ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2019年09月30日(月) めいちゃんの頼もしいパワー

快晴ではなかったけれどおおむね晴れ。

とても蒸し暑くなりほぼ真夏日となる。

9月最後の日に夏が忘れ物を取りにきたのだろうか。



めいちゃんの熱は下がらずじいちゃんとお留守番。

娘も私も仕事が休めず午後から娘が小児科へ連れて行くことに。

熱には慣れているけれどやはり心配だった。



月末の仕事をそれなりに終えて早めに帰宅する。

義父が珍しく「なんとかなったか」と声をかけてくれた。

私の苦労を少しでも分かってもらえた気がして嬉しかった。

切羽詰まっていてもなんとかなるものだと改めて思った日。



娘とめいちゃんが小児科から帰って来て「扁桃炎」とのこと。

扁桃炎は普通の風邪と違って熱が高く長引くのだった。

安静第一で気長に様子を見るしかないだろう。

だいじょうぶ。土曜日の運動会までにはきっと治る。


夕食には卵かけごはんとミカンの缶詰を食べられた。

昨日から何も食べていなかったのでほっと安堵する。


それからお風呂の時間。どうしても入りたいと言って聞かない。

娘と相談してシャワーならとこれもいつもの荒治療だった。


熱はあっても元気な声が聞こえている。

めいちゃんのパワーはすごいなと頼もしい限り。


がんばれめいちゃん。お熱なんかに負けたらいかんよ。





2019年09月29日(日) めいちゃんのお熱が下がりますように

曇りの予報だったけれど思いがけずに晴れて暑いほど。

朝のうちの川仕事も汗だくになってしまう。


若いふたりに助けられてもう漁場の準備が整う。

じいちゃんとふたりだったら5日はかかったことだろう。

それがわずか2日で終わるとは信じられない早さだった。


助手の私が足手まといになってはいけないと

一生懸命に動いていたけれどすぐに限界が来る。

若いふたりのペースに合わすのはやはり無理があった。

「ぼちぼちでいいよ。出来るだけでいいよ」と言ってもらって

やっとマイペースになって動くことが出来る。

ふたりにはほんとうに助けてもらった。ただただ感謝するばかり。



心地よい達成感と程よい疲れ。午後はのんびりとお昼寝をする。

目覚めたら外から孫たちの元気な声が聴こえていた。

あやちゃんが自転車の練習をしていて

めいちゃんも補助輪を外すのだと言って負けていない。

もしかしたらめいちゃんのほうが先に乗れるようになるかも。

ふたりの微笑ましい姿を目を細めるようにして眺めていた。


遊び疲れたのか夕飯を待ち切れずに眠ってしまっためいちゃん。

あやちゃんが「なんかめいは熱があるみたい」と教えてくれる。

まさか嘘でしょうと半信半疑で熱を測ってみたら

8度5分もあってびっくり。あんなに元気だったのに。


こどもの発熱は突然のことが多い。我が家はもう慣れっこだった。

今度の土曜日には運動会。めいちゃんはきっと復活することでしょう。



2019年09月28日(土) 冥途の土産が欲しいのです

雨が降ったりやんだり。空のご機嫌のままに過ごす。


朝のうちに川仕事へ。漁場に竹杭を打つ作業。

いとこの息子さん夫婦と一緒に行く。

若いふたりの頼もしいこと。私はほんの助手だった。


途中から雨が降り出してしまってずぶ濡れになってしまったけれど

これくらいの雨ならと言ってくれておかげでずいぶんとはかどる。

助けてくれてほんとうにありがたいことだった。


来月になれば種付け。それから海苔網を漁場に寝かせる。

12月になったら漁場に網を張り巡らせて春の収穫を待つ。

今年は最小限だけれどなんとしても収穫までたどり着きたい。

希望をもってその時を待とうと思っている。

どうかどうか順調に事が運びますように。




午後からコインランドリーへ行ったらとても懐かしい友に会う。

長年一緒にバドミントンでペアを組んでいた仲間だった。

下手くそな私をいつも励ましてくれて準優勝したことも懐かしい。

何よりもまだ赤ちゃんだった末っ子の娘さんが高校生になっていた。

それだけ歳月が流れたのだと感慨深くおもう。


昔の仲間たちと一度集まりたいねと言ってくれて嬉しかった。

懐かしい仲間たちの顔が目に浮かぶ。みんなに会いたくてたまらない。


ふと「冥途の土産」と言う言葉があたまに浮かんだ。

思い出はたくさんあるというのになんて欲張りな私なのだろう。






2019年09月27日(金) ゆびきりげんまん

雨の予報だったけれど午後から思いがけずに晴れ間が。

少し蒸し暑かったけれど優しい陽射しが嬉しかった。



山里の幼馴染の命日。もう二年目の秋になる。

少しのあいだ職場を抜け出してお線香をあげに行く。

あの日も今日のように優しい陽射しが降り注いでいたっけ。


突然の訃報に奈落の底に突き落とされたような日だった。

信じられないというのに彼女はもう冷たくなっていたのだ。



私が山里の小学校に転校してきたのは四年生の時だった。

わずか三年の間だったけれど彼女はいちばんの仲良し。

私が転校してからもずっと文通を続けていた。

やっと再会できた時にはふたりとも結婚し母になっていたけれど

昔の面影をそのままに彼女はとても優しく接してくれていた。


やがて孫が出来ておばあちゃんになったふたりは

会うたびに「長生きしようね」とまるで合言葉のように

いつも指切りげんまんをしていたのだと今になっておもう。


ある日突然の死。どうしてそれを受け止められようか。


「わたしは生き永らえていますよ」遺影に語り掛ける。

仏壇のある居間にはお孫さんの写真がたくさん飾られてあった。


もう泣いてはいけない。精一杯の笑顔で彼女のもとを去る。





2019年09月26日(木) 忘れられない母の味

晴れのち曇り。今夜遅くには雨になりそうだ。

南の海上に熱低があって台風になりそうとのこと。

まだ進路ははっきりしないけれどとても不安でならない。



山里では満開の彼岸花を追いかけるように秋桜が咲き始めた。

遅植えの稲も黄金色になってのどかな里の秋を感じる。

お遍路さんがひとりふたりと通り過ぎて行くのも絵のように映る。


そんな山里で仕事をしながら過ごすことをありがたくおもう。



帰宅すると今日も娘が居てくれてほっとする。

なんだか癖になりそう。毎日居てくれたらと欲なことを思う。

また娘の帰宅が遅い日もあるだろう。

そんな日には娘がほっと出来るようにしてあげたい。


ふたり肩をならべて夕食のしたく。

思い起こせば娘が中学生の頃からそうしていた。

部活で膝を痛めてしまってからずっと帰宅部だったから。

手伝ってと言わなくてもいつも一緒に料理をしていたっけ。


私も中学生の頃からだった。突然母が家出をしてしまって

弟と一緒に台所で奮闘していたことが今ではとても懐かしい。

料理上手だった母の味を思い出しては見よう見真似だったけれど

弟が「母さんの味や」と言ってくれたのがとても嬉しかった。


母はもう二度と帰っては来なかった。

もう50年も昔のことをいつまでたっても忘れられないでいる。












2019年09月25日(水) ダイジョウブアリガト

いちだんと肌寒い朝。夏布団では寒くって

夜中に何度も目が覚めてしまった。


日中はほぼ真夏日となり寒暖の差がはげしい。

体調を崩さないよう気をつけなければいけない。



山里の職場に向かう峠道で外国人の青年お遍路さんに会った。

大きな荷物を降ろして道端に座り込んでいたので

とても気になって声をかけずにいられない。

とっさに「ユアオッケイ?」と。

それがちゃんと伝わったのか片言の日本語で

「ダイジョウブ、アリガト」と笑顔で微笑んでくれた。

その笑顔の嬉しかったこと。言葉はうまく伝わらなくても

笑顔は世界共通なのだとあらためて感じた朝のこと。




仕事をそれなりにこなして帰宅。

今日も娘が洗濯物をたたんでくれているところだった。

干していた冬布団も取り入れてくれていてふっかふか。

娘がいてくれるとほんとうに助かる。今日もありがとう。


孫たちが帰って来て、めいちゃん「かけっこ」で負けたそう。

「うんどうかいではぜったいにかつ」と頼もしいこと。

あやちゃんは宿題を。「かんたんすぎるのよね」って。


今日は眠くならなくて良かった。みんなでわいわいと夕食。

あやちゃんの好きな「南瓜煮」北海道産でとても美味しかった。

あやちゃんは北海道へ行きたいのだそう。

南瓜よりもイクラをおなか一杯食べたいのだそうだ。


いいね未来。きっと行けるよ北海道。

おばあちゃんも生きているうちに行きたいな。





2019年09月24日(火) 一生懸命のあやちゃん

曇り日。時おりやわらかな陽射しもあり少し蒸し暑くなる。


昨夜はとうとう母の夢を。

それほど気にしているのならどうして会いに行かないのか。

もしかしたら母も会いたがっているのかもしれない。

もう以前のような独り暮らしではないので

「おまえも安心だろう」とじいちゃんが言ってくれた朝のこと。




仕事は火曜日からのスタートでずいぶんと気が楽。

仕事が嫌なわけでも辛いわけでもないのだけれど。

連休があったりするとついつい怠け癖が出てしまうものだ。


今日も目の前のことをこつこつ。ぼちぼちゆるりとこなす。



買い物を済ませて帰宅したら一足先に娘が帰っていた。

ちょうど縁側で洗濯物をたたんでくれていたところ。

「ありがとうね」と自然と声が出る。

顔をあげて微笑む娘に私も微笑みを返す。


娘がめいちゃんを迎えに行っていたけれど

あやちゃんは集団下校とのこと。

もう4時半になっていた。ふうふう言いながらやっと帰って来る。


夕飯の支度が出来た頃にはぐっすり眠っていたあやちゃん。

学校は楽しいけれどやはりつかれるのだろう。

最近そんな日が多くなってきている。

こどもはぼちぼちではいられない。毎日一生懸命なのだ。


いまお父さんとおしゃべりしながら夕飯を食べている。

元気な声を聴きながらほっとこれを記す。





2019年09月23日(月) 真っ青な海と空

台風一過の青空に恵まれる。


今朝は熱低となり日本海を北上していたけれど

各地に強風をもたらしたようでそれは千葉にも。

自然の猛威は容赦なくただただ心を痛めるばかり。



先週の「敬老の日」に母に会いに行けなかったので

今日こそはと思って娘と孫たちを誘ったけれど

あやちゃんが行きたがらず無理強いは出来なかった。

自分一人で行けば良いものをどうにも気が重い。

ぐじぐじと悩んでいたらじいちゃんが

「無理に行かなくても」と助け船を出してくれた。


そうして久しぶりにドライブに誘ってくれる。

それがとても良い気分転換になった。


退院後初のドライブで大丈夫かなと少し心配だったけれど

さすがに元職業ドライバーだけあってすいすいと走る。


海が見たいと言ったらちゃんと海の見える場所に連れて行ってくれる。

大月町の柏島。真っ青な海と空にこころが洗われるよう。


じいちゃんありがとう。とてもとても「いい日」でした。








2019年09月22日(日) どこ吹く風とおもったり

台風17号の影響が少しずつ出始めた。

北九州に接近しているもよう。

どうか大きな被害がありませんように。

高知県西部は離れているからと安心も出来ず

台風の東側にあたるので用心に越したことはない。

これから明け方にかけて大荒れになりそうだ。



昨日買った座椅子に座って一日中のんびりと過ごす。

お昼寝はしないつもりだったのにいつのまにか寝ていた。

「よく寝られることよ」とじいちゃんに笑われる。

自分でも異常ではないかと思うほどの睡魔。

「過眠症」という病気があるらしいけれどまさかねと笑い飛ばす。

よく眠れることはありがたいことだとおもう。




娘たちが買い物に行っていてめいちゃんに新しい靴を。

よほど嬉しかったのだろう興奮気味のめいちゃんだった。

帰宅直後におしっこをお漏らししてしまう。

どうして叱れよう。嬉しすぎてトイレどころではなかったのだろう。


新しい靴で「かけっこ」いちばんは間違いなし。

来月の運動会をとても楽しみにしている。



今日も平和な我が家。ざわざわと騒ぐ風もどこ吹く風。

穏やかさをかみしめるようにこれを記す。



2019年09月21日(土) 今夜は「ちゃんこ鍋」でした

台風の影響だろうか夕方から風が強くなる。

幸いまだ雨は降っていないけれど

明日にかけて大雨の予報が出ている。



朝のうちにお大師堂へ。

花枝が気になっていたけれど誰かが活け替えてくれていた。

気にかけてくれる人がいてくれてほんとうにありがたいこと。


もう銀杏の実が落ちる頃になったのか

うずくまって拾っている人がいた。

カゴにはたくさんの銀杏。「美味しいよ」って言っていた。




娘が仕事だったので孫たちと過ごす予定だったけれど

娘婿がお休みで孫たちはやっぱりお父さんが大好きのよう。

片時も父親と離れず私はお役御免になってしまう。

「のんびりすればいいさ」とじいちゃんが言ってくれる。


読みかけの本を読もうかと手に持つもなんとなく集中力がない。

結局ごろごろと寝転んでばかりで今日もアシカかトドのよう。


ふとじいちゃんみたいな座椅子が欲しくなってホームセンターへ。

じいちゃんも一緒に行ってくれて「これがいいぞ」と選んでくれた。

早速茶の間に置いて座ってみたらなんと快適なこと。

ごろごろ寝転ぶよりもずっと楽。もっと早く買えば良かった。



肌寒いほどの一日だったので夕飯は「ちゃんこ鍋」にする。

シメにラーメンを入れてみんなでわいわいと美味しい。



今日も穏やかで「いい日」でした。ありがとうございました。







2019年09月20日(金) 暑さ寒さも彼岸まで

曇り日。時おりぽつんと雨が落ちる。

涼しさを通り越して一気に肌寒くなった。

暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだ。


台風17号が近づいておりまた心配なこと。

九州北部をかすめて日本海を北上するらしい。

どうかもうこれ以上の災害がないことを祈っている。

千葉の被災地の報道があまりにも少な過ぎるのではないか。

一人でも多くの人に日常を取り戻して欲しいと願うばかり。




今週の仕事をそれなりに終えて帰宅する。

急ぎの仕事があり明日も出勤かと覚悟していたけれど

なんとか段取りが整い三連休を頂くことが出来た。

義父と同僚のおかげである。ありがたいこと。



今日も娘と肩を並べて夕食のしたく。

決してごちそうではないけれど家族みんなの美味しい顔。

嬉しいな幸せだなとおもう。もうそれだけでおなかがいっぱい。


今日も「いい日」でした。ありがとうございました。



2019年09月19日(木) ごはんが出来ましたよ

ぐんと涼しくなり肌寒さを感じた朝。

夜明けを待ちかねて散歩に出掛けたじいちゃんが

外に出るなり大きなくしゃみをする。


朝の散歩が日課になってずいぶんと元気になった。

例年なら海苔の漁場の準備をしている頃。

今年は力仕事が出来ずお仲間さんに助けてもらうことに。

いとこの息子さんがひとつ返事で引き受けてくれて大助かり。

それでも気になるのだろう。毎日のように漁場の見回りに行っている。


漁場の準備さえ出来たら後はなんとかなるよと語り合う。

一時は休業を考えていたけれど今は目の前が明るくなった。




仕事を早めに終わらせてもらって帰宅する。

娘がお休みなのを知らずにいて帰宅するなりほっとする。

洗濯物もたたんでくれていた。台所もきれいに片付いている。

こんなに嬉しいことはなかった。ありがたき娘なり。

聞けば明日も休みなのだそうだ。でもそれは秘密。

めいちゃんに分かったら保育園に行かないからだそう。


娘と肩をならべて夕食の支度をする。

「ごはん出来たよ〜」って真っ先にじいちゃんが来るのも愉快。


今日も「いい日」でした。ありがとうございます。






2019年09月18日(水) 赤ちゃんみたいな寝顔

爽やかな朝。窓辺から見上げた空はまるで水族館のようだった。

たくさんの魚が群れをなして泳いでいるように見える。

空はもう秋。ほっと嬉しくなった朝のこと。



午前中に急ぎの仕事を済ませて午後は年金事務所へ。

会社の社会保険の調査とかであれこれと調べられる。

何も不正などしていないので胸を張っていたけれど

少し威圧的な言葉を受けてむっとなってしまった。

上から目線は当然のことかもしれないけれど

一生懸命やりくりをして保険料を納めていることを

理解して欲しいと思った。会社は火の車なのだ。




帰宅したらあやちゃんとじいちゃんがお留守番。

学校は運動会の代休でお休みだったけれど

学童があるからと今朝は言っていたのでびっくり。

どうやら家で自由に羽根を伸ばしたかったようだ。


運動会の疲れが抜け切れないのか夕方になり寝てしまう。

「晩ご飯よ」といくら声をかけても目を覚まさなかった。

小学生になっても赤ちゃんみたいな寝顔が微笑ましいこと。


我が家は今日も平和。心苦しさを数えればきりがない。

千葉の子供たちがどうかどうか守られていますように。



2019年09月17日(火) もうおんなではなかったけれど

今日も厳しい残暑となる。空は抜けるように青い。

彼岸の入りまでもう少し。夏ともお別れになることだろう。



仕事を少し早めに終わらせてもらっていつもの病院へ。

お薬を処方してもらうだけなのに待ち時間が長く苦になる。

連休明けのせいか患者さんがいっぱいだった。

ゆったりとした気分にはなれず少しストレスを感じる。

決して病人ではないつもりなのにお薬と縁が切れないはがゆさ。

けれどもお薬のおかげで毎日元気にしていられるのだろう。



帰宅してじいちゃんと大相撲中継を観ていた。

豊ノ島が怪我で休場とのこと。

今場所は負け続けていたけれどずっと応援していた。

来場所にはきっと元気な姿を見せてくれることだろう。


炎鵬は今日も見事に勝った。嬉しくて大拍手をする。

あの小さな身体で大きな力士にぶつかっていく姿が素晴らしい。

とうてい敵いそうにない相手にも全力で立ち向かっていく。

体力や技や精神力よりも大きなものが彼にはあるのだと思う。




夕飯の支度を前にめいちゃんの牛乳を買いにコンビニへ走った。

そこでとても懐かしいひとに再会する。

つい先日には夢にまで見た。会いたくてたまらなかったひと。


62歳のデブのおばあちゃんはもうおんなではなかったけれど。





2019年09月16日(月) 「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばれて

朝の涼しさもつかの間。今日も真夏日となり厳しい残暑。


千葉では容赦なく雨が。被害は停電ばかりではない。

暴風で屋根を破壊された家が多くあり

ブルーシートで覆っていても雨漏りが凄いのだそう。

「もう住む場所もない」となんと気の毒な事だろう。


祈ることしか出来ず朝のうちにお大師堂へ。

神も仏もなんの力にもなれないことはわかっているけれど

祈らずにはいられない。とにかく希望をと手を合わす。




敬老の日。娘と孫たちが一緒に母に会いに行ってくれる約束。

母がどんなにか喜ぶことだろうと楽しみにしていたけれど

午前中には行けず、午後からは私が寝入ってしまった。

すぐに起きるつもりが起きられずなんと情けないこと。

結局夕方になってしまい娘と相談して諦めることに。

また日を改めて会いに行こうと娘が言ってくれた。


思えばこれまで「敬老の日」などまったく縁のなかった母。

「そんな日なんて関係ないよ」と笑い飛ばしてくれたかもしれない。


どんな日もあってよしかな。出来ない日があってもよしかな。


夕焼け空がとてもきれいだった。

「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばれて

我が家の平穏な一日が暮れていく。



2019年09月15日(日) あやちゃんからのお手紙

雲ひとつない青空。爽やかな秋晴れに思えたけれど

日中は真夏日となり夏の名残が漂う。



今日はあやちゃんの通う小学校の運動会だった。

娘とお弁当を作って家族みなで応援に行く。


炎天下のなか元気いっぱいの子供たち。

あやちゃんの出番もたくさんあって声援を送る。

それはついこの間まで保育園児だったとは思えない成長ぶり。

すごいな、えらいなとただただ感心するばかり。


祖父母と対抗の「鈴割り」の競技もあった。

私も参加して童心に返りとても楽しかった。

競技の後に子供たちからお手紙をもらう。

それは開封するまで誰からの手紙か分からないもので

どきどきしながら封を開けてびっくりと感動する。

なんとそれはあやちゃんからのお手紙だった。

偶然とはいえなんと嬉しかったことだろう。

何度も読み返しながらほろりと涙がこぼれる。

おばあちゃんの宝物。ずっとずっと大切にするね。



元気いっぱいの子供たちからたくさんパワーをもらった。

暑さにも負けないですごいみんながんばったと思う。

とても「いい日」をありがとうございました。



2019年09月14日(土) めいちゃんとドラえもんと

曇り日。風もあり涼しく過ごしやすい一日。

そうして日に日に秋が深まってくるのだろう。

夕暮れ間近に鳴くつくつくぼうしの声をしんみりと聴く。



めいちゃん5歳の誕生日。

お昼に保育園へお迎えに行って午後はずっと一緒に過ごす。

「ドラえもん」を見ながらほのぼのと楽しい。


もう5歳なのかと感慨深くおもう。

時々かん虫を起こすけれどとてもおしゃまで優しい子。

あやちゃんとは正反対の性格で負けず嫌い。

なんでも挑戦して出来ないと泣いて悔しがる。

これからも伸び伸びと成長してくれることだろう。

おばあちゃんは長生きをしてその成長を見届けたくてたまらない。


あと10年、いや20年と欲張りなおばあちゃんだった。

どんな未来が待っているのだろう。

ドラえもんが連れて行ってくれたらいいな。






2019年09月13日(金) みんな微笑みたい。笑顔の一日をおくりたい

目覚めた時には雨が降っていた。

雨音がこころを打つ。ふとくるしさを感じる無情の雨におもえた。


某SNSの朝のタイムライン。

無関心を装ったひとであふれかえっている。

そこにはいつもと変わらない平和な朝があった。

きっとそれがいちばんなのだろうとおもう。

どうしても無関心を装えない私こそが愚かなのかもしれない。


たとえば朝ドラの「おしん」を一日中見続けないといけないとする。

そこに「なつぞら」が現れたら救われたような気持になるだろう。


みんな微笑みたい。笑顔の一日をおくりたいのだ。

私だってそう。こころから微笑みたいと願ってやまない。


ただどうしても拭えきれない心苦しさと毎日闘っている。

自分の無力さを知りながらも祈ることを選ぶ。

それが今の自分に出来る唯一のことだと信じて。



職場につくなり千葉の友からメールが届く。

やっと停電が復旧した知らせだった。

とてもほっとしたけれどまだ復旧していない地域が多く

友も心を痛めていた。私も同じ気持ちだと伝える。


やっと国や行政が積極的に動き始めたようだ。

ひとりでも多くの人を救ってあげてほしい。




明日はめいちゃんの5歳の誕生日なので

「何が食べたい?」と訊いたら「ねこまんま」だそう。

みんなで笑い合う夕食時のこと。


我が家はみんな笑顔です。とても平和なのです。



2019年09月12日(木) 自分の無力さを思い知る

晴れのち曇りそして雨。暑さがずいぶんと和らぐ。

風が次第に北風に変わるのだそう。やっと秋風の頃。

千葉のお天気は?気温は?と毎朝気がかりでならない。

せめて暑さが和らいでくれたらと願うばかり。



生後3ヵ月の赤ちゃんを抱えたお母さんが

ご主人と連絡がつかず困り果てていた。

もうミルクがない。おむつもなくなると

息子だけでも助けて下さいと悲痛な声。


どうしてあげることも出来ずせめてもとリツイートする。

国や行政にその声を届けたくてたまらない。

けれども私はどうしようもなく無力だった。

たかが一個人のSNSに誰が目を留めようか。





気を取り直していつものようにとこれを記している。

孫たちがちょうどお風呂から出たところ。

はだかんぼうで走り回っている姿がなんとも可愛い。

きゃきゃっとまるでお猿さんのようだ。


冷蔵庫から競い合うようにしてアイスクリームを取り出している。

めいちゃんはチョコかな。あやちゃんはバニラかな。


こんな日常をある日突然に失いたくなどなかった。



2019年09月11日(水) 現実をもっと知ってほしい

今日も厳しい残暑となる。風もなくとても蒸し暑い。

あやちゃんが真っ赤な顔をして帰宅する。

この暑さに運動会の練習はとても辛いのでは。

先生が宿題を無しにしてくれたそうだ。

「楽ちん」と喜んでアイスクリームを食べていた。



千葉では東京電力が必死に復旧作業を行っているとのこと。

東北電力も応援に駆けつけてくれて一刻でも早くと頑張っている。

そんな報道がやっと流れるようになった。

国は内閣改造とか、今するべきことなのかと腹立たしく感じる。

そんなことよりも国をあげての支援が必要なのではないだろうか。

水が足りない食料が手に入らないその現実をもっと知ってほしい。


日本の国はこんなにも情けない国だったのか・・・・。





今日は久しぶりに体操教室に行けた。

月に一回でも参加できたらとおもう。

優先順位を決められるのは自分しかいない。



お風呂あがりの孫たちのはしゃぎ声に微笑みながらこれを記す。

我が家は申し訳ないほど平和だった。



2019年09月10日(火) ただただ祈ること

ほぼ猛暑日に近い厳しい残暑となる。

そして突然のにわか雨も。


停電、断水、復旧状態を知りたくても報道がない。

あんまりではないかとテレビをにらみつける。

千葉の友人とご家族のことがとても気がかりでならない。

電話やメールをすれば電池を消耗するばかり。

報道に頼るしかないというのになんと理不尽なことだろう。


「おまえが嘆いてもしかたないことだろう」とじいちゃん。

そう、ほんとうにその通り。何の力にもなれないのだった。



気を取り直していつものようにこれを記しているけれど

心苦しさばかりが込み上げて来て言葉にならない。


ただただ一刻も早い復旧を祈っている。


今日が駄目でも明日がある。きっときっとだいじょうぶ。




2019年09月09日(月) 心苦しいほどの平穏におもう

お天気がやっと落ち着いたようだけれど

爽やかな秋晴れとはいかず入道雲がもくもく

とても蒸し暑く厳しい残暑となった。


関東を直撃した台風は未明に千葉に上陸。

突風に煽られ亡くなられた方もいたようでなんとも悔やまれる。

65万世帯の広範囲の停電。とても他人事ではなかった。

高齢の方や幼い子供さんもおられることだろう。

どんなにか不自由な暮らしを強いられたことか。

未だに復旧されていない地域もあるようで心が痛むばかり。

どうか一刻も早い復旧をひたすら祈っている。



こちらは心苦しいほどの平穏。

エアコンの効いた部屋でいつものようにこれを記しながら

ふととても不謹慎なことではないかと自分を責める。


それは今回に限らず今までにも何度も感じたことだった。

そのたびに友が託してくれた言葉を思い出す。

「ふつうにしていればいいよ」その一言にどんなに救われたことか。


家もある家族もいる。電気もガスも水道もちゃんと使える。

そこにはどうしようもなく平和な暮しがあった。

友の言う「ふつう」は決して当たり前のことではないけれど

それが自分に与えられている貴重な場所なのだとおもう。


どんなに心を痛めていても「いつものように」

それが友の言う「ふつう」なのではないだろうか。


友とはもう音信不通になってしまって歳月が流れたけれど

私に大切なことをおしえてくれた一生忘れられないひとになった。







2019年09月08日(日) アザラシさんの日曜日

午前中は雨が降ったりやんだりだったけれど午後から晴れる。

二十四節気の「白露」季節は確実に秋に向かっているのだけれど

明日からまたしばらくはまだ残暑が続きそうだ。

強い台風15号が関東に向かっており心配な夜になった。



朝のうちにお大師堂へ。すっかり週一になってしまった。

Sさんが周辺の草刈りをしてくれていたようだ。

おかげで雨でも足元が気にならずありがたいこと。

私は日めくりの暦をめくったりお線香の補充をしたり

ささやかなことだけれど自分に出来ることをする。


増水して濁った川をしばしながめていた。

明日から晴天が続けばすぐに澄み渡ることだろう。

濁りをすべて受け止める海の広さのなんと逞しいことだろう。




午後はひたすら怠惰に過ごす。まるでアザラシかトドのように

何もせずにごろごろと寝転ぶばかり。

二時間もお昼寝をしてからじいちゃんとテレビを見ていた。

出川哲郎の「充電させてくれませんか」ゲストが中居君だった。

実は今まで中居君のことがあまり好きでなかったけれど

こんなに気さくで自然体の人だったのかととても驚く。

番組を見終わった頃にはすっかり好きになっていた。


偏見を抱いてはいけないなとあらためて思う。

それは芸能人に限らずすべての人に当てはまることだ。


好きな人が増えるのはとても嬉しこと。



2019年09月07日(土) 幸せなら手をたたこう

曇り日かと思いきやお昼過ぎに土砂降りの雨が降る。

一時警報が出ていたけれどすぐに解除された。

中筋川が一気に増水したようで濁流が四万十川に流れ込む。




午前中は保育園の敬老会へ行く。

じいちゃんはもちろんのこと娘とあやちゃんも一緒に。

可愛らしい歌や踊りが見られてとても嬉しかった。

ふれあいタイムにはめいちゃんが肩を叩いてくれる。

ちいさな手のなんと優しいことだろう。

振り向いてぎゅっと抱きしめたいほどだった。




午後は母の居る施設の敬老会へ行っていた。

開口一番に「何しに来たの」と驚いた様子の母。

母が楽しんでくれたらと心からそう思う。


家族の席が離れていたので母の顔は見えなかったけれど

後姿をずっと見ていた。きっと笑顔でいてくれると。


最初にみんなで「幸せなら手をたたこう」を歌った。

母が手をたたいているのがわかりほっと嬉しい。


ボランティアの人達による大正琴の演奏や踊りがあった。

母の好きな演歌が流れる。きっと喜んでいるにちがいない。

母と同じ時間を共有出来たことが私は何よりも嬉しかった。


敬老会が終わって母に声をかけに行ったら

「ちっともおもしろくなかった」と言う。

いつもの憎まれ口だろうとそれが微笑ましく思えた。


「幸せなら手をたたこう」一緒に歌って一緒に手をたたいたね。

私は涙が出そうなくらい嬉しかったよ母さん。



2019年09月06日(金) わたしのいのちが泣いた日

曇り日。雨が降りそうで降らなくてとても蒸し暑い。

四国はふたつの台風に挟まれている状態で大気が不安定なのだそう。

来週の日曜日にはあやちゃんの運動会があるので

なんとしてもお天気が回復することを願っている。



金曜日の仕事はぼちぼち。それなりにこなす。

昨日迷惑をかけてしまったお客様が胡瓜をたくさん持って来てくれた。

長雨でもう胡瓜も終わりなのだそう。貴重な最後の胡瓜を

わざわざ届けてくれたのがとても嬉しかった。

昨日の不始末を咎めることもしないでにこにこの笑顔で

お客様はほんとうに神様だとただただ感謝するばかり。



仕事を終えて帰路につきながらふっと思い立って寄り道。

そこは中筋川ダムの展望台だった。何年ぶりだろうか。

ダムの水が放流されていてごうごうと水音がとどろく。

その音を聴きながらあるひとのことを思い出していた。


もう20年以上も昔のことこの場所で再会したひと。

一瞬にして青春時代にタイムスリップしたような気がした。



いまはもう亡きひと。私はお葬式に参列しなかった。

初盆にも命日にもお線香をあげることもしなかった。

そうしていまだにその死を受け止められずにいる。


ごうごうと水音がすぐそこまで迫ってきているのを

水が泣いているのだとおもった。

哀しいのではない。くるしいのでもない。


わたしのいのちが泣いた日。







2019年09月05日(木) 歳をとると感謝が増える

早朝にはぽつぽつだった雨がやがて土砂降りになる。

大雨洪水警報が解除されたのは午後4時のことだった。

降り過ぎる雨にとまどう。雨が怖いと思った一日。



そんな大雨の中を来てくれるお客様のありがたいこと。

今日も職場は活気に満ちていたけれど

同僚がうっかりミスをしてしまって対応に難儀する。

ベテランの同僚でもミスをすることもあるのだ。

ロボットじゃない人間だもの。どうして咎められようか。

幸いお客様は機嫌を損ねることもなく笑い飛ばしてくれた。

「わしはそんな人間じゃないぞ」と言ってくれて

どれほど救われたことだろう。ただただ感謝するばかり。



帰り道のラジオから「歳をとると感謝が増える」と。

とあるリスナーさんからのメールが読まれていた。

ほんとうにその通りだと思う。

若い頃には当たり前のように思っていたことが

歳を重ねるごとに感謝の気持ちが込み上げてくる。

時には涙ぐむほど嬉しいこともあるものだ。


だからこそひとに優しくなれるような気もする。

穏やかにまあるくなって歳を重ねていきたいものだ。


ありがとうの種をまくとありがとうの花が咲くように。



2019年09月04日(水) 「思い出」と言う名の再会

今日もにわか雨。青空はつかの間のことだった。

秋晴れはまだまだ先のことなのだろう。

すっきりとしない空も不安なことだろうと

空の気持ちを思うと文句などどうして言えようか。



仕事は5時間ほど。ずいぶんと楽に感じる。

6時間の時も7時間の時もあるけれど

臨機応変にそれなりに乗り越えて行きたいものだ。


水曜日。「体操教室」のある日だったけれど

急ぎの仕事もあり潔く諦めることに。

また行ける日もあるだろうと希望を捨てないでいる。



帰り道のスーパーでとても懐かしいひとに会う。

40年ぶりではないだろうか。確かな面影があった。

最後にあった時には息子を身籠っていたと記憶している。

ずいぶんと歳月が流れてしまったけれど

お互いの手を取り合い涙が出そうなほど熱いものが込み上げてくる。

まさに「思い出」と言う名の再会だった。


はっとしたのはそのひとが母と同じ年代になっていたこと。

ご主人を若い頃に亡くされていたので独り暮らしではないか。

真っ先にそれを案じていた。そうしたらにっこりと笑って

今は息子さんの家族と同居していて幸せに暮らしているとのこと。

それを聞いてとてもほっとして私も心から微笑むことが出来た。


「よく見つけてくれたね。また声をかけてね」と言ってくれる。

同じ市内に住んでいるのだものきっとまた会えることだろう。


スーパーのカートを押しながらゆっくりと遠ざかって行くそのひとに

母の姿を重ねていた。どうしてこんなにせつないのだろう。



2019年09月03日(火) あしたのことがわからないから

晴れていたけれどにわか雨も降ったり。

山里では土砂降りの雨になり暑さが少し和らぐ。



めいちゃん夜中に熱が出ず今日は保育園へ。

長引かずにほんとうに良かった。

あやちゃんは重いランドセルを背負って元気に登校。

いつもと変わらない朝にとてもほっとする。



出勤前のコンビニで外国人のお遍路さんに会った。

「グッドモーニング」と笑顔で声をかけると

にっこりと笑顔が返って来てとても嬉しかった。

暑くなりそうなので塩分チャージの飴を手渡して

「グッドラック」と声をかけたら

「アリガト」と片言の日本語でとても喜んでくれる。

そうして満面の笑顔で手を振ってくれた。

なんとも清々しくて嬉しい朝の出会い。

笑顔ってほんとに大切だなと思った。

言葉はうまく通じなくても笑顔はちゃんと伝わる。

笑顔ばんざいの気持ちになって山里の職場に向かった朝のこと。




今日は仕事を早めに終わらせてもらって

友人の所属する写真クラブの写真展を見に行っていた。

ちょうど友人にも会うことが出来てとても嬉しかった。

私は彼女の写真の大ファンでいつも感動をもらっている。

他の誰の作品よりも彼女の写真がいちばんだと思っている。


子供がいない彼女が「こども」の写真を撮る。

それは少しせつないけれど人一倍の「想い」が伝わってくる。

こころがこもっている写真は見る者のこころを打つ。

「可愛い」以上に「愛しい」とシャッターを押したのがわかる。


「あしたのことがわからないから」ふたりでうなずき合った。

彼女は撮る。わたしは書く。最後の最期まで友でありたい。





2019年09月02日(月) すっぽんぽんのめいちゃん

晴れたり曇ったりそうしてにわか雨も降ったり。

ほぼ真夏日となり蒸し暑い一日となる。


朝の山道ではイガ栗が道に転がっていた。

ちいさな秋を見つけてほっこりとこころが和む。



あやちゃんが4時過ぎに起きて来てびっくりの朝。

今日から新学期なので目が覚めてしまったようだ。

まるで遠足の朝のようで微笑ましいこと。

ずっと「竹の子学級」の夏休みだったけれど

やっぱり学校が始まるのが嬉しいようだった。



めいちゃんはまさかの発熱。夏の疲れが出たのだろうか。

幸い微熱で元気もあったけれど保育園は休まなくては。

念のために娘が小児科へ連れて行くことに。

「めいちゃんほいくえんへいく」とちょっと可哀想な朝。



仕事を終えて帰宅するとすっぽんぽんで元気に遊んでいた。

エアコンをつけていても暑いと言ってパンツもはかない。

熱は下がっていたけれどちいさなこどものこと。

裸になって体温調節をしているのだろうと思われる。

小児科では夏風邪の診断。長引かないことを祈るだけだ。


子供の熱は日常茶飯事だけれどふたりともずいぶんと丈夫になった。

それだけ成長した証だと思う。たまには熱もあってよしかな。


たった今、お風呂上がりのめいちゃんをのぞきに行ったら

ちゃんとパジャマを着ていてほっとする。

でもズボンは穿いていなくて「おばあちゃんみて」と言って

可愛らしいフリルのついたパンツを見せてくれた。




2019年09月01日(日) やってみないと分からないこと

カレンダーを9月にしたら秋桜が咲いていた朝。

少しだけ青空が見えていたけれどにわか雨も。

そんな不安定なお天気がいつまで続くのだろうか。



午前中は川仕事へ。今日は個人別に漁場を分ける作業。

地区のお仲間さんたちとわいわいとにぎやか。

お仲間さんと言ってもみんな親戚だった。

じいちゃんのいとこがふたり。いとこの子供がふたりと

いとこの孫がひとり。若者がいてくれるのが頼もしい。

途中から雨が降り出してしまってみんなずぶ濡れになったけれど

順調に作業を終えることが出来てほっと帰宅する。


いとこたちと「後何年続けられるかな」と話したことだった。

後継者がいない。我が家も息子に継がせるつもりはない。

その前にいつまで青さ海苔の養殖が出来るのかも分からなかった。

ここ数年の不作続き。今年こそはと祈るような気持ちでいる。

「やってみないと分からないな」とみんなでうなずき合った。




午後はゆっくりと休むことが出来てお昼寝もした。

いつの間にか孫たちが帰って来てくれていて嬉しい。

めいちゃんを抱っこしたかったけれど

「もう赤ちゃんじゃないもん」と言わんばかりの様子。

お泊りをするたびに成長しているのが頼もしい。

もうすぐ5歳の誕生日。またいちだんとおしゃまな女の子になるだろう。


家族がみなそろっての夕食はやっぱり楽しい。

めいちゃんがデザートにアイスクリーム。

「おばあちゃんも食べたいな」と言ってみたら

「いいよ」と言ってくれて「あ〜ん」と口に運んでくれた。


甘くて美味しくてとても優しい味がした。









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