曇りのち晴れの予報だったけれど、ぽつぽつとにわか雨も。
気まぐれな空とにらめっこしながら洗濯物を干したり海苔を干したり。
川から戻って来ると娘と孫たちが作業場へ遊びに来てくれる。
それはにぎやか。笑顔で作業が出来るなんてありがたいこと。
孫たちは「おてつだいする」と言ってくれて
元気に遊んでくれるのがいちばんの「おてつだい」に思えた。
午後は少しだけ箱詰め作業を。今日も早めに切り上げる。
「おだいしさんへいこうか」「めいもいく」と一緒にお大師堂へ。
お供えのお菓子をめいちゃんがお盆に入れてくれた。
ひとつ食べたいのではないかなと思っていたら
「おだいしさんがたべてからたべる」と。
そう教えたつもりはなかったけれど今度来た時に食べるのだそうだ。
おだいしさんひとつだけめいちゃんにちょうだいね。
お堂の外に出てから川辺にたんぽぽの綿毛をたくさん見つける。
「ごめんね」と声をかけて手折りめいちゃんの両手に。
ぷうっとするのが初めてだっためいちゃんとても楽しそう。
綿毛は風に乗ってふわふわと遠くへ飛んで行った。
ほっこりと「いい日」今日もありがとうございました。
今日も夏日となる。午後から爽やかな風が吹いてくれた。
午前中の川仕事の間は無風状態ですぐに暑くなる。
「暑い、暑い」と言いながらせっせと頑張っていたけれど
「もう暑いって言うな」とじいちゃんに叱られてしまった。
じいちゃんも暑いのを我慢して頑張っていたのだろう。
本気で怒っているのではないのがわかっていたので
「暑いもんは暑いわ」と笑って言ったら「我慢せえや」と笑った。
そんなやりとりもあったりで今日も楽しく収穫に精を出す。
午後は箱詰め作業を少しだけ。昨日に引き続き「ゆっくりしよう」と
おかげで久しぶりにお大師堂へお参りに行けた。
お供えのお菓子が空っぽになっていて手ぶらで来たのが残念。
明日もお参りに来よう。お供え物のないのはやはりさびしい。
少しだけ土手の道を散歩する。チガヤの白い穂がちろちろと
風に揺れていてとても可愛い。
またゆっくり散歩が出来る日がきっと来るだろう。
もう少しあと少しゴールに向けて明日も頑張ってみよう。
2018年04月28日(土) |
たまにはゆっくりしよう |
少しひんやりの朝だったけれど日中は暑いくらいに。
早朝からの川仕事を終えて半袖Tシャツで過ごす。
いつもならすぐに山里の職場へ走っていたけれど
今日はお休みをいただいていたのでとても楽だった。
久しぶりにゆっくりと買い物。
時間の余裕があるというのはほんとうにありがたい。
午後は海苔の箱詰め作業を。ラジオを聴きながら
じいちゃんとあれこれおしゃべりしながら手を動かす。
今日は一箱だけ。10キロの大きな箱だった。
GW明けにはまた出荷になっていて少しずつこつこつの作業。
3時には作業を終えて「たまにはゆっくりしよう」と。
今日はなんとも楽ちんで身体に優しい一日になった。
孫たちはお婿さんの実家で預かってもらっていて
夕方元気に帰って来る。公園で遊んだそうで日焼けしていた。
夕飯までに眠くなっためいちゃんがすこぶるご機嫌ななめ。
かんしゃくを起こして泣きわめきそれはすごい有り様。
抱っこすると大暴れ。ずっしりと重い。いつのまにこんなに重く。
赤ちゃんの時のように寝かしつける事も出来なかった。
そんなめいちゃんもなんとか夕飯を食べるとケロッと笑顔に。
よかった、よかった。おばあちゃんは笑っているめいちゃんが好きよ。
今日も平穏無事。「いい日」だったなあって思う。
曇りのち晴れ。爽やかな風がとても心地よく感じる。
久しぶりにゆっくりの朝。時間の余裕がとてもありがたい。
じいちゃんが定期の通院日だったので川仕事はお休みに。
朝の山道も久しぶりでゆっくりと職場に向かう。
世間はGWとかで月末の仕事をせっせとこなす。
母の居ない月末は連続して6回目。
我ながらよく切り抜けたと思う。
とにかくやれるだけの事をと精一杯頑張って来た。
午後、小学生の時に仲良しだった友が帰省している知らせ。
会いたくてたまらなくなって職場を抜け出していた。
ほほ50年ぶりの再会だった。ふたり抱き合って涙ぐむ。
目元が子供の頃と変わらず懐かしさで胸がいっぱいになる。
嫁いでから埼玉に在住しているとのこと。あまりにも遠いけれど
またきっと会おうねと誓い合った。長生きしようねと。
「ばいばい」と子供の頃のように手を振って別れる。
涙がほろほろと流れる。嬉しいけれどなんともせつない。
ほんとうに思いがけずに「いい日」をいただいた。
ありがとうございます。忘れられない一日になりました。
少しひんやりの朝。日中も爽やかな風が吹き過ごしやすい一日。
今日も川仕事を終えるなり山里の職場へ走る。
出来る事を精一杯に。今日も心地よい疲れだった。
山里で見つけたこでまりの花。昔からとても好きだった花。
思わず足を止めて見上げる。なんだかとても懐かしく感じる。
二十歳の頃だったか詠んだ一句をふと思い出す。
指さきにこでまり散りし白い夢
40年以上の歳月が流れてもしっかりと憶えている。
あの頃なにを失ったのだろう。なにも思い出せないと言うのに
「半分青い」NHKの朝ドラのタイトルみたいな空。
雨上がりの爽やかな風。少しひんやりとそれがとても心地よい。
4時に起床。5時半に朝食。6時には川仕事。
今週はずっとそんな日々が続いている。
山里の職場もほったらかしには出来なくて
かけもちをしながら自分なりに精一杯のことを。
今日はついに弱音を。もう体力の限界を感じる。
けれどもそんな弱音が良かったのかまたやる気が
「はっけよいのこった」の気持ちになる。
気を張って我武者羅に頑張るよりもたまには弱音を
人間ってそのほうがやる気が出てくるのではないかな。
負けても良いのだ。とにかくやれるだけのことをと思う。
気がつけば疲れよりも心地よい達成感が待っていた。
ああ今日も「いい日」だったなあって思える。
おかげで焼酎も美味し。例のごとくほろ酔ってこれを記す。
夜明け前からぽつぽつと雨が。日中はかなりまとまった雨になる。
植物や畑の作物には恵みの雨になったことだろう。雨もまた良し。
雨合羽を着ての川仕事は汗でびっしょりになる。
それも苦にはならず今日もせっせと収穫に精を出す。
例年ならそろそろ海苔が弱り始める頃だけれど
今年はまだ兆しも見えずほっとありがたいこと。
午後は市役所と、定期の病院へ。
死亡届を出した後の手続きのあれこれがやっと終わる。
不思議な事に未だ実感が湧かず、葬儀も夢だったように思える。
病院では待合室のサービス緑茶を二杯もいただき
ふにゃふにゃと腑抜けたようにくつろいでいた。
患者さんはお年寄りが多く、ふと自分はどんな年寄りになるのか
なんとしても長生きをしたいものだとつくづく思ったり。
けれども子供たちに迷惑をかけたくはないなと思ったり。
先の事は何も分からないと言うのに
やはり考えずにはいられないことがたくさんある。
とにかくあした。今夜もぐっすりと眠ろう。
晴れのち曇り。蒸し暑かったのが一気に涼しくなる。
明日はまとまった雨になりそう。
あしたのことはあしたとのほほんと構えている。
早朝からの川仕事を終えて山里の職場へと走る。
川から山へとまるでおとぎ話のような一日。
時間に追われてついつい疎かにしてしまう事が多いけれど
こころだけは忙しくしてはいけないと肝に命じている。
ほっとする瞬間はかならずある。それも自分次第だと思う。
母の事も気がかりになり弟に電話してみようかと思いながら
仕事中かなと諦める。弟も毎日病院に行くのはとても無理だろう。
母のケイタイは電源が切られていた。まだICUなのだろうと思う。
変わったことがあれば弟が連絡をくれるだろうと
あまり考え込まないようにおとなしく待っていようと思う。
職場の庭に母が育てていたツツジの花が満開になっていた。
小ぶりのツツジで鮮やかな小さな花がとても可愛い。
咲き始めていたのを母は知っていたのだろうかとふと思う午後のこと。
2018年04月22日(日) |
つかの間でも無心になれたら |
今日も夏日となる。全国的に気温が高くなり真夏日の所も。
まだ暑さに慣れるには早過ぎて身体に堪えたことだろう。
夜が明けるなり川仕事へ。ひんやりと涼しくちょうど良い。
海苔の収穫もラストスパートになって来て
とにかく最後の最後までと精を出す。
あと一週間が勝負だと思う。なんだか早過ぎるようなゴール。
海苔の寿命が尽きるのはいつも突然のことで覚悟をしている。
「今日も採らせてもろうたな」とじいちゃんと微笑み合った。
毎日の恵みにただただ感謝するばかり。
天日干しの後、休む間もなく箱詰め作業に追われる。
次の出荷日がもう決まっているので一箱でも詰めておきたい。
一段落してから一週間ぶりのお大師堂へ。
土手には野アザミの花。川辺には野バラが咲き乱れていた。
風に煽られて揺れる花々。うまく写真が撮れず諦めてしまう。
おひさまの光をいっぱいに浴びてキラキラと光る川面もきれい。
ゆっくりと手を合わせた。つかの間でも無心になれたような。
川の水を汲んで来て手水鉢の水を入れ替えてすっきり。
穏かな一日でした。ありがとうございます。
2018年04月21日(土) |
ほっこりと微笑みながら |
連日の夏日。爽やかな風のありがたいこと。
川仕事に精を出しながら心地良い川風と戯れていた。
姑さんの初七日。葬儀の日に繰り上げ法要を済ませていたけれど
精進料理のお膳をお供えして家族皆で手を合わす。
もう初七日なのかと口々に。ほんとうに早く感じる。
四十九日の法要は三月(みつき)にかかるため
三十五日で行うことに。来月の19日、あっという間である。
その準備も少しずつ始めている。なんだかそわそわと落ち着かない。
もうひとりの母は、月曜日まで待てず今日緊急入院となった。
なんとか一人で列車に乗って病院まで行けたのだけれど
心不全の悪化でICUに入ったとの事、弟から連絡があった。
幸い今のところは命に別状はなく、夕飯も食べられたらしい。
川仕事を優先し母を見捨てるようなことをしてしまった。
なんて薄情な娘なのだろうとつくづくと思う。
いくら母が気丈だと言え列車に乗ってどんなにかしんどかったか。
入院するたびに弟夫婦に任せっぱなし。ほんとうに申し訳ない。
そう自分を責めても何も変わらないと言うのに。
一難去ってまた一難。これも試練なのだと受け止めている。
いっぱいいっぱいのこころに少しでもゆとりが出来るように
とにかく目の前の事を精一杯にやり遂げるしかないのだろう。
お風呂あがりの孫たちがにぎやかにはしゃいでいる。
ほっこりと微笑みながらこれを記す。
2018年04月20日(金) |
あんずるよりうむがやすし |
少しひんやりの朝だったけれど、日中はほぼ夏日となる。
爽やかな風のおかげでずいぶんと過ごしやすく感じた。
一週間ぶりの川仕事。程よい疲れが心地良い。
収穫量も多くなり嬉しい悲鳴をあげていた。
どうかこのまま順調にと願わずにいられない。
午後は母に付き添って病院へ。
ずっと不調が続いていて心配でならなかったけれど
もっと早く病院へ連れて来てあげるべきだったと悔やまれる。
やはり心不全が悪化しており手術が必要とのこと。
来週早々に高知市内の病院へ再入院することになった。
「大丈夫、一人で行ける」と言って聞かない。
どうしたものか、とてもとても複雑な気持ちになる。
あんずるよりうむがやすしと言うけれど今がその時だろうか。
少しひんやりの朝だったけれど、日中は初夏のような陽気。
娘夫婦も今日から職場へ。孫たちも元気に保育園へ。
私とじいちゃんは葬儀の後の雑用などをあれこれと。
それが終わるなり山里の職場へと走る。
明日から川仕事を再開するのでとにかく急ぎの仕事を。
後は母に任せようと思っていたのだけれど
思いのほか母の体調が悪くとても無理に思える。
どうしたものか、どうしたものか、パニックになりそう。
どうしようも出来ないことを考えてもしょうがなく
なるようになるだろうとやっと思えるようになったところ。
どんな日もいただいた一日。ありがたく受け止めようと思う。
明日の風がどうか優しいそよ風でありますように。
爽やかな晴天に恵まれた一日。
姑さんの葬儀を無事に終える。
大勢の人達に見送ってもらって
姑さんもどんなにか嬉しかったことだろう。
じいちゃんもしっかりと喪主を務める。
私も喪主の妻として精一杯のことを。
そうして悲しむ間もない忙しさを与えてもらった。
また明日からゆっくりと日常が返って来る。
すくっと前を向いて歩みだしていかなければ。
2018年04月16日(月) |
とにかく明日のことを |
ぼんやりと霞んだ空から光の雨が降るように
春らしい陽射しが傘は要りませんよと降りそそぐ。
昨夜7時5分、姑さんが静かに息を引きとる。
すやすやと眠るようにそれはそれは安らかな最期だった。
「もう頑張らんでもええぞ、楽になれや」とじいちゃんが
もしかしたらその声を待っていたのかもしれない。
悲しさ辛さ寂しさ。それをつかの間の事にして
一気に慌ただしさが襲って来る。
葬儀の準備が無ければずっと泣き続けていたことだろう。
家族みんなが前を向いている。とにかく明日のことをと。
午後からかなりまとまった雨になる。久しぶりの雨。
どうか降り過ぎませんように。恵みの雨になりますように。
海苔の出荷が近くなり今日は朝から箱詰め作業に精を出す。
ラジオを聴きながらじいちゃんと向かい合って
手を動かしながらあれこれとおしゃべりをしたり。
肩の凝る細かい作業だけれど苦にはならず楽しく感じる。
「やったらやっただけのことはあるぞ」とじいちゃんが。
私もそう信じたい。きっときっと報われるだろう。
昨日からあれこれ。あえて書き記すことをしなかったけれど
母のことで心配事があってさっき電話をしてみたけれど
20回コールをしても母の声が聴こえなかった。
ざわざわと胸騒ぎがしてなんだか落ち着かない夜。
2018年04月13日(金) |
今日の気持ちをそのままに |
少しひんやりの朝だったけれど
日中は良く晴れて春らしい暖かさとなる。
見るものすべてがきらきらと眩しいほどに輝いていた。
いろんなことがあった一日だったけれど
どんな日もあって良しといつも思う。
ひとつひとつ受け止めて感謝しよう。
そう自分に言い聞かせている。
あれこれと書き綴っていたのをいま
デリートして削除した。
すべてを書き残す必要はないように思う。
もう思い悩むのはよそう。
今日という日を全う出来てほんとうに良かった。
柿の木の若葉があまりにもきれいだったので
今日の気持ちをそのままに
よく晴れて日中は暑いくらいの陽気になる。
黄砂だろうか、川向の山が少し霞んで見えていた。
姑さん小康状態のまま頑張ってくれていて
今日も予定通りに川仕事に。
自分達も頑張ろうと精一杯のことを。
毎日のこつこつがきっと報われると信じて。
早朝からの収穫を終えて川船に乗ると
船を操つるじいちゃんがとても頼もしく見えた。
今日こそはと写真を撮っていたら照れくさそう。
ああ好きだなって思う光景、私はとても嬉しかった。
作業場まで戻り天日干しの作業を終えるなり山里の職場へ。
今週はずっとそんな日々が続いていてけっこうハード。
でもそんな忙しさを楽しんでいる自分がいた。
体力勝負なのか、ならば勝負してやろうと気力で立ち向かう。
身体はとても疲れているのだけれど心だけはとても元気だった。
今日もしんどそうな母。風邪を引いてしまったのだろうか
熱が出ていてそれなのに無理をして出勤して来ていたようだ。
さすがに今日は弱音を吐いて自分から病院へ行くと言ってくれる。
「大丈夫、一人で行ける」と。はらはらしながら母を見送る。
仕事が忙しくその後は母に電話することも出来なかった。
気がつけばもういっぱいいっぱいの自分だった。
2018年04月11日(水) |
きれいな虹が見えた日に |
早朝には雨が降ったけれど、日中は陽射しがあり少し蒸し暑くなる。
姑さんが頑張ってくれているおかげで今日も川仕事へ。
川船で漁場に着くなり空にきれいな虹が見えた。
思わず歓声をあげていたら「子供みたいな」と
じいちゃんに笑われて一緒に空をみあげる。
そんなささやかなことがほっこりと嬉しかった。
順調に川仕事を終えまた山里の職場へと走る。
道ばたに咲いている花。山の木陰に咲いている花。
見つけては車を停めてのんびりの出勤。
急がず慌てず、そんな時間の余裕が心の余裕に繋がるような。
母は今日もしんどそう。でも決して弱音を吐かない。
そしてとても穏やか。私が何かするたびに「ありがとう」と。
なんだかそれがくすぐったいけれど嬉しくてならなかった。
午後は近くの喫茶店に出掛けて行く。友達とコーヒーを飲むって。
ずっとそんな時間もなく働きづめだったことを思い出す。
母にとってはとても必要な時間なのだなと改めて気づいた。
帰宅したらお休みだった娘が、子供たちと病院へ行っていて
「ひいばあちゃんがわらったよ」とあやちゃんが。
微笑みながら涙を流していたことを娘がおしえてくれた。
ひ孫の声を聞いて嬉しかったのだろう。意識はしっかりとある。
何度も何度も押し寄せて来る波にのまれないよう
姑さんは必死の思いで立ち向かっているのだろう。
負けるもんか、負けるもんかと。
春らしくちょうどよいくらいの暖かさ。
あちらこちらに春の花が咲いていて
ひとつひとつ写真を撮れないもどかしさ。
自分の目がそのままカメラになればいいなあと思う。
姑さん小康状態のまま頑張ってくれている。
おかげで今日も川仕事に行くことが出来た。
「おまえたちも頑張れよ」そんな声が聞こえた気がする。
じいちゃんとふたり今日もやれるだけのことを。
来週の月曜日が二回目の出荷日。
なんとか目標を達成できそうになった。
川仕事を終えるなり今日も山里の職場へ。
休む間もなくで身体はとても疲れているけれど
気が張っているのか弱音を吐くこともなかった。
我ながらよく頑張っていると自分をほめてあげたい。
母がとてもしんどそう。仕事はほとんど出来ずぼんやりとするばかり。
また心不全の前兆ではないかとはらはらと心配する。
同僚にもしもの時は救急車をと頼んで後ろ髪を引かれるように帰った。
姑さんと実母とふたりの母のことで頭がいっぱいになる。
帰り道、先日見つけていた「ぼたん桜」が
まだ散り急ぐこともなくきれいに咲いていた。
それだけで、ああ今日も「いい日」なんだなあって思った。
今朝も少し冷え込んだけれど日中は暖かくなる。
風があったけれど微笑むおひさまのありがたいこと。
真夜中に電話も鳴らず無事に朝を迎える。
夜が明けて義妹に電話をしてから川仕事へ。
昨夜から悪くもならず良くもならずとのこと。
しばらくは様子見するしかないようだった。
義妹に任せっぱなしでほんとうに申し訳ないけれど
自分たちはとにかく目の前の事に精一杯だった。
幸いここ数日で海苔の生育がとても良くなって
今日は今期いちばんの収穫となる。
順調に収穫が出来てほんとうにありがたいこと。
姑さんが助けてくれているのかもしれないとふと思う。
川仕事を終えてから山里の職場へと走る。
休む間もないけれど不思議と苦にはならなかった。
母がほっとしたように微笑んでくれる。
ひとまわりもふたまわりも小さくなったように見える母。
老婆のように丸くなった背中がとてもせつない。
今日もやれるだけのことを。とても充実した一日だった。
帰宅してふと家の裏手を見ると山吹の花が西日を浴びていた。
毎年咲いていただろうに今まで気づかなかった。
2018年04月08日(日) |
誰にもわからないこと |
昨日からの寒の戻りで今朝はぐんと冷え込む。
そうして少しずつ冬はまた遠ざかっていった。
今日も日常の事を。早朝より海苔の収穫に精を出す。
朝陽がきらきらとまぶしい。そしてなんともいえない清々しさ。
川仕事を終えてから姑さんのところへ。
意識はまだ薄っすらだけれど目を開けているとのこと。
ほっと安堵しながらとにかく会いたいと駆けつけていた。
じいちゃんとふたりで話しかける。かすかに反応がある。
もう大丈夫と思った。すごいすごい頑張り屋さんの姑だもの。
2時間ほど付き添っていて帰宅してからだった。
夕方になり義妹から電話があり、また容態が急変した知らせ。
取り急ぎじいちゃんと近所に住む義弟が駆けつけて行った。
血圧が測定できないほど低くなっているらしい。
ほっとしたのもつかの間の事。またざわざわと落ち着かない夜。
先ほどじいちゃんが帰って来て後は義妹に任せたとのこと。
今夜を乗り越えられるのか、誰にも分らないことだった。
こころを落ち着けて夜中に電話が鳴らないことを祈りつつ
いつものように眠りたいと思う。
4月になってまさかの寒の戻り。北西の風がとても強く
冬が忘れ物を取りに帰って来たような一日。
今朝も姑さんの容態が落ち着いていて
みんなで話し合い日常の事に励むことになった。
「もしもの時にはその時よ」と言い合ったり。
我が家も川仕事へ。電話が鳴らないことを祈りつつ
じいちゃんとふたりやれるだけのことを。
姑さんも頑張ってくれている。自分たちも頑張らなくては。
義妹も今夜は家に帰ってゆっくりすることに。
夜も付きっきりでどんなにか疲れていることだろう。
いつもと変わらない夜のようでいて
やはり姑さんのことばかり考えている。
お風呂上がりの孫たちがとてもにぎやかで
微笑むことが出来るのはほんとうにありがたいこと。
寒い一日だったけれど冷たい風に負けずに春も頑張っている。
花は咲き、木々は緑の葉が芽吹き。つばめは大空を飛び交う。
冬はいったい何を忘れていたのでしょうか。
雨と風が強くまた春の嵐のような一日。
早朝、病院にいる義妹から電話があり
姑さんの様態が少し落ち着いてきたとのこと。
やはり昨夜が峠だったのか。
頑張り屋さんの姑が無事に峠を越えたのか。
とにかく良かったと皆で胸を撫で下ろす。
今夜もう一晩付き添って様子を見るという義妹に代わって
夕方から病院へ行っていって先ほど帰ってきたところ。
娘とはいえ義妹ばかりに負担をかけるわけにはいかない。
長男の嫁なのだからと自分に言い聞かすばかり。
義妹に後を任せて家路を急ぎながらとても複雑な気持ちになった。
嫁いだ時からずっと厳しかった姑のことばかりを思い出す。
辛かったこと悲しかったことばかりに押し流されてしまう。
そんな自分が歯がゆくてならない。そしてとても情けない。
今夜は甥っ子が彼女さんと一緒にお見舞いに来てくれて
「おばあよ、目を開けれや、嫁さん連れて来たぞ」って
そうしたら姑さんの顔が一瞬微笑んだように見えた。
一生懸命に目を開けようとしている。口を動かそうとしている。
ちゃんと聞こえている。かすかでも意識があるのだとわかる。
重い空気の病室に希望の光が差し込んだような一瞬だった。
桜はもうすっかり散ってしまったと思っていた今日。
思いがけずに見つけた「ぼたん桜」
雨に打たれながらも微笑んでいるように見えた。
2018年04月05日(木) |
ざわざわとこころがさわぐ |
久しぶりに雨が降った。やわらかで優しい雨。
木々の新芽も嬉しそうに手を伸ばす。今日は「清明」
川仕事に行き川船から下りるなり義妹から電話。
入院中の姑さんの様態が急変したとのこと。
大急ぎで引き返し病院へ駆けつけていた。
ずっと覚悟はしていたけれど
このところ様態が落ち着いていて安心していたところ。
今朝はいつものように看護師さんに「おはよう」の声も。
そのあと急に呼吸困難に陥り意識が薄れてしまったようだ。
枕もとで声をかけることしか出来ないもどかしさ。
「がんばれ、がんばれ」と聞えているのか少し反応がある。
でももう目を開けることも出来ず憐れでならない。
今夜が峠かもしれないと。それはお医者様にもわからないらしい。
義妹が付き添うことになり先ほど病院から帰って来たところ。
ざわざわとこころがさわぐ。とにかく今日のことをここに記す。
朝から暖かく今日も初夏の陽気となる。
そよ吹く風のなんとありがたいことだろう。
今日は保育園の入園式、孫たちは新しいクラスになる。
めいちゃんは赤組さん。あやちゃんは年長の青組さん。
終わるなり家庭訪問があって娘は大わらわだったよう。
ふたりとも人事異動で新しく来た保育士さんが担任になった。
すぐに慣れて楽しい毎日を過ごしてくれることだろう。
川仕事の後の作業を早めに切り上げてのんびりの午後だった。
甲子園の決勝戦を観たり、夕散歩にも行けて良かった。
余暇があるということはとてもありがたいことだなと思う。
娘と孫たちとお大師堂へ。日捲りの暦が一日のままだった。
Sさんどうしたのかな。体調でも悪いのかしらと気になる。
手水鉢の水も濁って少なくなっていて川の水を汲んできたり
娘と孫たちは石段とあたりの掃き掃除をしてくれる。
綺麗になってほっとする。お大師さんにご無沙汰を詫びながら。
これからもささやかに自分に出来る事をしていきたいと思う。
「あかめ道」を駆け上がる孫たち。「待って待って」と追いかける。
その坂をのぼるととてもきれいな夕陽が見える場所。
朝から暖かく日中はすっかり初夏の陽気となる。
半袖で保育園に行く孫たち。
桜の花もまだ少し残っていて春なのか夏なのか。
川仕事も今日から麦わら帽子を。
薄っすらと心地よく汗を流した。
山里の職場のこと、母のことも気がかりだけれど
今日は川仕事だけに専念することに。
午後は干しあがった海苔の箱詰め作業。
二週間後の出荷。それなりに目標を決めている。
なんとしても目標達成をしたいと思いながらも
やれるだけのことをやってみようと思ったり。
どんな結果になろうと精一杯でありたいものだ。
3時には作業を終えられたので少しだけお散歩。
なぜかお大師堂に行く気にならず。ごめんなさいのきもち。
少し歩いただけで足がとても怠くなる。無理はしたくない。
ご近所さんの芝桜がとても綺麗に咲いていて思わず歓声を。
以前は紫陽花を植えていた場所で毎年楽しみにしていたのだけれど
去年だったか根っこごと掘り起こされて無残に捨てられていた。
その時「どうしてこんなことを」と哀しく思っていたのが嘘のよう。
紫陽花の季節を待たずに素晴らしく綺麗な芝桜を見せてもらった。
写真を撮らせてもらったら自分の影も。
かなりふっくらとしているのもご愛嬌かな。
今日も「いい日」でした。ありがとうございます。
2018年04月02日(月) |
こころがまあるくなる |
おひさまと春風がとても優しく感じた一日。
こころがまあるくなる。夜明け前に仰いだ月のように。
川仕事を終えて山里の職場へ。
久しぶりに母に会った。
顔を見るなりなんだか涙が出そうになる。
なんとやつれていることか。
目は落ちくぼんでいてげっそりと痩せていた。
掛ける言葉も見つからずやっと「おかえりなさい」と。
にっこりと微笑む母に今まで感じたことがないような
愛しさが込み上げて来て胸が熱くなる。
笑顔には笑顔が返って来る。優しさには優しさが返って来る。
今日ほどそれを実感した日はなかったように思う。
今日のこのきもちを忘れてはいけない。
とてもとても遅くなってしまったけれど
親孝行がしたい。母の娘であり続けたいと思う。
暑からず寒からず今日もちょうどいい感じの春。
三月はあっという間に去り、今日から四月になった。
少しお休みしていた川仕事を再開。
もう次回の出荷日が決まっていて「休むわけにはいかんな」と。
わずかの収穫量でもこつこつと少しずつ貯金をするように。
大潮ですごい勢いで潮が引いていく。さすがに春の潮。
そんな潮に追われるように今日も精一杯の収穫だった。
作業場まで帰り天日干しの作業をしながら
「あと10年かな」とじいちゃんとこの先のことを語り合う。
欲張りかもしれないけれど、希望を持ち続けていたいものだ。
夕食は日曜日の定番「鉄板焼き」みんなでわいわいと楽しい。
めいちゃんが「きょうはおばあちゃんとおふろはいりたい」と。
「じゃあ、あやもはいる」と三人でそれは賑やかなお風呂。
泡ビオレでふたりのからだをなでなでして洗いながら
思わずぎゅっと抱きしめたくなるほど愛しさが込み上げてくる。
ふたりともおおきくなったなあ。ぷりんぷりんのお尻が可愛い。
今日もこんなに「いい日」をありがとうございます。
ささやかな日々です。それがどれほど幸せなことでしょう。
|