ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2012年10月31日(水) 清々しいきもち

早いもので10月も最後の日。
ここ数日、朝晩の冷え込みが緩んでいるけれど
立冬も近くなり季節は確実に冬に向っているようだ。

山里へと向う朝の道。
いつも見ている大きな銀杏の木がうっすらと色づき始めた。
朝陽をあびてきらきらと眩しいほどに光って見える。

仕事に行くのが少し憂鬱だった。
けれども今朝はとあるお遍路さんに会えるかもしれなくて
その期待のほうが大きくふくらみずいぶんと気が楽になる。

山道をゆっくりと走って行く。
どうか会えますようにとカーブを曲がるたびに願っていた。

残念ながら会うことは叶わなかったけれど
おかげでゆったりとした気持ちで職場に着くことが出来る。

仕事では大きな心配事があったけれど
あれこれと手を打ってなんとか解決策が見つかった。
不安がってばかりいては前に進めないのだなとあらためて思う。

「ありがとう、お疲れさま」母の言葉が今日ほど身に沁みたことはない。
自分に出来る事を一生懸命にする。それがとても大切なことだと思う。


帰宅してあんずと散歩。今日もたくさん歩いてすごく気持ちが良かった。

清々しいきもち。空や風や川の流れがみんな優しくてたまらない。



2012年10月30日(火) ぐっすりと眠ろう

自分の身体はひとつしかないのだなと
あたりまえのことをなんだか思い知らされたような一日。

山里の職場のことが気掛かりでならなかったけれど
家業の海苔養殖も大変な事になっていて
やはりどうしても家業を優先せざるを得なかった。

海苔網にわずかだけれど緑の芽が出始める。
けれども例の黒い海草がべったりと網に付着していて
このままでは海苔の芽が死んでしまうかもしれないと言う。

長年この仕事に携わってきたけれど
こんな危機に遭遇したのは初めてのことだった。
先日からずっと抱いていた不安が一気に大きくなってしまう。


山里の職場は昨日私が帰宅してから大きなトラブルがあったらしい。
心配することはないよと母は電話口で言ってくれたけれど
私にも責任があることで心配せずにどうしていられようか。

人一倍心配性の私にはどちらも大きな打撃となった。
こんな時こそあっけらかんとしていられたらどんなに良いだろうか。

ざわざわと落ち着かない気分の午後。
ふっと思い立って娘の家に遊びに行ってみることにする。
予定外の訪問に娘はびっくりしていたけれど
何かを察したのか、しばらく遊んでいけばと言ってくれた。

綾菜とどんぐりころころをして遊んだ。
寝返りがすっかり上手になって部屋中を転げまわる綾菜。
時々きゃきゃっと声をあげて笑う。私もいっぱい笑顔になれた。


悪いことが続くときは続くもの。それはどうしようもなくて。

けれども神さまの贈り物みたいに嬉しいこともきっとある。

嬉しいことが続くときだってきっとあるのだもの。

そう思って気を取り直すような夜になった。

明日はあしたの風がふくさ。とにかくぐっすりと眠ろう。



2012年10月29日(月) たくさん歩く

小春日和と呼ぶにはまだ少し早いのだろうか。
やわらかな陽射しにすっぽりとつつまれてとても暖かな一日だった。

こんな日はむしょうに歩きたくなって
いつもの散歩道から足を延ばしてほんの少しだけ遠くに行ってみる。
最初は元気溌剌だったあんずがすっかり亀歩きになったり
私も息切れがし始めてふうふうはあはあとふたりで歩く。

けれどもうっすらと汗をかいてなんとも心地よい散歩だった。
河川敷から土手に上がると川風がほめてくれるように吹いてくる。

いっぱい頑張ったねとあんずの頭を撫でる。
また明日も今日の道を行ってみようねと約束をした。


大橋を渡るお遍路さんが見えた。
午後四時、近くには泊まる宿さえないことが気にかかる。
野宿ならお大師堂をおしえてあげれば良かったけれど、
追いかけて行くことも出来ずそっと後姿に手を合わす。

縁があるひともいれば縁のないひともいるけれど。
その姿を見られるだけでありがたいことだと思う。

西の空に傾きかけた太陽。夕陽に染まる川面が目に浮かんだ。



2012年10月28日(日) 思いがけずに

昼下がり、思いがけずに娘が綾菜を連れて遊びに来てくれた。
昨日会ったばかりで今日も押しかけるわけにはいかないなと
しょんぼりと諦めていたからすごく嬉しかった。

ジージも大喜び。ひいおばあちゃんも大喜び。
娘と綾菜のおかげでみんなが笑顔の日曜日となった。


綾菜がお昼寝をしている間に少し早めの散歩に出掛ける。
お大師堂でお経を唱えている時だった。後ろに人の気配がして
振り向くとなんとそこに例の長髪青年遍路さんが立っていて驚く。
あれは八月のお盆過ぎではなかったか。最後のお別れをしたのだった。
もう会う機会はないだろうと思っていただけにほんとに思いがけなかった。
聞くと八十八番を無事に終えてからすぐに愛媛の自宅には戻らず、
また一番から歩いて帰宅しようと決めたのだそうだ。
おかげでまた会うことが出来た。ほんとうにありがたいことである。

これまで何度も会ったけれど、彼の背負っているものに触れることはなかった。
触れてはいけないようなそんな気がしてそっと見守る気持ちでずっといた。

けれども今日は彼のほうから話してくれる。
それは私などには想像もつかないようなとても重たい現実だった。
若くしてこれほどの苦労を背負わなければいけないのか。
なんだか憐れでならずかといって微力な私に何が出来よう。

「決して無駄なことではなかったんだよ」そう言って励ますのが精一杯だった。
彼も大きく頷いてくれる。ひとつでも流れが変わってくれたらそれで良いと。

彼と彼の帰りを待ちわびているご家族がどうか平穏に過ごせますように。

私に出来ることは祈ること。それしか出来ないのではなくて

どんなにささやかなことでも出来ることがあるのだということを忘れはしない。



2012年10月26日(金) ひいおばあちゃん

お天気は下り坂。午後からぽつぽつと雨が降り始めた。
一雨ごとに秋が深まり冬へと手を伸ばし始めることだろう。

山里のコスモスも盛りを過ぎ少しずつ散り始めたようだ。
春の桜の潔さとは違って秋の桜は哀しげに散っていく。


午後、思いがけずに娘達が山里まで遊びに来てくれた。
ひいおばあちゃんが大喜びしたのは言うまでもない。
何しろ生まれてすぐに一度会ったきりでそれっきりだったから。
仕事の手を休め綾菜を抱っこしていっぱい話しかけていた。
「アンパンマンの玩具を買ってあげるよ」
「あんみが出来るようになったらお靴も買ってあげるよ」
そんな光景を微笑ましく眺めながら、娘達に感謝するばかり。
母のこんなに嬉しそうな顔を見るのは初めてのように思った。
私はしょっちゅう会っているけれど、母もひ孫に会いたかった事だろう。

娘達を見送ってから私も帰路についた。
なんとも幸せな気分。いい日だったなあってすごく嬉しかった。



2012年10月25日(木) つわぶきの花

初冬を思わすような寒い朝だったけれど。
日中はほっとするような暖かさになる。

朝の峠道で先日の足を痛めていたお遍路さんと再会する。
彼が四万十を旅立ってからずっと気掛かりでならなかった。
足の痛みはまだ続いているようだったけれど、
足摺岬からここまで歩いてこれたことにとても安堵する。
「大丈夫ですよ」って笑顔で応えてくれたのだった。

決して無理をしないようにと。
ゆっくりのんびり歩いて欲しいと。
おせっかいな私の言葉にも素直にうなずいてくれた。

どんなに辛くてもクルマのお接待だけは受けないと聞いていたから。
その場でお別れをして後ろ髪をひかれるように彼を残して先に行く。

バックミラーに映る彼はとてもたくましく見えた。
この先もきっと大丈夫。彼なら必ず結願出来るはずだと思った。

この再会を最後にもう会う機会はないだろう。
ほんとうにこれが一期一会。彼のことは一生忘れられないだろうと思う。


峠道を上りつめると山肌からこぼれるように咲くつわぶきの花。
ちいさなひまわりのように咲く可愛い花がとても好きだった。

彼も気がついてくれたら良いな。ほっとして足をとめてくれたら良いな。



2012年10月24日(水) 笑顔がいちばん

今朝はこの秋いちばんの冷え込みだったようだ。
冬の足音がすぐそこまで近づいている。
ひたひたひたと忍び寄るような気配を感じた。


仕事をずる休みして娘の家に遊びに行こうともくろんでいたけれど、
結局言い出せずしぶしぶとした気持ちで山里の職場へ向う。
そうしたら母が「来てくれてありがとう」と笑顔で迎えてくれた。
そう言われるとやはり嬉しいもの。ああ来て良かったなって思った。

山あり谷ありの職場。いつまでたっても目の前に山がそびえている。
一難去ってまた一難。気が重くなるような日がずっと続いている。
かと言って自分ひとりで逃げ出すわけにもいかず母の苦労を思う。

年老いてずいぶんとちいさくなった母。
楽天家だった母も最近ではよく弱音をはくようになった。
だからこそ助けてあげなくてはいけない。親孝行をしようと思う。

笑顔ではじまる朝はほんとうにありがたい。
なにか良いことがありそうな気がして心がぴょんぴょんしてくる。

「鏡を見てみなさい。そのしかめっ面はどうしたの?」と。
よく母に言われることがある。とてもはっとする一言だった。

母はいつも私の顔を見ている。私の笑顔を待っているのだなと思う。



2012年10月23日(火) しあわせだから

二十四節気の「霜降」日中の気温も上がらず肌寒い一日だった。
もう木枯らしなのだろうか風がひんやりと冷たく感じる。

散歩道を行けば野菊も盛りを過ぎ、ススキの穂も立派なおとなになっていた。
背高泡立ち草の鮮やかな黄色がほんのりとあたたかくおひさまのように咲く。

てくてくと歩く道はとても平和だった。
もしも失くしたものがあったとしてもきっと気づかないだろう。
足りないものなど何もないのだと思える時、ひとはいちばん幸せなのだと思う。


そうそう、とても嬉しいことがあった。
いつも買物をしているスーパーで応募していた旅行券が当たった。
神戸への日帰り旅行なのだけれど、まさか当たるとは思ってもいなくて。
それも出発日が12月の私の誕生日だったからびっくりと大喜びだった。
ほんとに思いがけないプレゼント。こんなにありがたいことはなかった。

神戸。まだ一度も行ったことのないまち。わくわくと楽しみでならない。


※お知らせ※  今夜9時からフジテレビ系で四万十を舞台にしたドラマ
        「遅咲きのヒマワリ」が始まります。
        みなさんどうか見てくださいね!



2012年10月22日(月) 願いをこめて

日が暮れるなり雨が降り始める。
遠くから雷の音も聞こえてきてなんだかざわざわとした気持ち。
雨音はリズミカルにそんな私を宥めるように歌い続けている。


気掛かりでならなかった例のお遍路さんは、
どうやらドクターストップを免れたらしく
病院から戻るなりすぐに旅立ったようだった。

私と同じように心配していた人が他にもいて
その人が大橋を渡ろうとしている後姿を見たと言う。
追いかけて行って声をかけたかったけれど出来なかったらしい。
せめてもと後姿にそっと手を合わせ見送ってあげたそうだ。

私も見送ってあげたかったとすごくすごく思った。
昨日会った時には、すっかり諦めモードだったせいで
もう歩けないと決めつけてばかりいた自分がとても悔やまれる。
歩けるかもしれないでしょとどうして励ましてあげなかったのか。

彼は決して諦めてはいなかったのだとはじめて気づいた。
諦めるように仕向けていたのは他ならぬ私自身ではなかっただろうか。

もしも私が彼の本当の母親なら「帰ってきなさい」と言ったかもしれない。
これ以上無理をさせたくないと母親なら誰しも考えることだろう。

でもあえて過酷な挑戦を「ゆるす」それが本当の愛情なのかもしれなかった。

どんなにはらはらしてもそっと見守る気持ち。
それがとても大切なことだとあらためて感じた出来事になった。

歩き出したからにはなんとしても結願をと強く強く願っている。

お大師さま。どうかこれからの彼をあたたかく見守ってあげてください。



2012年10月21日(日) ふたりの息子たち

朝晩の肌寒さは日に日に増しているけれど、
日中は秋のやわらかな陽射しが降り注ぎとても暖かい。

あらあらと言う間に一週間が過ぎてしまって
五日間の研修を無事に終えた息子が今朝早く帰って行った。

なんだか台風一過のような夜になってしまった。
この静けさはいったいどこからやってきたのだろうか。

私は母の役目を終え、これからはまたそっと見守る日々が続くだろう。
「またいつでも帰ってきなさいね」「おう!」と応えた息子の後ろ姿。


時を同じくしてお大師堂にひとりの青年お遍路さんが来ていた。
息子よりも少し若いけれど、なんだかもうひとり息子が出来たような気持ち。
歩き始めて22日目、一日も休まずにひたすら歩き続け四万十に辿り着いたようだ。
よほど無理をしたのだろう、足を痛めていてなんとも酷いありさまだった。
とにかく休まなくては。彼はそのままお大師堂に逗留することになった。

歩きたい。でも歩けない。どんなにか悔しい思いをしたことだろう。
なんとしても自分の足で歩いて結願したいという強い意志が感じられた。

少しでも力になりたい。そう思っても何もしてあげることが出来ない。
ただ毎日気遣うばかりではらはらとしながら見守ることしか出来なかった。

その彼がやっと明日病院へ行く決心をしてくれた。
それでもしドクターストップがかかればその時は素直に従おうと言ってくれる。

「大丈夫、お大師さんはまたすぐに呼んでくれるから」
そう言って励ますのが精一杯だった。また四万十から始めれば良いのだもの。

ここまで歩いてきた。それがどんなにか素晴らしいことなのか。
彼は決して負けたのではない。大きな勇気を持ってまたきっと歩み出せるだろう。



2012年10月16日(火) 待っている

肌寒いままの曇り日。日暮れとともに雨が降り始めた。
農家の人達には恵みの雨となることだろう。
大根や白菜や萌え始めた緑がきっと喜んでいると思う。


息子が今日から五日間、高知市内で研修があり出掛けている。
その間は我が家から通うというので帰りを待っているところ。
これまでたまにふらっと帰って来ることはあったけれど、
五日もと聞いてなんだかそわそわと落ち着かない気分になった。
長距離の道中も心配でならず、どうか無事に帰ってきますように。

一気に母心が湧き出してきて、ほんの少し途惑っている母でもあった。

一時は仕事の事でとても悩んでいた息子。
そっと見守ることしか出来なかった父と母だったけれど、
息子は息子なりに必死になって闘ってきたのだとおもう。

父も母も「頑張れ!」とは決して言わなかったというのに。
おおきな山を一生懸命に乗り越えたのだと思う。

「おかえりなさい。お疲れさま」

今夜からしばらくはその言葉を伝えることが出来る。

息子が我が家に帰って来てくれる。それはほんとうにありがたいこと。



2012年10月15日(月) 桜紅葉の頃に

はっとしたのは桜の葉が色づき始めたこと。
他の木々よりもひと足早く冬支度を始めたのかもしれない。
それはひそやかでいてなんとも控えめな風情があるものだ。

人々はみな花を愛でるけれど、葉もこんなにうつくしい。
きづいてあげなければ可哀想ではないかとその木を仰ぎ見た。

やがて散って冬ごもり。寒い寒い冬を乗り越えてこそ咲く花がある。


早朝から二時間ほど川仕事に行っていた。
今年はどうしたことか海苔網に黒い海草が付着して頭を悩ませている。
最悪の場合、緑の芽が出ないかもしれないと言われ不安でいっぱいだった。
網に付いた黒い海草をていねいに落としていく。いたちごっこのような作業。
諦めたらお終いだぞと夫に励まされながら一縷の望みを抱くばかりだった。

負けないで、負けないでとまだ目に見えぬ種に語りかける。
どうか無事に芽が出てくれますように。すがりつくように祈っている。

どんな時も希望を失ってはいけない。わかっているけれど。
ふと気づけば物事を悪い方へばかり考えてしまう自分がいた。

いけない。いけない。それではかすかな光さえも見失ってしまう。

真っ青な空におひさまが微笑んでいた。大丈夫よって微笑んでいた。





2012年10月13日(土) 優しい時間

爽やかな秋晴れ。朝の肌寒さもきりりっと心地よい。

朝が来るたびに「ああ生きているな」とほっとする。
いつもと変わりない朝がとても愛しく感じるのだった。

ある日突然にという不安はいつまでたっても去りはしない。
それは歳を重ねるごとに大きくなっていくものだろうか。



週末は孫日和と決め付けて娘の家に行く予定だったけれど、
「今日は友達が遊びに来るから明日にしてね」と娘から電話がある。
がっくりと気が抜けたような朝。ぽっかりと空いてしまった一日だった。

何かをしていないと落ち着かなくて衣類の整理などしてみる。
もう何年も着ていない服など思いきって捨てることにした。

それから夫がまた喫茶店に行くというので一緒について行く。
そうしたら夫の従姉妹達も来ていて、またおしゃべりの花が咲いた。
肩凝りの話しをしていたら従姉妹が私の肩をもんでくれると言う。
なんともありがたいこと。うっとりと気持ちよいひと時であった。

「歳をとるといろんなところが痛くなったりするけんね」
従姉妹は私の母よりも年上だったことにはっと気づいた瞬間だった。

今度会ったら恩返しをしよう。私が従姉妹の肩をもんであげようと思う。

ほんわかと優しい時間。ひとってあたたかいなってすごく感じた。



2012年10月12日(金) 焼酎のおんちゃん

窓辺に佇みながら夕焼け空をぼんやりと見ているのが好きだ。
そんな余裕もなくあっという間に暮れていく日もあるけれど
今日は空がゆっくりと待っていてくれたのかもしれない。


仕事が忙しくばたばたと慌しい一日だった。
いつも暇つぶしに遊びに来てくれる常連さんが来てくれたけれど
今日は話し相手をしている暇はないと、ちょっと無愛想だった私。

そうしたらそのお客さんが珍しい焼酎を持って来てくれていて
「姉よ、まあ焼酎でも飲めや」と笑顔で話しかけてきてくれた。

「おんちゃんみたいに昼真っから飲めんよ」と言うと。
「家に持って帰って今晩ゆっくり飲んだらえいわ」と応える。

私が苛々と忙しそうにしていたのをすぐに感じとったのだろう。
無愛想な顔をしてほんとうに悪かったなと深く反省させられた。

高知ではそうそう手に入らないだろう倉敷の芋焼酎だった。
まあ嬉しいとすぐに頂くわけにはいかず遠慮していたのだけれど
おんちゃんは「持って帰れ言いよるろうが」の一点張りであった。

そうなったら笑顔で受け取るのがいちばん良いのだと思いなおし
遠慮なくいただくことにする。内心はやったあとすごく嬉しかった。

「こりゃあ美味いぞ!」おんちゃんの言ったとおりだった。
いつも飲んでいる芋焼酎よりずっと美味しいのだ。

「おんちゃん最高に美味しかったよ」
月曜日に会ったらちゃんとお礼を言おう。嬉しかったよと素直に言おう。

おんちゃんは亡き父と同じ歳だった。

お父ちゃん・・と呟きながらほろ酔っている今宵である。




2012年10月10日(水) 雨の匂い

曇り日。夕方から雨がぽつぽつと降り始める。
久しぶりの雨の匂いがなんだか不思議と懐かしい。


お大師堂でまた顔なじみのお遍路さんに会った。
何度も会っているけれどいまだ名前を知らない。
自分で自分のことを「変わり者」だと言うだけあって
ほとんど笑顔を見せる事もなくいつも怒ったような顔をしている。

けれども何度か会っているうちに少しずつ微笑んでくれるようになった。
今日もちょっとだけ笑顔を見せてくれてとてもほっとした気持ちになる。

私にはとうてい理解できないような難しい話しをいつもしてくれる。
その時の目はとても真剣で一生懸命に伝えようとしているのがわかる。
だから「わからない」と言ってしまうことはとても出来なかった。

ひとつだけわかるのは他のお遍路さんとは違うのだなと言うこと。
それは悪い意味ではなくて何かとても大きな「信念」を感じるのだった。

話しの最後に「明日のことはわからないほうがいいよ」って言った。
もしも明日死んでしまうことがわかったらどうする?って私に訊いた。

「いのち、たいせつにしましょうね」そう応えるのが精一杯だった。

俺は死なないよ。だって俺は一度死んだから。

そう言ってにっこりと笑った。そうして「ありがとうな」って言った。



2012年10月09日(火) 約束

いちだんと肌寒い朝。雀達がちゅんちゅんと楽しそう。

山里へ向いながらふと目にした彼岸花。
なんだか燃え尽きたように枯れ始めていて哀れなり。
春の桜のように潔く散れない花がこの世にはたくさんある。


仕事を終えて帰宅。どっと疲れが出る。
三連休のあいだあまりにものんびりし過ぎたのかもしれない。

気を取り直すように散歩に出掛けた。
お大師堂に向いながらふっとMさんの顔が目に浮かぶ。
そうしたらそのMさんがお大師堂で待っていてくれてびっくりした。
すっかり顔なじみのお遍路さん、今では友達のようになっていた。

話しているうちにMさんの誕生日が私の亡き父と同じ日だとわかった。
偶然とはいえなんだか不思議な縁を感じずにはいられなかった。

父がどんなふうにして死んでいったのか。
どうしても話したくなってMさんに聞いてもらった。

みんなそうだよ。誰だって明日のことなんてわからないよ。
真剣な顔をしてうなずきながらMさんは言ってくれた。

もしも来月になってもMさんと再会することがなかったら。
もう死んでしまったと思って欲しいとまで言う。

「そんなことを言わないで!」私は強く頭を振った。
そんな悲しいことを笑顔で言わないで。冗談でもそんなこと言わないで。

私たちは生きて必ず再会をする。お大師さんが必ず会わせてくれるから。

口に出さなくてもそれが約束でなくてなんだろう。

大切な約束を胸にしっかりと抱いてそれぞれの日々がまた流れていくだろう。



2012年10月08日(月) 待ってはくれない

二十四節気のひとつ「寒露」
草木に冷たい露が宿りはじめる頃と言われている。
これから日に日に秋も深まっていくことだろう。

ゆったりのんびりとした心とはうらはらに
季節ばかりがどんどんと先を急いでいるような気がする。

待ってはくれない。追いかけるように日々が流れていく。


「体育の日」の祝日でもあったけれど、まったく縁はなし。
あんなに大好きだったバドミントンからもすっかり遠ざかってしまった。
お仲間さんが毎週必ずメールをくれる。みんなの顔が目に浮かぶばかり。
時々むしょうに身体を動かしたくなるけれど、怪我が怖くて躊躇している。

もう出来ない。いやまだ出来るは自分自身で決めることだろうと思う。
諦めるのはほんとうに容易いこと。ちょっぴりの情けなさそれが現実だった。

気がつけばいろんなことを諦めてしまった自分がいる。
出来ていた事が出来なくなるのは仕方ないことなのかもしれないけれど。
出来るかもしれないことを頭から出来ないと決め付けていやしないか。

自問自答はこれからも続くだろう。そうしながら老いていくしかない。

待ってはくれない。追いかけるように日々が流れていく。



2012年10月07日(日) きっとうまくいく

暑からず寒からず今がいちばん良い季節なのかもしれない。
青空にうろこ雲。秋らしい爽やかな空気がとても美味しく感じる。


早朝より少しだけ川仕事に行ってきた。
畑で言うと種まきのようなこと。
海苔網を漁場に張り後は緑の芽が出るのを待つばかり。
毎年のことだけれど不安な気持ちでいっぱいになる。
必ず芽が出るとは限らずすべて自然任せのことだった。

朝焼けの空から太陽が希望のように輝いて顔をのぞかす。
きっとうまくいく。そう信じなくては決して前には進めない。



午後三時。いつもより早めに散歩に出かけた。
絶好の散歩日和だものたくさん歩きたいなと思った。
お大師堂にお参りをしてから河川敷をしばらく歩く。
セイタカアワダチソウがその名の通り背高のっぽ。
嫌われ者の花だけれどその花は思いのほか可愛い。

ゆうらゆうら川面が静かに波打っている。
その中を突っ切るように川船が横切って行った。

ああなんて平和なのだろう。
まるで時間がとまってしまったように感じた。

「ほら、あんずもう少しよ」ふたりではあはあ言いながら坂道をあがる。

土手にあがると爽やかな風が波のようにゆれていた。



2012年10月06日(土) ありのままにしている

曇り日。早朝お隣の屋根の上に鳩が一羽飛んでくる。
むくむくとしていてなんとも愛らしい。
ひょっこひょっこと屋根の上を歩く姿も愛嬌があった。

そうして今度はとてもリズミカルに鳴き始める。
「くっくっぽう、くっくっぽう」楽しげな歌声。

自然とわたしの心も踊り出す。なんて愉快な朝だろう。



今日から三連休をいただいたけれど、
どこかに出掛けるわけでもなく怠惰に過ごす。
遠くの町で「コスモス祭り」が行われているらしい。
行ってみたいなと思う気持ちがないわけでもなかった。

以前はよく夫と遠出をすることが多かったけれど
ここ数年は二人ともすっかり出不精になってしまった。

「コーヒーでも飲みにいくか」夫に誘われて
夫の従姉妹が経営している喫茶店へくっついて行った。
おしゃべりの花が咲く。自分でも不思議なくらいよくしゃべる。
なんでもないような話。そういうのがなんだか楽しくてしょうがない。

午後は例のごとくお昼寝。なんともだらしないありさま。
もっと時間を有効に使うべきだと思っていても何も出来ない。
ありのままにしている。それが良い事なのか悪い事なのかもわからない。

日課の散歩だけはちょっとだけ元気を出して出掛ける。
曇り日の空もまんざらではない。どんな日も空を仰ごう。

お大師さんがもうかりん糖と鈴カステラを食べてくれていた。



2012年10月04日(木) どんな日であっても

朝の肌寒さに重ね着をして出掛けたけれど、
秋の陽射しが降り注ぎ始めると暑いほどに気温があがる。
これも夏の名残だろうか。まだ半袖でもじゅんぶんだった。


お昼に山里の道を歩くひとりのお遍路さんを見かける。
金剛杖を二本持ってとても早足で歩いていたのだけれど
声をかけてみたいなと思ってつい呼び止めてしまった。

それが少しありがた迷惑だったのかもしれない。
いつも笑顔が返って来るわけではないのだと改めて思った。

どんな出会いもあるもの。また良い事もきっとあるだろう。



帰宅途中から睡魔におそわれ帰るなりソファーに倒れこむ。
最近どうしてか寝ても寝ても眠くてしょうがない時がある。
夏の疲れが今頃出てきたのだろうか。身体がとても重く感じる。

「おい、もう4時だぞ!」夫に起こしてもらって散歩に出掛ける。
相変わらずあんずは元気いっぱい。今日もよういどんと走り出した。
私の重い身体も少し軽くなってあんずに負けないようにと歩き出す。
人間の歳だと90歳が近いであろうあんずに励まされているような毎日だった。

今日もお大師さんにお菓子をたくさんお供えした。
かりん糖と鈴カステラは欠かせない、お大師さんの大好物だもの。

今日も平穏な一日をありがとうございました。
蝋燭のゆらゆら炎、お線香の真っ直ぐな煙。
手を合わせばなんとも清々しい気持ちになる。

どんな日であってもそれがあたえられた時間だと思うようにしている。

生きているからこそいただける時間はほんとうにありがたいものだ。




2012年10月03日(水) 孫日和

綾菜、今日で生後5ヶ月となる。
朝から娘の家に行きほぼ一日中一緒に過ごす。

綾菜を抱っこして30分ほど朝の散歩。
娘の家のすぐそばにも四万十川が流れていて
土手にあがるとなんとも素晴らしい景色だった。

彼岸花やコスモスが咲き爽やかな風が吹き渡る。
近くにはキャンプ場もあり緑がとても鮮やかだった。

「ほうら見えるかな」「あそこにワンワンもいるね」

いっぱい話しかけながら綾菜の笑顔を待っていた。


帰宅するなりぐずりもせずに眠ってしまったけれど
娘が買物に行くと言うので一緒に連れて行くことにした。
電器屋さんに行ったりベビー用品のお店に行ったり
綾菜は眠そうだったけれどお買い物は好きそうな感じ。

お昼にミルクを飲むとまたぐっすりと眠ってしまった。
けれども午後からは予防注射に連れて行かなくてはいけなくて
また起こされてしまった綾菜。なんだかちょっと可哀想だった。

病院では大きな声で泣いた。お注射はやっぱり痛いよね。
母親の胸にしがみつくようにしてひっくひっくと泣きじゃくる。

「よしよしえらかったね」「さあお家に帰ろうね」

また眠くなるのかなと思ったけれど今度はご機嫌になって遊び出す。
バーバも一緒に遊びたかったけれどもう帰る時間になってしまった。

後ろ髪を引かれるような思いで家路に着く。
またすぐに会えるのだとわかっていてもすごく寂しい気持ちになる。

今日はいっぱい一緒にいられてほんとに嬉しかったよ。

ありがとうね綾菜。バーバまたすぐに会いにいくよ。



2012年10月02日(火) 空に抱かれて

見上げる空にはうろこ雲。ああ秋なんだなと思う。
その雲がそのまま夕焼けになって思わず歓声をあげた。
まるで大きな金魚が空を泳いでいるみたいだった。

ときどき空のことを忘れそうになる時もあるけれど。
いつだって空に抱かれて生きていることを忘れてはいけない。

いろんな顔をして見せてくれる空。
泣いたり笑ったり時には怒ったりもするけれど。
好きだよって伝えたいなといつも私は思っている。


心地よい秋風も空のともだち。
散歩道ではいっぱい深呼吸をした。
こころに秋風が吹くとなんだかせつないものだけれど。
ずっと昔に感じていたそれとは少し違うなって思った。

歳を重ねるということはきっとそういうことだろう。

いのちをありがとう。空のおかげで生きているような気がする。



2012年10月01日(月) 金木犀の匂う頃

山里の職場に着くなり金木犀の香りがほのかに漂ってきた。
もうそんな季節。なんだかそれはとても懐かしい匂いに感じる。

ご近所に大きな金木犀の木があったので毎年楽しみにしていた。
きっとその木だと思い込んでいたのだけれど、後から見てびっくり。
いつの間に切ってしまったのだろう。跡形もなく消えてしまっていた。

けれども確かに匂ってくる。風そのものがその花であるかのように。

やっと気がついたのは午後になってからだった。
それは職場の庭のかたすみにあった。母が植えていた金木犀の木。
去年はまだ小さくて花もわずかだったというのに
今年はずいぶんと大きくなってたくさんの花を咲かせていた。

とても思いがけないこと。こんなに近くに咲いていてくれたのだ。


気づいてあげなければいけないことがまだ他にもあるような気がして
なにか大切なことを見失ってはいないかとふと考え込む時がよくある。

なんだか「青い鳥」の童話のようなこと。

遠くばかりを見て必死になってさがそうとするしあわせ。

金木犀の香りはほのかにひそやかにそっとよりそうささやかなしあわせ。


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