心配していた台風は土佐沖を通過したようで たいした被害もなく午後には爽やかな青空が広がった。 難を逃れたとはいえやはり進路が気になってならず どうかどこにも大きな被害がないようにと祈るばかり。
台風が残していった風が吹き荒れる中、いつもの散歩に出かける。 土手の草花たちが緑の波のように大きく揺れていた。 「いのち」が揺れているとふと思う。とても力強く逞しいいのち。
お大師堂には誰かがお参りに来ていて窓から蝋燭の炎が見えた。 しばらく外で待っていたけれどずいぶんと熱心にお経を唱えている様子。 急かすのも気の毒に思えてそっと外からお参りをすることにした。
帰ろうと思ったその時、扉が開いてそのひとに会うことが出来た。 私とさほど歳の変わらないくらいの女性が出て来て挨拶を交わす。 見かけない人だったので地区の人ではなさそうだった。 何か願かけをしているのかもしれず、立ち入った話しは出来ない。 また偶然に会える日もあるだろう。後姿にそっと手を合わした。
夕暮れてあたりが薄っすらと暗くなってきた頃。 今日が「十五夜」であることを思い出しまた土手に上がってみる。 そうしたらちょうど綺麗なお月様が顔を出したところだった。
まんまるお月さま。ほんわかとわたしのこころもまるくなる。
台風17号が不気味に接近していて、明日あたりから影響が出そうだ。 どんなにあがいても自然には逆らえないものだけれど、 どうか大きな被害が出ませんようにとただただ祈るばかりである。
今日はありがたいことに晴天に恵まれていた。 いつもの散歩に出掛けようとしていたところ、 またまた先日のロケ隊が今度は土手で撮影を始めていた。 土手に上がる道はどこもかも通行止めになっていて、 お大師堂のすぐ近くまで行ったものの先に進めなくなった。
ADさんらしき若い青年がいて私はちょっとオバタリアン化。 とにかくすぐそこなので行かせて欲しいと頼んだのだけれど、 土手を横切られては困るからとひたすら頭を下げられる。 「どうして?犬を連れた人が歩いていたら駄目なの?」 それはとても自然な光景に思えた。映ったって良いではないか。 どんなにおばさんだってちらっとテレビに映る権利はありそう。
言い寄る私に青年はとても困った顔をするばかり。 さすがの私もそれ以上は言えなくて仕方なくきびすを返した。
テレビドラマっていつも何気なく見ているけれど、 地方ロケなどをする時はほんとうに大変なのだなと思った。
私のように言いがかりをつける人も少なからずいるだろう。 私も今日は言い過ぎたのかもしれないとちょっと反省をした。
家に帰り二階の自室の窓から撮影の様子をしばらく見ていた。 今日は桐谷君ではなく誰だかわからない女優さんが来ていた。 ドラマが始まったらこれがあの時のシーンだとわかることだろう。 楽しみだなと思う。私の散歩道がドラマの風景になるなんて最高だ。
夕食後、もう薄暗くなっていたのでお大師堂に行くのを諦める。 「行けない日があっても良いじゃないか」夫の言葉にうなずいていた。
何にもこだわっていないと思い込んでいたけれど、
今日の私はすごくこだわっていたのだなとあらためて感じた。
どんな日もあってよし。そう思うことはとても大切なことだ。
2012年09月27日(木) |
そしてバーバは途方に暮れる |
いかにも秋らしい爽やかな晴天。 日中の気温は少し高めだったけれど、 湿度が低いせいか暑さを感じることはなかった。
予定通りに川仕事を無事に終える。 まだまだ次の作業が待っているけれどしばらくはお休み。 「こつこつ」という言葉がよく似合うなと思う。 準備にしろ収穫にしろ辛抱強く少しずつ頑張るしかない。 やったらやっただけのことはある。達成感はとても心地よいものだ。
午後は例のごとくごろごろとしていたのだけれど、 思いがけず娘がやって来て少しのあいだ綾菜を預かることになった。 上機嫌の綾菜。あーうーと声を発しながら玩具で遊び続ける。 夫とかわるがわる声をかける。ジージの顔もほころんでいた。
ミルクを飲んでお腹がいっぱいになると少し眠くなったようだ。 ぐずり始めてから母親のいない事に気づくのがいつものパターン。 バーバの抱っこでは気に入らなくてまたまた大泣きになってしまった。
例の子守唄も今日はあまり効き目がない。 途方に暮れるバーバ。なんとかして寝かしつけようと奮闘する。 そのうち腕の力もなくなりへたり込んでしまった。
もう限界と思ったその時、タイミング良く娘が帰って来てくれる。 そうして綾菜を抱っこしたとたんぴたっと泣き止むのだった。
その満足げな顔。お母さん大好きって胸に顔をうずめている。 眠いよう眠いようと甘えているのが一目でわかる瞬間だった。
またおばあちゃんと遊んでくれるかしら。 どんなに泣かれても綾菜と過ごす時間がいちばん嬉しいなあって思う。
お隣の庭に色とりどりのコスモスが咲き始めた。 背高のっぽのコスモスは我が家のブロック塀越に顔をのぞかせ。 家のなかにいても窓から見えるのでとても嬉しくなるのだった。
私のいちばん好きな花。特に白いコスモスが好きでならない。 今年も咲いてくれてありがとう。風と一緒に私もささやいてる。
今日は早朝より川仕事だった。 先々週から始めていた作業だったけれど潮の満ち引きに左右されて、 途中から中断していたのをまた再開したのだった。 二人ですごく頑張ったかいがあり明日でなんとか終りそうである。 心地よい疲れに酔うように午後からはまったりと過ごしていた。
午後四時、散歩の時間。陽射しが思いのほかきつくて汗ばんだ。 けれども土手に上がれば爽やかな風が吹き抜けていて気持ちよい。 きらきらと眩しいほどに光る川面。空を映して真っ青な水の流れ。
こんな道を歩けることが幸せでなくてなんだろうと思った。
自分は恵まれているんだなとつくづくと感じる。
ささやかなことだけれどいつだって感謝の気持ちを忘れないでいたい。
雲ひとつない抜けるような青空。 思わず深呼吸をしたくなるような朝だった。
土手を二台のワゴン車が通り抜けていくのが見えた。 もしや?と思ったその勘が大当たりをして、 なんとすぐ近くの河川敷でテレビドラマのロケがあるようだ。
洗濯物を干すのを後回しにして土手を駆け上げって行った。 するともうそこにはたくさんの野次馬が集まっていて いったいどうやって情報が流れるのだろうと不思議に思う。 そう言う私も野次馬の一人、スタッフの人に注意までされた。
好奇心旺盛な私は誰が来ているのだろうと気になってしょうがない。 けれどもそれ以上は近寄れずなんとももどかしい気分でいっぱいだった。
誰かが「桐谷君だ!」って叫んだ。 龍馬伝にも出ていた桐谷健太君がそこにいる。 私も好きな俳優さんだけに胸が少女のようにときめいていた。 もっと近くで見たい、駆け寄って行けたらどんなに良いだろう。
その時ポケットのケイタイが鳴り響き、夫が「何してるんだ!」と怒鳴る。 いつだってそう。コノヒトはワタシのジャマをするヒトだった。
しぶしぶと途中で切り上げてきてプンプン怒りながら洗濯物を干した。 出勤時間はもうとっくに過ぎている。夢中だったのだもの仕方ない。
けれどもなんて素晴らしい朝だったことだろう。 つかの間ではあったけれど朝からとても良いことがあって嬉しかった。
ドラマはフジテレビ系の「遅咲きのヒマワリ」 10月23日火曜日の9時から始まる新番組である。 四万十を舞台に繰り広げられる若者たちの物語に乞うご期待あれ。
散歩道の野菊がとても愛らしい。 つい先日まではぽつんぽつんと咲いていたけれど 今ではまるでお花畑のようにたくさん咲いている。
そんな野菊と肩よせあって微笑んでいる猫じゃらし。 ふたりはとても仲良しさんのようだ。 ススキの青年はちょっと澄ました顔をして ふたりのことをそっと見守っているみたいだ。
恋をしていたのかもしれないなって思うのはきっとそんなとき。
わたしはずっと忘れていたことをふっと思い出す。
永遠だなんて言ったあのひとはきっと後悔していることだろう。
ずいぶんと遠いところまで来てしまったのだな。
夕焼け雲を描いたのは誰?応えようとしない空のことが好きかもしれない。
朝の肌寒さがおひさまにほんわかとつつまれていく。 いつのまにか残暑という言葉は似合わなくなった。
近くの小学校では運動会が行われていて。 音楽やマイクの声が秋風にのって聴こえてくる。 子供達の小さかった頃を思い出して懐かしいなって思った。
そんな子供達が昨夜は我が家へ帰って来てくれて、 わいわいとにぎやかに焼肉パーティーをした。 終始ご機嫌の綾菜も交えてほのぼのと楽しい夜になる。 家族のありがたみをしみじみと感じたことだった。
今夜はひっそりと静か。ただ秋の虫達だけが歌い続けている。 ふと何かを考えようとして夜風にそれを放そうとしているいま。
ぼんやりとしているのも良いかもしれないと思いながら。 焼酎のお湯割りでほんのりと酔っていく自分が心地よかった。
言葉がどんどん逃げていく。きっとそれはどうでも良いこと。
夜風が気持ちよいな。もう一杯飲もうかな。
曇り日。気温も低目で半袖では肌寒いほどだった。 こんなふうに秋は一気に押し寄せて来るものだろうか。 なんだかふっと夏の忘れ物をさがしている自分がいた。
しばらくの間お休みをいただいていた山里の職場へ行く。 昨夜の夢に見たのはたくさんの仕事のやま。 それが正夢になって今日はとても忙しかった。
私がいなくても大丈夫といつも言っている母だったけれど、 話し相手が欲しかったのだろうか、堰を切ったように話し出す。 相槌を打ちながら仕事をこなす。それもまた微笑ましいひとこま。
職場の庭には「紫式部」の実がこぼれんばかりに鮮やかだった。 母も私も好きな木。ちいさな紫色の実がとても愛しい。
そうして白い彼岸花。今年もちゃんと咲いてくれて嬉しかった。 いつのまにか秋。そっと見守ってあげたいような秋がそこにある。
ありがとうねと言えばありがとうねと応えてくれる。
母の笑顔に見送られて家路に着いた。
山里はいつだって私のふるさとなのだなとおもう。
彼岸の入り。今朝は肌寒さで目が覚めた。 朝晩の涼しさが日に日に増し深まる秋を感じている。
お大師堂で顔なじみのお遍路さんと再会する。 四ヶ月ぶりだったのでとても懐かしく感じた。 身体を壊したのではないかと心配していたけれど、 ゆっくりのんびりとお遍路を楽しんでいたようでほっとした。
彼岸の入りだからとお大師さんにたくさんお供え物をしてくれていた。 お大師さんもどんなにか喜んでいる事だろう。ありがたいことだと思う。
次に会える頃にはもう真冬になっているだろうか。 どうかお元気で。お互いが手を合わしながら笑顔で別れを告げた。
昼間は綾菜の検診に付き添い。心配していた首のすわりも大丈夫とのこと。 この二週間で体重も400g増えていて順調に育っているのが何より嬉しい。
たくさん抱っこをさせてもらった一日。バーバ幸せの巻でした。
2012年09月18日(火) |
ねんねんころりよおころりよ |
雨も風もやっとおさまり久しぶりの青空になった。 晴れたら晴れたでまだ残暑が厳しく感じられたけれど、 あちらこちらに彼岸花も咲き始めてやはり秋だなと思う。
お昼前に娘がやって来て午後から綾菜のお守りを頼まれる。 友達とテレビドラマのロケを見に行くのだとはしゃいでいた。 たまには息抜きも必要、夕方までの約束をして綾菜を預かる。
寝かしつけてからいそいそと出掛けて行ったのだけれど、 10分もしないうちに目を覚まし大声で泣き出してしまった。 母親がそばにいない事を知っていているからよけいに泣くようだ。
抱っこしてあやすこと一時間、さすがのバーバも泣きそうだった。 そうだ子守唄を歌ってみよう。ねんねんころりよおころりよ。 あやちゃんのおかあさんはどこ行った。あの山越えて里行った。
10回くらい繰り返しただろうか、やっと綾菜が眠り始める。 子守唄というからには耳に心地よく響くのかもしれない。 バーバもやるもんだなとちょっと悦に入ったりしていた。
よほど眠かったのだろう。ちいさな身体が大きく波打っていた。 そうして時々寝言のような声を出す。その声がなんとも微笑ましい。
ぐっすりと眠ったからと言って目を離すわけにもいかず、 添い寝をしながら昨日の続きの本を読んでいた。
娘が帰宅した時もまだぐっすりと眠っていたけれど、 そのまま連れて帰ると言って今度はチャイルドシートに寝かせた。
見送る時はいつもはらはらとする。わずか10分の距離でも心配になる。 そうしてその後はどっと寂しさがおそってくるのだった。
「また明日ね」と娘。そうだった、明日は先日の検診の再検診に行く日。 今度もバーバは付き添いを許されて朝から娘の家に行く約束をしている。
またすぐに会えるのに寂しいなんて欲張りなバーバだね。
台風の影響で悪天候となる。時折り地面を叩きつけるような雨。 昨夜の強風でお隣のノウゼンカズラの木が無残にも折れてしまっていた。 まだ夏の名残の花を咲かせていてとても好きだった木だけに残念でならない。
川仕事はお休み。敬老の日の祝日をのんびりと過ごす事が出来た。 母はどうしているかしらと電話してみたらパチンコに夢中の様子。 いつも忙しくしている母の唯一の楽しみでもあった。 老人などと言ったら怒られてしまうけれど趣味に没頭できて良かったなと思う。
私はと言えばほんとに久しぶりに文庫本を開いてみた。 この一年ほど眼の疲れがひどく読書から遠ざかっていたけれど。 買ってから読んでいない本がたくさんたまっていたのだった。
案の定、読み始めて5分もしないうちに眼の奥が痛み始める。 けれども読み始めた本のなんと面白いこと。先が気になってしょうがない。 目薬を差しながらとうとう一日中読み続けてしまった。
もともとの読書好き。多少の眼の疲れなどにへこたれるわけにはいかない。 これからも少しずつ好きな本を読み続けようと心に誓ったのだった。
歳とともに出来ていたことが出来なくなるのがほんとに悔しい。 そうしてだんだんといろんなことを諦めていく自分がそこにいた。
出来ない事はしょうがない。けれども出来るかもしれない事がきっとある。
10年後、20年後、老眼鏡のお世話になりながら本を読む私が見えた。
台風の影響だろうか湿った南風が吹き荒れる。 雨はそれ程でもないけれど早く遠ざかって欲しいものだ。
午前中になんとか川仕事を終え、午後からはのんびりと過ごす。 いつもは茶の間のソファーでうたた寝をするのだけれど、 今日は和室の畳の上で大の字になって寝転んでいた。 畳って良いものだなと思う。さらりっとした感触が心地よい。
散歩の時間にはちょうど雨が降り出してしまって。 ついつい怠け心がおきてしまってクルマでお大師堂へ行く。 今日はお参りのおばあちゃん達も来れなかったのだろうか。 鈴カステラがそのままあってちょっと寂しい気分になった。 けれども日めくりの暦はちゃんと16日の日曜日になっていた。 私と同じように毎日必ずお参りに来ている人がいる証拠だった。 顔は見えないけれどお仲間さんがいるのはとても嬉しいことである。
帰宅すると雨も小降りになっていたので、犬小屋のあんずを誘ってみる。 雨の嫌いなあんずだけれど今日はどうやら行きたい気分のようだった。 気まぐれなところは飼い主によく似ている。よういどんをして走り出した。
あんずが元気だと私も元気になる。いっぱい長生きをしようねと誓い合う。
川仕事を済ませて帰って来るなりどしゃ降りの雨になる。 雨音を聴きながら茶の間でまったりとするのも良いものだ。
そんな雨も夕方にはやみいつものように散歩に行くことが出来た。 お大師堂にまたお菓子をお供えする。今日は「鈴カステラ」にした。 たぶんこれもお大師さんの好物だと思う。嬉しいような愉快なような。 先日の「かりん糖」もすぐに無くなっていて、あらまあって思ったっけ。
お大師さんの顔をしたおばあちゃん達の顔が目に浮かぶけれど。 喜んで食べてもらえるのがいちばん嬉しいことだった。 「鈴カステラ」の次は「栗しぼり」にしようかなと考えるのも楽しい。
そう言う私もこのところすっかり食欲の秋だった。 夫の買って来てくれたバウムクーヘン、チョコレートケーキ。 甘い物の苦手な夫の代わりに全部ひとりで平らげてしまった。 それから頂き物の梨。毎日一個と決めてむしゃむしゃ食べている。 好きな物を食べたいだけ食べられるというのはほんとに幸せだことだ。
体重計は見て見ぬふりをしているけれど、このままではいけない現実。 まあなんとかなるだろうと食欲にすっかり負けているこの頃であった。
何を食べても美味しくて次から次へと食べたい物だらけ。
むかし「美味しい顔はどんな顔」ってCMがあったけれど。
わたしの顔はまさにそのまんま。美味しい顔は笑顔でいっぱいだ。
なんだか久しぶりに夕焼けを見たような気がする。 茜色に染まる西の空。土手のススキが影絵のように映る。
ああ平和なんだなってつくづく思った。 平穏無事が何よりの幸せ。こんなにありがたいことはない。
早朝より川仕事。海苔の漁場に杭を打つ作業だった。 撤去作業をしてからわずか三ヶ月。 もう来期の準備を始めなければいけなくなった。
とても重労働だけれども心地よく汗を流す。 夫婦二人三脚の作業が私は好きだなと思う。
お疲れさまと互いを労わる気持ちこそが大切だった。
おとうさん、おかあさんと互いを呼び合うのも微笑ましいこと。
わたしは風になれたかしら。空の一部になれたかしら。
夕焼け空に訊いてみる。こたえはほんわかと胸のなか。
曇りのち晴れ。陽射しがほんの少しやわらかく感じる。 散歩道の土手を歩きながら秋風に吹かれていると。 ふっと自分がなんて自由なのだろうとあらためて思った。
きっと好きなように流れているのだろう。 この道を行かなければいけないという決められた道もない。 道草をしたり寄り道をしたりしながら目の前にある道を歩んでいるだけ。 その道は自分に与えられている道。それはとてもありがたいことだった。
行き当たりばったりかもしれない。それもよし。 そうしていろんなことを見つけられたらそれだけで幸せだと思う。
かつてはあったかもしれないプライドのようなもの。 そのためにもがいたり苦しんでいたのが今は嘘のようだった。
なにもない。あったとしてもそれはほんとうに些細なこと。
そんな些細なことにこだわらない生き方をしたいとつよく思っている。
好きなように歩いていく。好きなように流れていく。
あしたは風になるかもしれない。きっときっと心地よい風。
昨日の夕方のこと。娘が熱を出してしまってちょっと大変なことになる。 育児疲れもあったのだろう。どうやら風邪をひいてしまったようだった。
綾菜の世話もままならないため急遽ふたりで里帰りをすることになる。 なるべく娘に負担をかけないようにとバーバなりに頑張ってみたけれど。 お風呂はなんとか済ませたものの、寝かしつけるのが一苦労だった。 顔を真っ赤にして涙をいっぱい流しながら泣き続ける綾菜。 夜も遅くなりもう限界だと寝ていた娘がとうとう起きて抱っこしてくれる。
母親に抱かれて安心したのだろう。胸に埋もれるようにして眠り始めた。 赤ん坊にとってどんなに母親が大切なものなのか改めて感じたことだった。
結局昨夜は娘が連れて寝ることになり、バーバはお役御免となる。 真夜中に起き出して泣きやしないか心配しながら床に着いた。
今朝のこと、そっとふたりをのぞいてみると寝ている娘のかたわらで。 すっかり目を覚ました綾菜があうあう言いながら独り遊びをしていた。 その顔を見てどんなに安心したことか。なんとも微笑ましい朝の光景。
幸いなことに娘の熱もさがっていてほっとする。 もう一日安静にしていれば良いのに今日の夕方には帰って行ってしまった。
バーバは肩の荷がおりたのと同時になんだか気が抜けてしまった。
みんながどうか元気でいてくれますように今日もお大師堂で手を合わす。
夏の名残の陽射しが心地よいほどに降り注いでいた。 見上げる空は半分が夏で半分が秋のように見える。 せめぎあっているのではなくとけあっているようだった。
終ろうとするものがあればかならず始まろうとするものがある。 季節の変わり目にはふっと物思いにふけることがよくある。
夕暮れ前の散歩道。風とたわむれるように歩くのが好きだ。 ちょっぴり大人びたススキの穂が揺れながら風のありかをおしえてくれる。 ほらほらこっち。手のなるほうへ。突き進むあんずがきょとんと振り向く。
お大師堂にお供えしていたお菓子をお大師さんが食べてくれていたので。 今日は新しいお菓子をお供えする。かりん糖とピーナツ入りのおせんべい。 たぶん、かりん糖の方を先に食べてくれそうだった。好きなんだきっと。 そんなことを考えていると愉快でもありとても嬉しくなるのだった。
晩ご飯を食べながら夫とふたりで大相撲を観る。 やはりひとりよりふたりがいい。夫がいてくれるだけでご飯が美味しい。 お土産の辛子めんたいこ、イカの塩辛、馬肉の燻製それから芋焼酎と。 私の大好きなバウムクーヘンは食後の別腹でとても美味しかった。
ふたりでいることが当たり前のように思っていたけれど、 もしかしたらすごくすごく恵まれているのではないかとふと思う。
俺よりも長生きしろよと口癖のように言う夫だったけれど。
ひとりになんかなりたくない。ひとりぼっちはとても寂しすぎるから。
朝の青空もつかの間、その後は雨が降ったりやんだりだった。 一雨ごとに秋が深まってくるのだろうか。なんだか儀式のような雨。
昨日のうちに予約しておいた美容院へ行く。 髪を切る前に念入りにマッサージをしてくれるのでとてもありがたい。 うっとりと気持ち良くなったところでさっぱりと髪を切ってもらった。
身もこころも軽やかになり颯爽とした気分で娘の家に行く。 一緒に買物に行こうよと誘ってもらってすごく嬉しかった。 ベビー服のお店をゆっくりと見て回って綾菜のベストを買った。 冬物の可愛い服がいっぱいあってまた来ようねと約束をする。 バーバの財布の紐もゆるみそうな予感、それもまた楽しみなことだ。
午後は昨日の疲れもあったのかながいながいお昼寝。 夫のいない茶の間の静けさ。ふっと寂しさをおぼえた。 ひとりぼっちの夕食も味気ない。夫の好きな大相撲をひとりで観る。
そろそろ帰って来るかしら。おみやげが楽しみだった。
鈴虫の声を聴きながら「秋りんごチューハイ」を飲みつつ夫の帰りを待っている。
天気予報は曇り時々雨だったけれど、思いがけない青空になる。 おかげで予定通りウォーキングのイベントに参加することが出来た。
「牧野富太郎の道風景ウォーク」というイベントで。 植物学者として有名な牧野氏が生前に山里の道を歩いたと言われている。 その道を歩きながらいろんな植物とふれあおうという趣旨のものであった。
目的地に着いておどろいたのは壮大な杉林であった。 その杉林を縫うように小さな細道がずっと続いている。 木のにおい緑のにおいがこんなに心地よいものとは知らなかった。 深呼吸をしながらゆっくりと歩いて行くとたくさんの野草を見つける。
同伴の牧野植物園の職員の方がひとつひとつ説明をしてくれた。 ノートを持ってくれば良かったと悔やまれる。とても覚えきれない。 「仙人草」は純白でとても可愛い。四万十でもよく見かける花だった。 「へくそかずら」も可愛い花だったけれど、その名の通りちょっと臭い。 食虫植物もいくつか見つかりなんとも珍しい苔のような植物もあった。
どんなにちいさな植物にもちゃんと名前があるということ。 花も草も葉っぱもほこらしげに微笑んでいるように見えた。
見つけてくれてありがとうとあちらこちらから声が聞こえてくる気がした。
日々の暮らしの中では見つけてあげることも出来ない草花。 今日はたくさんの草花と出会うことが出来てほんとうに良かったと思う。
二十四節気のひとつ「白露」 大気が冷えて来て、露が出来始める頃と言われているけれど。 今日はとても蒸し暑く残暑の厳しい一日となった。
涼しい夕風を待ちかねて散歩に出掛ける。 お大師堂にはふたりのお遍路さんが来ていたけれど、 ふたりとも横になりぐっすりと眠っているようだった。 起こしてはいけないとそっと外から手を合わせて帰る。
ささやかな出会いを望みつつも声もかけられない時もある。 お大師堂に泊まってくれる。それだけでありがたいことだった。
夕食後。あたふたと夫の旅行の準備などする。 消防団が明日から一泊二日で九州へ行くのだった。 団体名が「なかよし会」これには笑ってしまった。 どうして消防団ではないの?と聞くと。 旅先であまり評判が良くないとのこと。 なんとなく頷ける気がして私も納得をした。 きっとハメを外して大騒ぎするのだろう。 それも男達の楽しみと思えば微笑ましいことである。
旅行にはまったく縁のない私ではあったが、 明日は山里でウォーキングのイベントに参加する事にした。 いつもは仕事ばかりの山里を散策出来るのが楽しみである。 雨天中止ということでなんとか天気がもってほしいと願っている。
てるてる坊主てる坊主 あ〜した天気にしておくれ。
2012年09月05日(水) |
もしもし亀よ亀さんよ |
朝は晴れていたのに午後から雨になる。 夕方から雷雨。かみなり様がまたお祭り騒ぎを始める。
夕暮れがずいぶんと早くなり雨がやむと虫たちが歌い始めた。 雨上がりの夜風も心地よく虫たちの歌声にうっとりと耳を傾けている。
お楽しみの水曜日。孫の綾菜に会えるのが嬉しくてならなかった。 つい先日のこと生後四ヶ月になり、今日は集団検診の日だった。 一緒について行きたい。でも娘がおばあちゃんは駄目だって言う。 理由はあれこれと出しゃばってよけいな事を言って恥ずかしいから。 そんなことは絶対にしないからと約束をしてやっと頷いてもらった。
検診場所に着くとたくさんの赤ちゃんが集まっていた。 綾菜がいちばん可愛いと思っていたけれど、上には上がいるもの。 どの赤ちゃんも可愛くて娘とふたりちょっと小さくなってしまった。 赤ちゃんの成長には個人差があるものだけれど、やはり比べてしまう。 娘もちょっと気にしているようで、大丈夫だよと声をかけてあげた。
小児科医の診察で首のすわりが少し遅れているようだと言われた。 日に日に首がしっかりとして来ていたのでこれは寝耳に水だった。 確かに他の赤ちゃんより少し遅れているかもしれないけれど、 今朝も亀さんごっこをして左右に首を動かすことが出来ていたというのに。
二週間後にもう一度検診を受けに来るようにと言われる。 今度こそ大丈夫。肩を落とす娘に精一杯微笑んで見せた。
もしもし亀よ亀さんよ。毎日特訓しようねと家路に着いた。
娘は嫌がっていたけれど、無理やりくっついて行って良かったなって思う。
綾菜がんばれ!誰がなんと言おうと綾菜がいちばん可愛い亀さんだよ。
2012年09月04日(火) |
口笛を吹いてみたくなる |
今日はおひさまがこんにちは。 青空はやっぱり嬉しくてるんるんらんらんしてしまう。 夏が振り向いてくれたようないちにち。 残暑は厳しかったけれど、夕風は秋の匂いがしていた。
散歩道のススキの少年もちょっぴりおとなっぽくなった。 野菊の花もたくさん咲いてなんだか恋をしているみたい。
そんな土手の道を歩くのが好き。 口笛はうまく吹けないけれど口笛を吹いてみたくなる。
あんずの道草につきあっていると時間が止まったように感じる。 急ぐことはなにもない。ゆったりと大らかな気持ちで息をする。
季節は夏から秋へと今まさに変わろうとしているけれど。 いちにち一日をていねいにゆっくりと生きていきたいなと思う。
どんなにささやかなことでも心から微笑んでいたい。
今日もおひさまの姿は見えずちょっぴりさびしい。 どんよりとした空の下、赤いとんぼが踊るように飛んでいた。
そんなふうに楽しいことを考えようと思うのだけれど、 なんだかしんみりとしてしまってしょんぼりとしてしまった。
どんな時もあってよし。ありのままの自分でいることも大切かなと思う。
帰宅した頃はちょうどにわか雨が降っていて。 クルマを下りずにそのままお大師堂に向った。 今日はお大師さんにお菓子を食べてもらおうと。 ミニドーナツと生姜味のおせんべいをお供えする。 これが不思議で数日経つとなくなっているのだった。 お参りに来たおばあちゃん達が食べているのかもしれないけれど。 私はお大師さんが食べてくれているのだと信じる事にしている。
なくなっているとすごく嬉しい。美味しかったかなって思って。 今度はどんなお菓子にしようかなと考えるのも楽しみだった。
一時間ほどで雨も小降りになり、そっと犬小屋をのぞくと。 「行くけんね」とあんずが犬小屋から顔と足を出して待っていた。
ちょっと濡れちゃうけど良いの?ワン!今日は行きたい気分だわ。
大橋のたもとまで歩く。濡れた草をまさぐるように遊ぶあんずだった。 道草って良いね。草の匂いを私もクンクンと嗅いでみたいなと思った。
帰宅して何気なく「お遍路万歩計」を見てびっくり。 やっと足摺岬に着いていた。やったぁ!とすごくすごく嬉しかった。
夏の間ずっと怠けていたけれど、それでも少しずつ進んでいたのだ。 ほんのちょっとでも良い。日々の積み重ねってほんとに大切だなって思った。
その瞬間、ふわりと飛んだ。私も赤いとんぼみたいに踊っていたかな。
その時自分はいったい何処にいて何をしているのだろうと思いながら、 避難場所の高台に向って歩いた。走っている人は誰一人いない。 これが本当のことならみんなパニックになって大変なことだろう。
地震で怪我をして歩けなくなってしまっている人もいるかもしれない。 叫び声や助けを求める人の声。想像を絶する惨劇が目に浮かんできた。
避難場所の真下まで来てとても愕然としてしまった。 高台に上がる坂道が雨で滑って登れないのだと言う。 無理をして登った人が数名いたけれど、 私達は危険なので登らないようにと指示を受ける。
一気に不安が押し寄せる。何のための避難場所なのか。 雨の日が駄目ならもちろん雪の日も辿り着けないだろう。 そんな場所を避難場所だと安心してなどいられないではないか。
地区長さんから説明があり、早急に坂道を補修するとのこと。 避難タワーの建設も予定されていると聞いたが直ぐにではなかった。
もしかしたら今夜かもしれない。明日かもしれない地震に怯える。 そんな日々がこれからも続くのかと思うと生きた心地がしなかった。
なんとしても生き延びなければ、つよくつよく思った一日だった。
ことんと何かが落ちる音。 あれはいったい何の音だったのだろうと考えていた。 もう一度聞いてみればわかるかもしれない。 身構えるように耳を澄ましてみるけれどもう二度と聞こえない音。
あきらめるように扉を閉めた。そんなふうに私の夏が終っていく。
ちょうど一週間前の事、笑顔で会いに来てくれたひとがいた。 今日はそのひとが荼毘にふされる。骨になり灰になって消えていく。
どうして?どうしてなのかとそればかりを思っていたここ数日。 そうして何のチカラにもなってあげられなかった自分を責めていた。
あまりにもあっけない死をどうやって受けとめれば良いのか。 生きてこその人生。その人生を自ら終らせることも人生なのか。
その答えが今日は見つかったような気がした。
なんとやすらかな顔。ほっとしたように微笑んでいる顔。 それがすべてを語っているように思えて心が救われたように思った。
さようならとどうして言えるだろう。 出会ってくれたこと、かけがえのない縁をいただいたのだと思う。
その縁を私は一生忘れることはないだろう。
出会ってくれてほんとにありがとう。またきっと巡り会いましょう。
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