ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2012年04月30日(月) 行かなくちゃ

雨が降ったりやんだり。南風が強く雨が窓を叩いていた。

早朝より川仕事。わずかな収穫だけれどそれが精一杯。
もう少しで終るからとふたりで励ましあうのも良いものだ。

午後はひたすら寝る。なんだか暇さえあれば寝ているわたし。
そんなだらしなさもご褒美だと思って自分に甘えているのだった。

あいにくのお天気で散歩どころではなかったけれど。
お参りだけは休みたくなくて雨の中をお大師堂へ向った。

ご近所の紫陽花にもう花芽が見え始めていてはっと足を止める。
もう明日から五月。あとひと月もすれば紫陽花も色づくだろうか。

季節はかくじつに春から初夏へと向っている。
なんだかとても急いでいるように感じてならなかった。

行かなくちゃ行かなくちゃとわたしも思う。
前を向いていればきっと良いことがたくさんあるように思う。

ちっぽけな不安。それはほんとうに些細な事なのだと思えるようになった。
怯えてはいけない。臆病になってはいけないのだとつくづく思ったりする。

今日も「ありがとうございました」手を合わすと清々しくてならない。




2012年04月29日(日) にこにこ笑顔

晴れのち曇り。また雨が近そうだった。

夕方、あんずを連れて大橋のたもとまで行くと。
休憩所にお遍路さんの姿が。どうやら野宿の準備をしていたらしい。
テントは持っていないようでビニールシートで囲いをしているところだった。

お節介かなと思いつつ声をかけてみる。
そうしたら満面の笑顔で応えてくれてすごくほっとした。
やはりお大師堂が近くにあることを知らなかったそうだ。

さっそく場所替えをすることになり道案内をする。
「良かった、良かった」とすごく喜んでくれて私も嬉しかった。

ためらわずに声をかけること。これからもそう心がけようと思う。

一期一会。ささやかな出会いがほんとうにありがたいこと。
そこにはかならず笑顔がある。初対面であっても名も知らぬ人であっても。

笑顔というものはその人のすべてを表しているように思える。

それはどんな言葉よりもまっすぐにこころに届いてくるものだ。

にこにこ笑顔をありがとうございました。

どうかよき旅を。どうかご無事でと後姿にそっと手を合わせた。



2012年04月28日(土) ひとりよりもふたり

今日も気温が高くなり日中は真夏日となる。
春はほんとうにつかの間。季節は初夏へと急いでいるようだ。


午後。娘のサチコが遊びに来てくれた。
少し運動不足だと言うことで一緒に散歩に行く。
ひとりよりもふたりが楽しい今日の散歩道だった。

お大師堂に行きふたりならんでお参りをする。
手を合わす娘。どうか無事に赤ちゃんが生まれますように。

最後には「ありがとうございました」とふたりで声をそろえる。
お大師様も微笑んで見守ってくれているようなひと時だった。

そうして今度はあんずを連れて大橋のたもとまで散歩する。
あんずが尻尾を振りながら歩いているのはよほど嬉しいのだろう。
家族のなかでいちばん可愛がってくれたのは娘だった。
そのことをちゃんとおぼえているのだなと思った。


ふたりでこうして散歩をするなんて初めてのことではないか。
娘が子供の頃にもそうした記憶がなかった。
生まれてくる赤ちゃんのおかげかもしれない。

「また遊びに来るね」笑顔で手を振って帰って行った娘。

毎日は無理だとわかっていても明日もあさっても一緒に歩けたらいいなって母は願う。



2012年04月27日(金) 散歩日和

ひんやりと肌寒い朝だったけれど、日中はとても暖かくなる。
青空の下でやわらかな陽射しを浴びているのが幸せだなと思った。

こんな日は散歩も楽しみ。土手には爽やかな風が吹き渡っていた。
風に吹かれているとなんだかしゃきっとする。不思議と元気が出てくる。

口笛を吹きたくなるような。歌をうたいたくなるような散歩日和。

野あざみの花があちらこちらにたくさん咲いているのも嬉しい。
そうして名も知らぬ黄色い花。ちいさくて可愛いのがいちめんに咲いて。

なんだかわくわくするような。そうしてこころがほっこりとしてくる。

歩きながら何かを考えていたけれど、それが何だったのかも忘れてしまった。
ちっぽけな不安だったのかもしれない。なんと些細なことだろうと思う。

しんこきゅうをいっぱいした。ああ生きているんだなって確かめるように。






2012年04月26日(木) 30年目の春

昨夜は寝ている間に雨が降っていたようだ。
目覚めるとしっとりとした空気が漂っていたけれど。
雨上がりの朝はなんとも清々しくその空気を美味しいと思った。

潮が引き始めるのを待って川仕事に出掛ける。
すっかり弱ってしまった海苔を見捨てる事も出来ず。
最後の最後まで収穫をすることに決めた。

潮待ちをしているあいだ仲間のいとこ達とおしゃべり。
老夫婦が多いけれど、すごく溌剌としていて元気そう。
けれどもそれぞれ持病を抱えていて辛い時もあるのだそうだ。
70歳80歳と私たち夫婦も家業を続けられるのだろうか。
なんだか気が遠くなるけれどいとこ達を見ていると勇気づけられる。

私の体調はイマイチで日々だましだましなんとか頑張っている。
そんな話をしているといとこが私の背中をさすってくれた。
ほらここらへんが痛いでしょと優しくさすってくれてなんとありがたい。

76歳のいとこ。私の母よりも年上なのだなと頭がさがるような思いだった。
私も弱音を吐いてなどいられない。まだまだこれからなのだと強く思った。

おかげで無事に今日の川仕事を終えられる。
疲れているのはみんな一緒なのだと思うと、その疲れも分け合えるようだ。

家業を継いで30年目の春。ひよっこだった私達もほんの少し成長しただろうか。



2012年04月25日(水) もうじゅうぶんさ

曇り日。気温も平年並みに戻り過ごしやすかった。

今日こそはと川仕事を再開したけれど。
行ってみてびっくり。海苔がすっかり弱っていた。
昨日の暑さが原因かもしれない。水温が高過ぎたのだろう。
もう駄目かもしれないね。つぶやきながら収穫ををした。

自然相手のこと。覚悟はしていたけれど残念でならない。
けれども「もうじゅうぶんさ」彼の言葉にうなずいていた。

豊作の年もあれば不作の年もある。
欲を言えばきりがなく、どんな年も恵まれているのだと思いたい。


帰宅すると庭に息子のクルマがあった。
夜勤明けだったらしく茶の間のソファーでぐっすりと眠っていた。
そっとしておいてあげようと忍び足で動く父と母であった。
息子の寝息がこだまする。なんだか溜息のような寝息だった。

夜勤明けだというのに夕方から職員会議があるのだそうだ。
目覚めた息子は愚痴でいっぱい。そうか、そうかと聞いてあげる。

いつもより早目に夕食。その頃には息子も笑顔になっていてほっとした。

ケイタイのスケジュールに妹の出産予定日を入れていた。
何かあったら俺にも絶対知らせてくれよ。妹おもいのお兄ちゃん。
姪っ子が無事に出来るのをとても楽しみにしているようだった。

「じゃあまたね。気をつけてね」

「おぅ!さんきゅー」

父と母と息子の声がこだまする。ああ今日もよき日をありがとう。



2012年04月24日(火) 真夏日

日中の気温がぐんぐんと高くなり、なんと30℃にもなる。
春を一気に押しやってすっかり真夏日になってしまった。

今日から川仕事再開の予定だったけれど、
また山里の職場に大事な用事が出来てしまった。

「行ってこいよ」彼の一言に助けられ峠道を越えて行く。
やれるだけのことをといつも思う。精一杯の一日だった。

山里の風景。もう田んぼには小さな稲がいちめんに広がっている。
そんなのどかな風景がとても好きだなって思った。
村の人々もなんだかのんびりとしていて心が和む。
そうして白装束のお遍路さんの姿。山里はまるで絵のようだった。

また毎日通えるようになるだろう。あと少しもう少し。
毎年のことだけれど、家業を優先せざる得ない現実である。
目の前にあることを精一杯に。そうして前へ進んでいくのだ。



帰宅してからの散歩の暑かったこと。汗びっしょりになった。
土手を吹き抜ける風が心地よい。ふうふうはあはあ風に吹かれる。

春はつかのま。季節は初夏へと向いつつある。

わたしはどこにいるのだろう。だいじょうぶちゃんとここにいる。



2012年04月23日(月) 吹き抜ける風のように

昨日の雨がうそのように素晴らしくよく晴れる。
雨上がりの清々しい朝の空気。心地よく吹き抜ける風。

冬のあいだ閉めきっていた北側の窓も開けて風を呼び入れる。
娘の部屋も窓を全開にして押入れにしまい込んであったお布団を干す。

洗濯物もいっぱい。靴下を干すのがなんだか好き。楽しいなあって思う。


ふと見上げたツバメの巣。どうしたことかここ数日姿が見えない。
例年ならもう卵を抱いている頃なのに、いったい何処に行ったのだろう。
悪い方に考えれば不吉な予感がしてしまう。こんな年は初めてだった。

けれども楽観的に考えれば、二羽が仲たがいをして別れてしまったのかも。
そうしてまた新しいお嫁さんをさがして飛び回っているのかもしれない。

「大丈夫、また帰って来るさ」彼は少しも気にならない様子で笑っている。
私もそう信じようと思う。帰って来てねって祈るように空を見上げている。

些細な事なのかもしれないけれど。いつもと違うというだけで不安になるもの。
気になり始めるととことん気になるのが私の悪い癖だった。


そんなちいさな心配事をのぞけば今日も平穏無事でありがたいこと。
いったい何が足りないと言うのだろう。欲張りだなって自分を戒める。


お大師堂でまた顔見知りのお遍路さんと再会した。
このひとは笑顔を見せないひと。いつも気難しそうな顔をしている。
最初のうちはちょっと苦手だなって思ったけれど、今日は嬉しかった。
人と会うのが好きではないのですよと言いながらいっぱい話してくれる。
なんだかすごく固い殻をかぶっているようでも私には心を開いてくれている。
そう思えるのは、辛かったこと嫌だったことばかり話してくれるからだった。

元気でね。また会いましょうねって言ってもその人は決して微笑まない。

「ああ、うん」という感じですごくそっけないところが魅力かもしれない。

人それぞれ。いろんなお遍路さんがいるものだ。

その人もいつかきっと微笑んでくれるような気がしてまた会える日を待っていたい。



2012年04月22日(日) ありのまま

雨風ともに強くまたもや嵐のようないちにち。
海が荒れているのだろう海鳴りが響き渡っていた。

少女の頃、海辺の町に住んでいたことがあった。
ごうごうと海が鳴ると胸がどきどきして眠れなかったり。
荒波が渦のようになって心をかき乱しているように感じた。

多感だった少女時代。今となっては遠い遠い昔話だけれど。



今日も川仕事はお休み。ゆっくりと骨休みをする。
雨音を聴きながらまったりと過ごすのもまた良いものだ。

夕方には雨も小降りになりぴちぴちちゃぷちゃぷと散歩に出掛ける。
雨に濡れた緑がいっそうと濃くなり、雨粒が真珠のように光っていた。

川は濁流。清流も雨には勝てない。それがありのままの姿だった。
けれども少しも嘆いてはいないように海を目指してひたすら流れる。

「ありのまま」とはきっとそういうことだろう。

いつも綺麗にいつも穏やかにとは誰も押し付けることなど出来ない。



お大師堂から帰り、今度は犬小屋にこもっているあんずを誘う。
晴れている日はすぐに飛び出して来るのに今日はなかなか出て来ない。
やっと顔を出した彼女はいかにもめんどくさそうにのそのそと出て来た。
おしっこは?うんちは?と訊いているのに「どうでも良いわ」の顔だった。

傘をさし掛けてあげて濡れた道をとぼととぼと歩く。
いきなりぴょんと飛び越えたと思ったら、そこには白つめ草の花。
踏んづけては可哀想と彼女も思ったのだろうか。
偶然だったかもしれないけれどそれがとても嬉しく思えてならなかった。



2012年04月21日(土) 娘の部屋

雨が降ったりやんだり。南風が強く吹いていた。

川仕事はお休みにして今日は休養日。
特に何の予定もなくぽっかりと空いたような一日。

娘がいつ泊まりに来ても良いように部屋の掃除をする。
もう2年半にもなるのか。娘の部屋はあの時のままだ。
残していった小物類。壁に貼られた昔の写真など懐かしい。

そうしてあの時のなんともいえない寂しさを思い出した。
娘がいなくなってしまった部屋でぼんやりと座りこんでいたこと。
落ちていたヘアピンさえも愛しく涙がぽろぽろとこぼれたことなど。

そんな娘がこの部屋に帰って来る。綺麗にしてあげなくちゃ。
掃除機をかけて拭き掃除もし、いつでも帰ってこられるようにした。

赤ちゃんが生まれたらひと月は一緒に暮らしてくれるのだそうだ。
おばあちゃんは大忙しになりそうだけれどそれも楽しみでならない。

気がつけば娘のことばかり考えていた一日だった。
長い陣痛の末やっと生まれてくれたこと。
大きな病気こそしなかったけれどよく怪我をしたこと。
おてんばさんだったのだなあと子供の頃のことを思い出した。

そんな娘がもうすぐ母親になる。
なんだか信じられないような不思議な気持ちになった。

あっという間に流れてしまったような歳月。

その歳月がとても愛しくてならない母であった。



2012年04月20日(金) 赤ちゃんのお布団

やはり「たけのこ梅雨」なのか。
灰色の重たい空から霧のような雨が時おり降ってくる。

少しぐらい濡れても気にならない雨はありがたく。
いつも通りに散歩に行く。土手の野アザミがたくさん咲いて嬉しい。


帰宅すると娘夫婦が待っていてくれた。
たくさんの荷物。赤ちゃんのお布団、お風呂セット。
哺乳瓶やお尻拭きシートまで揃えて準備は万端である。

それからチャイルドシート。取り付けがちょっと難しくて。
お婿さんとおじいちゃんが二人がかりでやっと取り付けが完了。

出産予定日まであと三週間となった。
赤ちゃんはもう2700グラムになっているらしくいつ生まれても大丈夫。
お婿さんの仕事が深夜ドライバーなので夜は里帰りになりそうだった。
夜中に産気づいたらと心配でならす、そのほうがずっと安心だなと思う。


娘達が帰ってから赤ちゃんのお布団を広げてみた。
ちっちゃな枕。ふわふわしていてやわらかくてなんともいえない。

そこにまだ見ぬ孫を寝かせてみてお布団を撫でてみるおばあちゃん。

あと少し、もう少し。どうか元気な産声を聞かせて欲しいとひたすら願っている。



2012年04月19日(木) おぼっちゃまくん

午後から雨になる。しっとりとやわらかな雨。

そろそろ菜種梅雨かしらと思っていたら。
テレビで「タケノコ梅雨」だと言っているのを聞いてなるほどとうなずく。
日本人ならではの言葉はなかなかおもしろいものだなと思った。



そのうちケロっとした顔で帰って来るさ。
父と母が噂していたら今日がその日になったようだ。
先日から風邪をこじらせていた息子が「晩飯!」と言って帰って来る。
まだ少し咳をしていたけれど元気になったようでとてもほっとした。

怒って母を追い返した事などすっかり忘れているようす。
「おぼっちゃまおかえりなさいませ」とおどけてみせる母であった。

三人で夕食。笑顔が何よりのごちそうになる。
「おかわり」と言って差し出されるお茶碗が嬉しくてならない。


友達から転職の話を持ち出されたけれど断ったのだそうだ。
辛い辞めたいとずっと言っていたのに、今のままを選んだ息子。

今の職場で学んだこと。そうしていろんなことを受けとめてきたのだと思う。

そんな息子にこれからもエールを送り続けたい父と母であった。

いつだって見守っているよ。口には出さないけれどそれが精一杯の愛。



2012年04月18日(水) いのちの色

お天気はまた下り坂のよう。
ひたひたひたと忍び足で雨が近づいている。

春はふかまりあたりじゅうの緑が匂ってくる。
特に好きなのは柿の葉の透き通るような緑だった。
なんともいえない淡い緑が目にも心にも沁みてくる。

ふと思ったのはいのちの色。
もしもいのちに色があるのだとしたらきっとそうにちがいない。
そう思うとよけいに愛しくて胸のあたりをぎゅっと抱きしめたくなる。

わたしのいのちは枯れ葉ではないのだと思うと元気が出てくる。
どんなに年を重ねても春になるたびに若葉になれるいのちだもの。

そう思ってみませんか?生きている限り何度だってめぐってくる春に。

胸をはって歩く散歩道でわたしは生まれ変わったような気持ちになった。



2012年04月17日(火) 精一杯

霧の朝。ぼんやりとくすんだ空に朝陽が差し始める。
そうして霧が晴れると雲ひとつない青空が広がっていた。


例のごとく早朝から川仕事。午前7時には川の中にいた。
今日は終ってもくつろいでなどいられない。そう思うと。
なんだか気忙しくていつも以上に張り切ってしまった。

さすがに疲れる。でも大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かして。
作業が終るなりクルマに飛び乗り山里の職場へと向った。

峠道で追い越すお遍路さん。ひとりひとりに頭をさげる。
みんなマイペースで歩いている。誰一人先を急いではいない。
その姿を見てはっとする。私は何を急いでいるのだろうと思った。

やらなければいけないことがあるのだとしても。
やれるだけで良いのではないかとふと気づいた。

おかげでせかせかとした気持ちがずいぶんと楽になる。

「すまないねえ」母に何度その言葉を言わせてしまうのだろう。
それは私の仕事。ほったらかしにしている自分がいけないのだった。
そのぶん母に苦労をかけている。「すまないねえ」は私の言葉である。

出来ることを精一杯。ああなんとかなったなとほっとした一日だった。

どんな日もあるけれど、その日に与えられていることを頑張る。

よしよし、よくやったねと自分をほめてあげるのも大切なこと。





2012年04月16日(月) 元気の「気」

ぽつぽつと落ち始めた雨がやがて本降りになる。
雨音が耳に心地よい。空が歌っているような音。

早朝からの川仕事も午前中に終え、午後はのんびりと過ごす。
昼下がりに山里の母から電話。また急ぎの仕事が出来たようだ。
なんだかぐったりとしていて今日は駆けつけることが出来ない。
明日の午後から行く約束をして電話を切る。ふうと大きな溜息。

助けてあげたい気持ちはいっぱいあるのに身体が思うようにならない。
数年前までは出来ていたことが今は出来なくてすごく歯がゆい気持ち。

こんな時こそ「明日があるさ」気を滅入らせては決していけない。

駄目だと思えばどんどん駄目になる。元気の「気」は自分でつくるもの。
きっと大丈夫と自己暗示をかけるのもひとつの方法であると学んだ事がる。



雨のため散歩は諦めてしまったけれど、お大師さんにお参りだけはしたくて。
すぐ近くだと言うのにクルマのお世話になり無事にお参りを済ます。

これも気の持ちようだとは思うけれど、さぼるとなんだか悪い事が起こりそう。
平穏無事だからこそ感謝をしたい。手を合わせないと一日が終らない気がする。

ありがとうございました。この清々しさをずっとずっと忘れたくはない。



2012年04月15日(日) 365歩のマーチ

朝のうちは曇っていたけれどゆっくりとおひさまが微笑んでくれる。
南風が心地よい。ほんのりと海のにおいのする風が好きだ。


子供の頃に覚えた歌って忘れないものだなって。
散歩をしながら「365歩のマーチ」を口ずさんだ。

人生はワンツーパンチ。汗かきべそかき歩こうよ〜

歌いだしは、幸せは歩いてこないだから歩いていくんだよ。

子供の頃には何も感じなかった歌が今はとても心に響く。
人生を歩いてきたんだなって。いろんなことがあったなって。

しみじみと思い出すと、ずいぶんと遠いところまで来てしまったように思う。

けれども記憶はとても鮮やか。すべてがとても大切な思い出だった。

たくさんの曲がり角。迷ったり悩んだりした事もいっぱいあった。
その頃には自分の進む道なんてちっともわからずにいたのだと思う。

行き当たりばったり。とにかく前を向いて進むしかない道だけがある。
どうなるのだろうと不安もいっぱい。私は歩いた。歩くしかないのが人生。


いまはただただありがたい毎日。もうじゅうぶんに幸せなのだと思う。

けれどもまだまだ歩き続ける。ああなんて素敵な人生だったんだろうって。

さいごのさいごにはそうつぶやいて微笑みたいなっておもう。



2012年04月14日(土) 待っていてね

散歩道の土手に野あざみの花が咲き始めた。
触れることも出来ず手折ることもできないけれど。
その凜とした姿にはとても心魅かれるものがある。

好きな花が咲くと嬉しい。心を弾ませて歩く散歩道。



今日はどうしても山里の職場に行かなければいけなくて。
川仕事を休ませてもらいなんだか気忙しく駆けつけて行った。

「すまないねえ」と詫びる母に笑顔で首を横に振り。
自分にしか出来ない仕事を一生懸命に頑張った一日。

川仕事も終盤になった。もうひとふんばりで楽になる。
そうしたらまた母を助けてあげることも出来るようになる。

見るたびにちっちゃくなる母。背中もずいぶんと丸くなった。
けれども弱音を吐かない母はとても頼もしく見えるのだった。

「ありがとうね」そう言って私を見送ってくれる。

なんだか胸が熱くなってほろりと涙が出そうになった。

母はどうしようもなく老いていく。
けれども必死になってその老いと闘っているように思える。

私の老いなどちっぽけなもの。まだまだこれからではないか。

「また来るから待っていてね」母は庭に出て私に手を振ってくれた。



2012年04月13日(金) 卵焼きとウインナー

お天気は下り坂。おひさまは見えなくてもじゅうぶんに暖かい。

午前中に息子の様子を見に行こうと決めて。
ちょっとしたお弁当を作った。
卵焼きとウインナー。質素なものだけれど。
手作りにこしたものはないと勝手に決めつけて。

クルマで10分ほどの道のりをとばして行く。
チャイムを鳴らすときちょっとはらはらした。
寝込んでいるのを起こしてしまうのではないか。
出て来なかったらどうしようと心配でならない。

良かった。足音が聴こえる。
そうしてすぐにドアを開けてくれてほっとした。

けれども開口一番に怒られてしまった。
あれほど来るなと言っておいたじゃないか。
来るなら来るでどうして先に電話をしないのか。

だって電話しても来るなって言うに決まっているもん。
大丈夫だからって言うに決まっているもん。

結局押し問答みたいになって玄関から中には入れてもらえない。
かろうじてお弁当だけは受け取ってくれて外に追い出される始末。

「今夜は夜勤だから!」ってドアを閉める時にそう言った。
どんなに体調が悪くても休めない仕事。休めば同僚に迷惑をかける。
俺はなんとしても仕事に行くんだからと強がっているようにも感じた。

追い出されたからにはどうしようも出来ない母である。
ふうっと大きな溜息をついて閉まったドアをぼんやりと見つめる。

「しんちゃん、どうして?」と泣き崩れるような母ではなかった。

追い返すほどの元気があって良かったなって思う。

そうしてぶつぶつ言いながらお弁当を食べている姿が目に浮かぶ。

母の卵焼きは美味しいでしょ!って今日の勝負は母の勝ちだもんね。


今頃は夜勤の仕事についている頃。

頑張らなくても良いよ。決して無理をしないでいてね。





2012年04月12日(木) おとなのこども

暖かさを通り越してまるで初夏のような陽気だった。
見るものすべてがまぶしくてきらきらと光っている。


夕方、娘のサチコが顔を見せてくれて。
そのまま晩ご飯を一緒に食べることになった。
お婿さんが飲み会で留守なのだそうだ。
久しぶりだねって言って二人で台所に立つ。

お兄ちゃんも呼んでみようよと言うことになり電話してみる。
そうしたらなんてことでしょう。また熱が出て寝込んでしまっていた。
はらはらとみんなで心配する。サチコが看病に行くからと言っても
うつるから絶対に来てはいけないと断固としてそれを拒むのだった。
「大丈夫だから」の一点張り。そう言って大丈夫ではなかったというのに。

なんだかとても憐れでならない。もっともっと甘えてくれても良いのに。

それだけおとなになったということなのかもしれないけれど。
辛い時こそ家族で助け合っていかなければと思う母であった。

来るなと言われても行くべきではないか。
明日は押しかけるように様子を見に行ってみようと決めた。

どうか早く元気になりますように。そればかりを祈っている母である。



2012年04月11日(水) 雨上がりの笑顔

先日の嵐ほどではなかったけれど雨と風の強い一日。

川仕事もお休みにして雨音を聴きながらのんびりと過ごす。
だらしなく怠惰な時間というのもまた良いものだった。

散歩は無理かなと諦めていたけれど思いがけずに雨があがる。
うっすらと陽も射し始めて喜び勇んで散歩に出掛けていた。

雨をたっぷりと吸った草たち。いちだんとその緑が濃くなる。
木々の新芽もずいぶんと鮮やかになりきらきらと眩しく光る。

嬉しかったのは桜の花がまだ少し残っていてくれたこと。
今年ほどながいあいだ楽しませてもらった年はないように思う。
ありがたい花だこと。ますます愛しさが込み上げてきた。


お大師堂には昨日のお遍路さんが居て、ゆっくりと休めたとの事。
雨宿りが出来てほんとうに良かったなあって思った。

一度帰宅してから今度はあんずと一緒に大橋のたもとまで歩く。
そうしたら休憩所の東屋にお遍路さんが居てにっこりと笑顔で挨拶。
あまりの悪天候に雨合羽も役に立たないほどずぶ濡れになったそうだ。
「いやあ今日はほんとに参りましたよ」と言いながら少しも辛そうにはない。

なんだかすごく元気をわけてもらったようで嬉しくなってしまった。
雨が降ろうと風が吹こうと、ただひたすらに歩くことを楽しんでいるようだ。
そんな姿がとても頼もしくて勇気そのもののように感じたのだった。

今夜は東屋で野宿をすると言うお遍路さんにお大師堂を教えてあげたけれど。
暖かいからここで大丈夫ですよと元気な返事が返って来た。

明日は青空になりそう。どうかまた笑顔で歩き出せますように。




2012年04月10日(火) 雨音を待ちながら

今夜から雨の予報。「桜散らしの雨」だと言う。
わずかに残った桜もついに葉桜になってしまいそうだ。

雨が降り始める前のしっとりとした夜気が心地よい。
あたりはしんと静まり返っていてひそかに雨音を待っている。


息子に電話。熱も下がったようでほっとする。
子供の頃からよく熱を出す子だったなとふっと昔を思い出す。
「もう大丈夫」と言われたら何もしてあげられないのが母であった。



今日の散歩道。からすのえんどうの花がたくさん咲いて。
しろつめ草の花もぽつぽつと咲き始めていて嬉しかった。
四葉のクローバーをさがしてみたけれど見つからず残念。
けれどもなんと鮮やかな緑なのだろうとしばし足を止めた。

お大師堂にはまた顔なじみのお遍路さん。
北九州小倉のひとで前回会った時は真冬の厳しい寒さだった。
「あれ?ワンちゃんはどうしたのですか?」と気にかけてくれた。

ここ最近はあんずを連れずにお参りに行っている。
お大師堂から帰ってからまた次の散歩に行くのが日課になった。
あんずと遊んでくれたお遍路さんもたくさんいたので少し残念だけれど。
繋がれているあいだあまりにもひいひい泣くので仕方ないなと思っている。

お遍路さんは明日は雨宿りだと言うこと。ゆっくりと休んで欲しいものだ。

日々あたらしい出会いもあれば再会もありほんとにありがたいことである。



2012年04月09日(月) おうち焼肉

日中の気温がぐんぐんと高くなり、まるで初夏のような陽気。
トレーナーを脱ぎ捨てて半袖になって過ごしたほどだった。

今日は息子と「焼肉をしようかね」と約束していた日。
川仕事を終えてから街の肉屋さんに買出しに行っていた。

おうち焼肉はほんとに久しぶり。息子の好きな牛タンも買った。

「わ〜い焼肉だ」わくわくと楽しみにしていたけれど。
昨夜は元気そうだった息子がどうやら風邪をひいたらしい。
仕事帰りに寄ってくれたけれど熱があるそうで早々と帰って行った。

晩ご飯は?風邪薬は?はらはらと心配する母をよそに。
「大丈夫だよ」と一言。息子は風のように去って行ってしまった。

お父さんとお母さん。仕方ないなって言ってふたりで焼肉を食べる。
なんだか寂しいけれど、食べ始めると美味しさの方が勝っていった。

ずっと食欲がなくて焼肉どころではなかった彼がすっかり元気になった。
それがとても嬉しくて良かったなあってすごくほっとしている。

みんなが無事でみんなが元気でいてくれますように。

手を合わせ祈り続ける日々がこれからも続くだろう。



2012年04月08日(日) タラの芽

朝の肌寒さは続いているけれど、日中はとても暖かい。
おひさまと友達になったような気分でいちにちを過ごす。

いとこがタラの芽を持ってきてくれた。
もうそんな季節になったのかと嬉しくてならない。

夕飯はタラの芽のてんぷら。
一緒に青さ海苔もてんぷらにする。

どちらも最高に美味しい。
なんだかとても幸せな気分になった。

タラの芽って不思議だなって思う。
木の芽を食べるなんて誰が発見したのだろうって。
最初に食べた人はその美味しさにびっくりしただろうなって。
もしゃもしゃちくちくしているのにてんぷらにするともっちり。
これほどの珍味がほかにあるだろうかと感動さえする。

春をいただくありがたさをしみじみと感じた夜だった。




2012年04月07日(土) 桜吹雪

四月だというのに風の冷たいいちにち。
時折りひゅるひゅると強く吹く風に。
桜が少しずつ散り始めてしまった。

はらりはらりと風に舞う花びら。
儚いけれど桜吹雪もまた良いものだった。

そうして季節は新緑の季節へと移っていく。
葉桜もまたその艶やかな緑が目に沁みるようだ。


散歩道を行けば、お大師堂でMさんが待っていてくれた。
すっかり顔なじみになったお遍路さんである。
いつも私のことを「おかあさん」と呼んでくれる。
ちょっとくすぐったいけれどそれが嬉しかった。

もう22巡目の巡礼、山梨には一度も帰っていないらしい。
そのわけを訊く事も出来ず、何がMさんをそうさせているものか。
Mさんの笑顔はとてもあたたかい。瞳はいつもきらきらと輝いている。

ふたりでしばし桜の木を仰いでいた。

散りますね。しかたないことですね。なんて言い合いながら。

ここに来るとほんとにほっとするんですよとMさんは微笑んでいた。



2012年04月06日(金) サチコの笑顔

風が強く肌寒い一日だったけれど陽射しはすっかり春。
木々の新芽も鮮やかになりあたりがきらきらと眩しい。


午前中は川仕事。今月いっぱいの勝負だとふたりで精を出す。
私の体調はいまいちだけれど、彼はとても元気になった。
俺たちはかわりばんこだからなって笑って励ましてくれる。
私も弱音を吐いてなどいられない。今は精一杯の日々であった。


午後は大きなお腹のサチコが笑顔を見せてくれた。
来週には産休に入るとの事。早いものでもう臨月になった。
母子共に順調な様子で、あとは無事に生まれるのを待つのみ。

ジージもバーバも心配しながらわくわくと楽しみにしている。

初めての出産は不安なものだけれど、のほほんとしている娘が頼もしい。
陣痛が始まったら背中を撫でてあげたい。だってすごく痛いものだもの。
そんなに痛いの?けろっとした顔で訊く娘はまだその痛さを知らないのだ。

産休に入ったら暇だからまた遊びに来るね。なんて言って帰って行く。

一緒に買物に行ったり一緒に散歩にも行きたいなと思う。
サチコと過ごす時間が増えるのはとても嬉しいことだった。



2012年04月05日(木) 山里の春

やっと春らしいぽかぽか日和となる。
おひさまが微笑んでくれるとなんだかとてもほっとする。


今日は彼の眼科と内科の通院日だったため、川仕事はお休みする。
私はずっと気掛かりでならなかった山里の職場へ行って来た。

久しぶりの峠道。春遍路さんの姿を何人も見かける。
その度に頭をさげて旅の無事を祈っていた。
ひとりひとりに声をかけたい気持ちはいつもあるけれど。
思うようにそれが出来ないのがとても残念でもあった。


山里は春があふれていた。のどかな風景に心が和む。
田んぼには水が張られてもう田植えの準備が始まっていた。

何よりもあちらこちらに桜の花がたくさん咲いていてとても綺麗だった。
郵便局にも小学校にも満開の桜がきらきらと光り輝いている。

今朝は少し憂鬱だったけれど来て良かったなあってすごく思った。
山のようにたまった仕事もどんどんと捗ってほっと一息の午後だった。

神社の近くに行かなければいけない仕事があり急いで行ってみると。
そこにも桜の木がいっぱいあって思いがけないほどの桜の花を見れた。

思わずわぁって声をあげていた。しばし立ち尽くし心いっぱいに桜を愛でる。

今日は桜日和。とてもありがたい一日だった。





2012年04月04日(水) 桜は散らずに

昨日の暴風の名残が少しあったものの、空は青空。
春らしいぽかぽか日和ではなかったけれどなんだかほっとする。


早朝より川仕事。潮がどんどんと引いていく。
追い立てられるようにふたりで頑張った。
もう峠は越えたのだろうと思っている。
今月いっぱい頑張れば今期の収穫も終るだろう。

思い起こせば30年。ながいようであっという間の歳月。
今もこうして続けられている事をほんとうにありがたく思う。



昨日は思うように行けなかった散歩道をゆっくりと歩く。
思いがけなかったのは桜の花が散らずにいてくれたこと。

儚い花と思い込んでいたのかもしれない。
それはとても強かった。なんとも逞しかった。

感動で胸が熱くなる。嵐にも負けなかった桜たち。

潔く逝く時はいく。けれどもそれは今ではなかったのだ。

あしたかもしれない。あさってかもしれないと不安がるのはよそう。

いまある命を精一杯に咲き誇れるような人生でありたい。



2012年04月03日(火) どんな日もあるけれど

またもや春の嵐。雨は午前中にやんでくれたのだけれど。
午後からの風の強いこと。まさに台風並みの暴風になった。

あまりの悪天候に川仕事はお休み。
彼は床屋さんに行き私は美容院へ行ってくる。
ずいぶんと伸びていた髪を切りさっぱりとした。

吹き荒れる風の音を聴きながらのんびりと過ごす。
こんなお休みもたまには必要ではないかと思った。

桜の花も散ってしまったかもしれない。
気掛かりでならず散歩に出掛けてみたけれど。
土手にあがる坂道で突風に吹かれて前へ進めない。
立っているのがやっとで怖くなって引き返して来た。

明日があるさ。明日があるさと歌うように思った。

そうしてどんな日もあるさ。万歩計もほんのわずか。


爆弾低気圧と名付けられた嵐が北上している。
怪我人や死者も出たと聞きなんとも心を痛めている。

自然の猛威に人はさからえずただただ耐えるしかないのだろうか。

明日はどうか穏やかな空でありますようにと祈りながら眠るしかない。



2012年04月02日(月) 花の命

朝は「花冷え」こんなもんさと彼が言う。

お天気はまた下り坂のようで午後から曇り空になった。

満開の桜も見納めかもしれないと思うとなんだかせつなくなり。

今日もお花見と決めて高台の桜を愛でに行っていた。

急な坂道をふうふう言いながら上り詰めるといちめんの桜並木。

低いところに咲く花をそっとふれてみると手のひらがあたたかい。

このぬくもりが春。ずっとずっと待ちわびていた春なのだと思う。

寒い冬を乗り越えてやっと咲いた桜だというのに。

その花の命のなんと儚いことだろう。それは潔いけれど。

あまりにもあっけなくて名残惜しさが込み上げてくる。


そんなふうに生きて逝きたいとずっと思っていたけれど。

いまのわたしには遠い。その遠さがもしかしたら未来かもしれない。

何度だって咲こうではないか。一本の木になる。そうして生きる。





2012年04月01日(日) ツバメが帰ってきた

四月が始まる。朝は冬の名残の肌寒さを感じたけれど。
日中は風もなくいかにも春らしい穏やかな晴天となった。

朝食時、彼が窓の外を見て「帰ってきたぞ」って言った。
誰のことだろうと私も見てみると二羽のツバメがそこにいた。

今年も我が家の事を忘れずに無事に帰って来てくれたのだ。
なんと嬉しいことだろう。その姿が我が子のように愛しかった。

ずっと壊さずに残してある古巣の補修作業を始めているようだ。
それもすぐに完成することだろう。そうして卵を抱く日も近い。

私達はまるで家族が増えたようにその姿を見守る日々が続くのだった。


おかげでほっこりとした朝。そうして今日も平穏に時が流れていく。

お大師堂でささやかにお花見。満開の桜を仰ぎながら深呼吸をした。
しんこきゅうは「心呼吸」とくとくと流れる血さえも桜色に染まる。

この色を忘れない。どんなに時が流れても忘れないでいようと思った。


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