小雪が舞う寒い一日だったけれど
ほっこりほっこりと年の暮がせまってきた。
ほんの少しの慌ただしさも胸にしまってしまえば
ぬくぬく毛布にくるまってすやすやとうたた寝を始める。
いかなくてはいけないのではなくて
いってみようと一歩踏み出すきもちがたいせつ
失くしたものを数えるよりもさずかったものを数える。
するとどれほど自分が恵まれているか知ることができる。
決してあたりまえのことではないこと
生きていることさえも恵みそのものであるのだと気づく。
胸をはってまた一歩を踏み出してみよう
寒くて冷たい冬を乗り越えてこそ優しい春がやってくるのだから
※今年最後の日記になりそうです。 この一年も私のささやかな日々におつきあいして頂いてありがとうございました。 みなさまどうかどうか良いお年をお迎えくださいね。 いただいたたくさんのご縁を胸に私も一歩踏み出していきます。
2013年12月27日(金) |
「いのち」そのもののように |
今日もみぞれのような雨が降ったりやんだり。 もしかしたら明日は雪になってしまうかもしれない。
ひゅるひゅると唸るような風の音を聞いている。 なんとなくざわざわと心が震えているような気がしてならない。
今日は仕事納め。やれるだけのことを片づけて帰って来た。 毎年いただいている年末の寸志はとてももらえるような状態ではなく 気の毒がる母に「だいじょうぶだよ」と笑顔で応える。
「足るを知るは最上の富」もうじゅうぶんだと思えるようになった。
この一年のパート収入でどれほど助かったことか。 どんなに会社が大変な時でもそれを頂いていた自分がとても心苦しく思える。
来年もみんなで力を合わせてこの不況を乗り越えていきたいものだ。 「なんとかなるよ」いつも母が言ってくれる言葉がとても励みになる。
帰宅して防寒着に毛糸の帽子、今日こそは歩こうとお大師堂に向かう。 雨はちょうどやんでいたけれど川風のなんと冷たいことだろう。 川面には白波が立ってまるでたくさんの水鳥が浮かんでいるように見えた。
そんな冬の四万十川が私はとても好きだった。 荒々しさのなかにほっとするような優しさがある。 「いのち」そのもののような力強さも感じられるのだった。
生きているって素晴らしいことだな。そんな川を見るたびに心が熱くなる。
冷たい雨の一日。冬枯れたあたりの風景も雨に震えているように見えた。 山茶花の花がもう散り始める。落ちた花びらはただただ雨に打たれるばかり。
多忙な仕事も大詰めとなり、今日もばたばたと走りまわる。 私は明日で仕事納めをさせてもらうのだけれど 母は大晦日まで仕事をするのだと言ってきかない。 ゆっくりと休ませてあげたいなといつも思うばかりで 親孝行はほんの少し。それでも微笑んでいる母に頭が下がる。
仕事を終えてスーパーに寄ったらもうお正月ムードになっていた。 そろそろ準備をしなければと思うのだけれどいつもギリギリ。 昆布巻き用の鯖が安かったので買って大晦日まで冷凍しておくことにした。 今年は大晦日も綾菜のお守りなのでちゃんと昆布巻きが出来るかしら。 娘の大好物で毎年楽しみにしてくれているのでなんとしても作らなければ。
帰宅してすぐにお大師堂に向かう。今日はお菓子をお供えしよう。 お大師堂に着くと誰かが干し柿をお供えしてくれていて 「食べて下さい」とメモ書きが添えられてあった。
干し柿ってすごく懐かしい。子供の頃に大好きだったのを思い出す。 お大師さんと向かい合ってついつい手が出てしまったのは言うまでもない。 甘くてとろりんとしていてとても美味しい干し柿だった。
「ごちそうさまでした」手を合わすとお大師さんも微笑んでいるよう。
平穏な一日に感謝しながら今日も暮れていく。
明日のことは誰にもわからないから明日が来てくれるのかなってふっと思った。
2013年12月25日(水) |
出来ることを出来る日に |
クリスマスの朝といえば子供の頃を思い出す。 目を覚ませば枕元にプレゼントが置いてあって大喜びしたこと。 もう大昔のことなのにどうしてこんなに鮮やかに覚えているのかしら。 父がいて母がいて弟がいて。そうしてサンタさんが来てくれた懐かしい我が家。
水曜日、今日は姑さんのリハビリの日だったけれど 付き添いを姪っ子に頼んでなんとか山里の職場に行く事が出来た。 仕事がどんなに大変であっても姑さんの事を疎かにしてはいけない。 そう思う自分とほっと肩の荷を下ろしている自分がいて少し複雑な気分だった。
ひとつしかない体で何を最優先するべきか。これからも課題になりそうだ。 あちらを立てればこちらが立たず。決して両方を立てようと思ってはいけない。 出来ることを出来る日に、精一杯尽くすことで何事も順調に流れていくような気がする。
仕事が少し残業になり帰宅が遅くなる。その足でお大師堂に向かった。 日めくりの暦が23日のままだったのがちょっぴり寂しく思う。 それなのにお供えしてあったお菓子がほとんど無くなってしまっていた。 どんな日もあってよしだと思う。また明日お菓子をお供えしよう。
昨日のようにどうしても来られない日もあったけれど 今年もほぼ毎日お参りに来ることが出来た。
生きている限り、それはいったいいつまでなのだろうかわからないけれど 杖をつく老婆になってもずっとずっと手を合わせ続けたいと思った。
クリスマスイブ。一週間後にはもう大晦日だった。 だからといって急がなくてはいけない理由など何もないと言うのに なんだかざわざわと落ち着かなくて心までも駆け足になってしまうのだった。
山里の職場がちょっと大変。ちょっぴりどん底の気分なのだけれど みんなで励ましあってなんとしてもこの苦境を乗り越えたいと思っている。 神様が這い上がるチャンスを与えてくれたのだと思うことにした。 くよくよしていても何も始まらない。とにかく歩みださなければいけない。
仕事を終えて綾菜の耳鼻科に付き添う。病院が見えるなりもう泣き出してしまった。 完治を願っていたけれど、まだ片方の耳が治っていなくて娘と二人肩を落とす。 年明け早々の予約をして泣きじゃくる綾菜を連れて逃げるように帰って来た。
いっぱい泣いたけど今日もえらかったね。頑張ったからサンタさんが来てくれたよ。
プレゼントの絵本を受け取るとすっかり笑顔になってくれて嬉しかった。 泣いたり笑ったり、そんな姿にどんなにか心を癒されていることだろうか。
おばあちゃんにもサンタさんが来てくれたの。それは綾菜そのものだった。
どんな日もあるけれど毎日が贈り物。そんな日々をありがたく受け止めている。
冬至、かぼちゃも食べず柚子湯にも入らずなんだかちょっぴり後ろめたい。
あいかわらずの風の冷たさ、青空とおひさまの笑顔だけが救いに思う。
午前中は美容院へ。店内はクリスマス一色で美容師さんもサンタ姿だった。 サンタさんに髪を染めてもらったりシャンプーをしてもらったり おまけに肩までもんでもらえるなんて夢にも思っていなかった。 ちょっぴり童心にかえる。楽しいな嬉しいなって思える自分が幸せ。
午後はお買い物。綾菜にクリスマスプレゼントを買った。 アンパンマンの絵本とアンパンマンのズボン。 まだ幼なすぎてクリスマスもわからないかもしれないけれど 保育園でサンタさんは覚えたようで渡すのが楽しみだった。
午後四時、自転車を押しながらお大師堂に向かう。 今日はペットボトルの水の補給とお供えのお菓子を持って行く。 すると地区でお大師堂の管理をしてくれている副区長さんご夫妻と会った。 落ち葉でいっぱいだったあたりを綺麗に掃除してくれていた。 副区長さんは今年限りで引退をするとのこと 長いことお世話になってほんとうにありがたいことだと思う。
ろうそくに火を灯し、お線香を立てて手を合わせていると なんだかこの一年のことがゆるやかな川の流れのように感じられる。 時には濁流が渦巻いていることもあったけれど、それがありのあままの姿。 どんなに濁っていても時が経てばまた清らかな流れがきっと戻ってくる。
そんなふうに生きていきたい。ありのままの自分を受け止めながら。
昨日は初雪が舞い今日はその名残かとても冷たい北風だった。 冬将軍がまるで戦のように刀を振り回しているようだ。 おひさまと闘っているのかな。おひさまはただ微笑んでいるばかりなのに。
午前中に大掃除の真似事をと思っていたのだけれど 寒さのせいにして玄関のあたりだけをちょっと片づける。 ずっと夫の靴だと思っていたナイキの黒いシューズが 娘が置き去りにしていった物だとわかり可笑しかった。 もう何年になるのだろう。ずっと埃をかぶっていたシューズ。
そういえば娘が作ってくれたクリスマスリースがあったっけ。 これも古い物だけれど、玄関のドアに飾ると一気にクリスマスの雰囲気。 ついでに小さなツリーも引っ張り出して下駄箱の上に飾ってみたりした。
ささやかなこと。でもそういうのがちょっぴり微笑ましく思える。
午後は綾菜のお守り、保育園からの帰りのクルマの中でもう眠ってくれた。 じじばばも一緒にお昼寝。なんとも静かでゆったりとしたひと時だった。
それが綾菜が目を覚ますと一転してまたまた豆台風の到来であった。 部屋中に玩具をひっくり返して一緒に遊べとせがまれるじじばばである。 それも嬉しい悲鳴。綾菜のおかげでじじばばはずっと微笑んでいられる。
晩御飯も一緒に食べて娘のお迎えを待っていた。 食欲も旺盛になり、ああ元気になってくれてほんとうに良かったなと思う。 もぐもぐと言うよりがつがつと食べている姿はとても嬉しいことだった。
やっと娘が迎えに来て、いざ帰るとなると「ばいばい」の連呼が始まる。 もっともっと一緒に居たいような、ちょっとほっとするような複雑な気分。
この一年も綾菜のおかげでどんなにか癒されたことだろうか。
ありがとうね。お別れのチュチュしようね。触れたくちびるがほんわかとあたたい。
冷たかった雨もあがり天からの贈り物のような青空がひろがる。 風は少し強かったけれど、気温が高めで暖かくほっとするような一日だった。
午前中は川仕事、海苔網を張る作業がやっと今日で終わる。 緑色に染まった網を眺めながらどうか順調に育ってくれますように。 自然任せのことで不安はどうしてもあるのだけれど 希望を忘れずにこれからをずっと見守っていきたいものだ。
海苔の種が生きている。ここにも命がいっぱいなのだと川面に手を合わした。
午後、保育園からそのまま耳鼻科に向かう綾菜と娘に付き添う。 まだ膿が出続けていて完治まではしばらくかかりそうだと言うこと。 綾菜の病院嫌いはピークに達していて今日もずっと泣きじゃくっていた。 憐れで可哀想でならなくて、代わってあげられるものならとひたすら思う。
これも綾菜にとっては試練だろうか。なんとしても乗り越えなければ。 そうしてみんなが元気に笑顔で新年を迎えたいものだとつくづく思った。
何事も順調にとはいかないもの。最近よくそんなことを考える。 それにはきっと何かの「意味」があるのかもしれないなって思う。
それはいったい何だろう?わからないからこそ前に進めるような気がするのだ。
2013年12月18日(水) |
冷たい雨を受け止めて |
なんとも冷たい雨。おひさまのありがたさをつくづく感じる。
早朝、娘から電話があり綾菜の熱が下がったとのほっとする知らせ。 保育園に行かせてみることにしたけれど、もしもの時は頼むと言うこと。 保育園から電話がかかってきませんようにはらはらしながら一日を過ごす。
午前中は川仕事、冷たい雨も雨合羽を着ると殆ど寒さを感じなかった。 海苔網を張る作業もほぼ完了し、明日ですべてが終わる予定である。 綾菜のこともあり何事も順調にはいかないものだなと思っていたけれど 思い煩うよりもとにかく「動く」ことが大切に思えた五日間だった。
午後も保育園からの電話はなく、大丈夫だねと夫と二人胸を撫で下ろした。 おりこうさんでお昼寝をしたかな。おやつもいっぱい食べたかな。
川仕事の疲れもあって雨の中歩くのもしんどくなってしまって クルマでお大師堂へお参りに行く。銀杏の葉がたくさん落ちて雨に濡れていた。 お大師堂には誰かが持ってきてくれたらしく立派な門松が供えてあった。 もうそんな頃、暦を見れば今年もあと二週間を切っている。
ほんとうにあらあらと言う間に流れてしまった月日。 いちにちいちにちをどれほど丁寧に生きてきたのかと自分に問いかける。
思えば疎かにしてしまったことがたくさんあるような気がする。
まわりのひとを思い遣ること。そうして精一杯に尽くすこと。
まだまだ自分には足りないことがたくさんあるように思う。
白鷺が一羽川辺にすくっと立って身動きもせずにじっと何かを見つめている。 それは今にも飛び立ちそうで飛ばなかった。そこにいることがまるで使命のように。
忙しい川仕事の合間にもふっと目にする光景がこころを優しく和ませてくれる。
どんな時も心の余裕をなくしてはいけない。 それは誰かから与えられるものでは決してなく自分でつくっていくものだ。
今日も川仕事を終えるなり娘のアパートに駆け付ける。 夜勤明けのお婿さんが無理をしてなんとか午前中は見てくれている。 早く休ませてあげなくてはと思うと気が気ではなかった。
「じいちゃんのブーブで行くよ」と綾菜に言うとちゃんとわかってくれて ちょこちょこと歩いて玄関に向かう姿はなんとも可愛いものだった。
お昼は初めてのチキンラーメン。やはりまだ食欲はあまりなくて 最初は珍しそうに食べてくれたけれど、すぐに「もういらない」という顔をする。 大好きな玉子焼きも作っていたのだけれど、お皿を自分で押しのけてしまった。
嫌なものはイヤ。今は食べたくないとしっかり意思表示が出来るようになっている。 それだけ成長したと言うこと、食べては欲しいけれど喜ぶべきことでもあった。
お昼寝も一時間ほど、私の腕枕でやっと寝てくれたのだけれど そっと腕を外すとすぐに目を覚まして泣き出してしまうのだった。 泣きながら一生懸命なにかを訴えようとしているのがわかる。 抱っこしてうたた寝。熱がまだあってよほどしんどいのだろうと思う。
目を覚ますとテレビを指さして「アンパン、アンパン」を連呼する。 「じいちゃんに見せてもらおうね」って言うとリモコンをジージに渡した。 それもすごい成長だとびっくり。いちばん好きなものは好きって言える。
アンパンマンを見終わるとそろそろ耳鼻科に行く時間だった。 「びょういん」というところをすっかり覚えてしまったので 「ブーブで遊びに行くよ」と言ってまたちょこちょこと玄関へ。
鼓膜切開をしてから膿がすごく出ていて気になっていたのだけれど それが順調な証だと言うこと。膿を吸い出してもらって今日の治療が終わる。
仕事を終えた娘も病院へ駆けつけて来てしっかりと抱き合う母と娘であった。
お母さんがいちばん好き。アンパンマンより好き。
綾菜にはいっぱい好きなものがあってじいちゃんもばあちゃんも嬉しいよ。
2013年12月15日(日) |
さらさらさらと流れていく |
寒さはまだまだこれからだと思っていても 朝の寒さは辛く身に堪えるばかりのこの頃であった。
早朝から川仕事、いよいよ海苔網を漁場に張りつめる作業が始まる。 今年は海苔の生育がいまいちで例年よりも遅いスタートになった。 重労働だけれどこれを済まさないことには収穫にこぎつけない。 寒いね、寒いねと言いながらも身体はすぐに温まってくれてありがたい。 夫婦ちからを合わせての作業。どんなに疲れても好きだなと思える作業だった。
川仕事を終えるなり娘に電話をすると、綾菜はまだ熱があるとのこと。 食欲もあまりないけれど機嫌は良くて家の中でおりこうさんで遊んでいるらしい。 明日の保育園は無理っぽく、またじじばばがお守りをすることになった。 耳鼻科の診察もあるのでどうか経過が良いことをひたすら願っている。
午後、二日ぶりにお大師堂へお参りに行く事が出来た。 顔見知りのお遍路さんが来ていて、あんずが亡くなったことなど話す。 以前に会ったときに「人間の生まれ変わりだよ」と言われたことを思い出す。 もしかしたら今度は人間に生まれることが出来るのかなって思ったりした。 そうしてまたきっと巡り会うことが出来るような気がしてならない。
土手の道は冷たい風。見渡す限りの雀色。ただ川面だけは優しくてあたたかい。
さらさらさらといろんなことが流れていく。
立ち止まってはいられない。私も川のように流れていかなければ。
2013年12月14日(土) |
じじとばばと綾菜のいちにち |
ぽっかりとあいてしまった心の穴を一気にふさぐかのように 昨日からばたばたと忙しく走り回っているじじとばばであった。
風邪で熱を出してしまった綾菜が中耳炎になってしまって 昨日は「鼓膜切開」を医師から勧められたのだけれど じじばばの一存では決められず、娘夫婦に相談して今日それをすることになった。
小児科でもそうだったけれど、綾菜は「病院」をすっかり覚えてしまって 可哀想なくらい大声で泣き出してしまう。大粒の涙があふれ出るばかり。
処置は思ったよりも簡単そうですぐに終わったのだけれど 看護師さん二人と私とで無理やり押さえつけてそれは大変な有様だった。
「えらかったね、頑張ったね」先生がほめてくれたとたんに ひっくひっくと泣きじゃくりながら「ばいばい」を連呼する綾菜であった。 それには先生も看護師さんもにっこり。私も嬉しくなって涙が出そうだった。
綾菜にとってはよほどショックな出来事だったらしく お昼ご飯も食べないままぐったりと眠ってしまった。 まだ熱がある。耳はどうだろう、もう痛くないのだろうか。
昨日はあった食欲も今日はなく、大好きな牛乳も「いやいや」をする。 お菓子は?チーズは?と少しでも食べさせようと奮闘するばーばであった。
結局テレビで録画してあった「アンパンマン」を見ながら夕方になるのを待った。 娘が迎えに来ると抱きついて今日のことを訴えるように甘えてみせる綾菜だった。
明日はどうか熱が下がっていますように。 そうしてご飯もいっぱい食べられますように。 元気になってお外でいっぱい遊べますように。
お大師堂には行けなかったけれど、ばーばはいつも祈り続けているよ。
きっとそこは優しい光が満ち溢れていて
彼女は綿菓子のような雲の上をうさぎみたいに
ぴょんぴょんと飛び跳ねていることだろう
そうしてどこまでもどこまでも走り抜けていく
お母さんはもう叱らなくなったのどうしてかな
言うことをきかないといつも怒っていたお母さん
けれども晩御飯の時にはすごく優しい顔をしていた
ここはねすごくあったかいよだっておひさまがいてくれる
いっぱい走ってしんどくなったら雲の毛布にくるまって眠るよ
たんぽぽの花が咲いていてねお腹が空いたら食べても良いって
でも食べちゃうのはかわいそうだからちょっと我慢をしてるんだ
それとねもうたくさん友達が出来たんだよすごいでしょ
みんなと遊ぶんだよあしたもあさってもずっと約束したからね
だからどうかどうか悲しまないで寂しいなんて言わないで
この光を空からいっぱい届けてあげるからずっとずっといつまでも
※12月12日 やすらかな寝顔のままであんずが旅立ちました。 享年16歳と7ヶ月の大往生でした。
またまた真冬並みの寒波が到来するらしく 明日の朝は今季いちばんの冷え込みになりそうだった。
冬には冬の楽しみもあるのだけれど やはり寒さは身に堪えて苦手だなとつぶやいてしまう自分がいる。
姑さんのリハビリの日、仕事の忙しさもあったけれど やはり姑さんのことをいちばんに考えてあげなければと思った。 頼られているのだなとふっと思う時がある。役に立てるのは嬉しいこと。
午後、いつもより早めにお大師堂へ向かう。 顔なじみのお遍路さんが来ていて笑顔で再会を喜びあった。 70歳を超えていてあまり身体が丈夫ではないことがいつも気がかりな人。 前回会った時には「もう死にたい」と言って嘆いたことなど思い出す。
私の亡くなった父よりも若いけれど、なぜか父のように思えてならない。 「ちょっと待っていてね」いつも食料の差し入れをするのが常の事だった。 お接待と言うよりもなんだかそれが自分に与えられた使命のように思える。
なんとしても生きてほしい。生きる喜びを感じてほしいと願ってやまない。
あんず、今日もずっとずっと眠り続けている。 時々寝言のような声をあげるので苦しいのではないかと駆けつけても 何事もなかったようにひたすらすやすやと眠っているばかりだった。 まるで「眠り姫」の物語の主人公になってしまったようなあんず。
何もしてあげられなくてごめんね。ただただ頭を身体を撫でるばかり。
今も幸せなのだろうか。ずっとずっと幸せだったのだろうか。
昨夜は突然の雷雨で驚いたけれど 今朝は雨もやんでいてひんやりとした風とちょっぴりの青空。
銀杏の葉はもうすっかり散ってしまって 黄金色のじゅうたんをあしもとに枝を空に伸ばすように立っている。 それがなんだか人の姿のように見えてしんみりとせつなくなってくる。 生きているのだけれどどう生きればいいのかわからないとつぶやけば ありのままでいいのだよって空が、朝の光を届けてくれているような。
あんず、昨夜はかすかに意識があって目をあけていたのだけれど 今夜は昏睡状態になりいくら声をかけても目をあけてくれなくなった。 犬小屋を離れたがらず無理やり家の中に入れてはみたのだけれど もう以前のように暴れる体力もなくなってしまってひたすら眠るばかり。 その寝顔があまりにも安らかなので、なんだか救われたような気持ちになる。
明日のことはわからないけれど、どうかどうか安らかなままでと祈り続けている。
夕方、お大師堂へお参りに行ってから川辺の道をしばらく歩いた。 川風は冷たいけれど心もからだもほこほこと温もってくる。
この「ぬくもり」こそが「いのち」なんだなって思った。
2013年12月06日(金) |
はっとするような夜空 |
風もなく穏やかな一日。明日からまた寒波がやってくるとのこと。 冬だからそれがあたりまえのことなのだけれど 寒さが身に堪える年になるとその寒さを「怖い」と思ってしまう。
今週もずっと仕事が忙しくて、やっと金曜日と思いきや 今日は午後から自動車保険の研修会が三時間もあってどっと疲れる。 仕事をするのは好きだけれど、だんだんと学ぶことが億劫になっている。 いくつになっても学びたいと言う意欲が大切なのかもしれない。
帰宅が遅くなってしまってあんずを連れ出すことが出来なかった。 日に日に歩けなくなっているので少しでもと思ったのだけれど 昨日もほとんど歩けなくてもう限界なのかもしれないと思う。
晩御飯を持って行っても犬小屋からなかなか出ることが出来ない。 いつもお腹を空かせていて晩御飯を待ちかねていたのが嘘のようだった。
しみじみとせつなさが込み上げてくる。それはどうしようも出来ないこと。
一番星と三日月、ほんとうにはっとするような夜空。
何かが押し寄せて来ているのだけれど、気づかないふりをしている。
明日のことは誰にもわからないからこそ明日に託すことがあるって
きっと幸せなことなのだろう。生きている限り「あした」があるのだもの。
おひさまの光につつまれていると
ほっこりほっこりといのちが息をしているのがわかる
生きているのがあたりまえのことだなんて思ったことなどない
あたえられた日々をありがたく受け止めながら
ていねいにていねいに生きていけたらどんなに良いだろうか
おとうさんありがとう おかあさんありがとう
ふたりが出会わなければわたしという存在はなかったのだ
そう思うとこのいのちが決して自分だけのものではないと思えてくる
ずいぶんと歳月が流れてしまったけれど
わたし生きているよ こんなに生きているよって大声で叫びたくなる
このさきどれほどの時間がわたしに残されているのかわからない
けれどもさいごのさいごまで幸せだったよって胸をはっていたいのだ
このいのちはわたしの誇り いただいたたいせつないのち
おとうさんありがとう おかあさんありがとう
またひとつとしを重ねることができました
2013年12月03日(火) |
水仙いちりん咲きました |
今日も日中は小春日和。やわらかな陽射しがほんとうにありがたい。
お大師堂に向かう途中で水仙の花を見つけた。 まだ咲いたばかりの一輪にほっとこころを和ませる。 寒い時期に咲く花というものはなんとも健気なものだ。
夫の友人が今年も落ち鮎をたくさん届けてくれた。 去年よりも少し小ぶりだけれど鮎特有の良い香りがする。 さっそく息子のお嫁さんのご実家へおすそわけ。 いつも頂くばかりでお返しが出来ずにいたので やっと返せたねと夫とふたりほっとしたのだった。 ご両親とも鮎が大好きということでほんとうに良かった。
夕食後、またラジオを聴きながらウォーキングマシン。 夜空を見上げる楽しみはなくなってしまったけれど ラジオも毎日聴いているとけっこう楽しみになってきた。
今夜は、さだまさしの「バースデー」が流れる。 NHKテレビの「鶴瓶の家族に乾杯」のテーマソングでもあったが 最後まで聴いたのは今夜が初めてだったのでちょっぴり感動する。
「生まれてきてよかった」しみじみと自分の命に感謝する。
やわらかな陽射しにほっと息をする。 ずっとずっとこんな日が続いてくれたらいいな。
仕事から帰宅するなり歩いてお大師堂に向かった。 いつもは冷たい風も今日はほんわかとあたたかい。
ひとりぼっちの散歩道にも少しずつ慣れてきたこの頃。 以前からの散歩仲間の人に会うと必ずあんずのことを訊かれる。 みんなが気遣ってくれてほんとうにありがたいことだった。
お参りを済ませ、またおせんべいを二枚もいただいた。 お線香が短くなるまでお大師堂にいるつもりだったけれど 外で待っている人がいて慌てて飛び出してしまった。
握り締めたおせんべいをぽりぽりかじりながらまた歩く。 河川敷の枯草はふかふか。足が踊っているように軽やかになる。
夜のウォーキングを諦めてしまったものだから 明るいうちに少しでも歩きたくて毎日頑張っている。 万歩計は思うように進まないけれど、歩くのはやっぱり楽しい。
てくてくと歩けばこころもついてくる。
そんなこころに新しい靴を履かせてあげたいものだ。
とうとう師走。なんだか背中を押されているように歩みだす。 急ぎたくはないというのにやがて駆け足になってしまいそうだった。
日中は暖かくなり、夫に手伝ってもらって茶の間の障子を張り替える。 ホームセンターで買ってきた一枚張りの障子紙は桜の透かし模様があった。 茶の間が一気に明るくなって嬉しくなる。新年を迎える準備がひとつ済む。
お昼には娘たち一家が突然にやって来て、なんと私にと誕生日のプレゼント。 誕生日が近づいていることなどすっかり忘れていたのでびっくりと嬉しかった。
そう言えば去年は神戸に行っていたのだっけ。もう一年、信じられないくらい早い。 年を重ねることはちょっぴり怖いけれど、生きてきた証だと思えばそれも幸せ。
午後、息子のお嫁さんのお母様がお餅をたくさん持ってきてくれた。 何かの神事があってお餅投げがあったのだそうだ。 紅白の祝い餅をおすそ分けですよと持ってきてくれてなんとありがたいこと。 お正月にお雑煮にしようとさっそく冷凍保存する。新年の準備がまたひとつ。
昨夜はそのご両親と少し早目の忘年会をしてとても楽しかった。 ほんとうにかけがえのないご縁をいただいたのだと思う。 まったく気を遣うこともなくざっくばらんとしていてすっかり仲良しになった。
来年の二月には新しい命が誕生する。みんなが楽しみにしていることだった。
日々、いいこともあればわるいこともあるけれど いいことだけを考えていると幸せがすくすくと育っていくように思う。
どんなときも笑顔で。自分たちに与えられた人生を全うしたいものだ。
|