今日もおひさまはかくれんぼ。 まるで梅雨時のようなお天気がずっと続いている。 夏空をほとんど見られないまま八月も残り少なくなった。
お楽しみの水曜日。喜び勇んで娘の家に行く。 綾菜は朝寝坊をするようになって今朝は無理やり起こしたそうだ。 まだ寝たりないのか少しご機嫌ななめだったけれど。 お乳とミルクを飲むとにこにこと笑ってくれて嬉しかった。
娘が買物に出かけているあいだメリーゴーランドで遊んでいた。 指しゃぶりとタオルしゃぶりを繰り返しそのまますやすやと眠る。 先週のように大泣きしたらどうしようと思っていたからほっと一安心。
寝顔のなんと安らかなこと。見ているとこころがふんわりとあたたかくなる。
娘が帰宅するなり目を覚まし、あーうーと声を出しておしゃべりする。 どんぐりころころの歌にあわせてうつ伏せにするとまるで亀さんみたい。 首がもうすわり始めていてよっこらしょと持ち上げては左右に首を振る。 その姿があまりにも一生懸命なので、娘とふたりで頑張れと声をかけた。
楽しいひと時はあっという間。とても名残惜しいけれどバーバは退散。 また一週間後の約束をして後ろ髪をひかれるように家路に着いた。
もうすぐ生後四ヶ月。ほんとうに早いものだ。 綾菜のおかげでみんなが笑顔でいられる。それはとてもありがたいこと。
またバーバとどんぐりころころしようね。
朝からどしゃ降りの雨。はらはらと怖ろしくなるほど。 雨雲の上のおひさまもどんなにか微笑みたいだろうに。
数日前の夜のこと、ふと古いアルバムを開いてみた。 それは遥か昔の私のアルバム。赤い表紙の小さなアルバム。
写真を撮るのが好きだった父がたくさん撮って残してくれていた。 生まれたばかりの私。母に抱かれて命そのもののように安らいでいる。 そんな写真の数々に母が記したのだろう添え書きがしてあった。
「寝返りが出来るようになりました」「お座りが出来るようになりました」 「少し眠くなったようです」「よく太りましたね」
胸がいっぱいになって涙がぽろぽろとこぼれた。 その頃のことはもちろん憶えていないけれど、なんて懐かしいのだろう。 そうして自分が両親の愛情をいっぱいに受けて育ってきたことを改めて知った。
お父ちゃんありがとう。お母ちゃんありがとう。 それ以外にどんな言葉も見つからなかった。
今日はそのアルバムを母に見せたくなって山里へ持って行く。 母も目頭を押さえながらとても懐かしそうに見入っていた。
どんなに赤い服を着せても男の子と間違われたんだよ。 ほらほらこの服はお母さんが縫った服だよ。
そこにはよちよち歩きを始めたばかりの幼い私がいた。
そんな私にカメラを向けていた父の笑顔が目に浮かぶ。 母は私の名を呼びながらすぐそばにいてくれたのだろう。
私は決してひとりでおとなになったのではないのだとつくづく思った。
今があるのは両親のおかげ。たくさんの感謝をこめてそっとアルバムを閉じた。
くもり時々雨。台風の影響だろうか強い南風が吹き荒れる。 職場の庭には今朝もたくさんの芙蓉の花が咲いてくれて。 風に負けまいと必死に木にしがみついているように見えた。 一日限りの花だけにとても憐れだけれどなんて健気なことだろう。
がんばれ。がんばれ。花を励ませば自分も不思議と元気が出てくる。
帰宅しての散歩道は今にも雨が降りそうな空模様だった。 ついつい急ぎ足になってしまいあんずの道草も今日はおあずけ。 早く帰ろうねとあんずに声をかけてからふっと気がついた。 土手の夏草の中から背伸びをするように若いススキの穂が見える。
まるで少年のようなススキだった。 風に吹かれながら澄ました顔で口笛を吹いているよう。 ボクはここにいるんだ。そっとしておいてよって言っているみたい。
夏の後姿を見送るようにちいさな秋が生まれてくる。
少年もやがておとなになるだろう。季節ごとの命を育みながら。
晴れのちくもり。夕方にはまたにわか雨が降った。 夜風がとても涼しくて窓辺でまったりとこれを記している。
今夜は我が町の花火大会がある。 毎年八月の最後の土曜日にあって夏を締めくくっている。 自分のなかの「夏」はいつもそうして終っていくように思う。 土手にあがり少し遠い空の花火を見るのが楽しみであった。
いく夏を惜しみつつそっとそれを閉じる。 もう開いてはいけないと誰かがささやいている声が聴こえる。
夕立のあと。ひとりのお遍路さんが我が家を訪ねて来てくれた。 初めて会ったのは三年前の真冬。あの日のことは一生忘れられない。 三年間家に帰るなと言われて頭を丸め、辛い修行の旅に出たのだった。 所持金はわずか。托鉢をしながら生き延びていくしか術がなかった。 「俺は乞食か・・」とある公園のトイレで一晩中泣いていたと言う。
一年で挫折。その間に最愛のお母様まで亡くされてしまった。 待っていてくれるはずだった内縁の奥様も去っていってしまったのだ。
高野山に戻りまたお寺での修行が始まったけれど、 自分の考えていた「僧」とはあまりにもかけはなれていたと言う。
何も見えない。いったい自分は何を見つけようとしているのか。
彼はまたお遍路を再開した。三年前とは決して同じではない「こころ」で。
私が忘れずにいたのと同じように彼も忘れずにいてくれて嬉しかった。
今度こそ何かが見つかる。そんな旅であってほしいと心から祈っている。
やっと青空が見えて子供のように嬉しかった。 職場のすぐ裏の田んぼでは今日が稲刈り。 すっかり実った稲があらあらという間に刈られていく。 農家の人達も日和を待ちかねていたことだろう。
稲刈り機がまるでロボットみたいに行ったり来たり。 そんな光景を見ているのがなんだか楽しく思えた。
そうしてあたりを心地よい風が吹き抜けていく。 秋風だねって母がつぶやく。それは確かに秋の匂いがした。
平穏なままに仕事を終え帰宅する。 そんな一日ばかりではないからとてもありがたいこと。 みんなが笑顔でいられることがいちばん嬉しいことだった。
今日はめずらしいことにあんずが犬小屋から出て待っていた。 おしっこ漏れちゃうよの顔。あらあら大変と大急ぎで散歩に出かける。 そうしたら突然雨が降り始めてしまってふたりずぶ濡れになってしまった。
土手のアスファルトがしゅわっと匂う道をふたりで駆け抜ける。 火照っていた身体に雨が心地よい。まるで天然のシャワーのようだった。
はあはあぜえぜえ。たまにはこんな散歩も楽しいなあって思った。
そんな雨もすぐにやみあたりが薄暗くなってくると空にぽっかりお月さま。 真っ二つに割れているのはレモンかな?お月さま久しぶりねって声をかけた。
そうして秋の虫たちが一斉に夜の演奏会を始める。
コウロギさん鈴虫さんこんばんは。私も一緒に歌って良いですか?
大雨注意報が出ていてどしゃ降りの雨になる。 気温も26度とずいぶんと涼しい一日だった。
夏が退いてしまうのだと言う日のこと。 こんなにあっけなく行ってしまうわけはないと思っていた。
恋しいひとが何も告げずに去っていってしまったような。 この寂しさはなんだろう。こころにぽっかりと穴があいたような気持ち。
だからと言って追いかけて縋りつくわけにもいかずただ。 ありのままの現実を受け止めようとしているかのようだった。
そんなふうに去って行く。ひとも季節もどこか似ているのかもしれない。
どしゃぶりの雨の中、打たれるように歩いているお遍路さんに会った。 声をかけたいと思った。何も出来ないけれどせめて一言声をかけたい。
「ありがとうございます」その言葉がすごくすごく身に沁みる。
今日もご機嫌ななめの空。つかのまの陽射しと雷雨になる。 気温も低目で夏がどんどんと押しやられているように感じる。 明日はもう「処暑」夏が一気に退いてしまうのが少し寂しい。
娘から電話をもらって喜び勇んで子守に出掛ける。 綾菜に会えずにいたこの一週間がとても長く感じていた。 あーうーと声を出して遊ぶ綾菜の顔を見ていると嬉しくてならない。 今日は泣かないでいてくれるかなと安心していたのもつかの間。 やはり眠くなると大声で泣き出してしまって大変だった。
抱っこしてゆらゆらさせながらあやすことほぼ一時間。 泣き疲れた綾菜がひっくひっく言いながらやっと眠り始める。
ああ良かったと肩の力が抜けそうになったら突然めまいに襲われた。 立っていられなくなってぐっしゃりと座り込み綾菜を抱きしめる。 ここでバーバが倒れるわけにはいかない。しっかりしなくては。 これぐらいの事でめまいを起こすとはなんて情けないバーバだろうと思った。
なんだか悔しくて涙が出そうになる。 子守もろくに出来ないではないかと自分の頬を叩きたくなった。
娘が帰って来ても、そのことは話すことが出来なかった。 もうお守りはしなくても良いよと言われそうでそれが怖かったから。
バーバは頑張るよ。これからもいっぱい元気でいるからと心に誓う。
「また来週の水曜日にね」娘が言ってくれてすごく嬉しかった。
朝から激しい雷雨。かみなり様がお祭り騒ぎをしているみたいだった。 光ったと思ったら轟音が鳴り響く。怖くなってびくびくしながら過ごす。
子供の頃によく母から言われた「おへそを取られるよ」を思い出した。 あの頃にはほんとうにおへそを取られると思ってお腹を手でかばっていたっけ。
かみなり様は取ったおへそをどうするのだろうと思っていた。 きっと食べてしまうんだよと弟が言っていたのを思い出す。
おへそ、おへそ、おへそはあるか。おとなになってもちょっぴり気にかかる。
仕事は開店休業状態となり、事務所のテレビで高校野球を観ていた。 今日は母のご機嫌うるわしく私も嬉しくなって一緒に野球を観戦する。 野球の事など何も知らないだろうと思っていた母が案外よく知っていて。 送りバンドをする時など、どうして打たせないのだと言ったりして愉快。 塁に選手が出ると「もう一発ホームラン打て!」と叫んだりもしていた。
おかげで楽しい午後となる。かみなり様も母の元気に負けてしまったよう。
帰宅した頃には、雨雲を掻き分けるように真っ青な空が見え始める。 雨上がりの爽やかな風。それはほんの少し秋風に似ていた。
心地よいほどの夏空もつかの間だった。 今日はまた雨が降ったりやんだりの天気になる。 雨がやむのを待っていたかのようにつくつくぼうしが鳴き始める。 ほんの少し元気がなくて何かを訴えているようにも聞こえるのだった。
ながいことお盆休みをいただいて一週間ぶりの山里。 国道を走るのはわずかな時間なのだけれど、久しぶりだったせいか。 ハンドルを持つ手が震えてなんとも怖いなと感じた。 山道に入るなりほっと肩の力が抜けて一気に緊張がほぐれる。
あたりの風景を恋しがるように見渡しながら職場に向った。 稲刈りの終った田んぼ。ほんのりと藁の匂いが好きだなと思う。
仕事は少し忙しくばたばたとしているうちに一日が過ぎた。 母の機嫌悪し、私がせかせかしていたせいかもしれないと反省する。 そういえば今日は一度も笑わなかったなと家路につきながら気がついた。
なにごとも鏡のようなもの。そこに見えない笑顔に笑顔は決して映らない。
帰宅してまた雨。クルマでお大師堂に参り手を合わす。 「ありがとうございました」とつぶやくと気分がとても清々しくなった。
夕食後には雨がやみ、あんずと大橋のたもとまで散歩する。 草とたわむれるのがほんとに大好きなあんず。くんくんと匂いをかいで。 道草しながらのんびりと暮れていく空や川を眺めていた。
雨雲のすきまからほんの少しだけ夕陽が見えた。
微笑んでみる。その笑顔をあしたの空にそのまま映すように。
今日も夏色の空。光の天使たちが空を舞っているようだった。 31年前の今日を思い出す。あの日も夏の光がきらきらと輝いていた。 夏に生まれた子はおひさまのこども。そうして一輪のひまわりが咲く。 生まれてきてくれてありがとう。嫁いでしまってもいつまでも愛しい娘だった。
そんな娘にも綾菜にも会えないまま一日が暮れようとしていた。 お大師堂に見覚えのある靴が脱ぎ揃えてありはっとその顔が浮かぶ。 やはりそうだった。長髪青年遍路さんとの嬉しい再会であった。
目標の10巡目。とうとう最後のお遍路になってしまった。 愛媛県内にある家を出てから一年半近く、一度も家には帰らず彼は旅をしていた。
なんとしても目標を達成するのだと言う強い意志が彼を動かしていたのだろう。 今は亡きおじいちゃんとともに旅した幼い頃の記憶も励みになっていたと思う。
やっと最後になりました。きらきらと輝く瞳でほんとに嬉しそうに語ってくれる。 辛いこともたくさんあったけれど、人との出会いが何よりも嬉しかった。 そうしてひとを思い遣るという気持ちが日に日に大きくなったのだと言う。 これからは自分のために生きるのではなくひとの為に生きたいと強く思ったそうだ。
お遍路は辛かったけれど、お遍路をしてほんとうに良かった。 一生の宝物になるような素晴らしい経験だったと語ってくれた。
最後はふたり涙ぐんでしまって胸がいっぱいになってしまったけれど、 ありがとうの言葉を交わしあいながら手を振って別れることが出来た。
彼を励ましながら自分もどんなにか励まされたことだろう。
ほんとうにありがたい出会いであった。彼のことは一生忘れないだろう。
入道雲と青い空。あたりいちめんが夏色に染まる。 この夏は不安定なお天気ばかり続いていたから、 なんだかやっと本物の夏が来たように思った。
けれども季節はゆっくりと秋に向っている。 夕暮れも少し早くなりかすかに秋の虫の声がする。
お盆休みも終わり、今日は山里の職場に行く予定だったけれど、 急遽、娘からお守りを頼まれてしまってもう一日お休みをいただく。 仕事の事も気になるけれど、綾菜と過ごせる時間が楽しみでもあった。
ほんの四時間ほどの子守だったのだけれど、途中から綾菜が大泣きになる。 いつも眠くなるとぐずるのでもう慣れているつもりだったけれど、 今日の泣き方はハンパではなくさすがのバーバも困り果ててしまった。 「おかあさん、おかあさん」と叫んでいるような気がした。
お昼過ぎにやっと娘が帰って来てくれて綾菜を抱くなりぴたっと泣き止む。 やはり母親が恋しかったようだ。そばにいないと不安でたまらないのだろう。
そうして一気にご機嫌になった綾菜が私の顔をみてにっこりと笑った。 その笑顔の嬉しかったこと。なんだか気が抜けたようにほっとしていた。
「おばあちゃん、ありがとうね」娘と綾菜に見送られて家路に着く。
子守はちょっぴり大変だけれど、やっぱり嬉しいなあってつくづく思った。
もう天の国に帰って行ってしまうのか。 送り火は寂しいけれど、その炎が燃え尽きてしまうまで手を振ろう。
今年ほどお盆をありがたく思ったことはなかった。 帰って来たよと知らせてくれたおかげで 亡き義父の存在を強くつよく感じることが出来た。 姿かたちは見えなくても魂は永遠にそばにいてくれるのだと思う。
そうしてこれからもずっと私達家族を見守っていてくれるだろう。 それが何よりも心強いこと。それが何よりもありがたいことであった。
昨夜は姑の家に家族がみな集まりささやかな宴をひらく。 笑顔の花がいっぱい咲いてとてもにぎやかで楽しい夜だった。 義父もどんなにか喜んでくれたことだろう。 みんなの声を聞きながら嬉しそうに微笑んでいる顔が見えるようだった。
57歳の若さで逝ってしまった義父。どんなにか心残りだった事だろう。 その時まだ一歳だったサチコも今年は母親になることが出来た。 ひ孫の顔を見てくれましたか?ひいおじいちゃんになったのですよ。
来年もまたきっと帰って来て下さいね。みんなで待っていますから。
この炎が見えますか? どうか無事に帰って来て下さいね。 語りかけるように手を合わす夕暮れ時だった。
そうして今度は仏壇に手を合わす。 その時だった。精霊棚の笹が微かに音を立てているのに気づく。 じんじんと鳴り響くような音。 それは笹が風に揺れている音では決してなかった。
「おばあさ〜ん、おじいさんが帰って来たよ」
おもてに居た姑を急いで呼びに行く。 義父が亡くなってもう三十年が経つけれどこんな事は初めてだった。 「おやまあ、今年はどうしたことかね」と姑もびっくりしていた。
ちゃんと帰って来たよと義父がみんなに知らせてくれているのに違いない。 そう思うと感動で胸がいっぱいになった。とても嬉しくてならない。
おじいさんお帰りなさい。みんなで待っていたよ。
息子や娘にも知らせなくては。孫達にどんなにか会いたいことだろう。 そうして綾菜も。初めてのひ孫だからすごく喜んでくれると思う。
おじいさん帰ってきてくれてありがとう。嬉しい夜になりました。
曇り日。風もなく蒸し暑い一日だった。 朝の涼しいうちにと娘の家に綾菜を連れに行く。 一日中のお守りは大変だぞと夫は心配していたけれど。 私はウキウキとした気分でとても楽しみでならなかった。
機嫌よく玩具を手に持ってひとり遊びをしてくれたり、 眠くなってぐずっても抱っこしてあげたらすぐに寝てくれる。 思ったよりずっと楽チンだなって喜んでいたのだけれど、 お腹が空くとやはり最初に母乳を欲しがってちょっと大変だった。 ミルクを作って冷ましている間、あまりにも泣くのでジージが抱っこ。 「ほら、やっぱり大変じゃないか」と言いながらもちょっと嬉しそう。
午後は二時間ほどぐっすりと眠ってくれて私も添い寝をする。 なんとも平和なひと時。綾菜の寝息が耳に心地よく伝わってくる。
そうこうしているうちに娘が早目に迎えにやって来る。 預けっぱなしはやはり心配だそうで落ち着かなかったようだ。
母乳を飲んでいる綾菜の顔はとても満足そうだった。 お母さんのお乳がいちばんなのだなとつくづくと思う。
またこんな一日があれば良いな。おそるおそる娘に訊いてみる。 たまには良いけれどやはり娘の家に私が行くほうが良いようだった。
今度は水曜日。午前中だけのお守りを頼まれる。 それでじゅうぶんと思えないバーバのなんと欲張りなことだろう。
娘と綾菜が帰ってしまうと、なんだか火が消えたように静かな我が家だった。
朝から激しい雷雨になる。 燃えようとしている夏のことを咎めるかのように雨が降る。 ふっと哀しげな夏の後姿を見たような気がした。 けれどもきっとすぐに笑顔で振り向いてくれることだろう。
じゃあまたね。ゆびきりげんまんをして別れたい夏だった。
午後、伯母のお葬式。たくさんの人に見送られて伯母が旅立って行く。 花に埋もれるように微笑んでいる伯母の顔はとても幸せそうだった。 思い残すことは何もないのかもしれない。伯母は天寿を全うしたのだ。
さようならはやはり言えなかった。ただただありがとうと手を合わす。
帰宅してからの散歩道。一輪の野菊が咲いていてはっと足を止めた。 夏草に抱かれてはほっと息をしているようなちいさな秋だった。
夏は追いやられるのではなく、秋を招き入れるのだと思う。
散る花もあれば咲く花もあるのがこの世のならい。
一輪の野菊に思いをよせてそっと指先でふれてみる。
つくつくぼうしが鳴き始めて夏の盛りを過ぎたことを知る。 夏らしい青空もつかの間、今日は突然の雷雨にみまわれる。
早朝に夫のケイタイがけたたましく鳴った。 はっと目に浮かんだのは入院している伯母の顔だった。 やはりそうだった。午前一時頃息を引き取ったという報せだった。
もう長くはないだろうと聞いていただけに覚悟はしていたけれど。 訃報はなんとも寂しいものである。そうか・・夫と二人大きな溜息をつく。
けれども死に顔のなんと安らかなこと。 もう痛みに苦しむ事もない。やっと楽になれたのだと思った。 お盆も近くなり、先に逝った伯父が迎えに来てくれたのかもしれない。
波乱万丈だったと聞く伯母の88年の人生が静かに幕を閉じた。 たくさんの苦労をしたけれど伯母はきっと幸せだったのだと信じたい。
夫は子供の頃からとても可愛がってもらったのだそうだ。 そういえば数年前のお正月に伯母からお年玉を貰ったことがあった。 夫はとても照れていたけれど、伯母にとってはいつまでも子供だったのだろう。
そのお年玉を何かのカタチにして返そうと思っていたけれど、 いつのまにか夫のお小遣いになってしまってそのままになってしまっていた。
それも今となっては微笑ましい思い出である。
「緑」という名の伯母の事を私達は「みどおばちゃん」と呼んでいた。
みどおばちゃんどうもありがとう。どうか天国でこれからも微笑んでいてね。
朝から蝉の大合唱。残暑の厳しい一日となる。 どんなに暑くても青空が子供のように嬉しかった。
今は亡き祖父母の家で過ごした夏をふと思い出す。 川遊びの楽しかったこと。スイカが美味しかったこと。 何よりも優しかった祖父母の面影が懐かしくてならない。
お盆も近くなった。祖父母に会えたらどんなに良いだろうか。
平日だったけれど午前中は孫の綾菜と過ごしていた。 娘からお守りを頼まれるとほんとうに嬉しくてならない。 笑顔と寝顔。見ていると愛しさがあふれんばかりに込み上げてくる。
長生きをしたい。祈るように思っていた。 この子の成長を見届けたい。せめて二十歳になるまでは。 そう思えばひ孫の顔も見たくなるのは欲と言うものだろうか。
あと二十年。長いようであっという間に歳月が流れてしまうかもしれない。 私はいったいどんなおばあちゃんになっていることだろう。
なんとしても生きていたいものだ。いや生きていなくてはいけないと思った。
命のろうそくが消えないようにそっと手をかざす。
そんな日々がこれからも続くことだろう。
早いもので暦の上では今日からもう秋。 なんとつかの間の夏だったのだろうと少しさびしい。
今朝の青空も午後にはすっかり曇ってしまって。 山里ではヒグラシがとてももの哀しく声を響かせていた。
そうして庭の紫式部の花もいつのまにかたわわな実になり、 ひっそりと紫色に色づくのを待っているようだった。
確実に季節は移ろっていく。夏も「残暑」の衣を羽織ったのだ。
職場は昨日の緊張感が薄れてほっとするような一日となる。 何事もなんとかなる。そう思う気持ちが大切なのだとつくづく思った。 荒波に揉まれてばかりではない。穏やかな日もちゃんとあるのが嬉しい。
帰宅してからの散歩道。深呼吸をしたくなるほど心地よい風に吹かれる。
やがてその風も秋風に変わることだろう。
急ぐことなくゆっくりとゆっくりと歩いていきたい。
ここ数日ぐずついたお天気が続いていたけれど、 今日は夕方近くにやっとおひさまが顔を出してくれた。
山里ではそろそろ稲刈りが始まりそうだった。 農家の人達も晴天を待ちわびていることだろう。
職場でちょっとしたアクシデントあり。 にっちもさっちもいかない事で皆で頭を悩ます。 いつもはあっけらかんとしている母も。 今日ばかりは深刻な表情をしていた。
すると一匹の蟹が事務所にひょこひょこと入ってきた。 沢蟹のようだったけれどいったいどこから歩いて来たのだろう。 真っ先に見つけた母が座り込んで蟹と話しを始めた。
その様子がなんとも微笑ましくて皆の顔が一気に明るくなる。 「ここにいたらあんた死んでしまうよ」母は蟹を手のひらで包み込んだ。 そうして近くの側溝のあたりまで連れて行き無事に放してあげたのだった。
そんなちょっとした出来事が今日はとても嬉しく感じた。
蟹さんこちら手のなるほうへ。どうかまた遊びに来てね。
今日も不安定な空模様。湿気を含んだ東風強し。 おかげで猛暑にはならず過ごしやすい一日だった。
孫の綾菜、昨日で無事に生後三ヶ月となる。 昨夜は突然に子守を頼まれ二時間ほど我が家で過ごす。 今日も午後から娘が連れて来てくれて夕方まで子守をしていた。
抱っこして土手まで散歩に出掛けてみたり、 ひいおばあちゃんの家にも遊びに行ったりした。
ひいおばあちゃんが面白い顔をして見せてあやすと。 声をたてて笑うようになり、みんなで大喜びだった。
なんとも微笑ましく和やかなひと時を過ごすことができた。 ほんとうに天使のような子。あふれんばかりの幸せを運んできてくれる。
明日は子守をしなくても良いよと迎えに来た娘が言う。 がっくりとさびしいけれど幸せな気持ちはずっと続きそうだった。
娘がこうして甘えてくれるのはほんとうに嬉しいことである。 子守をさせてもらえるおばあちゃんは幸せ者だなとつくづくと思った。
サチコありがとう。綾菜ありがとう。
お大師さんに手を合わせ今日がゆっくりと暮れていく。
曇り時々雨。さあっと走り抜けるように雨が降る。 かくれんぼしているおひさまに呼びかけるように風が吹く。
夕方、土手を散歩していてはっとしたのは夏草の鮮やかな緑。 除草作業があったのはついこの前だったのにもう生い茂っている。 ちろちろと夏草たちが踊っているような歌っているような風景だった。
そうして歩きながら見つけたのは一輪の野あざみ。 白つめ草の花も咲いていた。ぽつんとひとりぼっち。
あたりいちめんを刈られてしまった時に季節が後戻りしたのかもしれない。 夏の盛りに咲く春の野花はなんだか奇蹟のように尊く思えてならなかった。
仲間はみんなどうしてしまったのだろう。ちょっぴり心細くて淋しい。 そんなふうにつぶやいている声が聞こえてきそうだった。
だいじょうぶよ。夏草たちがよりそって抱きしめているように見えた。
つよくつよく生きること。あたえられた命を守りぬくこと。
ありのままの自然は命の大切さをそっとおしえてくれている。
今日いちばんに嬉しかったのは「エンピツ」が復旧したこと。 障害発生からのここ数日なんとも不安で落ち着かない日々を過ごしていた。 大切な日記帳を突然失ってしまったような悲しさもあって。 この場所が自分にとってどんなに愛しい場所だったかを改めて感じた。 管理人さんほんとにありがとうございました。 これからも末永くここにいさせてください。
台風の影響で午前中は雨風ともに強し。 どしゃ降りの雨の中を山里の職場へとクルマを走らす。
母の通院日。先日から心配な事ばかりでやっと一安心だった。 また手術をしなければいけないかもしれないけれど。 それで症状が軽くなるのならと祈るような気持ちでいる。
いつもおしゃべりさんの母がいない職場はひっそりと寂しい。 明日は堰を切ったように話し出すことだろう。笑顔の花を待っている。
午後には雨もやんでくれて、いつものように散歩に出かける。 お大師堂に「ありがとう」の貼り紙をした。 きっと伝わると信じている。その人も喜んでくれることだろう。
言葉の大切さ。顔は見えなくても「こころ」はきっと通じる。
「ありがとう」には「ありがとう」がきっと返って来るものだ。
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