夜明け前にはくっきりと見えていた月が
やがてぼんやりと霞んでは朝が来る。
気がつけばここ数日真っ青な空を見ていなかった。
とうとう弥生も晦日。三月は去るというけれど本当にそう。
けっして駆け足ではないつもりなのだけれど
何かが急いでいる。いったいそれは何なのだろうか。
ふと我が身を何処かに置き忘れてしまったような気がする。
月末の仕事をそれなりに終えて定時で帰路につく。
会社の決算は5月なので年度末という感覚は全くなかった。
それでも農協や郵便局に行くと退職する人や転勤の人がいて
そんな区切りの年度末なのだなと改めて感じるのだった。
すっかり顔なじみの職員さんと別れるのはやはり寂しいものだ。
明日からはもう四月。また新しい出会いもあることだろう。
コロナ禍の大変な世の中だけれど
どうか少しでも新鮮な春であって欲しい。
希望のある春であって欲しいと願わずにいられない。
2021年03月30日(火) |
ポニーテールに桜色のリボン |
晴れてはいたけれど霞がかった空。どうやら黄砂のようだった。
まだ黄砂が知られていなかった昔には「春がすみ」と言ったのか。
まさか中国大陸から砂が飛んで来るなんて思いもしなかっただろう。
「春がすみ」と呼ぶほうが私はなんとなく好きだなとおもう。
風があまりなかったせいか桜吹雪もひとやすみ。
少し散ってしまったけれどまだまだきれいな桜を愛でることが出来た。
散り急がずにいてくれる。それがなんとも健気に思えてならない。
めいちゃん今日こそ最後の保育園。
ポニーテールを桜色のリボンで飾って元気に登園する。
今度こそ最後だと思うと過ぎ去った日々がとても愛しかった。
めいちゃんの記憶は薄れても私は一生忘れることはないだろう。
一年生になる前に長い髪を切ってしまうのだそう。
私が反対してもどうしようもなく娘とめいちゃんが決めたこと。
なんでも小児がん等でかつらを必要としている子供たちに
髪の毛を寄付する制度があるのだそうだ。それは知らなかった。
誰かの役に立つのならと私も頷かずにはいられないこと。
髪は切ってもまたすぐに伸びるからねと娘が言う。
そうして短い髪のめいちゃんを目に浮かべながら微笑んだ夜のこと。
ぐんぐんと気温が高くなりすっかり初夏のような陽気となる。
南風が桜を散らしはらはらとまさに桜吹雪であった。
アスファルトに落ちた花びらがまるで生きているかのように
飛び跳ねている。歌いながら踊っているようにも見える。
儚いけれど不思議とせつなさを感じさせない潔さがあった。
そんなふうに生きてみたい。いや生き抜いてみたいと思う。
今朝は思いがけずにめいちゃんと保育園へ。
卒園しても30日まで預かってくれるのだそう。
「おかまい保育」と言って全園児ではないのだけれど
家庭で保育の出来ない園児を対象の特別な計らいであった。
あやちゃんは春休みでずっとお留守番をしているのだけれど
大人の居ない家に二人きりにしておくのも心配でならない。
せめて二日間だけでもと娘が申し込んでいたのだそうだ。
それも明日までなのでもうこそ最後になってしまう。
あやちゃんはさすがにお姉ちゃんでとてもしっかりとしていて
家族みんなが出掛けた後は家中の鍵をかけているよう。
お昼にじいちゃんが川仕事から帰って来たら家に入れない。
今日も電話をかけてやっと玄関の鍵を開けてもらったそう。
それも家族みんなが揃えば笑い話になっていく。
お姉ちゃんが居てくれたらめいちゃんも大丈夫かなと思うのだ。
そんな日々を積み重ねながら子供は成長していくのだろう。
きっと逞しくなる。そう信じて見守っていきたいと思う。
2021年03月28日(日) |
明日はあしたの風が吹く |
雨のち曇り。春の嵐の予報に反したいした雨ではなかった。
けれども花散らしの雨になってしまったのかもしれない。
散る時は潔く散る。儚いけれどなんと健気な花だろうか。
今日こそは川仕事へと意気込んでいたけれど
雨音を聴きながら「今日は休もう」とじいちゃんが言ってくれる。
おかげで身体には優しい日曜日になったけれど
私の出番がないのがなんとなく物足らなくてならない。
明日からまた一人でこつこつ収穫してくれるとのこと。
無理はしていないと言ってくれてもやはり気遣わずにはいられない。
このまま職場を優先していて良いものかと少し葛藤している。
せめて一日おき位に手伝ってあげたいのだけれど
思うようにはいかないものだ。あちらを立てればこちらが立たず。
暮し向きも決して楽ではなく情けないけれど今はぎりぎりだった。
今何が一番欲しいですか?と訊かれたら迷わず「お金」と答える。
来月の年金支給日までなんとしても食い繋いでいかなければ。
その為にも職場を休めない。今は日給だけが頼りなのだった。
来月になれば海苔の初出荷もあり多少なりとも余裕が出来る。
もう少しの辛抱なのだ。いつまでもどん底ではいられない。
書くまいと思っていたことをとうとう書いてしまったけれど
こころはどんな時も豊かであり続けたいと思っている。
嘆くことでは何も変わらない。いつだって希望を忘れずにいよう。
明日はあしたの風が吹く。きっと心地よい春の風だろう。
そよそよと春風の心地よい晴天。
優しい風に吹かれていると心がとてもやわらかくなる。
何かに立ち向かおうとする強い意志とか
負けるもんかと思う闘争心のようなものとか
今の自分には必要のない事に思えてくるのだった。
肩の力を抜こう。ゆらゆらりと揺れていればいい。
めいちゃんの卒園式。とても心に残る感動のひと時であった。
泣くまいと思っていても目頭が熱くなり涙が頬を伝う。
あんなに小さかっためいちゃんがなんと逞しく成長したことだろう。
「おかあさんいつもしんぱいしてくれてありがとう。
がんばってねっていってくれてありがとう。
これからもがんばるけん、がんばってねっていってね」
泣き虫で甘えん坊のめいちゃん本当に頑張った5年間だった。
出来なかったことが出来るようになって嬉しかったことだろう。
でも決して自慢をする子ではなかった。それがとてもいじらしい。
まわりの人を思いやりきっと優しい子に育ってくれるとおもう。
めいちゃん卒園おめでとう。今日の笑顔はおばあちゃんの宝物です。
2021年03月26日(金) |
いつかきっと「その日」のために |
最高気温がほぼ25℃となりまるで初夏のような陽気だった。
そよそよと吹く風に身を任せるように桜が散り始める。
明後日には雨の予報。花散らしの雨になるのかもしれない。
めいちゃんと保育園へ。とうとう最後の朝になってしまった。
それなのにいつもと変わらない。長い髪を揺らしながら
仔馬のように駆けて行く。そんな後ろ姿を心のアルバムに残したい。
ふと大きくなっても憶えているのかなと思った。
幼い頃の記憶はとても曖昧なもので途切れ途切れになりがち。
私自身も保育園時代の事は殆ど憶えていないのだった。
せめてここにこうして日記として書き残すことで
孫たちが大きくなって読み返してくれる機会があればと願っている。
けれどもネット上にいつまでも在り続けられるのだろうか。
それを思うとなんとも儚い行為に思えて居たたまれなくなる。
それでも「書く」もう19年目の春を迎えたのだ。
明日はめいちゃんの卒園式。
コロナ禍のことで半分は諦めかけていたけれど
幸いなことに卒園児の祖父母も出席を許されたのだった。
一時は卒園式が中止になる可能性もあっただけに
こんなに嬉しいことはなかった。なんだか夢のような気持ちでいる。
明日もおばあちゃんは書きます。
いつか大きくなっためいちゃんが読んでくれる日のために。
雨のち晴れ。午後には暖かな陽射しが降り注ぐ。
雨はまさに「桜雨」いかにも春らしい優しい雨だった。
しっとりと濡れた花びらにはかすかにせつなさが匂う。
胸を熱くするにはいささか歳を取り過ぎてしまったけれど
時おりふっとまだ「おんな」なのだろうかと思う時がある。
今朝はどうしたわけかひどく苛々してしょうがなかった。
めいちゃんの朝の支度が遅く車に乗って20分も待つ。
遅刻しても誰も咎めはしないのに何を急いでいたのだろう。
ついつい「もう限界」と声をあげてしまっていた。
「おばあちゃんちこくするの?」めいちゃんの心配そうな声で
やっと我に返っていた。「だいじょうぶよ」と笑顔で応える。
冷静になってみればめいちゃんと保育園に行けるのも今日と明日。
待ち時間がどうしたというのだろう。大切なひと時ではないのか。
小雨の降る中ふたりで傘を差した。門をくぐっためいちゃんが
一瞬振り向いて手を振ってくれる。私の胸はとても熱くなっていた。
めいちゃん。明日もおばあちゃんと一緒に行こうね。
ゆびきりげんまんしようね。
だいすきなめいちゃんへ。おばあちゃんより。
2021年03月24日(水) |
主なき家にも花は咲く |
朝の気温が札幌よりも低くておどろく。
それだけ北の大地では暖かい朝だったことだろう。
少しずつ雪解けも始まっているようでほっとするばかり。
全国的に春らしくなってこそ本物の春なのではないだろうか。
仕事でお客さんのお宅を訪ねたらなんだか様子が変。
家の前の畑が随分と荒れていて「おや?」と思ったのが最初。
声をかけても応答がなく玄関には鍵が掛かっていた。
茶の間のカーテンが少し開いていたので中を覗いてみたら
カレンダーが一月のままだった。咄嗟に何かあったのだと察する。
最後に車庫を覗いたら車が無かった。とても出掛けているとは思えない。
胸騒ぎが静まらずすぐ近所で畑仕事をしていた人に訊いてみたら
今年に入ってすぐに脳梗塞で倒れ救急搬送されたとのこと。
幸い命に別状はなく今は病院でリハビリに励んでいるらしい。
車はおそらく娘さんが処分したのだろうと教えてくれた。
そしてそのまま施設に入居し家に帰ることはもうないだろうと言う。
高齢で腰が曲がっていたけれど運転はとても上手な人だった。
小柄なので座布団を運転席に二枚重ねていたことを思い出す。
2年前の車検の時も「また次も頼むね」と言ってくれたのだった。
もう会うことも叶わないのか。なんとも寂しい帰り道だった。
畑は荒れていたけれど玄関先には紫のスミレがたくさん咲いていた。
主なき家にも花は咲く。それはまるで命そのもののように逞しく。
「蝶子」という名前の人だった。そうそれは蝶々の蝶子。
きっと春に生まれた人なのに違いないと思ったことだった。
2021年03月23日(火) |
咲けばあとは散るばかり |
もう忘れかけていたような朝の寒さ。
山間部では氷点下のところもあったようだ。
彼岸が明けて「寒の別れ」ではないかと思われる。
季節がまっぷたつに切り裂かれる時の冬の痛みのようなもの。
日中は穏やかに晴れすっかり春の陽気となる。
あちらこちらの桜がとてもきれい。空も桜色に染まる。
ラジオから「咲けばあとは散るばかり」と声が聴こえる。
なんだか哀しい言葉に聴こえたけれど
潔くて儚い桜のそれがうつくしい姿なのだろう。
仕事を終えて帰り道。県道沿いの桜が見事でしばし車を停める。
ゆっくりと歩いてみたい気持ちを抑えてつかの間のお花見だった。
まだ見納めではないだろうと思いつつもなぜかせつなくてならない。
なんだか失うのがこわいのだ。それは愛しければ愛しいほどに。
後ろ髪を引かれるようにまた車を走らせていた。
「晩ごはんは何にしようかな」と考えながらのこと。
少し冷え込んだ朝。日中もあまり気温が上がらず冷たい風が吹く。
これこそが「花冷え」「弥生つめたい風」という歌もあった。
先週の金曜日にはまだぽつぽつだった桜が一気に咲く。
山里の郵便局の桜もほぼ満開になっていた。
わくわくしながら写真を撮るも風が強く思うように撮れず残念だった。
そのうえ周りに人がいるとどうも気が散ってしまっていけない。
スマホならまだしもガラケーなので恥ずかしい気持ちも確かにある。
「それがどうした」とほんの少しの強気も必要なのかもしれない。
けれどたかが写真。されど写真とこだわるのも程々が良さそう。
午後、隣町の宿毛市まで集金。一番のお得意様なので手土産を。
今日は山里産の烏骨鶏(うこっけい)の卵を持参する。
山里の地場産店で売っていた物で私も初めて見る卵だった。
普通の地鶏の卵よりも小さく殻はウズラの卵に似ていた。
卵かけご飯にしたらきっと美味しいだろうなあと思う。
もちろんそんな高級な卵など一度も食べたことはないのだけれど
真っ白な炊き立てのご飯にぽっこりと浮かぶ黄身が目に浮かんだ。
「まあ珍しいものを」ととても喜んでもらえて嬉しかった。
お客様は神様の気持ちを決して忘れてはいけないと肝に銘ずる。
帰り道のラジオから「弥生つめたい風」が流れてきて
ついつい口ずさまずにいられなかった。
ああ今日はなんて「いい日」なのだろうとすごくすごく思う。
昨日から降り続いていた雨がやっとやむ。
午後には少し陽射しもあり暖かさに拍車をかけていた。
お大師堂の桜がぽつぽつと咲き始める。
枝が川面に手を伸ばすようにありやがて水辺を彩ることだろう。
楽しみなことがあるとこころが浮き立つようだった。
昨日整理した衣類を市の資源ごみ回収所へ持って行く。
孫達のサイズダウンした衣類もたくさんあって
娘が普通ごみに出せば良いのにと言ったのだけれど
焼却炉に放り込まれるのかと思うとなんとも嘆かわしいのだった。
以前は隣町のリサイクルショップで引き取ってもらっていた。
状態の良い子供服はまた何処かの子供が着てくれるのが嬉しくて
懐かしさも思い出も引き継がれるようなロマンがあったのだ。
今回はそれを諦めてしまったけれど資源になるのならと思う。
いったい何に再生されるのだろう。生まれ変わった姿を見てみたい。
昔は知り合いやご近所さんから頂いたお下がりの服ばかりで
息子や娘に新品の洋服を着せてあげることが出来なかった。
暮し向きも楽ではなく今のように格安の子供服を売る店もない時代。
ふたりの子供たちはそれを少しも嫌がらず喜んで着てくれたのだ。
ミシンで手作りの服もよく縫った。スモックやパジャマなど
縫製工場で破棄する布を貰って来ては可愛い服がちゃんと出来た。
娘が保育園に入園する時には私のワンピースに型紙を当てていた。
お気に入りのワンピースだったけれど娘のためならと鋏を入れる。
忘れもしないワインレッドの可愛いワンピースで娘は入園した。
その時の写真が今もアルバムにあり見るたびに胸が熱くなる。
そんな昔の記憶のせいもあり私は子供服に異常なほど愛着がある。
簡単には捨てられない。まして「ごみ」などとは思いたくもない。
今はすぐに新しく買えば良い時代になったのだろう。
気に入らない服には手を通さなくても叱ることも出来なくなった。
娘のワンピースは当然のように今の我が家では見つけられない。
いったい何処に行ってしまったのだろうか。
朝から雨が降り始め今も降り続いている。
幸い小雨でいかにも春らしい優しい雨になった。
桜が咲いていたら「桜雨」まだそうと言えないのが少しもどかしい。
けれどもこの雨で一気に蕾がふくらむことだろう。
週末は川仕事と意気込んでいたけれど
「ゆっくり休めや」とじいちゃんが言ってくれて
ありがたくのんびりと過ごさせてもらった。
たまには真面目に家事をしようと思って
衣替えをしたり毛布を洗濯して乾燥機で乾かしたり
冬物の衣服の断捨離も出来て毛布も押入れにしまった。
けっこう有意義だなと思う。家事はこんなに楽しかったのか。
夕食時、緊急地震速報が流れ東北でまた大きな地震があった。
津波も発生とのことではらはらと心配でならない。
とても他人事ではなく明日は我が身だと思わずにいられないこと。
南海トラフ大地震が今夜起こることもあり得るのだと家族で話す。
平穏無事は決して当たり前の事ではないのだと改めて思った。
孫たちの笑顔がいつも以上に愛しくてならない夜。
今朝は少し肌寒くなり「寒の戻り」というより「花冷え」だろうか。
それも日中の寒さを表す言葉だと思うので間違いかもしれない。
古くからの日本語はとても風情があり好きなのだけれど
私のように無知無学な者は時に使い方を間違ってしまうことがある。
日中は今日も20℃を超えすっかり春の陽気となった。
「桜色」は元々山桜の色を指すのだと初めて知った朝のこと。
葉が緑ではなく茶色を帯びた桃色をしているので
遠くから見ると山がほんのりと桃色に見えるからなのだそう。
それが「桜色」の由来だと朝のラジオで聴き目から鱗だった。
ちょうど山道でのこと。しみじみとその桜色を眺める。
里の染井吉野はまだ蕾だというのに山桜はほぼ満開に見えた。
今週の仕事を順調に終え少し早めに帰宅する。
娘が遅くなると連絡がありめいちゃんをお迎えに保育園へ。
担任の保育士さんに卒園式の詳細を訊ねたところ
人数制限があるものの卒園児の祖父母も出席しても良いとのこと。
思わず「よかったあ」と歓声をあげてしまった。
しかし昨日のこと市内からコロナ感染者が出ていて
もし拡がるようであれば卒園式が中止になる可能性もあるという。
あと一週間ほどなのだ。なんとしても感染が拡がらない事を祈る。
夕方のニュースでまた一人増える。しかも変異株だと聞き驚く。
いったいどんな経緯で感染したのか報道では全くわからなかった。
また大きな不安。ひしひしと恐怖心に苛まれるばかりである。
子供になんの罪があるのだろうと思わずにいられない。
どうかどうか無事に卒園式が出来ますようにとひたすら祈っている。
桜色に染まる春。それはきっと平穏無事の色なのに違いない。
今日も20℃超えの春らしい陽気となる。
南風がそよそよ。いつまでも吹かれていたいような風。
朝の峠道を越え山里の民家が見え始めると
県道沿いにラッパ水仙がたくさん植えられており
その可愛らしい花が一斉に微笑んでいるのだった。
思わず「おはよう」と声をかけたくなる。
こころを和ませてくれるなんとありがたい花だろうか。
お昼時になるとめいちゃんのことを思わずにいられなかった。
今日は保育園最後の「お別れ遠足」の日。
そろそろお弁当を広げている頃かなと目に浮かべてみたり
楽しそうな笑顔がまるで空に映っているような気がする。
来週末には卒園式。保育園生活も残りわずかとなった。
仕事を少し早めに終らせてもらって定期の病院へ。
医師との短い面談で特に変わりはないと告げたかったけれど
このところずっと血圧が高めなのをついつい話してしまう。
特に自覚症状もなく元気なのだけれどたまには嘆いてみたかったのか。
医師の対応の早さには驚く。血圧の薬を強めのものに変えようと言う。
なんだかまな板の上のお魚の気分。上手に捌かれているような。
お薬が変わったおかげで薬局の待ち時間がとても長かった。
もううんざりだと思い始めたところでやっと名前を呼ばれる。
担当の薬剤師さんは私と同年代だと言いとても優しい口調で
自分も同じお薬を飲んでいるのだと。「歳には勝てませんね」
みんな一緒なのかと思うとなんだかやたらと嬉しくなるものだ。
周りを見渡せばあの人もこの人も仲間なのだと思わずにいられない。
薬局を出て近くの河川敷に菜の花を見に行っていた。
ひと月前にはまだ満開ではなかったので一面の菜の花を期待して。
それが時すでに遅く菜の花はすでに菜種になっていたのだった。
少しがっかりとしたけれどふっと目の前が明るくなった。
種さえあればまた咲ける。そのための種に違いないと。
それは少し老いることにも似ている。
2021年03月17日(水) |
人生まだまだこれから |
彼岸の入り。最高気温が25℃近くなりまるで初夏のようだった。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言うけれど思わず「暑い」と声が出る。
そんな陽気に誘われたかのようにもう山つつじの花があちらこちらに
今まで桜よりも先に咲いていただろうかと不思議な気持ちになった。
今日はじいちゃん69歳、母83歳の誕生日。
偶然にもふたりは同じ誕生日なのだった。
母には何も出来なかったけれど我が家ではささやかにお祝いをする。
じいちゃんがまるで天下を取ったかのような得意顔。
嬉しくてならない様子に私まで笑みがこぼれてしょうがない。
その昔、私が嫁いだ頃には誕生日を祝う習慣がなかった家。
環境があまりにも違い過ぎてとても戸惑ったことだった。
聞けば子供の頃から一度も家族に祝ってもらったことがないと言う。
それが当たり前のことで少しも寂しさを感じなかったようだ。
新婚とはいえ親と同居生活だったから余計な口出しは出来ない。
せめてご馳走をと思っても贅沢だと叱られるのが目に見えていた。
息子が生まれて一歳になりやっとそれらしいお祝いをする。
それから少しずつ家族の誕生日も祝ってあげられるようになった。
両親はもちろんのこと義妹、義弟、みんな嬉しくないはずはない。
自分の誕生日はさておき家族のために出来ることが私も嬉しかった。
ずいぶんと歳月が流れ今はありがたく娘たちと同居生活。
6人家族だから年に6回もささやかなパーティーが出来るのである。
今度は5月。あやちゃんの9歳の誕生日が待っている我が家。
いつだって生まれて来てくれてありがとうと感謝の気持ち。
そうして何よりも出会ってくれたこと。お嫁さんにしてくれたこと。
めでたくともに白髪になり残された人生を楽しく全うしましょうね。
2021年03月16日(火) |
漢字とカタカナとひらがな |
最高気温が20℃を超え4月並みの暖かさとなる。
桜の種類がどれほどあるのだろうと昨夜ここに記したけれど
偶然にも今朝のラジオでその詳細が分かりおどろく。
大まかに9種類。品種改良したものを合わせると100種類もあるそう。
「桜」と一言では言い尽くせない。すべての桜を見る事は叶わないだろう。
私がいちばん好きな桜は山里の郵便局の側に咲く桜。
染井吉野よりも少し大きな花で緑の葉を添えそれはそれは綺麗なのだ。
まだ蕾はかたい。咲いたら真っ先に写真を撮りたいと思っている。
その桜にも名があるのだろう。知らないことが少しもどかしい。
染井吉野は「ソメイヨシノ」と片仮名で書かれるのが一般的で
今朝の新聞にも「ソメイヨシノ開花」と書いてあった。
それがなんだか気に入らない。まるで桜を「サクラ」と書くみたい。
平仮名ならまだしも片仮名というのはどうも苦手である。
「染井吉野」が間違いだと言われたら涙があふれてしまいそうだ。
話がそれてしまうけれどひらがなばかりで書かれた詩も好きだ。
たとえば「めいさん」の「うまくいえない」という詩。
めいさんの詩はどれも好きだけれど一番好きな詩だった。
ずっと昔プリントアウトしたのを今も部屋の壁に貼ってある。
何度も何度も読んでもうすっかり暗記しているくらい。
話はそれまくるけれど片仮名でも好きな詩がある。
雨ニモマケズ 風ニモマケズ
作者は有名な作家なのだけれどムガクナノデオモイダセナイ。
2021年03月15日(月) |
桜の季節が来るたびに |
ぽかぽかと暖かくすっかり春の陽気となる。
高知城下の染井吉野が咲いたそうで桜の「開花宣言」があった。
四万十は少し遅れそうだけれど蕾ははっきりと見て取れる。
それにしても「桜」にはどれほどの種類があるのだろうか。
早咲きの桜があちらこちらに咲いているのが見られるこの頃のこと。
コロナ禍で今年も宴会を伴うお花見は自粛しなければいけないよう。
それでも桜を愛でることは出来る。静かに眺めるのも良いだろう。
私はそんな静かなひと時が好きだ。あまり騒ぐのは性に合わない。
39年ほど昔の春のことだと記憶している。
家族4人で市内の公園にお花見に行ったことがあった。
その当時は海苔が豊漁で毎日大変な忙しさだった。
ふたりの幼子はいつも作業場の庭で遊んでばかりいて
相手にしてやることも出来ず甘えることさえも我慢を強いられ
ひたすら親の仕事が終わるのを健気に待っていたのだった。
ある日のこと帰り道に親戚のおじさんから声をかけられ
「公園へ連れて行ってもらえ、熊さんもいるぞ」と。
それを聞いた息子がぐすんぐすんと泣き出しやがて大泣きになった。
ずっとずっと我慢をしていたのだろう。その時堪忍袋の緒が切れたのだ。
どうにも手がつけられなくなったのと可哀想でならないのとで
「よっし、お花見に行こう」と大急ぎでおにぎりを作り出掛ける。
ちゃんと熊さんにも会えて桜の木の下でおにぎりを食べた。
その時の息子の嬉しくてたまらない笑顔を一生忘れられないでいる。
桜の季節が来るたびに思い出す。我が家の最初で最後のお花見だった。
爽やかな風が吹く晴天。西風はまだ冬の名残なのだろう。
春の訪れに身を切られるように遠ざかろうとしている冬。
そんな季節の変わり目になんとなくせつなさを感じるのだった。
朝のうちにお大師堂へ。花枝を活け替え川辺に咲いていた
水仙の花を手折りその一輪をそっと添える。
そうして拙い般若心経。お堂にこだまするようにその声が響く。
さらりさらりと流れる大河。私は何を流せば良いのだろうか。
午後はお墓の掃除とお参りに。お寺の裏山の道がとても険しい。
まるで妊婦のようなお腹を抱えて一歩一歩がやっとだった。
しんどいなと思う。罰当たりにも面倒だなと思うそれが本音。
けれどもいざお墓に辿り着くとそんな事など忘れてしまうのだった。
熊手で枯葉をかき集めせっせと谷に捨てる。
水桶の少ない水で墓石の汚れを落とす。
水が足らなくなってしまってじいちゃんが汲みに行ってくれた。
一度専門の業者に頼みたいねと言ったら「馬鹿、高いぞ!」と。
そんな余裕がどこにあるのか。私は本当に馬鹿だなと思った。
義妹が「それなりそれなり」と言ってくれてほっと救われる。
お花を活けたらそれなりに綺麗に見えるから不思議なもの。
「みすぼらしい」は心の問題なのだなとつくづく思ったことだった。
お酒やビールもお供えして皆で清々しく手を合わせて帰る。
山道には椿の花がたくさん落ちていた。
散ることが出来ず落ちなければいけない花はやはり憐れでならない。
けれども椿はなんだかとても誇らしげな姿をしていた。
咲いたまま落ちるのはもしかしたら快感なのかもしれない。
2021年03月13日(土) |
未来はきっとあるのだから |
雲を押し流すかのように強い風が吹く。
やがて青空が広がる。暖かな陽射しが降り注ぐ。
川仕事に向かえば船を避けるように小鴨たちが川面を飛び交う。
「そこのけそこのけお船が通る」と思わずつぶやいていた。
大潮のせいか海苔が少し弱っていて可哀想。
それは決まり事のようで地球の引力が関係しているのか
定かではないけれど海苔にとっては試練のようなこと。
順調に生育しているかと思えばこんなこともあり
また明日からしばらく様子を見る事になってしまった。
それでも例の大手スーパーへの荷作り。それが楽しくてならない。
これが毎日出来れば我が家の貧乏所帯も潤うのになと思う。
そうは問屋が卸さないか。うまい話には必ずあるのが落し穴だった。
午後はお昼寝三昧をし4時前にやっと起き出す。
いつの間にか娘も帰っていて孫たちはまあちゃんと遊んでいた。
夕方になっても帰りたくないまあちゃんと孫たちがお風呂に入る。
そのまま夕飯も一緒に食べることになってなんと賑やかなこと。
まあちゃんはめいちゃんより一つ年下だけれどまるで双子のよう。
とても気が合うのはやはり血が繋がっているからだろうと思う。
5年後10年後を思い浮かべるとなんだかわくわくしてくる。
なんとしても長生きをして成長した少女たちに会いたくてならない。
以前は「明日死ぬかもしれない」といつも不安がっていたけれど
最近の私はずいぶんと「未来」を信じられるようになった。
心細さは拭えないけれどもしかしたら勇気が芽生えてきたのかも。
立ち向かって行こうと思う。死を恐れていては何も出来ない。
頂いた一日をありがたく全うしたい。
それが生きることでなくてなんだろうと思うのだった。
午後からぽつぽつと雨が降り始める。
「春の雨は優しいはずなのに」歌っていたのは小椋圭だったか。
圭という字が間違っているかもしれない。今はよく思い出せないでいる。
佳だったような気もするのだけれどとにかく「けい」には違いない。
めいちゃんと保育園に行く朝もあと二週間ほどになった。
今朝は紫陽花の新芽をふたりで眺める。なんと鮮やかな緑だこと。
花の季節にはもう一年生になっているのかと思うと感慨深い。
「がっこうからもみえるよ」と「そうね」と頷き微笑んだ朝のこと。
仕事を少し早めに終らせてもらって母の入居料の支払いに行く。
ちょうどお世話になっているケアマネさんに会えて良かった。
母がリハビリ室に居るとのことで思いがけず面会を許される。
車椅子を上手に操り私に近づこうとする母を介護士さんが制止した。
やはり3メートルの距離が必要。手を握り合う事は叶わず。
髪がかなり伸びていて母もさっぱりとしたいだろうと気になる。
施設に定期的に来てくれている理容師さんでは絶対に嫌だと言う。
昔から行きつけの美容院へ連れて行ってあげたくてならなかった。
そんな私の気持ちをよそに「大丈夫よ」とあっけらかんとした顔。
髪が伸びれば括れば良いしリボンだって付けられるからと笑う。
そんな母の笑顔にどれほど救われたことだろう。
私の忙しさを察した母の精一杯の優しさではないかと思った。
今年の桜も母には見せてあげられないのか。
どうしようもなくせつなさが込み上げて来る。
母に春を届けてあげたい。あふれんばかりの春の光を。
10年前の今日も穏やかな晴天だったと記憶している。
もう10年と言って良いのか東北の被災地からは
「まだまだ・・」の声が聴こえて来て胸が締めつけられる。
決して忘れることの出来ないいや忘れてはいけない日だった。
うまく言葉に出来ない。そっと日常に返るべきなのだろう。
どうすればよいのかひどく戸惑う私に友が声をかけてくれた。
「普通にしていればいいよ」その言葉を再び思い出すばかり。
その「普通」にどれほど救われたことだろうか。
それが決して当たり前の事ではないことを思い知ったのだった。
めいちゃんの保育園のすぐ近くに早咲きの桜が咲きとても綺麗。
それは純白の桜でまるで清らかな心のように空に手を伸ばす。
素直であり純真である。人の世の穢れなど忘れてしまうほどに。
そんな花になれたらどんなにか満たされることだろうか。
足りない事ばかりに心を傾け大切な事を忘れていた気がしたのだった。
10年前の3月の日記
春らしい晴天。何処からか鶯の歌声も聴こえて来る。
「ほうほうそうかそうか」とつい応えたくなる。
山里はとてものどか。陽だまりで畑仕事をしている人や
もう水の張られた田んぼは田植えが近いことをおしえてくれる。
10歳の時に父の転勤で引っ越して来た村だった。
それから3年余り暮らした村はやはり私にとって「故郷」なのだろう。
中学生になってわずか2ヵ月でまた父が転勤になり遠い町へ引っ越す。
同じ県内でも言葉が全く違っていてとても戸惑ったことだった。
幼い頃から慣れ親しんだ「幡多弁」はもう通用せず
「土佐弁」はなんだか皆が怒っているように聴こえたのだった。
不思議に思ったのは父も母もずっと土佐弁だったこと。
それなのに私と弟は幡多弁で育ったらしいのだ。
両親の影響を受けずに言葉を覚えたのかと信じ難いことでもある。
二ヵ国語という例えは可笑しいけれど今は臨機応変に使い分けている。
普段はもちろん幡多弁だけれど話す相手が土佐弁だとそれに合わす。
無理にそうしているのではなく自然と出て来るのだった。
母と電話で話す時も土佐弁になり自分でも愉快でならない。
例えば「無理しなよ」と母が言えば「心配せんでもえいき」と言う。
これが幡多弁だと「心配せんでもええけん」となるのである。
どちらも故郷の言葉なのだと今は思っている。
この村あの町と転々としたけれどいつまでも懐かしい故郷がある。
実家はないけれどもう帰る必要もないだろう。
今は四万十川のほとりの我が家が終の棲家になった。
曇り日。陽射しを心待ちにしながらとうとう日が暮れる。
空の気分は如何なものか。きっと嘆いてなどいないのだろう。
毎朝楽しみにしていた国道沿いの白木蓮の花が散り始めた。
それは桜よりも儚い。道路に落ちた純白はすでに茶色くなって
なんともせつなく哀しい姿に見えるけれど目を背けてはならない。
花の季節が終わったのだ。また季節が巡って来ればきっと咲く。
先日私と一緒に寝たあやちゃんが「最後だから」と言ったけれど
一昨日の夜から寝起きを共にしたいと言い出したのだった。
6畳の部屋にお布団を三つ並べて早寝早起きを頑張っている。
それでもさすがに4時起きは無理なようで5時に目を覚ます。
5時半には朝食。早過ぎて給食が待ち遠しくてならないよう。
今朝は登校時間ぎりぎりまで炬燵でうたた寝をしていて
「もう無理なんじゃないの」と言ったら「だいじょうぶ」と。
意志は強く少々の事では諦める様子が見られないのだった。
子供部屋で独りで寝ていた頃もあったけれど
やはり寂しいのだろうと思う。まだまだ甘えたい年頃なのだろう。
今夜もお布団を三つ敷く。それがほのぼのと嬉しくてならない。
「もう最後だから」と近いうちにまた言われるかもしれないけれど
あやちゃんが大きくなってからそれもよき思い出話になることだろう。
「おじいちゃん、おばあちゃんおやすみなさい」
今夜もその声を楽しみにしています。
夜が明けてから少しだけ雨が降っていたけれど
午後には青空になりすっかり春の陽気となる。
雨あがりの景色に陽射しがあたりきらきらと輝く。
枯野にもずいぶんと緑が目立つようになった。
朝の峠道を越え山里の民家が見え始めた頃に
先日再会したばかりのお遍路さんにまた会うことが出来た。
顔を見なくても歩き方やその後ろ姿を見ただけですぐに分かる。
例の100巡目を結願したお遍路さんMさんであった。
先日会った時に逆打ちと聞いていたのだけれど方角が違う。
いったいどうしたのかきっと何か訳があるのだろうと察する。
とにかく話をと思い5キロ程先まで車で見送ることにした。
聞けば懇意にしていたお仲間のお遍路さんが道中で倒れたとのこと。
救急搬送された病院に駆けつけたけれどコロナ禍で面会は叶わず
幸い命に別状はないけれど極度の栄養失調らしいと云うこと。
明日は我が身かもしれないと少し怖くなったとつぶやく。
わずかな所持金。托鉢と地元の人々のお接待だけが頼りのお遍路。
所持金が底をつけば飲まず食わずの過酷な旅になるのだった。
だからと言って故郷には帰れない。その旅費さえも無いのである。
「職業遍路」に偏見を持つ人も多い。言い換えれば差別でもある。
昔あるお遍路さんが「まるで乞食だ」と呟いていた事を思い出す。
私はなんとしてもMさんを故郷へ帰らせてあげたくてならない。
娘さんもいる。まだ一度も会ったことのないお孫さんもいる。
亡くなられた奥様の供養ももう充分なのではないだろうか。
Mさんもきっと帰りたくてならないのだろう。
その気持ちが痛いほどに伝わって来て思わず涙ぐんでしまった。
まだ朝ご飯も食べていないと言うMさんにほんの少しのお布施を。
それは「あげる」のではない。「もらっていただくもの」
人は欲深く出来ていて「お布施」はその欲を手放す事だとかつて学んだ。
「おかあさんありがとう」小雨の降る道で後ろ姿を見送る。
Mさんは精一杯の笑顔で手を振りながら遠ざかって行った。
2021年03月07日(日) |
やったらやっただけのことがきっとある |
曇り日。昨日ほど気温が上がらず少し肌寒く感じる。
また雨が近いのだろうか。今にも泣きだしそうな空だった。
お隣の桜草がそれは見事に咲いてゆらりゆらり。
風もないのに不思議に思ってようく見たら雀が遊んでいたよう。
土の中から虫が出て来ていたのかもしれない。
花と戯れる雀の姿に春を感じずにいられなかった。
今日はやっと川仕事。夜明けを待って早朝から船を漕ぎ出す。
先日からじいちゃんが一人で少しずつ収穫を頑張ってくれていて
私が二足の草鞋を履かなくても良いようにと気遣ってくれていた。
それがどれほどありがたことか。今日は精一杯に頑張ろうと思う。
海苔の生育はまだまだこれからのようで収穫量はわずかだったけれど
品質はとても良くどこに出しても誇れるような川の幸だった。
親戚でもあるお仲間さんが是非にと声をかけてくれて
県下の大手スーパーに初めて卸してみることにする。
乾燥海苔ではなく生のままの新鮮な海苔を食べてもらいたい。
旬の食材として店頭に並ぶのがとても嬉しくてならなかった。
一キロずつ袋詰めにするのが少し大変でやはり女手が必要。
じいちゃん一人ではとても無理という事になってしまって
せめて週末だけでもと今後の取引を約束したのだった。
私はものすごく目の前が明るくなってしまって早速の皮算用。
乾燥海苔よりもずっと高値なのだ。こんなうまい話があるものかと。
すぐに調子に乗るところが私らしくてなんとも愉快なことである。
いかんせん職場の仕事を放棄するわけにはいかないだろう。
川仕事を終えてから職場に走るような体力もすでに限界だと思う。
そうなれば臨機応変に無理のないスケジュールを組みたい。
「やるっきゃない」出来る日に出来ることを頑張ればいい。
程よい疲れがなんとも心地よい一日だった。
やったらやっただけのことがきっとある。すくっと前を向こう。
晴れたり曇ったり。ぽかぽかと春らしい暖かさだった。
もう菜種梅雨だとか。しばらくはすっきりしないお天気が続きそう。
どんな日もあってよしと思う。空の気分を受けとめながら過ごしたい。
朝のうちにやっとお大師堂へ。二週間ぶりのお参りだった。
日捲りの暦が木曜日のままでお仲間さん達の事が気がかり。
Sさんとも昨年暮れから会っておらず元気にしているだろうか。
手水鉢の水はたっぷりと。花枝も綺麗なままでほっとする。
お大師さんにご無沙汰を詫びつつ拙い般若心経を唱え
お線香の補充だけして帰って来た。来週もきっとと思うばかり。
めいちゃんが保育園に行っていたのでお昼にお迎えに行く。
約束していた仲良しのお友達も来ていたそうでとても楽しかったよう。
午後からはまあちゃんが遊びに来てくれてそれは賑やかだった。
ちょっと目を離したすきに外に出て土手から声が聴こえていたり。
暖かさに誘われるように私も土手の道まで散歩に出掛ける。
土筆の坊やがもうスギナになり始めていたりヨモギやたんぽぽや
思いがけないほどの春の緑に驚かずにはいられなかった。
白い蝶々と黄色い蝶々が飛んでいて追いかけるふたりの微笑ましい姿。
しばらく走り回って今度は草そりをすることになったのだった。
ふたりかわりばんこに草の上を滑る「きゃあきゃあ」と大きな声。
無邪気な姿を見ているだけでなんとほっこりと癒されること。
こどもは春そのものだとおもう。見ているおとなもきっと春に違いない。
2021年03月05日(金) |
365日のかみひこうき |
昨夜からの雨が降りやまず風も強くなりまるで春の嵐のようだった。
二十四節気の「啓蟄」土の中の虫たちも春を感じているだろうか。
どんなふうにして雨を受けとめているのだろうかとふと思う朝のこと。
あやちゃん超早起き。昨夜は珍しく私と一緒に寝たのだった。
「最後だからね」と言う。寂しいけれど本当のことなのだろう。
めいちゃんと喧嘩をして娘にひどく叱られたようだった。
ひっくひっくと泣きじゃくっていて思わずぎゅっと抱きしめていた。
「お姉ちゃんなんだからがまんしなさい」と言われたらしい。
いつものことだと分かっていてもどうしようもなく辛い時もある。
我儘だって言いたいし甘えたい時もいっぱいあるのだろう。
お布団に入ると「おばあちゃんあったかいね」と言ってくれる。
愛しさが込み上げて来てなんだか涙が出そうになった。
今年はもう9歳になるのか。ずいぶんと歳月が流れたものだ。
寝相が悪く夜中に足蹴り。掛け布団もはぎ取られてしまい大変な有様。
けれどもそれが愉快でならず良き思い出になった気がする。
今夜は娘がPTAの会合があり留守にしているのだけれど
ふたりそれぞれにお風呂に入っておりこうさんにしている。
めいちゃんが鼻歌を歌っていて耳を澄ませば
「365日の紙飛行機」だった。おばあちゃんもその歌とても好き。
お母さん早く帰って来てくれますように。
お父さんも早く帰って来てくれますように。
2021年03月04日(木) |
とにかく待ってみよう |
夜明け前には月が見えていたのだけれど
8時頃からぽつぽつと雨が降り始める。
暖かくなる予報に反して思いがけず冷たい雨となった。
そんな冬の名残のさなか桜の開花予想日が発表されて
高知は日本一早く3月13日頃だと云うこと。
なんだか信じられないような気持。ほんとうに咲くのか。
まだ蕾さえ見えない裸木を今日も眺めたばかりだった。
とにかく待ってみようと思う。日に日に春らしくなるのだろう。
職場に体操教室でお世話になっていた先生が訪ねて来てくれて
私の異常なほどの肥満をとても心配してくれたのだった。
なんとか月に一回でも体操をとすすめてくれたのだけれど
現実はそんなに甘くはなかった。仕事よりも健康が大事と
どんなにそう思っても今は仕事を優先するべきではないだろうか。
身体を動かしたくてたまらない。溌剌と心地よく汗を流したい。
それは決して夢ではないのかもしれない。ただ今は我慢の時。
ふと暇とお金さえあればと現実的なことを考えざるを得なかった。
健康を第一に選び仕事を休めばたちまち家計に響く。
その上に体操教室の費用が重なれば一層の痛手になり兼ねない。
貧乏暇なしと云う事だろう。そんな余裕など今は皆無に等しい。
せっかく訪ねて来てくれた先生には本当の事が言えなかった。
ただ「余裕が出来たらきっと行きます」と伝えて笑顔で別れる。
それで良かったのだろうと思う。いつかきっと余裕が出来るだろう。
ながいこと生きていれば悔しい思いをすることもある。
情けない事だってどうしようもできない事だってある。
けれどもこころまで貧しくしてはいけないとつよく思う。
こころはいつも豊かで希望に満ち溢れていなければいけない。
未来はきっとそのためにあるのではないだろうか。
2021年03月03日(水) |
おひさまに恵まれた日 |
雲ひとつない青空。優しい陽射しがいっぱいに降り注ぐ。
真冬並みの寒さだった朝のことなどすっかり忘れていた。
職場の隣に縫製工場があって中国人の女性達が働いているのだけれど
庭に竹を組んでお布団をずらりと並べて干してあった。
いかにも田舎らしいその風景に心がほっこりと和んだことだった。
お昼休みになると女性達が庭に出て来てお布団をぱんぱんと叩く。
その時におしゃべりをしているのだけれど中国語でさっぱり解らず。
「いいお天気ね」と言っているのか「今夜は気持ちいいね」かも。
日本なのになんだか中国に居るような不思議な気持ちになる。
仕事は今日も忙しく一時間の残業。晩ご飯は何にしようかしらと
考えながら帰る。おひな祭りのご馳走の事をすっかり忘れていた。
スーパーに寄ってからやっと思い出す。「祝おひなまつり」と
お惣菜売り場に握り寿司がそれは美味しそうに並んでいた。
今年は訳あってお雛さまも飾っていなかったのでせめてもと思い
ささやかにパーティーをすることに決めて買って帰る。
帰宅したら娘もケーキを買って帰っていて孫たちも大喜びだった。
私が忘れたままだったらきっとブーイングの嵐だったことだろう。
来年はきっとお雛さまを飾ろうねと娘と話したことだった。
令和3年3月3日。さんんさんさんとおひさまに恵まれた日。
2021年03月02日(火) |
「春は名のみ」とどうして歌えようか |
雨のち晴れ。雨あがりの陽射しがとても優しい。
夕方から少し肌寒くなり明日の朝は真冬並みの寒さになりそう。
春彼岸まではまだまだ冬の名残があることだろう。
山里では桃の花が咲き始めている。明日はもう桃の節句。
「春は名のみ」とどうして歌えようか。
仕事は今日も忙しかったけれど定時で終わらせてもらい帰宅。
一足先に帰っていた娘がいつもより早めに保育園へ走る。
めいちゃんが目に怪我をしたらしく痛がっているとのこと
とにかく眼医者さんへと園長先生が段取りをしてくれていた。
それでもすぐには診てもらえなかったようで日が暮れてから帰って来る。
家族の心配をよそにケロっとしているめいちゃんにほっとした。
病院でも泣かなかったそう。さすがにもうすぐ一年生だけある。
目に傷があるけれど目薬で治るのだそう。大事に至らなくて良かった。
娘たちの帰宅が遅かったのであやちゃんがお手伝いをしてくれて
ポテトを揚げてくれる。コンソメで味付けもして「おいしい」と。
「もうおなかがペコペコ」と言ってレトルトのカレーも温める。
おかげでおばあちゃんはなんとか鰹のたたきと豚バラ大根を作れた。
夕食後、娘が食器を洗ってくれると言うので遠慮なくお風呂に入る。
その後台所を見てびっくり。なんと娘むこが洗ってくれていた。
どうやら娘夫婦にとってはさほど特別のことではないらしい。
微笑ましいと言って良いのか。母は感動で胸がいっぱいになった。
2021年03月01日(月) |
ありがたや。ありがたや。 |
弥生三月らしく暖かい朝。そんな暖かさが雨を連れて来る。
少しぐらい濡れても平気と傘を開くこともなく過ごす。
国道沿いの白木蓮の花が満開になっていた朝。
交通量が多く車を停められないのが残念でならない。
それはまるで雨を受けとめるように健気に咲いていた。
純白であることを誇りにおもう。とても尊く感じたのだった。
仕事は怒涛の忙しさ。なんと充実した一日だったことか。
お弁当を掻き込んでいたら来客があり慌てて蓋をしたり
再び食べ始めたら電話が鳴りもぐもぐしながら対応をする。
これは愉快なことになったと我ながら可笑しくてならない。
2時間の残業になりくたくたになって帰宅。
もう「花子とアン」も終わっていて大急ぎで洗濯物をたたむ。
衣類乾燥機の「幹太くん」はほんとうに優れ物でとても助かっている。
ふっかふかに乾いた洗濯物をたたむ時はほっこりと幸せを感じる。
「おばあちゃん晩ごはんはなあに?」「牛丼よ」と応えると
「やったあ!」とあやちゃんが喜んでくれて作り甲斐がある。
娘が遅くなる日だったのでお惣菜のポテトサラダも買って来ていた。
じいちゃんはさっさと一番風呂に入り鯛のお刺身でビール。
もう少し待てないのと言ったら「もう我慢できない」とこれも愉快。
夕食後の食器洗いをしていたらあやちゃんが肩を叩いてくれた。
「50回」と言ってその数えるのがなんと早いこと
けれどもとても気持ち良かった。身体がすっかり楽になる。
ありがたやありがたや。ほんにおばあは幸せであるぞ。
お風呂から出たらめいちゃんがサロンパスを貼ってくれる。
小さな手のぬくもりをそのままになんと優しいことだろう。
おかげでこころは少しも疲れてはいなかった。
寝酒の焼酎がとても美味しい。まったりとほろ酔ってこれを記す。
窓の外は静かに春の雨が降っている。
|