曇り時々雨。湿気はあるけれどずいぶんと涼しく感じる。 明日からは八月、いったいどれほどの暑さが待っていることだろう。
月末の仕事を少しざわざわとしながらこなす。 思うようにはいかないことがあってもあたりまえ。 そう思うと気も楽になってなるようにしかならないのだと思えてくる。
しかしこの不景気風はいつまで吹き荒れるのだろうか。 厳しい現実の中でのほほんと過ごしていくのはたやすいことではなかった。
とにかく乗り越える。限界が来た時にはその時のことと母と語り合った。
仕事帰りに買物。なんとなくいつもとは違うお店に行ってみた。 そうしたらなんと小学生の頃の同級生にばったり再会する。 あまりの懐かしさに手を取り合って喜び合った。 最後に会ったのは10年ほど前だったのではと記憶している。 「声をかけてくれてありがとう」彼女のその一言がとても嬉しかった。
ほんのつかの間の立ち話で近況もそこそこに手を振って別れる。 もうお孫さんもいるのだろうな。もっと話したかったなって思った。
少女時代の面影をそのままにみんなそれぞれの人生を歩んでいる。 たしかに年をとってしまった。そんな現実を微笑みながら風に放つ。
気がつけばずいぶんと遠いところまで来てしまった。
けれどもちゃんと「居場所」がある。それはとてもありがたいことだと思う。
連日の猛暑もひとやすみ。今日は少し暑さがやわらぎ過ごしやすかった。 自然の風を楽しむ。実り始めた稲の香りがほんのりと漂う。
先週からずっと忙しかった職場。今週も忙しくなりそうだった。 気が付けば母の退院からもう二週間が過ぎている。 最初のうちはハラハラしぱなっしだったけれど 喉元過ぎればなんとやらで元気な母がついつい当たり前のように感じる。
以前からそうだったけれど、とにかく休むということをしない。 せめてお昼休みくらいゆっくりしてくれたら良いのだけれど あまり口をはさむと不機嫌になるので好きなようにさせるしかなかった。
なにごともあんずるよりうむがやすしかな。なるようになっているこの頃。
「ありがとうね」私が帰宅する時にはいつもそう声をかけてくれる。 ちょっぴりくすぐったいけれどその一言がとても嬉しい毎日だった。
帰宅していつものようにお大師堂へ。 お菓子をお供えしてそのお菓子をご馳走になるのも楽しみ。 お参りに来る人の中にはそれを楽しみにしている人もいるらしく お供えしたお菓子はすぐになくなってしまうのだった。 でもそれをお大師さんが食べてくれたのだなと思うようにしている。 お大師さんの好物は「かりんとう」最近はチョコも好きになったようだ。
平穏無事に感謝しながら今日も暮れていく。
「あした」のことを考えていられる時がいちばん幸せなのかもしれない。
連日の猛暑と蝉しぐれ。蝉のように泣き叫びたいこの頃であった。
お昼前に綾菜を保育園にお迎えに行く。 先日買ったばかりのジュニアシートが気に入ってくれたようだ。 車の中でもずっとおしゃべりをしていて楽しい。 保育園でラーメンを食べたこと。美味しくておかわりをしたこと。
帰宅してお昼寝の準備をしながら録画してあった「バンビ」を見る。 生まれてからずっとお母さんと一緒だったバンビだったけれど ある日猟師がやって来てお母さんが鉄砲で撃たれて死んでしまうのだった。
「バンビかーいそうね」何度もつぶやきながら涙をぽろぽろ流す綾菜。 私も一緒に泣いてしまった。泣いている綾菜が愛しくてぎゅっと抱きしめる。
でもバンビのお父さんが来てくれてほっとした。 良かったね、お父さんがいてくれたらバンビも元気になるね!
「うん、だーじょうぶ」安心したのかすやすやと寝息を立て始めた綾菜。
そう、だいじょうぶ。最近の綾菜はことあるごとに「だーじょうぶ」と言う。 あつくない?のどかわいてない?と問えば「だーじょうぶ」とこたえてくれる。
だいじょうぶの意味がちゃんとわかって言っているところがすごいなと思う。
ばあちゃんもだいじょうぶよ。綾菜と一緒にいるとすごい元気になるの。
二十四節気の「大暑」暦の上では最も暑い頃とされている。 最高気温は34℃、猛暑日にこそならなかったけれどやはり大暑である。
子供の頃には大好きだった夏、エアコンなどまだなかった頃。 なんとアイスキャンデーが一本5円で買えた時代でもあった。
確か夏休みの事だったと思う。母がちょうど留守をしていて どうしてもアイスを食べたかった私は母の財布から10円玉を失敬した。 母に無断でお小遣いをもらうことなんて後にも先にもそれっきりだった。 自分はものすごく悪い事をしたんだなと自覚していたのだけれど とにかくアイスが食べたくて一目散で駄菓子屋さんに走って行った。
オレンジ味のアイスキャンデー、パイン味もあった。ソーダ味もあったっけ。 いつもは一本しか買えなかったけど今日は二本買えるんだとわくわくしていた。
冷凍庫に顔を突っ込むようにして選んだ記憶がある。 そうしてすごく得意げにお店のおじさんにそれを差し出したのだった。
そうしたらなんということでしょう。おじさんが笑いながら「一本だけ」ね。 それがどういう訳なのかわからなくておじさんが意地悪言ってるのかなって思った。
その訳はすぐに分かった。私の持って行った10円玉は穴の開いていない5円玉だったのだ。
なんと恥ずかしいこと。こんなことがあっても良いものかと戸惑う。 抱きしめるように持っていたアイスを仕方なく一本戻す。 もう顔から火がでているような気がした。暑くて暑くてたまらない。
それが戒めとなったのかもう二度と母の財布に手を出すことはなかった。 母に打ち明けたらきっと叱られる。それはもう50年もの「秘密」となった。
暑い暑い夏が来るたびにその「秘密」を思い出す。
すごく恥ずかしくて苦い思い出なのに、なぜか微笑ましくてならない思い出。
梅雨明けのニュースが流れついに本格的な夏がやって来る。 初蝉の鳴き声を聞いたのは数日前だったけれど その声もいっそう力強くなり夏を喜んでいるようだった。
昨日は土曜日のお楽しみで孫の綾菜と過ごす。 最近のお気に入りはカニさんと遊ぶこと。 カニを見つけると大興奮して「とって、とって」とせがむ。
ちっちゃな赤ちゃんカニ。」怖がらずに手のひらにのせてみたり。 カニがハサミを動かすと「ちょっきん、ちょっきん」と大喜びする。
まだ赤ちゃんだからお父さんとお母さんがさがしているよって言うと 「おとうしゃん?おかあしゃん?」そう言って大きなカニをさがすのだ。 大きなカニを見つけると「ばいばい」と言って名残惜しそうに逃がしてあげる。
そんなひと時がとても微笑ましくて、なんだか童話の世界にいるような気がする。
毎日が成長、いろんな光景に出会いながらこころも成長しているのだなと思う。
どうか優しい子に育ってほしい。そんな願いを託しつつこれからも見守っていきたい。
月見草の花が開くとき「ぱちん」と声をあげるのだそうだ。 それは夕暮れ時なのだろうか。一度だけでいいからその声を聴いてみたいものだ。
生きていると言うことはそういうこと。 野の花も雑草もみんなみんなそうして生きているのである。
月見草の話を聞いたのはもうかれこれ30年ほど昔のこと。 当時勤めていた職場の上司から教えてもらったことだった。
その方がまだ19歳くらいの頃だったらしい。 大好きな男性とデートをしたのだと懐かしそうに話してくれた。 胸がどきどきしてまるで夢を見ているようなひと時だったそうだ。
土手の草の上に腰をおろして沈んでいく夕陽を見ていたそのとき 「ぱちん」と声がした。それはいくつも聴こえてきたと言う。
二人のまわりに月見草がいっぱい咲いた。レモン色の初恋みたいに。 それは一生忘れられない素敵な思い出になったのだそうだ。
月見草の花を見るたびにその話を思い出す。 そうしてすごく私のことを可愛がってくれたその方を思い出す。
元気にしているかしら。母と同じ76歳になっているのだな・・・。
稲の穂がほんのりと色づいてきた。 山里の朝はとてものどかでなんとも心が癒される。
お遍路さんがひとり黙々と歩いていた。 おそらく夜明け前に歩き始めたのだろう。 今日も真夏日、夏遍路の厳しさを思うと頭が下がる。
もう木曜日、あらあらと言う間に毎日が過ぎて行く。 仕事に復帰した母がとても張り切っているせいもあって 職場にも活気が戻ってきたように思う。
目に見えない何かが一生懸命に動いているのを感じる。 母にはそんな不思議な力があった。まさに偉大なる母である。
そんな母にみんなが振り回されているのだけれど それがとても愉快に思えて同僚と笑いあったりした。
前途は決して明るくはないのだけれど、母はまるでヘッドライトのよう。 ながいながいトンネルを突っ走って行けるのは母のおかげだと思う。
さてさて明日はどうなることでしょう。
こうなったらもう行けるところまで行くしかない。
今日も相変わらずの暑さだったけれど 風が吹いてくれたおかげでずいぶんとしのぎやすかった。
南風のことを地元では「沖の風」と呼ぶ。 ほんのりと潮の香りもしてとても涼しい風だった。
今も風鈴がちりんちりんと嬉しそうに歌っている。 窓の外は夕焼け。ほうずき色の空に明日が見えている。
今日も平穏な一日だった。ありがとうございました。 手を合わすとふっと胸に熱いものが込み上げてくる。
幸せってきっとこんなこと。とても言葉に出来なくて。
心細いなんて言ったらきっとばちが当たるだろう。
いただいた命をふんわりとつつみこむように胸に抱く。
日中の最高気温が34度、ほぼ猛暑日の暑い一日だった。 そろそろ梅雨明けも近いのかもしれない。そうして本格的な夏がやって来る。
職場の庭にはいつの間に咲いたのだろう、芙蓉の花が満開になっていた。 母が嬉しそうに眺めている。その後姿がとても微笑ましく感じる。
仕事はさほど忙しくもないと言うのにいそいそと動き回る母。 「大丈夫よ」なんて笑顔で言うのだけれど、私ははらはらとするばかり。 つい先日まで病院のベットに横たわっていたのが嘘のようだった。
日常がかえって来る。それはとてもありがたいことだとつくづく思う。
そうして平穏に時が流れて行く。当たり前のことなど何一つないのだけれど。
帰宅してすぐにお大師堂へ、木陰の川風がなんとも心地よい。 なんだかそこだけ時間が止まっているような気がしてならない。 しんこきゅうをする。とくとくと命の鼓動を感じずにいられなかった。
こんなに生きているのにどうして心細いのだろうっていつも思う。
そうしたらお大師さんが笑ったような気がした。「素直でよろしい」なんて。
気温はさほど高くなかったのだけれどとても蒸し暑くて参ってしまう。 まだまだ夏はこれからが本番だと言うのにもう夏バテ気味になっている。
金曜日に無事に退院した母から電話がある。 一気に食欲が出てきて何を食べてもすごく美味しいと喜んでいた。 明日から仕事に復帰すると言う。ほんとに大丈夫なのだろうか。 そんな心配をよそにあっけらかんとしている母を止めることが出来ない。
土曜日は毎週お楽しみの綾菜のお守り。 お昼前に保育園にお迎えに行って夜八時ごろまでどんちゃんさわぎ。 それは楽しくてとても嬉しいことだけれど、なんだかひどく疲れてしまう。 同居の話も本決まりになって来月には引っ越して来る予定なのだけれど 毎日の食事の支度など考えているとふっと自信がなくなってしまいそうだった。
なんとかなるさ。私はそう思うのがほんとうに苦手でいけないなと思う。 やってみなければわからないことでもやる前から怖気づいているのだもの。
日々の暮らしが大きく変わろうとしている。それは決して悪い事ではない。 わかっているけれどどうしてこんなに不安がっているのだろう。
綾菜や生まれて来る新しい命のためにも元気なおばあちゃんでいたいな。
気をしっかりと持たなくては。やってやれないことはないとすくっと前を向いて。
もし自信をなくしてくじけそうになったら いいことだけいいことだけ思い出せ。
綾菜の大好きな「アンパンマン」の歌をいつも口ずさんでいる。
心配していた台風も土佐沖を通過してくれたおかげでとても助かる。 お昼過ぎにはもう薄日が差し始めて雨戸をあけてほっと空を仰いだ。
母の病院へは行けなかったけれど、病院から電話があって 経過が良いので明日にでも退院しても良いと連絡がある。 「そんなに早く」と一瞬思ったけれど、母も帰りたがっているようだ。 大きな病院はベット待ちをしている患者さんも多いらしい。 自宅療養に切り替えせざる得ないのも納得のいく話であった。
でも母のことだからきっと安静になどしていないことだろう。 「大丈夫、だいじょうぶ」と言って一気に日常を取り戻すような気がする。
そんなことを考えているとあまりにも早い退院にとまどっている自分がいた。
せめて今月いっぱいはと思っている。決して母に無理をさせないようにしたいものだ。
76歳。老後のスローライフをさせてあげられたらどんなに良いだろうか。 いったいいつまで母は働き続けるのだろう。もしかしたら死ぬまで。 そんなことを考えているとすごくすごくやるせない気持ちが込み上げてくる。
でもそれが母の人生なのだよと言われたら何も口をはさめない気がした。 娘の私に出来ることを精一杯してあげてこれからも親孝行が出来たらなと思う。
台風一過の青空、母も病室の窓から明るい空をほっと眺めたことだろう。
明日は迎えに行くね。待っていてね!とびっきりの笑顔で迎えに行くから。
大きな台風が不気味に近づいていてとても怖ろしい。 どうか直撃を免れますように、そればかりを祈っている。
午前中に母の二度目の手術があり病院へ駆けつける。 昨日主治医の先生から説明があり、とてもリスクの大きい手術だと聞いていた。 けれどもその手術をしないと命に関わると言うのだからやるっきゃない。 不安がる母をなだめてすべてお医者様にまかせることになっていた。 いちかばちがそんな心境。きっとうまくいくと信じながら。
そんな願いが通じたのか思ったよりも早く無事に手術が終わる。 手術前には泣きそうになっていた母もケロっとした顔をしていた。 安堵の気持ちが込み上げてくる。もうこれで大丈夫だと確信する。
経過さえ良ければ週末にはもう退院出来るのだそうだ。 出来ればもう少し休ませてあげたいけれどそういうわけにはいかないようだ。 今まで通りの日常生活が送れるのだろうかと少し心配なところもあるけれど。
「もう大丈夫だから早く帰りなさい」母に追い立てられるように帰宅する。 昨日は行けなかったお大師堂にお礼参りに行った。 そうしたら顔なじみのお遍路さんが来ていて一気に笑顔の再会となる。
以前にも記したことがあったけれど、お接待の強要のこと。 それがまったく気にならなくなっている自分に気がついたのだった。
お醤油とお砂糖を頼まれる。ちょっと待っていてねと大急ぎで取りに帰る。 今日は蒸し暑いからビールも良いかなと「おまけ」と言って届けることが出来た。 そうしたらなんと思いがけないことに、お礼だと言って可愛い絵葉書を頂いたのだった。 それはパンダのお遍路さんのイラストで、なんとも可愛くて思わず歓声をあげるほど。
ほっこりほっこり笑顔でいっぱいになって帰宅する。
なんてありがたい一日だったことだろう。
だからこそ生きていられる。ふっとそう思った一日でもあった。
お大師堂に浜木綿の花が咲く。まるで白装束のお遍路さんのように。
昨日は地区の老人クラブの皆さんがお大師堂周辺の草刈りをしてくれて 生い茂っていた夏草も散髪をしたかのようにさっぱりと綺麗になった。
川面を見つめているような浜木綿の花。とても凛としていて存在感がある。
午前中に母の病院へ。昨日は行けなくて気になっていたけれど やっと点滴の針が外れてずいぶんと楽になったようだった。 トイレにも行けるようになり、少しずつ歩くリハビリを始めたらしい。 昨日は売店にも行って昆布の佃煮や梅干を買って来たと言うこと。 病院の食事に不満ばかり言っていたけれど、ご飯も美味しくなったと喜んでいた。
明後日には次の手術を控えている。ひと山越えてまたひと山。 頑張り屋さんの母だもの、きっと乗り越えてくれることだろう。
病院にいるあいだに息子から電話があった。 日曜日に仕事が休めるのはめったになくて圭人を連れて遊びに来てくれると言う。 「それは楽しみね、早く帰りなさい」と母が言ってくれて喜び勇んで帰宅する。
久しぶりに会う圭人。ずいぶんと大きくなっていてびっくりした。 もうすぐ生後5ヶ月になる。足が丈夫で立たせるともう踏ん張っていた。 ひいおばあちゃんにも会いに行って姑も大喜びしていた。 寝たきりの姑の笑顔を久しぶりに見たような気がする。
昨日は綾菜、今日は圭人と私も夫も孫三昧をさせてもらってほんとにありがたい。
元気に長生きをしなければ、孫たちとふれあうたびに「勇気」がわいてくるこの頃である。
雨が降ります雨が降る。遊びにいきたし傘はなく。
しんみりとした雨を涙雨とは呼びたくないなとつくづく思った。
6月30日の深夜、夫の伯母がやすらかに息をひきとる。 96歳の大往生であった。まさに天寿を全うした最期となった。
日記に記しておかなければと思いつつもう三日目。 なんだか気分がざわざわと落ち着かず何も綴れずにいたのだった。
今日は告別式、無事に終わってほっとしている。 哀しみも寂しさもなくただただ伯母の死を静かに受け止めている。
お棺のなかの伯母はにっこりと微笑んでいてなんとも救われる思いだった。 こんなふうに逝けたらどんなに良いだろうかとしみじみと思う。
すぐ近所に住んでいたので夫も私もとても可愛がってもらった。 老人ホームから病院へ入院したと聞きお見舞いに行った時も 「よう来てくれたねえ」とすごく喜んでくれて涙を流していた伯母であった。
私にとってはお大師堂の大先輩、お大師堂の「ぬし」と言っても良いほど。 地元では「生き仏さん」と呼ばれるほど信仰心の厚い伯母でもあった。 元気なころにはお四国参りにも行きもう50回も巡っていたらしい。 お遍路姿の伯母が目に浮かぶようだ。とても凛とした姿がまぶしい。
今頃はもうお大師さんに会えていることだろう。 そう思うと不謹慎にも祝福してあげたい気持ちが込み上げてくる。
微笑みながら会いたいひとに会いにいく。そんな旅立ちであった。
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