ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2016年01月31日(日) 優しいおひさま

先日の寒波が嘘のような小春日和となる。

雲ひとつない青空。なんて優しいおひさまなのだろう。

そうして寒かった一月が終わる。立春もすぐそこ。



芽奈の熱は相変わらずで今朝も39℃を越えていた。

それなのにとても元気。朝ごはんもたくさん食べる。

娘たちが出掛けて行ってじいちゃんがちょっとご機嫌ななめ。

ぶつぶつと文句を言いながらも芽奈の相手を楽しんでいる様子。

午後はお薬のせいか3時間も昼寝してくれて助かった。

ばあちゃんも添い寝。我ながらよく寝たものだと思うくらい。


お散歩が大好きな芽奈におひさまの光をたくさん浴びさせてあげたい。

どうかどうか早く熱が下がりますように。お大師堂でも手を合わせていた。


問題はあした。娘は仕事が休めなくてもしまだ熱があれば仕方がない。

ばあちゃんが休むことになったけれど仕事の事がとても気掛かりだった。

でもまあなんとかなるだろうと、もう思い悩まずに眠りたいと思う。


あしたのことはまたあした。なにごともなるようになるものです。


「めいちゃん寝たよ」今夜も娘が報せてくれてまったりとこれを記す。



2016年01月30日(土) どんとこいかな

どんよりとした曇り日。寒くもなく過ごしやすい一日だった。


目覚めたばかりの芽奈がまた高熱。娘がお休みの日で助かる。

幸いインフルエンザではなさそうで食欲もありほっとしている。

ただ少しご機嫌ななめで抱っこを「あっこ」と言って甘えてばかり。

病院のお薬を嫌がって飲んでくれなくて困り果てていたけれど

今夜はやっと飲んでくれて娘と二人で拍手して涙ぐんでしまった。

また数日は熱を覚悟でしばらくは様子見の日々が続くことだろう。




仕事は休みだったけれど、昨日のトラブルをひこずっていて落ち着かず

今日は午前中に走り回ってなんとか解決することが出来た。

おかげでほっと肩の力が抜けて午後は炬燵に入るなり寝入ってしまっていた。

何事もやってやれないことはないのか。「どんとこい」の気持ちが大切なのか。


若い頃のように溌剌と立ち向かっていけない「老い」を感じるこの頃。

出来ることを精一杯に。出来ないことは仕方ないと思い始めている。




午後八時、「めいちゃん寝たよ」と娘が報せてくれた。

穏やかな夜のありがたいこと。六花亭のバターサンドと焼酎が美味し。





2016年01月29日(金) 冬の雨

雨の一日。かなりまとまった雨が降る。

気温は高めでさほど寒くはないはずなのだけれど冬の雨は

なんだか身に染みて冷たく感じるものだった。



月末も近くなりなんだかバタバタと気忙しい一日だった。

順調にいかないこともあってちょっとしたトラブルもあったり。

そのせいか今夜は心身ともにぐったりとしてしまっている。


ぐるぐるぐると何かがまわっているのを感じながら心を落ち着かせているところ。


とにかく何も考えずにぐっすりと眠ろう。あったかなお気に入りの毛布で。


隣室から孫たちの声。その笑顔のなかに飛び込んで行きたい。

おっし、ばあちゃんは今すぐ飛んで行くけんね〜



2016年01月28日(木) 笑顔がいちばん

曇り日、気温は高めだと言うのになんとも肌寒い。

夕方からぽつぽつと雨が降り始めた。

やわらかな優しい雨でほっとしているところ。



定時に仕事を終えて帰宅。

今日はなんとかまあるくいられたような。

何事も気の持ちようなのだろう。笑顔がいちばんだと思う。

些細なことにこだわらないでいたいなとつくづく思ったりした。



お大師堂で手を合わす。なんと心が落ち着くひと時だろうか。

お供えのお菓子を補充してからまたおせんべいをぽりぽりといただく。

今日はお遍路さんをひとりも見かけなかったけれど

またお大師堂に来てくれるお遍路さんもきっといることだろう。



午後四時半、娘と孫たちが帰って来てまたまた花畑の我が家。

娘と一緒に夕食の支度。食いしん坊の芽奈の「まんま攻撃」も楽しい。

家族のおかげでどれほど癒されていることだろうか。


今日もありがとうございました。お風呂上がりの焼酎も美味し。

ぐっすりと眠ってまた明日の風に心地よく吹かれたいものだ。



2016年01月27日(水) 笑顔の花

冬将軍も暴れ過ぎたのかちょっとひとやすみ。

最高気温が10℃を越え少しだけ暖かく感じた。

朝の山道も雪がすっかりとけてくれていてほっとする。



今日も仕事中に1人のお遍路さんを見かける。

とても重そうな荷物でうつむきかげんに歩いていた。

そのせいか会釈も出来ず声もかけられなかった。

なんだかふっと後ろめたい気持ちになってしまう。

決して無視をしたわけではないのだけれど。



仕事は今日もぼちぼち。母の言動に耐え切れなくなって

また少しぶつかってしまった。そうして仕事を辞めたくなる。

穏やかなこころをかき乱されたような一日になってしまった。

まあるくおさめたいといつもいつも願っているのだけれど。

我慢するのにも限界があってどうしようもできない時もある。



家に帰るとなんて平和なのだろう。

いつも愚痴を聞いてくれるじいちゃんはほんとにありがたい。

「そうか、そうか」と言って今日も慰めてくれた。


娘と孫たちが帰って来るとまるで花畑にいるような気分になる。

笑顔の花がいっぱい咲いてにっこりにっこり微笑んでいられる。


今日もありがとうございました。どんな日も「いただいた日」

明日はあしたの風が吹くだろう。どうか笑顔で過ごせますように。



2016年01月26日(火) 風は冷たいけれど

今朝もかなり冷え込んでいたけれど雪は降っておらずほっとする。

いつも通りの時間に綾菜を保育園に送り届け山里へ向かった。

伊豆田トンネルのあたりにまだ雪が残っていてどきどきする。

思った通り山道にも雪が残っていて所々凍結していた。

引き返す訳にも行かず勇気を出して突き進む。

ゆっくりゆっくりと決してブレーキを踏んではならない。

幸い対向車もなくなんとか峠を越えることが出来た。

職場に着くとふぅっと力が抜ける。雪はもうこりごりだと思った。



仕事はさほど忙しくもなくゆったりとした時間が流れる。

JAに用事があって出掛けた時にお遍路さんを見かけた。

とてもしんどそうに歩いていて気になりながらも声をかけられず。

せめて声をかけてあげたら良かったと後から後悔してしまった。

同行二人とはいえお遍路さんはとても孤独に思えてならない。


定時に帰宅してお大師堂へ。昨日補充したお菓子が殆どなくなっていた。

「おだいしさんいっぱい食べてくれたがや」って声をかける。

また明日は新しいお菓子をお供えしよう。それも私の楽しみであった。



午後4時半、娘と孫たちが帰って来て「おさんぽいこうよ」と誘われる。

雪の名残の風が冷たかったけれど四人で土手の道を散歩する。

孫たちは少しも寒がらない。ばあちゃんは寒くてぶるぶるしていた。


夕焼け空にありがとう。あしたもおひさまに会えますように。





2016年01月25日(月) おひさまありがとう

今朝も雪が積もっていた。5センチくらいだろうか。

気温はこの冬一番の冷え込みで氷点下となる。

目覚めた時の室温が1℃、暖房フル回転の朝だった。


いつもより少し遅めに綾菜を保育園に送り届ける。

道路が凍結していて少しの距離でもはらはらと怖ろしい。

娘と芽奈は仕事が休みになった娘婿が送ってくれてほっとひと安心。


午前10時頃、やっと雪がとけはじめて意を決して買い物に行く。

青空とおひさまのありがたいこと。洗濯物も乾きそうだった。


買物を済ませてからお大師堂へ。昨日はさぼってしまってごめんなさい。

お供えのお菓子を補給。そしてまたおせんべいをいただく。

雪解けの風は冷たいけれどお堂にはおひさまの光が降り注いでいた。


午後3時過ぎ娘を迎えに行く。信号待ちをしていると横断歩道にお遍路さん。

若い女性で毛糸の帽子と防寒着を着ていたけれどしっかりと金剛杖が見えた。

久しぶりにお遍路さんを見つけてとても嬉しかった。


娘と一緒に芽奈の保育園。それから綾菜の保育園。

みんなで一緒に帰宅すると一気ににぎやかになる我が家だった。


寒い一日だったけれど今日も穏やかにほっこりと暮れて行く。

ありがとうございました。今夜もほろ酔ってこれを記す。



2016年01月24日(日) 雪籠り

予報通りの雪の朝。南国土佐とは思えないほどの雪景色だった。

雪は午前10時頃まで降り続き、その後一度とけてくれたけれど

午後になりまたどかどかと降り始め今も降り続いている。


雪道の運転ほど怖いものはなく今日は買い物にも出掛けず

朝のうちに孫たちと雪だるまを作って遊んだりして

あとはずっと炬燵にもぐりこんで猫のように過ごしていた。


念のために昨日のうちに食料を買い込んでおいて良かった。

洗濯物も室内でなんとか乾く。暖房のおかげなんともありがたい。


暖かい炬燵にいながら「電気」のありがたさをつくづく感じる。

もしも停電になってしまったらと思うとぞっとするくらいの寒さだった。

水道も同じく、蛇口からお湯が出てくれるのもほんとにありがたいこと。

いつもは当たり前のように使っている電気や水がとても尊く感じた。



今日は大相撲の千秋楽、少し早目に夕飯の支度をする。

おでんを煮てカレーを作った。そうして大興奮しながら夕食を食べる。

日本人力士の優勝は10年ぶりだとか。琴奨菊すごいえらかったね。



寒くて冷たい一日だったけれど、今日も穏やかに過ごせて良かった。

こころには「おひさま」がいる。やわらかで優しいひだまりのように。


今日もありがとうございました。あったかくしておやすみなさい。



2016年01月23日(土) ざわざわ そわそわ

今朝は雪の予報だったけれど雪は降らず。

気温もそれほど低くなくなんだかキツネにつままれたような朝。

けれども油断は大敵。明日こそは大寒波とニュースが流れている。

今夜は市役所の防災放送が流れ、水道管の凍結注意を呼び掛けていた。

どきどきとしてなんだか落ち着かない。ざわざわとこころが騒ぐ。



隣室から芽奈の声。「ばっちゃん、ばっちゃん」と呼んでいる。

「はーい、まってね」と応えながらそわそわとこれを記している。

自分の時間も大切だけれど、孫たちと遊ぶのも大切な時間だなと思う。

どんな日もありどんな夜もある。今夜は孫三昧をさせてもらおう。



今日も穏やかな一日をありがとうございました。

きっと微笑みながら眠ることだろう。早々とおやすみなさい。



2016年01月22日(金) ありがとうとごちそうさま

今日は寒さが少し和らいでほっとしていたけれど

明日の朝はまた雪になるらしい。

10年ぶりの大寒波だとか、なんだか恐ろしくなってしまう。

ずいぶんと臆病になったものだなと思う。これも年のせいだろうか。



仕事が忙しく少し残業をして帰路に着く。

今日は朝の道でも帰り道でもお遍路さんの姿がなかった。

やはり冬のお遍路さんは少ないのだなと思った。


お大師堂もひっそりと静か。また新しいお菓子をお供えする。

そうしておせんべいをぽりぽり。ありがとうとごちそうさま。



今日は晩御飯の支度がいつも以上に忙しくて大変だった。

じいちゃんが用事があって芽奈の相手をしてくれる人がいなくて

5時から芽奈が「まんま、まんま〜」と台所で大騒ぎする。

娘と二人でてんやわんや「とにかくエサをやらないと」と笑い合って

まるで動物園のチンパンジーみたいな芽奈に竹輪を与えてその場をしのぐ。


やっと出来ました。あんかけ豆腐、スパサラダ、エビマヨをほれほれ。

みんなでわいわい。今夜もそれはそれはにぎやかな食卓。



忙しい一日だったけれどお風呂に入ればまったりまったり。

今日も穏やかな一日をありがとうございました。



2016年01月21日(木) 初大師

氷点下の朝。しんしんとした冷たさはさすがに身体に堪えるけれど

冬らしさを楽しもうとしゃきっと胸をはってみたりする。


親戚のおばちゃんが孫たちにと毛糸の帽子を編んでくれた。

それがとても気に入った綾菜がさっそく被って保育園へ。

雪だろうと霜だろうと子供は純粋に冬を楽しんでいる。

週末にはまた雪の予報。どんなにか喜ぶことだろうか。



二日ぶりの仕事は少し忙しくばたばたしたり苛々したり。

どうしても母とぶつかってしまう。お豆腐のように柔らかくなりたい。

崩れてしまった方がどんなに気が楽だろうかと思ったりした。



帰宅してお大師堂へ。今日は「初大師」の日だった。

ゆっくりお参りをしようと思っていたけれど先客がいる様子。

外で待っていたら扉が開いて顔なじみのお遍路さんが微笑んでいた。


昨年の父の命日にお経をあげてくれたお遍路さんだった。

約二ヶ月ぶりの再会。ただただ感謝の気持ちを伝える。

この二ヶ月の間に四国を巡って来たのだと思うと感慨深かった。


私がのほほんと暮らしている日々を歩き続けているいる人がいる。

そう思うとどんな日々も大切に生きなければと思うのだった。


一歩いっぽ。明日も与えられた日常を全うしようとこころに誓う。



寒い一日だったけれど今夜もほっこりほっこりとこれを記す。







2016年01月20日(水) 雪の朝

ひんやりと静かな朝。そっと窓をあけると雪が積もっていた。

めずらしく早起きをした綾菜が大喜びする。

「雪だるまつくるがや〜」と喜び勇んで保育園に行く。


早朝は道路がかなり凍結していて怖かったけれど

青空のおかげで雪もあっという間にとけてしまった。

今日は川向の伯父の三回忌でじいちゃんの運転で大橋を渡って行く。

もう丸二年が経ったのかほんとに早いものである。

いとこのところにも夏に初孫が生まれるそうで嬉しいニュースも。

伯父も生きていればひ孫を抱けただろうに。もっと長生きをさせてあげたかった。


いとこばかりの法事はそれぞれの孫の話ばかりでそれはにぎやか。

じいちゃんたちはよく飲み、ばあちゃんたちはよく食べた。

にぎやかなのが好きだった伯父もきっと嬉しかったことだろう。



今日もそうして穏やかな夕暮れ。雪の名残で今夜も冷え込んでいるけれど

お風呂で温まって焼酎のお湯割りでまったりとしているところ。


ありがとうございました。みんなみんな笑顔でいます。



2016年01月19日(火) 雪が舞って

予報通りの雪になる。風も強く吹き荒れなんとも寒い一日だった。

積雪を気にしながら念のために仕事を休もうかと思案していたところ

いつも姑さんのリハビリに付き添ってくれている弟嫁が

今日はどうしても行けなくなったと連絡がある。

とっさに「私が行くから大丈夫」と応えてしまった。



姑さんにはずっと不義理を重ねていてすごく気になっていたから

今日こそはと思う。少しは嫁らしいことをしてあげたかった。

小雪が舞うなかをじいちゃんの運転で市民病院へ向かった。

後部座席で姑さんの細い身体を抱きかかえるようにして行く。


もう二年も前の事なのか。私が一緒に来ていた頃は

まだ歩行器で歩くことが出来ていた姑は、もうそれすら出来なくなっていた。

身体が硬くなってしまって膝を曲げることもままならない状態。

なんとせつないことだろう。なんだか涙が出そうなくらい哀しかった。


辛かったけれど今日は一緒に来てほんとうに良かったと思う。

「知らなかった」では済まされない。もっともっと現実を見なければ。

そうしてこれからは今までの不義理を少しでも挽回したいと心に誓う。



午後、お大師堂で手を合わせながらまだ歩くことが出来た頃の姑を思い出す。

毎朝必ずお参りを欠かさなかったこと。今もどんなにか心残りだろうか。


強い西風にあおられて白波の立つ川面をながめながら

私はわたしに出来ることをこれからも精一杯やりとげたいと思った。



2016年01月18日(月) 初雪ちらちら

昨夜からの風が今朝はもっと強くなり寒波到来。

山里では初雪が舞う寒い一日だった。

明日はもっと冷え込むようで平野部も雪になるかもしれないと

夕方の天気予報で聞き、なんだかそわそわと落ち着かなくなった。


子供の頃から雪は大好きだったけれど

雪道の車の運転だけはただただ恐怖に思えてならない。

昔の追突事故がトラウマになっているのかもしれない。

雪を楽しみにしている孫たちに怒られてしまいそうなばあちゃんだった。



今日は仕事が忙しく一時間ほど残業して帰路に着く。

朝も帰り道もお遍路さんの姿はなく寂しい遍路道だった。

お大師堂もひっそりと静か。ただ川面を吹き抜ける風の音がするばかり。

新しいお菓子をお供えして古いお菓子をごちそうになる。

何も考えずひたすら無心に子供のようにお菓子を食べていた。



娘と孫たちが帰って来て今夜もにぎやかに夕食。

食後に綾菜が「ぷぅ」っとおならをして大笑い。

「ちょっとうんこしてくる」と一人でトイレにも行けるようになった。


芽奈は日に日におしゃべりが上手になって

ばあちゃんのことを「ばっちゃん」って呼んでくれるようになった。


うんうん、ばっちゃんは今日も楽しかったよ。すごい幸せやったよ。


今夜もありがとさんの焼酎でほろ酔ってこれを記す。






2016年01月17日(日) 雨音を聴きながら

曇り日、夕方から冷たい雨が降り始める。

寒いけれど久しぶりの雨音が耳に心地よく届く。



今日は娘たちと買い物に行って綾菜にトレーナーを買ったり。

芽奈にも買ってあげたかったけれどお姉ちゃんのおさがりがいっぱい。

もう少し大きくなったら「おねえちゃんのおさがりはいや」って言うかな。

ばあちゃんのお財布はいつも寂しいけれどお買い物は福ふくと楽しい。



午後はまたトドになって炬燵でごろごろと過ごす。

録画してあったサスペンスドラマを見ていた。

いつもは途中で寝てしまうけれど今日は面白くて最後まで見た。



ゆったりゆったりと時間が流れる。

あれこれと思い悩むこともなくなんとも穏やかな一日だった。


今日もありがとうございました。手を合わせてぐっすりと眠ろう。



2016年01月16日(土) さくら草

今朝は氷点下の寒さ。この冬いちばんの冷え込みだったようだ。

綾菜の保育園のまわりも霜で真っ白くなっていて

「これはゆきじゃなくてしもだよ」とおしえる。


そんな寒さも日中には和らぎ、風もなくずいぶんと暖かくなる。

洗濯物が嬉しそうにおひさまの光のなかで微笑んでいた。



午前中に買物。久しぶりに歩いて近くの「彩市場」まで行く。

店先にならぶ「さくら草」の花が可愛くて二鉢買った。

帰ってさっそく玄関先に植える。ほっこりほっこり春が咲いたよう。



お昼には綾菜をお迎えに行って午後はじいちゃんと三人で過ごす。

炬燵でトドのように寝転ぶばあちゃんをよそにじいちゃんと遊んでいた。

ばあちゃんはお昼寝。じいちゃんと綾菜はドライブに出掛ける。

気が付けばもう三時。洗濯物を取り入れるのを綾菜が手伝ってくれた。

そうして一緒にたたむ。芽奈の服もちゃんとタンスに入れてくれる。


今日も穏やかな夕暮れ。娘と芽奈が帰って来てわいわいと夕食。

今夜もすごい食欲の芽奈。ご飯もおかわりしてがっつりと食べてくれる。


平凡な一日だったけれどこれ以上の幸せはないだろう。

ありがとうございました。今夜もほろ酔ってこれを記す。



2016年01月15日(金) 日向ぼっこ

冬のおひさまのありがたいこと。こころもからだも日向ぼっこ。


今朝は芽奈の調子も完璧でやっとこさ保育園へ。

保育園でも熱は出なかったようで元気に帰って来てくれてほっとした。



今日は嬉しい再会がふたつ。

仕事帰りに買物をしていたらバドミントン仲間のM君に会った。

時々電話で話すことはあったけれど、会うのは5年ぶり位だろうか。

もう31歳になっていてびっくり。知り合った頃はまだ20歳だった。

身体に障害があるけれど人一倍頑張り屋さんだった事を懐かしく思い出す。

就職が決まった時も真っ先に報せてくれた。そして失業した時も・・。

ただただ励ますことしか出来なかったけれどずっと気になっていた。

とにかく諦めないこと。積極的に就活をすること。そんな助言が

少しでも役に立ってくれたらと願わずにいられない。


障害があるからと言って若者の未来を踏みにじるような事があってはならない。

いつもいつもそう思う。明るい光はきっときっと届くと信じている。




お大師堂では昨年12月に山里の蛍湖で一年ぶりに再会したお遍路さん。

お賽銭泥棒の事で心を痛めさせていたのでとても気になっていた。

ちょうどひと月ぶりの再会が叶いとても嬉しく思う。

晩御飯の支度をしていた。美味しそうな卵焼きが出来上がったところ。

「ちょっと待ちよってね」大急ぎで家に帰りビールを差し入れた。


満面の笑顔。そうしてこんな私にも手を合わせてくれる人がいる。

手を合わすのは私のほうなのに、なんだかとても照れ臭かった。



ほっこりほっこり今夜もありがたく焼酎をいただいている。

いただいたご縁を疎かにしてはいけないなと改めて思った一日。



2016年01月14日(木) 慌ただしくも穏やかに

今朝も冬らしい寒さ。きりりっと身が引き締まるようだった。

外が明るくなるのを待ちかねて洗濯物を干す。

どんなに寒くても洗濯物を干すのが大好きだった。



今日は芽奈も久しぶりに保育園に行けそうでほっとひと安心。

一足先に綾菜を送って行って山里の職場に向かう。

そうしたらタイムカードを押すなり娘から着信があった。

今朝は平熱だった芽奈が登園時間になって微熱が出ているとのこと。

どんなに元気でも保育園は預かってくれず仕方なく大急ぎで帰宅した。


慌ただしい一日だったけれど、それなりに穏やかな一日。

芽奈のパワーは全開でどんちゃんとはしゃいで元気に遊ぶ。

扁桃腺の熱は長引くと言うけれどもう少しあと少しだろうか。


夕飯は芽奈の好きな春巻き、ポテトサラダなどなど。

ほんとに気持ちが良いほどがっつりとよく食べてくれる。

今夜は綾菜も勝負に出ていつもよりたくさん食べてくれて嬉しかった。


今日もありがとうございました。今夜もほっこりさんと焼酎タイム。

ばあちゃんはばあちゃんでいられることがいちばんの幸せ。



追記、慌ただしい一日だったけれど今日は2人のお遍路さんに会えた。



2016年01月13日(水) 冬らしい一日

おひさまも北風も元気で冬らしい一日。


今朝は芽奈の熱が下がっていてほっとひと安心。

娘が休みだったので今日は様子を見ることにして保育園はお休み。

どうか熱がぶり返しませんようにと祈りつつ仕事をしていた。


ぼちぼちの忙しさ。難破船のような職場だけれど

みんなが笑顔でいられるのが奇跡のように思える。



定時に帰路に着く。今日は朝から一人もお遍路さんを見つけられなかった。

寂しい遍路道に枯葉がころころと舞うばかり。



帰宅してお大師堂へ。西日がいっぱいに差し込んでなんとも暖かい。

年末に誰かが活けてくれていた百合の花がほっこりと咲いていた。

お参りを済ませてからまたおせんべいをいただく。

かりかりぽりぽりとひっそりとしたお堂に楽しい音が響く。


今日も穏やかな一日をありがとうございました。

久しぶりにお風呂に入った芽奈のはだかん坊が嬉しい。

綾菜のパンツはちょっと小さくなったかな。

孫たちの笑顔をぎゅっと抱きしめるように今夜も眠りたいと思う。



2016年01月12日(火) ちびっ子パワー

天気予報は曇りだったけれど思いがけずに晴天となる。

日中は気温が高くなりとても暖かな一日だった。



芽奈の熱が下がらずいつもお世話になっている小児科へ。

娘が仕事のため私が仕事を休ませてもらっていた。

三連休の後だったけれどこればかりは仕方のないこと。


診察の結果、インフルエンザもRSも大丈夫。

扁桃腺がかなりはれていてそのせいの高熱だろうと言うこと。


40℃近い高熱だと言うのに芽奈は元気いっぱい。

食欲も旺盛で今夜もたくさん食べてデザートのミカンを二個も平らげる。

ほんとにびっくりぽんの「ちびっ子パワー」であった。

まだ明日も熱があるかもしれないけれど焦らずに見守りたいと思う。



どんな日もあってよし。今日も不思議と穏やかな一日に思えた。

ありがとうございました。今夜もほっこりほっこりとこれを記す。



2016年01月11日(月) おひさまかくれんぼ

今日はおひさまかくれんぼ。しゅんしゅんと肌寒い一日だった。

綾菜の風邪をもらってしまったのか今度は芽奈が発熱。

食欲もあり元気なので坐薬をさして様子を見ていた。

お散歩にも行けなかったけれど家の中で機嫌よく遊ぶ。



「成人の日」県内では昨日成人式を行ったところが多いようだ。

成人式と言えばもう40年も昔の事を今日も思い出していた。

前祝いと称して前夜に友人宅で酒盛りをしていたのだけれど

冷酒をお茶碗に注いで三杯も飲んでしまった愚かなわたくし。

おそらく急性アルコール中毒だったのだろうぶっ倒れてしまった。

それから三日間寝込んでしまっていた。もちろん成人式は行けず。

その時にはひどく後悔したけれど、今となってはとても懐かしい思い出だ。


若気の至り。他にもたくさんのあやまちがあるけれどそうしておとなになった。

むかしむかしのお話。還暦のばあちゃんは昔話が好きなようだ。

一度きりの人生をそれなりに謳歌してきたのかもしれない。




芽奈の熱を気にしながらも今日も穏やかに暮れて行く。

大好きなお風呂に入れなかった芽奈のからだを拭いてあげた。

「すきすきしようね」って言うと頬をよせて抱きついてくる姿が愛しい。


今日もありがとうございました。今夜もほっこりほっこりとこれを記す。








2016年01月10日(日) 真っ青な空

今日も日中は暖かくなる。よく晴れて真っ青な空。


じいちゃんと娘婿殿は消防団の出初式に出掛ける。

今年の式場は「江川崎」あの日本で一番暑い夏を記録した場所。

私の生まれ故郷でもありとても懐かしい場所でもあった。

娘がお休みだったので孫たちと見学に行きたかったけれど

ちょうど地区の新年総会と重なり断念する。


午前中は総会に出席。お大師堂の収支報告などもあった。

お賽銭の収入が13000円ほど。すごいなとおどろく。

いつも5円玉や1円玉が多いけれど集まったらこんな金額になる。



午後、孫たちがお昼寝から目覚めてからみんなでお散歩がてらお大師堂へ。

お賽銭袋を提げた綾菜がちゃんと5円玉を四人分出して入れてくれた。

みんなで手を合わす。まだ幼い芽奈も小さな手を可愛らしく合わす。

それからお楽しみのお菓子をいただいた。「おいしいねー」って。

西日がいっぱいに差し込むひだまりでほんわかとしたひと時だった。


それから土手で凧揚げをして遊ぶ。風にのってぐんぐんと舞い上がる凧。

なんだか久しぶりに空を見上げたような気がした。なんとも心地よい。



今日も穏やかな一日をありがとうございました。

ぐっすりと眠ってまた笑顔で「あした」をむかえたいと思う。





2016年01月09日(土) おひさまにっこり

朝は冷え込んだけれど日中は暖かくなる。

おひさまのありがたいこと。今日のおひさまもにっこり。



ご近所で不幸があり綾菜を送り届けてから焼香に行く。

最近は自宅で葬儀をするお宅がほとんどなくなってしまって

葬儀場に向かうため朝のうちに出棺をするのだった。

地区の人達が大勢参列して手を合わせて故人を見送る。

しんみりと寂しいくうき。これまでどれほどの人を見送ったことだろう。



お昼に綾菜を迎えに行く。帰り道でまたまた毛糸の帽子のお遍路さん。

緑色の帽子、眼鏡をかけた60歳代くらいのお遍路さんだった。

残念ながら声をかけることが出来なかったけれど心からエールを送る。



今日は娘婿殿がお休みだったので綾菜はお父さんにべったり。

ばあちゃんとお昼寝しようよと誘ってもあっさりと断られてしまった。

おかげでじいちゃんと二人で茶の間でのんびりと過ごす。

録画してあった「坊ちゃん」を見た。二宮君の坊ちゃんも新鮮で良かった。



午後五時半、娘と芽奈が帰って来る。芽奈は帰るなり食卓へ走る。

「まんま、まんま〜」と急かされて忙しいばあちゃんであった。

綾菜が少し元気がない。娘が熱を測ったら少し微熱が出ていた。

それでも食欲はありデザートに好物のミカンの缶詰を平らげる。

どうかどうか熱が高くなりませんようにとひたすら祈っている。



そんなことがあっても今日も穏やかな夕暮れ。

夕陽が沈む瞬間の茜色の空が「あした」のおひさまを連れて来てくれる。

ありがとうございました。今夜も満たされてほっこりほっこりこれを記す。





2016年01月08日(金) 毛糸の帽子

冬らしくきりりっと寒い朝。そんな寒さが心地よい。

綾菜と保育園に向かっていたら交差点の信号が赤。

「あっ青になったよ」と言うと不思議そうな顔をして

「おばあちゃん、しんごうはみどりやになんであおなが?」と問う。

ほんとうにそうだなと思った。どうして青って言うのかしら。

ほんの5分足らずの通園路だけれど、朝の会話はいつも楽しい。



それから四万十大橋を渡って山里に向かう朝の道。

国道でお遍路さんを発見。毛糸の帽子を被って颯爽と歩いていた。

そしてすぐに二人目のお遍路さんを発見。またまた毛糸の帽子だった。

「冬へんろ色とりどりの帽子かな」なんてつぶやきながら会釈をする。

朝一番にお遍路さんに会えた日はなんとも清々しくて嬉しくなる。



仕事は少しずつ活気が出て来て忙しさを楽しんでいた。

今日は母との会話が楽しく思えた。きっと自分が穏やかだったせいだろう。

苛々しているとついついぶつかり合ってしまうのでいけないなと思う。

何事も自分次第なのだ。ずっとずっとまあるい自分でいたいものだ。



帰宅してお大師堂へ。昨夜泊まっていたお遍路さんがいたようだ。

お札を残してくれていて嬉しかった。もしかしたら毛糸の帽子のお遍路さん。

お供えのお菓子が少なくなっていたので明日はまたお供えしようと思う。



今日も穏やかな夕暮れ。夕焼けがとても綺麗だった。

晩御飯の時、芽奈が初めて「じーちゃん」って言う。

じいちゃんのそれはそれは嬉しそうな顔。次は「ばーちゃん」かな。

「だっこ」はまだうまく言えなくて「あっこ」って言うのだけれど

食後はいつもじいちゃんに抱っこされてご機嫌の芽奈であった。


今日も穏やかな一日をありがとうございました。

今夜も焼酎でほろ酔ってまったりとこれを記す。





2016年01月07日(木) やっと会えた

晴れたり曇ったり。週末にはまた寒波がやってくるらしい。

寒の入りとはよくいったものだと思う。どうぞ冬らしくあれ。



今日はお昼にとても嬉しいことがあった。

昨日会えなかったお遍路さんが山里経由で延光寺に向かっており

「いま三原ですよ」と連絡して来てくれたのだった。

農協のあたりを歩いていると言うので急いで駆けつける。

初対面だと言うのになんとも懐かしいのが不思議だった。

清々しい笑顔。そしてとても勇ましい遍路姿であった。

いつもブログを拝見していてすっかりファンになっていたけれど

こうして会うことが叶ったのも縁あってこそだと思った。


実は四年前にも高知を歩いていてお大師堂に泊まってくれたのだけれど

到着が夜になり出発が早朝だったため会えないまま歳月が流れていた。

きっといつか会えると信じていて良かった。やっとやっと願いが叶う。


話したいことがたくさんあったけれど長く引き止めるわけにもいかず

笑顔と笑顔で別れを告げる。颯爽と歩き始めた後姿がとても眩しい。


こんなに「いい日」をありがとうございました。

今夜も手を合わせて「あした」に向かいたいと思う。



2016年01月06日(水) まあるいのが好き

寒の入り。夕方から冷たい雨が降り始める。


今日はインターネットで知り合ったお遍路さんが

足摺岬に向かうとのことで朝の道をとても楽しみにしていた。

けれども伊豆田トンネルを抜けても姿を見つけられない。

おそらくかなり早い時間に宿を出発したのだろうと思う。

一日で40キロ以上も歩く健脚の持ち主でもあった。

足摺まで追いかけて行きたい気持ちを抑えて山里へ向かう朝。

会いたいな、きっと会える気がする。まだ諦めてはいない。



仕事は少しずつ忙しくなり活気が出てきたように思う。

母とのやりとりに少なからずストレスを感じつつも

毎日が親孝行なのだからと自分に言い聞かしていた。

本音を言ってしまえば「辞めたい、逃げたい」になってしまう。

ずっとずっと穏やかな海ばかり眺めているわけにはいかない現実。

どんな日もあってよしと思おう。穏やかな日もきっとあるのだから。



帰宅してお大師堂へ。片隅にお遍路さんの荷物が置いてあった。

けれども姿は見えず。近くのコンビニに行っていたのかもしれない。

お札を残してくれたら良いな。お大師ノートもあるのだけれど。

そんな欲ばかりが頭をかすめる。泊まってもらえるだけでありがたいのに。


今日の私は少しちくちくしているのかもしれない。

どれどれどこに棘が刺さっているのかな。さあ抜いてあげましょうかね。


まあるいのが好き。好きな自分になるのは自分次第ですよ。


今夜はお歳暮でいただいた高そうな麦焼酎。めっちゃ美味しゅうございます。



2016年01月05日(火) 菜の花咲いて

どんよりとした曇り空。少し肌寒い一日だった。

朝の国道で菜の花が満開になっているのを見つける。

暖冬とはいえあまりにも早い春の訪れにおどろく。

むしょうに写真が撮りたかった。昔みたいに心を躍らせながら。



国道からいつもの山道へ。今日もお遍路さんを見つけられないと

諦めかけていたところ前方を歩く白装束のお遍路さんを発見。

すごくすごく嬉しくなってゆっくりと近づき声をかけてみた。

なんとも清々しい笑顔。遍路笠は被っておらず坊主頭に白髪がちょこっと。

私と同じくらいの年齢かなと思ったけれど溌剌としていて若々しい。

つかの間の挨拶しか出来なかったけれどたくさんの元気をいただく。


久しぶりに会ったお遍路さん。今年もたくさんの出会いがありそうな気がする。



今日も穏やかな夕暮れ。ほんのりと雨の匂いがしていた。

いつもと変わらないにぎやかな夕飯。そうして孫たちのお風呂騒動。

すごくすごく平凡なのだけれどそれがいちばんの幸せに思う。


ささやかなことも愛しくぎゅっとぎゅっと抱きしめていたい日常。

今日もありがとうございました。今夜も焼酎が美味しゅうございます。



2016年01月04日(月) きらきらの朝陽

朝の忙しさとともに日常がかえってくる。

保育園に行きたくないと駄々をこねて泣き出す綾菜をなだめつつ

「良心市にほうれん草があるかも」などど言ってやっと笑顔になった。

残念ながらほうれん草はなかったけれど、保育園に着くとお友達がいっぱい。

ばあちゃんはトトロのお山。小さな手とタッチをして「行って来ます〜」


川沿いの国道は朝陽が降り注ぎきらきらとまぶしい。

いつだったかそんな朝陽に胸がいっぱいになり涙したことがあった。

まだ若かったのだと思う。あのせつなさはどこにいってしまったのだろう。


お遍路さんの姿をさがしながら、とうとう見つけられずに山里へ。

山里は霧の朝だった。その霧をくぐりぬけると青空が広がっていた。

清々しい朝だ。わくわくとするくらいこころも晴れていた。


ぼちぼちと仕事を始めたものの、今日は開店休業状態となる。

年末の忙しさが嘘のように静かで同僚と暇を弄んで過ごす。

母が同じ話を何度もするのも恒例となり、ついつい笑ってしまった。

すっかり元気になった母だけれど、お口も達者で少し暴言も。

それにはカチンと来たけれど新年早々喧嘩などしたくはない。


さらりさらりと水に流す。流してしまえば海にだって流れ着くだろう。


今日も穏やかにまあるくおさめておしまい。いい日だったなっておもう。



2016年01月03日(日) 初春さんぽ

あけて三日。夜明け前には静かに雨が降っていたようだ。

耳を澄ますほどの雨音。その優しさはまるで春のようだった。



日中は曇り空だったけれど気温が高くなりとても暖かくなる。

娘が仕事だったのでふたりの孫と一緒にたくさんお散歩をする。

土手から河川敷までおりて草の道をどんどん歩いて行った。

「まだまだ行こうよ」と綾菜の声に励まされるように

芽奈と手をつないで汗だくになって追いかけて行った。

そうしてまた土手にあがって四万十大橋のたもとまで。

休憩所のベンチでひとやすみ。ちょこんと並んで座るふたりが

まるで絵のようにまぶたに映る。こころのシャッターを押すのはいま。


なんとも穏やかな午後だった。ゆったりと流れる大河のように。

「また来ようね」と約束をして家路につく。

「おばあちゃん、こんどはおべんとうもってこようね」と綾菜。

そうね、それがいいかも。ばあちゃんも楽しみになってきた。


楽しみは待つのではなく自ずから作るものだなとはっとするように思った。

ついつい引っ込み思案になってしまう自分にちょっぴり喝を入れる。



夕飯にお正月の昆布巻きが一本残っていて、娘が「いただき〜」と平らげる。

30本作った昆布巻きもこれでお終い。頑張って作ったかいがある。

あっという間の三が日だったけれどずっと穏やかに過ごせて良かった。


明日は仕事始め。孫たちの保育園もまた始まる。

どうかどうか穏やかな日々を。今夜も手を合わせて眠りたいと思う。



2016年01月02日(土) 新しい年に

あけてふつか。穏やかさをかみしめつつ新年を迎えた。

今年はどんな一年になるのだろうとふっと不安がってみたり

とにかく歩んでみなければ何もわからないからとすくっと胸をはったり

いろんな自分がいるけれど今年もそんなありのままの自分と

寄り添うようにつきあっていけたら良いなと思っている。



今年は年女。そしてついに還暦を迎える。

人生まだまだこれからだとはどうしても思えなくて

「終活」と言う言葉も他人事では思えなくなってきた。

だからと言っていったい何をすれば良いのかわからない。


ただただ与えられた一日を大切に過ごしていくこと。

そうして感謝の気持ちを忘れずにいつも手を合わせながら生きていきたい。


愛しい日々はまるで奇跡のよう。生きているだけでじゅうぶんに思える。

それが決して当たり前の事ではないことを忘れてはいけない。


あたらしい年をありがとうございます。しっかりと受け止めながら

一歩いっぽ大切に生きていきたいです。今年も「いのち」いただきます。






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