ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2015年05月31日(日) 吾輩は怠け者である

曇り日。たくさんの洗濯物を干して空の機嫌をうかがう。

結局洗濯物は生乾きのままでコインランドリーへ乾燥に。

百円玉ひとつでほっかほっかに乾くありがたさ。


特に予定もなくだらだらの日曜日だったけれど

午前中は娘たちと買い物に行ったりして半日が終わる。

昼下がりにお大師堂へ。今日はお賽銭の回収日でもあった。

百円玉もちらほら、今月分をまとめて地区長さんのところに届ける。


午後はまるでトドのようになってひたすらごろごろ寝てばかり。

その気になればすることはあるのかもしれないけれどすっかり怠け者。

それも良いのかもしれない。怠け者ばんざいの気持ちになってみる。



夜になり孫たちのお風呂騒動がやっと終わった頃、古い友人から着信あり。

元気に仕事を頑張っているものと思っていたけれど解雇になったとのこと。

精一杯の励ましの言葉、「やる気さえあればきっと大丈夫」

それで良かったのだろうか。どんなにか気落ちしていることだろうに。

「会いたいね」と友が言う。「会いに行くね」と約束して電話を切った。


忘れそうになっても決して忘れてはいけないことがある。

いろんなことを疎かにしている最近の自分にそっと喝を入れた出来事だった。



2015年05月30日(土) しゃぼん玉

晴れのち雨。とても蒸し暑い一日。

お昼下がり、息子が圭人を連れて遊びに来てくれる。

綾菜の提案でみんなでシャボン玉を作って遊んだ。

圭人には生まれて初めてのシャボン玉だったようでとても喜ぶ。


ふわりふわりとまるで夢のように風にとんでいく。

それはすぐにこわれて消えてしまうけれど

おおきいのちいさいのといくつも生まれていくのだった。


ばあちゃんもふっと童心にかえり微笑ましいひと時を過ごす。

そうして心のシャッターを押した。いつまでも残しておきたい光景。


孫三昧のありがたい一日もそうして暮れていく。

シャボン玉はたしかに儚い夢のようなものだけれど

なんどでもなんどでも生まれることのできる夢なのかもしれない。



2015年05月29日(金) たそがれ時に

雨が近いせいか少し蒸し暑い一日だった。

職場の近くの田んぼでは稲がずいぶんと育ってきた。

見渡す限り一面の緑は見ているだけで清々しくなる。


金曜日の仕事を終えて帰宅。ほっと肩の荷が下りるようだ。

土曜日はいつも休ませてもらっている。母や同僚には申し訳ないけれど。

今日も母と話していて私も還暦が近くなり普通なら定年退職。

けれども母がまだ現役で頑張っているのだからそれはないねと笑い合った。

まるで難破船のような職場、いつかきっと穏やかな海に辿り着けるのだろうか。


午後四時、今日も綾菜をお迎えに行く。

「まだ帰りたくない」と駄々をこねる。泣きながら家に帰ったことだった。

今日はチョコも要らない。とにかく保育園に戻りたいと言って泣きじゃくる。

それも成長のあかしだろうか。保育園が大好きになってくれたのだから。


五時前、娘と芽奈が帰って来る。芽奈の笑顔にはほんとに癒される。

じいちゃんがすぐに抱っこする。芽奈はすっかりおじいちゃんっ子。

綾菜のご機嫌もやっと良くなって家族みんなで楽しい夕食となる。


食後、二階の窓から茜色の空を眺めていた。

夕陽が落ちていく。数年前まではそれがとてもせつなかったけれど

私はどんなふうに変わってしまったのだろうとふと思ったりした。



2015年05月28日(木) 笑顔は宝物

薄曇りで涼しくて過ごしやすい一日。

紫陽花の花が色づき始めて心を和ませている。

そろそろ梅雨の季節も近いのかもしれない。

紫陽花には雨が似合う。そんな梅雨もまた楽しみ。



仕事を終えて帰宅、今日も夫が洗濯物を取り入れてくれていた。

ありがたいことだ。にこにこしながらそれをたたむ。


午後四時、綾菜を保育園にお迎えに行く。

今日はチョコを買いに行くのだと言ってきかない。

お散歩しながら近くのお店まで行く。

白くて可愛いお花は「ひめじおん」すぐにおぼえてつぶやいていた。

チョコを買ってご機嫌の帰り道、「おしっこ」とおしえてくれる。

家まではもちそうにないのでそのまま土手でおしっこをした。

ここ数日のあいだにおしっこの失敗がほとんどなくなった。

それも成長のあかし、えらいえらいあやちゃんである。


そうして今日も平穏に暮れて行く。家族みんなの笑顔は宝物だ。

「ありがとうございました」今夜も手を合わせて眠ろう。





2015年05月27日(水) 母の後姿

今日も30℃を越え真夏日となる。またまた心地よい暑さ。

青空がまぶしい。鳥になりたいなとふと思う。たとえばトンビ。



仕事は今日もぼちぼち。程よく忙しくそれが楽しい。

母と一緒に集金に行っていた。

私の運転で母をとあるお宅の前で降ろしたのだけれど

細い坂道を母がのぼって行く後姿を見ていてなんともせつなくなった。

それは亡くなった祖母の後姿によく似ていて

母がそれだけ老いてしまったことをつくづくと感じた瞬間でもあった。


いくら仕事が好きだと言ってもこれ以上はもう無理なのでは

そう口に出してしまえば母の機嫌が悪くなってしまうのだけれど

本気で辞めさせてあげたいと思った。あまりにもせつなすぎる。


毎日が親孝行、ただただ見守ることしかできない一日が終わる。



2015年05月26日(火) 茜色の空

からりと良く晴れて心地よい暑さ。

最高気温は30℃を越え真夏日となる。



芽奈が昨夜からまた発熱。今朝も熱があり保育園はお休み。

娘が仕事を休めないのでまたまたお守りを引き受けたじじばばであった。

朝のうちに先日からお世話になっている総合病院の小児科へ。

やはり気管支炎の名残とのこと。思った以上に長引くものらしい。

不思議なのは病院から戻るなり熱が下がってくれたこと。

機嫌よく元気に遊び、よく食べてよく寝てくれてほっとする。


午後は私も一緒にお昼寝。なんと二時間も寝入ってしまっていた。

開け放した窓からの風が心地よい。横になっただけで眠くなる。


綾菜は仕事を終えた娘がお迎えに行ってくれた。

お母さん大好きだからご機嫌で帰宅する。

家族みんなで夕食、綾菜も芽奈もよく食べてくれて嬉しかった。


食後、茜色の空を窓からながめていた。明日も晴れそうだ。

どうかどうか平穏無事に。いつもそう願って手を合わす。





2015年05月25日(月) 心地よい陽射し

今日も夏日。からりと晴れていたせいか陽射しが心地よかった。


月曜日の仕事はぼちぼち。程よく忙しくそれが楽しく思える。

職場復帰は少し憂鬱だったけれど、今はそれも忘れてしまった。

母のご機嫌がすこぶるよろしい。それだけでも嬉しく思える。


買物を済ませ帰宅したら夫が洗濯物を取り入れてくれていた。

そんなちょっとしたことがすごく嬉しい。「ありがとね」って

声に出してちゃんと言えた。「おぅ!」の一言もまた愉快なり。


一服するひまもなくすぐに綾菜のお迎えの時間になっていた。

今日はあえてお大師さんのことは言わないでおく。

「あやちゃんはどこか行きたいの?」と訊いてみる。

「あのね、あやちゃんはより君と遊びたいが」と応える。

そしてご近所のボーイフレンドの「より君」としばらく遊んでいた。


また日々が流れていくうちに「おだいしさん」を思い出してくれるかな。

それまでは決して強制しないようにしようと思っている。



今日も平穏に暮れていく。お風呂場から綾菜と芽奈の笑い声。

ゆばーばは「湯あげばーば」になって大忙し。それも嬉しい悲鳴である。

どうかどうかこのまま穏やかな朝を迎えられますように。

いつもいつもそう願って手を合わす。今日も「ありがとうございました」




2015年05月24日(日) 平穏なままに

少し肌寒い朝だったけれどすぐに暖かくなる。

娘たちが芽奈を残して愛媛まで遊びに行ったので

じじばばはまたまた嬉しい悲鳴の孫三昧をさせてもらった。


午前中はベビーカーでお散歩。お大師堂まで足をのばす。

綾菜とは何度も来ているけれど芽奈と二人きりは初めてだった。

芽奈も大きくなったら「おだいしさん」って覚えてくれるかな。

まだまだ先のことだけれど考えただけで楽しみになってきた。


薄日が差し始めて眩しそうに目を細める芽奈。

おひさまの光をいっぱい浴びて丈夫な子に育ってほしいと願う。


お昼に離乳食、今日は初めての鶏肉にチャレンジ。

アレルギーは鶏肉が大丈夫だったら卵も大丈夫とのこと。

どきどきしながら食べさす。よかった、なんともなくて大丈夫のよう。

もぐもぐと美味しそうに食べてくれる。食後のミルクもごくごく。


午後は一緒にお昼寝。添い寝しているだけで寝てくれるので助かる。

じいちゃんもイビキをかいてうたた寝。お守りはやはり疲れるのかな。



娘たちが帰宅するとパワフル綾菜のはしゃぎ声。

そうしてにぎやかに平穏なままに暮れていく我が家であった。



2015年05月23日(土) 泣いたり笑ったり

曇り日、夕方から雨が降り始める。少し肌寒い雨。

なんとかお天気がもってくれたおかげで綾菜の遠足もちゃんと行ける。

すごく楽しかったようでテンションが高いまま夜になった。


今日は午後から久しぶりに息子が圭人を連れて遊びに来てくれて

それはそれはにぎやかなひと時を過ごす。

芽奈と圭人が積み木の取り合いをして圭人が勝ったら芽奈は大泣き。

いちばんのお姉ちゃんの綾菜が圭人の遊んでいるクルマを横取りすれば

圭人が怒って大泣きになったりと、まさに泣いたり笑ったりであった。


孫三人そろえばどんちゃん騒ぎかな。それがなんとも楽しくてならない。

そしてふっと不思議な気持ちになる。まるで歳月のアルバムをめくるように。

前へ前へと時は流れているけれど、ずっとっずっと見守っていられたら

どんなによいだろうかと思う。失うのがほんとうにこわくてならない。

出来ることならば長生きがしたい。欲のようにいつも思う。


もうじゅうぶんだと思うことは決してないのではないだろうか。

欲張りなおばあちゃんはずっとずっと長生きをしてみせよう。



2015年05月22日(金) 姫女苑が咲いたよ

ひんやりとした朝だったけれど日中は暑いくらいだった。

山里で過ごす一日は緑が目に沁みるように鮮やか。

そんな緑の中を白装束のお遍路さんが通り過ぎて行く。


仕事は少しばたばた。昨日とは打って変わって忙しい一日。

私は忙しいのが大好き。それはとても張り合いがあって良い。



午後三時に帰宅、そのままお大師堂へ向かう。

もし綾菜が行きたいと言ったらもう一度行こうと思っていた。

土手には姫女苑の花が咲き始めてそれは可愛い。

白いチガヤの穂もちろちろと風に揺れて可愛かった。


午後四時、綾菜をお迎えに行く。

何気なく聞いてみたけれど今日も「おだいしさんはいかない」

ついこの前まで毎日の日課だったのに、彼女はよほどの気分屋さんのようだ。


明日は保育園の親子遠足。今日の綾菜はそのことで頭がいっぱいの様子。

お天気が下り坂のようで少し心配だけれど、予定通りに行けることを願う。

今夜は娘がお弁当の下ごしらえをしていた。きっと美味しいお弁当。


穏やかな一日、穏やかなまま夜が更けていく。

この穏やかさがずっとずっと続きますように。



2015年05月21日(木) おだいしさんおやすみ

爽やかな五月晴れ。気温もさほど高くなく過ごしやすい一日。

山里ではホトトギスがしきりに鳴く。テッペンカケタカ。

誰かに語りかけるような鳴き声がなんとなく好きだなと思う。



母が高知市内の病院へ行って留守。もう何度目の通院だろうか。

以前に比べるとずいぶんと元気になったように思う。

けれどもやはり無理は禁物。助けてあげなければとつくづく思っている。

一緒に仕事をするようになった頃はまだ50歳だった母。

ずいぶんと歳月が流れてしまって母は老いていくばかり。



留守番を同僚に頼んでいつも通りの時間に帰宅する。

洗濯物をたたんで一服しているうちにもう綾菜のお迎えの時間だった。

今日はさつま芋の植え付けをしたり、五月生まれの誕生日会もあったようだ。

嬉しそうに話してくれる。保育園はほんとうに楽しそう。


さてお約束の「お大師さん」今日は「おだいしさんおやすみながぜ」と言う。

そうね、お大師さんもたまには休みたいのかもしれないねと微笑む。

幼い子供の発想は愉快なり。それもしんけんな顔をして言うものだから。


「おやすみのところすみません」今日も一人でお大師堂へ。

今日の平穏無事に感謝しながら手を合わす。ありがとうございました。


きらきらと輝いている川面をまたきっと綾菜と見ることが出来るだろう。






2015年05月20日(水) ありがたい風

連日の真夏日。暑いけれどなんだか心地よい暑さ。

爽やかな風のせいだろうか。なんとありがたい風なのだろう。


今日もぼちぼちの仕事。急用で隣町の宿毛市まで行っていた。

高齢のお客さんを助手席に乗せて山里へ帰る。

道中いろんな話をして楽しかった。

若い頃の話から今に至るまで、まさに「人生いろいろ」である。

お宅まで送り届けてから庭にいっぱいのアマリリスを見せてもらう。

「ラッパ草よ」と言う。真紅のそれは見事なアマリリスだった。


山里での仕事は単調なようで時にはこんなふれあいもあって嬉しい。

今日は「いい日」だったなって思った。とても清々しい気分で。



午後三時に帰宅。お休みだった娘が洗濯物をたたんでくれていた。

それがなんとも嬉しくてふにゃふにゃと肩の力が抜けるよう。

それから娘は芽奈を私は綾菜を保育園にお迎えに行っていた。


気分屋さんの綾菜、今日も「おだいしさんいかない」って言う。

じゃあ明日ねって毎日やくそくしているのだけれど(笑)


ひとりぼっちはちょっぴりさびしい。今日はお遍路さんの姿もなかった。

お参りを済ませてから石段に腰をおろし爽やかな風に吹かれていた。




2015年05月19日(火) 五月の真夏日

よく晴れて気温がぐんぐんと高くなる。五月の真夏日。

綾菜を無事に保育園に送り届けてから山里の職場へ向かう。

保育園の門を出るなり綾菜の泣き声が聞こえたのだった。

そんな時は振り向いてはいけないと娘に言われていたけれど

どうして振り向かずにいられようか。一瞬振り向いてしまった。


そうしてとうとう職場復帰。気分一新とはいかないけれど

昨夜も考えたように「与えられたこと」と受け止めていた。

それはとてもありがたいことなのだ。そう思うと苦も楽になる気がする。

母がとても喜んでくれた。やはり何よりの親孝行なのだろう。


わずか五時間のパート仕事を終えて家路に着く。

買物をして帰宅すると洗濯物をたたんでいるうちに綾菜のお迎えの時間。

最近すっかり気分屋さんになってしまった綾菜は

「きょうはおだいしさんいかない」と言い出す。

じゃあ明日ねとまた約束をして一人でお大師堂へ行っていた。

さて明日の気分はどうかしら?と考えるのもまた楽しい。


お大師堂には昨夜泊まっていたらしいお遍路さんが納め札を残してくれていた。

京都の住所が書かれていた。会えなくて残念だったけれど嬉しく思う。


満開のアマリリスに声をかけて川面に手を振るようにして家に帰る。

今日も穏やかな一日をありがとうございました。



2015年05月18日(月) がんばれわたし

朝のうちは青空が見えていたけれど午後から雨になる。

少し肌寒い雨、まだ五月なんだなと思ったり。


今日から山里の職場に復帰する予定だったけれど

綾菜が保育園をお休みしたので一日中一緒に遊んでいた。

もう熱はないので明日は保育園に行けそうな感じ。

元気過ぎて安静にさせておくのに一苦労。

テレビを見たり塗り絵をしたりして様子を見る。


雨の中を綾菜を連れて行くわけにもいかずお大師堂は諦めた。

「おだいしさんいきたい」と綾菜が言っていたけれど。

明日は行く約束をしたので雨がやんでくれたらいいな。



職場復帰が延期になってふっと気が抜けたようにいろいろ考える。

もうこのままずっと行かなくて良いのであればどんなに気楽だろうか。

首を長くして待っていてくれる母には申し訳ないけれどそれが本音。

けれども今年はわずかなパート収入でも家計が助かるのだと思えば

行かないわけにはいかない。いや、行かなければいけないのだなと思う。


あれこれと複雑な心境になるけれど、自分に与えられていること。

それを全うするのが使命のように思ったりする。

とにかく前を向いて歩んで行くしかない。がんばれがんばれわたし。



2015年05月17日(日) かわりばんこ

爽やかによく晴れる。そよ吹く風のおかげでさほど暑さも感じず。

川仕事も終わってしまったのでなんだかぽっかりと気が抜けたような日曜。

ずっと出しぱなしだった炬燵をやっと片づける。

カーペットも夏用に替えてさっぱりと気持ちよくなった。


ほぼ一日中芽奈と過ごす。まだ鼻水が出ているけれど熱はなく元気。

その代わりに今度は綾菜が発熱。元気だけれど食欲がなく少し心配。

けれども元気過ぎて今日もお買い物に行くのだと言って聞かない。

結局娘たちと出掛けてしまった。じじばばははらはらとするばかり。

案の定、夜になり熱が高くなる。ふうふう言いながら今もテレビを見ている。

安静にさせておけばと娘たちに口を出すことも出来ず

子供の事は親にまかせるのが一番なのかなと思ったりしている。


昨夜は妹のために手を合わせてくれた綾菜。

今夜はゆばーばがしっかりと手を合わせて眠りたいと思う。

「どうかどうかあやちゃんの熱が下がって保育園に行けますように」



2015年05月16日(土) 嬉しい悲鳴

ありがたいことに孫三昧の一日。

芽奈の熱は下がっていたけれど念のために保育園はお休み。

あまり手のかからない子なのでお守りは楽なのだけれど

お昼に綾菜をお迎えに行ってからが大変なじじばばであった。

一人がやっとお昼寝を始めたかと思いきや

もう一人が大騒ぎ、やけを言って大泣きをしたり。

じじもばばもくたくたになりながら奮闘する午後。

けれどもそれも嬉しい悲鳴であった。

孫たちのおかげでいただいた幸せなひと時である。


綾菜のお昼寝が遅くなり一緒にお大師堂へ行けなかったけれど

ついさっき、私がこの日記を書き始めた頃に綾菜が部屋に入って来て

小さな仏壇に向かって「なむだいしへんじょうこんごう」

「めいちゃんがはやくほいくえんにいけますように」と手を合わせてくれた。

ほのぼのとした気持ちでこの日記を記す。

私も手を合わせて眠りたいと思う。「ありがとうございました」




2015年05月15日(金) 川仕事終了

曇りのち雨。少し蒸し暑くまるで梅雨時のよう。


芽奈の熱が下がっていたので保育園で預かってもらって

予定通りに最後の川仕事に出掛けていたのだけれど

お昼前にまた発熱、保育園から電話があって大慌てだった。

なんとか川仕事が済むまで預かってもらうことにして

夫とふたり急ピッチで撤収作業を終わらせた。

ほっとする間もなく芽奈を保育園に迎えに行く。

なんと気忙しい日なのだろう。けれども結果はなんとかなった。

例年なら夫と二人で「終わったね」と寛いでいるのだけれど

孫三昧をさせてもらっている身にはそれも禁句のようなもの。


午後四時、今度は綾菜をお迎えに行く。

今日こそは「お大師さん」昨日からの約束をちゃんと果たす。

お大師堂には福岡からのお遍路さんが到着していて挨拶を交わす。

「こんにちは」綾菜もちゃんと挨拶が出来た。

そうして今日は「なむだいしへんじょうこんごう」もちゃんと言えた。

それからお目当てのおせんべい。お遍路さんにもおそすそわけ。

「ばいばい、がんばってね」お遍路さんもにこにこの笑顔で別れる。

幼い心に幼い瞳に「お遍路さん」がどんなふうに映っていることだろう。

ひとを思い遣れる優しい子に育って欲しいものだ。



2015年05月14日(木) 明日の風

今日も夏日となる。風薫る五月とは思えないほどの暑さ。

川仕事もいよいよ終盤となり汗だくになりながら頑張る。



午後四時、綾菜を保育園にお迎えに行って帰って来たら

娘も芽奈と帰って来ていたけれどまた熱が出ているとのこと。

大急ぎで先日お世話になった総合病院の小児科へ連れて行く。

今回は鼻風邪のようでしばらく様子見、元気で食欲もあるので大丈夫とのこと。

それにしてもよく熱が出る。綾菜が小さい頃もそうだったなと思い出す。



夕暮れ時までばたばたとしていて、綾菜と約束していたお大師堂へ行けず。

昨日のお遍路さんの事も気がかりだったけれど仕方なく諦める。

痛い足を引き摺りながら足摺岬に向かったのだろうか・・・。

ただただ旅の無事を祈る。どうかきっと結願出来ますように。



夕飯の支度も遅くなったけれど、娘が手伝ってくれて助かる。

おそうめん。鰹のタタキ。春巻も揚げた。みんなの美味しい顔が嬉しい。


明日は芽奈が熱があればお守りをしなければいけない。

川仕事も明日で終了の予定だったけれど、どんな日があってもよし。

我が家にはいつだって明日の風が吹いているのだもの。



2015年05月13日(水) 同行二人

爽やかな五月晴れ。気温が高くなり暑いくらいだった。

川仕事で心地よく汗を流す。撤収作業も今週中には終わりそう。

午後はぐったりとお昼寝。なんと二時間も眠り込んでしまった。


午後四時、綾菜を保育園にお迎えに行ってお大師堂へ。

沖縄から来たという若いお遍路さんと出会った。

少し頑張り過ぎたらしく足を痛めていて辛そう。

二三日休養すれば少しでも楽になるのではと思った。

けれどもあまり日にちに余裕がないとのこと

どうか無理をせずぼちぼちと歩き続けて欲しいものだ。

以前にも同じように足を痛めたお遍路さんと出会ったことがあるけれど

彼は無事に結願出来たことなどを話してただただ励ます。

同行二人。お大師さんがきっときっと見守ってくれることだろう。


「お遍路さんにもおせんべいあげる」綾菜がそう言って差し出す。

今日も恥ずかしくて「なむだいしへんじょうこんごう」言えなかったけれど

にっこりと微笑むお遍路さんの傍らにお大師さんが寄り添っているように見えた。


今日もご縁をありがとうございます。爽やかな川風を浴びながら綾菜と帰る。



2015年05月12日(火) ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん

土佐沖を台風六号が通過する。

けっこう雨が降ったけれど何事もなくてひと安心。

川仕事もお休みしていたのでゆっくりと骨休みが出来た。


綾菜の保育園を送り迎え。

レインコートに赤い傘、黄色い長靴で雨を楽しむ。

小さな子供は水たまりが好きだ。ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん。


芽奈は保育園が終わってから娘と病院へ。

気管支炎はもうすっかり良くなっているようでほっとする。

ここ数日のあいだにほふく前進と言うのか、はいずるのが上手になった。

明後日にはもう生後八か月になる。ほんとに早いものだ。



悪天候のせいにしてお大師堂には行けなかった日。

日捲りの暦の事やお供えのお菓子の事など気になりながら

もしかしたらお遍路さんが来てくれているかもと思ったり。

行けない日があってもいつも心にはお大師さんがいてくれる。


穏やかな一日に感謝しながら、今夜も手を合わせて眠りたいと思う。



2015年05月11日(月) 夢に餅を

季節外れの台風が接近しているせいだろうか、風が強く少し肌寒かった。

今期最後の海苔の出荷日。やれるだけのことをやった達成感。

良い年もあればそうでない年もあるけれど欲を言えばきりがないもの。



出荷量が少なかったため夫が一人で大丈夫とのこと。

私は久しぶりに山里の職場へ行っていた。

朝の山道はもう新緑の季節、鮮やかな緑が目にまぶしい。

田んぼの稲もちろちろと風に揺れてなんとも可愛らしく見えた。


五時間の限られた時間に溜まっていた事務仕事をやっつける。

お昼休みはいつもないけれど持参のお弁当だけはしっかりと食べる。

「今日は夢に餅ね」なんて言って母がとても喜んでくれた。

私はすることがいっぱいあってあまり母とおしゃべり出来なかったけれど

事務所に私が居るだけでほっとして肩の力が抜けるのだそうだ。


昨日の「母の日」に何もしてあげられなかったことを詫びる。

そうして姑さんの事も話すと「それはいかんよ」と叱られた。

義理の仲だからこそ大切にしなければいけないことがあるのだ。

気を遣いすぎてもいけないけれど「無視」するのはもっといけない。


帰宅して夫や娘にそんな話をしていると

「七月がおばあちゃんの誕生日やね」と娘が提案してくれる。

今度こそ後悔しないように「気持ち」を伝えられそうな気がしてきた。

勇気を出して一歩踏み出してみようではないかと思う。


今日も綾菜とお大師堂へお参りに行っていて

忘れそうになっていた大切なことを思い出した。

私は姑の後継ぎとして毎日お大師さんに会いに来ていると言うこと。



2015年05月10日(日) 母の日

早朝から川仕事、爽やかな朝の風が心地よい。

「母の日」なんだなってずっとずっと思っていた。

実は今年になってからほとんど姑さんの顔を見ていない。

すぐ近くに住んでいるというのになんて薄情な嫁なのだろう。

「母の日」が良いきっかけになることはわかっているのだけれど

何も出来なかった。いや、あえて何もしなかったと言うべきか。

自分が姑さんを避けていることを自覚している。

それがありのままの自分。どうしてなのだろう、自分でもよくわからない。




午後、お昼寝から目覚めた綾菜と芽奈と一緒に散歩しながらお大師堂へ。

ふたりの孫たちのおかげで私はとても幸せな「母の日」をさせてもらった。

夕方には娘婿がケーキとワインを買って来てくれる。

そうなんだ、「母の日」ってこんなに嬉しい日なんだって思った。


姑さんの気持ちを考えると複雑な気分になり心が晴れないまま夜になる。

私が一歩踏み出せばきっとまるく収まることなのだろうけれど。

いったいいつまで薄情な嫁のままで居続けるのだろうか・・・。

ごめんなさいおかあさん。どんなに後悔しても取り戻せない日。



2015年05月09日(土) 雨のち晴れ

雨の一日。夕方には陽が射し始めてほっとする。

お風呂上がり、窓から一番星が見えた。


今日は川で船外機がかからなくなるトラブル。

まだ買って半年にもならない新品なのにどうしたことか。

修理屋さんに来てもらってなんとか船着き場まで。

お昼には綾菜を保育園にお迎えに行かねばならず

今日の川仕事はほとんど出来ないまま帰宅した。

まあどんな日もあってよしかなと思うことにしよう。



綾菜とお昼ご飯。焼きそばを食べて食後に蜜柑の缶詰。

蜜柑の缶詰が大好物なのだ。甘い汁まで飲み干してご機嫌。

さあお昼寝と思ってもなかなか寝てくれなくて茶の間でテレビっ子。

最近はアンパンマンを卒業して「くまのプーさん」とかお気に入り。

同じ番組を何度も繰り返して見てやっと眠ってくれた。


雨が降っていたので綾菜が寝ている間にお大師堂へ。

今日は旧暦の3月21日。地区の「お大師さん」の行事があった。

殺風景だったお大師堂にも季節の花が活けられていてこころがなごむ。

お参りを済ませて外に出たらアマリリスの花も咲き始めていた。

明日は綾菜と来ようと思う。アマリリスをおしえてあげたい。



夕方には雨もやみ今日も茜色の夕空が嬉しかった。

穏やかに時が流れている。それがどんなにかありがたいことか。

「ありがとうございました」今夜も手を合わせて眠りたいと思う。



2015年05月08日(金) ゆびきりげんまん

爽やかな夏日。心地よく初夏を楽しむ。

川仕事も順調で撤収作業もあと数日で終わりそうだ。


きっと大丈夫と信じていた芽奈、今朝も熱はなく無事に保育園へ。

夕方娘と一緒に元気いっぱいで帰って来る。


綾菜とお大師堂へ。川面が夕陽できらきらと輝いていた。

「うみきれいね〜」と言う。「海じゃなくて川だよ」とおしえる。

幼い心は純真で見たままを言葉にする素直さが嬉しい。

ふっと本物の海を見せてあげたくなった。どんなにか喜ぶことだろう。


お大師堂では顔なじみのお遍路さんと再会。

もう一人隣の地区からお参りに来ていた女性と会った。

ちょっと恥ずかしくて「なむだいしへんじょうこんごう」言えなかった綾菜。

でも今日は特別にお大師さんからおせんべいをもらってご機嫌で帰る。

明日もお大師さんに会いに来ようね。ゆびきりげんまんだよ。


やがて西の空が茜色に染まって今日も平穏に暮れていく。

夕陽はいつだってゆびきりげんまん。あしたはきっとやってくる。



2015年05月07日(木) 安堵の一日

朝方は小雨が降っていたけれどすぐに降りやむ。

おひさまがかくれんぼをしたままで少し肌寒い一日だった。


川仕事をお休みして予定通り総合病院の小児科へ。

今朝も微熱があったけれど元気いっぱいの芽奈であった。

「こんな元気な赤ちゃんが病気のはずはないですよ」と

お医者様から太鼓判を押してもらってどんなにか安堵したことか。

熱が続いているのは気管支炎がまだ完治していないせいだと言うこと。

それも峠を越えているようでもう少しの辛抱だと言ってもらった。

処方してもらったお薬が効いたのか、お昼には平熱になる。

そうして夕方になっても平熱のままでほっと胸を撫で下ろした。

今夜は久しぶりのお風呂。なんとも気持ちよさそうにうっとりとしていた。

パジャマを着せながら頬ずりをする。ぎゅっと抱きしめたいくらい愛しい。

最初の発熱から12日目、めいちゃんはすごいすごい頑張ったのだと思う。


まだ油断は出来ないけれどなんとなくもうきっと大丈夫だと思えてきた。

そう信じよう。それが見守って来た家族の使命のようにも思う。


穏やかで平和だった一日に感謝しながら明日への希望を胸につのらせている。



2015年05月06日(水) さらりさらりと

もう「立夏」夏の気配を感じる頃とか。

今日も夏日になって暑くなるのかなと思っていたけれど

晴れのち曇りで爽やかな風が吹き過ごしやすい一日だった。


川仕事で程よく疲れて午後はくたくたとお昼寝をする。

芽奈の熱も下がっていて一緒に添い寝をしていた。

どうかもう熱が出ませんようにと祈りつつ。


けれども夕方になりまた発熱、元気なので熱を測るまで気が付かず。

離乳食を美味しそうに平らげる。みんなと一緒に食べるのが嬉しいようだ。

食後、大量のうんち。お風呂に入れなくてなんとも可哀そう。


明日は川仕事をお休みして娘と一緒に病院へ行くことになった。

お大師堂で手を合わす。どうかどうかお守りください。


さらりさらりと川は流れる。そう何事もさらりさらりと流れるのがいちばん。



2015年05月05日(火) まごの日

「こどもの日」というより我が家は「まごの日」

どこにも連れて行ってあげられず遊んでもあげられなかったけれど

綾菜とおしゃべりしたり芽奈を抱っこしたりしてそれなりの「まごの日」



芽奈の熱はまだ続いていて今日も解熱剤を使う。

食欲もあり元気なら大丈夫と医師から聞いているけれど。

あまりに長引くのでさすがに心配になってきた。

娘たちとも相談して連休明けに総合病院の小児科で診てもらおうと思う。


そんな芽奈ももうすぐ生後八か月になる。

最近は少しおしゃべりらしき言葉も発するようになってきた。

「あった、あった」とか「まんま」「ねんね」とかとても微笑ましい。

きっと綾菜に負けないくらいおしゃべりな女の子になることだろう。


なんとしても孫たちを守りたい。いつもいつもそう思っている。



2015年05月04日(月) 笑顔がいっぱい

雨のち晴れ。汗ばむほどの陽気となる。

川仕事も昨日から漁場の撤収作業が始まっている。

すべての海苔網を引き揚げなければならず汗を流しながら頑張る。

潮がすごい勢いで引いてしまうので、まるでムツゴロウのようになるけれど。



GWで保育園はお休み。綾菜は今日もお婿さんの実家へ遊びに行く。

芽奈は昨夜からまた熱が出ていて今日も小児科へ。

休日の当直医がかかりつけの小児科だったので助かる。

レントゲンも撮ったけれど異常なしとのこと。

最初の発熱からもう10日になる。もう峠は越えているはずなのだけれど。

気長に見守るのもそろそろ限界になってしまった。

連休明けにはなんとかなっているだろうか。がんばれがんばれめいちゃん。

熱はあっても元気な芽奈に励まされている日々である。

ふたりの孫たちの笑顔のおかげで、ああ今日も平穏無事と思えるありがたさ。

そんなありがたさをかみしめるように今夜もぐっすりと眠りたいと思う。




2015年05月03日(日) たんじょうびおめでとう

曇りのち雨。静かにやわらかな雨が降っている。

庭先に金魚草を植える。ほっこりと明るくなって微笑んでいた。


今朝はとても嬉しいことがあって涙がほろり。

新聞に投稿していた川柳が入選していた。

「雨の日のおひさまになる孫ふたり」

偶然にも今日は綾菜の誕生日だったのでよけいに嬉しかった。

愛しさを言葉にするのは難しいけれど

精一杯の気持ちが選者にも伝わったのだと思う。



あれからもう三年、しみじみと綾菜が生まれた日のことを思い出す。

初めての孫の誕生でどんなにか嬉しくて感動したことだろう。

今夜は家族でささやかにお祝い。それも同居の醍醐味である。

これからも元気に大きくなってね。ずっとずっとそばにいるから。

またお散歩も行こうね。お大師さんにも会いに行こうね。

「たんたんたんたんたんじょうび、あやちゃんのあやちゃんのたんじょうび」



2015年05月02日(土) おやすみなさい

雲ひとつない青空。日中は暑かったけれど爽やかな一日。

今日も早朝から川仕事、おそらく最後の収穫になりそうだ。

明日の事は明日になってから。次は漁場の撤収作業が待っている。


今日も一時帰宅をして綾菜を保育園へ。

明日が三歳の誕生日なので今日はみんなでお祝いをしてくれるとのこと。

楽しみにしていたせいか今日は泣かずにご機嫌だった。


娘を送り出し芽奈と作業場へ向かう。

昨日から熱が出ていないので今日は様子見。

お昼前に綾菜を迎えに行って芽奈も一緒にお昼ご飯を食べる。


午後、綾菜はお婿さんの実家へ遊びに行く。

孫二人のお守りは大変なのでとても助かった。

芽奈もぐっすりとお昼寝、それが夕方まで眠り続ける。

もしや?と思い熱を測ってみたらまた高い熱が出ていた。

もう大丈夫と思っていたのにまたまたショックであった。

娘が帰宅するのを待ち坐薬を差してしばらく様子を見る。

熱があっても元気、夕食の離乳食も平らげミルクもよく飲む。

ここは気長に様子を見るしかないなと思った。

綾菜が赤ちゃんの時もそうだったけれど熱を出しながら元気に成長する。


あれこれと気忙しい一日だったけれど、どんな時もあってよし。

明日はあしたの風が吹く。なるようになって何事も収まってくれるだろう。

ぐっすりとおやすみなさい。夢の中でも微笑んでいられるように。



2015年05月01日(金) 風が薫って

今日から五月。風が薫るってほんとのことだなと思う。

新緑の季節でもあり、若い緑がまぶしいほどに心を和ませてくれる。


今日も早朝から川仕事。先に来ていたお仲間さんが両手で「ばってん」を。

もしや?と思ったら案の定だった。昨日まであった海苔が殆どなくなっている。

それでもわずかに残った海苔を根こそぎ収穫して帰る。

「ついにお終いやな」夫とふたり肩の力が抜けたようになっていた。

もうじゅうぶんだと思うことにしよう。やれるだけのことをして頑張った。



一時帰宅をして大急ぎで洗濯物を干す。それから綾菜を保育園へ。

今日から娘が職場復帰、なんとも慌ただしい朝の光景だった。

芽奈は少し微熱があり今日も様子見。ベビーカーに乗せて作業場へ。

海苔を干しているあいだも泣きもせずおりこうさんでいてくれて助かる。

お昼の離乳食も完食。ミルクもぐびぐびとよく飲みすぐに眠った。

おそるおそる熱を測ってみる。よかった、もう平熱に戻っているようだ。

今夜熱が出なければ今度こそ大丈夫だと思う。がんばれめいちゃん。


ばたばたと忙しい一日だったけれど、今はほっと寛ぎながら焼酎タイム。

隣室から綾菜のはしゃぎ声。ゆばーばも一緒にはしゃぎたくなった。


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