2020年08月31日(月) |
おひさまが眠くなる頃に |
葉月も晦日。猛暑日となり精一杯の夏の後姿を見る。
そっと扉を閉めるような気持ち。明日はまた新しい扉を開く。
日暮れがずいぶんと早くなりあたりが薄暗くなると一斉に
秋の虫たちが歌い始める。いまその声を聴きながらこれを記し始めた。
夕食後の散歩もつかの間になり少し物足らない様子のめいちゃん。
やがては行けなくなってしまうだろう。可哀想だけれど仕方ない。
我慢しようね。秋になるとおひさまも眠くなってしまうんだ。
あやちゃんもめいちゃんも運動会の練習が始まったよう。
でも今年はコロナのおかげで例年通りとはいかないようだ。
無事に開催されても観客制限がありそうとのこと
まだはっきりと決まってはいないけれど覚悟しておかなければ。
めいちゃんは保育園最後の運動会なので観られないのはとても残念。
今日は県内の感染者無しのニュースが流れほっとしたけれど
明日の事は分からずまだまだ油断の出来ない日々が続くだろう。
秋から冬になれば一気に増えるのではないかと不安がつのる。
それでも日々のことを精一杯にと思う。
毎日がいただいている日なのだと感謝しながら過ごしたいものだ。
今日も平穏無事な一日をありがとうございました。
今日も厳しい残暑。元気過ぎるほどのおひさま。
つくつくぼうしがしきりに鳴いて夏を惜しむ。
日が暮れるのを待っていたかのように秋の虫たちの合唱。
ささやかな秋の気配を感じながらこれを記し始めたところ。
朝の涼しいうちにとお大師堂へお参りに行っていたけれど
川風はぴたっと静まり汗びっしょりになってしまった。
日捲りの暦は金曜日のままでふと寂しさをおぼえる。
この暑さではお参り仲間さんの足も遠のいているのだろう。
しばらく会っていないSさんは元気にしているだろうか。
花枝を新しく活け替え自分に出来ることをする。
お供えのお菓子を持参してなかったのは不覚だった。
詫びる気持ちと一緒に般若心経を唱える。
流れる汗とともに流す灰汁もあるのだろうとふと思う。
さらりさらりと水の音。川は清くゆったりと流れるばかり。
じいちゃんは漁協の出役で川仕事に行っていたので
なんとなく気になってしまって土手から様子を見に行っていた。
案の定いささか無理をしている様子ではらはらと見守る。
若いお仲間さんに交っての作業は身体に堪えるものだ。
そうして今年も海苔の漁場の準備がもう始まってしまった。
私も少し気を引き締めなくてはならない。覚悟の時が来たのだ。
ゆっくりと休めるのも今の内と午後はひたすら寝てばかり。
目の前にそびえる山があるのなら野原で寝転ぶのも必要な時間。
2020年08月29日(土) |
「生きたい」と「死にたい」 |
猛暑日にこそならなかったけれど厳しい残暑。
夏も潔く去るわけにはいかずあがいているのだろう。
「処暑」と名づけられたからと言ってすぐには退けない。
何度も振り向きながら名残惜しく立ち止まる場所がある。
とても縁の深かったひとの命日。もう8年の歳月が流れた。
最後に会った日は自死する3日前の事だった。
思い詰めた様子もなく笑顔だったことを忘れられずにいる。
何も気づいてあげられなかったことを悔やんだこともあったけれど
今は不思議とその死を素直に受けとめている自分がいる。
「生きたい」と「死にたい」はもしかしたら似ているのかもしれない。
少なくとも人間として生まれた以上それは身近な欲なのだろう。
どちらの欲が正しいかなどと判断するほど私は偉くなどない。
修業僧だった彼は死んでから正式な僧侶になったのだそうだ。
四国霊場を何巡も歩き通したそれが最後の結果となった。
私は「生きたい」欲と日々闘い続けている。
死んでたまるかと思いつつ命を抱きしめ続けている。
歳を重ねるごとに身近になった死を遠ざけたくてたまらない。
けれどもある日突然それが襲って来るかもしれないのだった。
逃げることが不可能ならばどうやってそれを受けとめようか。
もう書くことも出来なくなる。ぷっつりとすべてが終わる。
それでも私は残るのだろうか。せめて生きた証を残しておきたい。
2020年08月28日(金) |
だからこそ今が愛しい |
8月も残り少なくなり精一杯の夏空。
入道雲のかたちが動物の姿に見える。
犬かなと思ったら兎になったり楽しい空。
やがて秋空になるだろう空を惜しむように仰ぐ。
娘たちと同居を始めて今日で6年。
日記を読み返しながら懐かしく思い出す。
娘は臨月の大きなお腹を抱えてのお引越しだった。
あやちゃんは2歳。まだ紙おむつをしていた頃。
初孫に会いたくてたまらなかった日々に
まさか一緒に暮らせるようになるなんて夢のようだった。
一気ににぎやかになり家事も大忙しになったけれど
少しも苦にはならなかったあの頃。
やがてめいちゃんが生まれ我が家は6人家族になった。
同居を決心してくれた娘夫婦にはほんとうに感謝している。
出来ることならばこのままずっと一緒に暮らしたい。
けれどもそう口にすることも出来ず時々不安になってしまう。
ある日突然「出て行く」と。それも覚悟しておかなかれば。
そう考えただけで辛くてならない。嘘であってほしいと。
だからこそ今が愛しい。こんなに幸せなことはないと思う。
お風呂上がりの孫たちのはしゃぎ声。いつもと同じなのに
今夜はなんだか涙が出そうなくらいに嬉しくてならない。
空は晴れておおきな入道雲がもこもこと夏の名残を連れて来る。
そんな空から雨がぽつぽつ。今日は「狐のお嫁入り」
無学な私にはその言葉の意味がよくわからないけれど
昔からの伝承で「天気雨」のことをそう言うのだった。
晴れているのに雨が降るのを怪異な現象としてとらえたのか
それを狐と結びつける理由がきっとあるのだろうと思う。
チコちゃんなら知っているかもしれない。チコちゃんおしえて。
あやちゃん今日から新学期。たくさんの荷物を持って学校へ。
昨日は高知市内の小学生がコロナに感染したニュースが流れ
はらはらと心配でならないけれど笑顔で送り出した朝のこと。
どうかどうか安全な学校生活であってほしいとひたすら願う。
めいちゃんは久しぶりに「おばあちゃんといく」と言ってくれる。
7時40分には家を出てぴょんぴょんと兎のように登園する。
プールが終わって今日は「おたのしみ会」があるのだそう。
楽しみなことがあると朝からテンションの高いめいちゃんだった。
仕事が少し忙しくどっと疲れて帰宅。
おそるおそる乾燥機を覗いたら娘がすでにたたみ終えてくれていた。
今日はお休みだったとのこと。まったく知らなかったけれど
思いがけないことがあるとよけいに嬉しいものだなと思う。
明日で同居から6年が経つ。なんとありがたい日々だったのだろう。
夕飯は牛丼。あやちゃんがおかわりをして二杯も食べてくれる。
炊飯器のご飯が空っぽになるなんてめったにないこと。
みんなの美味しい顔が見られてこんなに幸せなことはない。
今日も「いい日」でした。ありがとうございます。
不安定なお天気は台風8号の影響のよう。
今日も晴れたり突然雨が降り出したり。
気温はさほど高くないのにとても蒸し暑い一日だった。
義父の飼っているメダカの水鉢にホテイアオイの花が咲く。
「おとうさん咲いたよ」とおしえてあげたかったけれど
早朝から出掛けたらしくポストには新聞が入ったままだった。
昨日の辛さがかすかに残る朝。義父の笑顔に会いたかったのだ。
そうして穏やかな一日を過ごせたらどんなに良いだろうかと。
お昼に帰って来る。やっと笑顔の義父に会える。
そこには昨日の嵐が嘘のように穏やかな義父がいた。
定時で仕事を終わらせてもらって早めの帰宅。
玄関のドアを開けたらじいちゃんが飛び出して来た。
誰が来たのだろうと驚かせてしまったようだ。
そう言えばずっと残業続きだったことにやっと気づく。
あやちゃんのピアノ教室の日でじいちゃんが送って行く。
お迎えにも行ってくれてそれは二人だけの約束だったよう。
夏休みの間にふたりはずいぶんと仲良しになっていた。
明日からはもう新学期。あやちゃんとじいちゃんの夏が終わる。
めいちゃんは今日が最後のプールだったそうで
頑張ったご褒美に水中写真付きの「忍者認定証」をもらって帰る。
晩ご飯の時に「めいちゃんすごいね」とみんなで褒めていたら
「そうよ、めいはすごいもん」と得意顔のめいちゃんだった。
そうして我が家の夏がゆっくりと終わろうとしている。
晴れてはいたけれど時おりにわか雨がざあっと降る。
それはつかの間でも激しく強く途惑うほどに
まるで夏を押しやるかのような雨だった。
稲刈りが思うように捗らなくて機嫌の悪い義父。
苛立っているのがわかりおそるおそる声をかければ
怒鳴り声が返って来たりしてなんとも辛い一日だった。
昔からそういう時がよくあったことを思い出す。
「また始まったよ」と母はあっけらかんとしていたっけ。
私にはそれが出来ない。精神的にひどく落ち込んでしまって
逃げるように帰路につきながら涙があふれてくるばかり。
今はやっと冷静になって義父の心境を思い遣ることが出来る。
当たり散らす相手がもう私しかいなくなってしまったのだ。
言い換えればそれだけ身近な存在になれたのだと思う。
血は繋がっていなくても娘として認めてくれたのだろうと。
だから深く受けとめて傷つくことはないのだ。
そう思うとなんだか義父が憐れでならなくなった。
「家族がいない」それがどれほど孤独で寂しいことだろうと。
ながい歳月を乗り越えてやっと親子になれた日なのかもしれない。
私にはふたりも父がいる。なんと恵まれた人生なのだろう。
処暑に入ったせいか猛暑日にはならず
午後には曇り空になり微かにヒグラシの声が聴こえる。
帰り道には思いがけず土砂降りの雨に遭う。
ほんの一処だけの雨だったようで市街地の道路は乾いていた。
いまは午後7時。もうすぐ日が暮れようとしている。
空を仰げば少しふっくらとした三日月が見えている。
夕散歩から帰っためいちゃんが美味しそうに葡萄を食べている。
お向かいの奥様から頂いたのだそう。めいちゃんは葡萄が大好き。
あれこれと今日の出来事はもういいかなと
書き始めたら長くなってしまいそうだからやめておこう。
特記事項無しもたまには良いのではないだろうか。
18年もの間この日記を書き続けて来たけれど
読み返すことが多くなったこの頃になって感慨深いものがある。
やはり誰のためでもない自分のための日々の記録だったのだと思う。
けれども誰一人読んでくれる人がいなかったら
はたして書き続けられただろうか。
それは出来なかったとはっきりと言える。
私は書かせていただいているのだとただただ感謝しかなかった。
午後7時35分。そっとペンを置くようにPCをシャットダウンする。
二十四節気の「処暑」夏の後姿が見える頃。
朝風にふと秋の気配を感じたけれど日中はまだまだ厳しい残暑。
ゆっくりと夏が退いていくのだろう。それは少しせつなくて
むかし「しりぞくのかきみは」と詩を書いたことを今も忘れられない。
ずっとステイホームを貫いて来たけれど
今日はぶらりと気の向くままにドライブへ行ってみる。
西へ行くのか東へ行くのかも決めていなかったけれど
じいちゃんの提案で四万十川をさかのぼり江川崎まで
道の駅「よって西土佐」で田舎寿司などを買い車中で昼食。
十和方面に向かいながら木陰をさがし車を停めたのだけれど
なんとそこは墓地の前であった。「まあいいか」と笑い合う。
食べ終わると「どうもおじゃましました」と言ってそれも愉快。
江川崎は私の生まれ故郷でありいつ来ても懐かしい土地。
昔の面影を探すように散策をしてみたかったけれど
あまりの暑さに諦めてしまった。子供の頃の通学路
古びた小さな橋だけはちゃんと見ることが出来て良かった。
道の駅「とうわ」はほぼ満車状態ですごい人だった。
密に飛び込む勇気もなく「すごいね」と言いつつ通り過ぎる。
誰もがもう自粛の限界なのだろうと思わずにいられない。
そう言う私たちも出掛けて来てしまったのだもの。
十和から四万十町窪川経由で家路についたのだけれど
私は助手席で睡魔におそわれずっと眠ってばかりだった。
家に帰り着いても眠くて夕方までずっと寝ていた。
柏島へ海水浴に行っていた娘たちが帰って来て
「夕飯はいらない」と言う。これ幸いとすっかり怠ける。
秋刀魚を焼いて胡瓜の酢の物でじいちゃんとふたりきりの夕食。
孫たちも海水浴で疲れたのだろうかはしゃぎ声も聴こえない。
静かな夜にまるで宿題のようにこれを記す。
いっぱい寝たのにまた眠くなってしまった。
最高気温が32℃。一気に猛暑が和らぐ。
午後から雨の予報だったけれど未だに降らずにいる。
薄っすらと茜色の空を仰ぎながらこれを記し始めた。
朝の国道で見覚えのある後ろ姿。
その歩き遍路さんはすっかり顔なじみのMさんであった。
交通量の多い国道でのことで停車が出来なかったけれど
少しスピードを落としたらMさんが気がついてくれて手を振ってくれた。
私も窓から手を振る。ほっこりと笑顔になり清々しい朝のこと。
仕事を終えて帰り道。今日は朝来た山道をゆっくりと帰る。
そうしたら山里の道でまたMさんに会えたのだった。
車を停めて道端でつかの間だったけれど語り合うことが出来た。
健脚のMさんにもこの夏の猛暑はひどく堪えたらしい。
それでもひたすら歩き続ける終わりのない旅であった。
帰る場所がないわけではない。帰らないと決めているのには
深い事情があるものと察する。触れてはいけない痛みを感じる。
聞けばまだ昼食も食べていないとのこと。もしやと思って
ほんの気持ちだけれどお布施をもらっていただく。
Mさんの手を取り包み込むようにして渡すことが出来た。
お布施は決して「あげる」のではなく「もらっていただく」もの。
欲深い人間だからこそその欲を手放すことだと学んだことがある。
涙ぐむMさんに私も胸が熱くなった。情けは人の為ならず。
今日は二回も会えたのだものきっとこれも縁だろうと思った。
その時、傍らの雀色の田んぼに大きな白鷺が飛び立つのが見えた。
「ああ鳥になりたいな」とMさんがふっとつぶやく。
2020年08月21日(金) |
アイタクナッタラアイニイク |
最高気温が35℃ほど。少しずつ猛暑が和らいでいるようだ。
明日は久しぶりに雨の予報。夏が一気に退くのかもしれない。
山里では稲刈りの第二段、麦わら帽子を被った義父が
慌ただしく準備をして勇ましく出掛けて行く。
昼食も食べる暇がないとのこと。せめて菓子パンでもと思ったけれど
間に合わなかった。早めに買って来ておいたら良かったものを。
事務所に来客があり母の事を語り合う。
孫たちがお世話になっている小児科のお医者様。
同じ病院内に母の施設があるので昨日面会に行ってくれたそう。
母の様子が尋常ではないと。認知症が進んでいるようだと。
そうして家族の面会が殆どないのではと少し責める口調だった。
弁解するつもりではないけれど先日美容院へ連れて行ったこと
母はとてもしっかりとしていて会話もちゃんと通じたこと。
決してほったらかしにしているのではないことを伝えたかった。
本来ならもっと足しげく会いに行ってあげるべきなのだろう。
けれども今の私にはとてもそんな余裕がなかった。
責められるのは辛いものだ。これ以上の親不孝はないのだろう。
けれども母はきっと分かってくれていると信じたい。
義務として無理に母に会いに行くつもりはない。
会いたくなったら会いに行く。恋しくなったらきっと会いに行く。
ふと母と生き別れていた少女時代の事を思い出していた。
あの頃の私はもう一生母には会えないだろうと思っていたのだ。
母の植えた百日紅の花がゆらりゆらりと風に揺れる午後のこと。
連日の猛暑日。江川崎では37℃を超えたようだ。
山里は平野部よりも少しだけ猛暑が和らいでいたけれど
曇り空で風もなくとても蒸し暑く感じる。
朝の道で逆打ちのお遍路さん。まだ若い青年だった。
ちょうどカーブで車を停められず声もかけられなくて残念。
なんだか辛そうに歩いていたのがとても気になる。
なんとしても声をかけるべきだったのではと後から悔やまれた。
足摺岬は遠い。猛暑なら尚更のことどんなにか厳しい道のりだろう。
今となっては旅の無事を祈ることしか出来ないのだけれど。
仕事を終えて買物を済ませ帰宅するなりのこと
札幌の友から初孫が生まれたとメールが届く。
女の子だということ。どんなにか嬉しいことだろうか。
きっと孫にメロメロのおじいちゃんになることだろう。
ネット空間で出会いかれこれ20年近くになる。
一度も会ったことはないけれど親友と呼んでいいのか
よほど深い縁があったのだと思う。かけがえのない縁だと。
札幌はもう秋だと言う。はるかに遠いまだ見ぬ街をおもう。
秋が来れば冬が来る。そうして春を待ちまた夏が来る。
孫の成長を楽しみにしながらただただ老いていくのか。
風があり雲が多かったせいかさほどの猛暑にはならず。
日も短くなりゆっくりと秋に近づいているようだ。
朝の道の山肌に咲く鉄砲百合も少しずつ枯れ始めてしまった。
お遍路さんの姿もなくなんだかしんみりと寂しい。
稲刈りの終わった田んぼは雀色。ふと秋の匂いを感じる。
仕事を終えてスーパーで買物。
今日は娘の帰宅が遅くなる日だったので少しパニックになる。
それだけ娘を頼りにしている証拠だろう。
手の込んだものは作れずすっかり手抜き料理になった。
それでも誰も文句を言わずいつもの笑顔で食べてくれる。
家族の優しさをひしひしと感じほっと嬉しくてならなかった。
出来ない日があってもいい。無理をしなくてもいいのだ。
それを分かってくれる家族に恵まれなんと幸せなことだろうか。
夕食後はもう薄暗くなっていたけれど外にとび出して行くめいちゃん。
追いかける娘夫婦。つかの間でもお散歩が出来て良かった。
お風呂上がりのはしゃぎ声も楽しくて微笑まずにいられない。
鈴虫も鳴き始めた。午後7時42分。私は日記を書き終える。
2020年08月18日(火) |
おひさまの匂いのするこども |
午後7時を過ぎるともう薄暗くなる。
少しずつだけれど日が短くなっているようだ。
連日の猛暑だけれど暦を見ればもうすぐ処暑。
厳しい残暑もきっと峠を越えることだろう。
娘39歳の誕生日。今夜はささやかにお祝いをする。
いくつになっても嬉しいらしくとてもはしゃいでいた娘。
子供の頃から明るく朗らかで今でも我が家の太陽のようだった。
生まれたのはちょうど今頃。母は昨日の事のようによく憶えている。
産声をあげなかったのだ。「お願い泣いて」と大声で叫んだこと。
助産婦さんが娘の足を持って逆さまにしてお尻をパンパン叩いた。
やっと泣いてくれた時には母もおいおいと泣いていたっけ。
歳月は流れ娘も母親になった。あやちゃんとめいちゃん
可愛い孫たちを授けてくれてほんとうに感謝している。
そうして同居を選んでくれたことはまるで夢のようだった。
どうかいつまでもそばにいて欲しいと願わずにいられない。
父も母もどうしようもなく老いていくけれど
そのぶん孫たちの成長が楽しみでならなかった。
あと何年だろうと思うと明日の事さえわからないのだけれど
なんとしても生き抜いてみせようと今はそう思っている。
夜風にふっと秋が匂う夜にこころを込めてこれを記す。
雲ひとつない青空。日中の気温は39℃ほどだったよう。
猛暑にすっかり慣れてしまってさほど苦にもならない。
けれども熱中症で命を落とされている方も多く心を痛めている。
コロナ禍に猛暑。ほんとうに大変な夏になってしまったものだ。
お盆休みも終わりまた日常が返って来た。
今朝はめいちゃんと保育園へ。機嫌よく元気に登園する。
お昼寝布団もあったのに全部自分で持つと言って聞かない。
保育士さんの「めいちゃんえらいね」の声に嬉しそうにしていた。
仕事は来客が多く大忙し。稲刈りが一段落した義父も手伝ってくれる。
ふたりとも汗だくだった。私は事務所ばかりでなんとも心苦しい。
お客さんに冷たい麦茶を出し世間話をするのも私の仕事だった。
昼下がりにじいちゃんから電話がありご近所さんが亡くなった知らせ。
数日前に元気そうな姿を見かけたばかりだったのでとても驚く。
私たち夫婦にとっては昔の同僚でもありなんとも複雑な思いだった。
定時で仕事を終わらせてもらってお悔やみに行ったけれど
もうお通夜の斎場に行っており亡骸に会うことは叶わなかった。
お身内の方から一昨日急逝されたことを聞く。
なんとあっけないことだろう。それほどまでに死は身近な事だった。
ある日突然は誰にだってあり得る。だからこそ日々を大切に
生き抜いていかなければいけない。心して生きていかなければ。
熱を帯びていた風がふっと秋の気配を運んできた午後のこと。
今日は37℃ほど。風があり猛暑が少し和らぐ。
不思議なものでわずかの気温差でも過ごしやすく感じる。
いま日が暮れようとしているのを確かめながらこれを記し始めた。
「おばあちゃんもう暗い?」とあやちゃんが訊きに来る。
今夜も花火をするのだそうで楽しみにしている孫たち。
夕方「送り火」を焚きみんなで手を合わせ仏さまを見送る。
私の心の中には亡き父や祖父母の姿があってしんみりとせつない。
火が消えてしまうまで離れられず最後まで手を合わせていた。
昼間、めいちゃんと一緒にお大師堂へお参りに。
備え付けの記入帳がいまだ返却されておらず気になっていた。
Sさんに相談して新しいノートを置くことにする。
手水鉢の水もやっと入れ替えることが出来た。
ほっと安心。ささやかなことだけれど自分に出来ることをする。
「なむだいしへんじょうこんごう」めいちゃんもちゃんと手を合わす。
お大師堂から「あかめ道」にそれは心地よい涼風が吹き抜けていた。
川風をいっぱいに浴びながらめいちゃんと少し散歩する。
めいちゃんの後姿が愛しくてならず写真を撮らずにいられなかった。
そのシルエットをここに残しておこう。
最高気温39.7℃。とうとう3日続けての日本一を記録する。
そんな猛暑にも慣れてしまったのかさほど苦にもならず過ごす。
それにしてもかつてこれほどの酷暑の夏があっただろうか。
娘が仕事だったため孫たちと過ごす。
とは言え殆ど手はかからずめいちゃんはお向かいのせりちゃんと
プール遊び。せりちゃんのお父さんが見てくれてとても助かる。
午後は我が家の二階でまあちゃんも加わりそれはにぎやか。
かくれんぼをして遊んでいたようで茶の間にも隠れに来る。
今夜は義妹宅でお盆の宴会があったけれど我が家は辞退する。
私の不安はとても大きくじいちゃんが断ってくれたのだった。
甥っ子にはほんとうに申し訳ないけれどどうか許してほしい。
折りしも今日は高知市内で14名の感染者が出たニュースが流れる。
感染者ゼロの日が続いていただけにその衝撃はとても大きい。
一層気を引き締めなくてはいけない。決して油断をしないように。
「おぼん、おぼん」今夜も花火でおおはしゃぎの孫たち。
例年なら隣町で花火大会があるのだけれど今年は中止だった。
明日はもう送り火なのか。なんだかせつなくてならない。
ふと線香花火がしたくなった。ぽとんと落ちるのを見届けたいような。
最高気温が39・8℃。今日も全国一の暑さを記録する。
まさに命に関わるほどの猛暑であった。
水分不足なのか昨夜から膀胱炎の症状が出ており少し辛い朝。
それも毎年夏の恒例になっており嘆くことのほどでもない。
息子から電話があり今夜みんなで夕食の予定だったけれど
ひどく疲れている様子で「行けない」と言ってくる。
聞けばお嫁さんの体調も良くないとのことで仕方なかった。
あれこれと心配すればうるさがるので詳しい事も聞けず
職場が変わったばかりで心労も大きいのだろうと察する。
とにかくゆっくりと休ませてあげなくてはいけない。
けい君は元気そう。また近いうちにきっと会えるだろう。
年金支給日だったので母の入居料の支払いもあり病院へ。
ケアマネさんにも会えて母の様子を聞くことが出来た。
先日美容院へ行ったのが施設でも大評判になっているとのこと。
「とても可愛らしい」と。母の笑顔が目に浮かぶようだった。
金曜日のせいか病院はとても混雑していたけれど
院長先生のお友達の女医さんが膀胱炎を診てくれてとても助かる。
心がけ次第で防げるとのこと。「努力が足りませんね」と笑い合う。
抗生剤を30錠欲しいと言ったらさすがにそれは駄目だった。
お昼に薬を飲み午後には嘘のように楽になっていた。
夕方になり市内の居酒屋さんに注文していたオードブルを取りに行く。
息子たちの分もあったのでそれはとても食べきれないほど。
「お兄ちゃんに会いたかったな」と娘が残念がっていたけれど
いざビールを飲み始めるといつもと変わらない家族団欒。
料理はたくさん残ったけれどまた明日食べようと。
お風呂上がりには花火。孫たちがとても喜んでいた。
めいちゃんが「おぼん、おぼん」と連呼して愉快なり。
どうやらお盆には花火が出来るのだと思い込んでいるらしい。
「あしたもおぼん?」そうよあしたも花火しましょうね。
最高気温がほぼ38℃。今日は日本一の猛暑だったようだ。
茜雲に誘われたように孫たちが土手の道で遊んでいるのを
微笑ましく眺めながらこれを記し始めたところ。
めいちゃんとまあちゃんお向かいのせりちゃんもいる。
追いかけっこをしているみたい。なんと楽しそうなはしゃぎ声だこと。
夕食後、義妹宅の庭先で迎え火を焚いた。
「ひいじいちゃんひいばあちゃんかえってきてね」
孫たちもちいさな手を合わせる。まあちゃんが不思議そうに
「ゆうれい?」と訊くのでみんなで大笑いをした。
めいちゃんは保育園で「おぼん」を習ったのだそう。
天国からお馬さんに乗って帰って来るのだと知っていて
私がお船で帰って来るかもよと言うと「まじ?」とおどろく。
みんなで賑やかにお迎えが出来てほんとうに良かった。
父も弟の家にきっと帰って来たことだろう。
母方の祖父母には迎え火を焚く人もいなくて憐れでならない。
けれども気持ちはきっと通じると信じたい。
こころの中で迎え火を焚く。どうか我が家へと声をかける。
いつも見守ってくれていてありがとう。
お盆になると亡き人達といっそう寄り添う気持ちになる。
目に浮かぶ面影。懐かしい声。それは決して消えたのではない。
2020年08月12日(水) |
明日はあしたの風が吹く |
最高気温が37℃近くなり厳しい残暑となる。
山里ではあちらこちらで稲刈りをしていた。
風がほんのりと藁の匂いを運んでくる。
猛暑の真っ只中にそれはちいさな秋に思える。
兼業農家の義父も今日から稲刈りを始めた。
米作りが大好きなだけあってなんとも勇ましい。
母は義父が農業をするのを嫌っていたけれど
活き活きとしている義父の姿を見せてあげたいとふと思う。
明後日からお盆休みになるので工場も忙しく
同僚は汗だくになりながら頑張ってくれていた。
空調設備などない工場のなんと暑いことだろう。
エアコンの効いた事務所に居るのも心苦しくてならない。
せめて労いの言葉をと声をかけに何度も外に出る。
不機嫌そうにしている同僚がふっと微笑んでくれるとほっとする。
明日は夏季手当を少しでもあげられたらと考えている。
私の一存で出来る事なのでなんとかやりくりしてみようと思う。
母が居たら「そんな必要はない」ときっと怒ることだろう。
悲しいけれど母はそんな人だった。悪口みたいでごめんね母さん。
私には私のやり方がある。思い遣る気持ちを決して忘れてはいけない。
帰宅して熱を帯びた洗濯物を取り入れただけで汗だくになる。
思わず「助けて〜」と大声をあげたらじいちゃんがすぐ来てくれた。
エアコンの効いた茶の間で洗濯物をたたみながら
あれこれ「今日の出来事」みたいなことをしゃべりまくる。
あやちゃんが二階の部屋に閉じこもって顔も見せなかったそう。
それを聞くと私も気になり「生きてる?」と覗きに行く。
「生きてるよ」とケラケラ笑いながら応えてくれたあやちゃんだった。
今日も平穏無事で何より。明日はあしたの風が吹くことでしょう。
2020年08月11日(火) |
蝉しぐれを浴びながら |
曇りのち晴れて今日も厳しい残暑となる。
蝉しぐれを浴びながら空を仰ぐ。
一瞬くらくらと眩暈がするような陽射し。
それがなんだかとても心地よく感じる。
夜明け前のSNSでぼのさんの愛犬サクラちゃんが
昨日亡くなってしまったことを知る。
ぼのさんとはネットを通じて知り合いもう随分とながい。
まだ子犬の頃から知っているサクラちゃんのことを
我が家のあんずと重ねながらいつも見守って来たように思う。
16歳で逝ったあんず。サクラちゃんも16歳になっていた。
ぼのさんの胸に抱かれながらやすらかな最期だったそうだ。
どんなにか幸せだったことだろうと悲しみよりも安堵がつのる。
愛情をいっぱいに受けたまま虹の橋を渡ったことだろう。
私はあんずを抱いてあげられなかったそれがとても悔やまれる。
冷たい土間で毛布にくるまったまま彼女は逝ってしまったのだ。
どうして一晩中そばにいてあげられなかったのだろうか。
最後の夜だと分かっていたのにどうしてどうして・・・。
あんずが逝ってもう7年の歳月が流れたと言うのに
今日ほどあんずを想ったことはなかった。
天国に野原はありますか。サクラちゃんと遊んであげて下さいね。
いっぱいいっぱい走りまわって下さいね。
台風の影響が少し。時おり激しい雨がざあっと降る。
気温はさほど高くなかったけれどなんとも蒸し暑い一日だった。
朝からエアコンのお世話になる。無しではとても過ごせない。
娘夫婦が仕事だとばかり思い込んでいたら娘がお休みとのこと。
孫三昧のつもりでいたのでなんだか気が抜けたように過ごす。
朝のうちに買物に行っていたらすごい人出ではらはらと戸惑う。
帰省客なのか観光客なのか駐車場には県外ナンバーの車が目立つ。
帰省せずにはいられない理由があるのだろう。
観光も自粛するより行動を選ぶ理由があるのだろうか。
人それぞれだと思う。むやみに批判も出来ないもどかしさがある。
午後はテレビを見ながら寝たり起きたりひたすら怠惰に過ごす。
時間を惜しむ気持ちは一切ない。怠け者ばんざいの気持ち。
怠けることに罪悪感を感じる人もいるだろうけれど
それも人それぞれ。どちらが愚かだとか決めつけることもしない。
わたしはわたし。それ以外になにがあろうか。
今夜は特に書きたいこともない。まあどんな日もあってよしか。
外はすっかり夜になりぽつぽつと雫のような雨が降っている。
青空と入道雲。今日も厳しい残暑となる。
それでも夜明け前には鈴虫の声が聴こえ
少しずつだけれど秋らしくなっているようだ。
りんりんを凛々と書く。すくっと前を向かねばならない。
朝のうちにお大師堂へ。日捲りの暦を今日にして
花枝を新しくした。そうして唱える般若心経。
川風を頼りにしていたけれど思いのほか暑くて
汗がぽたぽたと流れる。それも心地よくてならない。
手水鉢の水が濁っていたので入れ替えたかったけれど
満潮なのか川の水があまりにも満ちていて怖くなる
また次の機会にしようと「ごめんなさい」と立ち去った。
午後は義妹と3人でお墓掃除とお参りに。
お寺の裏山へ上る坂道がとてもきつくてやっとの思い。
日に日に足腰の衰えを感じずにいられなかった。
目を見張るほどの夏草。汗びっしょりなり草を引く。
やがて夫も私もこの墓に眠るのかと思いながら
息子や娘に苦労をかけたくないと思わずにいられなかった。
どんなにお墓が荒れ果てても良いではないかと。
「お盆には帰って来て下さいね」と手を合わせながら
ふっと川船が目に浮かぶ。櫓を漕いでいるのは姑さんだった。
お舅さんは舳先に座りゆったりと煙草をふかしているような。
ふたりは天の国から川を下って帰って来てくれるのだろう。
2020年08月08日(土) |
ちいさな秋の風だった |
厳しい残暑になったけれど吹き抜ける風に
ふと秋の気配を感じるようになった。
ヒグラシの声も聴く。それはなんだか物悲しくて
忘れていたせつなさをふと思い出させるように鳴く。
思いがけず母に外出許可が下りてやっと美容院へ。
施設には定期的に理容師さんが来てくれているけれど
母は頑なに拒み続けもう限界になっていたようだ。
コロナ禍にも関わらずよく許可が下りた事だと思う。
聞けば「今しかない」と判断してくれたようだ。
この先また市内に感染者が出る怖れもあってのこと。
行きつけの美容院へ行った母のなんと嬉しそうな顔。
肩に付くほど長くなっていた髪をさっぱりと短くしてもらう。
鏡を見ながら「このおばあさんは誰?」とおどけてみたり
私が写真を撮ろうとしたら「葬式用にするのか」と気を損ねる。
だから写真は諦めてしまったけれどそれは可愛い母の姿だった。
心でシャッターを押す。なんだか忘れたくない気持ちでいっぱいになる。
つかの間の事ですぐに施設へ送り届けなければいけなかった。
玄関にケアマネさんが来てくれていてちょこんと車椅子へ座る母。
千切れんばかりに手を振ると母も笑顔で手を振ってくれる。
また会える日もあるだろうになんだか今生の別れのように感じた。
そんな覚悟も必要なのかもしれないとふと思わずにはいられない。
風が吹き抜けていく。夏のようでありながらちいさな秋の風だった。
秋は名のみの厳しい残暑となる。
それでも立秋と思えば夕風が涼しく感じるのは不思議なもの。
土手を越えて吹いてくる川風に吹かれながらこれを記し始めた。
自分らしさとはいったい何だろうと途方に暮れる夜明け前。
歌を詠んでも詩を書いてもまったく自信がなかった。
50年近く培ってきたものは何の実にもならなかったのだろうか。
だとしたら私は未だに種のままで芽も出せずにいるのだろう。
それを誇らしく思えるようになったらきっと救われるのだと思う。
負けるもんか。見てごらんなさい。土に埋もれたまま叫んでいる。
今日は6年前の日記を読み返していた。
季節は初冬。あやちゃんがめいちゃんを抱っこして
ミルクを飲ませている写真があってほのぼのと微笑まずにいられない。
まだよだれ掛けをしているあやちゃん。それでもお姉ちゃんらしく
そういえばミルクを飲ませるのが上手だったなと懐かしく思い出す。
まだ甘えたい盛りの2歳。いっぱいいっぱい我慢をしたことだろう。
そんなあやちゃん。今日は娘が休みだったのでプールへ行ったそう。
「めいにはひみつよ」と言いながら楽しかった様子を話してくれた。
お母さんとふたりきりどんなにか嬉しかったことだろう。
めいちゃんは保育園で毎日のプール。
小麦色を通り越して手や足はまるでかりんとうみたいになっている。
そう口にすれば怒るかなとあえて言わないけれど
食べてしまいたいくらい可愛くてたまらないのだった。
先日プール参観があったけれど私は行けなかったのが残念。
今年はコロナの影響で各家庭一名と決められているのだそう。
保育園最後の夏もそうしてやがて終わろうとしている。
いまはお風呂タイム。今夜もあやちゃんが最後に入るのだそう。
お風呂掃除を続けてくれていてほんとうにありがとうね。
おばあちゃんは宿題の日記を書き終わりました。
2020年08月06日(木) |
私の生きがいのようなもの |
少しずつ日暮れが早くなっているようだ。
夕蝉の声が微かに聴こえ暑かった一日の幕を閉じようとしている。
8日目の蝉かもしれない。そう思うとせつなさが込み上げてくる。
命の限りに生きただろうか。もう思い残すことはないのだろうか。
最近ずっと過去の日記を読み返していて
今日は8年前の8月の日記を読んだ。
そこには生後3ヵ月のあやちゃんがいてなんと懐かしいこと。
泣き止まないのを抱っこしてあやし続けたり
ミルクを飲ませたり添い寝をしたり
初孫にべったりだった私が少し滑稽にも思える。
書き残すことに何の意味があるのだろうと思いつつも
こうして歳月が流れるととても貴重な記録に思えてくる。
書いていて良かったのだ。誰のためでもない私自身のために。
そうしていつかは家族のためにもなるのだろうと思う。
夕飯はオムライス。もう大人用のスプーンで食べているあやちゃんを
すっかり大きくなったのだなと感慨深くながめていた。
時には生意気なことを言って私を困らせる時もあるけれど
それも成長のあかし。愛しさになんの変わりがあろうはずがない。
これからもささやかな日常の事を書き続けていこう。
生きている限りなんだかそれが私の生きがいなのかもしれない。
2020年08月05日(水) |
きみに出会えてほんとうに良かった |
夏らしい暑さをたのしむ。不思議なことに少しも苦にならない。
それほど私は夏が好きだったらしい。たぶんあの夏の日から。
思い出が記憶になる。そうして冥途の土産にもなり得る。
自動車保険の更新手続きのため業務提携先のY君とお客様のお宅へ。
頼りがいのある好青年でいつもほんとうに助けてもらっている。
お客様は外国人。今日が初対面のY君は少し緊張している様子。
片言の日本語と片言の英語でなんとも楽しいやり取りだった。
私の苗字とY君の苗字が同じなので「シンセキ?」と尋ねられたり
私がちょっとふざけて「マイサン」と言うと「ソックリネ」と笑い合う。
笑顔で仕事が出来ることが今日ほど嬉しく思ったことはなかった。
そうしてY君がさすがプロだなと感心したのは
場を和ます明るさとお客様の信頼を決して裏切らない誠実さだった。
それは誰にも真似が出来ないだろう。Y君だから出来る事だと思った。
すごいなY君。そんなきみに出会えてほんとうに良かった。
笑顔のままで仕事を終えて帰宅する。
きっとこのまま微笑みながら眠ることだろう。
今日はとてもとてもいい日でした。
2020年08月04日(火) |
日常のことがとんとんとん |
今日も猛暑日にはならず。晴れているはずなのだけれど
空には白いもやのようなものがかかり暑さを和らげていたようだ。
夜明け前にきれいな月を見た。今夜が満月とのこと。
雲間から見えたり隠れたりするのをどきどきしながら見ていた。
明るくなったり暗くなったり。ふと我が身に重ねて月をおもう。
煌々と輝く月であるはずがない。そう貶めることは容易いけれど
だからと言って嘆いてどうする。それではいのちが可哀想ではないか。
夏休み中のあやちゃんに娘がお弁当を作っていた朝。
学童の「竹の子学級」にはなるべく来ないようにと言われているらしい。
学校のプールも今年は閉鎖。すっかり引きこもりの夏休みになった。
じいちゃんとお留守番の昼食にも限界があって
やはりお弁当を作っておいたほうがじいちゃんも助かるようだ。
それもじいちゃんと一緒には食べないのだそう。
二階で独りで食べているようでそれがお気に入りのよう。
それも成長のひとコマだろうと微笑ましく思う。
めいちゃんは元気に保育園へ通っている。
夕方になり「おなかがすいた」と猫まんまをお茶碗二杯も食べる。
娘と夕食の支度をしながらおかずが間に合わなくて慌ててしまう。
普段は食が細くて少ししか食べないのに今日はどうしたことでしょう。
夕散歩から帰りお風呂。あやちゃんが最後に入りお風呂掃除を。
最初は3日坊主かなと思っていたけれどもう4日になった。
えらいなと感心する。何よりもとてもありがたく助かっている。
日常のことがとんとんとん。これはいい感じだなと嬉しく思う。
平穏無事で笑顔で一日を終えられることがいちばんだった。
さあ今夜もぐっすりと眠りましょうか。
そう口にするだけでひとは眠れるものなのです。
2020年08月03日(月) |
ほのぼのとありがたいこと |
最高気温が34℃だったそう。猛暑日の一歩手前だけれど
わずかの気温差でずいぶんと過ごしやすく感じる。
山里の田んぼは一面の黄金色。もうすぐ稲刈りが始まるようだ。
農家の人達は稲刈りの事を「秋」と言う。
「そろそろ秋やな」なんて聞くとなんだか嬉しくなってしまう。
言葉には不思議な力があるものだなと最近つくづく思う。
そうして同時に「負」のイメージが強い言葉に嫌悪感を感じる。
近づきたくないし避けようとする。まるで身を守るようにしながら
遠ざかる。一度嫌だなと感じると回復するのにとても時間がかかる。
お願いですから言葉を大切に自分の為になるように発して下さい。
めいちゃんがお風呂でUFOを歌っていて愉快なこと。
私が二十歳の頃の歌だからもう40年以上も昔の歌なのか。
踊ろうと思えば踊れる。それもまた愉快なことに思える。
今度一緒に踊ってみようか。めいちゃんの方が上手かな。
今夜もほのぼのとありがたいこと。
微笑みながらぐっすりと眠りましょう。
2020年08月02日(日) |
ほのぼのと微笑みながら |
さほど蒸し暑くもなく爽やかな晴天。空には今日もうろこ雲。
猛暑日にもならなかったようで過ごしやすい夏らしさだった。
夕食後、娘夫婦と孫たちが夕散歩に出掛けて行って
土手で遊んでいる姿が窓から見えている。
ほのぼのと微笑みながらこれを記し始めたところ。
以前は私もよく夕散歩に行ったものだけれど
なんと出不精になってしまったことだろうか。
夕風の涼しさ。暮れていく茜色の空がなんだか懐かしい。
午前中は海苔網を重ねる作業に精を出す。
昨日洗ったばかりの網がもうと思うほどずいぶんと捗る。
あと少しになっていたけれど後はじいちゃんが重ねるとのこと。
明日からの仕事が出来たと喜んでいるのかぼやいているのか。
一人でも二日もあれば片づくだろう。無理せずどうかぼちぼちと。
外はもう薄暗くなっていていつの間にか娘たちも帰って来ている。
お風呂に入っているようでめいちゃんの声かなあやちゃんかな。
またほのぼのと微笑みながらそろそろこれを記し終えようか。
今夜のイッテQは四万十川の筏下りだそうで楽しみにしている。
お布団敷いてごろごろしながら見ようかなと思っている。
今夜もきっとぐっすり眠れることでしょう。
2020年08月01日(土) |
あっけらかんとしていよう |
猛暑が少し和らぎ空にはうろこ雲。ふと初秋を思わすような葉月。
7日にはもう立秋。なんだか今年の夏はあっけなく終わりそうな気がする。
今日はやっと海苔網を洗う作業。早朝より頑張って
午前中にすべての網を洗い終えることが出来た。
なんと心地よく汗を流したことだろう。
程よい疲れを感じながらも清々しい達成感があった。
洗った網は夕方までにすっかり乾き一気に準備が整う。
明日はその海苔網を5枚ずつ重ねる作業を予定している。
今年も昨年並みに規模を縮小することに決める。
私が二足の草鞋を履くのにも限界があった。
そのことをじいちゃんが思い遣ってくれたのが嬉しい。
歳を重ねるごとに無理の効かない身体になってしまった。
9月になれば漁場の準備。それも大変な肉体労働となる。
その時はその時の事とあまり思い煩わすにいたいものだ。
案ずるより産むが易し。やれば出来ないことはないのだろう。
不安がったりついつい考え込んでしまうのが私の悪い癖なのだ。
なるようになるとあっけらかんとしていよう。
明日のことはまたあした。とにかくぐっすりと眠ろうと思う。
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