。



夕飯は甘海老と鯛のお刺身。メインは牛丼で茎わかめと厚揚げの煮物。

食費は切り詰めているけれどこれだけ揃えばじゅうぶんに思う。

甘海老と牛丼はあやちゃんの大好物でもあった。


家族みんなの美味しい顔が見られるのがとても嬉しくてならない。


「幸せ」は「仕合せ」それはほんとうにささやかなことなのだ。





2021年05月11日(火) しんどいのはみな同じ

晴れのち曇り。明日からしばらくは雨の日が続くようだ。

九州南部が梅雨入りとのこと。四国もすぐに後を追うことだろう。


もうすぐ紫陽花の季節にもなる。それは楽しみでならない。

昨年の花が枯れたまま化石のように残っているところもあり

無事に咲いてくれるだろうかと少し気がかりでもあった。



今朝は娘に「いらぬ口」を聞いてしまい深く反省する。

「帰宅が遅くなる」と言われてつい「困ったわねえ」と言ってしまった。

そうしたら娘が怒って「仕事を辞めろって言うの」と怒鳴ったのだ。

決してそんなつもりで言ったのではなかったのだけれど

私以上に娘も忙しく疲れが溜まっているのだろうとすぐに気づく。

親しき仲にも何とやらで私の思い遣りが足らなかったのだと思う。


幸い今日は定時で仕事を終えられ早めに帰宅出来て良かった。

孫たちの「ただいま」の声を聞くのがとても嬉しく思う。

それぞれの宿題。めいちゃんは本読みをして聞かせてくれる。


じいちゃんからありがたい助言。「一人で頑張ろうとするな」と

いつも娘を当てにしてばかりいるからしんどいのだと言う。

だから出来ることだけと思ってマイペースで夕食の支度を始める。


娘が帰宅してほっとしたのはどうやらめいちゃんが先だったよう。

母親に甘える暇もなく食卓椅子に座ったまま眠り込んでしまった。

「ごはんよ」と起こすのも可哀想でそっとそのままにしておく。


誰よりもいちばんしんどいのはめいちゃんなのではと思った。

一年生になってひと月が経ったけれどまだ慣れてはいない。

今朝も泣きながら登校の支度をしていたことを思い出していた。


みんなみんなしんどいけれど一生懸命に頑張っている。

家族みんながそれぞれを思い遣りながら乗り越えて行かなければね。





2021年05月10日(月) よく働いた感

初夏らしい日が続いていて今日も晴天。

風が殆どなかったせいもあり少し蒸し暑さを感じる。


職場のすぐ近くにお気に入りの木があったのだけれど

郵便局に行く途中にその木がばっさりと切られているのに気づく。

何の木かは知らずにいたけれど新緑の季節にどうしてと

腑に落ちずまたショックでもありすっかり肩を落としてしまっていた。


山里のシンボルと言っても良いほどの存在感があった。

よほどの理由があったのだとしてもなんと無残なことだろうか。

よく見ると切り株が残っていた。木はきっと生きていると信じたい。







仕事が忙しく2時間の残業となりくたくたになって帰宅する。

それでもよく働いた感があり時間給の皮算用をする余裕があった。

日給でお給料を毎日頂いておき月末に時間給に置き換えるのだ。

そうすると必ず差額が出て来てそれをごっそりと頂くことにしている。

だから1時間でも多く働けば家計が少しでも楽になるという訳なのだ。

これはごく最近思いついた事で過去の事は水に流しているけれど

我ながら良い考えだと思っている。会社の金庫番は他ならぬ私なのだから。


けれどもまた経営難に陥る可能性もある。その時はその時のこと。

だから今のうちにとほくそ笑んでいるのはここだけの話である。


お金の苦労はした人にしかわからないと思う。

けれども裕福な人達を羨ましいと思ったことは一度もない。


きっとこころが豊かなのだろう。うん、そう思って明日も頑張ろう。



2021年05月09日(日) 特別でなくても良い

霞がかった空は黄砂だったのだろうか。

それは強い陽射しを和らげてくれたけれどほぼ真夏日の暑さとなる。

そうなればもう半袖の出番。腕の染みも年々気にならなくなった。



早朝より川仕事。大量の洗濯物を干し終えるなりすぐに出掛ける。

時間の余裕がなかったせいか少し苛立っている自分を感じた。

玄関先の燕に「もういいかんげんにして」と怒鳴ってみたり。

二番子だろうか巣作りを始めていてポーチは土だらけになっていた。



川仕事は暑さとの闘い。8時にはもう汗びっしょりになる。

9時前には限界となり「帰ろうか」と意気投合していた。

撤収作業はまだ序の口で先が思いやられるけれど

今月中にはなんとか終えたいと思っている。

平日は私が手伝えないのでじいちゃんに苦労をかけてしまうけれど

仕方ないと諦めているようでそれが救いにもなっていた。



世間では「母の日」らしかったけれど我が家は普通の日曜日。

特別なことは何も考えていなかったし普通がいちばんに思う。

姑さんが生きていた頃は何か贈り物をしなければならなくて

それが少なからず心にも家計にも負担になっていた。

感謝の気持ちを伝えるためにどうして「モノ」が必要なのだろう。

詰め合わせの和菓子を届けたら玄関に立派な胡蝶蘭があった。

そんな昔の辛かったことを今でも忘れられずにいる。


「感謝をすることもなければ感謝されることもないだろう」と

それで良いのではないかと思ったのだ。いつもと変わらない気持ち。

特別でなくても良い。いつもの日常がどれほどありがたいことだろうか。



2021年05月08日(土) 肉じゃがと鶏南蛮

曇り日。少しだけ青空が見えていたけれどまたすぐに曇ってしまう。

どんな空もあってよし。ひとのこころも晴れたり曇ったり。

だいじょうぶ。雨が降れば傘を差せば良いのだから。



国道沿いや田んぼの畦道に初夏を知らせる黄色い花が咲き始めた。

外来種で繁殖力が強く駆除の対象になっている花なのだそう。

正式名は忘れてしまったけれど私はずっと「うさぎ草」と呼んでいる。

せめてそう呼んであげたいほどに可愛らしい花だった。



じいちゃんが川仕事の段取りをしていたけれど

職場に一日車検の車が入っており今日は職場の仕事を優先する。

私は整備士ではないので何の役にも立たないのだけれど

車検が完了したらお国に提出する大切な書類を書かなければいけない。

同僚を急かす訳にも行かずひたすら待って午後3時になっていた。


その後少し車にトラブルがあり帰宅がすっかり遅くなってしまう。

連休明けの疲れもあったのだろうもうくたくたの気分だった。


あやちゃんが「ばんごはんはなあに?」と笑顔で訊いてくれる。

それなのに「何も作る気がしない」とつい本音を漏らしてしまった。

いけない、いけないとすぐに反省しあやちゃんの好きな肉じゃが。

娘が鶏肉を揚げてくれて鶏南蛮も出来てなんとありがたいこと。

疲れた顔をしてはいけないなとつくづく思ったことだった。


お風呂上がりにじいちゃんが肩と背中にサロンパスを貼ってくれた。

貼り終わった後にパンパンと背中を叩いてくれるのが嬉しい。


じいちゃんも一人で川仕事ご苦労様でした。

明日は二人でやれるだけ頑張りましょうね。





2021年05月07日(金) 雨と新緑とアマリリスと案山子

朝はぽつぽつだった雨が日中は本降りになる。

昨日よりも10℃近く低い気温で肌寒い一日だった。


朝の山道にお遍路さんの姿はなくなんとなく寂しい。

その代わりに目に沁みるような新緑が心を和ませてくれる。

それから道端の民家の庭先に咲く深紅のアマリリス。

山深い場所にも数軒の民家があり田んぼや畑もあるのだった。

畑では案山子さんが時々衣替えをしているのが微笑ましい。

猪や鹿から作物をしっかりと守ってくれているのだろう。

「おばちゃんおはよう」毎朝声をかけるのが私の日課でもあった。




仕事で平田町まで納車。庭先に犬が繋がれていてとても可愛い。

頭を撫でたら尻尾を千切れんばかりに振ってじゃれついてくる。

それが「ワン」とも吠えない犬でどうやら番犬ではなさそう。

我が家の亡きあんずを思い出す。あの子はご近所中の番犬だった。


お客さんのご主人は数年前に脳梗塞を患い五体満足ではなかった。

その上に昨年から癌を患い今も辛い治療中とのこと。

けれどもとても明るくて朗らかなご夫婦なのだった。

今日も二人揃っての笑顔にどれほど救われたことだろうか。

身の上を嘆き悲痛に暮れることはある意味とても愚かなことに思える。

それでいったい何が変わるのだろう。何も変わらないではないか。


過去の辛い経験にいつまでもしがみつくのも同じだと思う。

どうして「いま」を生きようとしないのだろう。

過去があってこその「いま」なのではないだろうか。


どうかどうか未来のために生き抜いてくださいね。





2021年05月06日(木) 人生そのもの

からりっと爽やかな青空。初夏らしく気温が高くなったけれど

湿度が低いおかげでずいぶんと過ごしやすい一日だった。


やっと日常が返って来る。今朝はなんだか浮き浮きとしていて

山里の職場に行くのが楽しみでならなかった。


四万十大橋を渡るとき川向の新緑が眩しいほどに目に沁み

思わず「突っ込め」と声が出る。なんとも爽快な気分だった。


伊豆田トンネルを抜け国道から山道に差し掛かったところで

両手に杖を持ち足を引きずるように歩いているお遍路さんに会う。

咄嗟に「足だいじょうぶですか?歩けますか?」と声をかける。

50歳くらいの男性だった。「はい、だいじょうぶです!」と

にこっと笑顔を見せてくれてとても元気そうでほっとする。



仕事を終えて帰り道またそのお遍路さんに会う事が出来た。

もう少しで国道に出るところ。後続車がいなかったのが幸いで

「よくここまで頑張りましたね。あと少しですよ」と言えて良かった。

お遍路さんは「今朝のおばさんだ」とすぐに気づいてくれたよう。

またにこっと笑顔を見せてくれて「はい、頑張りましたよ」と。


足の痛みに耐えながらも一歩一歩踏みしめるように歩いた事だろう。

諦めてしまったらそこでお終い。なんとしても歩こうという強い意志。


つかの間の出会いだったけれどとても大切なことを教わった気がする。

お遍路は人生に似ている。いや人生そのものなのかもしれない。


大きな荷物ではなかったので野宿ではなさそうだった。

宿でお風呂に入れること。ちゃんとお布団で眠れること。

お遍路さんにとってそれは決して当たり前の事ではないのだと思う。


明日は伊予路へと向かう事だろう。

足の痛みが少しでも薄れますように。どうか無事に結願出来ますように。



2021年05月05日(水) 私の歴史のようなもの

夜明けと共に雨が降り始める。静かで優しい雨だった。

「立夏」暦の上ではもう初夏となる。

沖縄では梅雨入りとのこともうそんな季節なのだ。


「こどもの日」ある方のブログで母に感謝する日でもあると知る。

こどもはみな母から生まれたからなのだろう。

だとすると私もこどもなのだろうと改めて思ったことだった。

18歳で私を産んだ母もまた「こども」だったことになる。



雨のせいもあり今日はひたすらステイホームを貫く。

連休も最終日。もうじゅうぶんだと思う気持ちが強い。

日常の事が恋しくも思う。明日からやっと仕事に行ける。

どうやら私には老後のスローライフなど無縁のようだ。

時間が在り過ぎるのが苦痛にも思う。貧乏暇なしがちょうど良い。


昼寝から目覚め一時間程かけて2004年の日記を読んでいた。

まだ月経もあった頃らしく驚く。そして恋もしていたらしい。

「おんな」は見苦しくもあるけれど懐かしくもあった。

そうして随分と遠いところに来てしまったことを感じる。

私にも歴史のようなものがあるのだろう。今もいつかそうなる。


あとどれくらいなのかわからないけれど書き残しておきたい。

最後の日に「これが最後です」と書けたらどんなに良いだろうか。





2021年05月04日(火) しがみつくような郷愁

早いもので5月も4日。明日はもう「立夏」であった。

風は春を忘れようとしているかのように吹き抜けていく。

思い出してはいけないのだろうかと風に問うてみる。

「過ぎ去る」という言葉はなんとなくせつないものだ。



川仕事の目処が立たず今日はぶらりと出掛けてみることに。

「みどりの日」だから新緑が見たいねと意気投合する。

コロナ禍の事、一切どこにも立ち寄らないと決めて

あらかじめ近所のお店でお弁当を買い求め出掛けた。


私の生まれ故郷でもある西土佐へと車を走らす。

途中から林道の峠を越え「藤の川」という地区に行ってみることに。

子供の頃に一度だけ父と言った事があり懐かしい地名だった。


それがすごい山道。獣道と言っても良いほどの酷道が続く。

まるで「ぽつんと一軒家」みたいでどきどきはらはらしていた。

ガードレールのない細い道は枯草に埋もれていて

落石もあったりでスリルは満点と言ったところだろう。


じいちゃんは若い頃この道をタンクローリーで走ったそうで

それは得意気に話すものだから面白く楽しくもあった。

その後転職してからはコンクリートミキサー車でも走ったそう。

「すごいね、すごいね」と言うと悦に入った顔をする。


やっと峠を越えると「藤の川」の集落が見え始める。

ポツンと一軒家どころではなくたくさんの民家におどろくばかり。


藤の川から西土佐へ抜ける道は快適なドライブコースだった。

四万十川の支流だと思われる小さな川に新緑が映える。

藤の花もあちらこちらに見られ、だから「藤の川」なのかと思った。


西土佐ではじいちゃんが私の願いを聞き入れてくれて

生まれ育った家があった場所まで連れて行ってくれた。

営林署の官舎があった場所で今はすっかり更地になっているけれど

坂道や石段は昔のままに残っていて懐かしさが込み上げて来る。


その坂道を上ってみる。そうして我が家があった場所まで歩いた。

記憶の底に見覚えのある裏山。確かにここだったとはっきりとわかる。

ブロック塀に絡みつく蔦までも大切な思い出に思えたのだった。


ふともう最後かもしれないとしがみつくような郷愁。

振り払う事はするまい。きっと死ぬまで忘れることはないだろう。


「ありがとうね」とじいちゃんに言ったら「おう!」と微笑む。



2021年05月03日(月) 花が実になる

「別れ霜」と言うのだろうか5月とは思えない程の肌寒い朝。

ちゃんちゃんこを羽織り暖房のお世話になる夜明け前だった。

寒暖差が激しく日中はほぼ夏日となりすっかり初夏の陽気となる。


栴檀の木に薄紫の花が咲きゆらりゆらりと風に揺れていた。

黄金色の実をつけていたのがつい昨日のように思う。

花が実になる。当たり前の事のようでいてなんだか不思議なこと。





今日も少しだけ川仕事へ。漁場の撤収作業を始めてみたけれど

まだ海苔の根がしっかりと生きていて少し早かったよう。

細い竹で海苔網を叩きながら根を落として行くのだけれど

思うようには捗らず一時間ほどで諦めて帰って来た。

なんだか海苔が死ぬのを待っているようで複雑な気持ちになる。

こればかりは自然のなりゆきに任せるしかないのだろうと思った。




あやちゃん9歳の誕生日。今夜はささやかにお祝いをする。

初孫の誕生がどれほど嬉しかったことだろう。

9年前の日記を読み返しながら懐かしさが込み上げてきた。

今はもう少女の階段を一歩ずつ昇っているあやちゃん。

やがてはおとなの階段を昇るようになるのだろう。

おじいちゃんもおばあちゃんも長生きをして

なんとしても成長したあやちゃんに会いたいと思う。


優しい子に育ってくれてありがとう。あやちゃんの笑顔が大好き。

9年前の5月の日記



2021年05月02日(日) 大切ないのち

晴れてはいたけれど北西の風が強く5月とは思えない程の寒さ。

立夏を目前にしてまだ冬の名残を感じることがあるらしい。

土手のチガヤの穂が風にあおられまるで白波のように見える。

それはとてもしなやかで決して倒れることはなかった。



朝のうちにお大師堂へ。誰かが小菊をたくさん活けてくれていた。

今は菊の季節ではなくどこかで買い求めたものなのだろう。

お参りに来てくれて花を供えてくれたその気持ちがとても嬉しい。


お堂の周辺の草刈りをしてくれたのはSさんだろう。

Sさんらしくたくさん咲いていたしろつめ草の花は根こそぎ。

浜木綿は根だけを残してくれていた。紫陽花は無事でほっとする。

以前に「この花は好かん」と浜木綿を嫌っていたことを思い出す。

けれどもいつも気にかけてくれ綺麗にしてくれてありがたいこと。



お昼前から川仕事へ。今日は漁協の出役で海苔の原藻を採る作業。

昨日連絡があり急きょの事だったけれど海苔の胞子が出始めたらしい。

魚の産卵と似ていて胞子が出始めると海苔の寿命が近くなる。

採取した海苔がそのまま種となり来年の養殖の大切な命に育つのだった。

お仲間さん達と協力し合って網に微かに残った海苔を精一杯に採取する。


良い年もあれば悪い年もあり今年は最悪だったけれど

自然の恵みを頂けたことに感謝する気持ちを忘れてはいけない。


ありがとうございました。大切ないのちを頂きました。



2021年05月01日(土) 雲の上のひと

夏も近づく八十八夜。ついつい口ずさみながら始まる五月。

今朝は思いがけない雷雨となったけれどそれもつかの間。

すぐに青空が広がりまるで季節はずれの春一番のような強い風が吹く。



朝のうちに母の病院へ。

連休明けにコロナワクチンの接種をするとのこと。

同意書や問診票などを記入し手続きを済ます。

副反応の不安も無きにしも非ずだけれど

すでに接種を終えた人に異常のある人はいないとのこと。

母も希望しているらしく病院にお任せすることにしたのだった。

遅かれ早かれ私たち夫婦も接種をしなければいけないだろう。




午後。生まれて初めてパソコンで「オンライン対談」を視聴する。

先日めいさんがメールで知らせてくれてとても楽しみにしていたのだった。

詩人のめいさん(白井明大)と俳人の宮本佳世乃さんの対談。

宮本さんの事は今まで知らずにいたけれどとても笑顔の素敵な人だった。

現代俳句というのだろうかとても素直な句が印象的で好きだなと思う。

二人の対談は興味深くなによりもとても楽しかった。

私にとってはなんだか冥途の土産を頂いたような貴重なひと時となる。


詩人、俳人、歌人も。無名の私には永遠に届かない世界なのだろう。

あまりにも遠い距離に「雲の上のひと」という言葉が浮かんでくる。


だからいつだって空を仰いでいたいとおもう。






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