2013年09月30日(月) |
たそがれウォーキング |
あたりが黄昏れ色に染まる頃、土手を一人で散歩する。 おいっちにおいっちに心の中で掛け声をかけながら 手を振って足をあげてちょっぴりロボットみたいに歩いた。
以前はあんずと一緒に歩いていた散歩道。 この夏の間にすっかり足腰が弱ってしまったあんずには もうとうてい歩けそうにはない距離がそこにあった。
独りぼっちはちょっぴり寂しい。 けれども何かを始めたいと言う気持ちもあって 今日から「たそがれウォーキング」をすることに決めた。
だんだんと夜の訪れが早くなって来ているけれど 「夜になっても良いのじゃないか」と夫が励ましてくれた。
三日坊主で終わらないようになんとしても続けたいと思う。 そう出来ることを少しずつ、継続はチカラなりと頑張ってみたい。
久しぶりに本気で歩いたせいか、足が重くてすごくしんどかった。 それだけ体力が無くなっているのだと思う。体重も邪魔をしている。 はあはあしながら大橋のたもとまで辿り着き、橋の欄干をタッチした。 そこを折り返し地点に決めて来た道を引き返して行く。
薄っすらと汗をかきながらなんて気持ちが良いのだろうと思った。
おひさまおやすみなさい。明日はまたおはようさんしようね。
自転車でお大師堂へお参りに行った。 そよ吹く風はすっかり秋の風だったけれど ここしばらく耳にしなかったツクツクボウシの声を聴く。
もう最後かもしれないなと思った。 そう思うとなんともせつない鳴き声である。
お参りを済ませ、お線香が短くなるまで川面を眺めていた。 何も思い悩むこともない。さらさらと水が流れていくばかり。
ふと笹舟を浮かべてみたくなった。 きっと無事に海まで流れていくことだろう。
そうして波にもまれてしまうかもしれないけれど 流れついたところが与えられた場所なのだと思う。
「行ってみようか」そう自分の心に問いかける。 臆病で不安がってばかりいる自分を笹舟に乗せてみるのもよし。
お線香が短くなってもう大丈夫かなと家路についた。
自転車は気持ちいい。どこまでも走っていけそうな気がする。
2013年09月26日(木) |
あっけらかんと生きること |
今日も秋晴れ。コスモスが気持ちよさそうに空を仰いでいる。 私も一緒に深呼吸したいなって思った。風のようなこころになって。
そわそわと落ち着かない母を励ましながら送り出す朝。 昨日は強気だった母も「なるようになるよ」なんて言って出掛ける。
午後、試験が終わったと電話があった時にはへらへらと笑っていて どうやら思った以上に試験問題が難しかったようだった。 試験会場の人に「また来ます」と言って約束してきたよなんて。 そんな話を聞いているとやはり合格は無理かもしれなかった。 合否判定は来週になる。もし合格していたら大ばんざいだった。
結果はどうであれすごく頑張った母に私は百点満点をあげたいと思う。
仕事を終えて帰り道、ちょっぴり不安なことがあった。 考えないようにしようと思っていてもそれが襲ってくる。 母のようにあっけらかんとしていられたらどんなに良いだろうか。
平穏な日々のはざまにちくちくと針のように突き刺さる出来事。 それを痛いと感じるのか、たかが虫刺されと感じるかの違いだと思う。
気楽に生きていくのは簡単そうで実は難しいことなのかもしれない。
山里の職場へ向かう朝の道、ひとりふたりとお遍路さんの姿があった。 後姿に横顔に会釈をしながら追い越して行く。とても清々しい朝だった。
水曜日、姑さんのリハビリの日であったけれど 山里の母が気がかりでならず、姪っ子に付き添いを頼んでしまった。 そのことで少し義妹のご機嫌を損ねてしまったけれど 気にすることはないよと夫が言ってくれてずいぶんと気が楽になる。
例の試験を明日に控え、母は気が気でないように焦っていた。 私がいないとネットの模擬試験も出来ないこともあって 今回だけは母を助けてあげようと夫と相談して決めたことだった。
そうしてあげて良かったのだなとつくづくと思った。 母はほっとしたように喜んでくれて今日も猛勉強に励んでいた。
きっと大丈夫、もし駄目でも再試験があるよ。 何度だって挑戦できるのだから、気楽に臨めばいいよ。
そう言って励ませば、「いや、一発で合格してみせる」と強気の応答。 母らしいなと思わず微笑んでしまった。すごいすごい頑張り屋さん。
丸くなった背中をよけいに丸めてなんだか猫みたいになって 一生懸命頑張っている母の姿がとても誇らしく思えてきた。
明日もきっと心地よい風が吹くはず。その風を母に捧げたいなと思う。
秋晴れの空の下、風に吹かれながら一歩を踏み出す姿がとてもまぶしい。
職場の庭にコスモスが咲き始めた。 先週の金曜日にはまだ一輪二輪だったのが今朝はたくさん。 私の好きな白いコスモスもちゃんと咲いてくれていて嬉しい。
いつかの晩秋、咲き終わったコスモスを母が嫌って 片っ端から引き抜いてしまったことがあったけれど その時の種が毎年ちゃんと芽吹いてくれているのだなと思う。
真っ青な青空。秋風に揺れるコスモスはなんとも可愛い花だった。
昨夜のこと、息子のお嫁さんのご家族と一緒にお食事会をする。 息子たちは結婚式も披露宴もせず先月入籍を済ませていた。 それではあまりにも寂しいと両家の家族でささやかにお祝いをすることに。
それは和気あいあいと楽しい宴になった。 あちらのお父様はすっかり酔っぱらってしまってすごく陽気になる。 もう飲めないと言うのをうちの夫がどんどん注文したりして困らす。 負けました。勝ちましたなどと言い合い、みんなで大笑いになった。
綾菜も愛嬌をふりまきその場をずいぶんと和ませてくれた。 人見知りをして泣き出すのではないかと心配していたけれど すぐに慣れてくれてあちらのご両親もとても喜んでくれた。
来年の二月には新しい命が誕生する。男の子かしら女の子かしら。 綾菜にも「いとこ」が出来る。ちょっぴりお姉ちゃんらしくなることだろう。
楽しい時間はあっという間に過ぎて、もっと語り合いたいなと思いつつ いざ解散となるとなんとも寂しかった。「またやりましょうよ」 そう約束をしてそれぞれが家路についた。後ろ髪をひかれるように。
いろんなことが順調。それがとてもとてもありがたくてならない。
こうして素晴らしいご縁をいただいたことも感謝しきれないほどだった。
これからもどうか、どうかと手を合わす日々が続くことだろう。
みんなが笑顔でいられますように。みんなが幸せを感じていられますように。
祖母の命日。早いものでもう8年になる。 お彼岸でもあり今年こそはと思っていたけれどお墓参りに行けなかった。 遠いと言う理由だけでいつも疎かにしていることを心から詫びたいと思う。
「愛子」という名のおばあちゃんだった。
愛ちゃん、その名の通りお茶目で可愛らしいおばあちゃん。 優しくていつもにこにこしていて私の大好きなおばあちゃんだった。
子供の頃、トウモロコシの皮でお人形を作ってくれたり 春はぼた餅、秋はおはぎとそれはそれはとても美味しかった。
たくさんの思い出が今でも鮮やかに浮かんでくる。 亡くなった時はとても辛くて寂しかったけれど 愛ちゃんはずっとずっと私の心の中で今も生き続けているのだと思う。
いつもお空から見守っていてくれてありがとう。 愛ちゃん大好きだよ。これからもずっとずっと忘れることはないよ。
最後に愛ちゃんに会った時に一緒に歌ったうたがあったね。 私の手を握り締めて「おて手つないで野道をいけば」って もう息をするのが精一杯だったのに最後まで歌ってくれたのだった。
あの時の手のぬくもり。それが愛ちゃんのすべてだったように思う。
そのぬくもりをどうして忘れることなどできようか。
つゆ草って初夏に咲く花だと思い込んでいた。 少女の頃からとても好きだった花なのにどうして忘れていたのだろう。
雑草の生い茂る職場の庭にそこだけほっこりとその花が咲いていた。 彼岸花のように決して華麗ではないけれど まるで秋の空のように青くてとても可愛い蝶々のような花だった。
一週間ぶりの山里、空気がひんやりと爽やかで美味しい。 昨日の気まずさもあったけれど、「おはようさん」母の明るい声が嬉しい。 たまっていた仕事をとんとんとこなす。私は忙しのが大好きだった。
母は来週に迫った自動車保険の資格更新試験に向けて猛勉強をしている。 試験はパソコンで行われるため、高校のパソコン講座に通い始めて半年。 まだ少しマウスの使い方などが不慣れだけれど、一生懸命に頑張っている。 インターネットでの模擬試験に挑戦したりしているけれど結果は不合格。 解答を確認しながら、間違った箇所をノートに書き写しチェックをする。
そんな姿を見ていると母ってすごいなとつくづく感心するのだった。 その反面、なんだか可哀想にも思えてきて複雑な気持ちにもなる。 そろそろ引退させてあげたい。けれどもそれを言うと母を怒らせてしまう。
年なんて関係ないんだよ。いくつになっても挑戦出来るのだからと。
明日からまた三連休、「あんたは休むよね」と何度も念を押す。 私がそばにいないとパソコンを起動するのがとても不安なのだそうだ。 特にインターネットは不慣れで何度教えてもうまくいかなかった。
一人でも大丈夫、きっと出来るから。そう言って励まして帰路についた。 模擬試験で合格になったら自信も出来てくるだろう。 がんばれ母さん、いつも言っているでしょ。「やってやれないことはない」
試験は来週の木曜日、私も出来るだけ母を助けてあげたい気持ちでいっぱいだった。
ねえ母さん、落ち着いたら庭のつゆ草を一緒に見ようね。
「可愛いね」って母さんの笑顔が目に見えるようだよ。
2013年09月19日(木) |
空のように生きている |
雲ひとつない。そんな空を見上げながら そんなふうに生きられたらどんなにいいだろうかと思った。
晴れたり曇ったり、時には雨や嵐だったり。 空のように生きている。あるがままにと自分をゆるしながら。
頑張ったかいがあって今日は川仕事を終えることが出来た。 とは言ってもまだ第一段階の準備を完了しただけなのだけれど 最初のハードルを越えたような心地よい達成感が待っていた。
「お疲れさま」とお互いをいたわりあうひと時。 二人だから出来たこと、夫の背中がとてもたくましく見えた。
午後、程よい疲れのはずが思ったよりもひどかったらしく なんだか気が抜けたようになって二人ともぐったりと寝転んでしまった。
ちょうどその頃、山里の母から仕事のことで電話がかかってきた。 一瞬苛立つ。「お願い、明日にして」とつい声を荒げてしまったのだった。 応える母の声も苛立っている。どんなにか気を悪くしたことだろうか。
これには深く反省。私のこころに余裕が足りなかったのだと思う。
人間だもの、どんな時だってある。そう言って自分をなだめてみるばかり。
夕暮れ時、あんずとのんびりゆったりと散歩をしながら一番星を見つけた。 どこまでも広い空。茜色に染まればひとつひとつの星が生まれてくる空。
そうだった。今夜は十五夜、綺麗な月を見上げてみるのもいいな。
お大師堂のそばに彼岸花が咲き始めた。 鮮やかな真紅の花と純白の花が心を和ませてくれる。
真紅の彼岸花は少しどきどきとする。 子供の頃に触ってはいけないよと祖母に言われたことを思い出す。 だからいまだに一度も触れたことのないままおとなになった。
白い彼岸花はなんとなくほっとする。 花嫁衣装を着た花嫁さんみたいではっとするほど美しい。 そっと触れてみる。壊れてしまいそうに儚い優しさが伝わってくる。
今日は姑さんのリハビリの日だった。 川仕事のせいにしてお休みしなくてほんとうに良かったと思う。 いつもの平行棒での歩行練習を、今日は片手で挑戦してみることになった。 出来るかな、出来るかなとはらはらしながら見守っていたけれど やってやれないことはない。姑はふらつきながらもすごい頑張っていた。 それを二往復もやってみせてみんなをおどろかせる。 拍手と笑顔の花が咲き感動で胸がいっぱいになったほどだった。
諦めない勇気、挑戦する勇気、すごく大切なことを教わった気がする。 きっと歩けるようになる。希望を捨てずにこれからも応援したいと思った。
お大師堂の彼岸花。姑さんにも見せてあげられたらいいな。
今朝は気温がぐんと低くなり、涼しさを通り越して肌寒いくらいだった。
空は雲ひとつない秋晴れ。ひんやりと爽やかな空気がとても心地よい。
午前中は川仕事、水が冷たいかなと思ったけれどそうでもなくて やがて薄っすらと汗も流れ始めてはあはあしながら二人で頑張る。 毎年のことだけれど、ひとつひとつの作業をこなしていきながら どうかこのまま順調でありますようにと願わずにはいられなかった。
「博打みたいなものだからな」夫は毎年そう言う。 どんなに苦労をしてもそれが必ず報われるとは限らない。 かつては収穫ゼロの年もあり、途方に暮れたことをふっと思い出す。
だからと言って不安がってばかりいては前に進めない。 やれるだけのことをやって後は天に任せるしかないのだと思う。
「お疲れさん、今日はえらく頑張ったね」微笑みあう一瞬が希望につながる。
あと二日もあれば漁場の準備も完了するのだけれど 明日は姑さんのリハビリの日で夫が一人で川仕事へ行く事になった。 リハビリをお休みしようかと考えていたら夫が首を横に振る。 「俺は一人で大丈夫だから、連れて行ってあげてくれ」と言うのだった。
週に一回のリハビリをほんとうに楽しみにしている姑のことを 息子である夫も母親のことをすごく思っているのだなとつくづく感じた。
「忙しいのにすまないねえ」明日は姑にそう言わせないようにしたい。 そう思いつつ、ふっと言葉や行動で姑に気を遣わせてしまうのではないかと 気になったりしている。気まずい思いだけはさせてはいけないのだ。
どんな日もあるけれど、出来ることを出来る日に。 そうしてみんなが笑顔でいられるように明日の風に吹かれてみようと思う。
今日は川仕事の予定だったけれど雨で中止になる。 さあやるぞと勢い込んでいた気持ちが一気に崩れ落ちた。
こんな日は何もせずにだらだらと怠惰に過ごすのがいちばん。 そう決めると心も身体もゆったりとしてきてとても落ち着いてくる。
夫と茶の間でテレビ三昧をしていた。 「徳さんのお遍路さん」これは毎週楽しみにしている番組。 興味がないと言いながら付き合ってくれる夫に感謝している。 今日は59番札所の「国分寺」からだっのだけれど 住職さんのお言葉がとても好きだなって思った。
「雲の上には青空がある」
それは以前に山里の母が言ってくれた言葉と同じだった。 母の顔を思い浮かべながらその言葉の意味をかみしめていた。
午後からは「ビフォアーアフター」これも大好きな番組。 古くて不便でどうしようもないような家がリフレッシュされていく。 完成された時の依頼者の何とも言えない喜びに満ちた笑顔。 感動して涙ぐんでいる場面もあって、ついついもらい泣きをしてしまう。
そうして夕食時には今日から始まった「大相撲秋場所」 相撲好きの夫に影響されて私も大相撲のファンになって久しい。 好きだった把瑠都関が引退したとのことでちょっぴり寂しいけれど 豊ノ島、栃煌山、地元出身の力士を応援するのについつい力が入る。
今夜はこれから「八重の桜」その後は「半沢直樹」とテレビ三昧の夜が続く。 一緒に見てくれる夫がいてくれてほんとにありがたいなとつくづく思う。
ちょっと昔の私はまったくテレビを観ない人だったから。 いつもPCにかじりついてひどいネット中毒だった時期があった。
今はなるべく夫と過ごす時間を大切にしている。 おかげで会話も増えて毎日が楽しくて幸せだなってすごく感じるのだ。
2013年09月14日(土) |
猫じゃらし風にゆれて |
土手の猫じゃらしが可愛い。 ちろちろと風に揺られながら語り合っているよう。
若きススキの穂に野菊もよりそってちいさな秋を見つけるのも嬉しい。
今日は綾菜の保育園で「敬老会」があった。 もちろん初めてのことでわくわくしながらどきどきしながら出掛ける。
保育園に着くと綾菜が目に涙をいっぱいためて先生に抱っこされていた。 お友達のおじいちゃんやおばあちゃんがたくさん来て人見知りをしたとのこと。 それでもしばらくすると慣れてきてみんなと一緒に遊び始めた。
お歌の時間、向かい合って手遊びをしながら一緒に歌う。 げんこつやまのタヌキさんは綾菜の大好きな歌だった。
それから少し早目の昼食、土曜日はいつも軽食だと言うこと。 蒸しパンとバナナで牛乳をおかわりしてごくごくと飲んでいた。
食後はテラスで少しだけ遊ぶ。お友達はみんな走り回っているけれど まだ歩けない綾菜はひたすらハイハイをしてみんなを追いかけていた。 早く歩けるようになったら良いなとつくづく思う。もう少し、あと少しだ。
眠くなってぐずりだす子もいて敬老会は午前中でおしまいになった。 みんなおじいちゃん達と帰り始めたというのに、綾菜はいやいやをする。 先生にしがみついて「まだ帰りたくない」と意思表示も出来るようになった。
嫌がるのを無理やり連れて帰る。昨日もそうだったんですよと先生も笑っていた。
それだけ保育園が好きになってくれて嬉しいことだなと思った。 この先、私たちが忙しくなって土曜日のお迎えが出来なくなっても大丈夫。 それはちょっぴり寂しいけれど、綾菜の成長の一こまを見たような気がした。
帰宅してお昼寝、目が覚めたらおやつと綾菜と過ごせる時間はほんとうに楽しい。 夏の間は散歩も出来なかったけれど、今日は土手にあがって猫じゃらしで遊んだ。 こちょこちょするとくすぐったいの。恐る恐る手で触ってみるしぐさも可愛い。
夕方には娘が迎えに来て、またまた「帰りたくない」と駄々をこねる。 目にいっぱい涙をためている綾菜をなだめながらクルマに乗せた。
それにはバーバももらい泣き。ジージも寂しそうに見送っていた。
「また来週もお願いね」娘の一言がとても嬉しかった。
2013年09月11日(水) |
夕焼け小焼けで日が暮れて |
夕方あんずと土手を散歩しながら、真っ赤に燃えるような夕陽を見た。 なんだかどきどきするような紅が西の山に吸い込まれるように落ちていく。
よっこらしょ、どっこいしょ。何度もよろけながらあんずが歩く。 坂道で転んだり側溝に落ち込んだりしながらも、すごく頑張っている姿。
微笑ましくもありながらちょっぴりせつなさも感じたりしている。
ふっと今朝のリハビリでの姑の姿と重なった。 まったく歩けなくなってしまってかれこれ5ヶ月だろうか。 出来ていたことが出来なくなる。その現実と必死で闘っているのだと思う。
歩行器での歩行練習を今日も一生懸命に頑張っていた。 リハビリの先生が「今日はこれくらいにしておきましょう」と言っても 「もう一回やります」と再度挑戦して見せて皆を驚かせたりもした。
あんずも同じ、毎日が訓練であって彼女の挑戦なのだと思う。 勢いをつけて駆け上がっていた石段、走って駆け下りていた坂道。 それがもう出来なくなってしまってどんなにか戸惑っていることだろう。
お家はすぐそこ、「もう少しだよ、がんばれ」声をかけるのが日課になった。 時には疲れてしまってもう一歩も歩けなくなる時があるけれど 手助けをしたり抱っこしてあげたりもせずに、じっと見守るようにしている。
そうしたら彼女は必ず歩き出す。一歩一歩お家を目指して最後まで頑張る。
「えらかったね、すごい頑張ったね」いっぱいほめてあげて晩御飯。
それはそれは幸せそうに食べてくれる。今日の夕焼けは最高だったねあんず。
見上げれば雲ひとつない青空。その真っ青な空に羽ばたいてみたくなる。 鳥になりたいなって思った頃もあったっけ。なんだかとても遠い日のこと。
午後から川仕事の予定だったから、朝のうちに買物に行く。 スーパーではなくて近くの地場産市場まで自転車ですいすいと。 心地よい風に吹かれながらいっぱいしんこきゅうをしながら行った。
「芋のつる」を買った。たくさん出ていて今が旬なのかなと思う。 涼しくなってきたからそろそろ煮物も良いなあなんて。 「芋のつる」それはさつま芋の茎の部分のことなのだけれど 全国的に食べられている物だと思っていたら、高知県だけだとか。 以前にケンミンショーで紹介されていてびっくりしたことがあった。 さつま芋の茎だけあって甘みがあってとても美味しい季節の食材である。
午後は川仕事を頑張って帰宅したらもう三時を過ぎていた。 自転車でお大師堂に行くつもりだったけれど、足が棒のようになっていた。 仕方なくクルマに飛び乗ってお参りに行く。怠け者だなとお大師さんに叱られそう。
手を合わせて今日という日に感謝する。願い事をしてはいけないと思いながらも いつも願ってしまう。「願い」と「祈り」の区別がいまいちよくわからない。
家族のことや友人のこと。手を合わすこと、イコール「祈り」であってほしい。
さて夕方になり「芋のつる」を厚揚げと煮てみようと台所に立ったものの 頭の中が一瞬ぽかんとなってしまって下ごしらえはどうしたものかわからなくなった。
こんな時には母に訊くのがいちばんと、さっそく電話して教えてもらった。 ふむふむ、沸騰したお湯で一度湯がくのね。それからザルにあげ冷水で洗う。 厚揚げも良いけど油揚げのほうが美味しいよとか。ちょこっとサラダ油を入れてねとか。
その後で母は「早く来てね、助けてよ」ってちょっと声を荒げて叫んでいた。 私がいなくてもなんとかなるだろうと思っていたけれど、ちょっと大変そう。
例のごとくでこちらをたてればあちらがたたずだった。 でもどうしようもできない時ってあるよね。今がその時なんだなって思う。
母の顔を思い浮かべながら「芋のつる」を食べる。
「美味いな」って夫の笑顔が幸せだなってすごくすごく感じた夕餉のひと時だった。
今日は雨の予報ではなかったのに小雨が降ったりやんだりの一日だった。 夕方には雨がやんでいてほんの少し夕焼けが見える。 そして今は西の夜空に三日月と一番星がきらきらと輝いている。
まるで絵のような夜空。しんみりと少しだけせつなさを感じている。
日中は川仕事、機械の調子も良くなって順調にはかどる。 他の仲間よりも遅れているけれど、急ぐことはないよねと夫と語り合う。 ぼちぼちとマイペース。二人で力を合わせて少しずつ頑張っていきたい。
川から帰宅するとポストに一枚の葉書が届いていた。 見慣れた文字に思わずにっこりと微笑んでしまう。 ほんのちょっとしたことなのだけれど、話したいことがあると 彼は必ずそうして葉書を寄越してくれるのだった。 電話ではなくあえてそうする。そういうところがすごく好きだなと思う。
私はちょっぴり悪戯心が芽生えてきて、返事を遅らせてしまう時もある。 まだかな、まだかなと待っている姿を想像しては微笑みがとまらなくなる。
今の世の中、携帯電話やメールとずいぶんと便利になったけれど 文通も良いもの。心と心が旅をし合って巡り会うような気持ちになる。
ポストに投函すれば明くる日には届く距離だけれど ささやかな旅をしながら微笑みに会いに行くのも楽しみなことだった。
お便りどうもありがとう。待っていてね。必ずかならず会いに行くから。
2013年09月08日(日) |
花火と大切な仲間たち |
曇り日、赤とんぼがおひさまをさがすように飛び交っていた。 雲の上のおひさまはきっと優しく微笑んでいることだろう。
そよ吹く風は秋の風、土手の若きススキの穂が気持ちよさそうに風に揺れている。
昨夜は先週から順延になっていた花火大会が無事に行われた。 初秋の花火も風情があって良きもの。なんだか少しせつなさを感じた。 とても暑かった今年の夏を思い出す。夜空を彩る花火に押しやられるように もう夏はふり向くこともできなくなってどんどんと遠ざかっていくのを感じる。
「バーベキューをするよ」と誘ってくれた友人夫妻。 バドミントンを通じて仲良くなりかれこれ20年以上の歳月が流れていた。 ずっと一緒のクラブで頑張っていたけれど、廃部になって2年半が過ぎた。 体力的にも限界を感じていた私はそのままほぼ引退という形になってしまった。 でもふたりはその後も他のクラブに所属して今でも現役で頑張り続けている。
「諦めたらいけないよ、続けなくちゃ」何度励ましてもらったことだろう。 その言葉を励みに私も他のクラブへ行ってみたけれど長続きしなかったのだった。
昨夜は他の若いメンバーも集まってくれて、なんとも懐かしくてたまらなかった。 みんなが私のことを覚えていてくれる。それがとてもありがたくてならない。
バーベキューはわいわいと盛り上がりとても楽しい夜を過ごすことが出来た。 花火が始まるとみんなで歓声をあげる。それはそれは綺麗な花火だった。
そしてふっと感慨深くおもう。バドミントンのおかげでたくさんの縁に恵まれたこと。 このまま自分から遠ざかってしまっても良いのかと自問自答を繰り返していた。
大好きだったバドを続けられる限り頑張ってみたい。 そう思う反面、もしも怪我をしてしまったらと不安にも駆られる。 必要なのは「勇気」それさえあればきっと復活出来るような気がするのだった。
もう以前のようには動けないかもしれない。 まわりのみんなに迷惑をかけてしまうかもしれないけれど 出来るものなら復活したい。最後の最後まで続けられたらどんなに良いだろう。
バド仲間のNちゃんとTちゃんが代行運転を名乗り出てくれて家まで送ってくれた。 とてもとても楽しかった夜だと言うのに、なんだかほろりと涙が出そうな夜でもあった。
例年ならまだまだ残暑が厳しい頃だけれど 9月の声をきくなり一気に秋めいてきたように思う。
つくつくぼうしの声もか細い。逝く夏を惜しむように鳴いている。 空は澄み渡りどこまでも高く鰯雲が魚そのものに空を泳いでいる。
今日も川仕事の予定だったけれど、朝の一時間ほど山里の職場に行く。 母がのんびりと出勤してくるなり私が帰るというものだから なんだか職場を掻き回したような感じになって悪かったなと思う。 ばたばたとした気忙しさ。急ぎの仕事を済ますと飛ぶようにして帰って来た。
帰宅するなり大急ぎで川仕事に向かったのだけれど 一時間もしないうちに杭を打つ機械が故障してしまった。 なんてことだ。夫とふたりで修理屋さんに駆けつけて直してもらう。
すぐに直って良かったね。また川に戻り作業を始めたら5分もしないうちに また機械が動かなくなってしまったのだった。もうお手上げ状態である。
今日は休みなさいって言うことかもしれないね。 ちょっと早いけどお昼にしようよ。お楽しみのお弁当をゆっくりと味わう。
なんだか今日はお遊山みたいね。二人で顔を見合わせながら笑いあった。
とんとん拍子とか、そうはうまくいかないのが世の中。 どんな時もあるものだなあと思うとなんだか可笑しくなってしまった。
結果的にくたびれもうけの一日になってしまったけれど、それもよしと思える。
だってなんだか楽しかった。どんなことがあってもありがたい一日だもんね。
昨日の夕焼けが約束してくれた通り、久しぶりの青空になった。 それはもう秋の空。猛暑の頃が嘘のように優しいおひさまが微笑んでいる。
今日は夫と二人で川仕事。そろそろ漁場の準備を始める頃になった。 撤収したのがついこの前のように思うのに、もうそんな頃かと思う。
爽やかな川風のおかげでさほど汗もかかずに仕事がはかどる。 お昼には川でおにぎりを食べた。それが最高に美味しかった。
川仕事をしながら突如思い出し笑いをしてしまって涙が出るほど可笑しい。 それは今朝のこと、夫のトイレ姿を目撃してしまったことだった。 二人きりの暮らしのものだからトイレの鍵をかけることも疎かになって 夫がトイレタイムをしているのをちゃんと知っていたはずだったのに 自分も行きたくなってしまっていきなりドアを開けてしまったのだった。
そこに夫がいた。ぽかんと口をあけてすごいびっくりしていた。 便器にちょこんと腰をおろしてなんともひょうきんな姿をしていたのだった。
「ごめんよ〜」と謝りながら笑いがとまらなくなる。 連れ添ってもう35年が近いけれど、そんな夫の姿を初めて見た気がする。
ある意味新鮮。そんなことを言ったら夫に叱られてしまいそうだけれど 私は不謹慎にも、また見てみたいなあなんて思ったりしている。
そんな出来事が今日の笑いの種になって、一日中楽しくてたまらなかった。
「俺ってセクシーだよな」恥ずかしかった事も忘れて夫もいっぱい笑ってくれた。
昨夜からかなりの量の雨が降って川が一気に増水する。 轟々と渦巻くように流れている濁流を見ていると恐ろしいの一言に尽きる。
自然の猛威にひとは逆らえず、竜巻の被害の大きさにも心を痛めている。 とても他人事には思えず、明日は我が身であると思いつつ不安ばかりが募る。
同時にこうして無事でいる我が身があまりにも恵まれていると思わずにはいられない。
早朝から悪天候ではあったが、姑さんのリハビリの日。 出掛ける頃にちょうど雨が小降りになって無事に病院へ行く事が出来た。 今日は歩行器を使っての歩行練習があり、補助なしで歩くことが出来る。 ほんとうに少しずつだけれど確実に進歩している証拠でもあった。 リハビリに行くたびに嬉しくなる。姑さんもきっと同じ気持ちだろうと思う。
帰り道のスーパーで姑さんの好きな「ぼた餅」を買った。 頑張ったご褒美ねなんて言って笑顔でいっぱいになる。
毎日の日課であるお大師堂参り、濁流がすぐ真下まで迫って来ていた。 轟音にどきどきしながら心を落ち着かせるように手を合わせた。
どんな時も平常心を保つことはとても大切なことに思える。 それは思うようにはいかなくて時には取り乱してしまうこともあるのだけれど。
午後六時過ぎ、西の空が茜色に染まった。 久しぶりに見る夕焼け空に心がとてもほっと癒される思いがした。
あした天気になあれ。と願い事をしなくても空はゆびきりげんまんをしてくれた。
今夜は義妹が遅番で帰りが遅くなるので 夕方から姑さんのお世話に行っていた。
オムツ交換もすっかり慣れて苦にはならないのだけれど 少しでも歩くことが出来ればトイレに行けるのにと思うと不憫でならない。
晩御飯はヘルパーさんがお寿司を買って来てくれていて助かる。 本来なら私が晩御飯の支度をしてあげるのがいちばんなのだけれど。 姑さんは気を遣っているのだろうか、ヘルパーさんに買物を頼んでいたようだ。
そのことを私は知らなくて、姑さんの好きなポテトサラダをたくさん作った。 義妹にも食べさせてあげようとお皿にてんこ盛りにして持って行く。
そうしたらお寿司があって、それだけで良いよって言われたらどうしよう。 でも小皿に盛ってお寿司と一緒に出してあげたら、姑さんがおや?って顔をした。
「これは買ってきたがかい?」って問うので「私が作ったがよ」って。
姑さんが一口食べてくれる。「お店のよりずっと美味しいね」って言ってくれた。
いつもスーパーのお惣菜でごまかしている。今更ながらちょっと反省した。 やっぱり手作りがいちばん。何よりも美味しいって言ってもらえてすごく嬉しかった。
出来る時に出来ることを。これからもそんな自分でありたいものだ。
毎日が記念日だとすると今日は「ポテトサラダ記念日」だね。
真夜中から明け方にかけて激しい雷雨。 とてもぐっすりとは眠れなくて気だるい朝を迎えた。
さあ月曜日と思うよりもああ月曜日と思ってしまう。 ぐずぐずとしているうちに雷雨もやんでやっと静かになった。 げんきんなもので空が明るくなると、気分も明るくなるものだ。
山里の職場に着くなりちょっとしたトラブルがあった。 もう慣れてはいるけれど、やはり気分が落ち込んでしまう。 荒波のなかにぽんと放り出されたような気持ちになる。
その波がゆったりと穏やかになるまで待っていた。 大丈夫、きっとおさまる。そう信じて自分に出来ることをするしかない。
どんな日もどんな時もあるもの。ひとつひとつ乗り越えていかなければ。 立ち向かう勇気さえあれば何事もまるくおさまるような気がするのだった。
午後は何事もなかったように穏やかに時が流れてくれる。 ありがたいことだなとしみじみと安堵の気持ちが込み上げてきた。
「帰るよ」って母に告げると「もうそんな時間?」とはっとした様子。 ありがとうのキャッチボールをし合って笑顔で家路に着くことができた。
家に帰り着くとほんとに心からほっとする。 いつもと同じ時刻だと言うのに「今日は早いな」って夫が言った。
そんなちょっとしたことが嬉しい。なんか待っていてくれたみたいで。
とうとう九月。猛暑続きだった八月もあっけなく去っていく。 けれども夏は何度も振り返りながら足跡を残していくことだろう。
防災の日。今日は津波避難訓練が予定されていたのだけれど 朝から激しい雷雨となりそれも中止になってしまった。
防災意識を高めなければと思いつつ、私には恐怖心のほうが大きかった。 訓練が中止になってしまってその思いがよけいに強まったようにおもう。
近い将来かならず襲ってくると言われている南海トラフ大地震。 それは今日かもしれないし、明日なのかもしれなかった。 雷雨であろうがどんな悪天候であってもそれは容赦なく襲ってくる。 中止になどなるはずのないことに大きな恐怖心がわいてくるのだった。
そんな不安にかられながら今日という日も平穏に暮れていく。 毎日が奇跡なのだと思う。ほんとうに恵まれている日々なのだと思う。
いつものようにお大師堂へお参りに行く。 いつものようにあんずを連れて土手をゆっくりと歩く。
いつものように晩御飯を食べてお風呂に入る。 いつものようにこうしてささやかな日々を綴る。
いつものことがどんなにありがたいことかしみじみと感じている今宵である。
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