紫陽花の花がずいぶんと色づき鮮やかになった。 そうして五月が終る。なんだかしみじみと感慨深い。
娘と綾菜の一ヶ月検診。 母子共に順調に今日を迎えることが出来た。 綾菜の体重も増えており身長は6センチも伸びていてびっくり。 すくすくと成長していることがわかり何よりも嬉しかった。
我が家で過ごすのもとうとう今夜が最後になってしまった。 一晩中添い寝をしていたいような気分のバーバである。
明日からのことを思うと娘一人で大丈夫かしら。 綾菜の世話はもちろんのこと家事もこなさなければいけない。 「大丈夫よ」と娘は言う。そうね、きっと大丈夫ねと頷く。
家族3人での生活が始まるのだ。心配よりも応援をしてあげたい。 そうしてどうしても困った時にはすぐに駆けつけて助けてあげたい。
困らなくても駆けつけてくるでしょ!と娘は笑って言う。 そうね。会いたくなればいつだって会いにいけるのですもの。
最高に嬉しくて楽しくてすごくすごく幸せだった日々にありがとう。
晴れのち曇り。今日も蒸し暑い一日だった。
散歩道を行けば野アザミがすっかり綿毛になっていて。 それはタンポポのように可愛らしくは見えないけれど。 なんだか憐れでせつないような花の命をしみじみと感じた。
その命を風がはこんでくれるかな。 そうしてまた季節が巡ってくればたくさんの花を咲かせることだろう。
あらあらと言う間に流れていく日々。 季節はすっかり初夏になり「ああ、ここにいるのだな」と確かめるように思う。
途惑うことは何もない。みんなみんなしっかりと生きているのがありがたい。
明日の夜は家族みんなで「お別れ会」をすることになった。
けれども決して悲しい別れではない。辛くも寂しくもないのだと思えるようになった。 今朝の事、ある方に「会える楽しみがありますよ」と言ってもらって。 なんだかとても気分がすっきりとして目の前が明るくなったような気がする。
会えなくなるのではない。これからは会えるようになるのだと思った。 そう思うと寂しさも一気に吹き飛び、わくわくと嬉しくなってしまった。
2012年05月28日(月) |
ぷっかぷっかゆうらゆうら |
五月も残りわずか。梅雨入りも近いのだろうか蒸し暑い一日。
綾菜を抱っこして庭に出てみる。そよ吹く風がとても優しい。 少しぐずっていた綾菜も心地よいのかやがて眠り始めていた。
ずっとこんな毎日が続けば良いなと欲張りなバーバは思う。 一緒に暮らせるのもとうとうあと3日になってしまった。
この五月のことを私は一生忘れられないと思う。 あっという間の毎日だったけれどとても貴重な日々であった。
愛しさは心のそこから泉のようにわきだしてくる。 なんだか嬉し涙のよう。感極まって止めようのない涙のよう。
午後は綾菜の大好きな沐浴。綾菜以上にバーバも嬉しい時間。
ぷっかぷっか。ゆうらゆうら。娘と二人で歌をうたった。
紫陽花の花も日に日に色づき、くちなしの花も薫る頃になった。 まだほんの少し体調に自信がないけれど、散歩を再開してみる。 気分転換にもなり、なによりも歩くことで心が元気になるようだ。 万歩計はいつもの半分。どんな日もあってよしと自分に言い聞かす。
今日は来客の多い日だった。 午前中には娘婿のお友達がお祝いに来てくれて娘も喜んでいた。
午後からは山里の母「ひいおばあちゃん」がやっと来てくれた。 そうして思いがけなかったのは一緒に私の弟一家も来てくれたこと。 総勢6人でかわるがわる綾菜を抱っこしてくれて大賑わいだった。
みんなにお祝いしてもらってなんとありがたいことだろう。 綾菜もご機嫌で泣いたりぐずったりすることもなく喜んでいるようだった。
血のつながりをつくづくと感じる。身内ってほんとにありがたいものだ。
もうひとつ思いがけなかったのは母が夕食のおかずを持って来てくれたこと。 そればかりではなく流し台にそのままにしてあった食器まで洗ってくれた。
母もどんなにか疲れているだろうに。私の体調を気遣ってくれたのか。 なんだか涙が出そうなくらい嬉しくてたまらなかった。
「持つべきものは母親だね」なんて言いながらの夕食になる。 私も娘のために出来ることがまだまだたくさんあるのだと思う。
甘えて欲しい頼って欲しい。母親というものはきっとそういうものだ。
一昨日から体調を崩してしまって寝込んでしまっていた。 幸いなことに今日は熱もさがりなんとか動けるようになる。
思うように家事も出来なくて、家族に迷惑をかけてしまった。 特にお婿さんには食料を買って来てもらったりして助けてもらう。
病院で診てもらったら風邪ではなく感染する心配はないという事。 娘や綾菜にうつったら大変だとはらはらしていただけにほっとする。
「ちょっと頑張り過ぎたのかな」とお医者様に言われた。 川仕事のラストスパートと孫の誕生で確かに気が張っていたかなと思う。
それにしてもなんと情けない身体なのだろうと悔しくてならない。 けれども受けとめるしかない。焦らずゆっくりと元気になりたいものだ。
今日は綾菜をいっぱい抱っこする。あどけない顔を見ているだけで幸せ。 この子がいてくれるおかげでどんなにか救われていることだろうと思う。 「生きる」ことをその小さな身体で一生懸命に教えてくれているのだ。
弱気になってはいけないのだと強く思う。 おばあちゃんはこれからいっぱい長生きをして綾菜を見守っていきたい。
晴れのちくもり。風もなく蒸し暑さを感じる。
お遍路万歩計がいつの間にか高知市内の竹林寺に到着していた。 身につけるようになってからちょうど四ヶ月経っている。 毎日ほんとに少しずつだと言うのになんだか信じられないような気持ちだ。 四万十に着くのはいつの事だろう。ゆっくりゆっくりと歩いて行きたい。
相変わらず孫中心の生活が続いているけれど。 これから先のことを思うとあまりべったりし過ぎてもいけないなと思う。 綾菜の世話はなるべく娘に任せて、私は身の回りの家事を頑張ってみた。 どうして?今まで通りで良いのにと娘は言ってくれるけれど。 アパートに帰ってから一人で出来ない事があっても困るだろうと思う。 世話をやきたくてもぐっと我慢をする。それは思った以上に寂しい事だった。
晩ご飯は「酢豚」が良いと娘が言うので腕をふるってそれを作る。 夫婦ふたりきりだと手抜き料理ばかりだったので、酢豚なんてほんとに久しぶり。
おいしい、おいしいと娘が喜んでくれて私もすごく嬉しかった。 こんな日にお兄ちゃんも来れば良いのにねって娘が言う。
そういえば息子はどうしているのだろう? 娘と綾菜が我が家に来てから一度だけ顔を見せてくれたきりだった。 遠慮なんてしなくても良いのに、私が忙しいと思っているのかもしれない。
母さんは忙しいのが大好き。家族みんなの笑顔がそろうのが最高に嬉しいのだよ。
爽やかな五月晴れ。おひさまのなんとありがたいこと。
散歩道を行けばご近所の紫陽花がもう色づき始めていた。 薄っすらとほのかな色合いがとても好きだなと思う。 また散歩の楽しみが増えた。毎日紫陽花に会える道。
今日は午前中に保健婦さんが訪ねて来てくれた。 綾菜ははだかんぼうになり体重を測ってもらう。 良かった。生まれた時よりも310g増えていた。 お乳が足らないかもと不安がっていた娘もほっと安堵だった。 とても順調に育っていると言ってもらって私も胸を撫で下ろす。
この先どんなことが待ち受けているやらわからない。 まだまだ不安な事もたくさんあるかもしれないけれど。 しっかりと生きようとしている命を見守っていきたいと思う。
夕食時。娘がふっと我が家を去る日のことを話し始めた。 覚悟はしていたけれどいざその日を決められるとなんとも辛かった。 長引けば長引くほど居心地が良くなるからと娘は言う。
わかっている。わかっているからと頷きながら胸に熱いものが込み上げてきた。
夕食後、綾菜の寝顔をしばらく見ていた。 寝言なのだろうか「あー」「あー」と声を出してなんとも愛しくてならない。
どんよりとした曇り空。午後から小雨が降り始める。 楽しみにしていた金環日食は残念ながら見えなかったけれど。 テレビは一日中その話題でおかげで感動の瞬間を垣間見ることが出来た。
宇宙にいること地球にいることをあらためて感じた一日となる。 そうしてなんと神秘的なことなのだろうとつくづくと思ったことだった。
日中は今日も変わらず孫尽くしの一日だった。 綾菜が起きていれば話しかけ、寝ていれば添い寝をしてしまう。 その添い寝が癖になるくらい心地よいものだった。 おだやかでゆったりとした時間。とても心が癒される気がする。 孫はほんとうにありがたいものである。かけがえのない宝物だった。
夜はこのところ毎晩のように出勤前の娘婿が顔を見せてくれるようになった。 そうして少しずつ育メンの練習をしているようで微笑ましく思う。 バーバはなるべく邪魔をしないよう隣の部屋でじっと息をひそめている。
それでも綾菜の泣き声など聞こえると居ても立ってもいられなくなる。 ぐっと我慢。娘夫婦が奮闘しているのを「がんばれ」と応援するばかり。
一緒に暮らせるのも後二週間ほどになるかもしれない。
どんなにか寂しくなることだろう。考えただけで涙が出そうだった。
小雨が降ったりやんだりで肌寒い一日。 綾菜が風邪をひいたら大変と肌布団を肩までかけていたけれど。 赤ちゃんにはちょうど良い気温なのだろうか足で蹴ってしまうのだった。
今日はほとんど泣くこともなくお乳を飲んでは眠っている時間が多かった。 目を開けないかしらと覗き込んでばかりいると「起こさないでね」と娘に叱られる。
我ながら孫にべったりだなと思う。初孫だとみんなそうかもしれない。 少しでも世話をやきたくてそわそわと落ち着かないバーバであった。
日曜日なので山里の母に遊びに来ないかとメールしてみた。 母もひ孫の顔を見たいだろうと気をきかせたつもりだったけれど。 「行きたくてもいけないからもうメールしてこないで」と電話がある。 思うように時間が作れなくて苛立っている様子がすごく伝わってきた。
私も母を手伝ってはあげられずすごく心苦しいのだけれど。 娘と綾菜が我が家に居てくれるうちは二人のための時間を大切にしたいと思う。
またまたこちらをたてればあちらがたたない状態になってしまった。 誰かが我慢をし誰かが辛抱しなければいけないようになっているようだ。
まあそれもよしと思うことにしよう。 しかたのないことは誰にだってあるものだから。
小雨の降るなか今日もお大師さんに会いに行く。 あれこれと思うことはあっても手を合わせばすっきりと気分が晴れる。
だいじょうぶ。このままでいいよ。そんな声が聞こえたようでほっと安堵した。
散歩道の土手に姫女苑の花が咲き始めた。 少しずつ枯れていく野あざみをなぐさめるかのように。 そっと寄り添っている姿は優しさそのものに見える。
今日の風も心地よい。そんな風を浴びるように胸をはって歩いた。 なんて平穏な一日だったのだろう。風に吹かれながらしみじみとそう思う。
綾菜は眠っていたり起きていたり。 目を開けている顔は娘が赤ちゃんだった時の顔に似ているようだ。 ぐずって泣けば抱っこする。よしよしとあやすのもバーバの役目。 「抱き癖」がつくのではと心配していたけれど、大丈夫だと娘が言う。 昔の育児と違って今はなるべく抱いてあげるほうが良いのだそうだ。
抱けば抱くほどに愛しい。ちいさな命の重みがひしひしと伝わってくる。
愉快なのは私のお乳を吸おうと胸に擦り寄ってくること。 残念ながらおばあちゃんのお乳はとっくの昔にしぼんでしまっている。 けれどもその仕草がなんとも微笑ましくてならなかった。
やっぱりお母さんが良いよね。娘が抱っこするとご機嫌になる綾菜だった。
風薫る五月。その名の通り爽やかで清々しい風が吹く。 自然の涼風ほどありがたいものはなく心地よく一日を過ごせた。
昨夜は娘婿が来てくれて四人でにぎやかに夕食。 深夜ドライバーの彼は木曜日だけしか休みがなくて可哀相。 普段は我慢しているビールを思う存分に飲んでくれた。 父親になった嬉しさもあるのだろう酔うほどに陽気になる。 我が子を抱く手はまだぎこちないけれどとても微笑ましい姿だった。
今朝は初めてのオムツ替えに挑戦していた。 これから家族三人の暮らしが始まる。父がいて母がいて娘がいる日々。 きっと助け合いながらあたたかな家庭を築いてくれるだろうと思う。
綾菜も生後二週間を過ぎた。生まれた時には小さかったけれど。 ほんの少しほっぺのあたりがふっくらとしてきたように思う。 お乳を飲む時も元気いっぱい。ごくごくと喉を鳴らして飲むようになった。
爪も伸びてきて顔を引っかくので、今日は初めての爪切り。 もみじのように小さな手。なんてやわらかな手なのだろう。
いつもの沐浴の時間にはぐっすりと眠っていて、先に散歩を済ませる。 そろそろ起きるかもしれないと思うとついつい急ぎ足になってしまった。 帰宅するとあんのじょう目を覚ましてぐずっているところだった。
さあ大好きなお風呂。ぷっかぷっかもしてゆうらゆうらもしてご機嫌。 小さな手もきれいに洗う。そうしたらぎゅっとつかむ。あくしゅだね。
お湯から出るとおもいっきり泣いてお母さんのお乳をすがるようにして飲んだ。
2012年05月16日(水) |
あっという間のいちにち |
久しぶりの真夏日。家中の窓を開けて風を楽しむ。 そうしてたくさんの洗濯物はおひさまの友達みたいで嬉しそう。
娘の部屋で綾菜と過ごす時間が増えて一日がとても早く感じる。 その合間に買物に行ったり家事をしたりとちょっと忙しいけれど。 なんか言葉には出来ないような張り合いがあって楽しいなと思う。
昼下がりに少し添い寝をした。小さな寝息が耳に心地よい。 寝顔を見ているうちについついバーバも眠ってしまったようだ。
午後は沐浴。娘の手つきもずいぶんと上手になり慣れてきたようだ。 髪を洗うのはバーバの役目。綾菜は気持ち良さそうにうっとりとしている。 どんなにぐずっていてもお湯に浸かるとぴたっとご機嫌になる。 お風呂好きの子供になりそう。そのうちバーバと温泉に行こうかな。
すっかり孫中心の生活になってしまったけれど。 日課の散歩だけは毎日欠かさずに行っている。 お大師堂で手を合わすときもいちばんに綾菜のことを報告する。 そうして今まで以上に感謝の気持ちでいっぱいになるのだった。
あんずはそわそわしながら待っている。やっと自分の番だと言うように、 勢いをつけて「よういどん」をするのは今も変わらなかった。 寂しい思いをしないよにとなるべく話しかけるようにしている。
綾菜がすくすくと大きくなって「ワンワン」って呼んでくれるようになるかな。
午後から静かに雨が降り始める。ひんやりとした空気。 綾菜が生まれてから初めての雨。これが雨だよっておしえてあげたくなる。
早朝より川仕事。予定通り今日で撤去作業が終った。 体調の悪い日もあったけれど精一杯頑張ったのだなと思う。 なんともいえない達成感。おかげで少しも疲れを感じなかった。
明日からは娘と孫のための時間をたくさん作ろうと思う。 一緒に過ごせるのも今月いっぱいだと思うと毎日がとても愛しい。
アパートに帰ってからも毎日来て欲しいよと娘が言ってくれる。 頼りにしてくれているのがとても嬉しかった。 そのうち厚かましくなるかしら。もう大丈夫だからと言うかしら。 それも寂しいけれど、今は娘の言葉に甘えていたいなって思っている。
私はどうやって子供たちを育ててきたのかしら。 最近すごくすごく昔のことを思い出すことが多くなった。 不安だらけだった初めての育児。 どうすれば良いのだろうとわからないことばかりだったように思う。
けれども我が子が歩き始める。いつの間にかそうして成長していく。
気がつけば母親になっていた。我が子のおかげで父になり母になれるのだ。
慣れない育児に奮闘している娘にエールを送り続ける毎日。 だいじょうぶよ。抱っこしてお乳を飲ませている姿はとても微笑ましい母と娘。
曇り日。このところずっと肌寒い日が続いているけれど。 散歩道の土手には夏を知らせるチガヤの若穂が見え始めた。 最初はねずみ色。それがやがて白い穂に変わるのが楽しみだった。
早朝より川仕事。もう収穫は終わり漁場の撤去作業をしている。 それも明日で終りそうでやっと今期の川仕事が打ち上げになる。 長かったようであっという間だったような数ヶ月だった。
お疲れさまとご苦労さま。誰よりも彼を労ってあげたいと思う。
お昼下がりに少しうたた寝。以前のようにぐっすりと寝入ることはなくなった。 孫の事ばかり考えているせいだろうか。そろそろお乳の時間だななんて。
そういうのがなんか好き。ずっとこんな暮らしが続けば良いなあって思った。
綾菜は今日もちょっと泣いた。日に日に泣き声が元気になっているようだ。 涙を流して泣く時もあって、さすがに可哀相になり抱っこしてしまうバーバ。
沐浴を済ますと母乳を飲んで気持ち良さそうに眠る。 その寝顔がなんともいえない。すごくやすらかでほっとするような寝顔だった。
時々寝ながら笑っている時もある。夢をみているのかしら。どんな夢なのだろう。
よく晴れていたけれど、気温は低目で少し肌寒さを感じる。 爽やかな風とやわらかな陽射し。散歩にはちょうど良い日になった。
このところあんずの様子が少し変だなと思っていたら。 どうやら我が家が孫一色に染まっているのがわかるらしい。
そわそわと落ち着かず、やたら私の匂いを嗅ぎたがるのは。 ほんのりとミルクの匂いがしているのかもしれなかった。
わたしのことなんてどうでもいいのね。って言っているみたい。 なんだか妹が生まれてとまどっているお姉ちゃんみたいだった。
ごめんね。おかあさんはいま精一杯。近いうちに毛づくろいをしてあげるね。
孫の綾菜は少しずつ起きている時間が長くなった。 眠くなるとぐずったりふぎゃあふぎゃあと泣く時もある。 そんな時に沐浴をさせると良いようでお湯に浸かるとご機嫌になる。 とても気持ち良さそうな顔をしてぷっかぷっかと浮かんでいる姿が可愛い。
孫は目の中に入れても痛くないというけれどほんとにそうだなと思う。 抱っこをしたり頬ずりをしたり手をにぎったり頭を撫でたりのバーバであった。
2012年05月11日(金) |
お遍路さん(その13) |
少し肌寒い朝。急ぎの仕事が入り久しぶりに山里の職場へ向う。 国道から山道に入ったところで老婦人らしきお遍路さんに会った。 いつものように会釈をしいったんは通り過ぎてしまったのだけれど。 ルームミラーで様子を見るとなんだかとても辛そうな足取りであった。
はっと思い立ってクルマをバックさせる。 駆け寄って声をかけてみてほんとうに良かったと思う。 足は丈夫なのだけれど体力がなく休み休み歩いていたのだそうだ。
クルマのお接待を申し出ると快く頷いてくれて一緒に山里へ向った。 車中で年齢を聞いてびっくり。なんと80歳のお遍路さんであった。 二度目の歩き遍路で、新緑の四国をどうしても歩きたかったのだと言う。
車窓から見える山々の緑を歓声をあげながら喜んでくれた。 ほんとはゆっくりと歩きたかったのかもしれないなって思ったけれど。 私も少しは楽をしたいのですよと心から喜んでくれている様子にほっとする。
歩くと半日はかかる道のりもクルマだとすぐに着いてしまう。 なんとも名残惜しいお別れだった。もっともっと話したかったなと思う。
そうして何よりも授かったものの大きさに気づいた。 80歳になってもその気にさえなれば歩き遍路が実現するということ。 ゆっくりと少しずつでも良いのだ。私もいつかきっと夢を叶えられる。
ほんとうにありがたい出会いであった。旅の無事を心から手を合わす。
「お母さん、孫が出来ると若返るらしいよ」と娘の一言。 そう言えば綾菜が生まれてからずっと毎日体調が良かった。 忙しいのが良いのかもしれない。少しでも手伝ってあげようと気も張っている。
娘と一緒に子育てに奮闘しながら、バーバは元気をもらっているようだ。
明日は早朝から川仕事。午後は綾菜の沐浴。忙しいのが大好きな私になった。
午前中に娘と孫を迎えに行き、なんだかばたばたと忙しい一日。 今日から環境が変わったのがわかるのか、孫は起きている時間が多い。 お腹が空くと少しぐずるけれどほとんど泣くことはなかった。
午後、添い寝をしている娘と一緒に私も少し寝てしまった。 ちいさな寝息がすぐそばに聞こえる。鼓動までも聞こえてきそう。
三時間おきの授乳にも付き合う。 母乳をずいぶんと飲むようになったけれどミルクも足す。 そのミルクを飲ますのがおばあちゃんの役目だった。 飲み終わったらゲップを出さすのもおばあちゃんである。
背中をとんとんしていてもなかなか出ない時もある。 肩に伝わってくるやわらかであたたかい孫のぬくもりが愛しい。
夕方には息子も帰って来てくれて、姪っ子と初対面となった。 赤ちゃんを抱くのは初めての息子。ぎこちなく抱きながらの笑顔だった。
四人で夕食なんていつ以来だろう。ずいぶんと久しぶりのことだった。 おじいちゃんの声がいつもより大きい。きっと嬉しくてたまらないのだろう。
家族の声がこだまするような夕暮れ時だった。
あやちゃんにも聞こえているかしら。みんなみんな一緒にいるんだよ。
川辺には白い野ばらの花がたくさん咲いている。 天使のような花だなと思う。棘のあることなど忘れて。 それはきっと身を守るためのものだろう。 近寄りがたいと思う人もいるかもしれないけれど。
花はふっくら。蝶々もふれていく。みつばちも遊んでいく。
そんな野ばらのことがわたしはとても好きだなと思う。
出産祝いにいただいた産着を洗った。 干す時のなんと嬉しかったことだろう。 お人形さんの服みたい。ちっちゃくて可愛い。 道行く人がみんな見てくれたら良いなって思った。 「生まれたんですよ」って声をあげたいような気持ち。
あたらしい命は「綾菜」と名付けられた。 「あやちゃん、あやちゃん」と連呼するおばあちゃんであった。
母乳をほんの少しだけれど飲めるようになった。 哺乳瓶よりもずっとチカラが要るのだろう。 はあはあと小さない息をしながら一生懸命に吸っている。 「がんばれ、あやちゃん」娘と二人で声を掛け続けていた。
ちいさな命が必死で生きようとしているのが伝わってくる。 母親の乳房はあったかくてやわらかい。そして何よりも優しい。
授乳している娘の顔は愛をそそぐように微笑んでいた。
おばあちゃんは涙が出そうなくらい胸がいっぱいになる。
2012年05月07日(月) |
おばあちゃんでしゅよ |
空は少しうす雲におおわれていたけれどすっかり初夏の陽気。 あたりの緑が目に沁みる。見るものすべてがきらきらと眩しい。
午前中に川仕事を終え、お昼は夜勤明けの息子と三人でざるそば。 つるつると喉ごしの良いものが美味しい季節になった。
息子はまだ姪っ子に会えずにいる。会いたくてたまらないのだけれど。 勤めている老人ホームで悪い風邪が流行っているのだそうだ。 会いに行かないほうが良いだろうと我慢をしているようだった。
早く抱っこさせてあげたいなと思う。息子はどんな顔をするのだろう。
「ほうら、おばあちゃんが来てくれたよ」と娘の声。
孫は今日もすやすやとよく眠っている。 オムツを替える時ちょっとだけ目を開けてくれて嬉しかった。
娘が赤ちゃんだった時の顔にちょっと似ている。 でもお婿さんにも似ているような気がしてよくわからない。 どちらに似ていても健やかに元気に育ってくれたらと願うばかり。
昼間はほとんど泣かないけれど、昨夜は真夜中に泣いて困ったそうだ。 母乳を吸わせてみたら少しだけ吸ってくれたそうで泣き止んだとの事。 娘も初めての育児に奮闘している。がんばれ、がんばれとひたすら応援する。
早いもので明後日はもう退院。我が家に迎える準備も整った。 少しでも娘を助けてあげたい気持ちでいっぱいのおばあちゃんである。
五月晴れのお天気が続いている。爽やかな風はもう初夏の風。 散歩用の麦藁帽子を買った。若草色の帽子はちょっと照れくさい。
てくてくしてる。こころもどこかに歩き出してしまいそうだ。 まだ見ぬみらい。わたしはどんなおばあちゃんになっているのかしら。
今日も孫に会いに行く。少しだけ目をあけてくれて嬉しかった。 オムツを替える。抱っこしてミルクを飲ます。 「わ〜い楽ちんだ」と娘は喜んでくれた。
母乳はまだうまく飲ませられない。 ミルクの前に何度か挑戦してみるけれど吸ってくれないのだ。 練習あるのみ。とにかく毎回試してみるしかないだろうと思う。
私の時はどうだったかしら。バーバの記憶はあまりにも遠くて。 気がついた時には母乳で育てていたように思うのだけれど。
夜中の授乳はほんとうに大変。母乳だとずいぶんと助かると思う。 だいじょうぶ。きっと吸ってくれるようになるから頑張ろうね。
今日は満月のせいか、ちいさな産院にも産声が響いていた。 「よかった、無事に生まれたね」とても他人事には思えず娘と喜びあった。
あたらしい命はそうして生まれてくる。
辛い痛みに耐える母。生まれたくてたまらない命がそこにある。
つかの間の春はとうとういってしまったのだろうか。 「立夏」にふさわしく真夏日となり眩しいほどの陽射しだった。
朝のうちに川仕事を済ませ午後には産院に駆けつける日々。 休む暇もないけれど、それがむしろ嬉しくてたまらないバーバであった。
娘は初めての育児に奮闘している。まだ抱き方さえもぎこちなくて。 母乳もうまく飲ませられない。誰だって最初はそうなのよと励ます。
肝心なのは決して焦らないこと。ゆっくりのんびりで良いのだと思う。
赤ちゃんはすやすやとよく眠っている。目を覚ましてくれないかしら。 ずっと寝顔を覗き込んでいるばかり。いつまでたっても見飽きる事のない寝顔。
「今日もお大師さまにお参りしてきてね」娘の言葉にうなずき帰宅する。 お大師堂にはふたりのお遍路さんが来ていてくれた。 一人は先日の長髪青年だった。無理強いしたことを詫びると思いがけない笑顔。 良い経験が出来たと喜んでくれてほんとにほっとした。 そのことを報告したくてわざわざ打ち戻って来てくれたのだそうだ。
もう一人のお遍路さんも交えて雑談をしていると、新たなお遍路さんが到着。 その人も顔なじみのお遍路さんですっかりにぎやかになった。
今夜は三人で「旅もみちづれね」って笑いあって別れたのだけれど。 その後あんずを連れて散歩をしているとお大師堂を探しているお遍路さんに会った。
道案内がてら一緒に行く。なんと四人になる。こんなことは初めてではないか。 小さなお堂で四人は窮屈そうに思えたけれど、お遍路さん達は大丈夫と言ってくれた。
こんな日もあるのだな。帰り道はなんだか胸がいっぱいになった。
土手を吹き抜ける夕風が心地よい。ああ今日も暮れていくんだな。
いい日だったなってすごく思った。明日もきっといい日に違いない。
五月晴れ。陽射しはすっかり初夏のようだけれど。 風はとても爽やかに木々の緑を揺らしている。
昨日午前一時。寝静まっている頃、娘より電話。 突然破水をしてしまったとのことで大急ぎで駆けつける。
幸いと言って良いのかまだ陣痛は始まっていなかった。 娘はそのまま入院することになり、私達は自宅待機となる。 少し仮眠をと思ってもとても眠る気にはならなかった。 はらはらどきどきはもちろんのこと、そわそわと落ち着かないまま朝を迎える。
朝になっても娘の陣痛は始まらず、仕方なく薬で陣痛を促す事になった。 間もなく陣痛が始まったけれどまだ序の口。ながいながい一日になりそう。
お昼前になってやっと強い痛みが始まる。こんなに痛いものなのか。 汗を流しながら耐えている娘。痛みが襲って来る度に腰をさすり続ける。 その頃には夜勤明けのお婿さんも駆けつけてくれてとても心強かった。
驚いたのは娘がずっと座り続けていたこと。ベットに横たわろうとしない。 お願い早く出てきて!時々は声をあげながら必死になって耐えていた。
午後4時。やっとお産が近づき、分娩室に入った。 お婿さんは付き添い。母親は駄目だろうと諦めていたところ。 お母さんも入って良いですよとなんとも思いがけないことだった。
頭が見えてきましたよ。もう少し、頑張れ!頑張れ!の声が響く。 私は泣いていた。感動で胸がいっぱいになっていたのだと思う。 新しい命が生まれようとしている。一生懸命に頑張っている母と子を見た。
「ふぎゃあふぎゃあ」元気な産声が聞こえた時はどっと安堵した。 娘も泣いている。ほんとうにえらかったね。頑張ったねサチコ。
午後4時45分。2530グラムの女の子だった。
無事に生まれてきてくれてほんとにありがとう。
2012年05月02日(水) |
よかった雨がやんでいる |
絶え間なく降り続く雨。ばかみたいに降るねってふたりで呟いた。 川仕事は休めない。雨合羽を着ていても雨が滲みこんで来るよう。
涼しくていいさと彼は笑う。そうね暑いのよりずっといいねと私も笑った。
午後はまたぐったり。雨音を聴きながらうたた寝をする。 そんなまったりとした時間が最近とても愛しくてならなかった。
やがて散歩の時間。よかった雨がやんでいる。 おいちにっおいちにっと手を振りながらお大師堂に向った。
きっとどちらかのお遍路さんが滞在しているはずだって思った。 そういう時はなんだかピピッとする。私の予感は当たる時が多い。
思った通り、手押し車のお遍路さんがのんびりとくつろいでいた。 昨夜気掛かりだったこと、それとなく訊いてみると。 長髪青年遍路さんは今朝の雨の中を元気に旅立ったそうだ。 逃げ出さずに辛抱したのだろう。えらかったなってすごくほっとした。
手押し車のお遍路さんはとても誠実そうで決して悪い人ではなかった。 ただすごく真面目過ぎて、あっけらかんとしている青年には苦手だったのだろう。
お説教をしてしまった。無理強いをしてしまった事を反省しつつほっとする。 彼にとっては良い経験だったのかもしれないと自分を宥めるように思った。
日々いろんなことがある。毎日が修行なのだとそれは自分にも言えること。
出会いは学びにもつながる。縁なくしては人は出会えないものだとつくづく思うこの頃であった。
2012年05月01日(火) |
お遍路さん(その12) |
今日も雨。五月雨というべきか菜種梅雨というべきか。 川向の山々が雨にけむりなんともいえない風情があった。
傘をさして今日もお大師堂にお参りに行く。 途中で大きな荷物を手押し車に乗せて歩くお遍路さんと一緒になった。 挨拶をするとにっこりと笑顔。声を掛けて良かったなって思った。
道案内がてらしばし一緒に歩いていたのだけれど。 あと20メートルほどで着くという時いきなりアクシデントがあった。 なんと手押し車のタイヤが一輪外れてしまって前へ進めなくなってしまったのだ。
どうやらタイヤのネジが外れてしまったよう。 ふたりで必死になって捜したけれど見つからなくて途方に暮れる。 とにかく荷物を先に運ぼうと言うことになり手を貸したけれどとても重い。
ふとお大師堂の方を見ると人影が見えて、先客のお遍路さんが居るみたい。 走って呼びに行ったら顔なじみの長髪青年遍路さんだった。
何度も会っているのに名前を知らない。「ボク!早く手伝って」と叫んだ。 三人がかりでなんとか荷物を運び終える。それにしてもなんて大きな荷物だことか。
ほっとしたのもつかの間。モンダイは手押し車の修理だった。 ふと思い出したのは山里の職場のこと。どんなネジでもたいてい置いてある。
幸いなことに近くに自動車修理工場があるのでそこに行くことをすすめた。 お遍路さんは休む間もなく手押し車を持って行くことになった。
長髪青年遍路さんと、ここで良かったねと語り合った。 道中の何もないところでアクシデントがあったらほんとに困ったことだろう。
すると長髪遍路さんの様子が少し変。「俺、ここ出て行きます」と突然言い出す。 理由を聞くと昨夜もそのお遍路さんと同じ場所で泊まっていたのだそうだ。
なんかすごく苦手。もう一緒に寝たくないのだと言う。
どうして?それでは逃げ出すのと同じではないの? また会ったということはそれだけ縁が深いということじゃないの?
頭をたれてしゅんとしながら私のお説教を聞いてくれた長髪青年遍路さん。
どうしても苦手だったら狸寝入りをしていれば良いのよ。 何も話さなくていいし、無視したって誰も咎めたりしないのよ。
お大師さまがついていてくれるでしょ。もう一晩の辛抱だと思いましょう。
そんなやりとりのあとやっとうなずいてくれた長髪青年遍路さんであった。
さて今頃ふたりはどうしていることやら。 なんだか気になってしょうがない夜になってしまった。
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