2012年07月31日(火) |
空が燃えて今日が暮れる |
午後7時。西の空が燃えているように紅くてなんだか胸がどきどきした。 今日が暮れていく。もう追いかけてはいけない空の向こうがわへ。
夕方お大師堂にお参りに行ってなんと嬉しかったことか。 先日跡形もなく消えてしまっていた「お大師ノート」がそこにあった。 お遍路さんの残してくれた納め札も一緒に添えられていてとてもほっとする。
昨日の貼り紙をその人が読んでくれたのだろう。 そうして大切なものだったのだと気づいてくれたらしかった。 不要な物と思い込み片付けてしまったと詫びる言葉が添えられてあり。 どうしてこれが不要な物かとその人を責める気持ちにはならなかった。
ひとそれぞれ。それで良いのではないだろうか。 むしろ返してくれたことに心から感謝したい気持ちでいっぱいになった。
明日は「ありがとう」の貼り紙をしたいなと思う。 そうしてこれからは一緒に大切なものを守っていけたらどんなに良いだろうか。
とても清々しい気持ちでお大師堂から外に出て行くと。 可愛いワンちゃんを連れた見かけない人に出会った。 「こんにちは」と挨拶を交わし話し始めてびっくりしてしまった。 なんと群馬の高崎から16時間もかけて四万十へ遊びに来たのだそうだ。 ワンちゃんも長旅でどんなにか疲れたことだろう。 飼い主のその人は数年前に一度来たことがあって。 四万十の散歩道を犬と一緒に歩いてみたかったのだそうだ。
「お友達だね」あんずのことをそう呼んでくれてとても嬉しかった。
ほんのつかの間のことだったけれどこれも一期一会。
名も知らぬワンちゃんが尻尾を振ってくれて、あんずも嬉しそうに尻尾を振っていた。
うだるような暑さ。稲穂がすっかり実りいちめんの黄金色になる。 山里では稲刈りの事を「秋」と呼ぶ。その秋もすぐにやってきそうだった。
暑さには弱いけれど夏そのものは決して嫌いではなかった。 夏ならではの楽しみもある。汗を流しながらすくっと前を向いているような気持ち。
散歩の時間も少し遅らせ、夕風が涼風になる頃に出掛けている。 昼間の暑さがうそのように土手を吹き抜ける風がなんとも心地よい。 あんずもすっかり元気になったけれど、行きはよいよい帰りはこわい。 帰り道ではちょっとくたばってしまってやっとこさで家に辿り着く。 それでも「歩く」ということ。私もあんずから元気をもらっている。
お大師堂では顔なじみのお遍路さんMさんと再会した。 前回会ってから40日くらいだろうか。Mさんの健脚には頭が下がる。 真っ黒に日焼けした顔、そうして変わらぬ笑顔に感動さえおぼえる。 今回はしんみりとした話は抜きにしてまたの再会を約束して別れた。 次に会う頃には秋風が吹き始めているだろう。Mさんの旅は季節そのもの。
お大師ノートの一件があり、返却を願う張り紙をしてきた。 こころあるひとならきっと返してくれるだろうと信じたい気持ちでいっぱいである。 その反面、お参りに来ている人の中にはお遍路さんが泊まる事を快く思っていない人もいるらしい。 いろんな考えの人がいて当たり前だけれど、私にとってはとても嘆かわしく悲しい現実だった。
どうかそんな現実をお遍路さんが目の当たりにすることがありませんように。 疲れた身体を少しでも癒して欲しい。ほっと寛いで眠って欲しいといつも願っている。
相変わらず暑い日が続いている。朝から元気に蝉が鳴いていた。 おひさまも元気いっぱい。負けないように自分も元気でいなくては。
いつも日記を書かせていただいている「エンピツ」が昨日から繋がらなくなった。 サーバーが落ちている様子で不安がつのる。どうか無事に復旧して欲しいと願うばかり。 なんだか大切な日記帳を無くしてしまったようなどうにも落ち着かない気分である。 まさか10年分の日記が消滅してしまうことはないと思うけれど、 もしそうなったらショックで立ち直れないと悪い事ばかり考えてしまうのだった。
気を取り直して、とにかく明日を待とう。明日はあしたの風が吹いてくれるから。
毎日お参りに行っているお大師堂でも昨日とても残念なことがあった。 長年備え付けてあった「お大師ノート」が忽然と消えてしまったのだ。 それはもう二冊目になっていて泊まってくれたお遍路さんの心のこもった言葉の数々。 あるお遍路さんはお大師堂から見える四万十川の風景をスケッチ画にして残してくれていた。 それは地元の者とお遍路さんとを繋ぐとても貴重なノートに他ならなかった。
そのノートのすべて。それからお遍路さんが残してくれた納め札のすべてが消えていた。 いったい誰が、いったい何のためにそのようなことをしなければいけなかったのか。 私はしばし放心状態になりお大師さんの前でなんとも嘆かわしい気持ちになってしまった。
その足で地区の区長さんのところに相談に言ったけれど、声が震えてうまく話せない。 よほど動揺していたのだろう。区長さんも頷いてくれて近いうちに対処してくれる事になった。 とにかく返して欲しい。その一言に尽きる。持ち去った人の「こころ」がとても悲しい。
そんなことがあっても、お大師さんは何事もなかったように微笑んでいる。
この世にはしかたないことがたくさんあるのだよとおしえてくれているのかもしれなかった。
けれどもあっけらかんと生きていくことはなんてむつかしいことなのだろう。
お風呂上りの火照った身体に夕風が心地よい。 今日も暑い一日だった。日が暮れ始めるとなんだかほっとする。 ふと茜色の空に向かって歩いてみたくなった。夕涼みも良いものだ。
土用の丑の日。朝からウナギのことばかり考えていた。 高値だけれど二人分ぐらいならなんとかなるかしらと思っていたら。 今日に限って息子から「晩飯たのむ」のメールが届く。
ウナギは息子の好物。食べさせないわけにはいかなかった。 いつも質素な食事ばかりなのでたまには奮発しなくては。 そう思った矢先、またメールが届き「ウナギ代はおごってやる」と。 ゲンキンな母は目の前がぱあっと明るくなったのは言うまでもない。 素焼きのウナギを四匹買う。息子に二匹食べさせてあげたかった。
帰宅すると息子はもう待ち兼ねていて、早目に蒲焼を作った。 大きなどんぶりでうな丼、ガツガツとそれは美味しそうに食べてくれる。
「ごちになりました」父も母もお腹いっぱいになって幸せそのもの。 息子は食べ終わるなり帰ると言って財布から一万円札をぽんと出してくれた。
「おつりはいらねえよ」なんかすごくかっこつけているのだけれど。
母はすごく嬉しくてなんだか涙が出そうだった。
ありがとね。ありがとねって言っているうちに息子は風のように去って行った。
生きている生きているよと蝉が鳴く。
そんなふうに必死に私も生きているのだろうかとふと思った。
真っ白な布をひろげてみてもそこに絵のような刺繍も出来ない。 けれどもそれが愛しくて毎日折りたたんでは明日を待っている。
おそらくわたしは何かを諦めてしまっているのだろう。 それなのに微笑んでいる。それなのに幸せだと胸をはっている。
一粒の真珠が石ころに変わってしまってもわたしは決して嘆かない。
その石ころを手のひらに抱いて青空にかざしては夢のように願うだろう。
生きたい 生きたい 生きたいと もしかしたら泣くのかもしれない。
いつかは明日がなくなってしまうことを恐れてはいけない。
生きている生きているよと蝉が鳴く。
生きている生きているよと私もなきたい。
最高気温が33℃。この夏いちばんの暑さとなる。 山里では稲穂が実り始め、ほんのりとした黄金色が広がっている。
心配していた母は痛みを訴えることもなく一日が過ぎたけれど、 私が心配するからと口に出さないだけかもしれなかった。 はらはらと気遣う気持ちと母の笑顔にほっとする自分がいた。
どうか少しでも楽になりますように。毎日祈り続けているばかり。
夕方のお大師堂で顔馴染みのお遍路さんGさんと再会する。 目がくりくりっとしていていつも笑顔のお遍路さんだった。 普段はちょっとした世間話などして別れるのだけれど、 今日は長話になってしまって「職業遍路」の話しになった。
たくさんの苦労話。托鉢をしなければ食べていけないこと。 帰る家や待っていてくれる家族がいる人は殆どいないと言う。 Gさんもその一人で何もかも捨ててきたのだと言った。 それが気楽で良いですよと言うけれどなんとも複雑な気持ちになる。 四国を歩いて四国で死ぬのが運命なのだと微笑みながら語ってくれた。
自分はたくさんの縁に恵まれてこうして生きていられる。 これ以上の幸せはないのだ。ありがたいことだと言っていた。
それがGさんの人生。どんなことがあっても一生懸命に生きること。 たとえのたれ死んでも幸せな一生だったと微笑んで逝けると言うこと。
熱いものが私の胸に込み上げてくる。なんともせつない。 けれどもその「人生」を否定する事などどうして出来ようか。
「また会いましょうね」それが合言葉のようになりそれが私達の約束。
梅雨が明けてからもずっと不安定なお天気が続いていたけれど、 今日は初めてこれが夏の空だと思えるような青空になった。
空を仰ぐとくらくらとするような眩しい太陽。 なんだか動物のようにむくむくとしている雲。
職場の庭に咲く芙蓉の花がとても綺麗だった。 母がとても喜んでいる。こんなにたくさん咲いたのは初めてだと言う。
その母が先週あたりからまた足の痛みを訴えている。 以前に血管の手術をしたけれど、その時の症状がまた出ているようだ。 早目に病院へ行くようにとすすめているけれど、首を縦に振らない。 痛み止めの薬を飲んでは我慢しているようで心配でならなかった。
痛い痛いと聞くたびに代わってあげられたらどんなに良いだろうかと思う。 せめて分かち合える痛みなら母も少しは楽になれるだろうに。
気丈で溌剌としていた母もどうしようもなく老いていく。 それがとてもせつなくて、それがとても心細くてならなかった。
大丈夫よ。それが母の口癖だけれど、とても安心など出来ない。 老いていくのはしかたのないこと。ささやかな元気をといつも願っている。
タイムカードを押して帰ろうとする私に母が「ありがとうね」と言ってくれた。
「ありがとうね」と私も応える。なんだか涙が出そうな帰り道だった。
週末のお楽しみ。孫の綾菜と過ごす一日。 一人遊びが出来るようになってからお守りもずいぶんと楽になる。
ぐるぐると回るメリーゴーランドのような玩具がお気に入りで。 つぶらな瞳でじっと見つめているかと思えば手を出して触れようとする。 これからいろんな物に興味を示すようになるだろう。楽しみなことだ。
綾菜の成長はもちろんのこと娘がとても母親らしくなってはっとする時がある。 特に我が子に話しかけている様子はとても微笑ましくてならなかった。 母親の愛情がいっぱい。そのすべてが綾菜に注がれているように思う。
娘が赤ちゃんだった頃、私もこんなふうに話しかけていたかしら。 思い出そうとするのだけれど、何ひとつ思い出すことが出来なかった。 母乳を飲ませた記憶さえない。いったいどうやって育てていたのだろう。
気がつけば歩き始めていた。そうしてお兄ちゃんの後を追い掛けていた。
愛情不足だったかもしれない。私は育児に疲れていたのかもしれない。 それなのに素直で明るいまるでひまわりのような娘に育ってくれた。
もう30年も昔のこと。私はひまわりの種など蒔く余裕さえなかった。
それはきっと娘がこの世に生まれた時に握り締めていたのだろう。
今日もにわか雨。夏空はしばらくおあずけのようだ。 かくれんぼばかりのおひさまも「もういいよ」って言っているみたい。
蒸し暑い一日だったけれど、夕方土手にあがると思いがけない涼風だった。 そんな風に吹かれながらあんずと一緒に心地よく散歩をする。
あんずは日に日に元気になっていて今日は駆け足。 すごいね。えらいねって声をかけながらあんずを追いかけるように歩く。
お大師堂に浜木綿の花が咲き始めた。 大きな蝋燭のようなつぼみが開くとまるで白装束のお遍路さんのようだ。 ふっとSさんのことを思い出す。修行僧のお遍路さんだった。 最後に会ったのは去年の夏。また会いましょうと言って別れたきりだった。 あの時も浜木綿の花が咲いていたっけ。Sさんの面影をその花に重ねた。
縁と言うものは儚いものなのかもしれないけれど。 決して粗末には出来なかった。忘れない大切な思い出になり心に残る。 そうして出会ってくれたこと。それはほんとうにありがたいことだった。
Sさん元気にしていますか。お大師さんがきっと伝えてくれるだろう。
梅雨明けはしたものの不安定なお天気が続いている。 台風の影響なのかもしれない。今日もにわか雨が降ったりやんだり。
山里にいると雨が降りやんだ時にヒグラシの鳴き声が聴こえてくる。 他の蝉の声とは違ってなんとも物悲しくせつない鳴き声だった。
悲しいことはなにもないけれど、ふっと胸が締めつけられるようになる。 もうとっくの昔に忘れてしまっていた事を思い出してしまいそうになる。
過去と言うものはめんどうなものだ。もうこんなに遠くまで歩いてきたのに。
ヒグラシを日暮しとしてみるとなんだか納得して頷いている自分がいる。 日暮しで良いのかもしれない。たくさんの日々を重ねて生きてきたのだもの。
今日もありがとうございました。お大師さんに手を合わす。
私はすくっと前を向いている。もっともっと生きたいとつよくおもう。
ご近所の庭に今年も百日紅の花が咲いた。 そのお宅の老夫婦が亡くなって何度目の夏なのだろう。 年に何度かは県外に住む息子さんが帰って来ているけれど、 いつもは雨戸も閉じられひっそりとした空家であった。
その庭を毎年彩る百日紅。見ているとなんだか胸が熱くなる。 住む人も愛でる人もいないというのにその木はしっかりと生きている。
散歩の帰り道、あんずと一緒にその木を見上げた。 今年も咲いてくれたのね。こんなに綺麗に咲いてくれたのね。
夏を彩る花はとてもたくましい。力強くて生き生きとしている。 夏の太陽がどんなに照りつけても命の炎のように咲いてくれるだろう。
あんず。今日は夕涼みが出来たせいか昨日よりもずっと元気だった。 やはり暑さが堪えているのだろう。日中の散歩は控えたほうが良さそうだ。 一時はどうなることやらと心配していたけれど、きっと大丈夫だと思う。
明日も夕涼みしようね。母さんと一緒に夕風の中を歩こうね。
そうして百日紅の花をまた一緒に見上げようね。ゆびきりげんまんだよ。
空は晴れているのに時おりパラパラと雨が降ったりしていた。 かなりの蒸し暑さだったけれどそよ吹く風にずいぶんと助けられる。
日曜日を家で過ごすのはほんとに久しぶりのこと。 汗を流しながら掃除をしたり、ゆっくりと買物にも行けた。
午後、娘が綾菜を連れて遊びに来てくれた。 おばあちゃんはしょっちゅう会っているけれど、 おじいちゃんもたまにはねと娘のはからいであった。
夫の嬉しそうな顔。どんなにか会いたかったことだろう。 抱っこして話しかけている姿を見るとなんとも微笑ましかった。
ひいおばあちゃんにも会いに行って抱っこしてもらう。 手が少し不自由な姑も愛しそうに抱きしめてくれた。
みんなの笑顔と綾菜の笑顔。今日はひまわりのような一日だった。
そうして眠ってしまった綾菜は夕方になっても目を覚まさなくて。 とうとう仕方なく娘が抱き上げて無理やり起こしてしまった。
私はまた明日会えるけれど、夫はとても名残惜しそうだった。
「バイバイまたね」って綾菜の手を娘が振って帰って行ってしまった。
私が娘の家に通うのも良いけれど、たまにはこんな日もあれば良いなと思った。
我が家にひまわりが咲く。たくさんの笑顔が咲くのはほんとに嬉しい。
おとなりの九州では大変なことになっているというのに。 四国はなんと恵まれていることだろうとつくづくと思う。
あいかわらずの梅雨空が続いているけれど幸いなことに豪雨にはならず。 今日は薄っすらと陽も射してくれて穏やかな一日となった。
娘の家で過ごす土曜日。 楽しみにしているせいか、週末が来るのがとても早く感じる。 喜び勇んで駆けつけては綾菜と過ごせる時間がとても嬉しくてならない。
会うたびに豊かになる表情。綾菜が笑ってくれると顔がほころぶ。 綾菜の目にはどんなふうに映っているのだろう。しわくちゃ顔の私。
一日が過ぎるのもとても早く感じる。あっという間に夕方が近くなる。 大急ぎで帰宅しては犬小屋で寝ているあんずの様子を伺っていた。
リードを見せて「行けるかな?」と声をかけると「行こうかな」と出てくる。 今日は昨日よりも少し元気そうだったので、お大師堂まで連れて行った。 「えらかったね」とほめてあげてお大師さんからまたお菓子をいただく。
帰り道はちょっと大変だった。途中から歩くペースがすっかり落ちる。 休み休みやっと家に帰り着いたけれど、無理をさせてしまったかもしれない。 散歩は短めにするようにと夫からも言われた。お大師堂は遠過ぎたようだ。 けれどもお大師さんのお菓子を食べているあんずはとても嬉しそうだった。
歩かずにいるとどんどん歩けなくなってしまうのではないか。 それは人間だって同じだと思う。もう無理のきかない身体だとしても。 毎日少しずつ歩いていればきっとまたたくさん歩けるようになる気がする。
あきらめないでいようね。がんばろうねあんず。
山里の職場の庭に純白の芙蓉の花がたくさん咲いていた。 あいにくの曇り空だったけれど空に向かって微笑んでいるよう。
芙蓉は確か一日で萎れてしまう花ではなかったか。 そう思うとなんだかよけいに愛しさが込み上げてくる。
けれどもたくさんの蕾。明日もきっと咲いてくれるだろう。
帰宅すると久しぶりに息子が顔を見せてくれた。 いつもの愚痴もなく明るい表情にほっとする。 三人でわいわい言いながら夕食を食べた。 例のごとく食べ終るとすぐに帰ってしまうのだけれど。 「しんちゃん、またいつでも来たや」と慌てて声をかける。
嵐のような子だねと夫と顔を見合わせて微笑みあった。 そうそう、いつも風のように去って行くのだものね。
あんずの晩ご飯。今日は好物の竹輪にしてみた。 ドックフードは見向きもしないのでしばらくは好物ばかり。 思ったとおり飛びつくように食べてくれたのだけれど、 急いで食べたのがいけなかったのか喉に詰まらせてしまった。 しばし苦しんだあげく結局吐き出してしまったのだった。 いくら好物でも竹輪はもう駄目かな。柔らかいものにしないといけない。
少しずつ元気になっているようでもまだ本調子ではないようだ。 けれども昨日よりも少し多く歩けるようになってほっとしている。
彼女も辛いだろうと思う。好きな物を食べられなくなったり。 大好きな散歩道を思いっきりぐんぐんと歩けなくなってしまったり。
出来ていた事が出来なくなるという事はほんとうに辛いことなのだ。
彼女の老いを自分に重ねる。出来ないことは仕方ないこと。
それにこだわってはいけない。まだ出来ることはきっとたくさんある。
2012年07月12日(木) |
明日のことはまたあした |
今朝もどしゃ降りの雨。 大雨洪水注意報も出ていてはらはらと怖くなった。
そんな雨の中、あんずを動物病院へ連れて行く。 もうしばらく様子を見てからと思っていたけれど、 今朝もあまりにもぐったりとしていて一気に不安になってしまった。
立ち上がることが出来ないので抱いたまま連れて行った。 その重み。そのぬくもりこそが彼女の生きているあかしでもある。
足や腰には異常がなく、血液検査も正常値であった。 少し微熱が出ているのも老犬には珍しくないとの事。 元気と食欲が出る注射を二本打ってもらって帰って来た。 やはり単なる疲れだったのだろう。病気でなくてほんとうに良かった。
帰宅するなり驚いたのはクルマからおりるなり自分で歩こうとしたこと。
そうしていつもおしっこをしている土手まで行きたがった。
よろよろとした足取りだったけれど、ほんの少しだけ歩くことが出来る。 これには夫とふたり手を叩きたいほど嬉しくてたまらなかった。
もしかしたら食欲もあるかもしれない。大好きな食パンを食べさせてみた。 これも一枚ペロっと食べてくれる。良かった、ほんとうに良かった。
夕方の散歩はまだ無理かなと思ったけれど声をかけてみたら犬小屋から出て来る。 そうして「ちょっとだけなら行っても良いよ」みたいな顔をして見せた。
ほんとにちょっとだけ。お大師堂までは歩けなかったけれど。 途中の道端に繋いでも嫌がらずおとなしく待っていてくれる。
「はい、ごほうびのお菓子」お大師さんにお願いしてお供えしてあるお菓子を貰って来た。
そうしたら嬉しそうにピョンピョンと跳びはねてくれたではないか。
お菓子なんて久しぶりだもんね。お大師さんのお菓子は美味しいね。
明日のことはまたあした。きっと今日よりも元気になっているからね。
やはり梅雨空がもどってきてどしゃ降りの雨になる。 地面を叩きつけるような雨。空が暴れているようだった。
そんな雨も午後には小康状態になりほっとする。 帰宅した頃には雨もやんでいていつもの散歩の時間になる。
けれどもあんずは今日もまだ元気がなくて。 犬小屋に閉じこもってぐったりと寝ていた。 薄っすらと目を開けて私の顔を見ているけれど。 それ以上の反応がない。起き上がろうとしないのだ。
もしかしたら狂犬病の注射が原因かもしれない。 動物病院に電話してみたら、そんな前例はないとのこと。 2、3日様子をみて変わらなかったら連れて来るように言われた。
やはり単なる疲れだろうか。それならばきっと元気になってくれるはずだ。 あんなに元気だったあんずが突然弱ってしまうなんてなんとも心配なこと。
晩ご飯も丸二日何も食べていなかった。お腹が空いているだろうに。 もしかしたら夜中に食べてくれるかもしれないとそっとそばに置いておく。
このまま見守るしかないぞ。夫の言葉にうなずいていた。 せめてご飯を食べてくれたら少しは元気になってくれるだろうに。
15年前の秋のこと。彼女は遠いところから我が家にやって来た。 その朝まで母犬に甘えていただろうに突然クルマに乗せられてしまって。 「姉ちゃん頼むよ」弟一家はあんずを置き去りにして帰って行ったのだった。
その夜からながいことあんずはずっと泣いていたっけ。 お母さんが恋しかったことだろう。おまけに室内ではなく庭に繋がれてしまった。
その時の彼女の寂しさ。戸惑いを思い出すと胸がいっぱいになる。
そうして我が家の一員になり末娘としての暮らしが始まったのだった。
年を重ねるということ。老いると言うことは犬にだってせつないことだと思う。
辛い、苦しい、しんどい、何ひとつ言葉を発せられない彼女。
そうか、そうか疲れたんだね。大丈夫だよきっと元気になるから。 そうやって頭を撫でてあげることしか出来ない母さんだった。
ここしばらく晴天が続いていたけれど。 また明日から梅雨空に戻ってしまうのだそうだ。 どうやら梅雨明けはもう少し先になってしまいそうだった。
朝の涼しいうちにとあんずを動物病院へ連れて行く。 クルマに乗るのをとても嫌がるのはいつものことで。 軽トラックの荷台になんとか乗せてやっと連れて行く。
病院でも尻込みをして怖がって暴れてばかり。 クルマに乗せられたら病院だとすっかり覚えているようだ。
看護師さんに無理やり押さえつけられて狂犬病の注射。 フィラリアの血液検査も異常なしで予防薬をもらってきた。
帰る時にはケロッとしていてげんきんなもの。 けれどもあんずの病院嫌いにはほんとに参ってしまう。
夕方の散歩の時間。今日はいつもの甘えた声が聞こえなかった。 寝ているのかな?犬小屋をのぞいてみてびっくりしてしまった。 目は開けているけれどすごくしんどそうに横たわっている。 何度声をかけても立ち上がろうとはしなかった。 こんなに弱っているあんずを見たのは初めてのこと。 心配でならずしばらく様子を見ていたけれど何も変わりない。
ほぼ一年ぶりの動物病院、クルマに乗せられた疲れだろうと夫が言う。 それだけ年をとったと言う事だろうか。なんだかすごくせつなくなった。
晩ご飯を持って行っても寝たきりで見向きもしなかった。 手のひらにドックフードをのせて食べさせようとしたけれどそれも駄目。
大丈夫さ。明日になったら元気になっているからと夫が言うので。 「おやすみね」と声をかけてそっと犬小屋を離れる。
いつも元気溌剌のあんず。私よりも歩くのが早いあんず。
明日はいつものようにきゅいんと呼んでね。
そうして母さんと一緒にまたいつもの散歩道を歩こうね。
夕暮れ間近、何気なく窓の外を見ていたら。 重そうな荷物を背負った若いお遍路さんが土手を歩いていた。 どうやらお大師堂に向っているようでほっと嬉しく思う。
ほんとうは追いかけて行って声をかけたかったけれど。 それも間に合わず後姿に「お疲れさま」と手を合わせた。
水道のないお大師堂。顔を洗いたいだろう、足も洗いたいだろうと。 なんとも申し訳ない気持ちになりながらも歓迎する気持ちが大きい。
夕方行った時に少し掃除をしておいた。良かったなってすごく思う。 なんだかまるで自分の家の一部のように思ってしまうのだった。
はるか昔。夫がまだ少年だった頃の話だけれど。 我が家は善根宿のようなことをしていたのだそうだ。 その頃の家はもう新築されて面影もないのだけれど。 「こんまい部屋」という四畳半ぐらいの離れがあった事を覚えている。 こんまいとは方言で「小さい」という意味だった。 その小さな部屋がお遍路さんの泊まる部屋だったらしい。
お遍路さんのお世話はもっぱら祖父母がしていたとのこと。 食事は質素な物だったらしいが、お風呂だけはしっかりと入ってもらえたそうだ。
その話を夫から聞いたのはつい最近のこと。 私は胸がいっぱいになって涙が出そうなほど感動したのだった。
今の我が家にはもちろんもう「こんまい部屋」はないけれど。 祖父母の意志を継ぐことは出来ないのだろうかとふと考える。
「無理だよ」と夫の一言。馬鹿な事を考えるなよとも言われた。
けれども私はすっかり諦めてしまったわけではない。 もしかしたら・・・と今もそう思っている。
せめてお風呂だけでも。その気持ちはずっと変わらないと思う。
梅雨明けを思わすような爽やかな青空がひろがる。 気温もさほど高くならず過ごしやすい一日だった。
洗濯物を干してから娘の家に行き。 またそこでも洗濯物を干す家政婦であった。 そんなちょっとした忙しさが今は嬉しくてならない。 何もしなくても良いと言われたら涙が出てしまいそうだ。
綾菜をあやしながら過ごす時間。 にっこりと笑ってくれるとほんとに嬉しい。 泣きながら生まれた子が笑うことをおぼえる。 当たり前のことなのかもしれないけれど。 そんな成長に感動せずにはいられなかった。
帰宅すればあんずがきゅいんと泣いて散歩をせがむ。 彼女は年を重ねるごとに子犬のように甘えるようになった。 去年の今頃は足の手術をして大変だったことを思い出す。 このまま弱ってしまうのではないかしらと心配していたけれど。 それまで以上に元気になって今では老犬である事も忘れてしまうほど。
今日もグイグイとリードを引っ張って私よりも先に歩いて行く。 苦手なはずのお大師堂だというのに目指すように進んで行くのが不思議。 そうしてそこで繋がれているあいだまるで山羊のように泣くのが日課だった。
それが嫌で連れてこない日が続いていたけれど、最近は気にならなくなった。 泣きたいだけ泣けばいいと思ってみたり、仕方ないと諦めてみたり。
土手を吹き抜ける心地よい南風に吹かれながら家路につく。
明日はどんな風が吹くのかしら。風にまかせてみるのもよいかなと思う。
茜色に染まる空を久しぶりに見たような気がする。 夕風が心地よい。窓からは土手を散歩する人が見えている。
昨夜は真夜中から激しい雷雨になり今朝まで続いた。 稲妻とどしゃ降りの雨にはらはらしながら過ごしていたけれど。 雷雲が通り過ぎた後は嘘のように静かになりお昼前には青空が見えた。
例のごとく娘の家で過ごす一日。 あやすと綾菜が笑うようになりとても嬉しかった。 いないいないばあはまだ少し早そうだけれど。 名前を呼んでいろんな仕草をして見せるとにっこりと笑ってくれる。 まるで天使の微笑み。愛しさがこみ上げてきて目頭が熱くなるほど。
どうかこの子がこれからも健やかに育ってくれますように。 七夕にひとつだけ願いごとをというなら他には考えられなかった。
その反面、昨年の七夕に被災地の子供が書いた短冊のことを思い出す。
「お母さんがはやく見つかりますように」
今年はその後の報道が全くと言っていいほどなかった。 それで良いのか。そんなふうに忘れてしまっていいのかと心を痛める。
その子供は今年も同じことを願ったのかもしれない。
私たちはいちばん身近なことにばかり気をかけてしまう。 それはどうしようもなくて、それが決していけないことではないのだけれど。
「願う」という気持ち。もっともっと手をあわさなければいけない。
連日真夏日が続いていて今日の暑さもハンパではなかった。 そろそろ梅雨もあけるのかもしれない。そうして夏本番がやってくる。
数年前まではとても苦手だった夏だけれど。 今では夏も良いものだなと思えるようになった。
燃えているような太陽。青空に入道雲。 たくさんのエネルギーが空から降り注いでいるように思う。
そんな夏を受けとめなくちゃ。元気をださなくちゃって思っている。
汗を流しながらの散歩道。ご近所の庭にほうずきを見つける。 ふっくらとオレンジ色の宝石みたい。なんとも可愛らしいものだ。 そうしてとても懐かしい。子供の頃に遊んだことを思い出した。
子供の頃の思い出はすべてが夏のことのようにも思える。 夏が大好きだったのだ。真っ黒に日焼けして遊びまわっていたっけ。
いろんなことを思い出してはにっこりと微笑んでいる。
そんな微笑をこの夏にも残したいものだ。
今日も真夏日。風が殆どなくてとても蒸し暑い一日だった。 まだまだこれからが夏本番だというのに早くも夏バテ気味になる。
散歩の距離もついつい短くなってしまって万歩計もほんのわずか。 どんな日もあるからと自分に言い聞かしているけれど少し情けない気持ち。 目標の岩本寺までまだ24キロもあってあと一週間はかかりそうだ。
それともうひとつ情けないのは、このひと月ほどで2キロも太ってしまった。 食べ過ぎと運動不足が原因だと思うけれど、その2キロがとても重く感じる。
もちろん身体も重い。颯爽と歩くことが出来なくてすっかり悪循環だった。 このままではいけないなと強く思っているけれどさてどうなることやら。
いろんなことを受けとめながら、なんとかなるさと考えている自分もいる。 些細なことを気にせずに好きなように流れていくのが良いのかもしれない。
ちょっと昔の私はそうではなかった。些細なことがとても気になる。 「受けとめる」ということがうまく出来なかったのかもしれない。
向ってくるものはキャッチする。避けたり逃げたりせずに受けとめる。 そうしてそれが現実なのだと頷けるようになると心はとても楽になるものだ。
そんなことを思うと私も少しは成長したのかもしれない。
年を重ねるということはきっとそういうことなのだろうなって思う。
ほんの少しの青空だったけれど気温が高くなり真夏日となる。
山里へと向う道。はっとしたのはもう稲の穂が見え始めていたこと。 田んぼの緑は目に沁みるように青々としていてとても清々しい風景だ。
仕事中に蝉の声を聴く。初蝉やどこからともなく夏の声。
わずか七日の命だという蝉の声はまだか弱くて少しせつなかった。
帰宅していつものようにお大師堂まで散歩する。 会うのはこれで何度目になるのだろう。 すっかり顔なじみになった長髪青年遍路さんと再会した。 前回会ったのは5月の始めで、少しお説教をしてしまったのを覚えている。 ウザイおばさんだなと思ったことだろうに、今日は私を待っていてくれた。
そうして目をキラキラさせながら旅の話をきかせてくれたのだった。 今回が9巡目。目標の10巡までもう少しになったと嬉しそう。 家を出てから一年と三ヶ月にもなったのだそうだ。 髪の毛もずいぶんと伸びた。それが彼の日々を物語っているのだと思う。
なんとしても目標を達成するのだと言う強い意志。 彼をここまで動かしてくれたものはいったい何だろうか。
長髪青年遍路さん。いまだ私は彼の本当の名を知らずにいる。 次に会えるのは9月だろうか。今度こそ最後のお遍路になることだろう。
ねえ、ボクは何て言う名前なの?最後にはきっと訊ねようと決めた。
曇り日。湿気を含んだ南風が強く吹く。 九州では大雨で甚大な被害が出たとの事。 とても他人事には思えず明日は我が身かもしれなかった。
幸いなことに平穏な一日。とても恵まれているのだと思う。 決して当たり前のことではないのだと事あるごとに感じている。
二日ぶりに娘の家に行く。 そろそろ週末だけにしようかと考えていたけれど。 まだまだ手助けが必要なようだった。
今日で綾菜も生後2ヶ月になった。 ほんとうにあっという間に日々が流れてしまったように思う。
夜と昼の区別がもう出来るようになり、夜中の授乳もなくなったようだ。 昼間は殆ど起きていてぐずって泣く時もあるけれど、一人遊びも出来るようになる。
日に日に成長しているのがわかり会うたびにはっとすることが多い。 もう少ししたらあやすと笑うようになるかしら。とても楽しみだった。
綾菜と一緒に近くの公園まで散歩に行った。 二歳くらいの男の子とおばあちゃんらしき人が遊んでいて微笑ましい光景。 綾菜も大きくなったらすべり台が好きになるかなって思った。
午後は娘が出掛けてしまって三時間ほど帰ってこなかった。 ミルクを飲ませたり抱っこしてお昼寝をさせようとしたりけっこう忙しい。 けれども孫三昧ほどありがたいことはなくとても充実した時間だった。
なによりもここまで順調に育ってくれたことが嬉しくてならない。
どうかこれからも見守っていて下さい。 帰宅するなりお大師堂に行き手を合わせたことだった。
2012年07月02日(月) |
ネムの木の花が咲く頃 |
うす曇でとても蒸し暑い一日だった。
七月の声を聞くなりネムの木の花が目にとびこんでくる。 もうとっくに咲いていたのかもしれないけれど。 雨の日が多く気づかずに通り過ぎてしまっていたのだろう。
ちいさな孔雀が薄桃色の羽根をひろげたような花だった。 今にも飛んで行ってしまいそうな花がひらひらと風に揺れている。
昨夜は年に一度の「先祖まつり」があり従兄弟の家へ行っていた。 本家さんを始め分家が7軒、親族がみな集まって賑やかな夜になる。 一族のルーツにはとても興味がある。江戸時代にはどうしていたのか。 一番古いお墓は明治時代の物らしく、百太郎さんと言う人らしい。 たくさんの子孫を残してくれたご先祖さんに感謝せずにはいられなかった。
先祖まつりの手伝いがあったため、午前中にお大師堂に行っていたけれど。 会う約束をしていた例のお遍路さんの姿が見えなかった。 一晩で体調が良くなったとは思えず、無理をして出発したのかもしれない。
なんだか涙がぽろぽろとこぼれた。どうして?どうして?って思った。
今までたくさんのお遍路さんと出会うことが出来たけれど。 こんなにこころが疼いたことはなかったように思う。
どうかご無事で。お大師さんに手を合わせ空に手を合わせた。
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