弥生三月も今日で終わり。午後からぽつぽつと雨が降り始めた。
まさに「桜雨」風情があってとても好きだなと思う。
二週間ぶりに山里の職場へ顔を出す。
母には連絡もせずに突然に行ったものだからびっくりさせてしまった。
でもそのびっくりが満面の笑顔だったから私も嬉しくてならなかった。
忙しい月末だったけれど来て良かったなってつくづく思う。
帰り道に桜並木の道を通った。なんて綺麗なのだろう。
桜の花ってどんな空の色にも映えて微笑みを絶やさない花だった。
この雨が「桜散らしの雨」になってしまったとしても
潔く散っていく。そんな桜の花のような生き方をしたいものだ。
帰宅してお大師堂へ。するとお遍路さんがぐっすりと眠っていた。
傍らには広げた新聞、よほど疲れていたのだろう読みながら寝てしまったようだ。
起こしては可哀想に思ってそっと外から手をあわせて帰る。
今日も山里への道中でたくさんのお遍路さんを見かけたことだった。
「春遍路」の季節になったのだな。歩き遍路にはとても良い季節だろう。
夕方、保育園から綾菜が帰って来る。
二年間通った保育園ともとうとうお別れしてきたようだ。
お迎えに行っていた娘は先生たちと号泣してしまったとか
綾菜はどうして泣いているのかわからずにきょとんとしていたそうだ。
仲良しのお友達のこと、大好きな先生たちのこと、忘れずにいてほしいな。
高知城の桜が満開になったとか、四万十はまだ七分咲きくらいだ。
お花見などもう何年も行ったことがないけれど
毎日お大師堂にお参りに行っては川辺の桜を愛でている日々である。
お大師堂のことでまた少し変化があった。
ここ数日お賽銭が一気に増えていて
それだけ参拝者が増えたと言うことで嬉しいことなのだけれど
以前から時々なぜか百円玉だけ行方不明になることがあったのだった。
賽銭泥棒とは思いたくもないけれど、賽銭箱を覗くたびに心配でならない。
昨日も千円近く集まっていたので、今日は意を決して区長さんに相談に行く。
そうしたら区長さんの代りにそのお賽銭を集めて来てくれないかと言われた。
もちろんすぐにうなずく。それがいちばん良い策に思えたのだった。
毎日賽銭箱を覗いては大きなお賽銭は持ち帰って保管しておくことに。
そうして月末になったら区長さんのところに届けることになった。
ささやかなことだけれど自分に出来ることがあって良かったなって思う。
なんだかとても清々しい一日。今日も平穏無事に暮れて行く。
いかにも春らしい絹のようにやわらかな雨。
晴天が続いていたから植物にとっては恵みの雨になったことだろう。
この雨で桜の花も一気に咲きそうだった。
雨のため今日は休養日、昨夜から夫と約束していたのだった。
「雨だったら休もうな」って。おかげでのんびりと過ごせて良かった。
例年なら収穫に追われて休む暇もなかったのだけれど
今年はちょっとした晴耕雨読をあじわうことが出来るのだった。
貧乏暇なしもほどほどに。身体にとってはとても優しいことである。
午前中から娘たちが出掛けていたので芽奈のお守りを引き受ける。
最近は歩行器が気に入っていて、抱っこするより座らせていることが多い。
まだ生まれて半年過ぎたばかりなのに足を踏ん張る力がすごくておどろく。
それが適度の運動になっているのだろう。お昼にミルクを飲むとすぐに眠った。
添い寝をしているとすごく癒される。ちいさな天使の可愛い寝顔。
「ただいま〜」綾菜が帰って来る。そうして一気にどんちゃん騒ぎ。
ぐっすり眠っていた芽奈も起こされてしまってあらまあどうしましょう。
そんな感じでにぎやかなまま日が暮れていったのでした。
夕方には青空が見えた。あしたはぽかぽか日和になりそうだ。
2015年03月28日(土) |
ひだまりのあやちゃん |
今日は花曇りかなと思っていたけれど思いがけずに晴天に恵まれる。
川仕事には暑いくらいの陽気だった。今日もひたすらこつこつとがんばる。
お昼下がり、保育園から帰って来た綾菜とお大師堂へ。
お賽銭を入れた巾着袋を大事そうに手に持って
「ふたあついれたよ」って。そうねあやちゃんとゆばーばふたりだもんね。
ちいさな手のひらを合わせて何かつぶやいているなと思ったら
「おだいしさん、おせんべいちょうだいね」って。
きらきらと光る川面と桜を見上げながらふたり並んでおせんべいをいただく。
それはそれは美味しい顔。こころのシャッターを思わず押していた。
それからふと思い立って四月から通う予定の保育園を見に行く。
二年間お世話になった今の保育園とはもうすぐお別れだった。
仲良しのお友達とも可愛がってくれた先生達ともお別れだと思うと
幼心にもどんなにかさびしいことだろうと気遣っていたのだった。
急激な環境の変化についていけるだろうかと心配でもあった。
「わぁすごいね、大きな滑り台、ぶらんこもあるね」
園庭に入りたがる綾菜を見ていると、あんがい大丈夫かもと思えてきた。
すぐに慣れてまたあたらしいお友達がたくさんできそうな気がする。
保育園の近くの空き地で白いお花と黄色いお花を摘んだ。
「ゆばーばにあげるね」ってちいさなブーケを差し出す手。
きっときっとこれからもいいことがいっぱいありそうな午後のことである。
沖の風に吹かれながら青空をみあげるとなんとも清々しい気持ち。
「ああここにいるんだな」って思うといのちがほんとうに愛しくなる。
いつまでだろうどこまでだろうと不安がるのはよそうとふと思った。
川仕事を終えてお大師堂へ。最近ちょっとだけ変化があったことは
朝のうちにお参りに来てくれた人が日捲りをめくってくれていること。
ほんとにささやかなことだけれどそれがとても嬉しかった。
以前は夕方まで昨日のままだったりして、なんだかさびしいような。
気にかけてくれる人が増えたのだなと思うとやはり嬉しくてならない。
お参りをすませてから川沿いの桜の木を見上げた。
わぁ!って思わず歓声をあげる。昨日まで蕾だった桜が咲いていたのだ。
まだほんの少しだけれど今日よりも明日とまた咲いてくれることだろう。
うきうきとこころを弾ませながら家に帰る。ふわりふわり蝶々のように。
いつもと変わらない平凡な一日。
その平凡こそが幸せなのだなとつくづく思った。
とんとんとんと時間がながれていく。
いつものように家族で夕食を食べて
いつものようにお風呂にはいる。
そうして好きな焼酎を飲めるありがたさ。
花冷えの日が続いていたけれど、それも峠を越えたようだ。
もう冬が振り向いて忘れ物を取りに来ることもないだろう。
「春だよ」ってさけびたいくらいこころがふっくらとふくらんでいる。
綾菜の声が聞こえる「ちょとまってちょっとまっておにいさん」
くすくすと笑いながらほろ酔い始めたゆばーばでした。
いつのまに帰って来てくれていたのだろう。
鳴き声が聞こえてはっと外を見ると玄関先にツバメが。
去年は古巣の修繕をしたままどこかに行ってしまったのだけれど
今年はずっと居てくれそうな気がしている。
ツバメの赤ちゃんを綾菜に見せてあげたいものだ。
午前中に海苔の出荷、毎日こつこつと頑張ったかいがあったと思う。
例年よりもずっと少ない出荷量なのに、なんとトップだったことが後でわかる。
お仲間さんと競う気持ちなど少しもなかったけれどやはり嬉しいものだ。
「やったらやっただけのことはあるぞ」夫の言葉が身にしみた一日だった。
頑張ったご褒美に今日は骨休み。おかげでずいぶんと体調も良くなる。
お大師堂にお参りに行ってただただ感謝しながら手をあわせて来た。
川沿いの桜はふっくらとピンク色のつぼみ。
明日は咲いているかもしれないと思うとわくわくと嬉しくなった。
どんな日もあるけれどこころは満たされている。
感謝の気持ちを忘れずにまた明日に向かって歩みだして行こう。
今日も「花冷え」気温は低めだけれど、陽射しはもう春の陽射しだった。
昨日の午後あたりから胃が痛くなってしまって
おそらく日頃の暴飲暴食がたたったのだと思う。
おまけに昨夜は血圧もすごく高くなっていて
「倒れるぞ!」と夫におどかされて早目に床に就く。
布団の中で一気に不安におそわれる。
ほんとにこのまま意識がなくなってしまうのかもしれない。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」じゅもんのように唱えていた。
そうして思いなおす。これくらいのことで死んでたまるか。
弱気がいちばんいけないと思う。私は長生きをするのだもの。
今朝は胃痛も少しマシになっていて血圧も正常にもどっていた。
げんきんなもので「おっし!」といつもの元気を取り戻す。
明日は海苔の二回目の出荷日なので箱詰め作業に追われていた。
お風呂の時間、脱衣所で服を脱いでいたら綾菜がやって来た。
「ゆばーば、おなかが痛いが?あやちゃんが見ちゃるけん」
なんて優しい子だろう。一緒にお風呂に入ってくれるのだそうだ。
久しぶりのお風呂の楽しかったこと。いっぱいお話しもしたよ。
ありがとねあやちゃん、ゆばーばはもうだいじょうぶやけんね!
日中は初夏を思わすような暖かさとなる。
高知にも桜の開花宣言があり四万十もすぐに咲きそうだ。
寒さを乗り越えてこそ咲く桜をこころいっぱいに受け止めてあげたい。
今日は海苔の作業場に三人の孫たちが勢ぞろい。
一歳の誕生日から会っていなかった圭人はほんの少し歩けるようになっていた。
それぞれの孫たちの微笑ましい姿が目に心に焼き付くようだった。
長生きがしたいなと心の底から叫ぶように思ったことだった。
ほんとうにありがたいいちにち。ふっと夢ではないかと思うほどの。
午後、息子と圭人は早めに帰ってしまったけれど
お昼寝から起きた綾菜とお散歩がてらお大師堂にお参りに。
冬の間かくれていたカニさんを見つけて大喜びしていた。
綾菜はよくお大師さんとお話しをする。まるで目に見えているように。
「おせんべいちょうだいね」って例のごとくおねだりをしていた。
トトロの「さんぽのうた」をうたいながら帰った。
つくしの坊やたちも嬉しそうに青空に微笑んでいたよ。
曇り日、ぼんやりとした空のした蝶々がふわりふわりと飛んでいた。
ああ春だなあと思う。野の花のように生きたいなとふとおもう。
川仕事、今日も収穫後の作業を娘が手伝ってくれた。
綾菜と約束していたから。「あやちゃんもおてつだいする」って。
それが今朝は微熱があって安静にしていたほうが良かったのだけれど
「もうおねつないもん」と言ってきかない。
熱を測ってみたらほんとに熱が下がっていてほっとひと安心。
暖かいから大丈夫ねってお散歩がてら作業場へ来てくれたのだった。
娘が手伝ってくれているあいだ芽奈と遊んでくれる。
それが綾菜のおしごと。ほんとうにおりこうさんでした。
午後はディズニーの「おしゃれキャット」を一緒に見ていた。
私のほうが先に眠くなってしまってうたた寝。
はっと目を覚ましたら私のひざの上で綾菜もぐっすり眠っていた。
いっぱいおしごとしたから疲れていたのかな。なんとも愛くるしい寝顔。
明日は息子も圭人を連れて遊びに来てくれると連絡があった。
綾菜がとても楽しみにしている。みんなでいっぱいおてつだいしてね。
つかのまの青空だったけれど春らしいぽかぽか日和。
お大師堂の桜のつぼみもすこしふっくらとしてきた。
川辺の桜に今までどれほどこころを和ませてもらったことだろう。
今年も咲いてくれそうだ。なんてありがたいことだろうか。
今朝の綾菜との会話。「晩御飯はなにが食べたいが?」
「あのね、あやちゃんはピンクのおさかながえいが」
昨夜のこともあって今夜こそは機嫌よく食べてくれるかなって思った。
買い物に行ったらちょうど北海道産の鮭があって良かった〜
夕食時、「ゆばーばやくそくしたもんね」と綾菜。
美味しそうにたべてくれてどんなに嬉しかったことか。
ふっと毎日やくそくしてみるのも良いかもと思ったりした。
いろんなことがある毎日だけれどみんなが笑顔でいられるのがいちばん。
綾菜の笑顔がいちばん大好きなゆばーばなのでした。
降り続いていた雨がやっとやんだ。明日は久しぶりの青空になりそう。
今日は休養日の予定だったけれど、なんだか落ち着かなくて
少しでもと思い川仕事に出かける。雨合羽を着ていると汗びっしょりになった。
暖かいのは嬉しいことだけれど、川仕事は寒いほうがずっと楽である。
夕食時、綾菜がまたわがままを言い始めて困らせる。
おかずが気に入らないと言って「だいきらい」ばかり。
挙句の果てにスープをわざと床にぶちまけてしまったのだった。
これにはさすがに怒らないわけにはいかない。
いつもは優しいゆばーばだけれどつい手を出してしまったのだった。
泣きわめく綾菜を娘がなだめる。どうして叱られたか言って聞かせる。
今度は夫が私を叱った。「親が叱る前におまえが叱るな」って
その言葉にはっとした。冷静になってみれば私がいちばん悪いのだった。
昔ながらの子育てとは違うのだなとうなだれるように反省をする。
どんなにわがままを言っても娘たちには娘たちの子育てがあった。
その方針にでしゃばるようなまねをしてはいけないのだとつくづく思った。
しばらく泣き続けていた綾菜もケロっとして夕食を食べる。
あんなに嫌がっていたおかずもちゃんと食べてご飯も完食。
「あやちゃんごめんね」って言うと「ゆばーばにおこられたが」って。
やれやれこれで一件落着かな。けれどもとても考えさせられる出来事であった。
彼岸の入り。雨が降らないうちにお墓参りに行く。
娘も芽奈をおんぶして一緒に行っていた。
お寺の裏山のお墓は枯葉がうずたかく積もっていて
それも掃除のし甲斐があるというもの。
夫と娘と三人で「まあこんなもんかな」と掃除を終える。
みんなで手を合わせて亡き義父を偲んだことだった。
義父が亡くなった時まだ一歳だった娘には「おじいちゃん」の記憶がない。
そうしてひ孫の芽奈、天国のひいおじいちゃんもきっと喜んでいることだろう。
お墓参りを終えてほっとひと息、帰宅してからお大師堂へお参りに。
お参り仲間のSさんだろうか、古いストーブや扇風機を処分してくれていた。
ずっと気になっていたから嬉しかった。おかげでずいぶんと綺麗になった。
みんながそうして守ってくれる。ほんとうにありがたいことだと思う。
近くのスーパーに買物に行ったら、札幌の自転車遍路さんと再会。
会うのは三度目だろうか、もうすっかり顔なじみになっていた。
今夜はお大師堂に泊まると言うこと。雨が降らないうちに行ってねと話す。
もう何巡目だろうか、今回結願したら札幌に帰るのだと言っていた。
息子と同じくらいの歳だろうか、ご家族もどんなにか心配している事だろう。
話好きの愉快な青年遍路さんである。帰る場所があってほんとうに良かった。
そうして今日も平穏無事に暮れていった。
「やまない雨はない」雨音を聴きながらあしたのことを考えている。
暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだ。
明日はもう彼岸の入り。今日は気温が20℃を越え汗ばむほどの陽気だった。
8日ぶりに山里の職場へ。母の77歳の誕生日でもあった。
けれどもちっとも嬉しくないと言う。「いくつになったか知らない」なんて
母らしいなと苦笑い。そんな母に寄り添うように仕事をしていた。
今日は夫も誕生日でもう63歳になってしまった。
夫と出会った若かりし頃、母と同じ誕生日なのを知って驚いた事を思い出す。
なんだか運命的なものを感じた。それもずいぶんと昔の事だけれど。
母には何もしてあげられなかったけれど、そばにいてあげられて良かった。
夫は家族みんなにお祝いしてもらってすごく嬉しそうだった。
綾菜が保育園でおぼえた「たんじょうびのうた」を歌ってくれて
それがいちばんのプレゼントになったようだった。
母も夫もどうかこれからも元気に長生きをしてほしい。
「生まれて来てくれてありがとう」こころからそう思った日。
曇り日。すっかり春らしく暖かな一日だった。
彼岸の入りも近くなり「寒の別れ」の頃となる。
とんとんとんと今日も足ふみをするように過ぎていく。
立ち止まらずにひたすら前を向いている日々だった。
毎日の平穏無事を絵に描けばどんな絵になることだろう。
夕ご飯の時、綾菜が歌をうたってくれた。
まだまだ「おひな祭り」で我が家の桃の節句は続いている。
みんなで拍手するとそれは得意気に満面の笑顔になった。
手のひらからこぼれおちそうなしあわせ。
それは言葉にできないくらいありがたいことだった。
「ある日とつぜん」いつもいつも不安はついてまわるけれど
怖れてはいけないのだと最近よく思うようになった。
なにがあっても立ち向かっていかなければいけない。
それはきっとかみさまがあたえてくれた大切な試練だから。
「寒さなければ花は咲かず」桜の季節がもうすぐやってくる。
雨のいちにち。雨もまたよしと思えば雨音も心地よいもの。
雨合羽を羽織っていざ出陣と川仕事に精を出す。
なんと因果な商売だろうねなんて夫と笑い合いながら。
春に三日の日和なしと言うけれどしばらくは晴れそうにない。
海苔を天日干しに出来ないのはほんとうに困ったことだった。
めげないめげない。そのうちあふれんばかりの陽射しが降り注ぐことだろう。
午後は炬燵でまあるくなる予定だったけれど
パワフルな綾菜に負けてしまって大賑わいの茶の間であった。
保育園ではいつもお昼寝をしているのだけれど
日曜日はどうしてか眠くならないようだった。
お大師堂に行くのをお休みする。少し後ろめたい気もするのだけれど
毎日行かなければならないとこだわらないのもよしかなと思ったり。
お大師さんもゆるしてくれるかな。たまには休みなさいと言って。
どんな日もあってよし。それがわたし流の生き方になりつつある。
朝方少し雨が降ったけれどすぐに晴れてぽかぽか日和となる。
綾菜の保育園が親子遠足だったのだけれど
公園の芝生や遊具が濡れていたらしくて少し残念だった。
早朝から川仕事、大急ぎで帰ってきて芽奈のお守り。
ベビーカーに乗せて作業場へ連れて行き海苔を干した。
泣きもせずご機嫌で遊んでくれてとても助かる。
帰り道はおじいちゃんに抱っこしてもらって大喜び。
おひさまやそよ風とすっかり仲良しになった芽奈だった。
寒い冬の間ずっと家の中ばかりで過ごしていたけれど
これからは外の空気にいっぱいふれさせてあげたいと思う。
お昼に綾菜たちが帰って来る。お弁当おいしかったよ〜って。
公園では遊べなかったけれど山羊さんを見に行っていたのだそうだ。
楽しいおしゃべりの花が咲く。目をくりくりさせてよくしゃべる。
午後、日課のお大師堂参り。ちょうどお参り仲間のいとこと一緒になる。
二人であれこれとおしゃべりしながら少し掃除をして帰る。
仲間がいるってとても嬉しい。お遍路さんの話ばかりしていた。
そうして今日も平穏無事に暮れていった。
いつもいつも思う。それは決して当たり前のことなんかじゃなくて
天からさずかった「ありがたい一日」だということ。
2015年03月13日(金) |
貧乏ひまなしされど満たされ |
今朝は真冬並みの寒さだったけれど、日中はすっかり春の陽気。
青さ海苔の干し場には「からすのえんどう」が可愛い花を咲かせて
踏まないように踏まないようにと足元に気をつけながら海苔を干す。
それにしても陽射しのありがたいこと。海苔の乾きが早く大助かり。
午前中は川へ、午後からは乾いた海苔の箱詰め作業に追われる。
休む暇もなく忙しい一日だったけれどとても充実感を感じた。
「貧乏暇なし」というけれどまさにそんな感じである。
今年の収入は例年の半分というところだろうか。
それでもこつこつと頑張るしかない。欲を言えばきりがないもの。
買物に行けば常に「節約」が頭から離れない。
美味しそうなケーキにごくんとつばを飲み込み
花屋さんの店先では買ったつもりでいろんな花を愛でている。
なんだかちょっぴり悔しいような、けれどもそれで満たされる日々。
夕方、やっとお大師堂にお参りに行けた。
広島からだと言う若いお遍路さんと出会った。
ゆっくりと話せなかったのが少し心残りでもあった。
帰り道、川沿いの早咲きの桜がもう咲いていてくれて嬉しい。
それは西に傾き始めたおひさまの光をまっすぐに受け止めてきらきらと光っていた。
寒さも峠を越えたのだろうか。日中は少し暖かくなりほっとする。
それにしても日が長くなったこと。そうして確かに春の気配を感じている。
夕食後、ちょっとしたことで夫が怒り出す。
娘婿が長電話を始めてそれがなかなか終わらないものだから
「お父さんとお風呂に入るがやけん」とずっと綾菜が待っていたから。
けれども面と向かって文句を言わせるわけにはいかない。
娘とふたりで夫をなだめる。長電話は延々と一時間続いたけれど。
いつもは穏やかな夫が怒るなんてめったにないこと。
ピリピリした空気ってとても居心地の悪いものだった。
けれどもみんな家族なのだもの、「ゆるす」ってとても大切なこと。
時には甘やかしても良いのではないだろうかって思った。
お婿さんも仕事のストレスが溜まっていて友達と話したい時だってある。
遠慮せずにそれが出来る環境を作ってあげるのも家族の役目だと思った。
まあるくまあるくいきましょう。角を立ててはいけませんよ。
なにも心苦しい事なんかないよ。
普通に暮らして行けば良いのだから。
そう言ってくれた友の言葉がよみがえった日。
今日も平穏無事、それは決して当たり前の事なんかじゃない。
明日もあさっても、ずっとずっとこれからも
わたしはふつうに暮らして行きたいと思った日。
寒の戻り、朝よりも昼間の気温が低くなりなんと雪が降り始めた。
まるで吹雪のような横殴りの雪にただただおどろくばかり。
冬があがいているのだろう。去りたくはないけれども行かねばならぬ。
そう思うとなんだか可哀想に思えて、好きなだけ暴れなさいって思った。
悪天候のため川仕事も早じまい。茶の間の炬燵の暖かいこと。
それからひとつ気がかりなことがありお大師堂へ向かった。
あれは娘が綾菜をお腹にさずかった時、安産のお守りを届けてくれたお遍路さん。
そのお遍路さんが今日はお大師堂に泊まることをネットのお友達から聞いた。
この雪の中どんなにか辛い思いをして到着することだろう。
コンビニは休業中だし夕食もままならないのではないだろうか。
せめて何か食べる物をと思ってそっとお大師堂に置いて帰って来た。
保育園から帰った綾菜がこの寒いのに「お大師さんに行きたい」と言う。
なんだかすごく不思議な縁を感じずにいられなかった。
安産のお守りのおかげで無事に生まれた綾菜も、もうすぐ三歳になる。
さきほどそのお遍路さんのブログが更新されていて
無事に到着したことを知った。ほっとほっと胸をなでおろす。
「一期一会」私のとても好きな言葉だけれど
ひととひとは必ずつながっている。縁ほどありがたいことはない。
2015年03月09日(月) |
心の春を抱きしめていよう |
先日からの静かな雨とは打って変わってかなりまとまった雨になる。
「春の嵐」かと思えば明日は大きな寒の戻りがありそうだった。
今日よりも10℃も気温が低くなるとの予報。なんだか怖くなってきた。
けれどもそうして冬と春がせめぎあっている。がんばれがんばれ春よ。
悪天候のため川仕事はお休み。10日ぶりに山里の職場へ行く。
たまった仕事をやっつけながら活き活きとしている自分を感じた。
そんな私と居ながら母はすごく寛ぐのだそうだ。
「居てくれるだけでほっとする」なんて言ってなんだかくすぐったい。
次回はいつになるのやら未定だけれど、少しでも助けてあげたいと思った。
帰路につき買い物に寄ったスーパーの近くのコインランドリー。
家族が増えてから毎日大量の洗濯物で1日たりとも洗濯は休めない。
買い物をしている間にふかふかに乾いてくれてほんとにありがたいことだ。
帰宅したら娘がすぐに洗濯物をたたんでくれて嬉しかった。
「ありがとうね」そんな言葉が自然に出てくるのも心地よい。
さあ、明日のことはまた明日。どんなに寒くても心の春を抱きしめていよう!
2015年03月08日(日) |
春近し鼻にも花が咲いてくる |
一雨ごとに暖かくなっている。今日はすっかり春の陽気だった。
明日も雨の予報だけれど少しも苦にならない。
雨が降ったらこころに種をまいてみたらどうだろう。
芽が出るのが楽しみ。そんな日々を送りたいものだ。
こころはちょぴり忙しいけれど
へこたれもせずにまるくまるく転がっている。
不安なこともなんのその。なんとかなるさと励まされて
とにかく行けるところまで行ってみようと思っている。
川仕事を始めてひと月が経った。ほんとにあっという間のひと月。
しょっぱなから風邪をひいてしまって声が出なくなってしまったり
でもその風邪は実は花粉症だったことが判明する。
「ついにおまえもか」苦笑いする夫と二人鼻をかみ続ける毎日。
そんな体調の変化も受けとめてみればどうってことなくて
なんだか滑稽なような愉快な気持ちにさえなるのだった。
あっという間にひと月が経ちまたあっという間のひと月を重ねる。
そうして春に会いに行く。そんな春を感じている「こころ」が好きだ。
春雨じゃ濡れていこうとは言えない冷たい雨。
けれども雨合羽を着て川仕事に行くと少し暖かく感じた。
うぐいすの初音を聴く。春を告げる声はとても耳に心地よい。
そういえば今日は「啓蟄」冬ごもりしていた虫たちが起きだす頃とか。
テレビでは「てんとう虫」の話をしていた。
可愛くてとても好きだ。綾菜に見せてあげたいなって思う。
午後、今日は買い物をおさぼりしてひたすら炬燵でごろごろ。
少し疲れがたまっていたのだろうか、二時間ほどうたた寝をしてしまった。
最近ちょっといろんなことが億劫になっていけない。
やることはちゃんとやるけれど、やりたくないことは進んでやらない。
そのせいで疎かにしていることもあって心苦しいのだけれど
ありのままの自分を受け止めて気の向くままに流れていきたいものだ。
明日のことはあした。今日の平穏無事に感謝しつつ眠りたいと思う。
つくしの坊やたちが背伸びをしながら青空に手を伸ばしていた。
ふりそそぐ陽射しはすっかり春だけれど風が少し冷たく感じる。
「弥生つめたい風」高校時代にすごく好きだった歌を思い出す。
先日は青さ海苔の初出荷、昨日は入札で思いがけないほどの高値だった。
それがすごく励みになって今日も夫とふたりで一生懸命がんばる。
収穫量は少ないけれどとにかく積み重ねていくしかない。
「よかったねえ」って言える日がきっとくると信じていようと思う。
今日も娘が天日干しを手伝ってくれた。ベビーカーの芽奈もおりこうさん。
私たちが家業を継いでからもう33年目になる。
まだ赤ちゃんだった娘を背負ってがんばった日々がとても懐かしい。
お父さんもお母さんも、おじいちゃんとおばあちゃんになった。
歳月は我が家の歴史となってこれからも時を刻んでいくことだろう。
綾菜、今日で2歳と10ヶ月。
芽奈はもう少しで生後6ヶ月になります。
家族みんなでお祝いをして楽しいひなまつりになりました。
明日はお雛祭なので確か着物があったはずと押入れをごそごそ。
良かったありました。なんと30年も押し入れの中に眠っていたのです。
着物といっても昔風のネルの着物で決して上等のものではないのだけれど
色や柄もそのままでとても30年前のものとは思えないのでした。
洗濯ネットに入れておそるおそる洗ってみる。
今日はすっかり春の陽気でおひさまのかおる着物が出来上がりました。
綾菜に着せてみるとなんとぴったり、明日が楽しみになりました。
お雛様も娘の初節句のもの、それをそのまま綾菜の初節句に。
そうして今年は芽奈の初節句にと受け継がれていくのです。
じいちゃんもばあちゃんも一生懸命川仕事を頑張っているけれど
贅沢なことをさせてあげられなくてごめんねって思う。
けれどもどんなに古くても大切なものがちゃんとあるって素敵なことでしょ!
弥生三月ってなんか好き。
なにかが終わるようでいてなにかが始まるような。
せつないけどわくわくするようなところがいい。
朝から降り続いていた雨も午後にはやむ。
強い西風に川面には白波がたっていた。
観光船が行き交う。その観光船も三月いっぱいで終るのだそうだ。
四万十川ブームもそうして危機が近づいているのだと思う。
とても残念なことだけれど、世の中は思った以上に厳しい。
お大師堂にお参りに行って日捲りを千切りやっと三月になった。
いろんなことを考えている。いろんなひとのことを想っている。
疎かにしていることもいっぱいあって心苦しく思うことも。
けれどもすくっと前を向いて歩んで行かなければいけない。
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