ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年11月30日(月) 元気にしていますよ

曇り日。日中の気温も上がらずなんとも肌寒い。

そうして霜月もとうとう晦日となる。

明日からはもう師走。なんだか信じられないような早さで

あっという間に年末になってしまいそうだった。


背中を押されたくはない。私は立ち止まりたい。

そうでなければ自分を見失ってしまいそうでこわい。




月末の仕事を終えほっと肩の荷をおろし

帰宅したらポストに友から便りが届いていた。

先日の新聞を読んでくれたらしく思いがけずに嬉しいこと。

ちょっとした感想も添えられてありよけいに嬉しく思う。


「お元気ですか?」その書き出しから

彼女がこの日記を読んでいないのかもしれないと思う。

ずっともしかしたらと思っていたけれど思い違いだったのか。

それなのに私がずっと仕事を続けていることを彼女は知っていた。


ほんとうのことは分からない。訊く勇気などあるはずもなく。

ここにこうして記すことさえにも戸惑っている自分がいた。


明日返事を書こう。もちろん「元気にしていますよ」と。


私はどちらかと言うとメールが苦手で

すぐに返事をしなければいけないのかと強迫観念に陥る。

SNSのコメントも同じで返事を迫られているように感じるのだ。

だから「会話は時々」と言うカタチでなんとか乗り切っている。


その点手紙はとてもありがたい。ゆっくりと返事を書ける。

それくらいの距離を私は求めているのだろう。







2020年11月29日(日) 月うさぎ話を聞いてくれますか

冬らしく冷え込んだ朝。夜明け前にはきれいな月が空にぽっかり。

ふと「月うさぎ」という言葉が浮かぶ。


月うさぎ話を聞いてくれますか私がどれほど想っているか


そんな歌を詠む。まるで恋をしているような歌になった。

誰かを想う気持ちいこーる恋ではないのだと思う。

とある女優さんだったか死ぬまで恋をしていたいと言っていたような

それはあり得ない。もし恋をするなら相手は「いのち」なのだろう。




今日は無性に美味しいラーメンが食べたくてたまらず

じいちゃんに話したら「俺は別に」と言って興味がなさそう。

お昼までになんとしてもその気にさせようと目論んでいたのだけれど

なんということでしょう。娘が仕事でさっさと出掛けて行ってしまう。

娘むこも早朝から素潜り漁に行っていて留守。じゃあ孫たちは?

まったくの予定外で孫たちと過ごす日曜日になったのだった。

「仕方ないね」とじいちゃんに言ったらなんと嬉しそうな顔。

それでも「来週にするか」と言ってくれてまあ良しとしよう。


孫たちは近所のお友達が呼びに来てくれてお友達のお宅へ。

お昼まで一緒に遊んでくれて午後からもまた呼びに来てくれる。

一日中預かってもらったカタチになりとてもありがたかった。


夕方、娘むこが伊勢海老をお裾分けに持って行ってくれて

しっかりお礼も出来てほっとしたことだった。


「いい肉の日」だそうで今夜は焼肉。

みんなでわいわいいつもより「いい肉」でがっつりと食べた。








2020年11月28日(土) 時間の余裕。こころの余裕

冷たい風の一日。やっと冬らしくなったと言うべきだろうか。

それでもおひさまは精一杯に微笑んでくれてありがたいこと。

やわらかな陽射しを浴びているとふと気が遠くなる。

それがまるで夢のように思えてふわりと宙を漂っているような。


何処に向かっているのだろう。空に吸い込まれてしまいそう。



午前中はゆっくりと休ませてもらって午後から職場に向かう。

川仕事でも無い限りそんなことはめったにないのだけれど

自分なりに段取りをして夕方まで仕事をすることにした。

夕陽を仰ぎながら家路を急ぐのもなかなか良いものである。


朝来た山道を帰っていたら外国人女性のお遍路さんと出会う。

それは後ろ姿ではなかったので車を停めて声をかけることが出来た。

笑顔で「ハロー」と言うと思いがけない日本語で「こんばんは」と。

もう夕暮れ近くの事、山里の民宿に泊まるのかもしれないと思う。

詳しくは訊けなかったけれど野宿ではなさそうでほっとする。


「気をつけてグッドラック」と言うと「ありがとうさよなら」と。

ほんのつかの間の事だったけれどなんと清々しい笑顔なのだろう。


気がつけば鼻歌を歌いながら峠路を下っていた。

ささやかな出会いであってもこんなにも嬉しいものなのだと思う。


帰宅すればすぐに夕食の支度。不思議と疲れを感じることもなく

娘と肩を寄せ合ってあれこれとおしゃべりも楽しいもの。


時間の余裕。こころの余裕。今日はとてもいい感じだった。





2020年11月27日(金) ゆっくりと歩きたい

おおむね晴れ。日中は今日も小春日和となる。

そんな暖かさも今日までのようで明日から冬型の気圧配置になるそう。

いよいよ木枯らしの季節になるのだろうか。

色づいた木の葉も風に舞い木々は裸になりまるで骨のような

枝でいて空に手を伸ばす姿が見えるようだった。


どうやら私は「冬らしさ」を待ち望んでいるらしい。



めいちゃんを保育園に送り届け山里の職場に向かう朝。

お遍路さんがひとりふたり。野宿のお遍路さんは一目で分かる。

なんと重そうな荷物なのだろう。小さなお鍋がぶら下がっていたり。

テントや寝袋が入っているだろう荷物に傘が突き刺さっていたりする。


思うように声をかけられずただただ会釈をしながら追い越して行く。

これからの冬遍路。厳しい寒さも一歩一歩乗り越えねばならない。



仕事が忙しくもう12月の半ばまで予約で埋まる。

この勢いのままあっという間に今年が終わってしまいそうだ。

なんだか無理やり背中を押されているような気がする。

ゆっくりと歩きたい。走りたくはないのだけれど。


忙しいはこころを亡くす。慌ただしいはこころを荒らす。

こころを守れるのは自分自身なのだと肝に銘じておこう。



2020年11月26日(木) ずっと子供のままで

晴れのち少し曇り。夕方にはきれいな夕焼けが見えた。

雲が多いのにそれを「ほうずき色」に染めながら陽が沈んでいく。

茜色ではなく「ほうずき色」だと教えてくれたのは田村くんだった。

旅先から絵葉書を届けてくれてからもうひと月が経とうとしている。

今は何処に住んでいるのだろう。その葉書には住所がなかった。



今朝は久しぶりにめいちゃんと保育園へ。

半袖を着ていたので長袖に着替えるように言ったら

「寒くないもん」と怒ってしばしトイレに閉じ籠ってしまう。

娘が宥めてくれてやっと桃色のカーディガンを羽織って行く。

ちょっとしたことで気を損ねてしまうのだ。それも成長の証だろう。



職場に着いてからすぐに友に電話する。

昨日の事がとても気になっていた。まやちゃんのこと。

聞けば新聞を読んでくれたらしい。それだけでじゅうぶんだと伝える。

連絡先は敢えて聞かないことにした。「何でよ?」と友は不信がる。


50年以上の歳月が流れてしまいそれぞれの人生模様もあるだろう。

同じ県内とは言え遠く離れた場所に居て再会も叶うはずがない。

子供の頃の面影のままそっと思い出に包まれていたいと思うのだ。

まやちゃんもきっとそれを願っているのではないだろうか。


「気が変わったらいつでも言えよ」と友は言ってくれたけれど

私の気は変わらないと思う。今さら歳月を埋めようとは思えない。

懐かしさと思い出は似ているようで時にはカタチを変えるのだ。

一歩間違えたら壊れてしまうことだってあり得ると思う。


だからそっとしておく。まやちゃんも私もずっと子供のままでいよう。



2020年11月25日(水) 日々の想いを大切に

曇り日。陽射しがないとこんなにも肌寒いのか。

気温はさほど低くなかったけれど冬の声を聴いた気がする。

つくづくとおひさまのありがたさを感じた一日だった。



今朝は何気なく開いた新聞の「あけぼの欄」に

先日投稿したばかりの自分の雑文が掲載されていておどろく。

11月19日の日記「人参のきんぴら」であった。

人参は「ニンジン」と書き換えられていたけれど

本文はそのままでまさに日記そのものが活字になっていたのだった。


じいちゃんは気がつかなかった様子で何も言わない。

「秘密にしておこう」そうして「やったあ」と一人ほくそ笑む朝。

それにしても20日にポストに投函したのがもう掲載されるなんて

夢にも思っていなかった。こんなこともあるのだなと驚くばかり。

これからも書き続けられる限りと励みになったのは言うまでもない。

日々の事、日々の想いを大切にしようと改めて思ったことだった。


出勤途中にメール。先日も一番に気づいてくれた友からだった。

すっかり忘れていたけれど彼は「まやちゃん」を知っていたのだった。

同じ高校の同級生で昔「まやちゃん」の事を話したのを思い出す。

もちろん今は結婚していて姓と住んでいる町の名を教えてくる。

それがどれほど思いがけなかったことだろうか。

私の記憶の中のまやちゃんはおさげ髪の小学生のままだったから。


友の計らいで詳しい住所と連絡先を調べてくれることになる。

なんだか一気に話が進んでしまって少し戸惑う自分がいた。


まやちゃんが今日の新聞を読んでくれるだけでいい。

それだけで良いのだ。





2020年11月24日(火) 紅白の山茶花

晴れたり曇ったり。朝は初冬らしい寒さとなる。

きりりっとした寒さが心地よく窓を開けて星空を仰ぐ夜明け前。


星に願うことはなにもないけれど

ふと希望のようにおもうのだった。

さぞかしみすぼらしいであろう我が身に

羽織る衣が空にあるような気がしてならない。


きらきら。それがふさわしくなくても

きっと生き永らえられるのかもしれない。




仕事でお客さんのお宅を訪ねたら

庭先に純白の山茶花がこぼれんばかりに咲いていた。

それは少し散り始めてもいたけれど蕾もいっぱい

「まだまだ咲くよ」とその花枝を手折ってくれたのだ。

それから「ちょっと待っていて」と今度は紅い山茶花。

「白だけじゃさびしいでしょ」と私は紅白の花を抱く。

山茶花の花を胸に抱いたのは生まれて初めてのことであった。

事務所に帰って早速に花瓶に活ける。気分がぱあっと明るくなる。

散れば花びらを集めよう。蕾が花開くのを楽しみに待とう。




帰宅して夕飯の支度になれば孫たちも加わりそれはにぎやか。

どうやらふたりとも料理に目覚めたらしく頼もしいこと。

あやちゃんはワンタンスープを作り

めいちゃんはブロッコリーを湯がく。

「もっとやりたい」と言い出し娘とふたりてんやわんやだった。

三日坊主になるかもしれないけれどとことんやらせてみようと。


さあて明日の夕飯は何にしましょう。献立に頭を悩ますのも楽しい。







2020年11月23日(月) ドッチボール日和

北西の風が吹きやっと冬らしさを感じる。

気温は20℃ほど。たっぷりの陽射しに救われたようだ。

雲ひとつない青空を見あげながらほっこりと過ごす。


水仙の花が咲き始める。まだ一輪二輪とひっそりだけれど

冬を代表するような花でとても誇らしげに見える。




午前中に孫達と近所のお友達も一緒にドッチボールをして遊んだ。

たまには童心に返るのも良いものでとても楽しかった。

途中から娘も加わりだいのおとながきゃあきゃあとはしゃぎまわる。

子供の頃には得意だったドッチボールも今となってはへなちょこで

何度もボールを受けそこなっては鬼役にまわるのだった。

そのたびに「えいやあ」とボールを投げつけるのがとても愉快。



中学時代にはバスケットボールをしていた。

高校ではテニス。大人になってからバドミントンを始めた。

29歳から55歳までだったか思えばながいバド生活であった。

70歳まで出来ると思っていたけれどそうは問屋が卸さず

体力の限界もあり運営していたクラブも廃部にせざる得なかった。

ちょうど東日本大震災の年の事で運営費の残高を寄付し終了した。


今でも時々昔のバド仲間にばったり会うこともあって

同年代の仲間に「また一緒にやろうよ」と誘われることもある。

気持ちはあっても体力がなく自信もない。おまけに10キロも太って。

あああと嘆きながらひたすら現実を受けとめているばかりであった。


老人クラブって何歳になったら入れるのかしら。

ゲートボールとかやってみたいな。





2020年11月22日(日) 一緒に泣こう

二十四節気の「小雪」木枯らしが吹き始める頃とされ

本格的な冬の始まりを知らせてくれるはずなのだけれど

今日も日中はとても暖かくなりまるで春のような風が吹く。


お隣の山茶花がもう散り始めてしまって花びらがたくさん

我が家の庭にも舞い込んで来ていてなんだかふっとせつない。

掃き掃除もせずそっとそのままにしておくことにした。

掃き集めれば塵になるのが可哀想にも思えたのだった。



朝のうちにお大師堂へ。すっかり日曜日の恒例となる。

お参り仲間のいとこから北海道の青年が数日逗留していたことを聞く。

初めて彼に会ったのは5、6年前だっただろうか。

夏の間にアルバイトをして貯めたお金で四国へやって来る。

自転車を買い求めお遍路をしながら観光も兼ねての気ままな旅だった。

今年もそんな季節になったのかと感慨深く思っていたけれど

あまりの長逗留にどうやらSさんと口論になったらしい。

お大師堂はよほどの事情が無い限り連泊を禁止しており

彼の自由気ままさがどうやら仇になったようだった。


もしかしたら私との再会を待っていてくれたのかもしれない。

それは思い過ごしかもしれないけれどなんとなくそんな気もする。

「おかあさん」といつも呼んでくれた笑顔が懐かしくもあった。


まさか追い出されるとは夢にも思っていなかったことだろう。

申し訳なく気の毒でなんだか胸が締め付けられるように痛む。


お大師ノートに彼の殴り書きが残されていた。

そこにはSさんに対する怒りが爆発したかのような言葉の数々。

それを悪口と言ってしまえばそれまで。けれどもどんなにか

辛い出来事だったのかが読み取れる内容であった。


最後に「死に場所をさがしてやる」と書いてあり目を疑う。

あの陽気で明るい青年がと。いったいどんな重荷を背負っていたのか。

彼にとっては第二の故郷だったのかもしれない四国で

命を粗末にすることだけは決して許さないと思ったのだ。


生き抜くためのお遍路であってほしい。

生きようと思えるような旅であってほしい。

真っ青な海は決してきみの墓場ではないのだから。


もう二度と会うことは叶わないかもしれないけれど

もし会えたならきみをぶん殴ってやる。


これでもかこれでもかとそうしてきみと一緒に泣こう。





2020年11月21日(土) あの時の苦労があってこそ

今朝は少し冬らしさが戻って来てなぜかほっとする。

やはり季節に似合った「温度」が必要に思うのだ。

寒さあってこその「ぬくもり」はとてもありがたいもの。



いとこの息子さんから「ツガニ」をたくさんいただく。

別名「モクズガニ」とも言い上海蟹によく似ているのだそう。

卵やカニ味噌が詰まっており今が旬の川の幸である。


今はいただいてはご馳走になってばかりいるけれど

昔は私達夫婦も「ツガニ漁」をしていた頃があった。

じいちゃんが30歳、私が25歳の頃から始めたと記憶している。

お舅さんが亡くなったばかりで後を継いだのだけれど

慣れるまではほんとうに大変で苦労の多い仕事だった。


餌にするお魚のアラ等を街の魚屋さんに貰いに行って

竹で編んだ巻き簾にくるくるっと巻き漁の準備をする。

カニ籠は80個位だったろうか、その分の餌が必要であった。

餌を保存するような特別な冷蔵庫もなかったので

翌朝漁に出掛ける頃には仕方なく異臭が漂っていたりする。


籠と餌を軽トラックに積み込みシートで覆い隠すようにして出掛けた。

四万十川ではなく隣町の山深い小さな川ばかりで

それぞれに縄張りのような場所がありカニ籠を川に浸けて行く。

時には近くに民家がありそこの人に睨み付けられることもあった。

それがいちばん嫌だった。堂々と胸を張れない心苦しさを伴う。


それでもそうして食べていかなければいけない。

幼子ふたりを抱えてのどん底の暮しを余儀なくされていた頃。


大きな蟹は関西方面等に出荷したけれど小さな蟹は食卓にあがる。

姑さんが石臼で細かく砕いて「ふわふわ汁」をよく作ってくれた。

それがとても美味しくて何杯もおかわりをしたことを憶えている。


川漁師だけでは生計が成り立たなくなりじいちゃんは再就職。

毎月のお給料がどんなにありがたかったことだろう。

私も近くの縫製工場に就職しやっと人並みの暮しが出来るようになる。


ツガニを食べるたびに思い出す遠き日の事が今ではとても懐かしい。

あの時の苦労があってこその今である。貴重な体験をさせてもらった。

もう35年以上の歳月が流れてしまった夜にこれを記す。





2020年11月20日(金) だからこれはひみつ

雨のち晴れ。夕方から北西の風が吹き始める。

西の空はうろこ雲。ほんのりと紅く染まりなんときれいだった。

「夕暮れ時はさびしくて」そんな歌もあったけれど

しんみりとするどころか夕飯の支度へとこころが動くばかり。


若き日のあの涙ぐむようなせつなさは何処に行ってしまったのだろう。

恋をすることはなくなったけれど「愛しさ」はどんどんふくらむ。

老いるということはきっとそういうことなのかもしれない。




夕飯時にまたあやちゃんを怒らせてしまった。

あまりに文句を言うものだから「もう一回言ってみなさい!」と

きつい口調でにらみつけたら怒って子供部屋に閉じ籠ってしまう。

娘が宥めに行ったら「おばあちゃんと一緒に食べたくない」と言う。


今日の私は悲しくはなかった。「ふん勝手にすれば」の気持ち。

「子供相手にムキになるなや」とじいちゃんは笑うばかり。

怒るなら怒ってやる「倍返しだ」「かかってこいや」


あやちゃんはかかっては来なかった。泣いてもいなかった。

私の顔を見ないようにしながら黙々とご飯を口に運んでいたのだった。



愛しさは言葉には出来ず愛しさは時にすがたを変える。


日記に書いたよと言えばまたきっと怒られてしまうだろう。

だからこれはひみつ。あやちゃんには内緒にしていてくださいね。



2020年11月19日(木) 人参のきんぴら

夜が明けておどろいたのは入道雲だった。

もくもくとそれはまるで生き物であるかのようにゆっくりと動く。

11月も半ばを過ぎて夏の名残だとも思えず

「季節はずれ」としか言いようがない不思議な光景であった。

週末には平年並みの気温に戻るとのこと

寒さは苦手だけれどやはり初冬らしくあってほしいとおもう。




あり合わせのお弁当を食べながらふっと子供の頃を思い出す。

まだ給食もなっかた頃のこと母は毎日お弁当を持たせてくれたけれど

どんなお弁当だったのかまったく憶えておらず

美味しかったと言う子供心さえなんだか失ってしまったようだ。

勤め人だった母にとってどんなにか忙しい朝だったことだろう。

憶えていないなどと言ったらきっと悲しむに違いないと思う。


それなのに仲良しだった「まやちゃん」のお弁当はよく憶えている。

ほぼ毎日のように「人参のきんぴら」が入っていたのだった。

まやちゃんは人参が嫌いだったので「また入ってる」と嘆いた。

残して帰るとお母さんに叱られるといつも泣きそうな顔をする。


ある日のこと良いアイデアが浮かんだ私は「食べてあげる」と。

それがまやちゃんを助ける一番の方法に思えたのだろう。

人参のきんぴらはほんのり甘くてとても美味しかった。

うちのお母さんも作ってくれたら良いなあと思ったくらいに。


学校から帰るといつもまやちゃんの家で遊んでいた。

空っぽのお弁当箱を見てまやちゃんのお母さんがとても喜んだのだ。

「人参食べられるようになってえらいね」とほめてくれた。

「おいしかったでしょ?」と訊くので困ったまやちゃんに

小さな声で「おいしかった」と言うとそのまま伝えたのだった。

ふたりで顔を見合わせて苦笑いしたことをよく憶えている。


それからずっと私は「人参のきんぴら係」になったのだった。

まやちゃんのお母さんを騙している罪悪感が確かにあったと思う。

だから今でも忘れられずにいるのではないだろうか。


半世紀以上の歳月が流れたけれど私はあれ以来食べたことがない。

まやちゃんと同じく人参嫌いのひとと結婚をしたのだった。





2020年11月18日(水) えっへん。えっへん。

ここ数日のなんと暖かいこと。今日も夏日に近い気温になる。

それでも銀杏の葉ははらはらと散っていく。

地面を黄色い絨毯のように敷き詰めてそれは風に逆らえず

近くの小川に浮かんでは水の一部にさえなり得るのだった。




職場にタイヤ交換のお客さん。私とほぼ同年代に思われる。

子供の頃の毎日のお小遣いが5円だっり10円だったり。

春はイタドリ。夏はヤマモモ。秋はアケビがおやつだったこと。

野イチゴも美味しかったそうで竹の筒に押し込んでは

ジュースみたいにして飲んだのだそうだ。

それは経験がなかったのでとても新鮮な話に聞こえる。

私も山育ちだけれど竹の筒には縁がなかったようだ。


それからお互いの孫がふたりとも同い年だと知る。

同居も同じなものだからすっかり意気投合してしまった。

けれどもちょっと孫の自慢話。ひたすら聞き役に回るしかない。

「すごいねえ」と相槌を打てば満面の笑顔になり話がすすむばかり。


これがお客さんでなかったらこちらも負けじと話すのだけれど

ここはぐっと我慢するしかない。それでこそ商売人と言うもの。

聞き役はとても大切。とことん耳を傾けてあげなくてはいけない。


「どうもお待たせしましたね」同僚の声に正直ほっとする。

お客さんは支払いを済ませてくれてにこにこと笑顔で帰って行った。



ピアノ。あやちゃんだって今よりきっと上手になる。

字だってきれいに書ける。九九もすらすらすっかり覚えた。

作文もすごい上手。詩だって今年も市展に入選したんだもん。

えっへん。えっへん。



2020年11月17日(火) はいはいわかりました

朝の曇り空が嘘のような晴天になり

まるで春風のような風が吹き抜けていく。

少し老いたススキがみな頭をそろえてぺこんぺこんと

おじぎをしているように見えて可愛らしいなあと思った。

おじいさんだろうかおばあさんだろうか

おじぎを繰り返しながら空とどんな話をしているのだろう。




めいちゃん今日は保育園へ。

もう大丈夫と娘が言うのでその言葉を信じてみる。

それでも急変があるかもしれないと少し心配でもあった。

夕方無事に元気に帰って来てくれてほっと胸を撫でおろす。

笑顔がとても嬉しかった。「ほいくえんたのしかったよ」と。

どうかどうかと祈るきもちきっと神様に伝わったのだと思う。



今夜はすぐ側であやちゃんがピアノの練習をしている。

椅子にちょこんと正座をしていて足の指が並んでいるのを

こちょこちょっとしたいのだけれど我慢をしているところ。

練習曲がちょっと難しいようで娘が教えているのだけれど

なかなか上手く弾けず何度も同じところを繰り返している。

おばあちゃんは邪魔なのだそう。さっさと寝ればと言わんばかり。


はいはいわかりました。今夜の日記はこれにて終了です。



2020年11月16日(月) バイキンマンをやっつける

曇り日だったけれど20℃を超えずいぶんと暖かくなる。

二十四節気の「小雪」まであと6日。

季節は初冬のはずだけれどまだ晩秋と言ってもよいのかもしれない。


すっかり葉を落とした柿の木にまるで飾られたような柿の実。

夜な夜なハクビシンが食べに来るのだそうだ。

残しておいてあげなくてはいけない。彼らも生きようとしている。



娘が午前中仕事を休みめいちゃんを病院へ連れて行く。

今朝は階段の上り下りも出来るほどに回復していたけれど

検査をしてもらった結果まだ体内に菌が残っているとのこと。

点滴をしてもらい抗生剤を処方してもらったようだった。


仕事から帰宅すると玄関まで飛び出してくる。

にこにこと笑顔で迎えてくれてどんなにかほっとしたことか。

点滴の時に少し泣いたよう。それも忘れたかのように話してくれる。

「おかあさんはおしごといったよ」と少し寂しかった様子。


夕飯の牛丼をおかわりしてくれて食欲も出て来たようだった。

もりもりと食べている姿を久しぶりに見てほっと嬉しくてならない。

もう大丈夫だろう。幼いながらに乗り越えようと頑張っているのだ。


まるでバイキンマンをやっつけているアンパンマンのよう。

そう書きながらもうアンパンマンの年頃ではなくなったのかと

ずいぶんと成長したことを感慨深く思う夜であった。







2020年11月15日(日) ぴーぽーぴーぽー

連日の小春日和が続いている。

ずっとこんな日が続いてくれたらどんなに良いだろうか。

やわらかな陽射しをあびているとふっと猫になりたくなる。



昨夜発熱しためいちゃん。今朝は足だけではなく身体中の痛みを訴える。

布団から起き上がることも出来ずトイレにも行けなかった。

これはただごとではないと救急外来に連れて行くことにしたのだけれど

抱きあげようとするとひどく痛がり泣き叫ぶばかりだった。

2時間ほど四苦八苦をした挙句にとうとう消防署に相談をすることに。

そうしたら快く引き受けてくれて救急搬送してくれることになった。


めいちゃん生まれて初めての救急車。どんなにか緊張したことだろう。

それでも素直に従ってくれて泣き叫ぶこともなく無事に運ばれて行く。


娘からの連絡を待つ間のなんと心細く落ち着かなかったことか。

病院へ行きたかったけれど「取り乱すな」とじいちゃんに叱られる。

「命に関わるような事ではないぞ」と言う。確かにそうだった。


やっと娘から連絡があり「ウィルス性の関節炎」ではないかと。

幸い入院は免れ明日詳しい検査をすることになり一時帰宅となった。


痛み止めの座薬が効いているのか今はずいぶんと楽になっているよう。

少しずつ歩けるようになってお風呂にも入る。

昨夜からの事がなんだか嘘のようで狐につままれたような夜だった。


家族がみなどうか健康でと祈ることもおばあちゃんの大事な役目。





2020年11月14日(土) あっけらかん

朝の冷え込みが緩み日中も夏日に近いほどの暖かさとなる。

しばらくは暖かい日が続くとのことありがたいことだ。


午前中の干潮時に海苔の様子を見に行く。

堤防からでもはっきりと見えるほど海苔網が緑に染まっていた。

「今年は順調かもしれないな」とじいちゃんと頷き合った。

不作の年がもう何年も続いていてふっと希望が見えた気がする。


同時に体調の不安も無きにしも非ず。豊作となれば忙しくなり

職場との二足の草鞋の尾が切れてしまうのではないかと。

やってみないとわからないけれど自信がなく少し戸惑う。

不安がればきりがない。当たって砕けるしかないのだろうか。

収穫はまだまだ先の事なのに今からこれでは先が思いやられる。



午後、参観日で登校していたけい君をお迎えに行く。

めいちゃんも一緒に行ってくれたのだけれど

お正月以来会っていないふたりは一言もしゃべらなかった。

照れくささもあったのだろう。すっかり小学生らしくなったけい君。

マンションの玄関まで送り届けるとさっさと姿を消してしまった。

めいちゃんにとっては予想外の出来事だったのかもしれない。


それが原因ではないけれど夕方からまたとても機嫌が悪く

娘に抱っこをせがみ足が痛いのだと言って泣き止まず。

どうやらそれは熱の出始めだったらしくとうとう発熱してしまった。


はらはらと心配する私をよそに娘は今夜もあっけらかんとしている。



2020年11月13日(金) ありがとうごめんなさい

曇り日。夜明け前にはかすかに雨の匂いが漂っていた。

暗闇から不思議な鳥の声がする。それはなんだか悲鳴のようでもあり

いったいどうしたことかと思いながら耳を澄ましていたのだった。

その名も知らぬ鳥を「きみ」と呼ぶ。きみは眠らない鳥なのだ。



朝食の支度を終えた頃、じいちゃんが「出てるぞ」と教えてくれる。

先日知らせがあった「高知県文芸賞」の受賞者名が新聞に載っていた。

それは新聞の片隅にとてもちいさく見逃してしまうほどの記事。

気づかなくても良かったのだと思うほどの些細な事だったけれど。


午前中にメールラッシュ。恩師や友達などなど

それはとてもありがたく嬉しいことではあったけれど

たいした賞でもないのにと思うと複雑な気持ちが込み上げてくる。


お昼には電話もあり懐かしい友の声を聴くことが出来た。

その友が教えてくれたのだけれど「ライン」で知ったとのこと。

朝一でメールをくれた友がみんなに知らせたことがわかる。

一瞬そこまでしなくてもと思ったけれど友を責める訳にもいかない。

本音を言えば騒ぎ立てずにそっとしておいて欲しかったのだ。

決してすごい事でも自慢するようなことでもないことを

私自信がいちばん知っている。もしそうならとても愚かなことなのだ。


夕方またメール。もう返信する気力も無かった。

ありがとうごめんなさいとこころで手を合わすのが精一杯である。


トモダチ。こんなにたくさんいたのかなとアラタメテ思う夜に。




2020年11月12日(木) ありのままの私を見て

朝の冷え込みもつかの間。日中はとても暖かくなる。

夜になってもあまり気温が下がらず今夜は暖房が要らない。


孫たちがお風呂に入っていてはしゃぎ声が聴こえている。

ほっこりと気分が明るくなるありがたい声だこと。


めいちゃんはまだ夕飯を食べていない。

食欲がないようで気がかりでならないのだけれど

お菓子の食べ過ぎだろうと娘が言うのでそう思うことにする。


今朝は発疹が出ていて保育園をお休みしたのだった。

熱はなかったけれど念のためにと娘が病院へ連れて行ったのだけれど

「風邪」だと言う事。なんだか納得のいかない診察であった。

心配性の私をよそに娘はなんともあっけらかんとしていて

それでこそ母親なのだろうと感心したりしている。

大丈夫なのだ。何度だってそう自分に言い聞かせてあげよう。



仕事帰りに母の施設の入居料を支払いに行く。

お世話になっているケアマネさんにも会うことが出来て

母が変わりなくとても落ち着いていると聞きほっとした。

面会を希望するような時間の余裕がなく少し心苦しい。

その足でスーパーで買い物。急いで帰宅したことだった。


最近なんだかいろんなことを疎かにしている気がする。

そもそも私はそんなに律儀な人間でもないのだろうとも思う。

優しくもないし対人関係は特に「冷たい」とさえ思える。

そんな私の冷たさを知っている人がいるのだろうか。


優しいふりはもうたくさん。ありのままの私を見てほしい。



2020年11月11日(水) どんな時もあってよし

雲ひとつない青空。朝の寒さが嘘のように暖かくなる。

職場の近くにある銀杏の木がすっかり黄金色になり

青空に映えきらきらと輝いているがとても綺麗だった。


目で見たままに写真が撮れたらどんなに良いだろうか。

最近思うように写真が撮れなくて残念でならない。

先日の「紅葉」の写真もすべてボツに等しかった。

あんなに綺麗だったのにとついつい嘆いてしまいそうになる。


「低迷期」と言うのだろうか。何をやっても駄目な時があるものだ。

そうして自信を失くしていくのだけれどそれも試練のようなもの。

壁にぶち当たってこその「痛み」を乗り越えなければいけない。




めいちゃん遠足の日。とても楽しかったようだけれど

お昼寝がなかったせいか夕方から眠くなりとても機嫌が悪くなる。

とうとう夕食前に炬燵に潜り込み寝入ってしまったのだった。


さっき目を覚まして今は娘とお風呂に入っている。

めいちゃんに話しかけたくてたまらないのを我慢しながら

「おばあちゃんはかまい過ぎ」と娘に言われるのが少しこわい。


幼い子供でもそっとしておいて欲しい時があるのだろう。

おとなはもっともっとそんな時があるのかもしれない。


どんな時もあってよし。明日はあしたの風が吹くのだから。



2020年11月10日(火) こころの余裕と時間の余裕

ぐんと冷え込んだ朝。昨日よりも今日と日に日に寒さがつのるばかり。

それでも少しずつ慣れているのだろう。今朝は苦にも思わなかった。

むしろきりりっとした寒さを心地よく感じられるようになる。


お隣の庭に山茶花の花が咲き始めたのをほっこりと眺めつつ

洗濯物を干す。朝陽がきらきらと眩しい。澄んだ空気が美味しい。



すっかり元気になっためいちゃんを保育園に送って行きたかったけれど

通勤路で道路工事が始まっており通行時間規制が始まっていた。

ゆっくりと家を出る訳にもいかずめいちゃんを宥めてから

急いで家を出る。そんな気忙しさがなんだか嫌だなと思った朝。

こころの余裕はもちろんだけれど時間の余裕がないのは辛くなる。



仕事がとても忙しく一時間の残業になりくたくたになって帰宅。

「なんのこれしき」と思っても身体はとても正直なもの。

洗濯物をたたみ終えるなり10分でもと横になっていた。

大相撲を観ていたじいちゃんが「炎鵬だぞ」とおしえてくれる。

残念、今日も負けてしまった。なんだか可哀想でならない。


「ただいまあ」とあやちゃんが帰って来て「おかえりい」と。

娘とめいちゃんがえらく遅いなあと思っていたら

明日の遠足のお菓子を買いに行っていたのだそう。


遠足楽しみね。明日も日中は暖かくなりそうだから良かったね。


さっきこれを記している時にめいちゃんが部屋へ入って来て

長袖のパジャマを着ていたのでおばあちゃんはほっとしました。



2020年11月09日(月) 小春日和と老婆心

初冬らしく冷え込んだ朝。北国は雪のようだった。

それを思えばこれくらいの寒さで嘆くわけにはいかない。

まだまだ序の口と思っていても身に沁みる寒さであった。

日中は20℃近くなり小春日和のなんとありがたいことだろう。



めいちゃん昨夜微熱があり今朝は平熱になっていたけれど

念のために様子を見る事にして保育園をお休みする。

月曜日で仕事が休めずじいちゃんに任せて職場に向かう朝。


仕事を終えて帰宅するとめいちゃんが庭で遊んでいて

「おばあちゃんおかえりなさい」と車まで駆け寄って来る。

すっかり元気そうな様子にほっと胸を撫で下ろしたことだった。


朝からずっと子供部屋にこもってひとりで遊んでいたそう。

昼食もじいちゃんに運んでもらってひとりで食べたそうだ。

独りぼっちで寂しくはなかったのか。すごい成長ぶりに驚くばかり。


明日は保育園に行けそう。もうきっとだいじょうぶ。



お風呂上がりにあやちゃんは長袖のパジャマを着てくれたけれど

めいちゃんは嫌がり半袖パジャマを着て「さむくない」と言う。

頼もしくもありはらはらと心配もしたり忙しい老婆心であった。

娘から「口出ししないで」と言われたらしゅんと悲しくもなる。


孫たちはどんどん成長していくけれど

私は全く成長していないのだとおもう。

ただただ老いていくばかり。老婆心は日に日につのるばかりだった。


それが「おばあちゃん」なのだなと思うことにする。

きっと私はおばあちゃんらしく成長しているのだろう。





2020年11月08日(日) 平穏無事と書く

もう初冬にしては暖かな朝。雨あがりの空をほっと仰ぐ。

雲が多く快晴ではなかったけれど穏やかな小春日和となった。

そんな暖かさも長続きはしないそうで冬らしい寒さを覚悟しておく。

いつから冬が苦手になったのだろう。老体に緊張感が走るばかり。



紅葉が見頃とのことでぶらりと出掛けようとしていたところ

めいちゃんが突然の嘔吐。熱もなく元気なのにどうしたことか。

何度も吐くので心配になり娘が救急外来に連れて行くことになる。

「大丈夫だから行って来なさい」と言ってくれて

後ろ髪を引かれつつも家を出た朝のこと。


さすがに遠出をする気にはなれず近場の「黒尊渓谷」まで

同じ市内とは言え人里離れた山奥の悪路の末にそこはあった。

四万十川の支流の黒尊川の清らかな流れ

川沿いには目を見張るほどの綺麗な紅葉が見られる。

それはすでに廃校になった小学校の庭にも。

かつての営林署の廃屋となった官舎の片隅にも。

そんな風景に不思議な懐かしさを感じる。

きっと幼い頃に何度か訪れていたのだろうと思う。

営林署に勤めていた父はよくいろんなところに連れて行ってくれた。


「黒尊渓谷」でちょうどお昼になったけれどお弁当を持参しておらず

昼食に困り果てて屋台のたい焼きを買って空腹を満たす。

ぬくぬくのたい焼きはほっこりと美味しかった。


めいちゃんが気がかりでならず急いでとんぼ返り。

帰宅したら薬を飲んでお昼寝をしているところだった。

救急外来には小児科の医師が不在だったそうだけれど

「胃腸炎」だろうと吐き気止めの薬を処方してくれたそうだ。


夕食に娘が雑炊を作ると「おいしい」と二杯もおかわり。

食後の嘔吐もなくいつものようにお風呂に入る。

「だいじょうぶ?」と私が何度も訊くものだから

「おばあちゃんはうるさい」とさっきも言われたばかり。


隣室からのはしゃぎ声にほっとしながらこれを記す。

平穏無事と書く。ありがとうございましたと書く。



2020年11月07日(土) 赤ちゃんちょうだい

雨のち曇り。立冬とは思えないほどの暖かさとなる。

優しい雨はぽとんぽとんと音を奏でまるで空の鼓動のようだった。

そうして冬がはじまる。やがて名ばかりの冬ではなくなることだろう。



娘夫婦が仕事だったので孫たちと過ごす。

ふたり「鬼滅の刃」の塗り絵に夢中で子供部屋から出ようともしない。

昼食も部屋へと運び「どうもおまたせしました」と言ってみたり

「おばあちゃんお茶、おばあちゃん牛乳」とけっこう忙しい。


午後。あやちゃんは近所のお友達の家に遊びに行き

めいちゃんはまあちゃんのお父さんに海へ連れて行ってもらう。

綺麗な貝殻をたくさん拾って来ていてとても楽しかったよう。


夕方まあちゃんの弟の赤ちゃんを抱っこさせてもらった。

ちいさな命のなんと可愛らしいこと。まあちゃんに

「赤ちゃんちょうだい」と言ったら「いや!」と怒られてしまった。


あやちゃんもめいちゃんも生まれたばかりの頃を懐かしく思い出す。

沐浴をさせたことミルクを飲ませたことオムツを替えたこと

つい昨日のように思うけれどいつも間にか歳月が流れてしまった。

ふたりとも大きくなった。随分と成長したことを感慨深くおもう。

まだまだこれからなのだろう。なんとしても見届けたいものだ。




今夜は四万十市でシークレット花火が上がった。

残念ながら我が家からは見えなかったけれど

音だけはしっかりと聴こえしんみりとこころに沁みたことだった。


立冬の夜に花火。それは冬の始まりを知らせる粋な計らいであった。



2020年11月06日(金) 寒さなければ花は咲かず

曇り日。朝の寒さも和らぎ日中もずいぶんと暖かく感じる。

今夜から雨になりそう。一雨ごとに季節は冬へと移ろうことだろう。


山里の郵便局の駐車場に枯れ葉がいっぱい。

どうやらそれは向かいの小学校の桜の葉のようだった。

桜紅葉もとうとう散り始めたのかと感慨深い光景であった。

やがては裸木。そうして寒い冬を越えてこその花である。

「寒さなければ花は咲かず」この言葉が私はとても好きだ。




仕事を少し早めに終らせてもらって警察署へ。

5年ぶりの自動車免許更新手続きをする。

今回は残念ながらゴールド免許ではないのだけれど

また5年の有効期限を頂けるそうでとても思いがけなかった。


写真を撮る時にふっとお葬式の写真になるのかもしれないと

そう口にすれば係の女性が「まだ若いのに何を言ってるんですか」と

笑った。だから私も笑った。決して冗談ではなかったのだけれど。


写真は終活でもあり得る。出来れば笑顔の写真を残しておきたい。

きっと娘が選んでくれるだろう。「この顔がいいね」と言って。


長生きをしたい欲とある日突然を怖れる自分がいる。

明日の事など誰にも分からない。未来を確かめることだって。


どんなに生きたくても生きられないひともいると言うのに

命を粗末にするひとがいることに怒りさえ覚えるこの頃であった。


いただいたいのちを全うしなくてどうしますか。



2020年11月05日(木) 雲にのりたい

今朝は放射冷却だそうで今季一番の冷え込みとなる。

県の山間部では氷点下を記録した地域もあったよう。

もう「小春日和」と言っても良いのかもしれない。

日中はぽかぽかと暖かくなり蝶々も飛んでいたほど。


艶やかだったススキの穂がもこもこと綿毛のようになる。

あたりの山々を見渡せば所々に紅葉が見られるようになった。



今週は火曜日がお休みだったのでずいぶんと楽。

血圧が少し高めだけれど寒暖差のせいかもしれない。

体調が良くダル重さがないのが幸いだった。

仕事もさほど忙しくもなくのほほんと過ごしている。



ネットの光回線が順調に使えるようになったので

今日はNTTの解約をする。ほんとうに長いことお世話になった。

プロバイダーは解約せずメールアドレスとHPは残す手続きをする。

18年前に作ったHPはもう更新することが出来なくなっていて

表示さえ出来ないページもあるのだけれど

やはり愛着がありネット上から消えてしまうのは残念でならない。

愛着と言うより執着かもしれない。きっと私の拘りなのだろう。


「雲にのりたい」ほんとうにたくさんのご縁をいただいた。

「のんびりと頑張ってのんびりと元気でいよう」と。


いつかは私のネット上のお墓になるのだろうと思っている。






2020年11月04日(水) 祭りのあとのよう

ぐんと冷え込んだ朝。北国からはもう初雪の便りが届く。

立冬も近くなり秋の深まりもつかの間のことだろう。


職場の栴檀の木に実がたくさんついてオリーブ色が青空に映える。

それも日に日に黄金色に変わっていくのだった。

昔、鳥がその実を落としていって根付いたのだと聞く。

私が勤め始めたのは32年前。その頃にも確かにその木があった。

いったいいつ頃の事だったのだろう。尋ねる鳥はもうどこにもいない。




今日は娘婿の36歳の誕生日で家族皆でささやかにお祝いをする。

ビールの後にワインですっかり酔っぱらった娘婿が

「誕生日ってなんか幸せやな」と呟いたのがとても印象的だった。


家族6人のそれぞれの誕生日を祝う事が出来るのも

娘たちが一緒に暮らしてくれているおかげなのだと思う。

じいちゃんと二人きりだったらどんなにか寂しいことだろう。

そもそも私の誕生日さえ忘れてしまう人だったから

昔は悲しかったよなどとそれも笑い話になってしまうのだけれど。


今はなんだか「祭りのあと」のようでひっそりとしている。

かすかに隣室から孫たちの声が聴こえていて耳を澄ませながら

今夜も無事に日記を書き終えることが出来た。


「いい日」でした。ありがとうございました。









2020年11月03日(火) 冬の花を植えた日

雨あがりの穏やかな晴天。夜明け前には西の空にみかん色の月。

空気が澄んでいたのだろうそれはとても光り輝いていた。


文化の日で休日。火曜日なのに朝の気忙しさがなくなんともありがたい。

時間を気にせずゆるりゆるりと洗濯物を干したり食器を洗ったり。

ふと仕事を退職したら毎朝どれほど楽だろうとかんがえてしまった。

未だゴールが見えない。いったいいつまで走り続けるのだろうか。


朝のうちに近くの地場産市場へ。野菜と蜆とビオラの苗を買った。

さっそくビオラを玄関先に植える。寒さに強い冬の花の可愛さ。

花を愛でる時間の余裕さえもなかったのかとおもう。

夏の花はもうすっかり枯れてしまっていたのだった。



10時前、光回線の工事の人達が我が家へやって来る。

NTTにすっかり見捨てられてしまった地区のことで

仕方なく「関西ブロードバンド」と言う会社と契約をしたのだった。

ご近所さんからの薦めもありネット環境が最適になるのだそう。


簡単な工事だと聞いていたけれどけっこう大掛かりなもので

掃除の行き届いていない部屋のあちらこちらと移動する人達。

これにはさすがに焦りすっかり参ってしまった。

おまけに「僕たちは工事だけですから」とさっさと帰ってしまう。

工事が終わってもすぐに光回線が使えるわけではなかったのだ。


午後になり契約した時にお世話になった社員さんから電話あり

明日の夕方には設定に来てくれるとのこと。ほっと安堵する。

電話口からはまだ幼い子供の声が聴こえていた。

彼もお父さんなのだなと微笑ましく思いながらも

休日にも関わらずフォローしてくれたことがありがたくてならなかった。


ネット歴もかれこれ20年だろうか。

もはやネット無しでは生きていけないありさまになってしまったよう。



2020年11月02日(月) 雨に負けないで

絶え間なく空を縫うように雨が降り続いている。

幸い冷たい雨ではなくて暖かさは優しさにも似ている。

リズミカルな雨音はふと懐かしい歌にも聴こえるのだった。



朝のコンビニで外国人のお遍路さんと出会った。

「グッドモーニング」と声をかけるとにっこりと笑顔で応えてくれる。

青い目がきらきらしていた。息子と同じ年頃にも見える。

「レインね」と残念そうな顔をしてみせるとそれも笑顔で

「レイン!」と空を見あげて仕方ないねと言っているようだった。


コンビニのベンチは雨ですっかり濡れていて腰をおろす場所もない。

お遍路さんは立ったままの朝食を余儀なくされていたようだ。

コンビニでチョコを買い「スイーツプリーズ」と手渡す。

その時「ヤサシイネ」と日本語が聴こえたような気がした。

「雨に負けないで」と伝えたかったけれど私の英語力ではとても無理。

「グッドラック」と告げると「サンキュベリマッチ」の声。

言葉はうまく伝わらなくてもこんなにも笑顔になれるのだった。

車に乗って振り向くとお遍路さんが手を振ってくれていた。

私も窓から千切れんばかりに手を振った雨の朝のこれも一期一会。


明日はきっと青空になりますように。

お遍路さんがどうか無事に歩き続けられますように。



2020年11月01日(日) 霜月の始まりは日曜日

晴れたり曇ったり。夕方からぽつぽつと雫のような雨が降り始める。

霜月のことと寒さを覚悟していたけれど思いがけず暖かな一日だった。


朝のうちにお大師堂へ。それも日曜日の恒例となる。

まだ誰も訪れた気配のないお堂のひっそりとした佇まいが好きだ。

日捲りの暦を今日にしようと千切ったらうっかりしていたのか

千切り過ぎて2日になってしまった。あらまあと可笑しい。

画鋲を探して貼り付けるとそれなりの1日になった。


花枝は先週活け替えたばかりでまだ濃い緑のままで大丈夫。

お供えしていた蜜柑が残り少なくなっており

食べてくれた人がいてくれて良かったなとほっこりと嬉しい。

けれども残った蜜柑を手に取りびっくり。腐りかけていたのだった。

暖かい日が続いていたせいだろうけれどなんとも申し訳ない。

蜜柑を川に流す。ぷっかぷっかとなんだか悲しそうに流れて行った。


拙いけれど声を張り上げるように唱える般若心経。

こればかりはか細くてはいけない気がしてならない。

最後にはかならず大きな声で「ありがとうございました」と言う。


さらりさらりと流れる水辺の小道を歩いて帰れば

薄紫の野菊がたくさん咲いていてこころを和ませてくれる。


私の日曜日はそうして始まっていくのだった。


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