曇りのち雨。明日から七月だと言うのに少し肌寒い。
月末の仕事を終えて帰路に着く。今日もコインランドリーだった。
うっかり傘を忘れていてふかふかの洗濯物を抱えて車まで走る。
もう保育園のお迎えの時間が迫っていてお大師堂は諦めてしまった。
綾菜の黄色い長靴と赤い傘を持って保育園へ向かう。
子供ってほんとに水溜りが大好きなのだな。
小さな長靴に雨水が入りそうなぎりぎりまで水溜りにどっぷり。
そういえば自分も子供の時はそうだったなと思い出す。
大昔のことなのにあの水溜りのなんともいえない感触を憶えている。
子供は純粋に雨を楽しむ。大人も少しは見習わなくては。
雨音を聴きながら今日も穏やかに暮れて行く。
6月最後の日、一年も半分を過ぎたことになる。ほんとに早いものだ。
とんとんとんと過ぎて行く毎日。ただただ流されているように感じる。
梅雨の晴れ間。さほど蒸し暑くもなく爽やかな晴天。
昨夜遅くに息子が圭人を連れて来る。
お嫁さんの体調が悪く息子は夜勤だということ。
困った時に頼って来てくれたのが嬉しかった。
けれども圭人はなかなか寝てくれず泣いてばかり
深夜12時になりやっと寝てくれてほっとする。
初めてのお泊りでどんなにか戸惑っていたことだろうか。
一気に孫が三人になり朝はすさまじいほどの忙しさ。
育児とはこれほど大変なものかとあらためて思ったことだった。
綾菜と芽奈は保育園があるけれど圭人はまだ通っておらず
私も仕事を休ませてもらってじいちゃんと二人で子守りをしていた。
歩き始めたので目が離せない。手の届く物は何でも引っ張り出す。
午前10時、仕事を終えた息子が迎えに来てくれたけれど
夜勤明けで圭人のめんどうを見るのがあまりにも可哀想だった。
けっきょく引き止めてお昼ご飯、お昼寝もしてから帰すことに。
圭人のあどけない寝顔。息子のひどくやつれた寝顔を交互に見ながら
なんとも不憫に思えてうたた寝も出来ずに過ごす午後だった。
どんなにどんなに手を合わせていてもいろんな日があるもの。
すべてが「いただいている日」と思えば心も穏やかになる。
「ありがとうございました」お大師堂で手を合わせ真っ青な空を仰いだ。
青空の一日。少し蒸し暑かったけれど陽射しがとても心地よい。
今日は伯母の一周忌の法事があった。
あっという間の一年、まだ生きているような気がしてならない。
お大師堂の大先輩でもあり、今朝はお大師堂で懐かしく伯母を偲ぶ。
伯母の跡取りにはなれていないのかもしれないけれど
これからも自分に出来ることを精一杯つとめていこうと思う。
ふっと希望のようにおもう。私も伯母のように長生きが出来るのかも。
天寿を全う出来たらどんなにかよいだろうか。
あとどのくらいの人生だろうかと思うたびに伯母の事を思い出したい。
つかのまの青空。すぐに曇って午後から雨になる。
心配していたじいちゃんの熱も下がって今日は元気。
朝の忙しさのなか芽奈を抱っこしてくれてずいぶんと助かる。
午前中に買物を済ませお大師堂にお参りに行っていた。
昨夜は韓国からのお遍路さんが泊まっていたようだ。
ノートに上手な日本語でコメントを書き残してくれていた。
会いたかったなと思う。きっと日本語で会話が出来たはず。
お昼前、綾菜を保育園にお迎えに行く。
今日は10時にお好み焼きをお腹いっぱい食べたとのこと。
お昼は好物の「みかんの缶詰」だけでじゅうぶんだった。
それからお昼寝まで大騒ぎ。茶の間のテレビはディズニーばかり。
小さな子供の相手をするのは疲れるけれどそれも楽しみであった。
午後五時半、娘と芽奈が帰って来る。
芽奈の保育園は土曜日でも夕方まで預かってくれるのでほんとに助かる。
そうして夕食。綾菜がすごい食欲で作り甲斐があるなと嬉しかった。
いつもは偏食ばかりで悲しいのだけれど今日はほんとによく食べてくれた。
「あしたははれやって」そうね、久しぶりのおひさまマーク。
梅雨の晴れ間ってほんとに嬉しいよね。ばあちゃんお洗濯が楽しみ〜
降り続いていた雨がやっとやむ。明日は晴れるかもしれない。
芽奈が今日から保育園へ。おかげで私も仕事に行く事が出来た。
今週は休んでばかりだったのでもう金曜日なのかと思うほど。
帰宅して午後四時、綾菜を保育園にお迎えに行く。
雨はやんでいるのに傘をさすのだと言ってきかない。
キティちゃんの赤い傘がとてもお気に入りなのだ。
お散歩がてら近くの地場産市場まで歩いて行く。
レジ横にちょうど子供の手の届くところのお菓子コーナーが目当て。
晩御飯もちゃんと食べる約束をしてチョコを買う。それは嬉しそう。
午後五時半、遅番だった娘と芽奈が帰って来る。
やがて娘婿も帰宅してみんなでにぎやかに夕食となった。
じいちゃんがちょっと食欲不振、大好きな鰹のタタキも一切れだけ。
おかしいなあと思っていたらどうやら熱も出てきたようだ。
今夜は早目に床に就く。大事に至らなければ良いのだけれど。
家族みんなが健康で、いつもいつもそう願っている。
けれどもどんな時もあるもの。それも「いただいている日」と思って
今夜も感謝しながら眠りたいと思う。「ありがとうございました」
小雨が降ったりやんだり。もう慣れっこになってしまった。
仕事を休ませてもらって芽奈を病院へ連れて行く。
まだ微熱があったけれど元気過ぎて待合室ではしゃぎまわる。
診断の結果、「突発性発疹」としか思えないと言うこと。
普通は三日ほど高熱が続くらしいが、芽奈は軽かったようだ。
お医者様も最初は他の感染症を疑っていたらしく様子見で
発疹が出てから初めて病名がつけられるのだそうだ。
病院から帰って午後になり熱が平熱に戻る。
とにかく元気過ぎてつたい歩きをしたりして追い掛け回していた。
じじばばぐったり。特にじいちゃんは芽奈に気に入られているから。
ばあちゃんは芽奈がお昼寝をしているあいだにお大師堂へ。
今日は夏ミカンをお供えする。お大師さん食べて下さいね。
「ありがとうございました」ほっこりほっこり手を合わす午後だった。
曇りのち雨。ぽつりぽつりとまるで空の独り言のよう。
今日もコインランドリーのお世話になる。
我が家にも大きな乾燥機があれば良いな。
芽奈は微熱。娘がお休みだったので助かった。
お昼頃から身体に発疹が出てきたようで気になる。
突発性発疹ではないのだとしたらいったい何が原因なのだろう。
明日また病院へ行くので詳しいことがわかるだろう。
晩御飯もたくさん食べて元気、それが何よりも救われる思い。
今日は帰宅が遅くなりお大師堂には行けなかった。
どんな日もあってよしと思うことにして日が暮れて行く。
雨の日の夕暮れはなんだか心細いような寂しさを感じる。
青空が恋しい。夕焼け空はもっともっと恋しい。
2015年06月23日(火) |
明日のことはまたあした |
曇り日、さほど蒸し暑くもなく過ごしやすい一日。
昨夜また芽奈が発熱。今朝は40℃もありとにかく病院へ。 風邪の症状はまったく見られず突発性発疹でもなさそうだとのこと とりあえず抗生物質で明後日まで様子を見ることになった。 食欲もあり元気であまり心配はなさそうだった。 赤ちゃんに熱はつきもの。もう慣れっこになってしまったじじとばば。
昼間はよく寝てくれてお守りも楽だった。 綾菜が保育園から帰ってからが大変、まるで小さな怪獣のよう。 娘が遅番だったので晩御飯の支度をしながら大忙しのばあちゃん。
今日は綾菜が「おだいしさんいく」と言ってくれて二人でお参り。 「めいちゃんのおねつがさがってほいくえんにいけますように」 子供心に心配しているのがわかる。大好きな妹のために手を合わす。
それから川辺におりて川海老を獲っていたおじさんとしばらく遊んだ。 チヌ(黒鯛)が何匹も寄って来ていてそれを見た綾菜が大喜び。 「おんちゃんありがとう!またおさかなみせてね」手を振って別れる。
自然とふれあえる環境にいられるありがたさをつくづく感じたことだった。
梅雨時でも幸い豪雨がないおかげで今日も清らかな川の流れ。
さらさらさら、水に流してしまえば何事もすっきりと心地よくなる。
明日のことはまたあした。今日という日に感謝して眠りたいと思う。
二十四節気のひとつ「夏至」いよいよ本格的な夏となる。
梅雨時ですっきりとしないお天気が続いているけれど
晴れたら一気に夏らしくなることだろう。
山里の職場には母が帰って来る。
入院しているあいだに三キロも痩せてしまったらしく
なんだかやつれていてしんどいのではないかと気遣う。
そんな心配をよそに庭仕事をしたりして思いのほか元気。
心配し過ぎると機嫌が悪くなるのでそっと見守るばかり。
お昼前から雨がぽつぽつと降り始めた。
じいちゃんから電話、「洗濯物はどうしょうか?」
軒下なのでそのままにしておくことにしたのだけれど
洗濯物の心配をするじいちゃんがちょっと微笑ましかった。
帰宅してすぐにコインランドリーへ。
それから綾菜をお迎えに行って一緒にまたコインランドリーへ。
「じどうはんばいきあるね」駄目と言っても聞かないのでりんごジュース。
ふかふかの洗濯物をたたむ。便利な世の中になったものだなんて。
綾菜のパンツの可愛いこと。三歳になってからやっと紙パンツ卒業。
晩御飯、お風呂、いつもと変わらない日常のこと。
ささやかでほんとうに平凡な日々が続いているけれど
そんな平凡こそが幸せなのだなとつくづく思う。
今日も生きていたんだな。「ありがとうございました」
晴れのち曇り。久しぶりの青空が嬉しかった。
朝のうちにお大師堂へ。水を運んだり花枝を新しくしたり。
休日だからこそ出来ること、ゆっくりとお参りをして帰る。
父の日。仏壇の花枝も新しくして手を合わす。
遺影だけの小さな仏壇、それが私に出来る精一杯の供養だった。
我が家にはじいちゃんと婿殿、二人の父親がいてくれる。
綾菜の保育園では父の日のことを話さないのだと娘から聞いた。
母の日も同じく、それだけ片親の子供が多いのだそうだ。
今夜は奮発してお肉にしよう。勇んで買い物に行ったものの
牛肉の高いこと、すっかり諦めてしまってひき肉を買って帰る。
ハンバーグだって立派なご馳走。じいちゃんも婿殿も喜んで食べてくれた。
いつもは一本のビールも今夜は二本。ささやかな父の日であった。
夕食後、お風呂から出ると「ばあちゃんよ〜」とじいちゃんが呼ぶ。
芽奈が眠くなっていた。抱っこしてゆうらゆうら、すぐに寝てくれる。
そうして今日も穏やかに暮れて行く。みんな笑顔それがなによりのしあわせ。
2015年06月20日(土) |
人生は長いようで短い |
曇り日、蒸し暑くもなく過ごしやすい一日だった。
姑さんの妹にあたる叔母の三回忌。
いとこたちがみんな集まりにぎやかにおこなう。
昨年の一周忌には姑さんも参加できたのだけれど
今年はもう無理だった。なんともせつないけれど。
いとこたちと集えば話は孫のことばかり
みんな白髪のじいちゃんばあちゃんであった。
歳月が流れて世代交代していく。そういうふうになっている。
そうしてやがては自分のお葬式も、法事もと考える。
まだまだ先のことでしょって笑えない年になった。
人生は長いようで短い。最近つくづくそう思うようになった。
帰宅すればふたりの孫にかこまれてなんだか夢をみているみたい。
ずっとずっとこんな穏やかな日が続けばどんなに良いだろうか。
今夜も芽奈とお風呂。ばあちゃんの楽しみがまたひとつ増えた。
霧のような雨。午後になりやっと降りやむ。
山里の職場は開店休業だった。同僚がお休みしていて
母もまだ病院から帰って来れなかったのだ。
そんな母とメールのやりとり、それがけっこう楽しい。
「ひまわりおばさん」のことを思い出した。
なんだかくすぐったいような懐かしさ。
帰宅して綾菜をお迎えに行って帰ってから
雨あがりの土手を一時間ほど散歩する。
保育園であったことなどいろいろ話してくれて嬉しい。
雨ばかりの日が続いているから久しぶりのお散歩だった。
そうして今日も平穏に暮れて行く。
毎日が「いただいている日」決してあたりまえではない日々。
「ありがとうございました」今夜も手を合わせて眠ろう。
朝から断続的に雨が降り続いている。風も強く小さな嵐のよう。
今夜は娘が保育園の保護者会があってさっき出掛けて行った。
芽奈と一緒にお風呂に入る。ふにゃふにゃして可愛い。
私と入ることはめったにないので緊張したのかしがみついていた。
「毎日一緒に入れば?」と娘。「それも良いかも」と即こたえる。
お風呂上がりにミルクを飲ませるとすぐに眠ってくれた。
一時間は寝てくれるかなとじいちゃんに頼んでこっそり焼酎タイム。
いつもならくつろいでいる時間だけれど今夜はそうはいかない。
「ばあちゃんよ〜」ってじいちゃんがすぐに呼ぶの。
今のうち今のうち。たまにはこんな夜もあってよしかなと思う。
窓の外はまだ明るい。ぴちぴちちゃぷちゃぷ、それにしてもよく降る雨。
2015年06月17日(水) |
ねむの木の花が咲いたよ |
曇り日。夕方からまた雨が降り始めた。
山里にねむの木の花が咲き始めて心を和ませる。
まるで天使が木の枝で眠っているようでとても好きな花。
午前10時になっても母が出勤してこないので心配になり電話する。
「どうしたの?」となんとあっけらかんとした声。
一泊の予定の検査入院が長引いているのだそうだ。
それならそうと連絡してくれたら良いのにと思うだけで何も言えず。
もう入院は慣れっこになっているのだ。元気そうな声に安心する。
来客があり少し遅くなって帰宅。玄関に胡瓜の山を発見。
従姉妹が持って来てくれたそうだ。ありがたいことである。
姑さんが元気な頃は畑仕事を頑張っていたから野菜に不自由しなかった。
従姉妹がいつも気遣ってくれて季節の野菜を届けてくれるのだった。
さっそく浅漬けにする。明日の朝ごはんがとても楽しみ。
夕暮れて雨音を聴きながら孫たちとふれあうひと時。
「あしたもあめやって」綾菜の声ににっこりと微笑んでいた。
ぽつりぽつりと雨が降る。静かで優しい雨。
還暦が近くなったせいかまた同窓会の報せが届く。
青春時代を過ごした県東部の海辺の町だった。
「絶対に来てね」と当時の親友が言うのだけれど
「行けない」と言ったらどんなにか残念がるだろうか。
聞けばつい最近亡くなった同級生もいるということ
会える時に会っておかなければいつ最後になるやら。
すごくすごく複雑な気分になってしまって考え込むばかり。
懐かしい友たちの顔が目に浮かぶ。
それは最後に会った日のそのままの姿であった。
歳月は流れてしまったけれど、あの時のままで
それでよいのではないかとふと思ったりしている。
私は「行かない」行けないのではなくて「行かない」
薄情なのかもしれないけれど、いや私はきっと儚いひとなのだ。
今朝は晴れていたけれど夕方からまた雨が降り始めた。
静かな雨だ。こんな雨音を聴きながら眠るのが好き。
母がまた高知市内の病院へ。検査入院で一泊で帰る予定。
心臓がぼろぼろになっているのだろうか・・・。
ゆっくりと楽をさせてあげたらどんなに良いだろうかと思う。
お昼に母から電話、仕事の事ばかり話しているのだもの。
帰宅してお大師堂でいろんなことを考えながら手を合わす。
何事もまあるくおさまっているようでどこかに傷があるような日々。
その傷の手当てもままならないままただただ流れていく日々だった。
けれどもそれが「人生」って言うものかしらと考えたりした。
言い換えれば傷のない人生なんてありえないのだもの。
転んでも泣き続けていてはいけない。
傷口はかさぶたになりやがて「ああ、あの時の傷」って思い出にさえなる。
雨の日曜日。少し肌寒い雨だった。
今日で生後9ヶ月になった芽奈といちにち過ごす。
ハイハイからつかまり立ちへ、日に日に成長している姿が微笑ましい。
お守りも目が離せなくて追い掛け回しているけれど
それもじじばばの楽しみでありがたいことだと思う。
孫たちとふれあう日々、ああ長生きがしたいなといつも願っている。
まだそんな年ではないでしょと人によく言われるけれど
ある日突然ぽっくり逝ってしまわないとは限らないから
それは考えただけで恐ろしくて不安でいっぱいになってしまうのだ。
今日も生きていた。明日も生きていたい。毎日毎日そう思う。
「ありがとうございました」今日も手を合わせて眠ろう。
晴れのち雨。大急ぎで洗濯物を取り入れたり。
綾菜がお手伝いしてくれた。小さな手に洗濯物を抱えて。
土曜日は芽奈は夕方まで保育園が預かってくれるのだけれど
綾菜はお昼に迎えに行かなければいけなくて忙しいばあちゃん。
お昼ご飯を食べさせたり遊び相手になったり。
お昼寝もなかなか寝てくれなくて「ももたろう」の本を読んだ。
それでも寝てくれないので「目をつむらないと鬼がめん玉を取りにくるよ」
「めん玉にマヨネーズつけて食べるがぜ」って言ったら慌てて目をつむる。
微笑ましくて穏やかな午後となった。ばあちゃんも一緒に添い寝。
静かな雨音を聴きながらうつろうつろしていた。
なにか夢をみていたような気がするけれどなんだっけ?
梅雨の晴れ間。気温は32℃を越えとても蒸し暑い真夏日となる。
仕事を終えて帰宅、今日はお大師堂に行く事が出来た。
やはり思っていた通り例のお遍路さんがノートに書き残してくれていた。
徳島へ一度帰宅してからまた出直すとのこと。
ほっとしたのと、どんなにか悔しかった事だろうと複雑な気持ち。
けれどもお大師さんはきっとまた呼んでくれるから。
ノートには「またきっと会いましょう」と綴られていた。
私も従兄弟もなんだかまた会えそうな気がしている。
今度こそは四万十大橋を渡れることだろう。
ささやかな出会いだったけれど忘れられない出会いとなった。
一期一会。ほんとうにご縁があったのだなと思う。
「やまない雨はないのだから」ふとつぶやきながら職場へ向かう。
雨合羽を羽織ったお遍路さんがふたり険しい峠道を上って行く。
いつも声をかけられなくてその背中に手を合わすばかり。
お大師堂の例のお遍路さんはどうしているだろうかと気がかりでもあった。
徳島へ帰る決心をして駅に向かっているだろうか。
もしかしたら無理を承知で足摺岬に向かったのかもしれない。
お大師堂に何か書き残してくれているような気がしていたのだけれど
今日に限って帰宅が遅くなる。綾菜のお迎えの時間になっていて
すごく気になりながらもお大師堂へ行く事が出来なかった。
どんな日もあってよしか。諦めてしまうとなんだかせつない。
こころにぽっかりと穴が開いてしまったような気分になる。
その穴にも雨が降る。大きな大きな水たまりが出来る。
「あしたははれやって」綾菜の声ににっこりと微笑み今日が暮れる。
梅雨の中休み。午前中は薄っすらと陽射しがあって嬉しかった。
仕事を休ませてもらって整形外科へ。 川仕事の撤収作業をしていた頃からずっと骨盤のあたりの痛みがあった。 あまりに長引くので今日こそはと診てもらったのだけれど 特に骨には異常なしとのこと。湿布薬でしばらく様子見となった。 すぐには治らないのは年のせいか。気長に付き合っていくしかないだろう。
午後お大師堂へ。ちょうど従兄弟と一緒になってよかった。 例のお遍路さんも午前中に病院へ行っていたようだった。 話を聞いてなんとびっくり。てっきり食あたりだと思っていたけれど なんとマダニに咬まれていたことが分かったのだそうだ。
恐るべしマダニである。感染症で死亡する人もいるらしく鳥肌が立った。 そのマダニをお医者さんが見つけてくれて切開して取り除いてくれたそうだ。 潜伏期間からするとまだ徳島を歩いている時に咬まれていたようだ。 ちょうど胸のあたりでお遍路さんも重い荷物のせいの痛みと思っていたらしく まさかそのせいで腹痛や下痢に襲われるとは思ってもいないことだったようだ。
お医者さんはしばらくの安静を勧め一度帰宅するように助言したらしいが お遍路さんはなかなか決心がつかないようで今日も迷っていた。 私も従兄弟と一緒に一時帰宅を勧める。区切り打ちでも良いのではないか。
「お大師さんがまたきっと呼んでくれるから」と励ますばかり。
聞けば三日前、四万十大橋を渡ろうと思っていた時に腹痛に襲われたとのこと。 そうしてお大師堂までやっとの思いで辿り着いたのだそうだ。
お大師さんが引き止めてくれたのだと思う。きっときっとそうに違いない。
歩き続けることにこだわってはいけない。そんな声も聞こえる気がする。
嘆くばかりのお遍路さんを精一杯励ますことしか出来なかったけれど
私も従兄弟もかけがえのないご縁をいただいたのだと思った。
降り続いていた雨がやっとやんで西の空が茜色に染まる。
明日は晴れるのかもしれない。そんな空をほっと仰いでいる。
お大師堂に体調を悪くしたお遍路さんが逗留している。 腹痛と下痢でとても先には進めそうにないとのこと お参り仲間のいとこが正露丸を届けてあげたらしい。
そのことを今朝いとこから聞いて様子を見がてらお大師堂へ。 40歳ぐらいだろうか、徳島の霊山寺のすぐ近くに住んでいるのだそうだ。
諦めて帰ろうと思えばすぐに帰れるのだけれど ここまで来たからにはなんとしても結願したいと話してくれる。 進みたくても進めない、どんなにかもどかしいことだろうか。
とにかく体調が良くなるまで休むことをすすめた。 正露丸で少しは落ち着いたらしいけれど、まだ本調子ではなく 明日は病院へ行ってみようかと言うことになった。
幸い市街地まで行かなくても胃腸科のある病院が近くにあって その病院をおしえる。タクシーで行くから大丈夫と応えてくれた。
車で5分の道のりも歩けば一時間近くかかるのだった。 「歩く」ってほんとに大変なことなのだなとつくづく思った。
どうか大事に至りませんように。きっときっと治りますように。
明日も会う約束をして別れる。お大師さんどうか彼を見守ってあげて下さい。
朝からずっと雨が降り続いている。
「あしたもあめやって」綾菜はずっかりお天気お嬢ちゃん。
月曜日の仕事はぼちぼち。来客もなくしんと静か。
雨のせいかもしれない。母となんだかしょんぼりとしていた。
私はついついマイナス思考。いつも悪い事ばかり考えている。
けれども母はいつだってあっけらかんとしていて好きだなと思う。
「生きていたらきっと良いこともあるけん」そう言って微笑んでくれた。
昔話になるけれど多感だった少女の頃。 母と離れ離れに暮らしていた時期が7年ほどあった。
FMラジオのリクエスト番組が流行っていてよく聴いていたっけ。 NHKの高知放送局だった。常連になってスタジオにも度々遊びに行ったり。 そして何度か声の出演も。私は「青い鳥さん」と呼ばれていた。
その放送を母も遠くの町で聴いていたのだと思う。 ある日、「ひまわりおばさんから青い鳥さんへ」と曲が流れたのだった。
すぐに母だとわかった。どんなにか恋しく会いたかったことだろう。
ひまわりおばさんはそれから毎週のように葉書を出し続けていた。 そして私も「青い鳥からひまわりおばさんへ」と葉書を出す。
そんなささやかなふれあいがどんなにか励みになったことだろうか。
母と再会できた時は二十歳になったばかりの頃。
「ひまわりおばさん?」私は決して訊かなかった・・・。
晴れのち曇り。また雨が近づいているようだ。
娘が仕事だったので芽奈のお守りを任される。
綾菜は娘婿がずっと遊んでくれたのでずいぶんと助かる。
芽奈はほんとうに手のかからない子でお守りも楽だった。
ただ「ハイハイ」をし始めたので目が離せないのだけれど。
じいちゃんと二人係で「ほれほれ」言いながらの孫日和だった。
そうして今日も平穏に暮れて行く。決して当たり前ではない「平穏」
娘たちと同居を始めてもう9ヵ月が過ぎたのだなとしみじみと思う。
いただいた日々をありがたく受け止めてただただ感謝するばかり。
「生きているんだな」って思えるのも家族のおかげだなとおもう。
昨日の大雨がうそのように素晴らしい青空。
梅雨特有の蒸し暑さもなくなんとも爽やかな一日だった。
今日は「紫陽花まつり」のイベントがあったので楽しみにしていたけれど
芽奈がまた熱を出してしまってお守りをしなければならず断念。
でも紫陽花はまだしばらく楽しめそうなので近いうちに見に行けそうだ。
熱はあっても元気で食欲もある芽奈と一日を過ごすのもまたよし。
もうひとつ、今夜は山里の小学校の同窓会の報せも届いていたけれど
さんざん迷った挙句「欠席」を選んでしまった。
情けないことだけれど経済的な理由がいちばんだった。
夫も娘も「行って来たら」と勧めてくれたのだけれど財布がうんと言わない。
決して無駄遣いではないのかもしれないけれど我慢しようと決める。
小学校の時、とても可愛がってくれた女先生が二人も来てくれるとのこと。
すごくすごく会いたかった。会えばきっと涙してしまったことだろう。
もうずいぶんと高齢になっていることだろう。最後のチャンスだったのかも。
けれども行かないと決めたからには潔く諦めなければいけない。
だいじょうぶ。たくさんの思い出があるからそれだけでじゅうぶんだった。
ちょっぴり複雑な気分になりながらも今日も平穏に暮れて行く。
芽奈の熱も下がったようだ。綾菜は相変わらずのちびっ子ギャング。
そう、自分はほんとうに満たされているのだからとつくづく思う夜である。
なんとも肌寒い雨となる。昨日との温度差が10℃もあった。
子供はすごいなと思うのは半袖でもまったく平気なこと。
また風邪をひくのではと心配し過ぎるのは老婆心か。
綾菜をお迎えに行った時もどしゃ降りの雨。
お気に入りの長靴と赤い傘で雨を楽しんでいた。
そして「おだいしさんのとこへいくよ」と言う。
さすがに連れて行くのは無理で「きょうはおだいしさんおやすみ」
おじいちゃんも出掛けていて、娘も今日は遅番。
一人で夕飯の支度をしながら綾菜の遊び相手もする。
ラーメンが食べたいと言い出して慌てて作ったり。
ふたりきりだとすごく甘えん坊になってそれもまた可愛い。
金曜日は仕事の疲れもあってくたくたなのだけれど
ほのぼのとした時間がそんな疲れを癒してくれるのだった。
テレビの天気予報を見ていた綾菜が「あしたははれやって」と教えてくれる。
そんな一言がほんとうに嬉しくてたまらなかった。
明日は晴れ。なんかとても良いことがありそうな気がするね。
どしゃぶりの雨になる。とうとう梅雨入りの報せ。
夕方には雨がやみほんのりと夕焼け空が見えた。
ほっと空を仰ぐ。明日は晴れてくれそうだ。
雨のせいにしてお大師堂へ行くのをあきらめる。
どんな日もあってよしと自分を宥めながら。
けれどもふっと不安になったりもする。
なにかとても悪い事が起こりそうな気がしたり。
だいじょうぶ、だいじょうぶ。きっと見守ってくれているだろう。
そんな不安をよそに穏やかなまま今日も暮れて行く。
孫たちの笑い声、そのおかげでどんなにか癒されていることだろう。
ぐっすりと眠ればまた穏やかな朝がきっとやってくる。
夕方から雨が本降りになる。雨音が耳に心地よい夜だ。
六月は雨の季節。そんな雨を楽しめるようなこころでありたい。
今日もぼちぼちの仕事。母の話し相手にもなってみたり
お昼休みと言うものがないのでお腹が空いた時にお弁当を食べる。
それがいつも早い。今日も11時には食べていた。それも5分で。
買物を済ませて帰宅する前にお大師堂へ行くのが日課になった。
昨日のように綾菜が行きたいと言った時はもう一度行くようにしている。
今日は娘がお休みだったので綾菜を迎えに行ってくれた。
助かるけれどちょっぴりさびしい。気が抜けたようなさびしさ。
夕暮れて晩御飯時はまるで戦場のような我が家であった。
綾菜がスープを床にわざとこぼす。娘がそれを叱る声。
芽奈も一緒に食べたいのだろう、泣き始めたらもう止まらない。
それそれわっしょい。戦場と言うよりお祭り広場なのかもしれない。
忙しいけれどそれが楽しい。今日もみんなが元気で穏やかに暮れていった。
六月が始まる。朝から強い陽射し、今日も真夏日となった。
保育園に綾菜をお迎えに行ったら
「おだいしさんのところへいきたい」と言ってくれる。
ほんとに久しぶり、ちゃんと覚えていてくれたのが嬉しい。
「なむだいしへんじょうこんごう」忘れずにちゃんと唱える。
小さな手のひらを合わせる姿はとてもとても微笑ましい。
また明日ねと約束はしない。だって彼女は気分屋さんだから。
お大師堂から帰ると妹の芽奈も帰って来ていて抱っこしてみたり
「めいちゃ〜ん」と言って頬ずりしたりする。すごい仲良しの姉妹。
今夜もふたり仲良くおりこうさんでねんねしてね。
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