目覚めるとやはり春の嵐。もの凄い風と雨が降っていた。
今日は四国霊場「岩本寺」の参拝ウォークに参加する予定だったけれど、 雨天中止となり、残念なようなほっとしたような複雑な気分であった。
嬉しかったのは、川仕事の忙しい最中に彼が「行って来いよ」と言ってくれたこと。 それだけでじゅうぶんだった。なんとありがたいことだろうと思っていた。
一日くらい私がいなくても自分ひとりで頑張れるからと言う彼。 それが日に日に心配になってきていた。無理をさせてしまうのではないか。
そう思うとどんなに楽しみにしていた事でもほんとうに行って良いのかと悩み始める。
雨天中止。さっぱりと諦めがつく。そうして彼と一緒に川仕事を頑張った。 いつも以上に忙しくもあり、これで良かったのだとつくづく思ったことだった。
暇になったらまたいつでも行けるさとなぐさめてくれる彼。 気遣ってくれているのがすごく伝わってきてなんとも嬉しくてならなかった。
そうね。一緒に行こうよねって心はとても満たされながらつぶやいていた。
雨のち晴れ。春の嵐はあっという間に過ぎ去り、午後は春の陽射しがあふれる。
桜の花は散らずにいてくれた。強い風が吹き荒れる中ほっこりと微笑んでいた。
2012年03月30日(金) |
明日になってみなければ |
お天気は下り坂。曇り空を掻き分けるように春の陽射しが届く。 ぽかぽかと暖かいのはほんとうにありがたいことだった。
桜もほぼ満開となった。けれども明日は春の嵐だということ。 花に嵐か。逆らうことは出来ないけれどなんと容赦ないことだろう。
きっと耐えてくれるだろうと信じて今日も桜を愛でる。 「だいじょうぶよ」って微笑んでいる姿がとても頼もしい。
明日になってみなければわからないこと。 時々どうしようもなくこだわってしまう時がある。
わからないのにわかったような決めつけてしまう時があるものだ。
たとえば諦め。たとえば希望。そうして複雑な気持ち。
そんな時こそ「明日はあしたの風が吹く」私の好きな言葉だった。
とにかくぐっすりと眠ろう。今日も平穏無事にありがとうございました。
風も弱まりぽかぽかと春らしい陽気となる。 そんな陽気のおかげだろう桜もずいぶんと咲いた。
川仕事に精を出しながらふっと見上げる対岸の山には。 山ツツジの花も見えるようになる。ピンク色がとても鮮やか。
忙しさとうらはらに時間はゆっくりと流れているようだ。 のどかな風景をほっと楽しむ心のゆとりも大切だなと思う。
そんなに急いでどこに行く。まさにその言葉の通りだ。 ゆっくりと生きよう。ゆっくりと今を楽しめば良いのだ。
いつものようにお大師堂で手を合わす。 願うこと祈ること。それ以上に感謝の気持ちが勝る。
感謝の気持ちこそが幸せにつながるのだそうだ。
どんな些細なことでも良い。ありがとうって言ってみようではないか。
風の強い一日だったけれど日中はとても暖かくなる。 気がつけば三月も残りわずか、四月になれば春も本番となるだろう。
お大師堂の桜を楽しみに今日もてくてくと歩く。 川仕事で疲れていても散歩をしていると不思議と元気が出てくる。 重たいはずの身体が一気に軽くなって歩くのがとても楽しくなる。 万歩計は6千歩と少し、室戸岬はまだまだ遠いけれどゆっくりと行こう。
散歩から帰ると久しぶりに息子が顔を見せてくれた。 私の顔を見るなり「腹へった!」それも嬉しいことだった。
鮭の塩焼き。切干大根の卵とじ。マカロニサラダの夕食。 相変わらずの質素な献立だけれど、それが良いのだと息子は言う。 ご飯の大盛りを二杯も食べてくれて「うまいぞ!」って言ってくれた。
仕事はやはり辛そう。けれども笑顔でいてくれてとてもほっとしている。 息子なりにいろんなことを受けとめて耐えているのだろうと思った。
父も母もそんな息子のことをずっと見守っている。 どんなにおとなになっても幾つになっても私たちの大切なこどもだった。
近いうちに焼肉をしようぜ!と言うことになって笑顔のまま去って行く。 ずっと食欲がなくて心配していた父親も「それはいいな!」と喜んでいた。
ああ良かったなあって。今夜はとても嬉しくてならない。
みんなが元気でいてくれる。それが母のいちばんの幸せだった。
午前6時の気温は0℃。真冬並みの寒さであった。 けれども日中の暖かなこと。おひさまはほんとにありがたい。
そんな暖かさのおかげで桜の花も一気に咲き始めた。 昨日よりも今日と花が増えているのが嬉しくてならない。
桜の季節になると懐かしく思い出すことがある。 もう30年近くも昔のことなのだけれど。 前年の秋に彼の父親が亡くなってしまって。 彼は勤めていた会社を辞め家業を継ぐことになった。 慣れない川仕事。それは彼にとっても私にとっても苦労に他ならない。
そうして幼い子供たち。ふたりはいつも作業場にいた。 息子はひとり遊びが出来るようになり娘はよく眠ってくれた。 忙しさに追われる毎日。子供たちもどんなにか寂しかったことだろう。
そんなある日、親戚のおじさんに声をかけられた息子。 「お山に行ったらクマさんがいるよ」それは桜の名所の公園の事だった。
それまで一度も何かをせがむという事をしなかった息子だったけれど。 その時に初めて泣きながら火がついたように「クマさん行く!」と叫んだ。
忙しいから駄目だよ。いくら宥めても泣き止もうとはしなかった。 それにはさすがに参ってしまって、よほどの事だろうと私達も考えた。
そうね。こんなに良いお天気だものクマさんに会いに行こう!
大急ぎでおにぎりを作る。息子は「クマさん、クマさん」と大喜び。
念願のクマさんに会って満開の桜の木の下でおにぎりを食べた。
息子の嬉しそうな顔。まだ赤ちゃんだった娘は陽だまりで笑っている。
家族でお花見。それが最初で最後のお花見になってしまった。 だからこそ忘れられない。私たち家族の最高の思い出になったのだった。
それ以来何度も桜の季節が巡ってきたけれど、息子はもう泣かなかった。
三月も残り少なくなったというのに寒い朝。 遠ざかっていた冬が忘れ物をしていたのかもしれない。
それはきっと届けてはあげられないものなのだろう。 そんな冬の姿をそっと優しく受け止めている春であった。
いつものようにお大師堂に向かう道。 風がとても冷たいけれど陽射しは春の匂いがする。 土手にあがれば川面がきらきらと光って眩しかった。
じぶんがそこに立っている。ふと不思議な気持ちになることがある。 生きているんだなってすごく感じる。それはやはり奇蹟のようなこと。
若い頃には思いもしなかったこと。年を重ねるとはそういうことだろうか。 今ある命が愛しくてならない。失いたくはないと欲のように思ったりする。
ほんの少しの身体の不調に怯えながらも、平穏無事のなんとありがたいことか。 なんだか毎日ごほうびをもらっているような気がしてならなかった。
ありがとうございました。手を合わすたびに胸が熱くなる。
あしたはあしたの風が吹くという。どんなに冷たくてもかまわない。
わたしのこころはほっこりと春。そのこころに桜の花を咲かせましょう。
2012年03月25日(日) |
楽しみなこと嬉しいこと |
今日も風が強く肌寒さを感じた。 「花冷え」という言葉があるけれど。 桜の季節になると思い出したように寒い日があるものだ。
今日も川仕事。楽しみなのはお弁当の時間だった。 とは言っても手作りのお弁当など作る気はまったくなくて。 作業場のすぐ隣のコンビニでおにぎりなどを買ってくる毎日。 今日は寒かったのでおでんも買った。ささやかな贅沢である。 作業場の陽だまりでまるで遊山のようにしておにぎりを食べる。 それがとても嬉しくてならない。子供みたいだなと彼も笑っている。
やっと作業が終ると今度はお昼寝が楽しみだった。 家に帰り着くなりばたんきゅうと炬燵にもぐり込む。 時にはぐっすりと寝入りこんでしまう日もあるけれど。 散歩の時間になると彼がちゃんと起こしてくれるので助かる。
お大師堂のソメイヨシノ。昨日はまだ咲いていなかったのに。 今日はぽつぽつと咲いているのが見えてとても嬉しかった。 明日はもっと咲いていることだろう。散歩が楽しみでならない。
桜が満開になれば春も本番となる。こころいっぱいに桜色を感じたいものだ。
夕方は彼と大相撲千秋楽を観戦。どきどきしながらテレビを観ていた。 相撲好きの彼のおかげで私もすっかり相撲ファンになっている。 彼のテンションが上がると私も嬉しくなって一緒に盛り上がるのが楽しい。
夫婦っていいものだなと今更ながらにしみじみと思ったりする。
お風呂上りに背中にサロンパスを貼ってもらった。 貼り終えた後に背中をぽんぽんと叩いてくれるのも嬉しいなと思う。
このひとがいなくなったらどうしようって思うとすごく不安になる。
「ありがとうね」って言っても彼は聞こえないふりをしている。
私の背中はとてもあったかい。こころのなかはもっともっとあったかいよ。
風の強いいちにち。ひゅるひゅると冬の日を思い出す。 空は晴れているはずなのだけれどベールに包まれているよう。 黄砂なのかもしれない。それも春のしるしなのだなと思った。
川仕事が猫の手も借りたいほど忙しい。 一生懸命頑張っているけれど、どっと疲れが出てしまう。 負けないぞって思っているのに、先日から急に臆病になった。 無理をしているつもにはまったくないのに身体は正直なのだろう。 悔しくてたまらなくて「大丈夫、大丈夫」と自己暗示をかけている。
一日の仕事を終えるとほっとする。毎日が山登りのよう。 今日もなんとかなったから明日もきっと大丈夫と信じている。
やればできる。やってやれないことはない。 なんとしても乗り越えようとすくっと前を向いている。
そんな日々にあって、お遍路万歩計がとても励みになっている。 今日は阿波の国最後の札所「薬王寺」に着くことが出来た。 万歩計を身に着けてからちょうど二ヶ月目のことである。 毎日少しずつの積み重ね。それが決して無駄な事ではなかったのだなと思う。
土佐の国はまだ遠い。あと85キロ、17万歩も歩かなければいけない。 けれども太平洋が待っていてくれる。室戸岬を目指して頑張ろうではないか。
ささやかな一歩。ささやかな日々を積み重ねていく。
生きているってほんとうにありがたいことだなって手を合わす毎日だった。
2012年03月23日(金) |
ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん |
朝から雨がたくさん降る。 優しい雨に慣れていたせいか、なんだかどきどきとした。 どしゃ降りの雨なんてとても久しぶりのことである。
午後には少し小降りになり新しく買った傘をさして歩く。 若草色の傘。なんだか子供のように嬉しくなった。
ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん。
路地を歩いていると民家の庭先から雪柳の花が枝垂れ咲いていた。 小さな白い花がたくさん集まりほんとうに雪のように見える。 その花から雨粒がまるで真珠のように光っていてとても綺麗。
雨の日も良いものだ。思いがけない光景に心を和ませた。
お大師堂には春遍路さんがふたり。岡山から来たのだそうだ。 初対面だったからほんの挨拶程度しか話せずちょっと残念だった。 明日は雨がやむと良いな。どうか無事に元気に旅を続けてほしい。
お遍路さんに出会えた日は心がとても清々しくなる。ありがたいことだ。
夕方。検診日だったサチコが笑顔を見せてくれる。 母子共に順調のようで何よりのことだった。 赤ちゃんの名前は、やはり「さなえ」ちゃんに決まるかもしれない。 大きなお腹に手を当ててみるとぽこんぽこんと元気にお腹を蹴っている。
サチコの顔が日に日に母親らしくなっていく。 それがとても頼もしく思えて私もおばあちゃんの顔になっていく。
ぽかぽかと春のやわらかな日差しがありがたい。
冬のあいだ荒れ果てていた庭にひな菊を植えた。
ちいさくて可愛い。春の天使のような花だった。
ふんわりとした気持ち。心にも花が咲いたよう。
春風に吹かれながらてくてくと散歩道。
つくしの坊やたちがスギナになっていく。
その緑が目に沁みるように鮮やかだった。
わたしはしんこきゅうをいっぱいする。
さわやかな風がたましいにふれるように。
元気ですか?元気ですよとこたえる。
おいちにさんし。おいちにさんし。
負けないよ。へこたれないよと風に誓って歩く道。
2012年03月21日(水) |
寒さなければ花は咲かず |
陽だまりに咲くホトケノザの薄紫が好き。 今日は白い蝶々がふわりふわりと飛んでいた。
ああ春だなあと思わずつぶやいていた。 高知城のソメイヨシノも開花宣言があった。 桜のニュースはとても嬉しくてならない。
寒さなければ花は咲かず。厳しかった冬のおかげで。 今年も桜の季節がやっと訪れて来てくれたのだった。
昨日から川仕事を再開する。 五日間も休養させてもらってやる気満々で出掛けたのだけれど。 どうしたことか急な眩暈におそわれ思うように頑張れなかった。 情けないやら悔しいやら。負けたくはないのに負けてしまった。
「木の芽おこし」だからなと彼に慰めてもらったけれど。 私はうまく受け止めることが出来ない。とにかく悔しい。
今日は絶対に負けないぞって思った。 弱気になってなどいられない。少しくらいの不調ではへこたれない。 その気力のかいあって今日は無事に仕事を終えることが出来た。
それが自信につながる。とにかく私は負けないのだと心に誓った。
どんな日もあるけれど元気がいちばん。
そうしてその元気がどんなにかありがたいことだろう。
今日は「お大師さんの日」お菓子をお供えして手を合わせた。 守ってくださってほんとにありがとうございます。
お大師堂の桜の木もふっくらと蕾がふくらんできた。
おひさまが優しく微笑んでくれてほんわかと暖かい。 冬の背中がずいぶんと遠くなった。もう振り向かないでいて。 願うように後姿を見ていた。さようならとありがとう。 寒い冬がなければ春をこんなに嬉しく感じることはなかっただろう。
午前中に年金事務所に行く。彼の年金請求の手続きだった。 市役所にも行き必要なものなど揃えたりしてけっこう大変。 半日がかりでやっと手続きが済む。ほっと一安心だった。
思いがけなかったのは、彼がまだ10代の頃、東京で働いていた事。 わずか13ヶ月だったけれどちゃんと厚生年金に加入していたらしい。 例の年金騒動でその期間の資料が迷子になっていた事が判明した。 名前のフリガナが一字間違っていた。それが原因だったらしい。 この分もちゃんと支給されますからと言ってもらえて嬉しかった。
集団就職。「金のたまご」と呼ばれた時代の事であった。 15歳を過ぎたばかりの彼はどんなにか幼かったことだろう。 昼間は働き夜は高校に行く。大都会の片隅で頑張っていた彼。 そんな彼が肺ジストマになってしまい仕方なく帰郷しなければいけなかった。
まともに歩くことも出来ず、父親の背中におわれて帰って来たのだそうだ。 あの時はすごく辛かったよ。そして悔しかったよと彼は話してくれた。
13ヶ月。お父さんはすごくえらかったよって私はほめてあげた。 年金もちゃんともらえるんだよ。すごいことじゃないのって言って。
七年前にリストラにあうまで彼は家族のために一生懸命働いてくれた。 タンクローリーに乗ったりミキサー車にも乗ったり建設作業員もした。
もらえる年金はわずかなものだけれど、労働の価値はとても大きい。 その大きさをしみじみと感じながら彼の苦労を労ってあげたいと思う。
お父さんほんとにありがとう。年金、大事に大事にしようね。
今日も雨。絹のようにやわらかな雨が降っていた。
あおさ海苔初出荷の日。荷台をシートで覆って無事に運び終える。 海苔の「お嫁入り」と言っている。送り出すときの気持ちはやはり わが娘が嫁ぐ日に似ている。嬉しいようなちょっとせつないような。 どうかたくさんの人に食べてもらえますように。それが海苔の幸せ。
川仕事も数日間の休養をさせてもらった。明後日からまた収穫が始まる。 もうひと山越えなければいけない。ようし!と気合満々であった。
雨の日曜日らしく午後は炬燵にもぐり込み怠惰に過ごす。 うたた寝が心地よい。とろりとろりと夢もみたりする。
散歩の時間にはちょうど雨もやんでいてよっこらしょと出掛けてみた。 お大師堂の日めくりは昨日のまま、今日も来ましたよとそれをめくる。 数日前にお供えしてあったお菓子が袋ごとどこかに消えていた。 お大師様が食べてくれたのかなと思うとそれも嬉しさに変わる。
お大師堂の前のソメイヨシノ。固かったつぼみがふっくらとしてきた。 雨上がりのしずくがきらきらと眩しい。きっと恵みの雨だったのだろう。
河川敷を歩けば木々の新芽も見え始めちっちゃな緑がとても可愛い。 植物がみな喜んでいるように見える。雨上がりって良いものだなと思う。
そうして今日も平穏に暮れていく。
毎日が奇蹟のようでありがたくてならない。
2012年03月17日(土) |
ほんわかとあたたかい |
雨のち曇り。しっとりした空気がほんわかと暖かい。
雨上がりの道を散歩する。川は湖のように静かだった。 ひたひたひたと音がする。まるで水が息をしているように。
土手の道で春遍路さんに会った。 地図を片手になんだか困っているようだったので。 「こんにちは」と声をかけると笑顔がかえってきた。 今夜泊まる予定の民宿の場所がよくわからないとのこと。 県道よりも川沿いの道が良いかなと思い「あかめの道」を教えてあげた。 お大師堂の前を川沿いに進む道で、川にはアカメと言う名の魚が生息している。
お遍路さんは四万十川がすごく好きなのだと言ってくれて嬉しかった。 この道は最高に気持ち良いですねと私の散歩道を気に入ってくれたようだ。
ささやかなふれあい。笑顔と笑顔で手を振って別れたことだった。
彼、60歳の誕生日。ついに還暦を迎えたことになる。 27歳だった彼がもうそんな年になったのかと。 しみじみと過ぎ去った歳月を思い出していた。
いろんな苦労を乗り越えてきた日々。 悲しみも辛さもたくさんあったけれど嬉しい事もたくさんあった。
私も彼もともに生かされているのだなとおもう。
おたがいをいたわりあいながらこれからも手を繋いで生きていきたい。
肌寒い朝。午後から静かに雨が降り始める。 明日はもう彼岸の入り。冬も一気に遠ざかってくれるだろう。
川仕事をお休みしているとなんだか気が抜けたよう。 休める時に休まなければと山里の職場にも行かずにいた。
彼もゆっくりと休養している。ほんの少し元気になったよう。 昨夜はこども達に誕生日のお祝いをしてもらってとても嬉しそうだった。 何も食べたくないなんて言ったらどうしようとはらはらしていたけれど。 新鮮なお刺身。サザエのつぼ焼きなどを美味しそうに食べてくれた。
こども達の心遣いに感謝するばかり。こんなにありがたいことはない。 そうして皆の笑顔がどんなに嬉しかったことだろう。
ほんの二時間ほどだったけれど大いに盛り上がって楽しかった。 生まれてくる赤ちゃんの名前も考えたりして「さなえ」が良いかなって。 紗奈恵。紗菜恵。いや紗菜香も良いかもと私が一番夢中になっていた。 最終的にはサチコ達夫婦が決めることだけれど名前を考えるのはとても楽しみ。
あと二ヶ月足らず。どうか無事に生まれてくれますようにと祈っている。
またみんなで来ようねと約束してそれぞれの家路に着く。 その頃には新しい家族が増えているのだなってわくわくと嬉しくなった。
今朝も氷点下となりなんとも寒い朝だった。 けれども日中は風もなく暖かくなりほっとする。
彼岸の入りも近くなった。きっと本格的な春になるだろう。 ソメイヨシノの花芽も少しだけ見え始めた。 まだ固いけれど日に日にふくらんでくることだろう。
川仕事が一段落した。やっとひとやま越えた気持ち。 まだまだ先があるけれど、数日はゆっくりと休めそうだった。
彼もきっと元気を取り戻してくれることだろう。 とにかく休ませてあげたい気持ちでいっぱいだった。
明日は、子供達が少し早めの誕生日祝いをしてくれるそうだ。 焼肉はちょっと無理かなと居酒屋さんに予約をしてくれたそうで。 彼もまんざらではなさそう。主役なんだものきっと笑顔の夜になるだろう。
そうして少しでも元気になってくれたら嬉しい。
日々いろいろ。平穏なようであっても心配事のひつくらいはあるもの。
そのひとつにこだわらずもっともっとあっけらかんと生きていきたい。
朝の気温が氷点下になり真冬並みの寒さになった。 冬の最後のあがきであろう。なんだかゆるしてあげたくなる。
そんな寒さのなか庭に野スミレの花が咲く。 土手から種が飛んできていたのだろう。 コンクリート塀の隙間にしっかりと生きている。
冬のあいだろくに手入れもしなかった庭。 気がつけば紫陽花の新芽も芽吹いてきていた。
どんなに寒くても確かな春がそこにある。
それは希望のようなこと。心がほっとあたたかくなる。
このところずっと食欲のない彼。 そのせいか倦怠感が日に日に増しているようだった。 「何も食べなくていいから一日中寝ていたい」と今朝はつぶやく。
そのくせ川仕事は休まないと言って毎日頑張っている。 無理をしているのがわかるだけになんとも可哀想でならない。
そんな彼が今夜は「大根おろし」が食べたいと言ってくれた。 良かった。ひとつでも食べたい物があってすごくすごくほっとする。
さっそく大根をすりおろす。玉葱ではないのに涙が出そうだった。
「うん、うまいな」なんと嬉しい一言だろう。
昨日ふりむいた冬が駆け足で戻ってくる。
つめたい北風。忘れるな忘れるなと叫んで。
青空とおひさまをその冷たさで覆ってしまった。
負けるもんか。つくしの坊やたちが口々に声をあげる。
早咲きの桜は散り始めてしまってなんともせつないけれど。
潔くいくのよと言って微笑んでいるようにもみえた。
菜の花は満開。その黄色のなんと優しくあたたかいことか。
だいじょうぶよって。こんなに春だものと言って慰めてくれる。
わたしは生きている。とてもとても平凡に生きている。
つめたい北風に立ち向かうように前を向いて歩いている。
命ほどありがたいものはない。ぎゅっとぎゅっと抱きしめたい。
そうして冬に負けないように叫んでみる。
ここにいるからね。ここから始まるんだからね。
行くよ。行けるところまでとことん生きてみせるからね。
空は青空。冬の名残の北風が強く吹き荒れる。 春と冬がおしくらまんじゅうをしているようだ。 今日は冬の勝ち。あしたは春が勝つといいな。
大震災から一年が経った。 いろんなことを考える。いろんなことを思い出す。
それはとても重くて痛い。そうして悲しい。
あの日から平穏でいることがどんなにか心苦しかったことか。 微笑む事さえも不謹慎に思えて正直どうすればよいのかわからなかった。
「普通にしていれば良いよ」友の声にはっと我にかえった。
その言葉にどんなにか救われたことだろう。
住む家があり家族がいてくれて食事をしお風呂に入りお布団で眠る。 ずっとそれが当たり前の事だと思っていた。けれどもそうじゃない。 それがどんなに恵まれていることなのかを思い知ることが出来た。
そうして命があること。そうして生かされていることに感謝するばかり。
これでいいのか。ずっとこのままでいいのかと自問自答を繰り返す。 自分の無力さにあらためて気づいた。ナニモデキナイデハナイカ。
ただ祈ること。すがるような思いで毎日祈り続けていた。
どうか少しでも希望を。どうか少しでも光が射してくれますように。
それはこれからも変わらない。一生かかっても私は祈り続けたいと思う。
2012年03月10日(土) |
ひとつきりのおひさま |
青空の朝。なんだか遠足の日のように嬉しい。 ひんやりとした空気は冬がふっと振り向いたのか。 春に背中を押されながら名残惜しそうに立ち止まっている。
川仕事を終え休む間もなく出荷の準備をしていた。 晴れたら晴れたでとても忙しいのだけれど。 おひさまのなんとありがたいことだろう。 空に手を合わす。おひさまは優しく微笑んでくれる。
この世でひとつきりのおひさま。
どうかみんなに光を届けてあげてください。
ささやかな祈り。この一年の痛みがそうして救われていく。
お遍路万歩計。今日も大活躍する。 最初は5千歩が目標だったけれど、最近は8千歩を越える日もある。 今日は7千歩と少し、毎晩見るのがとても楽しみになった。 札所は20番に向っている途中。明日は着けそうで気合が入る。
春遍路さんの姿がずいぶんと多くなったこの頃。 私もいつかきっと夢を叶えたい。
りんりんと鈴の音ひびかせ歩く道 空が見守る春遍路かな
今日も雨。少し肌寒かったけれど春の雨は優しい。
昨日はしょんぼりしていた彼も今朝は元気になる。 「雨だから休もうか」って気遣いながら言ってみると。 「今日も頑張るぞ」と言ってくれてこちらが励まされた。
無理をしているのかもしれないと思いながらも。 大丈夫、だいじょうぶと自分に言い聞かせながら私も頑張る。
程よい疲れ。一日の川仕事を終えた達成感は言葉では言い表せない。 その心地よさのおかげで明日も頑張ろうと意欲が湧いてくるのだった。
午後はふたりで炬燵にすっぽり。まるで二匹の猫のように過ごす。
うたた寝をしていたら玄関に人の気配。サチコ達夫婦が訪ねて来てくれた。 今日が検診日だったけれどいつもの映像は鮮明ではないとのことで諦める。 お腹の赤ちゃんがいないいないばあをしているらしかった。 とにかく元気に動き回っているようで手で顔を覆っているのだと言う。
次回は二週間後。今度は顔を見せてくれると良いねって楽しみになった。 それにしてもずいぶんと大きくなったお腹。ちょっとしんどそう。 仕事もきつくなっただろうに来月までは頑張るからと元気に帰って行った。
サチコの元気と笑顔は我が家に花を咲かせてくれる。 それは春を通り越して夏のひまわりのようであった。
夏に生まれた娘は太陽のこども。
ありがとうねって、母は娘が生まれた日のことをふっと思い出していた。
2012年03月08日(木) |
だいじょうぶよ。なんとかなるから。 |
雨が降ります雨が降る 遊びに行きたし傘はなし
しんみりと口ずさみたくなるような雨のいちにち。 ほぼ三週間ぶりだろうか山里の職場へ顔を出す。
突然に行って驚かせてあげようと思っていたから。 「おやまあ!」と母。「ぶったまげた!」と同僚。 懐かしいような笑顔とちょっと照れくさいような朝であった。
たまっていた仕事を少しずつやっつけていく。 次はいつになるのかわからない。やれるだけの事をやっておきたい。 母の負担が少しでも減るようになどと考えながら仕事をこなしていた。
けれども平穏ではなかった。覚悟はしていたけれど荒波に浮かぶ船。 母の苦労が身にしみる。独りで耐えていたのかと思うと憐れでならない。
そんな母を置き去りにするように私は陸に上がらなければいけなかった。
後ろ髪を引かれるような思いで帰路に着く。どっと疲れを感じていた。
「だいじょうぶよ。なんとかなるから」母の口癖に救われながら。
帰宅すると通院日だった彼もちょっとしょんぼりしていた。 内科も眼科も順調ではなく薬の処方が変わったらしかった。 疲れが溜まっているせいかもしれない。「だいじょうぶよ」って励ます。
一緒になって落ち込んでなどいられない。私はいつも笑顔でありたい。
そう思っていたけれどいてもたってもいられなくなって。 雨の降りしきるなかを駆けるようにお大師堂へ向かった。
助けてください。守ってください。祈るほかに何が出来るというのだろう。
ほろほろと涙がこぼれる。こんなに一心に祈ったのは初めてであった。
だいじょうぶよ。なんとかなるから。
だいじょうぶよ。なんとかなるから。
曇り空のままいちにちが過ぎていく。 気温も平年並みに戻ったようで少し肌寒い。
川仕事の疲れがピークに達したのか彼の体調悪し。 持病の腰痛に加え胃の調子も悪く食欲がなかった。
お寿司なら食べられそうだと言うので昨夜は散らし寿司。 今夜は鰹で「ひっつけ寿司」を作ってみた。 うん、旨いぞ!と言ってくれるとほんとうにほっとする。
明日は内科と眼科の通院日なので川仕事を休むことにした。 ゆっくりと休ませてあげたいけれど病院も少し疲れそうだった。 若い頃のようにはいかないよなとしょんぼりしているのが気になる。
私はといえばすこぶる体調が良く元気溌剌、食欲旺盛であった。 更年期障害も峠を越えたのかもしれない。そうだと嬉しいのだけれど。
ある日突然にという不安はいつまでたっても拭いきれずにいる。
あれこれと悪い事を考えていたらきりがなく。 なにはともあれ今日も平穏無事に過ぎたことに感謝するばかり。
ありがとうございました。
お大師堂で手を合わせているとなんだか胸がいっぱいになった。
本日は晴天なり。気温がぐんと高くなり20℃を越えた。 暖かいのを通り越して少し動けば汗ばむほどの陽気になる。
市内の桜の名所では早咲きの桜が満開になったそうだ。 見に行ってみたいなと思うけれどゆとりがなくて残念に思う。
近所の早咲きの桜もきっと同じ種類の桜なのだろう。 日に日に花が開いてもう少しで満開になりそうだ。 散歩道が楽しみでならない。今日もささやかにお花見。
慌しく過ぎるばかりの毎日だけれどほっと心が和む瞬間が愛しい。 時間のゆとりはなくても心のゆとりだけは持ち続けたいものだと思う。
ささやかな楽しみ。ちょっとしたことがすごく嬉しかったりするものだ。
彼とふたりくたくたに疲れてしまってふうはあと大きな溜息をつく。 けれども「お疲れさん」と互いを労わればふっと笑顔になったりする。
こころを撫でる。よしよしと撫でる。ぐっすりと眠ればまた明日がやってくる。
2012年03月05日(月) |
お遍路さんとつくしの坊や |
優しい雨にすっぽりとつつまれるように過ごす。
おひさまも恋しいけれど雨もまたよしと思う。 木の芽起こしの雨になるだろう。それも楽しみなこと。
雨合羽を着ての川仕事も少しも苦にならなかった。 海は荒れている。その波音を間近に聞きながら。 岸辺ではウグイスが盛んに鳴いているのに心が和む。
散歩も休まずにいつもの道をてくてくと歩いた。 例の早咲きの桜に近づくとほのかに芳香をはなっている。 なんとも優しい匂い。桜の木の下で深呼吸をいっぱいした。
お大師堂には昨日のお遍路さんKさんが逗留していた。 Mさんは今朝早く旅立ったとの事。Kさんはすっかりお休みモード。 小雨降るなか土筆をたくさん採って来たそうで、晩ご飯の支度をしていた。 土筆は珍味だと聞いていたが私はまだ一度も食したことがない。 Kさんが言うには油で炒めて卵とじにしたらすごく美味しいのだそうだ。
お遍路さんが土筆を食べる。なんだかほのぼのとした光景が見えてくる。 それも自然の恵みなのだなと思う。手を合わせてありがたく頂くのだろう。
今日もにっこりと笑顔。白髪のKさんにふっと亡き父の面影を重ねる。
霧のような雨が今も降り続いている。 なんて優しい雨だろうか。心がとても落ちつく。
春雨じゃ濡れて行こうと散歩に行っていた。 例の早咲きの桜は雨にしっとりと濡れていた。 桜雨もよいもの。雨を受けとめている花はとても凜としている。
お大師堂では二人のお遍路さんと再会する。 KさんとMさん。もう何度も会っていてすっかり顔馴染みだった。
そこで私は自慢げに万歩計を取り出し二人に見せたりして。 「私も頑張っているから笑わないでね」って自分から笑った。 そうしたら「笑わないですよ」って言いながら二人も大笑い。 お大師堂にも春が来たように笑顔の花が満開になった。
ころころと笑っているとすごく嬉しくてたまらない。 そうしてすごくほんわかとあったかいなって思った。
もしも蕾の笑顔ならくすぐってでも笑わせてあげたい。 そうしてみんなが笑顔の花を咲かせられたらどんなに良いだろう。
「また会いましょうね」それも合言葉のようになってしまった。
二人の旅はいつまで続くのだろう。とても果てしない旅に思える。 辛い日もたくさんあるだろうけれど今日の笑顔を思い出してくれたら良いな。
帰り道はちょっと寂しい。名残惜しくてふっと振り向いてみる。
笑顔をありがとう。そっとつぶやきながら雨の空を仰いだ。
2012年03月03日(土) |
嬉しいことがいっぱい |
つかの間ではあったけれど青空が見える。 晴れたら良いなって思っていたからすごく嬉しかった。
作業場の庭に海苔をたくさん干す。 乾燥機もあるけれど、天日干しがいちばんだった。 あたりじゅうに海苔の香りが漂うのもまた嬉しい。
庭にはぺんぺん草の花がいっぱい咲いている。 白くて小さくてなんとも可愛らしい花であった。 踏まないように気をつけていてもつい踏んでしまって。 そのたびにごめんなさいねと謝ってばかりいた。
それはとても強くてたくましい花だなと思う。 ぺんぺん草みたいな人になれたらどんなに良いだろうか。
散歩道。例の桜の木が気になって駆けつけるように行くと。 思っていたとおり咲き始めていた。まだほんの少しだけれど。 今日よりも明日と次々に蕾が開いていくことだろう。 また明日の楽しみが出来た。わくわくと嬉しくてならない。
帰宅すると息子からメール。「晩飯たのむよ」ではなくて。 「晩飯いいかな?」だった。もちろん「了解なり」と返信する。 とは言ったもののご飯が二人分しか残っていなくて大慌て。 急遽、焼きそばを作り今夜は「焼きそばライス」にした。
三人で食べる夕食は楽しい。笑顔がそのままご馳走になる。
そうして今日も暮れていく。気がつけば嬉しいことがいっぱいの一日だった。
「春に三日の晴れなし」という言葉のとおり 今日もぐずついた天気となりどんよりと重い空。
そんな灰色の空にウグイスの鳴き声が響いていた。 とてもほっとする声。春だよ春だよと歌っているよう。
早朝からの川仕事を終え午後はのんびりと過ごす。 収穫が始まってからほぼ二週間、一日も休んでいない。 さすがに疲れが溜まってきているけれど不思議と体調が良い。 「動く」ということはきっと身体に良いことなのだろう。 身体が動けば心も動く。溌剌とした気分がとても心地よい。
散歩道を行けば毎年楽しみにしている早咲きの桜の木がある。 つぼみがたくさん見えていておひさまの光を待っているようだった。 あした晴れたら咲くかもしれない。わくわくと嬉しくなった。
あしたのことを考えていられるしあわせ。
ささやかな未来なのだと思うとこころがすくっと前を向いている。
弥生ということばの響きがとても好きだなと思う。 「弥」はいよいよという意味らしく 「生」は生い茂るという意味らしかった。
草木が芽吹く頃と言われ季節はもう春なのだろう。 厳しい寒さが続いたこの冬をやっと乗り越えたのだと思う。
「寒さなければ花は咲かず」という言葉もある。 やがて桜の蕾もふくらむことだろう。 そうして空までも桜色に染まる日をそっと待っている。
たんたんとそれは平穏にいちにちが過ぎていく。 当たり前のことなんて何ひとつないのだとあらためて思う。
平穏は大きないただきものなのだ。 手を差し出したすべての人に与えられるものではない。 こうしている今も荒波にもまれている人が必ずいることを忘れてはいけない。
ありがとうございました。手を合わす夕暮れ時。
そっと誰かの手が肩におかれたような気がして振り向く。
そこには雨上がりのしっとりとした空が精一杯微笑んでいた。
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