ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2014年01月30日(木) たんぽぽとひまわり

朝からどしゃ降りの雨。まるで春の嵐のようだった。
そんな雨も午前中にやんでくれてすぐに陽射しが降り注ぎ始める。
気温もぐんと高くなりすっかりぽかぽか陽気となった。

職場の庭の紅梅のつぼみはちょうどマッチ棒ほどのふくらみ。
立春も近くなり春の足音がすぐ近くで聞こえているような気がする。



昨日は伯父の葬儀があり、なんだか大往生の「お祝い」のようにして終わる。
みんなでにぎやかに見送ってあげることが出来てほんとうに良かったと思う。
たくさんの思い出を残してくれた伯父のことをいつまでも忘れることはないだろう。

帰宅するなり娘と綾菜がやって来て晩御飯やお風呂と慌ただしく過ごす。
ちょっぴりしんみりとしていた日だったけれど、とても良い気分転換になった。

そして今夜も、またまた晩御飯とお風呂でにぎやかな我が家であった。
昨日からお婿さんが出張で留守をしているとのこと、実家を頼ってくれて嬉しかった。

娘と綾菜がいてくれるだけでまるでお花畑にいるような我が家。
たんぽぽとひまわりが一緒に咲いたような気分になるのだった。


来週からは川仕事が始まるので週末の楽しみがなくなってしまうのが寂しい。
保育園にお迎えに行けるのも今週で最後になってしまいそうだった。

欲張りなバーバは毎日だって会いたくてたまらない。
いっそ二世帯住宅にして一緒に住むか、なんてジージが出来もしないことを言って笑う。

無理なこととわかっていても夢がどんどんふくらんでいくバーバであった。



2014年01月28日(火) 命のろうそく

霜の朝から一気に気温があがり日中はとても暖かくなった。
冬のおひさまほどありがたいものはなくて日向ぼっこをしたくなる。

ずっと平穏な日々が続いていたけれど
昨日は突然の訃報が舞い込んできた。
川向の地区に住む伯父が急死した知らせだった。
姑の兄にあたる人でとても穏やかで優しい伯父であった。

四万十大橋が開通してからというものよく自転車で遊びに来てくれたり
とても元気そうだったのだけれど、ほんとうにあっけなく逝ってしまった。
夫ともども私も可愛がってもらって大好きな伯父であった。

嘘でしょう?一瞬そう呟いてしまうほどのあっけない死。
やはり人は死んでしまうのだなと現実を叩きつけられたような気がした。


今夜はお通夜、心から手を合わせてさきほど帰ってきた。
92歳の大往生とはいえなんとも寂しいことである。

私も年を重ねるごとに「死」がとても身近に感じられてならない。
今は病気もせずにこうして元気に日々を過ごしているけれど
ある日突然にそれが襲って来たらと思うと不安と恐怖で胸が張り裂けそうだった。

生きたいと思えば思うほど不安になってしまうもの。
命のろうそくなどある日突然に消えてしまうのかもしれないと思う。
消えてしまわないように自分でその炎を守れたらどんなに良いだろうか。

こうして命あることのありがたさ。かみしめながら今夜も眠る。

明日のことを考えていられるだけで幸せなのだなと思っている。



2014年01月26日(日) いっぱいのしんこきゅう

つかの間の春らしさも今日限りか、明日の朝はまたぐんと冷え込みそうだった。

そんな暖かさを惜しむように土手の道をたくさん散歩する。
お大師堂のかたすみに咲く水仙の花にこころをなごませ
今度は川沿いの道を水の流れに沿って大橋のたもとまで

ああ生きているんだなとすごく感じる。
自然の風景にふれることでこころもからだもしんこきゅうをしているようだ。

ずっと昔「心呼吸」という詩を書いたことがあったけれど
ある詩人の方から「深呼吸の間違いですよね」と誤字を指摘されたことがある。

あれはいったい何だったのだろうか。ふっとそんな昔の記憶がよみがえった。
こころが呼吸をしているのだ。それがわかってもらえなかったことが悔しかった。

そんな悔しさもいまはもうない。しんこきゅうは「心呼吸」だとただただ貫く。




夕食後、ふっと外を見るとまだ薄明るくてまた歩きたくなった。
ここ数日のあいだにずいぶんと日が長くなってくれてありがたいこと。
もうおひさまは沈んでいるのだけれど西の空がほんのりと茜色だった。

ちょっとだけ駆け足、それもすぐに息が切れ始めて早足歩きになってしまった。
壊れかけたロボットみたいな歩き方、それも愉快だなって思った。

大橋のたもとの県道を横切り、お隣の地区まで行って引き返して来た。
薄っすらと汗をかきなんとも心地よい。これこそ心呼吸だなって思う。

歩けば歩くほどこころも動く。この清々しさはくせになりそうだった。



2014年01月25日(土) ほっこりふっくらふくらんで

今日はまるで春のような暖かさ。梅のつぼみも一気に膨らみそうだった。
つかの間の事だとわかっていても春らしい陽気に私の心も膨らんでいく。

ほっこりふっくらと一日を過ごす。ぬくぬくのおひさまに抱かれながら。


お昼前に綾菜を保育園に迎えに行って、その足で公園に遊びに行った。
「公園に行く?」と訊くと「うん」と言ってうなずくようになった。
ほんの一週間会わないあいだにずいぶんと言葉数が多くなってきたようだ。

話しかけるたびにちゃんと応えてくれる。それが嬉しくてならない。
時にはいったい何と言っているのかわからない時もあるのだけれど
綾菜なりに一生懸命伝えようとしているのがわかってぎゅっと抱きしめたくなる。

帰宅すると真っ先に茶の間に歩いて行って「アンパンマン」を見ると言う。
ジージのひざに抱っこされてまるで特等席に座った王女様のようだった。

「あやちゃん、そろそろねんねしようかね」って声をかけても
「いや!」と言って首を横に振る。目は眠そうにとろんとろんしているのだけれど。

一時間ほどテレビにくぎ付けになったあとやっとお昼寝をしてくれた。
ジージもバーバもほっとして一緒にうたた寝をする午後であった。

お昼寝から目覚めたらおやつの時間、チーズの蒸しパンとりんごジュース。
食べ終わるなりおならをプーと鳴らして「うんち」と言い出した。
大急ぎでトイレに連れて行く。初めてのことでバーバはどきどきしていた。

「うーん、うーん」トイレで一緒にうなる。ちゃんと出てくれるかな。
どばどばっとそれは出た。「出たね〜」と言うと「デタネ!」って綾菜。

おりこうさんでちゃんとトイレでうんちしたからえらかったよ。
おじいちゃんにも「出たよ」って言わないといけないね。

「ジータン」声をあげながら綾菜が駆け足になって茶の間に向かっていく。
ふりっちんのお尻の可愛いこと。なんとも微笑ましいうしろ姿だった。


そんな成長のひとこまを垣間見ることが出来て、今日はとても嬉しかった。

会うたびに綾菜がおしゃまな女の子になっていく。

それはそのまま幸せのかたちになってほっこりふっくらとふくらんでいくのだった。



2014年01月23日(木) さよなら今日子ちゃん

今朝は今季いちばんの冷え込みだったようでいちめんの霜。
クルマのフロントガラスも凍っていて出勤前にあたふたとする。

少しエンジンを暖めてから出掛けたのだけれど
家を出てすぐにクルマが走行不能になってしまった。
数日前からなんか調子が悪いなと思ってはいたのだけれど
もうオンボロ車だからと諦めていたのがいけなかったようだ。

近くの修理工場さんにお世話になって引き取りに来てもらう。
そこから歩いて家に帰り夫のクルマを借りてやっと職場に行けた。


実は職場も修理工場。まさに灯台もと暗しであった。
社長や母に相談すると、もう廃車にしたほうが良いのではと言う。
長年乗り慣れた愛着のあるクルマだけれどもう18年目で23万キロも走っていた。
軽自動車でこれほど長持ちするクルマも珍しく、よく頑張ってくれたと思う。

ホンダのツディなので「今日子ちゃん」と呼んでいた。私の大切な愛車。
お別れするのも寂しいけれど、悩んだ挙句やはり廃車にすることに決めた。

いざそれが決まるとすぐに新しいクルマを準備しなければいけない。
取引先のダイハツで見積書を作ってもらって帰宅後展示車を見に行った。

タントやムーヴは夫が欲しがっているのだけれど
私は小回りの利く小さめのクルマのほうが良くて、ミライースに決定。
一緒に見に行っていた夫は「俺は、俺は・・」と呟いていた。
お金さえあれば二台買うのだけれどそんな余裕などないのが我が家の現状。

とんとん拍子に話が決まって契約書にサイン。納車は来月の始めだとか。
なんだかあっという間に事が進んでしまってちょっぴり戸惑っている。


夕方、修理工場に預けていた「今日子ちゃん」が運搬車に乗せられて連れていかれる。
それがなんともせつなくてならなかった。さよなら今日子ちゃん。

解体されてしまうのか、バラバラになってしまうのか・・・。

今まで私の足になってくれてすごくすごく頑張ってくれてありがとう。

今日子ちゃんのエンジンの音がそのまま心臓の音になって私の中で生き続けているよ。




2014年01月21日(火) 初大師の日に

北風小僧のかんたろう君なのかな?
唸り声と言うよりも何だかめずらしい楽器を吹き鳴らしているようだった。
ひゅるりんひゅるりんひゅるひゅるりん。

日中の気温が昨日よりも8℃も低い。どうりで寒いはずだった。
いつもの散歩道も手がかじかんでしまって早目に家路を急いでしまう。


お大師堂にはまた顔なじみのお遍路さんが来ていた。
「今日は初大師だからね」言われるまですっかり忘れてしまっていた。
初大師の日は毎年ここと決めているのだそうで
一年前にも会っているはずだったけれどあまり覚えていなかった。

もしかしたらいちばん落ち着いてほっと出来る場所なのかもしれない。
エンドレスのお遍路さんには帰る場所がないのだと知っているから。
我が家のように思って寛いでもらえたらそれで良いのだと思った。

やむをえない事情のない限り連泊禁止になっているお大師堂だけれど
「二、三日、休ませてください」と言われたら微笑んで頷くしかなかった。

何が駄目で何が良いのやら。ちょっぴり複雑な気持ちのまま今日は別れる。

「慈悲」という言葉がある。未熟者の私にはまだよくその意味がわからない。



2014年01月20日(月) ありのままの自分

二十四節気の「大寒」もっとも寒さが厳しい頃と言われているけれど
今日の四万十はまるで春のように暖かい陽気となった。

寒暖の差も身に堪えるものだけれど、暖かいとやはりほっとする。
それも寒さあってのことと冷たい風にも感謝しなければいけない。


帰宅するとポストに友からの便りがあった。
今年に入ってからもう二度目の便りを嬉しく思う。
悩み事と言うほどのことではないのだけれど
前回ちょっと私が嘆いてしまったことを気にかけてくれたようだ。
よけいな心配をかけてしまったようでなんだか心苦しかった。
どんなに些細なことでももう嘆くのはよそうと心に誓う。

けれどもありのままの自分と向き合っていると
決して楽天家でもなく、あっけらかんと生きていくのも難しく思える。
「そのままでいいよ」いつも自分に言い聞かせている毎日であった。

だからもしかしたらまた嘆くかもしれない。
友には聞こえないようにひっそりとどこかで。



暖かな陽射しに誘われるように今日もたくさん歩いた。
動いているんだなってすごく感じる。その瞬間がとても心地よい。

私はわたしの道を行く。その道は間違っているよって声が聞こえても

私はわたしの道を信じたいと思う。それが自分に与えられている道だから。



2014年01月19日(日) ビフォーアフター

昨夜は時雨れていたので今朝は雪かなと思っていたのだけれど
そこに雪はなくただただしんしんと冷たい夜明け前の空気が漂っていた。

寒い寒いと言ってもこの冬はまだ氷点下にもならず積雪もなかった。
暖冬とは言えないかもしれないけれどありがたいことだと思う。



昨日は孫三昧をさせてもらったけれど今日はぽっかりと空いた休日。
午前中に買物に出掛けただけで、後は茶の間の炬燵で猫のように過ごす。
のんびり出来るのも今のうちさと夫。来月になれば川仕事が忙しくなる。

まだ始まってもいないことをあれこれと心細く考え込むのが私の悪い癖。
決して順調とは限らないと思うとついつい悪い事ばかり考えてしまうのだった。

その点、夫はいつもあっけらかんとしていてとても頼もしく感じる。
何事も始めてみなければ。後は天にまかせれば良いのだよと言っているよう。

そんな夫のおかげでこれまでいろんなことを乗り越えてこれたのだと思う。
どんなに手を合わせても足らないような気がする。ありがたき伴侶である。


「おい、3時からビフォーアフターがあるぞ」
炬燵でうたた寝をしていたら足でちょちょいと私を起こしてくれた。

おかげで散歩に行ける。お大師堂にお参りに行って今日も大橋のたもとまで。
空を見上げればトンビがゆったりと大らかに空を旋回していた。

まるで夫のようだなって思った。光あふれる空がよく似合う。

「ただいまぁ、間に合ったよ」夫と二人でビフォーアフターを見入る。



2014年01月17日(金) 桜草を買いました

仕事帰りに買物に寄ったら入口の花屋さんに桜草の花がたくさん並んでいた。
わぁと思わず歓声をあげる。白とピンクの二鉢を買って笑顔でいっぱいになった。

まるですっかり春の気分。ほんわかとあたたかい気持ちになれて幸せだった。

助手席に春をのせて家路につく。「ただいま」の声も心なしかはずんでいた。

あんずの犬小屋も処分してしまって、いっそう寂しくなった庭に
たくさんの花を植えてみるのもいいなって思った。



冬のやわらかな陽射しがふりそそぐ土手の道を今日も歩く。
てくてくと歩けば歩くほどこころも晴れやかになるものだった。
見渡す限り雀色だった土手にも蓬の緑があちらこちらに見えるようになった。
そういえばそんな草の匂いをかぐのが好きだったなってまたあんずを思い出す。

お大師堂でお参りを済ませ、今度は川沿いの河川敷を歩いて帰る。
あまりの心地よさに真っ直ぐ家に帰るのがもったいないような気がして
大橋のたもとの休憩所まで行ってみた。ほんとうに久しぶりのこと。

なんとものどかな風景。川の流れも空の青さも目に沁みるようだった。

ここに暮らしてもう35年目の春が来ようとしている。

過ぎ去った歳月が走馬灯のように浮かんでは胸にいつまでも明かりを灯している。



2014年01月15日(水) 風も空も水のにおいも

朝の寒さにも慣れてきたのかさほど辛さを感じなくなった。
寝巻の上にちゃんちゃんこを羽織って目覚めのコーヒーを飲むのが日課である。
夜明けがほんの少し早くなって春は遠からずと思えるこの頃であった。


今年初の粗大ゴミの収集日、とうとうあんずの犬小屋ともお別れをする。
家の中よりも犬小屋がお気に入りだったあんずの残り香がかすかに漂う。
木製の犬小屋はかなり朽ち果てていて16年間の歳月そのままだった。

さよならあんず。父さんも母さんもずっとあんずのことを忘れたりしないよ。



午前中は姑さんのリハビリに付き添い、今日も頑張る姿を見られた。
リハビリ室も笑顔でいっぱいになる。ほのぼのと心温まるひと時だった。
私も仕事との板挟みで葛藤することもあったけれど
これで良かったのだなと今日はつくづく思ったことだった。
また来週のお楽しみ。また笑顔の花をたくさん咲かせたいと思う。



午後、風は冷たかったけれどおひさまの笑顔が嬉しくなってたくさん歩く。
土手から見渡す四万十川はきらきらとまぶしいほどに輝いていた。
深呼吸をいっぱいする。風も空も水のにおいもぜんぶ吸い込むように。

お大師堂でお参りを済ませてお供えしてあったおせんべいをいただく。
それはかっぱえびせんの味がした。やめられないとまらない美味しさ。

ごちそうさまでした。お大師さんもにっこりと微笑んでいるようだ。

るんるんらんらん。スキップするように土手の道をまた歩く。

風も空も水のにおいもごちそうさまでした。






2014年01月14日(火) どんなに泣いても

曇り日、気温はさほど低くないと言うのになんとも肌寒い一日だった。
おひさまのありがたさをつくづく感じる。やわらかで優しい冬の陽射し。


三連休を頂いたあとの仕事、またまたトラブル発生で気が重くなる。
そんなことがあるたびになんとかまるくおさめられないものかと
まわりに気を遣ったり自分なりの努力をしてみるのだけれど
一度荒れ始めるとなかなか手におえなくてふっと逃げ出したくなってしまう。

けれどもそれが自分に与えられていること。
何事も試練だとありがたく受け止めなければいけないのだと思う。

まあどんな日もあるさ。母のようにあっけらかんとしていたいものだった。



仕事を終えて娘と合流し、綾菜を保育園にお迎えに行く。
思った通り私の顔を見るなり不機嫌になってしまう綾菜。
いつもと違うな、今日は病院だなとすぐに察知しているようだった。
耳鼻科の駐車場に入るなりもう大泣きになってしまってパニック状態である。
娘と二人がかりでどんなになだめても火が付いたように泣き叫んでいた。

「もしもしするんだよ、痛くないんだよ」

診察室に入るなり両手を振って「バイバイ」と泣き叫び始める。
先生も笑ってる。看護師さんも笑ってる。綾菜だけは涙がぽろぽろ。

「うん、もう大丈夫だね」先生の声もよく聞き取れないほど。

でもほんとうに良かった。ほぼひと月かかったけれどやっと完治したようだ。

いっぱい泣いたけど頑張ったんだよ。えらかったねってほめてあげる。


アパートまで送り届けると、なぜか中に入りたがらない。
私に手を差し伸べて抱っこをせがむ。その仕草には涙が出そうだった。


後ろ髪を引かれるように帰路につく。その足でお大師堂に向かった。

守ってくれてありがとうございます。手を合わせば綾菜の顔ばかりが浮かんだ。



2014年01月12日(日) マイペース

朝の寒さも日中は和らぎおひさまのありがたさをつくづく感じる。
どこかに出掛けてみたい気持ちもあったけれど
買物さえも行かずに茶の間でトドのようにごろごろとするばかり。

炬燵でテレビっ子。それもまたよしとする。
「徳さんのお遍路さん」「開運なんでも鑑定団」午後は「ビフォーアフター」
夕方になれば大相撲の初場所も始まりテレビ尽くしの一日となった。

ほとんど動くということのない怠惰な一日だったと言うのに
お腹が空く。「胃だけは動いているからな」夫の一言に笑ってしまった。

食欲がない、なんていう日はまったくなかった。
ダイエット中だと意気込んでいても三食しっかりと食べてしまう。
特に休みの日は食べ過ぎてしまって元も子もないありさまであった。

万歩計も停滞気味になってしまって、今日もお大師堂まで往復するのみ。
けれどもどんなにわずかであっても進んでいるのだからと思うことにした。
「お遍路万歩計」はもうすぐ二年目、やっと二巡目の「青龍寺」に辿り着く。


思うようにはいかなくてこんな怠け者でいいのかしらと思う時もあるけれど
焦らず無理せずずっとマイペースの自分でいるのも良いのかもしれない。

ゆったりゆったりと時が流れている。急がなくてはいけない理由は何一つない。




2014年01月11日(土) じいちゃん大好き

朝の冷え込みも二日も続けば慣れてきて苦にならなくなった。
早朝5時には早起きの夫が暖房をつけてくれる。
おかげでスムーズに布団から抜け出せてありがたいことだった。

あんずがいた頃には夜明け前の散歩が日課だった夫。
雨の日も雪の日も16年間もそれを続けてきた。
「なんだか気が抜けたようだよ」と今朝もつぶやいていた。



午前中は買い物に行ったりしているうちにあっという間。
早目に昼食を食べ終えてから綾菜を保育園にお迎えに行く。
私が迎えに行くとイコール病院と思い込んでいるらしく
先生にしがみついて離れたがらない綾菜もいじらしいものだった。

「じいちゃんがブーブで待っているよ」やっとにっこりとして私に抱かれる。
それからというもの私には見向きもせずにずっとジージのそばから離れない。

お昼寝もジージに抱かれたままやっと眠ってくれた。
何度も大嫌いな病院へ連れて行く私をちょっと嫌いになったのかもしれない。

それでもおやつの時間になるとやっぱりばあちゃんだねと思うようだった。
アンパンマンのパンを美味しそうに頬ばる。美味しいねえの顔が嬉しい。
おやつを食べ終わるとまたまたジージにべったりでなんとも微笑ましい姿。


夕方、娘が迎えに来たけれどまだ帰りたくないとだだをこねる。
「じいちゃんも一緒に帰ろうかな」やっと帰る気になってくれた。

いつもはお見送りの私も今日は出番がなかった。
とにかくじいちゃんでなくてはならない。
慣れない手つきでチャイルドシートと奮闘する夫もちょっと愉快だった。

「どうやらお前よりも俺のほうが好きみたいだぞ」

夫は悦に入っている。きっとすごくすごく嬉しいのが伝わって来て私も嬉しかった。




2014年01月10日(金) 笑顔のお遍路さん

山里は薄っすらと雪化粧。寒さも忘れて思わず歓声をあげる。
雪って不思議。なんだかわくわくとしてきて子供のように喜ばせてくれたり。
それも南国の雪だからこそ。雪国に住む人の苦労を忘れてはいけなかった。

日中は青空が広がりやわらかな冬の陽射しが降り注ぐ。
おひさまってほんとにありがたいなって思った。
こころまでも温めてくれてほっこりほっこりと過ごすことが出来る。


仕事は来客も多くて忙しく嬉しい悲鳴をあげていた。
相変わらずの海の上、波をかき分けるように船が進んでいるような。
行けるところまで行ってみようよ。誰かの声が聞こえたような気がする。


少し残業になり帰路につく。国道へは出ずに朝来た山道を通って帰る。
そこは遍路道でもあるけれど今年はまだ一度もお遍路さんを見かけていない。
なんだか少し寂しいけれど、春になればとその姿を目に浮かべるばかり。


帰宅してすぐに今日こそは歩こうとお大師堂に向かった。
お遍路さんの靴を発見、ちょっぴりわくわくとする瞬間だった。
扉をノックしてそっと開けると顔なじみのお遍路さんが微笑んでいた。
ちょうど二ヶ月ぶりの再会になる。とても元気そうでほっとした。

今まで何度も会っているけれどいまだに名前も知らなくて
「笑顔のお遍路さん」と私が勝手に名付けているひとだった。
いつもにこにことしていてほんとうに笑顔の良く似合うお遍路さん。

旅の無事を祈りつつお別れをする。今度会える時にはきっと春。

とても清々しい気持ちになって土手の道を帰った。

傾き始めたおひさまもにっこりと微笑んでいる。






2014年01月09日(木) きっとそこは春なのだろう

冬将軍がお馬さんに乗ってぱっかぱっかとやって来る。
まさに「矢でも鉄砲でも持ってこい」と身構えているような気分。

明日の朝は今期いちばんの冷え込みになりそうだった。
寒さは身に沁みるけれどなんとしても乗り越えていかねばならない。

胸に手を当ててみるとほんのりとあたたかい。
きっとそこは春なのだろう。どんな花が咲いているのだろうか。


仕事はなんとか荒波が静まり今日は穏やかな海のうえ。
どこかの島にたどり着くあてもないけれどゆうらゆうらと旅をしている。
それはそれは果てしない海だ。どこまでいっても海ばかりの旅だった。

母と向かい合ってたわいのないおしゃべりをする。
同僚が冗談を言ったりして笑わせてくれたりする。

微笑んでいられるのはほんとうにありがたいことだった。


帰宅の足をそのままにクルマでお大師堂に向かった。
一度家に帰って散歩がてらに歩けば良いものを
冷たい風のせいにしてちょっぴり怠けてしまう自分がいる。

どんな時もあってよしと自分をゆるす。
こだわらないってこんなことなのかな、よくわからないまま頷いていた。

お大師堂には美味しそうなどら焼きがお供えしてあって
すごくすごく食べたかったのだけれど今日は我慢をしてしまった。
きっと今夜の夢に出て来るな、なんて思うとちょっぴり愉快な出来事。

「おお寒っ」背中を丸めるようにして土手の石段をあがった。

土手から見渡す川は私の大好きな白波のたつ大河であった。



2014年01月08日(水) 雨の微笑み

まるで春先のようにあたたかくて優しい雨。
このままほんものの春が訪れてくれたらどんなに良いだろうか。

冬将軍を押しやるように微笑んでいる雨は
乾いたこころさえも潤すように歓喜の涙を流している。



水曜日、今年も姑さんのリハビリ通院が始まった。
二週間ぶりで私が付き添うのはほぼひと月ぶりではないだろうか。
仕事を休むのはやはり気が引けるけれど、久しぶりの付き添いも楽しみであった。

歯を食いしばるように腕に力を入れて一生懸命に頑張る姑の姿を見た。
やはり支えなしでは立つことは出来ないけれど、歩こうと言う強い意志を感じる。

決してあきらめないこと。立ち向かって行く勇気をおしえられたように思う。
どんなに困難なことであってもあきらめてしまえばそこでお終いだった。
姑の姿から伝わってくる大切なことをずっと忘れずにいたいと強く思う。



午後、一度はやんでいた雨がまた降り始めた。
雨音が耳に心地よく響く。しとしとぴっちゃんしとぴっちゃん。
傘の仕事始めだとテレビでお天気キャスターが言っているのもうなずける。

お大師堂で手を合わす。目を閉じると家族の顔がほっこりと浮かんでくる。

みんなが無事でいてくれた。それがどんなにありがたいことだろうか。



2014年01月07日(火) 静かな波音

もう七日。日常の暮らしに戻りとんとんとんと毎日が過ぎる。
年末のような慌ただしさはないけれど、やっぱり駆けているような気がする。
そんなに急いでどこに向かっているのだろう。
ゆっくりのんびりと日々を散歩するように歩いて行きたいものだ。


昨日は仕事始め、穏やかにとはいかなくてほんの少しの荒波。
その荒波が今日も続く。なんだか船酔いのように気分が重くなる。
けれどもそれも自分に与えられていることだと思って受け止めなければ。

どんな日もあってよし。今年もその言葉を忘れずにいたいものだ。


家に帰ればまるで穏やかな海の波打ち際にいるように感じる。
寄せては返す波と戯れながら静かな波音にこころを癒されている。

「お父さん、良かったよ。洗濯物が乾いているよ」

「おお良かったな。曇っていたけど風があったからな」

なんでもないような会話。でもそういうのがなんか幸せだった。

夕飯の七草雑炊をふたりで向かい合ってはふはふと食べる。
私は夫が美味しそうに食べている姿を見るのがとても好きだった。

当たり前のことのようで決してそうではないのだとつくづく思う。

食後の後片付けをしながら夫のお茶碗に「ありがとうね」なんてつぶやく夜。



2014年01月04日(土) マンマとかーたん

元旦からずっと暖かい日が続いていてありがたいことだと思う。
水仙の花があちらこちらに咲いておひさまに向かって微笑んでいる。

今日は特に予定もなくて茶の間でテレビっ子をしていたところ
娘から電話があって綾菜を連れて遊びに来てくれるとのこと。
今日から保育園の予定だったのだけれどオサボリをしてしまったようだ。

「じいちゃんはもう疲れてしまったぞ」夫の一声に思わず笑ってしまう。
仕方なく三人で海の見える公園に遊びに行くことにした。
芝生のうえをよちよちと歩き回る綾菜と鬼ごっこをして遊んだ。
お気に入りの滑り台も何回も滑ってきゃあきゃあと大喜びだった。

そろそろマンマの時間だね。帰りたがらない綾菜もマンマには弱い。
「マンマ、マンマ」を連呼し始めるとやっとクルマに乗ってくれた。

家の近くの地場産市場が今日から開店していたのでお昼の買い物をする。
鶏の照り焼きとたこ焼きを買って帰る。ばあちゃんもお腹が空いたよ。

四人で昼食、もぐもぐを通り越してがつがつと食べる綾菜はなんとも微笑ましい。

食後、娘がちょっとトイレに行ってしまったら急に火が付いたように泣き出してしまった。
「かーたん、かーたん」と涙をぽろぽろ流しながらトイレまで追いかけて行く。

それも成長のあかしだろうか。そう思うとどんなに泣いても微笑ましく思う。

お昼寝はお家に帰ってからにしようかね。送り出す時は寂しいようなほっとしたような。

「やれやれ」し〜んと静かになった茶の間でつぶやく夫もまた愉快であった。

おかげで今年も孫三昧の日々を送らせてもらえそうだった。
泣いたり笑ったりの綾菜にどんなにか癒されていることだろうか。



2014年01月03日(金) おみくじは吉

明けて三日、朝は霜が降りていて冷え込んでいたけれど
日中は風もなく穏やかな小春日和となる。

元旦は家族が勢揃い、昨日は綾菜のお守りと忙しくしていたけれど
今日はやっとのんびりと出来そうで夫と二人で初詣に出かけていた。

四国霊場37番札所の「岩本寺」はとても好きなお寺だった。
クルマでちょうど一時間、穏やかな朝の海を眺めながらのドライブ。

お遍路さんの姿もたくさん見られた。白装束のちびっ子遍路さんもいてびっくり。
可愛いお遍路さんが鐘をついている姿はなんとも微笑ましかった。
来年には綾菜も連れて来てあげたいねと、もう来年の話などする。

二人でおみくじを引いたら二人とも「吉」だった。
大吉でないほうがなんか良いよねと二人で微笑みあう。
ちょうどいいくらいの幸せ。それでじゅうぶんだと思える。

お守りを買ったらお接待ですよと蜜柑をいただく。
それはとても思いがけないことでとても嬉しかった。


それから岩本寺を後にして四万十川をさかのぼる。
四万十町十和にある道の駅をめざしてまたまたドライブだった。
そうして楽しみにしていた昼食、「とうわ御前」という定食を食べた。
炊き込みご飯、茶わん蒸し、青さ海苔の天ぷらもあって大満足だった。


クルマは私の生まれ故郷へと向かう。ちょうど一年ぶりの故郷が懐かしい。
もしかしたらまだ住んでいた家が残っているかもしれないと思った。
でもそこまでは行けないと夫に却下されてしまってちょっと残念。
後ろ髪を引かれるような思いで故郷の風景がどんどん遠ざかって行った。

生まれてから9歳まで過ごした山村も、今は合併して四万十市になっている。
去年の夏は日本で一番暑い町だと評判になってちょっぴり自慢げに思ったりした。

幼い頃のたくさんの思い出を私は一生忘れることはないだろうと思う。
「今度は真夏に来てみるか」夫の言葉がとても嬉しくてならなかった。


まだ今年が始まったばかりだと言うのに、夢のような日々が目に浮かぶ。
夢ばかり見ているわけにはいかなくて現実はとても厳しいのかもしれないけれど

あたえられた日々を全うしながら忘れずにいたい夢もふくらませていきたいものだ。



2014年01月02日(木) あたらしい年とおひさまにありがとう

新年も明けてふつか、穏やかさをかみしめるように過ごしていた。
この穏やかさがいつまでも続きますようにとただただ祈るばかり。

ふっと襲ってくるふあん。何かが壊れてしまいそうな心細さ。
気がつけば悪いことばかり考えている自分の頬を打ちたくもなる。

行ってみなければわからない。だからこそ歩んで行くのではないか。
どんなことがあっても与えられたことだと思うことにしよう。
そうしてどんな時も感謝の気持ちを忘れずにいたいものだ。

寒さも和らぎ優しいおひさまにつつまれて新しい年を一歩踏み出す。


元旦には家族がみな揃ってにぎやかで楽しい時間を過ごすことが出来た。
娘夫婦と綾菜も一緒に散歩がてらお大師堂に初詣に行っていた。
お参りを済ますと綾菜がお大師さんに向かって「ばいばい」と手を振る。
その光景のなんと微笑ましいこと。お大師さんもきっと喜んでくれたことだろう。

どうかどうか皆を守って下さい。今年も手を合わせ続けたいと思う。

夕陽に染まる土手の道を天使のようによちよち歩いて帰る綾菜。
なんだか胸に熱いものが込み上げてくる。幸せすぎて涙が出そうだった。

夕焼け小焼けで日が暮れて。お手てつないでみな帰ろ。

みんなで歌いながら帰った。あたらしい年とおひさまにありがとう!




※おかげさまで穏やかな新年を迎えることが出来ました。
 今年も相変わらずのささやかな日々になりそうですが
 ぼちぼちと書き綴っていきたいと思っています。
 今年もどうかよろしくお願いします。






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