ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年04月30日(金) 花を咲かせる土になれ

朝の霧もつかの間。日中はよく晴れて25℃の夏日となる。

そよ吹く風のなんと心地よいこと。おかけで過ごしやすい一日だった。


ツツジの花が盛りを過ぎた頃バトンタッチをするようにサツキの花が。

まだ蕾だけれどすぐに花開くことだろう。明日はもう皐月なのだ。



今日は孫たちの遠足。リュックにお弁当やお菓子を入れて

それはそれは嬉しそうに出掛けて行く。

下田の海の見える公園まで一年生も歩いて行くと言うのでおどろく。

「だから遠足なんだよ」とあやちゃんが言うので思わず微笑んでいた。

遠くても皆で頑張って歩く。とても良い経験になったことだろう。



仕事を少し早めに終らせてもらって母の入院費を支払いに行く。

なんだかやっと一息つけるような安堵感があった。

なんとなく気苦労の多かった四月だったけれどそれなりに

自分に出来ることを精一杯にやり遂げたのではないだろうか。


ふと母を残して私がくたばるわけにはいかないと思った。

まだまだこれから少しでも親孝行をさせてもらいたいものだ。



花は散り花は枯れるけれど咲いてくれる花もある。

「花よりも花を咲かせる土になれ」私のとても好きな言葉。



2021年04月29日(木) なるようになるなんとかなる

雨のち曇り。静かで優しい雨でなによりに思う。

夕方少しだけ夕陽が見える。明日はおひさまに会えそう。


「昭和の日」で祝日。世間ではGWの初日だとか。

人々がなるべく動かないでいて欲しいと願わずにいられない。



じいちゃんと川の様子を見に行っていたけれど

収穫はもちろんのこと漁場の撤収作業も出来そうになかった。

手も足も出ないとはこんな有様を言うのだろうか。


私は無性に働きたくてならずそれが叶わない事に苛立ちを覚える。

気分が塞ぎそうになるのを「どうどう」と宥めてばかりだった。

あっけらかんとしているじいちゃんにどれほど救われただろうか。

思うようにならないことをなんとかしようと思わないことだ。

川の流れに身を任すようにさらりと生きていかなければならない。



思い悩むことは何もあるまいと思いつつも

ついつい色んなことを考え込んでしまう悪い癖。

自慢するような事ではないけれど私は決して楽天家ではなかった。

もっと気楽に生きていけたらどんなにか救われることだろうか。


「なるようになる」「なんとかなる」呪文のように唱えている。

そうそうその調子。少しずつだけれどいい感じになってきた。



明日の風は春風だろうか。そよそよと心地よく風に吹かれよう。



2021年04月28日(水) 母と握手

朝方どしゃ降りの雨が降ったけれど日中は小雨。

穀物をしっとりと潤す恵みの雨になったことだろう。



9時には母の病院へ。

10時半までに転院先の病院へ戻らなくてはいけなくて

なんとも気忙しい退院となった。

車椅子の母と荷物の多さに一人ではどうしようもなく

ナースセンターに相談に行き看護師さんの手を借りることに。

おかげで無事に母を助手席に座らせることが出来たのだった。


9時40分、時計とにらめっこしながら高速道路を走り抜ける。

なんとしても母を美容院へ連れて行ってあげたかった。

10時の予約に少し遅れたけれど顔なじみの美容師さんの手際よいこと。

見苦しいほどぼさぼさ頭だった母が可愛らしいおばあちゃんになる。

母のなんと嬉しそうな顔。私も思わず涙ぐみそうになった。


10時半を少し過ぎていたけれど病院で大歓迎を受ける。

口々に「お帰りなさい」の声。これほどの感激があるだろうか。

母にはちゃんと帰る場所があったのだ。なんとありがたいこと。


別れ際に母と握手をする。やわらかくてとてもあたたかな手だった。

またしばらくは会えなくなる。それはコロナ禍のどうしようもないこと。



午後J先生から母の病状についての説明があった。

胆石だと聞かされていたけれど結局そうではなかったらしい。

入院期間中は経過を診るだけで何の治療も無かったのだそうだ。

これからの入院も同じで経過さえ良ければ施設へ移れるとのこと。


ただ先日のような大きな発作がいつ起こるやら分からず

それは今夜かもしれないし明日かもしれないと言う。

「覚悟をしておいて下さいね」と言われたのだった。


これまで母が起こした奇跡を思い起こすと

なんだか母が不死身のように思えてならない。


今日は冬物の衣類を持ち帰ったけれど

夏が過ぎ秋が深まった頃にはまた母に届けてあげようと思っている。









2021年04月27日(火) 一期一会

朝の肌寒さもあと少しだろうか。4月も残り少なくなった。

5月の声を聞くともう初夏と言っても良いのだろう。

「八十八夜」「立夏」と季節が変わろうとしている。



山里の職場に向かう朝の道。

国道から県道の山道に差し掛かった処で

まだ20歳代だと思われる若いお遍路さんに会った。

金剛杖と右手にはごみが入っていると思われるビニール袋。

咄嗟に車を停めて「ごみを預かりましょうか」と声をかける。


コロナ禍の中コンビニのごみ箱が撤去されてからほぼ一年になる。

食料を調達することの多いお遍路さんにはなんと不便な事だろう。

ずっと気になっていたので咄嗟に声が出たのだと思う。

お遍路さんは快く袋を手渡してくれて両手を合わせてくれた。


その手首に水晶玉のような数珠がありはっと胸が熱くなる。

なんとなくだけれど家族が持たせてくれたのではないだろうか。

そう思うと私も一気に母親のような気持になってしまった。


「延光寺さんまでは何時間位かかりますか?」と問われ

車だと一時間程の距離なのだけれど歩くのはとてつもなく遠かった。

峠路を越えるだけでも辛い道のりになることだろう。

「少しでも車で送りましょうか」と伝えると

「大丈夫です。歩けます」と頼もしい笑顔を見せてくれたのだった。


後ろ髪を引かれるようにしながら私は峠道に向かう。

バックミラーに映った青年はしっかりと両手を合わせてくれていた。

ほろりと涙が出そうになる。これも一期一会なのだろうか。



仕事を終えて帰り道。国道に出るまでずっとその姿を探したけれど

その青年お遍路さんの姿はどこにも見つからなかった。

山里でひとやすみしているのかもしれないと思ったり

若者の足だものとっくに延光寺に着いているかもと思ったり

挙句には明日の雨が心配になったりもしたのだった。


どうかどうか無事に結願出来ますように。

祈ることしか出来ない夜になってしまった。






2021年04月26日(月) 未来に向かう

とうとう4月も最後の月曜日。

急いでいるつもりなどないのになんと早いことだろう。

いったい何処に向かおうとしているのか

どうやら私にも未来というものがあるらしい。

ふと胸をよぎる不安を払いのけて前へ進まなければならない。

きっと辿り着く場所がある。そう信じていたいものだ。



仕事を始めて2時間ほど経っていただろうか。

同僚がまた体調不良を訴えとりあえず近くの診療所へ。

発作ではなさそうだったので血圧の異常ではないかと思ったのだ。

どうやら私の思い過ごしだったようで血圧は正常値。

念のためにと心電図も取ったけれどそれも異常なしだった。

「大丈夫ですよ」と医師からお墨付きを頂きほっと安堵する。

すっかり弱気になっていた同僚もキツネにつままれたような顔。


病は気からと言うけれど弱気になり過ぎてはいけないようだ。

だからと言って無理をし過ぎてもいけない。

強気になるとついつい無理をしてしまうものだった。


同僚のお昼休みを2時間にして午後は平常通りに仕事をする。

幸いと言ってよいのか来客もなくとても静かな午後だった。



母の病院から電話があり予定通り明後日の午前中に退院となる。

それが一気に施設へは戻れないらしくしばらくは入院になるらしい。

主治医のJ先生の計らいでそのほうが安心なのだそうだ。

母には詳しく話さない事にする。とにかく「帰ろうね」と。

J先生の顔を見ただけできっとほっとすることだろう。


月末の仕事もありなんだかいっぱいいっぱいの気持ちだった。

けれどもこれも試練だろうと受け止めている自分がいる。


急いでいなくても駆け抜けてしまうかもしれない。

とにかく私には未来があるのだから。





2021年04月25日(日) いのちと向き合う日々

青空に捧げるように洗濯物をいっぱい干す。

嬉しそうな洗濯物を見ているだけで幸せな気持ちになる。

お天気次第で毎朝のことだけれど日曜日は主婦冥利に尽きる気がする。

時間に追われることもなくゆったりとした朝のことだった。




ご近所で不幸がありじいちゃんはお葬式へ。

よくご夫婦で朝夕の散歩をしていたのが昨日の事のように思う。

亡くなられたご主人は川漁師もしていてそれが唯一の楽しみだったよう。

定年退職後の人生をまだまだ謳歌出来たことだろうに残念でならない。


76歳、膵臓がんだったとのこと。病魔には勝てなかったのだ。

70歳が近くなったじいちゃんが「俺もあと少しかな」と呟く。

「そんなことはないよ」と笑い飛ばすのが精一杯のことだった。


明日のことがわからない。だからこそ生き抜く勇気がひつよう。

諦めてしまったらそこでお終いなのだ。なんとしても

ふたり揃って長生きをしよう。金婚式も米寿のお祝いだって待っている。


いのちと向き合うばかりの日々に「これでもか、これでもか」と

拳をぶつけるようにしながら今日も全う出来た気がする。


ありがとうございました。それはもう感謝しかない。



2021年04月24日(土) お母さん帰ろうね

曇り時々晴れ。ぽかぽかと暖かく春らしい陽気。

午後7時を過ぎてもまだ外は明るく

窓をいっぱいに開けて夕風に吹かれている。



今日は小学校の参観日だったので孫たちも通常通り。

めいちゃんも元気に登校しほっと胸を撫で下ろした朝だった。

初めての参観日できっと楽しみにしていたのだろう。


私は山里の職場へ。川仕事は全く目処が立たずどうしようもなく

とにかく働かなければとそればかり考えていた。

する仕事のあるのはほんとうにありがたいことだと思う。



仕事を終えて一週間ぶりに母に会いに行く。

なんと今日も「運のいい日」となり愉快なこと。

今日は自力で歩いてトイレまで行けたのでちょっと感動する。

入院が予定より長引いてしまったので寝たきりになるのではと

心配していたのだった。大丈夫、母はちゃんと歩ける。


退院は来週の水曜日に決まった。もう少しの辛抱。

母にそのことを伝えると「今度は何処に行くの?」と怪訝な顔をする。

「施設」と決して口にしてはいけないと肝に銘じており

「J先生のところよ」と言うとほっとしたように微笑んでくれた。

J先生の事が大好きなのだ。三山ひろしと同じくらい好きらしい。


また母を受け入れてくれること。ほんとうに感謝しかない。

出来ることならば最後の最後までと願わずにいられなかった。


退院の日には母にお気に入りの服を着させてあげたい。

それから少し寄り道をして美容院へも連れて行ってあげたい。



2021年04月23日(金) きっとだいじょうぶよ

気温はさほど高くならず風もあり過ごしやすい一日。

紫陽花に似ているのは大でまりの花だろうか。

朝の峠道を越え一番最初の民家の庭先に咲いていた。

小でまりの花よりもふたまわりほど大きくて

純白ではなく少しクリーム色に近い色だった。

すぐ近くに柿の木があってその背景には田んぼが広がる。

植えられたばかりの稲が風にちろちろと揺れていた。


そんなのどかな風景に心を和ませながら山里での一日が始まる。





今朝は寝起きのめいちゃんがシャワーを浴びていた。

昨夜はとうとう起きられず朝まで眠ってしまっていたよう。

宿題も少し残っていたようで可哀想だけれど仕方のないこと。

朝食もほんの少し。途中から「おなかがいたい」と言い出す。

茶の間の炬燵に潜り込むなりまた眠ってしまったのだった。


集団登校の時間には間に合わずあやちゃんを先に見送る。

娘が後から車で送って行くことにしてぎりぎりまで様子見。

はらはらと心配していたらじいちゃんに叱られてしまった。

私が心配し過ぎるとめいちゃんが弱気になるからだと言う。

「大丈夫?」ではなく「だいじょうぶよ」と言ってあげなくては。


目を覚ましためいちゃんは「もうおなかいたくない」と言って

すぐに準備をして元気に登校して行ったのだった。


心配性も程々にと思う。心配するのは信じていない事に等しい。

そうじゃないかもしれないけれどそうなのかもと思った。


私も以前に「心配だ」と言われてなんとなく不愉快だったことがある。

「心配無用です」とその場を切り抜けたけれど

とても後味が悪かったことをずっと忘れられずにいる。

「ありがとう大丈夫よ」その一言が言えなかったからなのだろう。


ある意味で人様に心配をかけないような生き方をしたいものだ。

「この人は大丈夫ね」と信じてもらえるような人間になりたい。



2021年04月22日(木) 大きな赤ちゃん

今日も夏日となりすっかり初夏の陽気。

全国的な暑さかと思いきや北海道では雪が降ったそうだ。

これも異常気象だろうか。なんだか少し不安になってしまう。


満開だったツツジが少しずつ枯れ始めてしまった。

なかでも純白のツツジは傷を負ったかのように見える。

痛かろう辛かろう。それでも嘆く声など聴こえてはこない。





今夜もじいちゃんと先に夕食を済ます。

少し遅れて娘と孫たちが食べ始めたのだけれど

めいちゃんが大きな「かん虫」を起こして泣き叫んでいた。

次第に大暴れとなりお箸やお茶碗を投げたり

何を言っても聞く耳を持たずとても手に負えないありさま。

挙句には「だっこして、だっこして」と娘にしがみつく。

怒って相手にしようとしなかった娘もそれには負けたよう。


よほど泣き疲れていたのだろう5分もしないうちに眠る。

娘に抱かれてまるで大きな赤ちゃんのようだった。


我が家は嵐の後の静けさ。その静けさにほっと胸を撫で下ろすばかり。


一年生になってまだ2週間しか経っていないのだった。

毎朝早起きをして歩いて学校へ行ってほんとうにえらいと思う。

一気に頑張らなくてもいい。少しずつ出来るようになればと。

泣きたい時はおもいっきり泣けばいい。それだけはゆるしてあげたい。

もう幼児ではないのだと誰が決められようかと思うのだ。


なんとあどけない寝顔なのだろう。愛しくてならない夜のことだった。



2021年04月21日(水) 季節はずれの暑さ

暖かさを通り越して汗ばむほどの陽気となる。

ニュースでは「季節はずれの暑さ」と報じられた。

まだ4月なのだけれどもう初夏と言っても良いのかもしれない。

お風呂上がりの汗が引かず半袖に着替えてこれを記している。

冷たい焼酎が美味しい。きっとすぐにほろ酔ってしまうだろう。



今日は同僚が通院のためまたまた開店休業の職場だった。

午前中に急ぎの事務仕事を終え午後は早めに帰宅する。

同僚から電話があり検査結果に特に異常が無かったとのこと。

あれ以来ずっとはらはらしていたのでとてもほっとした。


母の病院からも電話があり来週には退院出来そうとのこと。

施設側とも連携をしてくれてやっと今後の目処が立つ。

もう思い悩むこともないのだと思うと肩の荷が下りた気がする。

なんとしても母の居場所をと願う。一日も早く落ち着かせてあげたい。



帰宅したら下校時間の早かった孫たちが家に居て

あやちゃんは初めて自転車でピアノ教室に行く。

めいちゃんはじいちゃんの膝にちょこんと座って宿題をしていた。

久しぶりにじいちゃんっ子のめいちゃんを見て微笑ましいこと。

まあちゃんが呼びに来ても「しゅくだいしてからね」と言って。


ピアノ教室から帰って来たあやちゃんと「花子とアン」を見る。

最後の「ごきげんようさようなら」が気に入っているようだ。

私は「こぴっと」と言う山梨の方言がなんとなく好き。



2021年04月20日(火) 陽春のみぎり

二十四節気の「穀雨」穀物を潤す雨の降る頃。

しばらくは春らしい晴天が続きそうだけれど

恵みの雨を待っている穀物があることを忘れてはならない。


朝の肌寒さもつかの間。日中は夏日に近くなりとても暖かくなる。

柿の若葉がとても鮮やかできらきらと輝いていた。

花々はもちろんのことだけれど若葉の緑も心癒されるものだ。



「陽春のみぎり」そんな使い慣れない言葉で手紙を書き

ポストに投函してから今日で9日目になった。

目上の方なので失礼があってはいけないと心してのこと。

最初はすぐにお返事を頂けると信じていたけれど

さすがに日にちが経つと自分の愚かさにやっと気づく。

それでも悔やむことはしない。出すべき手紙だったのだと思う。

読んで頂けただけるだけでとてもありがたいことだった。





今日は小学校の家庭訪問がありそれぞれの先生が我が家へ。

私も早めに帰宅していたけれどご挨拶はせず

奥の部屋に隠れるようにして声だけを聞いていた。

じいちゃんも追い出されて何処かに出掛けていたよう。

娘が同居を隠したい気持ちもわからないでもなく

出しゃばって嫌な思いをさせるのだけは避けたかった。


ずいぶんと日が長くなり外遊びに行っためいちゃんが帰らず

迎えに行った娘も帰って来ずじいちゃんと二人で夕食を済ます。

ここ数日そんな日が続いていてなんとなくそれも良いかなと思う。

不思議と寂しさを感じない。家族4人にしてあげたいような。


今はお風呂上がりのはしゃぎ声が聴こえていて

ほっこりと微笑ましく思いながらこれを記し終えようとしている。


今日も平穏無事で佳き日でした。ありがとうございます。



2021年04月19日(月) ちーちーぱっぱ

ひんやりと肌寒い朝。ちゃんちゃんこを羽織り暖房をつける。

もう晩春なのだろうけれどまるで春先のようでもあった。


こころのなかにも冬と春がいて互いの息づかいを感じる。

どちらを選ぶこともせず息を「生き」として受け止めるばかり。



7時15分。「いってきます」と元気に孫たちが登校する。

毎朝窓を開けて見送るのがすっかり日課になった。

お隣のブロック塀の陰からふたりが手を振ってくれるのだ。

あやちゃんの顔は見えるけれどめいちゃんは小さくて見えない。

それでも小さな手のひらに愛しさが込み上げて来る朝のこと。





お客さんが筍と干し椎茸をたくさん届けてくれた午後。

筍はちゃんと灰汁抜きをしてくれていてとても助かる。

干し椎茸は袋にいっぱいあって同僚とはんぶんこする。

山里ならではの恵み。ほんとうにありがたいことだった。


お客さんはとても話好きで「ちーちーぱっぱ」と言うあだ名。

みんなから「ちーちゃん」と呼ばれているのでそれもうなずける。

話はけっこう興味深く面白いのだけれどとにかく長いのだった。


今日もすっかり長くなり帰宅時間に帰れなくなった私を

同僚が助け船を出してくれた。「もう集金に行かないと」と言って

私は忘れていたふりをして急いで席を立ったのだった。

「ちーちゃんごめんね。また話そうね」とやっと言える。

それから急いでタイムカードを押し家路についたのだった。


けれども私はなんとなくちーちゃんのことが好きだった。

仕事が暇で時間さえ気にならなければいつまでも話していたい。

ちーちゃんは決して愚痴を言わない。他人の悪口も言わないのだ。

根っからの楽天家なのだろうと思う。陽気でとても明るい人だった。

そうして私の話しも「うんうん」と頷きながらよく聞いてくれる。


もしかしたら私も話し相手がほしいのかもしれない。

自分ではよくわからないけれどなんとなくそんな気がしている。

だとしたら私も「ちーちーぱっぱ」なのだろう。



2021年04月18日(日) 般若心経

まるで冬の名残りのような西風が吹き荒れる。

土手にはあざみの花が咲き川辺には野ばらが咲き乱れ

こんなにも確かな春なのにと思わずにいられなかった。



朝のうちにあやちゃんと一緒にお大師堂へ。

まだ朝ご飯を食べていたのに「待って」と言ってくれる。

二人きりでお参りに行くなんて何年ぶりだろうか。

幼い頃のことを話しながらまるでタイムスリップしたようだった。


二人して般若心経を唱える。あやちゃんは出鱈目ではなかった。

私の後を追うようにそれはたどたどしいけれど最後まで唱える。

信仰心などと大それたことではないのだけれど

子供の頃からお経に親しむのはとても良いことに思えたのだった。


お供えのおせんべいをふたつ頂く。ひとつはめいちゃんにと。

優しいお姉ちゃんに育ってくれたことが嬉しくてならない。




10時には川仕事へ。海苔の生育は最悪と言って良いほど芳しくなく

漁場に行ってみないと収穫できるかどうかわからなかった。

準備はして行ったものの海苔の様子を見るなり「これは駄目だ」と。

例年なら最後の追い込みに励んでいる頃で残念でならない。

けれども二人とも嘆くことはしなかった。あえて笑い合うほど。

無いものは仕方ない。どんなに嘆いても何も変わらないのだ。


今年の収穫量は昨年の3分の1にも満たない。

過去の最盛期に比べても10分の1程に落ち込んでいる。

これでは家計を支える収入も絶たれることになってしまう。

それでもなんとしても乗り越えて行かなければいけない。


きっと試されているのだろう。それならば試して頂こう。

そんな強気がまだ私に残されているのがまるで奇跡のようだった。








2021年04月17日(土) 運の良い日

西の空がほんのりと茜色。ずいぶんと日が長くなったこと。

朝からずっと雨だったのが午後4時頃やっと降りやむ。

明日は若葉が目に沁みることだろう。山もきっと笑うことだろう。

私も陽射しを浴びてすくっと前を向いていられるとおもう。



今週の仕事を順調に終えてやっと母の病院へ行くことが出来た。

母はおどけた顔をして「まあどちら様でしょう?」と言う。

忙しくて来られなかったことを詫びるとすぐに頷いてくれた。


面会時間が15分と限られているためゆっくりとはいかないところ

母がぷぷっとおならをして「うんこが出そう」と言い出す。

ベット脇のポータブルトイレに座らそうとしたけれど

随分と足腰が弱っており私の介助ではうまくいかない。

仕方なくナースコールをして看護師さんのお世話になった。

それが思うように出てくれなくてしばらく唸り続ける。

母の腰をさすりながら「もう少しよがんばれ」と声をかけていた。


良かった。やっと出た。よしよし運がついてきたねと笑い合う。

なんとか私の介助でベットに戻れたもののオムツが出来なくて

また看護師さんのお世話になった。忙しいのになんとも申し訳ない。

それから2分もしないうちに「また出そうになった」と言う。

これだけは止めるわけにもいかずまた同じことを繰り返すばかり。

2回目はどっさりと出る。「くさいくさい」と笑う母。

それから「そうれそれそれお祭りだ」と歌い始めたのだった。

それには看護師さんも笑い転げて私も思わず吹き出してしまう。


そんなこんなで制限時間はとっくに過ぎてしまっていた。

帰り際に退院が近いこと「迎えに来るね」「帰ろうね」と告げる。

何処に帰るのかと母は訊かなかった。それがとても救われたのだった。


今日はとても「運の良い日ね」そうそう「運がつきまくりよ」

母とのやりとりがとても楽しくてならなかったけれど

病室を出てエレベーターに乗ったらなんだか涙が出そうになった。



2021年04月16日(金) もったいない

午後から雨が降ったりやんだり。春らしい暖かな雨だった。

「穀雨」も近くなりどうか恵みの雨であってほしいものだ。


満開のつつじが雨に打たれていた。なんとも健気な姿。

桜のように散れない花は身をしぼませながらやがて枯れる。

椿のように落ちることも出来ず精一杯に今を生きているのだった。





今週は一度も母を見舞えず金曜日になってしまった。

退院が近くなったことを知らせてあげたいけれど

まだその先の見通しが立たず何と言ってあげれば良いのか。

せめて顔を見るだけでも。明日は面会に行ってみようと思っている。


今日は自分の通院。先月からお薬が変わったので診察があった。

幸い午後は空いていて少しの待ち時間で名前を呼ばれる。

血圧が一向に下がらない事を伝えたのだけれど

医師が測ると正常値でびっくりとおどろく。

思わず「そんなはずはない」と声をあげていた。

家の血圧計が古すぎて誤作動をしている可能性もあるとのこと。

5年が限度なのだそう。我が家のはかれこれ20年にもなる。

とにかく「もったいない」が先に立つ。新しいのを買うべきだろうか。


それからなるべく塩分を控えるようにとも言われた。

お味噌汁が一番いけないのだそう。それにはいささかがっくりする。

お味噌は身体に良いとばかり思っていたので戸惑うばかり。

毎朝欠かせないお味噌汁をどうして敵だと思えようか。


今夜も高い血圧。神経質なものだから三回も測ったけれど変わらず。

仕方なく古い血圧計のせいにしてのほほんとこれを記している。


程よく酔いもまわってきた。今夜も一曲聴いて眠ることにしよう。

ぐっすりと眠ってまた明日もきっと元気な私でいましょう。



2021年04月15日(木) 一喜一憂しながら

風もなく穏やかな晴天。真っ青な空を飛び交うつばめ。

春の陽射しをいっぱいに浴びて景色はきらきらと輝く。



同僚がやっと復活してくれて職場に活気が戻る。

あらためてその存在に感謝せずにはいられなかった。

かといってまだ無理は禁物。労わる気持ちを忘れてはいけない。



母の病院から電話があり退院の許可が下りたとのこと。

けれどもすぐに施設に戻ることは困難なのだそうだ。

明日にでもと勝手に思い込んでいたので少し困惑する。

母には帰る家がないのだ。どうかどうか母を受け入れて欲しい。

ケアマネさんに訊いたら早くて来週、再来週になるかもしれないと。

母が憐れでならない。私の気持ちまでも路頭に迷うのだった。

とにかく焦らずにいてその時を待つしかないようだ。



帰宅途中のスーパー内の美容院で鬱陶しかった髪を切る。

チェーン店なので春の異動があったのか初めての美容師さんだった。

穏やかに話しかけてくれてなんとも心が和む。

そうして髪もさっぱりすればすっかり気分一新となる。

「きっかけ」は待つのではなく自分で作っていくものなのだろう。

変わらなければ変えればいい。何事も自分次第なのだ。



午後4時半、「ただいまあ」と元気に孫たちが帰って来る。

ふたりともすぐに宿題をして感心なこと。

あやちゃんのプリントを見てびっくりした。

もうこんな難しい漢字を習っているのかと。

まだ算数もあるよと。3年生になって宿題が一気に増えたようだ。


めいちゃんはプリントをコピーしてまあちゃんと一緒にしていた。

まあちゃんはまだ幼稚園だけれどもう英語を習っているそう。

一年生の宿題なのにすらすら。めいちゃんも負けてはいられない。


ここ数日夕方になると機嫌が悪く泣いてばかりいためいちゃんが

今日はとても機嫌が良く晩ご飯もちゃんと食べてくれて嬉しかった。


みんなみんな頑張っているのだと思う。

私も一喜一憂しながらも日々の事を精一杯に頑張りたいと思った。




2021年04月14日(水) やってみたら出来た

雨あがりの晴天。気温はあまり上がらず風の強い一日。

早いもので4月も中旬になりあらあらという間。

2月は逃げ3月は去り4月はなんと表現すれば良いのか。

日々は駆け足で流れていくばかりだった。

大切なことを疎かにしてはいないかと心に問いかける。



早朝に同僚から電話がありまた発作が起きたとのこと。

とにかく安静にと今日も自宅待機をしてもらうことに。

二日続けての開店休業はとても痛手だけれど仕方ないこと。

頼みの義父も農業の方が忙しく無理を言えない事情があった。


そんな日に限って来客が多く対応に追われる。

訳を話し丁重にお詫びすると「また明日来るけん」と言ってくれて

どんなに救われたことだろう。お客様には本当に感謝しかない。


一人だけ私が見よう見真似でバックミラーを交換した。

お客様が「なかなかやるじゃんか」と褒めてくれて嬉しい。

「出来ることを」といつも思う。ちゃんと出来て本当に良かった。


明日は同僚の体調がどうか落ち着きますように。

今夜はひたすら祈りながら眠ることにしよう。






2021年04月13日(火) あしたはきっと青空

雨の一日。夕方になりやっと降りやむ。

この雨で遅咲きのぼたん桜も散ってしまって

とうとう桜の季節も終わりを告げる。

そうして新緑の季節がもう始まっているようだ。

雨に潤う柿の葉のなんと艶やかなことだろう。



今日は職場で大変なことがあった。

同僚が体調不良を訴え倒れるほどではなかったけれど

念のために掛かりつけの病院に行かせたところ

そこからそのまま県立病院へ救急搬送されたのだった。


高齢のお母さんと二人暮らし。近くに頼れる身内もなく

もう仕事どころではなくなり私が病院へ駆けつけて行った。


不整脈の発作だったようで幸い命に別状はなかったけれど

そのまま無理をさせていたら取り返しのつかない事になっていた。

同僚だけが頼りの職場。それが重荷になっていたのかもしれない。

今更ながら日頃の苦労をねぎらうきっかけにもなった。


応急処置で発作は治まり入院もせずに済み何よりだった。

「今日は休業にしようね」と自宅で安静にするように伝える。


勤続40年が近い。同僚も60歳が近くなっていた。

私が勤め始めた頃はまだ20代の若者だったのだ。

不況の波に煽られながら去って行った同僚も多いのに

彼は最後まで辞めずにいてくれてとうとう私と二人きりになった。


母の事実上の引退。社長の義父も80歳が近くなった。

難破船のような会社は今も波に揉まれながらも海を漂っている。

何処かの島に辿り着くのだろうか。それさえも定かではない。


もしもこの先、最後の日を迎える日が来ても

私は彼と一緒に見届けたいと心からそう思うのだった。


明日はあしたの風が吹く。きっと青空に違いない。





2021年04月12日(月) 笑顔を映す鏡のように

恵みの雨と言って良いのか時おり激しく雨が降る。

植えられたばかりの稲が倒れ水没しているのを見た。

いや大丈夫だろう。しっかりと根を張っているはず。


朝の山道では久しぶりにお遍路さんの姿。

とても背の高い人だったのでもしやと思ったら

やはり外国人のお遍路さんだった。

雨にも負けずしっかりとした足取りでとても頼もしい。

「雨になりましたね。気をつけて下さいね」

その一言が伝えられずなんとももどかしく思った。

言葉が伝わらなくても笑顔は伝わったことだろう。

せめて車を停めて会釈をすれば良かったのだ。





今朝は小雨のなか登校する孫たちを見送っていたら

あやちゃんが振り向いて「おばあちゃん楽になったね」と言ってくれる。

毎朝めいちゃんを保育園に送って行っていたからだろう。

あやちゃんの優しさが伝わって来てほろりと涙が出そうだった。

「めいをたのむよ」と言ったら「うん、わかった」とおっけいポーズ。


確かに楽になった。でもなんだか物足らないような寂しさ。

それも日にち薬ですぐに慣れてくることだろう。


めいちゃんは今日からあやちゃんと一緒に下校。

なんだか気になって仕方なくそわそわと早めに帰宅する。

ふたり揃っての元気な「ただいまあ」の声にとてもほっとしていた。


笑顔には笑顔がきっと返って来る。つくづくとそう思った一日。


佳き一日でした。ありがとうございます。



2021年04月11日(日) だっふんだ

爽やかな晴天。風薫る5月には少し早いけれど心地よい風。

「山が笑う」という季節の言葉もあるけれど

椎の木の花だろうかそれはたくさん咲いていてほんとうに

山が笑っているように見えるのだった。山もきっと嬉しいのだろう。



今日も川仕事に行っていたけれどとうとう限界を感じる。

成育の芳しくない短い海苔をやっとの思いで収穫する。

この先の見通しも暗くあとは自然の成り行きに任せるしかない。

「なるようにしかならない」嘆くことだけはしないでいよう。





昨日から気分の浮き沈みが激しく今日も欝々としていたら

あやちゃんが志村けんの「だっふんだ」の顔をして笑わせてくれた。

そのくせ夕飯時にはまた「おばあちゃんだいきらい」と言う。


あやちゃんの大好きなお友達から「だいきらい」と言われたら

どんな気持ちになるのか考えてみなさいと言って抗戦したのだった。

そうしたら夕食に手を付けず二階に上がりしばらく下りてこない。


めいちゃんは「おじいちゃんといっしょにたべるのはいや」と言う。

たかが子供の気まぐれだとしてもおじいちゃんだって傷つく。

「はいはいわかりましたよ」と笑って席を立ったのだけれど。


しばらくして家族4人の楽しそうな声が聴こえて来てほっとする。

あやちゃんもめいちゃんも「おいしいねえ」と言ってくれていた。


昨夜じいちゃんと語り合ったこともあり

私が暗い顔をしていたせいでもあるのだろう。

子供たちは敏感にそれを感じ取っていたのではないかと思った。


何かが変わったのではない。きっと何も変わってなどいない。

明日の朝は笑顔で「おはよう」と言おう。



2021年04月10日(土) オーマイガット

朝の肌寒さは続いているけれど日中は春の陽気となる。


早朝から川仕事に行っていたけれど収穫はほんのわずか。

嘆こうと思えばいくらでも嘆けるのだけれど

とにかく精一杯にと手を動かしていた。


船着き場の対岸にそれは見事な藤の花を見る。

それは水面ぎりぎりのところまで枝垂れ咲き

まるで水鏡に姿を映すのを楽しんでいるようだった。


誇らしく思うこともなくてはならない。きっと私だって。






今朝からあやちゃんが口を聞いてくれずいささかショックなり。

原因は昨夜私が無理やり髪を乾かそうとしたことらしい。

そのせいで食べようとしていたアイスがとけてしまったのだそうだ。

アイスを食べ終わってから髪を乾かしてあげれば良かった。

それほどまでに気を損ねていたことを今朝まで知らずにいて

「ごめんね」と謝ったけれど「おばあちゃんはだいきらい」と言う。


いつもならそのうち忘れてくれるだろうと思うのだけれど

今日はどうしてか悲しくてならずすっかり落ち込んでしまった。

ふと自分は死んでしまったほうが良いのかもしれない思う。

悲観し始めたらきりがない。とことん落ちるところまで落ちる。


それが顔に出てしまっていたのだろう。夕方になりやっと

あやちゃんが話しかけてくれた。今夜はスシローに行くとのこと。

「おばあちゃんたちも外食したら良いのに」と言ってくれる。

私はすぐに笑顔にはなれなかった。「お金ないけん」と応える。

そうしたらあやちゃんが「オーマイガット」と言って笑った。


じいちゃんと二人きりの寂しい食卓をかこみながら

やっぱり家族ではないのかもしれないねとしみじみと語り合う。

もしもこの先娘たち一家が出て行くと言えば引き止めまいと。

考えれば考えるほど寂しい事だけれど仕方ないねと結論に達する。


あとどれくらいなのかわからないけれど

「おばあちゃんだいすき」と言ってもらえるような自分でありたい。



2021年04月09日(金) 筍とイタドリ

強い寒気が南下とのこと北国では雪が降っていたようだ。

やっと春めいてきて桜も咲き始めていたことだろう。

日本は小さな島国だけれど北と南とではずいぶんと差がある。


幸いなことに南国土佐は陽射しに恵まれた一日だった。

こでまりの花。山吹の花。春爛漫にこころを和ませる。


義父は今日も田植え。昨夜から体調が悪いのを無理して出掛ける。

もう80歳が近いのにそのパワフルさには頭が下がる思いだった。

無理をさせたくはないのに無理をする。何が義父を動かしているのか。





めいちゃん少しずつ慣れては来ているようだけれど

夕方になるとどっと疲れが出るのかすこぶる機嫌が悪い。

かん虫も起こったようで泣きじゃくり大暴れする。


娘が宥めながら抱っこしてやっと夕食を食べ終わった。

それが昨夜の残り物の胡瓜と若芽の酢の物をぺろり。

もう捨てようと思っていただけに思いがけず嬉しかった。


筍の煮物。イタドリの炒め物。食卓には旬の物が並ぶ。

あやちゃんに海老の天ぷらを揚げたので筍も少し天ぷらにした。

筍もイタドリも頂き物でほんとうにありがたいこと。


子供の頃には母とよく山菜取りに出掛けたことを懐かしく思い出す。

生のイタドリは少し塩をつけて食べるのが「おやつ」でもあった。

母もきっと憶えているだろう。懐かしい味を食べさせてあげたい。


昨日の面会ではまだ退院の話は一切聞くことが出来なかった。

医師からの説明もその後まったく無くなんとももどかしい。

せめて経過を知ることが出来れば少しでも安心出来るのにと思う。


月曜日にはまた母に会える。そうだ、筍とイタドリの話をしよう。



※注記:イタドリは全国的には食べられていない山菜かもしれません。

    以前に「ケンミンショー」でも紹介されましたが

    高知では春を代表する美味しい山菜です。



2021年04月08日(木) ダンスだんすダンス

朝と日中の寒暖差はあるけれど季節は確かな春。

山里ではもう田植えが始まり植えられたばかりの小さな稲が

まるで歯を食いしばるようにしながらきりりと立っている。

風が吹くと水に埋もれそうになるほどか細い緑が目に沁みる。

決して弱いのではない。つよく逞しく根を張っているのだった。






めいちゃん今日から重いランドセルを背負って登校。

7時15分には家を出なくてはいけなくて

間に合うだろうかとはらはらと心配でならなかった。

それでも6時にはちゃんと起きてあやちゃんと一緒に朝ごはん。

準備もばっちりで「いってきます」と元気に出掛けて行った。


これからの日々が試練にもなるのだろう。

一日も早く慣れて楽しい学校生活を送って欲しいと願ってやまない。


あやちゃんの時はこれほどに心配をしただろうかと思い起こす。

姉と妹。やはり泣き虫のめいちゃんのことが気になってしょうがない。

私も早く慣れなくてはいけない。心配も程々にしなければと思う。



今夜はあやちゃんがダンス教室の初体験に行くので一騒動あった。

めいちゃんも一緒に行きたがって大泣きになり暴れまわる。

ふとめいちゃんも体験させてあげられないものかと思ったけれど

予約制だそうでめいちゃんは諦めなければいけないのだそう。


娘は夕飯も食べる暇もなくとても苛立っているようだった。

仕方なくめいちゃんは見学となり一緒に出掛けて行く。


「めいちゃんにもダンスを習わせてあげたら」その一言が言えない。

不憫だ可哀想だ。それは我が家の禁句でもあった。


いずれは娘たちの決めること。私はそっと見守っていようと思う。



2021年04月07日(水) 家族だからこそ

朝の肌寒さはつかの間のこと日中はぽかぽか日和になる。

つつじ。藤の花。あやめ。遅咲きの桜はぼたん桜だろうか。

花たちはバトンタッチをするように次々と咲いてくれる。

春爛漫のなんとありがたいことだろう。心にもほっこりと花が咲く。





今日から新学期。そうしてめいちゃんの入学式だった。

まるで自分のことのようにそわそわと落ち着かない朝。

「おばあちゃんは早く仕事に行けば」と娘に言われて

なんだか後ろ髪を引かれるようにして家を出る。

さすがにもう一緒に学校へ行くわけにはいかない

それが少し寂しくもありせつなくもあった。


そうして少しずつ離れていく。それが子供の成長なのだろう。


仕事を終えて帰宅するなりあれこれと話しかけていた。

担任の先生の名前を教えてもらったりランドセルの中を見せてもらったり

そこには明日持って行く「家庭調査票」も入っていて

娘が記入したのだろう家族構成の欄に祖父母の名前が無かったのだ。


娘に問い詰める訳にもいかずぐっと我慢するしかない。

仕方ない事なのだけれどいささかショックでもあった。

「家族ではない」と言われればそれまで。受けとめるしかない。


以前にあやちゃんが「私の家族」という作文を書いていて

その時にも私たち祖父母の事は一切記されていなかった。

「どうして?」と訊いたら「はずかしいけん」と答えたのだった。

祖父母との同居が子供心に負い目を感じさせていたことを知る。


家族ってなんだろう。どうすれば本物の家族になれるのだろう。

悲観しようと思えばいくらでも悲観できるけれど

私はそれだけはしたくないと思うのだった。


私たち夫婦にとって娘一家はかけがえのない大切な家族だった。

その愛しさはどんな言葉でも言い表せないとても尊いこと。





2021年04月06日(火) きっと叶えてあげたい

今朝はずいぶんと肌寒く感じる。

それが平年並みの気温だと知りおどろいたことだった。

もうすっかり春だと暖かさに慣れていたのだろう。

日中もあまり気温が上がらず時おり霧のような雨が降る。



昨夜は遅くまで義父が病院にいてくれてとても助かった。

そうして母の不整脈の原因が持病の心臓発作ではなかったことを知る。

県立病院へ行くのを躊躇っていたら本当に手遅れになるところだった。

「胆管炎」だそうで胆管に結石が詰まって心臓に負担をかけていたらしい。

その石さえ取り除けば命に関わるような病気ではないのだと言う。

父もおどろいていたけれど私もキツネにつままれたような気分だった。

すぐに治療を始めて一週間ほどで退院できるのだそう。


おかげで昨日の切羽詰まった緊迫感もすぐに薄れていった。

母の死を覚悟までしていたことがまるで嘘のように思える。


その上に15分だけの面会を許され母に会うことも叶った。

母は自分が何処に居るのかすっかり分からなくなっていて

「まあ遠いところを来てくれたの」ととても喜んでくれた。

「仕事の帰りよ」と言うとやっと理解したようだった。


コロナ禍の事でまさか面会が叶うとは思ってもいなかった。

コロナ患者も受け入れている病院なのに面会禁止ではないのだそう。


母が少しでも安心するように「すぐに帰れるよ」と伝える。

母はとてもほっとしたように微笑みを返してくれた。



病院の外に出ると真っ白いツツジがとてもきれいに咲いていて

母に見せてあげたいなと思った。きっときっとそれを叶えてあげたい。






2021年04月05日(月) 勝って来るぞと勇ましく

雨あがりの晴天。北西の風がとても爽やかに感じる。


今朝は母から電話があり「もう大丈夫よ」の声にほっと安堵した。

それをすっかり信じ込んでいただけに

お昼前の病院からの電話はまるで寝耳に水のようであった。


午前中にいくつかの検査をして詳しい病状の説明があるとのこと

今は病院内の療養施設に居るけれど病棟へ移らなければいけないと言う。

大切な話なので義父に相談したらどうしても行けそうにないと。

「私に任せてもいいの?」と訊けば「おう!」と応えるばかり。

とにかく主治医との約束の時間に遅れないよう駆けつけていた。


検査の結果を聞いて耳を疑う。心不全の数値も腎臓機能までも

大幅に数値が高く重篤状態だと言うのだった。

このまま病棟へ入院しても手の施しようがないと言われ愕然とする。

医師は県立病院への転院を勧めてくれたけれどとても迷ってしまう。

大きな病院へ入院しても快復するとは限らないのだそうだ。

いちかばちかのまるで賭けのようなこと。どうすれば良いのか。


そんな大切なことをどうして私の一存で決められるだろう。

医師からも義父に相談するように言われその返事を早急にと言われる。


義父は迷うこともなく県立病院への転院を希望した。

一縷の望みをかけてみようと。このまま何もせずに最期を待つのかと。

きっと後から悔やまれるに違いないと言うのだった。

そんな義父の言葉を聞き私もやっと心を決めることが出来た。


母は涙を流していた。その涙を指先でなぞりながら

「おとうさんの言う通りにしようね」と言うと微かに頷いていた。


慣れ親しんだ施設を後にする母の辛さが痛いほどに伝わって来る。

職員さん達が歌をうたって見送ってくれた。

「勝って来るぞと勇ましく誓って国を出たからにゃ」

そうそうきっと元気になって帰って来なくてはいけない。


救急車の若い隊員さんに「わたしは死ぬのかね?」と母が問う。

隊員さんはにこっと微笑んで「ちょっと検査に行こうね」と言ってくれた。


ちょうど西日が当たり始めた路地を「右に曲がります」と言って

救急車が遠ざかって行くのが涙でかすんで見えなくなった。












2021年04月04日(日) いのちがきらきらと輝く日

春の雨はこんなにも優しかったのか。

二十四節気の「清明」万物の命が清らかに輝く頃だと言う。

人にはもちろんのこと道端の雑草にも尊い命が宿っている。



夜明け前けたたましく電話が鳴り

母の容態が急変した知らせが舞い込む。

とにかくすぐに来て欲しいと。大急ぎで駆けつけていた。


母は胸の痛みを訴えながらのたうちまわっていた。

手を握ってもそれを振り払うほどの痛みだったようだ。

主治医の先生が尽くせる限りの処置をしてくれたけれど

血圧がどんどん下がり足も手も冷たくなるばかり。


隣町の救急病院へ搬送する準備をしていたけれど

もう間に合わないかもしれないと言うので大きな覚悟をする。

途中で息を引き取るよりも信頼している主治医に看取って欲しい。

母もきっとそう願っているに違いないと思ったのだった。


母はそれから一時間ほど生死の境を彷徨っていたけれど

胸の痛みが次第に薄れ声をかければ目を開け反応するようになった。

ほんとうにそれは奇跡のような生還としか言いようがない。


それからしばらくするともう何事もなかったかのように

駆けつけていた私たちに労いの言葉をかけるようになる。

それがなんと愉快なことに「もうみんな解散!」と言うのだった。

「みんなお腹が空いたでしょ。朝ごはん食べてね」とも言う。


まさか笑顔で病室を去ることになろうとは思ってもいなかった。

一歩間違えれば母の命日になっていたことだろう。


今更ながら母の生命力の強さに感動さえ覚える一日となった。

母は強し。母は負けない。今日はいのちがきらきらと輝く日。




2021年04月03日(土) 今日を歩きましたか?

早朝ぽつぽつと雨が降っていたけれどすぐにやむ。

ちょうど「四万十川ウォーク」が開催される日で

土手の道をけっこう沢山の人が歩いていた。

皆さんとても楽しそうに歩いていてなんとも微笑ましい。


お大師堂の前の小道もコースになっていて

「おはようございます」と朝の挨拶を交わしたことだった。

お参りを済ませてから竹箒で掃き掃除をする。

まるで秋ではないかと思うほど枯れ葉が沢山落ちていた。

ふと枯葉を踏みしめながら歩くのも良いのかもしれないと

思ったのだけれどやはりきれいな道を歩かせてあげたかったのだ。


「歩く」以前のように散歩をすることも殆どなくなってしまって

日に日に弱るばかりの足腰と向かい合うばかりの日々が続いている。

歩きたい気持ちはあるのに歩こうとしない怠け者としか言いようがない。

それでも日々「一歩一歩」と思いながら生きているのだった。

今日が終わればまた明日。それが一歩でなくてなんだろう。


川仕事の手を動かしながらも歩んでいるのだと思いたい。

日々を積み重ねることで前へ前へと進んでいるのにちがいない。

たとえ同じ場所に佇んでいてもしっかりと前を向ける自分でありたい。


山があれば登る。谷に落ちたら這い上がる。

それほどに私は強くはないけれど嘆くことだけはしたくなかった。

弱さを認めてこそひとは少しだけ強くなれる気がするのだ。


今日歩きましたか?そう訊かれたら「はい歩きましたよ」と応える。

決して胸を張るのではない。ただ少しだけ前へ進むことが出来た。



2021年04月02日(金) 何があっても「おっけい」

曇り日。南風が強く吹き名残の桜もとうとう散ってしまう。

なんとなく寂しいけれど葉桜もまた風情があるもの。

その色はなんだか桜餅の塩漬けの葉に似ていて

もうずいぶん食べていないなあと懐かしくもあった。


高校時代に学校のすぐ近くに和菓子屋さんがあって

確か一個30円だったと思うのだけれど

帰り道に友達と寄っては買って食べていた記憶がある。

桜餅の甘さよりも塩漬けの葉が好きだった。

だからと言って葉だけ食べても美味しくないのが桜餅なのだ。

あの和菓子屋さんは今もあるのだろうか。

いま無性に桜餅が食べたい。あの和菓子屋さんの桜餅でないと駄目。




今夜はまあちゃんが我が家にお泊りをするのだそうで

孫たちと三人でお風呂に入り夕食も一緒に食べる。

嬉しくてはしゃいでいる孫たちには申し訳ないけれど

私は少し虫の居所が悪く不機嫌な顔をしていた気がする。

全く予定外の事があると精神的に参ってしまう悪い性分。

少しの変化に戸惑ってしまいそれがすぐに顔に出てしまうのだ。


それに真っ先に気づくのはいつも娘であった。

その時はっと気づかれた事を察する。いけないいけないと思い直す。

まさか孫たちには気づかれていないだろうとすごく心配になる。

それなら最初からにこにこしていれば良いものをほんと馬鹿なんだから。


変化のない日常ばかりとは限らない。

何があっても「おっけい」と微笑んでいられる自分でありたい。





2021年04月01日(木) まあこんなもんでしょう

今日は黄砂が見られず。雲が多かったけれど久しぶりの青空だった。

陽射しも燦々と降り注ぎ名残の桜がきらきらときれい。

四月になるのを待ちかねていたかのようにツツジの花も咲き始めていた。


なんとなく気分一新。あたらしい扉を開いたような気持ち。

きっと何処かに向かおうとしているのだろう。

何処なのかはわからない。とにかく一歩踏み出してみようと思う。



職場を休ませてもらって久しぶりの川仕事だった。

今朝は意気込んでいたのか少し武者震いをするほど。

とにかく身体を動かしたくてたまらなかったのだ。


潮待ちをして10時前にやっと船を漕ぎ出す。

漁場に着いて驚いたのは海苔の異変であった。

ずいぶんと弱っていて茶色くなり始めていたけれど

「こんなもんさ」とじいちゃんが言ってくれて

とにかく少しでもとせっせと手を動かすばかり。

どんなに品質が落ちても見捨てるわけにはいかない。

毎年の事だけれど最後の最後までと思う気持ちは変わらなかった。


大潮から中潮、そうして小潮になれば海苔が元気になる。

地球の引力との関係は定かではないけれど不思議なものだなと思う。

海水と川の水が混ざり合う汽水域ならではのことだった。


収穫を終え作業場で天日干しを終えさあ家に帰ろうと

車に乗ったところ右足がつったようになり激痛が走る。

どうやら久しぶりの立ち仕事で足の筋を痛めてしまったよう。

肥満と運動不足でどうしようもなく情けないことであった。


二階の自室に上がるのもやっとのことで

それでもこうして今日の事を書き終えることが出来てほっとしている。


今年で65歳になる、まあこんなもんでしょうと思えば愉快なり。


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