ここ数日、梅雨らしいお天気が続いている。 おひさまも恋しいけれど、涼しくて過ごしやすかった。
玄関先のツバメの子供たちが無事に巣立つ。 あたりを飛び交うツバメ達を眺めながら、どの子かしらと探している。 みんな飛ぶのが上手になってとても見分けられないのだけれど。
五日ほど日記を書けずにいた。なんとも落ち着かない日々でもあった。 考えることがたくさんあって頭の中がごちゃごちゃしていて それを綴ることが出来ればどんなにか気分が楽になるだろうと思った。
その矢先、長年愛用していたパソコンがまた壊れてしまう。 修理に出すのは何度目だろう。度重なる不調が大きなストレスになっていた。 夫に相談したら「仕方ないだろう」と言ってくれて ついに新しいパソコンを購入すことが出来た。
こうしてまた日々を綴ることが出来るようになってとてもほっとしている。 毎日は書けないかもしれないけれど、ささやかな日々を残しておきたいと思う。
姑のこと。実は先日叔母が亡くなってから、ずっと情緒不安定な日々が続いている。 認知症とは違うのだけれど、ひどい幻覚症状が出ているのだった。 いちばんの仲良しだった妹を亡くしたショックがよほど大きかったのだろう。 時が薬と信じて家族みんなで見守ってきたけれど、 一緒に暮らしている義妹は夜もまともに眠れずすっかり参っているのだった。 とにかく心のケアが必要に思われ、私も毎晩姑に会いに行くようにしている。 そうして二人で般若心経を唱えるのが毎晩の日課となってしまった。
姑は毎晩私が来るのを待っていてくれる。 最初はそれが少し重荷に感じたけれど、今はもう大丈夫になった。 「自分に出来ること」なんだか大切な使命を与えられたような気がする。 姑が少しでも微笑んでくれるととても嬉しい。その嬉しさを忘れたくない。
息子のこと。二度と結婚はしないのだとずっと言っていたのだけれど 突然メールが届き、おつきあいしている彼女を紹介したいと言う。 もしや?と思ったその通りだった。来春には赤ちゃんが生まれるのだと言う。 喜ぶべき報告だったけれど、寝耳に水のごとくですっかり戸惑ってしまった。
それも会ってみればとても感じのよい女性でほっと胸をなでおろす。 今度こそ幸せになってほしい。あたたかな家庭を築いてほしいとひたすら願っている。
ごちゃごちゃとしていた頭の中が今はすっきりと落ち着いてきた。 何事も「なるようになる」そう思って気楽に日々を過ごしていきたいと思う。
穏やかさはこころの中から生まれてくるものだもの
まあるくまあるく生きていこうではないか。
ぽつぽつと小雨の降る日曜日。 今日も気温が低目でずいぶんと涼しかった。
毎週日曜日は孫の綾菜に会えるのを楽しみにしているのだけれど このところなんだか押しかけるのが悪いような気がしてならない。
おそるおそる娘にメールしては様子を伺っては行くようにしている。 お婿さんが夜勤の仕事なので、朝からお邪魔するのも気が引ける。
それでも娘が「おいでよ!」って言ってくれるとすごく嬉しい。
長居は禁物。今日も綾菜に昼食を食べさせてから急いで帰って来た。 見送ってくれた綾菜が玄関先で泣いた。「後追い」と言うのだろうか。 「ばあちゃん帰らないで」って言っているようで胸が張り裂けそうになる。
欲張りなバーバは一日中一緒にいられたらどんなに良いだろうかと思う。 けれども「会わせてもらっている」そう感謝しなければいけないのだろう。
また今度の日曜日にね。そう言って約束できないのも辛いけれど つかの間でも会えることはほんとうに嬉しいことだった。
綾菜の笑顔はバーバの宝物。ぎゅっとぎゅっと抱きしめたくてたまらない。
くもり時々晴れ。気温が低目でずいぶんと涼しい。
玄関先のツバメの子供たちが朝からとても元気だった。 巣から可愛い顔をちょこんとのぞかせてなんとも微笑ましい姿。 親ツバメが餌を運んでくると一斉に口をあけて大騒ぎとなる。 みんなたくさん食べて大きくなってね。なんだか我が子のように見守っている。
ここ数日の慌しさを思うと、なんだか気が抜けたようになってぽかんと過ごす。 何をする気にもならなくて夫も一緒になって茶の間でごろごろとするばかり。
午後四時頃になってやっと動き出そうとあんずを誘って散歩に出掛けた。 一緒にお大師堂に行くのはほんとうに久しぶりだった。 涼しさのおかげなのかあんずの足取りも軽やか。 転んだりすることもなく無事にお大師堂まで頑張って歩く。
顔なじみのお遍路さんがふたり。お互いに再会を喜び合う。 あんずのことをいつも気にかけてくれていて 今日は一緒に来ているねってあんずに優しく声をかけてくれた。
つかの間のひと時ではあったけれど、笑顔がとても嬉しかった。
帰宅してチャーハンを作る。しゃかしゃかと作る。 平和だねって夫と向き合ってはなんとも幸せな気持ちになった。
ずっとずっとこんな穏やかな日が続くといいな。
心配していた台風の影響もほとんどなく 程よい雨に恵まれて今も雨が降り続いている。
一昨日、姑をリハビリに連れて行き、また叔母を見舞った。 病室には面会謝絶の札がかかっており、危篤状態であることを知る。 もうすでに意識がなくなっていて姑の呼ぶ声も届かず。 握り締めた手を握り返す事もなくなんとも辛い対面であった。
もう駄目かもしれない。誰もがそう思っていた。 覚悟はしていてもそれを目の前に突き出されたような気持ちになる。
それからわずか三時間後。叔母が亡くなってしまったと知らされた。 姉が会いに来てくれるのを待っていてくれたのかもしれない。 意識はなくても必死で名を呼んだその声がきっと伝わったような気がする。
昨夜のお通夜、今日の告別式と慌しく時は流れるばかり。 その慌しさが悲しみや寂しさを少しでも遠ざけているように感じた。
「時はくすり」と言うけれど、これからの日々をくすりに思って 元気だった頃の叔母の笑顔を思い出しながら癒される日々であってほしいものだ。
最愛の妹を亡くした姑の心境を思うと、とても心が痛むけれど これからも家族で支えあって、姑がいつも笑顔でいられるように見守っていきたい。
曇り日。気温は真夏日にはならなかったけれどとても蒸し暑かった。 南の海上にまた台風が発生したようだ。今後のコースが気になってならない。
風邪薬が効いたのか、体調がずいぶんと良くなる。 仕事に行けないことはなかったのだけれど 午後から生活習慣病の集団検診があったので結局休んでしまった。
その事を母に話していなかったものだから またまた心配をかけてしまったようで「大丈夫かね?」と電話がある。 なんだかズル休みをしてしまったような気持ちになり後ろめたかった。
お昼にはなんとびっくり。ヘルパーさんがおかずを持って来てくれる。 姑から私が寝込んでいると聞いたそうで、届けるように頼まれたのだそうだ。 これにはなんとも申し訳なくて嬉しいと言うよりむしろ罪悪感を感じた。 姑を騙してしまったような気分になったのは言うまでもない。 昨夜無理をしてでも姑のところに行くべきだったのかもしれなかった。
私のちょっとした怠け心のせいで、ふたりの母に心配をかけてしまったのだった。
反省をしているうちに少しずつ感謝の気持ちが込み上げてくる。 心配してくれる母がふたりもいてくれてなんてありがたいことだろうと思う。
今夜はこれから姑に会いに行こう。そうして笑顔でおしゃべりをしよう。
明日はリハビリの日。「また一緒に行こうね」って言ってあげようと思う。
今日も厳しい暑さ。梅雨はいったいどこに行ってしまったのか。 まだまだ夏はこれからだと言うのに、早くも夏バテ気味である。
昨日の午後からまた熱が出てしまった。 なんのこれしきとは思えなくて、すっかりダウンしてしまう。 そんな体力のなさ気力のなさも年のせいだろうかと思うと情けない。
今朝は熱も下がっていたのだけれど、仕事はお休みする。 母に心配をかけてしまってなんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
一日中ころころと寝て過ごす。買物にも行けなくて晩ご飯もあり合わせ。 それでも文句ひとつ言わない夫にほんとうに感謝している。
今夜は義妹が遅番だったので、姑の晩ご飯も用意しなければいけなかった。 そうしたらヘルパーさんがお寿司を買って来てくれているとのこと。 夫が食べさせに行ってくれてとても助かった。
自分がしなくちゃってすごく責任感を感じていたけれど みんなで助け合えばなんとかなるのだなと思う。 出来る日もあれば出来ない日もあるのだもの、時には甘えるのも良い。
姑の介護はヘルパーさんのおかげでどんなに助かっていることか。 本来なら嫁の私がしなければいけないことをすべてしてくれているのだ。 ほんとうにありがたいことだと思う。手を合わせて感謝したいと思う。
午後七時半、こんなに日が長かったのかとはっとした。
西の空をほうずき色に染めて今日の太陽が落ちていく。
穏やかな夕暮れ。しあわせだなって思った。こころがほっとしている。
薄日が射しているかと思えば突然のにわか雨。 カラ梅雨が深刻な問題になっているだけあって いっそどしゃ降りの雨になれば良いのにとふと思った。
ご近所の紫陽花がもう盛りを過ぎて枯れ始めてしまった。 桜のように潔く散れない花。椿のようにぽとんと落ちることも出来ない花。 それは毎年さだめのように朽ちて化石のような花になってしまう。
なんだか憐れでならないけれど、決して目を背けてはいけないように思う。
朝から何もする気がしなくて、ものすごく怠惰な一日を過ごす。 「トドが寝ているみたいだ」と夫が苦笑いするのもわかる気がする。
もっと時間を有効に使うべきだと思うだけ思って だらだらと時を食べる蟲のように過ごすのもけっこう癒されるものだ。
夕方近くなると雨もやんでやっと動き始める気になった。 今日も自転車でお大師堂へ行く。水の補給もしなければいけなかった。
ずっとながいことあんずと一緒に歩いて通っていたけれど 最近の暑さが堪えているのか、あんずは日に日に足が弱っているようだ。
お大師堂から帰ってから近場を散歩に連れて行くのだけれど よろけて転んだり時には尻もちをついて座り込むことが多くなった。
その現実を受け止める。それはどうしようもないことだと思う。
あんずとともに歩き続けた散歩道。あんずのおかげで歩けた道だった。
連日の真夏日、蒸し暑さにいささか参っている。 夏風邪をひいてしまったらしく、一昨日の夜から少し微熱あり。
昨夜は息子の誕生日祝いと父の日を兼ねて家族がみな集まる。 夏風邪もどこへやら、私もすっかり元気になって楽しい夜を過ごした。
食卓のイスが五つしかなくて大急ぎで物置から古いイスを引っ張り出す。 綾菜の分もちゃんとあって六人家族の食卓がちゃんと出来た。
わいわいと焼肉。きょとんとした顔の綾菜がその場を和ませてくれて お肉はまだ食べられないのだけれど、ポテトを焼いて美味しそうに食べてくれた。
焼肉いいね。またやろうねって約束をしてお開きになる。 みんなを見送った後は火が消えたようにしんと静かになって寂しい。
私は気が抜けたようになってまた発熱、薬を飲んで早めに床に着いた。
今朝は熱も下がっていて、もう大丈夫と仕事に行く。 職場のエアコンが苦手。鼻水とくしゃみが止まらない。 帰宅する時はクルマの窓を全開にして自然の風を楽しんだ。 どんなに暑くても自然の風が好きだなってつくづく思った。
自転車でお大師堂へ。ここ数日まともに歩いていないと言うのに 「お遍路万歩計」がついに88番の大窪寺に到着していた。 なんと一年と5ヶ月近く経っている。ながいながい旅と言って良いものか。 毎日少しずつの積み重ねが結果になって表われるということはとても嬉しい。
お遍路さんの苦労を思えばほんとうに些細なことだけれど 私も毎日が旅だと思ってまた二巡目を頑張りたいと思う。
いろんなことがある毎日、平凡な日もたくさんあるけれど
そんな平凡こそが「しあわせ」その気持ちを忘れずにいたいものだ。
心配していた台風の影響もなく青空に恵まれる。 とても蒸し暑く、この夏いちばんの暑さになったようだ。
玄関先のツバメの巣から小さくて可愛いひな達の姿が見えた。 今年も駄目かもしれないと諦めかけていたから、なんとも嬉しくてほっとする。
どうか無事に巣立ってくれますように、そっと見守りながら手を合わせている。
水曜日は姑のリハビリの日。一週間がとても早く感じる。 姑が楽しみにしているのと同じように私も楽しみにしていた。 歯を食いしばって一生懸命頑張る姑の姿に今日も感動をおぼえる。
リハビリを終えてから入院している叔母のお見舞いに行く。 実は昨日従姉妹から電話があって、最悪の状態であることを知った。 意識があるうちになんとしても姉と妹を会わせてあげたかった。 会話が出来るのも今日が最後かもしれないと思うと心がとても痛む。
けれどもみんなで微笑みながらまた来週会いに来るねって約束をした。
命のともしびがもうすぐ消えようとしている。 どんなに願ってもどんなに祈っても、それはどうしようもなく儚いものだった。
帰宅して夫が姑にすべてを打ち明けた。 姑は悲しいと言うより悔しくてたまらないような顔をして絶句する。 言わずにいたほうが良かったのではないかとふと思ったけれど 「覚悟」をしていたほうがずっと良いのだと夫は言う。
覚悟をするのはほんとうに辛いこと。けれども誰も逃げることはできないこと。
お大師堂で手を合わせながら、ろうそくの灯りが目に沁みるようだった。
その灯りをいつものように消す。それはほんとうにあっけなく消えていく。
昨日から雨が降り始めやっと梅雨らしくなったように思う。 しばらくは雨を楽しむのも良いかなと思っていたのだけれど、 台風が不気味に近づいているようで、なんだか心配になってきた。 どうか恵みの雨で留まってほしいものだと願っている。
今日は息子の34歳の誕生日。 最近顔を見せないのでどうしているかしらと気になっていたら 昼間私の留守にちらっと帰って来てくれていたらしい。 父親と二人で昼食を食べたと言うので とっさに炊飯ジャーの中身を確かめる母であった。
今日は何もお祝いをしてあげられなかったので 近いうちに娘達一家も呼んで何かご馳走してあげようと思う。
もう34歳。なんだか信じられないような気持ちになる。 20代の頃の若さとくらべるとちょっぴりおじさんになったような。 同級生の殆どがもう結婚をして子育てをしている最中でもある。
しかし息子はまったく焦るような気持ちも見せず独身を楽しんでいるよう。 それを「めんどくさい」の一言で片付けてしまうような一面もあった。
今はそれでも良いのかもしれないけれど、40代、50代になった時を思うと やはり奥さんや子供がいてくれたらどんなにか良いだろうかと思うのだった。
父も母もいつまでも健在とは限らない。 息子がいつでも帰って来られる「我が家」そのものがいつか無くなってしまうのだ。
二度と結婚はしないと言う息子にあれこれと言うつもりはないけれど もしかしたらご縁があってまたその気になってくれる時もあるかもしれない。
ながい目で見守ってあげることが親の務めのように思ったりしている。
幼い頃のことをたくさん思い出した今日という日。
34年間も母でいられたことをほんとうにありがたく思っている。
そろそろ雨が近いのだろうか。 午後から曇り空、そして少し蒸し暑くなった。
午前中に買物、姑が食べたがっていた「ぼた餅」を見つけて買う。 帰宅してさっそく持って行ってあげたらすごく喜んでくれた。 ヘルパーさんが毎日昼食を用意してくれているので 電話しておいた方が良いかなと思ったのだけれど 姑はどちらも食べるから大丈夫と食欲旺盛な様子だった。
それから少し昔話をしていた。おばあちゃん子だった娘の話など。 もうずいぶんと歳月が流れたけれど幼かった頃の娘の姿が目に浮かぶ。 「あんなこともあったね、こんなこともあったね」 思い出している姑は笑顔でいっぱいになってとても和やかなひと時だった。
午後、少し早目にお大師堂へ行く。 水の補給や掃除など、なんだかそれが当然の事のように思える。 地区長さんにお願いしていたトイレの汲み取りも済んでいてほっとする。
昨日の三人のお遍路さんは無事に旅立ったようだった。 残念だったのはゴミをそのまま残して行っていたこと。 こんなことはめったにないことなのだけれど お参りに来ている人達に見つかったらそれを問題にする人も必ず居る。 早目に来てみて良かったと思った。大急ぎでゴミを持ち帰る。
私にとっては些細なこと。それよりも三人に出会えたことのほうがずっと嬉しい。
これからもたくさんのお遍路さんが立ち寄ってくれることだろう。 いつも綺麗なお大師堂で、川のせせらぎを聞きながらくつろいでほしいものだ。
ここ数日梅雨らしくないお天気が続いている。 蒸し暑さも感じずとても過ごしやすいのだけれど 農家の人達にとっては雨不足が深刻な問題なのではないだろうか。 何もかもが順調とは限らないものだなとつくづく思ったりしている。
今日はお大師堂でとても嬉しいことがあった。 先日の少年遍路さんと明くる日に出会った青年遍路さんが再会出来たこと。 そうしてまた偶然出会ったというもう一人のお遍路さんも一緒に居た。 いつもはしんと静まり返っているお大師堂も今日はまるでお祭り騒ぎ。 その三人の輪の中に私もちょっぴりまぜてもらってとても楽しかった。
少年遍路さんは順調に進んでいれば、もう伊予路を歩いているはずだった。 けれども途中で熱が出てしまって民宿で二泊して休養していたそうだ。 まだ身体が本調子ではなくて、まるで我が家に帰るように戻って来たらしい。 そうしたらちょうど打ち戻って来た青年遍路さんとばったり再会したと言う。 そこにもう一人のお遍路さんが到着する。すぐに仲良くなって意気投合したらしい。
すべてが偶然と言ってしまうのはたやすい。 けれどもなんだかすごく特別な「縁」を感じずにいられなかった。
日々の暮らしのなかでも、「あの日そこに行かなければ」とか 「あの時ああしなかったら」と後ですごく不思議な気持ちになる事が多い。
その結果、良い事もあれば悪い事もある。それが世のしくみかもしれない。
今回は良いことでほんとうによかったと思う。
しかもその場所が「お大師堂」きっとお大師さんがひき合わせてくれたのだろう。
耳を澄ませば、三人のお遍路さんの笑い声が聞こえてきそうな気がする。
みんなで励ましあってきっとこれからも無事に元気に旅を続けることだろう。
曇り日。梅雨時とは思えないほど涼しい風が吹く。
今日は姑のリハビリの日。 これから毎週水曜日に病院へ通うことになった。 朝からヘルパーさんが来てくれて身支度を整えてくれて助かる。 大好きなリハビリの先生に会うのだから、お化粧もしなくちゃ。 などと冗談も言い合ったりしてにこにこ笑顔で病院へ向った。
退院してから4日目。ちょっと久しぶりのリハビリではあったけれど 頑張り屋さんの姑は歯を食いしばって一生懸命に頑張っていた。
びっくりしたのは両手で手すりを持って10歩くらい歩けたこと。 それは入院中には出来なかったらしくリハビリの先生も大拍手だった。 「じゃあ今度は片手で身体を支えて立ってみましょう」 どうかな?大丈夫かな?はらはらしながら見守っていたら それもちゃんと出来るではないか。すごいね、すごいねと歓声をあげた。
これからのリハビリがとても楽しみになった。いっぱい応援してあげたい。
リハビリを終えて今度は「ココアタイム」 入院している間にすっかりココアが大好きになった姑だった。 そのココアを飲んでいる時に、同じくらいの年のおばあさんと一緒になった。 愛想よく話しかけてくれていつもは人見知りする姑も笑顔でおしゃべりをする。 そうしたらなんとそのおばあさんが姑と同郷で幼馴染の友達だったことがわかる。
60年ぶりの再会だそうだ。二人ともすっかり年をとってしまって 昔の面影もほとんどないと言うのに偶然とは言えなんと嬉しいことだろう。
「いい日だったね」帰りのクルマの中でもその話で持ちきりだった。
毎週のリハビリ。最初は夫と大変だねって言い合っていたけれど 気がつけばそれが少しも苦になっていないことを感じる。 むしろ楽しみになった。早く水曜日になれば良いなってもう待ちかねている。
「世話になったねぇ」帰宅した姑はそう言って労ってくれたけれど、
私達はして当然のことをしているのだと思う。
姑の笑顔がいちばん。嬉しいよってむしろ姑に感謝したいほどだ。
朝の窓辺から真っ青な青空を見上げる。 梅雨も中休みだろうか。しばらくは晴天が続きそうだ。
出勤途中の国道で昨日の少年遍路さんを見つける。 声をかけることはできなかったけれど 「頑張ってね」ってこころの中からエールを送った。
山里の職場に着き、母が出勤してくるのを待つ。 昨夜電話で話したのだけれど、詳しいことが聞けなくて とにかく顔を見てちゃんと話しを聞くまでは安心できない。 病院ではどこも異常が見つからなかったとのこと。 単なる疲れかもしれないと本人はケロっとしているありさま。 それなのに首の痛みは治まらず、今日も辛そうに仕事をしていた。
もう75歳。いったいいつになったら母に楽をさせてあげられるのだろう。 ちっぽけな会社なんか早くなくなってしまえば良いのにとふと思ってしまった。
今日も夕暮れ散歩。あんずと一緒に夕陽に向って歩く。 お大師堂に蝋燭のあかりが見えていてお遍路さんが来ているのがわかる。 扉をトントンと何度か叩いてみたけれど、一向に返事がなかった。 仕方なくそっと扉を開けてみると、ぐっすりと眠っているお遍路さんの姿。 起こしては可哀相に思って、忍び足でせめてお線香をと中に入ってみる。 そうしたら結局起こしてしまって、悪いことをしたなあとちょっと反省。
けれども起こしてあげて良かったようだ。 お大師堂の外のトイレに鍵がかかっていてとても困っていたのだと言う。 なんとかしてあげなければ。地区長さんに電話してみたら、鍵はかけていないと言う。 おかしいなあ、どうして開かないのだろう。ガチャガチャとドアノブを何度も回してみた。 そうしたらやっとドアが開いてくれてお遍路さんと二人で大喜びする。
トイレ騒動のおかげでそのお遍路さんとはあまり話が出来なかったけれど、 年齢は20歳くらいだろうか。昨日のお遍路さんと五日ほど一緒に歩いたそうだ。
「頑張って追いつきます」って言っていた。また二人が会えると良いなと思う。
旅は道づれって言うもの。さずかった縁はきっと繋がっているのだと信じている。
昨日、今日と若いお遍路さんと出会うことが出来てなんだかすごく新鮮な気持ち。
ふたりのお母さんはどんなにか心配しているだろうななんて思いながら
私も母の気持ちになって、ふたりの旅の無事を祈り続けようと思う。
曇り日。蒸し暑さもなく過ごしやすい一日だった。
数日前より首の痛みを訴えていた母が 今日はやっと病院に行く気になってくれた。 山里の職場で帰りを待っていたけれど 検査が長引いているようで会えないまま帰宅する。 何か悪い病気だったらどうしようと心配でならない。
姑は今日からヘルパーさんが来てくれて順調。 お昼に姑の好きなかぼちゃを煮てくれたそうだ。 とても優しいヘルパーさんで姑も喜んでいる。 「お世話になっている」その感謝の気持ちを忘れてはいけない。
私にとってはふたりの母。それぞれの日々がどうか平穏無事であって欲しい。
夕方のお大師堂でとても若いお遍路さんと出会った。 青年と言うより少年と言ったほうが良いような18歳のお遍路さんだった。 少し足を痛めているようで気になったけれど ゆっくりのんびり歩きますと元気な笑顔で応えてくれてほっとする。
去年の秋にも足を痛めていたお遍路さんと出会ったことを話した。 そのお遍路さんは足を引き摺りながらも無事に結願出来たこと。 だからきっと大丈夫。きみも必ず乗り越えられるよと励ました。
お遍路さんはみんなきらきらと眩しく見えるけれど 今日出会った少年の瞳はすごく澄んでいてよけいに眩しく感じた。
清々しく爽やかな気持ちでお大師堂をあとにする。
ささやかな出会いではあったけれど、 なんだか大きな「勇気」をいただいたような気がした。
曇りのち雨。少し肌寒さを感じる雨になった。
午前中に福祉用具のお店の人が来てくれて ベットを組み立ててくれたり車椅子を持ってきてくれたりした。 どちらもレンタルで介護保険を使えば格安で借りられるのだそうだ。
午後、義妹の帰りを待って姑を迎えに行く。 朝から退院を楽しみにしていたようで 私達の顔を見るなりベットから起き上がろうと踏ん張っていた。
お世話になったみなさんに挨拶をして病室を後にした。 50日ほどの入院であったが、なんとたくさんの人に支えられていたことだろう。
そのまますぐに帰宅するべきところ、昨日姑の妹にあたる叔母が入院したことを知る。 姑も会いたがっていてみんなで内科病棟にお見舞いに行った。 姉と妹が手を取り合って涙ぐむ姿に思わずもらい泣きしてしまった。 叔母は肺炎だと言うこと。どうか一日も早く快復しますようにと祈る。
帰宅した姑は新しいベットがとても気に入ったようだった。 これからずっと床から離れられない日々が続くのかもしれない。 少しでも快適に過ごしてもらいたい気持ちでいっぱいになった。
姑に聞こえないところで「これからが大変ね」とそれぞれが口にする。 口にしてはいけないことだけれど、みんなつい本心が出てしまったのだった。
大変だからこそちからをあわせて乗り越えていこうと思う。
やってやれないことはないもの。そのためにある家族ではないか。
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