昨夜のうちに雨があがり青空の朝になった。 日中の気温もずいぶんと高くなりすっかり春の陽気となる。 風の強い一日だったけれどそれも嬉しい春風に思える。
姑さんが寝たきりになってひと月が過ぎた。 大好きな畑仕事が出来なくなってどんなにか辛いことだろう。 せめて草引きでもと思いながら何もしてあげられずにいる。 心苦しさもあるけれど畑の野菜たちが可哀相にも思えてきた。
白菜は菜の花を咲かせ始め、大根はトウが立ち始めた。 唯一ほうれん草だけは見事に成長して今がまさに収穫期だった。 丹精込めて野菜を作り近くの地場産市場に出荷するのが姑の楽しみ。 特にほうれん草には力を入れていてその量はハンパではなかった。
なんとかしなければ。その思いが日に日に込み上げてくる。 義妹と相談の結果、少しでも市場へ出荷してみようと言うことになる。
収穫は私。袋詰めは義妹と姪っ子が手伝ってくれることになった。 川仕事を終えてからさっそく畑に行き青々としたほうれん草を収穫する。 少し湿った土の匂い。昨日の雨を恵みに生き生きと伸びているほうれん草。
愛しいものだなと思った。こんな愛しさを感じたのは初めてではないだろうか。
そうして10束のほうれん草が出来る。 一束百円だけれど、その価値は決して値段ではないのだなと思った。
姑さんの思いがたくさんこもっているほうれん草。
売れ残っても良いのだ。一人でも美味しいと言って食べてくれる人がいてくれたら。
姑さんもほうれん草もすごく嬉しいと思うのだ。
お昼前からぽつぽつと雨が降り始める。 春雨を期待していたけれどそれはとても冷たい雨になった。
タンポポをおもう。桜をおもう。つくしの坊やたちをおもう。
冷たい雨にうたれながらも微笑んでいる姿が目に浮かんできた。
もしも一年中が春だったらとふと考えてみた。 それが当たり前のことになってしまったらなんだか寂しいなって。 寒さ厳しい冬があってこそひとは春の喜びを感じることが出来る。
だからひとも辛いことをきっと乗り越えられるような気がする。 冬ばかりの人生だとしてもささやかな春がきっと訪れるはずだ。
今日は海苔の初入札の日だった。 決して高値ではなかったけれど、例年並みの値にほっと息をつく。 欲を出さずとにかくこつこつと毎日頑張ったかいがあった。 やったらやっただけのことはあるのだと夫とふたりで頷きあう。
ふたりで頑張ったご褒美に今夜はステーキを奮発した。 とても美味しくてなんだか身体のそこから元気が湧き出してきそう。
「また明日からも頑張ろうな」夫の笑顔が私の春になる。
一昨日早咲きの桜を見つけたばかりだけれど
今日の散歩道ではつくしの坊やたちを見つけた。
まだ赤ちゃんみたいな坊やたち。ちいさな頭が可愛い。
おひさまがお母さんみたいにみんなで空を見上げている。
ぼくたち生まれたんだよって口々に声をあげているよう。
みんなの頭を撫でてあげたい。えらかったねってほめてあげたい。
だってすごくすごく寒かったんだもん。そして頑張ったんだもん。
雀色の枯れ草をかきわけるようにやがて緑があふれますように。
優しいおひさまがいっぱい愛してくれますようにと手をあわす。
つくしの坊やたちはとてもしあわせそうに微笑んでいる。
ぼくたちを見つけてね。ほらこんなにいっしょうけんめい生きているよ。
散歩からの帰り道、ふと見上げると桜の花が咲いていた。
昨日も通った道なのにどうして気づかなかったのだろう。
「ごめんなさい」と「ありがとう」を重ねては手を合わす。
早咲きの桜は寒さをのりこえていち早く春を知らせてくれる。
ほっとこころをあたたかくしてくれて優しい気持ちにさせてくれる。
どんなに寒くても、もうだいじょうぶよってささやいているようだ。
るんるんらんらん。スキップするように軽やかに歩きながら帰った。
空に向かって大声でさけびたくなる。さくらがさいたようって。
みんなに聞こえるといいな。ねえ耳を澄ましてその声をきいてね。
朝は曇っていたけれどやがて陽射しが降り注ぐようになる。 冬のおひさまは頑張り屋さん。すごくすごく一生懸命なんだもの。 それはとてもありがたいこと。がんばれがんばれと応援したくなる。
今日は夫が通院日だったため川仕事はお休み。 山里の職場が気掛かりでならず駆けつけて行った。 母に連絡もせずに突然行ったものだからびっくりさせてしまったけれど。 「わぁ、良かった」と、とても喜んでくれて私も嬉しかった。
もうすぐ75歳になる母は会うたびに小さくなったように思う。 たくさん苦労を重ねてきてその苦労をそのまま背負っているように見える。 あっけらかんとふるまっているけれど、どんなにかしんどいことだろう。 「無理をしないでね」と私が言っても、私がいなければそうせずにはいられない。 それを思うと心苦しさが込み上げてきて申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「また突然に来てよね」って母。「うん、またね」と笑顔で帰って来た。
帰宅して洗濯物を取り入れていると、ブロック塀の隙間から野スミレの花が。 咲いたばかりなのだろう。まだちっちゃいけどすごく可愛い。
我が家には土の庭がないけれど、わずかな隙間でしっかりと生きている命。 野スミレは毎年春を知らせてくれるありがたい花だった。
ありがとうねと手を合わす。野スミレは西日を受けてにっこりと微笑む。
ここ数日、朝は真冬の寒さが続いている。 まさに「春は名のみの風の寒さや」ではあるけれど、 日中の陽射しはありがたくおひさまに手を合わしたいほどだった。
早朝から川仕事に出かけ、帰るなり海苔を天日干しにする。 猫の手も借りたいほどの忙しさにもずいぶんと慣れてきた。
「猫ちゃん欲しいよね」と私がおどけて言うと 猫の嫌いな夫も「野良猫でもいないかな」なんて笑い合う。
微笑み合えば疲れも忘れほっとしあわせな気分になれる。
午後からは出荷の準備などがありゆっくりと休めなかったけれど。 私は忙しいのが好きだなと思う。なんか張り合いがあって良いな。
干してある海苔を取り入れる前にちらっと散歩に出掛ける。 北風が強くって土手に上がると身震いするほど寒かったけれど。 くんくんとあんずがおしえてくれたのは蓬の緑だった。 雀色に染まっていた土手にもそうして少しずつ緑が萌え始めている。 もう少ししたら土筆の坊やたちも頭を出してくれるかもしれない。 そう思うとなんだかわくわくとしてきて寒さも気にならなくなった。
お大師堂に着いてびっくり。二週間ほど前に再会していたお遍路さんがいた。 山梨出身のMさんとはすっかり顔なじみの仲良しさんだった。 今回は逆打ちで土佐久礼まで行ったものの風邪で熱が出てしまったとのこと。 ゆっくりと身体を休める場所もなく必死の思いで来た道を戻って来たそうだ。
どんなにかしんどい思いをしたことだろう。 それでも我が家を目指すように戻って来てくれた事が嬉しかった。
職業遍路さんにとってお大師堂が「我が家」なのかもしれない。 唯一くつろげる場所なのかもしれなかった。
そんなMさんを労わることしか出来なかったけれど 風邪薬や夕食やいろんなことを考えたのだけれど 休ませてもらえるだけで良いのだと言ってきかないMさんだった。
自分に出来ることは。ほんとうにちっぽけなことばかり。
昨日とはうって変わって今日は冷たい雨になる。 まさに三寒四温の季節なのだろう。 寒さを受けとめながら心は春に向っている。
「受けとめる」ことが昔はとても苦手だったように思う。 どうして?どうして?と問い詰めながらぐるぐるともがくばかり。 その頃を思うと自分も少しだけ成長したのかもしれない。
思い起こせばいろんなことを受けとめてきた。 悲しいこと、辛いこと、どうしようもできないこと。 受けとめることが出来ればずいぶんと心が安らぐことを知った。
けれどもまだまだあっけらかんと生きていくのはむつかしい。 あとどれほどの人生なのかわからないけれど日々が成長と思いたいものだ。
お大師堂に今日は水を持って行く。 水道が無いためペットボトルに水を入れて備え付けてあるのだった。 以前は何本もあったペットボトルも今では殆どが空っぽ。 いつも水を運んでくれていたおばあちゃんが一昨年亡くなってしまったのだ。 誰かが代わりをしなくてはいけないのなら自分がしよう。 そんなだいそれたことではないけれどほんとうにささやかなことだった。
先日から逗留しているお遍路さんと、今日はもう一人若い青年が来ていた。 開口一番に「おばちゃん」と呼ばれて一瞬ドキッとしたけれど。 息子と同じくらいの年だから確かにおばちゃんだなと納得して微笑む。 人懐っこい感じの好青年でもっとたくさん話したいなって思った。
明日は晴れの天気予報。二人のお遍路さんはまた歩き出すそうだ。
いつもいつも旅の無事を祈っている。それが私の役目のように。
二十四節気の「雨水」 北国ではまだ雪深い日々が続いているけれど そんな雪が少しずつ雨に変わってくれたら良いなと願う。 「立春」「雨水」「啓蟄」と続く節気にただただ春を待つばかり。
全国的な寒さをよそに四万十は暖かな雨の一日となった。 これも恵まれていること。優しい雨に感謝しなければいけない。
早朝、夜明けを待ちかねるように川仕事に出かけた。 雨合羽のふたりだったけれど少しも苦を感じずに済んだ。 海苔の生育も随分と良くなりそれがいちばんの励みに思う。
朝が早い分、午後はのんびりと過ごすことが出来る。 買物に行ったり、後は炬燵でうたた寝をして過ごす。
散歩の時間になると雨もやんでいた。 お大師さんにお供えするお菓子を持って出掛ける。 「かりんとう」はお大師さんの大好物だった。
お大師堂には一昨日から逗留しているお遍路さんがいてくれて。 物静かな人だけれど今日も笑顔で迎え入れてくれた。
歩き始めてもう三年が経つという。 私もご縁をいただきすっかり顔なじみになっていたけれど。 どうして「職業遍路」の道を選んだのか訊くことは出来なかった。
いつか話してくれる日もくるのかもしれないけれど。 笑顔でそっとあたたかく接するのが自分の役目のようにも思う。
「かりんとう食べてくださいね」そう言うとにっこりと笑顔がかえってくる。
晴れのちくもり。明日はまた雨になりそうだ。 一雨ごとに春らしくなるだろうと信じて雨を待っている。
娘の熱がやっと下がり、昨夕孫の綾菜を送り届けてきた。 預かっていたあいだの四日間どんなにか母親が恋しかったろうに 幼心に何かを感じていたのだろうかとても健気でいじらしい程だった。
母親に抱かれるなり顔をうずめるように甘えている姿は微笑ましく 同時に私たちの役目は終ったのだなと少し寂しさをおぼえた。 大忙しで大変な四日間だったけれどなんと嬉しい日々だったことか。
昨夜は布団に入るなりほろほろと涙があふれて止まらなかった。 すやすやと寝息をたてていた綾菜がもう隣にいないのだもの。
そうしてまたふたりきりのいつもの日常がかえってくる。 楽になったねと夫と話しながらなんとなく物足りなさを感じていた。
けれどもそうして平穏な日々がまた始まるのだと思う。
どうかみんなが元気でいてくれますように。
手を合わせ祈り続ける日々が続くのだった。
娘のサチコ。元気になったかなと思っていたら今度はインフルエンザ。
それは大変と孫を預かっているけれど大忙しの日々が続いています。
落ち着いたらまた日記を再開したいと思っています。
いつも足を運んでくださる皆さま。ありがとうございます。
バーバもジージも昔々を思い出して子育てに奮闘しています。
曇りのち雨。なんとも肌寒く冷たい雨だった。
雨にならないうちに川仕事を終えられほっとする。 作業場で昼食をとることになりおにぎりを買いに行く。 すぐお隣がコンビニなのでとても便利で助かっている。
レジでお金を払おうとしたら美味しそうな豆大福が。 買ってくださいよと言わんばかりに微笑んでいるではないか。 ごくんとつばを飲み込んだ途端ぱっと手を伸ばしていた。
久しぶりに食べた豆大福の美味しかったこと。 アゴが落ちるという表現がぴったりだと思う。 そうしてすごく幸せな気分になっていた。
作業が終るのを待っていたかのように雨が降り始めた。 あんずがぐっすりと寝ているのを良いことにして 今日のお散歩はお休み。また明日があるさって思った。
お大師堂のお参りも休めば良いさと夫が言ってくれたけれど どうにもそわそわと落ち着かなくてクルマに飛び乗って行った。
蝋燭の灯りが見える。お遍路さんかなと思ったけれど そっと窓から覗いてみると親戚のおばちゃんが一心にお経を唱えていた。 邪魔をしてはいけないとその後姿に重ねて私も一緒にお参りをする。
そうしてお経を唱え終えたおばちゃんに声をかけてみた。 遠くに住むひ孫さんが病気なのだそうだ。 「わたしゃあおがむことしかできんけん」その気持ちがすごくよくわかる。
「きっときっと治るけんね」「大丈夫よおばちゃん」
88歳のおばちゃんはほっとしたように微笑んでくれた。 そうして二人でお大師さんからお菓子をいただいて一緒に食べた。
私の願いごとなどほんの些細なこと。それでも祈らずにはいられない毎日。
夕方、娘の元気な声をきいた。守ってくれてほんとにありがとう。
風は冷たいけれど陽射しは春のにおいがする。 「どこかで春が生まれてる」そんな歌を思い出した。
忙しさについ心のゆとりをなくしてしまっているのかもしれない。 散歩道を急ぎ足で歩きながら、なんだか苛立っているなと感じた。 寄り道をしたがるあんずを叱ったりしていけない母さんだったね。
ゆったりとしたきもち。大らかなきもちがたいせつ。 立ち止まって深呼吸をしてみるのも良いのかもしれない。
夕方、娘から電話があり熱が出てしまったとのこと。 綾菜の世話もままならない様子ですぐに駆けつけて行った。 しんどそうに臥せっている娘のそばでおりこうさんの綾菜。 その笑顔にどんなに救われたことか。抱き上げて頬ずりをする。 夕食を食べさせてしばらく遊んでから帰って来たけれど。 娘の熱が早く下がりますように、なんとも心配でならなかった。
先日の綾菜の熱と言い、このところ家族の健康がとても気になる。 毎日、毎日手を合わせていてもいつ何が起きるのやらわからなかった。
けれども、どんな時もあるもの。そう受けとめていかなければいけない。
春になれば。ばくぜんとそう思う。
春になれば嬉しいことがきっと待っている気がする。
みんなが元気になっていつも笑顔でいられるのにちがいない。
春よこい。はやくこい。どこかで春がきっと生まれているよ。
午後六時。茜色に染まる空をぼんやりと眺めていた。 カラスはお山に帰ったかしらなんてふと思ってみたり。 ずいぶんと日が長くなったねと夫に語りかけてみたり。
とんとんとんと順調に平穏無事だった一日が暮れていく。 おひさまは微笑みながら「また明日ね」とゆびきりげんまん。
幸せだなってしみじみと思う。生きているんだなってすごく感じる。
今朝は川仕事をしながらすごくちっぽけなことにこだわっていた。 なんでもないことなのにどうしてこんなに気になるのだろう。 考えないでいようと思ってもどんどんとそれが押し寄せてくる。 嫌だなってすごく思った。気にしない、気にしない呪文のように唱える。
きっと私はすごく欲張りなんだなって思った。 特にひととかかわる時、必要以上に「縁」を深めたがる悪い癖がある。 もしかしたら不愉快な思いをさせてしまったのではないか。 そのひとは距離を置きたがっているのではないか。 そうだとしたらこれ以上近づいてはいけない気がする。 たちまち臆病になってしまって声もかけられなくなってしまった。
「去るものは追わず」と言うけれど、それは簡単なことではない。 10年来の友人だと信じていた。それは自分の思いあがりだったのだろうか。
込み上げてくる寂しさを受けとめながら、自分を戒めている。 そうして「もうじゅうぶんではないか」と言い聞かしたりしている。
日常のほんの些細なこと。そうそれはほんとうにちっぽけなこと。
それよりもたくさんの縁に恵まれていることに感謝したいと思う。
「足るを知るは最上の富」と言うではないか。
予報どおりに寒さ厳しい朝となる。 つかの間の春らしさを味わった後はやはり寒さが身に沁みる。 けれどもこれも春に向うための試練のようなものだと思えば しんぼう、しんぼうできっと乗り越えていけるはずだった。
ほぼ満開の梅の花。畑を彩る菜の花。野にはたんぽぽが咲き 春がいっしょうけんめいにささやいているのが聞こえる。
桜の季節はまだ遠いけれど「寒さなければ花は咲かず」 冬枯れたように見える桜木も寒さを糧に生きていることだろう。
今日も夜明けとともに川仕事に精を出す。 ほんの少し寒さを感じたけれど、すぐに身体がぽかぽかとしてくる。 程よい疲れと達成感がとても心地よく感じた一日だった。
やればやっただけのことはあるぞ。夫の言葉に私もうなずいていた。
自然相手の仕事には厳しさもあるけれどそのぶん喜びも大きい。 恵まれていることに感謝しながら明日も頑張りたいと思う。
夕暮れて決して豪華ではない夕食をふたりで囲みながら。 それでも美味しそうに食べてくれている夫の顔が観音様のように見えた。
口には出せないけれどそんな夫の笑顔にそっと
「ありがとうね」って手を合わす。あしたもそばにいてね。
ずっとずっとそばにいてね。おとうさん。
目覚まし時計が鳴らなくて一時間も寝過ごしてしまう。 おかげでばたばたと大忙しの朝になった。
昨夜の津波注意報は大事に至らなくてほんとうに良かった。 こうして救われること。天に感謝せずにはいられない。
夜明けを待って船着場へ向い、陸にあげていた船をおろす。 今日も無事に漁に出られる。なんだか奇蹟のように思えた。
娘からメール。綾菜も今日は託児所に行けたようだった。 結局発疹は出ないままでただの知恵熱だったのかもしれない。 どちらにせよ快復してほんとうに良かったと胸を撫で下ろす。
そうしていつも通りに始められる一日はほんとうにありがたいことだった。
気がつけば、何も起こりませんように。平穏でありますようにと。 祈り続けている自分がいた。平凡がいちばんの幸せだとつくづく思う。
午後は久しぶりにのんびりと過ごす。 ばたばたと気忙しい日が続いていただけに、贈り物のような時間だった。
お大師堂で顔なじみのお遍路さんと再会。 あんずと遊んでくれてあんずも大喜びだった。
つかの間の事だったけれどそこには笑顔があふれていた。
そのあふれんばかりの笑顔を胸に、すくっとまた明日に踏み出していこう。
2013年02月06日(水) |
試練があるから人生はたのしい |
雨上がりの朝。暖かさもそのままでありがたいことだった。 天気予報では週末にかけてまた寒波がやって来るらしい。 また寒くなるのかと思うとなんだかしょんぼりとしてしまう。
夜明けを待ちかねて川仕事に出かける。 やっぱり二人だと楽だなと夫が言ってくれて嬉しかった。 収穫も少しずつ増えてくる。それがとても励みにおもう。
川仕事を終えるなり今度は山里の職場へと駆けつける。 パニック状態だった母を少しでも手伝えて良かった。 自分が必要とされている。それはとても嬉しいことだと思う。 ゆっくりと休みたい気持ちも少なからずあるけれど。 「掛け持ち」が出来る日にはこれからもそうしたいと思った。
山里の梅もきれいに咲き始めていた。白い花、紅い花。 小鳥たちのさえずりも聞こえのどかな風景が目に沁みる。
帰宅すると「津波注意報」が待っていた。 同業者の従兄弟達と船着場へ行って川船の管理をする。 船はきっと大丈夫。でも海苔は危ないかもしれない。 みんな一様に不安顔を隠せなかった。 どうか無事でありますようにひたすら祈るしかなかった。
そうなったら仕方ないさ。夫はいつも冷静でいるけれど。 私はどうしても冷静にはなれない。そうなったらもうどん底だ。
自然の恵みを受けながらも自然は怖いなとつくづくと思う。
津波到着時間をとっくに過ぎたいま。やっと心が落ち着いてきた。 もう大丈夫なのかもしれない。そう信じて眠ることが出来そうだった。
孫の綾菜の様子も気になり娘に電話してみたら。 熱は平熱に下がったもののひどく機嫌が悪く一日中ぐずっていたようだ。 発疹の前兆かもしれず心配しないようにと伝えたけれど。 今すぐにとんで行って抱っこしてあげたい気持ちでいっぱいになった。
日々いろいろとあるけれどすべてがあたえられた試練。 そう思うとひとつひとつのことがありがたく思えてきた。
試練があるから人生はたのしい。生きているだけで丸もうけだと思うことにしよう。
曇りのち雨。静かな雨音が耳に心地よい夜になった。
節分、立春と続き春の足音を耳を澄ますように待っている。 冬は駆け足でやって来たけれど、春は少し遠慮がちにゆっくりと忍び寄る。 だからこそ耳を澄ませてあげなければいけない。 気づいてあげなければいけないことがきっとたくさんあるだろう。 ささやくような春の音。今夜の雨にも春の息遣いが聞こえる。
孫の綾菜、ちょうど生後9ヶ月の日曜日。 午後から急に40度近い高熱が出てしまって皆で大騒ぎとなる。 病院もお休みでどうしようもなく座薬で様子を見ることになった。 高熱のわりに機嫌が良く食欲もあるのが幸いだった。 私は「突発性発疹」ではないかなと思っていたらその通り。 翌日病院へ連れて行くとインフルエンザではないとのことで。 熱が下がると発疹が出るはずですとお医者様から言われて帰って来た。 娘は仕事が休めず、バーバ初めての小児科の務めを無事に終えられた。
昨日、今日とお守りを頼まれて「まかせなさい」と頑張っていた。 座薬を使わなくても熱が少しずつ下がっているようでほっとする。 完全に平熱に戻れば発疹が出てくるだろう。もう一息だった。
明日は娘がやっとお休みをもらえてバーバはお役御免となった。 どうか熱が下がりますように。発疹が出てくれますように。 そればかりを祈りつつ手を合わせている。
この二日間、夫は一人で川仕事を頑張っていた。 明日は二人で頑張ろうねと。夫の背中に手を合わすような気持ちでいる。
いつ何があるのかわからない日々だけれど。
どんなこともきっと乗り越えられる。そう信じて突き進んで行きたい。
2013年02月02日(土) |
だって生きているのだもの |
なんと最高気温が20度。びっくりするような暖かさとなる。 つかの間のこととわかっていてもそんな春らしさが嬉しくてならない。
薄っすらと汗を流しながら川仕事に精を出す。 今日も収穫はわずかだったけれど積み重ねていくことが大切に思った。
午後、山里の母より仕事の事で電話がある。 忙しい最中に長期の休みをもらったことがとても心苦しい。 母の声も苛立っているようにきこえる。 そんな声をきくと自分も苛立ってしまうのだった。 それではいけない。なんとしても丸くおさめなくては。 夫と相談して近いうちに半日だけ手伝いに行くことにする。 二束のわらじを履けないのであれば、一足ずつかわりばんこに履けば良い。 そう思うとずいぶんと気が楽になった。だいじょうぶ。やればできる。
夕方になり今度は夫が発熱。私の風邪がうつってしまったようだ。 すっかり風邪の巣になってしまった我が家だけれど、 熱なんかに負けるものか。明日も頑張るぞと夫は気合で治すと言う。
つくづくと思うのは平穏無事のありがたさ。 日々いろんなことがあるけれど、それは生きているあかしでもある。 トラブルもあればアクシデントもあって当たり前なのだと思う。
私はどんな日であっても手を合わせて感謝したいと思っている。
だって生きているのだもの。それがどんなに幸せなことだろうか。
曇りのち雨。今日も暖かくありがたいことだった。 降り始めた雨もまるで春雨のように静かでやわらかい。
二月が始まったのを区切りのように今日から海苔の収穫を始める。 生育は決して順調ではないのだけれど、どんな年もあるもの。 自然の恵みに欲は禁物であり、充分なのだと思う気持ちを大切にしたい。 毎日少しずつの収穫になりそうだけれど、「こつこつ」と努力する。 その努力がきっと実を結ぶだろうと信じて精を出したいと思う。
川仕事を終えるなりすぐ近所に住む姑さんの様子を見に行った。 つい先日まで畑仕事を頑張っていたのだけれど 腰痛が急に酷くなり動くこともままならぬ状態になってしまったのだった。 初めてのオムツにどんなにか抵抗があったことだろう。 それでも姑さんは泣き言ひとつ言わずベットに横たわっていた。
「きっと良くなるよ、また畑にも行けるよ」って励ますと。 にっこりと微笑んで「ありがとうね」って応えてくれた。
息子である夫は、もう寝たきりになるかもしれないなと言っているけれど 私はそうは思わない。人一倍勝気で頑張り屋さんの姑はきっと復活する。
そう信じてこれからも見守りながら励ましてあげたいと思っている。
家族みんなが平穏無事にとこれまでどれほど手を合わせてきたことか。 けれども思うようにいかないことがこの世にはたくさんあるのだと思う。
それでも私はずっとずっと祈り続けたいと思う。
それが自分に出来ること。使命のように思って今日も手を合わせた。
お大師さん、どうかどうかみんなをお守りください。
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