ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2019年07月31日(水) 笑顔でいられる日

梅雨明けから一週間、今日も猛暑日となる。

元気過ぎるほどのおひさまの頼もしいこと。

けれども熱中症で亡くなられる方もいて

空もどんなにか心を痛めていることだろう。




7月も最後の日、月末の仕事に追われて

病院へ行くのがすっかり遅くなってしまった。

昼食はとっくに食べ終えてシャワーを浴びたところだった。

パンツを待っていたとじいちゃん。今日はとても機嫌が良い。


頭痛は相変わらずのようだけれど

退院が決まったので気分的に楽になったのだろう。

笑顔でいてくれるのがほんとうに嬉しかった。


看護師さんが「孫ぐすり」もありますねと言ってくれる。

ほんとうにその通りだと思う。孫たちとふれあうのが

何よりのリハビリになるような気がした。

笑顔でいられる日がきっとたくさんあるだろう。


不安がってばかりいてどうして道が開けるだろうと

やっとそう思えるようになった。

案ずるより産むが易しとは少し違うのかもしれないけれど

「不安」は希望を押し殺す最大の敵ではないだろうか。




西の空が茜色に染まりもうすぐ日が暮れる。

お風呂上がりの孫たちのはしゃぎ声が我が家の希望そのものだ。



2019年07月30日(火) 一歩一歩の夏の空

午前8時にはもう30℃になっていた。

今日もうだるような暑さとなる。


あやちゃん学童の「竹の子学級」へ。

学校ではなく地区の集会所なのだけれど

今朝はクルマで送って行く。

めいちゃんも保育園へ。「おばあちゃんと行きたい」と

ふたりをそれぞれに送って行く笑顔の朝だった。



仕事は来客が多く嬉しい悲鳴をあげていた。

疎かにすることも出来ず病院へ行くのが遅くなる。

昼食は八宝菜とポテトサラダだったそう。

八宝菜の人参だけ残して子供みたいなじいちゃんだった。


昼食前からの頭痛で少しご機嫌ななめ。

鎮痛剤が効くまではとそっとしておく。


それから主治医の先生が来てくれて

「そろそろ帰りたくないですか?」と訊いてくれた。

「もう帰りたいです」とじいちゃん。

「じゃあ金曜日に帰りますか」と退院の許可が下りる。


頭痛はしばらく続くかもしれないけれど心配はないとのこと。

その言葉を信じたい。信じなければ不安でいっぱいになる。


病院で寝てばかりでは体力が落ちるばかりなので

自宅で日常生活をした方が体力の回復が早いのだそうだ。

毎日がリハビリだと思って頑張りましょうと。


退院が決まった。それはとても嬉しいことだったけれど

やはり大手を振って喜ぶことが出来なかった。

昼間は独りきりなのに何かあったらどうしよう。

あれこれと考えていると不安でいっぱいになってしまう。


でもなんとかなるのかもしれない。そう思うしかない。

日にち薬なのだ。とにかく日々が一歩なのだとおもう。



病室の窓から入道雲が見えた。

すっかり夏の空になったなあとじいちゃんがつぶやく。



2019年07月29日(月) 心細さを打ち消すように

夜明け前からもうもわんとした蒸し暑さ。

日中もほぼ猛暑日となり厳しい暑さとなる。


朝の道で名残の紫陽花を見つけた。

まわりの仲間たちはすっかり憐れな姿だと言うのに

一輪だけぽつんと鮮やかな花を咲かせており

まるで仲間たちを励ますように微笑んでいた。


老いることはせつないけれど思いがけない励みもあるものだ。



お昼前まで仕事。大急ぎで駆けつけたら病院の昼食に間に合う。

今日は栄養士の先生が来てくれて食事の説明があった。

じいちゃんの食事はまだ普通食ではないことを知る。

普通食より2ランク下の病人食なのだそうだ。

道理で昨日のカレーが無かったのも納得できる。


おしゃべり好きの愉快な先生で

「うなぎは食べられましたか?美味しかったですか?」と

じいちゃんが完食したことを伝えると

「じゃあ明日から1ランクあげましょう」と言ってくれる。

一気に2ランクと言わないところがにくい。

でも普通食に一歩近づいたことはとても嬉しかった。



帰宅して夕飯の支度をしていたらじいちゃんから着信あり。

スマホはまだ要らないと言っていたので何事だろうと驚く。

私が帰ってからじいちゃんの親友がお見舞いに来てくれたそう。

「まあ、それは嬉しかったね」と私が言うと

「うん、嬉しかった」と電話口で微笑んでいるのが伝わってくる。

心細さを打ち消すようにそれがどんなにか励みになったことだろう。

それが親友なら尚更のこと。感謝の気持ちでいっぱいになった。


「痛みはどう?」「今は大丈夫」ほっとしながら夕食を作った。



2019年07月28日(日) 峠はもう越えている

夜が明けるなりの蝉しぐれだった。

朝から蒸し暑かったけれどそんな夏らしさも好きだなと思う。


早朝、久しぶりにお大師堂へお参りに。

以前は毎日の日課だったのになんと疎かにしていることか。

日捲りの暦を今日にしてゆっくりと手を合わす。


花枝を活け替えて手水鉢の水も川の水を汲んで来た。

汗が滝のように流れる。なんと心地よい汗だろうか。


ちょうどお参り仲間のいとこがやって来て

しばし語らう。じいちゃんのことも気遣ってくれてありがたい。

「たまには来いよ、気分が落ち着くだろう」と言ってくれた。

ほんとうにその通り。朝からとても清々しい気持ちになれた。



それから病院へ向かう。5分でも早く会いたい。

じいちゃん機嫌よく笑顔で迎えてくれて嬉しかった。

娘夫婦と孫たちも来てくれてにぎやかな病室。

あやちゃんがじいちゃんの頭を見て「ハゲちゃびん」と。

みんなで笑い合う。あやちゃんの一言に救われる思い。

帰る時にはふたりとも小さな手で握手をしてくれて

じいちゃんは名残惜しそうに目を細めていた。


昼食はカレーではなかった。「どうして?」と納得がいかない。

献立表を信じていたのに急に変更になったのだろうか。

「おまえが楽しみにしていただけだろう」と笑うじいちゃん。

最初から分かっていればコンビニでカレーを買って来たのに。



午後少しお昼寝。私もソファーでうたた寝をする。

休める時にと思う。病院通いは少しも苦にならないけれど

私が元気でいなければとあらためて思ったりした。


30分程寝ただろうか。じいちゃんの頭痛がまた始まる。

ナースコールをしたらすぐに看護師さんが鎮痛剤を持って来てくれた。

傷口の痛みではなく頭のてっぺんあたりがズキズキと痛むのだそう。

原因を知りたい。いったいいつまで痛みが続くのだろう。


薬が効いて来たら楽になるからと「もう帰っていいぞ」と。

今日も後ろ髪を引かれるようにしながら病室を後にした。


峠はもう越えている。もう少しなのだと自分に言い聞かす。

明日はまたあしたの風に吹かれましょうか。



2019年07月27日(土) 今日はうなぎの神様

猛暑日まであと一歩の暑さ。

うだるような暑さとよく言うけれどまさにそんな感じ。

夏は決して嫌いではないし、たのしもうと思うのだけれど

老体に降りかかる暑さは少し厳しくもあった。



じいちゃんお楽しみの土用の丑の日。

スーパーの開店を待ちかねて「うな重」を買い病院へ。

喜ぶ顔が見たくてなんだかうきうきとしていた朝のこと。


昨夜主治医の先生が回診に来てくれて

体力が戻りさえすれば来週あたり退院も可能と言ってくれたそう。

それは嬉しいニュースだったけれど私は少し不安だった。

まだ頭痛が続いているのにほんとうに大丈夫なのかと思う。

自宅療養にしても昼間は独りっきりで過ごさなければいけない。

なんだか気が気ではなく大手を振って喜ぶことが出来なかった。


でもこればかりは病院に任すよりほかなく

気持ちを入れ替えるように楽観的に受け止めるしかないのだろう。



「うな重」に大満足のじいちゃん。とても美味しかったそうだ。

私は病院の昼食を食べる。親子煮だったけれどこれも美味しかった。

明日の昼食はカレーのよう。「俺が食べるから」と愉快なじいちゃん。



朝からずっと笑顔だったじいちゃんも午後にはまた頭痛。

ナースコールをして鎮痛剤を処方してもらった。

お薬が効き始めるまではとても機嫌が悪い。

タイミングを見計らってから「また明日ね」と帰って来た。


明日は娘たちが顔を見せに行ってくれるとのこと。

孫たちの顔を見たらきっとまた笑顔になってくれることだろう。




窓の外が茜色に染まる。なんと穏やかな夕暮れ時なのだろう。

窓辺に佇みながらほっと息をするようにこれを記す。







2019年07月26日(金) お稲荷さんの神様

梅雨明けを待ちかねていたのだろう蝉しぐれ。

連日真夏日が続いており夏らしさをたのしんでいる。

高知市内では早場米の初出荷があったそう。

もうそんな季節かと感慨深くおもう。



朝のうちの仕事を終え病院へ走る。

ぎりぎりお昼に間に合って良かった。

昨日「お稲荷さんが食べたい」と言っていたので

ざるそばとセットになったのを買って行く。

もう病院の昼食どころではなく「うまい、うまい」と食べてくれた。


病院の昼食は私が食べる。極端に薄味だったけれど

煮魚はこってりとした味でけっこう美味しかった。

後からお膳を片付けに来てくれた看護師さんが

「食欲が出て良かったですね」と言ってくれて

じいちゃんと顔を見合わせてくすっと笑った。


今日は術後からずっと被っていた頭のキャップを外す。

右半分は髪の毛があるけど左半分は丸坊主だった。

じいちゃんは恥ずかしがっていたけれど

モヒカンみたいですごいかっこいい。

「最新のスタイルね」と看護師さんも笑顔で言ってくれた。


術後はじめての眼鏡も。やっぱりじいちゃんは眼鏡が似合う。

窓の外を眺めながら「あの山は篠山かな?」と。

夏にはよくドライブに行ったっけ。今年も行きましょうね。



退院後にはあれもこれもと考えながら焦っている様子。

例年ならもう海苔網の準備を始めている頃だった。

ふたりで相談して今年は大幅に縮小することに決める。

決して無理をしないこと。そんな年もあっても良いよと。


思いがけないアクシデントだったけれど

良き転機だと考えたいと思う。

いつまでも若くはないのだと神様が教えてくれたのだ。


「明日はうなぎだな」とじいちゃん。

楽しみにしてくれているのがとても嬉しい。





2019年07月25日(木) 愛しさは目に見えないけれど

今日も33℃ほど。風があったのでさほど暑さも苦にならず。


あやちゃんが夏休みのラジオ体操に行っていて

今朝はめいちゃんも早起きをして一緒に行っていた。

ふたり仲良く手をつないで出かける微笑ましい姿。


めいちゃんは保育園へ。今朝は珍しく「おばあちゃんと行く」と。

出がけにメイクをするのが日課になっていて可愛らしい口元。

保育園でも公認になっているのだそう。オレンジ色の口紅。


あやちゃんは学童の「竹の子学級」に通っている。

長い夏休みのことずいぶんと助かっている。



そんな孫たちの話をじいちゃんにしたら

「そうか、そうか」ととても嬉しそうに微笑んでくれる。

今日は主治医の先生に「退院に向けて頑張りましょう」と

言ってもらえたそうでずいぶんと目の前が明るくなった様子。


食欲が出てきたのが何より嬉しい。

お粥さんが柔らかめのご飯に代わっておかずも食べられるようになる。

煮物や焼き魚の匂いも気にならなくなったようだ。


点滴も昨夜で終了。自由になった腕を「ほらほら」と嬉しそう。

今度こそ楽観しても良いのかもしれない。もう大丈夫なのだ。


気の早いじいちゃんは来週あたり帰れるかもと言い出したけれど

ほんの数日前までの辛かった様子を思い出すと

やはり完全に治して体力が元通りになるまでは養生させたい。

急げば取り返しのつかないことになりそうで不安だった。


「また明日ね」と病室を後にする。

もっともっと話したい様子だったじいちゃんが

なんだか子供みたいに思えて可愛らしいような可哀想な気がする。


愛しさは目に見えないけれど心からあふれるように感じるものだ。



2019年07月24日(水) 丑の日が楽しみです

最高気温が33℃、四国地方梅雨明けのニュースが流れる。

太陽の季節いよいよ夏も本番になった。



朝のうち二時間ほど仕事。

もう日課のようになってしまって病院へ向かう。


じいちゃん痛みが軽くなったおかげで機嫌良し。

自分からすすんで話も出来るようになっていて

朝食のお粥さんを完食したこと。卵焼きが美味しかったこと。

おかずを食べられたのは術後初めての事で嬉しかった。


昼食のお素麺も完食。そろそろ飽きて来たらしい。

土用の丑の日が近いのでうなぎの話をしたら

目を輝かせて「食いたいなあ」と言ってくれる。


看護師さんに話したら主治医の先生に聞きに行ってくれて

「食べたい物を食べましょう」とおっけいをもらえる。

土曜日が丑の日のようだ。うな重を買って来る約束をする。


一気にとはいかないけれど昨日よりも今日と

少しずつ元気になっていることがとても嬉しかった。

もう後戻りすことは決してないだろうと信じたい。

けれども8日前の出来事がふっと頭をかすめて

また突き落とされるのではと不安もかすかにあった。

そう思うとなんだか綱渡りをしているような気持ちになる。


日々をありがたく受け止めること。今はそれしか出来ない。

どんな日もありがたく。どんな日も自分たちに与えられた日。


試練は決して不幸なことではないと私は思う。



今日も「いい日」でした。ありがとうございました。





2019年07月23日(火) 笑顔でいられて良かった

梅雨が明けぬままの「大暑」

薄曇りだったけれど夏らしい陽射しが降り注ぐ。

湿度が高くとても蒸し暑い一日だった。



今日も朝のうちだけ山里の職場へ。

毎日のように急ぎの仕事があり順調に片付く。

おかげで病院の昼食に間に合うことが出来た。


じいちゃんの笑顔が見たくてたまらなくて

めいちゃん保育園でのスナップ写真を数枚持って行く。

良かった微笑んでくれた。嬉しそうに目を細めて見ていた。


手術から一週間、今日は傷口の抜糸があったよう。

糸ではなくて金属のホッチキスみたいなのが100個も。

チクチクと痛かったけれどそれを取り除いたら随分と楽になったよう。

車椅子でのシャワーも浴びられたそうで機嫌が良かった。

昼食のお素麺も完食。嬉しくて涙が出そうになる。

栄養士さんがラーメンも出来ますよと言ってくれたそうで

明日はラーメンかもしれないねと微笑み合った。



今日は母の施設にも行かなくてはいけなくて

いつもより早めに病院を後にする。

じいちゃんが機嫌よく送り出してくれたのでほっとした。


母は鼾をかきながらお昼寝中だったけれど

ケアマネさんが「起こしましょう」と言って声をかけてくれる。

毎日欠かせない缶コーヒーとバナナを渡すことが出来た。

ケアマネさんには事情を話してあるけれど

やっぱり母には知らせない方が良いだろうと

「みんな元気で変わりないよ」と伝えて帰って来た。


母は毎日明るくて施設の人気者になっているようだ。

そんな話を聞くとほんとうにほっとして嬉しくなる。


今日は私も笑顔でいられた。

それがどんなにか幸せなことだろうとつくづくと思う。

「いい日」でした。ありがとうございます。



2019年07月22日(月) 生きているから辛いんです

夕方になり空がずいぶんと明るくなった。

西の空がほんのりと茜色に染まっており

明日は青空に会えるかもしれない。

梅雨明けも近いことだろう。



朝のうちに山里の職場へ。

二時間ほどだったけれど急ぎの仕事だけは済ませる。

義父や同僚に迷惑をかけるけれど

「早く病院へ行ってやれや」と言ってくれてとても助かる。


大急ぎで病院へ行ったら昼食に間に合った。

じいちゃんちょっとご機嫌ななめ。

昨日は楽だったのに今日はまた痛みが辛いようだった。

一喜一憂しながらの3歩進んで2歩さがる感じ。

どんな日もあるよねとただただ宥めるばかり。


昼食はまたお素麺の神様に助けてもらう。

もう一口で完食だったけれどリタイア。

でも昨日よりは食べられたので良かった。


あれこれと話しかけられるのも辛そうで

し〜んと静かな病室。ああ重いなとふと思った。

こんな時はそっとしてあげるのが一番なのだろう。


3時前には帰ることに。「朝の電話はやめてくれ」と言う。

スマホも要らないから持って帰ってくれと言う。


でも持って帰らない。お守りみたいにそっと置いて帰る。


明日はあしたの風が吹きますよ。

どんな風なのかわからないけれど明日はきっと来ます。


生きているから痛いんです。

生きているから辛いんです。



2019年07月21日(日) うんちの神様

曇り日。時折ぽつぽつと雨が落ちる。

高知県内では豪雨になった場所もあるようで心配なこと。



午前7時には投票所が開いたので投票を済ませ病院へ。

あまりに早く着いたのでじいちゃんがびっくりしていた。

その顔を見てほっと安堵の笑みがこぼれる。

昨日までの顔の腫れがずいぶんと治まっていた。

まるで奇跡のよう。良かったねえと微笑み合う。


朝食が運ばれて来てお粥さんだったけれど

海苔の佃煮が付いていた。「四万十川の青さ海苔」と

私がおどけて言うと「そうだな」とうなずくじいちゃん。

一口どころかお茶碗の半分ほどをぺろりと平らげる。

術後にこんなに食べられたのは初めてでとても嬉しかった。


様子を見に来てくれた看護師さんも拍手をするほど。

「久しぶりにうんちが出るかも」みんなで笑い合った。


その後の回診でおしっこの管を外してみることに。

寝たきり状態だったけれど今日からトイレへ行く練習だ。

個室なのでトイレが近い。大丈夫、きっと行ける。


昼食はリクエスト通りのお素麺だった。

おかずには一切手を付けないけれどお素麺は食べる。

完食ではなかったけれど半分以上を食べられた。


「やったね。もううんち間違いなしやね」

その前におしっこになった。ナースコールをするように言われていたので

「恥ずかしいけど呼ぶか」と。看護師さんがすぐに来てくれる。


おそるおそるベットから下りた。一歩一歩ゆっくりと歩く。

でも立ったままのおしっこはまだ無理で便座に座って用を足す。

ちょろちょろとおしっこの音。その後大きなおならの音。

出ました。なんと5日ぶりのうんちが出ました。

看護師さんと顔を見合わせて大喜びした午後のこと。

誰よりも喜んだのはもちろんじいちゃんだった。



たかがうんちと思うでしょうが運がついて来たのです。

それが快復の一歩に思えて目の前がとても明るくなった。


まだまだ先は見えないけれど見ようとすることは出来る。

思い悩むよりも希望を持たなければいけない。


今日はうんちの神様に会えたのだもの。






2019年07月20日(土) だいじょうぶいぶい

相変わらずの梅雨空。だいじょうぶよ雨が降れば

傘をさせば良いのですもの。長靴を履けば良いのですもの。



朝のうち一時間ほど山里の職場へ。

急ぎの仕事だけ済ませて病院へ向かう。

職場から15分程、近いのでとても助かっている。


じいちゃんまだ痛みが酷く鎮痛剤の時間待ちだった。

まだ3時間もあると嘆いていたけれど仕方ないこと。

「痛い痛い」と訴える相手がいるだけで気が紛れるのかもしれない。

我慢しなくていい。私はいくらでも耳を貸そうと思う。


顔面の腫れは昨日よりも酷くなっており右側にも広がっていた。

まぶたも腫れているため目も開けられなくて可哀想。

ちょうど回診に来てくれた看護師さんに聞いてみたら

頭の手術をした人はみんな顔が腫れるのだそうだ。

だから心配ないと言ってくれて少しほっとする。

「せっかくの男前が台無しねえ」と笑わせてくれた。

「今日はお髭も剃ろうかね」とも言ってくれる。

みんなみんな優しい看護師さんばかりでほんとうに助かっている。


昼食はまったく食べられず、もしかしたら大好物のお素麺ならと

院内のローソンで買って来たら食べる気になってくれた。

つるつるっと三口食べてくれた。良かった少しでも食べられて。


看護師さんが様子を見に来てくれて夕食から素麺に出来るとの事。

是非にとお願いする。大好きなお素麺だものきっと食べられる。


昨日はヤクルトの神様。今日はお素麺の神様だ。


「明日は朝早くから来てくれよ」と泣きそうな声のじいちゃん。

辛くて心細いのが痛いように伝わって来る。


私は決して能天気でも楽天家でもなかった。

そんな私をいつも励ましてくれたのは他の誰でもない彼だった。

私がくよくよしている時にはいつも「なんとかなるけんな」と。

だからこそ今、私が彼を支えてあげなければいけない。


なんとかなるよ。なるようになるよ。だいじょうぶいぶい。

よっし、明日も笑顔で会いに行くけんね。








2019年07月19日(金) やまない雨はない

朝から雨が降ったりやんだり。

幸い昨日ような大雨にはならず助かる。


朝のうちに山里の職場へ。

急ぎの仕事がたくさんあった。

自分に与えられている事と受け止めて

ひとつひとつやっつけていく。


娘が病院へ行ってくれるけれど遅くなるとのこと。

やはりお昼には行ってあげたくて落ち着かなかった。

12時前に職場を出たけれど病院の昼食に間に合わず。

じいちゃんやはり今日も食べられなかったとのこと。

でも朝にはお味噌汁を少しとヤクルトが飲めたそうだ。

それを聞いて少しほっとする。ヤクルトが神様に思えた。


昨日から風邪気味で熱っぽかった私を気遣ってくれて

「早めに帰って休めや」と言ってくれたじいちゃん。

自分も痛みに耐えているというのに涙が出そうだった。

痛みだけではない。今日は顔の左半分が腫れていて痛々しい。

医師は心配ないと言ったそうだけれどほんとうにそうなのか。

術後の副作用なのだろうかとても気になってしょうがない。


後ろ髪を引かれるように帰宅すると

娘が孫たちを迎えに行って一緒に病院へ行ってくれると。

孫たちの顔を見るとじいちゃんも笑顔になってくれる気がした。



夕食の支度が終わった頃に娘たちが帰ってくる。

めいちゃんが「おじいちゃんいたいよ」と心配そうな顔。

幼心にも痛々しいのが伝わったのだろうと心が痛む。

あやちゃんはケロっとしていてそれが救いにもなった。

娘と話しながら悲観ばかりしていてはいけないと。

とにかく希望を持って前向きに歩んでいかなければならない。


やまない雨はない。梅雨ももう少しで明けるのだ。



2019年07月18日(木) ありがたき助け舟

お昼までじいちゃんに付き添う。

鎮痛剤が効いているのか少しだけ話も出来る。

孫たちの動画を見せたら嬉しそうに目を細めていた。


朝食も昼食もほとんど食べられず

お粥さんをひと口だけがやっとだった。

せめて食欲があればと思うのだけれど

まだまだ先のことになりそうだった。


そんなじいちゃんに「頑張れ」とは言えない。

今はただ受け止めて耐える事しか出来ないだろう。




午後から急ぎの仕事がありどうしても職場に行かねばならなかった。

それがとても重荷になる。会社が無くなれば良いのにとさえ思う。

自分の代わりがいないという現実から逃げたくてたまらない。


激しい雷雨の中を車を走らせようとしていたら

母から電話があった。大雨警報が出ているので早く家に帰るようにと。

「仕事どころではないでしょ」ととても心配している様子。

そんな母の電話に救われるように家路を急いでいた。


今の現状をまったく知らない母からの思いがけない助け舟だった。


明日は仕事を優先しなければいけないだろう。

もういっぱいいっぱいの気持ちになっていたら

娘が病院へ行ってくれるとのこと。

「一日くらい行かない日があってもいいよ」と言ってくれた。


みんながそうして助け舟を出してくれる。

私は精一杯に自分に出来る事を頑張っているのだと思えた。



2019年07月17日(水) 空がだんだん青くなる

梅雨雲をかきわけるようにしながら青空が見えている。

朝陽がきらきらとあたり一面を包み込んでいる。

そんな朝の光景がまるで贈り物のように届く朝のこと。



昨日退院の許可が下りたじいちゃんを迎えに行くはずの朝だった。

けれども昨夜容態が急変してしまって緊急手術となる。

すっかり元気になって完治したものと思っていただけに

それはまるで寝耳に水のような出来事だった。


幸い手術は成功し命は取り留めたものの

まだ油断のできない状態であることを告げられる。

気をしっかりと持たなければと言い聞かせているけれど

なんだか真っ暗な落とし穴の中にいるような気分である。

きっと大丈夫だと信じることは容易いことかもしれないけれど

この心細さはどうしようもなく重くのしかかってくる。



書くことで救われるかもしれないとこれを記し始めた。

少しずつだけれどとにかく希望をと思えるようになる。


空がだんだん青くなる。そんな空を受け止めてあげなくてどうする。




追記:夕暮れ時に


今朝よりも少し落ち着いてきた。

孫たちの声を聴いているとふっと笑みがこぼれる。

じいちゃんにも聴かせてあげられたらどんなに良いだろうか。


昼間、ICUから一般病室に移った。

もう危険な状態を脱したのだろうと安堵するも

術後の傷跡が痛んでおり鎮痛剤の投与があった。

顔を歪めて辛そうなじいちゃんを見ていると私も辛い。

せめて今夜一晩でも付き添ってあげれば良かったけれど

昨夜一睡もしておらずこれでは自分の身体が持たないと判断する。

どうしようもなく完全看護の病院に甘えさせてもらった。

「帰るよ」とじいちゃんに声をかけたら

薄っすらと目を開けて頷いてくれたのが救いだった。


とにかく今夜は眠ろうと思う。

そうしてあした笑顔で会いに行ける自分になりたい。



2019年07月15日(月) 笑顔がこころに沁みる

青空が嬉しくって鼻歌をうたいながら洗濯物を干す朝。

けれどもやはり梅雨時のこと、またすぐに雨になってしまった。

空をうらんだりはしない。ありのままの空が好きだもの。



「海の日」ひと昔前の私なら海に会いに行っていたことだろう。

裸足になって波打ち際を歩いた。それも私だったのだろうか。

どんなに老いてもそんな若き日があったことを忘れたりはしない。



コインランドリーと買物に行く前に母を訪ねる。

バナナを届けたらまた子供のように大喜びしてくれた。

母の笑顔のためだったらなんだって出来るような気がする。

心から母に会いたいと思えるようになった自分が嬉しい。


じいちゃんが入院していることはあえて話さなかった。

「みんな元気だよ」って言うと「それは良かった」と微笑む母。

母の為だったら嘘だってつこう。施設に入居していることさえ知らない。

そんな嘘がどうして罪になるだろうと自分に言い聞かす。


ふっかふかに乾いた洗濯物。買物を済ませてから帰宅して

今度はじいちゃんの病院へ向かう。

もしかしたら明日退院になるかもしれないので

お気に入りのズボンとポロシャツを持って行く。

病院内のローソンに行ったらじいちゃんの大好きなカツ丼があった。

食べさせてあげたくてたまらなくなってついつい買ってしまう。


カツ丼はさすがに駄目だと言われた。

病院の昼食を食べないのはこの上なく無礼な事だと言う。

ほんにその通り。じいちゃんの優しさを垣間見たような出来事。


明日のCT検査は午後になるかもしれないとのこと。

そうなれば退院は明後日になるかもしれない。

どうかどうか順調に完治していますように。


「また明日ね」と帰る。「おう、また明日な」笑顔が心に沁みる。



2019年07月14日(日) 明日は青空になりそう

雨のち曇り。午後から少し蒸し暑くなる。

梅雨明けが待ち遠しいけれど今年も猛暑になるのだろうか。



娘が仕事。娘婿も友達との付き合いがあるようだったので

「まかせなさい」と孫たちと過ごす日曜日になった。


早朝、まだ娘が居るうちにお大師堂へ。

昨夜泊まっていたお遍路さんに会うことが出来た。

滋賀県からの70代かなと思われるお遍路さんで

なんと15年ぶりのお大師堂とのこと。

その当時には地区のお年寄りたちがたくさん参拝していた。

伯母も亡くなり姑も亡くなってしまった。

歳月の流れをしみじみと感じながらしばし語り合う朝のこと。



「おかあさんいってらっしゃい」娘を見送ってから

コインランドリーと買物へ。めいちゃんがおしっこになって

あやちゃんがトイレに連れて行ってくれた。さすがにお姉ちゃん。

買物を終えてから母の施設を訪ねるつもりだったけれど

あやちゃんが行きたくないと言うので今日は諦めることに。

めったに会った事のないひいばあちゃんだもの

子供心に気が進まないのもわかる気がした。

ひ孫の顔を見せてあげたかったけれどこればかりは仕方がない。


一度帰宅してから今度はじいちゃんの病院へ。

じいちゃん大好きのふたりは喜んで一緒に行ってくれた。

サプライスだったのでじいちゃんも大喜びしてくれて良かった。

めいちゃんは抱っこしてもらいたかったみたい。

でもじいちゃんの胸に貼ってある心電図のシールを見て諦める。

「おじいちゃんいたいの?」と心配そうにたずねていた。


その心電図ももう少し。連休明けに脳のCT検査が良好ならば

退院の許可が下りそうとのこと。きっと大丈夫だと信じている。



思いがけない夕焼け空になった。明日は青空に会えそうだ。



2019年07月13日(土) 雨音が歌う夜になった

また梅雨空が戻ってきた。降ったりやんだりの雨。

すっかり色あせて化石のようになってしまった紫陽花。

目をそらしてはいけない。ちゃんと見守ってあげないと。



三連休の予定だったけれど急ぎの仕事があり山里の職場へ。

孫たちは娘婿のお母さんが見てくれることになりとても助かる。


二時間ほどで仕事を終えられて病院へ急ぐ。

今日は病院の昼食に間に合って良かった。

苦手な煮豆以外はすべて完食。美味しそうに食べていてほっとする。


昨夜で点滴が終わったそうでずいぶんと楽になったようだ。

シャワーの許可もおりて頭も洗えたと喜んでいた。

頭痛は相変わらずのようだけれどそれさえ治まれば

もしかしたら来週には退院できるかもしれないと

ふたりで勝手に決め込んで「よし、帰るぞ」と笑い合った。

目の前が一気に明るくなる。もう少しの辛抱だ。




夕方から雨が本降りになり時おり激しい雨音。

あやちゃんが学校で夏まつりがあるそうで皆が出かける。

生憎の雨だけれど体育館で「おばけやしき」があるのだそう。

「行きたくない」と泣きそうなあやちゃんを

めいちゃんが励ますようにしてやっと笑顔になった。

おばけなんかこわくないよ。楽しんで帰ってきてね。







2019年07月12日(金) 青空には笑顔が似合う

梅雨の中休み。朝から爽やかな青空がひろがっていた。

久しぶりの青空にこころも晴々としてくる。



午前中は山里の職場へ。午後から病院へ向かう。

じいちゃんの入院も5日目になって

なんだかもうそれが日課のようになってしまう。


じいちゃん順調に快復しているのだけれど

頭痛が酷くなり鎮痛剤を処方してもらったとのこと。

昨日は大相撲を見るのだと楽しみにしていたのに

結局見られずに可哀想でならない。

あれこれと心配すればきりがなくとにかく笑顔で接する。

じいちゃんも笑顔。それが何よりの救いだった。


カレーが食べたいと言うので病院の献立表を見に行っていたら

日曜日の昼食がビーフカレーになっていた。

「そうか、それは楽しみだな」と喜んでくれて嬉しかった。

日に日にストレスも溜まって来ていることだろう。

せめて好きな物を食べさせてあげたいと母親のように思う。


「もう帰っておまえも休めや」と言ってくれる優しさ。

帰宅するなり倒れ込むようにして夕方まで寝入っていた。


いま夕焼けがきれい。病室の窓からも見えていることだろう。

お風呂上がりの孫たちのはしゃぎ声を聴かせてあげたいものだ。



2019年07月11日(木) さびしさのかたち

雨のちくもりそして晴れる。

久しぶりの青空が嬉しくてならない。



夜明け前のこと、裏のお宅からピアノの音が聴こえて来た。

それはおそらく人差し指だけで弾いていたのだろう。

同じ音ばかりゆっくりと単調に暗闇に響いていた。


数年前にご主人を亡くされてから長男さん一家と同居していた。

お孫さんが4人もいてそれはそれは賑やかな家族だった。

それが2ヶ月ほど前に長男さんが新居を建てて引っ越してしまう。

どんなにか寂しい事だろうと案じていたのだけれど

その頃から毎日のようにピアノの音が聴こえるようになった。

夜明け前に聴くのは初めての事でその寂しさがひしひしと伝わって来る。



私は幸いなことに家族に恵まれていて

じいちゃんが居なくてもいつもと変わらない笑顔でいられる。

娘一家が一緒に居てくれてほんとうにありがたくてならない。

独りぼっちだったらどんなにか寂しかったことだろう。


じいちゃん順調に快復していて、今日も私を待っていてくれた。

午前中に仕事を片づけて急いで駆けつけたかいがある。

病院の昼食には間に合わなかったけれど

じいちゃん大の苦手なブロッコリーとオクラが出たそう。

早く家に帰って好きな物ばかり食べたいとまるで子供のよう。

今日からやっと大相撲中継を見たくなったと言ってくれて

テレビカードをセットする。それが何よりの快復だった。


前へ前へと一歩ずつ進んでいるような日々。

明日も笑顔のじいちゃんにきっと会えることだろう。






2019年07月10日(水) じいちゃんのお髭

あやちゃんの登校時にどしゃ降りの雨。

集団登校とはいえ歩かせるのも可哀想になって

今朝は私が車で送って行っていた。


仕事は休ませてもらっていたけれど

いつものように体操に行っても良いものかとしばし悩む。

じいちゃんに相談したら「行って来いよ」と言ってくれて

気分転換もかねて体操教室へ向かう朝のこと。


でもやっぱり集中できず楽しむことが出来なかった。

終わり次第に昼食を掻き込むようにして病院へ向かう。


じいちゃんの顔を見たらほっとして肩の力が抜けるようだった。

絶対安静だったのが今朝からトイレにも行けるようになったとのこと

若くて可愛らしい看護師さんに身体を拭いてもらって照れ臭かったと

私が来るのを待ちかねていたようにいっぱい話してくれる。


髭を剃りたいと言うので介助しながら洗面台の前に立った。

そうかこんなふうに髭を剃るのかとそれは初めて見る光景だった。

口髭だけは残しておいたらと言ったら大笑いになったり。


昨日よりも今日と快方に向かっているのがとても嬉しくほっとする。

順調に経過さえ良ければ二週間ほどで退院出来るかもしれない。

もうしばらくの辛抱だ。じいちゃんなんとしても乗り越えようね。



孫たちが帰宅して奪い合うようにしてじいちゃんの座椅子に座る。

家族がひとりでも欠けるということはこんなにも寂しいこと。

その寂しさは愛しさそのものなのではないだろうか。







2019年07月09日(火) もう大丈夫。きっと大丈夫

雨の一日。時おり激しい雨音。

雨ならば雨を受けとめよう。やまない雨はない。



昨日の夕方のこと、思いがけないアクシデントがあった。

いつものように一番風呂に入ったじいちゃんが

入浴後に脱衣所で足を滑らせたのか転倒してしまう。

「どすん」と大きな音がして真っ先にめいちゃんが駆けつけていた。

娘と私もすぐに駆け付けたけれど笑い飛ばすじいちゃん。

尻もちをついただけだと思っていたのだけれど

その後少しずつ様子がおかしくなってしまった。

めまいと吐き気、これはいけないと救急車を呼んだ。


幸い命に別状はなかったのだけれど後頭部を打っており

脳内の硬膜に少し出血が見られていてそのまま入院となる。

多量の出血だったら手遅れになるところだった。

軽い出血で良かったとほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間

医師はまだ油断が出来ないと言う。急変する場合もあるとのこと。

一人で心細かったけれど義妹が病院まで駆け付けて来てくれた。

6時間ほどの処置を終えやっと病室に落ち着くことが出来る。



今日の検査では昨日ほどの出血は見られないとのこと。

病室もナースセンターから離れた部屋に移った。

24時間ぶりの食事を「うまい、うまい」と食べるじいちゃん。

もう大丈夫。きっと大丈夫と自分を宥めるように言い聞かしていた。



めいちゃんが「おじいちゃんのにおいがする」と言って

茶の間の座椅子を子犬のようにくんくんと嗅いでいた。

そんな微笑ましい姿をじいちゃんに見せてあげたいな。


みんなで帰りを待っている。かけがえのない大切な家族だもの。





2019年07月07日(日) 主なき家に咲く紫陽花

二十四節気の「小暑」そして「七夕」

梅雨が明けて本格的に夏が訪れる頃と言われているけれど

今年はまだもう少し梅雨空が続きそうだ。


七夕の日に晴れるのもめずらしく今日は梅雨の中休み。

若き頃ならば夜空を見上げてせつなく想うひともいたけれど

この歳になると孫たちに「織姫と彦星」を語るばかり。




今日はすこし遠出を。母の生まれ故郷まで足を伸ばす。

香美市香北町の美良布と言うちいさな町だった。

アンパンマンの生みの親、やなせたかしさんの故郷でもある。


母の生家はもう後絶えになっており今はもう廃屋と化しているけれど

車一台がやっと通れるほどの狭い山道を登った高台にある。

覚悟はしていたけれどそれはなんとも憐れな姿だった。

庭には草木が生い茂り一歩も中には入れない。


祖父母がいて叔母もいた遠い昔の光景を懐かしく思い出す。

子供の頃の夏休みにはずっとこの家で過ごしていた。

祖父がスイカを冷やしてくれた谷川の水。

さらさらと水音が聴こえる。それは今でも変わらない。

ひとつでも変わらないことがあるのがとても嬉しかった。


裏庭の方にまわってみたけれどそこも一歩も入れない。

塀から覗き込んで見るとまるで大きな木のような紫陽花。

もう盛りは過ぎていたけれどとても綺麗に咲いていた。

主なき家にそれは毎年咲いてくれていたのだろう。

なんとありがたいこと。おかげで哀しみも薄れていく。

その紫陽花の影に祖母が微笑んでいるように見えた。

思わず「おばあちゃん来たよ」と声が出る。


遠路はるばる悪路を連れて来てくれたじいちゃんに感謝。

「また来ような」と言ってくれてとても嬉しかった。


ふと母はもう来ることは出来ないだろうとはっきりとおもう。

荒れ果てたお墓を撫でるようにしながら谷川の水を供えた。



2019年07月06日(土) いっぱい微笑んで

くもり時々ぽつぽつと雨が降る。

ありのままの空に身をまかせるように過ごす。



朝のうちに母を訪ねる。

日曜日のつもりだったけれど一日でも早い方が良いかなと

大好物のバナナを届けたら「まあ嬉しい」ととても喜んでくれた。

あまりに喜ぶので少し照れくさくなったほど。

母の笑顔を見ていると救われたような気持ちになる。

ささやかなことだけれど親孝行が出来ているのだろうか。




今夜は保育園の夏まつりがあって少しの間だけ見に行っていた。

あやちゃんも招待状をもらっていて浴衣を着て参加する。

どんどこどんどこ太鼓の音に合わせてそれは可愛らしい踊り。

親ばかを通り越してばばばか。めいちゃんが一番上手に見える。

帰って来たらいっぱいほめてあげようと帰りを待っている。


気がつけば朝からずっと微笑んでいた一日だった。

今日も「いい日」をありがとうございました。



2019年07月05日(金) ソルティドックを私にください

曇り時々晴れて久しぶりの真夏日となる。

風がそよそよと心地よい。おかげで暑さも苦にはならず。


今朝はめいちゃんが珍しく「おばあちゃんといく」と言ってくれる。

久しぶりの保育園だった。こどもたちの笑顔がとてもまぶしい。




仕事中に取引先の社長さんと電話で話していて

行きつけだったスナックのマスターが亡くなっていたことを知る。

最近は街に繰り出すことも無くなってしまってご無沙汰していたけれど

いつも優しく微笑んでくれたマスターの顔が目に浮かび

たまらなく悲しくてなってしまって涙があふれてしまう。


私にとっては「とまり木」のようなお店だった。

カウンターでマスターと向かい合ってたわいのない話をする。

「いつものやつね」と言って作ってくれたソルティドック。



死はこんなにも身近なものだったのかとふと悔しさが込みあげる。

逝ってしまったものはどうしようもないとは思えないのだった。


若き頃からのたくさんの思い出。それがせめてもの救いだった。

ソルティドックが飲みたくてたまらない夜。



2019年07月04日(木) 久しぶりの青空

曇りのち晴れ。久しぶりの青空がとても嬉しかった。

咲き誇っていた紫陽花が色あせて

化石のようになりはじめてしまったけれど。



7月になってから少しずつ活気が出て来た職場。

今日は義父がずっといてくれて随分と助かる。

母の事も相談することが出来た。

やはりゆっくりと時間をかけて説得するしかないようだ。

出来る事ならば今の施設にずっと居させてあげたいけれど

あっけらかんと笑いとばす義父を見ていると

なんとかなるなるようになるだろうと思えてくる。





帰宅してひと休みしてから夕食の仕度。

あやちゃんがお手伝いをしたいと言えばめいちゃんも。

娘がトンカツの作り方をふたりにおしえていた。

油で揚げるのは危ないなと思っていたけれど

あやちゃんやってみたら出来ました。

さすがお姉ちゃんねと褒めれば悔しがるめいちゃん。

わいわいと賑やかな台所がとても楽しかった。



夕焼け空を見るのはほんとうに久しぶりのこと。

ほんのりと茜色に染まる空を見あげながらこれを記す。



2019年07月03日(水) また笑顔で会いましょう

雨が降ったりやんだり。時おり激しく強い雨が降る。

南九州、特に鹿児島では大変な豪雨になっているようだ。

避難を強いられこれから不安な夜を迎える人も多い事だろう。

とても他人事には思えず心が痛むばかりである。

強い雨雲が北上しており高知県も油断が出来なくなった。

どうか降り過ぎませんようにと祈る事しか出来ない。




午前中は体操教室へ。職場の協力があってこそのこと。

貴重な時間だと心してありがたく楽しませてもらった。

昨夜からの酷い肩凝り、背中の痛みも嘘のように楽になる。



午後は母の施設で担当の介護士さん達と面談があり出掛ける。

約束の時間より早めに行って母に会うことも出来た。

ちょうどリハビリ中だった母がベットに横たわっており驚く。

今日はちょっと頑張り過ぎて疲れが出てしまったようだ。

でも顔色はとても良い。何よりも上機嫌で笑顔が嬉しかった。

もう暴言を吐くこともない穏やかな母がそこにいた。


面談ではこのひと月の母の様子を詳しく報せてもらう。

介護士さん達がとても親身になってお世話してくれているのが分かる。

母の性格も分かってくれていて楽しく接してくれているようだ。


ケアマネさんから大切な話。それは寝耳に水のような話だった。

来年の春までに次の入居先をもう決めなくてはいけないのだそう。

こればかりは私の一存では応えられず義父に相談しなくては。

まだ先の事とは言え月日の経つのはとても早いものだった。


また母の覚悟が必要になるのだと思えば気が重くなる。

母を説得する自信はないけれど母に優しく接することは出来る。

そう思って「なんとかなるだろう」と思うよりほかに道はない。


バナナが食べたいと母。そうね、バナナ大好きだもの。

日曜日まで待っていてね。また笑顔で会いに行きましょう。



2019年07月02日(火) 投げ遣りになってはいけない

半夏生と言う名の植物をいまだこの目で見たことがない。

今日は「半夏生」だと知った朝。

その日に降る雨を「半夏雨」とか「半夏水」とも言うのだそうだ。


齢ばかりを重ねて無学の我が身。今日はひとつ勉強になった。




午後一時で仕事を終わらせてもらって

市の特定健診に行っていた。

毎年欠かさず受診しているけれど

昨年からとうとうメタボになってしまった。

ただのデブでは済まされない。

メタボはある意味病的な太り方だった。

著しい体重増加もあっておそらく今年もそうだろう。

まあいいかと思いつつやはり健康には気をつけたいと思う。


危機感を感じることは時には大切なことではないだろうか。

ずるずるとどうなってもいいやと投げ遣りになってはいけない。


ふとそんなことを思った一日だった。



2019年07月01日(月) はっけよいのこった

今日も雨が降ったりやんだり

梅雨空のままに7月を迎える。

空の気持ちを受けとめるように過ごすばかり。


今朝はあやちゃんが5時に起きて来てびっくり。

タブレットを抱えていて遊びたいのだそうだ。

小学生になってから夜は宿題もしなくてはいけなくて

子供心に早起きをして楽しみたいと思ったようだ。

ユーチューブで好きな動画を夢中になって見ている。

そんなあやちゃんをどうして咎める事が出来ようか。




仕事は月末の残り仕事を。小口の支払いをなんとか済ます。

義父は相変わらず無関心のようで一切の口出しをしない。

それだけ私を頼りにしてくれているのだろうと思うことに。

ならばなんとしてもと思う。弱音を吐いている場合ではないのだ。


神様は乗り越えられない試練を与えないのだそうだ。

ふとその言葉を思い出せば立ち向かう勇気が出てくる。

「おっし、かかってこいや」はっけいよいのこったのきもち。


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