ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年09月30日(水) 午前4時の約束

目覚めたらぽつぽつと雨。耳に心地よい優しい雨音。

こころがしっとりと潤う。そっと雨の詩を書く夜明け前。


認められたいみとめられないそんな欲とたたかう毎日。

「今朝の詩すてき」と母と同じ年のKさんが言ってくれた。

クリスチャンであるKさんがなんだかマリア様のように思える。

私はそうして救われているのだろう。なんとなんとありがたいこと。



昨日から早起きを頑張っているあやちゃんが昨夜も

「5時に起こしてね」と。子供部屋で一人で寝ているのを

「あやちゃん」と声をかけてそっと起こす約束の午前5時。


早起きをして勉強するのかと思いきやタブレット三昧。

とにかく一時間でも多くユーチューブを見たいのだそう。

それでも足りないようで「明日は4時に起こしてね」と。

娘夫婦も公認のことでただただ微笑ましく思えてならない。


5時半には朝食。あやちゃんと3人で食べるのが楽しい。

最近ちょっと反抗期かなと感じていたのだけれど

朝食の時にはとても素直でにこにこの笑顔を見せてくれるのだ。


夢中になれることがあるのはとても良いことだと思う。

あれも駄目これも駄目と子供から楽しみを取り上げてはいけない。

かと言ってしたい放題もいけないのだろうけれど

自分で考えてちゃんとけじめをつけているように感じている。


午前4時。あやちゃんはユーチューブを見る。

おばあちゃんはSNSで短歌と詩を書く。



2020年09月29日(火) 秋の日のアクシデント

曇り日。時おりぽつぽつと雨が降る。

朝の肌寒さをそのままに日中もさほど気温が上がらず。

すっかり秋の気配が濃くなったことを感じる。


めいちゃんの運動会が近くなり今日は総練習。

体操服を着て元気に登園。私もちびっ子パワーをいただく。

来月の10日が運動会。観客制限は無いとのことで

家族みんなで応援に行けるのをとても楽しみにしている。



朝の峠道で思いがけないアクシデント。

一瞬居眠り運転をしていたようでガードレールに接触してしまった。

車の左半分に大きな傷をつけてしまい目も当てられない。

ガードレールが無かったら谷底に転落していたことだろう。

不注意とはいえぞっとするような出来事だった。


眠気は薬の副作用だとわかっていても服用せずにはいられない。

それにしてもよほど気が緩んでいたとしか思えない。

今朝は体調も良くなっていて緊張感もまったくなかった。


お金がないから修理も出来ないとすっかり諦めていたら

義父が会社の経費で直してくれるとのこと。

幸い中古の同色のドアがすぐに見つかり注文してくれる。

そうしてお叱りを受ける。眠くなったら道端で必ず寝ること。

遅刻しても良いから今後はそうするようにと言ってくれる。

それがとても嬉しかった。義父の精一杯の優しさだと思う。


私の眠気はもはや日常茶飯事のことで慣れてはいるけれど

薬とはおそらく一生縁が切れないだろうと思う。

煙草もしかり。覚醒するためにはどうしても必要なもの。


決して愛煙者ではない。それだけはわかって欲しいと切に願う。



2020年09月28日(月) 届かないから星なのだ

今日も爽やかな秋晴れ。夜明け前には満天の星空だった。

まるで希望のように光る星にこころの手を伸ばす。

「届かないから星なのだ」そんな詩を書く。



体調がいまいち。どうやら昨日の眩暈の名残のよう。

ぐっすりと眠ったのに身体がダル重い朝。


月曜日で仕事が忙しかったけれど無理を言って

少し早めに終らせてもらい病院へ行く。

なんだか藁にもすがるような思いだった。

すっきりと元気になりたくてたまらない。


小脳には異常がないとのことでほっと安堵。

極度の疲労と肩凝りが原因だろうと言うこと。

眩暈がした時の頓服を処方してもらい帰路につく。


肩凝りの解消には体操がいちばん良いのだけれど

今年はまだ一度も体操教室に行けてなかった。

仕事を休めないことはないのだけれど

休めばその分お給料が減るので家計に響く。

とにかく働かなければ食べられない貧乏事情があった。

だから仕方ないとすっかり諦めてしまっている。


思うようにはならないものだけれど嘆くことはするまい。

嘆いても何も変わらないことをすでに思い知っている。


人生ケセラセラ。なるようになるさ。

明日は今日よりちょこっと元気でいようと決めた。



2020年09月27日(日) ふたり元気なうちに

爽やかな秋晴れ。絶好の行楽日和と言って良いのか。

ドライブならと頷き合って少しだけ遠出をすることに。


出掛けに少し眩暈がしてその後気分が悪くなってしまう。

大事を取ったほうが良いのではとじいちゃんが言ってくれたけれど

だいじょうぶ気分転換になるからと予定通りに家を出た。


宿毛市から山越えで県境を越え伊予路へと。

県を跨いでの移動はお正月以来の事だった。

目的地は特にない。ただひたすらのドライブも良いもの。

山道を行けば川のせせらぎ鳥の声も聴こえ心が癒される。

窓を開けて走れば森林浴にもなり風がとても心地よかった。


外食は避け愛媛岩松のコンビニで昼食を買い求め車中で食べる。

国道沿いの木陰でおしゃべりをしながらそれも楽しい。


その頃にはもう気分もすっかり良くなっていた。

家で寝ていたらきっと欝々とするばかりだったろう。


「今度は紅葉だな」と早くも約束してくれて嬉しい。

楽しみにしていよう。今年は何処の紅葉が良いだろう。


ふたり元気なうちにいろんなところに行ってみたい。

行き当たりばったりもいいな。あてのない旅もいいな。











2020年09月26日(土) 愚か者の記

明るい曇り日。トンビが旋回しているのがくっきりと見える。

爽やかな風が吹きほっと過ごしやすい一日だった。


「詩記」むかしこの日記をそう名付けて

同人誌に掲載してもらっていたことがあった。

詩のような日記であり季節の「四季」も感じられるように。


それが今はこんなありさま。もうそんな感性はまったくない。

ずいぶんと落ちぶれてしまったものだと嘆きたくもなる。

それでも書きたい。書かずにいられない愚か者であった。

いつかまた読み返す日のために。それ以外の理由があるだろうか。


仕事の合間に短歌と詩の原稿を送信する。

相変わらずの拙いものだけれど活字になるのはやはり嬉しい。

自己満足で終わってもいい。これがわたしなのだと思う。


ついでに高知県芸術祭の詩部門にも応募する。

入選などするはずもない。ただの紙切れになるのは目に見えている。

それでも認められたい欲。ああほんとうに私はなんと愚かなことか。


ふとこのどん底こそがと思う。そうでなければ這い上がれない。

突き落とされてもがきながらも見上げる空があるのだろう。


手を伸ばせば届く空など「空」であるはずがない。

空は高くはるかに遠いからこそ「空」なのだとおもう。


般若心経の「空」「くう」もきっと同じなのだろう。


あああ。いったい何が言いたいのかわけが分からなくなった。



2020年09月25日(金) いってらっしゃい

夜明け前まで雨。まるで踊っているような歌っているような雨だった。

「ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん」口ずさみながら詩を書く。

私はまだ崖っぷちにいるのだろうか。

暗いトンネルの中を歩いているのだろうか。

ふとそんなことを思ったりしながら

いったい何に拘っているのだろうと自問自答する。


はっきりと確かな事であってはいけない気がした。

おぼろげで不確かな事だからこそ書けるのかもしれない。



雨のち晴れて爽やかな秋の空が広がる。

お昼休みに手紙を書いた。言葉足らずになってしまったけれど

きっときっと伝わるだろうと信じてみようと思う。

ポストに落ちる時「ことん」とちいさな音が聴こえた。


はるかな海を渡って旅をする手紙のささやかな息づかいかもしれない。


「いってらっしゃい」そう声をかけた午後のこと。



2020年09月24日(木) じゃんけんぽん あいこでしょ

ぽつぽつと雨の一日。なんだかほっとするような雨の音。

優しい雨でよかった。こころの何処かが乾いていたのかもしれない。



仕事から帰宅するとポストに詩誌が届いていた。

「ぶーさーしっ」の記念するべき第一号だった。

沖縄の言葉で「じゃんけんぽん」と言う意味なのだそう。


某SNSでその詩誌が作られることを知り

編集をするめいさんに是非にとお願いしていたのが

ついに出来上がり真っ先に届けてくれたのだった。

思いがけなかったのは手紙が同封されていたこと。

それがどれほど嬉しかったことだろう。

感激で胸がいっぱいになり思わず涙ぐんでしまった。


めいさんは私と出会ったことを決して忘れてはいなかった。

随分と歳月が流れたけれどそれはまるで昨日の事のように。

そうしてその縁が今でもささやかに繋がっていることが

なんだか奇跡のように思えてならない。


じゃんけんぽん あいこでしょ

ふとそう口にする。それは向き合わなければ叶わないこと。


届いた詩誌の最後にめいさんの詩があった。

こころがふわりとあたたかくなる。


あしたわたしも手紙を書こう。





2020年09月23日(水) おどろきの栞

曇り日。朝の肌寒さはなく日中は蒸し暑さを感じる。

もう夏の名残を感じることもないだろうと思っていたけれど

忘れ物があったのだろうか。そっと置手紙を残して行く。


私はそれを読まない。読めばきっと哀しくなってしまう。

それよりもすくっと前を向いて秋の風に吹かれていたいのだった。




連休明けのせいか仕事がとても忙しかった。

ばたばたと走り回って昼食もまともに食べられない。

お腹が空くとついつい苛立ってしまうのは悪い癖だった。

義父に来客があり話し込んでいるのを横目で見ながら

事務所のパソコンの陰に隠れて急いでお弁当を掻き込む。

たまにはこんな日もあるさと少し愉快でもあった。


定時では終われなかったけれど帰り道に公民館の図書室へ。

図書館ではなく図書室と言うのがなんとなく気に入っている。

なんだか高校時代の図書室を思い出してしまうのだ。

読了した本を返却してまた新しい本を借りることにする。

どれにしようかなと迷うのもまた楽しいものだった。


一冊の本を手にしてそれはそれは驚く。

なんと本の間に一万円札が三枚も入っていたのだった。

係の職員の人にすぐに伝えたのは言うまでもない。

お札を栞代わりに使う人がいるらしい。でもなぜ三万円も。

栞にしてはあまりにも大金でひたすら驚いた出来事だった。


迷ったあげくその本は借りずに他の本を借りた。

「幸田文」の本。今まで一度も読んだことのない作家さんだった。


きっと新鮮な文章に出会えることだろう。そんな気がしてならない。

書くことばかりこだわっていた私のささやかな進歩だった。



2020年09月22日(火) 思い出と言う名の日

晴れのち曇り。朝の肌寒さもつかの間で秋らしく過ごしやすい一日。

秋分の日。母方の祖母の命日でもあった。

もう15年ずいぶんと歳月が流れたけれど

祖母の思い出は今でも鮮やかにこころに残っている。


愛子と言う名のお茶目でそれはそれは優しいおばあちゃんだった。

七輪で小豆をことことと煮ては「おはぎ」を作ってくれた。

私はそのおはぎが大好きで何個平らげたことだろう。

もう二度と食べられないその美味しいおはぎが懐かしくてならない。




娘夫婦が仕事だったので孫たちと過ごしていた。

「ひま、たいくつ」を連呼するめいちゃんに手を焼いていたら

ふたいとこのまあちゃんが遊びに来てくれて大助かり。

ふたりとも外遊びをしたがるので近くの公園へ連れて行く。

まるで子犬のように走り回る姿のなんと微笑ましいこと。

追いかけながらふうふうと少し疲れたけれど楽しいひと時だった。


ふとこれも思い出になるのだろうかと思う。

まだ6歳のめいちゃんにはほんの些細なことだろう。

幼い頃の記憶はよほどのことでない限り忘れてしまうものだった。


そう思うと私はまだまだ未熟なおばあちゃん。

孫たちのこころに残るような事を成し遂げてはいないのだろう。


公園からは海が見えた。私にはそれがささやかな思い出になる。



2020年09月21日(月) 試していただきましょう

夜明け前には満天の星空。そうしてぐんと肌寒い朝となる。

後で知ったのだけれど北海道並みの冷え込みだったよう。

それでも日中は陽射しに恵まれ秋らしい一日となった。



午後から川仕事へ。ふたりで一生懸命頑張って漁場の準備。

最後の竹杭を打ち終わった時には「やったね」と心地よい達成感。

ふたりともムツゴロウのように泥まみれになっていた。

「川仕事」と一言で言っても理解しがたいと思うのだけれど

青さ海苔の養殖業は下準備がとても大変なのだった。

漁場の準備が終われば今度は種付け。そうして漁場に網を張る。

その網も最初は5枚重ねで海苔が育ち始めたら一枚づつにする。

冬になったらそれを行い春先の収穫をひたすら待つのだった。


もう40年近くそれは毎年の事で慣れてはいるけれど

いつまでも若くはない。もはや体力勝負となってしまった。

腰痛持ちのじいちゃん。職場との二足の草鞋を履いたわたし。

もう限界だと今まで何度思ったことだろう。

それでもやってやれないことはなかったと今はそう思える。


ひとは試されるために生まれて来たと言っても他言ではないだろう。

ならば試していただきましょう。出来るのか出来ないのか。


ひと山ひと山越えて行くそんな人生も張り合いがあってよしかな。



2020年09月20日(日) 金メダルをあげたい

夜明け前まで雨が降っていた。ずいぶんと肌寒い。

「やみますように、やみますように」と祈っていたら

夜明けとともにやんでくれてほっと空を仰ぐ。


今日はあやちゃんの運動会。どれほど楽しみにしていたことか。

コロナ禍で午前中のみの開催だったけれど

心配していた観客制限もなく家族皆で応援に行くことが出来る。


100m走や親子競技、「よさこいソーラン踊り」など

最後にリレーがあってそれはそれは一生懸命の走りを見せてくれる。

走るのがあまり得意ではなくて追い抜かれそうになった時

顔を真っ赤にして歯を食いしばるようにして走る姿に感動した。

皆で声を張り上げて応援する。気がつけば目頭が熱くなっていた。

バトンを渡すまで諦めずに走り抜いてほんとうにえらかったと思う。


おっとりとした性格で決して負けず嫌いではないあやちゃん。

努力家で根気強い性格がきっとそうさせたのだと思う。


一生懸命頑張ったあやちゃんにおばあちゃんは金メダルをあげたいです。



2020年09月19日(土) ちいさな「猫の手」

曇り時々晴れ。爽やかな風が吹き秋らしさを感じる。

彼岸の入り。亡き人達を偲びつつ空を仰ぐ。

明後日は祖母の命日でもあった。



明日は小学校の運動会であやちゃん平常授業の土曜日。

めいちゃんも保育園へ行きお昼前にお迎えに行く。


今週は月曜日からずっと一人で川仕事を頑張っていたじいちゃん。

あと3日もあれば漁場の準備が整いそうだと言うので

めいちゃんを連れて少しでもと手伝いに行っていた。

干潮時だったので川の水はすっかり引いておりほっとする。

めいちゃんも長靴を履いてちいさな「猫の手」になる。

さすがにもう6歳。少し教えただけですぐに要領を得る。

「やればできる」それを身をもって教えてくれたのだった。

すごいなあと感心する。おかげで今日のノルマを達成出来た。


川から帰宅するなりふたいとこの「まあちゃん」と仲良く遊ぶ。

土手の道を自転車で走り回り河川敷にも行っていた。

川沿いの一角には白い彼岸花が満開になっておりそれは綺麗。

そのひと花をめいちゃんが手折ってしまったので

毒のある花なのだと教える。遠い昔、祖母が私に教えてくれたように。

実際には根に毒があるのだと言う。だから昔は墓地に植えられていた。

土葬だった時代に愛しい亡骸をモグラや鼠から守る為だったと聞く。

幼いふたりにそんな話をする。きっと忘れないでいてくれるだろう。


あどけないふたりの笑顔。川風が心地よく吹き抜けていく午後のこと。





2020年09月18日(金) やっと救われた日に

曇り日。思いがけずに気温が高くなり真夏日となる。

おそらく夏の最後の日なのではないだろうかとおもう。

明日はもう彼岸の入り。きっと後戻りは出来ないだろう。


蒸し暑さの中にたくさんの赤とんぼを見た。

昨日は雀。今日はとんぼ。職場の庭はなんとも楽しい。

見ているだけで癒されるありがたい光景なのだ。



某SNSでとても嬉しいことがあった。

いや嬉しさを通り越してやっと救われたのだとおもう。

諦めずに短歌や詩を書き続けていてほんとうによかった。


ずっと無視されていると思っていたし惨めでならなかった。

それでも書き続けることでか細い糸にしがみついていたのだと思う。

それはいつ切れてしまってもおかしくないほどの縁だったのだろう。

私のような無名の者が「身の程を知れ」と言い聞かしてきた日々。

どれほど心細くどれほど不安であったかと誰が知ろうか。


今日ほど救われ今日ほど励みに思ったことはない。

めいさんほんとうにありがとうございました。



2020年09月17日(木) わたしも雀一羽の雀

小粒の雨が降ったりやんだり。傘は要らないほどの雨。

思いがけずに気温が高くなり蒸し暑くなった。


稲刈りの終わった田んぼがまた緑色になる。

それは田植えの終わった頃の光景に似ていて

なんだかはっとするような鮮やかさだった。

刈られても芽が出る。稲はとてもたくましい。


私はと言えば刈られたまま。きっと雀色なのだろう。

芽を出したいけれどそれが出来なくて少しむなしい。

このまま枯れてたまるものかと思ってはいるのだけれど。

雀色には雀色の生き方があるのだった。たとえば「いま」



そうそう雀と言えば今日仕事中に義父が外で叫ぶので

何事かと慌てて外にとび出してみたら

それはそれは沢山の雀が群れをなして庭の水溜りで水浴びをしていた。

「見てみろや、可愛らしいもんだな」なんと穏やかな義父の笑顔。

雀達は羽根をばたばたさせながらそれは気持ちよさそう。

義父とふたりでしばし見入る。なんとも穏やかなひと時だった。

そうして義父の優しさを感じる。こんなにも優しいひとだったのだ。



私も一羽の雀。群れるのは苦手なので仲間はいない。

水浴びもひとり。空を飛ぶ時もひとりが好きだった。

お気に入りの木にとまって「ちゅんちゅん」と歌う。

その歌声に聴き入るひともいない。まるで空気みたい。


雀も老いたら死ぬのだろうか。何処で死ぬのだろうか。

きっと最後の最期まで歌い続ける人生なのだとおもう。





2020年09月16日(水) 雨音がぽつんぽつん

曇りのち雨。ぽつぽつと小雨で優しい雨になる。

秋雨前線だそう。もうそんな季節になったのか。

一雨ごとに秋が深まっていくのだろう。

彼岸の入りも近くなった。もう夏の名残を感じることもない。



仕事でお客様の車を引き取りに行ったら

オーディオから演歌が流れて来て聴き入っていた。

その女性歌手が誰なのかも分からなかったけれど

しんみりと心に響くとても好い曲ばかりだった。

ふと母を想う。母に聴かせてあげたいとおもう。



定時で仕事を終わらせてもらって帰宅。

あやちゃんがピアノの練習をしていた。

家からピアノの音が聴こえるのも良いものだった。

普段からあまり練習をしないのだけれど

いつの間にか上手になっていておどろく。

水曜日はピアノ教室の日。笑顔で送り出した午後のこと。


やがてめいちゃんが帰って来てにぎやかになる。

夕飯には自分でおにぎりを作るのだと言ってそれはたくさん

小さなおにぎりだけれど9個も作って全部平らげる。

そうして体重を測りに行くのがなんとも愉快な光景。

一週間前にはまだ食欲もなく下痢も続いていたのが嘘のよう。


娘が今夜からまな板の熱湯消毒を始めた。

用心に越したことはない。もう二度と食中毒があってはならない。

「おばあちゃんは雑だから」と言う。確かにその通りだった。


今夜もお風呂上がりのはしゃぎ声を聴きながらこれを記し終わる。

雨音がぽつんぽつん。とても平和な夜だこと。





2020年09月15日(火) 寝耳に水のよう

晴れのち曇り。朝は少し肌寒いほどになる。

日に日に秋が深まっているのだろう。

うろこ雲に彼岸花。やがて秋桜の季節がやってくる。


「おばあちゃんはやく」めいちゃんに急かされて保育園へ。

早く行って竹馬の練習をするのだそうだ。

もう70センチに乗れるようになったのだと得意顔で話してくれる。


山里の職場に着くなりけい君の担任の先生から電話。

心配事がまた増える。ここに詳しくは書けないけれど

まだ一年生のこと。どうか温かく見守って欲しいと願うばかり。

けい君はけい君なりに一生懸命がんばっているのだと思う。



先日のめいちゃんの検便の結果が分かり娘が病院へ行っていた。

なんとあの熱と下痢は食中毒の一種だったのだそうだ。

「カンピロバクター」と言う細菌が見つかったということ。

もうすっかり元気になっているので今となっては寝耳に水のよう。

それにしても抗生剤無しでよく乗り越えたものだと思う。


我が家の食事が原因だとしたら今後も厳重に注意しなければいけない。

家族で一番幼いめいちゃんが犠牲になってしまったのだ。



お風呂上がりのはしゃぎ声。こんなにも平穏な夜に。





2020年09月14日(月) ずっとずっと大好きだよ

ひんやりと肌寒い朝。

夜明け前の窓辺できりりっとした風に吹かれる。

秋の深まりを感じながらふと

自分は何処に向かっているのだろうとおもう。

それはきっと行ってみないとわからないところ。

老いたこの身にも未来というものがあるのだろう。




めいちゃん6歳の誕生日。

家族みなでささやかにお祝いをする。

娘たちと同居を始めてから生まれた子なので

私も育児の片腕を任されて随分と奮闘したものだった。

ミルクを飲ませたりおむつを替えたり泣けば抱っこしたり

懐かしく思い出しながらもう6年と歳月の流れを感じる。

来春にはもう一年生。ほんとうに早いものだとおもう。


明るく素直で優しい子に育ってくれた。

時々かん虫を起こすけれどそれも愛嬌だとおもう。

誰に似たのか負けず嫌いの性格もまた頼もしいものだ。


めいちゃん生まれてきてくれてありがとう。

大好きだよ。ずっとずっと大好きだよめいちゃん。





2020年09月13日(日) 夕風に吹かれながら

曇りのち晴れて爽やかな秋空となる。

うろこ雲がまるで魚の群れのように空を泳ぐ。

空を見あげているとなんとちっぽけな自分なのだろう。

それでも生きている。そうおしえてくれるのも空だった。



昨日出掛けていたので今日はステイホーム。

特にすることもなくのんびりと怠惰に過ごす。

海苔の漁場の様子を見に行っていたじいちゃんが

お仲間さん達がもう杭を打つ作業を始めていると言う。

早朝からその気になっていたら出遅れることもなかったけれど

今日はもう諦めることにした。心の準備も出来ていない。

身体の準備もだった。肉体労働に耐えられる自信もなかった。

とうとう来る時が来たか。やるっきゃないのだと少し喝を入れる。



午後4時過ぎ、娘たちが庭でバーベキューを始める。

まったくの予定外でお肉も足らず急いで近くのお店へ買いに走る。

とうとうそのまま庭で夕飯となり思いがけずに楽しかった。

夕風に吹かれながら家族の笑顔。こんなに幸せなことはない。

「またやろうね」と娘が言ってくれてとても嬉しかった。









2020年09月12日(土) 雲の上のひと

曇り日。朝方少し雨が降ったけれどすぐにやんでくれる。

夏の名残の蒸し暑さ。声をかぎりに鳴くツクツクボウシ。

「つくづく欲しい」と聴こえるその声に

いったい何を欲しがっているのかと自分の心にも問う。

まだまだ足るを知らなすぎる。それがどれほど愚かなことか。



職場は休みではなかったけれど私だけお休みをいただく。

娘が仕事だったので孫たちと過ごすつもりでいたけれど

娘婿が休みだったので思いがけない休日になった。


じいちゃんとぶらりと出掛ける。今日は東へ向かう。

隣町の黒潮町で友人の所属する写真クラブの写真展があったので

じいちゃんを駐車場で待たせて少しだけ目の保養を。

友人の写真は一際目につく。どれも素晴らしい写真ばかりだった。


沖縄、隠岐の島、岐阜、その行動力には驚くばかり。

コロナ禍で旅もままならない時だからおそらくそれ以前の旅だろう。

それにしても凄いことだった。友人がまるで雲の上の人のよう。

そうしていただく刺激をたいせつに育んでいきたいと強くおもう。


車はそれからまた東へ。四万十町窪川の「椿食堂」でラーメンを。

国道沿いの小さな食堂だけれどラーメンがとても美味しいのだ。

一度食べたら忘れられない味。すっかりリピーターになっている。

冬が近くなると「おでん」も始まるのでまた行きたいなとおもう。


今日はとてもいい日でした。ありがとうございました。



2020年09月11日(金) サンキューありがとう

雨が降ったりやんだり。時おり激しい雨となる。

四万十川上流地域ではかなりの雨量だったらしく

下流には濁流が流れ増水しておりおどろく。

山間を蛇行しながらもひとつの大河なのだとあらためて知る。

明日も明後日も雨とのこと。水害に繋がらなければ良いのだけれど。



今朝は体調も良くなっていてそれなりに仕事。

奥様が外国人のご夫婦がタイヤ交換に来てくれて

おしゃべりをするのがとても楽しかった。

以前はご主人の通訳がなければ会話が出来なかったのだけれど

今ではたいていの日本語が通じるようになっている。

片言の日本語と私の拙い英単語でちゃんと会話が出来るのが嬉しい。

お勘定の時には「ペイするよ」「サンキューありがとう」とか。

何を言っているのか分からない時にはとにかくにこにこ笑顔だった。

おかげで楽しく仕事。ああなんていい日なのだろうと思った。



夕飯は「海老マヨ」せっかく娘が腕をふるってくれたのに

あやちゃんが一口も食べようとしなくて困らせる。

海老は大好きなのにどうしてかと問うと「海老マヨはきらい」と。

そんなあやちゃんの我儘を娘は決して叱らなかった。

娘が叱らないのにどうして私が叱れようか。

「じゃあ今度は海老フライにしようね」と言うとにこっと微笑む。


甘えたくても甘えられないそれがあやちゃんの「甘え」だと思う。

いつもいつも我慢していることを知っているから尚更のこと。

お姉ちゃんになってもう6年目の秋が来た。









2020年09月10日(木) 私の生きがい

夜明け前までぽつぽつと雨。滴ほどの雨だれの音を聴く。

体調がいまひとつでなんとなく心細い。

どこかに突き落とされそうな不安があった。

しっかりしなくてはと思いながらいつものように歌を詠む。


いまもそうだけれど書くことは生きることなのだ。

もはやもう私の生きがいになっているのだろう。



それなりに仕事。それもお昼までが限界だったようで

お昼に頓服の薬を飲むと一気に睡魔がおそってくる。

一時間ほど車の中で寝てそのまま早退させてもらった。

義父や同僚に心配をかけてしまってなんとも申し訳ない。


薬が効いたのか夕方にはずいぶんと楽になっていた。

娘と肩を並べて夕食の支度。それが楽しいと思える。

めいちゃんの食欲も出て来て何よりも嬉しい。


お風呂で昨夜洗えなかった髪も洗うことが出来た。

さっぱりと気持ち良くなって今こうしてこれを記している。


書けるのが嬉しい。ああ書けたなとほっとする。

不調が峠だとしたらもう越えたのだろう。

いまはなだらかな野原にいて空を仰いでいる時のようだ。



2020年09月09日(水) 2センチの憂鬱

曇り日。山里ではにわか雨が降る。

ずいぶんと涼しくなり気温も26℃ほど。

田んぼの畦にもう彼岸花が咲き始めていた。

その花を見るとなぜか亡き祖母を思い出す。



めいちゃんやっと保育園へ。

「おばあちゃんといく」と言ってくれて嬉しかった。

お昼寝のお布団を自分で持つと言って聞かず

「よいしょよいしょ」と声を出しながら門をくぐる。

仲良しのお友達がすぐに駆けつけて来てくれて満面の笑顔。

まだお腹が本調子ではないけれど元気になってほんとうに良かった。



仕事を定時で終わらせてもらって髪を切りに行く。

ほんの2センチの憂鬱も切ってしまえばなんとも心地よい。



夕方から少し体調悪し。久しぶりのことで戸惑うばかり。

血圧も正常で原因が分からず。夏の疲れが出て来たのかもしれない。

自律神経がどうにかなってしまったのだろうかとも思う。


思う存分には書けなかったけれど少しでも書けて良かった。

どんな日もあってよし。こんな日もありました。


明日はあしたの風が吹きますね。



2020年09月08日(火) あどけない寝顔

ずいぶんと涼しさを感じた朝。夜が明けたばかりの空には

茜色に染まった雲がぽっかりと浮かんでいた。


日中は真夏日になったけれどさほど暑さを感じず

むしろ夏の後姿を愛しむように空を仰いでいた。



めいちゃん今日から保育園の予定だったけれど

今朝も腹痛を訴え下痢。無理やり登園さす訳にもいかず

もう一日様子を見る事にして休ますことにする。

やはり信頼している小児科医に診てもらいたくて

私が仕事を休み連れて行くことになった。

総合病院の小児科は火曜日と木曜日だけしか診察がない。

今日を逃すわけにはいかないと意を決する。


やはり先日の小児科とは大違いでとても丁寧な診察だった。

念のために便の検査もしてくれるとのことで

肛門に綿棒を突っ込み便を採取してくれる。

検査結果は一週間後とのこと。きっと大丈夫でしょうと言ってくれる。

顔色を見ただけでわかるのだそうだ。にこにこ笑顔のめいちゃん。



午後はふたりでテレビっ子。録画の「風立ちぬ」を見てから

「おおかみこどもの雨と雪」を見ているうちにお昼寝。

なんともあどけない寝顔は平和そのものだった。




2020年09月07日(月) 名残の風

台風一過の青空とはいかなかったけれど

午後には陽射しがあり強風も少し和らいでいた。

二十四節気の「白露」今夜はずいぶんと涼しく感じる。

そうして日に日に秋めいてくるのだろう。

夕暮れ時にはツクツクボウシが鳴き日が暮れると秋の虫。

窓を開けてその声を聴きながら名残の風に吹かれている。



めいちゃんの熱がやっと平熱になった。

今夜は雑炊を少しだけ食べられる。

まだ下痢の症状があるけれどもう大丈夫だろうと

明日は保育園に行かせてみることにした。


久しぶりのお風呂が気持ち良かったのか機嫌よく

隣室から鼻歌が聴こえて来て微笑ましいこと。

胃腸に来る風邪だったのかもしれない。

やはり夏の疲れが出てしまったのだろうか。

去年の日記を読み返していたらやはり熱を出していた。

一昨年も同じく。めいちゃんにとっては恒例のことだったのだ。


夏の猛暑にも負けずパワフル全開だっためいちゃん。

頑張ったらひとやすみ。そうして成長して行くのだと思う。



台風も無事に過ぎ去りめいちゃんも元気になって何より。

心配事がないのがどれほど幸せなことだろうか。


ぐっすりと眠ってまたあしたの風に吹かれよう。





2020年09月06日(日) めいちゃんの笑顔

台風の影響が出始めて時おり激しい雨と風。

今夜には九州を直撃しそうとのことでなんとも心配なこと。

停電も発生しておりどんなにか心細く不安な夜になることだろうか。


高知県西部もこれから暴風域に入るとのこと。

眠っている間に無事に通り過ぎて欲しいけれど

こればかりは来てみないと何もわからない。


今は雨も降っておらず不安な気持ちも少し薄れている。

おかげでいつものようにこれを記し始めたところ。




めいちゃんの熱は下がらず腹痛も治まらず食欲もなし。

せめてスープだけでもと思ったけれどそれも受けつけない。

はらはらと心配でならないけれど娘夫婦はそうでもなさそう。


誕生日はまだ少し先だけれど早めにプレゼントを準備したよう。

これには元気のなかっためいちゃんも上機嫌になる。

さすが親だなと思う。嬉しいことがいちばんの治療なのだろう。


私も心配し過ぎてはいけないなと思い直す。

そっと気長に見守りながら治るのを待とうと思えるようになった。


今夜は少しだけはしゃぎ声が聴こえるので部屋をのぞいたら

リカちゃんの玩具で遊んでいるめいちゃんが微笑んでいた。

「おばあちゃんみて」と言ってとても嬉しそうな笑顔。



風がだんだんと強くなってきた。台風さんどうかお手柔らかに。





2020年09月05日(土) めいちゃんダウン

雨の予報だったけれど思いがけずに青空となる。

入道雲の夏空はもう見られないとばかり思っていた。


台風は明日の夕方あたりから影響がありそう。

かつて経験したことがないほどの暴風だと言うこと。

台風には慣れている沖縄の人々も避難を始めているらしい。

なんと怖ろしい事だろうとだんだんと不安になってきた。



めいちゃん発熱の朝。仕事を休ませてもらっていてさいわい。

娘夫婦が仕事だったので午前中に病院へ連れて行く。

一番信頼している総合病院の小児科が休診日だったので

仕方なく他の病院で診てもらったけれど「風邪でしょう」と。

頭痛と腹痛を訴えているのに何とも心もとないことだった。


微熱のわりに食欲がなくぐったりとしんどそうにしている。

いつもなら熱があっても元気なのでよけいに心配だった。

帰宅した娘と相談してとにかく2、3日様子をみることにする。

夏の疲れが出る頃。めいちゃんも頑張った夏だったのだと思う。


感心したのはあやちゃんが付きっ切りで看病してくれたこと。

何度も熱を測ってくれてそのたびに報告してくれる。

「おばあちゃんはお昼寝したや、あやがみよるけん」とまで言ってくれた。

なんと優しい子に育ってくれたのだろうと涙が出そうになる。

おかげで少しだけうたた寝。めいちゃんもその間眠っていたようだ。


いつものはしゃぎ声が聴こえない静かな夜になった。

窓の外からはしきりに鈴虫の声が聴こえている。


明日の朝には元気なめいちゃんに会えますように。



2020年09月04日(金) 待っていてね

ほぼ曇り日。午後ところにより雨が降る。

同じ市内でもまったく降っていないところがあった。

台風10号は月曜日に最接近とのこと

高知県西部は台風の右側に当たるのでとても危険に思われる。

来るものは避けられずただただ身構えるしかないだろう。

それよりも直撃を受けそうな九州地方がとても心配だった。


職場も工場のシャッターを半分閉めて仕事。

来客もなく電話も鳴らない。まるで開店休業状態だった。

明日は休みをいただきいつもより早めに帰路につく。

今週はもうお終い、そう思っただけで肩の力が一気に抜ける。


帰宅してごろごろ寝転んでいたら母から電話があった。

リハビリが終わってからカラオケで歌ったそうで楽しかったと。

歌い終えたばかりのようで声がとても弾んでいた。

側でケアマネさんの声もしていて電話を促してくれたのだろう。

「娘さんに言わなくちゃ」ときっと言ってくれたのだと思う。

大好きな趣味さえも忘れてしまいそうな施設にいて

母に楽しみを作ってくれてほんとうにありがたいことだった。


母は守られていると実感する。きっと笑顔の日々が続くだろうと。

来週には会いに行けそうだ。待っていてねお母さん。


昨夜ふと思った母との距離とは何だったのだろうと思う。

会いたくないのではない声をききたくないのではない。

こんなにも会いたがっている自分にきづく。



2020年09月03日(木) ほんの少しの距離

台風9号の影響で夜中から明け方にかけて強い風。

日中は風も和らぎ思いがけないほどの青空になった。

追いかけるように10号が不気味に近づいて来ている。

9号より少し東寄りのコースでかなり影響がありそうだ。

備えあれば憂いなし。用心に越したことはないだろう。



昨夜はこの日記を書き終えてから母に電話。

思うように面会に行けない日が続いておりせめて声だけでもと。

ずっと不通だった母の携帯電話がやっと繋がるようになる。

ケアマネさんにお願いして確かめてもらったら

電池切れの状態で放置してあったとのこと

これからはそんなことがないように気にかけてくれるそうだ。

「ケイタイは要らない。誰からもかかってこない」と言ったそう。

母の寂しさがひしひしと伝わって来て胸が締め付けられそうだった。

私にも落ち度がある。不通になった時にすぐに対処するべきだった。


電話の母の声はとても明るくて救われるような思い。

冗談を言い合って笑い合うことも多くなった。

最後にはいつも「気をつけてね」と何度も繰り返し言ってくれる。

それが母の精一杯の優しさだと思うと胸が熱くなってくる。


「ぐっすり眠ってね。おやすみなさい」電話を切ろうとすると

「ありがとうね。嬉しかったよ」となんだか涙声の母だった。


今夜も待っているかもしれない。そう思いながらもなぜか躊躇う。

この気持ちは言葉にし難い。きっとほんの少しの距離を求めている。



2020年09月02日(水) 祈ること願うこと

台風9号の影響で不安定な天気となる。

お昼過ぎには土砂降りの雨が降ったり強い風が吹いたり。

今はやんでいるけれど今夜は大雨の予報が出ている。

続いて台風10号も接近しており週末は大荒れになりそうだ。

ざわざわと落ち着かない気分になるけれどこればかりは仕方ないこと。



今朝の山道で一人のお遍路さん。俯き加減の足取りがとても気になる。

颯爽と歩くお遍路さんが多い中、重い何かを背負っているような。

そんな時には声をかけてはいけないと長年の勘がおしえてくれる。

心の中でそっと手を合わす。どうかどうか無事に結願出来ますように。


仕事を終えて帰り道にもまたそのお遍路さんに会った。

黄色い雨合羽を来ていて足取りは今朝と変わらず

「ご苦労様です」と横顔に会釈をして追い越して行く。

荷物が少なかったので野宿ではなさそう。

もう今夜の宿に辿り着いている頃だろうかと案じながらこれを記す。


声はかけられなかったけれどこれも縁だろうと思わずにいられない。

祈ること願うことはきっと伝わるのだと信じている。



とうとう雨が降り始めてしまった。風を伴いかなり強い雨だ。

雨音を聴きながら眠るのも良いだろう。

ぐっすりと眠ってまた明日の扉をそっと開こうか。




2020年09月01日(火) ちいさな秋

夜明けに少し雨が降ったけれど日中は晴れ。

とても蒸し暑く厳しい残暑となる。

そうして9月。朝のラジオからは竹内まりやのセプテンバーが流れる。

口ずさみながら山里の職場に向かったことだった。


国道でお遍路さんがふたり。一人は逆打ちのお遍路さんだった。

まだ若く真っ黒に日焼けした顔。夏遍路の厳しさをおもう。

もう一人は足摺に向かっており重そうな荷車を引いていた。

一目で野宿をしているがわかる。おそらく職業遍路さんであろう。

かなり高齢に見えたのがとても気がかりだった。


今年はコロナの影響でお遍路さんも少なくなっているけれど

本格的な秋になれば少しずつ増えてくるのではないだろうか。

コロナ禍だからこその祈りの巡礼もあるような気がする。



仕事はずっと気になっていたことが一段落。

先週から気ばかり焦っていたのがやっと楽になった。

やはり義父の助けが必要。稲刈りが無事に終わってほっと安堵。


帰り道にお得意さんのバイクショップに寄ったら

「イチジク食べんかよ」と言ってくれる。

庭先にイチジクの木があって赤紫色に熟れているのが見えていた。

「食べる、食べる」と子供みたいに喜んで手を伸ばす。

乳色の汁が垂れてくるのをそっと手のひらに包み込んで帰路につく。


帰宅するなりイチジクを食べた。なんと懐かしい味だろうと。

子供の頃を思い出す。今日はちいさな秋をいただいた日。






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