うす曇の一日。風があったせいか蒸し暑さも感じずに済む。
早朝、娘から電話があり綾菜の熱が下がったとのこと。 ほっとして山里の職場に向ったのだけれど 仕事を始めるなり電話があってまた熱が出てきたと言う。 月末の仕事も気になるけれど、綾菜のほうがずっと大事だった。 大急ぎで娘の家に向う。なんだか職場から逃げ出すような気分だった。
さいわい高熱ではなかったけれど、7度5分以上あると保育園は行けない。 少しぐずって泣いてはいたが、朝食もしっかり食べて元気そうな様子だった。 母親の姿が見えなくなってもすぐにケロっとして玩具で遊び始める。 いろいろな玩具を引っ張り出して、私に相手をしろとせがむようになった。 「おばあちゃんにちょうだい」って言うと玩具を手渡してくれたりする。
昼食はグラタンとバナナ。もう哺乳瓶のミルクは卒業している。 一口大に切ったバナナを上手につかんで口いっぱいに押し込んで食べる。 その顔がなんとも言えない。すごくすごく幸せそうな顔をしている。
お昼寝の時間。少し添い寝をしてあげたらすぐにすやすやと眠ってくれた。 そのあどけない寝顔を見ているうちに私も眠くなって少しうたた寝をする。
熱はすっかり平熱になっていてもう大丈夫かなと思う。 どうかもう熱が出ませんように。祈るような気持ちの午後であった。
おやつに玉子ボーロと牛乳。小さな歯でカリカリと可愛い音をたてて食べる。 もっと食べたかったのかしら。その後はちょっとご機嫌斜めになってしまった。
気分転換に外に出てみる。お散歩しようねと近くの小川のあたりまで行ってみた。 そうしたら小川沿いにたくさんの紫陽花が咲いていてすごく綺麗だった。
「これはね。あじさい」綾菜にその花をさわらせてみたら、びっくりしたような顔。 おそるおそるさわってみては自分の手のひらをじっと見つめているばかり。
もしゃもしゃっとしていたのかな。小さな花がいっぱい集まって大きな花になっているね。
綾菜にとっては生まれてはじめての紫陽花。今日は紫陽花記念日になったね。
曇りのち雨。ぽつぽつと静かな雨になった。 洗濯物を気にしながら帰宅すると、夫がすでに取り入れてくれていた。 いかにも男の作業らしく無造作にどさっと座敷に放り込んである。
きっと生乾きだろうと思っていた。しわくちゃだなって思い込んでいた。 けれども触ってみてびっくり。それはちゃんと乾いていてほっとする。
夫が洗濯物を取り入れる姿を想像して思わず微笑んでしまった。 乾いているか確かめて、うん大丈夫だと急いで取り入れてくれたのだろう。
「ありがとうねお父さん」お礼を言う時ちょっと照れくさかった。
今日も散歩はお休み。明日は行けたらいいな。 すっかり諦めて寝ているあんずを起こして晩ご飯を食べさせた。 ちょっと運動不足かなと思っても彼女の食欲は変わらずほっとする。
ついさっき娘から電話あり。綾菜がまた熱を出してしまったそうだ。 ほんとうによく熱を出す子ではらはらと心配でならなかった。 けれども食欲もあり元気な様子。「大丈夫よ」って娘に伝える。 明朝、熱が下がっていなかったらお守りを頼まれた。 お守りをしたいような元気で保育園に行って欲しいような複雑な気持ち。
毎日お大師さんに手を合わせて家族の無事を祈っているけれど どんな時もあってそれはみんな与えられた試練のようなものだと思う。
その試練をありがたく受け入れる。何があっても感謝の気持ちを忘れない。
今日もありがとうございました。この気持ちがきっときっと伝わりますように。
天気予報がはずれて思いがけなく青空が少しだけ見えた。 梅雨の時期特有の蒸し暑さは言うまでもなかったけれど 雨を覚悟していただけにやはり青空は嬉しいものだ。
今日は仕事を休ませてもらって姑の病院へ行く。 今週末の退院が決まって今後の打ち合わせがあった。 病院の相談員さん、リハビリの先生、ケアマネさんとヘルパーさん。 みなさん親身になってくれてほんとうにありがたいことだと思う。
来月から在宅介護が始まる。なんだか少し緊張していたけれど 家族に出来ない事はヘルパーさんが助けてくれるのでとても心強い。
リハビリを続けたいと言う姑の意思を尊重して 週に一度は通院をして今後もリハビリを続けられることになった。 それは私と夫の役目。私達に出来ることはそれくらいしかなくて 義妹ばかりに負担をかけてしまうけれど仕方ない事だなと思う。
なんだか大きな海に家族みんなで船に乗って漕ぎ出すような気持ち。 助け合う支え合うことの大切さをしみじみと感じるようになった。
何よりも安心しきっている姑の笑顔が嬉しくてならない。
ケアマネさんが姑に「家に帰ったら何がしたいですか?」って訊ねたら
「そりゃあ畑よ、畑に決まっちょうじゃいか」って応える姑。
その夢をかなえてあげたい。みんなで応援してあげたい。
雨風ともに強し。なんだか嵐のような一日だった。 春先の静かな雨とは違って梅雨はとても力強く感じる。
仕事を終え帰宅しながら、今日は散歩も行けないな。 お大師堂のお参りも一日くらいサボってしまおうか。 などと考えていたけれど、なんだか心の奥がざわざわとしてしまって 大橋を渡るとそのまま土手の道を走ってお大師堂に向っていた。
お参りに行かなかった日に限って悪い事が起こりそうな気がする。 そんな不安がいつもあってついつい足を向けてしまったのだった。
いただいている平穏な毎日に手をあわせて感謝する。 ほんとうにささやかなことだけれどいつしかそれが日課になった。
いつ何があってもおかしくない世の中。 こうして家族がみな無事でいられるのがどうして当たり前のことだろう。 奇蹟のように感じることがほんとうにたくさんある毎日だった。
「明日も雨かしら」お大師さんはもちろん何も応えてはくれない。 けれども「待っていますよ」って声がふっと聞こえたような気がする。
ゆびきりげんまんしたよ。この清々しさはいったいどこからくるのだろう。
とうとう梅雨入り。雨を匂わす風が使者のように吹き抜ける。 午後少しだけ雨が降った。いかにも始まりの雨のように。 しばらくはおひさまも遠慮がちに微笑む日々が続くことだろう。
どんな日もあってよし。雨ならば雨を受けとめ心穏やかに過ごしていきたい。
今日は伯母の三回忌の法要があった。 老人ホームに入居している伯父は帰宅することなく 集まった顔ぶれはみないとこ達ばかりの法要になる。 それもなんだか寂しいけれど仕方ないことであった。
それぞれの親の話になればなんともせつない。 我が家の姑の事も含めてみんな年老いた親を抱えて苦労している。
苦労・・いやそう言ってよいのか。いまふっと後ろめたさを感じた。 そういう「さだめ」のようなもの。そのさだめに従っているだけかもしれない。
高知ならではの皿鉢料理をたくさんご馳走になって帰って来た。 みんなでわいわいとおしゃべりをしながら楽しいひと時を過ごす。 そうして亡き人を偲ぶ。伯母もきっと喜んでくれたことだろう。
帰宅して今にも雨になりそうな空を仰ぎながらお大師堂に向う。 帰り道はあんのじょう雨が降り始めて大急ぎで帰って来た。
もう走れないあんず。それも仕方ないことだなと思った。
あっという間にふたりずぶ濡れ。それも良いじゃないかと思った。
はじまりの雨に濡れては梅雨を知る。おかげで一句できた。
2013年05月25日(土) |
くちなしの花が咲いたよ |
ここ数日の暑さもひとやすみ。 今日はうす曇で爽やかな風が心地よく吹き抜けていた。
ご近所の紫陽花がずいぶんと色づく。 昨日よりも今日とそれは毎日の楽しみでもあった。
そんな紫陽花に心を和ませながらの散歩道。 ふっとどこからか芳香が漂ってきて足をとめた。
見つけた。それはクチナシの花。 民家のブロック塀から覗き込むようにしてその花に顔を寄せる。 なんだか懐かしいような香り。ずっと忘れていたようなにおい。
週末は一時帰宅をしている姑を迎えに行く車中で 夫と自分達の老後のことをなんとなく話し始めていた。 こうして毎週姑を迎えに行く事は少しも苦にならないのだけれど 自分達は子供たちにそんな世話をかけたくないなと話した。 介護ももちろん。そうなったら老人ホームに入ろうななどと。
けれどもそれは今だから言えることなのかもしれない。 20年後の自分達の姿を思い浮かべる。 まだまだ先の事と思っていても、あっという間にその時がくるかもしれなかった。
こどもは親に育てられ親はこどもの世話になるのか。 それが当たり前のこととはどうしても思えなかった。
親はこどもに育てられてこそ親になることが出来る。 そうして幾つになってもこどもはこどものままでいるのだと思う。
親はこどもを守り続ける。こども達の平穏無事を祈り続ける。
助け合うこと支えあうこと。それが家族の姿なのだろうと思いながら
「お父さんも、お母さんも大丈夫よ」っていつまでも言える親でありたい。
爽やかな初夏の風に誘われたように ホトトギスの鳴き声が空に響きわたる。
「テッペンカケタカ」って鳴いているのだそうだ。 子供の頃に今は亡き祖母からその物語を聞いた記憶があるけれど どんな話だったのかよく思い出せないのが少しもどかしく感じる。
今日はあんず16歳の誕生日。 特別なことは何もしてあげられなかったけれど 生後6ヶ月で我が家の一員になりもう16年間と感慨に浸る。 やんちゃで甘えん坊でちょっと神経質なところもあるけれど そのまんま年を重ねてすっかりおばあちゃんになってしまった。
お大師堂で出会ったお遍路さんが「犬が好きなんですよ」と言って 私がお参りをしているあいだあんずと一緒に遊んでくれて嬉しかった。
自転車遍路さん。静岡から自転車を持参で新幹線に乗って来たそうだ。 明るくて朗らかでとても話しやすい好印象のお遍路さんだった。
またきっと会いましょうと約束をして別れる。 その時にはあんずも健在で一緒に再会出来ると良いなあって思う。
こんな出会いがあった日はこころがとても清々しくなる。
「いい日だったね」ってあんずに語りかけながら家路についた。
連日の夏日。そろそろ半袖の服を着たほうが良さそうだ。 風もほとんどなくなんとも蒸し暑い一日だった。
ちょっと昔はとても苦手だった夏。 それがある年の夏から好きだなって思えるようになった。 私にとっては最高の「夏の思い出」 もう二度とあんなに心がときめく事はないだろうと思う。
冥土のみやげと言うのかもしれない。 春夏秋冬の夏のおみやげ。決して失くさないよう大切に持っていきたい。
今日も夕暮れ散歩。土手のチガヤの穂が綿のようにふわふわになった。 姫女苑の花もあちらこちらにたくさん咲いてこころを和ませてくれる。
ああここにいるんだな。ちゃんと生きているんだなってすごく感じる。 自然と触れ合う時の人間の心理って「いのち」と直結しているようだ。
日中の暑さが堪えたのかあんずは少し元気がなかった。 坂道を歩くのが辛そうで「がんばれ、がんばれ」と声をかけて励ます。 やっとの思いでお大師堂に着いたけれど、帰り道はふらふらになっていた。
もう無理なのかなって今まで何度も思ったのだけれど 最後の限界まで歩かせてあげたいと思うのは私の身勝手だろうか。 「行こうか?」って声をかけると「行くよ」って犬小屋から飛び出して来る。 あんず自身も歩きながら戸惑っているのかもしれないなと思う。 大丈夫って思っていてもうまくいかないことがたくさんある世の中だから。
でもやってみないとわからない。歩いてみないとわからない人生(犬生)である。
2013年05月20日(月) |
今日のことは今日のこと |
日中の気温が30℃近くなりすっかり夏を思わす。
山里を流れる川に錦鯉がたくさん泳いでいるのを見た。 どこかで飼われていたのを誰かが放したのだろうか。 清らかな流れの中でそれはとても気持ち良さそうに泳いでいた。
なんだかふっと童心にかえる。どうしてだろう不思議なきもち。
仕事は忙しくざわざわと落ち着かない。 少しでも母を助けてあげたい気持ちなのだけれど なんだか押し潰されそうな気持ちになってしまっていけなかった。 それがストレスになってしまうのか胃がしくしくと痛んだ。
そんな時はいつも思う。「今日のことは今日のこと」 明日になれば風向きも変わるだろうと信じて明日のことを考える。 けれども明日になればそれが「今日」になってしまうのだから。 う〜む。結局毎日が「今日」なのだなって受けとめなければいけない。
帰宅すると親愛なる友人からポストカードが届いていた。 「私に少し苦言を・・」と前置きされていてそれを愉快に思う。 私が苦言に対してほとんど抵抗力がないことを知っているのだ。 「おっし、来たな!」どうやって交わそうかと考えるのも楽しい。 確かに抵抗力はないけれど、立ち向かう勇気はありそうな気がする。 けれども決して強気になってはいけない。そこらへんがむつかしい。 相手の意見を尊重しながら自分の意思を貫くというか。 まあるくおさめてお互いがにっこりと微笑むようなやりとりがしたいのだ。
その微笑に手を伸ばすように返事を書きたいと思う。
「おお、こう来たか」「それならこれならどうだ」
またすぐに便りが届くことだろう。そういうのがたのしくてたまらない。
2013年05月18日(土) |
紫陽花の季節もちかくなりにけり |
雨が近いのか少し蒸し暑い一日だった。 ご近所の紫陽花がほんの少し色づき始める。 それは毎日通る散歩道の途中にあって ながめていると「あした」がとても楽しみになる。
土曜日は姑を病院へ迎えに行く日。 一週間がとても早く感じるのだけれど 姑にとってはまだかまだかと待ちわびる毎日なことだろう。
ベットから車椅子に移る時、車椅子からクルマに乗る時。 リハビリの成果が目に見えて感じられるようになった。 退院まであと二週間、もう少しの辛抱だった。
一時帰宅している間は義妹がずっと世話をしている。 やはり娘がいちばん良いのだろう。 ちょっとわがままを言ってみたりして困らせているようだ。
夫が「あいつが嫁にいかずにいてくれて良かったよな」って言う。 うなずく私も義妹のおかげでどんなに助かっていることだろうか。
お大師堂で毎日お参りに来ている伯母と一緒になった。 姑にとっては兄嫁に当たる人で、姑の様子を気遣ってくれる。 一時帰宅している事を伝えると、その足で会いに行ってくれると言う。 お大師さんのお菓子を持って行ってあげるからと言ってくれて嬉しかった。
伯母は確か89歳ではなかったか。杖をつきながらも元気な足取り。 その後姿を見送りながら「おばちゃん、ありがとう」と手を合わせた。
外で待ちかねていたあんずが「きゅいんきゅいん」と私を呼ぶ。
気がつけばみんなみんな老いてしまった。
けれどもこうして生かされていることを感謝せずにはいられない。
連日の夏日もひとやすみ。 今日は思わず「涼しいね」と口にするほど過ごしやすかった。
山里の職場の庭にはいつのまにか「雪のした」の花が咲き。 大きなヤマモモの木の下でゆらゆらと風に揺られている。 まるでちいさな天使のようなその花が私はとても好きだった。
私が職場に復帰したことを母がとても喜んでくれている。 ふと自分がこれほど必要とされていたのかと思いがけなくて。 「助けてあげたい」その気持ちがどんどんふくらんでいく。
母いわく。私が居るだけで気が楽になるのだそうだ。 そう言ってもらえると私も嬉しくてならない。
以前はよく喧嘩をすることもあったけれど なんだかものすごく遠い昔のことのように思えるのだった。
母の仕事を手伝うようになってもう25年目の春が過ぎた。 苦労ばかりの歳月だったけれど、その苦労を分かち合うことが出来たのか。 少しでも助けてあげられたのかと自分ではそれがよくわからなかった。
あと10年かな。いや5年かもしれないと母は言う。 75歳になった母のことを思うと、出来るものなら引退させてあげたい。
そうして苦労のない穏やかな余生を送らせてあげたいとつくづく思う。
「また月曜日にね」「うん、ぜったいに来てね」
母の笑顔に見送られながら帰路に着くといつもいつも胸が熱くなるのだった。
今日から山里の職場に復帰する。 長いあいだ母ひとりに苦労をかけていたこと。 心苦しさを振り払うように山道を駆け抜けて行く。
そんな山道が土佐清水市から三原村に代わったあたり いかにもご高齢だと思われるひとりのお遍路さんに出会う。 歩くのがとても辛そうに見えて思わず声をかけずにいられなかった。
この先は峠道。もし良かったらとクルマでのお接待を申し出た。 そうしたらとても喜んでくれて私もほっと嬉しく思う。
聞けば81歳だと言う。愛知県から15日間の区切り遍路だそうだ。 毎年少しずつ歩いているそうで、今回が三度目のお遍路だと言うこと。
半袖の白いシャツから日焼けした腕がとてもたくましく見える。 足取りはおぼつかなく見えたけれどなんと若々しいことだろう。
「何かを始めるのに遅すぎることはない」その大切さを強く感じた。
途中の遍路道の入り口まで。クルマだとほんの10分足らずの道のり。 お別れするのがとても名残惜しかったけれど後姿を見送って別れた。
「ご縁ですね」って言ってくれた一言がとても嬉しかった。
今頃は宿でゆっくりとくつろいでいることだろう。 明日は無事に伊予路に向って歩き出すのだろうと思う。
どうかたくさんの縁に恵まれますようにと祈っている。
ささやかなご縁。その姿にとても勇気をいただいた朝のことだった。
2013年05月15日(水) |
みんなみんな生きている |
沖縄はもう梅雨入りをしたらしい。 遅かれ早かれ四国もすぐにそうなることだろう。 そう思うと連日の五月晴れがとてもありがたく感じる。
移ろっていく季節の真っ只中にぽつねんと生きている。 この流れに逆らってはいけない。ただただ身をまかせていようと思う。
午前中はあんずを動物病院へ連れて行く。狂犬病の注射とフィラリアの検査。 去年までは軽トラックの荷台に乗せて行っていたのだけれど、 今年は用心して私が抱っこし乗用車の助手席に乗って行く。 あんずの病院嫌いは尋常ではなく行くと必ず体調を崩すのだった。 獣医さんに昨日の出来事を話すと笑い話では済まなくなった。 犬は川や海に落ちると深いところに泳いでいく習性があるのだそうだ。 そうして溺れ死んだ犬が何頭もいると聞いてぞっとする思いだった。 高齢犬は特に気をつけないといけないと言われて肝に銘じる。
帰り道にはあんずをぎゅっと抱きしめていた。とっくんとっくんと鼓動が伝わる。
午後は姑の病院。今日はケアマネさんが来てくれて退院後の打ち合わせがあった。 介護サービスなるもの。ほんとうにいろんなサービスがあって感心する。 義妹と相談して一日三回ヘルパーさんに来てもらうことに決めた。 「デイサービス」に行けばいちばん安心なのだけれど 姑はたくさんの人とふれあうのが苦手で、それだけは嫌だと首を横に振る。 独りで黙々と畑仕事をするのが生きがいでもあっただけにうなずける話だった。
これからのこと。あれこれと考えていると不安なこともたくさんあるけれど 始めてみなければわからないから。そう言って義妹と励ましあった。 先のことはその時になってまた考えよう。家族みんなで助け合っていこう。
リハビリを頑張って、少しでも自分で出来ることを増やしていきたい。
やる気満々の姑に励まされるようにして病院を後にした。
朝の涼しさもつかの間。今日も暑いくらいの陽気となる。
ご近所の菜園にじゃが芋の花が咲いているのを見つける。 ほのかな薄紫のその花が私はとても好きだなと思う。
土手には姫女苑の花がとても可愛らしく咲き始めた。 枯れていく野あざみの花をそっといたわるように 優しく微笑みながら寄り添っている光景もまた好きだなと思う。
今日も一緒にお大師堂に行ったあんず。 私がお参りをしているあいだ軒下に繋いであったのだけれど 繋ぎ方がゆるかったのかいつの間にか外れてしまっていたようだ。
すると「ひいひい」と叫ぶような泣き声がどこからか聴こえてきた。 「あんちゃん、どこ?」呼んでも返事が出来るわけもなくて その泣き声を頼りにお大師堂の近辺をあっちこっちと探してみる。
やっと見つけた。それがなんと川沿いの崖の途中に引っかかっているではないか。 木や草が無かったら真っ逆さまに川に落ちてしまうところだった。
さてどうやって救出しよう。夫を呼ぼうかと思ったけれど ちょうど干潮で川の水が引いていたのが幸いだった。 河原に下りていって下から手を伸ばすが、もう少しのところで手が届かない。
木の枝を折ってなんとか道を作る。後はあんずの力に任せるしかない。 野ばらの棘が刺さってどんなにか痛かったことだろう。 それでもあんずは必死になって草を掻き分けてやっとの思いで河原に下りた。
はあはあぜえぜえ言っている。「よしよし、怖かったね」って 言ってあげればよかったけれど、つい「馬鹿ね、ほんとうに馬鹿なんだから」
そう言ってからちょっと後悔した。 もし満潮時だったら救出は困難だったろう。 何度かテレビで見た動物の救出作業の光景が目に浮かんできた。 もしかしたら川に落ちていたかもしれない。そう思うとぞっとする。 私の不注意で危険な目に合わせてしまったことに違いなかった。
「ごめんね、あんず」もうお大師堂へ連れて行くのは無理かな・・。 母さんはあれこれと考えていたけれど、当のあんずはケロッとした顔。
晩ご飯もいつも通りにガツガツと食べて元気いっぱいのあんずだった。
気温も高くなりすっかり初夏の陽気。 爽やかな風のなかツバメ達がすいすいと飛び交う。
川仕事。撤収作業が今日で終った。 「ご苦労さま」と川船を綺麗に洗って船着場を後にする。 しばらくは川に出ることもなくなった。 ほっとする気持ちもあるけれどなんだかさびしい。
夏が終ればまたうごきだす。それまでながい夏休みだった。
土曜日の夜には一時帰宅していた姑の「母の日」をする。 義妹がお寿司を作って、私は鰹のタタキを準備した。 義弟一家も揃ってみんなでにぎやかに楽しい夜を過ごす。
昨夜は姑をまた病院へ送り届ける。 みんなで話し合った結果、今月いっぱいの入院を決めた。 姑の意思をいちばんに尊重する。みんなで応援したいと思う。
「母の日」気になりながら山里の母には何もしてあげられなかった。 嫁げばふたりの母がいて、どうしても夫の母ばかり大切にしてしまう。 「それで良いのだよ」実の母の声が聞こえるような気がして甘えてしまう。
今週中には山里の職場に復帰できそうだ。 そうしたら毎日が母の日だと思って母を手伝ってあげようと思う。
今日もお大師堂。久しぶりにあんずと一緒に行く。 途中の土手でお散歩仲間のワンちゃんに会った。 ついこの前まで子犬だったのに、もうあんずより大きくなっている。 「ピノちゃん」という名前なのだそうだ。今日初めて知った。 あんずもお友達が増えて嬉しそう。じゃれあってしばらく遊んでいた。
お大師堂で手を合わすと、いちばんに綾菜の顔。 そうして姑の顔が浮かんできて最後の方に山里の母の顔が浮かぶ。
それで良いのかな。お大師さんも頷いてくれているようでほっとして帰る。
久しぶりの雨。雨だれの音が心地よく耳に響いている。 ずっと晴天続きだったから、田畑にとっては恵みの雨になることだろう。
「潤う」という言葉が好きだ。自然界にはもちろんのこと 人の心にもそれは必要なことだと思う。
潤えば満たされる。満たされて潤うのかもしれないけれど 欲深い人間には思いがけない潤いに感謝する気持ちが必要に思う。 すべては「恵み」なのだろう。当たり前のことなんて何ひとつない。
午前中に川仕事を終え、午後からまた姑の病院へ行く。 ちょうどリハビリの先生が病室に来てくれていて会うことが出来た。 そうして思いがけず一緒にリハビリ室へと誘ってくれたのだった。
まずはベットから車椅子に移る練習。はらはらしながら見守る。 無理だろうと思っていたのだけれど、それがちゃんと出来た。 得意顔の姑。それが昨日から出来るようになったのだそうだ。
リハビリ室では平行棒につかまり立つ練習。 それも無理だと思っていたのに、姑はしゃんと背筋を伸ばして立ち上がる。 最初は何度もよろけていたけれどだんだんしっかりとしてきたのだそうだ。
このひと月、リハビリの成果は殆どないと思い込んでいた事を心で詫びる。 熱心な先生に励まされて姑はこんなにも頑張っていた事を初めて知った。
「すごいね、えらいね!」を連発。感動で胸がいっぱいになった。
リハビリの先生は、もうしばらくリハビリを続けさせてあげたいと言う。 それはすぐに退院出来ないと言う事でもあった。
病室に戻り姑とその話しをする。早く家に帰りたい、でもリハビリは続けたい。 姑もすごく迷っているようだった。そうして「もっと頑張りたい」と言い出す。
もしかしたら歩けるようになるかもしれない。一縷の望みを捨てたくはない。 そんな姑を応援し続けることが私たち家族に出来る精一杯のことだった。
今夜はこれから家族会議。みんなで話し合って結論を出したいと思う。
どんな状況にあっても決してあきらめないこと。
今日の姑からおしえられた大切なことだった。
2013年05月09日(木) |
いっしょうけんめいに咲いた花 |
五月晴れもひと休みなのかお天気は下り坂のようだ。 明日は久しぶりに雨の予報でなんだか雨の匂いが恋しく思える。
午前中は例のごとくで川仕事。 午後は姑の様子を見に病院へ行っていた。 入院してから明日でもうひと月になる。 何度か一時帰宅をしていたせいか、精神的には落ち着いている様子。 ただリハビリの効果はあまり感じられずいまだ立つことが出来ない。 それでも諦めずに一生懸命リハビリを頑張っているようだった。
婦長さんから退院を匂わすような話しがあった。 ぬか喜びになるやもしれなかったけれど姑にその事を話してみる。 そうしたらもう明日にでも帰れるかのように大喜びしていた。 その笑顔を見るとやはり一日でも早く退院させてあげたいと思う。
退院すればすぐに在宅介護が始まる。 家族がチカラを合わせて介護をしてあげるのがいちばんだけれど 今の現状ではそれが不可能でホームヘルパーさんのお世話になる事にした。 任せっきりと言うわけにはいかず、私も出来る限りの事をしてあげたいと思う。
これからが大変だけれど、みんなで助け合えばきっと大丈夫だと信じている。
今日も夕暮れ散歩。土手の野あざみの花が綿毛に変わりつつある。 それは決して美しくはなくて少し心の奥が痛むような光景であった。
いっしょうけんめいに咲いた花。目を反らさずに見守ってあげたい。
2013年05月08日(水) |
笑顔のつぼみがぱっと開く |
今日も夏日。爽やかな風にずいぶんと助けられる。
「青さ海苔」今期最後の出荷日であり川仕事はお休みだった。 わずかな量なので夫が一人でも大丈夫と言ってくれて ずっと気になっていた山里の職場に駆けつけることが出来た。
二週間ぶりだろうか、それでもやはり懐かしい山里。 前回にはまだ植えられたばかりの稲もちょっぴり育ち 朝風に揺れている風景がとても微笑ましく感じた。
一番のりの職場。窓を開け放してさっそく掃除をする。 事務所の片隅には母が活けたのだろう、あやめの花が凜と立つ。 どんなに忙しくても花だけは欠かさない、そんな母が好きだなと思う。
連絡もせずに行ったものだから、出勤してきた母が大喜びしてくれた。 一気におしゃべりの花が咲き笑顔のつぼみもぱっと開く。
溜まっていた仕事を片付けながら、合間に庭に出てみた。 すずらんの花が枯れかけている。ああ今年も咲いてくれていたのだな。
それから八つ手の木。大きな葉っぱが艶々と手を広げている。 その手のひらに抱きよされているような気分になった。 若い緑には不思議な魅力があるものだ。なんとも活き活きとしている。
「ありがとうね」母はいつもそう言って私を見送ってくれる。
そのたびに胸が熱くなる。「ありがとう、またね」って言って私は帰る。
ほっこりとあたたかくてかけがえのないもの。
じぶんはこんなにも恵まれているのだとつくづく思う帰り道だった。
最高気温が25℃を超え今日も夏日となる。 早朝から川仕事に行ったものの汗びっしょりになった。
息子からメール。「昼飯食いに行ってもかまん?」 もちろんおっけい「かまんで〜」と即返信。
ご飯はたくさん炊いてあるし、おかずは切干大根の煮たの。 あとは目玉焼きでも良いかなと息子が来るのを待っていた。
そしたらなんと「スープカレー」なるものを持参してきて 「とにかく白い飯をくれ」と台所で大騒ぎする始末だった。
炊飯器を持たない息子にとって白いご飯がいちばんのご馳走のようだ。 洋皿にご飯をてんこ盛りにしてスープを少しずつかけて食べていた。 「うまいぞ!おかぁも食べてみろ」それはすごい激辛だったけれど美味。
わいわいとにぎやかな昼食。息子がそこに居てくれるだけで楽しい。
午後は近所の散髪屋さんに行くのだと言う息子。 私も髪を切りたくなって美容院に予約を入れる。
息子のぼさぼさの髪がどんな風になったのか気になりながら 美容院の鏡に映る決して若くはない自分の顔を上目遣いに見ていた。
軽やかなハサミの音。パラパラと落ちていく自分の髪の毛。 うんうん、いい感じ。何よりもさっぱりとすごく良い気持。
息子もすっきりと気持ち良くなって帰って行ったかな。 ビフォアーアフターみたいにもう一度会いたかったなあってすごく思った。
髪を切るとなんだか生まれ変わったような気持になるから不思議。
髪が軽くなると心も軽くなってぴょんぴょんと跳ねているような夜だった。
今日も五月晴れ。気温も高くなり暑いくらいの陽射しだった。
茶の間の炬燵をやっと片付ける。台所のストーブもよっこらしょ。 季節の変わり目のちょっとしたことがなんだか楽しく思える。
春から初夏へ。駆け足で過ぎていく日々を受けとめながら ふっとせつないような時のながれを感じずにいられなかった。
午後すこし読書。そうしてうたた寝。 開け放した窓からそよ吹く風がとても心地よく感じる。
自転車でお大師堂。風と自転車ってよく似合うなあって思った。 お大師堂まではあっという間に着いてしまうけれど どこか遠いところ。自転車で行ける所まで行ってみたいものだ。
夕暮れ間近。今度はあんずと土手を散歩する。 夕陽がまぶしい。白いチガヤの穂がほんのりと紅く染まって 川面はまるでオレンジジュースが流れているようだった。
今日も平穏無事に暮れていく。それはとてもありがたいこと。
立夏。爽やかな五月晴れに初夏らしい陽射しがふりそそぐ。
「こどもの日」でもあるけれど私にとっては「まごの日」となった。 娘が仕事のため綾菜のお守りを頼まれて喜び勇んで駆けつけていた。
綾菜と一緒に河川敷を散歩する。ベビーカーを嫌がるものだから ずっと抱っこして歩いていたけれど、ずいぶんと重くなったものだ。
河川敷のキャンプ場には色とりどりのテントがいっぱい。 綾菜にとっては初めて見る光景だっただろう。 人がたくさんいるのに驚いたのか、私にしがみついていた。
鳥が飛んでいる。蝶々もひらひらと舞っている。 土手には自転車の少年がいて、鉄橋の上にはクルマが行き交う。 いろんな風景をたくさん見せてあげたいなと思った。
お昼ごはんもいっぱい食べてデザートの苺を自分で食べる。 口のまわりを真っ赤にして「いちごだいすき」の顔が嬉しい。
食後はおもちゃ箱をひっくり返して一人でとことん遊ぶ。 お昼寝の時間になってもぐずることなく遊びに夢中になっていた。
バーバはクマさんのぬいぐるみをお布団に寝かせて子守唄を歌う。 毛布をかけて「よしよし」とクマさんを撫でていると 綾菜がちょっとやきもちを焼いたようでぽかんと口をあけて見ている。 そうして一気に布団までハイハイしてくるとクマさんの鼻をつかんだ。
「え〜んえ〜ん」あらどうしましょう。クマさんが泣き出してしまったよ。 バーバはクマさんを抱っこする。「痛かったねぇ」と頬ずりをする。
それを見た綾菜の顔。なんとも困ったような顔をしてすごく微笑ましかった。
「今度は綾ちゃんね」クマさんと一緒にねんねしようかね。 抱っこして子守唄を歌っていたらすぐに目を閉じてうとうとし始めた。
よほど遊び疲れていたのだろう。そうしてぐっすりと眠ってくれる。
しかし、今度はおやつの時間になっても目を覚まさない。 布団の上で大の字になってちいさな鼾を響かせている。 その寝顔の可愛いこと。親ばかならず祖母ばかの私であった。
三時半になって薄っすらと目を開けた。でもまだ眠そうにしている。 ほっぺをちょんちょんとしてみる。「あやちゃん」と声をかけてみる。
良かった、やっと目を覚ましてくれた。そうしてにっこりと笑ってくれる。 おやつはチーズケーキ。それも手づかみで自分で食べることが出来た。
午後4時。そろそろお母さんが帰って来るかな。 アパートの駐車場まで行ってお母さんをお迎えすることにした。 ご近所の犬を見て「わんわん」とはまだ言えないけれど 「あっ!あっ!」と声をあげて喜んでいた。
ほうらお母さんが帰って来たよ。その時の笑顔は最高の笑顔。 母親を恋しがってすぐに抱きつくかと思っていたのだけれど 「おばあちゃんがいるもん」って顔をして私から離れたがらなかった。
うるうる。バーバの目頭が熱くなった瞬間だった。
「またいっぱい遊んでね」帰る時はもっとうるうるしてすごくすごく名残惜しかった。
立夏を明日にひかえ、ここ数日続いていた若葉冷えも峠を越えたようだ。 おかげで今日は風もなくとても穏やかな晴天となった。
四万十大橋のたもとの休憩所には観光客がいっぱい居ておどろく。 テレビドラマ「遅咲きのヒマワリ」の影響であろうか。 市の観光課ではロケ地マップなるものを発行しているらしい。 なにはともあれ遠くから四万十を訪ねて来てくれたことを嬉しく思う。
今日も早朝から川仕事、撤収作業もあと数日で終りそうだ。 もうひとふんばり。夫に励まされながらふたりで精を出す。
午後は暇を持て余していたのだけれど 先日息子が少し早い「母の日」のプレゼントを贈ってくれていて それが生まれてはじめて見る電子書籍「キンドル」という物だった。 使い方がまったくわからなかったのを一昨日息子がしっかり教えてくれて その時に重松清の「とんび」をダウンロードしてくれていたのだった。
使ってみようかな。読んでみようかなと思っておそるおそる起動してみた。 それがとても読みやすい。字も大きめに設定してくれていてとても助かる。 テレビドラマで見ていたけれど原作はそれ以上に惹き込まれる作品だった。 これは癖になるなって思った。二時間ほど没頭し夢中になって読んでいた。
息子からのプレゼントに母はあまり大喜びしてあげられなかったのだけれど こんな良い物を贈ってくれたのかと一気に感謝の気持ちが込み上げてきた。 読みたい本があったらいくらでもダウンロードしても良いのだそうだ。 アカウントは息子の名前になっているので、請求先は息子になっている。
「それで良いのだよ」と息子が言ってくれたことが今になってとても嬉しい。 ちょっと申し訳ない気持ちもあるけれど、この際だから甘えちゃえと思った。
思えば息子から母の日のプレゼントなんて初めてのことではないだろうか。
ありがたいことだなとつくづくと思う。母はほんとうに幸せ者です。
孫の綾菜一歳の誕生日。
生まれたのがついこの前のように思うのに もう一年が経ったのかととても感慨深く感じている。
なによりも健やかにすくすくと成長してくれたことが嬉しい。 この一年、綾菜のおかげでどんなにか癒されたことだろうか。 あどけない笑顔に励まされるようにみんなが元気にしていられた。
まさに我が家の天使。愛しさは言葉に出来ないほど大きかった。
どうかこれからもずっと無事に順調に成長してくれますように。 祈り続けてきた日々がこれからも続いていくことだろう。
昨夜は「前夜祭」と称して家族みんなでお祝いをする。 一升餅はやはり重すぎて大泣きになってしまったけれど 亀さんみたいに背中に背負ってほんの少しだけハイハイが出来た。 みんなで拍手喝采、泣いている綾菜をよそに笑顔があふれた瞬間だった。
一升は「一生」いったいどんな人生が待っているのだろうと思う。
どうか苦労をしませんように。どうか幸せな一生でありますように。
ジージもバーバもいっぱい長生きをして綾菜を見守っていたいなと思う。
生まれてきてくれてほんとうにありがとう。ほかにどんな言葉も見つからない。
もう5月だと言うのにストーブに火をともす朝。 けれども冬の寒さにくらべればずいぶんと暖かくなった。
日中は降り注ぐ陽射しに爽やかな風が吹きぬける。 そんな風のおかげで汗ばむ事もなく川仕事もはかどった。
自転車でお大師堂に向う。向かい風にふうふうしながら辿り着くと 顔なじみのお遍路さんが二人来てくれていて、笑顔で再会を喜び合う。 「あれ?ワンちゃんは?」あんずのことも気遣ってくれて嬉しかった。
午後六時を過ぎると、寝てばかりいたあんずも起き出して来て 少しだけ土手を歩こうと一緒に散歩に出かける。 近場を歩いてすぐに帰ろうと思っていたのだけれど 河川敷の草むらにふたりのお遍路さんを見つけて気になった。 「野宿をされるのですか?」声をかけながら近づいて行くと なんと外国人のお遍路さんで、日本語がほとんど伝わらないのだった。
身振り手振りで訊ねていると、河川敷にテントを張るつもりらしかった。 お大師堂がすぐ近くにあることを伝えようとしたのだけれど 「お堂」って英語では何て言うのだろう?まったくわからなくて とにかく指をさして屋根の形をして見せて「スリーピング」って言ったら 「レッツゴー」と言ってくれてやっと伝わってくれたのだった。
「マイ、サン」どうやらふたりは親子のようだ。 「アメリカ?」って訊くと「オランダ」ってこたえてくれて お父さんのお遍路さんはドイツ語の先生をしているらしかった。
歩きながらそれ以上の会話が出来ない。 なんだかもどかしいような、それでいて笑顔がとても嬉しい道のり。 やっと無事にお大師堂に案内することが出来てほんとうに良かったと思う。
先客のお遍路さん達も「ノーイングリッシュ」と言いながら歓迎してくれる。 「フレンドね」って私が言うとオランダ人のお遍路さんが握手をしてくれた。
大きな手、とてもあったかい手。そうして何よりもみんなの笑顔が嬉しい。
言葉は通じなくても笑顔と笑顔で伝わることがあるって素敵だなって思った。
今頃四人のお遍路さんは、言葉はちんぷんかんぷんでもうちとけあって きっと仲良しになっているにちがいない。そう思うと嬉しくてしょうがない。
一期一会。あんずと一緒に夕暮れ散歩に行かなかったら出会えなかったのだ。
こんな日もあるのだなあ。なんだかすごく不思議な気持ちになった。
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