2019年06月30日(日) |
ごめんなさいがふたつ |
雨が降ったりやんだりの梅雨らいい一日。
雨がやんでいるうちにとお大師堂へ。
顔なじみのお遍路さんが昨夜から逗留していたようだ。
久しぶりに会ったのでゆっくりと話せば良かったけれど
寝袋を敷いて寝転んでいたのを起こしてしまって少し気まずい。
お参りもそこそこに急いで花枝を新しくして踵を返す。
なんだか長居は禁物のように思えてならない。
言葉に出来ないような気まずさ。あれは何だったのだろう。
午前中にコインランドリーと買い物。
母との面会はどうしようかと迷っていたら
じいちゃんが助け舟を出してくれて
「会いたければ行けば良い、そうでなければやめておけ」と。
日曜日だから行かなくちゃと自分に課すなと言ってくれる。
会いたくなった時に会いに行けば良いのだそうだ。
もしかしたら母が待っているかもしれないとふと思った。
ごめんね母さん。今日はなんだか気が進まなくてゆるしてね。
午後はひたすら本を読んでいた。
とにかく集中する。他の事を考えないように本の虫になる。
2019年06月29日(土) |
ゆらりゆらりと今日もいい日 |
晴れのち時々の雨。梅雨らしい蒸し暑さもまた良しとする。
最近ずっと土曜日は保育園に行きたがらないめいちゃんが
今日は珍しく行きたがる。聞けば消防士さんが来るのだそう。
口紅を塗ってメイクして登園する微笑ましい朝だった。
娘がお休みだったのであやちゃんの心配もなく
じいちゃんとまたぶらりと出かけることにした。
昨日のローカルニュースで知ったのだけれど
宿毛新港に海上自衛隊の船が入港しているとのこと。
今日は一般公開があると言うので行ってみることに。
港に着いたらすごい人だった。ちょうど「港まつり」だったよう。
たくさんの出店もあってそれはそれは賑わっていた。
10時になるのを待ちかねての乗船にわくわくと楽しみ。
けれども風が強かったせいか船は思いがけないほどの横揺れだった。
10歩も歩かないうちに目の前がくらくらとし始めて
ついに立っていられないほどのめまいにおそわれる。
これはやばいとじいちゃんに縋りつくようにして船を降りた。
親切な自衛官の人達に助けられて港のテントで休ませてもらう。
「おかあさん大丈夫ですか?」息子のような優しい声。
最初はおろおろしていたじいちゃんも一人で見学に行く事が出来る。
息子のような自衛官さんが「僕も最初は辛かったですよ」と
新人の時の航海は船酔いとの闘いのような日々だったそうだ。
「今はもう慣れたから大丈夫」ととても逞しく感じる。
私は見学どころではなかったけれど
じいちゃんは船の隅々まで見学出来て良かった。
船酔いのおかげで自衛官さんとふれあえることも出来た。
ああ今日もとても「いい日」でした。
2019年06月28日(金) |
だから私はまたがんばれる |
夜が明けると思いがけずに青空が見えていた。
天気予報は曇り時々雨だったけれど
青空に誘われるように洗濯物を干す。
二日続けて仕事を休んでしまったけれど特に支障もなく
月末が日曜日になるため実質今日が月末のようになる。
今までずっとスムーズに乗り越えてきたけれど
今月は売上げが少なくなんだか崖っぷちに立たされたような気持ち。
数日前に前もって義父には相談してあったのだけれど
今朝はすっかり忘れているようだった。もう何も言うまいと思う。
それなりに最低限の支払いを済ませることが出来たけれど
いったい経営者は誰なのかと心の声が叫ぶばかりだった。
帰宅してそんな私の嘆きを「そうか、そうか」と聞いてくれる
じいちゃんにはほんとうに感謝している。
もうそんなに背負うなよと背中の荷物をおろしてくれるのだ。
そうして「なんとかなるだろう」と言ってくれて救ってくれる。
だから私はまたがんばれる。やれるだけのことを精一杯に。
夜明け前にはぽつぽつだった雨が
やがて本降りになり大雨警報が発令される。
おまけに熱低が台風に変わるかもと。
まるで空が泣き叫んでいるような朝だった。
いつもは集団登校のあやちゃんも
今日は特別にお父さんが車で送ってくれることに。
そうしたらめいちゃんも一緒に行きたいと泣き出して
いつもより一時間も早く登園する。
孫たちはひと安心。さて私はどうしましょう。
気になる仕事もなかったので自宅待機にしようかと考える。
そうしたらじいちゃんに「おっこうな」と笑い飛ばされてしまった。
「おっこうな」とは方言で「おおげさな」と言うような意味。
そうね。子供でもあるまいしと大雨の中を「いざ」と出掛ける。
しかしそれにしても凄い雨。四万十大橋をなんとか渡ったものの
怖くてたまらなくなってついにUターンしてしまった。
笑いながら呆れかえるじいちゃん。おまけに雨は小降りになる。
もう一度出掛けようかと迷いつつ、やっぱりもうやめることに。
同僚に電話をしてやっと自宅待機が叶った。
その後の全国ニュースで山里の記録的な豪雨を知る。
無理をして行かなくて良かったのかもしれない。
ぽっかりと舞い込んだ休日をありがたく過ごす。
お昼寝もしたり本を読んだり。のんびりの一日だった。
夜明け前しずくのような雨音を聴く。
こころに沁みるような雨音だった。
まるで雨を待ち焦がれていた草のようなきもち。
そうしてやっと梅雨入りになる。
ところが熱帯低気圧が明日にも台風になりそう。
自然のきびしさをつくづくと感じている。
同僚の協力のおかげで週一の体操教室へ。
なんとしてもと思いつつ今月は毎週行けたことになる。
身勝手な事は充分に承知で来月もと欲が出てくる。
今しか出来ないことを出来る日にとひたすら思う。
午後は読書。どうしてもすぐに読みたい本があった。
読み始めたら止まらず一気に読み終える。
詩人の白井明大さんの新刊「希望はいつも当たり前の言葉で語られる」
詩集ではなく初めてのエッセイ本であった。
読後感がとても清々しい。ますます彼のことが好きになる。
何気ない一言をどう受け止めるか。言葉には不思議な力がある。
一生忘れられない言葉が私にもあった。
ある意味「縁」ではないだろうかとつよく感じる。
ひとに希望を与え勇気を与え生きる力にもなり得るのだ。
「めいさん」私はどうしても白井さんとは呼べなくて
ネット空間で知り合った頃はまだ無名だっためいさんが
こんなに立派に大きく羽ばたいたことを誇りに思う。
めいさんの足元にも及ばないちっぽけな私だけれど
ささやかな言葉を誰かの心に残せるような人になりたいものだ。
2019年06月25日(火) |
ゆったりと時間が流れる |
爽やかな青空も今日までのようだ。
明日からしばらくは雨の予報。やっと梅雨に入りそう。
今日も笑顔で仕事。お客さんは二人だけだったけれど
二人も来てくれたのだとありがたく嬉しく思う。
ゆったりと時間が流れる。これくらいがちょうどいい。
帰り道のショッピングセンターで弟にお中元を。
来月の誕生日に着くようにビールを頼んだ。
毎年楽しみにしてくれているのでお姉ちゃんも嬉しい。
還暦を迎える弟がいつまでも可愛くてならない。
ふと遠い昔の家族のことを思い出すことがある。
父がいて母がいて弟がいた。それが当たり前のように思っていた頃。
ある日突然に家族がばらばらになるなんて思ってもいなかった。
帰宅したらお休みだった娘が洗濯物をたたんでくれていた。
やがてめいちゃんもあやちゃんも帰って来る。
二人ともすっかり小麦色になってなんとも微笑ましい。
私はこんなにも家族に恵まれている。
今日も暮れようとしている空にありがとうございました。
爽やかな晴天と喜んでばかりもいられない。
梅雨入りの遅れは観測史上初の記録になったそうだ。
農作物の生育にも少なからず影響が出始めたらしい。
今週こそは梅雨入りをと願わずにいられない事態になった。
月曜日の職場。やっと少し活気が出てくる。
「笑う門には福来る」って言うしなあと
タイムカードを押しながらにっこりと微笑んでみる。
そうしたらさっそくにお客さんが来てくれてびっくり。
笑顔には不思議なチカラがあるようだった。
ため息ばかりをついていたら福の神様が逃げてしまう。
同僚も嬉しそうに仕事をしていた。私も嬉しくてならない。
明日はあしたの風が吹くだろう。
とにかく笑顔を絶やさずにいよう。きっといい日になる。
曇り日。気温もさほど上がらず過ごしやすい一日。
朝のうちにお大師堂へ。
先日の外国人のお遍路さんはスペイン人だったようだ。
備え付けのノートにイラスト入りで書き込んでくれていた。
解読は出来ないけれどコメントがとても嬉しく思う。
Sさんの字で「スペイン男女」と添え書きをしてあって
Sさんらしいなあと笑みがこぼれる。
お参りを終えてから母に会いに行く。
前回は孫たちが一緒だったけれど今日は一人で。
どうしたことかひどく緊張をしていた。
とにかく笑顔でと自分に言い聞かせていたけれど
母の顔を見るなり自然に笑顔になれた。
そうしてたくさんおしゃべりをする。
なんと穏やかな母の笑顔だろう。
そんな母の笑顔を見たのは初めてのような気がした。
また来るからねと約束をして部屋を出る。
「ありがとうね。ありがとうね」と母の声がこだましていた。
外に出て車に乗るなりどうしようもなく涙があふれてくる。
少女の頃に生き別れた母とやっと再会できたような気がする。
50年もの間、私と母はいったいどこを彷徨っていたのだろう。
母でもない娘でもないと見えない壁にさえぎられていたのか。
その壁がやっと今日取り払われたような気がした。
私は今日の涙を一生忘れないだろう。
お母さんもうどこにもいかないで。
夜明け前、はんぶんの月を仰ぐ。
ほんとうは丸いのだなとふと思う。
はんぶんを見せてそうして精一杯に光る月。
ひともそんな生き方がよいのかもしれない。
今日は娘夫婦がお休みで孫たちの心配もなく
娘が「どこかへ行って来たら」と言ってくれる。
じいちゃんに相談したらひとつ返事でうなずいてくれた。
わくわくと嬉しい朝。さてどこに行きましょうか。
行き当たりばったりも良いけれど
先日新聞に写真が載っていた土佐市のひまわり畑を見に行く事に。
早咲きのひまわりが畑一面に咲いているのだそうだ。
先日の「ゆり街道」もそうだったけれど
快く連れて行ってくれるじいちゃんがとてもありがたくてならない。
我が家から一時間半ほど、高速道路を走り思ったよりも近く感じる。
そこには思わず歓声をあげるほどの見事なひまわりが咲いていた。
青空を見あげるように微笑むひまわり。
こんなにおひさまが似合う花がほかにあるだろうか。
こころにもひまわりの花を咲かせましょう。
曇り日、少し蒸し暑かったけれどさほど苦にはならず
吹き抜ける風のおかげで昨日よりも過ごしやすかった。
職場の庭にねむの木の花が咲き始める。
天使が羽根をやすめているような可愛らしさ。
ふと母を想う。ああ見せてあげたいなとおもう。
数年前の事、あまりに大きくなり過ぎたねむの木を
母がのこぎりで切ってしまったことがあった。
「どうして酷いことをするの」と声を荒げたことが今は懐かしい。
もうその痕跡はない。ねむの木はまたすっかり大きくなった。
仕事を早めに終わらせてもらって帰宅。
夕方、土手を歩く外国人の男女のお遍路さんの姿が窓から見えた。
お大師堂に向かっているのに違いないと思い
ふたりを見届けようと土手の道へと走って行く。
そうしたらちょうどSさんが自転車で行くのが見えて
ふたりよりも先にお大師堂に向かったようだった。
ちゃんと出迎えてくれるに違いないとほっと安堵。
水道もなく不便なお大師堂だけれど
少しでも疲れた身体を癒してほしいと願わずにいられない。
今日も「いい日」でした。ありがとうございます。
朝の涼しさもつかの間。日中は真夏並みの暑さとなる。
過ごしやすい日が続いていただけに身体に少し堪えた。
ふとこのまま梅雨入りをせずに夏本番になるのではと思うほど。
仕事で村役場へ行っていたら係の職員さんが
「その節はありがとうございました」と。
確か今年の始め頃ではなかっただろうか。
職員の採用試験を受けに来ていた青年がいて
車のバッテリーが上がり困っていたことがあった。
たまたま日曜日の事で職場は休みだったけれど
同僚に連絡をして対応したことがあったのだった。
無事に試験に合格して晴れて採用されていたことが嬉しい。
あの時は声だけだったけれどなかなかの好青年だった。
公務を終えてから自家用車のオイル交換の予約をしてくれる。
それがとても思いがけずに嬉しかった。
ご縁があったのだなと思う。大切な大切なお客さまだ。
そんな嬉しいことがあって今日も「いい日」
職場は今日も閑古鳥さんだったけれど
同僚とまた忙しい日もあるよねと笑い合った。
いつも遊びに来てくれるお客さんが
「今のうちに羽根を伸ばしておけよ」なんて言って愉快なり。
2019年06月19日(水) |
きらきらとまぶしいひと |
目覚めるまで新潟で大きな地震があったことを知らず。
不安で眠れない夜を過ごされた方も多いことだろう。
とても他人事とは思えずこころの痛む朝になった。
明日は我が身である。肝に銘じておかなければいけない。
気をとり直すように体操教室へ行っていた。
職場の留守番をしてくれる同僚のなんとありがたいこと。
おかげで今日も仕事を休むことが出来る。
仕事よりも健康を優先に。その気持ちは決して変わらない。
ある意味では強行手段だけれど自分をゆるしたいと思う。
2年前に一緒に体操を始めたお仲間さんが
優秀な成績で指導者の資格を取得したビックニュースがあった。
みんなで拍手をしながらほんとうに素晴らしいことだと思う。
60歳が終わりではない。60歳から始められることがある。
きらきらとまぶしい。それはとても励みに思えることだった。
私はブランクもありちょっとした落ちこぼれだけれど
これからも自分に出来ることを精一杯がんばりたいものだ。
今日も夕暮れ時。なんと平穏なことだろう。
夜明け前には聴けなかったほととすぎすの声が夕空にこだましている。
そうして孫たちのはしゃぎ声。ほほえみながらこれを記す。
2019年06月18日(火) |
どんな日もあってよし |
曇り日。気温も上がらずずいぶんと涼しく感じる。
例年なら蒸し暑くてたまらない頃。
これも異常気象なのかもしれない。
出勤前、「なつぞら」を見ていたら宿毛警察署から電話。
何事だろうとびっくりして出たら
宿毛市内のお客さんが交通事故を起こした知らせだった。
母の友人でもあり任意保険をかけてくれていたので
すぐに義父に連絡をして現場へ駆けつけてもらう。
レッカー車の手配をしたりなんとも慌ただしい朝になる。
幸い怪我はないよう。でも車は横転して大破だった。
ぼんやりしていて赤信号で交差点に突入したらしかった。
保険会社からも何度も電話があってざわざわと落ち着かない。
いつもより30分遅れてやっと職場に着く。
その後落ち着いてからこれが自分の仕事なのだなと改めて思う。
事故後のフォローが重大で決して疎かにしてはいけない。
肝に命ずるように大きな責任を感じた出来事だった。
一日の仕事を終えて帰宅すれば、いつもと変わらない穏やかさ。
夕食後、めいちゃんが小さな手で食器を洗ってくれる。
娘とふたりで声をそろえて「めいちゃんありがとうね」と。
そうしたらすごく嬉しそうに照れ笑いをしていた。
曇り空のままの夕暮れ時のこと。
お風呂上がりの孫たちのはしゃぎ声を聴きながらほっこりと
これを記す。
2019年06月17日(月) |
ありがたきいい日でした |
今日も爽やかな晴天となる。朝は肌寒いくらいだった。
日中はほぼ真夏日になったけれどさほど暑さを感じず
吹き抜ける風のおかげでずいぶんと過ごしやすい。
土曜日に授業参観だったあやちゃん学校はお休み。
めいちゃんが保育園に行きたがるはずもなく
「めいもおやすみ」と言って聞かない。
私も娘夫婦も仕事で仕方なくじいちゃんが
すっかり覚悟をしていたけれど思いがけずに助け船。
娘婿の実家の「下田のおばあちゃん」が預かってくれることに。
とても助かる。おかげで孫たちの心配もなく仕事に行けた。
午前中に訪ねたお客さんのお宅で玉ねぎと筋なし豌豆をいただく。
お庭に百合の花が咲いていてとてもいい香りが漂っていた。
数年前にご主人に先立たれ独り暮らし。
百合の花がとても好きなのだそうだ。
それから母の友人でもあるお客さんのお宅を訪ねる。
母のことを語り合っていると目頭が熱くなってしまって
涙があふれてしまう。優しい言葉がとても嬉しかった。
近いうちに母に会いに行ってくれるそうだ。
どんなにか母が喜ぶことだろうか。
仕事を終えて帰り道。足が重そうに歩いているお遍路さん。
追い越してしまったけれどとても気になってしまってUターンする。
「大丈夫ですか?歩けますか?」声をかけることが出来た。
車でのお接待を申し出たけれど「大丈夫です。歩けます」と。
訊けばはるばる愛知県から来た27歳の青年だった。
日焼けした顔に白い歯を見せてにっこりと微笑んでくれた。
またおせっかいなおばさんだこと。でもとても清々しくて
声をかけてほんとうに良かったと思う。
足を痛めることの多い土佐路のお遍路。
なんとしてもがんばって結願して欲しいと願わずにいられない。
気がつけば今日もなんと「いい日」だったことだろう。
いい日になりますようにと願うのではなく
ひとは誰だって「いい日」にすることが出来るのだと思った。
爽やかな青空。吹き抜ける風のなんと心地よいこと。
そんな風に吹かれたくなって朝散歩に出掛ける。
相変わらずの足の痛みとも上手くつきあっていかなければ。
お大師堂までのわずかの距離がなんだか試練みたいに思える。
今朝は一番のりだったようで日捲りの暦を今日にする。
ゆっくりと手を合わせて穏やかな朝に感謝するばかり。
午後は叔母の7回忌の法要があり出掛けていた。
いとこ達がみな集まりとてもにぎやか。
亡き叔母もきっと喜んでくれたことだろう。
もう七回忌なのかと歳月の流れをしみじみと感じる。
いとこがもう13回忌は無理だろうと言う。
もうみんなが高齢者になってしまう現実がのしかかる。
さびしいけれどそれはどうしようも出来ないことだった。
我が家もしかり。姑さんの7回忌まではなんとかと思うのだけれど。
もしかしたら3回忌がやっとになるのかもしれない。
自分たちが元気でいなければいけない。
息子や娘たちに負担をかけることだけはしたくなかった。
まだ先のことを思い悩みたくはないけれど考えずにはいられないこと。
今日のことが無事に終った。明日はどうだろう。
夕暮れ時になるといつもそう思う。
だからこそありがたくてならない一日だった。
2019年06月15日(土) |
まごころの花を咲かせて |
今朝はすごい雷雨となり怖ろしいほど。
雷雲が遠ざかるのをひたすら待っていた。
それでも梅雨入りの発表はない。
雨は次第に小降りになり空が明るくなってくる。
お昼には朝の雷雨が嘘のように青空が見え始めた。
じいちゃんがちょっとドライブにでも行くかと言ってくれて嬉しい。
先日ローカルニュースで知った「ゆり街道」に行ってみたかった。
同じ市内だけれど愛媛の県境に近くずいぶんと山奥。
藪ヶ市という地区で地元の人達が百合を育てているらしい。
四万十川沿いを一時間ほど上流へ。それから目黒川と言う支流へ。
なかなかの悪路で細いくねくね道をひたすら走った。
そうしたら人家が見え始めて道沿いにたくさんの百合の花が見える。
山深い里に心を込めて植えられたことだろうと感動する。
地区の人達のまごころがそのまま花になったように見えた。
道が狭く長いこと車を停められずほんのつかの間だったけれど
色とりどりのきれいな百合の花を愛でることが出来た。
また来年も来ようと後ろ髪を引かれるようにその地を去った。
じいちゃん連れて来てくれてありがとう。とても嬉しかったよ。
そろそろ梅雨入りかなと思っていたけれどまだのよう。
朝から降り始めた雨が今も降り続いている。
時おり激しく叩きつけるような強い雨だった。
仕事を終えてから月いちの病院へ。
いつものお薬を処方してもらうだけのこと。
医師との面談で血圧の下がり過ぎに用心をと。
お薬のおかげで血圧を正常に保っているのだと改めて気づく。
そのことを忘れるくらい私はとても元気だった。
帰り道のスーパーのレジでなんと恥ずかしいこと。
お財布の中が空っぽだった。慌ててATMへ走る。
通帳の残高が増えていて嬉しい。今日は年金支給日。
にこにこ笑顔の店員さんが支払いを待ってくれていて助かった。
新鮮なカツオ。今夜はお刺身にして美味しくいただく。
某SNSの通知。今日は登録して6年目の記念日らしい。
もう6年なのかと歳月の流れをしみじみと感じる。
けれどもあえてそのことには触れずに今日を閉じようとしている。
これからも「自分らしく」ありたい。
背伸びをせずにありのままの自分をその場所に残したいと思う。
梅雨入りが遅れているおかげで爽やかな日が続いている。
気温が高くなっても湿度が低いためずいぶんと過ごしやすい。
昨日の体操が効いたのか身体がとても軽く感じる朝。
辛かった肩凝りや背中の痛みも嘘のように楽になる。
思い切って再開してほんとうに良かったとおもう。
職場は閑古鳥さん。同僚が溝掃除をしてくれて助かる。
私は決算の準備がありけっこうすることがあった。
京都から移住して来ているお客さんの青年が
「おばちゃんいてる?」と事務所に冷たい缶コーヒーの差し入れ。
ありがたいこと。おばちゃんとても嬉しかったです。
高齢のお客さんが多く「おねえちゃん」と呼ばれることが多いけれど
「おばちゃん」と呼ばれるのも良いものだなと思った。
青年はかつてはお遍路さん。山里の事がとても好きになって
農業をやりたいと決心をして数年前に移住して来たのだった。
そうしたら定年退職をされたお父様も心を動かされたようで
今では家族みな揃って移住し山里で農業を営んでいる。
お遍路のご縁。初めてその話を聞いた時にはとても感動した。
おしゃべり好きの青年が帰ってしまうとし〜んとまた静か。
また遊びに来てねってこころからそう思った日。
2019年06月12日(水) |
出来る事を出来る日に |
夜が明けると雲ひとつない青空がひろがっていた。
少しひんやりと涼しくなんとも爽やかな朝のこと。
雀たちがいっせいに歌い出しほっこりとこころが和む。
今日は仕事を休んで体操教室へ。
昨日のうちに急ぎの仕事を済ませていたので
気になることもなく心置きなく楽しむことが出来た。
出来る事を出来る日にと思う。今しか出来ないこと。
仕事も大切だけれど健康はもっと大切なのではないだろうか。
今日も2時間の体操はあっという間。
わずか2時間でもとてもリフレッシュ出来る。
身体がいきいきとしてくるのはほんとうに心地よい。
昨年、あと10年は頑張って欲しいと義父に言われた。
と言う事はあと9年なのか。私は72歳になってしまう。
母がリタイアしたいま義父の片腕となって会社を経営しなくては。
途中で逃げ出すことなど出来ない。最後までと覚悟をしている。
それからの老後を思うと不安な事もいっぱいあるけれど
旅行にも行けるだろうか。お遍路にも行けるだろうか。
畑仕事もしてみたいなとあれこれ夢のように考えている。
先日介護施設に入居した母の入居書類に書かれていた母の願いに
死んでもいいからひとりで自由に暮らしたい。
ずっと仕事ばかりしていたから元気になったらどこかに遊びに行きたい。
そう書かれていたのを思い出す。
胸がしめつけられるようなせつない言葉だった。
夜明け前と夕暮れ時になるとホトトギスの声が聴こえる。
なんだか幕をおろした舞台裏の役者さんのようだ。
喝采を浴びるわけでもなくカーテンコールもない。
ふとそんな生き方も良いのではないかと思う。
夕食後、娘と孫たちがまた川海老を捕りに行っていた。
昨日も行っていてよほど面白いのか明日も行くと。
はしゃいでいる孫たちの笑顔を見ていると
夕食後の食器洗いも少しも苦にならなかった。
都会の子供たちには経験できないこと。
四万十川のほとりで自然に恵まれながら成長している。
それってほんとうに素晴らしいことだとおもう。
夕風に心地よく吹かれながらこれを記していると
ふとじぶんはなにものなのだと思ったりもして
身の程を知れば知るほど「観念」のようなものが頭をよぎる。
ちっぽけでいい。それでいいと認めてあげなくてどうする。
薄曇り時おりやわらかな陽射しが降り注ぐ。
爽やかな風が吹き過ごしやすい一日だった。
早朝5時にあやちゃんが起きていてびっくり。
昨夜宿題をするのを忘れていたのだそうだ。
ちゃんと目を覚ましていてえらいなとおもう。
仕事はぼちぼちの忙しさ。
少し活気が出て来たようで嬉しくおもう。
近くの神社の紫陽花が綺麗とおしえてくれた人がいて
そわそわと落ち着かずお昼休みに行って来た。
参道に紫陽花がいっぱいで思わず歓声をあげる。
この神社の紫陽花は毎年楽しみにしていて
先日来た時にはまだ色づいていなかったのだ。
雨のおかげだろうか一斉に色づいたのかもしれない。
つかの間の散策だったけれどとてもこころが和む。
季節の花を愛でるきもちをずっと大切にしよう。
2019年06月09日(日) |
ほっこりの夕暮れ時のこと |
目覚めたら思いがけずに雨が降っていた。
ぽつんぽつんとささやくようにそれはやさしいにわか雨。
曇り時々晴れの予報だったけれど曇り空のまま。
気温も上がらず涼しくて過ごしやすい一日となる。
午後、お散歩がてらお大師堂まで。
やはり足がすぐに痛くなり休み休みだった。
少し歩いては空をみあげて深呼吸をする。
川辺の姫女苑の花がゆらゆらりと可愛らしいこと。
ゆっくりとお参りをしてから花枝を新しくしたり
お線香の補充もして今日も自分に出来ることを。
やっぱり女手が欲しいと言っていたSさんの言葉を思い出す。
娘と孫たちは川海老を捕りに行っていたようだ。
小さな海老だけれど子供でも簡単に網で掬えるのだそう。
ぴちぴちと跳ねていたのを玉ねぎとかき揚げにしていただく。
娘が孫たちに海老さんの命をありがたく頂くようにと教えていた。
玉ねぎが苦手なあやちゃんも美味しそうに食べてくれて良かった。
お腹がいっぱいになって眠くなってしまっためいちゃん
自分で毛布を出して来てテーブルの下に寝床を作る。
ちびまるこちゃんを見ながらそのまま寝入ってしまった。
なんとも可愛らしい寝顔だこと。ほっこりの夕暮れ時のこと。
2019年06月08日(土) |
ささやかな親孝行なのか |
爽やかな晴天。吹き抜ける風のなんと心地よいこと。
薄っすらと夜が明け始めた頃。窓を開け広げて風に吹かれていた。
今日は保育園に新一年生たちが招待されていた。
ふたりとも大喜びで元気に登園する。
特にめいちゃんはお姉ちゃんが一緒と嬉しそう。
午後は予定を一日早めて母のもとを訪ねる。
母にひ孫の顔を見せてあげたかった。
めいちゃんはひいばあちゃんを知らなくて
でもあやちゃんはちゃんと覚えていてくれた。
母は興奮したように大喜びをしてくれて
満面の笑顔を見せてくれ私もとても嬉しかった。
ひ孫の顔も見せてあげられないほどの親不孝をずっと重ねて来た。
「お母さんごめんね」と心の中で詫び続ける。
少しずつほんとうに少しずつだけれど出来る事をと思う。
救われているのは母ではなくて私なのだと思った。
やせ細ったしわくちゃの手であやちゃんと握手。
「やわらかい手やねえ、やさしい手やねえ」と母がつぶやく。
降ったりやんだりの雨だったけれど
降り出したらバケツをひっくり返したような大雨。
風も強く雷様まで大暴れをしてすっかり嵐のよう。
そんな悪天候も午後には少しずつ回復していく。
仕事を少し早目に終わらせてもらって母のアパートへ。
夏物の肌着などを揃えて施設へ届けてあげたかった。
日捲りの暦が3月26日。もうそんなに月日が流れていたのか。
部屋は救急搬送された時のままで複雑な思いが込み上げてくる。
アパートを引き払う準備もしなければいけないけれど
何から手をつければ良いのか、途方に暮れる程の荒れよう。
義父はまだ急ぐなと言う。家賃を払い続けるのも考えようだけれど
とりあえずはしばらくそのままにしておくしかないのかもしれない。
母のところには日曜日に行く事にしてそのまま帰宅した。
雨がやんで明るくなった空。「ただいま」とあやちゃんの声。
私はこんなにも家族に恵まれているけれど
母はどうしようもなく孤独なのかもしれないとふと思った。
2019年06月06日(木) |
また来るね。また来てね。 |
二十四節気の「芒種」あまり馴染のない言葉だけれど
梅雨入りを前に穀物の種を蒔く頃なのだそうだ。
旧暦だともっと身近に感じる季節なのだろう。
昔は農家の人達がとても忙しかったことだろう。
最高気温が31℃、とても蒸し暑い一日だった。
今日は母が施設に入居するため午後から付き添う。
施設と言っても同じ病院内の事で3階から2階に移るだけ。
母には何の戸惑いもなくスムーズに事が運んでほっとする。
それはとても卑怯な事なのかもしれないけれど
このまま母には説明しない方が良いだろうと結論に達した。
リハビリを頑張って歩けるようになったら家に帰れる。
そう信じている母が憐れにも思える。でももう決めた事。
いつかは母も気づくことだろう。その時はその時の事だ。
ほぼ3ヵ月ぶりの母との再会だったけれど
母があまりにもあっけらかんとしているのが救いだった。
おかげで私も笑顔で接することが出来る。「また来るね」って
「また来てね」って。そうまた笑顔で会いに行きましょう。
2019年06月05日(水) |
水曜日は「健康の日」 |
明け方まで雷雨。激しい雨音がなぜか心地よく感じる。
夜が明けると青空が見え始めてなんだか夢を見ていたような気分。
一大決心と言うほど大げさな事ではないけれど
もう諦めかけていた体操を今日から復活することに。
このまま仕事に追われてばかりの日々ではいけないと
自分なりに決心をし水曜日は「健康の日」と名づける。
一年半ぶりの体操教室だった。わくわくと心が躍る。
先生もお仲間さん達も大歓迎をしてくれてとても嬉しかった。
10Kも太ってしまった重い身体に体操はきつかったけれど
出来る事から少しずつ頑張ってみる。ふうふう言いながら
それでも2時間はあっという間のことだった。
来週もきっとと約束をしてお仲間さん達と別れた。
なんとしてもこれだけは続けようと心に誓う。
午後は程よいつかれを楽しみながらお昼寝をしていた。
急ぎの仕事があれば職場へ駆けつけるつもりだったけれど
幸い呼び出しの電話もなくゆっくりと休むことが出来る。
「いい日」でした。ほんとうにありがたいこと。
2019年06月04日(火) |
おんちゃんとおばちゃん |
梅雨入りを思わすような雨が降ったりやんだり。
空におまかせしようとのほほんと過ごすばかり。
仕事は今日も閑古鳥さん。
また忙しい日もあるだろうとあまり気にしない。
いつもより早めに終わらせてもらって
じいちゃんと銀行へ行っていた。
住宅ローンの更新の手続きを終える。
あと2年と少しで完済になる予定。
家計が苦しい時もいっぱいあったけれど
これまで不都合もかけずよく支払って来たと思う。
係の銀行員さんともすっかり顔なじみになって
今日も手続きをしながら最初は名字で呼んでくれていたのを
終いには「おんちゃん」「おばちゃん」と呼ばれて愉快なり。
地元の銀行らしい親しみを感じずにいられなかった。
夕方になり家族みなそろって夕食。
最近すごい食欲のあやちゃんが今夜もたくさん食べてくれて
その後すぐに寝入ってしまってお風呂になっても目を覚まさず。
徒歩で通学するだけでも体力を使っているのだろう。
毎日ほんとうに頑張っているのだと思う。えらいえらい。
夜明け前まで雨が降っていた。ぽとんぽとんとまるで命の音。
昨夜のつかれがあったのか少し気だるい朝だった。
さあ月曜日と気負う事もなく山里の職場へ向かう。
雨あがりに道ばたの民家の紫陽花がとても鮮やか。
お遍路さんも何人か見かける。気持ち良さそうに歩いていた。
仕事はそれなりに。同僚は出張修理で出掛けていたので
独りきり。来客もなく閑古鳥さんの鳴き声が聴こえてきそう。
幼馴染の友のお父様が亡くなりお葬式もあった。
義父にお香典を頼み参列はしなかったけれど
子供の頃からとても可愛がってもらっていたので
しんみりとしながら思い出をたどるばかり。
秋には友の三回忌だった。親よりも先に逝ってと
嘆いていたお父様の悲痛な顔が忘れられない。
お母様は施設に入居されているとのこと
娘を亡くし夫を亡くしどんなにか辛いことだろうか。
永遠の命などない。私だってどんなに願っていても
遅かれ早かれお迎えがやってくる。
明日のことがわからないからこそ今日を精一杯に生きる。
2019年06月02日(日) |
それはそれはにぎやかに |
今日は「先祖まつり」のお当番でちょっと忙しかった。
宴会の後片付けがやっと終わってほっとしているところ。
いつもならもうとっくに寝ている時間だけれど
ささやかなことでもやはり書き残しておきたくて。
親族がみな集まりご先祖様の供養をしながら
それはそれはにぎやかに宴会を。
ご先祖様のおかげでみんなが繋がっているのだと思う。
本家さんも分家さんもみんなとても仲良し。
笑顔いっぱいの楽しい夜でした。
ありがとうございました。
2019年06月01日(土) |
気がつけばずっと微笑んでいた |
薄雲が広がっておりさほど暑さを感じず。
明日は雨の予報。そろそろ梅雨入りかと思う水無月。
孫たちのプール開きも近くなり今日はいつもの美容院へ。
ふたりとも髪を括れなくなるのは嫌だと言って聞かず
3センチほどカットしてもらった。おしゃまな笑顔。
髪型にもこだわるようになった。もうそんなお年頃のよう。
今日は娘もお休みだったけれど「おばあちゃんと行きたい」と。
いつまでもそう言ってもらえたらどんなにか嬉しいことだろう。
午後はお散歩。あやちゃんがお大師堂には行きたがらず
仕方なく別行動になってしまった。独りでぼちぼちと歩く。
やはりすぐに足が痛み始める。少し歩いては休み休み。
娘と孫たちは川辺で水遊びをしていたようで
すっかりびしょ濡れになって帰って来ていた。
とても楽しかった様子に笑みがこぼれる。
気がつけばずっと微笑んでいた一日だった。
ほんとうに恵まれた日々が続いている。
今日も「いい日」をありがとうございました。
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