2020年12月31日(木) |
あたらしき朝に(2021年1月1日〜3日)お知らせがあります |
1月3日: お知らせがあります。
不具合の復旧が未定であり復旧しない可能性もありそうです。
このままここで日記を書き続けることがとても困難となりましたので
仮住まいとして新しくブログスペースをお借りすることになりました。
いつも読んで下さっている皆さまにはご不便をおかけしますが
どうか今後ともよろしくお願い致します。
ささやかな日常におつきあい願えたら幸いです。
本日からの新しい日記はこちらです。ゆらゆら日記
※日記の全文を表示するにはクリックが必要です。
2021年1月1日の日記
始まりはいつも今日のことでした一歩踏み出すあたらしき朝
昨夜の雪が薄っすらと残る元旦の朝。
新鮮と感じられるのはとてもありがたいことだとおもう。
一歩踏み出してみようとささやかな勇気のようなものを感じる。
SNSでは「おめでとう」の声が飛び交う。
それにどうしても馴染めずとうとう辟易としてしまった。
新年を迎えたことがおめでたいことだとは思えない。
先日の「素敵な一日」と同じく心ない言葉に思えてならなかった。
全国で留まることのない感染者の数。
多ければ多いほど医療従事者の負担も大きい。
コロナには年末年始などないのだ。どうかそれをわかってほしい。
「おめでとう」ではなく「おつかれさま」と言ってあげてほしい。
じいちゃんが「正月じゃないか」と笑い飛ばしてくれる。
家族がみな楽しみにしていてお昼にはささやかにごちそうを囲む。
息子が午後から仕事があり来られないと言うので
蟹やお寿司をマンションへ届けた。けい君にお年玉も。
にこにこの笑顔になんだか救われたような気がする。
先の見えない不安はどうしようもないけれど
勇気と希望を持って立ち向かっていかなければとつよくおもう。
どうか今年も平穏無事の日々が続きますように。
大切な家族をきっときっと守ってみせましょう。
※「エンピツ」の日記サイトに不具合が発生しているようで
2021年の日記の更新が出来なくなっているようです。
しばらく様子を見ながら題名に日付を入れて更新します。
2021年 1月2日
あけてふつか。冬晴れの穏やかな一日となる。
例年なら初詣にどこかのお寺にと向かうのだけれど
今年はすっかり諦めてしまってステイホームをつらぬく。
自粛する気持ちが大きい。お正月は三ヶ日とも思えず
いつもの週末のような気持で過ごすばかりだった。
元旦から仕事に励んでいる人も多いことだろう。
私も早く仕事がしたい。日常に返りたいとつくづく思う。
けい君が一緒に遊ぶ友達もいなくて寂しそう。
昨日約束をしていたので今日はマンションへ迎えに行く。
我が家に来るのは一年ぶりの事でとても喜んでいた。
あやちゃんもめいちゃんも大歓迎で仲良く一緒に遊ぶ。
一人っ子のけい君がふと不憫にも思えた。
弟か妹がいればと今更どうしようもできないことだけれど。
午後3時を過ぎ西日の暖かさに誘われるように皆でお大師堂へ。
娘と孫たちを追いかけるように私も久しぶりに歩いてみた。
お大師堂に着くなりあやちゃんが「なつかしいにおいがする」と。
まだ2歳だった頃から毎日お参りに来ていたのを思い出してくれたのか。
「おだいちしゃん」と言っていた。「なむだいちこんじょう」って。
私も懐かしく思い出す。ほんとうにあっという間に流れた歳月。
この子たちをどうかどうかお守りください。
大切な家族をどうかどうかお守りください。
ただただ祈る午後のこと。
2020年12月30日(水) |
またきっとあたらしくなる |
夕方から雪が降り始めた。今夜のうちに積もるかもしれない。
なんだか胸騒ぎがして落ち着かない夜になった。
不安はどこからやってくるのだろう。自分の胸に手を当てている。
おしえてほしい。わたしはどんなカタチをしているのですか。
年の瀬の波を漂っている。押し寄せてくるのは何ですか。
どうかゆるやかにわたしを押し流してください。
辿り着く場所がきっとあるでしょう。心やすらかでありたい。
そんな願いを込めて浮かんでいる。ここがわたしの居場所。
またきっとあたらしくなる。すくっと前を向けるだろう。
嬉しくて泣く日があっても悲しくて泣く日はないのだとおもう。
そんなふうに生かされている。命あってこその日々なのだ。
雪が降っています。こんこんと降っています。
※今年最後の日記になりました。
この一年の日々におつきあい下さりほんとうにありがとうございました。
自分のためにと言いつつもやはり読んで下さる皆さまのおかげです。
来年には19年目になりますが命ある限り書き続けたいと思っています。
ささやかな日々の事ですがどうかそっと見守って下されば幸いです。
コロナ禍の大変な世の中ですが、どうかどうか平穏無事に
新年を迎えられますようにお祈りしています。
2020年12月29日(火) |
ほっと肩の荷をおろす |
晴れ時々くもり。おひさまが見えたり隠れたり
曇っても寒さは感じず今日もずいぶんと暖かな一日だった。
とうとう今年もあと二日。年の瀬が波のように押し寄せて来る。
コロナ一色の大変な一年だったけれど
家族皆が身を寄せ合うようにして暮らした日々が愛しい。
「守りたい」一心だったように思う。
平穏無事であることがどれほどありがたいことだろうか。
順調に仕事が片づき無事に仕事納めが出来る。
義父や同僚のおかげである。ただただ感謝するばかり。
私もやれるだけのことはやったのだと思う。
難破船のような会社も何処かの島に辿り着いたような
安堵は安らぎに似てほっと肩の荷をおろした。
真っ先に母に報告すると「まあ良かった」と喜んでくれる。
昨日も心配して電話をくれたのだった。
もう退いたとは言え母も会社の一員なのだなと思う。
未だに仕事の事を決して忘れてなどいない。
帰宅してじいちゃんの顔を見るなり涙が出そうになる。
「よう頑張ったな」と言ってくれてとても嬉しかった。
昨日の事、あやちゃんが不思議そうな顔をして言ったのだそう。
「おばあちゃんは毎日お仕事に行っているのにどうして
おじいちゃんはお仕事に行かないの?」と。
痛いところを突かれたじいちゃんは「参った参った」と苦笑い。
答えに困り昨年の頭の手術の話をしたのだそうだ。
そうしたらあやちゃんが「そっか・・やっぱりね」と頷いたそう。
じいちゃんがお留守番をしてくれるおかげで私は仕事に行ける。
どんなに疲れて帰って来ても顔を見ただけでほっとするのだった。
「ただいまあ」と声をかけると「おう!」と言ってくれる。
じいちゃんこの一年ほんとうにありがとう。
年末年始は仲良く一緒に過ごしましょうね。
2020年12月28日(月) |
年の瀬の慌ただしさに |
夜明け前まで降っていた雨がやみ青空に朝陽が射し始める。
日中の気温が18℃にもなりまるで春のような陽気だった。
空を仰ぐ余裕もつかの間のこと。今朝のSNSで
「まったりとお過ごし下さいね」と言ってくれたひとがいて
仕事をしながらまったりとすることについて考えていた。
そうしたらなんだか可笑しくなってしまって
それは無理でしょうと結論に達したのだけれど
年の瀬の慌ただしさに負けてはいけないと言う事だったのだろう。
例の車検証を紛失したお客さん。再交付を依頼したら
法人名義のため会社印が必要だと言うこと。
御用納めの日であり今日中に高知市まで届けるのは無理だった。
仕方なく年明けまで待ってもらうことにする。
早めに車検の依頼をしてくれていたらと残念でならない。
もう一台は23万キロも走ったワゴン車の車検。
オイル漏れがありもう年内の部品発注が間に合わない。
これも車検切れ。応急処置をしてなんとか車検を通すことにする。
まだあるもう一台はエンジンのタイミングベルト交換。
帰省中のお客さんで部品は早めに注文してあったので大丈夫。
これは明日中に納車出来そう。とうとう今年最後のお客さん。
義父と同僚が一生懸命に頑張ってくれている。
私も整備士の資格があればと無理なことを思わずにいられない。
順調にいけば明日で仕事納めが出来るかもしれないと義父が言う。
私はいっぱいいっぱいの気持ち。
なんだかひどく疲れを感じながらのもうひと踏ん張りだった。
つかの間の青空。今夜から明日にかけ雨になりそう。
雨が降り出す前のしっとりとした空気も良いもの。
忍び足で誰かが近づいてくるような気配がする。
逢瀬なのか。いったい私は誰に逢いたがっているのだろう。
こころの鍵を開けられない。開けてしまえばきっと壊れてしまう。
朝の陽射しがあるうちにお大師堂へ。
ちょうどSさんと一緒になって「鏡餅を供えたぞ」と。
聞けば今日は「大安」だそうでさすがSさんだなと思う。
私も花枝に千両とかすみ草を添え一気に新年を迎える準備が整う。
今年最後のお参りになりそう。一年の感謝を込めて手を合わせた。
さあトイレ掃除。ちょうど干潮で川の水を汲むのに苦労したけれど
便器をきれいに洗い流すと清々しい気持ちが込み上げてくる。
もうこれで思い残すことはない。役目を終えてほっとするばかり。
今年はコロナ禍のせいもあり宿泊するお遍路さんも少なかったよう。
まして真冬のこと遍路道を歩くお遍路さんを見かけない日が多い。
春になればと希望のように思う。どうか平安な日が訪れますように。
祈ることで救われるような気がする。だから祈らずにはいられない。
高知県下の感染者がやっと一桁になる。
このまま減り続けてくれたらと藁をも掴む気持ちになった。
山里からの感染者はしばらく出ておらず安心と言って良いのか
明日のことなど誰にもわからないからこそ明日に向かう勇気が必要。
2020年12月26日(土) |
明日になってみないとわからない |
冬晴れの一日。降り注ぐ陽射しをありがたくいただく。
年末から年始にかけてまた最強寒波が襲って来るとのこと。
平野部でも雪になるかもしれないと聞きなんだか怖くなる。
子供の頃には雪が降ると大喜びしたのだけれど
いつの間にこんなにも臆病になってしまったのだろうか。
朝のうちにやっと久しぶりにお大師堂へ。
新年の準備などSさんに任せっきりでとても気になっていた。
花枝は誰かが活け替えてくれていてだいじょうぶ。
大晦日までに千両か南天の紅い実を添えようと思う。
お線香の補充をし和菓子をお供えする。
鏡餅はSさんが買って来てお供えしてくれるそうだ。
後はトイレ掃除。これだけは毎年私の役目だった。
今朝は時間の余裕がなく明日にしようと思いつつも
出来るかどうかは明日になってみないとわからない。
急ぎの仕事があり10時頃には職場に向かっていた。
工場はとても忙しく私だけ休むわけにもいかない。
お客さんが車検証を紛失していて車検が受けられないのだった。
月曜日に再発行を依頼すればなんとかなりそう。
毎年の事だけれど年末ぎりぎりに必ずあるトラブル。
今年最後のお客さんをなんとしても助けてあげたいと思う。
4時間ほど仕事をして帰宅するなり炬燵に潜り込んでいた。
うたた寝をしていたようで「そろそろ起きないか」とじいちゃんの声。
疲れているつもりはなかったけれど身体はとても正直だった。
今年もあと5日なのか。いよいよ押し詰まって来たのだと思う。
あれもしようこれもしようと張り切らずにいよう。
何もしなくても新年はやってくる。
いつもと変わらない日常でありたいものだ。
2020年12月25日(金) |
自分がどれほど恵まれているか |
陽射しはたっぷりとあったけれど吹く風の冷たさ。
枯れススキが風に揺れるのを見ながらふと
老いることもまた美しいのではと感じる。
「これだけは」と言う信念のようなもの
一生かかってもそれを守り抜いてみせたいと思うのだった。
クリスマスの朝。めいちゃんは4時前から起きていたそう。
サンタさんにお手紙が届いていて良かった。
どんなにか朝を楽しみにしていたことだろう。
孫たちの嬉しそうな顔を見ながらつくづく平和だなと思う。
その反面、コロナ禍と闘っている医療従事者の方達を気遣う。
イブの夜も心休まることもなく働いていたことだろう。
クリスマスどころではないのだ。浮かれてなどいられない。
母親であったり父親でもあるだろう。家族と過ごす時間さえも
コロナの為に犠牲にしなければいけないそれが現実だと思う。
感謝はもちろんだけれどもっともっと労わってあげなくては。
だからなのだ。私がどうしても馴染めない「素敵な一日」
SNSではそれが当然のように飛び交い辟易とするばかり。
おそらくスマホでは「す」と入力すれば「素敵な一日」と出るのか。
だから毎日「素敵な一日を過ごしましょう」と言い続ける。
もういい加減にしてと思ってもまた明くる日も同じことを言うのだ。
それを心ない言葉と言っても他言ではないと思う。
思い遣りがまったく感じられない。ある意味「かなしい」言葉だ。
幸いと言っていいのか今日も平穏無事に暮れていった。
自分がどれほど恵まれているかをつくづくと感じている夜に。
冷たい雨の一日。けれども必要な雨なのだと思う。
草や木や花や畑の作物がどんなにか待ちわびていたことだろう。
そうして渇いたこころにもそれはしっとりと潤いの水を与えてくれる。
仕事を終えて買物を済ませくたくたになって帰宅したら
冬至の日に注文していためいさんの初めての詩画集が届いていた。
「いまきみがきみであることを」詩・白井明大。画・カシワイ
クリスマスイブに届くなんてなんだかサンタさんの贈り物のよう。
嬉しさがそのままぬくもりになる。ほっこりとあたたかくなる。
宝箱のふたを開けてゆっくりとひとつひとつ確かめるように
読みたいと思う。私にとってめいさんの詩ほど心に響く詩はない。
憧れとも違う。なんといえば言いのだろう。うまくいえないけれど。
好きなのだ。どうしようもなく好きとしか言いようがない。
我が家のめいちゃんに「おばあちゃんにもサンタさんが来たよ」と。
そうしたらきょとんと不思議そうな顔をして見せる。
あやちゃんが「年れいせいげんがあるがぜ」と笑い飛ばすのだった。
でもこれは確かなこと。いまその贈り物を胸に抱いている。
朝の寒さもつかの間。日中は陽射しに恵まれとても暖かくなる。
人間の身体とは不思議なもので陽射しを浴びると気の流れが良くなり
溌剌とはいかないまでもなんとなく元気が出て来るものだった。
うんいい感じ。勢いはないけれどすくっと歩み出せるような
何処に向かうのかわからなくてもそんな一歩が心強いものなのだ。
職場の年賀状をすべて書き終え投函しほっと肩の荷を下ろす。
来週の車検予約はもう入っておらず年内の仕事を終えられそう。
勝手にそう思い込んでいたけれど義父が「30日までやるぞ」と。
社長がそう言うなら従うしかない。同僚と顔を見合わせ苦笑い。
大掃除もして気持ちよく新年を迎えようと思ったことだった。
資金繰りは今のところ順調で頭を悩ますこともない。
母が聞いたら目を丸くしてきっと驚くことだろう。
そんな母との面会もやはり年内はもう無理だと思う。
とても薄情だけれど「会いたい」という気持ちもないのだった。
夕飯は牛丼とポテトサラダ。どちらもあやちゃんの好物。
決して機嫌を取っている訳ではないのだけれど
喜んで食べてくれるのがとても嬉しいのだった。
明日はもうクリスマスイブで「パーティーよ」と娘が言う。
そんなプレッシャーもまた「かかってこいや」と思う母であった。
2020年12月22日(火) |
一年なんてあっという間 |
氷点下の朝だったけれど日中はぽかぽか日和。
夜が明けるのを待ちかねて洗濯物を干していたら
お隣の庭にアロエの花が咲いているのが見える。
いつかの冬にもはっと驚いたことがあったけれど
真冬に花を咲かせるのだ。オレンジ色の鮮やかな花。
寒さにも負けずなんと逞しい花なのだろう。
仕事で年賀状の宛名書き。すべて印刷では味気ない気がして
毎年宛名だけは手書きで書くようにしている。
今日は120枚がやっと。そのまま郵便局に走り投函する。
残りは明日。すべて出し終えたら肩の荷が下りることだろう。
自分は年賀状を出さないと決めたのだけれど
さすがに職場の年賀状を疎かにすることは出来ない。
帰宅したら娘の車があり洗濯物も取り入れてあった。
台所もきれいに片付いていて娘がお休みだったことを知る。
仕事から帰るなり家事に追われなくて済みとてもありがたいこと。
夕飯は野菜たっぷりの煮込みラーメン。あやちゃんが嫌だと言う。
以前は好きでよく食べてくれたのに「もう嫌いになった」のだそう。
おばあちゃんは毎日頭を悩ませながらメニューを考えているけれど
そんな苦労を話したところで笑い飛ばされてしまいそうだった。
そうかと言って毎日あやちゃんの好きなものばかりとはいかない。
「嫌なら食べなければいい」といつも娘は言ってくれるけれど。
お風呂の柚子も捨てることになった。「もういい」と皆が言う。
私だけでもと思っていたらじいちゃんがすでに入浴剤を入れていた。
今夜は「森の香り」でさすがに柚子は合わないだろうと諦める。
また来年の冬至のお楽しみ。一年なんてあっという間のこと。
今年もあと9日。明後日にはもうクリスマスイブだった。
めいちゃんのサンタさんへのお手紙はもう届いただろうか。
サンタさんが来てくれると信じている純真な子供心が愛しい。
2020年12月21日(月) |
柚子いっぱいのお風呂 |
二十四節気の「冬至」あっという間に日が暮れる。
日中は陽射しに恵まれおひさまのありがたさをつくづく感じた。
明日から少しずつ日が伸びていくと思うとやがて春と
浮き立つような気持になる。終わらない冬はないのだもの。
山里の職場に着くと机の上に柚子がそっと置かれていた。
柚子農家のお客さんが約束通りに届けてくれたのだった。
もう収穫も終わりらしい。最後の柚子をありがたく頂く。
今夜は柚子風呂。昨夜はカラスの行水だったけれど
ゆっくりとお湯に浸かりぽかぽかと温まる。
柚子が湯船の中であっちへ行ったりこっちへ来たり
お尻にぴたっとくっついたりもして愉快で楽しい。
孫たちもきっと喜んでくれるだろうと笑みがこぼれる。
今朝のラジオで柚子風呂は3日目もいけますと言っていたので
すぐに捨ててしまわずに明日も柚子風呂にしようかなと思う。
めいちゃんがまた夕食前に眠くなりダウン。
保育園のお昼寝がないとさすがに疲れが出るようだった。
慣れるまでにはもう少しかかりそう。大丈夫きっと慣れてくる。
さっき目を覚まして今は娘と一緒にお風呂に入っている。
はしゃぎ声が聴こえてくるのを微笑みながらこれを記す。
めいちゃんの青いお尻にも柚子がぴったんこしたかな。
朝から青空。陽射しはたっぷりとあったけれど冷たい風。
そんな冬らしさを楽しむようにのんびりと過ごす。
お大師堂が気になりながら今日も行けず。
先日Sさんからの電話で「気にせんでもええよ」と。
けれども昨日も山里から感染者が出ていたのだった。
やはりもうしばらく様子を見たほうが良さそう。
午後、孫たちの近所のお友達が遊びに来てくれる。
よけいな心配をしていたのも思い過ごしだったのだろうか。
夕方まで遊んでくれて久しぶりに賑やかな日曜日だった。
夕飯は「寄せ鍋」あやちゃんの好きな葛きりも忘れず。
お汁をご飯にかけてそれは美味しそうに食べてくれて嬉しかった。
めいちゃんは〆のおうどんをちゅるちゅると食べてくれる。
お風呂の時間になり脱衣所でめいちゃんと一緒になる。
「おばあちゃんとはいるのはいや!」と言って聞かない。
仕方なく私が大急ぎで先に入ることにしたのだけれど
すっぽんぽんのめいちゃんが脱衣所で待ちかねていた。
「おばあちゃんはカラスの行水よ」と言うと
「どうしてカラス?おばあちゃんはブタなのに」と言う始末。
けらけら笑いながらなんと愉快なことでしょう。
まだ青いお尻をぷりぷりさせながらお風呂に飛び込んだめいちゃん。
大きな声で鼻歌を歌い始めてその声がなんとも可愛かった。
我が家はこんなにも平和。何があっても平和でありたい。
嘆くことは何ひとつないのだと思う。
明日も陽射しがいっぱいに降り注ぎますように。
2020年12月19日(土) |
私は決して頑張りはしない |
曇りのち少しだけ晴れ。陽が射し始めるまでの寒かったこと。
家事をする気にもならず炬燵にもぐり込んでばかり。
ご近所の鶏頭の花がいつの間にか焦げ茶色になっていた。
あの燃えるように紅かった花がとなんともせつない。
「枯れる」ことに敏感になってしまったのだろうか。
私の情熱はいったい何処に行ってしまったのだろう。
ふと恋をしてみたいと思った。それも叶うはずはないのだけれど。
誰かを想えば胸が苦しくなるようなそんな頃もあったはず。
午後やっと陽射しが。炬燵から抜け出し少しだけ掃除をする。
それも長続きはしない。じいちゃんが雨が降ると言って笑った。
あれもこれもは無理なのだ。私は決して頑張りはしない。
夕食の支度まで少し時間があったので今年の日記を読み返す。
やはり誰のためでもない自分のための日記なのだと思う。
なんでもないような日常の事がとても愛しい。
今日の日よさようならまたあう日まで。そんな歌もあったっけ。
連日の氷点下。今朝は昨日よりも更に冷え込む。
暖房のなんとありがたいことだろう。
昔は火鉢だったことを思うと便利な世の中になったこと。
幼い頃の火傷の跡が今も右足に残っている。
炬燵が電気ではなく練炭だったのだ。
父が真っ赤に焼けた練炭を炬燵に入れる時に
「危ないから足を入れるなよ」と言ったのに
幼い私は言う事を聞かなかったらしいのだ。
その時の痛みは記憶にないと言うのに
父の言葉だけはなぜか薄っすらと憶えている。
そう言えば「あんか」も豆炭だった。
母がお風呂を焚く時に薪と一緒に火を点けてくれたのだ。
「あんかを持って来なさいよ」と母に言われて
弟とふたり我先にとお風呂の焚口まで持って行くと
まるで火の塊のような豆炭を母が火箸で挟んでは
「ほうれ、ほうれ」と順番にあんかに入れてくれたのだった。
それを宝物のように抱いてお布団を温めてから眠るのだ。
懐かしいものである。一気に思い出す冬の光景があった。
父がいて母がいて弟がいて「チョビ」と言う名の犬もいた。
家族がばらばらになることなど夢にも思っていなかった頃。
とうとう氷点下の朝。しんしんと音が聴こえるような寒さだった。
それでも日に日に慣れてきているのだろう苦にはならない。
寒さあってこそだと思うのだ。まだ遠い春を想うことが出来る。
仕事を少し早めに終らせてもらっていつもの病院へ。
待合室がすっかりクリスマスモードになっていて心が和む。
あと一週間でもうイブなのかほんとうに早いものだ。
いつも通りのお薬。薬剤師さんがとても優しく語りかけてくれる。
その足で母の入居料の支払いにお世話になっている病院へ。
会計が混雑していて待ち時間が長くなりそうだったので
自販機でコーヒーを買って飲みながら待つことにする。
缶コーヒーではなくネスカフェの自販機で紙コップで出て来るやつ。
熱々のをふうふうしながらそれがとても美味しかったのだ。
けれどもマスクを少しずらして飲んでいたのがいけなかったのか
うっかり手を滑らせてしまって口元から胸元へとこぼしてしまった。
思わず悲鳴をあげたくなるほど熱かった。少し火傷をしたみたい。
とんだ失態をやらかしたものである。今思えばなんと滑稽な有様。
コーヒーまみれの醜態のまま支払いを済ませ
ケアマネさんと少しだけ母の話をして急いで帰宅する。
最近の母はとても穏やかで落ち着いているとのことで
年内の面会はもう無理かもしれないと伝えるしかなかった。
時間の余裕もなければこころの余裕もない気がする。
とにかく無事に仕事納めをすることで頭がいっぱいなのだった。
いっぱいいっぱいではいけないのだけれど
どうか許してほしい。私なりに精一杯の日々が続いている。
寒さは日に日に更新されていて今日はとうとう初雪。
平野部はさほどでもなかったけれど山里は一面の銀世界だった。
幸い道路には積もっておらず無事に職場に辿り着く。
峠道を越えたところで母から電話があり
血相を変えた様子で「すぐに帰りなさい」と言うのだ。
その命令口調に一瞬むっとしてしまってとても穏やかにはなれない。
母は母なりに雪道の心配をしてくれたのだろう。
ずいぶんと昔のスリップ事故を覚えていてくれたのだと思う。
「ありがとう大丈夫よ」の一言がどうして言えなかったのだろうか。
雪はどかどかと降り続いていたけれどすぐに溶ける雪で
積もることもなく午後3時頃には陽が射し始めていた。
さっぷいさっぷい。今夜は鍋にしようと家路を急ぐ。
ありがたいことに昨日いただいた白菜があった。
葛きりを買い忘れていてあやちゃんが残念がっていたけれど
文句も言わず食べてくれてほっと嬉しく思う。
母に電話してみようかと思いつつ迷っているところ。
「今朝はありがとう」と言うべきか
「今朝はごめんなさい」と言うべきか。
最強寒波とのこと今季いちばんの冷え込みとなる。
日中も7℃ほどの気温で冷たい北風の一日だった。
午前中に免許講習のため警察署へ。
あまりに大勢の人で入室するにも戸惑うほど。
係の女性が「大丈夫ですよ」と言ってくれる。
窓を開けて換気をしているとのことだったけれど
それで安心とはどうしても思えずなんとも不安な時間だった。
やっと講習が終わって新しい免許証をもらう。
写真がとても気になっていたけれど5年前とさほど変わらない。
ずいぶんと歳を取ったと思っていたけれど勘違いだったのか
それにはさすがににんまりだった。やるじゃん私と思う。
免許証はブルーだったけれど次回の更新は5年後との事。
69歳の自分の顔を想像するのもなんだか愉快であった。
午後は職場へ。仕事が忙しく帰宅が少し遅くなる。
お客さんから大きな白菜と大根と蕪をいただきとても嬉しかった。
義父と同僚と3人で分けて義父は早速今夜の夕食にするとのこと。
母がいなくなってからすっかり料理に目覚めているらしい。
それも微笑ましくて「お母さん大丈夫よ」と伝えてあげたい。
帰宅したらめいちゃんのお友達が遊びに来てくれていた。
久しぶりの事でほっと胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。
しばらくは遊んでもらえないかもと心配していただけに
はしゃぎ声がなんだか天使の歌声のように聴こえたのだった。
今日の県下の感染者は過去最多の36名と聞きまた愕然とする。
幸いと言っていいのか山里からの感染者はいなかったようだ。
どうかどうかこのまま収まってくれますように。
冬将軍がお馬さんではなく新幹線でやって来る。
とうとう一気に真冬の寒さになってしまった。
木枯らしを受けて風に舞うススキの千切れ穂が
まるで小雪のように見える窓の外。
老いたススキもそうして旅に出るのだった。
寒さのせいか血圧が少し高め。
それでも特に体調が悪いのでもなくまあこんなもんだろうと
いつものように焼酎を飲みつつこれを記し始めたところ。
めいちゃんが夕食前に寝てしまってやっとさっき目を覚ます。
保育園のお昼寝が無くなってしまったのにまだ慣れておらず
とにかくひと眠りしてから夕食を食べる日が続いている。
一年生になるための訓練なのだろうとあたたかく見守るばかり。
今夜は久しぶりに娘むこが居て「しらすうなぎ漁」はお休みとのこと。
孫たちも嬉しいのだろうとてもにぎやかにはしゃいでいる。
やはり父親の存在は大切。お父さん大好きのふたりだった。
最近ずっと寝る前にユーチューブで懐かしい歌を聴いている。
昨夜は「スワンの涙」だった。確か小学6年生の頃の歌。
ネットって凄いなと思う。探せばなんだって見つかるのだもの。
さあ今夜もそろそろ聴くことにしましょうか。
2020年12月13日(日) |
幸せは「仕合せ」と書く |
穏やかであればあるほどそれが乱されるのが怖くなるものです。
幸せは「仕合せ」と書く。それにはきっと意味があるのでしょう。
日曜日は朝のうちにお大師堂へ行くのだけれど
どうしたら良いものかとしばし悩んだあげく今日は行かず。
お参り仲間さん達のことを考えると迷惑をかけるのではないかと。
たとえば高知県を日本の国に例えてみる。
高知市が東京だとすると今の山里は大阪に値するのだった。
だとすると私は毎日大阪に行っていることになる。
そんな私がどうして平然とお参りに行けようか。
「自粛」と言う言葉が重くのしかかっても仕方ないことだった。
孫たちのお友達も遊びには来てくれない日曜日。
幸い家族そろって買物に出掛けたようでほっとする。
昨日の事もありじいちゃんと「避けられているのかも」と。
それも当然の事のように思えた。用心に越したことはないのだもの。
近所の地場産市場で息子たちと偶然に会った。
息子も職業柄とても用心していて近寄ろうとはしない。
私もそれを心得ていてあえて距離を置いてつかの間の会話だった。
けい君が不思議そうな顔をしてそれでもにこにこと笑顔を見せてくれる。
元旦は休みが取れたそうだけれど「正月はまあええわ」と。
たとえ家族とは言え会食には違いない。それが得策だろうと思う。
寂しいけれど仕方ないこと。右を見ても左を見てもコロナなのだ。
明日からまた仕事だけれど気の重さは不思議となかった。
なんとなく武者震いのようなこれは「勇気」に違いない。
2020年12月12日(土) |
なんとしても守りたい |
暖冬を思わすような陽気もあと2日ほどだろうか。
来週の火曜日には一気に真冬並みの気温になるとのこと。
暖かな陽射しを惜しむように過ごすばかりであった。
午前中は川仕事へ。朝陽がきらきらと川面に射してまぶしい。
身体を動かしていると薄っすらと汗をかく。
すっぽりと被っていた頬かぶりを脱ぎ捨てて川風に吹かれる。
なんと心地よい風だろう。ほんのりと潮の香りがしていた。
年内の川仕事は今日でお終い。明日の予定だったけれど
じいちゃんが昨日ひとりで作業をしてくれたのだった。
「おまえも日曜日は休みたいだろう」と優しさが心に沁みる。
いつもなら孫たちのお友達が遊びに来てくれる土曜日の午後。
今日は呼ぶ声も聴こえずひっそりと静かだった。
もしかしたら私が山里へ仕事に行っているせいかもしれないと
思い過ごしかもしれないけれどそんな心配もあった。
今日は全国で3千人を超す過去最多の感染者。
高知県も27人とこれも最多を記録する。
そのうち4人が山里の人だと情報が入って愕然とするばかり。
治まるどころかどんどん拡がっているのだった。
小さな山村でクラスターが発生していると言っても過言ではないだろう。
恐怖心と不安はつのるばかりで出来ることならば仕事を休みたい。
けれども師走の繁忙期にどうしてそんなことが出来ようか。
命がけの綱渡りだとしても立ち向かって行くしかないだろう。
家族がみんな心配している。そんな家族をなんとしても守りたい。
最前線で闘っている医療従事者の気持ちが痛いほどにわかる。
2020年12月11日(金) |
可愛らしい赤いポスト |
晴れのち曇り。ずいぶんと暖かな一日だった。
仕事の手を休めては外に出て陽射しをいっぱいに浴びる。
職場の庭の片隅に母が育てていた山茶花の木があり
それは枯草におおわれて少し憐れでもあるけれど
雀色に寄り添うようにして薄紅色の花を咲かせているのだった。
見つけてあげられてよかった。決して忘れていたのではない。
背中を丸めて草を引いていた母の姿をふと懐かしく思い出す。
そこは母の庭だったのだ。もう二度とその姿を見ることもないだろう。
昨夜の「ご縁の断捨離」をまた高知新聞の文芸部に送ってみようと
仕事の合間にプリントアウトして郵便局へ走る。
そうそう掲載されることもないだろうけれどいちかばちか。
何事もやってみないと始まらない。ささやかな勇気でもある。
一週間経って掲載されなかったら潔く諦めもつくだろう。
田舎ならではの赤いポストがとても可愛らしくなっていた。
すっかり冬バージョンで頭にサンタさんの帽子を被せてあげたい。
そんなポストに投函すると「ことん」と確かな音がする。
「ちゃんと届けますからね」とそれがポストの声に聴こえた。
さあ真面目に仕事しなくちゃね。
曇り時々晴れ。陽射しは少なかったけれど日中は暖かくなる。
喪中葉書がぽつぽつ届くようになった。
例年ならばそろそろ年賀状の準備をする頃だけれど
今年はそれをやめようと決めたので随分と気楽に思う。
少しの迷いもなくそう決めたのにはちゃんと訳があった。
ご縁の断捨離と言ってしまえば心苦しくもなるけれど
一度しっかりと身辺整理をしてみようと思ったのだった。
毎年の事だけれど三ヶ日を過ぎてから届く年賀状が多い。
それはきっと相手に返事を強いているのではないかと
少なからず負担をかけていることには間違いないのだと思う。
そこまでして縁を繋ぎ留めておく必要があるのだろうか。
寂しい事なのかもしれないけれど一度確かめてみたいのだった。
年賀状を届けてくれたひとには後日寒中見舞いの葉書を送ろうと思う。
申し訳ないけれど印刷のみのカタチだけのひとはスルーさせてもらう。
それで切れてしまうような縁ならそれまでと思うのだった。
不義理と知りつつあえてそう決める。きっとすっきりするだろう。
コロナ禍のまま新年を迎えることになりそうだった。
寒中見舞いはゆっくりと時間をかけて心のこもった言葉を送りたい。
曇りのち晴れ。冬の陽射しのなんとありがたいこと。
もうすっかり枯れてしまったと思っていたけれど
遅咲きだったのだろうか秋桜の花が咲いていた。
真っ盛りの頃に比べて背も低く花も小さいけれど
冬の陽射しをまるで楽しんでいるかのようだ。
もしかしたら越冬するのかもしれない逞しさを感じる。
山里はコロナ一色。今日も新たに3名の感染者が出る。
小さな山村にもう10名の感染者となってしまった。
村が独自に非常事態宣言をするべきなのではないだろうか。
身を潜めるようにしてただただ感染が治まるのを待つしかないのか。
なんとも複雑な気持ちを抱えつつ今日も仕事だった。
県がやっと「特別警報」を発令したニュースが流れる。
それも遅すぎると思う。もっともっと危機感を高めて欲しい。
感染者の感染経路が不明と言う発表も納得がいかない。
感染するまでの各自の行動を徹底的に調べるべきではないだろうか。
身に覚えのない人などきっと一人もいないと思うのだけれど。
ここであれこれ何を言ってもしょうがないことは分かっている。
無力なのだ。どうしようもなく無力としか言いようがない。
息子から電話があり「おかあくれぐれも気をつけてくれよ」と。
「大丈夫よ」とどうして言えよう。ただ負けない自信だけはある。
逃げるわけにはいかないのだ。なんとしても立ち向かって行こう。
日中は今日も小春日和。日向ぼっこをしたくなるような陽気。
陽だまりの猫のようにはなれないけれど猫の気持ちが分かる気がする。
ふにゃふにゃとなりにゃおんと鳴く。人間ってどうしてせかせかと
忙しそうにしているのだろうときっと不思議でならないのだと思う。
もっと肩の力を抜いて楽にしていればいいのににゃあと。
そうはいきませんよと人間は言う。だって仕事しなくちゃ。
家事もしなくちゃ。あれもこれもすることがいっぱいなんだから。
馬鹿みたいだにゃと猫は思うのだけれど何も言えない。
傍観するのはけっこう辛いことなんだにゃと猫は知り過ぎてしまった。
「今日も頑張りましょう」と人間は口癖のように言うばかり。
辛いしんどいと嘆きながらどうして人間は頑張ろうとするのかにゃ。
いや嘆ける人間はまだいい。モンダイは嘆くことの出来ない人間。
完璧主義なものだから嘆くことを罪のように感じているのだろう。
だからもちろん怠けることも罪なのだ。自分を許せなくなるのだ。
ねえねえ一緒に日向ぼっこしないかい。
おひさまは優しいよ。ぽかぽかとあったかいよ。
にゃんとにゃんと今日もいい一日でした。
二十四節気の「大雪」例年なら四国でも小雪が舞う季節。
今年は今のところ暖冬らしく今日もぽかぽか日和となった。
来週あたりから寒波が襲って来るとのこと油断は出来ない。
子供の頃には大好きだった冬が今はとても苦手になってしまった。
うなぎの稚魚「しらすうなぎ漁」が今夜から解禁になった。
娘むこは仕事を終えるなり漁に出掛けたようだ。
「しばらくは母子家庭よ」と娘はすっかり諦めている様子。
深夜の帰宅になるので孫たちが不憫でならないけれど
毎年の事なのでもう慣れているのかもしれない。
私も嫁いだ冬にしらすうなぎ漁に行ったことがある。
なんでも妊婦さんは漁運が良いらしくお舅さんからすすめられた。
強制ではなく私も興味津々だったと記憶している。
毛糸の目出し帽を被り防寒着をこれでもかと着込んで
重いバッテリーを担いで川端へ行くのだった。
川面に電気を灯してじっと待つ。寒さは全く感じない。
するとその電気の灯りにしらすうなぎがちょろりと寄って来る。
それを素早く小さな網で掬うのだった。やったあ1匹ゲット。
1日10匹。10日で100匹。1匹いくら?と
にやにやしながら皮算用をするのも楽しみなものだった。
懐かしいものだなと思う。もう40年以上も昔のことである。
ずいぶんと歳月が流れたけれど私の冬の思い出であった。
曇りのち晴れ。午後からは気温が上がりぽかぽかと暖かい。
そんな小春日和に誘われたのか庭の片隅に野すみれの花が咲く。
それはコンクリートの隙間からなんと逞しいことだろう。
先日草むしりをしていた時に見つけて春になったら咲くだろうと
そっとそのままにしておいたのだった。それがまさか
これから真冬になろうとしている頃に咲くとは思ってもいなかった。
紫色の小さな花がふたつみっつとこころを和ませてくれる。
胸を張っていても良いのだとふと我が身に重ねたことだった。
午後、今日も川仕事へ。あと二日もあれば終わる目処が立つ。
じいちゃんに無理をさせないよう次の週末まで置くことにする。
作業をしていたら小鴨がすいっと水辺にいて可愛らしいこと。
鴨は海苔が育ち始めると啄むのだけれど許してあげたいのだ。
自然の恩恵を受けているのは人間だものといつも思う。
夕方またコロナの情報。県内で18名。そのうち3名が山里らしい。
どうやらクラスターと思われる。明日はまだ増えることだろう。
会食を控えようと言う気持ちが無かったのがとても残念でならない。
義父とも相談し明日からの予防対策を徹底することに。
それ以外に方法はない。会社を休業するわけにはいかなかった。
嘆いていては負けてしまう。とにかく立ち向かっていかなければ。
2020年12月05日(土) |
冬うらら祈りはきっと伝わると |
「春うらら」という季節の言葉があるけれど
「冬うらら」という言葉もあるのだそうだ。
今日がまさにその冬うららだったのかもしれない。
真っ青な空から冬のやわらかな陽射しが燦々と降り注いでいた。
午後から久しぶりの川仕事。海苔の赤ちゃんの可愛らしいこと。
網を緑に染めてちいさな芽がいっしょうけんめいに生きようとしている。
そんな愛しさが励みになる。そうしてそれは希望にもつながる。
どうかどうか順調に育ってくれますように祈りながらの作業だった。
海苔網は5枚ずつに重ねてありそれを1枚ずつ漁場に張って行く。
今日は3時間ほど頑張って20枚の網を張り終えた。
先日からじいちゃんが一人で少しずつ作業をしてくれていて
私が仕事を休まなくても良いように段取ってくれていた。
一人でもやれば出来るのだと少し得意げな顔も頼もしいものだ。
おかげで来週末には終えられそう。後は収穫を待つばかりである。
帰宅して大変なニュースが舞い込んで来る。
県内のコロナの感染者が今日も最多更新しており19名とのこと。
そのうち2名はなんと職場のある山里の人なのだそうだ。
もう愕然とするしかない。まるで悪い夢を見ているよう。
真偽を確かめようと同僚に電話したらもう村中の噂になっているらしい。
ちいさな山村のことみんなパニック状態になっていることだろう。
そう言う私もすっかりパニック状態になってしまった。
かと言って仕事を放棄するわけにもいかず大きな不安を抱える。
逃げるわけにはいかないのだ。なんとしても立ち向かって行かねば。
家族とも話し合いこれまで以上の感染予防に努めるしかない。
どうかどうか守って下さい。祈る気持ちで救われるのだろうか。
ぐんと冷え込んだ朝。空にはレモンのような月がほっこりと微笑む。
夜明け前のひと時はもう私にはなくてはならず
こころと向き合い言葉を綴るとても愛しい時間になってしまっていた。
たいしたことは書けない。それでも向き合っていると
まるで一粒の種のようにそれが水を欲しがり芽を出したがるのだった。
咲けない花だとわかっていてもどうして見捨てられようか。
そうして64歳になる。自分からはそれを言い出せずにいて
いっそ秘密にしておこうとなんだかとても愉快に思えたのだった。
家族が誰も覚えていないのもまるで喜劇のようで面白いではないか。
ふふピエロみたい。私の演技はずっと夕暮れ時まで続いたのだった。
娘と孫たちが出掛けたきり帰って来ないので
いったい何処に行ったのかと心配していたら
リボンで飾った鉢植えの花を抱えて帰って来る。
おまけにケーキまで買って来てくれたのだった。
どうやら私のひとり芝居だったようでなんと滑稽なことか
娘たちも秘密にしておこうとこっそり買い物に行っていたらしい。
おかげでとても思いがけないサプライズをいただく。
なんと幸せなことだろう。胸が熱くなり涙があふれそうになる。
それだけではなかった。母からも電話がある。
まさか私の誕生日を覚えているなんて夢にも思っていなかった。
最後は12歳の時だったからもう52年もの歳月が流れている。
母は思い出したのだろうか。それとも決して忘れてはいなかったのか。
今さら母を責める気持ちは毛頭なくただただ感謝の気持ちを伝えた。
母はどれほどの痛みに耐え私を産んでくれたことだろう。
その痛みにくらべれば私の辛い過去などほんの些細なことだと思う。
この幸せを糧にきっと生き永らえてみせましょう。
おおむね晴れ。少し風が強かったけれど日中は暖かくなる。
すっかり老いてしまったススキはもう枯れススキなのか。
まるで白髪の老人のようになって風に揺れている。
彼女らは風に逆らうことをしない。風に身を任せるように
ゆうらゆうらと冬の歌をうたっているように見えるのだった。
老いることは決して哀しい事でも辛い事でもない。
ただ少しのせつなさを風だけは知っているのかもしれない。
63歳最後の日にふとそんなことを思った。
仕事を終えて帰宅するなり15名の感染者を知らせるニュース。
それは過去最多であり受けとめ難い現実であった。
「驚愕が走る」とはきっとこんなことを言うのだろう。
じいちゃんが「諦めたほうがいいぞ」と言う。
13日に高知市で行われる授賞式のことであった。
一生に一度きりのことかもしれず冥途の土産にと思っていたけれど
このコロナ禍に参加するのはとても危険に思えてならない。
やはり諦めたほうが良いだろう。安全だと言う保障は何処にもない。
もともと自分にはふさわしくない場所だったのだ。
身の程を知る良い機会にもなることだろう。
某SNSでは高知市在住の人が「忘年会が楽しみ」と言い
ライブにも行き居酒屋でビールを飲んでいる写真をアップしていた。
私はそれを見て憤慨する。危機感がまったく感じられないのだ。
けれども何も言えない。言えばきっとトラブルになるだろう。
それが少なからずストレスになっている。
じいちゃんに愚痴ったら「人それぞれなんだよ」と言う。
そんな人もいなければ居酒屋がつぶれるだろうと。
そっか・・と頷く。
何が良くて何が悪いのかなんて決めつけてはいけないのだろう。
晴れのち曇り。朝の寒さもつかの間のことで日中は暖かくなる。
職場の栴檀の木の実がすっかり色づき青空に映える。
つい先日まではオリーブ色だったのが黄金色に変わり
まるで空に宝石を散りばめたように見えるのだった。
木の実って好きだなとおもう。なんだか木の命のように感じる。
あやちゃんマラソン大会の日。応援に行きたかったけれど行けず。
娘も仕事が休めないそうでじいちゃんも川仕事だった。
「だいじょうぶ、がんばろうね」と送り出した朝のこと。
夕食時にあやちゃんがぽつりと寂しそうに呟く。
「おうえんに来ていないのあやだけだった」と。
でもいっしょうけんめいに最後までがんばって走ったのだそうだ。
そんな健気な言葉にほっと胸を撫で下ろしながら
可哀想な事をしたなととても悔やまれたのだった。
仕事の途中で抜け出すことも可能だったのに
「まあいいか」とあえてそれをしなかったのだから。
来年にはきっと応援に行こう。ゆびきりげんまんしようね。
ふとマラソンが大の苦手だった子供の頃を思い出す。
沿道に母の姿を見た記憶がなかった。
それが当たり前の時代だったのかもしれない。
ただ走り終えた後の「あめ湯」がとても美味しかったことを憶えている。
高校時代には仮病を使ってずる休みをした。
それがバレたのかどうだか後日数人でコースを走らされた。
「おまえらみんな赤点だぞ」と確か教師は竹刀を持っていたような。
あの時の辛かったこと。ほんとうにぶっ倒れそうに苦しかった。
持久力は今もない。ただ生き永らえることだけが私の持久走だ。
今朝はこの冬いちばんの冷え込み。
まだまだこれからの寒さなのだろう。
「かかってこいや」と思うことにしよう。
そう何事も「かかってこいや」なのだ。
「はっけいよいのこった」でもいい。
まだ私にもかすかに勇気のようなものがあるらしい。
あやちゃんのパジャマが小さくなってしまったので
仕事帰りに西松屋に寄って買って来たのだけれど
ジュニアサイズの在庫が少なくやっとの一枚を見つける。
よくよく考えたらもう西松屋の年頃ではないのだった。
来年にはもう大人用のSサイズになっていることだろう。
お財布も寂しかったのでめいちゃんには買わずに帰る。
お姉ちゃんのお下がりばかりで可哀想だなと思ったのだけれど
我慢してくれるだろうと勝手に思い込んでいた。
それが大間違いで娘に泣きついたようだった。
私には一言も言わないでそれがめいちゃんの精一杯の「がまん」
子供心におばあちゃんに言ってはいけないと思ったのだろう。
私の配慮が足らないせいでめいちゃんに悲しい思いをさせてしまった。
ごめんね。めいちゃんおばあちゃんが悪かったね。
夕方になり娘が西松屋へ走る。それでなんとか一件落着となった。
お風呂上がりのふたりをそっとのぞきに行く。
あやちゃんが「めいのパジャマはいっぱいある」と言っていて
それを言ったらいかんよと「シー」と人差し指を口にあてた。
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