とうとう八月も今日で終わり。 残暑を楽しむような気持ちでいたけれど。 ふっと吹き抜ける風に秋の気配を感じた。
職場の庭先には鶏頭の花が咲き始める。 ちいさな炎があちらこちらで燃えているよう。
月末の仕事をたんたんと終え帰宅する。 ほっとひとやま越えたような安堵を感じる。
なるようになるからといつも母は言うけれど。 また無事になんとかなってくれたようだった。 危機感がそうして薄れていく。まだ大丈夫だ。 この先いくつの山を越えなければいけないのか。 そこに山がある限り登るしかないのだと思う。
夕暮れを待たずにいつもの散歩に出掛けた。 お大師堂には昨日のお遍路さんが逗留しているはず。 自炊をしていると聞いていたのでお米を少し持って行った。
けれどもその姿はどこにも見えず。 ゆっくり休みたいと言っていたのに今朝旅立ったようだった。
きっと自分に鞭を打つように出掛けた事だろう。 それが修行というものだろうか。なんとも気掛かりだった。
帰り道の土手で秋に似た風に吹かれながらもの想う。
ひとにはいろんな生き方があるものだ。
それぞれの道をいく。山もあれば谷もある道を。
行ってみなければ何もわからないから進むしかないのだ。
夕陽に向かって散歩をする。
とても急いでいるかのように落ちていく夕陽。
茜色の空を映して川面がまるで血のように染まった。
なんだかはらはらとせつなさが込み上げてくる。
どうしようもなく暮れていくしかもうないのだと思った。
真っ只中にいる自分。かたわらで夏草とたわむれるあんず。
生きているんだなとつくづく思う。命あってこそのひと時。
お大師堂でまた顔見知りのお遍路さんと再会した。 エンドレスというのだろうか。終わりというものがない旅。 ひたすら歩き続けてもう16回目の巡礼だと言うことだった。
今回はあまりの残暑に耐えかねて初めて列車に乗ってしまったそうだ。 なんとも情けないありさまですよと嘆いていたけれど。
どんな時があっても良いのではないですか。そう言って励ます。 無理をしてもお大師さんはほめてはくれないかもしれませんよ。
そうですね。私は間違った事をしたのではないですよね。
そう言って微笑んでくれてとてもほっとしたのだった。
いろんな事情を抱えてお遍路を続けているひともいる。 家はあっても帰ることの出来ない家であるひともいる。
そんな人と出会うのもまた大切な縁なのだと私は思う。
明日いちにちここで休んでもいいですか?
もちろんいいですよ。ゆっくり休んでからまた頑張りましょう!
夏の名残であふれているようないちにち。 日暮れてからも蝉が一生懸命に鳴いている。 そうして秋の虫達も負けないようにと歌い始める。
朝のうち。川仕事の出役があり出掛けていた。 ほんとうは彼が行く予定だったのだけれど。 昨日とつぜんにぎっくり腰になってしまった。
俺駄目やけんね。動けんもんねとすっかり弱っている。 そういうときこそ肝っ玉母さんの出番である。 私に任せておきなさいと颯爽と出かけるうつくしさであった。
そうして今年も川仕事の準備が始まる。 今年こそは順調であって欲しいとひたすら願っている。
体力にはあまり自信のない私だったけれど。 身体を動かしていると何事もやれば出来る気がしてくる。 そうして少しずつ自信もわいてくるのだった。
焦らずゆっくりでいい。自分のチカラを出し切ってみたい。 限界というものがあるものならそこまで行き着いてみたいのだ。
午後。お昼寝をしていたら従兄弟がビールを持って来てくれた。 川仕事仲間の従兄弟である。今日はお疲れさん。すごい助かったよって。 私にとそれを届けてくれたのだった。なんと思いがけないことか。
男手の半分にも満たなかったと思う。でも一生懸命頑張った。 それを認めてもらえたのかと素直に嬉しさが込み上げてきたのだった。
従兄弟には気を遣わせてしまったけれど。こんなにありがたいことはない。
わたし。やれば出来たよ。わたし頑張ったよ。
自分のあたまを撫でているような夜になった。
今日も残暑が厳しく空にはいくつもの入道雲。 夏はいくら背中を押されたってふんばっている。 どんなもんだい!となんだか胸を張っているようにも見える。 そういうところが好きだった。ついつい応援したくなる。
朝のうちに髪を切りに美容院へ行く。 2センチほどの憂鬱だったろうか。 それをさっぱりと切り落としてもらった。
髪が軽くなると気分もかるくなるものだ。 すっきりとした気持ち。とても明るい気分になれた。
今夜は我が町の花火大会だった。 あと30分ほどでそれが始まる。
なんだかそわそわと落ち着かない夜になった。
近くまではいけないけれど土手から花火を見ようと思う。 それをしないことには私の夏は終わることはないだろう。
鮮やかな花火よりも白い花火が見たいなと思う。
夏の雪のような花火。はらはらと舞い落ちる白い雪が見たい。
午前中は曇っていたけれど午後から夏が戻ってきた。 おもいっきり振り向いたような夏。陽射しが眩しい。
残暑は厳しいけれど少しも苦にはならなかった。 むしろ嬉しくてならない。夏よ頑張れと思った。
つくつくぼうしが声を限りに盛んに鳴く。 短い命を燃やすようにその声があたりに響く。
つくつくぼーし。つくつくぼーし。
ふっとつくづくほしいと聞こえる時がある。
なにをほしがっているのだろう。
なにがたらないというのだろう。
そう自分にも問う。
ひとはみな欲深い生きものなのかもしれなかった。
あるがままをうけとめてそれでじゅうぶんと思えるようになりたいものだ。
雨がたくさん降る。それは少し肌寒い秋の雨。
そうして一雨ごとに秋が深くなっていくのだろう。
そんな雨も夕方には降り止みあたりがしんとする。
そうしたら思いがけないほどに空が茜色に染まった。
窓辺に居てしばし放心する。我が身も染めるような紅。
明日は晴れるのかもしれない。そう思うと嬉しくて。
空に向かって歓声をあげたいようなきもちになった。
夏がまた振り向いてくれたらいいなっておもう。
たとえ去るのだとしても最後まで微笑んでいてほしい。
また会おうねと笑顔で見送れるようなそんな別れがしたかった。
わたしはとても元気です。しんみりと思い詰めたりもしない。
せいいっぱいの笑顔でここにいます。だから。
わたしのことを忘れないでいてくださいね。
わたしのことをちょっとだけ好きでいてくださいね。
散歩道の土手に野菊の花を見つける。
薄紫のなんとも可憐な花だった。
かたわらには若きススキの穂が風に揺れている。
なんだか恋をしているようなその姿が微笑ましい。
風が吹くたびにふたりはふれあうことだろう。
そのたびにどきどきとして頬を染めることだろう。
お大師堂にはお遍路さんの靴がそろえてあった。 いつもならきびすを返してしまうのだけれど。 今日は声をかけたくなって歩を進めて行った。
そうしたら今まで何度か会った事のあるお遍路さんだった。 懐かしい顔。目がくりくりと丸くて笑顔がなんともいえない。
「ワンちゃん元気でしたか?」 あんずのことも憶えていてくれてとても嬉しかった。
夏遍路の厳しさ。野宿の辛さなど少し語らい。 屋根のあるところで眠れることほどありがたいことはないと言う。
こんなふうにお大師堂を気に入ってくれて。 巡るたびに泊まってくれるひとがいてくれるのが嬉しかった。
また会いましょうね!笑顔と笑顔で別れを告げる。
帰り道はとても清々しい気持ちだった。
しきりに夏草とたわむれるあんずにつきあいながら。
ゆったりと穏やかな気持ちになっていくのを感じる。
ひととふれあい。自然の草花にふれあう。
それはとても幸せなことなのだなとつくづくおもった。
とうとう夏が遠ざかってしまうのだろうか。
その背中にすがりつきたいようなきもちになる。
夕暮れて蝉が最期であるかのようにそれは必死に鳴き。
その声をとがめるように秋の虫たちが騒ぎはじめた。
まっただなかにわたしはいる。夏なのか秋なのか。
中途半端な別れ道にぽつねんとたたずんでいるようだ。
いつまでも立ち止まってはいられない。いかなくちゃ。
振り向きながらわたしはいく。もうここではないところへ。
今日も平穏に過ぎゆく。まったりと浮かんでいるような一日。 ある日突然ということをなるべく考えないようにして過ごす。
そうして折り畳むように一日を閉じればまた新しい時が広がる。 どんな色に染めるのか。どんなふうにそれを縫うのかわからない。
ただ無事に目覚めた朝のなんと清々しいことだろうか。
そのために眠っているのだと言っても過言ではないだろう。
ぐっすりと眠ろう。ひたすら眠ろう。あしたはあしたの風がふく。
お天気は下り坂。夕方になり雨が少し降る。 昼間の蒸し暑さがうそのように一気に涼しくなった。
七時にはもうあたりが薄暗くなってしまって。 川向の山を稲妻の光がライトのように照らす。
そうして遠雷が太鼓を小刻みに叩くように響いている。 どどどどどん。どどどどどん。なんだか祭囃子のよう。
わたしはいつものようにほろ酔って。 あれやこれやとどうしようもないことを考えている。
悩みなんて今はない。思い煩うようなこともなかった。
きっとあまりにも平穏過ぎるものだからこわいのだろう。 白い布をわざと汚すような行為に憧れているだけかもしれない。
そうして後悔をしたりそうして哀しんだりしたいのにちがいない。
おかしいね。ほんとおかしいよね。ばかみたい。
笑い飛ばせばあっけらかんといつものじぶんにもどっていく。
平穏。なんてありがたいことなのだろうとつくづくおもう。
だから空さん。そんなにおこらないでください。
遠くからかすかに消え入るような蝉の声。 曇り日の朝は夏の太陽をすっかり覆い隠し。 あたりの空気を涼やかな色に染めている。
こんなふうに秋は忍び寄ってくるのだろうか。
せつないのはいや。さびしいのはもっといや。
昨夜のこと。遠い地に住む友人たちと夕食。 美味しいものをたくさん食べてビールや焼酎や。 そうして語り合いとても楽しい夜を過ごさせてもらった。
我が町のことをこよなく愛してくれている友人。 春と夏にはかならず訪れてくれているのだった。
けれども会えない年もあった。 来ている事はわかっていても電話のひとつも出来ずにいて。 ああもう帰ってしまったのだなと後から寂しさを感じてしまったり。
それが今年はちゃんと連絡をしてくれてなんと嬉しかったことか。 顔を見せてくれるだけでじゅうぶんだと思っていたけれど。 一緒に夕食をと誘ってくれてほんとうに思いがけなかった。
おかげで忘れられない夏になった。素敵な夏をどうもありがとう。
これからもふたりはわたしのかけがえのない友人でいてくれるだろう。
わたしはここで老いていく。ずっとずっとここで待っている。
どんなに歳月が流れても変わらない笑顔でまたきっと会いましょう!
日が暮れるのを待ちかねていたかのように秋の虫達が鳴き始める。 コウロギだろうか鈴虫だろうかと耳を澄ましながらこれを記す。
なんだか背中を押されているような気持ちになってしまう。 わたしも夏の一部分だったのかもしれない。
後ろ髪をひかれるようにほんの少し前へとすすむ。
振り向いたってかまいやしない。だって夏が好きだったから。
昨日はサチコの誕生日だった。 一緒に暮らしている頃ならお祝いもしてあげられたけれど。 顔すら見ることも出来ずそっとメールを送った夜だった。
それが今日。仕事帰りのスーパーで偶然サチコと会えたのだった。 びっくりしたのと嬉しいのとで顔がしわくちゃになってしまう。 一日遅れたけれど何か買ってあげるねと言うとすごくはしゃいで。 ビールが良いよと言うのでそれを買ってあげると大喜びしていた。
じゃあね。またね。なんだか娘というより友達みたいにして別れた。
わたしのこころのなかには一輪のひまわり。
それが思い出のように咲いているのを感じる。
秋が来てやがて冬がめぐってきてもそのひまわりは決して枯れない。
生まれてきてくれてほんとにありがとう。
母ね。サチコのお母さんになれてすごく幸せなんだよ。
お盆休みも終わりまた日常がかえって来る。
山里ではあちらこちらで稲刈りの風景が見られた。 ほんのりと藁のにおい。それがとても懐かしく感じる。
子供の頃から慣れ親しんできたおじいちゃんちのにおいだ。
どんなに歳月が流れてしまっても忘れられない事がたくさんある。 思い出していると一瞬のうちにその頃にかえっていく自分がいた。
いちにちいちにちを大切に生きたい。 いつかそのすべてが思い出になる日が来るかもしれない。
仕事は少し多忙。どうしたわけか母のご機嫌が悪く。 気づけば自分も苛立ってしまっていたようだ。 それを母に指摘されはっと我にかえったけれど。 ついつい母の顔色を伺ってしまう癖が私にはあった。
みんなが穏やかに微笑んでいられたらどんなに良いだろう。 そのためには自分がいちばんにそうするべきだとつくづく思う。
夕暮れ時の散歩道。ほんの少し日が短くなったことを感じる。 昼間の熱を冷ますように土手を吹く風がとても爽やかだった。
ふっとそれが秋風のように思って胸がせつなくなる。
去るものは追えない。
夏の後姿はどうしてこんなにさびしいものなのだろう。
今日はもう帰らなくてはいけないという。
そこはとてつもなく遠いところにも思えるけれど。
もしかしたら寄り添えるくらい近いところなのかもしれない。
ただ姿かたちが見えないというだけであって。
ほんとうは抱きしめることだって出来るのかもしれない。
送り火を焚く。その炎がちいさくなって消えてしまうまで。
お別れというのではない。さようならとは決して言わない。
ただなんというか。薄い幕のようなものが下りていくのを感じる。
じゃあねって手を振った。またねって振り返す手が見えた。
残されたものたちは日々を精一杯に生きていかねばならない。
今日は息子が帰って来そうな気がした。
玄関に書置きを残して作業場へと出掛ける。 お昼過ぎまでちょっとした肉体労働だった。 汗だくになりふらふらしながら作業を終える。
庭に息子のクルマが停まっているような気がした。
でもそれはない。なんだかさびしくてならない午後。
今の仕事にはお盆休みというものがなかった。 きっと忙しくしているのだろうと彼を気遣う。
おじいちゃん子だったからお盆には必ず顔を見せてくれた。 でも今年の春から仕事が変わってしまって休めなくなった。
仕方ないなと思う。それは娘のサチコも同じことだった。
そのかわりまたひょっこり顔を見せてくれることだろう。 いつも突然だけれど、その突然が父も母も嬉しかった。
亡くなったおじいちゃんはそんな孫達をいつも見守ってくれている。
それは父や母以上かもしれない。だからとても心強く思っている。
開け放した窓から夜風が心地よく舞い込む。
そんな夜にふたりのこどもたちのことをおもう。
あいたいけれどあいたいとはいわないでおこう。
あえたときにとびっきりの笑顔でむかえたいから。
燃えているような夕陽。
空がそのまま迎え火のように見えた。
どうか帰って来てくださいね。
祈りをこめて手を合わす夕暮れ時だった。
亡き父をおもう。亡き祖父や祖母をおもう。
帰る家は我が家ではないかもしれないけれど。
もしかしたら立ち寄ってくれるような気がした。
ちいさな松明が燃える庭先で私はそっと待っている。
おとうちゃんあいたかったよ。
おじいちゃんあいたかったよ。
おばあちゃんあいたかったよ。
みんなみんなおかえりなさい。
気温36℃の猛暑日。
過ぎ去ったいつかの夏を思い起こす。
そのひとは旅人だった。手を振って別れた駅のホーム。
ずっと続くと信じていた縁だったけれど。
もう旅人ではなくなったその日をさかいに。
ぷっつりとその縁が途切れてしまったのだった。
けれども私はその日から夏が好きになった。
そうして夏が来るたびにそのひとを思い出す。
元気にしていますか?
届かない言葉をなんども繰り返しながら。
縁というものの儚さを思い知るばかり。
けれども確かにあったその縁を。
いつまでたっても忘れることなどないだろう。
夕陽の道を散歩する。
赤とんぼがそれはたくさん飛んでいた。
歩けばふれあうように目の前を横切っていく。
夕焼け小焼けの赤とんぼ。なんだか歌の中にいるような気がした。
茜色に染まる空。落ちていく太陽のなんとまぶしいことだろう。
そうして平穏に暮れていくいちにち。
誰もがみんなそうならどんなにか良いだろうかと思った。
大震災から今日で5ヵ月。 決して忘れてはならないことがたくさんあるのだと思う。
絶望を希望にかえるにはとてつもない時が必要なのではないだろうか。
報道は被災地の笑顔を映すばかり。ほんとうにそれで良いのだろうか。
もっともっと痛みを分かち合うべきではないかと私は思う。
2011年08月10日(水) |
お遍路さん(その2) |
猛暑日にこそならなかったけれど心地よいほどの暑さ。 夏も頑張っているんだなと思う。その力を振り絞るようにして。
朝の道でのこと。峠道の手前で自転車を押して歩くお遍路さんを発見。 いつものようにスピードを落とし会釈をして追い越したのだけれど。 おや?っと不思議に思ったのはすぐその後だった。
どうして自転車に乗っていなかったのか。 もしかしたらパンクでもしていて乗れなかったのかもしれない。 クルマを停めて声をかけてあげれば良かったとひどく後悔をする。
引き返そうかと思ったけれど、私のクルマではどうすることも出来ず。 とにかく職場へと急ぎ軽トラックに乗り換えて来た道をまた走った。
峠道はただでさえきつい。自転車を押して歩くのはどんなに辛いことか。 きっと困っているだろう。助けてあげたい一心でその姿をさがした。
けれども歩いているはずのそのひとはどこにも見当たらなかったのだ。 しばしキツネにつままれたような気持ちになってしまったのは言うまでもない。
そうしてやっと気づく。通りがかった誰かが助けてあげたのにちがいない。 私と同じように不思議に思って声をかけた人がきっといたのだろう。
ああ良かった。なんとほっとしたことか。
若い茶髪のお遍路さんだった。きっと良い旅をと願わずにはいられない。
明日は自転車でぐんぐん行けますように。
夏の光と夏の風をいっぱいに浴びて元気でいてくれますように。
立秋をさかいに夏が振り向いてくれたのだろうか。 残暑というにはなんだか惜しいような真夏日となった。
山里からの帰り道。短パン姿で颯爽と歩くお遍路さんを見かけた。 ふくらはぎが真っ赤に日焼けしていてとても痛そうに見える。 それでもその元気な足取りにほっとして勇気を頂いたような気持ち。
次の札所まであと少し。がんばれがんばれとエールを送った。
夏のお遍路はすごく厳しそうだけれど。それを楽しむ気持ち。 出会うたびにその大切さを教わっているような気がしてならない。
苦を楽にかえる。生きていくうえでそれはとても大切なことだと思う。
今日はあまりの暑さに夕食後の散歩になった。 夕陽に向かって歩くのもまた心地よいものである。
土手にはいつのまにかススキの若い穂が伸び。 夕風になびいているのを見るとふと秋を感じる。
季節は決して留まろうとはしない。日々歩むようにすすむ。
そんな日々にあっていろんなことを感じながら。
生きていることをたしかめるような生き方をしたいものだ。
真夏らしさを感じることがあまりないまま。 とうとう立秋をむかえてしまった。
山里では今日も蜩がもの哀しくなくばかり。
せめて笑顔をと思う。陽気に笑っていたかった。 そうでなければどこかに引き摺り込まれてしまいそう。
自転車に乗って農協にいったり郵便局に行ったりする。 魚屋さんの前の道でご主人に会って少し立ち話をした。
小学生の頃この山里で三年間ほど暮らしたことがある。 その当時住んでいたのがちょうど魚屋さんの真向かいだった。
官舎だった家はもうとっくに取り壊されているけれど。 ブロック塀などはそのまま残っておりとても懐かしい。
魚屋さんのご主人は二十歳位のお兄ちゃんだったと記憶している。 ここら辺でよく遊んでいたよねと私と弟のことを話してくれた。
あそこら辺が裏庭で大きな犬を飼っていたよねとわたし。 そうそう猟犬で名前は『ユウ』だった。白くて毛がフサフサしてて。
そんな話をしていると一気に子供の頃を思い出して目頭が熱くなった。
「いっちゃん」そのご主人の事を私はそう呼ぶ。 どんなに歳月が流れてもあの頃のお兄ちゃんをそう呼んだように。
お互い長生きしようね。なんて言って笑い合いながら別れた。
そうしてまた自転車をぐいぐいこいで山里の道を走る。
風はまだまだ夏の風であってほしい。
私の夏はまだ終わらない。私の人生がまだ終わらないように。
今日も不安定な空模様。夏はいったいどこに隠れてしまったのだろう。 入道雲や蝉時雨。焼きつけるような真夏の陽射しがとても恋しくなる。
あいかわらず動き出そうとはしない週末。 もともと行動力のようなものなどなかったに等しい。 ただ息をしている。それだけの時間に満たされている自分を感じる。
午後四時。重い身体を持ちあげるように散歩に出掛けた。 あんずはとても元気だった。負けないようにわたしも歩く。
夏草のにおい。ひたひたと水の流れ。川風がとても心地よい。
お大師堂の蝋燭に火を灯しお線香を立てて般若心経を唱える。 それが私の日課だった。そうしてこそ心が洗われるかのように。
そうして平穏な一日に感謝をする。そうしてもっともっと平穏をと願う。 なんと欲深いことだろうと思うけれど、願わずにはいられない日々だった。
蝋燭の火を消しさあ帰ろうと振り向いたその時だった。 そこに例の修行僧のお遍路さんが立っていてなんと驚いたことか。
ほんとうに偶然に。こんなふうに出会いたいと願っていたそのひと。
一昨年の秋に初めて出会ってからもう10回目の再会となった。 その笑顔は変わらずいつもつつみこむような優しさとぬくもりがある。
少し話しましょうよと言ってもらってつかの間語らうことが出来た。 近況やほんの世間話。それでもそれはとても貴重な時間に思える。
ありがとうございました。そう言って別れる。 そのひとはその時かならず手を合わしてくれるのだった。
私も手を合わして頭を下げる。縁というものはほんとうにありがたいものだ。
またきっと会えるだろう。わたしはいつだってそう信じている。
雨が降ったりやんだり。まるで梅雨の頃のようないちにち。
気温も低めのせいかなんだかしゅんと沈んだ気持ちになる。 すごく嫌だったことをふっと思い出してしまったり。 その時の気持ちにぐいっと引っ張り込まれてしまうような。
ああ嫌だなと自分のことが嫌いになってしまう。 そうしてかぶりを振るようにいろんな事を振り払おうとした。
そんなことさえなければ至って平穏ないちにちだった。
あいかわらずそんな平穏がこわくてならない。 すぐ目の前に大きな落とし穴があるような気がしてくる。
だいじょうぶなのに。ちゃんと生きているのにどうしてだろう。
夕食は独りきり。彼は消防団の慰労会があって出掛けた。 自分がいちばん食べたい物を作ろうとお好み焼きにする。
そうしたらすごく巨大なお好み焼きになってしまった。 半分くらい食べてもうお腹がいっぱいになってしまったけれど。 無理をして全部平らげてしまったものだから胃が苦しくなった。
でも幸せ。だって好きなんだもん。お腹を撫でながら大満足だった。
独りの夜はちょっとさびしいけれど。 ビールを飲んで。焼酎を飲みつつ彼の帰りを待っているところ。
そういえば私は泳げないのだった。 いまだかつて25メートルを達成したことがない。 いつもあと5メートルというところで沈んでしまうのだった。
がんばれ。がんばれと同級生達の声援をうけ。 飛び込み台を足から飛び込み必死で泳ごうとする。 平泳ぎもすぐに犬掻きになってもがきつつも頑張る。
今日こそはといつも思っていた。やればきっと出来る。 根性だってあった。諦めないぞって意志もちゃんとあった。
でも沈んだ。同級生達がみんな嘆き声をあげている。 駄目なんだなって思った。いくら頑張っても駄目なのだ。
夏休み。体育の先生が特訓をしてくれると言ってくれたけれど。 私は仮病をつかってそれをさぼってしまった。 水がとても怖かった。もう一生泳げなくても良いと思った。
高校最後の夏はそうして終わった。 それなのに体育は赤点ではなかったのが今でも不思議でならない。
おとなになって。それはいまでも。 水にぷっかりと浮いて自由自在に泳いでいる夢をよくみる。
なんだ泳げるじゃないかとすごく嬉しくなる夢だった。
夢の中の自分は水とたわむれていて。
泳ぐことが大好きな17歳の少女だった。
今日も不安定な空模様だった。 ご機嫌ななめの空はいつ泣き出すやらわからない。 それも突然に号泣するかのようにどしゃ降りの雨を降らす。
山里の職場では母が庭の草引きを始めた。 無理をしないようにとすぐに止めたけれど。 涼しくて面白いよと言ってその手を休めない。
それだけ元気になってくれたのだろうかと。 心配をしつつもちょっと嬉しい気持ちになった。
お昼。息子からメール。 例のごとく「晩飯たのむ」だった。
そういえばうなぎを食べたがっていたなと。 ちょっと奮発をして今夜はうな丼にすることにした。
青白い顔。目の下には隈も出来ていてずいぶんと疲れている様子。 職場でちょっとショックな出来事があったようで。 どうやらそのことを話したかったようだった。
父も母も真剣に耳を傾けることしか出来ないけれど。 そうすることで少しでも気が楽になってくれたらと願う。
そのために父と母がいる。だからいつでも帰っておいで。
大盛りのうな丼を平らげるなり息子は去っていった。
父と母は息子の抱えているだろう苦悩を思う。 どんなにか耐えている事だろうとその痛みを思う。
頑張れとは一度も言った事がない。
だってもうじゅうぶんに頑張っているのにちがいないのだもの。
曇り日。夏の太陽はまたどこかに隠れてしまったようだ。
立秋も近くなりこのまま夏が消えてしまいそうな気がしてならない。
そんなお天気のせいもあるのだろう。 今日もヒグラシが盛んに鳴き大合唱をしていた。
その声がこだまするように響き胸にせつなさが込み上げてくる。
それは命の声なのではないだろうか。
みんなみんな生きているのだなとそれを感じる。
その声に耳を澄ますじぶんもぽつねんとそこにいて。
なんだかそれが奇蹟のように尊いことに思えてくる。
明日のことなど誰にもわかりはしないけれど。
きっと生きていられるような気がしてほっとするのだった。
山里では稲穂がずいぶんと黄金色になり。 なんだか秋の風景を見ているような気持ちになる。
農家の人たちは稲刈りの事を『秋』というのだけれど。 確かにそれが夏だとは思えない独特の風情を感じるのだった。
ひぐらしがしきりに鳴く昼下がり。 こころのどこかに穴が開いたようにふっと寂しさをおぼえる。
いったい何が足りないというのだろう。 こんなに満たされているというのに不思議な気持ちになった。
わたしはもうおんなではないのかもしれない。 ふと唐突にそんなことをおもう時がある。
寂しさもせつなさもただ生きているからこそのこと。
おんなを失ってしまったのだとしたらそれでもいいのだ。
今年も職場の庭に純白のムクゲの花が咲く。
清楚で健気でなんと美しい花なのだろう。
けれども憧れたりはするまいと決心をする。
ありのままのじぶんを愛していたいとおもうのだ。
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