とうとう弥生三月もお終いの日。
日々てくてくと歩いて来たつもりだけれど
気づけば駆け足で走り抜けたような三月だった。
そんなに急いでどこに行くと自分に言い聞かす。
山里に向かう朝の山道。今朝もたくさんのお遍路さん。
またひとり、またひとりと数えていると10人も。
声を掛けたいと思っていてもタイミングを逃してしまう。
会釈を繰り返しながら後ろ髪を引かれるように追い越して行く。
仕事を始めるなり弟から電話があり、母の退院の知らせ。
予定よりも長引き今回は20日ほど。
通算すると一年の三分の一を病院で過ごしていることになる。
そう思うと母がとても憐れに思えてならなかった。
このまま親不孝な娘でいるわけにはいかない。
私はとても大切なことを見失っていたのだと思う。
仕事の合間に庭に出て春の陽射しを浴びていたら
母が以前から「可愛い」と言っていた野すみれがたくさん咲いていた。
あちらこちらに咲いていたのを母が寄せ集めて植えていたのだった。
ああ真っ先に見せてあげたいとこころからそう思う。
昨日の季節外れの暑さは日本一だったらしい。
今日はほぼ平年並みになりちょうどいいくらいの春。
爽やかな風が吹き桜の花がとうとう散り始めてしまったけれど
桜吹雪も好きだなと思う。はらはらはらと儚いけれど。
今朝の山道ではたくさんのお遍路さん。
声をかけることは出来なかったけれど車の窓から会釈を。
一人でも気づいてくれて微笑んでくれるととても嬉しい。
颯爽と歩く姿に今朝もたくさん元気をいただいた。
月末の仕事を終えてほっと帰宅。
やっとお大師堂に行くことが出来てよけいにほっとする。
お参り仲間のいとこに会ってしばし語らっていた。
川仕事仲間でもあり「なんとかなるかな」といとこも。
いとこも私とよく似ていてくよくよしていたらしい。
夕方には土手の上に外国人のお遍路さんが二人。
娘が見つけて教えてくれて走って会いに行っていた。
ニュージーランドからのまだ若い青年達だった。
日本語はほとんど通じず例のごとくで身振り手振り。
お大師堂に荷物を置いてコンビニに夕食を買いに行くところらしい。
「オニギリ、オベントー」ってちょっと愉快な会話。
私は「グッドレスト」「グッドラック」しか言えなかったけれど
ちゃんと伝わったのか二人とも笑顔でうなずいてくれて嬉しかった。
今日もこんなに「いい日」をありがとうございました。
2018年03月29日(木) |
咲いた咲いたチューリップ |
最高気温がまさかの27℃。まだ三月だと言うのにびっくり。
春はつかの間で一気に夏が来たようでなんだかとまどう。
夕風をたのしんでいるうちに日が暮れてもう夜風になったところ。
今日からしばらく川仕事はお休み。
この暖かさで海苔の生育が良くなる可能性もあり
じいちゃんが「しばらく様子を見よう」と。
どうかどうか少しでも育ってくれますように。
くよくよしないと心に決めてからずいぶんと気楽になった。
何があってものほほんと笑顔でいればきっと良い事がある気がする。
山里の仕事も忙しく、今日はずいぶんとはかどった。
ひとつひとつやっつけていく心地良さ。この仕事がやはり好き。
欲張りな事だけれど川仕事と一緒で天職だと思える。
帰宅して洗濯物をたたんでいたら娘と孫たちが帰って来た。
あやちゃんもめいちゃんも日焼けしてほっぺが真っ赤。
「アイス〜」と冷蔵庫へまっしぐら。
「ばあちゃんも〜」って叫ぶとあやちゃんが持って来てくれた。
冷たいアイスがとても美味しい。季節外れの暑さも良いものだ。
今日も平穏無事。笑顔の一日をありがとうございました。
今朝は久しぶりに孫たちを保育園へ送って行って
園庭に咲くチューリップにほっこりの朝だった。
2018年03月28日(水) |
くよくよするな、なんとかなる |
昨日よりも今日とぐんぐんと気温が高くなり
まるで初夏のような陽気となる。
する仕事があることはありがたいことと
今日も早朝から川仕事に行っていたけれど
もう一通り収穫を終えていて残されたわずかの海苔。
そんな海苔を収穫しているとなぜか涙がこぼれてくる。
むなしいのか辛いのか自分でもよくわからなかった。
ひどく追い詰められたような気持ちだったのかもしれない。
これが試練なのかと思う。精一杯頑張って来たつもりだけれど
まだまだ試練が足らないと言うのだろうか。
もっともっと苦労をしろと天の声が聴こえるような気がした。
36年間、この仕事を頑張って来て涙が出たのは初めてのこと。
「くよくよするな、なんとかなる」じいちゃんの頼もしい声。
気を取り直して山里の職場へ。
これも自分に与えられた仕事だとありがたく受け止めている。
目の前の仕事を少しずつやっつけながらふと気づいた。
もし海苔が豊漁だったらとても二足のわらじは履けなかっただろう。
こうしてどちらの仕事もちゃんと出来るようにしてくれたのかも。
決して神様に見捨てられたわけではないのだと改めて思う。
だとしたらこんなにありがたいことはないのではないか。
外回りの仕事があり通りがかりの神社の前に車を停めていた。
こうして桜の花を愛でる心の余裕もあったのだ。
今日も「いい日」でした。ありがとうございます。
2018年03月27日(火) |
やれるだけのことをやった |
春を通り越してまるで初夏のような陽気。
満開の桜の花がきらきらと輝くようにきれい。
早朝より川仕事。それから海苔の初出荷だった。
出荷量には個人差があり今年は特にそれが目立つ。
「うちがいちばん少なかった」と苦笑いするじいちゃん。
どんな年もあるものだ。去年はいちばん多かったような。
私もじいちゃんも人と競い合うのが好きではないので
やれるだけのことをやった結果だと胸を張っていよう。
11時前には山里の職場に着いていた。
年度末で駆け込みの廃車手続きに追われる。
社長の義父も手伝ってくれてやれるだけのことを。
忙しいけれど苦にはならず、とても遣り甲斐を感じる。
帰宅したらもう孫たちが帰って来ていた。
あやちゃんの乳歯が一本抜けたとのこと
「それはめでたい」と今夜はお祝いをする。
赤ちゃんの時に初めて生えた歯だと思うと
なんとも感慨深く成長がとても嬉しく思う。
「おばあちゃん見て見て」とにかっと笑って見せてくれた。
今日もとても「いい日」でした。平穏無事でありがたいこと。
ひんやりの朝だったけれど、日中は汗ばむほどの陽気。
週間天気予報によると今週は夏日になる日もあるそうだ。
朝から海苔の箱詰め作業に精を出す。
ラジオを聴きながらの作業も良いもので
せっせと手を動かしながら番組の感想をあれこれ
普段はラジオを聴かないじいちゃんも
「この番組はいいな」と言って私と意気投合したり。
ふたりで頑張ったかいがあり午後二時には出荷の準備が整う。
昨年よりもずいぶんと少ないけれど心地よい達成感があった。
欲を言えばきりがなく「じゅうぶんだね」と微笑み合う。
もう山里の職場へ走る余裕もなく後はのんびりと過ごす。
ゆっくりと桜(染井吉野」も愛でることが出来た。
風があって桜の花が揺れているのをなんとか写真におさめる。
保育園から帰って来た孫たちとお散歩にも行けて良かった。
今日も穏やかで「いい日」ありがとうございました。
2018年03月25日(日) |
あしたがあるあしたがあるさ |
お彼岸が明けるのを待っていたかのようにとても暖かくなる。
早朝はまだひんやりと肌寒かったけれど
川船に乗って見た朝陽は燃えているように紅くきれいだった。
8時には漁を終えて作業場まで帰って来ていて
あやちゃんがお手伝いをするのだと言って遊びに来てくれる。
海苔に小さな海老が混ざっていて見つけては喜んでいた。
ふと子供達が幼かった頃を思い出すような光景。
もう36年目の春なのか。随分と歳月が流れたけれど
作業場でおりこうさんで遊んでくれていたことが懐かしい。
午後は出荷の準備で干しあがった海苔を小さくほぐして箱詰めに。
干す前に見つけては取り出していた海老がまだまだ残っていて
すべて取り除かなくてはいけない細かい作業だった。
半日でやっと一箱。なんとしても明後日の出荷に間に合わせたい。
結局、夕散歩もお大師堂にも行けず仕舞いだった。
でもお供えのお菓子はちゃんと買ってこれたので大丈夫。
あしたがあるあしたがあるさと歌うように思っている。
やれるだけのことをやり遂げ、今日もとても充実した一日。
「いい日」だったなあって思う。清々しいきもち。
2018年03月24日(土) |
今日も「いい日」でした |
日中は4月並みの暖かさ。そよ吹く春風がとても心地よい。
今日は保育園の卒園式と終了式があり出席する。
田舎の小さな保育園ならではでほのぼのとした雰囲気。
わずか13名の卒園児。涙する子もいてもらい泣きする。
たくさんの思い出がこみ上げてきたのだろう。
とても純粋な涙。幼いこころがとても愛しく感じる。
終了式ではあやちゃんもめいちゃんも記念品をもらって嬉しそう。
あやちゃんは4月から年長組になる。5月にはもう6歳だった。
すくすくと元気に成長している孫たちの姿がとても愛しい。
午後は孫たちをじいちゃんに託して山里の職場へ。
急ぎの仕事だけ済ませて早めに帰宅出来たけれど
じいちゃん保育士さんはくたくたに疲れていたようだ。
めいちゃんと久しぶりにお大師堂へ。
お大師さんにご無沙汰を詫びながらゆっくりと手を合わす。
Sさんやお参り仲間さんのおかげで保たれていることに感謝。
お供えのお菓子をめいちゃんがご馳走になったので
明日はお菓子をお供えしようと思う。きっと忘れずに。
お大師堂の桜もほぼ満開になっていた。
川面に手を伸ばすように咲いていてこころが和む。
2018年03月23日(金) |
こんなもんでしょうと |
霜注意報が出ていた朝。冬が戻って来たような寒さだった。
潔く去れない冬のうしろ姿を見たような気がする。
早朝より山里の職場へと走る。
昨日やり残していた仕事がとても気になっていた。
社長の義父がエアコンを点けていてくれてありがたいこと。
3時間ほどでやっと一段落して今度は川仕事へと走る。
「忙しい」と自分に言い聞かせてはいけないとつくづく思う。
「こんなもんでしょう」と思うと少しも苦にはならない。
やれるだけのことを精一杯やり遂げると心地良い達成感が待っている。
おかげでとても充実した一日をいただいてありがたいこと。
川仕事も順調だった。今日は今までで一番多い収穫量。
3時過ぎに作業を終えて買物に行っていたら
スーパーの近くの公園に桜の花がたくさん咲いていた。
染井吉野は8分咲きくらいで満開までもう少し。
ひと足早く満開になっていた桜は大島桜だろうか。
純白の花に緑の葉がとても鮮やかで綺麗だった。
ほんのつかの間だったけれど愛でることが出来て良かった。
こころがほっこりとまあるくなったような午後のこと。
北風強く寒の戻り。いや「花冷え」と言うべきか。
まだ満開ではないけれどあちらこちらに咲き誇る桜。
ゆっくりとそんな桜の木の下を歩いてみたいものだ。
今日はやっと海苔の収穫が出来る。
順調に行けば来週の出荷に間に合うかもしれない
そう思うと欲も出て来て少し気合が入る。
とにかくやれるだけの事を精一杯にと思う。
午後は山里の職場へ。着いたらもう3時になっていた。
急ぎの仕事があって今日中に終わらせなくては。
5時半にやっと一段落する。ほっとして帰路に着いた。
早目に帰っていた娘が夕食を作ってくれていて大助かり。
めいちゃんが笑顔で「おばあちゃんおかえりなしゃい」って
思わずぎゅっと抱きしめたくなるほど嬉しくてならない。
疲れたと口にこそ出さなかったけれどとても癒されていた。
元気でいられるのは家族みんなのおかげだとつくづく思う。
今日も平穏無事。それが何よりの幸せ。
いただいた一日を全う出来てなんとも心地良い充実感だった。
この春何度目の「春の嵐」だったのだろう。
朝から大荒れの暴風雨となり怖いほどの春雷も。
関東では「なごり雪」のニュースが流れる。
潔く去れない冬のうしろ姿のようだ。
日暮れ間近に嵐が去り嘘のように静かになった。
孫たちが「おへそあるかな」と確認する微笑ましい姿。
今日はさすがに川仕事はお休み。
作業場で少しだけ海苔の箱詰め作業を。
来週にはもう初出荷だけれど例年の半分もない。
我が家の家計はどうなることやら不安が募るけれど
「なんとかなるなる」とじいちゃんと励まし合う。
夕飯はあやちゃんのリクエストでポテトサラダを作る。
最近お料理に興味が出て来ためいちゃんが手伝ってくれて完成。
茹で卵の黄身を裏ごししてくれて綺麗なポテサラになった。
みんなの美味しい顔がばあちゃんはとても嬉しい。
2018年03月20日(火) |
心を亡くさず心を荒らさず |
「桜雨」「花冷え」そんな言葉がふと浮かんできたり。
少し冷たい雨が今もしとしとと降り続いている。
朝のうちに川へ行っていたけれど収穫が出来ず。
海が大荒れのおかげで藻屑が波に押し寄せられて
海苔網にたくさん付着していた。残念だけれど
これも自然相手の事と潔く諦めて帰って来た。
「今日も休めってことだな」とじいちゃんが。
早目に昼食を済ませてまた山里の職場へと走る。
「忙しい」は心を亡くす。「慌ただしい」は心を荒らす。
決してそうであってはいけないといつも肝に銘じているつもり。
疲れたと口にする事さえも今は許すつもりはなかった。
とにかくやれるだけのことを精一杯やり遂げたい気持ちでいっぱい。
そんな気持ちでいるととても清々しく毎日がとても充実している。
心地良い達成感。「今日もよくやった」と自分をほめてあげる。
肝心なのは頑張り過ぎない事。張り切らない事だと思う。
自分の身体はなんとしても自分で守ってあげなくては。
夕食後お風呂に入ったら思わず「ああ、気持ちええなあ」って声が。
心地良くここちよくわたしは生きています。
菜種梅雨だとか。朝からずっと雨が降り続いている。
季節ごとの日本の言葉って好きだなって思う。
雨に潤う菜の花もしっとりと健気に咲き誇る季節。
今朝も「雨が降ったら休もうな」とじいちゃんが言ってくれて
潮待ちをしている間にぽつぽつと雨が降り始めた。
月曜日だったので山里の職場がとても気になっていたので
これ幸いと言っていいのか、山里へと車を走らせていた。
弟から電話があって母が週末には退院できそうとのこと。
今日は主治医の先生から病状の説明があって弟夫婦が行ってくれていた。
その後、母と話していたらもの凄い暴言の嵐だったようで
弟夫婦も我慢の限界だったよう。「もう嫌だ」と嘆く弟。
ほんとうに申し訳ない気持ちでいっぱいになった午後のこと。
仕事を終えて買い物を済ませたところに今度は息子から電話。
一難が去らずうちにまた一難なのか。なんとも心が痛むばかり。
何事もすべて与えられた試練なのだと思う。
「はっけいよいのこった」まるでお相撲を取っているような気分。
かかってこい勝負してやる。私は決して嘆きたくはない。
弱音を吐いて泣き言ばかりでは乗り越えられないのが試練だと思う。
あたえられた試練をありがたく受け止めなくてどうする。
あれこれとあったけれど、平穏無事としよう。
いただいた一日。今日もありがとうございました。
桜はまだぽつぽつの四万十だけれど
「花曇り」と言ってみたくなるような空。
おひさまはかくれんぼしていたけれどほっこりと暖かい。
今日も午前中は川仕事、大潮で潮が凄い勢いで引いてしまうので
川の水があるうちにとせっせと手を動かす。
薄っすらと汗が。忙しかったけれどとても心地よい疲れ。
午後は少しだけ箱詰め作業。こっくりこっくりと眠くなる。
「もうやめて昼寝するか」とじいちゃんが言ってくれた。
帰宅して横になるなり夕方までぐっすりと寝ていた。
昨日からプチ旅に出ていた娘たちが帰って来る。
一気ににぎやかになった我が家。孫たちの声がとても嬉しい。
家族6人のありがたさをつくづくと感じた夕暮れ時だった。
今日も平穏無事。笑顔のままでいられてありがたいこと。
ほっこりさんまったりさんとほろ酔いつつこれを記す。
写真は今朝の船着き場の近くで見つけた遅咲きの梅の花。
一本の木に紅い花と白い花と珍しくとても可愛かった。
じいちゃんとふたりで見られて良かった。
今朝はまた冬が戻ってきたような寒さ。
昨日の温度より10℃も低かったようだ。
明日は彼岸の入り、「寒の別れ」なのかもしれない。
日中は三月らしい暖かさ。いかにも春らしい陽射し。
収穫して来た海苔を次々に天日干しにする。
完全に乾くまで3日ほどかかるので最後は乾燥機へ。
干しあがるととても良い磯の香りがする。
せっせと作業に精を出していた時、息子から着信アリ。
けい君に何かあったのではと一瞬ドキッとした。
けい君ではなく息子だった。仕事中に気分が悪くなってしまって
早退させてもらえるけれど車の運転が無理だということ。
はらはらと心配。じいちゃんが職場まで迎えに行くことに。
血圧が異常に低くなっていたようだ。疲れがたまっているのでは。
聞けば夜勤の連続のよう。なんとかならないのか介護の現場。
幸いマンションまで帰ると少し落ち着いたようでほっと一安心だった。
じいちゃんが笑顔で帰ってくる。「だいじょうぶやろう」って。
息子よ。どうか頑張りすぎないで。そればかりを願う母だった。
そんなこともあったけれど、今日も平穏無事としよう。
じいちゃん66歳の誕生日、母は80歳の誕生日だった。
2018年03月16日(金) |
雨が降ったら休もうな |
雨のち曇り。雨がやんでから少し肌寒くなる。
桜の便りが届くとかならず「花冷え」もあるものだ。
「雨が降ったら休もうな」と昨夜からじいちゃんが
目覚めたらぽつぽつ雨が降っていて一気に肩の力が抜ける。
じいちゃんは乾燥した海苔の箱詰め作業。
私は山里の職場へ向かう。朝の山道は久しぶり。
今朝はお遍路さんを一人も見かけず少し寂しい。
仕事はとても忙しかったけれど、我ながらてきぱきと
そうして今週の仕事が一段落してほっと肩の荷がおりる。
川仕事とかけもちだったけれどやればできるんだなと思った。
老体に打つムチも自分次第で優しく感じる事が出来るのだろう。
決して弱音を吐かないこと。試されているのだと自覚を持つこと。
帰宅して夕方までコタツムリ。とろりんとろりんとうたた寝。
まるで自分にご褒美をあげているようなひと時。
今日も平穏無事、笑顔の一日をありがとうございました。
まったりと入浴後、ほっこりほっこりとほろ酔ってこれを記す。
2018年03月15日(木) |
こころ穏やかにほっこりと |
今日もとても暖かくなり汗ばむほどの陽気。
高知城の桜が咲いたそうでいち早くの開花宣言。
四万十もすぐに咲くだろう。とても楽しみ。
早朝からの川仕事も8時には薄っすらと汗が。
暖かくなるほど辛くなるけれどへこたれずにいよう。
今日も収穫量が少なく10時過ぎには作業を終える。
早目に昼食を済ませて休む間もなく山里の職場へ。
国道から山道へ、春遍路さんがたくさん歩いていた。
なんと気持ちよさそうに颯爽と歩いていて
清々しさと元気をたくさんいただく。
自転車のお遍路さんは自転車が故障したみたいで困っている様子。
「大丈夫ですか?」と声をかけるとにっこりと笑って
「大丈夫ですよ」って。その言葉を信じて笑顔で別れた。
そのお遍路さんを帰宅途中に見かける。自転車でぐんぐんと
風のように走り抜けて行った。ああ良かったぁってほっと嬉しい。
今日は忘れずに牧場へ立ち寄ったけれど子牛さんが見つからず。
たくさんの牛さんだった。かくれんぼして遊んでいたのかも。
きょろきょろしながら春の花を見つけては写真を撮るのが楽しみなこの頃。
今日は白木蓮の花を見つけてとても嬉しかった。
こころ穏やかにほっこりと。
春を通り越してまるで初夏のような陽気。
保育園から帰った孫たちが「あつい」と言って
半袖に着替えてから遊んでいた。
今日も川仕事を終えてから山里の職場へ。
日に日に慣れて来た感じ、そうしてとても元気。
山道に入る前の国道沿いに菜の花畑があって
ずっと気になっていたのを今日こそはと車を停める。
そんな余裕をこれからも大切に持ち続けたいものだ。
交通量の多い国道、人目を気にしながら撮った写真はいまいち。
でも一面の菜の花がとても嬉しかった。
3時間ほどの仕事。わずかの時間でもとても充実している。
忙しいのがとても楽しい。遣り甲斐があるなとつくづく感じる。
帰り道、何か考え事をしていたのか牧場を通り過ぎていた。
ユーターンしようかと思いつつ、明日があるさとそのまま走る。
昨日の子牛さんが気になる。明日はお母さんと一緒だといいな。
今日も平穏無事。笑顔の一日をありがとうございます。
お風呂上がりに薄っすらと汗が。窓をあけて夜風をたのしんでいるところ。
全国的に4月並みの暖かさだったよう。
雪の多かった地方にもちいさな春が届いていますように。
川仕事と山里の仕事と、やればできるものでなんだか順調。
する仕事のあることがとてもありがたく思える。
少しずつ自信が湧いて来て明日も頑張ろうと思えてきた。
不思議なことにこころはゆったりとしている。
苛立つこともなく焦ることもなくまるで春のようなこころ。
お昼前の山道では外国人のお遍路さんに会えて声を掛ける事が出来た。
言葉はうまく伝わらないけれど笑顔には笑顔が返って来る嬉しさ。
「グッドラック」で良いのかなと思いながら手を振ると
お遍路さんも手を振ってくれて、ああちゃんと伝わったのだと嬉しい。
仕事を終えて帰り道にはまた牧場へ立ち寄っていた。
なんだか良い匂いがするなと思ったら沈丁花の花が咲いていたり。
牛さんは二頭だけで、子牛が座り込んでなんだか寂しそうに見える。
お母さんじゃないのかな。耳に付けられた黄色の札がなんだか切ない。
「またあしたね」って声をかけて後ろ髪を引かれるように帰る。
あした。そう口にするだけでなんだか元気が出て来る。
ゆっくりゆっくり私にも未来があるように思える。
今日も穏やかな一日をありがとうございました。
春のようなこころをぎゅっと抱きしめている夜です。
今朝もひんやり。そうして日中はまたすっかり春の陽気。
冬と春がおしくらまんじゅうをしているようなこの頃。
早朝からの川仕事を終え山里の職場へ向かう。
若い頃にはずっとそうしてしていたけれど
この歳になると体力に自信が持てなくなり
不安で心細くなったりしてしまうものだ。
きっと試されているのだろうと思う。
出来るのか出来ないのか、それならばと
なんとしても乗り越えてやろうではないかと思ったり。
そうして忙しいからとこころまで忙しくしてはいけない。
そう強く思う。だからこそほっとする瞬間が愛しく思える。
峠道を越えて山里の県道を走っていたら
道ばたに可愛らしいラッパ水仙の花がたくさん咲いていた。
毎年咲いてくれていたのかもしれない。
どうして今まで気づいてあげられなかったのだろう。
迷わず車を停めて花に微笑みかけていた。
そんな瞬間がとてもたいせつなひと時に思える。
今日も「いい日」でした。ありがとうございます。
2018年03月11日(日) |
「ふつう」がいちばん |
朝の寒さが嘘のように日中はとても暖かくなる。
昨年よりも遅くなってしまったけれど
今日から青さ海苔の収穫を始める。
生育はとても順調とは言えず
昨年に続き今年も不漁の年になりそうだ。
でも今から嘆いていては海苔に申し訳ない。
自然の恵みをありがたく受け止めて収穫に精を出す。
じいちゃんと励まし合いながら「なんとかなるなる」と。
収穫量が少なく午前中には作業を終えていた。
おかげで午後はのんびりと身体を休ませることが出来る。
2時46分には孫達も一緒に黙祷。
心が痛み、心苦しく思うことはまだたくさんあるけれど
いま自分達に与えられている穏やかな日々をありがたく
うけとめて「ふつう」にしていることが一番に思えた。
暖かさに誘われるように夕散歩。
娘と孫たちも一緒にお大師堂へと向かう。
あやちゃんが木魚を叩きながら「なむだいしへんじょうこんごう」
めいちゃんはお供えのお菓子が無いとつまらなそう。
西日の射し込む暖かなお堂で水筒に入れて来たカルピスを飲む。
お散歩しながらの帰り道、土手には土筆の坊やが背比べ。
河川敷の木には若き緑の新芽が芽吹き思わず足を止める。
今日も平穏無事。それがどんなにありがたことだろうか。
「いい日」でした。ありがとうございます。
2018年03月10日(土) |
寒さなければ花は咲かず |
今朝は真冬並みの寒さ。ちゃんちゃんこを羽織る夜明け前のこと。
そんな寒さもつかの間で日中はすっかり春らしくなった。
どうしても外せない大事な仕事があり今日も山里の職場へ。
今朝も山道でお遍路さんに声をかけることが出来た。
金剛杖ではなく山登りに使う杖、あれは何て言うのだろう。
その杖を両手に持って元気よく颯爽と歩いていた。
私のささやかな一言に「ありがとうございます」と笑顔が。
ありがたいのは私のほうだった。とても元気をいただく。
仕事をしながら母の事ばかりが気にかかる。
月曜日の再入院はなんとか納得してくれたのだけれど
小さな会社とは言え今は私が経営をやり繰りしていて
自分なりに精一杯出来る事をやり遂げて来たつもりだった。
それが歯がゆくてたまらない母の気持ちもわかるけれど
矢を射るように荒い言葉が飛んでくるのが今日はとても辛かった。
いつものことだとさらりと水に流すことが出来ず
ひどく落ち込んでしまって涙が出そうになる。
母に声もかけられずに黙って職場を後にしていた。
帰り道のダム湖の公園まで行ってベンチに座りただただ青い空を仰ぐ。
ちっぽけだなって思った。この遣り切れない思いはいったい何なのか。
ふとまわりを見渡すと、桜の木がたくさん植えられてあって
はっと心が明るくなる。まだ蕾さえも見えないけれど
やがてたくさんの桜が咲いてこころを和ませてくれることだろう。
「寒さなければ花は咲かず」そんな言葉をふと思い出していた。
くよくよと思い悩むのはもうよそう。すくっと立ち上がり家路を急ぐ。
梅の花もそろそろ散り始める頃。それは決して嘆くことではない。
「弥生つめたい風」そんな歌のことをふと思い出した日。
陽射しはたっぷりとあったけれど風が強くとても冷たく感じた。
今朝も山道で男性ふたりのお遍路さん。もう躊躇わない。
すぐに車を停めて声をかけることが出来た。
今日も満面の笑顔をいただく。なんだか贈り物のような笑顔。
「この道で良いのかな」と少し不安になりながら歩いていたそう。
山道に入ると誰しも心細くなるものだろう。声をかけて良かった。
おかげで今日も清々しい気持ちのまま仕事に精を出す。
金曜日は好きなラジオ番組があって、それを聴きたさに
外まわりの仕事ばかりを選んでいた。そのたびにラジオが聴ける。
番組にメールを送っていたのが読んでもらえてすごく嬉しかった。
月曜日に再入院の予定の母が、月曜日ではないと言い張る。
弟に電話して確認したらやっぱり月曜日だった。
それでも母は「月曜日には行かない」と言い張る。
喧嘩にこそならなかったけれど、やはり認知症なのかと複雑な気持ち。
明日また穏やかに説得してみようと思う。「はい、わかりました」と
どうか素直にうなずいてくれますように。
帰宅したらじいちゃんが居なくて、洗濯物が竿のまま飛ばされていた。
あらあらどうしましょうと風の悪戯もなんだか愉快に思える。
強い風のせいにしてお散歩はやめておく。こんな日もあってよし。
出来ることを出来る日に。それがいちばんなのかもしれない。
今日も平穏無事。清々しく笑顔でいられたことが何よりに思う。
あしたはあしたの風が吹く。どうか優しい風でありますように。
2018年03月08日(木) |
大切なことを忘れていた |
また春の嵐か。雨も風も凄く大荒れの一日となる。
孫たちもしっかりと傘をつかんで無事に保育園へ。
大雨の中を突き抜けるように山里の職場へ向かう。
山道で黄色い雨合羽を着て歩くお遍路さんを見つけて
声をかけることが出来た。満面の笑顔が返って来て嬉しい。
ずっとずっと疎かにしていたことが「ああ出来たんだ」って思った。
なんて清々しいのだろう。こんな大切なことを忘れていたなんて。
おかげで仕事中も穏やかでいられたような気がする。
母の暴言も聞き流し、気にならないのがとても不思議だった。
帰る時には笑顔で「また明日ね」ってちゃんと言える。
「ありがとうお疲れさま」母はとても優しかった。
来週にはまた入院する母。きっと複雑な気持ちだろうと思う。
帰宅して雨音を聴きながらコタツムリ。すぐに寝入ってしまう。
娘と孫たちが帰って来てはしゃぎ声がなんだか夢の中のよう。
夕食後、めいちゃんをお風呂に誘ったら「きょうはいや」って。
私が泣き真似をしたらちょっと困った顔をして
「おばあちゃんをなかせてしもうた」とじいちゃんに報告。
私が笑ったらめいちゃんも笑う。なんとも微笑ましい瞬間。
降り続いていた雨もやっとやんでくれて穏やかな夜。
今日も「いい日」をありがとうございました。
2018年03月07日(水) |
おばあちゃんのたまごやき |
寒の戻りだろうか。ひんやりと肌寒い朝。
雲の多い空だったけれど15℃まで気温があがる。
今日は孫たちが遠足だったのでとてもほっとした。
夕方から風が強くなってまたぐんと寒くなる。
明日はまた春の嵐だとか。大荒れにならなければ良いけれど。
遠足から帰った孫たちはとても楽しかったようす。
お弁当の「おばあちゃんのたまごやき」が一番美味しかったと
言ってくれてとても嬉しかった。なんだか舞い上がるようなきもち。
あやちゃんは好きな男の子がいて一緒にお弁当を食べたっかのだそう。
でも男の子と女の子が別れて食べたらしく「ショック」って言って
幼い恋心だろうか。なんだかほのぼのと耳を傾けていた。
先日は「だいすき」って手紙も渡したそうでなんとも微笑ましいこと。
今日も平穏無事、笑顔のままに暮れていきありがたいこと。
あれこれと思い悩むこともなきにしもあらず。
まあいいか。なるようになるさとのほほんとしている夜だ。
二十四節気の「啓蟄」朝は寒の戻りがあり少しひんやり。
でも日中は18℃まで気温があがりとても暖かくなった。
紋白蝶がひらりひらりと飛んでいたりほっこりとこころが和む。
今日は仕事も穏やかに母とも仲良く出来てほっと帰宅。
少し横になろうかなと思っていたけれど
なんとなくお大師堂が気になってそわそわと落ち着かない。
こんな日は行かなくちゃと何かに引かれるように歩いていた。
そうしたらびっくり。先日不思議な再会をしたお遍路さんが
また私が来るのを待っていてくれたのだった。
逆打ちで中土佐町まで行ったところ体調が悪くなってしまって
踵を返しやっとの思いで竹島大師堂まで帰ってきたとのこと。
托鉢をする気力もなく食料は殆ど底をついている様子。
「情けは人の為ならず」という言葉があるけれど
自分に出来る精一杯のことをしてあげたいと強く思う。
私を頼って必死の思いで帰って来てくれたことをありがたく思う。
ほんとうにささやかなことしか出来なかったけれど
目に涙をためて喜んでくれたことがとても嬉しかった。
この先もお遍路を続けるのか、終わりのない旅を続けるのか。
少し真剣に話し合った。とにかく生きなければそれが結論。
そのために出来る事から始めてみようと言う事になった。
故郷には帰らず高知県内に永住したいのだそうだ。
なんとしてもそれを実現させてあげたいと思う。
前回の再会も、今日の再会もとても不思議な縁を感じずにいられない。
ひとは出会うべきして出会うというけれどその言葉を私は信じる。
ちょうど干潮時で川辺の岩に付く青海苔がとても鮮やかだった。
「食べられるのよ」って教えたらさっそく「採ってみよう」と。
今日もとても「いい日」でした。なんとも清々しいきもち。
2018年03月05日(月) |
どしゃ降りの雨にも負けないで |
春雷の朝。「冬が終わったんだな」とじいちゃんが
なんだかほっとするような朝の会話だった。
どしゃ降りの雨になり、なんとか孫たちを保育園へ。
山里に着いてしばらくするとぴたっと雨がやんでくれた。
それからぐんぐんと気温があがり20℃まで。
もわんと暖かい。ほんとうに冬が終わったのだろう。
外回りの仕事があって出掛けていたら
とても綺麗に咲いている梅の花を見つけた。
一度通り過ぎてからユーターンする。
あまりにも綺麗だったから今しかないと思ったり。
どしゃ降りの雨にも負けず頑張って咲いてくれていたのだな。
嬉しくなってこころがとても和むひと時だった。
午後、また母とぶつかる。「もう喧嘩はしたくない」と
告げながらなんともやるせなく悲しい気持ちになった。
尾を引くのはいや。いつまでもこだわるのもいや。
さらりさらり。さっさと水に流してしまうのがいちばん。
帰る時「また明日ね」と声をかけると「ご苦労さま」と母が。
何事も自分次第なのだなとあらためて思った。
今日も平穏無事、ああ「いい日」だったなあってすごく思った。
曇り日、おひさまはかくれんぼしていたけれど
気温が高くなり風もなくほっこりと春らしい一日。
じいちゃんは消防団の火災予防パレードがあって出掛ける。
娘たちも出掛けて行って一人でのんびりと過ごす。
暖かさに誘われるようにいつもの散歩道。
まずはお大師堂へ行ってゆっくりと手を合わす。
ちょうど地区外から来たと言うご婦人たちと一緒になって
初対面だと言うのに意気投合してあれこれとおしゃべり。
以前から時々お参りに来てくれていたことを知り嬉しかった。
帰り道、土手に土筆の坊やを発見。おおっと思わず歓声をあげる。
それから河川敷に早咲きの桜が咲いているのを見つけて駆け寄る。
去年は気がつかなかったけれど、誰かが植えてくれていたのだろうか。
まだ小さな木だったけれどそれは綺麗に咲いていて嬉しかった。
早咲きの桜にもいろんな種類があるようで
帰宅してネットで検索してみたけれど同じ桜が見つからなかった。
梅の花と競い合うように咲いてくれる桜にとてもこころが和む。
今日も平穏無事、笑顔の一日をありがとうございました。
明日は雨の予報。梅の花も桜の花も散り急ぎませんように。
朝は晴れていたけれど午後から雨がぽつぽつ。
菜種梅雨にはまだ少し早い気がするけれど
これから雨の日が多くなりそうだった。
仕事は休めたものの、朝から電話があり
急ぎの仕事が舞い込んで来る。
今日は息子からもヘルプが来ていて
孫たちの事を優先しようと決めていた。
お昼前にじいちゃんの運転で保育園のはしご。
そのまま孫たちを連れて山里の職場へ走る。
母も出勤して来ていてひ孫勢揃いに大喜びしてくれた。
めいちゃんは初めてのひいばあちゃんだった。
それほど日頃からの付き合いを疎かにしているということ。
もっとゆっくりとしても良かったのだけれど
急ぎの仕事を済ますとさっさとトンボ帰り。
笑顔で見送ってくれた母。とても穏やかな顔をしていた。
帰宅して「おひな祭り」毎年の記念撮影をする。
けい君も一緒なのは今年が初めてだった。
三人ではしゃぎまわってやっと座ってくれる。
ちょっとピンボケになってしまったけれどそれも良い思い出になるだろう。
今日も「いい日」でした。ありがとうございます。
2018年03月02日(金) |
ほっこりと優しいきもち |
少しひんやりの朝だったけれど日中はすっかり春の陽気。
夜明け前には西の空に綺麗な月が見えた。
昨日の強風もおさまりとても穏やかな朝のこと。
今朝も孫たちを保育園に送り届けて山里の職場へ。
毎朝元気な孫たちにパワーをもらってありがたいこと。
仕事は忙しかったけれどそれなりに頑張って
明日はお休みをいただく。ほっと嬉しい。
おひな祭りでもあり孫たちと過ごせそうだ。
弟から電話があり、母がまた一時帰宅とのこと。
手術の日程が決まるまで自宅待機になったのだそうだ。
なんだかとても複雑な気持ちになる。
またきっと無理をする事だろう。心配すれば怒る事だろう。
どう接したら良いのかと考えると少し気が滅入る。
まあなるようになるのか。出来れば喧嘩はもうしたくはない。
帰宅途中の牧場にたくさんの牛がいて日向ぼっこをしていた。
のどかな風景に思わず車を停めて駆け寄って行った。
子牛もいて母牛に寄り添い甘えているようなしぐさ。
ふと牛になりたいなどど思う。ほっこりと優しい気持ち。
今日も平穏無事。とても「いい日」に思えた。
昨夜からの春の嵐、今朝は雨はやんでいたけれどもの凄い風。
春一番かなと思っていたら春二番だったそう。
「寒くないもん」と薄着の孫たちを
保育園に送り届けてから今日も山里の職場へ。
仕事は今日も忙しくそれが不思議と楽しくてならない。
午後も来客がありすっかり帰宅が遅くなってしまったけれど
おかげでとても清々しい出会いがあって嬉しかった。
帰宅途中の県道で足を痛めているらしいお遍路さんに会って
思わず車を停めて駆け寄って行った。
明るいうちに延光寺に着くのはとても無理に思われて
せめて平田町まで送って行きたいと告げると快くうなずいてくれる。
はるばる東京からのお遍路さん。まだ25歳の若い女性だった。
4月から晴れて社会人になるのだそう。いろんな話を聞かせてくれた。
目の前に大きな未来が広がっている。その未来に向けての遍路旅。
足を痛めてどんなにか辛かった事か、なんとしても結願させてあげたい。
そんなエールを込めながら平田町で別れた。がんばれがんばれ。
ああとても「いい日」だったなあって思った。
一期一会、ささやかな縁に感謝するばかり。
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