風が匂う。それは金木犀の香りだった。
なんて優しく匂うのだろう。しばしうっとりと佇む。
職場の庭にその木はそっと立っていた。
母が好きで植えていたことを思い出す。
まだとても小さな木。それなのにこんなに。
花をつけて香ることが出来るのかとおどろく。
なんだか魔法使いが宿っているようだった。
ちちんぷいぷいと唱えているような気がした。
「おかあさーん!」と子供みたいに母を呼ぶ。
嬉しそうな母の笑顔。「ほらね!咲いたでしょ」
まるで我が子をほめるみたいに得意顔の母だった。
レモン色の花はやがてすぐにオレンジ色に変わるだろう。
そうしてぱらぱらとあっけなく散ってしまうことだろう。
けれども最後まで香ることをあきらめずにいてくれる。
そうして風のなかにいるひとたちのこころを癒してくれる。
晴れのちくもり。週末は雨になるという。 その雨があがれば一気に肌寒くなるらしい。
そうして10月になるのか。なんとも早いものだ。 誰かに背中を押されているように日々が流れていく。
せめて気持ちはゆったりと過ごしたくてならなくて。 時々は空を仰ぎながら深呼吸をすることを忘れない。
こころは雲。ぽっかりと空に浮かぶ雲。
いつまでもそうして風の吹くままでありたいものだ。
先日の嬉しい知らせからこっち。サチコのことが気掛かりでならない。 悪阻が始まっていると聞けば、気分が悪いのではないかと心配になる。 二日続けて電話をしてしまったのでさすがに今夜は遠慮しているものの。 毎晩声が聞けたらどんなに安心だろうと、心配性の母そのものだった。
そうして娘の身を自分に重ねる。まるで自分も妊婦になった気分だ。 初めての妊娠は不安で心細いものだから、母も不安で心細くなる。
けれどもそんな娘を励ますのも母の役目だった。
だいじょうぶ!母さんもそうしてあなたを生んだのよ!って。
愛しい我が子が母になる。それはなんだか夢のような出来事だった。
今日も秋晴れ。少し風の強い一日だった。 その風もすっかり秋風となりなんとも心地よい。
山里で仕事をしていると不思議な声で鳥が鳴く。 あれは百舌鳥(モズ)だよとおしえてもらった。
夏の間は山にこもっているらしい。 秋が来ると人里へとおりてくるのだと言う。
ほらあそこ!指差してもらってその姿を初めて見た。 もっと大きな鳥かと想像していたけれど結構小さい。
一声二声と叫ぶように鳴いて百舌鳥は飛び立っていった。 その姿を見送りながらなんともほのぼのとした気持ちになる。
もう秋ですよと告げに来てくれたのだろう。 ありがとうって応えたい気持ちでいっぱいになった。
巡る季節の事を受けとめているつもりでも。 ふっと過ぎた季節を恋しがったりするものだ。
それは季節に限らず人生のひとこまにも通じる。 現実を受け止めるには人はあまりにも弱い生きものだから。
季節はかならず巡ってきてくれるけれど。 人生はただ過ぎ行くばかり。後戻りなど決して出来ない。
そんなまっただなかにじぶんはいる。
歩むしかない。行き着くところはひとつしかないのか。
背高のっぽのコスモスが風に揺れている。 仰ぎ見ればそこにはうろこ雲の秋の空が広がる。
言葉に出来ないような清々しいきもち。 胸のなかには何ひとつわだかまりがなかった。
そんな秋の日に嬉しいしらせが舞い込む。 サチコのおなかにちいさな命がやどった。
このところ毎晩のように夢に出てきた赤子。 もしかしたらと思っていたけれどそれが正夢になった。
「まだ一センチくらいだけどちゃんと動いていたよ」
声を弾ますサチコに母も感動して目頭が熱くなる。
どうか無事に育ってくれますように。 ただただそればかりを祈っている。
がんばれちいさな命。みんながあなたを待っているよ。
静かに雨。秋の雨はこんなに優しかったかしら。
あたりの景色がしゅんとしぼんだように見える。
ふと心細さをおぼえる。このまま消えていって。
しまいそう。ここではないところ。そこはどこだろう。
夕暮れて。ほんとにいるのかなと自分をたしかめている。
なんだかからっぽだった。ただ息をしているのが嬉しい。
精一杯なんて嘘。わたしはいつから嘘つきになったのだろう。
けれども。なにもないところからはじまることがある。
たとえば。夜のしじまに投げかけるような夢のかけら。
こんなはずではなかったと思いながらこれでいいと思う。
きっとじゅうぶんなのだ。いまはなにも求めてなどいない。
夢のかけらをそのままにして。わたしは夜の海へ漕ぎ出す。
今日も秋晴れ。ひんやりとした朝の空気に。 すくっと身が引き締まるようだった。
もうすっかり秋なのだろう。 日中の陽射しもずいぶんとやわらかくなった。 日向ぼっこにはまだ早いけれど。 そんな陽射しを浴びているのが心地よい。
身体がふわりと軽くなったように感じる。 そうしてこころもあたたかくなっていく。
自転車で買物。近くにある地場産市場へと行く。 天然の鮎がたくさん出ていて一匹6百円とか。 とても買える値段ではなく見ているだけで終る。 塩焼きにしたら美味しいだろうなと夢のように思う。
自転車をぐんぐんこいで風に吹かれながら帰る。 どこまでも走って行きたい衝動にかられる。 自転車ってこんなに気持ちの良いものかと思った。
土手をずっとずっと走って行きたい。
そうして海にあえたらどんなに良いだろうか。
2011年09月23日(金) |
お遍路さん(その3) |
雲ひとつない抜けるような青空。 なんと爽やかな朝なのだろう。 小雀たちが嬉しそうに跳ねているのを。 我が子のように思いながら眺めていた。
ふっとどこかに出掛けてみたくなる。 日帰りのちいさな旅をしてみたかった。
けれども結局どこにも出掛けることなく。 相変わらずだらだらと時をつぶしてしまった。
行動力というものが年々薄れていくのを感じる。 なんだか時間の無駄遣いをしているような気持。
このままではいけないなと少し焦りを感じる。 もっともっと動き出さなくてはいけないのだろう。
それでも散歩だけは欠かさず今日もいつもの道を歩く。 土手には大好きな野菊の花がいっぱいに咲いた。 見ているだけで心が和む。薄紫に恋をしてしまいそう。
お大師堂には若いお遍路さんがぽつんと佇んでいた。 部屋には上がらず石段に荷物を置いたままだったので。 どうしたのかとついついいらぬお世話をやいてしまう。
聞けば少し休憩をしてもう少し歩くつもりだと言う。 今夜の宿も決めていないというのでとても心配になった。 あてもなく歩くうちに日が暮れてしまう事だろう。 いったいどこで寝るというのだろうとますます心配。
そこですっかり母親化してしまったおせっかいおばさん。 ここに泊まりなさいとしつこくすすめてしまうのだった。
そうしたらにっこり。じゃあそうしますと頷いてくれた。 おせっかいを反省しながらなんとほっとしたことだろう。
福岡から来たと言う青年のことがすっかり息子のように思えた。
ゆっくりと休んでまた明日からの旅を頑張ってほしい。
これも一期一会。旅の無事を祈りながら後ろ髪を引かれるように家路に着く。
涼しさを通り越して一気に肌寒くなる。 暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだ。
半袖Tシャツの上に長袖のシャツを羽織り出勤。 クルマの窓を開けるとひんやりとした空気が舞い込む。
ひとりふたりとお遍路さんを追い越していく山道。 歩くには今がいちばん良い季節なのかもしれない。 颯爽とした姿に朝一番の元気をわけてもらった。
ありがたい道だなとつくづく思う。 何事にも立ち向かえるような勇気がわいてくる。
たんたんと仕事をこなしながら母と亡き祖母の話をした。 お彼岸と言えば祖母の作るおはぎの美味しかったこと。 きな粉のじゃなくていつも小豆餡のおはぎだった。 私はそれが大好物で一度に三個は平らげていたと思う。
今日は祖母の命日。もう6年の歳月が流れてしまった。 けれどもいつまでも私のこころの中で生き続ける祖母。 姿こそ見えないけれど、すぐそばにいてくれるのがわかる。
あいたいな・・って先日はつぶやいてしまったけれど。 私が祖母を想う時。その時に確かに会っているのだと思う。
いっぱいいっぱい想っているよおばあちゃん。
いつもそっと見守ってくれてほんとにありがとう。
心配していた台風はやはり列島縦断となってしまったようだ。 関東から東北。北海道まで被害が及びそうでなんとも気掛かりでならない。 とても他人事には思えないこと。それはいつだって明日は我が身である。
どうか大きな被害がありませんようにとひたすら祈っている。
幸いなことに直撃を免れた高知は、久しぶりに青空が見えた。 手放しでは喜べない事だけれどなんともありがたいことである。
そうして風がすっかり秋の風となる。 それがあまりにも急な事のようで少しとまどう。 とうとう夏が逝ってしまったのかとしみじみと思った。
秋を受けとめるように肌に感じる。 それはこころの中までも吹き抜けていく風。
どこか痛い。たまらなく痛いところをぎゅっと抱く。
そうしてまた日々が流れていくのだろう。
どれほど精一杯でいられるのだろうか。なにもわからないけれど。
彼岸の入り。台風の影響で風雨強し。 直撃はなさそうだけれど進路が気になる。 本州縦断となれば被害も甚大になりそうだ。
天災ばかりはどうにも避けようがなく。 心が痛むばかりである。どんなに祈っても。 我が身の無力さを痛感せざるをえなかった。
けれども祈ることを決して投げやりには出来ない。 どうか、どうかと天に手を合わすような気持ちでいる。
彼岸花の咲く頃。その花も雨に打たれていた。 血のような涙を流したらどうしようと困惑する。 けれどもそのしずくが透明でほっと胸を撫でる。
たくさんの亡くなったいのちがその花になるのだと。 そうおしえてくれた祖母もいまは亡き人になった。
祖母もきっと咲いているだろう。とてもあいたい。
あいたいよ。おばあちゃん。
散歩に出かけたら急に雨が降り始めた。 最初は小降りだったので今のうちにと。 急いで家に帰ろうとあんずと走り出す。
そうしたら今度はどしゃ降りになって。 みるみるうちにふたりともずぶ濡れだ。
仕方なく道端のお宅の車庫に逃げ込む。 はあはあぜえぜえ言いながら雨やどり。
なんかどうしてだか楽しくてならない。 大粒の雨が踊るように跳ねているから。 ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらんだ。
髪の毛から雨のしずくがぽたぽた落ちる。 あんずは身体をぶるぶるっとふるわせる。
雨に濡れるってなんかすごくきもちいい。 そうして懐かしい。子供みたいな気持ち。
もっと濡れてみたいなっておもいながら。
雨やどりしてた。雨の踊りに拍手したよ。
2011年09月17日(土) |
会えるひと。会えないひと。 |
雨が降ったりやんだりで不安定な空模様。 買物にも行かず一日中だらだらと過ごす。
お昼に息子がちらっと顔を見せてくれたけれど。 何も食べさせるものがなくインスタントラーメン。 それでも美味しそうに食べてくれてほっとする母。
午前一時に仕事を終え今夜は夜勤だということ。 なんだか可哀想でならなかった。けれども本人は。 もう慣れたらしくそれほど苦には思っていない様子。
心配し過ぎてもいけないのだなと母なりに思った。 身体だけは大切にして欲しい。どうか元気でいて欲しい。
「また焼肉しようぜ!」明るい声で息子が帰って行く。
これでいいのだなと母は思う。平穏無事が何よりだった。
いつもの散歩道。途中から小雨が降り出し駆け足で行く。 実は今日、お大師堂に辿り着くはずのお遍路さんがいた。 けれどもまだ姿は見えず、何かあったのではと心配になる。
案の定、途中でアクシデントがあったらしいことを知る。 インターネットでの実況はとても役に立ち助かるのだった。
到着は夜になるとのこと。会うことを断念するしかなかった。 今頃はもう着いている頃かもしれないけれど行けないのが残念。 夫に相談すれば、おまえがしゃしゃり出ることはないと反対された。
会えるひとには偶然にでも会うことができる。
会えないひとにはどうしようもなく会えないものなのだなとつくづく思う。
2011年09月16日(金) |
どしゃ降りの雨のなか |
台風の影響だろうか時折りどしゃ降りの雨。 雨は決して嫌いではないけれど豪雨は怖い。
紀伊半島のほうは大丈夫だろうか。 どうかもうこれ以上の被害がない事を祈るばかり。
自然の猛威にひとは勝てない。 どうしようも出来ない事だけれどそれが悔しかった。
山里へ向かう朝の道。叩きつけるような雨の中。 雨宿りをする場所もなく歩き続けるお遍路さん。 深く深く頭を下げる。そうすることしか出来ない自分。
どんなにか辛いことだろうと傍目にはそう見える。 けれども颯爽と歩く姿からはそれが感じられなかった。
立ち向かう勇気。乗り越えようとする強い意志。 不思議なパワーが満ち溢れているように見えた。
ほんの一瞬の出会いであっても。そのパワーを。 分けてもらったような気持ちになるのだった。
些細なことでくじけてはいけない。
神様は乗り越えられる試練しか与えないのだと言う。
お天気は下り坂。青空が遠のいてしまうと。 一気に秋の色に染まってしまいそうだった。
散歩道を行けばススキの穂。野菊の花。 それに猫じゃらしも加わり風に揺れている。
風が見える。たしかにこの目で風を見ていた。
川仕事も一段落し、明日は山里の職場に行けそう。 けれども母には連絡をせずにいて明日を待っている。 突然に行って驚かせてあげようと目論んでいるのだ。
仕事も溜まっている事だろう。それが少し楽しみ。 忙しいほど私は嬉しい。やる気満々になるのだもの。
明日はあしたの風が吹く。
なんども言うけれど私はこの言葉がとても好きだった。
何が待っているのやら。嬉しい事ばかりではないかもしれないけれど。
行ってみないと何もわからない。
そこへ一歩踏み出す。そんな明日があることがとてもありがたい。
厳しい残暑。忘れかけていた蝉の声に。 みじかい命の尊さをつくづくと感じる。
あした死ぬかもしれないという宿命を。 彼らはどんなふうに受けとめているのだろうか。
もう駄目なのだと決して諦めたりはしない。 最期まで燃え尽きるようにその声を響かす。
午前中は川仕事。午後は例のごとくお昼寝だった。 まさに動と静。その狭間にぽっかりと浮かんでいる自分。 気がつけば何も考え事をしていなかった。 思い悩む事など何ひとつもないのだろう。
散歩道。気だるさを振り切るようにして歩く。 あんずは相変わらず元気いっぱいに前を行く。 彼女の存在がなければ歩く事を諦めているだろう。
おかあさんがんばれ。さあ歩こう! 後姿を追うように歩いているとそんな声が聞こえる。
お大師堂の川辺には薄紅色の百日紅が咲いている。 真夏の頃よりもその花が増えているのにおどろく。
その花の下をさらさらと流れる水の清らかさ。 きらきらと光る川面にしばし立ち尽くしていた。
陽射しは夏の名残そのものだったけれど。 吹く風はほんのりと秋の匂いがする。 そんな風のことを好きになる自分がいた。
今週は山里の職場を休ませてもらって。 家業の川仕事に精を出すことになった。 まだまだ準備期間だけれどそれをしないと。 前へ進めない。こつこつとふたりで頑張る。
程よい疲れ。それがとても心地よく感じる。 やはり私は肉体労働に向いているようだった。 やれば出来るという自信にもつながってくる。
体調も良く。去年よりも元気な自分が嬉しかった。 それなのに不覚にも昨日は急な胃痛に悩まされた。 おそらく夏の間の暴飲暴食が祟ったのだろうと思う。 季節の変わり目には身体の弱い部分が悲鳴をあげる。 反省をしつつそんな自分を労わってあげなければと思った。
昨夜は中秋の名月も見ることが出来ずとても残念。
今夜は十六夜。月は私を待っていてくれるだろうか。
そうして語りかけてくれるだろうか。
いまここにあるちっぽけないのち。
祈ることしか出来ない無力なわたしのことを。
ありのままでいいのだよとゆるしてくれるだろうか。
久しぶりに家族が皆そろう。 お盆には顔も見られなくて寂しかったけれど。 こうして集まれる日があってとても嬉しかった。
ついついはしゃいでしまって話す声も大きくなる。 わいわいとにぎやかに皆で焼肉を食べた。
いろいろあった息子も仕事が落ち着いてきた様子。 愚痴ひとつもこぼさずに終始笑顔だったのにほっとする。
サチコ達も多少の苦労はあっても乗り越えている様子。 母の心配など吹き飛ばすように笑顔の花を咲かせてくれる。
いちばん嬉しそうなのはお父さん。 その満足そうな顔を見ているだけで幸せだった。
家族っていいな。ほんとうにいいなってつくづく思った。
みんなの笑顔が母の宝物。とても大切な宝物だった。
どうかこれからもみんなが平穏無事でいてくれますように。
午前中に気温が30℃を超え蒸し暑くなる。 夏は少し遠ざかっては後戻りしているようだ。 なんだか忘れ物を取りに帰って来ているよう。
秋はのほほんとしていてちょっと微笑んでいる。 バトンタッチはしたもののおっちょこちょいの夏のことが。 実はとても気になっているのにちがいない。
お昼。エアコンの効いた事務所が息苦しく感じて。 庭の木陰でおにぎりを食べた。風と話しながら食べる。
なんとも美味しい。風のおしゃべりが楽しいからかも。
風はなんだか昔好きだったひとに似ている。
私のことをくすぐりながら肩を抱いてくれるから。
ひとつっきりのおにぎりを分け合って食べる幸せ。
さいごのひとくちは風にあげたほうがよかったかな。
あーあ。食べちゃったねって風がくやしそうに笑った。
夕陽を見るひまもなくあたりがすっかり暗くなる。 それを待ちかねていたように秋の虫たちが歌い始めた。
とてもにぎやかだけれどそれもまたのどか。 一晩中歌い続けるであろうちいさな命を想う。
りりん。りりんと私が虫ならばそう歌ってみたい。 お遍路さんの鈴の音のように声を響かせてみたかった。
いつもの散歩道。ススキの穂がずいぶんと育った。 ともに風に吹かれていると清々しい気持ちになる。 たとえばちっぽけな憂鬱もすぐに消え去ってしまう。
思い煩うことなどなにもないのだなとあらためて思う。
お大師堂の庭には白い萩の花が満開だった。 そのしだれ咲くのを手のひらで受けとめてみたくなる。 けれどもなんだか穢してしまいそうで躊躇ってしまった。
きっとだいじょうぶなのに。それを出来ない時もある。
そっとふれてみればよかったのにと少し後悔をした。
蝋燭に火を灯し手を合わせる。
平穏をありがとうございました。
どうかこの平穏がずっと続きますように。
いつもと変わらない夕陽が落ちていく。 ただそれはとても急いでいて。 すぐに薄闇の中に消えていった。
明日のための儀式のようなひと時がそうして終わる。
今日は幼友達のお葬式だった。 やはり悲しいという感情はわいてこず。 ただただ寂しいの一言に尽きる。
集まった旧友たちもみなそう呟いていた。 長生きをしようね。まだまだこれからだよ。 そう励ましあってそれそれが家路につく。
いまこそ弱気になってはいけない。 つくづくとそう思ったことだった。
いつまであるのかわからないいのち。 最期の火が消えるまで燃え続けていたかった。
いのちあることのありがたさ。 これからも日々感謝の気持ちを忘れずにいたい。
今日は祖父の命日でもあった。
天国にいていつも見守ってくれているだろう祖父。 姿かたちは見えなくても寄り添ってくれている魂。
そんなかけがえのない魂をいつも愛しく感じていたい。
おじいちゃん。生きていると辛いことも時にはあります。
けれどもそれを乗り越えて。また笑顔の日々を送りますね。
今朝の涼しさは肌寒いほどだったけれど。 日中は真夏日となり雲ひとつない青空が広がる。
山里の職場に着くなり訃報が舞い込む。 近所に住む同級生が昨日亡くなった知らせだった。
寝耳に水とはまさにこんなことを言うのだろう。 とても信じられない気持ちですぐに駆けつけたけれど。 やはりそれはほんとうの出来事であった。
私がこの山里に転校してきたのは9歳の頃。 彼はすぐ近くに住んでいてよく一緒に遊んだものだった。 体格が良くてふっくらとしていていつもにこにこしていたっけ。 おだやかな性格で悪戯っ子という印象はあまりなかった。
その後三年間。彼とはずっと同級生であったけれど。 私はまた転校しなければいけなくなってもう遊べなくなった。
そんな彼と再会したのは二十歳を過ぎたばかりの頃だった。 彼は地元の消防署に勤めていてすぐに会うことが出来た。
子供の頃と少しも変わらない。にこにことした笑顔で。 「おう!」とか言って。気軽に声をかけてくれたのだった。
幼友達というものはほんとうに良いものである。 いくらおとなになっても子供の頃の思い出は消えることがない。
そんな彼が死んでしまったという。 その事実を受け止めるしかなかった。
だってそれはどうしようも出来ないことだもの・・・。
残されたわたしたちはなんとしても長生きをして。 彼の歩めなかった道を突き進んでいくしかない。
悲しみよりも寂しさがつのる。どうしてこんなに寂しいのだろう。
朝晩めっきりと涼しくなり秋の足音を感じる。 日中も爽やかな風。夏の後姿を揺らすように吹きぬける。
そんないちにち。遠方の栃木から友人が旅をして来てくれた。 ツァーのコースに四万十川の川舟下りが組まれていたのだった。
知らせを受けた時にはなんと思いがけなかったことか。 そんな日が訪れるなんて夢にも思っていないことだった。
団体行動のため時間も限られておりほんのつかの間であったけれど。 さらさらと水の音が聞こえる川のほとりでついに会うことが叶った。
思い起こせば7年前。ネットで私の日記を読んでくれたひとであった。 そうしてメールのやりとりが始まりすっかり仲良しになっていたのだ。 偶然にも同じ年ということもありなんだか旧友のようにも思えた。 縁というものはほんとうに不思議な糸でつながっているものである。
今日が初対面。けれどもなぜか懐かしく感じるのはなぜだろう。 どんなふうにと問われても言葉に出来ない。これが縁に他ならない。
友人とその娘さん。三人で肩を寄せ合って写真を撮ってもらった。 娘さんはとても可愛くてぎゅっと抱きしめたいくらいだった。
もう二度と会うことはないかもしれない。そう思うと別れが辛い。 もっともっと一緒にいたいと思わずにはいられなかった。
車窓のふたりに手を振って別れる。満面の笑顔で手を振り合う。
はるばると遠いところを会いに来てくれてほんとにありがとう。
今日のことは一生忘れられない素敵な思い出になりました。
午前9時。サイレンが鳴って高台を目指した。 徒歩で8分ほどで避難場所に着く。
前もってわかっている訓練だからこそ。 みな冷静でけっこうのんびりと歩いたけれど。
いざと言う時にはパニックになるだろうと思った。 その前に大きな地震があることを忘れてはいけない。
怪我をするひとも必ずいることだろう。 自分は大丈夫か。歩けるのだろうかと不安になる。
足の悪い姑は今日の訓練に参加できなかった。 もしもの時にも「おいて行け」と彼は言う。 どうしてそんなことが出来るだろう。 なんとしても一緒に生き延びなければいけない。
それは真冬かもしれない。真夜中かもしれなかった。 考えれば考えるほど不安はつのるばかりである。
けれども生きることを決して諦めてはいけない。 必死で逃げる。たとえ何もかも失ってしまったとしても。 命だけはなんとしても守らなければいけないのだと思った。
高台から皆で肩を寄せ合いながら。ゆるやかに流れる川を眺めた。
なんと平和なことだろう。なんと幸せなことだろうとつくづく思う。
灰色の雲をかきわけるようにして夕陽が見える。 風はまだ強いけれどなんと穏やかな夕暮れ時だろうか。
心配していた台風は高知県東部に上陸したようだ。 幸いなことに西部は難を逃れた事になりほっと安堵している。
けれども広範囲にわたり各地に被害をもたらしたようで。 とても他人事には思えず心を痛めてしまう結果となった。
明日の朝には日本海に抜ける予報。 どうかもうこれ以上の被害がないことを祈るばかりである。
台風の名残の風に吹かれながら散歩に出掛けた。 あんずも待ちかねていたのだろう。足取りがとても良い。 私の足取りも軽かった。やはり散歩は心地よいものだ。
お大師堂には三人のお遍路さん。 そのうち二人は先日再会したばかりのお遍路さんで。 台風を避けるために一昨日後戻りして来たのだと言う。
私の姿を先に見つけてくれて、二人が飛び出して来てくれた。 その笑顔の嬉しかったこと。あんずも頭を撫でてもらって喜ぶ。
明日からはまたながい遍路旅を再開するとのこと。 お遍路の経験のない私には気が遠くなるほどの道のりだった。
またここに戻ってきますよ。そう約束してくれて今回は別れる。
私はいつだってそんな縁をそっと待ち続けていることだろう。
※私信。盛岡のYさんおかげさまで平穏にしています。 台風のこと気遣ってくれてありがとうございました。 とても嬉しかったですよ^^
午前中は激しく降っていた雨が午後には静かになる。 けれども台風は確実に近づいて来ているようだった。
嵐の前の静けさだろうか。なんとも不気味さを感じる。 身構えるような気持ちでその時を待つしかないようだ。
いつもより早目に帰宅して彼と海を見に行った。 大荒れの海。打ち砕かれるような白波に目を瞠る。 怖いなと思った。あの日の津波の光景がよみがえる。
幸い高波の被害はまだなかったけれど。 真夜中に召集があるかもしれないなと彼がつぶやく。 ぎっくり腰がやっと治り始めたというのに。 消防団員である限り避けられないことなのだろう。
どうか平穏な夜であってほしい。そう願わずにいられない。
雨で散歩も行けず、お大師堂にお参りも出来なかった。 そんな日はなんとなく心が落ち着かない。 大切な事を忘れているみたいに気掛かりでならないのだった。
心のなかで手をあわす。いつも願ってばかりでごめんなさい。
いつも守ってくれてありがとうございます。
大きな台風が不気味に近づいている。 そのせいか湿気が多く蒸し暑い一日となった。
そうして九月が始まる。 いく夏を惜しむように夕暮れ時の蝉の声。 空は茜色に染まり土手のススキを映し出す。
終わろうとするものと始まろうとするもの。 そのはざまにぽつねんと佇んでいるような九月だった。
今日は山里の職場をお休みさせてもらって。 久しぶりにバドミントンを楽しんできた。
少し動いただけで汗がふき出してきたけれど。 それがなんとも心地よく感じられた。
はしゃぐように動く。こころがとても喜んでいる。 好きなことに夢中になれることは幸せなことである。
毎週とはいかないけれどなんとしても続けたいことだった。 いつかは限界が来るだろう。その日までは諦めないでいたい。
継続はチカラなり。そのチカラを宝のように思って大切にしたいと思う。
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