ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2012年06月30日(土) こころの太陽

ぽつぽつと小雨が降ったりやんだりのいちにち。
灰色の空の上には必ず太陽がいるのよと言った母の言葉を思い出す。

梅雨空もあと少しの辛抱だろう。こころにはいつも太陽がいる。


三日ぶりに娘の家に行っていた。
可愛い孫と過ごせる一日はほんとうにありがたいものだ。
今日の綾菜はとても機嫌が良くてお守りも楽チンだった。
午後は娘と三人でお昼寝。とても静かで平和なひと時を過ごす。



夕方には雨もやんでいていつものように散歩に行くことが出来た。
お大師堂で顔馴染みのお遍路さんと再会することが出来たけれど。
数日前から体調が悪いとのことでとても心配でならなかった。
聞けば三度の食事もまともに食べていないとのこと。
それが試練のように語っていたけれど、それでは体力が持たない。
帰る家があり待っていてくれる家族がいてくれたらと願うばかり。

職業遍路さんはあまりにもいろんな事情を抱えているようで。
詳しく尋ねるにも憚られる時があって、ただただ心が痛くなるのだった。

何か少しでも助けてあげられないか。自分に出来る事は何だろうと考える。
お接待がお節介になっても良い。助けてあげたい気持ちこそが大切だと思う。

明日また会う約束をして別れた。せめて朝御飯を届けてあげられたらと思う。

どうか少しでも元気になってくれますように。お大師さんが守ってくれますように。



2012年06月29日(金) 明日に向う

梅雨も峠を越えたのだろうか、空がほんの少し微笑んでくれる。
薄いベールの向こう側には夏の太陽がそっと佇んでいるようだった。


山里へと向う朝の道。今朝はお遍路さんの姿も見えず少し寂しかった。
そういえばMさんはもう伊予路を歩いている頃だろうか。
つい先日会ったばかりだというのにもうその笑顔が懐かしい。


金曜日の仕事は忙しくて、あらあらと言う間に一日が過ぎる。
ぼんやりと何かを考えることもないのは良いことなのかもしれなかった。

考えてもどうしようも出来ない事がひとつでもあると。
結局堂々巡りになってしまってこころが苦しくなるばかり。



帰宅していつもの散歩。久しぶりにたくさん歩けて良かった。
お大師堂から大橋のたもとまで心地よい風に吹かれながら歩く。
いつのまにか土手の除草作業も終っていてなんとも殺風景だけれど。
雀色の土手もさっぱりとしていて良いものだなと思った。

夏草はとても強い。あっという間にまた緑の土手に変わることだろう。
なんだか見守るような気持ち。すくすくと伸びるものを愛しくおもう。

四万十のほとりに暮らし始めてもう33年が過ぎた。

春夏秋冬の景色を胸に目に焼きつけるように私の日々は明日に向う。



2012年06月28日(木) ひとつのこだわり

曇りのち晴れ。久しぶりの青空がとても嬉しかった。
またすぐに梅雨空に戻ってしまいそうだけれど。
自由気ままな空と付き合っていくのも良いかなと思う。


パソコンを修理に出していたので月曜日から日記が書けずにいた。
ネット上に日々を書き残すようになってもう10年以上になる。
「書く」ということが生きがいのように思って今まで続けてきた。

それがある日突然に書けなくなるという現実にぶちあたると。
なんだかこころにぽっかりと穴があいてしまったような気分になる。

こだわっていたのだなとあらためて感じたりもした。
「書きたい」のではなくて「書かなければいけない」
こころのどこかでそう思っていたのかもしれないとふと思った。

けれどもそんなこだわりを否定したくはない。
ちっぽけでささやかなことだけれど自分は書くことが出来る。
出来ることを精一杯につらぬくのが自分自身への使命のようにも思うのだった。

継続はチカラなり。その言葉を信じてこれからも日々を歩んでいきたい。


わたしはときどきとおくなる。

どんなに抱きしめていてもとおくなる。

そうしてじぶんの背中が好きになるときがある。

だいじょうぶ。歩いているねって言ってあげるんだ。



2012年06月24日(日) 心臓の音

いかにも梅雨らしく絶え間なく雨が降り続いている。

紫陽花は満開の時を過ぎ少しずつ化石のように枯れているけれど。
バトンタッチをしたかのようにノウゼンカズラの花が咲き始めた。
オレンジ色の花はハイビスカスに似ていてなんとも夏らしい花だ。

そんな花も雨に打たれる。悲しくはないのよと言っているように。



今日もほぼ一日を娘の家で過ごす。
お昼前に少しだけ三人で外出をした。
綾菜はチャイルドシートがお気に入りのようだ。
娘の職場に行きみんなに綾菜をお披露目して帰る。

午後は眠くなって例のごとくぐずって泣き始める。
娘とふたりかわるがわるあやしていたけれどご機嫌斜め。
そうだ良いものがあると娘がスマフォから取り出した音。
赤ちゃんがお腹の中で聞いていた母親の心臓の音だそうだ。

あらまあ不思議。その音を聴くなりぴたっと泣き止む。
そうしてすぐにうとうととし始めてやがてぐっすりと眠ってくれた。
その音にきっと安心したのだろう。お腹の中の記憶ってすごいなと思う。

娘とふたりで添い寝する午後。なんとも平穏で静かなひと時だった。



夕方帰宅し、その足でお大師堂へ参る。
沖縄からのお遍路さんはゆっくりと骨休みが出来たようだ。
明日のことは明日になって考えますと言っていた。

どうかどしゃ降りの雨になりませんようにと願うばかり。





2012年06月23日(土) 亀さんのような日々

また梅雨空が戻ってきてぽつりぽつりと雨模様。
部屋干しの洗濯物がしょんぼりと可哀想に見える。


朝から娘の家に行きほぼ一日中一緒に過ごす。
綾菜は今日もご機嫌斜めでぐずって泣いてばかりだった。
私が抱いても泣き止まないのに娘が抱くとぴたっと泣き止む。
お乳の匂いがするのだろうか。やはり母親がいちばんのようだ。

おばあちゃんはちょっぴり子守の自信がなくなってしまった。
泣く子をあやすのはほんとうに大変だなとつくづく思う。

それでも可愛い孫のため。明日も勇んで出掛けることだろう。



夕方になっても雨は降りやまず今日の散歩は諦める。
最近のお遍路万歩計は思うように進まず、岩本寺ははるかに遠い。
けれども毎日少しずつでも歩いていればきっと辿り着く日が来るだろう。
焦ることも急ぐことも何もない。もしもし亀さんのような私の日々だった。

お大師堂にお参りだけはしたくて、娘の家からそのままクルマで行く。
初対面のお遍路さんが居てくれてほんの少しだけ話すことが出来た。
なんと沖縄からのお遍路さんでびっくりしてしまった。
5年前に一度結願をしてからまた去年からお遍路を始めたのだそうだ。
気のせいかどことなく表情が暗くて少し気になったけれど
あれこれと詮索することだけは避けたくてそっとお別れをする。

何かを抱えているのならば少しでもその荷が軽くなりますように。
もしかしたらまた会えるかもしれない。その時にはきっと笑顔に会えるだろう。

昨日は濁流でゴウゴウと唸っていた川も今日は静かに流れていた。
さらさらと耳に心地よい流れはまるでひとの心のようにも感じる。

流れに逆らわないこと。つねに身をまかせるように流れていけばいい。



2012年06月22日(金) 青空ばんざい

昨夜は激しい雨音を聴きながら眠ったけれど。
今朝はなんとも清々しい爽やかな青空が見えた。

川向の山々の緑が目に沁みるように鮮やかだった。
そんな絵のような風景を久しぶりに見たような気がする。

山里へ向う国道でMさんと青年遍路さんの姿をさがしたけれど。
長いトンネルを抜けてもふたりの姿は見つからなかった。
夜明けとともにお大師堂を発ったのだろうと思う。
颯爽と歩くふたりの姿が目に見えるようだった。

国道から山道へ。峠を越えると山里の風景が目の前に広がる。
いちばん最初に目にとびこんできたのは一面のオクラ畑だった。
レモン色の可愛らしい花がたくさん咲いていて思わず歓声をあげた。
台風や大雨の被害がなくてほんとうに良かったなって思う。


仕事は忙しかったけれど、荒波が立つこともなく無事に終える。
母も上機嫌でおしゃべりの花を咲かせていた。
相槌を打つのも愉快。私が席を外しても一人でしゃべっていたりする。

どんな日もあるもの。山里へ行くたびにそう思うことが多い。
沈没寸前の船のうえではらはらしたりほっとしたり。
どこまで行っても辿り着く島が見えないのだけれど。
誰ひとりとして船を漕ぐ手を休もうとはしなかった。
微力な私も乗組員の一人であることを忘れてはならない。



帰宅していつものように散歩。麦藁帽子を被って歩く。
土手の除草作業が始まって姫女苑の花も見納めかもしれない。
寂しくなるけれどしかたないこと。花はなくても根は残る。

お大師堂はがらんと静か。Mさんと青年の笑顔が目に浮かんだ。



2012年06月21日(木) 母は強し

心配していた台風は熱低に変わったけれど、
とにかく凄い雨で今も断続的に降り続いている。

やまない雨はないという。しばし雨音に耳を傾けていよう。


山里の職場にも行かず朝からのんびりとしていたけれど、
今日は来なくても良いと言っていた娘から連絡があった。
あまりの雨に家族でお出掛けどころではなくなったようだ。

降りしきる雨の中、娘の家に駆けつけたのは言うまでもない。
最近では綾菜の顔を見たい以上に娘を助けてあげたい気持ちが強い。
育児疲れが日に日にひどくなっているようで心配でならなかった。
幸い夜はぐっすりと眠ってくれるようになったようだけれど
昼間は殆ど起きていてぐずって泣くことが多くなったようだ。

それも成長のあかしと思えば決して悪いことではない。
母は強し。どんなこともきっと乗り越えられるのだと思う。

私もそうして二人の子供を育ててきたのだろうか。
昔のことがあまり思い出せない。きっと無我夢中の子育てだったのだろう。

気がつけばお座りをするようになりハイハイをし始めて。
つかまり立ちをするようになったと思えば歩き始めていた。

そうして子供に育てられて親になる。子育てとはそういうものだと思う。

頑張れサチコ。娘にエールを送り続ける日々がこれからも続くだろう。



2012年06月20日(水) 些細なこと

おひさまはまたかくれんぼ。また梅雨空がかえってきた。
そうして今度は台風5号が近づいて来ている。
自然には逆らえなくて、どうしようもできなくて。
ただただ無事に通り過ぎて欲しいと願うばかりである。


午前中は山里の職場。午後からはお休みさせてもらう。
美容院へ行き伸びていた髪を夏らしくさっぱりと切る。
ほんの2センチの憂鬱。髪を切ると心もすごく軽くなる。

ゆっくりと買物をしてから娘のところに行った。
今日は綾菜のお風呂を手伝ってと頼まれていた。
そんなふうに頼ってくれるのがいちばん嬉しいこと。

でも明日は来なくても良いからと言われてちょっとがっかり。
お婿さんがお休みなので三人で出掛けるのだそうだ。
これからそんな日も多くなるのかなとふっと寂しく思った。




帰宅してあんずと一緒にお大師堂へ行く。
台風が去るまで滞在するというMさんの笑顔にまた会えて嬉しい。
そうしてもう一人、Mさんが道中で知り合った若いお遍路さんも一緒だった。

ふたりで晩ご飯の支度をしていた。ご飯の炊けるいい匂いが漂う。
若いお遍路さんは胡瓜を丸齧りしていて、それは美味しそうに食べていた。

お大師堂には水道がない。それはとても不便な事だといつも思う。
備え付けのペットボトルの水も少なくなっていて大急ぎで帰宅した。
水を持っていくとMさんも若者もとても喜んでくれてほっとする。

二人ともお風呂に入りたいだろうな。お接待が出来たらどんなに良いだろう。

そんな心苦しさはいつもある。自分に出来る事はほんとうに些細なことだった。




2012年06月19日(火) 嵐が去って

幸いなことに台風の直撃を免れる。
一時は荒れたものの夕方には台風一過の青空が見えた。

午前中は予定通り娘の家に行っていたけれど、
だんだんと雨と風が激しくなり始めて急いで帰宅する。
家政婦らしきこともろくに出来ず娘に申し訳なかった。
いっそ嵐が過ぎ去るまで一緒に居れば良かったと後から思う。

綾菜はおりこうさんでいてくれたかしら。
娘はちゃんと夕食の支度が出来ただろうか。

30分でも一時間でも多く助けてあげたかったなと思う。





雨がやんでくれたおかげでいつもの散歩に行く事が出来た。
まだ風は強かったけれど背中を押されるようにお大師堂へ向う。

見覚えのある靴。思ったとおりそれはMさんの靴だった。
前回会ってからひと月と少し、お互い笑顔で再会を喜び合う。

嵐の中を何が何でもお大師堂へ辿り着こうと必死で歩いて来たそうだ。
まるで我が家に帰って来たように寛いでいるMさんを見てほっとする。

もう24巡目のお遍路。すっかり職業遍路になってしまったけれど。
故郷の山梨には嫁がれた娘さんが居て、電話する度に帰って来てと言われるのだそうだ。

Mさんも本当は帰りたい。けれども娘夫婦の世話になるわけにはいかない。
そんな話を聞いているとなんともせつなくなって胸が熱くなるのだった。

初孫が出来たら帰りたいな。まるで夢のようにMさんは語る。
それは決して夢ではないこと。帰る場所がある待っていてくれる家族がいる。
それが何よりの励みではないかと思うのだった。

Mさんの春夏秋冬をおもう。特に夏と冬の厳しさはどんなにか辛い事だろう。

いろんな日があっていろんな出会いがあって嬉しい日も辛い日もちゃんと生きている。

生きることはほんとうに楽しい。Mさんの笑顔はいつもピカイチだった。



2012年06月18日(月) 嵐の前の静けさ

台風が不気味に近づいていて、明日は大荒れになりそうだった。
嵐の前の静けさと言うのだろうか今夜は嘘のように静かである。

なんだかはらはらと落ち着かない気分になり明日のことばかり考えている。
今ではない先のことを考えては不安になるのが私の悪い癖だった。

来るものは拒めず。明日は明日の風まかせなのだと自分に言い聞かす。

娘たちのところにも行けないかもしれない。
いちばんにそれを思った。なんだかとても拘っている自分に気づく。

どんな時もあってよし。どうしてすぐにそう思えないのだろうとおもう。




湿気が多くとても蒸し暑い一日だった。
それでも土手にあがれば南風が心地よく吹き抜けていた。

先日の雨で少し濁ってしまった川に観光船が行き交う。
投網の実演があり観光客が歓声をあげているのが聞こえた。
とても清流とは言えない川だと言うのにその声を嬉しく思った。

あちらこちらで道草を繰り返すあんず。
そのたびに立ち止まってはゆったりとした気分になる。

姫女苑の花がゆらりゆらりと風にゆれていた。
なんと平和な時間なのだろう。感謝の気持ちでいっぱいになった。



2012年06月17日(日) 手を合わせば

今日も雨だろうと覚悟していたけれど思いがけずに薄陽が射し始める。
大喜びで溜まっていた洗濯物を干す。やはりおひさまはありがたいものだ。

家政婦心が一気にふくらみ娘の家に駆けつけた。
ベランダで洗濯物を干すのがなんだか楽しくてならない。

綾菜はこのところ昼間は起きている時間が多くなり。
今日は少しご機嫌斜めで抱いていてもぐずってばかりだった。
可愛い孫とはいえ子守はほんとうに大変だなとつくづく思う。

娘も少し育児疲れが出ているようで心配だった。
お婿さんが夜中の仕事なので昼間は寝なくてはいけない。
そのせいもあり綾菜を泣かせてはいけないと私も気を遣っていた。

一日おきの家政婦。娘たちは頼りにしてくれていてありがたいことだ。
私も役に立てるのだと思うと張り合いがあって疲れも楽しみに変わる。



帰宅が少し遅くなり、あんずを連れてお大師堂まで散歩する。
昨日は犬小屋から出ようとしなかったあんずも今日は外で待っていた。
リードをぐんぐんと引っ張り先を急ごうとするあんすは。
とても15歳の老犬には思えず、その元気さを頼もしく思う。

お大師堂では相変わらず泣き叫んでいたけれど無事にお参りを済ます。
綾菜のこと。娘夫婦のこと。息子と夫のこと。山里の母のこと。
なんて欲張りな人だろうとお大師さんも呆れているかもしれなかった。

みんなの無事を願うこと。そうして今日に感謝すること。

手を合わすたびに浮かぶ顔は。かけがえのない大切な宝物だった。



2012年06月16日(土) 雨が降ります雨が降る

大雨洪水警報が出てしまってはらはらと空を仰ぐばかり。
決して嫌いではないはずの雨が怖くなる時もあった。


今日は家政婦もお休みして家に閉じこもっていようと思っていたけれど。
なんともそわそわと落ち着かない気分になって、結局娘の家に行ってしまった。

行けば行ったで歓迎してくれる。それがとてもありがたく思う。
いつものように家事を手伝い綾菜の顔を見ていられるだけで幸せだった。

ほんの二週間前。我が家を去る時は寂しさでいっぱいだったのが嘘のよう。
まさかこんなに足しげく通うようになるとは夢にも思っていなかった。

「おばあちゃん明日も来てね」娘が綾菜の手をとりバイバイをしてくれる。

帰る時はいつも名残惜しい。後ろ髪を引かれるように帰路に着いた。



夕方には雨も小降りになっていて、少しでも散歩をと思ったけれど。
あんずはいくら呼んでも犬小屋から出てこようとしなかった。
無理やり引っ張り出して連れて行くわけにもいかず今日の散歩は中止。

お遍路万歩計は思うように進まない。今日も2千歩ほどだった。
青龍寺を終え岩本寺に向っているけれど距離にして60キロもある。
クルマだと一時間で着くというのに歩くということは本当に大変な事だ。

この雨の中、歩き続けているお遍路さんもいることだろう。
頭が下がる思いでいっぱいになった。どんなにか厳しいことだろう。

どんな日もあるのだといちばん知っているのがお遍路さんかもしれない。



2012年06月15日(金) 人生お気楽に

週間天気予報はずっと雨ばかり。
いよいよ梅雨も本格的になってきたのだろう。

以前は憂鬱に思った梅雨時も今はそうでもなかった。
自由気ままな空でよし。雨ならば雨もよしと思えるようになった。

年を重ねるということはまんざらでもなくって。
何かを否定すると言う気持ちが年々薄れていくように思う。

ある意味、嫌いなものがなくなってしまう。
そうして腹が立つこともなくなってしまうのだった。

それだけ自分の角がとれてまあるくなったのかもしれない。

まだまだ人生お気楽にとはいかないけれど。
少しずつ近づいているような気がして前途が楽しみである。

今に突然誰かになぐられても微笑んでいられる。
落とし穴に落ちたとしても笑って這い上がれるようになるだろう。

なぐりたかったひとの心を思い遣れるようになる。
落とし穴に落ちた意味を深く考え反省することも出来る。


正直言って老いることは怖い。
ある日突然に命のろうそくがふっと風に消えてしまうかもしれない。

もう二度と灯せないあかり。それがいつなのか誰にもわからない。

だからこそ立ち向かっていく。そんな勇気こそが必要だと思う。



2012年06月14日(木) 守ってあげたい

雨も嫌いではないのだけれど梅雨の晴れ間はやはりありがたい。

娘の家で家政婦の日。洗濯物を干すのがとても楽しく思えた。
ベランダから見える紫陽花がたくさん咲いている小道。
すぐ下には畑がありスイカだろうか緑の蔓が伸びている。
そうしてすぐ近くの小学校からは子供達の元気な声が響いていた。

娘たちは引越しを考えているようだけれど。
ここが良いのになって思った。環境がとても良い。

例のごとく娘は買物に出掛け、お昼過ぎまで綾菜とふたりで過ごす。
今日は綾菜のご機嫌がとても良くて子守も楽チンだった。
お昼には寝てくれてゆっくりと昼食を食べることも出来る。

寝顔を見ながらふと綾菜の人生について考えてみた。
10年20年。はるか先のことのようにも思えるけれど。
この娘はどんな人生を歩むのだろうと漠然と思ったのだった。

辛いことがありませんように。悲しいことがありませんように。
笑顔のままでおとなになってくれたらどんなに良いだろうか。

なんとしても守ってあげたい。そんな思いが込み上げてくる。

大地震、津波、もし今それが襲って来たらと考える。
綾菜を抱いて避難している姿がまるで現実のように浮かんできた。

南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛  気がつけばそう唱えていた。

守ってあげたい強い思いをお大師さんは守ってくれるだろうか。




2012年06月13日(水) ささやかな出会いに

山里に向う途中の国道で、昨日お大師堂で出会ったお遍路さんを見つけた。
荷物がとても重たそうだったけれど元気な足取りにほっとする。

昨日は大急ぎでお参りに行ったものだから、ほんの挨拶程度で終ってしまい
ゆっくりと話すことが出来なくてとても残念に思っていた。

今朝もクルマを停めようと思えば出来たのにと後から後悔してしまう。
時々そんなふうにゆとりをなくしてしまう時がある。
たとえつかの間でもあっても丁寧に時間を使いたいものだ。


夕方お大師堂へ行き、もしやと思い備え付けのノートを開いてみた。
良かった。ちゃんと書き込んでくれている。それがとても嬉しかった。
雨を凌ぐことが出来てゆっくりと休めたこと。
「足摺に向って頑張ります!」と締めくくられていた。

松山からの29歳の青年であった。その若さがとても頼もしい。
きっとこれからも元気に旅を続けてくれることだろう。

ひとりひとりのお遍路さんに手を合わすこと。
私もそれだけは忘れずこれからも続けていきたいと思う。

そうして今回のように後悔をしないような接し方をしたかった。
一言でも良いから必ず声をかけるように心がけたいと思う。

これからも笑顔と笑顔がたくさん出会えますように。



2012年06月12日(火) 家政婦のミカ

いかにも梅雨らしいお天気。歌うように雨が降る。
リズミカルな雨音は決して嫌いではなかった。

朝から娘宅へ出勤。家政婦さんはけっこう忙しい。
チャイムを押して娘が顔を出すなり「家政婦のミカ」ですと言って大うけ。
(ミカは私の本名である)

今日最初の仕事はミシンかけだった。
先日お婿さんが買って来てくれたベビー服が長袖だったので。
半袖にしてすぐに着せられるようにしてあげたかったのだ。

「じゃあ家政婦さんあとを頼みますね」娘たちが出掛けて行く。

すぐに終るはずのミシンかけだったけれど、綾菜が泣き出してしまった。
お腹は空いていないはずなのに眠くなったのかな。
抱っこしてあやすこと小一時間。やっと眠り始めてお布団に寝かせばまた泣き出す。
これにはさすがの家政婦さんも困ってしまったけれど辛抱強く頑張る。
しまいには泣き声を聞きながらミシンかけをする始末。
「すぐに終るから待っていてね」終るなりまた抱っこをして子守唄を歌った。

けれども綾菜はぐっすりと眠ってくれない。
そろそろミルクかしら。いつの間にかそんな時間になっていた。
娘から電話があり、お昼は外で食べてくるからと言う。
家政婦さんもお腹が空いた。でも綾菜優先でミルクを飲ます。
忙しくてもそんな時間がとても愛しかった。
娘たちのおかげで孫三昧が出来るなんてとてもありがたい事だと思う。

昼下がり帰宅した娘がチキンラーメンを作ってくれる。
それがとても美味しかった。家政婦さんもやっと昼食にありつけたのだ。

それからお昼寝の時間。綾菜よりも先に娘がうたた寝を始めてしまった。
その姿を見ていると娘もどんなにか疲れていることだろうと思った。
綾菜を泣かせてはいけない。家政婦さんは必死になって綾菜を寝かしつける。

やっと眠ってくれて私も少しだけうたた寝をした。
添い寝はなんともいえず幸せな気分になる。綾菜の寝息がとても愛しい。

みんなの目が覚めたら今度は綾菜の沐浴。
半袖になった新しいベビー服を着せてみたらとても可愛かった。

午後四時。家政婦さんの今日の仕事は終った。
最後にトイレ掃除をしてから大急ぎで家路に着く。

その足でお大師堂に参り、帰宅してからあんずの散歩に行った。
その頃には降り続いていた雨もやんでくれていて助かる。

明日は山里の職場。明後日はまた家政婦のミカを頑張ろうと思う。



2012年06月11日(月) 苦を楽に

曇り日。ほんのりと雨のにおいがする。

山里の神社に咲く紫陽花がとても綺麗だそうだ。
行ってみたいなと思いながらそんな余裕もなく仕事に精を出す。

自分なりにスイッチを切り替えているつもりだけれど。
山里の職場にいるとどうしても緊張してしまう。
かといって逃げ出すわけにもいかず複雑な気持ちになってしまう。
親孝行だと思えば少しは気も楽になり母の笑顔に救われる思いだった。

しばらくは週に三日。母もそうすることに承知してくれてほっとする。
決して怠けているのではない。逃げているのではないと自分に言い聞かす。

どんな日もあり山里にいても嬉しいことはたくさんある。
何事も受け止め方次第で苦も楽に変えられるのだろうと思う。



帰宅していつもの散歩。今日は少し遅くなってしまって。
あんずの散歩を兼ねてお大師堂にお参りに行った。
覚悟はしていたけれど繋がれている間のあんずの泣き叫ぶ声。
久しぶりに聞いたけれど、ほんとに辛そうに泣くのだった。

けれどもお大師さんは微笑んでいるみたい。
今にもその姿が現れてあんずの頭を「よしよし」と撫でてくれそう。

あまりにも騒がしいからとあんずを連れて来なくなってずいぶんと経った。
けれどもたまには連れて来てお大師さんに会わせてあげたいなと思う。

「ありがとうございました」いつかあんずもそう思える日が来ると良いな。



2012年06月10日(日) おばあちゃんはお母さん

本日も晴天なり。梅雨特有の蒸し暑さも感じず過ごしやすい一日。

午前8時半にはもう娘のアパートに着いていた。
遠慮をしないと決めてからずいぶんと気が楽になる。
おばあちゃんである前に娘の母親だものと思うようになった。
綾菜の世話はもちろんのこと家事もどんどん手伝う。
さっそく洗濯物を干してあげたら娘がとても喜んでくれた。

お昼にはお寿司を買って来て、すぐ近くに住む息子を呼んだ。
今日は息子の誕生日。ささやかだけれど娘とふたりでお祝いをする。
にこにこと嬉しそうなお兄ちゃん。つかの間だったけれど楽しい時間だった。

息子が生まれた日のことをしみじみと思い出す。
不思議な事に陣痛の痛みは少しも憶えていなかった。
娘もやがてその痛みを忘れてしまうことだろう。
そうして日に日に親として成長していく。
こどものおかげで親になれた喜びを感じることだろう。



午後。早目においとましようかなと思っていたけれど、
綾菜の沐浴が済むまで居てほしいと娘に頼まれて嬉しく頷く。
バスタオルに綾菜をくるんで抱っこするのが私の役目だった。
少しのあいだ裸んぼうのままで遊ばせてあげたらご機嫌。
手足をばたばたさせておいちにっおいちにっと掛け声をかける。


とうとう帰る時間「お母さん、ありがとう」娘の一言に胸が熱くなる。





2012年06月09日(土) 鈴の音

梅雨入りをしたとはいえ今日は快晴となる。
爽やかな風がありがたく蒸し暑さも感じなかった。

早朝、窓を開けるなりちりんちりんと鈴の音が聞こえてきて
土手の道をお遍路さんが通り過ぎて行くのが見えた。
その姿に思わず手を合わす。鈴の音はどんどんと遠ざかって行くばかり。
もしかしたらお大師堂に泊まっていたのかもしれないと思った。
昨夕は雨に負けてしまってお参りに行かなかったのが悔やまれる。

今日こそはと出掛けてみるとお大師さんの傍らに納め札が供えれていた。
被災地気仙沼の住所にはっとして胸が締め付けられるような思いだった。
大切なひとを亡くされたのかもしれない。供養の旅だったのかもしれない。

今朝聞いた鈴の音が耳によみがえる。決して忘れてはいけないのだと胸に刻んだ。

会えるひともいれば会えないひともいる。
縁というものは時にはたよりなくか細い糸でつながっているのだろう。

けれども鈴の音が大切なことを伝えてくれたような気がして心に残る。

ちりんちりんと今日もその音を響かせながらそのひとの旅は続く。





2012年06月08日(金) こまったおばあちゃん

とうとう梅雨入り。朝から絶え間なく雨が降り続いていた。
これから雨の日が多くなりそうだけれど、そんな雨のおかげで
おひさまのありがたをしみじみと感じることが出来るだろう。


今日は山里の職場を休ませてもらって綾菜を皮膚科に連れて行く。
先日から顔に赤い湿疹がたくさん出来て日に日にひどくなっていた。
アトピーかもしれないと心配していたけれど、脂漏性のものだと言うこと。
おとなのにきびのようなものだからすぐに治ると聞きとてもほっとした。

痒みもないのか綾菜は機嫌も良くて元気いっぱい。
娘が買物に行っているあいだおりこうさんでバーバと遊んでいた。

目もずいぶんと見えるようになったのか表情も豊かになる。
あやせば笑うようになるのもすぐだろう。楽しみでならない。


聞くところによるとお婿さんのお母さんは一日おきに会いに来ているとのこと。
私も遠慮をせずにそう出来たらどんなにか良いだろうかと思った。
外孫と内孫の違いをやはり感じずにはいられないのが少し辛かった。

綾菜にとってはふたりのおばあちゃん。
顔を覚えるようになったらたくさん会っているおばあちゃんが良いのかな。
いっぱい抱っこをしてくれる方のおばあちゃんを好きになるのかな。

あちらのお母さんと張り合う気持ちはないけれど、
なんだか綾菜をとられてしまうようで寂しくて焦る気持ちになってしまった。

こまったおばあちゃんだこと。孫が可愛いのはどちらも一緒なのにと思う。

それだけみんなに愛されている綾菜でほんとうに良かったね。



2012年06月07日(木) 青い目をしたお遍路さん

家の前の路地でお遍路さんに会った。
青い目をしたお遍路さんだったのでちょっとびっくり。
「こんにちは」と声をかけるとにっこりと微笑んでくれた。
日本語がうまく通じるかどうかわからなかったけれど。
もっと話しかけてみたかなって後から思ったことだった。

もしかしたらお大師堂へ向ったのかもしれない。
後から急いで駆けつけてみたけれど残念ながらその姿はなかった。

午後四時のこと。四万十大橋を渡って下ノ加江の宿に泊まるのだろうか。
それにしては遅い時間。野宿なのかもしれないと気掛かりでならなかった。

ほんの通りすがりのような出会いであってもささやかな縁なのだといつも思う。

言葉を交わすことが出来なくても後姿に手を合わすことは出来る。
風のように去って行ってもその微笑みは胸に沁みるように残るものだった。

あたりが暗くなってくると祈るように願うばかり。
どうか無事に夜をしのげますように。

そうしてまた明日も元気に歩き出せますように。



2012年06月06日(水) 枇杷の実

最高気温が30℃を超えすっかり真夏日となる。

散歩の帰り道、ご近所の枇杷の実がそれは美味しそうに実っていて。
ふっと子供の頃のことを思い出した。枇杷の木がある家に住んでいたこと。
弟とふたりまだかまだかと待ちかねていたっけ。とても懐かしい思い出だった。

甘かったな。美味しかったな。食べた後に種を飛ばすのも楽しかった。

もうそんな季節。何度もなんども巡って来た夏がしみじみと心に沁みてくる。





昨日とはうって変わって今日は山里の職場で忙しく過ごす。
週に三日のつもりだったけれど明日も行かなければいけなくなった。
気の重さもあるけれど母が喜んでくれるとほっと嬉しくもある。
心配事の絶えない職場。だからと言って逃げるわけにはいかないのだなと思う。

どんな日もあるのが人生。受け止め方次第で気が楽になることだってある。

さらりさらりと。あっけらかんと。日々を笑顔で過ごしていきたいものだ。





2012年06月05日(火) 子守唄

台風の影響なのか朝から雨が降り続いている。
紫陽花の花がいっそう色濃く染まることだろう。
梅雨の季節も近いけれど心にはいつも花を咲かせていたいものだ。


昨日の事、「呼ばれもしないのにそうそう押しかけるなよ」と夫から注意される。
寝ても覚めても綾菜のことばかり考えていた私にはとても痛い一言だった。

すっかりくぼんでしまってしゅんとしていたところ夜になり娘から電話がある。
買物に行きたいので午前中だけ綾菜を見ていて欲しいとのこと。

なんと嬉しいことだろう。思わず涙ぐんでしまった。
目の前がぱあっと明るくなる。わくわくと興奮したのか昨夜は眠れなかったほど。

朝になるのを待ちかねて喜び勇んで駆けつけたのは言うまでもない。
すごくすごく会いたかった綾菜。愛しさが泉のように込み上げてくる。

娘たちが出掛けてから二時間。思う存分抱っこをしたりミルクを飲ませたり。
子守唄は「ゆりかごの歌をカナリヤが歌うよ ねんねこねんねこねんねこよ」

腕の中で胸の中ですやすやと眠り始めた綾菜。その重みも愛しさそのものだった。


思いがけなかったのは娘が私の昼食まで買って来てくれたこと。
そうして沐浴が済むまで一緒にいればと言ってくれたことだった。

長居をしてはいけない。帰らなくちゃと思っていたからほんとに嬉しかった。

結局夕方近くまで一緒に過ごす。娘と綾菜と三人でお昼寝もした。

「おばあちゃんまた来てね」「うん、また来るよ」って家路に着く。

嬉しくてありがたい一日はあっという間に過ぎてしまったけれど。
幸せは比べものにならないくらい心の中から溢れ出してしまいそうだった。

ありがとうねサチコ。ありがとうね綾菜。母はおばあちゃんはこんなに幸せです。




2012年06月04日(月) 母の笑顔

いったい何日ぶりなのだろう、久しぶりに山里の職場に行く。
自分なりにスイッチを切り替えたような気分だった。
寝ても覚めても綾菜のことばかり考えていたけれど。
その間、母がどんなにか忙しさに耐えていたことだろうと思った。

その反面、ほんの少しの気の重さもあった。
なんだか嵐の中を船で漕ぎ出すような気持ち。
決して平穏ではいられないのだと覚悟して行かなければいけない。

どうか大荒れではありませんようにと願いつつクルマを走らす。

そんな気持ちを和らげるように山里の風景が目に沁みてくる。
峠道で出会うお遍路さん。緑の波のように揺れる田んぼの稲。

帰ってきたんだなってふっと思った。
そうして待っていてくれるひとがいることがありがたくてならない。
母はとても喜んでくれた。連絡もせずに行ったからよほど思いがけなかったのだろう。

忙しい一日だったけれどとても充実していた。
何よりも荒波が立たずに済んだことが良かったと思う。

帰り際に母と庭に咲く「雪の下」を眺めた。
ちいさな天使がたくさん飛び交っているような花だった。

何があってもどんな日があってもその花が母を守ってくれるような気がした。



2012年06月03日(日) アマリリス

花が枯れてしまうといつも庭の隅に追いやられていたアマリリス。
水遣りもろくにせずにほったらかしにしていたというのに。
いつのまにか茎が伸びて「ほらここにいるよ」と今年も咲いてくれた。

なんと健気な花なのだろう。忘れていた事を詫びるようにその花を愛でる。
ありがたいこと。嬉しいことはいつも思いがけなく私のそばにあった。



「手助けが必要だったらいつでも呼んでね」昨夜娘にメールしていたけれど。
電話はとうとうかかってこなかった。サビシイの一言に尽きる。
でもそれは娘なりに一生懸命頑張っている証拠でもあるのだから。
とても良い事なのだと思えるようになる。平穏無事が何よりだった。



姫女苑の花があちらこちらにたくさん咲いた散歩道。
お大師堂でお参りを済ませしばらく風に吹かれていた。
川の水がひたひたと囁いているのも耳に心地よく響く。

そんなふうにぽつねんと佇むのがとても好きだった。
生きているんだなってすごく感じる。命ほどありがたいものはない。

ありがとうございました。もう一度お大師さんに手を合わせて帰る。

そこにもアマリリスの花がたくさん咲いていてとても可愛い。





2012年06月02日(土) 喜び勇んで駆けつける

すっかり梅雨入りしたかのような空模様。
乾かないのを覚悟で洗濯をすれば綾菜の産着が一枚あった。
干しながら愛しさが込み上げてくる。会いたいなってすごく思う。

よほど寂しかったのだろう。昨夜は夢にまで出てきた。
それが赤ちゃんの綾菜ではなくて三歳くらいの綾菜だったから不思議。
「おばあたん」って呼んでくれた。なんと嬉しい夢だったことだろう。


朝のうち先日からの不調もあり病院へ行く。
血液検査をしたらもうすっかり大丈夫とのことで一安心。
しばらくは無理をしないようにと言われたけれど、
何が無理なのか自分ではよくわからなかった。
健康がいちばん。それだけは忘れないように日々を過ごしていきたい。


病院から娘たちのアパートはすぐ目と鼻の先だった。
ここまで来て会わずに帰れるものかと思って、娘に電話してみる。
良かった。すぐにおいでと言ってもらって喜び勇んで駆けつける。

綾菜も起きていて手足をばたばたさせながらご機嫌だった。
すぐに抱っこしたのは言うまでもない。いっぱい話しかけて嬉しいひと時。

明日も・・と欲張りなバーバは思ってしまう。
でも娘達の暮らしにどかどかと押しかけるようで少し気が引けた。

会えない日があるから会えた日は最高に嬉しいもの。
そう思ってこれからの日々を楽しみに過ごしていきたいと思う。



2012年06月01日(金) おうちへ帰ろうね

とうとう娘と綾菜がアパートへ帰る日。
なんだかそわそわと落ち着かないまま娘と荷物をまとめる。

何も知らない綾菜のあどけない寝顔を見ていると涙が出てきそう。
「おうちへ帰ろうね」抱っこするとその重みが愛しさに変わる。

クルマで10分ほど。同じ町のこんなに近くに住んでいてくれて
なんとありがたいことだろうと思った。遠ければ遠いほど寂しいものだ。

アパートに帰るなり娘は掃除を始めて、おかげですっと抱っこが出来る。
それから買物に出掛け、その間もずっと子守のおばあちゃんになっていた。

環境の違いがわかるのだろうか、綾菜はぐずって眠ろうとはしなかった。
抱っこしていて眠ったらお布団に寝かせてみるがすぐに泣き出してしまう。

ようし、こうなったらもうずっと抱っこだ。なんだか嬉しくなった。
いっぱい話しかけてみたり子守唄も歌ってあやすこと二時間ばかり。
ちょっとお疲れさまのおばあちゃんだったけれどそれがまた嬉しい。



帰宅してから、なんともいえない寂しさにおそわれてしまった。
もう誰もいなくなってしまった娘の部屋でぼんやりと過ごす。

「寂しいね・・」とおじいちゃんも呟きながら二人きりの夕食だった。

我が家のおひさまのようだった娘。綾菜は娘以上に輝いていたのだと思う。

ふたつのおひさまに恵まれていたことはほんとうにありがたいこと。


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