ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2013年10月31日(木) 一期一会

とうとう10月も最後の日。秋も深まり冬がすぐそこまで来ている。
ここ数日、日中はとても暖かいけれど、すぐに木枯らしの季節になるだろう。

寒いのは苦手だけれど、寒さなければ花は咲かずと乗り越えていきたいものだ。


午前中は月末の仕事に追われてばたばたと走り回っていた。
そんな時、ほっこりほっこりと一通の葉書が届く。
それはつい一週間前の大雨の日に出会ったお遍路さんからだった。
ほんとにささやかな事しか出来なかったというのに
「とても助かりました」と丁寧なお礼の言葉が綴られてあった。
それだけでどんなに嬉しかったことか。胸に熱いものが込み上げてくる。

午後、今度はその方から宅急便が届いてびっくりした。
なんと「横浜中華街の肉まんセット」を送ってくれたのだった。
こんなことまでしてもらって良いのかと一瞬戸惑ってしまったけれど
好意をありがたく受け止めて遠慮なく頂くことにした。

さっそくお礼の葉書をしたためる。四万十川の秋の絵葉書に書いた。
また20日ほどしたらお遍路を再開すると言うことで
ひたすら旅の無事を祈ることしか出来ないのだけれど。


あの日が大雨でなかったらきっと出会うことはなかったことだろう。
そう思うと人と人の「縁」ってほんとうに不思議なものだなとつくづく思った。

日々「一期一会」これからもささやかな縁を大切に過ごしていきたいものだ。



2013年10月30日(水) あしたという字は明るい日と書くのね

今日も日中はぽかぽか日和。柔らかな陽射しに綿のように包まれる。
帰宅途中にいつもは通らない道を走っていたら
国道沿いのお宅にまだ百日紅の花が咲いていておどろく。

そこだけ夏のようでなんだか過ぎ去った夏を恋しく思ったりした。
今年の夏は大変な猛暑だったけれど、過ぎてみればそれも良き思い出となる。



水曜日は姑さんのリハビリの日であったが、仕事を休めず
休職中の姪っ子に頼んで夫と一緒に行ってもらった。
これまで少しも苦に思ったことはなかったはずなのだけれど
今日ほどほっとしたことはなかった。どうしてなのかよくわからない。
自分に与えられた役目だからとずっと気が張っていたのかもしれなかった。


入院中の母は今日こそ退院とすっかりその気になっていたようだったけれど
レントゲンは金曜日になりもう少し辛抱しなければいけなくなった。
今日も電話がかかってくる。明日が月末なので気が気ではないようだった。
「なんとかなるよ」が口癖の母なのにと思うとふっと可笑しくなってしまう。

こうなったら私がなんとかしましょう。心配しないようにと母に伝える。

明日はあしたの風が吹くっていつもそう思っている。

ずっと昔、「あしたという字は明るい日と書くのね」そんな歌があったっけ。



2013年10月29日(火) こころが歩く

朝の寒さが嘘のように日中はぽかぽかと暖かい。
「こんな小春日和のおだやかな日には」秋桜の歌を思い出す。

そういえばいつのまに秋桜は枯れてしまったのだろう。
つい先日まで可愛らしく風にゆれていたのになんだかさびしい。



昨日とは打って変わって今日はのんびりと仕事。
5時間のパートが定時で帰れるのはやっぱりほっとする。
母から二度も電話あり、もう退院したくてうずうずしているようだ。
明日レントゲンを撮って異常がなければ退院の許可がおりそうだと言うこと。

月末の忙しさを思うと母がいてくれると心強いけれど
もう少しゆっくりと休ませてあげたい気持ちのほうが大きかった。


昨日は買い物も出来なかったけれど、今日はゆっくりと出来て良かった。
肌寒くなったので衣料品コーナーでフード付きのベストを奮発して買う。
この色好きだなと思って衝動買いしてしまったのだけれど
家に帰って試着してみたらなんだかおばあちゃんのように地味なベストだった。

まあいいか、もうおばあちゃんだもん。でもよけいに老けて見えそう。
でもあったかいベスト、さっそく明日の朝から着て行こうと思う。



あらあらと言う間に陽が沈む。一番星を見つけていつものウォーキング。
歩きながらいろんなことを考えていた。ほんとうにとりとめもないことばかり。

ふっと明日も生きているのかななんて不安がったりもするのだけれど
歩いているとどこからともなく不思議なチカラが湧き出て来るようにも思う。

それはきっと「こころ」が動いているからかもしれなかった。

こころもてくてく歩いている。まだ見えぬ明日への一本道を。



2013年10月28日(月) 見上げてごらん夜空の星を

昨日よりも今日といちだんと寒くなり今朝は我慢できず暖房をつける。
晩秋というよりもすっかり初冬を感じずにはいられない朝であった。

山里に向かう道のかたわらに大きな銀杏の木があって
毎年楽しみにしているのだけれど、今年もほんのりと色づき始めた。
朝陽をうけてキラキラとまぶしい。なんだかすごく清々しい気持ちになる。

山肌には寒さを待ちかねていたように「つわぶきの花」が咲き始めた。
ちいさなひまわりのようなその花はほっこりほっこり心を温めてくれる。



職場でちょっとしたイベントがあって今日は大忙しの一日だった。
以前から計画されていたことで母がいないからと中止には出来ない。
来客も予想を上回り接客におわれた。ほんとうにありがたい悲鳴である。
ふと母がいなくて良かったのかもしれないと思った。
きっとすごくすごく疲れさせてしまったのではと思ったりしたのだ。
頑張り屋さんの母はもうじゅうぶん頑張ってきたのだと思う。
少しでも楽をさせてあげたい。それが私に出来る唯一の親孝行だった。


残業になり買い物も出来ずに家路を急いでしまったけれど
帰宅したら母から夫に電話があったことを知った。
「家のことをいちばんに考えなさい」そう言ってくれたのはつい先日のこと。
母なりに気を遣ってくれたのだと思うとすまない気持ちでいっぱいになった。

「だいじょうぶよ、心配しないで」毎日のように母にそう伝えている。



日課の「たそがれウォーキング」もすっかり「星空ウォーキング」になった。
あれが北極星ね。あれが北斗七星だ。オリオン座はどこかなと夜空を見上げる。

こんなふうに夜空を見上げることなんてほんとうに久しぶりのことだった。
「うん、これもいいかも」楽しめることがあることはとてもありがたいこと。


見上げてごらん夜空の星を。口ずさみながら歩く。天から星が降って来そうな夜。



2013年10月27日(日) 日向ぼっこのきもち

今朝はこの秋いちばんの冷え込みだったようだ。
早くも暖房がほしくなる。季節は確実に冬に向かっているらしい。

それでも陽が差し始めるとぽかぽかと暖かくなる。
風もなく穏やかな晴天となりすっかり日向ぼっこの気持ちだった。


今日は地区の秋祭り、娘と綾菜が遊びに来てくれて一緒に行く。
もうすぐ一歳半になる綾菜がやっとほんの少しだけ歩けるようになって
おて手つないで歌いながら歩いた。蝶々さんも飛んでいるねって。
いろんなものを見せてあげたいなとすごく思った。
これから寒くなるけれど空や風や雪だって見せてあげたい。

秋祭りの会場でいろんなひとに声をかけられた綾菜。
人見知りが激しかったので泣き出してしまうかもと思っていたけれど
まったく知らない人にも抱っこされて終始ご機嫌だったのが嬉しかった。

どんどこどんどこ太鼓の音。綾菜にとっては初めて聴く音だった。
太刀踊りをしているお兄ちゃん達の真似をして手を振り回したりして見せる。


なんて平和なのだろう。綾菜のしぐさのひとつひとつが心に沁みるようであった。

私はそんな平和がどうしてかいつもふっと怖くなる時があった。
今にも大きな災いが天から降って来そうでどうしようもなく不安になってしまう。

守らなくちゃ、なんとしても守らなくちゃと思うのだけれど
ある日突然それが襲って来たらいったいどうすればいいのだろうか。


ただただ日々に感謝することしか出来ない。

その気持ちが天に通じると信じるしかない毎日であった。



2013年10月26日(土) 青空と笑顔

降り続いていた雨がやっとやんで今朝は真っ青な秋晴れの空。
洗濯物を干しながらなんだかぴょんぴょんとスキップしているようだった。

靴下を干すのが好き。タオルよりもパンツよりも好き。
だって靴下がいちばん可愛い。ぶらさがってちろちろしていて
にこにこと朝陽に輝いている姿はなんだか天使のようだもの。



いつもなら土曜日は孫の綾菜を保育園にお迎えに行くのだけれど
今日は娘がお休みでお役御免になっていた。
それがほんとうにちょうど良いタイミングとなって山里の職場に駆けつける。
思った通り忙しく午前中はばたばたと走り回っていた。
「母がいない」その現実をすごく思い知らされたように思う。

母からは何度か電話があったけれど「大丈夫よ」そう言って安心させた。
病院にいても仕事の事ばかり考えている母が少し憐れにも思えてくる。


午後、mixiを通じてお友達になっていたお遍路さんがすぐ近くまで来ている事を知った。
事務所の電話を留守電にして大急ぎでクルマを飛ばす。

よかった。ちゃんと会えた。ほんのつかの間だったけれど懐かしい笑顔。
真っ青な青空とその笑顔がまるで絵のように私の心に焼き付く。

会うのはこれで三度目だろうか。ほんとうに縁のある人なのだなと嬉しく思う。


仕事を終えて帰り道、県道を歩いているお遍路さんのなかにまたその人を見つけた。
鈴の音が耳に心地よく響く。ああ好きだな。この音がいちばん好きな音。

ほんの一瞬だったけれどクルマの窓から声をかけて見送ることが出来た。

ちりん、ちりん、ちりん、山里にこだまする鈴の音に心あたたまる午後のことだった。



2013年10月25日(金) 母の入院

台風の雨雲がゆっくりと遠ざかって行ってくれたのか
昨日ほどの大雨にはならず小康状態のまま夜を迎える。

夕方お大師堂にお参りに行くと、すぐ真下で濁流が渦巻いていた。
ゴウゴウと川がうなり声をあげているような音で思わず身震いをする。

お大師堂には二人の青年遍路さん、昨日から足止めになってしまったようだ。
「ゆっくりと休ませてもらいました」と言ってくれた笑顔にほっとする。
この雨があがればしばらくは晴天が続きそうだった。
どうか元気にどうか無事に旅を続けてほしいものである。


お大師堂で手を合わせながら母の顔ばかり浮かんでくる。
実は先日から風邪気味だったのが、肺炎になってしまって昨日入院してしまった。
「ちょっと荷物を取って来ます」と病院を逃げ出し、山里の職場に出勤してくる有様。

いくら気丈な母の事とは言え、私も叱らずにはいられず追い返すように病院へ行かせた。
仕事のことは心配しないで、とにかく安静にして治療しないと死んじゃうからね。

やっと観念したのか、今日はしっかりと入院生活を送っていたようだ。
「熱が下がったよ」と絵文字付きのメールなど送って来てひと安心。
順調に完治すれば10日ほどで退院出来そうであった。

普段からゆっくり休むと言うことが殆どない母をなんとしても休ませてあげたいと思う。

思えばこれまで母任せにしていたことがたくさんあった。
私がいなくてもなんとかなるだろうとタカをくくっていたけれど
母のいない職場にいるとこれまでの母の苦労がよくわかるのだった。


お大師さんに願い事をしてはいけないと思いつつ、やはり願ってしまう。
どうか母が早く元気になりますように。お大師さんと母の顔が重なる。


濁流が渦巻く川面をはらはらするように見つめていながら

この流れもすぐに穏やかでゆったりとした清流に変わるのだろうなって思った。



2013年10月24日(木) 雨の日のほっこり

覚悟はしていたけれど雨風ともに強い一日となった。
朝の山道では一部道路が冠水している場所があって
ちょうど通りかかったお遍路さんが難儀をしていた。
クルマを停めて声をかける。ただそれだけしか出来ないのがもどかしい。

山里の道に進むと今度は団体遍路さんの一行に出会った。
色とりどりの雨合羽を羽織って皆さんうつむき加減に歩いていたけれど
この悪天候に「歩く」そのことがとても尊く思えてならなかった。


お昼下がり、雨は一向にやみそうにもない。
仕事でJAに行った帰り道にまた一人のお遍路さんを見かけた。
職場のすぐ近くの「お遍路さん休憩所」に居たのだけれど
雨が降りこんでベンチはすっかりびしょ濡れになっているようだった。

私は職場に帰り着くなり傘をさして駆け出していた。
ほんとうに咄嗟の判断、ただただ「行かなくちゃ」って思っていた。

お遍路さんは昼食を摂ろうとしていたのだけれど、そこでは出来なかったらしい。
諦めてもう少し先に行ってみようと歩き始めたところだったそうだ。

職場の事務所に案内するととてもほっとしたように喜んでくれて私も嬉しかった。
熱いお茶をお接待させてもらっておしゃべりをしながらおにぎりを頬張る。

遠く神奈川から来られたお遍路さんで、区切り打ちで今日が最終日だと言うこと。
今日ほど辛い日はなかったと感慨深く語られて私も胸が熱くなってしまった。

奥様を10年前に亡くされて今は認知症のお父様の介護をされているらしい。
そのお父様を一時施設に預かってもらってやっとお遍路を再開出来たそうだ。

結願まではほんとうに遠い道のり、けれどもきっとお大師さんがまた呼んでくれる。
そんな話をしながら満面の笑顔、私の心もほっこりほっこりと温かくなっていく。

今までいろんなお遍路さんとのご縁をいただいたけれど
今日の出会いはとても心に残る素敵な出会いだったと思う。


雨が風が強くなければ決してなかったろう縁に感謝の気持ちが込み上げてきた。




2013年10月23日(水) 雨にもまけず風にもまけず

昼間は小降りだった雨が日暮れとともに本降りになってしまった。
天気予報を見ている限りでは台風の直撃はなさそうではあったが
雨がかなり降りそうだということではらはらと不安でならない。

穏やかな秋晴れの日が早く続くようになりますように。



水曜日、毎週のことで姑さんのリハビリの日であった。
山里の職場のことも気がかりだったけれど今日も休ませてもらった。
そのことで数日前から夫と母に相談しながら話し合っていたのだけれど
夫はやはり家のことを一番に考えて欲しいという口ぶり。
いくら仕事とはいえ、実家の母の手伝いをしている身では何も言えない。

母も同じ意見であった。仕事のことは気にしないで家のことを大切に。
嫁として姑さんをいちばんに思って尽くしてあげなさいと言ってくれる。

二人の意見を聞いてみてなんだか胸のつかえがとれたような気がした。
これが自分に与えられている事なのだなとあらためて感じたりする。

私はもしかしたら姑に何か言ってほしいのかなとも思ったりする。
でも当たり前のことをしているのだもの、それは考えてはいけないことなのだろう。


リハビリは一進一退を繰り返していて今日も特に進展はなかった。
けれども大好きな先生に会っただけで姑が笑顔でいっぱいになるのが嬉しい。
寝たきりの姑にとって「水曜日」は特別の日。私たちもそのことを忘れてはいけない。



午後、お気に入りのレインシューズを履いてお大師堂にお参り。
お遍路さんの荷物が二人分あったけれど姿は見えず会うことは叶わなかった。
雨の四万十川も風情があって良いもの。ほんとうにゆったりと川も時も流れている。


夕食後はたそがれウォーキング、雨の日でも休まないと決めた。
雨が本降りになり風も少し強くなる。それでも一歩一歩がとても心地よい。

なにがあっても歩いてさえいれば、きっとたどり着く場所がある。




2013年10月21日(月) 不安と希望

不安定なお天気が続いていたけれど、今日は真っ青な青空。
気温もいつもより高くなり夏の名頃を思わすような暑さになる。

気がかりなのは二つの台風であった。どうなることやら・・・。
天気予報を見ながらはらはらと落ち着かない日が続いている。

昼間、海苔漁場の様子を見に行っていた夫から朗報。
種付けをしてあった網に緑の芽が見え始めていると言う。
それはまさに「希望」であって目の前がとても明るくなる報せであった。

台風が来れば少なからず被害を被ることだろう。
覚悟しておかなければいけないけれど、それがうまく出来ない。
祈っていれば免れるものならいくらでも祈りたいものだ。

お大師さんの縁日。いつしかすがるように手を合わしている自分に気づく。




夕暮れてもはや日課となってしまった「たそがれウォーキング」
今日はいつもより10分ほど早く出掛けられたおかげで
茜色に染まる川面を見ることが出来た。すごくすごく綺麗だった。

どうしようもなく落ちていくもの。それはとてもせつない。

けれどもこんなふうに輝いていられるのなら落ちるのもよいかなとふと思った。

明日のことは誰にもわからないけれど、生きている限り明日はやってくる。



2013年10月20日(日) 自由気ままに

目覚めた頃には降っていた雨も夜が明けるともうやんでいた。
どんよりとした曇り日ではあったが、いつもよりちょっぴり暖かい。

日曜日の朝は新聞を見るのがとても楽しみ。
文芸欄に川柳を投稿し始めてかれこれひと月だろうか。
毎週入選とはいかないけれど今朝は自分の川柳を見つけて嬉しかった。
おまけに隣にはペンフレンドの川柳も載っていてよけいに嬉しい。

便りを交換しながら肩を並べて一緒に載ろうねと約束していた。
友もきっと嬉しい朝だったことだろうと思う。


詩や短歌ばかり書いていた若き日々が今はずいぶんと遠い日になった。
詩人だとか歌人だとかそう言われることに誇りをもっていたけれど
今はもうすっかりそんなプライドから解き放れたのだと思う。

それがとても心地よいこと。つくづくと自分は「自由」なのだなと思う。

こだわらず思うがままの五七五。川柳はほんとうに楽しくてならない。


友は何冊も詩集を発刊している根っからの詩人であった。
その詩に添えるイラストも自ら描く絵描きさんでもある。
そんな彼がある日突然川柳に目覚めたらしい。
新聞をよく見ていなかった私に「古新聞をさがせ」と便りを寄越す。

もう九月になっていたけれど八月の新聞に彼の川柳を見つけた。
「くすぼっていないで何かを始めようよ」そんな声が聞こえたような気がした。

まだ始められることのあることのありがたさ。

ひとつのことにこだわらずに好きなように始められることがある。

そう思うとこれからの人生が楽しくてしょうがない私であった。



2013年10月19日(土) ばいばいまたね

雨時々晴れ、のちにまた雨と不安定なお天気となった。
また大型の台風も近づいているようで不安でならない。
来るものは拒めずただただ身構えるようにはらはらとするばかり。


今日は孫の綾菜を保育園にお迎えに行く日。
最近では私よりも夫のほうが楽しみにしているようだった。
いつも帰り道のクルマのなかで眠ってしまう綾菜のために
出掛ける時からお布団の用意をして行くのだけれど
タオルケットではもう寒いだろう、毛布を出しておけと言ったり。
雨やんでくれないかな、これでは外で遊べないぞと言ったり。

いつも綾菜と一緒に私たちもうたた寝をしてしまうのだけれど
綾菜が目を覚ますと真っ先に抱っこするジージであった。
玩具で遊ぶのもジージと一緒。バーバはそばで見守っているばかり。

「くっく、くっく」先日買った新しい靴を見つけた綾菜がそれを履きたがる。
ちょうど雨がやんでいたのでアンパンマンの車を持って土手に上がってみた。
風がちょっぴり肌寒い中、あんみの練習をする姿がとても微笑ましかった。

幸せを絵にしたようなとはこのこと。ふんわりと穏やかな時間に心が満たされる。


夕方になり、仕事を終えた娘が迎えに来るととうとうお別れの時間。
「ばいばい」と言えるようになった綾菜がしきりに手を振る。

二人の乗ったクルマを見送るのはいつも私ひとり。
夫は茶の間に居てすごくすごく寂しそうな顔をしているけれど。

「ばいばいまたね」  またねって言えることのありがたさを二人でかみしめている。



2013年10月17日(木) 与えられていること

昨夜から冷え込んでいたけれど今朝はいちだんと寒くなる。
つかの間の秋が過ぎ去って一気に冬の声がしたような気がした。


台風は関東直撃となり伊豆大島の甚大な被害に心を痛めている。
亡くなられた方、未だ行方不明の方も大勢いて言葉にならない。
平和でのどかな島を襲った自然の猛威、天はなんと酷いことをするのだろうか。

明日は我が身と思いつつ、平穏に暮らしている我が身が申し訳なかった。
そうして同時に自分がどれほど恵まれているかを思い知るきっかけにもなった。

東日本大震災の時も同じ気持ちだったことを思い出す。
あの時はとある友人の一言でずいぶんと救われたことだった。
「普通に暮らしていれば良いよ」と彼は言ってくれたのだった。

普通・・・自分に与えられている日常に感謝しながら生きていく。
私なりにそう受け止めて今まで歳月を費やしてきたように思う。

今回もそうでありたい。今の暮らしに感謝する以外になにが出来ようか。


たんたんたんと日常が繰り返されていく。

いつものように仕事に行って、いつものようにお大師堂にお参りに行く。
あんずとプチ散歩をしたら夕食の支度をして「美味しいね」って食べる。

台所の後片付けが終わったらたそがれウォーキングを駆け足で頑張って。
お風呂に入ったら焼酎をちびちび飲みながら日記のようなものを綴っている。

当たり前のことをしているようで、それが決して当たり前ではないこと。

すべてが「与えられていること」なのだと言うことを忘れてはいけない。

「ありがとうございました」寝る前には必ず仏壇に手を合わす。

そこには亡き父の遺影とお大師さんの仏像がいつもにっこりと微笑んでいてくれる。



2013年10月15日(火) 手のひらに太陽を

大降りこそないけれど朝から雨が断続的に降り続いている。
大型の台風が関東に向かっているようで心配でならなかった。
それはいつも他人事ではなくてどうか大きな被害がないことを祈るばかり。


早朝、夜明けを待ちかねて川仕事に行っていた。
あと二日もあれば一段落しそうである。
朝早いのは気忙しいけれど、もうひとふんばりしてみようと思う。

川仕事を終え山里の職場へと向かう。
来客が多く慌ただしかったけれどお客様は神様だなと思った。
午後は帰り道で集金があり早目に職場を出る。
おかげでいつもよりゆっくりと買い物をすることが出来た。

先日から欲しかったレインシューズを買った。
帰宅するなりさっそくそれを履いてお大師堂にお参りに行く。
なんだか雨の日の楽しみが増えて傘をさして歩くのも嬉しい。



夕方のニュースでアンパンマンの生みの親、やなせたかしさんの訃報を知る。
孫の綾菜のせいもあってすっかりアンパンマンのファンになっていたから
突然の訃報はとてもショックで言葉にならないような衝撃を受けた。

やなせさんは「俺は近いうちに死んじゃうからね」と生前笑ってそう言っていたという。
重病と何度も闘ってもそれを「十病」だと笑い飛ばしていたとも言う。

日本だけではなく世界中の人に希望と勇気を与え続けた偉大な人なのだと思う。

「ひとを喜ばせるのがいちばんの喜び」生前の言葉が胸に強く響く。

ご冥福を祈りつつ、これからもずっとアンパンマンを愛し続けたいと思った。



2013年10月14日(月) 靴を買った日

たそがれウォーキングも日ごとに薄暗くなってきたけれど
かすかに残る夕陽の残照がススキの穂を照らし影絵のように美しい。

始めたころは足が重くてとても辛かったけれど
最近は駆け足も出来るようになって歩くのがとても楽しみになった。

これからどんなに寒くなってもこれだけは続けようと心に誓う。
季節の移り変わりを肌で感じるのも楽しみだなと思うのだった。



さてこの三連休はまさに「孫尽くし」で終わった。
土曜日の運動会、日曜日はお守り、今日は一緒にお買い物に行った。
少しずつ言葉を覚えてきた綾菜は「アンパンマン」とはまだ言えなくて
「あんぱん、あんぱん」とお店の中でも大きな声を出して愉快だった。
アンパンマンのふりかけ、アンパンマンのカレー、アンパンマンのお菓子。
すぐに見つけて指をさし「あんぱん、あんぱん」と連呼するのであった。

今日の買い物の一番の目的はアンパンマンの靴だったのだけれど
残念ながら大きなサイズしか見つけられなくて熊さんの柄の靴を買う。
熊さんは「ワンワン」猫さんもうさぎさんも「ワンワン」だから楽しい。

新しい靴は土曜日のために我が家に置いておくことになった。
夏の間は外で遊べなかったけれど、これからはお外でいっぱい遊ぼうね。

陽だまりのなか一歩一歩と歩く姿が目に浮かぶ。

おて手つないで歩こうね。ジージもバーバーも夢みたいにその日を待っている。



2013年10月12日(土) 初めての運動会

爽やかな秋晴れに恵まれて、孫の綾菜の初めての運動会。

ジージはどうしたわけか行かないと言い張ってお留守番。
娘夫婦と三人でわくわくと楽しみにしながら保育園に向かった。

なるべく園児たちに近づかないようにと注意されていたけれど
ワゴンに乗って入場してきた綾菜にすぐに見つけられてしまった。
でも大丈夫、団体行動をわきまえている様子でほっとひと安心だった。

さあ「ひよこ組さん」のかけっこが始まったよ。
アンパンマンのいるゴールを目指してそれぞれが「よういどん」する。
綾菜の番が来たら先生が手押し車を用意してくれた。
上手に歩けるかな。がんばれ、がんばれみんなが応援してくれた。

アンパンマンが大好きな綾菜はまっしぐらに歩き始める。
わき目も振らずに進む姿はとても感動的なシーンであった。
お友達はみんなよちよちと自分の足で頑張っているけれど
まだ二三歩しかあるけない綾菜は手押し車でたくさん練習したようだ。

親ばかババばかも加わって拍手喝采のかけっこになった。
何よりもここまで成長してくれたことが嬉しくてならない。


終盤は親子競技や祖父母の競技もあって娘も私も楽しく参加する。
イス取りゲームなんて懐かしい。すぐに負けてしまったけれどミカンを貰った。
そのミカンを綾菜がとても喜んでくれた。お家に帰ったら食べようねって約束。


運動会は午前中に終わってあっという間だったけれどほんとに楽しかった。
早くも来年が楽しみになって、かけっこをしている綾菜の姿が目に浮かぶ。

ジージも来年はきっと行くって。ほんとは今年も見たかったのだろうに
見せてあげたかったなってすごく思った。ちょっぴり頑固なジージだった。


今日は暑いくらいだったけれど、季節はこれから冬に向かう。
どうか綾菜が風邪を引いたり熱を出したりしませんように。
毎日元気に保育園に行けますように。そればかりを祈っているバーバであった。



2013年10月11日(金) かぼちゃな夜に

今夜は義妹が遅番なので姑さんのお世話に行って来た。

かぼちゃをたくさん煮たので小鍋に入れて持って行ったら

なんと昨夜もかぼちゃだったそうでまだ残っていてがっくり。

今朝から今夜は何にしようかなとずっと考えていたのだった。

そうだ、姑さんの好きなかぼちゃを煮ようと張り切ってしまったから

持って行った小鍋をそのまま持ち帰るのはちょっぴりせつなかった。

まあどんな時もありまする。めげずに次回も頑張ろうかなと思う。


少しも苦には思っていないはず。当たり前のことをしているのだと思う。

けれどもほんの少しのプレッシャーがあるのは事実なのかもしれない。

むつかしいな。どうすればもっと気楽になれるのだろうか。

家族なんだもん。もっと笑ってあっけらかんとしていたいものだな。



昼間はヘルパーさんのお世話になっているけれど

早朝から夜遅くまで介護におわれている義妹の苦労を思うと

私のしていることはほんとうにちっぽけなことなのだなとつくづく思う。

けれどもどんなにちっぽけなことでも疎かにしてはいけない。

これからもみんなで助け合っていかなければ。そう心に誓う夜であった。



2013年10月10日(木) 明日の扉

今日も気温が高めでとても蒸し暑い一日だった。

どこらともなく金木犀の香りが漂ってくる。
確かに秋だと言うのに夏の忘れ物はいったい何なのだろう。


午前中は山里の職場、午後から川仕事があり急いで帰宅する。
畑で言えば種まきだろうか。重ねた海苔網を漁場に張る作業だった。
心地よい川風に吹かれながらどうか今年も順調にと手を合わす。


川仕事を終えてから自転車でお大師堂へお参りに行った。
一昨日から連泊していたお遍路さんは今朝旅立ったよう。
私は会うことは出来なかったけれど、備え付けのノートでやり取りをした。
そんなささやかなふれあいが嬉しくてならなかった。

お大師堂から帰ったら今度はあんずのプチ散歩。
もはや散歩とは言えないほど歩けなくなってしまって
土手までも辿り着けず家の前の路地をほんの少しだけ歩く。
まるでよちよち歩きの赤ちゃんのようなあんずを見ていると
微笑ましさよりもせつなさが込み上げて来て憐れでならなかった。
「よういどん」をして駆け出していた頃が思い出のようになっていく。

この夏の猛暑を一生懸命頑張って乗り越えたあんずを
今度は冬の寒さが待ち構えているかと思うとふっと心細くなる。
いつその時が来ても良いように覚悟をしておけよと夫が言った。


永遠の「いのち」なんてどこにもないのだなとあらためて思う。
それはあんずだけではなくて自分たちにとっても同じことだった。

だからこそ今ある「いのち」を愛おしみながら生きていかなければいけない。

今日も平穏無事。手を合わせ感謝しながら明日の扉を開けようではないか。



2013年10月09日(水) 一番星みいつけた

降り続いていた雨もやっとやんで久しぶりの青空となった。
けれども10月とは思えないほどの暑さ。
気温も30℃を超え真夏日となってしまう。
もう聴くこともないだろうと思っていたツクツクボウシの鳴き声。
ああまだ生きていてくれたのだなと思うとなんだか嬉しかった。



水曜日は姑さんのリハビリの日。
仕事は休まなければいけなかったけれど、毎週楽しみにしている日。
昨夜も夫と話していて年内に歩けるようになるのは無理ではないか。
でも一生懸命頑張っている姑にどうしてそんなことが言えようか。

今日は歩行器のあとで松葉杖にも挑戦してみたのだけれど
はらはらするほど危なっかしくてリハビリの先生も首を横に振る。
支えなくしては立つことも出来ない。まずは立つことが肝心にも思えた。

焦らないこと諦めないこと。長い目で見守っていくしかないだろう。




すでに日課となりつつあるたそがれウォーキングを今日も頑張る。
三日月のお月様と一番星がキラキラと輝いてとても綺麗だった。
今日は幸いなことに足の痛みがなくてスムーズに歩くことが出来る。
なるべく大きく手を振ること、そうすれば自然に足がついてくる。
少しだけ駆け足にも挑戦してみた。やればできるんだなと自信が出来た。

継続はチカラなり。何事も日課になれば苦も楽に変えられることだろう。

「歩く」ということをしみじみと感慨深く考える。

歩けなくなってしまった姑はどんなにか辛い事だろうと胸が痛む。

歩けるのが当たり前だなんてどうして思うことが出来ようか。



2013年10月07日(月) 雨の峠道で

台風の影響だろうか、今日も雨になってしまった。
楽しみにしていた保育園の運動会も今度の土曜日に延期になって
今度こそお天気に恵まれますようにとひたすら祈り続けている。


今朝は土砂降りの雨。山里の職場へ向かう道で何人かお遍路さんを見かけた。
悪天候も修業とはいえほんとうに頭が下がる思いである。
どんな日もあるのだからと受け止めながら歩いていることだろう。

山道を進み峠道に差し掛かった頃、雨の中黙々と歩くお遍路さんを見つけた。
いつもなら会釈をして追い越してしまうのだけれど
気が付けばいつのまにかブレーキを踏んでいて停まってしまっていた。

「お遍路さん、雨になりましたね。どうか気を付けて下さいね」

そう声をかけてからびっくり。なんと先日家の近くの路地で会ったお遍路さんだった。
ほんとに偶然とはいえ二度も巡り会えるなんてご縁があったのだなと嬉しく思う。

雨の中を呼び止めてしまってただ声をかけることしか出来なかったけれど
にっこりと微笑んでくれたそのひとの笑顔が胸に沁みるようだった。

ちりん、ちりんと鈴の音。雨音にこだまするように鳴り響く峠道。
やがてすぐにその姿もバックミラーから消えて行ってしまった。

ああ歩いているんだな。ずっとずっと歩いているんだな。

ほんとうにささやかな出会いではあったけれど私の胸に鈴が鳴り続けている。



2013年10月05日(土) レインシューズを買おう

昨夜遅くから降り始めた雨が今日も一日中降りやまなかった。
今日は孫の綾菜の初めての運動会だったけれど明日に延期になる。
どうか雨が早くやんでくれますようにと手を合わせ続けている。


結局今日はどこにも出掛けることもなくごろごろと怠惰に過ごす。
二時間もお昼寝をしてしまって「よく寝るなあ」と夫に笑われてしまった。

お大師堂はどうしようかしら。今日はお休みしようかなと思ったけれど
意を決して歩いて行くことにする。傘をさして歩くのはめったにないこと。
どうせやまない雨ならばいっそ楽しんでみようかなと思ったりする。
うつむき加減に歩かないと雨が降りこんでくる。足元もずぶ濡れになった。
そうだ、ひとつおしゃれなレインシューズを買おう。
長靴じゃなくてレインシューズ、そう思っただけで嬉しくなってきた。

あんずのプチ散歩はお休み。たそがれウォーキングも断念する。
その代わりにずっと埃をかぶっていたウォーキングマシンを使ってみた。
ほんの10分足らずだっけれどけっこう良い運動になったと思う。

どんなかたちであれ身体を動かすのはとても気持ち良いものだ。

心も一緒に動いているように感じる。溌剌としてとても清々しくなる。

いろんな日々を与えられながらそれを受け止めつつ「動く」こと。

そう思うと人生はとても楽しい。活き活きと生き生きと前に向かっている。



2013年10月04日(金) いちばん好きな音

あんずを連れてプチ散歩に出掛けていたら
家のすぐ近くの路地でお遍路さんに会った。
挨拶をすると笑顔で応えてくれて少しだけ立ち話をする。
犬がとても好きそうな感じであんずにも声をかけてくれた。
もう16歳だと言うと、「頑張ってますね」って励ましてくれる。

早とちりの私はてっきりお大師堂に向かっているのだと思っていた。
でも違ったようだ。お遍路さんはお隣の地区にある民宿へ行くようだった。
「ゆっくりして下さいね」ほんとうにつかの間の出会いと別れになる。

ちりんちりんと鈴の音が路地を遠ざかっていく。
いちばん好きな音は?と訊かれたら私は真っ先にその音を答えるだろう。



夕食後のたそがれウォーキング。今日も薄暗くなってしまった。
明日は雨の予報で夕焼けも見られず、おひさまはかくれんぼをしたまま
鬼の私を残してそっと静かに沈んでいってしまったようだ。

急ぎ足で帰ろうかと思いながら、いやもう少し遠くまでと思った。
思い切って県道を横切るとビニールハウスの明かりが見えていた。
夜も明かりを灯して休みなく野菜を成長させているらしい。
なんだか可哀想だなと思った。せめて夜くらいは眠らせてあげたい。

ふうふうはあはあ、おまけに左足がひきつったように痛い。
どうしてこんなに歩けなくなってしまったのだろうと情けなく思った。

いつかはきっとと胸に抱き続けている歩き遍路の夢。
その夢を諦めないためにも一歩一歩を大切にしたいものだ。

私も鈴の音を鳴らせるかな。ちりんちりんと風と一緒に歩きたいな。



2013年10月03日(木) サクラサク

せいたかあわだち草の花がほんのりと黄色くなる。
とんがり帽子を被ったノッポさんみたいで可愛くもあり凛々しくもある。

花粉症の人には嫌われている花だけれど
どうして憎むことができようかと私は思うのだった。

そうして日に日に秋らしい風景が目に沁みるようになる。
山道を行けばいが栗が落ちていたり、民家の柿の実も色づき始めた。




職場に着くなりPCを起動し、母の合否判定を閲覧した。
良かった、合格している。72点でぎりぎりセーフだった。
母の喜ぶ顔を見たくて急いで合格証をプリントして母の机の上に置いた。

出勤してきた母はすっかり諦めていたせいもあって
思いがけないプレゼントをもらったように大喜びしてくれたのだった。
それでも母らしいのは駄目だった28点にこだわってみせるところ。
答案用紙のような物はないのか、どこが間違っていたのか知りたい。
しばらくわあわあ言っていたけれど、合格したのだからもう良いではないか。
それでは勉強にならないと文句を言ってみたりして子供のように駄々をこねる。

とにかく合格、私もほっとしてとても嬉しい朝になった。
次回は来月、今度はもっと専門的な分野の試験が控えているのだけれど
それは私も受けなくてはいけなくて、一緒に試験勉強をしなくてはいけない。
まあなるようになるだろうと気楽に構えているけれど、母は必死の表情だった。

仕事の合間に開くテキスト。やはり老眼鏡があると助かるので
今日は仕事帰りに眼鏡市場に寄ってさっそく注文してきた。
オプションでPC画面を見ても目に負担をかけないようなレンズにした。
それが一週間もかかるそう。出来上がるのがとても待ち遠しくてならない。


母の挑戦はまだまだ続く。私も母に負けないように頑張らなくちゃと思う。



2013年10月02日(水) 夕焼け空にしんこきゅう

午後六時前、ウォーキングに出かけた土手からとても綺麗な夕焼けを見た。
うろこ雲を茜色に染めてまるで夕空に錦鯉が泳いでいるかのよう。

どきどきしながらそんな空を仰いだ。
ふっと忘れていた何かを思い出したような気分になる。

それが何なのかうまく言葉に出来ないのだけれど。



午前中は姑さんのリハビリ、今日も頑張る姿を見ることが出来た。
歩行器での歩行練習もずいぶんと上手になって
来週には杖を使ってやってみましょうと言うことになった。
少しずつだけれど確実に進歩している。そのことがとても嬉しかった。


午後、このところ目の疲れが酷いため思い切って眼科を受診する。
家にいるときはそうでもないのだけれど、仕事中はとても目が辛かった。
市販の目薬ではまったく効かなくてずっと我慢していたのだけれど
そろそろ老眼鏡が必要なのではないかとも思って相談がてら行ってみた。

そうしたらやはり老眼鏡を勧められる。おまけに乱視もあるのだそうだ。
まだまだおまけに糖尿病の血液検査もするように言われて寝耳に水だった。

がっくりと肩を落としていたら、「念のためですよ」と先生が励ましてくれる。

そうそう、何事も悪いほうへと考えないこと。
不安がっているよりまずは血液検査をして安心しなければいけない。
近いうちにかかりつけの内科に行ってみようと思う。きっと大丈夫。




綺麗な夕焼けも帰り道にはもう薄暗くなっていた。
やはり足がどうしようもなく重い。駆け足も出来なくなって情けない。
それでも一生懸命に歩く。家の灯りを目指しておいっちにおいっちに。

帰宅すると夫が笑顔で迎えてくれる。
今日で三日目なのかな。まだまだこれからぞって言って励ましてくれた。

不安なことを数えていたらきりがない。

それよりもひとつひとつ出来ることをありがたく受け止めていくことが大切。



2013年10月01日(火) 遍路道の職場にて

道端のあちらこちらにコスモスの花が見られるようになった。
お遍路さんがひとりふたりと通り過ぎて行く遍路道にも。

秋色の風のなか鈴の音がひびく。ちりんちりんと鈴虫のように。
呼び止めることも声さえもかけられないけれど
そっと手を合わせながら旅の無事を祈り続けている。




こころが必死になって平穏を保とうとしている時がある。
どうしようもなく苛立ってしまう時が誰にだってあるのではないだろうか。
ぶつかればぶつかる。半沢直樹ではないけれど倍返しの時だってある。

すごくすごく逃げ出したい気持ちになってしまって
ああ嫌だなって思った。こんなはずではなかったのになんて思ったり。
いったい何が原因なのだろうと考えても何も思いつくことがなかった。

「いらいら虫よ飛んで行け」って何度も叫んでしまったりする。
いらいら虫は眉間にしわを寄せてぷんぷんおならをしている虫なのかな。
それはやっぱり臭いし、しわはそのまま眉間に残ってしわくちゃばばあになるよ。

ああ嫌だ嫌だ。どうせしわなら笑いじわのほうがずっと良いに決まってる。
笑顔の可愛いおばあちゃんになるんだ。いつもにこにこしているおばあちゃん。


結局、逃げるように職場を後にしてしまった。

「ありがとうね」って母が私を追いかけるように言ってくれる。

あら不思議、いらいら虫はいつのまにかどこかにすっ飛んで行ったようだ。


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